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「竜とそばかすの姫(アニメ映画)」

総合得点
69.7
感想・評価
218
棚に入れた
614
ランキング
1687
★★★★☆ 3.6 (218)
物語
3.1
作画
4.1
声優
3.3
音楽
4.0
キャラ
3.3

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竜とそばかすの姫の感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

エイ8 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

私の戦闘力は53ロゴです

フォロワー数という戦闘力を超える企業協賛数というパワーw(尚、本当に53もあったかは知りませんw)

『竜とそばかすの姫』(りゅうとそばかすのひめ)は、スタジオ地図制作による日本のアニメーション映画。2021年7月16日に東宝配給で公開された。
50億人以上が集うインターネット仮想世界〈U〉と出会った女子高生を主人公とした物語。「ベル」というアバターで〈U〉に参加し、その歌声でたちまち世界に注目される存在になっていく一方で、竜の姿をした忌み嫌われる謎の存在と出会い、変わっていくさまが描かれる。
2022年1月に第45回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞、3月には音楽スタッフの岩崎太整、Ludvig Forssell、坂東祐大が第45回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞している(wikipedia)

とても少女漫画な世界のように思えました。表では幼い頃のトラウマを抱えた陰キャが幼馴染のハイスペ男子に溺愛されていて、裏では50億人の中で最高の人気を誇る歌い手でありながら最も嫌われ者の竜と禁断のランデブーに洒落込むという「美女と野獣」の皮を被ったよくあるワルとの恋愛もののよう。

こういうのを二つも混ぜ込むだなんてちょっと欲張りすぎやしませんかねw結局のところすずが好きなのはしのぶ君なのか竜なのかわからなくなってきます。最後に恵君とキスせーへんのかいと思っちゃいましたがよく見たら彼まだ14歳設定なんですね、そりゃさせられないかwというかさせないための14歳設定というか、竜との関係は色恋によるものではなくあくまで庇護愛に近いものなのでしょう。そう言う意味ではしのぶ君がすずに向けてる愛情に近いものがあります。

逆に考えるとすずは自分を見守ってくれていたしのぶ君のことが好きなので、恵君もそうなりかねない構造ではあります。元々ベルは竜にキスしようとしてましたし、彼が14歳でなければ乗り換え又は浮気もあったでしょうねwしのぶくんが最後これですずと「普通に付き合える」と表現しましたが、これはカップルとして付き合うのと庇護ではない普通の関係性に戻るのどっちにもとれるようにしてると思われるので、彼にも脈はあるんだと思います。

構造的に見ると色々と対比させる伏線が込められているようですし丁寧に作られているとも思いますが、逆にそのクドさが純粋なエンタメとしての楽しみを奪ってる気もしました。一昔前ならこういうのも芸術の一種として好意的に受け止められてたんでしょうが、現代はもっと脚本自体がわかりやすくないと厳しいのかもしれません。或いは逆に、ひと時のジブリアニメのような難解さ或いはエヴァのようなむせ返る匂わせがある方が良いのかも。

特にすずと竜の対比はあからさま過ぎました。ただあまりよくないなと思ったのがすずのペットに障害がある対比であるかのように恵の弟?の知もあんな感じにしていたこと。見ようによっては知に関しては保護すべきだけの存在のようにしているようで何だかちょっとなあと思わされました。結果的に彼は導き手としての役割を果たしましたが、個人的にはかなり微妙なところでした。

そういや竜にだけたくさんAIが付き従ってましたがアレ何なんでしょうね。一つは知くんでしょうが、まあひょっとしたらすずにとっての合唱隊のおばさん方の対比用なのかも。でもAIってのが何ともwこんなんおばさん達はモブだって言ってるのも同じやんw

AIだけでなくバレない城を用意されていたりとか彼があそこまで優遇されていた意味もわかりません。ひょっとしたら彼もジャスティンと同じように〈U〉内部に刺激を与えるために用意されたのかもwそもそも生体情報を抜き取っておきながら何にも利用しない企業なんてある筈もないですし、裏では色々とすごい陰謀が巻き起こってそうw

仮想空間ものは「誰もが主人公」みたいな謳い文句がありますが、実際のところ九分九厘はその他大勢のままです。現実でうだつの上がらないのがネット空間でなら輝けるということは稀です(50億もユニークユーザーがいるなら尚更)。本作では〈U〉の空間では潜在能力が発揮されるそうで、それがすずや竜のような傷を抱えた人をチート級の存在にまでのし上げていましたが、実際には彼等のような人は五万といるので特別な存在ではありません。いうまでもありませんが彼らはあくまでモデルとしての役割を担っているだけです。なので、むしろすずのような片田舎の地味な女子という属性を有しているからこそ逆にさっさとトップになれちゃったりしますw所謂テンプレというやつです。

本作はガワはコテコテなまでのテンプレなのですが、その中にテーマに沿ったオリジナリティを埋め込んではいます。埋め込んではいるのですが……そのテーマ自体がもう擦られ過ぎてチープ化しちゃったものであり今更感も強いです。結局歌(そのものではなく)感動的な演出でお涙を頂戴しなければ戦えてません。田舎のアイドルルカちゃんが好きなのがしのぶ君ではなく実はカミシンとか見たまんまのフラグ。意外性がほとんどなかった辺りもわかりやすい反面評価し辛いポイントかも。また、視角情報とかを奪っておきながら普通に現実と仮想世界のマルチタスク生活できるようにしてるのも意味不明。何で仮想空間にダイブしながら河原走れるの、危ないでしょとか思いましたw多分それだけ必死ってことのアピール何だとは思いますがあれってゲームしながら公道走ってるようなもんですからねw

過去に母が在籍していたとはいえ歌えない筈のすずがそのまま合唱隊にいるのも変な感じですし、しのぶ君も含めてすぐにベルがすずだと分かった理由も明かされてません。というか他の皆はアバターあったのに彼だけなかったですよね?これは多分しのぶ君だけはすずの現実担当という意味なんでしょうが、だとするといよいよすずがベルだと分かった根拠に乏しいかも。君の事を理解しているよという暗喩というか直喩でしょうがほとんど超能力レベルかと。

超絶ハッカー少女ヒロちゃんの存在は……まあ創作ではスーパーハカーはどこにでもいるので本作にばかりこの点をつっつくのは良くないかもしれませんが、実質彼女がいなければ回らない超重要な人物ではありました。とはいえすずが過去を乗り越えていない「だから一緒にいるんじゃん」は何とも。本作では完全にすずのための存在だとは思いますが別のテーマの作品なら「同情なんかいらない」とか「結局は自己満足」みたいな形で揶揄されかねないやつですねw

東京での恵らの父との対峙。これほんとよくわからなかったです。何でJKに見つめられただけであんなおっさんが腰抜かすねん、通報を恐れたから?いや今更でしょって感じ。ベルのようなアイブラックならぬアイレッドが施されたから?実は彼のやましさを見透かされてるようだったから?まあ何かしら理由があるんでしょうがいくらなんでも肩透かしが過ぎます。

とはいえ一応本作はハッピーエンドのうちに幕を閉じました。閉じましたが、逆に言うとあんな河原のシーンでお茶を濁して終わってエピローグの一つも描かなかったのかというと今後彼女を待ち受けているものは地獄しかないことがわかってるからかもしれませんw

投稿 : 2024/04/23
閲覧 : 50
サンキュー:

13

ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

哀しみのなかの声。心をささえる歌。

本作は、いつもの見えやすい "家族愛" というよりも、なかなか見えにくい {netabare}"人間愛への信頼"{/netabare} にググっと寄せて描かれています。

ただ、鑑賞するには、とてつもなく苦々しく、そして若々しい感性が必要。

そこに立てたなら、あとはもう、どんなふうでもいいです。

わたしは、嬉し恥ずかしの気分で楽しみました。
 

~    ~    ~


気をつけておきたいのは、過去作品への評価に拘りすぎて、バイアスをかけて鑑賞してしまう "勿体なさ" です。

そして、なおそう思えるのは、長いコロナ禍で、多くの体験を失ってしまった、特に子どもたちの心情にシンクロする大人でありたいと思います。

好転する兆しが見えにくい環境下で、大人の心身も十分に傷ついています。
でも、ささやかな願いさえも叶わなかった子どもたちの心だって大事にしてあげたい。

本作が、そのケアに寄与するのなら素晴らしいことだと感じました。


~    ~    ~


クライマックスシーンには、身のほどもなく震えました。

まるで衆生済度を発願する慈母の仏性に触れたかのようでした。

あたかもそれは、愛による救済を願うマリアの姿のようでもありました。


~    ~    ~


一つだけ申し上げるなら、このひと夏のオリンピアンは、日本のすべての国民だということです。

身のうちの、胸の奥の "愛の共鳴と、歓びのともしび" 。

それは、オリンポスの神々の誉れに適う "メダリストたる資質" なのです。


おまけ。
{netabare}
本作は、すずの心情を捉えることが重要です。

特に、次のふたつの言葉の動機や背景の掘り下げが、かなり大事です。

「あなたは、誰?」

「あなたに、逢いたい。」

どうぞ、すずに寄り添うベルのように、思いを深く巡らせてみてください。
{/netabare}


おまけ2。
{netabare}
クライマックスシーンで、アンベイル(*1)されたすずが、シンボライズされた三日月に、表情をふと変える場面があります。
*1、現実の姿をUの世界に描画すること。

すずの心的世界は、10年以上にわたって、ひとつの思いに憑りつかれ、縛られ、閉ざされています。
「お母さんは、なぜ赤の他人の女の子を選んだのか。どうして私は独りぼっちなのか。」
お父さん、幼馴染の忍くんやヒロちゃん。誰にも明かせない深い胸の疼きです。

あの日、仁淀川の清流は一変して、ささやかな未来を根こそぎ奪い取る。
涙を涸らせ、喉を掠らせ、足元の橋は心もとなくて、青春に謳う時を虚ろに流していく。
誰とも知らぬネット市民の声は、日夜に濁流を注ぎ込み、すずを無常感に溺れさせるのです。

すずにとって「独り」とはそういう意味なのです。
何度も自問し、何度も反駁しただろう先に、ひとつの気づきを得るのが、視線の先に輝いている三日月なのです。


「一人で生きてゆけると、あなたは言い放つけれど」と、ラブソング(すずはそう思っている?)に込める切ない想い。
彼女にとって、竜が「独り」でありつづけようとすることは、耐えがたい痛みを共有することです。

「ボクが耐えればいいことだから・・」と言う恵くんは、「助ける?、助ける!、助ける!?」とすずに怒号を浴びせます。
それは、かつて濁流が分かつ先に、ひとり残された女の子の「助けて!」の叫喚にもつながります。


モラルジレンマ。

現実世界の常識、価値観、世論、多数意見、流行りのムーブメント・・・。

その同一性はヴァーチャル世界ではリアル以上に牙を剝く。

表向きは清らかな流れを見せながら、勝手一方に濁流・激流に狂奔し、一気に炎上させる非情と無情こそ、正義面の下に隠された正体。

それに乗じて衆目を集め、集客と利益、快楽と名声を追求するのは、個人の欲心やスポンサー企業の思惑にも通じるものでしょう。

ネット情報リテラシーは、情報を自己の都合や目的に適合するように使用・活用できる能力のことです。(Wikipediaより一部加工)

経済力、資金力のある側にとっては、意図的に演出できるもの、印象を操作できるもの、さも本当のように価値づけられるものです。

でも、その場その時だけの "ノリの軽さ" 、モラル破壊の "浅ましさ" 、普遍的な価値追及の "空々しさ" も、氾濫し席巻しています。

いい加減、そんなエゴに辟易としています。


それでもなお、現実の歪みは、厳然として立ちふさがっています。
懼れながら身を削り、震えながら心を焼いて、日々を暮らしている人たちは幾万人といます。

そんな彼ら彼女らに「竜とそばかすの姫」で細田さんが伝えたいメッセージは何でしょうか。

すずは、優しさと強さを体現するキャラクターです。
その名は、涼やかで、清らかで、遠くまで響く心のありようを表わしています。
その振る舞いは、情愛に満ちたお母さんの意志にたどり着き、自己の主体性を慄然と体現するありさまを示しています。


"U" は、底なしに拡大し続ける仮想空間の "海" 。

"三日月" は、ネットの海に漂い浮かぶ "救いの舟" 。

"シロナガスクジラ" は、名もなき人々の想いを強く押しあげる "潮のうねり" 。

・・・そんなくみ取りかたなどが、できようものでしょうか?
{/netabare}


追記です。
{netabare}
きっかけは、素塔さんに拙文を使っていただいたことと、過分なご期待を寄せられちゃった?みたいなところからです。
果たして、さすがに未完のままでは素塔さんに失礼ですし、私も落ち着きません。
やっぱり締めくくっておくべきかなって思いに至りました。

レヴューの冒頭に記した "人間愛への信頼"という言葉について振り返ってみると、二つの視点が抜け落ちていたと思います。

一つは "父性愛" です。
すずと恵くんのお父さんの描かれ方の違いなんですが、両極端なキャラづけですから、そこには何かのメッセージがあると思います。

彼らは、単なるモブではなく、大きな棘なんですね。



素塔さんが解き明かされたのは二つの二重性でした。
一つは表層的な舞台装置としてです。

"リアル" に呻吟するすずと恵くんの "現実" と、"バーチャル" に充実するベルと竜の "〈U〉" という二重性です。
ここでは仮想空間のベル(強さ)と、現実のすず(弱さ)とのインテグレーション(合一性)がテーマでした。

もう一つは、すずが深層に押し込めていた自己覚知の物語装置としてです。

亡くなった母と助け出された女の子のいのちの価値の整合性、あるいは母の意志への再帰性、そして遺志との統合性です。
言うならすずの "自己愛と母性愛" のインクルージョン(包摂と一体性)がテーマだったのです。

このダブルミーニングを解き明かされた素塔さんの筆致には舌を巻きました。
そのおかげで私の作品理解も段違いに深まったのです。

私なりに復習すると、すずは、お母さんの喪失に自問を繰り返す "閉ざされた苦しみ" に縛られていました。
反面、〈U〉では、お母さんに絆する歌が、何億人にも "開かれた歓び" としてベルのステージに描かれています。

それは間違いなくすずが望んでいたことです。
ところが、竜が介入することで、すずがベルとして自己実現する姿は、あくまでも仮のものと気づき、恵くんのいのちを守る選択こそが、彼女の内面に "母性を打ち立てる真実の道すじに向かうシナリオ" へと移行するのですね。

実は、この流れで "すずの救済と成長の物語" を描くだけなら、それはそれで完結しても良かったかなぁって思うんです。
ですが、それだけだと決定的な瑕疵が残ってしまいます。
それが、一つめの視点、父性愛(あえてそう言いますが)へのアプローチなんです。

素塔さんがすずの母性愛への覚醒と定着を述べられていたように、お父さんへの立ち位置はどうだったかを説く必要が本作にはあると思います。
だって、すずと恵くんからお父さんの存在を外してしまうと、作品の精神的な部分で重大な穴が空いてしまうんです。

穴の一つは本作の動機(原因=燃料)、もう一つはお話に通底する方向(未来性=羅針盤)です。

二人のお父さんにアプローチすることは、混沌とする時代性に向き合い、その光にも陰にも触れることです。
なぜなら、細田監督の視点が、さまざまな親子像・家族像を、直接・間接に、あるいは比喩・暗喩で、問いかけたり訴えたりしていらっしゃるからです。



細田氏の問題提起は、ややもすると重苦しいものですが、本作にも氏のメッセージが開示されていると思います。

ひとり親家庭、特に父子家庭では、母性愛的な空気を醸すのはなかなか難しいところがあります。
ましてや、家族構成が男ばかりだと、母性愛どころか女性性すら見込めません。

恵くんのお父さんは、上辺では仲良し家族を装いながら、その裏では暴言や示威行為で子どもたちを支配・抑圧しています。
恵くんの日常は、お父さんの二面性によって歪められているし監置されているのですね。

これは間違いなく男性性が強く前面に押し出されている設定です。
お父さんの存在は、恵くんにはとてつもない高い壁になっていて、どうしたって閉ざされているという感じです。

反対に、すずのお父さんは、どこから見てもすずには取りつく島もなく、会話も上滑りにすれ違ってばっかりです。
父娘して、もどかしさを心に感じながら、隙間の埋め方にきっかけがつかめないでいるようにも窺えます。

でも、お父さんの男性性はとても控えめだし、すずの変化や成長を外の世界(ヒロちゃんや忍くん、コーラス隊の面々)に期待しているかのようです。



父親が振る舞う娘や息子への気遣いは、自ずと家風に色が出るものです。

すずのお父さんは、すずの気もちを受け止め信頼に寄り添いますが、すず自身はお父さんの愛情には完全拒否のスタンスです。

恵くんのお父さんは、息子たちへの不信不満を極めていて、無価値だとも罵り、恵くんは父性愛など望むべくもないモラルハザードに焦燥しきっています。

すずが高知を飛び出て恵くんのお父さんに対峙することは、〈U〉での気づきがいよいよ現実のものとして定着するプロセスです。

かつて母がそうしたように、荒れ狂う恐怖(暴力的な力)に身を投げ出してでも「助けて」と叫ぶいのちをギリギリのところで守りきったことで、すずはお母さんの "地平" に真実立つとともに、自らのトラウマを超克していくのですね。

同時に、自身の選択と行動に納得が得られたことで、すずの自己肯定感はふくらみ、男性性や父性愛へのアプローチに、ひと皮むけた気持ちになれたのではないでしょうか。

すずのこの心境の変化があって初めて、母に感じていたいのちへの姿勢と、父にわだかまっていた負の感情を、昇華・結合させる重要な伏線回収へとつながるように思います。

そうしてカツオのタタキを「一緒に食べる」というやり取りで、ようやく すずにもお父さんにも "ぽっかりと抜け落ちていたそれぞれの家庭像" に夏の風が吹き込むんだなぁと得心できるのです。



では、恵くんの立場ではどうでしょう。

すずが直に会いに来るということは、恐怖と憎悪の権化だった父に対して、すずの対応がどれほどに揺るがぬものかと目の当たりにしたわけで、その母性愛が理屈ぬきに体感できたはずでしょう。

私は、この "体感" が何を指すのかはとても大事だと思うんです。

たとえば恵くんのお母さんが、お父さんのDVに耐えかねて、単身家を出たと仮定するなら、恵くんは捨てられたと打ちひしがれるのが普通だろうし、それは〈U〉においては決定的なマイナスのパワーに置き換えられるはずです。

また、死別と仮定すれば、母性愛の喪失感は尋常ではないでしょうし、それをベルの優しさに求めれば、母の面影を忘れてしまう後ろめたさに苛まれてもおかしくはないでしょう。
これもまた母性愛と女性性との相剋。
思春期はなんてフクザツな心理で生きているのでしょう。

もしも、すずが会いに来てくれなければ、恵くんの境遇と竜のパフォーマンスはその後も変わらず、粗暴横暴なお父さんの劣化コピーのような生き方をたどり、愛も勇気も得られない二重三重の苦難と不幸に陥ってしまったでしょう。

誰だって、誰からも気遣われず、誰からも助けが得られないのでは、思考が偏ったりパフォーマンスが歪んだりしてしまうものです。
だから、父性や男性性への負の感情が高まるほど、また長引くほど、暴虐な竜がアップデートされるだろうことは容易に想像ができます。

そのルート設定は、彼の人格をいずれ破壊し人生を狂わせる重大事になろうかと思うと、やっぱりすずの判断と行動には重要な意味が持たせてあって、物語のメインストリートでなくてはならないものだと思うのです。

その意味では、最終パートは単なる付け足しなどにはなり得ず、本作の二重性のさらに中心にどっかりと座るものであり、同時にすずと恵くんの未来への始点になるのだろうと思います。

その理由を以下のように考えます。



〈U〉の最大の欠点は、中学3年生のメンタリティーに、自律する機会も、自立する方向性も見つけることも与えることもできないことです。
(もしかしたら一部の大人にも当てはまりそうです・・・。)

ベルとの語らいもダンスも〈U〉での関係性に限られてのこと。
現実のものではありません。

だから、すずが目の前に現れることがすごく重要で、その結果、恵くんに大きなバリューを生み出したのは間違いないことでしょう。

となれば、本作のテーマポイントは、当事者(恵くんとお父さん)と当事者性(すずとすずに託したお父さんの言葉)が、同じ場所で、同じ時間を共にしたことに尽きると思います。

仮想空間なんかじゃなくて、体温が伝わる本物の距離感で。
当事者性ではなく、ほんとうの当事者として。

もちろんそれだけで全部が解決するなんてことはそれこそ "夢物語" です。
でも、少なくとも恵くんの内面に、お父さんとの距離感に修正のきっかけが与えられたこと、方向性の兆しが微かに見え始めたことが、監督が本作に込めたメッセージなんだと思います。

加えて、ベルへの憧れや母性愛への渇望も、すずが示した勇気と優しさに触れたことで、新たな女性像を見つけられたようでした。
知くんを交えての包容も、兄としてのスタンスを固める覚悟に結びついたものと思います。

子どもは親を選べません。
最終パートに描かれた父性との断絶と対決、そして受容と融和は、すずと恵くんには欠かすことのできない "救済と再生のための関門" なんだろうと思います。

そのシナリオは、ほんのわずかのシーンや表情にしか描かれていませんでしたが、たぶんそれは、細田氏が喪失された母性愛のほうを重視し、多くの時間を割きたかったからでしょう。

何と言っても父親はまだ生きているわけですから、父性愛の復権のチャンスは先送りにしたのかも・・・とも受け取れそうですね。

これが、私の考える "父性愛" の帰結。
"母性愛と父性愛のデュエット" という視点です。



さてもう一つの視点です・・・が、ちょっとまだまとめきれていませんので、もうしばらく時間を頂戴したいと思います。
{/netabare}


もう一つの視点。
{netabare}
インターネットの陰と光がテーマです。

まさかオンラインで世界中からのぞかれ、慰み者にされてしまった恵くん。
竜の正体はあなたでしょ?と暴かれ、ベルは私と嘯(うそぶ)かれ、父を説得したいと毒を言われる。
どこの誰とも分からない女子高生が、綺麗ごとを、知ったふうに。

あまりの無神経ぶりに我を失う恵くん。
すずを否定するか、反撃するか。
無視を決め込むか、無為なく切断するか。
いいえ、ネットリテラシーに照らせばすでに手遅れ。
特定されるのも時間の問題です。

彼が拒絶を選ぶなら、〈U〉に居場所はなくなるでしょう。
いや、ネットどころか実生活にも実害が及ぶかもしれません。

父の罵倒に耐えるだけなら。
自分を弱者とさげすむだけなら。

そんな恵くんは、都会に漂う浮き草、寄る辺を持たない根なし草です。



思いもかけないベルの反撃で、正義のバッジを剥奪されたジャスティン。
一人天下なのはあなたでしょ?と喝破され、アンベイルに一歩も引かず、素顔を見せることを良しとする。
〈U〉で最も支持される歌姫が、汚れ役を、知らないふうに。

いきなりの超展開に不覚をとられるジャスティン。
ベルを肯定するか、光を消すか。
役まわりを取り戻すか、主導権を奪われるか。
いいえ、ネットリテラシーに照らせばすでに手遅れ。
泡沫と消えるのも時間の問題です。

用心棒と気張っても、〈U〉には無用のカラ威張り。
無類のヒーローどころか、不埒なチンピラに成り下がるでしょう。

〈U〉では As(アズ)を変えられないのですから。
歌姫の気魄に、なす術もなく気圧されたのですから。

そんなジャスティンは、ネットに漂う幽霊船、沈みゆく難破船です。




〈U〉のうたい文句は、「〈U〉なら別の生き方ができる、〈U〉なら何度でもやり直せる」です。
でも、本当にそうだったでしょうか?

すずの〈U〉への動機は、愛する母の死と、歌えないことのトラウマです。
ベルとなった彼女は、「歌を歌いたい」という願いを叶えます。
でも、彼女がベルとして「恵くんたちを助けたい。自分も強くありたい。」には応えようがありません。

その終点は〈U〉の中には見つけられず、守りたい人のいのちの救済を〈U〉の外に向けるのは、すずには自然な始点なのでしょう。
母の一歩を、すずも踏み出すのです。

何億もの人々が〈U〉に集うのは、そこに至るプロセスが "たやすいことではない" と知っているからです。
仮にそこに至っても、無体な誹謗中傷が避けられないと知っているからです。

〈U〉は、生き方の変化の入り口に過ぎず、きっかけを提供するだけなのです。
出口から先の生き方には、仮想空間の声など無用の長物なのです。



インターネットの出発点は、パワーバランスを徹頭徹尾磨き上げることから始まっています。
軍事力や経済力の支配拡張性が、ヒエラルキーパワーの源です。

そのアイデンティティーに則れば、竜とジャスティンがいがみ合うのも道理です。
かくれんぼにおいかけっこ、ルールはあっても運用は "力まかせ" なのです。

バーチャル空間での俺ツエーのアクションは、エゴイストの提灯持ち、神輿に群がる案山子のようなもの。
錦旗を掲げる気取り屋どころか、太鼓持ちよろしくの風情です。

だけど、そんな彼らの気持ちも、私は理解できます。
わずかでも内心を慰められるなら、迷わず〈U〉に飛び込んでしまうかも。
だから、竜とジャスティンの思い違いには同情してしまいます。

ただ、スポンサーの変わり身の早さには、ごもっともというか辟易とするというか。
功利主義の牙口はうま味しか評価しません。
アンベイル という唯一無二も、所詮は金儲けの小道具にすぎなかった。
ジャスティンなど、虎の威を貸し与えた "集客目的で踊らせていた広告塔" という扱いなのでしょう。

謳い文句にはご用心。
何度でもやり直せるのが〈U〉のアピール。
やり直せるってことは、何をしても許されるってこと?
それなら警察は要らないですよね。



少し横道に・・・。
コーシャスシフト、リスキーシフトという言葉があります。
コーシャスシフトは「青信号、右見て左見て、もう一度右見て渡れ。」です。
リスキーシフトは「赤信号、みんなで渡れば、怖くない。」です。

同じ横断歩道でも、どちらを選ぶのかは人それぞれ。
でも、ネットにおいてはリスキーシフトに寄りがちです。

匿名性と個人情報の保護の抱き合わせが、道義的、社会的責任への意識と関心を希薄にしています。
その結果、俺ルールが横行したり、他者への配慮が欠落していくのですね。

〈U〉では、自分でも気づかない欲望が抑制の壁を突き破り、あらゆるマナーやモラルから解放されるからなおさら厄介です。
その一つがリスキーシフトたるジャスティンや竜の振る舞いなんですね。



そんなネットリテラシーへの提言は、ベルが竜に送るラブソングに込められています。

 一人にして欲しいと あなたは突き放すけれど
 一人で生きていけると あなたは言い放つけれど
  (作詞:細田守・中村佳穂・岩崎太整、作曲:岩崎太整。敬称略。)

もともとは、すずから竜だったのですが・・・。
じっくり耳を傾けると、お母さんからすずへ、お父さんからすずへとも取れそうです。
"一人のあなた" は、本当は誰のことを指しているのかしら。

"一人ぼっちのあなた" は、やがてベルからすずへ、すずからすずへの問いかけになります。
心の表層から奥深い真層への語りかけです。
いつしかそれは〈U〉に接続する全ての人たちの心と魂へと伝わっていくのです。

その歌声は、混沌と漫然をみせる〈U〉に輝くともし火のようです。
その響きに涙するのは、ありのままの姿から伝わる尊さによるのでしょうか。

すずがアンベイルを受け入れたのは、恵くんへの当事者性を、本当の当事者として近づきたいがため。
そのためだけに、〈U〉に描画される覚悟を決めたからです。

この "当事者性" から "当事者" への立ち位置の移動は、命への尊厳、人格へのリスペクトなど、誰でもが共有できる、いえ、本来なら、すべおくべき価値観としての潜在的可能性を示唆しています。

この世で一番大切なもの。
ありきたりの言葉ですが、それは愛だと思います。



インターネット、特にバーチャル世界において、最も顕著に表れるのは何でしょうか?

それは間違いなく "非・当事者性" と言えます。
本作に一貫して通底しているもう一つの正体がこれです。
でも、一概に否定されるものでもないと思います。
なので、 "陰と光の両面を持ち合わせている" とも言えるでしょう。

ジャスティンや竜はもちろん、すずやヒロちゃんでさえも、スタートは "非・当事者性" です。
誰だって〈U〉では "もう一つの人生 = リアルから離れた自分 = 非・当事者性" に生きてみたいでしょう。
私だってそう思っています。

〈U〉の謳う "もう一つの人生" は、それが叶いやすい環境と条件を与えてくれます。
だから "非・当事者性" には一定の価値があると思います。

本作のポイントは、この本人由来の当事者性と、As 特性の非・当事者性とを、 "二律背反" するものとして、するどく対立させていることです。

どういうことかと言うと、すずをベルとして、またその逆として、バーチャルとリアルの二つの世界で、二つの価値観をすり合わせるのです。

自分だいじのかわいさと、他者の幸せとの関わりを拒絶したいセパレートする価値観。
強すぎる竜の境遇への興味と、心奥にうずく強い母性をカップリングしたい価値観。

当事者性としての温かい温度差と、非・当事者性としての冷たい温度差がぶつかるのです。
その気づきにすず(ベル)を誘う構造に、視聴者を同時に引き入れるのですね。

本作の評価が割れる理由はそこにあります。
細田氏がすず(ベル)に示させた行動が、おのずと視聴者にも迫ってくるのです。

「すずとベルの "当事者意識" をどう受け止めますか?」
「竜と恵くんへの "非・当事者性" はどれほどお持ちですか?」

だから、嫌悪と否定、疑念や拒絶で受け止めている方もいらっしゃるようです。
当然のことです。


〈U〉の VR のストレングスは、生身の全感性を所有するボディシェアリング技術にあります。
As は、もう一人の自分、もう一人のあなた。
そう謳っているのですから。

As で体感し、体験し、体得したものは、生身の自分に、細胞レベルでケミストリーを引き起こします。
それを成長の糧にしたとき、元の自分も、その世界が変わる芽も出てくるのかもしれません。

リアル世界の実相は、加速度を上げながら人間の幸福感を希薄化させています。
吸う空気にさえ、なにかの悪意が含まれているかのようです。

そんな時代に、見えにくい人間愛への回帰と献身にどう踏みこむか。
血を流す痛みを伴いながら、産みの苦しみを乗り越える力を育んでくれる場所が、仮想世界〈U〉の本当の姿と価値なのではないでしょうか。



細田氏が本作に込めようとしたメッセージは、バーチャル世界で拡張する楽しみはもちろんですが、リアルな現実に立ち向かう土台づくりも忘れちゃだめだよと強調したかったのではないかと思います。

〈U〉では、性別、年齢、人種、国籍、言語などに縛られず、個人のメンタリティー、アクションのままに、全ての願望を投影することができます。

そう思うと、現実において、叶えたい夢との結びつけを、どんな気構え、どんな手数で整えるかの落としどころが大事なのかもしれません。

〈U〉に警察がないのは、そこに国家が設定されていないからです。
誰もが自由というのは、統治・統制がないぶん、個々の自治の能力が試されます。

実は、アンベイルされたすずが、もう一度ベルに返り咲けたのが不思議でした。
推測ですが、〈U〉の趣意は、ジャスティンの手法(アンベイル = unveil )ではなく、すずがベルであってほしいと民意に示されたことで、恩赦(ベイル = bail )されたのではないかと感じます。

「あなたにあいたい。」
すずの呼びかけに共鳴する無名の人たちの小さな一念。
巨大広告塔のクジラも、ベルの覚悟こそ〈U〉の主役に相応しいと姿を現わす。
すず(ベル)の選択が、〈U〉がめざす自治のシンボルに値すると受け止められたシーンです。

〈U〉が提供する魅力は、無限とも言える自由の享受にあります。
であればこそ、そこには自治と自主が要望されますし、その根幹には自立と自律が求められ、評価されるのでしょう。



かつて細田氏は、作品サマーウォーズで、仮想空間で "切った貼ったの勝負ごと" を、現実世界では "ちょっぴり甘ったるい恋の入り口" を描いています。
本作では、そのような知略や力技でもなく、何となく甘々ななろう系でもない、「人生はいつだって(それはどこにいたって)真摯な愛で向き合えばリスタートがきれる」を描いています。

そんな可能性がこれからのインターネット世界に芽ぶきを見せてもいいのではないか。
その可能性が周り回ってリアル世界に良い影響を創るのなら、なおさらいいのではないか。

人の心の土台には、人が実存することの称賛が謳われて当たり前のものでありたい。
それは、モニターを飾る金メダリストたる歓喜だったり、モニターには映らない気概へのリスペクトの相見互いだったりであってほしい。

あなたは日陰の存在なんかじゃない。
孤立無援に生きていくなんて、あっていいわけない。

そんなメッセージを高らかに謳ったものではないかなと思っています。
というわけで、個人的には、ジュブナイル作品の最高傑作の一つと選出させていただいています。



結びとなりますが、あらためて素塔さんには深く感謝しております。
私ひとりでは、このようなレヴューは到底書けませんでした。

本当にありがとうございました。
{/netabare}

投稿 : 2023/08/14
閲覧 : 548
サンキュー:

26

ネタバレ

やん さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.5 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

王道細田作品

田舎景色、純朴女子高生、電脳世界、ケモナー
いつも通りで一気に見れて面白かったです。
飛行機で観ましたが大画面良音響だと違う魅力に気付けるのかもしれません。

投稿 : 2023/03/21
閲覧 : 138
サンキュー:

4

ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 1.0 作画 : 4.5 声優 : 1.5 音楽 : 4.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

この作品で確定したのは細田守監督の脚本才能の無さw

音楽と映像が素晴らしい

他は正直あーあと言う感じのいつもの細田守作品

時をかける少女、サマーウォーズ、オオカミ~以外の作品は
本当にストーリーラインの作り込みがひどすぎる

爆大な収入は寄付ってそんなやっつけあるかよ笑
アンベイルして素顔にして歌った後、なんでまたもどしたwww?結局映像的に映えるからやろ?それもまじしょうもない

虐待してる男親のところに女子高生一人行かせんなよ

東京はいつ待ち合わせしたん??

あんな程度で行政が動けると思ってんの?
なにも解決しとらんやんけ

主人公と竜の関係性ってなに?竜が好きって言ってんのにスル-結末って

って感じで、えがちゃんもツッコみまくってましたが

そういうツッコミが気にならないくらい
声優の演技や、ストーリーのスピード感があれば
評価は変わったが、まあそれも全くダメな内容

なんか商業的に作るしかなかった感満載のしょうもない作品

結局はさ奥寺さんが必要不可欠なんよねぇ
いなくなったらすべての作品があかんもの

この内容で歴代一番興行収入高いわけでしょ
コロナブーストが無くなり多数の見たひとから
多くの酷評を受けた今作品の次作
どうなるか見物ですね

予想としては
サマーウォーズ的なエンタメ路線に戻ってボーイミーツガールやると思う

投稿 : 2022/10/03
閲覧 : 170
ネタバレ

たま。 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ショッキングムービー

細田守監督作品。

ヒットしてたし、前作のサマウォーズがとても面白かったので、期待して見てみたが拍子抜け。
メタバース空間と実生活空間が行き来する。
話の内容としては、実生活空間で虐待を受けていた少年がメタバースで粗暴を働いておりメタバース警察から追われているのだが、それをメタバース歌姫である主人公がメタバース警察から守り、実生活空間での虐待も解決しようとする。
微妙に恋愛とか絡めて、展開をひっかけようとしてくるし、話は強引だし、なにがなにやら・・・。

この作品は余りお勧め出来ません。

投稿 : 2022/10/02
閲覧 : 109
サンキュー:

4

ネタバレ

タイラーオースティン さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

既視感のある作品

冒頭がサマーウォーズのそれみたいな感じで、それは終盤で親しい同級生や大人たちが集合しているところでもそれを感じさせましたが、正直、サマーウォーズの時のような怒涛の熱い展開に比べると本作は淡々としていた印象でした。

また、主人公のアバターであるBellに、竜との関係は確かに美女と野獣て感じで威圧感のあるデカい屋敷の中でやりとりをして追い返される所とか徐々に距離を縮めていくところとかそうでしたが、そこからのドメスティックバイオレンス等の扱うのが難しいテーマへの踏み込みがイマイチで、伝わらないものがありました。

引っ込み思案だった主人公が単身で東京へ行く等の行動力を見せたりと成長が見られたのは良かったのですが、歌と映像ありきの作品という印象でした。

投稿 : 2022/09/28
閲覧 : 103
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11

ネタバレ

ハニワピンコ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.0 作画 : 4.0 声優 : 2.5 音楽 : 4.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

要らない設定とキャラと展開を長々とやっている作品

『ぼくらのウォーゲーム!』や『サマーウォーズ』のような設定や展開は万策尽きたと言った感じなのかな。設定にもはや新しみも先見性も無く、結局は現代社会の問題(なのかは分からない程ありきたりすぎる)をメインにして大した深みもない事をゴリ押しているからつまらない。デジモンを3回見た方がマシ

歌に関しては普通にサビをテレビなんかで聞いていたから耳に残ってはいたけど、そのサビ以外はもう思い出せない
公開後かなり経過した後に映画館で観て唯一良かったと思えた点は最初の歌唱シーン。あそこは演出も歌も純粋に良かったと思う

声優に関してはセリフとセリフの間に挟まる息「あっ」や「やっ」などの感嘆詞まで一々声優に演技させていて、現実っぽいママやっているのが"アニメの演技"としては不要なのに、それを最初っからずっとやっているのが細田守

この作品、上手くいけば仮想空間と現実世界における自身の問題に関して面白い展開や投げかけが出来そうだったのに、どちらも上手く描こうとして失敗したパターンだと思う

主人公の過去にあった出来事から心情の変化やラストの行動のきっかけとなっているのが、一応"竜"という位置付けで、竜と関わっていく中で、自身はどうするべきかと言うことを考え行動していく
物語が進んでいく中で仮想空間に於いて自身が成した事とはみたいな展開は普通に良かったと思う
ただ、そのラストの締めに現代の問題を入れて、実はヒーローぶっているだけで気付いて貰いたかったみたいな展開は、唐突が過ぎるし、展開としても行動に理解を示すのは難しい。その理解の為に圧倒的弱者と虐げている人を適当に置いて納得させようとしているのも底が見えて嫌い
本当によかった所は、最初の歌唱シーンと流石のアニメーションのクオリティのみ。内容は『おおかみこどもの雨と雪』以降の細田脚本が無理ならこれも多分無理

今後も細田守は一応大ヒットは出しまくるからスポンサーに金出されて作り続けるのかな

投稿 : 2022/09/27
閲覧 : 123
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13

ネタバレ

タック二階堂 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

あれっ?いつから俺は「美女と野獣」を観ていたんだ?

と思わされるほど、いろいろとディズニー「美女と野獣」です。

公開直後から酷評の嵐で、「未来のミライ」が酷かったり、「バケモノの子」が途中で観るのをやめてしまったりと、とにかく細田守作品で手痛い目に遭って来たので、この作品を劇場に観に行くのをやめたという経緯があります。

でまあ、ようやく地上波初放送ということで観ました。

結論から言えば「酷評するほど酷い出来ではない」といったところ。

いろいろと良作になり得た要素はあるんですね。そして、細田守監督お得意のサイバー空間。「サマーウォーズ」よ、再び! という号令が出たか出なかったかわかりませんが、ここんところの「自分が子育てをして感じたところをアニメにしてみました」といった、「おおかみこどもの雨と雪」からの子育てストーリーからの脱却という作品でした。

まあ、新海誠監督の、かわいい娘がいるのに自分の趣味全開の「JK大好き」アニメを作るというベクトルとは、違った方向でアニメを作るというスタンスは否定しません。

ただ、それが面白いかどうかは別の話で。

で、本作ですが、いろいろとヒアリングをしたのでしょう。オタク(+非オタの若者層)に受ける作品は、どんなものかという。で、出した結論としてJKを主人公に据えた、サイバーな空間を舞台にしたストーリーだと。

間違っちゃいないんだけど、どの要素も「俺は『美女と野獣』が好きだから、それっぽい映画を作りたい」という感情によって、すべて中途半端にされてしまったのが残念ポイント。

歌をメインにするため、マイナーなシンガーを主役のJKに抜擢(しかも、けっこうな年齢…ごほんげふん)。結局「2ちゃん文化」から抜け出せない、よくある類型的なネット民の描写。説明不足な上に、映画の尺では足りないもんだから、かなり乱暴なストーリー展開…

いやホント、もったいないという印象でした。
結局、主人公と幼なじみの青年との進展もないし、そもそも母親が心底どうでもいい他人の子を命を懸けて助けに行くのも、「おおかみこども」の親父オオカミがあっさり死んでしまうのと同じようなあっけなさ。

でまあ、それが伏線だとばかりに、主人公も心底どうでもいいネット上のDVを受けている他人の子供たちを助けに、高知から川崎まで行くんです。大人もその場にいたのにね。陰キャのJKが一人で行って、何ができると思ったのか…

で、逃げない勇気を目の当たりにしたDV父親が腰を抜かして逃げていくという。そんな馬鹿なw

とまあ、ツッコミどころは満載です。
でも、それを差し引いても、面白くなり得た可能性はあったんですよね。うーん、もったいない…

投稿 : 2022/09/26
閲覧 : 123
サンキュー:

4

ネタバレ

シボ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

劇場で観た予告編が凄かっただけに・・・。

劇場の予告編を観た時のクジラが出てくる仮想空間の映像の凄さが
印象に残ってた作品です。
今回、配信で見つけてようやく視聴出来ました。

母を目の前で失ったトラウマを抱えるヒロインの少女すず。

残された家族は、ただでさえ悲しくて苦しい中
ニュースになっただろう母の行動に
様々な他人の意見、心無い声にさらされることが幼き少女に
大きな心の傷を刻んだんでしょう。

高校生になってもいまだ心の傷は癒えていません。
そんな彼女が
仮想世界で「ベル」として人気の歌姫になっていく序盤は
そのネット上の圧倒的な美しさ、そして物凄い数のアバター?達
が自由に飛び回る映像の凄さに何度となく見とれてしまいました。

仮想世界では嫌われ者の竜がその正体について多くの中傷や
怪しいというだけで間違った人への攻撃が行われています。
現実世界では幼馴染でイケメンのしのぶ君を誘惑したとの勘違いで
すずが炎上しかけます。

どちらの世界であれ真実とは別に誘導されていく噂や誤情報。
悪意のある言葉による攻撃の怖さが描かれています。

仮想世界で孤立する竜の心をベルが癒していく展開は正に
「美女と野獣」
そのままって感じで、このまま引き裂かれようとする二人の愛の
物語なのかなって観てました。

ところが、その竜の正体は虐待を受けてた子供だったって展開は
正直、え・・・・そうなるの?ってなっちゃいました。

それでも仮想空間内でベルの歌声を心待ちにする聴衆の前で
現実の姿を晒して心を込めて「はなればなれの君へ」を
歌い上げるすずの姿は胸に来るもの
あったし、その映像の美しさは思わず涙出るくらい感動しました!

ただ終盤の展開は駆け足感が強くてあれれ?って感じました。

仮想空間では竜の居場所を突き止めるのに苦労したり
正義面する輩から逃げたり色々大変だったのに
現実世界ではあっさりと兄弟と出会えて、暴力父親もすず一人で
撃退しちゃいます。
さすがにちょっと強引かな?って。

そして恋の行方も
自分的には美女と野獣を意識していたせいもあってか
竜としんじ君とすずの三角関係はどうまとめるのかなって思ってたら
初めから竜の子供はそういいうのじゃないんだ~ってなっちゃうのが
仮想空間では良い感じだったので、あっけないなって思いました。

予告編で期待してたほどではなかったけど
圧倒的な仮想空間での歌唱シーンはまた観たいです。

投稿 : 2022/09/19
閲覧 : 156
サンキュー:

25

ネタバレ

pikotan さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 2.5 作画 : 4.5 声優 : 2.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

良かったのは映像だけ

仮装世界ユーの美しさやスケール感など映像面は素晴らしいと感じましたが、物語に関してはキャラクター達の行動に疑問を感じる箇所が幾つかありました。
例えば、すずのお母さんが子供を助けるため川に入っていく場面。
周りに沢山の人がいるのに誰もお母さんを止めない或いは子供の救助に協力しないというのは不自然で、お母さんを故人にするためのイベントに感じてしまいました。
また、後半では虐待を受けていた恵(竜)をすずが助けに向かいますが、虐待が発生している現場に子供(すず)一人が行くというのも不自然です。
周りにいたおばさん達は、助けに行ったすずも虐待される可能性を想像しなかったのでしょうか。
すずを車で駅まで送り届けるだけではなく、絶対に大人が同行すべき場面です。
すずを煽る忍も気に入りません。大人が行かないなら、せめてお前は一緒に行けと言いたいです。
更には、恵達の居場所を特定(特定と言っても大雑把だけど)できたことや、すずが高知から東京に行くまで相当な時間がかかっているにも関わらず、すずと恵がタイミングよく路上で出会えたのも有り得ないです。ファンタジーならそれでも構いませんが、この作品はリアル志向ですよね。
なぜ舞台を高知と東京にしたのか。すずが都内在住であれば、まだリアリティを感じられるのですが…。

時をかける少女とサマーウォーズは好きですが、その後の作品は好きになれません。
巨匠と呼ばれるようになると、どうして皆さん社会問題を取り入れた作品を作りたがるのでしょうか。
社会問題を扱いたいなら実写のドキュメンタリー映画でも作れば良いのでは。
個人的にはアニメ映画は夢と希望に溢れた娯楽作品にして欲しいです。

また、この手の劇場アニメの共通事項として主要キャラの声がプロ声優ではないことも、毎回のことながら不満です。
例えば演劇を観に行って俳優のセリフが棒読みだったら観客は満足できますか?できませんよね。
それと同じで、無料で観られるTVアニメなら許容できても、お金を取る劇場作品で棒読みなのは気になります。
稀にキャラクターと声がマッチして棒読みでも自然に思えることがありますが、大抵は声が浮きまくって違和感しかありません。
話題作りや観客動員のために有名タレント等を使うなら、モブキャラの声に限定して欲しいです。

投稿 : 2022/08/27
閲覧 : 164
サンキュー:

7

ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 2.5 作画 : 4.5 声優 : 2.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

良いところがあるはずなのに、好きになりきれない。

【概要】

アニメーション制作:スタジオ地図
2021年7月16日に公開された121分間の劇場版アニメ。

原作・監督・脚本は、細田守。

【あらすじ】

高知の片田舎に住む17歳の地味な女子高生の内藤鈴(すず)は、

幼い頃に水難事故で仲の良かった母親を失ったことと、
増水した川で他所の子供を助けて死んだ母親の行為がインターネットで、
『ヒーロー気取り』『自分の子供に無責任』『自殺行為』とバッシングされたことで、
幼かったすずの心に深い傷を残していた。

母親と一緒に歌うのが大好きだった子供が、
高校生になった今では、卑屈で内向的になってしまっていて、
他人との距離感が掴めない。たまにカラオケに誘われても歌えない。
クラスメイトと一緒に笑ったりして馴染むことが出来ない浮いた存在。
家でも父親と会話がギクシャクとした湿っぽい状態になっていた。

そんなある日、たったひとりの親友のヒロちゃんから、
全世界で50億人のアカウントを持つ、
インターネット上の仮想世界の「U(ユー)」への、
招待メールが鈴に送られた。

仮想世界のユーでは、ユーザーアカウントには「As(アズ)」
と呼ばれるアバターが作成される。

鈴がアズの外見設定でクラスの集合写真を使ったら、
一つ隣に映っていたクラスの人気者であるルカちゃんを、
AIが拾ってしまい。ルカちゃんを元にした美人なアバターが出来てしまった。
キャンセルしようとした鈴ではあったが、
アバターの顔に現実の自分の顔にもあるそばかすが合成されたことで、
そのまま自分の名前を元に「ベル(Belle)」と名付けた。

ユーの世界に入り込んだベルは、ボディシェアリング技術が、
その人の隠された能力を無理やり引っ張り出すことで、
現実の鈴がトラウマで出せなくなってた歌声を出せるようになっていて、
最初は冷ややかな反応を浴びながらも、
歌唱力と心を打つメロディとヒロちゃんのネット上のプロデュースで、
数ヵ月後にベルは、数多の称賛と批判を浴び続ける、
ユーを代表する世界的な歌姫となっていた。

ユーではベルの正体は誰?という話題で持ち切りだが、
世界の誰もが、極東の島国の冴えない女子高生であることに至らず、
鈴も自分がベルであることをヒロちゃんと二人だけの秘密にしていた。

現実での鈴は、女子から人気のある幼なじみの忍に気にかけられては、
俯いてしまう内気なままであったが、
それが忍を好きな女子たちからの不評を買う原因になっていた。

そして、ユーの世界で数億人の視聴者の前での、
ベルの初ライブが開かれることになったのだが、
途中で竜と自警団の乱入がして暴れまわったことでコンサートは中止に。
コンサートが潰されたことでネットの住民の怒りは竜に向かうことになり、
竜の正体暴きでネットがヒートアップするのだった。

【感想】

知名度や売上では日本では上位の存在なのにも関わらず、
「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」「未来のミライ」
が面白いと全く思わなかった自分には、細田守は鬼門なのかもしれません。

アニメ監督という職業は存在しなく、監督とは役職ですが、
監督の仕事は、自分ができない仕事を人にやってもらって、
作品としてまとめていく。特に演出家が各話の実質監督であるテレビシリーズと違い、
劇場版は監督の色が強く出やすいものですが、細田監督作品は、
作画芝居が魅力的でなかったり、家庭を持った細田監督の固有の女性観や家族観が、
映画にダイレクトに反映されていくのが個人的に苦手でした。

今回も評価が真っ二つなアニメである「竜とそばかすの姫」ですが、
まずは、主人公ベルのライブシーンと仮想世界ユーの説明が導入部であり、
超高層ビルが乱立して巨大なクジラが浮かぶバーチャル空間(メタバース)
はカラフルで派手な視覚の演出で彩られていて、
今回はどうすれば目を引くかと顧客の目線を意識したかの内容でしょうか?
それは、国内外問わず多数のクリエイターの力を借りて、
CGの非現実的なインターネット空間がデザインされています。
やはり、アニメとは大勢の力が寄り集まって出来るものですね。

開始から3分までずっと仮想世界でベルが歌っていて、
やはりアニメは自分の主張や趣味を表現するだけでなくて、視聴者が楽しめないと!
ということで、細田守氏もエンタメに目覚めたのでしょうか?

と思ったのですが、そこから続く現実世界のシーンが意図的なのでしょうけどパッとしないですね。

マイナス思考からのスタート。メソメソウジウジしていた陰キャ少女の鈴が、
ネットでベルという大スターになったのをきっかけとした出来事を通して、
幼少期に他所の子供を助けて自分を残して死んでいった母親の思いを理解してのトラウマ克服。
その心の流れを理解して鈴に感情移入できるか?が評価が分かれるポイントでしょうかね。
コンプレックスを抱えて生きる現代の若者に向けた、弱い人に向けた希望を与えるメッセージ。
それを志向した作品であるように見えました。

この作品を最初見たときは、主人公の鈴は見た目も声も湿っぽくて、
彼女がトラウマで黄土色に嘔吐するシーンで、このアニメ大丈夫か?と思いました。

心にヒビが入っていて深く落ち込んでいて、そこから這い上がる苦しさに勝てないのが鈴ですが、
コミュ障で喋り慣れてない人間という彼女のパーソナリティの再現には、
本職の声優さんと比べれば聞き取りにくい声質と滑舌であるのは事実ですが、
主演の中村佳穂さんの芝居は役に入り込んで合致してたと思います。

前作の「未来のミライ」のクンちゃんの声があまりにもアレ過ぎたので、
比較すると寛大な気持ちで聴いていられるのも大きいですけどね。

その鈴の人柄や前進や脇役らの青春ぽい話は実はそれほど嫌いじゃなかったりします。
しかしながら、多くの方のご指摘どおりにシナリオが変といえば変かも。

細田監督の大ヒット作である「サマーウォーズ」と比較すると、
ネット社会の暗部や病理に踏み込んでいるのですが、
基本匿名で暴れたり誹謗中傷するのが心無いネット住民。
管理しないユーの運営会社。その運営に成り代わって管理者気取りの狂った自警団。
というのがこのアニメでのネット世界の病理。

現実のネットでは実名・匿名関係なく攻撃的なアカウントが存在しますし、
マスコミや市民団体などと結託して特定個人の名誉を根こそぎ破壊しようとする、
亡くなった人の生前の業績を貶めたり、悪いことをしたから死んだ自業自得!
と逆に殺人犯を被害者として美化する狂った人たちも居ます。
それは根拠の薄い思い込みで、自分が絶対的に正しいと魔女狩りに等しい狂気。
反証をいくら見せられても事実を脳内で改ざんする、ご都合主義。
それは、陰謀論を信じる者や反ワクチン派にも共通する精神的な特徴です。

創作で『酷いネット民』を見せつけても、
リアルのネットでの一定の人々が創作の何十倍も酷い心の持ち主である事実を知ってしまうと、

フィクションはどんなにうまく出来たとしても虚構であり、
アニメの中で「本物の歌」と「偽りのない心」で人々の心を感動させる話を作っても、
その伝えたい事がしょせんはふわふわした絵空事に見えてしまうのですよね。
アニメで表現された理想や希望を否定するのも本当は虚しい行為ですけどね。

・単純に、このアニメを観た時期が悪かった。
・この手の話を素直に信じられなくなった自分の心の問題でしか無い。

もし、この感想を読んで気を悪くした方がいましたら、そう受け取ってください。

美しい歌と美しい映像が、細田守氏の演出力と合体して、
ライブシーンは本当に素晴らしいことは認めます。
クライマックスの歌うシーンは本当に圧巻でした。

しかし、ライブのあとの結末にいたるまでの話はパッとしませんね。
ユーの世界で乱暴者だった竜の正体を知って救いに行くのですが、
ラストの感動シーンの状況を作り上げるための下準備として、
合唱隊の5人の中高年女性など鈴の周りの登場人物の行動がいちいち不自然なのですよね。
それは、鈴の母親が死んだ事件で河原には何十人もの大人がいたのにも関わらずに、
天候が悪くて中州に取り残された危ない状況の子供を助けにいったのが鈴の母親一人で、
周りの大人たちは全員がカカシ同然で不注意でもなく鈴の母親を見殺しにしてしまった。

みたく、話の都合でキャラが動かされてるなって感じが随所にありまして、
結局は感傷に浸るよりも、登場人物の動きなどの脚本のアラが個人的には勝ってしまったかな。

考えるより感じろなアニメに対して、それに重箱の隅をつつくに等しい行為ですが、
私としては、しっくりこない話ということで体感時間で冗長に感じられたり、
内容的にも没入して感動するといったことが出来なかったというのが正直なところでしたね。


これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2022/07/26
閲覧 : 255
サンキュー:

37

ネタバレ

てとてと さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 2.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

メタバース?を題材にした、細田守映画。テーマは良いがあまり面白くない

細田監督の6作目。120分ちょい。
仮想現実を舞台に歌が好きだった少女が本当の自分取り戻したりなお話。
※作品データベース様より一部修正投稿

【良い点】
2020年代のトレンドである「メタバース」を描いた意欲作。
「デジモンアドベンチャー」や「サマーウォーズ」を手掛けた細田守監督の持ち味を、2020年代に合わせてきている。
SNSなどのネット上で繋がり過ぎる負の側面を強調、今日的なテーマ性あり、示唆に富んでいる。
面白いかは別として、2020年代の時代性を鋭く突いている点は評価。
匿名性の暴力や悪意、リアルでも仮想空間でも怯えて自由に生きづらい世界を、美麗な映像も交えてファンタスティックに表現した。

「U」の世界は美しいが、仮想空間の雑踏は魑魅魍魎蠢いている。
そんなセカイで、幼い頃母を亡くしたトラウマで本当の自分を出せずにいるヒロインが、仮想世界で荒れている竜との出逢いで成長する。
見ず知らずの子供救い命落とした母の気高さと対比させて、本物の善意とは?と分かり易く問いかけていた。

美女と野獣めいた構図がメルヘンチック。歌を主軸に据えており楽曲面で魅せる。
青春ラブコメ要素もあり。

人との繋がりが大事というサマーウォーズ以来の展開もちゃんとある。
合唱部のおばちゃん達の強キャラ感は細田監督らしくて良かった。

【悪い点】
終始陰気でギスギスしている。楽しくない。

仮想現実、匿名コミュニケーションの負の側面に傾倒し過ぎている。
中盤の同級生からの炎上事件とか、とにかくネットのコミュニティーをネガティブに描くのに終始している。
仮想現実風刺は意地悪く見ると今更感、正義厨ジャスティスとか分かり易い害悪だけど、決着が中途半端。
終盤の毒親との対決も消化不良でモヤモヤ感。

仮想現実を痛烈に風刺する一方で、仮想現実ならではのポジティブな展望を示せなかった。
仮想現実だから奇跡起こせたように見えるが、薄っぺらい。

世界観や設定の細かいところでツッコミ所が多い。
竜よりもジャスティスの横暴がまかり通っていたり、全世界50億のユーザーがいる割に話のスケールが小さかったり。

クライマックスでヒロインが匿名性捨てて歌で訴えたシーン。
楽曲とノリで誤魔化してくれてはいたが、仮想現実の全否定とも取れてしまう。この結論は釈然としないというか、些か時代遅れ。
現代人が自分らしくある為には匿名性はNG?いやいや、そうじゃないだろ…
言いたい事は分かる、多分間違ってもいない。
ただ、旧態依然の価値観で昨今のコミュニケーションの現実を否定するだけではダメだと思う。

竜の正体が、モブの一人だった作劇構造もイマイチ。盛り上がる王道を外しラブコメとしては軸がブレてしまった。
仮にもう一度視聴する場合、竜とのロマンスな視点では見れないし、幼馴染も微妙だし。
まあ、もし幼馴染君だったらベタ過ぎたかも知れないが。
幼馴染にも共感できない。

キャラデザが可愛くないのもマイナス。
ベルとか、ディズニーぽいキャラデザはニガテなので。
どちらかというとリアルの方が可愛いくらいだけど、作品中の評価と逆なので、それはそれで違和感。
背景作画も仮想世界は良いが、現実世界が写実的過ぎてアニメとしては風情に欠ける。
綺麗な写実的背景が良いアニメとは限らない。
(作画評価4.5→4)

【総合評価】2~3点
今日的なSNSのディスコミュニケーションを痛烈に風刺した意欲作ではあるが、あんまり面白くない。
評価は普通か迷う、ちょっと厳しいが「悪い」

デジモンやサマーウォーズの頃は、まだ夢もキボーもあった。仮想現実やインターネットにポジティブな展望があった。
それから10年20年経った現在、監督の(監督だけでなく自分らも)夢や幻想が消えてしまったというか、消えざるを得なかったというか。
たぶん細田監督は悪くない、時代が悪いんだよ…

【余談】
仮想現実(拡張現実)を題材にしたアニメ映画としては2017年の「ソードアート・オンライン-オーディナル・スケール-」
の方が断然良い。
SAOって軽薄な中二病作品の代表格的な見られ方されがちだけど、仮想現実との向き合い方というテーマに関しては
ちゃんと真摯に向き合った末にポジティブな展望を示せている。SF作品として幅広い支持得ているのには理由がある。

投稿 : 2022/07/17
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12

ネタバレ

ひろたん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.0 作画 : 4.5 声優 : 3.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

「メタバース」+「U理論」、ここまではイイのですが、最後、「なんですか、これ」。

主題歌「U」に乗せて展開される冒頭のシーンは、とてもすばらしいですね。
これからいったいどんな世界を見せてくれるのだろうかと、わくわくしました。
と、思った矢先、いきなり現実、なかなかやってくれます。


■メタバース
{netabare}
『サマーウォーズ』は、メタバースを描いた作品としては優秀だったと思います。
2009年公開なので今から10年以上前ですが、かなり先を見ていたと思います。
やっと時代が追いついた感じです。
この作品も同様の世界観です。
しかし、『サマーウォーズ』からあまり進化を感じられなかったのが少し残念でした。
{/netabare}


■U理論
{netabare}
この物語のメタバース空間は、「U」と呼ばれています。

ここでピンとくるのが一時期流行った「U理論」。
これは、変革、変容を起こすための物事の考え方です。
「U」の字は、「山→谷→山」となっています。
この谷の部分がターニングポイントとなる構造です。

私の場合、「U理論」については、当時、あまりピンときませんでした。
でも、この作品を観て、なるほどねって思えたのが、めっけものでした。
ここからは、この「U理論」をかい摘みながら物語を見ていきたいと思います。
ちょっと長いので興味がございましたら・・・。

{netabare}
人は、過去の経験による枠組みで物事をとらえます。
すると事実をありのままとらえることができなくなります。
思い込みと言うやつです。
それが思考停止や自己否定につながり自分が変わることの足かせになってしまいます。
それはなぜかと言うと、思い込みがあると、事実と解釈を混同してしまうからです。
そして、自分の解釈を事実として受け取ってしまうため動き出せなくなるのです。

この物語では、主人公がまさにそのようなキャラでした。
本当は、歌うことが大好きなのに過去の出来事から人前では歌えなくなりました。

     *   *   *

では、これを解消するためにはどうしたらよいのでしょうか?
それは、自分を観察し、自分の心に気づくことだそうです。
そのためには、自分を俯瞰し、心の動きや感じたことに意識を向けます。
自分を俯瞰するとは、言うなれば、もう一人の自分から眺めることです。

この物語では、仮想空間上に作ったアバターを主人公が俯瞰する構図でした。
仮想空間では、自分の思い通りのことが実現できます。
主人公は、アバターを通じて自分の本当の思いに気づいていくのです。

     *   *   *

次に、自分の思いに気づいても、すぐには決めつけず保留にしておきます。
そして、結論を出せないもどかしさに耐えてみます。
こうして、気づきと保留を繰り返すと、次第に心が柔軟になってくるそうです。
また、その影響で他人とコミュニケーションもとれるようになってきます。

この物語でも、主人公は、仮想空間と現実を行き来しながらいろいろ思慮しました。
一方、現実では、恋敵だと勘違いしていた知人と結果的には仲良くなったりします。

     *   *   *

心が柔軟になってくると、思い込みのせいで今まで見えなかったものが見えてきます。
これは、ある意味、他人が見ている世界を自分も見えるようになったとも言えます。
ここまでくると自分の解釈を無理やり「思い込む」ことができなくなります。

この物語では、自分の世界と他人が見ている世界との融合を仮想空間で表現しました。
つまり、この仮想空間は、単なる仮想空間でなかったのです。
主人公の心の変革への思考過程そのものを象徴していたのです。

     *   *   *

ここで、この物語はターニングポイントを迎えます。
U理論によれば、この後は、根源的な問いが出てくると言います。
それは、「私は何者なのか?」、「私の成すことは何か?」ということです。
そして、この問いにより、「本来の自分」へとつながります。
この「本来の自分」からの発信する言葉は、他の人にも響くと言われています。

この物語でも、主人公は、最後に、仮想空間上で「本来の自分」を晒しました。
「私は何者なのか?」に対する答えです。

そして、歌たったのです。
「私の成すことは何か?」に対する答えです。

主人公の歌う歌は、この仮想空間の人々に響いたことは、言うまでもありません。

「本来の自分」とつながり、行動を起こすことで生まれるものが変革、変容です。
主人公は、最後、まさに行動を起こすことにより、今までと違う自分になれたのです。

     *   *   *

主人公は、仮想空間では、他の人々から「彼女はいったい誰?」と言われてきました。
実は、これは自分を失いかけていた主人公の自分自身への問いかけでもあったのです。
{/netabare}
{/netabare}


■「なんですか、これ」
{netabare}
主人公と「竜」との関係については、正直、あまりグッとくるものはありませんでした。
しかし、主人公の気持ちだけを追っていくとトラウマと思春期特有の悩みの合わせ技で、
意外とグッとくるものがありました。
主人公が仮想空間で「本来の自分」を晒して歌ったところまではとても良かったです。
感動もしました。

しかし、その後、虐待されている子供を助けに行くところの展開はいただけません。
「なんですか、これ」、正直、やっつけとしか思えません。
赤の他人でも助けると言う死んだ母親譲りの動機で行動したのは納得できます。
でも、もうちょっと描きようがあったのではないかと思えて残念です。

結局、主人公はどっちの男の子が好きなの?的な展開となり頭の中が、グチャグチャ。
そして、今まで積み上げてきたものが、メチャクチャ。
なんだか、ダイナシ。
{/netabare}


■まとめ

この作品は、主人公の心の中で起きている変革を仮想空間に投影し表現しました。
また、主人公は、トラウマとコンプレックスを抱えていますが、ごく普通の女の子でした。
このあたりの設定はとても良かったと思います。

でも、物語としては、正直、もう少しだったかなと思います。
特にタイトル「竜とそばかすの姫」のうち「竜」については、ピンときませんでした。
極端な話、「竜」じゃなくてもいいんじゃないの?とも思わなくもありません。
なぜなら、主人公の心の変革のきっかけ以上のものを感じなかったからです。
つまり、他にきっかけになるものがあれば、「竜」じゃなくても成り立つからです。
どうしても「竜」でなければならないと言う必然性が欲しかったと思いました。

全体的に各要素がもっと有機的につながっているストーリーだとよかったと思います。
少し支離滅裂だったかなと。
でも、それがネットワーク上の仮想空間の本質なのかもしれませんが・・・。

投稿 : 2022/06/08
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27

ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 1.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ワリ喰う人々

冒頭から私事で恐縮なんですが、
僕はここのレビュ-で『声優』という言葉をなるべく使わず、
作品に声をあてている方を『役者』と表現することにしています。
(『中の人』も使いますが、まあ、それは置いといて)

といっても、昔は『声優』という言葉をふつうに使っていました。
ですが10年ぐらい前、
たぶん名前を知らない人は少ないであろう某有名役者さんと飲んだとき、
こんなことを言われたんです。

  フリさんさあ、その『声優』っての、できればやめてくんないかなあ。
  俺はさ、自分のこと『役者』だと思ってんの。
  自分の仕事っつ~か商品ってのは、
  何かを表現するための『芸』であり『芝居』であると思ってんだよね。
  そのことに誇り持ってるし、持てるだけの努力もしてるしさ。

  だから『役者』としてアテレコもするし、ラジオも出る。歌も唄う。
  機会があれば舞台にも立つし、もちろん顔出し仕事もしてる。
  声だけじゃなく、俺の芸全てが俺の商品、
  というか、俺の生きざまそのものだったりもするわけでさあ。

  だからさ、俺の『声』だけを切り出して俺の仕事だと言って欲しくないっつ~か……
  俺はさ、『声』をあててるんじゃなくて『役』を演じてんだよね、
  エラそうなこと言って悪いんだけどさ、
  そこんとこ、もうちっとだけ、わかってくれたら嬉しいんだよなぁ。

もちろん『酒の上での話』ではあるのですが、
僕にはガツンときました。
そういう思いを製作サイドの僕に対して正面から語ってくれたことも、
人として認めてくれたみたいでうれしかったですし。
(実際のところ、それってかなりリスクのあることなんです)

それ以来僕は、現場でも書きものでも、
リスペクトを込めて『役者』という言葉を使うよう心掛けています。
ごく一部『声優』も使っていますが、
それは『第三者が一般に用いる呼称』として使用するときに限っています。

勘違いして欲しくないのですが、
その『声優』という呼称に誇りを持っている方もたくさんいらっしゃいます。
そのことを否定するつもりは毛頭ありません。

  『声優』と呼ぼうが『役者』と呼ぼうが、
  マイクの前に立った瞬間、求められるのは『芸』だけです。
  そこに矜持があり、
  そして矜持を抱くに値する『芸』の力があるのなら、
  呼称なんてのは、極論、どっちでもいいことなんだと僕は思います。


さて、本作『竜とそばかすの姫』は、
はっきりと『アテレコ役者の力量』に問題を抱えた作品です。

とりわけ、主人公すずを演じる中村佳穂さんに関しては、
  お金をとって劇場で聴かせることができる『芸』ではない
というレベルにしか、僕の耳には聴こえてきません。

だけどそれはまあ、あたりまえの話で、
彼女は『役者』ではなく『ミュージシャン』であるわけです。
音楽に関しては長い修練と努力を積み重ねてきた方ですし、
その点に関してはリスペクトすべきですが、
お芝居については、何一つ積み上げたものがない『素人さん』なんです。

もちろん、自主製作映画程度の作品ならば
『声質がいい』『素人のわりにがんばってる』という評価はアリだと思います。
ただ、本作は何億円もの出資を募って製作され、
一般の方々から高額な鑑賞料金をいただく『商業作品』なわけです。
その主演が『素人のわりにがんばってる』ではダメなんじゃないかしら、と。


もちろん、そのことが作品すべてを否定することには繋がりません。

映像はそこそこ美しいし、音楽は素晴らしい。
脚本も、個人の好き嫌いや細かな突っ込みどころを考慮しなければ、
よく練られていると評価していいレベルにあると思います。
{netabare}
  『仮想現実』と『リアル』の狭間で揺れ動く『人間』も描けているし、
  その『残酷さ・無責任さ』と『暖かさ』の対比も充分です。
  そして、ただそれを描きっぱなしにするのではなく、
  ジブリ作品みたいにがばがばじゃない、
  現代に通じるきちんとしたメッセージが内包されています。

  もちろん「いやそれは違うだろ」とか「考え、古くね?」とか、
  人によってつまづきそうなところがあちこちにあります。
  脚本として評価するなら、言葉選びにキレがないところも多数見受けられ。

  ですが、細かいところに目をつぶり、
  あくまでも娯楽作品なんだよこれはと俯瞰するなら、
  きちんと一つの世界観を構築しているものではあるよなあ、と。
{/netabare}
ですから『映像娯楽作品』という意味では、
一定以上の評価を与えられて然るべき作品であると思います。
興行収入62.7億円という立派な数字も、それを証明していますよね。


ただし一方には、アニメとは『総合芸術』だ、という考え方があります。

  映像だけでも音楽だけでも、ましてや脚本や芝居だけでもダメ。
  それらすべてが複合的に折り重なって
  一つの作品・世界・メッセージを創造するのがアニメなんだ。

そういうのは『制作』に関わる方々多くの共通認識でもあります。

その観点からすると、
少なくとも僕にとってこの作品は『総合芸術作品』ではありません。
ゲ-ジュツなどと呼べるお芝居にはほど遠く、
お金をたくさん稼いだ映像娯楽作品、という位置づけです。

同様に、本作の細田守監督に対しても、
優れた映像作家・ビジネスマンであることは認めるところですが、
芸術家としては、首をひねらざるを得ないところです。

特に本作は「役者と歌唱は同一人物でなければならない」という、
ほとんど意味をなさないこだわりのもと、
オ-ディションを経て監督本人が確信的にキャスティングしたわけですから、
役者の演技品質については、100%、監督の責任です。
  {netabare}

  ちなみにこの作品、『音響監督』がクレジットされていません。
  細田監督が東映アニメーション時の経験を引っ張り、
  監督が音響監督を兼ねるやり方を貫いているのだとか。

  音響監督というのは、BGMやSEも当然扱いますが、
  同時に、お芝居のスペシャリストでなければいけません。

  監督の意向・イメ-ジを咀嚼してキャスティングを進行し、
  (もちろん『提案』であって、決定権は監督にあります)
  実際のスタジオ収録現場にあたっては、
  役者の解釈と監督のそれを一致させる通訳兼演技指導者として、
  それぞれの役者に的確な指示を与えていきます。

  オ-ケストラに置き換えるならコンマス以上に重要な役割で、
  現場によっては監督が『作曲家的立ち位置』で音響監督が『指揮者』、
  みたいになることも珍しくありません。

  で、細田監督が音響監督を兼ねるということは、
  フルオ-ケストラを相手に単なる音楽マニアがタクトを振る、
  みたいな状況に、かなり近いと考えていいと思います。

  なにせ、細田監督は完全な『アニメ-タ-上がり』であって、
  自分で演じた経験も、先輩音監について専門的に学んだ経験もありません。
  平たく言えば自分の『感覚』だけでやっているわけです。

  それでも、そのオケがプロの演奏者ばかりなら、
  素人が聴いて破綻しているとすぐわかるような演奏にはなりません。
  誰が指揮者でもそれなりに鳴らせるからこそ、プロなわけで。

  ただ、本作を演じるオケには『楽器を握るのも初めて』みたく、
  音を出すのもやっとこさっとこな方もいるわけで……
  はっきり言って、ぜんぜん鳴ってません。てか、鳴る道理がない。


  ちなみに、同じようにテレビ俳優さん等を多用する新海誠監督は、
  あたりまえの話ですが、きっちり音響監督をつけています。

  細田監督の『サマーウォーズ』と新海監督の『君の名は。』、
  どちらも主演は神木隆之介さんなのですが、
  そのお芝居は、なんかもう、雲泥というか月とすっぽんというか。
  (後者が『よかった』というより、前者が『ひどかった』)

  もちろん、七年という時間軸の差はありますが、
  神木さんがアニメで声をあてるのは『サマーウォーズ』で六作目です。
  当時でも実写ではすでにキャリア10年、
  あの『風のガーデン』で倉本聰作品にも出ていた実力派だったわけで、
  若かった・経験不足だった『だけ』だというのは、ちょっと違うかな、と。

  つまるところ、音響監督とはそういうものであるわけです。

  そして、この演技品質の差がすなわち、
  新海監督と細田監督の『総合芸術家』としての矜持の差、
  みたいなものだと僕は考えております。
  {/netabare}


作品全体の評価は、僕個人としてはB-からCといったところです。
仮想空間の表現や『美女と野獣』ママパチ演出が好きくないのもありますが、
やはり役者さんのお芝居が『自主製作レベル』なのが最大要因です。

  主演の中村佳穂さん以外にも『問題のある』演技が散見され、
  しょっちゅう引っかかったりつまづいたりで、
  作品そのものに集中することができませんでした。

  調律の狂ったピアノの演奏を聞かされているようで、
  曲想やメロディがアタマに入ってこなかった、みたいな。

  おまけに一つ一つの音の粒も粗くて、
  『その音がなんのためそこにあるのか』ということが伝わらない、
  ただ音を出しているだけの演奏(演技)であったような気がします。
{netabare}
いやいや、この作品、カンヌ国際映画祭でも上演されてんだよ、
世界的にも認知された芸術作品なんだよ、
なんていう方も少なからずおられるとは思いますが、

  日本語の演技を評価できる審査員、まずいませんから。

  カンヌに限らずジャパニメーションに対する海外の評価って、
  日本語役者の演技品質って、ほぼ『対象外』なんです。

  海外のアニメフリ-クには、吹替ではなく字幕版を好む人が多いですが
  それは日本人独特の『かわいい声質』が好きなのであって、
  なにを言ってるのかなんてこれっぽっちもわかっちゃいません。
{/netabare}

もちろん『芸』にこだわるのは僕個人の嗜好・思い入れですから、
そういうところにおおらかな方は、
もっと違った、内容に踏み込んだ感想になるのではと思います。

映画の楽しみ方は、人それぞれ。
どのような視点でどのような感想を抱いたとしても、
そのことを否定するつもりは全くありません。

あくまでも僕は単純に、
自分が尊敬する『芸に全てを賭けた方々』が侮辱されたように感じたので、
ネガティヴな評価になったに過ぎません。

  視野の狭い、古くさい矜持に固執するバカ野郎のいうことなので、
  本作を楽しく視聴されたみなさん、
  どうか気にしないでやっておくんなまし。


************************************************************


ここから先は、作品本編にほとんど関係ない『役者』の話です。
興味のない方は読む必要のない、読んでも仕方ない内容ですので、
いつものとおりネタバレで隠しておきますね。

{netabare}
現実問題として『声優』と呼ばれるアテレコ役者さんは、
一部の心ない製作・制作関係者から『軽視』される傾向にあります。

芝居の『し』の字もわからない、
モノローグとデンマークの区別もつかないような連中が、
したり顔でキャスティングに口をはさんでくるなんて日常茶飯事です。

  泥臭い話で恐縮ですが、
  アニメのアフレコとテレビドラマの役者一話あたりのギャラは、
  (もちろん尺や拘束時間が全然違うというのはありますが)
  ふつうに一ケタ、主演クラスだと二ケタ違うというのが実情です。

  ものごとの価値をカネでしか判断できない連中にとって、
  アフレコ役者の報酬は『エキストラに毛が生えた』程度のものなんです。
  だから、その金額が仕事そのものの評価額である、つまりは
    誰にだってできる簡単なオシゴト
    実写で通用しなかった役者のするオシゴト
  ということなんでしょう、みたいな認識であるわけです。

  ですから、リスペクトみたいなものは頭から存在しません。
  あの史上最悪アニメである『もしドラ』のEDクレジットなんか、
  主演役者や先輩役者を後回しにして、
  ろくに台詞もなかったAKB歌手を最初に表示させたりしてますし。
  制作サイドがブチ切れるの、あたりまえです。

  いやほんと、月夜の晩ばっかりじゃねえ……ないんですのよ、おほほ。


まあ、制作に一切かかわらない連中は致し方ないにしても、
前述のように監督が『アニメ-タ-あがり』であることによって、
とんちんかんなキャスティングが成立してしまうケースも存在します。

  誰でも知っている某おじいちゃん、はっきり言ったら宮崎駿監督は、
  「媚びた声がいや」「注文通りの芝居になり過ぎる」
  とか言ってましたが、それはちょっと違うんじゃないかなあ、と。
  そういうのって、どういう芝居が欲しいのか
  自分の要望を役者に伝える語彙力がないだけのことなんですから。

  そしてその「媚びた声がいや」発言を岡田斗司夫が全肯定したりして、
  それが識者の意見みたいに拡散される。
  ほんと、いやな世の中になったもんだとつくづく思います。


もちろん、現場に『声優』として送り込まれた方々は、
それぞれが『与えられた仕事』として大真面目にやっています。
専門的な訓練を受けたことがないから、
専業の方々と比べて技能的に劣る方が多いだけで、
決して、アテレコという仕事をなめているわけじゃありません。

  中には、専業の方々と遜色ない技量をお持ちの方もおられます。
  そういう方は、本当にすごい。感心するしかありません。

  また芸の『味』という意味では、
  あの『DEATH NOTE』でリュークを演じた中村獅童さんなんか、
  既存の役者では出せない、素晴らしく『味』のある芸だったと思います。

つまるところ、きちんと『役』を演じることができるなら、
別にテレビ俳優でもお笑い芸人でもミュージシャンでもかまわない、
というふうに僕は考えています。

ただ『声優』とは役を演じるのではなく『声をあてる』仕事だ、と考え、
  だったら誰でもできるじゃん、
  そんなら有名な人の方が客よべるじゃん、
  お金もうけには集客大事じゃん、
ということを本当に実践してしまう輩が多いからハラ立つだけで。

ですから『鬼滅の刃』が興行収入の一位に躍り出たとき、
ほんとうに、マジで、南極大陸に降り立ったような気持になりました。

  ざま-みろ。
  ざま-みろ。ざま-みろ。ざま-みろ。
  ざま-みろ、ざま-みろっ、ざま-みろっ、ざま-みろっ!

  ……ああ、おとなげない。
    いいトシこいて、なに言ってんだか。
{/netabare}

投稿 : 2022/05/06
閲覧 : 265
サンキュー:

23

ネタバレ

ミュラー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

時間長すぎ

ぱっと見の感想は、「美女と野獣?」。だから名前もベルなのか、と思いました。
ちょっと長すぎないですかね。時間的に30分で充分じゃない?
終盤まで間延びしすぎて、何度か眠くなってしまいました。
{netabare}
竜の、というか、子供の虐待が出てくるところ以降から面白いですが、そこだけで良くない?
「U」という仮想空間で誤魔化している感はあるけど、ストーリー自体は単調で面白みがない。劇場版にすべきトピックというか、物語もない。
ちょっと全体の構成的にはいまいちな感じがしました。
{/netabare}
テレビシリーズの1話としてなら大変面白かったと思いますけど。
映像や音響のすごさは認めますが、それだけではねぇ。

投稿 : 2022/04/16
閲覧 : 187
サンキュー:

10

ネタバレ

fuzzy さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

期待しなければ良い作品かと。響く人には響くのかな。薬もすぎれば。。

言い方悪いですが
おおかみこども以来観る気が。。なもので。

〈既視感〉
今のネットでの揶揄
サマーウォーズのカズマ、ネットの描写、🐳
手塚作品や石ノ森作品のようなキャラのジャスティス


主人公のアバターがベルで竜がモンスターで見るなーって
それって『美女と野獣』のまんまよね

批判ではなく感じただけで。
サマーウォーズのとかは
ジョンウーも映画には鳩だすとかあるしで。

〈ひっかかるとこ〉
正体を暴くためとはいえ人の家の玄関のライブ映像漁ってて。。◯◯のよう
あとあのライブ映像は子供たちがこっそりやってるの?虐待映像を晒してるなんて親がやっていたのであれば正気の沙汰ではないが。。

あ、子供達がやってたのね。読み取れなかった。

いきなり状態を戻すより、あのジャスティスのおかしな振る舞いと虐待をみんなに言った後で姿を解いて歌ったら良かったかも。あそこなんかネットの観客も視聴者もよくわからないかなとちと思う。

〈トータル〉
期待しないでって失礼ですが
知らない監督の作品と思って観るとクオリティは高いかと。
現実のいじめ、ネットのいじめ、お母さんの死、それをまだ引きづる描写、自分のコンプレックス、虐待。。
すごく正しいことを表現してるようですがお腹いっぱい。
扱う問題を半分にして1時間半ならよかったかも。

あそこらへん共感もあるかもだけどトラウマある人はぞっとしないかな。

細田さんと思ってしまうとまた教訓か。。と勘繰ってしまう。

大ヒットを飛ばす監督なのでもうやりたいことをやっているのはうらやましいと思いました。

投稿 : 2022/04/16
閲覧 : 184
サンキュー:

6

ネタバレ

楼蘭 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

家庭内暴力は1万件くらいはあるんじゃないの??

そのうち、たった一件を解決するのに顔まで怪我して大変だね。
世界と繋がってんだから、全件解決してね!としか言えないなあ
子供が親に暴力ってのも一杯ある訳で、そちらも身体はって解決してね💛

というくらい、意味がないストーリーだと思った。

投稿 : 2022/03/25
閲覧 : 151
サンキュー:

0

ネタバレ

Kansan さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 2.5 音楽 : 4.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

ディズニー×細田守監督

普通に楽しめました。まるでディズニー映画を観てる気分(お城のシーン、笑いました)。音楽と3D世界と手描きの世界のギャップを楽しめて良かったです。ストーリーを無理に大きくしたり強いメッセージ性をだしたりせず、最終的には小さく綺麗に話をまとめてくれて嬉しかったです。
まぁ日本アニメーションの名作たちと比べたらチープに見えてしまうけれど。ディズニー映画に複雑なキャラクター性や深い感動を求めないのと同じように、過度な期待をせず、野暮なツッコミを入れずに見たら十分楽しめると思います。

投稿 : 2022/01/30
閲覧 : 129
サンキュー:

1

ネタバレ

たつや さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 1.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

求めていたのはこれでは無い

思ってたよりは良かったが、微妙というのが正直な感想。とはいえ最後の演出が良かったので終わりよければすべてよしって感じだった。ただ序盤、特に中盤は完全に細田守版美女と野獣で、だれるところもあった。竜の正体もあまり知らない(思い入れのない)、ある意味予想外の人で、ミスリードを誘いたかったのか分からなかったが、そこかー?とは思った。とはいえ演出と作画は素晴らしいと思った。最後のありのままの自分で歌うシーンとか良かった。もっとストーリーを練って製作されていたら面白い作品になっていたのになぁと思った。

投稿 : 2022/01/30
閲覧 : 222
サンキュー:

7

ネタバレ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

となりの女子高生が「感動した。」と言ってたからよかったのかもしれない

正直言って、面白いかどうかと聞かれたら新海誠監督と同じく「普通」で卒のない作品である。

細田監督らしく毎回テーマもキャラクターもほとんど変わっておらず、一貫して「家族とはなんなのか。」というテーマを元に作られている。

今まで僕は「バケモノの子」や「おおかみ子供と雨と雪」「未来のミライ」を酷評してきたが、今回はそれらの作品と比べると良く纏まっている。

しかし決して目新しいわけではないし、CGのクオリティも体して良いわけでもないので映像表現としては現存のアニメと変わらない。

「シンエヴァ」のようなキャラクターの掘り下げや、今まで自分を作り上げてきたものに対する感謝のようなリスペクトがあるわけでもない。

しかし、隣に座って鑑賞していた女子高校生が

「面白かった。感動した。」

と言っていたので、それでよかったのだと思う。

別に僕だけがオーディエンスなわけではないので、一般の人に解りやすくしているという意味では成功しているのである。

最近は、アニメ映画は老若男女関係なく様々な人が鑑賞するようになってきた。

既に一般化したコンテンツにアート的な評価を下すのも無粋かも知れない。

それだけより多くの人が観に来るようになったのである。

投稿 : 2021/12/15
閲覧 : 378
サンキュー:

20

ネタバレ

栞織 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

匿名性と自分らしさ

最近はやりのVtuberなどはまったく知らない年寄りなので、ぱっと見た感想です。

まずネットでの匿名性がテーマになっていると思いました。誰もがアバターを持っている時代です。それが暴かれても、ネット上で無事にいられる。このあたりの描写は、「おまえも顔出しのアイドルになってみろ」みたいなメッセージに取れて、今ひとつ納得できませんでした。あのオチ以外になかったのかと。しかしあれ以上に事件を解決する手段は、私も思いつきませんので、仕方がないのだと思います。しかし後味が悪いシーンでした。そう思いつつも、感動的な音楽とカット割りで涙は出ましたです。それはベルと竜が虚空で抱き合う場面でもそうでしたね。映像の力だと思います。しかしそれは、情に流された涙で、自分で論理的に納得して流れたものではなかったです。そういう、古臭い「情」に訴える映画だったと思います。

ひとつひっかかった事は、はじめに鈴がベルのアバターを作った時に、ルカの写真を切り抜いてアバター指定していた事です。要するに、あのベルのアバターは、彼女自身のルカへのコンプレックスから作られたものだという事です。最近読んだ本で「純喫茶トルンカ」という作品に、死んだ姉の着ていた服ばかり着て、姉の恋人だった男と会う高校生の話がありました。その子はふられるわけですが、やはり忍のようなボーイフレンドからたしなめられて、我に返るという話でした。何かこの映画とそっくりだと思いました。最近読んだ新書で「無理ゲー社会」という本で、現代人は「自分らしく生きられない」という事が呪縛になっているという話がありました。自分らしさ、という文句自体がすでに私には古い感じがするのですが、一面の真理だと思うし、この映画も底流にそれがあります。要するに最後に忍から鈴がおまえらしくなった、というようなセリフを言われるのは、まさにその意味なのです。

しかし言っていいでしょうか、非常にその考え方が表面的すぎて、深く描かれていないように思いました。全体的に洋画風になっていて、しかし深い洋画のいい部分がなくて、見終わった後も、いわゆる人情話をひとつ聞かせてもらったみたいな感想しか出てこなかったです。もちろん家庭内暴力については、深刻な問題で、この映画で取り上げられたのはいい事だと思います。しかし、途中までミスリードで竜は忍の事ではないかという予想は見事に裏切られたし、まったくの見ず知らずの兄弟を助ける、いや助けになっていないかもしれない場面で終わるのは、はっきり言って納得ができなかったです。ネットはそれほど遠くの人間と結び付けられるという事を示したかったのかもしれせんが、作劇上盛り上がりに欠けてしまいました。

苦言ばかり呈しましたが、Uの世界は魅力的だったし、アニメート的にいろんな作風の作画が見られたのは楽しかったです。ベルの顔も動いていたら、それほどぎょっとしない顔に思いました。停まった絵では魚みたいな顔だと思ったのですが。あの顔をヒロインにした勇気は、ほめられていい事かもしれません。劇中の音楽については非常によかったです。

投稿 : 2021/10/17
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テナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 2.5 作画 : 4.5 声優 : 3.0 音楽 : 2.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

仮想世界

見に行く予定ではなかったのですが、職場の人から映像が凄く良いから、映像だけでも見に行く意味あると言われ見に行きました。

確かに、映像や色は拘りがあり綺麗だし凄く良かったと思います。
物語として良かったと思ったのが作中にキャラの心情のヒントがあったのが少し印章的かな?

演奏しているルカ達の横でカヌー部の勧誘にきたカミシンが凄く目立って、皆からウザがられて、演奏してるルカが背中を向けるシーンがあって、私は「あぁ〜演奏中に絡まれたら嫌だから目を背けたんだ」って思ったけど、後から駅のやりとりで、なるほど〜ってなりました(◍´꒳`)bᴼᴷ
駅のあのシーンはカミシンの1人コントぽくて面白かったです。

さて、物語としては仮想世界の竜とお姫様のお話って感じでしょうか。
少し少女漫画に近い物がある気がしました。
ただ、これは恋愛?と言うかなんと何と言うか……

ベルは竜の本物をみてくれた。
竜は悪い奴だと周りから思われ、正義づらした自称警備団?みたいなのにも攻撃されたりするけど、ベルは本当は心が傷付いた竜である事に気が付いてくれる。
噂の悪い竜ではなく、心に傷を持つ竜だと。

その辺から、竜はベルに心を許していった気がします。
そんな時、竜の城が襲撃されます。

この警備団は、正義を振りかざして自分達がUの世界を守っていると思い込んで居て、悪だからと竜を潰そうとするけど、私には正義には見えなかったなぁ〜

ただの自分達の勝手な物差しで勝手に正義って言葉武器にして盾にして自己満足に浸ってる人って感じがしました。

かなりのスポンサーがついていたから間違えなく実績もあるんだろうし悪人達ではないんだろうけどさ、それでも正義を執行する中で、いつの日からか道を踏み外してしまった人達に映りました。

そんな中、鈴達は、竜を助けるために、竜の正体を探さなければなりません。
私が思ったのは、やっぱり時代の流れは怖いですね。
夕方のアラームと部屋から見える2つのビルってヒントだけで、あの場所を特定するとか本当に凄いけど同時に怖いなぁ〜ってw


さて、竜の正体が判明するのですが、竜は父から虐待されていたのです。
人の親とは思えない言動。
子供は親の私物ではありません。
子供の自由を奪って言葉と力で押さえつけて、消えろと言う。
本当に酷い大人だと思います。

その映像を偶然見てしまった鈴は自分がベルだと明かしますが、信用して貰えません。
当然ですが、ベルはアバターで鈴は生身で証明する事が出来ません。
ベルは有名人だし成り済ましの可能性すらあります。

鈴は必至に助けたいって言うけど竜は「助けるってどうやって?」と言います。
彼は助けたいなんて沢山の人から聞いてきたけど実際に助けられる事は無かったそうです。

実は私も子供の頃に凄く大人って嫌いでした。
大人は子供だからと見下して約束も平気でなかった事にしたり、口だけで何かを相談しても結局解決していない解決が変な方向に向いてしまったなんて沢山ありました。
凄く理不尽だと思った事もありました。
大人は子供に色々言うけど、大人の方が出来てないじゃんって思う事もありました。

だから、絶対に大人になったら子供に寄り添える大人になりたいって思ったのを覚えてますw
勿論、全ての大人がそんな人ではないのですけどね(⸝⸝⸝´꒳`⸝⸝⸝)

だから、竜の気持ちって凄く解ったんだけど、彼の鈴達への八つ当たりには私は( ˘•ω•˘ )ムカッってなりました。

助けたいと言っても誰も助けられなかったと言います。

私は人を助ける人って凄いって思います。
でも、私は助けられる人の方が更に凄いって思います!

人は助けるなんて言うけど、人が手を差し伸べるなんていくらでも出来ちゃうんです。
困っている人を助けたいって思ってくれる人は世の中には案外沢山います。

でも、1つ絶対に必要な事があります。
それが無ければ絶対に助かる事はありません。

それは「助かりたいと言う気持ち」です!

助けようとしてくれる人が、全て知らない間に全てを解決してくれるなんて事はありません。

例えば、いくら助けようとしてくれても、本人に現状を打破する勇気が無ければ手を差し伸べても現状を変えられず助けられないのです。

竜がすべき事は何だったのか、大人達に解決していない事をハッキリ伝える事
勇気を持って、もっとSOSを叫ぶ事
助け舟がある間に父に自分の気持ちをぶつける事

これは本当に勇気が必要な事です。
怖いです!泣きたいです!逃げたいです!
でも、助けられる側も勇気を出さないと、誰がいくら手を差し伸べてくれても救えません!

助けたい人が、何も解決していない事を話してくれないと解決したと思われます。
SOSを出さないと気がつくまでに時間が掛かり助けが遅れちゃいます。
1番、心に響くのは当人の声なのです。

だから、助けられる側は勇気が必要だし凄いなぁ〜って思うのです。

ですが、竜は耐えることしかしていません。
自分が耐えたら良い、といいますが、耐えて解決する事なんて殆どの場合はないです。
最悪の場合は心がズタズタになります。

助けようとしてくれた人達を見て彼は、心のどこかで諦めていたのではありませんか?
どうせ無理だと……1番に諦めていたのではないでしょうか?

そんな人をどうやって救えばいいのでしょうか?
竜の言い分も凄く解るけど、私には誰にも救えないと諦めて殻に閉じこもり、助けようとしてくれる人に敵意を剥き出しにしてしまう駄々っ子にみえてしまいました。

でも、最後に駆けつけてくれた鈴を見て彼は立ち向かう勇気を貰えました。
きっとこれからも大変だと思いますが、きっと勇気を持てた彼なら大丈夫だと思います。


さて、鈴ですね。
彼女はリアルでは母を亡くしたトラウマから歌をうたえなくなっています。
仮想世界のベルなら素敵な歌を奏でるのに……
ですが、竜にベルと鈴が同一人物である事を知って貰うには自分の正体を証すしかなくて……

ベルとして人気の彼女……
でも、中身は田舎の地味な普通の女の子。
ベルとしてイメージが高い分、ファンは顔を出したら離れていくかもしれない……悪口を沢山言われるかもしれない……彼女の必至に作り上げたベルのイメージを自分で壊してしまうかもしれない。

でも、竜に自分の正体を知ってもらうには、それしかなくて……
たった1人の為に正体を明かして積み上げた物を崩すか、たった1人を見捨てて積み上げた物を護るか。

彼女の決断はすごく良かったと思います。
カッコイイと思いました。

さて、物語としてはツッコミ要素あったり、?が浮かぶシーンもありましたが、人の心情を上手く描けていると思います。
映像も綺麗だし、気になる人は見てみてもいいかな?とは思える作品になっていたと思います。

投稿 : 2021/09/20
閲覧 : 215
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ハウリングインセクト さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

仮想世界でしか歌えなかった少女の成長

仮想空間''U''でBelleとしてしか歌えなかった少女が竜のAsに心惹かれ、理解したい、助けたいと鈴のままで歌って見せた成長は心にズンと来るものがあります。

鑑賞後も彼女達のその後がどうなるか想像したくなる作品です。

投稿 : 2021/09/14
閲覧 : 90
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退会済のユーザー さんの感想・評価

★★☆☆☆ 1.8
物語 : 1.0 作画 : 3.0 声優 : 1.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

シナリオが悪質

歌唱シーンの制作だけで力尽きた駄作
物語が退屈、苦痛、胸糞の三拍苦なので、この映画の売りである歌唱シーンが全く頭に入ってきませんでした。

•退屈
 見た目しか魅力のない竜とヴィランズ
 尺を割く必要が感じられない同級生
 ひたすら竜の噂話をしているモブアバター
 同じセリフの使い回し
•苦痛
 陰キャな主人公がSNS上の特定のアバターを執拗に追いかけ、キスしようとする展開
 陰キャ拗らせすぎてパーソナルスペースが狂ってるのかな。自分と同じ悲しみを感じての行動なんだろうけど、行動が飛躍しすぎて病んでるの?って思っちゃった。
•胸糞
 ディズニーの美女と野獣のシーンのトレス
 虐待されている子供達が、話を盛り上げる演出だけに使われており、救われるシーンがない
 凶暴な成人に未成年が丸腰で挑むことを美談にする倫理観

劇中歌が気になっている人は、YouTubeに上がってるMVを視聴して、気に入ったらサントラ買う、で良いと思います。そちらの方が無駄な時間を過ごさなくて済むし、モヤモヤした気持ちを抱えずに済んで幸せです。

監督は高尚そうなテーマを映像に捻じ込んで自分を大きく見せようとする前に、まず最低限値段に見合ったエンターテイメントを提供してください。
今後この監督が作った映画にお金は払わない。

投稿 : 2021/09/13
閲覧 : 112
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esso-neo さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.0 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

あーなるほどというツッコミどころ

あの人たちの行動が理解できない
という声が批判としてよく出てきたが、たしかにわからん。あの一幕だけ異常さがある。あとは大体出来上がってると思うんだけど。
あれで親父がいて、すずと同行してメッセージじゃあなく直接会話するのが一番良かったんじゃないの?って思うんだけど、肉体言語も生きるし。あれがすずただ一人でないといけない部分かというと違うんじゃないかと思うんだよな。
そこだけ。他は後ほど。

投稿 : 2021/08/27
閲覧 : 184
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ナルユキ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.0 作画 : 4.5 声優 : 3.5 音楽 : 5.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

歌は良かったよ、歌は

仮想世界という世界観をふんだんに活かした演出と映像美、今回主人公声優も努めた中村佳穂というミュージシャンによる楽曲で派手に彩られているが、やっていることの大半は『ネットあるある』の詰め合わせ。形が違っても歌い手と信者、荒らしに自警団といった属性を各登場人物に当てはめることができるインターネットの縮図である。
しかし、そのリアリティはまるで時代についていけない老人が描いたかのように稚拙だった。

【ココがつまらない:竜の正体に興味が湧かない】
そもそも本作を視聴する途中で竜が誰なのか気になった人はいるのだろうか。
仮想世界〈U〉は50億人以上──実に世界人口の7割を凌ぐ膨大な利用者が物語開始時点でいる。“竜”というのはその中の1人が作り出したAs(アズ)というアバターであり、仮想世界で暴れている“荒らし”というポジションでしかない。そしてその正体はAsによって一分の隙もなくスポイルされている。
そう、竜は“50億人の中の誰か”なのである。この設定時点で竜がどんな人間かだなんて割とどうでもよくなってしまう。
現実の、本作より後進的なインターネット事情を思い返してほしい。自分の好きなコミュニティが匿名の荒らしに荒らされたとして、そいつに「許せない」とか「邪魔だ」という義憤を抱いても「こいつは誰なんだ?リアルではどういう奴なんだ?」という興味を持つまでに至るだろうか。Twitterのバイトテロくらいならその投稿から特定できそうなので、面白がって調べる──なんて事例があるのもわかるが、只の荒らしに躍起になって特定を急ぐなんて事例は聞いたことがない。
{netabare}ところが本作では〈U〉の秩序を乱す者として竜を迫害し、その正体探しが世界規模で行われる様を見せられるのである。Asの特徴や他人のAsを破壊する残虐性という共通点だけでアーティストや格闘家などに疑惑を向けたかと思えば「普段から抑圧された本性を〈U〉で晒けだしてるのかも」と品のいいセレブやメジャーリーガーにも疑いの目を持つ。さながらミステリーのようなパートが序中盤の尺を盗っているのだが、観てるこちらは茶番のようにも感じる。{/netabare}
『名探偵コナン』だってサイバー犯罪を扱って「地球上にいる人間全員が容疑者です」なんてやったら人気が急落するだろう。要はそういうことである。

【ココもつまらない:〈U〉のある世界観がよくわからない】
そんな竜に荒らされているらしい〈U〉だが、そもそも具体的に何をするところなのかがよくわからず、よって竜が暴れてみんなが怒るというのもどこか納得がしづらい。これは細田守監督の前作である『サマーウォーズ』の〈OZ〉に大きく劣る部分だ。
あちらでは好きなアバターで格闘ゲームに加えてカジノなども楽しめるという“遊技”の部分をきっちり描いていて魅力的に見えた。そんな世界がラブマシーンによって破壊されていき現実世界にも悪影響を与える。だからこそサマーウォーズの登場人物たちの怒りや結束というものに共感できるようになっている。
{netabare}しかし〈U〉は『もう1つの人生、もう1つの世界』という謳い文句がある割には、それにのめり込めるコンテンツを殆ど描写しておらず、端から見ればだだっ広い空間でAs(アバター)が宙を浮き人流を作ってさまよっているようにしか見えないのである。そんな楽しくなさそうな世界の秩序が乱されたとて、サマーウォーズとは違ってどうでもよく感じてしまう。
これらの説明がおざなりなのも前作のサマーウォーズと世界観が似ていて、その代表作をみんな押さえていると予期してのことだろうが、本作は別にサマーウォーズの続編でも同じユニバース作品というわけでもないのだから、説明を丸投げしてしまうのはよろしくない。{/netabare}
【ココがひどい:ネットの嫌な部分を誇張し過ぎ】
盲信、誹謗中傷、掌返しetc...確かにSNSには利用者の醜い部分が見え隠れしている。しかし本作はそれをオーバーに描いており「そこまでひどくないだろ」とツッコまずにはいられない。いくらなんでも〈U〉の利用者が攻撃的過ぎて実際のネットユーザーから見たら嘘臭く感じてしまう。
{netabare}自警団ポジションであるジャスティスなんて仮想世界とはいえ、徒党を組んでの直接攻撃で竜やBelleに襲いかかる上、竜の住処である城を焼き討ちしたりAIキャラクターを傷つけたりBelleを拉致して尋問を行ったりする。今後実際に仮想世界が構築されて上記の行動が可能だったとして、匿名でもここまでの愚行に走れるユーザーは現れるのだろうか。私だったら「やり過ぎだ」と非難されることが怖くて実行には移せない。ところがジャスティスの蛮行を快く思わないのは竜と心を通わせることになったBelle=鈴しかおらず、彼の背中に浮かんだ多数のスポンサーが彼を支援してる上、右腕にはAsをオリジン(生身の人間の姿)に変える光線を撃てる能力まで与えられているのである。50億人もの利用者がいるSNS仮想世界としてはあまりにもマイナス的なご都合主義を描いているのではないか。{/netabare}
どうも本作はAs(アバター)という匿名的な肖像を、正体を隠す仮面のようなものとして描いている節がある。現実の自分を隠しているからこそ他者に対して容赦ない攻撃ができる、と。
しかし竜を見れば結局Asの姿で不適切な行動をとれば〈U〉にいられる場所はどんどん無くなってしまうのだから、Asという匿名であっても振る舞いをきちんと考えて尚さら清廉潔白に使う人間が多くなるのが本来のSNS仮想世界の描き方なのではないか、と私は思う。

【でもココがすごい!:Belleの歌唱シーン】
脚本面では色々と粗が気になる本作。それをはね飛ばすのが主人公・Belle=内藤鈴の歌唱シーンだ。「〈U〉の世界に突如現れ、『自分のために歌っているように聴こえる』歌声で人々を魅了し〈U〉の歌姫となる」という設定に確かな説得力のあるアルトボイスを披露してくれる。
{netabare}とくに『心のそばに』は初めて〈U〉にログインして歌を歌う鈴の心情とシンクロしており、最初のたどたどしい「う、たよ……」が本当に歌えるかどうかの躊躇い、そこから段々と自信を付けたかのように跳ねるような歌声に感動できる。
劇中ではガヤの野次がとても耳障りなのでMVかサントラで聴くのが非常にオススメだ。 {/netabare}

【総評】
映像良し、演出良し、音楽良しの三拍子がそろった映画として見応えのある作品だが、脚本だけはやけにツッコミどころが多い。
一見、現在のインターネット社会問題に一石を投じているように見えるが、その投げかけ方がかなり偏っており、まるでネットで嫌な思いをした人が極端な例を膨らませて描いているようだった。確かにネット社会は炎上だの誹謗中傷だの負の部分が多く見られるが、一方的な情報の発信から相互の意見交換へと変わることでこれまで見えなかった各々の意見が表出するようになっただけの世界を否定的に描くのは、どこか迂闊に使って身から出た錆にやられた方々の憂さ晴らしのようにも思えて呆れの感情すら芽生える。
仮想世界の描写も拙い。まるで只の舞台装置のように扱っている。恐らく描きたかったのは、{netabare}
①終盤の竜の正体だった少年らを鈴が助け、その過程で母の想いを知る
②誰かを助けるためならSNSで素性を明かすことは厭わない。それが匿名で好き勝手言う連中より遥かに素晴らしい{/netabare}
という部分だろうが、それにしては今回用意された〈U〉は随分と大掛かりで仮想世界である必要性は演出部分にしかない。「現代のインターネットじゃ文字のやり取りが主だし映えないよね」という浅い理由で今回の舞台を作ったようにしか思えない。ちなみに公式で「ネット版『美女と野獣』をやったらどうなるか」というのを本作で試みた旨を明かした。うーん浅慮浅慮
描きたかった部分らしい終盤の展開までとやかく言うつもりはない。人によっては{netabare}「DV親の下にどうして子どもを1人で行かせてしまうんだ、大人がついていくべきだろう」や「高知から東京までなんて一体いくらの交通費と時間がかかると思ってるんだ、突発的に向かうには遠すぎる」{/netabare}という至極全うな意見も見受けられるが、細田監督の作品でそれを言うのは野暮というものだ。年端のいかない少年少女の成長を描き、最後に体を張らせるのがあの人のお家芸であり、今作再び『時をかける少女』以来のパワフルな女子高生キャラを拝めた。それでいいと思う。
ただその終盤まではBelleの歌で繋ぐだけのつまらない話だったし、他のキャラクターが軒並み脇役に撤せられたことでそれらもまた舞台装置にしか見えなくなってしまってるのが大変よろしくない。
もう1、2キャラくらい深めに掘り下げて血を通わせた方が、お客が視聴後にポジティブな感想を語りやすいのではないだろうか。「歌が良かった」「映像が良かった」だけでは映画の後にお茶しても間が持たないと思われる。

投稿 : 2021/08/16
閲覧 : 265
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ネタバレ

う り さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 2.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

歌と映像すごい

細田守監督は昔から好きで
毎回新作が楽しみでした。

大画面であの歌と映像はまじで良かった。
鳥肌が立った。
内容は、、、、うーーーん。
良かったとは言えなかったかな。
ツッコミ箇所が多かったというか
なんで?っていうのが多かった。
{netabare}何個かあるけど、なぜ鈴の母親は鈴を置いて
氾濫した川に取り残された子を助けにいったのか。
救命着2つ持っていけばよかったのに・・・とか
高知県から東京まで女子高生が1人で行くの?
など・・・思う箇所はあった。
そしてキャラがディズニーぽい。
というか美女と野獣。途中からあれ、美女と野獣の
新作見てるんだっけ?という感想を持った。{/netabare}

サマウォは超えられなかった・・・。
自分の中でサマウォが1番好きでした。

投稿 : 2021/08/13
閲覧 : 115
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ちっか さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7
物語 : 1.0 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 5.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

劇場版サイコパスですか?

作画はアニメ映画としては普通。いつもの細田クオリティって感じ。
声優も良。
映画全体の評価としては星3といったところか。
以下、良かった点と気になった点を挙げていく。
良かった点。
冒頭から歌で始まり歌詞もリズムも良く、
いきなり引き込まれた。
映画全体としてミュージカル調なところがあるが、歌と作画が良いのでマッチしていたと思う。
四国の田舎の生活風景をうまく表現していた。Uの世界との対比としてしっかりと成り立っていた。 
ただ、あくまで生活風景についての評価なので、そこで暮らす人々についての評価ではないことを留意していただきたい。

ここからが本題、気になった点。
話の途中までは星4以上の出来栄えだと思いながら見ていた。問題は、物語終盤でそばかすが虐待を受けている兄弟を助けに行くシーン。
虐待を受けていることが発覚し、焦る気持ちも分かるが、いきなり高知県から東京まで一人で向かい始めたのはとても驚かされた。

そばかすのこの行動だけなら心情として理解出来なくもないが、問題は周りの人々だ。

まずは合唱同好会のおばさんたち。
そばかすが兄弟を助けに行くと言い出すやいなや、そばかすの父親に連絡すらせず、独断でバスターミナルまで車で送り届けているではないか!

それだけでは飽き足らず、娘が夜行バスで一人東京に向かったことを知った父親の反応がとても怖いものだった。
ラインで普通に東京行きを了承したばかりか、寒いポエムみたいな文章を送りつけて来て何か満足している。

これは僕の主観でしかないが、普通大切な 一人娘が遠く離れた地へかってに飛び出したら、全力で引き戻すか叱るべきだろう。

しかも今回は自分探しの旅の様なかわいいものでは無く、虐待を受けている兄弟を助けに行くというものだ。

もしかしたら相手の父親にひどい暴行を受けるかもしれない、一生残るようなキズを負わされるかも知れない。
そんなことを考えたら居ても立っても居られないだろう。とても父親の立場としてはポエムなど送っている場合ではない。

東京に到着しトントン拍子で虐待親子と会敵したのもつかの間、なぜかこれまでガタイゴリゴリサイコパス気質マシマシだった虐待父がそばかすの眼光に怯み逃げ出してしまった。

これには空いた口が塞がらなかった。
まさにご都合主義。この一言に尽きる展開を見せつけられ、大きくこの作品の評価を落とすことになった。

そこから先は正直、上映終了まで苦痛でしかなかった。

と、ここまで大まかな雑感を述べてきたが、細かい点ではストーリー中盤でラストまで予測できる平凡な作りや、妙にディズニー調の3DCG作画など気になる点はいくつかある。

この映画はサイコパス博覧会が観たい人や、音楽だけで楽しめる人にはオススメ出来るかも知れない。

僕の大好きなサマーウォーズを作った細田監督はどこに行ってしまったんだろう。
そんな哀しさを再度覚えることになった作品だった。

投稿 : 2021/08/07
閲覧 : 194
サンキュー:

4

ネタバレ

えあ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:----

美女と野獣

面白かったけど後半からは美城と野獣見ている気持ちだった

投稿 : 2021/08/06
閲覧 : 91
サンキュー:

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ネタバレ

楓りんだ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6
物語 : 1.0 作画 : 3.5 声優 : 1.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

映像と音楽は◎、脚本、声の演技などは× × 。CM止まりをおすすめしたい……

CMでも流れている通り、映像の美しさや、音楽のエモーショナルな感じは、皆さんが感じている通りいいものだと思います。
ただ、
ガッカリしたくない方は、CMまでにした方がいいのかも、ミュージックビデオ、CM程度のショートムービーなら人気間違いなし。

(以下ネタバレあり)
まず、本人が公表している通り、キャラデザもディズニーの方だし、テイストは間違いなくディズニーであり、オマージュ作品。
ただ、脚本などは、ハッキリ言って満足出来ない……
感動するシーンであるはずの、BellがUの世界で鈴となり、歌うシーンのあたりで、ペギースーが、「止めるな、歌え」みたいな発言をするシーンの演技は泣きそうになりながら叫ぶ。というのはわかった上で、演技が酷く、さめてしまった……
この、ペギースーや、ジャスティンなどのオリジン(リアルでの正体)は、ハッキリとは明かされずモヤモヤ……
ジャスティンの方は、ネットで書かれてる通り、竜の父親なのかもしれないが……
また、最後のシーンで、竜の父親が暴行を働いてるシーンで、近所の人が全く現れないなど、不自然な点も否めない、さらに、父親が法的措置が取られたかなども描かれず、ただの胸糞なシーンになってしまった上、竜の兄弟に会いに行ったはいいが、結局、児相や警察などに預けたのかも描かれず、(え?会いに行っただけ?)と思わざるを得ない。加え、あれだけ嫌気の刺してた児相などに、結局世話になるの?
それとも、暴力家庭に戻るだけ?とこちらも、モヤモヤする。
細田守監督は確かに映像は優れているが、脚本から離れた方がいいと思う。
少なくとも家族の絆や愛情から離れないと、このまま同じような低い評価しかされないだろう……
結局、綺麗な映像で見せられる、胸糞シーンが多い、カタルシスを出そうとするが、結局胸糞で終わる映画。
私の映像理解がないだけか、見逃しただけかわからないが、イェリネクやスワンが出てきた意味がわからない。
母親の死についても深くは描かれず、なぜ川が濁流になったのか、なんでそんな時に川の近くにあんなに人がいたのかなども描かれず……野次馬?
カミシンの冗談も寒かった……でも、カミシンは良い奴……たぶん……
ただ、映画館で1度見ただけなので、Blu-ray等で見直したら、いろいろ理解出来ることが増えるのかもしれない……が、Blu-rayを買う気になるかは別の話……

投稿 : 2021/07/28
閲覧 : 134
サンキュー:

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竜とそばかすの姫のストーリー・あらすじ

高知の自然豊かな村に住む17歳の女子高生・すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずはその死をきっかけに歌うことができなくなっていた。いつの間にか父との関係にも溝が生まれ現実の世界に心を閉ざすようになっていく。曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日偶然にも、全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界<U>に「ベル」というキャラクターで参加することになる。もうひとりの自分。もうひとつの現実。もう、世界はひとりひとつじゃない。<U>では自然と歌うことができたすず(ベル)は自ら作った歌を披露し続けていく内にあっという間に世界中の人気者になっていく。そんな驚きも束の間突如轟音とともにベルの前に現れたのは竜の姿をした謎の存在だった―。(アニメ映画『竜とそばかすの姫』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2021年7月10日

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