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「竜とそばかすの姫(アニメ映画)」

総合得点
69.7
感想・評価
218
棚に入れた
614
ランキング
1687
★★★★☆ 3.6 (218)
物語
3.1
作画
4.1
声優
3.3
音楽
4.0
キャラ
3.3

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竜とそばかすの姫の感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

エイ8 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

私の戦闘力は53ロゴです

フォロワー数という戦闘力を超える企業協賛数というパワーw(尚、本当に53もあったかは知りませんw)

『竜とそばかすの姫』(りゅうとそばかすのひめ)は、スタジオ地図制作による日本のアニメーション映画。2021年7月16日に東宝配給で公開された。
50億人以上が集うインターネット仮想世界〈U〉と出会った女子高生を主人公とした物語。「ベル」というアバターで〈U〉に参加し、その歌声でたちまち世界に注目される存在になっていく一方で、竜の姿をした忌み嫌われる謎の存在と出会い、変わっていくさまが描かれる。
2022年1月に第45回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞、3月には音楽スタッフの岩崎太整、Ludvig Forssell、坂東祐大が第45回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞している(wikipedia)

とても少女漫画な世界のように思えました。表では幼い頃のトラウマを抱えた陰キャが幼馴染のハイスペ男子に溺愛されていて、裏では50億人の中で最高の人気を誇る歌い手でありながら最も嫌われ者の竜と禁断のランデブーに洒落込むという「美女と野獣」の皮を被ったよくあるワルとの恋愛もののよう。

こういうのを二つも混ぜ込むだなんてちょっと欲張りすぎやしませんかねw結局のところすずが好きなのはしのぶ君なのか竜なのかわからなくなってきます。最後に恵君とキスせーへんのかいと思っちゃいましたがよく見たら彼まだ14歳設定なんですね、そりゃさせられないかwというかさせないための14歳設定というか、竜との関係は色恋によるものではなくあくまで庇護愛に近いものなのでしょう。そう言う意味ではしのぶ君がすずに向けてる愛情に近いものがあります。

逆に考えるとすずは自分を見守ってくれていたしのぶ君のことが好きなので、恵君もそうなりかねない構造ではあります。元々ベルは竜にキスしようとしてましたし、彼が14歳でなければ乗り換え又は浮気もあったでしょうねwしのぶくんが最後これですずと「普通に付き合える」と表現しましたが、これはカップルとして付き合うのと庇護ではない普通の関係性に戻るのどっちにもとれるようにしてると思われるので、彼にも脈はあるんだと思います。

構造的に見ると色々と対比させる伏線が込められているようですし丁寧に作られているとも思いますが、逆にそのクドさが純粋なエンタメとしての楽しみを奪ってる気もしました。一昔前ならこういうのも芸術の一種として好意的に受け止められてたんでしょうが、現代はもっと脚本自体がわかりやすくないと厳しいのかもしれません。或いは逆に、ひと時のジブリアニメのような難解さ或いはエヴァのようなむせ返る匂わせがある方が良いのかも。

特にすずと竜の対比はあからさま過ぎました。ただあまりよくないなと思ったのがすずのペットに障害がある対比であるかのように恵の弟?の知もあんな感じにしていたこと。見ようによっては知に関しては保護すべきだけの存在のようにしているようで何だかちょっとなあと思わされました。結果的に彼は導き手としての役割を果たしましたが、個人的にはかなり微妙なところでした。

そういや竜にだけたくさんAIが付き従ってましたがアレ何なんでしょうね。一つは知くんでしょうが、まあひょっとしたらすずにとっての合唱隊のおばさん方の対比用なのかも。でもAIってのが何ともwこんなんおばさん達はモブだって言ってるのも同じやんw

AIだけでなくバレない城を用意されていたりとか彼があそこまで優遇されていた意味もわかりません。ひょっとしたら彼もジャスティンと同じように〈U〉内部に刺激を与えるために用意されたのかもwそもそも生体情報を抜き取っておきながら何にも利用しない企業なんてある筈もないですし、裏では色々とすごい陰謀が巻き起こってそうw

仮想空間ものは「誰もが主人公」みたいな謳い文句がありますが、実際のところ九分九厘はその他大勢のままです。現実でうだつの上がらないのがネット空間でなら輝けるということは稀です(50億もユニークユーザーがいるなら尚更)。本作では〈U〉の空間では潜在能力が発揮されるそうで、それがすずや竜のような傷を抱えた人をチート級の存在にまでのし上げていましたが、実際には彼等のような人は五万といるので特別な存在ではありません。いうまでもありませんが彼らはあくまでモデルとしての役割を担っているだけです。なので、むしろすずのような片田舎の地味な女子という属性を有しているからこそ逆にさっさとトップになれちゃったりしますw所謂テンプレというやつです。

本作はガワはコテコテなまでのテンプレなのですが、その中にテーマに沿ったオリジナリティを埋め込んではいます。埋め込んではいるのですが……そのテーマ自体がもう擦られ過ぎてチープ化しちゃったものであり今更感も強いです。結局歌(そのものではなく)感動的な演出でお涙を頂戴しなければ戦えてません。田舎のアイドルルカちゃんが好きなのがしのぶ君ではなく実はカミシンとか見たまんまのフラグ。意外性がほとんどなかった辺りもわかりやすい反面評価し辛いポイントかも。また、視角情報とかを奪っておきながら普通に現実と仮想世界のマルチタスク生活できるようにしてるのも意味不明。何で仮想空間にダイブしながら河原走れるの、危ないでしょとか思いましたw多分それだけ必死ってことのアピール何だとは思いますがあれってゲームしながら公道走ってるようなもんですからねw

過去に母が在籍していたとはいえ歌えない筈のすずがそのまま合唱隊にいるのも変な感じですし、しのぶ君も含めてすぐにベルがすずだと分かった理由も明かされてません。というか他の皆はアバターあったのに彼だけなかったですよね?これは多分しのぶ君だけはすずの現実担当という意味なんでしょうが、だとするといよいよすずがベルだと分かった根拠に乏しいかも。君の事を理解しているよという暗喩というか直喩でしょうがほとんど超能力レベルかと。

超絶ハッカー少女ヒロちゃんの存在は……まあ創作ではスーパーハカーはどこにでもいるので本作にばかりこの点をつっつくのは良くないかもしれませんが、実質彼女がいなければ回らない超重要な人物ではありました。とはいえすずが過去を乗り越えていない「だから一緒にいるんじゃん」は何とも。本作では完全にすずのための存在だとは思いますが別のテーマの作品なら「同情なんかいらない」とか「結局は自己満足」みたいな形で揶揄されかねないやつですねw

東京での恵らの父との対峙。これほんとよくわからなかったです。何でJKに見つめられただけであんなおっさんが腰抜かすねん、通報を恐れたから?いや今更でしょって感じ。ベルのようなアイブラックならぬアイレッドが施されたから?実は彼のやましさを見透かされてるようだったから?まあ何かしら理由があるんでしょうがいくらなんでも肩透かしが過ぎます。

とはいえ一応本作はハッピーエンドのうちに幕を閉じました。閉じましたが、逆に言うとあんな河原のシーンでお茶を濁して終わってエピローグの一つも描かなかったのかというと今後彼女を待ち受けているものは地獄しかないことがわかってるからかもしれませんw

投稿 : 2024/04/23
閲覧 : 46
サンキュー:

12

きゅん さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

歌声がいい

よかった

投稿 : 2023/12/21
閲覧 : 22
サンキュー:

0

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

見て良かった

見るのにカロリーを使う
でも見て良かった
音楽がとても良いし歌声がとても良かった

投稿 : 2023/12/19
閲覧 : 24
ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

哀しみのなかの声。心をささえる歌。

本作は、いつもの見えやすい "家族愛" というよりも、なかなか見えにくい {netabare}"人間愛への信頼"{/netabare} にググっと寄せて描かれています。

ただ、鑑賞するには、とてつもなく苦々しく、そして若々しい感性が必要。

そこに立てたなら、あとはもう、どんなふうでもいいです。

わたしは、嬉し恥ずかしの気分で楽しみました。
 

~    ~    ~


気をつけておきたいのは、過去作品への評価に拘りすぎて、バイアスをかけて鑑賞してしまう "勿体なさ" です。

そして、なおそう思えるのは、長いコロナ禍で、多くの体験を失ってしまった、特に子どもたちの心情にシンクロする大人でありたいと思います。

好転する兆しが見えにくい環境下で、大人の心身も十分に傷ついています。
でも、ささやかな願いさえも叶わなかった子どもたちの心だって大事にしてあげたい。

本作が、そのケアに寄与するのなら素晴らしいことだと感じました。


~    ~    ~


クライマックスシーンには、身のほどもなく震えました。

まるで衆生済度を発願する慈母の仏性に触れたかのようでした。

あたかもそれは、愛による救済を願うマリアの姿のようでもありました。


~    ~    ~


一つだけ申し上げるなら、このひと夏のオリンピアンは、日本のすべての国民だということです。

身のうちの、胸の奥の "愛の共鳴と、歓びのともしび" 。

それは、オリンポスの神々の誉れに適う "メダリストたる資質" なのです。


おまけ。
{netabare}
本作は、すずの心情を捉えることが重要です。

特に、次のふたつの言葉の動機や背景の掘り下げが、かなり大事です。

「あなたは、誰?」

「あなたに、逢いたい。」

どうぞ、すずに寄り添うベルのように、思いを深く巡らせてみてください。
{/netabare}


おまけ2。
{netabare}
クライマックスシーンで、アンベイル(*1)されたすずが、シンボライズされた三日月に、表情をふと変える場面があります。
*1、現実の姿をUの世界に描画すること。

すずの心的世界は、10年以上にわたって、ひとつの思いに憑りつかれ、縛られ、閉ざされています。
「お母さんは、なぜ赤の他人の女の子を選んだのか。どうして私は独りぼっちなのか。」
お父さん、幼馴染の忍くんやヒロちゃん。誰にも明かせない深い胸の疼きです。

あの日、仁淀川の清流は一変して、ささやかな未来を根こそぎ奪い取る。
涙を涸らせ、喉を掠らせ、足元の橋は心もとなくて、青春に謳う時を虚ろに流していく。
誰とも知らぬネット市民の声は、日夜に濁流を注ぎ込み、すずを無常感に溺れさせるのです。

すずにとって「独り」とはそういう意味なのです。
何度も自問し、何度も反駁しただろう先に、ひとつの気づきを得るのが、視線の先に輝いている三日月なのです。


「一人で生きてゆけると、あなたは言い放つけれど」と、ラブソング(すずはそう思っている?)に込める切ない想い。
彼女にとって、竜が「独り」でありつづけようとすることは、耐えがたい痛みを共有することです。

「ボクが耐えればいいことだから・・」と言う恵くんは、「助ける?、助ける!、助ける!?」とすずに怒号を浴びせます。
それは、かつて濁流が分かつ先に、ひとり残された女の子の「助けて!」の叫喚にもつながります。


モラルジレンマ。

現実世界の常識、価値観、世論、多数意見、流行りのムーブメント・・・。

その同一性はヴァーチャル世界ではリアル以上に牙を剝く。

表向きは清らかな流れを見せながら、勝手一方に濁流・激流に狂奔し、一気に炎上させる非情と無情こそ、正義面の下に隠された正体。

それに乗じて衆目を集め、集客と利益、快楽と名声を追求するのは、個人の欲心やスポンサー企業の思惑にも通じるものでしょう。

ネット情報リテラシーは、情報を自己の都合や目的に適合するように使用・活用できる能力のことです。(Wikipediaより一部加工)

経済力、資金力のある側にとっては、意図的に演出できるもの、印象を操作できるもの、さも本当のように価値づけられるものです。

でも、その場その時だけの "ノリの軽さ" 、モラル破壊の "浅ましさ" 、普遍的な価値追及の "空々しさ" も、氾濫し席巻しています。

いい加減、そんなエゴに辟易としています。


それでもなお、現実の歪みは、厳然として立ちふさがっています。
懼れながら身を削り、震えながら心を焼いて、日々を暮らしている人たちは幾万人といます。

そんな彼ら彼女らに「竜とそばかすの姫」で細田さんが伝えたいメッセージは何でしょうか。

すずは、優しさと強さを体現するキャラクターです。
その名は、涼やかで、清らかで、遠くまで響く心のありようを表わしています。
その振る舞いは、情愛に満ちたお母さんの意志にたどり着き、自己の主体性を慄然と体現するありさまを示しています。


"U" は、底なしに拡大し続ける仮想空間の "海" 。

"三日月" は、ネットの海に漂い浮かぶ "救いの舟" 。

"シロナガスクジラ" は、名もなき人々の想いを強く押しあげる "潮のうねり" 。

・・・そんなくみ取りかたなどが、できようものでしょうか?
{/netabare}


追記です。
{netabare}
きっかけは、素塔さんに拙文を使っていただいたことと、過分なご期待を寄せられちゃった?みたいなところからです。
果たして、さすがに未完のままでは素塔さんに失礼ですし、私も落ち着きません。
やっぱり締めくくっておくべきかなって思いに至りました。

レヴューの冒頭に記した "人間愛への信頼"という言葉について振り返ってみると、二つの視点が抜け落ちていたと思います。

一つは "父性愛" です。
すずと恵くんのお父さんの描かれ方の違いなんですが、両極端なキャラづけですから、そこには何かのメッセージがあると思います。

彼らは、単なるモブではなく、大きな棘なんですね。



素塔さんが解き明かされたのは二つの二重性でした。
一つは表層的な舞台装置としてです。

"リアル" に呻吟するすずと恵くんの "現実" と、"バーチャル" に充実するベルと竜の "〈U〉" という二重性です。
ここでは仮想空間のベル(強さ)と、現実のすず(弱さ)とのインテグレーション(合一性)がテーマでした。

もう一つは、すずが深層に押し込めていた自己覚知の物語装置としてです。

亡くなった母と助け出された女の子のいのちの価値の整合性、あるいは母の意志への再帰性、そして遺志との統合性です。
言うならすずの "自己愛と母性愛" のインクルージョン(包摂と一体性)がテーマだったのです。

このダブルミーニングを解き明かされた素塔さんの筆致には舌を巻きました。
そのおかげで私の作品理解も段違いに深まったのです。

私なりに復習すると、すずは、お母さんの喪失に自問を繰り返す "閉ざされた苦しみ" に縛られていました。
反面、〈U〉では、お母さんに絆する歌が、何億人にも "開かれた歓び" としてベルのステージに描かれています。

それは間違いなくすずが望んでいたことです。
ところが、竜が介入することで、すずがベルとして自己実現する姿は、あくまでも仮のものと気づき、恵くんのいのちを守る選択こそが、彼女の内面に "母性を打ち立てる真実の道すじに向かうシナリオ" へと移行するのですね。

実は、この流れで "すずの救済と成長の物語" を描くだけなら、それはそれで完結しても良かったかなぁって思うんです。
ですが、それだけだと決定的な瑕疵が残ってしまいます。
それが、一つめの視点、父性愛(あえてそう言いますが)へのアプローチなんです。

素塔さんがすずの母性愛への覚醒と定着を述べられていたように、お父さんへの立ち位置はどうだったかを説く必要が本作にはあると思います。
だって、すずと恵くんからお父さんの存在を外してしまうと、作品の精神的な部分で重大な穴が空いてしまうんです。

穴の一つは本作の動機(原因=燃料)、もう一つはお話に通底する方向(未来性=羅針盤)です。

二人のお父さんにアプローチすることは、混沌とする時代性に向き合い、その光にも陰にも触れることです。
なぜなら、細田監督の視点が、さまざまな親子像・家族像を、直接・間接に、あるいは比喩・暗喩で、問いかけたり訴えたりしていらっしゃるからです。



細田氏の問題提起は、ややもすると重苦しいものですが、本作にも氏のメッセージが開示されていると思います。

ひとり親家庭、特に父子家庭では、母性愛的な空気を醸すのはなかなか難しいところがあります。
ましてや、家族構成が男ばかりだと、母性愛どころか女性性すら見込めません。

恵くんのお父さんは、上辺では仲良し家族を装いながら、その裏では暴言や示威行為で子どもたちを支配・抑圧しています。
恵くんの日常は、お父さんの二面性によって歪められているし監置されているのですね。

これは間違いなく男性性が強く前面に押し出されている設定です。
お父さんの存在は、恵くんにはとてつもない高い壁になっていて、どうしたって閉ざされているという感じです。

反対に、すずのお父さんは、どこから見てもすずには取りつく島もなく、会話も上滑りにすれ違ってばっかりです。
父娘して、もどかしさを心に感じながら、隙間の埋め方にきっかけがつかめないでいるようにも窺えます。

でも、お父さんの男性性はとても控えめだし、すずの変化や成長を外の世界(ヒロちゃんや忍くん、コーラス隊の面々)に期待しているかのようです。



父親が振る舞う娘や息子への気遣いは、自ずと家風に色が出るものです。

すずのお父さんは、すずの気もちを受け止め信頼に寄り添いますが、すず自身はお父さんの愛情には完全拒否のスタンスです。

恵くんのお父さんは、息子たちへの不信不満を極めていて、無価値だとも罵り、恵くんは父性愛など望むべくもないモラルハザードに焦燥しきっています。

すずが高知を飛び出て恵くんのお父さんに対峙することは、〈U〉での気づきがいよいよ現実のものとして定着するプロセスです。

かつて母がそうしたように、荒れ狂う恐怖(暴力的な力)に身を投げ出してでも「助けて」と叫ぶいのちをギリギリのところで守りきったことで、すずはお母さんの "地平" に真実立つとともに、自らのトラウマを超克していくのですね。

同時に、自身の選択と行動に納得が得られたことで、すずの自己肯定感はふくらみ、男性性や父性愛へのアプローチに、ひと皮むけた気持ちになれたのではないでしょうか。

すずのこの心境の変化があって初めて、母に感じていたいのちへの姿勢と、父にわだかまっていた負の感情を、昇華・結合させる重要な伏線回収へとつながるように思います。

そうしてカツオのタタキを「一緒に食べる」というやり取りで、ようやく すずにもお父さんにも "ぽっかりと抜け落ちていたそれぞれの家庭像" に夏の風が吹き込むんだなぁと得心できるのです。



では、恵くんの立場ではどうでしょう。

すずが直に会いに来るということは、恐怖と憎悪の権化だった父に対して、すずの対応がどれほどに揺るがぬものかと目の当たりにしたわけで、その母性愛が理屈ぬきに体感できたはずでしょう。

私は、この "体感" が何を指すのかはとても大事だと思うんです。

たとえば恵くんのお母さんが、お父さんのDVに耐えかねて、単身家を出たと仮定するなら、恵くんは捨てられたと打ちひしがれるのが普通だろうし、それは〈U〉においては決定的なマイナスのパワーに置き換えられるはずです。

また、死別と仮定すれば、母性愛の喪失感は尋常ではないでしょうし、それをベルの優しさに求めれば、母の面影を忘れてしまう後ろめたさに苛まれてもおかしくはないでしょう。
これもまた母性愛と女性性との相剋。
思春期はなんてフクザツな心理で生きているのでしょう。

もしも、すずが会いに来てくれなければ、恵くんの境遇と竜のパフォーマンスはその後も変わらず、粗暴横暴なお父さんの劣化コピーのような生き方をたどり、愛も勇気も得られない二重三重の苦難と不幸に陥ってしまったでしょう。

誰だって、誰からも気遣われず、誰からも助けが得られないのでは、思考が偏ったりパフォーマンスが歪んだりしてしまうものです。
だから、父性や男性性への負の感情が高まるほど、また長引くほど、暴虐な竜がアップデートされるだろうことは容易に想像ができます。

そのルート設定は、彼の人格をいずれ破壊し人生を狂わせる重大事になろうかと思うと、やっぱりすずの判断と行動には重要な意味が持たせてあって、物語のメインストリートでなくてはならないものだと思うのです。

その意味では、最終パートは単なる付け足しなどにはなり得ず、本作の二重性のさらに中心にどっかりと座るものであり、同時にすずと恵くんの未来への始点になるのだろうと思います。

その理由を以下のように考えます。



〈U〉の最大の欠点は、中学3年生のメンタリティーに、自律する機会も、自立する方向性も見つけることも与えることもできないことです。
(もしかしたら一部の大人にも当てはまりそうです・・・。)

ベルとの語らいもダンスも〈U〉での関係性に限られてのこと。
現実のものではありません。

だから、すずが目の前に現れることがすごく重要で、その結果、恵くんに大きなバリューを生み出したのは間違いないことでしょう。

となれば、本作のテーマポイントは、当事者(恵くんとお父さん)と当事者性(すずとすずに託したお父さんの言葉)が、同じ場所で、同じ時間を共にしたことに尽きると思います。

仮想空間なんかじゃなくて、体温が伝わる本物の距離感で。
当事者性ではなく、ほんとうの当事者として。

もちろんそれだけで全部が解決するなんてことはそれこそ "夢物語" です。
でも、少なくとも恵くんの内面に、お父さんとの距離感に修正のきっかけが与えられたこと、方向性の兆しが微かに見え始めたことが、監督が本作に込めたメッセージなんだと思います。

加えて、ベルへの憧れや母性愛への渇望も、すずが示した勇気と優しさに触れたことで、新たな女性像を見つけられたようでした。
知くんを交えての包容も、兄としてのスタンスを固める覚悟に結びついたものと思います。

子どもは親を選べません。
最終パートに描かれた父性との断絶と対決、そして受容と融和は、すずと恵くんには欠かすことのできない "救済と再生のための関門" なんだろうと思います。

そのシナリオは、ほんのわずかのシーンや表情にしか描かれていませんでしたが、たぶんそれは、細田氏が喪失された母性愛のほうを重視し、多くの時間を割きたかったからでしょう。

何と言っても父親はまだ生きているわけですから、父性愛の復権のチャンスは先送りにしたのかも・・・とも受け取れそうですね。

これが、私の考える "父性愛" の帰結。
"母性愛と父性愛のデュエット" という視点です。



さてもう一つの視点です・・・が、ちょっとまだまとめきれていませんので、もうしばらく時間を頂戴したいと思います。
{/netabare}


もう一つの視点。
{netabare}
インターネットの陰と光がテーマです。

まさかオンラインで世界中からのぞかれ、慰み者にされてしまった恵くん。
竜の正体はあなたでしょ?と暴かれ、ベルは私と嘯(うそぶ)かれ、父を説得したいと毒を言われる。
どこの誰とも分からない女子高生が、綺麗ごとを、知ったふうに。

あまりの無神経ぶりに我を失う恵くん。
すずを否定するか、反撃するか。
無視を決め込むか、無為なく切断するか。
いいえ、ネットリテラシーに照らせばすでに手遅れ。
特定されるのも時間の問題です。

彼が拒絶を選ぶなら、〈U〉に居場所はなくなるでしょう。
いや、ネットどころか実生活にも実害が及ぶかもしれません。

父の罵倒に耐えるだけなら。
自分を弱者とさげすむだけなら。

そんな恵くんは、都会に漂う浮き草、寄る辺を持たない根なし草です。



思いもかけないベルの反撃で、正義のバッジを剥奪されたジャスティン。
一人天下なのはあなたでしょ?と喝破され、アンベイルに一歩も引かず、素顔を見せることを良しとする。
〈U〉で最も支持される歌姫が、汚れ役を、知らないふうに。

いきなりの超展開に不覚をとられるジャスティン。
ベルを肯定するか、光を消すか。
役まわりを取り戻すか、主導権を奪われるか。
いいえ、ネットリテラシーに照らせばすでに手遅れ。
泡沫と消えるのも時間の問題です。

用心棒と気張っても、〈U〉には無用のカラ威張り。
無類のヒーローどころか、不埒なチンピラに成り下がるでしょう。

〈U〉では As(アズ)を変えられないのですから。
歌姫の気魄に、なす術もなく気圧されたのですから。

そんなジャスティンは、ネットに漂う幽霊船、沈みゆく難破船です。




〈U〉のうたい文句は、「〈U〉なら別の生き方ができる、〈U〉なら何度でもやり直せる」です。
でも、本当にそうだったでしょうか?

すずの〈U〉への動機は、愛する母の死と、歌えないことのトラウマです。
ベルとなった彼女は、「歌を歌いたい」という願いを叶えます。
でも、彼女がベルとして「恵くんたちを助けたい。自分も強くありたい。」には応えようがありません。

その終点は〈U〉の中には見つけられず、守りたい人のいのちの救済を〈U〉の外に向けるのは、すずには自然な始点なのでしょう。
母の一歩を、すずも踏み出すのです。

何億もの人々が〈U〉に集うのは、そこに至るプロセスが "たやすいことではない" と知っているからです。
仮にそこに至っても、無体な誹謗中傷が避けられないと知っているからです。

〈U〉は、生き方の変化の入り口に過ぎず、きっかけを提供するだけなのです。
出口から先の生き方には、仮想空間の声など無用の長物なのです。



インターネットの出発点は、パワーバランスを徹頭徹尾磨き上げることから始まっています。
軍事力や経済力の支配拡張性が、ヒエラルキーパワーの源です。

そのアイデンティティーに則れば、竜とジャスティンがいがみ合うのも道理です。
かくれんぼにおいかけっこ、ルールはあっても運用は "力まかせ" なのです。

バーチャル空間での俺ツエーのアクションは、エゴイストの提灯持ち、神輿に群がる案山子のようなもの。
錦旗を掲げる気取り屋どころか、太鼓持ちよろしくの風情です。

だけど、そんな彼らの気持ちも、私は理解できます。
わずかでも内心を慰められるなら、迷わず〈U〉に飛び込んでしまうかも。
だから、竜とジャスティンの思い違いには同情してしまいます。

ただ、スポンサーの変わり身の早さには、ごもっともというか辟易とするというか。
功利主義の牙口はうま味しか評価しません。
アンベイル という唯一無二も、所詮は金儲けの小道具にすぎなかった。
ジャスティンなど、虎の威を貸し与えた "集客目的で踊らせていた広告塔" という扱いなのでしょう。

謳い文句にはご用心。
何度でもやり直せるのが〈U〉のアピール。
やり直せるってことは、何をしても許されるってこと?
それなら警察は要らないですよね。



少し横道に・・・。
コーシャスシフト、リスキーシフトという言葉があります。
コーシャスシフトは「青信号、右見て左見て、もう一度右見て渡れ。」です。
リスキーシフトは「赤信号、みんなで渡れば、怖くない。」です。

同じ横断歩道でも、どちらを選ぶのかは人それぞれ。
でも、ネットにおいてはリスキーシフトに寄りがちです。

匿名性と個人情報の保護の抱き合わせが、道義的、社会的責任への意識と関心を希薄にしています。
その結果、俺ルールが横行したり、他者への配慮が欠落していくのですね。

〈U〉では、自分でも気づかない欲望が抑制の壁を突き破り、あらゆるマナーやモラルから解放されるからなおさら厄介です。
その一つがリスキーシフトたるジャスティンや竜の振る舞いなんですね。



そんなネットリテラシーへの提言は、ベルが竜に送るラブソングに込められています。

 一人にして欲しいと あなたは突き放すけれど
 一人で生きていけると あなたは言い放つけれど
  (作詞:細田守・中村佳穂・岩崎太整、作曲:岩崎太整。敬称略。)

もともとは、すずから竜だったのですが・・・。
じっくり耳を傾けると、お母さんからすずへ、お父さんからすずへとも取れそうです。
"一人のあなた" は、本当は誰のことを指しているのかしら。

"一人ぼっちのあなた" は、やがてベルからすずへ、すずからすずへの問いかけになります。
心の表層から奥深い真層への語りかけです。
いつしかそれは〈U〉に接続する全ての人たちの心と魂へと伝わっていくのです。

その歌声は、混沌と漫然をみせる〈U〉に輝くともし火のようです。
その響きに涙するのは、ありのままの姿から伝わる尊さによるのでしょうか。

すずがアンベイルを受け入れたのは、恵くんへの当事者性を、本当の当事者として近づきたいがため。
そのためだけに、〈U〉に描画される覚悟を決めたからです。

この "当事者性" から "当事者" への立ち位置の移動は、命への尊厳、人格へのリスペクトなど、誰でもが共有できる、いえ、本来なら、すべおくべき価値観としての潜在的可能性を示唆しています。

この世で一番大切なもの。
ありきたりの言葉ですが、それは愛だと思います。



インターネット、特にバーチャル世界において、最も顕著に表れるのは何でしょうか?

それは間違いなく "非・当事者性" と言えます。
本作に一貫して通底しているもう一つの正体がこれです。
でも、一概に否定されるものでもないと思います。
なので、 "陰と光の両面を持ち合わせている" とも言えるでしょう。

ジャスティンや竜はもちろん、すずやヒロちゃんでさえも、スタートは "非・当事者性" です。
誰だって〈U〉では "もう一つの人生 = リアルから離れた自分 = 非・当事者性" に生きてみたいでしょう。
私だってそう思っています。

〈U〉の謳う "もう一つの人生" は、それが叶いやすい環境と条件を与えてくれます。
だから "非・当事者性" には一定の価値があると思います。

本作のポイントは、この本人由来の当事者性と、As 特性の非・当事者性とを、 "二律背反" するものとして、するどく対立させていることです。

どういうことかと言うと、すずをベルとして、またその逆として、バーチャルとリアルの二つの世界で、二つの価値観をすり合わせるのです。

自分だいじのかわいさと、他者の幸せとの関わりを拒絶したいセパレートする価値観。
強すぎる竜の境遇への興味と、心奥にうずく強い母性をカップリングしたい価値観。

当事者性としての温かい温度差と、非・当事者性としての冷たい温度差がぶつかるのです。
その気づきにすず(ベル)を誘う構造に、視聴者を同時に引き入れるのですね。

本作の評価が割れる理由はそこにあります。
細田氏がすず(ベル)に示させた行動が、おのずと視聴者にも迫ってくるのです。

「すずとベルの "当事者意識" をどう受け止めますか?」
「竜と恵くんへの "非・当事者性" はどれほどお持ちですか?」

だから、嫌悪と否定、疑念や拒絶で受け止めている方もいらっしゃるようです。
当然のことです。


〈U〉の VR のストレングスは、生身の全感性を所有するボディシェアリング技術にあります。
As は、もう一人の自分、もう一人のあなた。
そう謳っているのですから。

As で体感し、体験し、体得したものは、生身の自分に、細胞レベルでケミストリーを引き起こします。
それを成長の糧にしたとき、元の自分も、その世界が変わる芽も出てくるのかもしれません。

リアル世界の実相は、加速度を上げながら人間の幸福感を希薄化させています。
吸う空気にさえ、なにかの悪意が含まれているかのようです。

そんな時代に、見えにくい人間愛への回帰と献身にどう踏みこむか。
血を流す痛みを伴いながら、産みの苦しみを乗り越える力を育んでくれる場所が、仮想世界〈U〉の本当の姿と価値なのではないでしょうか。



細田氏が本作に込めようとしたメッセージは、バーチャル世界で拡張する楽しみはもちろんですが、リアルな現実に立ち向かう土台づくりも忘れちゃだめだよと強調したかったのではないかと思います。

〈U〉では、性別、年齢、人種、国籍、言語などに縛られず、個人のメンタリティー、アクションのままに、全ての願望を投影することができます。

そう思うと、現実において、叶えたい夢との結びつけを、どんな気構え、どんな手数で整えるかの落としどころが大事なのかもしれません。

〈U〉に警察がないのは、そこに国家が設定されていないからです。
誰もが自由というのは、統治・統制がないぶん、個々の自治の能力が試されます。

実は、アンベイルされたすずが、もう一度ベルに返り咲けたのが不思議でした。
推測ですが、〈U〉の趣意は、ジャスティンの手法(アンベイル = unveil )ではなく、すずがベルであってほしいと民意に示されたことで、恩赦(ベイル = bail )されたのではないかと感じます。

「あなたにあいたい。」
すずの呼びかけに共鳴する無名の人たちの小さな一念。
巨大広告塔のクジラも、ベルの覚悟こそ〈U〉の主役に相応しいと姿を現わす。
すず(ベル)の選択が、〈U〉がめざす自治のシンボルに値すると受け止められたシーンです。

〈U〉が提供する魅力は、無限とも言える自由の享受にあります。
であればこそ、そこには自治と自主が要望されますし、その根幹には自立と自律が求められ、評価されるのでしょう。



かつて細田氏は、作品サマーウォーズで、仮想空間で "切った貼ったの勝負ごと" を、現実世界では "ちょっぴり甘ったるい恋の入り口" を描いています。
本作では、そのような知略や力技でもなく、何となく甘々ななろう系でもない、「人生はいつだって(それはどこにいたって)真摯な愛で向き合えばリスタートがきれる」を描いています。

そんな可能性がこれからのインターネット世界に芽ぶきを見せてもいいのではないか。
その可能性が周り回ってリアル世界に良い影響を創るのなら、なおさらいいのではないか。

人の心の土台には、人が実存することの称賛が謳われて当たり前のものでありたい。
それは、モニターを飾る金メダリストたる歓喜だったり、モニターには映らない気概へのリスペクトの相見互いだったりであってほしい。

あなたは日陰の存在なんかじゃない。
孤立無援に生きていくなんて、あっていいわけない。

そんなメッセージを高らかに謳ったものではないかなと思っています。
というわけで、個人的には、ジュブナイル作品の最高傑作の一つと選出させていただいています。



結びとなりますが、あらためて素塔さんには深く感謝しております。
私ひとりでは、このようなレヴューは到底書けませんでした。

本当にありがとうございました。
{/netabare}

投稿 : 2023/08/14
閲覧 : 548
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26

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nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 5.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

良いパーツとキャラはあった。ポンポさん理論を実践したら面白くなったかも。

 一番初め本作は若干盛り込みすぎという情報だけはありましたが、ほぼ前情報なしで見ました。
 通しは、多分3回目…いや4回目くらいです。ただ、音楽はユーチューブでかなりの回数聞いてます。

 1回目のレビューは映画見ながらその場で感想を打ち込んだんですけど、あまりに長くて文書も見苦しいのでカットしました。追記も多いので要約しています。で、今回23年7月にまとめました。悪口はかなりマイルドにしました。前回見た印象よりは良かった気がしたので。

 本作はまあ「ポンポさん」理論を実践していれば、というポテンシャルは感じました。
 最高に面白くするために90分に抑えろ。「必要な部分」を残すために倒れるまで編集しろ…そのまま言いたいですね。
 それとこれもポンポさんであったと思いますが、キャラの作り込みですね。その人の人生を全部考えるくらいキャラ造形を作りこめと言いたいです。ヒロイン以外が甘すぎます。
 美少女は…まあ、出してほしい気もしますが、本作はどうかなあ?そばかす姫を劣等感の表れとして…あの子…美少女の方が、最後のカタルシスにはなったのかも。


で、レビューです。

 1回目は結構面白く感じました。というのは、ヒロインすずのキャラ造形がとても良くて、母を失った音楽を愛する独りぼっちの少女という描写が出来ていたと思います。キャラデザがちゃんと普通っぽいそばかす少女なのも非常に良かったです。
 今回再視聴したら設定は、リアル「ぼっち・ざ・ろっく」という気がしなくもないです。

 冬の川辺で泣いてしまうシーンとか心情が良かったです。可哀想でしたけど。

{netabare}  もちろん歌とその映像は最高でした。幼馴染との関係もいいし、るかの恋愛話は最高でした、と結構中盤まではいいんですけど…

 やっぱり「美女と野獣」オマージュからは「ん?」となりましたし、モブたちが急にご都合主義の様に活躍しだすのは「え?ストーリ-になってる?」だし、結末も「何それ?」感はありました。
 が、すずは頑張ったということで、視聴後感はそんなに悪くなかったです。


 ただ、2回目見たとき、やっぱり恋愛っぽい幼馴染の話と、ケイの話が錯綜して、時間ばかり長い映画になってしまいました。幼馴染は「お母さんみたい」なら出番はそんなになくても良かったんじゃね?と思います。
 それとすずが音楽、歌に惹かれてゆくプロセスの描かれかたが不十分だったかなあ。

 むしろ、なぜ竜がコンサート会場に飛び込んできたのか?に歌ならケイに何かが届くという展開があってよかったのでは?竜を守る子たちがいるのかもよくわからないし。つまり、一番肝心の心を惹かれて行くシーンがほぼ無いも同然でした。孤独同士だから…というより竜が孤独だから一方的にすずが惹かれた?
 竜の強さは闇墜ちだから?孤独のダークエネルギーかな?あの独自警察の意味もちょっと…スポンサーがいっぱいいるから運営よりも強いってことかな?よくわかりませんでした。

 アイデンティティを隠す問題と、カミングアウト=勇気というのはいいと思うんですけど、竜とすずの心のつながりに説得力がないので、最後の救出にカタルシスがありませんでした。
 で、物理的に助けに行くのもいいんですけど、まあ、無理がありますよね。話的には。

 重要なことですが、おそらくここで母の死が生きてくるんでしょう。これも初回はよく考えたなあと感心した部分です。「知らない子を命がけで助ける」という部分です。母の様子を見ているとそういう孤独に苦しんだ性格じゃない風にも見えますけど。
 要するにそれを描きたいなら、そういう話にしてほしいです。すずの覚悟に重なってこない気がしました。
 母親のキャラの背景があいまい過ぎるでしょう。父は何のためにいるの?それを語らせる(かならずしも説明しなくていいけど背中で語って欲しい)必要があるでしょ?と思います。


{/netabare}


 要するにヒロインのキャラ造形は非常に良かったです。そばかす姫というキャラ設定にマッチしていました。まあ、これは上でもいいましたが、コンプレックスなら普通は美少女ですよね。なにかに配慮しちゃったのかなあ?

 しかし、竜に説得力がなかったです。そう、ほぼすべてと言っていいでしょう。
 それと、実社会における協力とか犯人捜しみたいなあの辺はもっと省略していいかなあ。

 Uを一番初めにもってきたのはどうかなあ、盛り上がりがないなあ…と思ったり、演出というかキャラの演技がディズニーそのままだし、全体的に構成・演出等々にまあ嫌いな言葉なんですけど「意識高い系」を感じました。

 そして、幼馴染は全く機能してなかったです。細田作品全体に言えますけど、代理店の要望か知りませんが俳優の声優を増やすための案件臭キャラが多すぎです。

投稿 : 2023/07/14
閲覧 : 302
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22

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やん さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.5 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

王道細田作品

田舎景色、純朴女子高生、電脳世界、ケモナー
いつも通りで一気に見れて面白かったです。
飛行機で観ましたが大画面良音響だと違う魅力に気付けるのかもしれません。

投稿 : 2023/03/21
閲覧 : 138
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4

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oneandonly さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 2.5 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

仮想世界がひとつの現実になるとき

世界観:5
ストーリー:5
リアリティ:4
キャラクター:5
情感:7
合計:26

<あらすじ>
青春、家族の絆、親子愛、種族を超えた友情、命の連鎖…。
様々な作品テーマで日本のみならず世界中の観客を魅了し続けるアニメーション映画監督・細田守。
最新作『竜とそばかすの姫』では、かつて『サマーウォーズ』で描いたインターネット世界を舞台に、『時をかける少女』以来となる10代の女子高校生をヒロインに迎えた。
そこで紡ぎ出すのは、母親の死により心に大きな傷を抱えた主人公が、もうひとつの現実と呼ばれる50億人が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>で大切な存在を見つけ、悩み葛藤しながらも懸命に未来へ歩いていこうとする勇気と希望の物語だ。
(公式サイトより抜粋)

年末の休みで映画を見る時間ができて、録り溜めていた金曜ロードショーの中から本作を見つけたのが視聴経緯です。

細田守監督作品では、「おおかみこどもの雨と雪」を劇場で観たと思います。泣けたシーンがあったかもしれませんが、ほとんど記憶に残っておらず。「時をかける少女」は世間の評価から乖離して低い点をつけています。
今回の作品を見ると、作者がアニメには現実のようなリアリティを求める必要がないと考えているようにも思われ、そこで折り合えない人には合わない、ということになるかと思いました。
私は合わないほうに含まれているのですが、今後のメタ世界がどうなっていくのかについて考えてみたいと思ったのでレビューを書いていることを前提にご覧下さい。

{netabare}本作視聴時にわからなかったのは、しのぶくんがなぜ、すずがベルであることを見破ったのかでしたが、調べてみるとこれは仮想世界<U>での声が現実世界と同じという理由が有力でした。
すずとベルは確かに同一人物が演じています。歌は別人を起用するのが当たり前と思っていたので、すずの声優が歌も歌っている(シンガーソングライターの中村佳穂さんなので正確には逆だが)ことは凄いのですが、匿名性が当然と思われる仮想世界で地声のままというのはありえるのか疑問に思います。
特徴的な声質を持つ人は世の中に少なくないと思われ、そういった方は利用できないでしょうし、特徴的と言えなくとも普通に身バレ回避のため敬遠され、50億人も集まるとは考え難く、マーケット調査段階で地声を採用する仮想世界は作られないでしょう。

また、この仮想世界<U>では、アバター(As)が自動生成されるシステムですが、ベルや竜のデザインと他のキャラとの違いが明確で、もう一つの現実であるアバターがいかにもなモブや非人型の場合、広く受け入れられることはないでしょう。

仮想世界で有名な歌手になりたいと思う人も50億人もいれば相当な数いることが想定され、歌唱力があっても皆から知られるほどの存在になることは困難だと思います。そういう道が現実世界のように確立されていくでしょう。

これまでもインターネットにより、いわゆるネトゲ廃人を生み出し、近年はスマホゲームの普及により、ゲームに貴重な時間を搾取されるということは依存症として問題化しつつありますが、仮想世界もまずはこの延長戦上に登場すると思われます。

私はVRゲームを未経験であるものの、視覚が別の空間に入り込むことは既にできているようなものなので、他の感覚も取り込むことができれば、簡単な仮想世界はほとんど既に現実となっています。

そこにどれだけの価値を与え、人の時間を割けるものになるかはクリエイター次第ですが、その人の満足によるので、モブとしか存在できないような仮想世界は廃れるでしょう。

人がある程度以上の承認欲求や自己実現を求め、仮想世界で満たされるとすれば、50億人も参加するところでの成功は現実味がないと思われます。

なお、本作で言葉が自動で翻訳されるようなシーンがあって、これは翻訳こんにゃくが仮想世界内で実現できる可能性はあるのかもしれないと思いました。言葉の壁なしにビジネスを展開できるとしたら、これをチャンスと考える企業もいるでしょう。

もちろん市民権を得て、情報収集や教育などを仮想世界で行うほうが良いと考えられる未来もあるかもしれません。しかしそれならそれで、本作のような学校は役目を終えていると考えます。

ネトゲのアイテム売買のように、仮想世界が現実のお金に繋がる可能性があります。本作のすずは地声ですので、すぐにでも世界的なメジャーデビューのオファーが来て不思議はありません。

仮想世界が一つの現実と受け入れられ、大多数の人間が2つ(以上の)世界を渡り歩くようになったら、どうなるのか。割合で言えば、理想的な容姿で、承認や自己実現が手に入るなら、現実世界よりも仮想世界に生きる人は増えるでしょう。そうなれば現実世界は肉体を維持できればよいので、現実世界の生命維持コントロールビジネスが幅をきかせていたりして。
それもロボット化すれば、マトリックスの世界ですね。

ということで、色々と書いてみましたが、仮想世界<U>の設定は、物語としての設定であり、わかりやすさを重視していることは理解しつつも、主人公や主要キャラ以外のモブが現実感を出せないため、世界の説得力を保てません。

他にも、下記のところは気になりました。
なぜすずの母親は増水した川にライフジャケットのみで入ったのか?(ロープとか必須では?)
なぜ竜の居場所を短時間で特定できたのか?(住所を特定できずに、偶然路地でっていうのはあまりにも非現実的)。
なぜ合唱団の人たち(大人)がいながら、すずを一人で東京に向かわせたのか?(兄弟が虐待を受けていたとはいえ、命に関わるとの状況ではない。まずは父親に連絡させるべき)。
なぜ思春期の男女が(人前で)抱き合うか?(動じないしのぶくんは年不相応に男前すぎる。竜のオリジンもだが)

こういった気になる要素がありつつも、素顔を晒して、人のために大勢の観客を前に熱唱するシーンは感動できました。歌の力、音楽の力はやはり凄いと思います。

書き忘れました。本作を調べる中で、しのぶくんがすずと付き合うか?といった問いがありましたが、しのぶくんにその気があるなら東京に付いていくし、抱きつかれた様子から少なくともこの時点で恋愛感情はないでしょう。
すずの気持ちを知りつつ、素顔で歌わせて莫大な金を儲けさせ利用しようと考えていたらそれはそれで面白いのですが、この手の作品ではないか(笑)
{/netabare}

ということで、合う合わないあるかと思いますが、雰囲気で感動できる方は満足できる作品のように思います。

(参考評価:3.3)
(視聴2022.12)

投稿 : 2023/01/05
閲覧 : 190
サンキュー:

12

米麹米子 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

一途な思い

あらすじ

50億人がすれ違う
美しくも残酷な仮想世界。
ベルの歌声は世界を変える

最初はmillennium parade 目当てで視聴
見てるとmillennium parade × Belleなのね
EDで歌うのかと思ってた

正直な話をすると
宮崎監督、ディズニー、細田監督
いいんだよわかってる
でもね個人的には合わないのよ
これは私の趣向的な問題

これもどうかなあと思いながら見てたけど
曲をメインで聴きながらのお話って感じなので
あんまりモヤモヤ感もなく見れたかな
サマーウォーズといいこの路線は好き
表現も綺麗だったし
美女と野獣感もあって

この監督さんは多分いろんな愛をかきたいのかな

なんだかんだいっても
一番怖いのは人間よ

投稿 : 2022/10/20
閲覧 : 158
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6

しゅん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 2.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

あぁ・・・・・・・「映像はいいけど脚本がヒドイ」ってこういうことかぁ。

【物語の評価】
色々と突っ込みどころとか多いい。
第一、仮想世界に入るためのモジュールが余りにも小さすぎない?せめてゴーグル型にしとけ。
【作画の評価】
【声優の評価】
なんかもっといっぱい声優を使ってほしい。
【音楽の評価】
【キャラの評価】
【感想】

投稿 : 2022/10/09
閲覧 : 161
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6

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退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 1.0 作画 : 4.5 声優 : 1.5 音楽 : 4.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

この作品で確定したのは細田守監督の脚本才能の無さw

音楽と映像が素晴らしい

他は正直あーあと言う感じのいつもの細田守作品

時をかける少女、サマーウォーズ、オオカミ~以外の作品は
本当にストーリーラインの作り込みがひどすぎる

爆大な収入は寄付ってそんなやっつけあるかよ笑
アンベイルして素顔にして歌った後、なんでまたもどしたwww?結局映像的に映えるからやろ?それもまじしょうもない

虐待してる男親のところに女子高生一人行かせんなよ

東京はいつ待ち合わせしたん??

あんな程度で行政が動けると思ってんの?
なにも解決しとらんやんけ

主人公と竜の関係性ってなに?竜が好きって言ってんのにスル-結末って

って感じで、えがちゃんもツッコみまくってましたが

そういうツッコミが気にならないくらい
声優の演技や、ストーリーのスピード感があれば
評価は変わったが、まあそれも全くダメな内容

なんか商業的に作るしかなかった感満載のしょうもない作品

結局はさ奥寺さんが必要不可欠なんよねぇ
いなくなったらすべての作品があかんもの

この内容で歴代一番興行収入高いわけでしょ
コロナブーストが無くなり多数の見たひとから
多くの酷評を受けた今作品の次作
どうなるか見物ですね

予想としては
サマーウォーズ的なエンタメ路線に戻ってボーイミーツガールやると思う

投稿 : 2022/10/03
閲覧 : 170
ネタバレ

たま。 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ショッキングムービー

細田守監督作品。

ヒットしてたし、前作のサマウォーズがとても面白かったので、期待して見てみたが拍子抜け。
メタバース空間と実生活空間が行き来する。
話の内容としては、実生活空間で虐待を受けていた少年がメタバースで粗暴を働いておりメタバース警察から追われているのだが、それをメタバース歌姫である主人公がメタバース警察から守り、実生活空間での虐待も解決しようとする。
微妙に恋愛とか絡めて、展開をひっかけようとしてくるし、話は強引だし、なにがなにやら・・・。

この作品は余りお勧め出来ません。

投稿 : 2022/10/02
閲覧 : 109
サンキュー:

4

ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

どことなく美女と野獣のようだと思ったが、やはりそうらしい

自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母の死をきっかけに歌うことができなくなっていた。曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、<As(アズ)>と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けた<As>としては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。数億の<As>が集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に--。というあらすじ。


そばかすって良いよね。僕は好きです。そこは注目ポイントではないかもしれない。控え目な少女が歌が実は上手でそこから虐待を発見するに至るみたいな風が吹けば桶屋が儲かる的なお話。ついでに美女と野獣のようなロマンチック?ともいえる内容もある。しれっと家族愛と対照的なDVも。
盛りだくさんすぎたのかもしれない。すずの父が快く東京へ送り出す優しさは凄いとは思った。急に女の子が一人で行くなんて心配でたまらんでしょ。

合唱隊のメンバーが森山良子、清水ミチコ、坂本冬美、岩崎良美、中尾幸世としれっと豪華なことにびびる。

中村佳穂がすずとベルの声とともに、劇中歌の歌唱を担当したらしい。
歌唱力は中々。


完全ネタバレ備忘録
{netabare}
川で取り残された見知らぬ子供を助けるため、母が変わりに死んで以来、大好きだった歌を歌えなくなり、父との関係にも溝が生まれていた。作曲だけがすずの生き甲斐となっていた。
ネットに詳しい毒舌親友ヒロちゃんの手引きで〈U〉に参加。ベルという〈As〉となったすずは、自然と歌うことができ、自作の曲を歌って多くのユーザーたちに披露。当初アンチによって批判されたが、次第に歌姫として世界中から注目を集める。遂にはコンサートが開かれるが、当日、突然謎の竜が現れて〈U〉の自警団を相手に大暴れし、台無しに。
コンサート中止に怒る人々によって「竜の正体探し」、疑われた人々(タトゥーアーティストだっけ?や野球選手、ひたすら嘘ついている人)がプライバシーを暴かれる一方で、子供たちの一部は竜をヒーロー視する。また自警団リーダーのジャスティンは、竜の現実世界での姿(オリジン)を強制的に暴く「アンベイル」を実行しようと情報を求める。
ベルは竜のことが気になり、〈U〉のはずれにある「竜の城」を探し出す。竜は追い出そうとするが、彼が小さな天使の〈As〉を慈しむ姿を垣間見て、本当の姿に気づく。ベルはジャスティンに竜の居場所を尋問され、彼が正義ではなく支配欲で動いていると指摘しアンベイルを盾に脅されるが、竜に救われる。ベルは竜のためだけに作った歌を捧げ、竜もベルに少しずつ心を開いていく。
一方で現実世界のすずは、バスケ部所属で女子から絶大な人気の幼馴染しのぶくんとの関係を同級生たちに誤解され炎上してしまう。ヒロちゃんの尽力で攻撃は収まったものの、しのぶくんと人気の女子ルカちゃんが両思いであると思い落ち込む。ところがルカちゃんの本当の思い人は別におり(カミシンというカヌー部所属で暑苦しく、空気が読めず、腫物扱いされがちな男子)、彼女らの仲を取り持とうとしているとき、すずはしのぶくんから、自分がベルの正体であることを指摘される。
その場から逃げ出したすずは、「竜の城」が暴かれて火を放たれたと知り、ヒロちゃんが〈U〉での活動に使う教室に駆け込む。無数の〈As〉から竜を探すうち、竜を慕う男の子・知が、ベルが竜のために作った歌を歌う動画配信にたどり着く。
すずと彼女を追って教室に来た友人たちや合唱隊の人々は、配信の中で父親に怒鳴られる知と、彼をかばって激しく罵られるその兄・恵の一部始終を見てしまう。恵こそが竜の正体であり、兄弟が虐待されていると知ったすずは恵に語り掛けるが、それまでに虐待を訴えても助けてもらえなかった恵は拒絶し、配信も途切れる。
しのぶくんに、恵の信頼を得るためには自分の正体を〈U〉で明かすしかないと指摘されたすずは、自らアンベイルされ、途中泣き崩れながらも生身の姿で歌い、全世界からの喝采を浴びる。
皆の協力で映像から兄弟のいる街を割り出し児童相談所に通告するが、対応が間に合わないことを恐れたすずは、単身でその街へと向かう。すずは兄弟を見つけ、追ってきた彼らの父親に暴力を受けるが臆さず、圧倒された父親は怖気づいて逃げ出す。すずに助けられ心を開いた恵は、父親と戦う決意を語る。帰宅したすずは、彼女を信頼して送り出してくれた父に迎えられ、親子の関係は改善する。
{/netabare}

投稿 : 2022/09/30
閲覧 : 79
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9

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素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

いのちの歌

日常の中に浸透した仮想空間を物語の中心に設定する点で、本作はまず
2009年のヒット作『サマーウォーズ』への顕著な回帰が認められる。
ただし今回は、リアルとヴァーチャルとの関係性が明瞭に主題化されており、
構成とテーマの双方で、「二重性」がキー・コンセプトとなっている。
細田監督いわく、「インターネットというものは現実と虚構の部分を併せ持つ
二重性があり、『美女と野獣』もまた二重性を持った作品である」。

この着想に基づいた固有の問題意識が観客に向けて提示されるわけだが、
不幸にもそれが伝わらずに、共感の回路が閉じられていた場合、
本作のストーリーはきわめてつまらないものに感じられるだろう。
臆病な少女がネットで少年と知り合い、勇気を出して彼の窮地を救う。
煎じ詰めればこれだけの話である。陳腐な美談に月並な社会批評を足し加えた
大衆迎合型の商業映画、などといった酷評もやむを得ないところだ。

しかしながら、問題共有の回路は確かに開かれているのである。
本作の秘密は、二重性の下にもう一つの二重性が潜んでいることにある。
ヒロインの日常と仮想世界が連続する、平面的・並列的な二重性とともに、
竜とベルのストーリーに託されて、すずの心の再生のプロセスが進行する
内在的・重層的なもう一つの二重性が構造として認められるのだ。
いわば、表層面と深層面にそれぞれの二重性が存在しているのである。

例えば、仮想空間〈U〉をそっくり、すずの深層心理の世界と捉えてみると、
作品全体の構造がシンプルに一本化されて見通せるようになる。
作品への共感の回路が開かれる場所はまさにそこなのであって、
すずの物語が私たちの時代の問題と重なり合う、本作の核心部なのである。
匿名性の限界を突破する行動と、自らのトラウマを乗り越える勇気。
重層するストーリーから透視的に浮かび上がる一点に照準を合わせて見ていきたい。


Ⅰ 竜とベルの物語
{netabare}
リアルでは不可能な願望を実現できる "もう一つの現実"― 仮想空間〈U〉。
母の死以来、歌えなくなっていたすずはそこで、ふたたび歌えるようになる。
ついに歌姫の座にまで上り詰めた彼女は、竜と出会い、彼のあとを追い始める。
その動機について、作中では十分な説明がなされていないようだ。
なぜベルは、危険を冒してまで竜に接近し、彼と関わろうとするのか?

竜の正体をめぐって無数の人々が声を上げる、― 竜は何者? 彼は誰?
匿名性の空間が内包する地熱のような好奇心は際限なく広がってゆくが、
単に欲望を満たすためだけに情報が求められ、真実はただ消費されて終わる
バーチャル空間の空虚で危うい本質が、この人々の竜探しに露呈している。
その中にあってベルは異質な、孤独な存在である。

薄雪草さんが本作に書かれたレビューから、一節をここに引用させて頂く。

 本作は、すずの心情を捉えることが重要です。
 特に、次のふたつの言葉の動機や背景の掘り下げが、かなり大事です。

「あなたは、誰?」
「あなたに、逢いたい。」

 どうぞ、すずに寄り添うベルのように、思いを深く巡らせてみてください。

あなたは、誰? あなたに、逢いたい。―
ベルの発する問いは、興味本位の詮索とは全く異なる、切実なものだ。
その言葉には、一個の人格と関わろうとする真剣な意志がこめられている。
彼女の心の真実に少しでも近づくために、補助線を引いてみる感覚で自分は
〈U〉の世界をすずの深層心理と捉える解釈を踏まえて、こんな推論をしてみたい。
竜を探し求めるプロセスは、彼女の深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。

「〈U〉のボディシェアリング技術は
 その人の隠された能力を無理やり引っ張り出す。」

つまり〈U〉にはその人のポテンシャル、いわば内部現実が投影されている。
さらに、抑圧された状況が能力を強化した結果が、ベルの歌であり、竜の強さだった。
ならばもし、その抑圧がさらにもう一つの能力をすずから引きだしたのだとすれば?
歌姫ベルを賞賛する何億もの人々の前で自らをアンベイルし、素顔を曝すシーン。
この自殺行為にも等しい行動を促したものは一体何だったのだろうか?
それこそが、すずの本質に秘められた能力の発現だったのではないか?

薄雪草さんが以前、使っておられて強く印象に残った言葉がある。
「当事者性」。― この言葉で、自分はすずのその能力を言い表せると考える。
恣意的な解釈にならぬよう注意しながら、このキーワードに即して
すずの行動の軌跡をたどり、彼女の内面への接近を試みたい。

まずそれは、他者の痛みへの共感として具体的に現れる。
幾度も拒絶されながら、ベルは竜に近づこうとする。
「來るな!」「見るな!」―竜がベルに言い放つ拒絶の言葉に注意が必要だ。
竜の正体である恵、彼を傷つけたものは父親の暴力だけではなかった。
世間の大人たちの無理解と見せかけの善意。そして何よりも、好奇の視線。
― あんたも人の秘密を覗き見して笑いたい人?

一方で、すずには彼の拒絶の意味を理解することができるのだ。
すず自身がかつて、母の行為をめぐって匿名の人々が無責任に投げつける
心ない非難によって、深く傷つけられた経験を持っているからだ。
だからベルは竜に語りかける、― 本当に傷ついてるのは、ここ、ね?
つまり、ベルが決断したアンベイルの本当の目的とは
痛みをともに分かち合う決意を相手に対して示すことだったのではないか?

彼の傷ついた心に近づくためには、自分もまた致命傷を負う覚悟で
今度は「当事者」として、不特定多数の人々の前に自分を曝さなくてはならない。
・・・「素顔をかくしたままで何が伝わるってゆうの?」
忍のこの言葉には本作のテーマの一つが要約されている。
匿名の安全地帯で傍観したまま、好き放題を言うことは卑怯であるばかりか、
そこには他者の現実に関わるアクションは一切、生まれることはないのだ。

あなたに、逢いたい。―このただ一つの願いを伝えるためには
絶対にベルではなく、素顔のままのすずが歌わなくてはならなかった。
そして彼女は叫ぶ、「光を放て! わたしにその光を放て!」
突き付けられた「おまえ、誰だ?」という問いに対して応えるため、
本当の関わりを求めている「当事者」であることを証しするために―。

  逢いたい もう一度 胸の奥 ふるえてる
  ここにいるよ 届いて はなればなれの 君へ

アンベイル、それは現実が仮想現実を内部から食い破る瞬間である。
そこに生じたすずの "変容" には、やはり二重の意味合いが認められる。
単に表層の "現実" が表れたのみならず、内部に隠れた "真実" が顕在化したのだ。
それは、理想化された自分から元のみすぼらしい自分に戻ることではなく、
虚像に縋る自分の弱さを、真実の自分へと乗り越えていく決定的な変化を意味している。
すなわち、彼女の本質である当事者性が顕現した瞬間なのである。


・・・本稿の推論の出発点はこういう仮定だった、
ベルが竜を探し求めるプロセスは、すずの深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。
そして彼女は求めていた真実の自分に出会う。それが「ベルと竜の物語」の帰結である。
だがおそらく、そのさらなる深部にはもう一つの、さらに痛切な願いがあった。

歌い終えたすずは、地平線から昇りはじめる三日月を凝視している。
その横顔に驚きの表情があらわれ、次第に大きなものになってゆく。
不意にすずは、自分がいま当事者として行動していることをはっきり意識したのだ。
そして、自分がいま立っているこの場所が、あの日母が立っていた同じ場所であることを。
理解できずに苦しみぬいた母の心を知る、決定的な"気づき"の瞬間である。

それこそがすずの心の奥に秘められていた、最大の願いだったのではないか。
自分を探し求める「ベルと竜の物語」の水面下で、彼女は無自覚に母を探していた。
本作の真の二重性は、アンベイルの場面に集約的に予示されているが、
その全容は、急転回の先にあるもう一つのクライマックスによって開示される。
すずの再生のストーリー、「すずと母の物語」がそこで完結するのである。
{/netabare}


Ⅱ すずと母の物語
{netabare}
仮想世界〈U〉で展開される「竜とベルの物語」は、
すずの当事者性の発現をとおして母の心に到達するプロセスとして、
深層部分で進行する「すずと母の物語」に最終的に統合される。
それは、母の死によるトラウマを克服し、世界とのつながりを回復する
ヒロインすずの"再生"の物語であり、そこに本作の核心がある。


すずのトラウマは、歌おうとして嘔吐してしまう痛ましいシーンに集約されている。
母との幸せな思い出につながる「歌」は、喪失の苦痛を再帰させるために拒絶される。
だが、拒絶されているものは本当に歌だけなのだろうか?
あるいはそこには、母に対するすずの心情もまた内包されているのではないか?
母を求めながら同時に、受け容れることを拒んでいるアンビバレンツな心理が
彼女の心の奥底にわだかまっているように思われるのだ。

すずの内面を丁寧に説き明かされた、薄雪草さんの一節を引用させて頂く。

「すずの心的世界は、10年以上にわたって、
 ひとつの思いに憑りつかれ、縛られ、閉ざされています。
「お母さんは、なぜ赤の他人の女の子を選んだのか。
 どうして私は独りぼっちなのか。」
 お父さん、幼馴染の忍くんやヒロちゃん。誰にも明かせない深い胸の疼きです。
 すずにとって「独り」とはそういう意味なのです。」

母に「独り」にされたすず。決して答えの見つからない「なぜ?」の呪縛。
ここでふたたび補助線を引いて、孤立するすずの心にさらに接近を試みたい。
おそらく、すずを苛んでいたはずの、もう一つの「なぜ?」があるはずだ。
その心の中にはこんな想いが潜んでいたのではないか―

― お母さんは死んでしまった。もういない。それなのに、
なぜ今も、その女の子だけが生きているのか。・・・なぜ?

すずの孤立の根底にはいわば"いのち"への不信感があったのではないだろうか。
母が救った赤の他人のいのちと、代わりに失われた母のいのちと。
この二つの命の重さがすずにとって、果たして同等であり得るだろうか?
いのちの重さはすべて等しいとする建前論は、当事者にとっては不条理でしかない。
これは、"いのち"の価値をめぐる根源的なアポリアである。
同時に、こうした感情を自分が抱くことに優しいすずは罪悪感を覚えずにいないはずだ。
この心理が無自覚に、彼女を世界から遠ざけていたのではないだろうか?

母の行動は常識的な理解の及ばない、"いのち"の絶対的な地平にある。
その場所に立たない限り、母の行動をすずは永遠に理解できない。
だが、それは現実には不可能であり、彼女の心もまた受け容れることを拒んでいる。
「なぜ?」という問いは深淵のように、母とすずとを隔てつづけるだろう。
現実でも、さらには内面においても、すずは二重に母を喪失しているのである。


この絶望的な断絶を乗り越えて、すずが再び母に出会うためのプロセス。
それが〈U〉のストーリーの本質だと言ってよいだろう。
したがって、アンベイルの意味をこの文脈でもう一度、捉える必要がある。

地平線上に昇りはじめる三日月を凝視したまま、立ち尽くしているすず。
その瞬間、彼女にはいったい何が見えていたのだろうか?
おそらくその時、すずは"いのち"の意味を感得したのではないだろうか?
濁流に飛び込んでいったあの時の母と同じ衝動がいま、自分を突き動かしている。
自分自身が当事者となって、危機に瀕した"いのち"と向き合っているこの瞬間、
すずはあの日、母が立っていた絶対的な"いのち"の領域へと踏み入ったのだ。

「何度も自問し、何度も反駁しただろう先に、ひとつの気づきを得るのが、
 視線の先に輝いている三日月なのです。」

自分本位の感情に囚われていたすずが、母の心を経験的に理解する。
それは、母の立っていた"いのち"の地平への「転回」と言ってもよい。
そのとき、すずを苦しめてきた不条理はもはや存在しない。
いま彼女は、救われたその子が生きている現実を受け容れることができる。
なぜならそれこそが、母が命に代えて願ったことの成就に他ならないからだ。
それはそのまま、母の想いが今も現前し、生き続けていることを意味する。
そこに示された母の"いのち"の在り方をすずは受け容れ、自分の中に定着する。
そして、すずの中で再び母が生きはじめる。・・・

アンベイルとはこのような、すずの"再生"の瞬間だったといえる。
自らの行動によって母の行動を理解し、肯定し、受け容れることで
「独り」であることの果てしない苦悶から彼女はようやく解放されたのだ。

「"三日月" は、ネットの海に漂い浮かぶ "救いの舟" 。」

本当の"気づき"だけが、救いをもたらす。三日月はこの救済の象徴となる。
あるいはそれはまた、不断に再生する"いのち"の象徴なのかも知れない。


クライマックスに達した物語はその直後、予期せぬ急展開に突入する。
虐待を受けている兄弟のもとに単身で駆けつけたすずが彼らと対面し、
二人を庇って父親と対決する、もう一つのクライマックスとも言うべきシーン。
リアリティーも含め、とりわけ批判にさらされているのが、この唐突過ぎる超展開なのだが、
仮想空間と現実世界を貫く"いのち"の物語の最終的な帰結と捉えることによって、
充分な整合性と必然性が認められると自分は考える。

まず、DVの問題をストーリーに絡めた点については、
脈絡の欠如から、社会派を気取ろうと無理に取ってつけたようにも言われるが、
物語の一貫したベクトルに即してみれば、必ずしも不自然なものとは思われない。
なぜなら、「暴力」とは原理的に「いのち」の対極にある事象だからだ。
そのシェマティックな対立の構図をとおして"いのち"の輝きを示すために、
ヴァーチャル空間のベルも、現実世界のすずも、全力でそれと対決する。

さらにすずの行動が、感情に任せた衝動にしか見えない点。
確かに、彼女の動機の説明となる自然な流れが欠落しているようにも感じられる。
だがここで、〈U〉のパートにさかのぼって想起したいのは、
竜の城にベルが再び潜入するくだりで描かれている、弟が育てた「秘密のバラ」を
竜とベルが分かち合う象徴的な儀式についてだ。

この「バラ」のシンボリズムは明快である。
城の広間に飾られた、顔の部分を損傷した女性の肖像画。彼女が誰なのかは
同じ画像がケイのひび割れたスマホに保存されていることからも明らかだ。
すずが使い続けている欠けたマグカップとも呼応しながら、
彼らの傷ついた心と、"喪われた母"へのひそやかな思慕がほのめかされる。
反復されるイメージをアナロジーによって連結するこのメタファーの技法で
三人の絆を示しつつ、その中で母親としての存在がすずに託される。
それを暗示するのが、肖像画の母と同じ、胸元に飾られるバラの花であり、
最終盤のシーンを予示する、"秘密の"布石となっていると解釈できる。

つまり、たった一人で兄弟のいる場所に向かおうとする、すずの無謀な行動は
一般常識ではなく、作品に内在する非言語的なロジックに裏打ちされているのだ。
母が自分に指し示してくれた"いのち"へ向かうベクトルをひたすら辿ること、
すずの心の中にはそれ以外のどんな顧慮も介在していない。

すずの"再生"の本質はおそらくここに読み取ることができる。
身を挺して彼らを守り、そして、恐れる彼らを優しく抱擁する、
その姿には"いのち"を慈しむ「母なるもの」の原像が鮮やかに結像している。
それは、十年にもわたって抑圧されてきた、母への渇望の極みについに成就した、
母との合一、一体化による、トラウマの超克だった。

怒り狂う相手を無言で見つめるすずの顔には恐れも怒りもない。
その静謐な表情には、ただ一つの揺るぎない信念だけが認められるようだ、
一人の少女の心の極限が定着されたこのシーンに自分は圧倒され、息を呑んだ。
細田守が渾身の力を込めたこのカットを言葉で言い表す必要はないかも知れない。
だが、ここまで掘り起こしてきた文脈に即して、敢えて言いたい思いにも駆られる。
そこに具現しているもの、それはおそらく、"いのちの尊厳"といわれるもの、
そして、"いのち"の価値への無限の信頼なのではないだろうか。・・・
{/netabare}



細田守作品は一貫して、人と人との関係の在り方を問い続けている。
Ⅰ章で「当事者性」、Ⅱ章では「いのち」というモチーフを仮設的に措定し、
複層的な構造に対応するアクチュアルなテーマ性と普遍的なそれとを並置してみた。
最終的にはそれらを「関係性」という固有の枠組みの中に落とし込むことで、
本作のテーマとメッセージは完全に開示されるように思われる。

一言でいえば、それは"人格的なもの"への固有の志向性である。
喩えるなら、ベルが竜に向けた"あなた"という呼びかけの中に響いていたもの。
また、他者の"いのち"に向かう姿勢にはその契機が必然的に内在している。
愛情にもとづく関係は、生物的な自然に根差すがゆえに歪められるがちだが、
それを人格的なものに高める努力によって、関係は真実なものになる。
すずの再生には一面、こうした心の成長が重ねられていると見ることもできる。

Ⅰ章を5月に投稿してから、今回の投稿までに実に3ヶ月を要した。
それにも拘らず、作品内部の脈絡を掘り返す迂遠な作業にのみ終始して
やっとテーマの入口に辿り着いたところで切り上げるのは、何とも間抜けな話だが、
本作を語るべき最適任者が他におられるがゆえの、これは戦略的撤退なのである。
その方は拙稿への引用を快諾して下さった上に、作品の真の理解にまで導いて下さった。
末筆となってしまったが、衷心よりの感謝をここに記すことをお許し願いたい。

投稿 : 2022/09/29
閲覧 : 1654
サンキュー:

22

ネタバレ

タイラーオースティン さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

既視感のある作品

冒頭がサマーウォーズのそれみたいな感じで、それは終盤で親しい同級生や大人たちが集合しているところでもそれを感じさせましたが、正直、サマーウォーズの時のような怒涛の熱い展開に比べると本作は淡々としていた印象でした。

また、主人公のアバターであるBellに、竜との関係は確かに美女と野獣て感じで威圧感のあるデカい屋敷の中でやりとりをして追い返される所とか徐々に距離を縮めていくところとかそうでしたが、そこからのドメスティックバイオレンス等の扱うのが難しいテーマへの踏み込みがイマイチで、伝わらないものがありました。

引っ込み思案だった主人公が単身で東京へ行く等の行動力を見せたりと成長が見られたのは良かったのですが、歌と映像ありきの作品という印象でした。

投稿 : 2022/09/28
閲覧 : 103
サンキュー:

11

ネタバレ

ハニワピンコ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.0 作画 : 4.0 声優 : 2.5 音楽 : 4.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

要らない設定とキャラと展開を長々とやっている作品

『ぼくらのウォーゲーム!』や『サマーウォーズ』のような設定や展開は万策尽きたと言った感じなのかな。設定にもはや新しみも先見性も無く、結局は現代社会の問題(なのかは分からない程ありきたりすぎる)をメインにして大した深みもない事をゴリ押しているからつまらない。デジモンを3回見た方がマシ

歌に関しては普通にサビをテレビなんかで聞いていたから耳に残ってはいたけど、そのサビ以外はもう思い出せない
公開後かなり経過した後に映画館で観て唯一良かったと思えた点は最初の歌唱シーン。あそこは演出も歌も純粋に良かったと思う

声優に関してはセリフとセリフの間に挟まる息「あっ」や「やっ」などの感嘆詞まで一々声優に演技させていて、現実っぽいママやっているのが"アニメの演技"としては不要なのに、それを最初っからずっとやっているのが細田守

この作品、上手くいけば仮想空間と現実世界における自身の問題に関して面白い展開や投げかけが出来そうだったのに、どちらも上手く描こうとして失敗したパターンだと思う

主人公の過去にあった出来事から心情の変化やラストの行動のきっかけとなっているのが、一応"竜"という位置付けで、竜と関わっていく中で、自身はどうするべきかと言うことを考え行動していく
物語が進んでいく中で仮想空間に於いて自身が成した事とはみたいな展開は普通に良かったと思う
ただ、そのラストの締めに現代の問題を入れて、実はヒーローぶっているだけで気付いて貰いたかったみたいな展開は、唐突が過ぎるし、展開としても行動に理解を示すのは難しい。その理解の為に圧倒的弱者と虐げている人を適当に置いて納得させようとしているのも底が見えて嫌い
本当によかった所は、最初の歌唱シーンと流石のアニメーションのクオリティのみ。内容は『おおかみこどもの雨と雪』以降の細田脚本が無理ならこれも多分無理

今後も細田守は一応大ヒットは出しまくるからスポンサーに金出されて作り続けるのかな

投稿 : 2022/09/27
閲覧 : 123
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13

ネタバレ

タック二階堂 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

あれっ?いつから俺は「美女と野獣」を観ていたんだ?

と思わされるほど、いろいろとディズニー「美女と野獣」です。

公開直後から酷評の嵐で、「未来のミライ」が酷かったり、「バケモノの子」が途中で観るのをやめてしまったりと、とにかく細田守作品で手痛い目に遭って来たので、この作品を劇場に観に行くのをやめたという経緯があります。

でまあ、ようやく地上波初放送ということで観ました。

結論から言えば「酷評するほど酷い出来ではない」といったところ。

いろいろと良作になり得た要素はあるんですね。そして、細田守監督お得意のサイバー空間。「サマーウォーズ」よ、再び! という号令が出たか出なかったかわかりませんが、ここんところの「自分が子育てをして感じたところをアニメにしてみました」といった、「おおかみこどもの雨と雪」からの子育てストーリーからの脱却という作品でした。

まあ、新海誠監督の、かわいい娘がいるのに自分の趣味全開の「JK大好き」アニメを作るというベクトルとは、違った方向でアニメを作るというスタンスは否定しません。

ただ、それが面白いかどうかは別の話で。

で、本作ですが、いろいろとヒアリングをしたのでしょう。オタク(+非オタの若者層)に受ける作品は、どんなものかという。で、出した結論としてJKを主人公に据えた、サイバーな空間を舞台にしたストーリーだと。

間違っちゃいないんだけど、どの要素も「俺は『美女と野獣』が好きだから、それっぽい映画を作りたい」という感情によって、すべて中途半端にされてしまったのが残念ポイント。

歌をメインにするため、マイナーなシンガーを主役のJKに抜擢(しかも、けっこうな年齢…ごほんげふん)。結局「2ちゃん文化」から抜け出せない、よくある類型的なネット民の描写。説明不足な上に、映画の尺では足りないもんだから、かなり乱暴なストーリー展開…

いやホント、もったいないという印象でした。
結局、主人公と幼なじみの青年との進展もないし、そもそも母親が心底どうでもいい他人の子を命を懸けて助けに行くのも、「おおかみこども」の親父オオカミがあっさり死んでしまうのと同じようなあっけなさ。

でまあ、それが伏線だとばかりに、主人公も心底どうでもいいネット上のDVを受けている他人の子供たちを助けに、高知から川崎まで行くんです。大人もその場にいたのにね。陰キャのJKが一人で行って、何ができると思ったのか…

で、逃げない勇気を目の当たりにしたDV父親が腰を抜かして逃げていくという。そんな馬鹿なw

とまあ、ツッコミどころは満載です。
でも、それを差し引いても、面白くなり得た可能性はあったんですよね。うーん、もったいない…

投稿 : 2022/09/26
閲覧 : 123
サンキュー:

4

とらお さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

時代においてけぼりでは?

細田守監督渾身の最新作ですが、発想は最先端ではなかったような

現代のネットで顔出しを拒む層はアバターで成り立っているコミュニティーでしょう
メタバースの元祖『セカンドライフ』は竜そばの『U』に近い気がします
たぶん着想を得たんでしょうねえ細田さん、2003年のゲームだもん
いやいやいや、YouTubeの時代にコソコソしとらんよ現代人は!

日本のメタバースは『アメーバピグ』が元祖かな
近年では『あつまれどうぶつの森』が代表格でしょうか
こういったメタバースゲームも実況プレイから今やリアクション動画になって顔出しっすよ
SNSでもそこいらのガキが10秒動画で顔出し発信者になっている
そんな匿名性が薄れた現代ネットの環境が当たり前な我々が竜そばを見たら、
どうにも前時代的な作りに感じました
「サマーウォーズ」から時止まってますよ
2015年「バケモノの子」ではなく竜そばを出せてればギリ間に合ったのになあ
『好きなことで生きていく』なんて発信者が言ってた年代だしバッチリはまったでしょ


こんなデジタル絵のNFTアートで日本のママさんでも13億円もうかる
https://www.youtube.com/shorts/bIC3HY5nzpY
80年代風の絵柄がハマると読んでヒットさせたが才能はアニメーターがはるかに上です
だから一般人は夢が持てるし夢見る人に刺さってしまうのかもしれない


次はNFTゲームだ!と着想を得てメタバースで芸術家になる未成年なんて構想を持っちゃダメだよ細田さん!
作品が出来上がっても古い、なんて二の舞はせんで下さい

投稿 : 2022/09/26
閲覧 : 109
サンキュー:

5

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:----

絵と歌だけですが何か?

映像と歌だけの雰囲気アニメと言われてもまあその通りな話題作。批判の数々はまったくもって仰る通りと言う他無いが個人的にはどちらかと言えばアリ。大きいスクリーンで映像を楽しむ前提かな。久々に映画館で観たかったと思わせてくれた素敵な映像作品。話はフツー。

Twitterなど眺めてると活躍するステージが変わってしまい古参ファンが叩きまくる構図はブレイクしたバンドや芸能人にも通ずる印象。熱狂的な信者から商業主義に堕ちたとまで評される新海誠同様に、著しい成長は痛みを伴うものということだろうか。企画自体はどうみてもリア充相手のデートムービーなので深夜アニメファン向けでないことは明らか。ヒット作のある著名監督であればこそ批判はつきものだが、世界で勝負するためのステップアップとしてはまずまずの結果だと思われる。

批判が多いのを承知で観てもあまりに言われているまんまなのでいちいち納得しつつ半笑いしながら試聴。劇場版アニメというよりアニメで作った映画って感触なので好みの問題か。様々な交際や趣味の片手間に話題作しか観ない連中は人間の本質…とか考えさせられる…とかはリアルで済ませてるので、深くて濃くて重い要素はアニメには不要で気楽に観るものという認識が多数派かもしれない。キャラがアニメ声優のアニメ芝居でないのも一般人には嬉しい配慮なんでしょう。

主要ターゲットのニーズに応えられているかという点では、映像が綺麗で歌も上手くてハッピーエンドでよかったね!てなところで合格点なんでしょう。それ以上でもそれ以下でもないしそれでいいんだと思う。細田さんはもうサマーウォーズみたいなオタク向けアニメは作る気ないんでしょうね。

投稿 : 2022/09/25
閲覧 : 98
ネタバレ

やまげん さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6
物語 : 1.5 作画 : 3.5 声優 : 5.0 音楽 : 1.5 キャラ : 1.5 状態:観終わった

言うほど映像が美しいか?

深夜アニメではないので、どのような層を狙って作られているのかわからず、自分は制作側が狙っている年代とは違うのかもしれないが、感想としては、記憶に残るつまらなさだった。

{netabare}学校パートで、すずがしのぶくんから告白されたとかで、メッセージアプリ上で攻撃されるシーンがあるが、これはリアリティのある描写なんだろうか。もはや学生でなくなって久しいのでわからないが、なんだかキモオタの妄想のようで気持ち悪かった。

ラスト部分では、虐待場所の発見という意味ではすずが顔をさらした意味がなくて、えっ!?となった。
すずが高知から一人で虐待親のいる東京に行くことを許したママさんコーラス隊には、「あなた方は自分の高校生の子供が虐待をしている親のところに行こうとしているときにも一人で行かせるんですか?」と問いたい。{/netabare}

声優の演技は、どのキャラも聞いていてイライラするほどの下手さ。
しかし、この作品はそもそも物語自体に問題があるので、誰が演じてもすべったようになるだろうし、プロが演じたらなおさら物語の完成度との差が浮き彫りになるだろう。
そういう意味では、プロ声優がこの作品の犠牲にならずに済んだともいえるので、声優(主に配役)の評価としてはむしろ満点だと思う。

歌はこの作品の重要な要素だと思うのだが、はっきり言って全然良い曲とは思えなかった。

投稿 : 2022/09/25
閲覧 : 99
サンキュー:

3

「ひろ。」 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 2.0 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

先日の金曜ロードショーで初視聴。

公開当時のCMであまり期待持ててなかったので
すぐ中断するつもりで観始めたのですが
案外すんなり最後まで観れてしまいました^^。


序盤から最後までずっと感じてたのは
「サマーウォーズ」の骨格そのまんま使いまわし??・・っていう印象。
主人公の性格や、ネットの位置づけ、盛り上げ方等、似てることが多いし
登場キャラやその立ち位置等を入れ替えて再構成??・・って思えた。
キャラデザインも良く似ているのでなおさら。


主人公の歌は、独特な雰囲気に仕上がってたので
この世界観にはまずまずあっていたと思うが
あそこまでの人数を魅了・・となると誇張しすぎ感も・・。

エンドロールの中村佳穂さんの名前を見てはじめて歌声の主を知りました。
中村佳穂さんは、過去に関ジャムで紹介されていたのが気になって
アルバム「AINOU」をサブスクでDLして聴いたことがあるのですが
本作とは雰囲気が違ってたので少し驚きました。

さらにwiki見て知ったのですが
中村佳穂さん、すずの声も演じられていたのですね!!(こっちのが驚き強い)。
どおりで歌声に関しても説得力があるわけか(納得)。


終盤の展開に少し違和感があったものの
歌の魅力もあってか最後まで観終えることができました。

ちょっと気になってネットでのいろんな感想探してみたら
・・けっこう本作○かれてるんですね。

確かに、いろんな場面(特に終盤)の展開ちょっと難ありなのは同感です。
トータルで穴埋めできて・・ないかもです。。
そばかすの姫と竜の関係も、いまいちピンとこない。


エンドロールでの驚きその2!。
宮野真守さん、本作出てたんですね!!。

え?。どこにいましたw??。

わからなくて再度wikiへ。
ひとかわむい太郎 & ぐっとこらえ丸!!?。
たしかに自分の中でココロがひっかかったシーンの1つですわ!(誉め言葉)。


あと、個人的によかったシーンは
駅の改札での、主人公と某2人とのシーンです。
ここはよかった^^。


本作観て気に(不安に)なったのは、ネット・SNS等のネガティブイメージ。
こんなことまで気にしながら生活しなきゃいけないの?、現代・これからも。
 
 

投稿 : 2022/09/24
閲覧 : 247
サンキュー:

18

オカルトマン さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 2.5 作画 : 2.5 声優 : 2.5 音楽 : 2.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

感想

期待外れ感がすごい

私はサマーウォーズが大好きです。
アニメ映画の中で一番好きかもしれません。

今回はその細田監督が同じシチュエーションの仮想空間を題材にした
アニメって事でめちゃくちゃ期待してました。

でも全然面白くなかった。がっかりした。

投稿 : 2022/09/21
閲覧 : 151
サンキュー:

3

ネタバレ

シボ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

劇場で観た予告編が凄かっただけに・・・。

劇場の予告編を観た時のクジラが出てくる仮想空間の映像の凄さが
印象に残ってた作品です。
今回、配信で見つけてようやく視聴出来ました。

母を目の前で失ったトラウマを抱えるヒロインの少女すず。

残された家族は、ただでさえ悲しくて苦しい中
ニュースになっただろう母の行動に
様々な他人の意見、心無い声にさらされることが幼き少女に
大きな心の傷を刻んだんでしょう。

高校生になってもいまだ心の傷は癒えていません。
そんな彼女が
仮想世界で「ベル」として人気の歌姫になっていく序盤は
そのネット上の圧倒的な美しさ、そして物凄い数のアバター?達
が自由に飛び回る映像の凄さに何度となく見とれてしまいました。

仮想世界では嫌われ者の竜がその正体について多くの中傷や
怪しいというだけで間違った人への攻撃が行われています。
現実世界では幼馴染でイケメンのしのぶ君を誘惑したとの勘違いで
すずが炎上しかけます。

どちらの世界であれ真実とは別に誘導されていく噂や誤情報。
悪意のある言葉による攻撃の怖さが描かれています。

仮想世界で孤立する竜の心をベルが癒していく展開は正に
「美女と野獣」
そのままって感じで、このまま引き裂かれようとする二人の愛の
物語なのかなって観てました。

ところが、その竜の正体は虐待を受けてた子供だったって展開は
正直、え・・・・そうなるの?ってなっちゃいました。

それでも仮想空間内でベルの歌声を心待ちにする聴衆の前で
現実の姿を晒して心を込めて「はなればなれの君へ」を
歌い上げるすずの姿は胸に来るもの
あったし、その映像の美しさは思わず涙出るくらい感動しました!

ただ終盤の展開は駆け足感が強くてあれれ?って感じました。

仮想空間では竜の居場所を突き止めるのに苦労したり
正義面する輩から逃げたり色々大変だったのに
現実世界ではあっさりと兄弟と出会えて、暴力父親もすず一人で
撃退しちゃいます。
さすがにちょっと強引かな?って。

そして恋の行方も
自分的には美女と野獣を意識していたせいもあってか
竜としんじ君とすずの三角関係はどうまとめるのかなって思ってたら
初めから竜の子供はそういいうのじゃないんだ~ってなっちゃうのが
仮想空間では良い感じだったので、あっけないなって思いました。

予告編で期待してたほどではなかったけど
圧倒的な仮想空間での歌唱シーンはまた観たいです。

投稿 : 2022/09/19
閲覧 : 155
サンキュー:

25

ネタバレ

pikotan さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 2.5 作画 : 4.5 声優 : 2.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

良かったのは映像だけ

仮装世界ユーの美しさやスケール感など映像面は素晴らしいと感じましたが、物語に関してはキャラクター達の行動に疑問を感じる箇所が幾つかありました。
例えば、すずのお母さんが子供を助けるため川に入っていく場面。
周りに沢山の人がいるのに誰もお母さんを止めない或いは子供の救助に協力しないというのは不自然で、お母さんを故人にするためのイベントに感じてしまいました。
また、後半では虐待を受けていた恵(竜)をすずが助けに向かいますが、虐待が発生している現場に子供(すず)一人が行くというのも不自然です。
周りにいたおばさん達は、助けに行ったすずも虐待される可能性を想像しなかったのでしょうか。
すずを車で駅まで送り届けるだけではなく、絶対に大人が同行すべき場面です。
すずを煽る忍も気に入りません。大人が行かないなら、せめてお前は一緒に行けと言いたいです。
更には、恵達の居場所を特定(特定と言っても大雑把だけど)できたことや、すずが高知から東京に行くまで相当な時間がかかっているにも関わらず、すずと恵がタイミングよく路上で出会えたのも有り得ないです。ファンタジーならそれでも構いませんが、この作品はリアル志向ですよね。
なぜ舞台を高知と東京にしたのか。すずが都内在住であれば、まだリアリティを感じられるのですが…。

時をかける少女とサマーウォーズは好きですが、その後の作品は好きになれません。
巨匠と呼ばれるようになると、どうして皆さん社会問題を取り入れた作品を作りたがるのでしょうか。
社会問題を扱いたいなら実写のドキュメンタリー映画でも作れば良いのでは。
個人的にはアニメ映画は夢と希望に溢れた娯楽作品にして欲しいです。

また、この手の劇場アニメの共通事項として主要キャラの声がプロ声優ではないことも、毎回のことながら不満です。
例えば演劇を観に行って俳優のセリフが棒読みだったら観客は満足できますか?できませんよね。
それと同じで、無料で観られるTVアニメなら許容できても、お金を取る劇場作品で棒読みなのは気になります。
稀にキャラクターと声がマッチして棒読みでも自然に思えることがありますが、大抵は声が浮きまくって違和感しかありません。
話題作りや観客動員のために有名タレント等を使うなら、モブキャラの声に限定して欲しいです。

投稿 : 2022/08/27
閲覧 : 164
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7

みのるし さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ものすごいよかったです。

とはいっても非の打ちどころがない名作とゆうことではもちろんありません。
だからといって粗削りで思いが炸裂したアーティスティックな作品とゆうわけでもなく。

でもなんかよかったですよ。
2回見ちゃいました。てか何回も見たいです。

よくわかんないんですけどとりあえず細田さんの話ボク好きなんですよね。

それなんでそうなるのよ!って思うところもあるんですが、でもそうあってほしいな。そうだったらいいなと後から後から思っちゃうんですよね。

なので細田さんの映画見た時って見終わってしばらーくしてからなんか泣けてきちゃうんですよね。


なんか細田さんに厳しい批評をされる方多いですけど、みなさん書かれていることなるほどなあと。そのとおりかもなあと思います。

このハナシとゆうか細田さんの話のどおゆうところがいいのかといいますとね、今回の話もなんかまあいろいろあるんですけど、結局どうもなってないんですよね。

よく考えて見るとあんまし今までと変わらんままハナシ終わんですよ。

サマーウォーズとかと見比べたらそこいらへんの物語の終わらせ方がもう全然違うことになってる。


んで、最終的に落としどころは何だとゆうと親父とカツオのたたきを一緒に食えるようになったとゆうことで。

そおゆうところです。


もうボクなんかそこ思い出してあとから一人で飯食いながらビービー泣いてるわけです。


変でしょう???

ボクは今の細田さん好きですよ。

時かけやサマーウォーズもよかったですけどね。もちろん。
でももうたぶんそおゆうハナシはやりたくないんじゃあないかなあとボク的には漠然と思ったりします。


そおゆう甘酸っぱい話はね。もういいよね。みたいな。

・・・ちがうかなぁ。


まま。なんかそうゆうふうに思いました。

投稿 : 2022/08/23
閲覧 : 138
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13

mmmegane さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

音楽はよかった

音楽はとてもよかった。
ストーリーは微妙だった。最後何も解決してない気がする。

投稿 : 2022/08/18
閲覧 : 82
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0

ネタバレ

ato00 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 2.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

「そばかすなんて気にしないわ♬」くらいの気概が欲しかったです。

感想を二言で言うと「強引」、そしてなんか「解せん」。
色んな所がぶつ切りで、繋がりが希薄。
感情移入できたものじゃないです。

それに拍車をかけて、声優さんが壊滅状態。
例えると、かき氷に醤油をかけた感じ。
とても食えたものではありません。

それに対し、作画は申し分ありません。
南国高知の風景が明瞭かつ清々しい。
増してや、サイバー空間が壮大で幻惑的。
Belleのビジュアルもなかなかのものです。
円らな瞳がそばかすで引き立ち、クリアーな顔立ちです。
そして、Belleの歌には近未来的な艶めかしさがあります。

{netabare}視聴中、竜って誰って思っていました。
最後に竜の正体がわかった時には呆然です。
なんとかならなかったのかな。
そこが肝だと思うんですけど・・・{/netabare}

細田監督の作品って、シナリオが甘い。
何を描こうとしているのか?
何を言わんとしているのか?
自己満足のにおいがします。
せめて、声優さんだけでもなんとかなりませんか。

投稿 : 2022/08/07
閲覧 : 241
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16

ネタバレ

シワーる さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 1.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

ディズニー臭い

現実と仮想現実の世界とを対比して女子高生主人公の成長する姿が描かれている。仮想現実の世界はディズニー臭くて、これは「美女と野獣」の再解釈なのかなと思った。
が、細かい点が真実味がなくて、話に没入できなかった。女子高生主人公の歌う歌詞も陳腐に感じた。ロマンチストの中学生男子が作ったようなストーリーで、せっかく作画が良くても見終わってげんなりした。
{netabare}終わりの方で主人公が自身の姿を明かして歌うのだが、感動の押し売りという感じがした。 {/netabare}

投稿 : 2022/08/03
閲覧 : 115
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0

ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 2.5 作画 : 4.5 声優 : 2.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

良いところがあるはずなのに、好きになりきれない。

【概要】

アニメーション制作:スタジオ地図
2021年7月16日に公開された121分間の劇場版アニメ。

原作・監督・脚本は、細田守。

【あらすじ】

高知の片田舎に住む17歳の地味な女子高生の内藤鈴(すず)は、

幼い頃に水難事故で仲の良かった母親を失ったことと、
増水した川で他所の子供を助けて死んだ母親の行為がインターネットで、
『ヒーロー気取り』『自分の子供に無責任』『自殺行為』とバッシングされたことで、
幼かったすずの心に深い傷を残していた。

母親と一緒に歌うのが大好きだった子供が、
高校生になった今では、卑屈で内向的になってしまっていて、
他人との距離感が掴めない。たまにカラオケに誘われても歌えない。
クラスメイトと一緒に笑ったりして馴染むことが出来ない浮いた存在。
家でも父親と会話がギクシャクとした湿っぽい状態になっていた。

そんなある日、たったひとりの親友のヒロちゃんから、
全世界で50億人のアカウントを持つ、
インターネット上の仮想世界の「U(ユー)」への、
招待メールが鈴に送られた。

仮想世界のユーでは、ユーザーアカウントには「As(アズ)」
と呼ばれるアバターが作成される。

鈴がアズの外見設定でクラスの集合写真を使ったら、
一つ隣に映っていたクラスの人気者であるルカちゃんを、
AIが拾ってしまい。ルカちゃんを元にした美人なアバターが出来てしまった。
キャンセルしようとした鈴ではあったが、
アバターの顔に現実の自分の顔にもあるそばかすが合成されたことで、
そのまま自分の名前を元に「ベル(Belle)」と名付けた。

ユーの世界に入り込んだベルは、ボディシェアリング技術が、
その人の隠された能力を無理やり引っ張り出すことで、
現実の鈴がトラウマで出せなくなってた歌声を出せるようになっていて、
最初は冷ややかな反応を浴びながらも、
歌唱力と心を打つメロディとヒロちゃんのネット上のプロデュースで、
数ヵ月後にベルは、数多の称賛と批判を浴び続ける、
ユーを代表する世界的な歌姫となっていた。

ユーではベルの正体は誰?という話題で持ち切りだが、
世界の誰もが、極東の島国の冴えない女子高生であることに至らず、
鈴も自分がベルであることをヒロちゃんと二人だけの秘密にしていた。

現実での鈴は、女子から人気のある幼なじみの忍に気にかけられては、
俯いてしまう内気なままであったが、
それが忍を好きな女子たちからの不評を買う原因になっていた。

そして、ユーの世界で数億人の視聴者の前での、
ベルの初ライブが開かれることになったのだが、
途中で竜と自警団の乱入がして暴れまわったことでコンサートは中止に。
コンサートが潰されたことでネットの住民の怒りは竜に向かうことになり、
竜の正体暴きでネットがヒートアップするのだった。

【感想】

知名度や売上では日本では上位の存在なのにも関わらず、
「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」「未来のミライ」
が面白いと全く思わなかった自分には、細田守は鬼門なのかもしれません。

アニメ監督という職業は存在しなく、監督とは役職ですが、
監督の仕事は、自分ができない仕事を人にやってもらって、
作品としてまとめていく。特に演出家が各話の実質監督であるテレビシリーズと違い、
劇場版は監督の色が強く出やすいものですが、細田監督作品は、
作画芝居が魅力的でなかったり、家庭を持った細田監督の固有の女性観や家族観が、
映画にダイレクトに反映されていくのが個人的に苦手でした。

今回も評価が真っ二つなアニメである「竜とそばかすの姫」ですが、
まずは、主人公ベルのライブシーンと仮想世界ユーの説明が導入部であり、
超高層ビルが乱立して巨大なクジラが浮かぶバーチャル空間(メタバース)
はカラフルで派手な視覚の演出で彩られていて、
今回はどうすれば目を引くかと顧客の目線を意識したかの内容でしょうか?
それは、国内外問わず多数のクリエイターの力を借りて、
CGの非現実的なインターネット空間がデザインされています。
やはり、アニメとは大勢の力が寄り集まって出来るものですね。

開始から3分までずっと仮想世界でベルが歌っていて、
やはりアニメは自分の主張や趣味を表現するだけでなくて、視聴者が楽しめないと!
ということで、細田守氏もエンタメに目覚めたのでしょうか?

と思ったのですが、そこから続く現実世界のシーンが意図的なのでしょうけどパッとしないですね。

マイナス思考からのスタート。メソメソウジウジしていた陰キャ少女の鈴が、
ネットでベルという大スターになったのをきっかけとした出来事を通して、
幼少期に他所の子供を助けて自分を残して死んでいった母親の思いを理解してのトラウマ克服。
その心の流れを理解して鈴に感情移入できるか?が評価が分かれるポイントでしょうかね。
コンプレックスを抱えて生きる現代の若者に向けた、弱い人に向けた希望を与えるメッセージ。
それを志向した作品であるように見えました。

この作品を最初見たときは、主人公の鈴は見た目も声も湿っぽくて、
彼女がトラウマで黄土色に嘔吐するシーンで、このアニメ大丈夫か?と思いました。

心にヒビが入っていて深く落ち込んでいて、そこから這い上がる苦しさに勝てないのが鈴ですが、
コミュ障で喋り慣れてない人間という彼女のパーソナリティの再現には、
本職の声優さんと比べれば聞き取りにくい声質と滑舌であるのは事実ですが、
主演の中村佳穂さんの芝居は役に入り込んで合致してたと思います。

前作の「未来のミライ」のクンちゃんの声があまりにもアレ過ぎたので、
比較すると寛大な気持ちで聴いていられるのも大きいですけどね。

その鈴の人柄や前進や脇役らの青春ぽい話は実はそれほど嫌いじゃなかったりします。
しかしながら、多くの方のご指摘どおりにシナリオが変といえば変かも。

細田監督の大ヒット作である「サマーウォーズ」と比較すると、
ネット社会の暗部や病理に踏み込んでいるのですが、
基本匿名で暴れたり誹謗中傷するのが心無いネット住民。
管理しないユーの運営会社。その運営に成り代わって管理者気取りの狂った自警団。
というのがこのアニメでのネット世界の病理。

現実のネットでは実名・匿名関係なく攻撃的なアカウントが存在しますし、
マスコミや市民団体などと結託して特定個人の名誉を根こそぎ破壊しようとする、
亡くなった人の生前の業績を貶めたり、悪いことをしたから死んだ自業自得!
と逆に殺人犯を被害者として美化する狂った人たちも居ます。
それは根拠の薄い思い込みで、自分が絶対的に正しいと魔女狩りに等しい狂気。
反証をいくら見せられても事実を脳内で改ざんする、ご都合主義。
それは、陰謀論を信じる者や反ワクチン派にも共通する精神的な特徴です。

創作で『酷いネット民』を見せつけても、
リアルのネットでの一定の人々が創作の何十倍も酷い心の持ち主である事実を知ってしまうと、

フィクションはどんなにうまく出来たとしても虚構であり、
アニメの中で「本物の歌」と「偽りのない心」で人々の心を感動させる話を作っても、
その伝えたい事がしょせんはふわふわした絵空事に見えてしまうのですよね。
アニメで表現された理想や希望を否定するのも本当は虚しい行為ですけどね。

・単純に、このアニメを観た時期が悪かった。
・この手の話を素直に信じられなくなった自分の心の問題でしか無い。

もし、この感想を読んで気を悪くした方がいましたら、そう受け取ってください。

美しい歌と美しい映像が、細田守氏の演出力と合体して、
ライブシーンは本当に素晴らしいことは認めます。
クライマックスの歌うシーンは本当に圧巻でした。

しかし、ライブのあとの結末にいたるまでの話はパッとしませんね。
ユーの世界で乱暴者だった竜の正体を知って救いに行くのですが、
ラストの感動シーンの状況を作り上げるための下準備として、
合唱隊の5人の中高年女性など鈴の周りの登場人物の行動がいちいち不自然なのですよね。
それは、鈴の母親が死んだ事件で河原には何十人もの大人がいたのにも関わらずに、
天候が悪くて中州に取り残された危ない状況の子供を助けにいったのが鈴の母親一人で、
周りの大人たちは全員がカカシ同然で不注意でもなく鈴の母親を見殺しにしてしまった。

みたく、話の都合でキャラが動かされてるなって感じが随所にありまして、
結局は感傷に浸るよりも、登場人物の動きなどの脚本のアラが個人的には勝ってしまったかな。

考えるより感じろなアニメに対して、それに重箱の隅をつつくに等しい行為ですが、
私としては、しっくりこない話ということで体感時間で冗長に感じられたり、
内容的にも没入して感動するといったことが出来なかったというのが正直なところでしたね。


これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2022/07/26
閲覧 : 255
サンキュー:

37

ネタバレ

てとてと さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 2.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

メタバース?を題材にした、細田守映画。テーマは良いがあまり面白くない

細田監督の6作目。120分ちょい。
仮想現実を舞台に歌が好きだった少女が本当の自分取り戻したりなお話。
※作品データベース様より一部修正投稿

【良い点】
2020年代のトレンドである「メタバース」を描いた意欲作。
「デジモンアドベンチャー」や「サマーウォーズ」を手掛けた細田守監督の持ち味を、2020年代に合わせてきている。
SNSなどのネット上で繋がり過ぎる負の側面を強調、今日的なテーマ性あり、示唆に富んでいる。
面白いかは別として、2020年代の時代性を鋭く突いている点は評価。
匿名性の暴力や悪意、リアルでも仮想空間でも怯えて自由に生きづらい世界を、美麗な映像も交えてファンタスティックに表現した。

「U」の世界は美しいが、仮想空間の雑踏は魑魅魍魎蠢いている。
そんなセカイで、幼い頃母を亡くしたトラウマで本当の自分を出せずにいるヒロインが、仮想世界で荒れている竜との出逢いで成長する。
見ず知らずの子供救い命落とした母の気高さと対比させて、本物の善意とは?と分かり易く問いかけていた。

美女と野獣めいた構図がメルヘンチック。歌を主軸に据えており楽曲面で魅せる。
青春ラブコメ要素もあり。

人との繋がりが大事というサマーウォーズ以来の展開もちゃんとある。
合唱部のおばちゃん達の強キャラ感は細田監督らしくて良かった。

【悪い点】
終始陰気でギスギスしている。楽しくない。

仮想現実、匿名コミュニケーションの負の側面に傾倒し過ぎている。
中盤の同級生からの炎上事件とか、とにかくネットのコミュニティーをネガティブに描くのに終始している。
仮想現実風刺は意地悪く見ると今更感、正義厨ジャスティスとか分かり易い害悪だけど、決着が中途半端。
終盤の毒親との対決も消化不良でモヤモヤ感。

仮想現実を痛烈に風刺する一方で、仮想現実ならではのポジティブな展望を示せなかった。
仮想現実だから奇跡起こせたように見えるが、薄っぺらい。

世界観や設定の細かいところでツッコミ所が多い。
竜よりもジャスティスの横暴がまかり通っていたり、全世界50億のユーザーがいる割に話のスケールが小さかったり。

クライマックスでヒロインが匿名性捨てて歌で訴えたシーン。
楽曲とノリで誤魔化してくれてはいたが、仮想現実の全否定とも取れてしまう。この結論は釈然としないというか、些か時代遅れ。
現代人が自分らしくある為には匿名性はNG?いやいや、そうじゃないだろ…
言いたい事は分かる、多分間違ってもいない。
ただ、旧態依然の価値観で昨今のコミュニケーションの現実を否定するだけではダメだと思う。

竜の正体が、モブの一人だった作劇構造もイマイチ。盛り上がる王道を外しラブコメとしては軸がブレてしまった。
仮にもう一度視聴する場合、竜とのロマンスな視点では見れないし、幼馴染も微妙だし。
まあ、もし幼馴染君だったらベタ過ぎたかも知れないが。
幼馴染にも共感できない。

キャラデザが可愛くないのもマイナス。
ベルとか、ディズニーぽいキャラデザはニガテなので。
どちらかというとリアルの方が可愛いくらいだけど、作品中の評価と逆なので、それはそれで違和感。
背景作画も仮想世界は良いが、現実世界が写実的過ぎてアニメとしては風情に欠ける。
綺麗な写実的背景が良いアニメとは限らない。
(作画評価4.5→4)

【総合評価】2~3点
今日的なSNSのディスコミュニケーションを痛烈に風刺した意欲作ではあるが、あんまり面白くない。
評価は普通か迷う、ちょっと厳しいが「悪い」

デジモンやサマーウォーズの頃は、まだ夢もキボーもあった。仮想現実やインターネットにポジティブな展望があった。
それから10年20年経った現在、監督の(監督だけでなく自分らも)夢や幻想が消えてしまったというか、消えざるを得なかったというか。
たぶん細田監督は悪くない、時代が悪いんだよ…

【余談】
仮想現実(拡張現実)を題材にしたアニメ映画としては2017年の「ソードアート・オンライン-オーディナル・スケール-」
の方が断然良い。
SAOって軽薄な中二病作品の代表格的な見られ方されがちだけど、仮想現実との向き合い方というテーマに関しては
ちゃんと真摯に向き合った末にポジティブな展望を示せている。SF作品として幅広い支持得ているのには理由がある。

投稿 : 2022/07/17
閲覧 : 173
サンキュー:

12

たいが さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.2
物語 : 1.0 作画 : 4.5 声優 : 1.5 音楽 : 3.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

おもしろくない

まずサマーウォーズに似た世界観に白ける。
細田守は、サマーウォーズがヒットしたからって頼っているのか?
正直、見苦しい。

ダメ出しポイントは沢山あるが、結局「キャラが多い」に尽きる。
キャラが多すぎて、名前すら思い出せない。
そのうえ存在意義のないキャラが多すぎて、主人公ヒロインに焦点を当て切れていない。
「1クール」と勘違いしてなかろうか?これが「映画」である。
よく分らんキャラ描写が多すぎて、肝心の主要人物の心情が驚く程伝わってこない。本当に伝わってこない。
通常、会話に多少の伏線を持たせたりと、楽しめるものだが、それも無し。
終わってから「あの会話なんだったんだ。ただの陰口じゃん」と思うと胸糞悪い。

・物語を誤魔化す様な音楽。
・尺伸ばしのカット。
・すぐ泣くヒロイン。
・謎の超展開
これらが演出といえば聞こえは良いが、素人が見苦しいと感じてしまう点で既に失格。

細田守の映画はどんどんつまらなくなっている。
次に細田映画が公開されても映画館に金払って足を運ぶことは無い。
地上波放送で片手間に見るので十分。そんな印象になった。
細田守は超展開に向いてないと気づいた方がいい。

あまりのつまらさに、何度途中退出しようと思ったことか。
映画が終わった瞬間、映画館内に響き渡る程の声量で発狂した
い気持ちを抑えて席から立った。
一緒にみにきた友達は「まじ?www」と気持ちを抑えきれなかった模様。
その後の感想トークは他の映画に負けないぐらい盛り上がりました。


作画は綺麗だったので聖地巡礼好きの私には嬉しかった。
ストーリーを忘れたら聖地に行こうと思う。

投稿 : 2022/07/06
閲覧 : 210
サンキュー:

7

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竜とそばかすの姫のストーリー・あらすじ

高知の自然豊かな村に住む17歳の女子高生・すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずはその死をきっかけに歌うことができなくなっていた。いつの間にか父との関係にも溝が生まれ現実の世界に心を閉ざすようになっていく。曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日偶然にも、全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界<U>に「ベル」というキャラクターで参加することになる。もうひとりの自分。もうひとつの現実。もう、世界はひとりひとつじゃない。<U>では自然と歌うことができたすず(ベル)は自ら作った歌を披露し続けていく内にあっという間に世界中の人気者になっていく。そんな驚きも束の間突如轟音とともにベルの前に現れたのは竜の姿をした謎の存在だった―。(アニメ映画『竜とそばかすの姫』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2021年7月10日

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