草薙素子(少佐)がいなくなって3年後の2032年。
少女型の愛玩用アンドロイド(ガイノイド)「ロクス・ソルスType2052 “ハダリ(HADALY)”」が原因不明の暴走をおこし、所有者を惨殺するという事件が発生した。被害者の中に政治家や元公安関係者がいたことから公安9 課で捜査を担当することになり、公安9課のメンバーであるバトーは新しい相棒のトグサとともに捜査に向かう。
(アニメ映画『イノセンス -INNOCENCE』のwikipedia・公式サイト等参照)
このアニメの感想・評価 全647件


これはアニメではない。アートだ!
冒頭の日本民謡のような音楽。
フルCGで表現されたアンドロイドの生成過程。
暗く無機質な世界観。
実に押井守らしい世界観だと思いました。
TV版の攻殻機動隊は無機質の中に血が通った印象を持ちましたが、こちらはひたすらに陰鬱で冷たい印象を受けました。
ストーリーの方は最初はよく分からなかったですが、何度か見返すと何となく掴めると思います。
まあ、キャラもストーリーも正直それほど魅力的な印象を持ちませんでしたが、それでも何故か何度も観てしまう不思議な魅力がある作品です。
その魅力は何なのか?
それは『アート』としての魅力なのではないかと思います。
それも一見しただけでは分かり辛い『現代アート』的な魅力です。
一言で表現すると文学的な作品といった所だろうか。
分かり辛くて渋い。
でも、そういった『大人な魅力』を持った作品だと思います。


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人間と人工知能。。何が違うのか?
人間が人間たらしめているのは、自分たちが「人間」であるということを「意識」しているからだそうで、「我思う、故に我あり」というわけである。
しかしもし、AIなるものに「意識」が備わったとしても、「意識」そのものが科学的に証明されない限り、それは「意識しているとプログラミングされている」という解釈になるそうだ。ということは、逆説的に言うと自分以外の人間が「人間」であるかどうかは本質的には理解できない。なぜなら、そこに歩いている「人間と言われるもの」は「そうプログラミングされた何か」かもしれないからだ。
あるいは、我々人間が飼っているペットやぬいぐるみ、自分の子供を可愛がったりするように、他者に対して感情移入できるよう「ロボット」や「アンドロイド」に「共感」できるほど感情が豊かである場合、「人間」が「ロボット」に「人間性」を見いだせれば、例えそれが「意識」など存在しない単なる「プログラミング」だったとしても。。。
「人間」はそれを「人間」として扱うのかもしれない。要はどう捉えるかは私たちの考え方一つで決まってしまうのだ。
例え実体のない2次元が対象であったとしても、それが「機械」であったとしても、そう思えたり信じたりすることによって幾重にも捉え方が変わっているのである。
そうした場合「人間」の定義とは一体何を指すのだろうか。