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「ひぐらしのなく頃に卒(TVアニメ動画)」

総合得点
68.3
感想・評価
298
棚に入れた
942
ランキング
2080
★★★★☆ 3.4 (298)
物語
3.0
作画
3.5
声優
3.7
音楽
3.5
キャラ
3.3

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ひぐらしのなく頃に卒の感想・評価はどうでしたか?

challia さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

ひぐらしシリーズは全部好きだがあえて選ぶと卒

ひぐらしシリーズはストーリー全部好きです。オヤシロさまの祟りからの入江機関と雛見沢症候群、文句なしに面白い1期の続編である業と卒、1期は絵がまだ綺麗でないので、選ぶとしたら「卒」が、絵的にもストーリー的にも一番好きです。お前ら、なんちゅうくだらない事で争ってるんや~って、TVの前で突っ込んだぐらいです。ドラゴンボールを見ているみたいでした・・
 ※国家転覆目的で【H173】を使うのではなく、こういう目的の為に使うとこ最高

TVで放送していたら必ず見ると思います

投稿 : 2024/01/18
閲覧 : 43
サンキュー:

2

ジョン・ファースト さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.3
物語 : 1.0 作画 : 2.5 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

まさしく視聴者をひぐらしから卒業させる続編に失望

「ひぐらしのなく頃に」は、無印と解で十分楽しめる。
この続編(業から卒にかけて)はいわば蛇足。
別作品の「うみねこのなく頃に」との関連性を示唆する場面もみられ、考察好きにはもしかしたら刺さる場合はあるかもしれないが、名作と言わしめた無印から解の全面否定が本作なわけで、キャラ崩壊、世界観崩壊ともいえる本作はファンメイドの二次創作とかだったら許容できたというのが私的な感想。
ひぐらしを観たいと思ってみたら全然ちがう作品を見せられていたような感覚だった。

投稿 : 2023/10/01
閲覧 : 110
サンキュー:

3

ネタバレ

しろくま さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:----

まさかこんなことになってたなんて解より衝撃

無印→解→卒の順で見て礼と煌は未視聴
業と卒の順を間違えて先に6期を見てしまったのを卒を最後まで観てから気付いて、業はまだ見ていない状態

おじさんがガチで暴力ふるうルートも実際あった事なのか、にいにの部屋に入らないでのシーンは過去の話だったのか??
おじさんが優しくなったのは、沙都子が競馬で勝たせて金銭的余裕を与えた事と沙都子がおじさんに優しく接した事で精神面も満たされ、生活にも心にも余裕が生まれたからなのかと思うと、人間の本質ぽいなと


14話で急に別アニメ感。しかも終わり頃に急なギャグ感やら異能バトル感。急にギャグじゃんと思って思わず笑けてくる感じ
成長して中高生になってる描写もあったから、行動する事を綿流しの祭りに合わせてただけで祭りは関係無かったって事か
でも外の学校に行っても発症してないっていうのはどういう事なんだろう、薬が普及してみんな服用した世界線なんだろうか
そもそも解の時に繰り返せる時間がどんどん短くなって行っててこれが最後かもみたいな話無かったっけと思ったけどその設定は無くなったのだろうか

最後の終わり方はええ…?と思ったけど、裏側での沙都子の暗躍は本当に凄かった。解で充分驚いたのに、さらにこんな衝撃があるとは
結末の満足度は解の方が高いけどこれはこれで良い

投稿 : 2023/09/09
閲覧 : 98
サンキュー:

2

嘉神 悠志郎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 2.0 作画 : 3.0 声優 : 5.0 音楽 : 3.0 キャラ : 5.0 状態:----

ひぐらしのなく頃に 超

ドラゴンボール 卒

投稿 : 2023/08/19
閲覧 : 266
サンキュー:

1

ネタバレ

さんの感想・評価

★☆☆☆☆ 1.0
物語 : 1.0 作画 : 1.0 声優 : 1.0 音楽 : 1.0 キャラ : 1.0 状態:今観てる

酷い

最新話の12話が特に酷い
ほぼ再放送 業の映像使い回し
一番気になっていた注射方法もカットするし雑すぎる
一度見た惨劇シーンを長めにやったり演舞を何回も使い回して尺稼いでるのになんで解答編の見所の部分をカットするのか
これのどこが“解答編“なんだろう
演出も微妙だしストーリーの質も明らかに落ちてる
脚本のハヤシナオキ(久弥直樹)まじで何やってんの?心情描写の描き方が酷いで有名な奴にひぐらし任せちゃだめだろ
竜騎士も脚本に関わってるっていってたけど本当に関わってるのか疑問 無理やり書かされてるのかと思うレベル

15話まで観ました クソアニメでした

投稿 : 2023/07/13
閲覧 : 334
サンキュー:

4

ネタバレ

ひろたん さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

旧作の続編でもあり、旧作の否定でもあり、旧作の昇華でもある作品

旧作は、古手梨花が袋小路から抜け出し綺麗に完結したはずでした。
しかし、この新作は、それすらもカケラの1つにして、亡きものにしました。

前作「業」で黒幕だと明かされた北条沙都子。
旧作では、そんなそぶりがなかったので、今回、新たに起こした設定なのでしょう。
そのため、旧作にはその伏線がないため、後付け感が否めません。
しかし、少々強引な手段でしたが、それでもよく続編として繋げたなと思います。
梨花のループの外側にさらに沙都子のループがあったと言う設定には、感嘆です。

そして、この作品タイトルには、「卒」とついています。
「ひぐらしのなく頃に」シリーズから、文字通り綺麗に卒業もさせてくれる作品です。


■「永劫回帰」
{netabare}
この「ひぐらし」シリーズを観ていて思い浮かんだ言葉は、「永劫回帰」でした。
ニーチェの「ツァラトゥストラは如く語りき」で語られた言葉です。
この思想が非常にこの「ひぐらし」シリーズに当てはまると思ったのです。

永劫回帰とは、全てのことは永遠に同じことを同じように繰り返していることです。
まぁ、そこまでは、なんとなく分かるのですが、面白いのはこれからです。

その永遠の繰り返しの中で、苦痛も幸福も同じように繰り返されるのだそうです。
仮に苦痛が99%を占めていても1%の幸福があれば、再び1%の幸福が訪れます。
それを糧に生きることができるのではないかと言う、「生」を肯定する考え方です。

これは、梨花が繰り返される惨劇の中でそれでも生きようと思ったことと同じです。
再び1%の望みが訪れることを願って「生きた」のです。
{/netabare}


■「神は死んだ」
{netabare}
「ツァラトゥストラ」が語った言葉です。
この直接的な意味は、「キリスト教(神)の信仰は信ずるに値しない」だそうです。
その本意は、「絶対的な視点は存在しない」ということです。
かつてのヨーロッパの話です。
人々は、キリスト教信仰によりいかに生きるべきかという視点が固定されていました。
そんな人々に発想の転換を迫ったのがニーチェです。

これは、この物語の雛見沢の村人にそのまま当てはまります。
村人は、「オヤシロさま」と言う絶対的な固定観念に縛られていました。
「オヤシロさま」信仰により祟りを恐れ、閉鎖的に生きていたのです。
この固定観念を打ち破ろうとするのがこの物語の主軸になってしました。
{/netabare}


■「超人思想」
{netabare}
「超人」とは、「神の死」によって暗闇の中に陥った人間を救済する概念だそうです。
人間は弱い存在なので、自分の弱さをごまかすために宗教や哲学を考え出しました。
それらを克服して自分に誠実に、強い精神を持って積極的に生きる人間、
つまり、弱い人間の限界を"超えようとする人間"のことを示すのだそうです。

ニーチェは、「神は死んだ」でキリスト教によって構築された世界観を否定します。
そして、世界には何も意味がなく、虚構であるとしました。
それを知った上で限界を超えて、なおも積極的に生きよと訴えたのです。
つまり、神などいない、「自分たちで考え行動せよ、生きよ」と言うことです。


この物語の最終話、梨花と沙都子の繰り返す者のチカラは、そのままだと分かります。
二人は、今なお永劫回帰の中なのです。
それでも、そのなかに希望を見出し、その希望がある限り生きようと誓いあいました。

また、二人は、自分のことは、それぞれ自分自身で考えて答えを出しました。
梨花は進学、沙都子は雛見沢に残る決断をしたのです。
それは、自分で考え行動することこそ、「生きる」と言うことだったのです。

結果的には、旧作の物語もカケラの1つでした。
つまり、永劫回帰の1つにすぎなかったと言うことです。
そして、今回の「卒」の物語もそのカケラの1つにすぎないと二人は認識しています。
でも、二人はその中で「希望がある限り生き続ける」ことをお互いに宣言したのです。

「永劫回帰」を肯定し、それでも、その中で生きようと決心した結末。
私は、とても良かったと思います。
{/netabare}


■「また何かのなく頃に」
{netabare}
旧作では、1話目で「ひぐらしのなく頃に」と言うタイトルの所以に触れています。
それは、これから起こる惨劇の壮絶さを語っていました。

一方、新作では、タイトルの所以に触れる機会がありませんでした。
そのため、このタイトルの裏に隠れている怖さを実感できなかったかもしれません。

しかし、この作品の最後には、二人が「また何かのなく頃に」と語っています。
つまり、「ひぐらしのなく頃」自体もカケラの一つに過ぎなかったことにしたのです。
「永劫回帰」の中のいろいろな「頃」に、二人はまた出会い、そして生きるのです。
とても上手くまとめたなと、あらためて感嘆してしまいます。
{/netabare}


■まとめ

旧作に比べると新作「業/卒」は少しインパクトに欠けるなと思っていました。
しかし、永劫回帰と言う言葉が思い浮かんだとき、この物語の面白さに気づきました。

ニーチェと言えば、以前ブームがありました。
私はミーハー?なので、その当時、飛びついてみたものの・・・。
結局、私の理解力不足からか、あまりピンときませんでした。
今まで本を読んでも理解できないことは、他にもいろいろとありました。
でも、アニメを観ていると、そう言うことだったんだとふと分かることがあります。
もちろん、分かった気になっているだけかもしれないことは、否定できません。
この物語もニーチェの思想に近いと言うのは勘繰りすぎなのかもしれません。
しかし、この物語に非常に通ずるところがあり納得できる部分は多いと思いました。


この新作は、旧作の続編でありながら、旧作を否定したと感じてしまいます。
しかし、実は、否定ではなく、その旧作すらも包み込み昇華させた作品でした。

また、この新作には、賛否両論ありますが、私は、観るべきだと思います。
観終わると、いままでの惨劇は何だったのかなと思えるぐらい清々しいからです。
なんだか自分のなかで一区切りついた感覚になれるのです。
つまり、この作品は、最後にこのシリーズから綺麗に「卒業」させてくれるのです。

投稿 : 2022/09/28
閲覧 : 350
サンキュー:

17

ネタバレ

tekitou123 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.2
物語 : 1.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

なんやコレ

なぐり書き失礼。
わざわざ十年経ってコレやる必要性どこ?
小綺麗に終わっている風だが、ループ中ゴミみたいにやられっぱなし利用されっぱなしの圭一らの不憫さ際立ってんの思うてイライラが消えないオレは変か?記憶の蓄積うんぬんどうした?ぜんぜん活かしてないじゃん。いやまあ、なぜか悪役の救済には使わたけどな。
あー首痒いわ。
衝突にはレベルがある、言うまでもなく死は上限であるべきや。
しかしどうだコレ、ゴミみたいに殺されんのがおままごとになって、そこいらによくある殴り合いで再確認される友情が終着点だ?
舞台裏に関わりもしない仲間の力で?確信されて予定調和みたいなもんが奇跡?勉強できるできない駄々っ子に説教するために超能力バトル?なんで性悪神は斬られてロリ化したし、萌えとかぶっちゃけ死語やぞおい。こいつは行動原理も一番の意味不だわ、汚れを一身に受けて人間不信のはずがいまさら唐突な登場に伴い暇つぶしとか、いやありきたりの「神が故の気まま」とかいらんし脚本の根幹が弱い言い訳に過ぎんわマジで。
結局は百合やりたいんか?もうわけわからんわ。
ループやらくっそ重い友情やらやり尽くされてんだ。
でもな、一貫性さえあればいくらでも観れる。ナンバリングタイトルとはそういうもんだろう?
大それた陰謀でもいい、あくまで陰謀・真相・究明がいいんだ。そういうのではなくまどマギやそこいらの古いジャンプ漫画の概念をひぐらしに持ち込んだ時点で詰んでんだわ。
あまりにもかけ離れている。「ひぐらしのキャラを借りてワイがふとやろうと思っていたこと積み込んだわ」って感じなんだよシナリオさんよ。
それでも無視してやりたければワンシーズン12話で充分って話だ。実際、レナ・魅音の話とか飛ばしても影響あるかって思うし。
メタ的にとか、視聴者が暇つぶしの神のポジションとか、いやオレら蚊帳の外やん。
蚊帳を作ってそれでなにかを囲ってんのはおまんら製作者やんけ。
上限であるはずのグロ・凄惨さ、その上に境界知能のメンヘラ百合と超能力バトルを用意したもんだから、重量感のないおままごとになったんだわマジで。
「なく」つーか、ひぐらしの「ぴえーん」する頃にだわ。

投稿 : 2022/09/26
閲覧 : 217
サンキュー:

2

羽依里 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1
物語 : 1.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

???

作画はよかった。音楽、特にEDがめっちゃ好きだった。ストーリーに関しては、、、。とりあえず意味わからなくて笑えた。

投稿 : 2022/09/24
閲覧 : 152
サンキュー:

2

ネタバレ

九会 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 2.0 作画 : 3.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

個人的には楽しめたが……人にオススメは出来ない

業を見ず、卒から見始める方はおそらくいらっしゃらないと思いますが、この作品ではあるキャラクターが旧作のひぐらしと比べるとキャラ崩壊というレベルで変化してしまいます。勿論そうなる理由付けが行われますが、少々理由としては弱くあまり納得の行くものではありません。
ですがそのキャラ崩壊の結果、旧作では悪役を担っていたキャラ達にも救済があったり最終回だけ見ると綺麗に終わっているように見えます。またひぐらし定番の声優さんの豹変する演技はどれも見応えがあり、聞いていて唸るものばかりです。新キャラを演じる日高のり子さんの演技も視聴者である自分も釣られてしまうようなもので良かったです。
一方で業の「一体、何が起きてるんだ?」いう盛り上げがうまかっただけに種明かしが雑に感じられたのは残念でした。加えて圭一やレナ達部活メンバーの活躍が物足りなかった点も少々気になりました。アニメ版の卒とは異なる展開をしている漫画版の「ひぐらしのなく頃に巡」が連載中ですが、キャラ崩壊の過程や描写が卒よりも丁寧に描かれているので卒を見てモヤッとした方はその補完として読んでみると良いかもしれないです。
※2022/02/14 追記
EDテーマを買ったくらいには好きだったので音楽を加点。「ひぐらしのなく頃に巡」最新話でアニメ版で疑問に思った事をだいたいやってくれているので、嬉しいですがアニメで見たかった……という気持ちが増し中。卒の世界も舞台装置だったと考えると実は凄い作品なのか……?
※2022/09/16 点数見直し

投稿 : 2022/09/16
閲覧 : 526
サンキュー:

9

nagi さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

完結です。

本作は、長く続いたひぐらしシリーズの完結編。
作中にちりばめられた謎が、順を追って明らかになっていきます。

1期から見ることをお勧めします。
名作であると思います。

投稿 : 2022/08/23
閲覧 : 161
サンキュー:

7

カリウム さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.4
物語 : 1.0 作画 : 2.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

見よ!これが☆DASOKU☆だ!

蛇の絵を書く競争において、最初に書き終わった者が無い筈の足を書き足したことにより負けてしまった。そんな中国の古い話が『蛇足』の由来だそうだ。
今回の「卒」はその『蛇足』という言葉を私に刻み込んでくれた作品であった。

投稿 : 2022/06/29
閲覧 : 366
サンキュー:

6

ネタバレ

MuraBustan さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6
物語 : 1.5 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 2.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

どうして

今更リメイク?相変わらずの気持ち悪さ。

投稿 : 2022/05/19
閲覧 : 186
サンキュー:

2

ネタバレ

まあ君 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

想定内でした.

「業」を観て,どのように決着をつけるのか楽しみにしていました.
ただ何となくですが,「お互いに違う道を行く」以外の終わり方はあり得ないだろうと想像していたので,まあこんなもんかなぁという感じ.
それにしても,最後の2話は,ドラゴンボールと明日のジョーを足して2で割ったようなボコボコの殴り合い.女の子の画とは思えません.だた,仲違いした親友が仲直りする際,昔から数えきれないほど用いられてきたお約束パターンでもあります.
前作のトゥルーエンドほどのインパクトはありませんでしたが,それなりにスッキリ終われたのではないでしょうか.

投稿 : 2022/04/24
閲覧 : 314
サンキュー:

2

ネタバレ

haruto さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

2022.3.21

2022.3.21

投稿 : 2022/03/21
閲覧 : 163
サンキュー:

0

ネタバレ

ヒト さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

個人的には心打たれたラスト

旧作も全て視聴済みです。
本作はどうやら賛否あるようですが
自分は綺麗な終わり方だと思います。

前作『業』から本作『卒』の一連の流れは
二人が将来も一緒にいたいという、お互いの強い願い故に起きた争いでしたが、
友情や愛は隣にいることだけが全てではなく、束縛やエゴを押し付け合うだけでなく、
お互いがそれぞれを信じられることが最も大事なんだというメッセージが込められたラストは素晴らしいなと思います。

最後までどちらの意向が叶えられるのかと見ていた自分はまだまだ子供だなと思わされました。

投稿 : 2022/03/05
閲覧 : 219
サンキュー:

3

ネタバレ

三毛猫メリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

繰り返す者

2022.2.28 視聴完了。

業のラストで梨花の他に沙都子が「繰り返す者」になった。
そして、沙都子は自分の希望する結果になるように繰り返していく。

ラストは……
だよね、それがたぶん考えつく最良なのかもしれない。
意表を突くラストでも良かったけどね。

とりあえず上手くまとめたってことでこのシリーズ卒業かな。

投稿 : 2022/02/28
閲覧 : 210
サンキュー:

9

ガムンダ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 2.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

NAGeeeeeYO

田舎の因習絡みホラー、サスペンス、スリラー、アクションてんこ盛り盛り大作シリーズの目下最新作。
まずは最初から観る事をお勧めします。
特に直接のネタフリ編である「業」を先に観てくださいましですわ。

私はシリーズの大ファンです。
「業」では「そう来たか!」とかなり期待させてくれてこの「卒」を観始めましたが、まぁ~話の進まない事進まない事。
「業」も含めて考えると明らかに進行度のバランスがおかしいです。
核心に触れるかと思いきやまた離れ、の繰り返し。

それでもオチは見届けようと我慢してましたが、シンプルに「この話数割くほどのオチか!」と。
竜頭蛇尾とはこの事です。

最初からちゃんと考えて作ったんだろうか…。

ま、また違うカケラに期待しましょうか。

投稿 : 2022/01/28
閲覧 : 218
サンキュー:

5

ネタバレ

camuson さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

印象度:89

「ひぐらしのなく頃に業」の解答編。

{netabare}業の「〇騙し編」(「猫騙し編」を除く)は、
実は旧作の殻をかぶった騙し絵であったというコンセプト。

卒の「〇明し編」は、
旧作と表面的には同じ見た目の業の「〇騙し編」の裏側で、
旧作とは全く異なる黒幕が、
裏側でどのように画策暗躍していたかを見せていくという構成。{/netabare}

業の「祟騙し編」に旧作の解答編にあたる「皆殺し編」を
無理矢理突っ込んだ意味がよくわかりました。

作者は、邪悪を隠す殻として、ホラーだけでは物足りず、
感動物語の殻が必要だと考えたのでしょう。
旧作では感動を呼んだ「皆殺し編」までを含めた殻をかぶせることで、
その裏に隠された黒幕の邪悪さを引き立てたかったのでしょう。

ここにきて、さらなる上位世界に存在する「作者」の邪悪さまでもが露になり、
主要キャラたちは、邪悪な作者「竜騎士07」によるコマに成り下がっています。
主要登場人物たちが、まるでピエロです。心が痛みました(笑

ここまでやり切ってしまうとギャグとして笑えるものなのだなと、
気付かせてくれただけでも、作者は有能です。


そして「神楽し編」。(「かみたのし」ではなく「かぐらし」と読む)
怒涛の畳みかけと、まとめ力は、やはり天才的だと思いました。

「ドラゴン・ボール」「シン・エヴァ」「あしたのジョー」
爆笑に次ぐ爆笑。
殴り合った後に清々しくなって仲直りするテンプレートを、
女子の喧嘩に持ち込むというGJぶり。



おそらく作者は旧作「ひぐらし」制作中に、
作品内で表現しきれなかったメタ世界のアイデアを、
「うみねこ」内で思う存分発展させたと思うわけですが、

「うみねこ」で、ほぼほぼ、出し切ってしまったため、
その後、アイデアが枯渇して、
迫力ある作品がつくれていなかったように勝手に想像します。

ある日、登場人物をコマとして扱うメタ世界の住人たちは、
作品の壁など軽々超えるであろう、という悪魔的な気付きを得て、

「〇〇のなく頃に」シリーズを一つの世界観でまとめあげてしまうという
今回の悪行に至ったのだと邪推します。
(「キコニアのなく頃に」は全く知りませんが・・・)

なかなか広げた風呂敷を巧く畳めない作家が多い中で、
若干強引だとしても、まとめ力が凄いなと思った次第です。

投稿 : 2022/01/14
閲覧 : 330
サンキュー:

5

よこちゃん さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

よく頑張ったと思う

業のレビューで旧作先に観て下さいと言ったんですが、卒でうみねこのなく頃にと言うスピンオフ?作品も絡んでいたようです。それは観てなかった(^^;

とは言え私は楽しく観たんですが、賛否両論と言うか、一部ひどいと炎上してるようですね(^^;
ツッコまれるだろうなとは思いましたが、(私も業よりは評価下げました)ここまでとは…

旧作からのファンとご新規さん楽しませるのは、難しいと思いますよ、しかも旧作の出来が良すぎる。インパクトで勝負するしかなかったのでは。ちょっと終盤、超展開すぎてひぐらしっぽく無くなってましたね。でも私はワクワクしたし、良い意味で驚いたり、笑ったり、よく頑張って作ったと思いますよ。

最後にですが、あるキャラが好き放題するんですよね。推しのファンの人は残念に思うかもしれません。それとやはりグロ注意です。

投稿 : 2022/01/05
閲覧 : 326
サンキュー:

14

ネタバレ

ハニワピンコ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 2.0 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

雛見沢爆笑興行

今作には旧作の"仲間を信じること"や"運命に抗うこと"などのテーマでは無いと割り切って、『ひぐらしのなく頃に』という題材を上手く調理している作品としてみると面白い

旧作の記憶を見た沙都子という第三者が、元の惨劇を利用して梨花ちゃまを掣肘し、雛見沢に留まらせる為に奮闘する物語としては、純粋に設定としては上手い
仲間を信じるなどの旧作までの設定をブチ壊すブレーカー的作品ではあるけれど、公式が作った二次創作と考えて見るなら全然楽しめるかな

まぁ結局一番の問題は沙都子の動機なんだと思う。旧作の、惨劇に抗い運命を打ち破るために奮闘する梨花ちゃまと比べると圧倒的に動機が弱いのが、沙都子に対して感情移入出来ない一番の要因。だから全体的に安っぽくはなっていると見えちゃう。エウアみたいな感覚で見てるのが一番近い。だから、面白いが、名作という所までは行かないかなという評価になる

------

とまぁここまでが実は神楽し編始まる前位までに書いていた内容
正直10話のもう1人のワタシ展開からなんとなく嫌な予感はしてたけれど、14話見てもう真面目に書くのをやめることを決めた。判断が遅い
確かに最初は何このバトルオモシロwwwとか笑う余裕はあったけれど、中盤位になって、ふと我に帰ってみるととても悲しくなって笑えなくなった

結局2人の思うことは「一緒にいたい」であったけれど、そもそも梨花ちゃまと沙都子の思いの違いって、旧作を含めて仲間を信じて困難を乗り越えた梨花ちゃまと、ただ勉強が嫌だ 雛見沢を捨てるなと言った沙都子
どっちの思いに感情を移入出来るかって、そりゃ前者に決まってるわけで…

そんな沙都子に関してまだ救いある設定や展開が期待されていたけれど、3クールやっての解決法がガバ待ちの"奇跡"で、反転や時系列入れ替え、『卒』自体が二週目説等の考察を全て一刀両断して超脳筋展開は流石に十分に納得出来る"解答編"とは言い難い
一応沙都子の意図はともかく、シリーズを通して見れば、解答編の役割を持った卒の意義としては全く果たされてないからハッキリ言って0に等しいけれど、神楽し編までの業の裏側を見る話としては面白かったので、めちゃくちゃ斟酌してストーリーは一応2.0を付けた
声優は15年以上経っても変わらずに圭一達であったのが凄い
曲もめっちゃ良かった。不穏なOPで空気を上げてそのまま本編に入り、見終わった後の浄化EDは今年一バランスが良かった

今まで言ってたことを全て否定して敢えて擁護するなら、これがただの"ひぐらしキャラ達がいる無印や解とは全く関係ない世界での話"だったならここまで言われなかったのかもしれないが、結局ループ設定や惨劇の設定などの、旧作というか原作の設定を使ったにも関わらず全て投げ出して肉弾戦じゃそりゃ批判も来るだろうな。という訳で、OVAや何時ぞやの麻雀ゲーの系譜を辿れば良かったんじゃないかと思ひました

卒が始まった頃は、まぁ旧作の設定は壊れてるかもしれないけれど「ええやんこういう公式が作った二次創作も」といった擁護も出来ていたけれど、つまらないなら掌返す。二次創作に関する自分のスタンスは結局はそういう物なのかもしれない

思えばもう業放送開始から1年が経ったのか。発表当時はリメイクだと思われていていざ見てみたら完全新作のサプライズ。よく分からないまま正直最初は自分もキャラデザとか旧作の感じはどこ?って戸惑いながらも、猫騙しからの郷壊しなどの次々に起こる今までの常識を覆す展開にかなり楽しんでいて、一部分からない部分は『卒』で説明されることを信じて待っていたけれど、出てきたのがこれじゃあね…
去年の今頃のリメイクかどうか分からない頃が一番楽しかったなぁ…

投稿 : 2022/01/05
閲覧 : 253
サンキュー:

8

ネタバレ

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 2.5 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 2.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

思考遊び、考察遊びの果てはあるのか・・・

「業」で書いたコメントの続きになってしまう事が、いいのか、悪いのか。
哀しいのか、ハッピーなのか・・・。
少々、何を言ってるのか、なんて言っていいのかわからなくなりました。

私は俗に言う「考察派」では無いです。
ポイントポイントで、あれは?どういうことだ?どういう意味だ?と考える程度で、点と点を線で繋げ、線と線をつかって面を構成し、面と面を組み合わせてラーメン作る・・・、いや失礼、形をつくるなんて芸当を楽しんでできるようなセンスはございません。

なんていうか、そのキャラクターにとっての事情、思いはあるにせよ、
仲間として認識していたキャラクターが、互いの「思い」をベース、エネルギーにして争うのはなかなかに辛いものです。
「おやしろさまの祟り≒雛見沢症候群」が原因でやむなく疑心暗鬼に駆られたわけではありません。
繰り返しになりますが「事情=思い」はあるものの、明確な意思を持って「仲間」だったはずのものを襲うのです。
私的には、あまり愉快ではありませんでした。


この作品、前作以上に「うみねこ」的に盤面を俯瞰して楽しんでいる者の存在が強調されます。
それは、エウアと名づけられた・・・この際、ひぐらし的暇を持てあました「魔女」と表現しても良いでしょう。


そして・・・。
この魔女は・・・率直に言って私たち「視聴者」。
この作品を享受する者たちのメタファーと言ってもいいかもしれません。

そう、我々が自分自身の「暇」をつぶすために、
この物語を消費し、このキャラクター達の「駒」としての動きを堪能している事の暗喩に他なりません。

とうとう、竜騎士は私たちをも物語の駒として登場させてしまったのです。
これはある意味、私たちユーザーに対しての痛烈な打撃!皮肉に他なりません。

そして、この物語に長らく付き合ってきた私たちが、もし新たな物語が紡がれる時・・・、再びその舞台に足を運ぶのか、運ばないのか、それは私(あなた)がどうするか、どう思うかにかかっています・・・w。


はて、さて。
あなたはどうしますか、物語のインフレがさらにハイアベレージに進み、あらたな物語が紡がれる時・・・、再びあなたも竜騎士の駒として登場するのか、しないのか・・・。

私は・・・、また、文句を言いながらも物語に付き合う事になるのでしょう・・・ねぇ。



ん~ふっふっふっw(By大石)

なんかちょっとカッコいい事を書いてしまいましたw。
でも、割と的を射ていると思うのですが、いかがでしょう?
他の「駒」と化した皆様のご意見も聴いてみたいものですw。


それにしても、ここにきて鉄平に同情することがあろうとは、物語に「駒」として参加しての新たな発見があったので、良しとしましょうか・・・むっふっふっふ~w。

投稿 : 2021/12/17
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14

ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 4.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

ひぐらしで泣く羽目に

旧作知りません


話数多かったりシリーズラインナップ複数あるとどんな順でいきゃいいのか路頭に迷います。私も迷子の一人かもしれませんが立ち位置というか遍歴は明示しときたいと思います。

1.名作の誉れ高い旧シリーズを未経験です
2.10何年ぶりの新作『業』視聴しそこそこ満足してます
3.その『業』を補完する役割と聞いて『卒』を観るためここにいます

白状すると旧作を3話くらい観て、並行して新作『業』も3話くらい観てあんま変わらんと思って『業』に専念。完走後にあにこれで答え合わせしてみたら旧作の内容と途中分岐する新作だったと判明。その後、貪欲に旧作を貪る気にもならず今日に至る。以上です。

 普通でした

普通よりちょっと面白いかなってくらい。クール平均の中上位層ぐらいのポジションです。ベテラン声優さんの“転調”演技が素晴らしくて引き込まれます。声優さん続投してるし旧作ファンは同窓会みたいでニワカな僕よりもっと楽しめそうな気がします。
それとやっとこからくりが見えてきた『業』を受けて、その『業』を別人物の視点から辿るのが本作『卒』でした。答え合わせしてる面白さがあります。本編と同時間帯を別人物の視点で追うスピンオフみたいなもん。
できれば『業』『卒』は一気に3クール分駆け抜けるのが吉かもしれません。
名作の誉れ高い本作ですが、ところどころ片鱗は感じることができる佳作といったところでした。

旧作必須かどうかはよくわかりません。…がしかし新規で59話分を追いかけるのは負担に感じますね。
こちら新シリーズも3クール費やしたわりには満腹感には欠ける。
少なくとも『業』『卒』をもって「ぜひ旧作を!」という気は起きなかったです。


※ネタバレ所感

■沙都子あれっ!?

“繰り返す者”堪能しました。
{netabare}だがしかし、梨花にバレた時点で即ゲームオーバーとなる仕様でしたよね。沙都子にやられる前にやってしまえば解決。
結局ロリお社様のテレパシーみたいなのでループ地獄の綻びが生じたわけですが、なんか思っていたよりあっさりで肩透かし食らった気にさせられて消化不良でした。田村さんとかないさんの熱演でお釣りがくるのかもしれませんが、この設定なら“梨花にバレたら最後”の緊張感があっても良かった。梨花の絶望に比べて沙都子がワンサイドすぎましたね。
梨花VS沙都子のどっちに転ぶかシーソーゲームとワンサイドゲームどちらが盛り上がるかといえば一部例外を除き前者でしょう。本作は徹底して後者でした。では後者で盛り上がる“一部例外”はどんなか?といえば胸のすく一発逆転以外考えられません。{/netabare}


■沙都子と梨花の二人ともあれっ!?

“繰り返す者”同士の決着や如何に?
{netabare}これ不満でしたね。ワンサイドゲームからの一発逆転みたいな展開ではなくちょい残念。さらに閉鎖的農村社会でのホラーという作風もぶちこわ…超越しちゃった感のある最終盤でした。
バレたら最後なんですけどバレてから2話費やしてやったことが

 {netabare}拳で語り合おうぞ!{/netabare}

前田慶次と奥村助右衛門みたいなことになってました。実際“拳”より異能バトルでしたけど旧作ファンの方はあれでいいのかしら?
余韻もへったくれもないのでこれでテンションだだ下がりでした。{/netabare}


■総論

{netabare}近くにいる親友を囲いたくなる感情なんて成長と共に薄れていくもんなんですけどそこに固執し100年というのは凄いですね。凄惨な1か月を1200回繰り返したわけです。
それを「ありえない」と思うのはあくまで常人の感覚であって、そうじゃないからホラーとして成立してたわけです。秀逸でした。だからこそホラーらしくホラーのままにっていうホラーのお作法に沿った結末だったら良かったのに~って思います。あるでしょ?惨劇継続の匂わせみたいなやつ。{/netabare}


※オマケ

■1983年

年表見たら戸塚ヨットスクール事件をなぜか覚えてるくらい。
沙都子/梨花より年下と気づきちょっぴりテンション上がりました。まだ若い



視聴時期:2021年7月~9月 リアタイ   

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2021.10.12 初稿

投稿 : 2021/12/05
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31

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

完全新作、まだ誰も知らない雛見沢へ

言わずと知れた名作で、OVAを除くと本作がちょうど4期目になります。
無印の解答編が「解」であったように、本作は第3期「業」の回答編という位置付けになっています。


都心から遠く離れ、色濃く残る自然に囲まれた集落──雛見沢村。

かつて、ダムの底に沈むはずだった村は、
今もなお昔と変わらない姿で、
転校生・前原圭一を迎え入れる。

都会で暮らしていた圭一にとって、
雛見沢の仲間と過ごす賑やかでのどかな生活は、
いつまでも続く幸せな時間のはずだった。

一年に一度行われる村の祭り、綿流し。
その日が来るまでは…。

昭和五十八年、六月。
ひぐらしのなく頃に。

日常は突如終わりを告げ、
止まらない惨劇の連鎖が始まる──。


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

基本的なストーリーは無印や「解」と一緒なんですが、所々物語が改変されているので、流れは知っていても視点の違いから新たな気付きが得られる構成になっているのは、この作品ならではの楽しみ方なのではないでしょうか。

ですが、無印や「解」と、「業」と「卒」で大きく異なっている部分もあると思います。
一番の違いは、「業」と「卒」には無印や「解」で感じたホラー的要素が殆ど無いことです。
そして、その代わりに大きく盛られたのが「痛み」だったのではないでしょうか。

何度も何度も繰り返される惨劇…
目の前で繰り広げられる惨状に、何度か心が折れそうになりましたよ。
能力が暴走を超えて飽和している感じがしたのも、拍車を掛けていた気がします。

ですが、ラストまで視聴して腑に落ちた気がしました。
最大の理由は、島みやえい子さんの歌う「you-卒業-」が流れてからの展開が、物語の序盤からは考えられないほど穏やかだったからです。

この作品が「解」で終わらなかったのは、このラストのためだったんだと個人的には思っています。
このシーンが見れただけでも、心が救われた気持ちになりました。
しかし、「you-卒業-」は何て素晴らしい曲なんでしょう。
聞くだけで目頭の熱くなる曲です。

オープニングテーマは、彩音さんによる「Analogy」
エンディングテーマは、鈴木このみさんによる「Missing Promise」で、最終話のみ「you-卒業-」

1クール全15話の物語でした。
本当は2クールで放送される予定だったのでは…と思ってしまいました。
中盤から終盤にかけての展開がこれまで以上に早かったので…
全15話というのも少し中途半端ですしね。

素晴らしい結末をありがとう…
と思っていましたが、なんと令和の雛見沢を舞台に圭一の子供ら描く「ひぐらしのなく頃に令」の連載が始まったんだそうです。
いずれ、令和の雛見沢もアニメ化されるかもですね^^

投稿 : 2021/11/28
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11

ネタバレ

クソアニメの魔女 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

炎上した理由については考えさせられたが、良い部分はたくさんあった

ひぐらしのなく頃にの正統続編である業の決着編です。
時系列は解における祭囃し編の後。
過去作である無印、解を観てないと業、卒の描写について意味が分からない点が多いと思われるので、できるなら旧作を参照してから視聴することを推奨します。

古手梨花が仲間同士の絆や信じることを力に、鷹野三四の願いが引き起こした永遠とも言えた、呪われし惨劇の運命を打ち破った旧作。
業、卒はそうした力を闇堕ちして“繰り返す者”となった北条沙都子が逆手に取り、鷹野との戦いから得た経験を活かそうとする梨花を新たな惨劇の渦に引き摺り込みました。

仲間をテーマにした旧作。
作者は一度完結したテーマからあえて脱却を図り、仲間を信じることに関して、その弱さ(特に依存性)という危険性について説いた。そんな意欲作とわたしは捉えています。

意欲作、と言えば聞こえは良いのですが、その結果様々な問題点が付随して大炎上した本作。最たるものは心理描写の弱さや重要な描写の欠如でしょう。
卒は業の使い回しみたいなシーンが多く、それが祟ってかキャラクターの心理描写を旧作より描けていないです。特に業の郷壊し編や、綿明し編、神楽し編では顕著でした。

抽象的な表現もかなり多い。祟明し編で現れた北条沙都子の闇人格や、神楽し編でエウアが放った“フィーア”という言葉、そして彼女と羽入の関係性やその目的など、今作では曖昧だったり明かされていない部分が目立ちました。

良い点は作画、音楽、キャラクター。これらは文句無しです。
後はテーマ。
梨花がこれまでのことを信じた結果黒幕に足元を掬われ、かつて経験しなかった新たな惨劇に見舞われるという旧作をある種活かしたエピソード群は素直に面白いと言えます。

仲間を利用することから胸糞悪いとも取られる沙都子の暗躍は賛否ありますが、わたしは好きです。
旧作にて羽入の言葉から言われていた梨花と沙都子の共依存の危険性。
そこに着目して旧作(祟殺し、皆殺し、祭囃し)より見られた北条沙都子というキャラクターの不安定さを惨劇の黒幕として旧作とは違った切り口でより苛烈に描いたのが業、卒のテーマの一つだと解釈しています。

ストーリーはかなり荒削り。描写不足な点や違和感が多く、炎上した元凶であり、悪い点はここに凝縮されています。

以下、わたしの解釈と併せて箇条書きにして纏めます。

・梨花、沙都子がルチーアに通っていた経験のある詩音に相談しない。
→これはなぜしなかったのか謎。進学する場所の評判を知ろうとしない理由が皆無。

・業の焼き直しが多い。
→そのせいで重要な描写を描く尺が不足しているので致命的。再放送と揶揄されるのも納得。神楽し編の1、2が特に酷い。

・沙都子の動機がしょぼい。
→明確な描写は薄いですが、沙都子は梨花の辿った惨劇の追体験を合わせて彼女並みにループを経験しており、何度も何度も梨花と共にあろうとしては失敗していました。沙都子を苦しめた梨花の願いはさながら、鷹野の例で言う“絶対の意思”に他ならないでしょう。
どう足掻いても最終的にルチーアで孤立した結果、このままでは梨花と共に過ごせないことを悟った沙都子は二人の関係を壊してまで、彼女からして利己的にしか見えないであろう自分の願いを叶えようとしている梨花の心をエウアから貰った力を使い“オヤシロさまの祟り”の名の下に屈服させ、鬼騙し編より一転して梨花を殺す呪縛と化した仲間、絆の力によって雛見沢に縛り付けようとした、というところでしょうか。

・祟明し編で沙都子から分離した闇人格
→解の後日談となる礼で梨花の裏人格(魔女と呼ばれたりする)、いわゆる黒梨花と呼ばれるものと決別する描写があります。ここから考えるに、沙都子も梨花と同じく長いループを経て本来の沙都子と若い肉体と不相応に成熟してしまった沙都子が摩擦を起こして分離、梨花のような魔女としての人格が現れた、と読み取れます。
沙都子の場合は自らが起こした幾度もの惨劇を経て擦り切られた良心が呵責を起こしてしまい、梨花をものにするのに邪魔となるそれを封殺するべく、魔女人格が沙都子を乗っ取ったのでしょう。
最終回で沙都子が言っていた、この体を北条沙都子に返す〜のくだりは礼での梨花のくだりの再現といった具合でしょうか。
梨花の時と同じく、魔女沙都子と本来の沙都子の一時の別れ……と考えるとしっくりきました。

・14話がドラゴンボール
→ドラゴンボールとNARUTOでした。

他にも言いたいことはありますが、長くなり過ぎるので割愛します。気が向いたら追記していくつもりです。

総評して、やりたいことは分かるが、炎上した理由も明確な賛否両論の激しい作品です。
考察しがいのある部分も多いですが、視聴ハードルが高いしとにかく荒削り。
観るなら旧作やうみねこといった過去の竜騎士作品をある程度理解するくらいの気概が無いと抽象的な表現にもやもやすることは必至でしょう。理解があったとしても賛否が分かれる作品なので、他作品よりも評価が難しいのが現状です。

投稿 : 2021/11/23
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6

シャベール大佐 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

田舎の村落を舞台にした人気ホラーミステリーの、新作の解決編

閉鎖的な田舎の村落を舞台にしたホラーミステリー「ひぐらしのなく頃に業」の続編。全15話。
内容的には、「業」で描かれた惨劇の種明かしをしていって、最後に今回の物語を決着させる、みたいな流れ。この作品、過去のシリーズに強い思い入れがある人たちには、どうもそれほど評判は良くなかったようですが、「業」と「卒」しか観ていない「ひぐらし素人」の自分的には、それなりに楽しめました。ぶっちゃけ、ストーリー自体には特に感心することはなかったですし、キャラの誰かに感情移入できるようなこともなくて、作品としての出来については、それほど良かったという感じでもないのですが、とりあえず怖いもの見たさのドキドキや、あまりに酷い展開に思わず笑ってしまうような面白さはあったので、毎週1話ずつ観ている分には退屈することはなかったです。ただ、当然ながら残酷な描写はたくさんありますし、物語としても同じようなパターンの繰り返しなので、もしこれを全部まとめて一気に観ていたならば、途中でうんざりしていたような気はします。
作画、音楽は、特に問題なし。声は、ベテランの声優さんが揃っていて、さすがの安定感でした。
「業」と「卒」の全39話を観終わって、まあそこそこ面白かったです。この作品に限らず、ホラーというジャンルは意外と笑えることも多かったりするので、なんとなく苦手意識がある人でも、もしかしたらギャグアニメ感覚で楽しめたりするかもしれません。(まったく保証はできませんが。)

投稿 : 2021/11/19
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10

overnao さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ひぐらし初見

ひぐらしシリーズの作品を初めて見ましたが、ふつうに面白かったです
このシリーズの長年のファンの皆さんは割と酷評気味な傾向がありますが…
おそらくですが、最初の作品から10年以上経ってるので、製作者側は私のような初見視聴者を取り入れようとして今回の作品の脚本を書いたんだと思います
そしてその結果、既存のファンが持っている作品へのイメージが壊れることに繋がったんじゃないかと思いますね
初見視聴者的には、分かりやすいストーリー構成でストレスなく見れてよかったですよ。

投稿 : 2021/11/15
閲覧 : 157
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2

ネタバレ

くまごろう さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

〇〇〇〇のなくころに

先に言っておきますが、この作品はひぐらしの続編でも、リメイクでもありません。アナザーというのもおこがましい。どちらかと言うとうみねこのアナザーです。

うみねこと構成は同様で、ひぐらしの舞台である昔のひなみざわをゲーム版にして、ゲームプレイヤー1であるさとこがプレイヤー2であるりかにゲームを挑む話。
さとこの目的は高校生になったりかがひなみざわを離れ、都会の高校に進学することを諦めさせひなみざわでいつまでも一緒に暮らすこと。一方のりかは終盤までゲームだと気付かず、かつてのループしていた世界と同様の脱出方法を試すが悉く失敗。諦めかけていたその時にとあるきっかけで、ゲームと相手プレイヤーの存在に気づき対決。その後和解しハッピーエンド。
と言う話。

うみねこ好きな私としてはベルンカステル、ラムダデルタの誕生秘話としてのこの作品はとても面白かったし、さとこの行動が次第に変化していくのも、ラムダの意識が強くなってるのかなと想像できて良かった。

面白い、とても面白い作品なのだが、最後に大切なことなのでもう一度!!この作品はひぐらし本編とはなんの関係もありません!!!

投稿 : 2021/11/10
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2

DB さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

タイトルなし

ひぐらしのまた新しいストーリーは結構新鮮に見ることができました。
はじめてひぐらしを見たときには最悪とまで評価したけれど人間慣れるもんですね・・・
今回は凄惨なシーンは多めだったかと思いますが、年月が経っている分、描写もそれなりに考えられているような気もしました。
ストーリーはまあ新作ということでいいんじゃないかと思います。あまり真面目に評価してもねww

投稿 : 2021/11/09
閲覧 : 142
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1

ネタバレ

やぎゃあ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 1.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 1.0 状態:観終わった

「ひぐらし」としては駄作、「うみねこ」としてはまぁ・・・

※前半は業/卒の全話完走後に書いたまとめレビュー、後半はリアルタイム視聴時に書いていた各話レビューになっています。
※「うみねこのなく頃に」の内容にも触れますので、その話は聞きたくないという方はBack
※私は思ったことを全て書ききりたい超長文体質です。読んでいただける方はセクションを開き始める前にざっと一通り眺めて、気になるところだけ読むのをお勧めします。

※最終話のレビューの後に、「うみねこ」の設定も踏まえた考察も書いてみました。当たっているかはわかりませんのであしからず。(考察部分は何か思いついたら ちょこちょこ書き足します)


【完走後のまとめレビュー】
業/卒を総括するとこんな感じでしたね。

①リアルタイム視聴者に対しては、放送前のプロモーション(番宣など)から既に失敗していた
②「旧作ひぐらし」は必修、できれば「うみねこのなく頃に」も履修しておくが吉
③「ひぐらしの世界観」をぶっ壊しすぎ

ーーーーーーーーーーーーー
① プロモーション(番宣など)については細かく愚痴りたいです。

ひぐらし業の「マニュアル」的な情報・・・例えば旧作と新作との関係性、業のコンセプトや楽しみ方などを、放送前からしっかり広報すべきだったんじゃないかと思います。少なくとも私は、制作側が仕掛けたサプライズのせいで、この作品との向き合い方を見誤りました。

どういうことかと言うと、{netabare}業の放送開始当初、制作側は「リメイク」なのか「続編」なのかを曖昧にしていました。タイトルも放送開始当初は『ひぐらしのなく頃に』とだけで、『業』を冠したのは話数が進んでからでした。これは制作サイドからしたら『サプライズ効果(ドッキリ)』を狙っていたのでしょう。

ゆえに放送開始当初は、多くの方が『リメイク』だと思っていたはずです。

しかし、そうすると視聴者はどう考えるか・・・?

まず、新規勢は「旧作を観てなくてもリメイクから入れば良いんだ」と誤解します。また古参勢にしても「リメイクなら、新たなミステリー作品として 3要素(誰が/どうやって/なぜ) を解き直す必要はないんだな」と誤解します。

一応 察しの良い古参勢なら、「鬼騙し編」のラストで展開が変わったことで、この作品との向き合い方を考え直せたかもしれません。しかし、私は『単に これも あったかもしれないカケラの1つってことでしょ?』と解釈して進んでしまいました。

よもや「黒幕も 手段も 動機も、何もかもが異なる惨劇」だとは思い至れず、『新たなミステリー作品として挑戦する』という発想自体を持てませんでした。(私は この情報はちゃんと広報すべきだったんじゃないか? と思っています)

そして新規勢も古参勢も ある程度話が進んだ頃に『絶対的な違和感』を感じますが、新規勢は『ここまで継続視聴したのにふざけんな!続編って知ってたら旧作から観ていたわ!』と思うでしょう。古参勢は『ここまで見進めちゃって、今更 謎解き目線で細かい描写を1話から確認し直すなんて面倒すぎるわ!』ってなるでしょう。私は初めから「新作ミステリーに挑戦するスタンス」で観始めたかったです。

短期戦略(PR)としての『ドッキリ要素』に何の意味があったのでしょうか?? 確かにドッキリはしましたよ?ただ、それ以上にムカつきました。急に続編ヅラしだしたことに。そのせいで「新たな謎解き」という視点を持てなかったのですから、憤らずにはいられません。しかもこのサプライズ効果は半年も保たないのですから。今となっては『旧作の続編』『業と卒のワンセット』という情報は出回っているのですから。

中長期戦略(PR)として『惨劇の世界を抜けた先で新たな惨劇に囚われてしまった梨花。どうかその真相をもう一度暴いてください(私はキャッチフレーズのセンスないので誰か考えてw)』とプロモーションした方が、新規/古参の全員が納得した上で視聴開始できたでしょう。

※最近の人にわかりやすく例えるなら・・・

ゲームのFF7リメイクにて、もし『原作はRPGでしたが、リメイクではアクションRPG化します!!』という情報を一切伏せたままプロモーションしていたら、どうなっていたと思います?

リメイクと聞いて “原作RPGを現代技術でまた楽しめるんだ♪” と期待して買った人々が、『フタを開けてみたらアクションRPGでした』と知って、どういう反応をみせると思いますか?・・・“わぁドッキリだよ〜w” と和やかな空気で済むと思います?

実際は制作サイドが前もって入念に『アクションRPG化する』という広報をしていたから、買う側もそれを納得の上でアクションRPGを買ったんです。この『作品に関する広報(周知)』と『ユーザー側の納得』が重要なんです。

それと対比させてみてください。

新作ひぐらしの放送に際し、『旧作ひぐらしの続編である』『旧作とは異なる3要素で描いた新作ミステリーである』という情報を伏せたことでどんな事態を引き起こしたか・・・。ちゃんとこのプロモーションの『デメリット』と向き合ったのか、小一時間問い詰めたいです。{/netabare}

ーーーーーーーーーーーーー
② これまでの各話レビューで「うみねこのなく頃に」の名前は伏せるようにしてましたが、もう伏せない方が良いと判断しました。「ひぐらし」と「うみねこ」の関連性を知っていた方が、よくわからない描写や思わせぶりな描写でいちいちモヤモヤせずに済むと思います。

{netabare}特に最終話にあった数々の描写は、明らかに「うみねこのなく頃に」の世界観に繋げるための描写でした。(私的には嬉しいサプライズでしたが、うみねこを知らない人にとっては・・・)

正直、思わせぶりな描写をしておきながら本作内でその関連性を描く気がないのなら、余計な描写を交えない方が良いのでは?と思っていました。こんなの「うみねこ」を知らない勢からしたら余計な混乱、無駄な推理を招くだけでしょうに、と。(まさか最終話で畳み掛けてくるとは思いませんでしたがw)

竜騎士07氏はインタビューで「うみねこを知らなくても楽しめるようになっています」とは言っていましたが、私が感じた印象はちょっと違いましたね。私は「余計な情報を交えたせいで、うみねこを知らない勢は話がよく見えずに憤りを感じたのではないか?」と心配になりました。

むしろ本作は「うみねこを知らなければ 納得できない作品」とさえ言えると感じました。

両方を知っている人は『この描写は本作の推理として必要な情報だな、この描写はうみねこにつなげる情報だな』と分別できますが、旧作ひぐらししか知らない人は『本作の全ての描写』をひぐらしの世界観で説明しようと試みるんですから・・・。①の話にも通じますが、だからこそ「この作品の楽しみ方(作品の位置付けなど)」をちゃんと広報すべきだったと思います。

でもなんだろう・・・「うみねこを知らない勢」を心配している自分と、うみねこに繋がる情報を求めている自分もいて、葛藤しながら観ていましたw

本作は「ひぐらし」単体の視点で観る分には率直に言って駄作な気がしますが、「ひぐらし」と「うみねこ」の繋がりを考察するためのアニメと考えれば、やや楽しめる部分はあると感じました。
{/netabare}

ーーーーーーーーーーーーー

(1)まず、「新作ひぐらし」の惨劇は、そこに至る経緯(動機)があまりにも稚拙です。「旧作ひぐらし」や「うみねこ」で描かれた経緯とは比べ物にならないほどにお粗末。

理由・・・ {netabare}「旧作ひぐらし」の黒幕には壮絶な過去があり、特に「うみねこ」はそれを凌駕するほど壮大な悲劇が起きており、感情移入しすぎて辛くなったものです。

しかし「新作ひぐらし」の動機は「梨花と離れたくないから聖ルチーアについて行く」、あるいは「梨花と離れたくないから雛見沢に縛り付けたい」、あるいは「沙都子と離れたくないから一緒について来て」・・・何にせよ ただの「わがまま」から生じているんですよ。

普通なら 納得いくまで話し合うなり 喧嘩するなりで流れて行く青春の1ページを、何とかして無理やり「大量殺人」や「凶悪テロ」に仕立て上げただけ・・・話の作り方が強引すぎです。{/netabare}

(2)また、ひぐらしにおける奇跡が『何でもありの安物』になってしまった気がします。

理由・・・ {netabare}旧作で起きた数々の奇跡は、積み上げた惨劇と後悔の末に垣間見える「解決の糸口」のようなものだったと思います。それはあくまで「きっかけ」であり、奇跡を起こして「ハイ 解決♪」とはいかないものでした。

しかし、新作で起きた数々の奇跡はもう「直接的解決手段」になっています。奇跡を起こして何でも解決しちゃうのは「御都合主義」というものです(詳細は最終話のレビューに書きました)。

「旧作ひぐらし」で起きた数々の奇跡のうち、「直接的解決」をしたのはおそらく1度だけ。最後の最後、{netabare}鷹野が羽入に向けて撃った銃弾を、時が止まった世界で梨花が取り除いた時だけ。ただし、それは鷹野が終末作戦を失敗して逃走した後・・・つまり梨花を捕らえ続けた惨劇に決着がついた後の話。

羽入がオヤシロサマとして鷹野の前に現れ、鷹野の罪を許そうとしたことで起きた描写であり、そこは梨花の物語の幕引きとして必要だったのではなく、鷹野の物語の幕引きにとって必要だったこと。梨花の惨劇自体はもう解決{/netabare}したエピローグ的な部分なので、そういうのは許容します。後味を良くするための飾り付け程度の「ご都合」は全然あり。{/netabare}

(3)世界観をぶっ壊したなぁと感じた点は他にもいくつかあります。

理由・・・ {netabare}「梨花は死の直前の記憶を保持できない」という大原則を 奇跡という建前でなし崩したり、数々のキャラクターを大した背景を描かずに惨劇の実行犯に仕立て上げたり、ドラゴンボールさながらのどっかんバトルに発展したり・・・{/netabare}


「旧作ひぐらし」のファンとして、また 特に“心”を大事に描いていた「うみねこ」のファンとして、なんだか裏切られた気分になりました。


あ、ちなみにドラゴンボールのような超常バトル展開になったのは、おそらく「うみねこ」成分を取り入れたせいだと思います。

ーーーーーーーーーーーーー
(超脱線:うみねこの世界観について)興味のある方だけどうぞ
 {netabare}うみねこは、自分の存在を認めさせたい「魔女 ベアトリーチェ」と、魔女や魔法の存在を否定したい「人間 バトラ(探偵役)」の、ミステリーに準じた謎解きバトルを描いた物語です(ただし ミステリーとも ファンタジーとも言い切れません)。

※主人公が否定したいのは「この世すべて」の魔女と魔法の存在ではなく、「自分の目の前で起きている惨劇において」の魔女による魔法殺人説を否定したいだけです。

まず魔女側は「人間には到底不可能であろう殺人事件」を次々に起こしていきます。探偵役である主人公は当然 殺害シーンを直接見ることはできません。主人公は探偵が行う一般的な調査手段と、犯人である魔女との直接問答から情報を得ることになります。

その際、魔女はその殺人シーンを幻想的な描写で再現してみせ「わらわが魔法で殺害した」と主張します(だいぶ語弊がありますが、知らない人への説明としてはこれで十分)。

一方、主人公(探偵役)は魔女と魔法の存在を否定したいので、魔女に見せられた幻想を拒絶し、人が死んでいるという「事件の結果」だけを信じ、殺人事件のすべてを「人間の手による殺人トリックとして立証を試みる」という物語です。

で、この世界は『主人公が殺人トリックの立証を諦めないうちはミステリーに、推理を諦めて魔女に屈服したらファンタジーになる』という、かなり独特な謎解き物語です。

ちなみに、魔女に殺されているのは主人公の親族一同とそれに仕える従者たちです。そして ひぐらしの梨花と同様、主人公が真相にたどり着けない限り惨劇のループに囚われ続け、無限に殺され続けます。{/netabare}
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なので「うみねこ」はひぐらし卒14話で繰り広げたドラゴンボール展開が霞むほどの「超常バトル(魔法バトル)」が展開します。でも「うみねこ」なら良いんです。うみねこの場合は {netabare}『これが魔法ではなく殺人トリックだと主張するなら立証してみろよぉおw できねぇだるぅぉお?w』という魔女ベアトリーチェからの挑発(宣戦布告){/netabare} と解釈できるので。

ただ、この世界観を「ひぐらし」に持ってきたのはかなりの悪手だと思います。この描写は「ひぐらしの世界観」をぶっ壊しています。「うみねこ」の世界観を受け入れた私でも、「ひぐらし」で同じことをされたら拒否反応が出ます。・・・特に『うみねこを知らない勢』からしたら、共感できる余地なんて一切ないでしょう。

(ちなみに、うみねこに興味を持った方はマンガかゲームをおすすめします。アニメは出題編までは制作されましたが、解答編の制作は頓挫しています)

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※ここからはリアルタイム時に書いていた各話レビュー(不定期)です。

【9話までの感想】====================

{netabare}ひぐらし業の後半・・・具体的にはエウアが登場してからずっと不安に感じていたのですが、ひょっとしてこの作品・・・「ひぐらしの世界観」だけでは全ての真相にはたどり着けないのでは?

いや、業で起きた「事件の裏側」は卒ですべて明かしてくれるんでしょうけど・・・『なぜ沙都子をこんなクズ人間として描かなければならなかったのか?』という部分が、ひぐらしの世界観だけで納得のいく説明がつくのか・・・。

もし・・・ もしもこれが『沙都子の意思ではない』という結末に持っていこうとしているのなら、いよいよ竜騎士07氏(原作者)の別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の話をしなければならなくなるかも?・・・そうならないことを願っています。( “ひぐらしのなく頃に” は、あくまでひぐらしの世界観で完結して欲しいので)
{/netabare}

【12話の感想】=======================

{netabare}「業」の時点でものすごく不満を抱いたものの、最終話と同時に「卒」が制作発表された時点で評価を保留していたことがあったのですが・・・「卒」を踏まえても結局その不満点は最悪なままでした。

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何が不満だったかと言うと・・・{netabare} 赤坂と 茜さんと 公由のじいさんを 使い捨てにしたことです(圭一はもともと別のカケラで何度も発症した経緯があるのでさほど気になりません)。

いや、茜さんと公由のじいさんは物語上そこまで重要な役ではないのでまだ許容できなくはないですが、「赤坂」はあんな使い捨てにして良いキャラじゃないでしょ・・・。

なぜかって(旧作のネタバレあり→)・・・{netabare}旧作の暇潰し編は1編まるまる梨花と赤坂のエピソードでしたよね? そのエピソードの賜物(反動)があってこそ、祭囃子編(最終章)の結果につながったはずですよね?めちゃくちゃ重要なキャラじゃないですか。

旧作アニメでは尺の都合で詳しく描かれませんでしたが、赤坂が山狗の小此木の軍隊格闘に対抗できるほどに鍛錬を積んだのは、暇潰し編における誘拐事件での戦いと後悔があったから。赤坂が皆殺し編と祭囃子編で雛見沢に帰ってくるのは、暇潰し編での梨花からの「助言」と「ヘルプサイン」を信じたから。普通の赤坂なら ほぼ全てのカケラで梨花の言葉を信じず、惨劇が起きたのちに梨花の死を知り、激しい後悔に苛まれるのが常でした(つまり、赤坂にも圭一と同じような奇跡が起きています)。{/netabare}

部活メンバーはもちろんのこととして、「赤坂」「大石」「富竹」「入江」は絶対に使い捨てにしてはならないキャラだと思っています。

なぜなら(旧作のネタバレあり→)・・・{netabare}鷹野の『終末作戦』を表舞台で阻止したのは部活メンバーですが(山狗たちとの徹底抗戦)、裏舞台で「山狗の一時撤退→仕切り直し」という選択肢を潰したのが「赤坂」「大石」「富竹」「入江」なんですから。(赤坂は表でも大活躍。あとキーマンとまでは言えないかもしれませんが、裏の功労者に「詩音」と「葛西」も加えてあげたい)

たとえ部活メンバーが山狗部隊を退けたとしても、重火器を持って再戦を挑まれたらどうなっていたかわかりません(この戦闘は日中かつ棉流し当日で人が多いため、山狗部隊は拳銃使用は認められていません。人目がつかない裏チーム側では銃撃戦しまくりですが)。

その『撤退後の選択肢』を潰してくれたのが大人たちでしょう。

赤坂はかつて「梨花の予言」を聞かされていた者として、大石に詳細を告げて真相究明のための仲間に引き入れ、なぜこんな予言ができたのか 改めて二人で梨花の話を聞きに赴きました。時を同じくして、梨花は入江から「自分が死ぬことで終末作戦(雛見沢大災害)が決行されること」を聞き出せており、入江と二人で「鷹野に殺される可能性がある」と富竹に警告しています。そして大石・赤坂がその話を立ち聞きできたことで、ようやく警察側と入江機関側が腹を割って情報共有できるようになりました。

梨花が暇つぶし編で告げたオヤシロ様の祟りの予言を、『赤坂が信じなければ』この舞台は整いません。

入江は、入江機関所長として把握していた「終末作戦(雛見沢大災害)」の詳細を全員と共有し、特に大石に対しては「オヤシロ様の祟りの真相を全て入江機関要因で説明できる」とも告げました。梨花は、部活メンバーと相談できたことで導き出せた「仮説」を披露します。

一通りの情報を共有したことで、富竹は「本当に自分が殺される可能性がある」と信じて警戒するようになり、また大石は長年園崎家が黒幕だと思っていたことが誤解だと知って和解できました(園崎家の協力が得られるようになる)。大石は「終末作戦」に対して「48時間作戦」という罠を仕掛け、警察内で“東京”の息がかかった諜報員をあぶり出して園崎県議に引き渡し、富竹は入江機関と“東京”の連絡員として機密管理などのための『番犬部隊』を招集してくれました。{/netabare}

祭囃子編の結末にたどり着くためには、必ずこの4人が『真の肩書き』として出会わなければなりません。この4人それぞれが持っている情報と人脈が、本当の意味で惨劇を終わらせたのですから。そのきっかけを作ったのが『赤坂に起きた奇跡』でしょう。

このキーマンたちを惨劇の首謀者に仕立て上げるなら、相応のエピソードがないと納得...というか満足できないです。

大石刑事の惨劇はしっかり描かれて満足できたのですが、赤坂だってあれくらいの物語はあって欲しい重要なキャラだと思うのですが・・・。卒で付け足された要素なんて『沙都子の仕業でした。以上』だけって・・・。そんなの業でわかっていることなんだから、もうちょっと何かあって欲しかったです。 {/netabare}
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話は飛びますが、羽入の角のヒビの意味、それが12話で修復された意味、羽入とエウアとの関係性・・・この辺の設定って結構昔の竜騎士07氏のインタビューを聞いたことがある人じゃないと意味がわからないのでは?

いや本作中でも「あれは○○の出来損ない」とかは言ってましたけど・・・。そもそもエウアがどういう存在で、どういう立場でこの物語に関わっているのかってのは、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』を知らないと訳がわからないんじゃないでしょうかね?

私は両方のファンだから別に混乱していないですけど、ひぐらししか知らない人は話ついていけているんでしょうかね?
{/netabare}

【13話の感想】=======================

{netabare}もう何もかもが御都合主義に感じて来ました・・・。特に今回は「そこだけは設定変えちゃダメでしょ!」って所を、奇跡という建前で変えてきましたね。まぁ12話で羽入に起きた変化からして、こうなることは覚悟していましたけど。御都合主義はその変化からすでに始まってますね。

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私が納得いかなかった点は・・・{netabare}奇跡によって「梨花が死の直前の記憶を保持できるようになったこと」です。

「そうは言っても、旧作でも何度か同じような奇跡が起きたじゃん」と思われるかもしれませんが、明確に違う点があります。

例えば旧作の罪滅し編でも、圭一が「別のカケラの記憶を垣間見る奇跡」が起きていますよね。そして魅音に謝罪する一幕が。

圭一に起きた「奇跡」については、私がその発想に至らなかったというだけのことで、物語のルール上禁止していないのだから、いつそんな奇跡が起きてもOKなんです。

圭一以外でも「部活メンバーや大石・赤坂・富竹・入江たちが、別のカケラの記憶を垣間見ることなんてあり得ません」なんて一言も言っていないのだから、いつどんな奇跡が起きてもOKなんです。

しかし、梨花だけは違います。梨花だけは物語上『絶対的な制限』がかけられていたはずです。

ひぐらしの世界すべてを通して『梨花は死の直前の記憶を保持できない』という大原則ですべての物語が作られていました。それは羽入が不完全な存在だから(詳細割愛)。ゆえに『自分(梨花)を殺した犯人だけは絶対にわからない』はずでした。その大原則だけは普遍であって欲しかったのですが、今回そこをぶっ壊してきたということです。

ならばこう考えられませんか。・・・その奇跡を起こして「犯人当て」をして良いのなら、旧作の惨劇ループなんて1回で十分じゃないですか?と。いや、1回はさすがに少ないか。

ただ100年も1000年も惨劇を繰り返す必要なんてないんじゃないですか?あの人(黒幕)が直接手を下す惨劇のカケラを引ければ、その記憶を保持すればもう「犯人当て」は即終了ですよね。そこからは対策を講じるために何回かループし、数手でチェックメイトじゃないですか?

「超常的な能力で犯人を当てる」って、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の中で散々説明してくれた、ミステリーで絶対にやってはいけないことに抵触していますよね(ノックス十戒とヴァンダイン二十則)。

もちろん、ひぐらし卒の時点ではもうミステリーではありませんが、だからってこんな酷い犯人当てがあって良いんですかって・・・(ひぐらし業まではミステリーと言えますが、業の時点ですでに犯人は明かされているので)。

旧作での序盤のコンセプトにしたって『これは “オヤシロ様の祟り(ファンタジー)” なのか “殺人事件(ミステリー)” なのか』を問うており、圭一が「どうか真相を暴いてください」と出題しているのですから、旧作もミステリー要素はあったはずなんです。旧作は皆殺し編で大石を味方に引き入れたことで、ちゃんとロジカルに黒幕を究明したんです。

だから本作もなるべくならミステリーの原則に準じ、「ひぐらしの世界観」をちゃんと保って欲しかったです。

ちなみに強いてひぐらし卒をミステリーで例えるなら、刑事コロンボや古畑任三郎スタイルですかね。冒頭であえて犯人も犯行方法もバラした状態で、『どうやって探偵役がその犯人に迫っていくのか』を描くスタイル。

なのに『古畑任三郎が捜査中に突然超能力に目覚め、唐突に犯人を言い当ててしまう』なんてことになったら・・・駄作にもほどがありますよね。この13話のシナリオはまさにこういう内容なんですよね。{/netabare}
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<余談:原作と脚本について>
{netabare}業の頃からなんとなく違和感を感じていたのですが、これ・・・よくよく考えたら竜騎士07氏は新作ストーリーにほとんど関わっていないんでしょうかね?

原作者として名前がクレジットされていたので、てっきり竜騎士07氏がストーリーを描いているのかと思い込んでいましたが・・・よくよく考えればそもそも「業/卒そのものの原作」は無いですもんね。このクレジットの意味は、本当の原作(無印のPCゲーム)のこと・・・ですかね?

なので新作のストーリーを描いたのは別人なのかも?・・・きっと。そう考えれば、やっと合点がいきます。

別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』で、ノックス十戒や ヴァンダイン二十則を組み込んだ緻密な物語を描き、その作中で「事件を起こす動機(心)」の大事さを熱く語り、登場キャラが「(推理において) 心をないがしろにするんじゃねぇ」と何度も口にしていました。実際、それに見合うだけの壮大なストーリー(心)がちゃんと用意されていました。

旧作ひぐらしにしたって、数々の惨劇を誘発させていた黒幕には、その凶行に駆り立てるだけの動機がちゃんとありました。そして、それを少なくない話数をかけてしっかり描いてくれました。

竜騎士07氏の作品は、ちゃんと『心の機微』が克明に描かれていたんですよ。少なくともこれまでの作品では。そんな原作者が、本作のような「心をないがしろにしまくった 精神崩壊ストーリー」を描くとは思えませんからね。別人が描いたストーリーなのであれば腑に落ちます。

本作は『凶行の動機』がまったくもって意味不明なんですよ。動機は『沙都子が梨花と雛見沢でいつまでも楽しく暮らしたい』と・・・。全然納得はいかないですが、一旦それで理解しましょうか。

しかしそこをスルーしても『何故そこまでの執着を見せるのか?』すらもさっぱりわからない。仲間を再び惨劇に突き落とし、それどころか仲間が凶行に及ぶよう企て、時には自らの手で殺しもする。それらの行為に対して何も思わないほどの『狂気』を発揮する理由がまったく描けていないと思います。

じゃあ、例えば梨花が結婚して沙都子にかまう時間がなくなった時、それすらも沙都子は許さないのでしょうかね??遅かれ早かれ、いつかは『それぞれの人生を歩み出す時』が必ずくるはずですが。

それが惨劇の出発点となった最初のカケラでは『聖ルチーアへの進学』だったのでしょう。そして普通に考えれば、沙都子が聖ルチーアへの進学を諦め、それぞれの道に進むことを受け入れるべき事でしょう。しかし、沙都子はそれだけは受け入れられなかったんですよね?なぜかは知りませんが。大量殺人をもいとわないほどに。その愛すべき梨花を無限に殺しても構わないほどに。

ならば『梨花に対する常軌を逸した執着』にそれ相応の理由が無いと、物語としてめちゃくちゃ不自然なんですよ。遅かれ早かれ必ず別々の人生を歩む将来が来るのに、『大量殺人』を犯してでも『凶悪テロ』を起こしてでもそれを拒むだけの理由が。

私がこの物語に抱いた評価を上方修正するとしたら、『沙都子があれほどまでに梨花に執着する理由』をちゃんと描いてくれたら、もう少しマシになるかもですね。まだ納得いく理由を聞いていないので。・・・まさか聖ルチーア編だけで描き切ったつもりなら、「心をないがしろにすんじゃねぇ」と言わせてもらいましょうかね。

まぁ、もう動機の掘り下げについては「シナリオライターのエゴに巻き込まれ、沙都子がただのクズに成り果てたから」という事で諦めていますが・・・。{/netabare}

さてさて残りあと・・・2話ですかね? いろいろ書いてしまいましたが最後まで事の顛末を見届けたいと思います。
{/netabare}

【14話の感想】=======================

{netabare}これは完全にやらかしましたね・・・もう落胆を通り越して笑えてきました。もう理屈抜きの勢い任せのアニメになっちゃいましたね。

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今回の不満点はもはや致命的・・・
{netabare}
何これ、急にドラゴンボールでも始まったんですか? いや衣装チェンジがあったから魔法少女モノですかね? あの超常バトルはどうしちゃったんですか?ww

これが別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』だったら、魔法バトルの演出は許してましたよ。でもこれ、『ひぐらしのなく頃に』ですからね?ちょっとおイタが過ぎるのでは?

しかもバトル中にコロコロ場面転換しましたが・・・あれ、何を意味していますか?勢い任せで見過ごせる描写じゃないですよ。

時代も年齢も服装もコロコロ変わってましたよね? 指パッチンの描写も何度かありましたよね?まさかとは思いますが・・・そのたびに「死に戻り」してますか??

よもや『新作で追加した設定』は忘れてはいないですよね?

『沙都子は梨花が死んだ後に自分が死ぬことで、梨花の意識の飛び先のカケラまで追いかけることができる』んでしたよね?? 沙都子の慢心をたしなめるように、エウアが何度か釘を刺して説明しましたよね?

ということは、突如始まったあの超常&連戦バトルは
①『必ず毎回 沙都子が勝利し、梨花を殺し続け、沙都子が追いかけ続けた』

しかも鬼狩柳桜(おにがりのりゅうおう)を奪い合っているにも関わらず、
②『毎回 鬼狩柳桜を使わずに普通の凶器で梨花を殺し続けた』

という描写として解釈しろということでしょうか。もしあの場面転換中、1度でも沙都子が先に死んでいたら、ありえない光景ですからね。

ということは、あんな接戦しているようでいて、その実「梨花はクソザコ。あれは一方的な殺戮ショー」って脚本ですか?えぇ・・・。

もしくは、二人とも「死なずにカケラを飛び越える力」すら手に入れちゃってます?

っていうか、エウアが釘を刺した設定が結末の肝になると思っていたのに、いつ活きてくるんでしょうか?最終話?・・・実はこの設定どうでも良かった????

ちなみに、私はてっきり沙都子が先に死んでしまい、梨花の上位世界の意識を見失い、梨花は沙都子から永遠に逃げ続け、沙都子は梨花を永遠に追い続けるという愛憎劇を妄想し、

それが別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の『{netabare}奇跡の魔女 フレデリカ=ベルンカステル{/netabare}』と『{netabare}絶対の魔女 ラムダデルタ{/netabare}』の2人の関係に繋がっていくのかなぁ・・・なんて予想していたのに。

で、もちろんエウアは『{netabare}観劇の魔女 フェザリーヌ=アウグストゥス=アウローラ{/netabare}』と同一人物なんだろうなぁって想像してたのに。

今回「ひょっとしてその辺のクロスオーバーしている世界観に切り込んでいくのか!?」と、ちょっと期待してしまいましたが、このままだと匂わせすらないまま終わりそう・・・w
{/netabare}
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<余談:原作と脚本について> (※大幅修正しました)
{netabare}私が最初に書いた内容に誤解があったので訂正しました。訂正前のコメントを読んだ方、申し訳ございません。この項目は改めて書き直しています。

[シリーズ構成(脚本の総責任者)]
 ハヤシナオキ(久弥直樹)

[各話脚本]
 鬼騙し編1〜4 ハヤシナオキ
 綿騙し編5〜8 川口敬一郎
 祟騙し編9〜13 ハヤシナオキ
 猫騙し編14〜17 ハヤシナオキ
 郷壊し編18〜24 ハヤシナオキ

 鬼明し編1〜3 ハヤシナオキ
 綿明し編4〜6 ハヤシナオキ
 祟明し編7〜11 ハヤシナオキ
 神楽し編12〜15 ハヤシナオキ


(訂正)
原作と脚本の関係について、竜騎士07氏が業の終了後にインタビューを受けていたようです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
記者
「アニメ制作についてですが、竜騎士07さんが書いたプロットをアニメスタッフに預ける形で制作しているんですよね。」

竜騎士07
「そうです。(中略)もちろん、私も監修という形でシナリオやコンテに関わらせていただきましたけど、“ちょこっとセリフを修正する程度” でした。

(中略)
私自身の感覚としては、魚市場から200キロのマグロを仕入れて、それをアニメスタッフの方々にドーンとお渡ししただけという感じなんです。それを川口監督が見事に解体して、さらに脚本のハヤシナオキさんがキレイに三枚におろしてくださったというか。

(中略)
私はアニメに関しては素人同然ですし、プロットもそれを意識したものではないので、うまく捌いていただけたなと思います。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ということで、物語の「骨組み」自体は竜騎士07氏が組み立てて、

キャラの心情・行動・セリフや、各シーンの描写、どこに時間をかけるかなど、細かい話の「肉付け」をしていったのが前述の作家さん2人という感じみたいですね。(もちろん そこに演出家なども加わってくるのでしょう)

ミステリーで言うところの「who:沙都子、why:梨花と雛見沢で暮らしたい、how:死に戻りの力で梨花の心をくじく」という大筋を描いていたのは、竜騎士07氏ということでしょうね。

ということは「沙都子をクズに仕立て上げる」という方向性を決めたのも、竜騎士07氏本人ということになりそうですね。脚本家は、どれくらいのクズにするかの「さじ加減」を考えて脚本を用意した・・・ということですかね?

そしてインタビューの中で、竜騎士07氏が猫騙し編(聖ルチーア編)の脚本で「沙都子の内面をちゃんと描けた」と満足していることが、何よりもショックでした。私はあそこが一番不満に思っていたので。どこが描けているんだよって。

ひょっとして竜騎士07氏や脚本家陣的には、沙都子と梨花の言い分(正当性)は50:50だと思っているんでしょうかね?? 私的には梨花100:沙都子0、いや譲歩しても95:5くらいだと感じていますが。あれじゃ沙都子がただクズなだけですよ・・・。

そもそも「沙都子は勉強ができない」「梨花と離れたくない」という前提に則った上で、沙都子の内面に対して2点つっこんでも良いでしょうか。

沙都子の内面に関するツッコミ①
{netabare}沙都子は少なくとも2度は聖ルチーアでの学園生活を送っていますよね? 沙都子は2度目以降で何を変えようと努力したんですか?? アニメの中でこの流れを完全に省きましたが、沙都子が「2度目以降にどんな努力をしたのか」は非常に重要なことだと私は考えています。

旧作の梨花の場合、常にみんなが生還する幸せな結末を迎えるための「奇跡」にたどりこうと、努力し続けましたよね。それが旧作のすべてのカケラに共通していた梨花の心情。

じゃあ新作の沙都子は?・・・梨花のセリフから推察できるように、どの世界でも「沙都子は梨花のせいにし続けただけ」じゃないのでしょうか?しかも「みんなのため」ではなく、「自分のため」のループですからね。

1度目で勉強ができなくて落ちこぼれたなら、なぜ2度目以降で素直に「梨花の助け舟」を受け入れなかったのでしょうか?

そもそも大前提として、梨花の助けを借りて受験も乗り越えたんでしょう? 梨花は同情しているわけでも、見下しているわけでもなく、沙都子と進学したかったから手を取り合ったわけで。沙都子も梨花の気持ちと助け舟を受け入れて一緒に進学したはずなのに、なぜ今さら意地を張るのでしょうか?(・・・それは梨花が学園に順応していく様を僻んだからですよね?つまり ただの逆恨み)

1度目で学園で孤立したことを悔いているのなら、なぜ2度目以降で「梨花の招き」を受け入れなかったのでしょうか?

これは単純に沙都子が友達作り、あるいは高校デビューに失敗しただけのこと(ただし、進学して友達作りに失敗することはよくあることなので、この点だけは同情します)。しかし、それを梨花のせいにするのは沙都子の性格が歪んでいると思います。しかもせっかくループする力を得たのに、同じことを繰り返したのならそれはもう沙都子の問題です。

どちらにも共通して言えますが、1度目と同じことをすれば「何度だって同じ結末を迎える」のは当然でしょう。だから「沙都子が何を努力したのか」は重要なんですよ。このストーリーはそこを軽視していると思います。

さらに、これが致命的。

1度目で『どうやっても自分は梨花のようには変われない』と悟ったのなら、なぜ2度目以降も『聖ルチーアへ進学しよう』と思ったのでしょうか?普通に考えれば、そこが2人の人生の「最初の分岐点」でしょう。・・・ここに関して『沙都子が梨花に妄執する理由』が何1つ描けていません。

ゆえに私の印象では、聖ルチーアに順応すべく自分を変えていこうとする梨花に対し、沙都子がそれを僻んだだけのことだと解釈しています。だからいくら沙都子が梨花を糾弾しようと、『沙都子が僻み根性丸出しにして噛み付いている』ようにしか感じません。ゆえに動機が恐ろしくチープだと感じています。

梨花と沙都子の正当性を50:50のつもりで描いているのだとしたら、もう意味不明です。
{/netabare}

沙都子の内面に関するツッコミ②
{netabare}たかが神経衰弱(ゲーム大会)で完封勝利する演出のために「死に戻り」するような人間が、そして現にそれを丸暗記できてしまう人間が、何で「テストの答案」ごときを丸暗記できないんですか。神経衰弱の盤面を丸暗記するより、テストの答案を丸暗記する方がはるかに楽ですよ。

しかも、ただの一夜漬けによる丸暗記ではないですよね? あれって勢い任せでスルーできる描写じゃないですよ。

沙都子と梨花は「たった1日だけ」をループしているわけではないはずなので。沙都子は梨花の死後を追いかけながら、時には「数年間」巻き戻ってからゲーム大会の日を迎えているわけで、長い月日の中のたった1日、その中のゲーム大会の盤面を、「巻き戻った分の月日を過ごしながら記憶を保ち続けている」んですよね。・・・ただ事じゃないですよ。

それとも、あの指パッチンの描写は・・・「梨花を殺さずに沙都子だけが自殺し、梨花がそのカケラを離れる前に戻ってこれて、沙都子の自殺の数分前から再スタートできる」ような使い勝手のいい能力だったんでしたっけ?この場合は『沙都子が先に死んでいる』としてもその事実は都合よくスルーできるんでしたっけ? それだったらあの記憶力は「一夜漬けや瞬間記憶程度のものにすぎない」と認めますけど・・・そんな設定は聞いた覚えないですよ?

ならば「テストの答案」だけを記憶できない道理がない。勉強なんかできなくたっていい。神経衰弱と同じように「丸暗記」すれば良いだけなのだから。それなら聖ルチーアでも「勉学」で落ちこぼれることはないですよね。

まぁテストをやり直すために、どうしても死に戻り(梨花との心中)が条件にはなってしまいますが、「梨花や仲間たちを無限に殺し続ける」よりもよっぽど楽な覚悟で済むはずでは?

あ・・・、というか「梨花を屈服させる」という思惑が生じてしまったから梨花の死後を追いかける必要があるだけで、単に「自分がやりなおしたいだけ」なら梨花の意識を追いかける必要はないから、沙都子は一人で死んでも構わないですよね。なら余計に「梨花を屈服させようと思った正当な動機」が欲しいところですね。正当ってのは逆恨みや僻み根性丸出しの動機以外で、という意味で。{/netabare}
{/netabare}

あぁ・・・次が最終話か・・・どう収拾つけるのでしょう。 {/netabare}

【最終話の感想】======================

{netabare}呆れた・・・もう呆れるしかないです。

私がこれまで散々文句を言ってきたこと・・・というか誰しもがそう感じていたであろうことが・・・まさか「最終話の結論に持ってくる想定」だったから、こんなにも無茶苦茶で回りくどいシナリオになっていたなんて。

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何が回りくどいって・・・

{netabare}まず、私は業の聖ルチーア編の時から一貫して『沙都子が聖ルチーアに順応できないのなら、梨花は梨花の道を、沙都子は沙都子の道を歩むのが当然の摂理だ』と指摘してきました。「自分の進路は自分で決めるもの」ですし、「親友と進路を違える」なんてごくごく普通のこと・・・誰しもが経験することなのだから、と。「親友と離れたくない」なんて稚拙な動機で大量殺人や凶悪テロなんてされたらたまったもんじゃないですよ。

また卒に入ってからは『大量殺人や凶悪テロを起こしてでも梨花との別離を拒むのなら、その凶行に見合うだけの動機が必要だ。梨花に対する妄執の背景を描かないと物語として不自然だ。』とも指摘してきました。それこそ旧作のあの人に匹敵するか、それを超えるような動機を描いてもらわないと誰も納得できませんよ。

なのに・・・えぇ・・・。『超常バトルの末に、ようやく “別離” という結論に至る』って何?w

いや・・・だからそれ・・・視聴者のほぼ全員が『聖ルチーア編で即答していた結論』だと思うのですが。普通の人間同士なら「殺し合い」ではなく「話し合い」で解決できることですよ??この当たり前の結論に至るまでに、私はいったい何を見せつけられていたのでしょうか?

この惨劇の解決手段(別離)は・・・言うなれば「1+1は?」と聞かれて全員が「2」と即答する程度の結論。

それを回りくどく『1でもなく、3でもなく・・・4、5、6でもなく・・・というかこんな大きな数字にはたぶんならないよなぁ・・・それに奇数と奇数を足しているんだから偶数のはずだ。ということは、きっと2に違いない!どうだ!?』なんて問答を見せつけられたら、

さすがに『君の頭の中ではいったい何が起こっていたんだ??』と、じゃっかんの苛立ちを込めて突っ込みたくなりませんか?こんなん相手すんのメチャクチャしんどいでしょうよ。

しかし『ひぐらし業/卒』はこれに匹敵するしんどいシナリオ構成になっていたようですね。相手するのがしんどくなるような・・・ね。

『ひぐらし業/卒』とは、誰もが即答するであろう「当たり前の結論」に至るために、『常人には到底共感できないような遠回り』を描いた作品だったようですね。{/netabare}

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ついでに もう1つ不満点を・・・

{netabare}羽入 vs エウアについては・・・う〜ん。個人的には『奇跡』は数々の行いを積み重ねた上で導かれる『最後の一押し』という概念であって欲しかったです。

数々の惨劇と後悔を積み重ねた上で「別のカケラの記憶を垣間見れた奇跡(罪滅し編など)」、運命は変えられると信じなかった最後の一人が それを信じたことで訪れた「羽入顕現の奇跡(祭囃子編)」、いずれの奇跡も「直接的解決手段」ではなかったと思うんですよね。

一方、「羽入のもとに鬼狩柳桜(おにがりのりゅうおう)が届く」って・・・それもう直接的解決手段じゃないですか。これまでのカケラとの脈絡もあまり感じませんし・・・。

言うなれば「アンパ○マン新しい顔よ〜! ア○パ〜ンチ! バイバ○キーン」の流れと同じでしょう(この作品をバカにしているわけじゃないです。「ひぐらし」がこれをやるのはどうなの?という話です)。

これだけじゃない。梨花が死の直前の記憶を保持できるようになって「犯人当て」しちゃった時もそう。そんなのミステリーの探偵役が急に超能力に目覚めて犯人を特定しちゃうようなもの。

ん〜、それならもう梨花惨殺シーンを見た羽入がブチ切れてスーパーサ○ヤ人化し、かめ○め波を撃ってエウアを蹴散らすって展開でも良いんじゃないですか?奇跡の力で直接解決しちゃいましょう!w

何だろう?・・・私が抱いていた『ひぐらしにおける奇跡の価値』がちょっと下がりましたw{/netabare}

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あと細かいところで気になったのですが、『聖ルチーア学園』って・・・

{netabare}どこにあるんでしたっけ? どこかで語っていたのを聞き逃したかも?

詩音が通っていた学校ってのは覚えていたので、てっきり詩音がいる興宮だと思っていたのですが・・・『新幹線』で行き来するほどの距離だったんですか?興宮署の大石刑事や 興宮在住の詩音は、新幹線で行き来するような距離を移動して雛見沢に来ている・・・?

あるいは 興宮とは関係ない遥か遠くにあるんでしたっけ?(ググっても聖ルチーアの所在地情報がヒットしませんでした)

ちなみに郷壊し編の1話で、二人は『合格発表』の日に聖ルチーアに直接見に行ってますよね?新幹線でわざわざ見に行ったの?w

(追記)急いで旧作ひぐらし(マンガ)を読み直して見たところ、少し記憶違いがありました。

聖ルチーアは園崎お魎が詩音を幽閉する意図で入学させたものの、詩音があまりの『上品さ』と『陰湿さ』に息苦しくなって脱走してしまった学校でしたね。目明し編で詩音が聖ルチーアを酷評していたことを忘れてました。その後、詩音は悟史の事件を機に園崎家に居場所がバレ、ケジメをつけたのち興宮での生活を許され、「別の学校」に通い直していましたね。

ただ、やはり聖ルチーアの所在地情報は無かったですね。

ちなみに目明し編の経緯があるなら、沙都子のねーねーとして進学を引き止めてあげなさいw
{/netabare}

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と、ここまで批判ばかり書いてしまいましたが、一応ちゃんと良かった部分もありますね。

例えば、EDにあの名曲のアレンジ『YOU-卒業-』を持ってきたのは素直に『おぉ!』って驚きました。まさかあのイメージソングを公式EDに採用してくるとは・・・良い意味でゾワッとしました。

あとは えっと・・・うん、それよ それ(震え声)

いや、まじめに言うともう1点あるんですが、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』を知らない人にとってはどうでも良いことなんですよね・・・。ここが何というか・・・ん〜、もったいない。知っていればゾワっとする描写はいくつかありました。

最終話での・・・
「エウアの角にヒビが入り、エウアが子供化した描写」
「新幹線での別れ際で、赤い瞳になった梨花と沙都子の一連の会話」
「“そろそろ追いかけますわよ...梨花” のセリフ」
「“もういいわ、北条沙都子。あんたにあんたを返すわ” のセリフ(この口調は重要)」

これらは一見謎めいた描写に見えますが、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』を知っていると、いろいろ思い当たることがあるんですよね。特に最後のセリフ。この情報によって『なぜ沙都子があんなにもクズになったのか』について1つの仮説が思い浮かびました(当たっているかはわかりませんが)。

また、あっちの作品でもハッキリとは明言されなかった「裏設定」に対する原作者からのアンサーとも受け取れそうな描写もありましたね。

でもこれ、『ひぐらししか知らない勢』にとってはこういう楽しみ方はできないと思います・・・。エウアが出てきた頃からクロスオーバー的な要素が濃くなるのではと心配していましたが、まさか最終話で畳み掛けてくるとはw

私的には新作ひぐらしは全然楽しめたものではありませんでしたが、最後の最後でクロスオーバーしている「裏設定」に関する情報が得られたので、結果的に最後まで諦めずに観て良かったです。最後にちょっとしたご褒美をもらえたことが、せめてもの救いになりましたw{/netabare}


【考察】==========================

ちなみに別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の方のネタバレをしても良ければ、私の想像できる範囲で考察を書いておきます。そっちの作品をご存知の方は「脱線」部分は飛ばしちゃってください。

かなりの長文なので、先に結論を書きます。「うみねこ」の世界観がわからない場合は、詳細の方を読まないと理解不能です。

結論=>{netabare}
沙都子がクズムーブする羽目になった本当の理由は『本作に一度も姿を現していない魔女たち』のせい。

ひぐらしの世界観で作られた『ゲーム盤(惨劇の舞台)』にて、
 『奇跡の魔女:フレデリカ=ベルンカステル』と
 『絶対の魔女:ラムダデルタ』が対局している。
その『盤上の駒』としてベルンが梨花を、ラムダが沙都子を動かしている。

『観劇の魔女:フェザリーヌ=アウグストゥス=アウローラ(エウア)』は、
沙都子に“繰り返しの力”は与えたものの、それ以上の干渉はしていない。

魔女たちの戦いに「駒の感情」なんて不要なので、心をないがしろにした惨劇が繰り広げられている。

・・・これが私の予想です。{/netabare}

ーーーーー以下、詳細ーーーーーーー
{netabare}新幹線での一連の会話は、うみねこのEpisode5とEpisode8にて「奇跡の魔女:フレデリカ=ベルンカステル(ベルン)」と「絶対の魔女:ラムダデルタ(ラムダ)」が別れを惜しんでいた時の会話との共通点が多々ありました。

「うみねこ」の序盤は主人公バトラと 惨劇の元凶ベアトリーチェとの戦いなのですが、裏では「ベルン」がバトラを、「ラムダ」がベアトを応援し、二人の戦いを散々引っかき回す役どころでした(徐々にこの対立構造も変わっていきます)。

この2人の魔女は、「お互いに愛し合いながら 憎みあってもいる」「誰よりもお互いのことをわかり合っている自負がある」という複雑な愛憎関係で、特にラムダは異常なまでにベルンに執着しています。一時の別れを済ましても、ベルンの姿が見えなくなった途端また会いたくなって探し始めるほどに。

つまり、本作の梨花と沙都子の関係に酷似しています(旧作ではなく本作の2人の関係に、です)。

つまり、新作ひぐらしの世界は「ベルン・ラムダ・エウア(フェザリーヌ)」の3人の魔女が積極的に干渉してきている可能性がありそうです。

そして“そろそろ追いかけますわよ....梨花” のセリフは、口調こそ沙都子のものですが「ラムダがベルンに抱いている感情」を表している気がしますし、何より「うみねこ」の世界でラムダがベルンに同じような主旨の発言をしています。

〜〜〜(脱線:マンガ版Episode5のセリフから引用)〜〜〜
ゲームが決着しかけた時の別れ(未遂)の挨拶

{netabare}ベルン「最後にはベアトも剥製にしてやりたいわ。そして大広間に高々と飾ってやるの」
ラムダ「銀河鉄道?」
ベルン「夜じゃない方」
2人 「・・・・・」
ラムダ「それで?あんたも鉄道に乗ってこのカケラから旅立つのかしら?」
ベルン「ええ。このカケラにはもう遊べるものはないみたいだし。また退屈を埋めに旅立つつもりよ」
ラムダ「次はどこへ行く? どうせ旅立ちはお互い背中を向けてでしょ?」
ベルン「あなたに退屈したくないからよ」
2人 「・・・・・」
ラムダ「ありがとう、ベルン。でも私はきっと百を数えたらまたあなたを探し始めるわよ」
ベルン「退屈させない子ね。だから好きよ、愛しているわ。またどこかで会いましょう。もっとも、百年先か千年先か、未来永劫 再会しないかもわからないけれど」
ラムダ「大丈夫よ。愛し合う二人にカケラの海は狭いわ」{/netabare}

〜〜〜(脱線:マンガ版Episode8のセリフから引用)〜〜〜
全てのゲームが決着した後の別れの挨拶
(?となっているのはコマ割的にどっちが言っているのかはっきりしないセリフ)

{netabare}ラムダ「今度はどこへ行く?」
ベルン「あんたが北なら私は南へ」
ラムダ「ベルンが東なら私は西へ行くわ。次の物語ではベルンが**役じゃないと良いわね」
ベルン「あら。**役も楽しかったわよ」
2人 「・・・・・」

ラムダ?「次はどんな物語を見つけられるかしらね」
ベルン?「そしてどんな物語で再会できるのかしら」
ラムダ?「愛し合う二人にカケラの海は狭いわ」
ベルン?「天井桟敷。カケラの海は広大だわ」
ベルン?「殻の中の幽霊」
ベルン「いつか会えるわよ。また何かのなく頃に」
ラムダ「良いじゃない。それにしましょ」

2人 「いつか会えるわ。また何かのなく頃に」{/netabare}


ちなみに うみねこに登場する魔女は何人もいますが、ひぐらしと密接な関係がある魔女が3人います。
ーーーーーーーーーーーーーーー
(脱線:うみねこに登場する魔女と ひぐらしとの関係について)
 =>{netabare}
「うみねこ」の考察が盛んだった頃、魔女のモチーフの最有力説は下記の通りでした。

 フレデリカ(古手梨花)=ベルンカステル、
 ラムダ(30)デルタ(4)・・・34・・・鷹野三四(田無美代子)
 フェザリーヌ(羽入)=アウグストゥス=アウローラ(羽入、あぅあぅ)

 ベルンは『可能性が0ではない限り、その“奇跡”を手繰り寄せる』性質を持ち、
 ラムダは『“絶対の意思”によって望む未来を手繰り寄せる』性質を持っています。
 観劇の魔女フェザリーヌの設定は多すぎるので、要所要所で説明します。

(※フェザリーヌはおそらく本作のエウアと同一人物だと思いますが、なぜエウアと名乗らせたのかは私の知識ではわかりません)

ただし、ラムダデルタだけは「鷹野ではなく 沙都子がモチーフなのでは?」という声もわずかながらありました。理由は、ベルンとラムダは憎み合ってもいるが「仲良し」でもあり、その仲良しの描写が梨花と鷹野がモチーフではしっくりこないからです。また、新作ひぐらしが放送されてからは、ラムダ=沙都子説がやや強くなってきています(ただ私は今回の物語を経てかなり悩みましたが、やっぱり鷹野がモデルかなぁ?と思いました)。

また詳細には描かれませんが、ラムダはかつてベルンを手籠めにすべく「絶対の意思」で惨劇の輪に捕えようとするも、ベルンの「奇跡」の力によって破れたことがある、と述べられています。おそらく、これは「旧作ひぐらし」か あるいは「新作ひぐらし」との繋がりを示唆していると思います。

作品順的に旧作ひぐらしの中では語られませんが、旧作ひぐらしの背後でも梨花側にはベルンが、鷹野側にはラムダが何らかの形で支援していたのではないか、と想像しています。

マンガ版うみねこのEpisode8にて、ラムダが『この私に期待させてくれたのは、私に“神になる”と誓ったあの子以来よ。気に入ったわ。あんたも、あんたの魔法体系も』と述べるシーンがあります。おそらく「神になると誓ったあの子」とは、旧作ひぐらしの作中で「神になる」と言い放った鷹野のことだと思います。

(追記)旧作ひぐらし(マンガ)を読み直して見たら、そもそもベルンは「皆殺し編」の冒頭で梨花と対話していましたね。ベルンは旧作ひぐらしの時点で登場しているので、この時点でラムダも存在していると考えられそうですね。

そして観劇の魔女フェザリーヌが鑑賞役の駒として投じたのが、自身の分身体である羽入(完全体)なのかなぁと思っています(ここは干渉ではなく鑑賞)。

ただし観劇の魔女フェザリーヌ(エウア)の設定として、フェザリーヌは人間が想像もできないほどの歳月を生き、全てのカケラなどを鑑賞し記憶するためには 記憶補助具(後頭部の輪っか)が無いと記憶を保てなくなっているという欠点があるそうです。

そして分身体に想定外のことが起こり、その記憶補助具が欠損し「不完全な存在」になってしまった姿が羽入なんだと思います(その際に記憶補助具が「角」としてデフォルメされているのはご愛嬌かと)。ゆえに駒としての自覚やフェザリーヌとの接点を見失い、自律行動をとるようになっているのだと思います。新作の中で、エウアが羽入に対し『我の出来損ない』と何度か言っていたのはこういうことだと思います。{/netabare}
ーーーーーーーーーーーーーーー

新作での死に戻りの際に、梨花は記憶を保持できず 沙都子だけが保持できるのは、上記の通り 羽入(不完全)とエウア(完全)の力の差かと思います。終盤あたりで羽入の角のヒビが修復されたこと、梨花が記憶を保持できるようになったこと、エウアの補助具に傷が入り角化や子供化のようにデフォルメされたことなどは、すべて『フェザリーヌ(エウア)と羽入が有している裏設定』から来ていると思います。



ーーーーーーーーーーーーーーー
(また脱線:「うみねこ」の世界からみた「ひぐらし」の世界について)
 =>{netabare}
うみねこは、ひぐらしの世界観のさらに上層にある「俯瞰視点」のような世界観です。

まず、ひぐらしの雛見沢村と同じように「現実世界での惨劇の舞台(六軒島)」があります。魔女と呼ばれる存在達は、その惨劇で閉ざされた舞台を「ゲーム盤」とみなし、上層世界からそのゲーム(惨劇)を覗き見しています。また、その惨劇の舞台を作り上げた存在を「ゲームマスター」と称します。

うみねこの魔女達は、ゲームマスターが繰り広げるゲームを鑑賞したり、ゲームマスターが対局から降りた場合はマスターの代行としてその世界の駒(登場人物)を動かしたりすることができます。盤上の駒を動かせるのは、ゲームマスター(黒幕の駒)と 対戦相手(探偵役の駒)のみ。

また、繰り返される世界(並行世界)を「カケラ」と呼んでいます。

うみねこの魔女たち視点からは、旧作ひぐらしの世界も「数あるゲーム盤のうちの1つ」なのかと思います。さしずめゲームマスター鷹野三四が作り上げたゲーム盤ということか・・・。そして、鬼隠し編も 綿流し編も「数あるカケラのうちの1つ」ということかと(なお鷹野自身にはゲーム盤だのマスターだのカケラだのという認識は無いはず...?)。

Who:鷹野三四が
Why:学会に虐げられてしまった「最愛の祖父」の研究を世に知らしめることを目的に
How:大量の雛見沢症候群(雛見沢大災害)を引き起こして研究成果を証明する
   (そのためには女王感染者の殺害が必須条件)

ルールX:不特定の誰かが疑心暗鬼に取り憑かれ、凶行に誘われる
ルールY:誰が凶行に走ろうが関係なく、鷹野と富竹は殺されてしまう
ルールZ:雛見沢で起きる事件のすべては園崎家の仕業、と誰もがそう信じている

マスターの勝利条件:雛見沢大災害の誘発(梨花殺害)
対戦相手の勝利条件:雛見沢大災害の阻止(梨花生存)

という「ゲーム盤」に見えているのだと思います。


鷹野は『絶対の意思』をもってこの計画を完遂すると決めており、登場人物(すべての駒)がどんな動きを見せようが、誰かしらが疑心暗鬼に囚われるように様々な仕込み(スクラップ帳)を用意しています。この絶対の意思と全てに対応する計画性が「ゲームマスター」たる所以ですね。


ちなみに脱線のさらに脱線になりますが、前述で羽入のことを「フェザリーヌが観賞役に投じた“駒”ではないか」と述べましたが、そうではなく実は羽入も“ゲームマスター”だった可能性もあります。梨花には梨花のゲーム(惨劇)が、鷹野には鷹野のゲーム(惨劇)が強いられていた説が。うみねこEpisode8も「2人のゲームマスターが、たまたま同時にゲーム盤を開いてしまった」というイレギュラー展開で開幕しますので・・・あり得なくもないかと。

〜〜(脱線:マンガ版うみねこEp.6の ラムダと あるキャラの会話にて)〜〜

{netabare}エリカ『ラムダデルタ卿も かつてどこかの大魔女のゲーム盤で駒と弄ばれ、無限地獄に閉じ込められた経験がおありとか・・・』
ラムダ『あるわ。私は何年閉じ込められたかしらね・・・。でもベルンみたいに律儀に数えなくて正解だったわ・・・』
エリカ『我が主も魔女の駒で・・・ロジックエラーの地獄に落ちたことがあるというのですか・・・?』
ラムダ『そうよ。そしてベルンは数えてしまったから、壊れてしまった』

ラムダ『あの子の“主”がこれはまた酷いヤツでね。自分で作ったゲームのはずだったのに、途中でゴールがわからなくなって、スタートとゴールが繋がった壊れたスゴロクを作ってしまったのよ・・・つまりロジックエラーね。ならば自分一人で悩んでロジックを考えて出せば良いのに、“そいつ”はあろうことか、その考えることさえもベルンに任せっきりにしたの』

(この会話中、発狂している“梨花と思しき”影絵と、メビウスの輪の横でサイコロを降っている“羽入と思しき”影絵が描かれている)

(中略)
ラムダ『あの子は奇跡に愛され、見事に奇跡を打ち出し、魔女となってあの地獄を生還したわ。でもその地獄にいたのがあまりにも長すぎて、過酷すぎて、あの子の心は壊れ、あんなにも**で**な魔女になってしまった』

・・・この会話から、ラムダは鷹野の幼少期(田無美代子)、ベルンは梨花との繋がりを匂わしているのだと思います。また、旧作ひぐらしのゲームマスターは2人だった可能性も匂わされています。羽入がゲームマスターの1人だったのに、その途中で羽入が記憶補助具を欠損して不完全体になってしまい、梨花にとってのゴールがわからなくなってしまった、という意味かと想像しています。{/netabare}
{/netabare}
ーーーーーーーーーーーーーーー

旧作ひぐらしの結末をうみねこ風に置き換えると、鷹野の『絶対の意思』によって作られたゲーム盤は、梨花の『奇跡』によって突破され、ゲームマスター鷹野三四は最終的に敗北してゲーム(惨劇)の幕は閉じられたということ・・・。

あるいは羽入(完全体)が作ったゲーム盤、かつ羽入(不完全体)のせいでゴールがわからなくなってしまったゲームで、梨花が「奇跡」によってゴールを見つけ出したということか・・・。

いずれにしても「うみねこ」の世界では、魔女たちが永遠にゲームを鑑賞したり遊んだりできるように「優秀なゲーム盤は保存されている(原文は忘れました)」と語られています。

とすると新作ひぐらしの物語は、ゲームマスターが不在となったゲーム盤にて、ベルンとラムダがプレイヤーとして直々に対局をおっ始め、その盤上の駒として沙都子や梨花が動かされていた、ということなのかもしれません(ラムダがどうやってベルンをゲームに巻き込んだかはともかく)。

ゲームマスター代行がラムダで、ラムダが沙都子を動かして惨劇を次々に起こし、ベルンが梨花を動かしながらどうにか惨劇回避の糸口を探っていたとか・・・?

そしてゲームマスターが交代しているからこそ、本来のゲームマスターの目的を無視した異なる惨劇が展開されているのかなぁと。実は「うみねこ」にも似たような展開があります(うみねこキャラのロノウェ風にいうと「愛がない、義理が通らないゲーム」が繰り広げられているのかと)。


あるいは ここまでの考察からぶっ飛びますが、・・・この物語、あの新幹線の別れ際が「ベルンとラムダの誕生の瞬間」だったのかも?・・・いや、この説は多分違うかな?
ーーーーーーーーーーーーーーー
(考察の脱線:竜騎士07氏はType-Moon作品のファンなので・・・)

※「Fate」と「月姫」の内容に触れても良いよという方だけどうぞ
=>{netabare}ベルンは古手梨花から、ラムダは鷹野三四(田無美代子)から「生まれ出でた魔女」か、(ラムダ 旧作由来 説)

あるいは、繰り返す力を手に入れてしまった「梨花と沙都子の成れの果て」かな?と想像しています。(ラムダ 新作由来 説)

どちらにしろ、それだと『古手梨花が人間として奮闘している最中なのに、何で “その成れの果て” やら “自分がやがて生み出す魔女” やらが同時に存在しているんだよ?』という疑問も湧きますよね。でもこれを成立させる仮説も1つあります。

それは竜騎士07氏はType-Moon作品のファンで、「ひぐらし」の中にも数々のオマージュを散りばめているからです。例えば、{netabare}カレー好きで青髪の知恵留美先生は、「月姫」のシエルに由来しています。名前も当て字ですし、キャラデザもほぼ寄せていますし、チョークを投げる時の持ち方が シエルの黒鍵(武器)の持ち方と同じです。キャラデザは全然別ですが、魅音と詩音も「月姫」の琥珀と翡翠の“あるエピソード”に由来していると思います。

「ひぐらし(アニメ)」のスタッフクレジットSpecial Thanks欄に「Type-Moon」の名前が(常に?)あるのは、Type-Moonのオマージュを明言しているからだと思います(これは予想)。{/netabare}

話を戻しますが、この『魔女』の概念は、Type-Moon作品の -Fate/stay night- の『英霊召喚システム』から着想を得ているのかもしれません。『英霊になる運命が確定している者』は過去・現在・未来を問わず、いつの時代の聖杯戦争にも召喚されます。つまり『未来に誕生する英霊を、現代の戦争でも召喚できてしまう』ということです。

ベルンやラムダもここから着想を得て、『未来に誕生する魔女が、自分の出生起源であった過去のゲーム盤(ひぐらしの世界)に囚われていた』ということなのかもしれません。

作品順は 月姫(2000年)、ひぐらし(2002年)、Fate stay night(2004年)、うみねこ(2007年)で、ベルンとラムダの詳細設定を作り込んだのは「うみねこ」のはず(ひぐらしに出ないラムダの方は特に)だと思うので、一応矛盾しないと思います。{/netabare}

ーーーーーーーーーーーーーーー

いずれにしても、沙都子があんなクズムーブをしていたのは ラムダの仕業の可能性が高そうですね。最後に「もういいわ、北条沙都子。あんたにあんたを返すわ」と言ったのも、おそらくラムダということなんでしょうね。

この物語にはエウア(観劇の魔女:フェザリーヌ)しか姿を現していませんが、あれはエウアの口調ではないですからね。もしエウアの発言だったなら「もうよい、北条沙都子。そなたに そなたを 返そうぞ」のはずなので。

他に沙都子を駒として動かしそうなのは、ラムダデルタくらいしか考えられません。

「Who:この惨劇の黒幕は沙都子」「How:沙都子が繰り返す力を手に入れていた」「Why:沙都子の梨花に対する執着を利用した」ということがバレた時点で、もうベルンとラムダの勝負に決着がついたようなものだから、ベルンを解放し、ラムダもこのゲーム盤からは立ち去ったということかな・・・?

そもそも観劇の魔女フェザリーヌは、人間が奮闘する様や、嘆き もがき 苦しむ様など、人間が見せる「ありのままの姿、ありのままの物語」を鑑賞して愉悦に浸っている魔女でした。ゆえに物語がどう転ぼうが「自らが直接介入すること」はありませんでした。

その背景を知っていると、「エウアが沙都子を操っている」とは考え難いんですよね。うみねこの感覚で捉えると「沙都子に繰り返す力を授けたこと」すら かなりイレギュラーな行動に見えました。まぁでも、羽入が梨花にそれをした以上、エウアが沙都子に同じことをするのはある意味フェアとも言えますが・・・。

ということで、『うみねこを知らない勢』からしたら納得いかないでしょうが、おそらく沙都子にクズムーブをさせていたのは、この物語には一切 姿を現していない「絶対の魔女:ラムダデルタ」だと推察しました。

強いていうなら、何話だったか忘れましたが、エウアと沙都子が会話している世界で、沙都子からもう一人の沙都子が出ていく描写がありましたよね。どういうセリフだったかも忘れましたが、沙都子の口から「魔女」という単語も出てましたよね。

あれらの描写が「沙都子とは別の存在(絶対の魔女:ラムダデルタ)」がいることを示唆していたのかもしれませんね。

ん〜、ここまで書いてはみたものの・・・まったく自信がないw いつか竜騎士07氏に答え合わせしてもらえると良いな。{/netabare}




【冷静になってからの感想追記】===============

梨花と沙都子の正当性について100:0だと書きましたが、冷静になって、いろんな人の意見も聞いてみて、梨花にも多少の悪い部分はあったなぁとは思いました。ただ私が思うに「梨花の悪かった部分」がうまく描けてないような気がしました。

50:50くらいに描くなら・・・ {netabare}まず聖ルチーアでの「梨花からの助け舟」は描かなくてよかったかと。勉強の面倒をみようとしたり、友達グループの輪に誘おうとしたり・・・の描写は無い方が良かったかも。

梨花は「助け舟」を出したのに、沙都子の意地っ張りのせいで避けられて、その上でなお梨花がどうすべきだったかってのは・・・正直「視聴者の価値観」によるところが大きくなってしまうと思います。

沙都子の境遇に近い人は『それでも無理にでも助けようとしてよ!私のことだけ考えてよ!』って思うかもしれませんし、梨花の境遇に近い人は『自分でなんとかするって言ったんだし、これ以上の無理強いしても余計避けられちゃうかも』と思うかもしれません。

ここの流れは、誰の目にも「梨花が沙都子を放ったらかしにした」と見えるようにすべきだったかなぁ・・・。私の目には「梨花が放ったらかしにした」ようには見えていなかったですし、むしろ「沙都子が自分から孤立していった」ように見えていたので。「視聴者の価値観」に委ねている以上、私には梨花が悪いとは思えませんでした。

あとは出発点となったカケラ、進学の誘いのシーンにて、あそこでもっと「梨花のしつこさ」と「沙都子の拒否反応」を念入りに描いた方が良かったかな。あの描写だけだと、梨花がそこまで執拗に食い下がっているとは感じなかったです。だって人生をかけた「二人の進路相談」をしている場面なのだから。多少の食い下がり程度では「しつこい」とまでは感じないですよ。『梨花の醜さ』を出しきるぐらい執拗に描いた方が良かったかも。

あとこの主張はブレませんが、そもそもその最初の進学相談の場面で、お互いの気の済むまで腹割って話し合うなり、なんならその時にこそ「取っ組み合いの喧嘩」でもしてれば良かったこと。特に、失敗と後悔の記憶を持っていた「2巡目の沙都子」ね。2巡目の沙都子は、本当に何がしたかったのかよくわからないです。

惨劇を始めてから「超常バトル」に突入する必要なんかありません。そもそも惨劇を始める前に解決できることです。{/netabare}


【最後に】=========================

こんな酷い役回り、えげつない憎まれ役を演じきった「かないみか さん(沙都子)」と、それを最後まで捌ききった「田村ゆかり さん(梨花)」に敬意を表します。お二人の演技は本当に凄かったと思います。


(余談)
あにこれの採点仕様を改善してほしいです・・・。本作の「声優」「作画」「音楽」の項目はもっと評価したいのですが、そうすると総合2.5点超えちゃうんですよ。

5点満点で2.5点以上になったら、その作品に「どちらかといえば満足」したことになっちゃうじゃないですか・・・。「物語」と「キャラ」を最低点にしているにも関わらずにですよ?せめて「物語」の配点は圧倒的に多くしておかないとおかしいでしょ。

投稿 : 2021/11/08
閲覧 : 952
サンキュー:

15

ネタバレ

P さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

基本ひぐらしは満点なのですが、そこからの減点理由についてのみ書きます。

個人的には、長く見れたのは良かったけど、前のクールで終わらせてた方がスッキリしていたかな?という気はしました。
沙都子と梨花の対立する思い、言い分は無くても良かったかなと。
賛否両論でしょうが、沙都子の主張の方がひぐらしとして終わらせるには綺麗だったのではないでしょうか。
あとは声優さん、感情的になるシーンが多かったから仕方ないのでしょうけど、限界を感じました。
見た方はご存知の通り、沙都子と梨花に対してです。
元の作品からかなり経ってますしね、年齢的なものもあるのでしょう。
最終話のバトル展開もいかがなものかと。
いやー、絵は綺麗でしたよ。
だから何?ひぐらしですよね?って話です。
急にジャンル変えるのって大体失敗パターンでしょ。
最終話に色々詰め込んで来るのも駄作が多い印象です。
出来としてはそこまで悪くないものの、どうしてもそれらを想起させる。
正直微妙でした。
まぁでも、全体を通してひぐらしの違った可能性を見せてもらえた事には素直に満足です。
映像化される事により怖くなくなるという意味ではマイナスかもしれませんが。
伏線に対して、こういう事かな?と想像している時が1番楽しいというか、怖いものだと思うので。
最後に、アニメと連動して始まったひぐらし命が廃れないかも心配です。
アニメが終わった今だからこそ注力してもらいたいものです。
プリコネの劣化版感が半端ないし、アニメとしての認知度としては勝っていても、ゲームとしては負けているというか…
機能が少ない割に、集金ゲーってのも印象悪いかな。

投稿 : 2021/11/06
閲覧 : 196
サンキュー:

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ひぐらしのなく頃に卒のストーリー・あらすじ

2021年7月放送開始(TVアニメ動画『ひぐらしのなく頃に卒』のwikipedia・公式サイト等参照)

ティザー映像・PVも公開中!

放送時期・公式基本情報

ジャンル
TVアニメ動画
放送時期
2021年夏アニメ
公式サイト
higurashianime.com/

スタッフ

原作:竜騎士07/07th Expansion

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