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「千と千尋の神隠し(アニメ映画)」

総合得点
87.6
感想・評価
1798
棚に入れた
12186
ランキング
142
★★★★☆ 4.0 (1798)
物語
4.1
作画
4.2
声優
3.8
音楽
4.1
キャラ
4.0

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千と千尋の神隠しの感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

タイラーオースティン さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

90年代以降のジブリ最高傑作

ジブリの代名詞とも言える空を飛ぶという自由の象徴に突き進んでいくと思いきや、あわや軽々しくそれを放棄して、恐ろしい程、静かになってゆく。決して盛り下がっているというわけではなく、清められているというか、見終わった後、凛とした気持ちになっている。個人的に、そういったところがたまらなく好きなのです。
母の腕にしがみつき、夢かうつつか定かではない世界に入り込む千尋。かつての心もとない千尋のようなカヲナシに付きまとわれるようにまでになった千尋が、帰り道、今までの出来事がまるで嘘だったかのように母の腕にしがみついて、歩いている。成長というものは同一の環境下で為されて初めて、形容される言葉なのかと思い知り、そのストイックさに驚きを隠せません。変わったのは千尋ではなく、環境の方であり、元々眠っていた力が引き出されていただけ。でも、必ず、経験、記憶、そういった類のものは然るべきときに然るべく発揮されてゆく。だからこそ、千尋の紫色の髪留めが静かに、しかし力強くキラキラと光っていることに心が震えて仕方ありません。

投稿 : 2023/12/26
閲覧 : 57
サンキュー:

9

ネタバレ

青星アーツ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

ほとんどが高水準、ジブリの怪作

 千尋がハクと遭遇したあとの不気味さとハクが唐突に現れたという演出から妙な世界へどんどん引っぱられていきます。時間をおいて見返したくなる、クオリティが高い独特な世界がある作品だと思います。

投稿 : 2023/11/02
閲覧 : 192
サンキュー:

2

ネタバレ

栞織 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

見た当時は泣いた 今はいろいろ考えが出てきて

この映画は映画館で見たと思います。ただこれの前の「もののけ姫」は子育てが忙しくて映画館には行けなかったです。復帰後の最初の作品ですね。これ以降は「猫の恩返し」みたいな作品も含めて、「メアリと魔女の花」までだいたい映画館で見ています。

で、初見では泣きました。あのおでこツン場面でぼろぼろ泣きましたねぇ。その後湯婆婆を許してやる場面にはひっかかりましたが、感動作でした。しかしその後岡田さんの動画で「実は千尋には上に死んだ兄がいて・・・。」などの話を聴くにつけ、だんだん評価も変わってきてしまいました。私はあの母親はああいう人だと思ったし。それで当時ですかね、私は「ガサラキ」という右翼アニメにいれ上げていたので、その批判で豚に変わる両親が、「ガサラキ」の男性キャラにちょっと似ているのかなと思ってます。やはりああいう作品に入れ込むというのは、「中国共産党は人民を弾圧するのはやめろ」と天安門事件の時張り紙をするような人たちには、受け入れがたいものだったのでしょう。まあ「Vガンダム」でも私の同人活動への批判はあったと思いますが、この作品もそんな片鱗があるように思いますね。それで、個人的な話になりますが、ヒロインの千尋が私がOLの頃会社の部署で一緒に働いていた女性になんとなく似ていましてね。その人の方が課長受けはよかったから、いまだに課長さんから点数がつけられてそれなのかと思ったりします。その人に比べて私は劣っているから、豚にされた母親なんだなあと。そんなごく個人的な感想がありますね。

だから見た当時は映画のピアノ楽譜まで買いこんで、久石譲氏の曲を練習してみたりしましたが、それも今はほこりをかぶっています。テレビ放映されてもめったに見ませんね。赤千尋事件もありましたからね。あれも、作品中に日本の神様の名前を出したりしたことへの反動ででしょうか。共産党では自己批判しないといけないものと聞いています。しかしこんな風に右翼が左翼が、と思いめぐらさねばならない作品なのは、こちらが大人だからで、監督が子供は子供だけなんだ、と言われる意味は、そのような社会的な夾雑物がなく作品を受け止めることができるからだと思います。そういう意味では、本当に本作は上質の児童文学の再現であり、そのあたりに意図した事は、見事に映像化されていると思います。

投稿 : 2022/03/20
閲覧 : 179
サンキュー:

6

ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

おじいさんからのおてがみ。

【概要】

アニメーション制作:スタジオジブリ
2001年7月20日に公開された125分間の劇場版作品。
監督は、宮崎駿。

【あらすじ】

主人公の荻野千尋は10歳の女の子で、両親の都合で引っ越すことになり、
仲が良い友達と離れ離れになったり環境が変化することに納得して無くて、
新居に向かう車のなかでも不貞腐れてるのも隠そうとしてなかったのだが、
陽気な父親も神経質そうな母親も千尋の気持ちを放っておいて、新しい生活に前向き。

ニュータウンの新居が目に見えるところまで車は来ていたのだが、新居を目指して、
父親がいきあたりばったりで舗装されていない森の道を運転していくうちに、
車が通れない細いトンネルのある建造物に突き当たる。

車を降りた父親は、建造物と通り抜けた先に何があるのか興味津々。
『戻ろう!』と千尋の声を聞かない両親に、千尋はついていき、
親子三人はトンネルを徒歩で抜けて、無人の町に迷い込んでしまう。
その奇妙な誰もいない町をどんどん先に進み、食べ物の匂いを嗅ぎ取った父親、
親子は食べ物屋に入り、店員を探すが誰もいない。
あとでお金を払えばいいと、店内の食べ物を貪る両親。
千尋は食べずに、店を出て町中を歩いていると、橋の向こうに湯屋があった。
千尋は橋の上で出会った白い服の少年に、元いた所に帰るように言われる。

夜になった町は賑やかに明かりが灯り、黒い影のような住人で溢れかえり、
戻った千尋は両親の服を着た豚が飯を貪り続けていて、
ハエたたきで店員の影からの折檻されているのを見る。

もと来た道は大河になっていて渡れなく、千尋の身体は透明に透けていく。
このまま消滅しそうな千尋を助けたのは、先程の白い服の少年のハクだった。

【感想】

これは、当時は還暦に近かった宮崎駿氏が、
友人である50歳近く年下の少女からインスパイアを受けて作られたらしき作品。
その少女の父親は日本テレビの『金曜ロードショー』のプロデューサーとして、
スタジオジブリ作品の数々をプロデュースした人物であり、
宮崎駿氏と件の娘さんは家族ぐるみの付き合いで知り合ったわけですな。

カーネル・サンダースを意識したかのような白いひげの巨匠?というイメージで、
孫のような年頃の娘に向けた、寓意とカリカチュアで脚色された人生訓の物語?
と思いきや、実在のモデルがいる少女を八百万の異形の神々を客とした風呂屋で、
泥んこにして働かせたりで、色んな目に遭わせたりしているのがフェチ全開だったりでして、
それが風俗店のメタファーとか言われたりで、アニメでやってることは聖人君子ではなくて、
好きなことを描いてるうちに筆が乗っての気の向くままに話を作ってる気がしますな。

とはいえ“世界の宮崎駿”の体裁を守るためには、
実在の少女をモチーフにしたお人形遊びではいかんわけでして、
千尋の両親を用いて、バブル景気に浮かれた人間を強欲な浅ましき豚として扱うことで、
また、カオナシというキャラに関するエピソードで、
金と欲に支配されて人の社会から優しさが失わようとしているのは愚かであるとか、
社会への風刺や批判の要素でメッセージ性を入れているわけですね。

今作は10歳前後の女の子に観られることを意識した作品ということで、
あの世代の子供に共感してもらうのを意識して作ったのでしょうか?

千尋の父親は自分では家族思いの良きマイホームパパのつもりが、
自分が好きなことに夢中で視野が狭くて人の話を全く聞かない粗忽者。
よって経済的には保護者の責任を果たしているものの、

狭い山道を車で暴走してるのを「お父さん大丈夫?」と、
千尋からはスピード出しすぎなのを怖がられているのに、
娘に格好いいところを見せたいのか、
「任せとけ、この車は四駆だぞ!」と答えて山の中でスピードを上げるなど、
人の言葉や態度から意図を汲み取る能力が致命的に欠けていて、
常に話が噛み合わなすぎて親子の信頼関係が正しく成立しているとは言えない。

千尋の母親は、躾だと思っているのか娘に一切甘い顔を見せない。
と自分をしっかりした大人だと思っているのかもですが、
トンネルの先のふしぎな世界で足場の悪い岩場を移動するときは、
自分は身体を受け止めてもらって夫に甘えているのに、あとをついてきて、
怖がりながら渡るのに苦労している娘には「千尋、早く来なさい!」
とだけ言い放って放置して、自分たち夫婦だけ先へ先へ進む冷淡な態度。
娘の母親であることよりも、夫の女であることを優先していますね。

親子のコミュニケーションが上手く行っていなくて、
娘も不満だらけで明らかに不貞腐れてグズったりで、
父親は脳天気だし、母親も娘の態度への不満を隠そうとしていなくて、

親のほうはエンディングにいたるまで心の問題は一切進展しないのですが、
大人って自分が正しいと思ってて威張っててもこんなもんだから、
子供のほうで割り切って自分で自分を助けなきゃ何も変わらない。

娘である千尋のほうには、
ハクとの恋愛と湯屋での勤労経験と謎の腹痛と立て続けにイベントを起こさせることで、
大成長を遂げるわけでして、最初はダメダメだった千尋がしっかりした人間に急変して、
大人みたいに心の垢に塗れていない清らかさで、
作品のなかで生じた様々な問題を解決に向けていく。

その千尋の姿に子供目線で心に残るものがあれば良いわけでして、
この作品では千尋の不安や悲しみ、そしてそれを抜けた喜びの表情が生き生きとしていたことから、
映画は役者を魅力的に描けていれば見栄えがするというのは本当で、
アニメも、説得力を持つようにキャラの作画ができていれば、
そして声優のお芝居が合っていれば、銀幕に印象に残るキャラクターが生まれるわけでして、
キャラクターや演者より監督の名前ばかりがビッグな扱いを受けるのが恒例な宮崎アニメで、
荻野千尋というキャラクターが大健闘したということで、
この作品に自分は好意的だったりするのですね。

とはいえ、千尋が急に腹痛と初仕事の後から、おどおどした部分が消失して、
しっかりし過ぎだろうと思わないでもなかったですが、

・立場が人を作る。
・自分が逃げたらハクが死んだり豚にされた両親が食べられたりするので、
 千尋は無理して気丈に振る舞っていた。

と、きっちりフォローを入れるのを忘れていないわけでして、
キャラのモデルが具体的にいますと、感情が豊かに描かれてバランスがとれた作品になるわけでして、
前作の『もののけ姫』では理屈先行すぎて人間描写がつまらなかったのと、
7年後の『崖の上のポニョ』があんな無残なものになったのと比較して、
まだ、枯れていなかった頃の宮崎駿氏が、
おじいさんが10歳の少女に向けて書いた長文のお手紙のような、
自分の“好き”を目一杯に熱く描いたときの表現力を堪能することにおいて、
確かに優れた作品だと思いました。

アニメはそれぞれが膨大なスタッフの合作で監督一個人の私物ではないと思っているのですが、
ジブリは宮崎駿と高畑勲を頂点としたヒエラルキーの会社であったり、

20年前の、2001年の8月に劇場に観に行ったときは、
ただ漫然とスクリーンの中の出来事を眺めているだけで、
ラピュタや紅の豚みたいなのが観たくて退屈だなあ!としか思えなくて、
当時の自分には展開に面白みが感じられなかったりで、

色々と思うところはあったのですが、
改めて観たところ、良いものは素直に称賛しましょう!という結論に達しました。


ということで、これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2021/12/28
閲覧 : 344
サンキュー:

38

ネタバレ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

ハクは千尋の死んだ「お兄さん」

「千と千尋の神隠し」はジブリのアニメの中でも最も難解で、一度見ただけでは理解できない情報量と「暗喩」に満ちている。

湯婆婆が経営する「湯屋」は日本の江戸時代に女性が性的に奉仕をしたと言われる吉原の風俗だということも、千尋が迷い込む神の世界は平成のバブル期に乱立した「ハコモノ」レジャー施設だったりと、今やそれが廃墟となり、不気味な心霊スポットになっていることも、言ってみれば本作はホラー映画であり、「呪いのビデオ」や「本当にあった怖い話」などと同じくらい当時流行っていた「ジャパニーズホラー」の系譜である。

そしてなによりも、本編に出てくる「カオナシ」と呼ばれる妖怪と、幼い頃千尋を救ったと言われる湯婆婆の丁稚こと「ハク」の正体であるが、

「ハク」は千尋が幼い頃溺れたコハク川の主であり土地神である「饒速水小白主ニギハヤミコハクヌシ)」であるとあとで判明するのだが、

本編冒頭で、「千尋の母親が千尋に余りにもそっけないこと」「千尋が溺れた記憶がなく母親から後で聞かされたこと」「千尋が溺れたシーンで小さい子供の手のひらが千尋を救ったこと」などを考えてみると、ハクの正体は「千尋がまだ物心つかない時に、千尋に変わって溺れ死んだ実兄」であり、これによって冒頭の両親のシーンや、なぜ夜にならないと見えるはずもない神様が「ハク」だけ千尋には見えたのか。。など、合点のつくシーンが多いのである。

それだけ考えてみても、たかだか子供向けのアニメの中に、それだけの重厚な伏線を用意しているのは。。宮崎駿だからである。

投稿 : 2021/10/28
閲覧 : 407
サンキュー:

14

ネタバレ

アハウ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

監督の頭になにが詰まっているのか

千は源氏名なのでしょう。
としたら湯女の類かもしれません。
このはな綺譚の柚も仲間?
あの世とこの世の間にある温泉宿。

ハクは言われているように、兄かもしれません。
溺れている千尋を助ける代わりに、自分が溺れて死に
神になったというのです。
監督は銀河鉄道の夜を暗示させることを言っています。
カンパネルラも川で溺れたザネリを助けて死んでしまっ
たことが思い浮かびます。
列車で死者の国に赴いたことも怪しい感じがします。
ハクは妹を救うために八つ裂きを受け入れたのかも。

全体的に怖い物語だと思いました。

投稿 : 2021/07/04
閲覧 : 209
サンキュー:

13

ネタバレ

ねっち さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ジブリ作品で一番好き

いやー、やっぱ大好きです。色々な感想や考察が語られているこの作品ですがボクにはなんというかそうゆうところよりも理屈抜きで「好き」といった作品です。シーンひとつひとつがほんとうにコミカルでかわいいですね。千尋の真似をしてネズミになった坊が呪いを踏んづけてすすにエンガチョしてもらうシーンなんかすごく可愛かったです。あとはやはりジブリ作品全般に言えることなのですが音楽がほんとうに物語ってるんですよね。BGMひとつとっても聞いたことがある、耳にスッと馴染むような音楽は他の作品には無いものを感じます。また、この作品は「親子のあり方」や「仕事」、「愛」などの要素が含まれていると思いますが、自分が1番ストレートに伝わったのは「愛」でした。釜じいの「愛だ、愛」というセリフが「あぁ、いいな」となんかこの作品をうまく一言で表しているなと、腑に落ちました。またこれは何度でも見返すだろう、そんな作品でした。

91/100点

投稿 : 2020/10/24
閲覧 : 251
サンキュー:

2

ネタバレ

もぐもぐ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

こわかった

小5のときにスクリーンで観ましたが、恐怖を感じた映画として印象に残ってます。
一つにはキャラのキモさですね。そりゃビビるでしょ。カオナシはガチでトラウマでした。あんなのに応対してる千尋すげーって思いましたもん。
しかしそれ以上にビビったのは世界観。本当に世界が一変する、なにより超自然的な現象が自分(=千尋)の身にふりかかるというのは、もはや恐怖そのものではないでしょうか。子供にとって一番起きて欲しくないと思ってることが起きてしまったわけですから。
千尋がありのままの10歳の少女として描かれていて、それゆえに非常に没入感のある世界観だったと思います。

ストーリーの流れは分かりやすく作られてましたが、なぜそうなったのかを理解しにくいところも多かったです。特に最後に千尋は豚の両親を一体どうやって見分けたのか。
見分けられた事実ではなく、見分けられた方法にこそ千尋の成長を感じられるはず。たしかにあの見せ方は単純すぎたかもしれません。子供心に、ただキモいだけの子供騙しの作品だと烙印を押してしまいましたから、我ながらとんだマセガキでしたわ。
今では、あれは幼児的万能感の発露ではないかと考えるようになりました。要は根拠のない自信ですね。しかしこれを持つことが子供にとっては強靭な精神を育むためにとても重要なものです。千尋は運命に翻弄されながらも、多くの人と深く関わって行くことでこの能力に開眼したのではないでしょうか。宮崎駿監督がとある10歳の少女に向けて作られた作品だというのがよく分かります。(ちゃんと本人が見て伝わるかどうかは、相当微妙ですねw)

とにかく、何が起こるか分からない怖さと気持ち悪さが充満していて、実際そこが面白いんですけど、それを面白いと思えるって人間形成の過程で徐々に昇華されていく感覚だと思うんですよね。個人差もあるし。俯瞰して見られる今でこそワクワクするけど、当時の自分には刺激が強すぎたかな。自分にとっては、もう少し遅く出会いたかった稀有なアニメ作品です。
これがまあ成人してから観るとめっちゃくっちゃ面白くって、ジブリの中では最も好きな作品のうちの一つになりました。というわけで星は現在の評価としてつけていますが、いまいち子供向けとは言い難いのでその分だけ物語をマイナスしています。元々子供向けの創作というよりは、幼年期を回顧する大人向けのエンタメなのかもしれないです。

投稿 : 2020/09/23
閲覧 : 227
サンキュー:

4

ネタバレ

雄太 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

★★★

働くってどういうことか、教えてくれる。

投稿 : 2020/03/15
閲覧 : 181
サンキュー:

2

ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

むすんで ひらいて 手をうって むすんで♩

・・・? 

ちひろ?・・・・・・はて?・・・・・・。
そんな名まえの子がここに来ていたかなぁ。

ワシらにはみんな、徒名が付けられとってな。
いや、渾名なんてそんないいもんじゃないよ。
とにかく、名前を持つもんは、ここにはだれもおらんのだ。


ときどきあんたみたいな人間の子がひょいとやってくるよ。
何かわけあってのことなんだろうが、どうにもわしゃぁほっとけなくてなぁ。

はじめは、夢見ごこちっちゅうか、やわっちゅうか、たよりなさげなもんなんだ。
だがな、どんな子だってここに来たなら、どうあっても働かなきゃあならん。

自分の弱さを知らなきゃならん。
自分の強さに気づかにゃならん。

自分の生き方を見つけないといけないんだよ。


おぉ、銭ぃ婆のところに行く子もおるんだ。
片道電車でなぁ、一人っきりで行くんだよ。

もう長いこと乗りっぱなしで迷っとるやつもおるってうわさだ。
だれを待っているのか、何で待っておるのか、理由を忘れちまってるやつもおるらしい。
どういうわけだか、いつの間にかここから出て行ったやつだっておるってリンが言うとったなぁ。

ワシはかまたきしかできん。
いろいろは知らないんだよ。
銭ぃ婆のことは、こわいとしか聞いとらんのだよ。


そうか、おまえさんも行くのか。
間違えるなよ。沼の底っちゅう六つ目の駅だ。
まっくらで、深いみなそこになっとるってこわい話を聞いとる。

なにがあっても、と中で降りちゃならねえ。
何があっても、そこで降りなきゃならねえ。


えっ? 知っている?
おまえさん、そいつをだれから聞いたんだい?






ちょっと、かまじいさん!
銭ぃ婆のとこ行くきっぷなんか、いったいだれがもってるっていうのさ!

あ~あ、どうすんだよ!?
銭ぃ婆のところに行く気まんまんだよ!!この子もさぁ!?

え?あたいってかい?
なんだい、あんた。あたいはリンっていうのさ。
いつまでたっても、こんな使いっぱしりさ!!






ええ、あの子のことは、良く覚えていますよ。
そう、たしか、ちひろって言っていたわよね。

とてもいい名前だったわね・・・。

さぁ、あなたもゆっくりしていくといいわよ。
お茶を入れるからね、あったまっていきなさい。
フラフラじゃないの? え? 歩いてきたって?
あきれた子だね・・・。

この子を知ってるってのかい?
この子はカオナシっていうんだよ。
ふふっ、がんばりやさんになっているでしょう?

あんたにもおみやげを作ってあげるからね。
たくさんの細い糸をより合わせて作るんだ。
さぁ、髪留めができたよ。たばねてごらんなさいな。


あなたをしばるものはとっくにほどけています。
あなたはもう、子どものままじゃありませんよ。

たった一字でも、大切なはたらきがあることを忘れないで。
これからあなたは、大きくて広い世界を歩いてゆくのですから。



湯婆婆のけい約だって?
あの人のあしらい方は、あなたのこころの中にあります。

言葉の力を信じなさい。
それがあなたの力を解き放つ ら針ばんになるのですよ。


そろそろ迎えが来るころじゃない?・・・
ほら、さっそく来たみたいだよ・・・。
今度はだれが来たんだろうね。






ちひろの名は聞いたことがある。

ちひろのおかげで、わたしも私を取りもどせたんだよ。

さぁ、きみもちひろと同じように新しい場所に行けるはずだよ。

私は、いつも、どんなときも、そなたといっしょだ。






ちひろだってぇ~っ??

あの子は自分のことばっかりだったじゃないか!

働かせてくださいっっ!! だなんてさ。

なんでまた、あんなにたくさんの結界を張っておいたのに、くぐり抜けて、またぎ渡って、登りつめてやってきちまったんだろうねぇ。

いったいぜんたい、どうしてあんたみたいな子ばっかり、うちにやってきちまうんだろうねぇ。



え? 千やその子を呼んだのは私じゃないかってかい?

バカ言ってんじゃないよ!
勝手に来ちまったのさ、千もこの子も!

あたしゃ、よっぽどナメクジやカエルのほうが扱いやすいっていうのにさ。


口答えはする、きまりは破る、だだはこねる。
八百万の神々さまのお世話だって、まともにできゃしない。
挙句の果てに、名のある神さまだってぜんぜん畏れちゃいない。

まったくどうかしてるね! 人間の子ってのは!



・・・とっとと何処となりでも行くといいさ・・・。

やれやれ、まったく、とんでもない約束をしちまったもんさ・・・。







何してるの~!? 早く戻って来なさ~い!

だいじょうぶかい? さぁ、おいで。

お父さん?・・・・。 お母さん?・・・・。

これって?・・・・。 もしかして?・・・・。

でも、なぜ? どうして?・・・・。

あ! 私、銭ぃ婆さんからもらった髪留めをしてたんだ!



本当にあったんだ・・・。

いちばん大切な私の命と、つぎに大事な私の勇気を、守って、みちびいてくれてたんだ・・・。



お母さん! 私ね、この町の小川に、名前を付けてみたいの。

お父さん! 私ね、この町で、お話したい人を見つけたいの。


たぶんね。きっとね。

これからのわたしは、大丈夫だって思うの。







だれにだって。

いつだって、どこへだって、だれとだって

色あせることのないステキな旅が、始められます。


そこには、あなたを待っている人がいるかもしれませんよ。

あなたに、"名前を呼ばれたい" って願っている人が、ね。

投稿 : 2020/01/30
閲覧 : 306
サンキュー:

13

ネタバレ

USB_DAC さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

日本人が大切にしてきたアニミズム

★物語
宮崎作品らしくファンタジーでありながらメッセージ性を強く感じる
作風。縦社会の厳しさや人間の私利私欲、子育ての在り方、環境問題、
人種差別、そして礼節など様々な問題を浮き彫りにし、その中で揉ま
れながら、親を取り戻す為に自我を失わずに懸命に向き合おうとする
少女の姿を描く。ごく普通の子供たちが持つ恐怖心や欲の無さ、誠実
さや優しさを見事に表現する主人公千尋。近しい子供たちに「大丈夫、
あなたはちゃんとやっていける」と監督が伝えたそのエピソードから、
千尋の様に強く優しく生きて欲しいという想いを感じる作品です。


★作画
約20年前の作品とは思えない細かさと色使い。千尋とハクが歩く花
の壁の駆抜け感は実に見事です。その後、畑で語り合う二人の背後に
描く影が身体に合わせ小刻みに揺れ動く描写など、非常に細かく描か
れています。改めて安藤雅司氏の拘りを感じる作画です。


★声優
何度観ても菅原文太さんの声は微笑ましく、優しさに満ち溢れている。
彼が言った「え~んがちょッ」「分からんか?愛だ、愛ッ!」は記憶
に残る台詞。そしてもう一人の大御所夏木さん。実に魔女らしい二面
性を持つ二役の演技は見事だったと思います。

また千尋(声:柊瑠美さん)、ハク(声:入野自由さん)を含め、他
の方々もとてもキャラクターらしい演技をされていました。


★音楽
主題歌「いつも何度でも」、テーマソング「いのちの名前」。
屈指のライアー奏者で、ソプラノ歌手でもある木村弓さんのとても優
しい歌声。哀愁漂うその歌詞の内容にとても胸を打たれます。


★キャラ
敢えて普通の少女らしく描かれた千尋。最初はあまり馴染めなかった
その顔も、時間を追う毎に誠実さと優しさ、欲の無さに魅力を感じて
いきます。時折ひっくり返る声も逆にリアルでいい。丸いつぶらな瞳
は今はとても可愛らしく感じます。

湯屋で働く男衆はカエルで女衆はナメクジの化身。蛇(龍)はハク?。
まるで三すくみの関係を示すかのようです。八百万の神々も良く知る
ものばかりで、その描写も大変個性的で面白いものがあります。

最初は千尋に対して厄介者扱いだった従者達が次第にその存在を認め、
最後の別れに神々を含め全員笑顔で手を振る姿にはとても感動ました。



[あらすじ:神々が住まう不思議な世界]
{netabare}
知らない街への引越と親友との離別。

薄桃色のスイートピーをいつまでも握り絞め、理砂との別れに拗ねる
千尋。臆病で柔弱。何処にでもいるごく普通の少女。

新居にあともう少しというところで道を間違え、やがて行き止まりに
聳える立派な赤門を見つける。好奇心旺盛な父親と共に嫌々ながら入
口の長いトンネルを潜り抜け、廃墟と化したテーマパークらしき場所
に辿り着く。何気に楽しそうな両親に対して、やはり浮かぬ顔の彼女。

その後、匂いに誘われ腹を空かした両親は、その先に見えた全くひと
気の無い食堂に立ち寄る。そして「後で金を払えばいい」、そう言い
ながら勝手に食べ物に手を出してしまう。「でも黙って人の物に手を
出すことは、とてもいけない事」。とても真面目で臆病な彼女は母親
に誘われるものの頑なにそれを拒み、無言でその場を後にした。

奥の階段を上った先で「油屋」と書かれた湯屋らしき建物を目にする。
橋を渡る途中で通り過ぎる電車を眺めていると「ここへ来てはいけな
い。早く戻れ」と一人の少年が声を荒げて近寄って来る。全く事情が
呑み込めず、文句を言いながらも慌てて両親の居る食堂へと走る千尋。
しかしそこに二人の姿は無く、何故か同じ服を着た豚が座っていた。

増々頭が混乱し懸命に二人を探し回る内に、街の周りには既に水が満
ち溢れ、このままでは元の場所へは帰れないことを知る。これは夢で
あって欲しいと泣きじゃくり、その場にしゃがみ込んでしまう千尋。

次第に薄れる自身の姿と、この世のものとは思えぬ姿の神々に怯え慌
てふためく。その後、再びハクと名乗るあの少年が現れ「其方の見方
だ」と語り優しく彼女を諭す。そして丸薬を口にさせ、薄れる彼女の
姿を取り戻した。いずれ豚と化した両親にも会うことは出来ると語り、
その為には先ず湯屋で働く事が必要だと、彼女の潜入に知恵を貸す。
{/netabare}

[あらすじ:湯屋で働く千尋]
{netabare}
言われた通り釜爺がいる場所へと無事に辿り着き、「ここで働かせて
下さい」と懇願する。そこで石炭に押し潰れたススワタリを見兼ね仕
事を手伝うが、一斉に怠け出した彼等を見た釜爺に他人の仕事を奪っ
てはいけないと逆に怒られてしまう。その後、食事を持って来たリン
に大騒ぎされるが自分の孫だと偽り千尋を庇う。そしてどの道働きた
いなら湯婆婆の所に一度行けと、イモリの黒焼きを餌にリンに彼女を
預けた。去り際に彼女に礼儀作法を教わり、改めて釜爺に一礼する。

その後、彼女の粋な計らいで無事に湯婆婆の部屋に行き着き、「ここ
で働かせて下さい」としつこく願う。千尋との騒ぎに驚き暴れる坊に
手こずる湯婆婆。居た堪れず、彼女との契約と引き換えに千尋の名前
を奪い、新たに『千』と名付けた。そこで再びハクと出会い、湯屋に
向かう途中で声を掛けるが、冷たくあしらわれ落ち込んでしまう。

翌朝、ハクに誘われ両親の居る豚小屋に向かう。人であった頃の記憶
はもう残ってはいないと言われ、二人に声を掛けるがやはり気付かな
い。畑の片隅で悲しみに耽る中、失った私服をハクから受け取る。そ
して何気なくポケットに入れていた理砂からのメッセージカードを見
つめ、自身の本当の名前を思い出す。「元気を出して欲しい」と彼が
お呪いをかけて作った握り飯を目一杯頬張り、彼の優しさに触れ大粒
の涙を流しながら泣きわめく。その後、彼と別れた帰り道、橋の袂か
ら青空に昇る白龍を見つけ、いつまでも眺めていた。
{/netabare}

[あらすじ:腐れ神と河の神]
{netabare}
気を取り戻し仕事に精を出す千尋。雨が降るその夜、庭に居た『面を
被る者』に声を掛け、濡れるからと彼の為に窓を開けたままにした。

その夜、湯屋にとっては招かれざる客人である『腐れ神』が来ていた。
鼻を塞ぐ程の悪臭を放つ神を任される千尋。直前に『面を被る者』か
ら渡された薬湯の札を使い、見事身体中に刺さる川のゴミを引き出す
ことに成功する。そして最後に残された釣り糸を抜いた瞬間、本来の
姿である『河の神』が復活。「よきかな」と喜ぶ神は千尋にニガダン
ゴを褒美に渡す。湯場を去ったその床には大量の砂金が残されていた。
喜ぶ湯婆婆に抱きつかれちょっと嬉しそうな千尋。
{/netabare}

[あらすじ:カオナシ]
{netabare}
仕事を終え部屋で寛ぐリンと千尋。その時ハクの妙な噂を耳にする。

その後、あの『河の神』が浸かった後の暗い湯場で、拾い残した砂金
を夢中で探す青蛙。気が付くと湯の無い風呂桶には『面を被る者』が
いた。そこに入いるなと言いながら、まやかしで作られた溢れ出る砂
金につい目が眩み、彼に近づく青蛙は一飲みにされてしまう。

次々と砂金を生み出し、皆を叩き起こす『面を被る者』。気前の良い
客と持て囃され調子に乗る彼は、ありったけの食事を用意させながら、
やがてこの場に千尋を差し出せと要求する。

部屋に戻り、海を眺める千尋。とその時、凄まじい数の紙の式神『ひ
とがた』に追われ逃げ惑う白龍が姿を現す。間一髪部屋に逃げ込んだ
彼に一声を掛けるが、再び外へ飛び出し湯婆婆の元へと去って行った。

慌てて湯婆婆の元へと向かう千尋。やっと忍び込んだ部屋で傷付いた
白龍を見つける。そこで『ひとがた』が化けた湯婆婆に瓜二つの姉銭
婆と出会う。そしてそこに現れた『坊』をネズミに、『湯バード』を
ハエドリに、『頭』を坊に変えてしまった。

しかし暴れる坊(頭)に一瞬気を取られ、その隙に『ひとがた』を白
龍の尾で破壊されてしまう。と同時に千尋たちは地下へ落ち、やがて
釜爺の元へと辿り着く。弱り切った白龍を心配する二人。千尋は咄嗟
に手にしたニガダンゴを彼に食べさせ、呑み込んだ契約印と身体に忍
び込んだ呪いの虫を吐き出させる。その後、千尋はハクが盗んだ印鑑
を銭婆に返しに行くと言い、釜爺から使い古しの切符を手に入れる。

その後、リンに呼ばれ、カオナシの元へと向かう千尋。凶暴な妖と化
した面を被る者『カオナシ』は、千尋に気に入られようと料理を振る
舞い大量の砂金を差し出す。しかし彼女は全くそれに興味を示さない。
その後、千尋に食わされたニガダンゴのせいで怒り狂い、食べた物全
てを吐き出しながら千尋をひたすら追いかける。リンが漕ぐ桶に乗り
駅に向かう千尋。彼女に追いついたカオナシは凶暴さが消え大人しい
姿に戻っていた。そして彼女と共に電車に乗り、銭婆の元へと向かう。

消えた千尋に怒り混乱の責任を咎める湯婆婆。彼女のお陰で助かった
と千尋を庇う青蛙。ハクは坊と千尋は銭婆の元へと向かったことを告
げ、彼等を連れ戻す代わりに千尋たちを元の世界に戻すよう懇願する。
{/netabare}

[あらすじ:銭婆の住む家へ]
{netabare}
辺りも暗くなった頃、漸く銭婆が住む沼の底という寂れた駅に着いた
千尋たち。礼儀正しいカンテラに道を案内され彼女の家へと招かれる。

銭婆に深々と頭を下げハクの罪を詫びる千尋。寛ぐ中でハクと両親の
命を心配し、湯婆婆の元へ帰ると涙を流す。掟によって自身は手出し
が出来ない。が、彼を助けたいなら忘れた記憶を思い出し、自分自身
で努力することが大切だと教えられる。帰り際、皆で紡いだ糸で拵え
た髪留めをお守りに貰い、白竜の背に乗り湯婆婆の元へと飛び立った。

懸命に記憶を辿る千尋。幼い頃靴を拾おうと川に落ち、溺れかけた自
分はある者に助けられたことを思い出し川の名を彼に伝える。彼の本
当の名前はハクでは無く『饒速水琥珀主』。今は埋め立てられこの世
には存在しない「コハク川」という川の主(神)だった。
{/netabare}

[あらすじ:神々の世界との別れ]
{netabare}
無事に油屋に戻った千尋たち。橋の上で彼女たちを元の世界に戻して
欲しいと訴えるハク。すっかり千尋を気に入ってしまった坊も「千を
泣かすな」と彼女を困らせる。仕方なく湯婆婆は彼等に従い、契約解
除の条件として難問を千尋に言い放つ。12匹の豚を前に本当の親を
探せと言われたが、ここに親はいないと即答し、その瞬間、湯婆婆と
の契約は見事破棄された。それを見て「大当たり~」と喜ぶ一同。

「お世話になりました」。湯婆婆に深々とお辞儀をする千尋。湯屋の
皆に手を振り、ハクと一緒に街の入り口まで走る。水の引いた草原の
手前で足を止める二人。「この先は決して振り向いちゃいけない」と
語り、いつか湯婆婆の弟子を辞め自分も元の世界に戻ることを決意す
るハク。彼は自らの身を持って無事彼女たちを元の世界に送り届けた。

丘を越えた先には千尋を待つ両親がいた。しかし何故かこの世界の入
り口である赤門は古惚け、それを抜けた先で後ろを振り返ると、まる
で全てが幻だったかのように、古びた石垣造りの門が目の前に広がる。
そして振り返る彼女の髪は、あの紫色の髪止めで結われていた。
{/netabare}

[ハク]
{netabare}
名がある川と名があまり知れぬ小さな川。ハクはそんな小さな川の神。

幼い頃に千尋がコハク川で溺れた記憶が失いかけた為、ハクは俗世に
戻れなくなった。開発に伴う川の埋め立て。小さな川で遊んだ記憶も、
埋め立てや土地を離れることで、人々はその存在さえも忘れてしまう。
千尋が取り戻した記憶で彼が例え俗世に戻れたとしても、川そのもの
が失われた今、行き場を失う可能性は非常に高い。そして完全に人の
記憶から消え去ることで、その一生は終わりを告げる。湯婆婆が彼を
八つ裂きにすると言う台詞。きっとそれは失われていく自然への愁い
と社会の現実を暗示しているのだと思います。
{/netabare}

[釜爺]
{netabare}
湯屋でひとり多忙を極めるボイラー担当の釜爺。まるでクモの様なそ
の身体つきは2本の足と6本の腕を持つ。まさに忙しい時には人の手
が欲しいという思いを具現化した存在。ハクに次いで千尋を思う、厳
しくも心優しき達者な老人。個人的に大好きなキャラです。
{/netabare}

[カオナシ]
{netabare}
千尋が銭婆の元へ旅立った際、電車の乗客たちは体が薄れ、顔の表情
が無い描き方をしていました。監督がその後明かしたカオナシの正体
を「電車に乗る人々」と答えたことからも、その想いが感じられます。
社会で生きる多くの現代人が、自我の意思を殺し、その社風に染まり
切る。そして表情は希薄な癖に欲望だけは大きい。自我を失わない千
尋に憧れ、後を追い、漸く居場所を見つけたカオナシは、千尋との別
れ際に手を振り微笑んでいる様にも感じます。社会を彷徨う彼の様に
は決してならないで欲しい。そんな監督のメッセージを強く感じます。
{/netabare}

[アニミズムと言霊]
{netabare}
日本人が抱くアニミズムの思想。「生きとし生けるものすべてに魂が
宿る」と信じられ、古くから八百万の神々と呼び崇められてきました。
幼い頃から何気なく慣れ親しんだその信仰心も、時代と共に少しずつ
荒廃してきている。何故か劣化していた出入り口の門や荒れ果てた鳥
居と足元の祠、また川の主であるハクのことも、まさしくそれを暗示
している様にも思えます。自然と共にある信仰心が薄れた結果、自然
破壊が進み、それを止める手立てさえ見失っているのかも知れません。

また千尋が「消えろ」と叫んだ結果、自身の姿が透ける描写がありま
した。日本にはアニミズムと同じく『言霊』という発した言葉に魂や
力が宿り、自身や周囲に影響を及ぼすという思想があります。それは
時に災いを招き、時に幸せを呼ぶ。千尋がハクの本当の名前を語って
彼に勇気を与えたように、言葉にはとても不思議な力がある。だから
こそ気持ちは常に前向きであるべきなのでしょう。

※因みにアニミズムとはアニメの語源でもあります。
{/netabare}

[感想]

当たり前ですが、人々が暮らしていく為には働かなければなりません。
サラリーマンであれば、会社の都合に合わせ転勤さえする必要があり
ます。例えそれは子供にとっては勝手な都合であっても、親たちにし
てみれば家族の生活を守る為の、謂わば避けられない大切な事情です。

釜爺との出会いや湯屋での厳しい奉公も、この世界を通じて社会の簡
単な仕組みを彼女の様な世代に優しく語り掛けている。幼い子供は誠
実で穢れが無い。だからこそ、それに一早く気付かせ、いつか立派な
人間として成長して欲しいという願いが込められているのでしょう。

また両親が豚になるというあの描写は、世の中の理を無視し私利私欲
に生きてしまうと、あの様な醜い姿に変わってしまうかも知れないと
いう大切な教え。そして親が居なくなることの悲しさや苦しみも同時
に伝えているのかも知れません。

今の子共達は「生きる力」が衰えていると語る宮崎監督。社会や親か
ら過剰に守られ、あまりに危険から遠ざけられ過ぎていると。本来子
供たちは生命力が溢れ出ているはず。今日の楽で豊か過ぎる環境の中
で失ってしまったその力を、どのようにして呼び覚ますのか。千尋を
通し湯屋で懸命に働きそして困難を乗り越え、様々な神や化身たちと
臆せず接することで、その可能性と希望を描いているのだと思います。

千尋の成長を観た多くの子供たちに監督の想いが伝わったことを願い、
そしていつまでも古き良き文化が失われんことを。



以上、拙い長文を拝読いただきありがとうございました。


2019.12.21 誤字修正
2019.12.21 誤字再修正
2019.12.22 誤字再修正

投稿 : 2019/12/22
閲覧 : 377
サンキュー:

23

ネタバレ

kawadev さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

初めて買ったDVD作品

ブームの頃、DVDを購入して見た作品。初めてDVDを買ったのはこの作品。

千尋の成長物語…なのだろうが、それに気付くのに時間が掛かった。

その後のお話…と言うのか?ハクがどうなってしまうのか?が気になった。

投稿 : 2019/06/19
閲覧 : 275
サンキュー:

6

ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ギャングエイジのインパクト。(追記しました)  

初めての円盤購入作品です。
本作は小学4年生に特有の物語。前半はギャングエイジ。後半は発達。二つのキーワードを用いてアプローチします。

★ 前半、スタートです。
{netabare}
● 本作が生まれる背景に、宮崎氏がジブリスタッフの子どもさんに、恋愛マンガではない "別の作品" を創りたかったという逸話はよく知られています。そのお子さんたち、年齢は10歳くらいだったのでしょうか? それにしてもアニメ監督らしい独創的なアプローチですね。

● 千尋の年齢にちびっと近いキャラを。
{netabare}
ワカメ(サザエさん)、サリー(魔法使いサリー)、アッコ(秘密のアッコちゃん)、静香(ドラえもん)、セーラ(小公女)、ももこ(ちびまる子ちゃん)、ハルカ(ポケモン)、めんま(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない)、四葉(君の名は)、ハマモトさん(ペンギン・ハイウェイ)たちですね ♡
{/netabare}
● ギャングエイジって何?
{netabare}
ギャングエイジ。『大人からの旅立ちの時代』の意味があります。親への口答えや反抗的な態度、友だち付き合いを優先するようになって、少しずつ自立心が芽生えだす年齢ですね。

小学4年生~6年生の子どもたちにとっての最大の特徴は、好きな友だちと一緒に遊んだり、同じ行動を共にすることで生まれる一体感に支えられる仲間集団の存在です。気の合う友だち同士、またはご近所の、あるいはちょっと上の学年の、異性の友だちもいたりしますね。同じグループで固まって裏山や河原、裏小路を走り回ったり隣の学区に遠出してちょっと冒険したりしています。男の子のほうが少し活発かな。でも女の子だって負けてはいませんね。

● コムヅカシク言えば
{netabare}
グループの中で、自発的な協働(得意なことは進んでやったり不得意なことは腰が引けたりする)の意味が分かるようになります。
また、お互いの口約束がとても重要になってきて、約束を守ることや決めたことをやり切ることに代えがたい価値を置くようになります。約束を守ったり果たしたりすることは高く評価されます。逆にできなかったときはグループのなかだけで適用される独自の罰を公開で受けることにもなります。(ときにそれは残酷なまでに。)
ルールは時と場合によってはスクラップビルドされますが、お互いの利益を共有し担保できる立場においてのみ、平等・公平が生み出されメンバーとしての立ち位置が保証されます。
その営みの中でグループの規則は自主的に制定されるだろうし、自立的に遵守されてもいきます。何よりもそのことを体験的に学んでいくのですね。
{/netabare}{/netabare}
ちびっとギャングエイジの特徴を書いてみました。なんだか先出しのキャラの人物像や集団の姿が鮮やかに蘇ってくるようですね。
{/netabare}

★ 物語のなかのギャングエイジたち。
{netabare}
ここでは、ギャングエイジの只中にある千尋の生き生きとした姿に触れてみたいと思います。
{netabare}
千尋は親の都合で前の学校の友だちから無理やり切り離されています。しかも親の気まぐれでテーマパーク?に引っ張り込まれて、いきなり一人きりで放り出されたのですね。そんなご両親、とうとう異形の姿になっちゃって・・・。

千尋は両親を心配しながらも、ハクの指示を優先して車まで戻ろうとします。もし千尋がそのまま戻っていたらその後の展開はどうだったでしょうか。彼女は10歳の壁を乗り越えもできず、泣きながら両親の帰りを待ち続けるだけだったかもしれませんね。でも物語は "真っ黒な大河" を出現させ、彼女をずぶ濡れにし足止めをしました。逆に手を差し伸べてくれたのがハクです。たしか彼の名は・・・コハク川(≒小さな白い川)でしたね。
千尋はハクの導きを受けてギャングエイジになる道を歩むことになります。

父役、兄役、青蛙、リン、釜爺、ススワタリ。彼らをようく観察すれば、やっぱりギャングエイジのメンバーとして見立てることができます。湯婆婆との契約のもとで、それぞれの立ち位置と役割を果たしていますね。毎日、決まった仕事をやり切ること。そのうえでの信賞必罰。とってもわかりやすいルールですね。皆さん、すごくしっかりしているようにも見えますが、ちびっと視点を変えれば、付和雷同・・・みたいにも感じちゃいますね。

意外だったのは、千尋とリンには "連帯責任" が課されたこと。10歳児の千尋に連帯責任ですよ。なんだかなぁ。
でも、リンって上司からは一目置かれているみたい。だって機転と度胸でみごとに千尋の窮地を救ったのですから。ホント、頼もしい。

実は、湯婆婆をようく観察してみると、彼女もギャングエイジなグループの一員なんです。一応ボス役みたいですけどね。この湯婆婆、ちびっと強欲に過ぎますね。まるで薹(とう)の立った時代遅れのような "痛い振る舞い" です。殊更にボスの地位にしがみついているようにも見えます。う~ん、問題がありそうだなあ・・・。

坊の存在もとても面白いです。坊は湯婆婆のお子さんの設定なので、ギャングエイジの "ルールの適用外の存在" なんです。そんな坊をそばにいさせるためには、特別扱いしなくちゃいけませんね。それってギャングエイジのグループに居そうな・・・"ボスの実弟" ってことじゃないですか。虎の威を借りたような振る舞いをする "下の子" っていますもんね。
それにしても他人の名前は取り上げる力はあるのに、息子の名前を付けられないなんて、湯婆婆ってちびっと歪んでいますね。

ハクを便利に使っているのはギャングエイジのグループ間の "虚勢の張り合い" に重宝な存在だからです。何といってもハクは蛙でもナメクジでもなく龍神ですからね。でも、みなしごまいごの幼い龍神です。使い捨てにするなんてちょっとかわいそう。ハクには秘密のヤバい役割が振られていて、彼もそこにしか自分の活路が見いだせないようです。だって彼は龍神なのに手のうちあるはずの "玉" がないんですよ。ハクにとっての "玉" って何だと思いますか?"名前" だけ、じゃないですよ。

ところで、銭婆だけはギャングエイジの年齢ではありませんね。湯婆婆よりもずっと大人で、ずっと度量が大きいです。そんな銭婆は双子のお姉ちゃん。湯婆婆が張り合っている相手は銭婆ですね。湯婆婆が嫌うわけがなんとなく分かりますね。

さて、とにもかくにも、千尋はそんなとんでもなギャングエイジのグループに所属してその役割を担うことで、自分の立ち位置を自分で開拓していくことになります。

● それに反してギャングエイジのルールに乗れなかったのが、千尋の両親とカオナシでした。
両親はルールに引っかかり途端に排除されます。勝手に乗り込んできたヨソモノが傍若無人の振る舞いをしていたらハブられても罰をうけても仕方ありませんね。うん、やっぱり湯婆婆へは礼を立てなきゃいけません。一応、ボスなんですから。

カオナシは最初のうちは立ちすくむだけでしたが、従業員が "ほしがり屋さん" だと気づき、欲心を上手にくすぐり、先ずは弱っちい青蛙を抱き込みました。やがて客として強欲の限りを尽くすのですが、千尋にイタイところを指摘されて脆くも崩れました。
彼のほしかったもの。それは千にもあげられないもの。彼に足りなかったもの。それは千がとりくんでいるものです。

カオナシに必要なものは、例えば、保育園の年中(4歳児)組で取り組まれる "目的意識に添った行動" の獲得なんですね。例えば、お昼寝用のお布団を自分で運ぶとか、お昼ご飯の前やおトイレのあとに手を洗うとか、お友だちを呼ぶときはお名前で呼ぶとか、そういう "自分の行動と身の回りの世界とを馴染ませる知恵と技術" なのですね。
彼にはそれが理解できないし身についていなかったですね。ですから彼の行為と行動は、4歳の壁を乗り越えていない子どもの象徴なのでしょうね。千尋の両親と同じく、食べ物の匂いにつられて油屋にやって来たのでしょうがちびっと早すぎました。彼はギャングエイジのグループに入れるだけの発達段階ではなかったのです。ちょっと大人びちゃった "効かん坊" でしたね。

彼は、従業員を呑み込むというギャングエイジの最も大事なルール(=集団の維持)に反する行為を犯してしまったことで、湯婆婆からお叱りを受けグループから追放されてしまいます。どんなに大きな顔で、大盤振る舞いを求めても、大人の人(神様)が食するお料理が、彼のお腹に合うはずがありません。4歳児がブラックコーヒーを飲んだりワサビ入りのお寿司を食べられないのと同じです。彼は嘔吐を繰り返し、結局ぜんぶ吐き出してしまいます。
千尋がにが団子を食べさせたのは、「小さい子のままでいいよ」という意味ですね。

千尋の "お姉さん的な配慮" と、銭婆の "お母さん的な優しさ" で、新しい居場所を見つけられたのは、彼にとっては僥倖(ぎょうこう)なことでしたね。
なお、4歳の壁については、拙レビュー、未来のミライを、10歳の壁についてはペンギン・ハイウェイもご覧くださいませ。ペコリ。

さて、個人的に、千尋がギャングエイジとして一番輝いていると思える場面があります。ちなみに千尋が "働いているシーン" ではありません。
それは、手早くたすき掛けをしてパイプに向かって一気に駆け下りていく場面。ハクに会うために油屋の外壁を必死に這い登っていくシーンです。何度観ても、仲間を思いやるギャングエイジの実相を描いているとんでもないシーンだと思うのです。私はこの場面だけで、☆5個付けちゃいます。
ところで、千尋は "両親に会うため" に、あの外壁を登ることを実行できたでしょうか?
{/netabare}

● 千尋は油屋で驚くほどたくさんの経験をしていますね。5点ほどに整理してみたいと思います。(5点の項目は、文部科学省、"子どもの発達段階に応じた支援の必要性" より抜粋したものです。)
{netabare}
● その1。 抽象的な思考への適応や、他者の視点に対する理解。
 
千尋は、ある程度は自分の身の回りのことや自分の心のありようも理解できる女の子。でも、いきなりの油屋です。具象の世界から抽象の世界に放り込まれました。ハクとの出逢いからリンとまんじゅうを食べるまでの展開は、まるでジェットコースターのようです。淋しさに涙を隠せないのも仕方ないですね。
釜爺が優しく接してくれるのはハクの配慮だし、リンが世話を焼いてくれるのは釜爺の配慮ですね。そのことは千尋もしっかりと感じていたみたいだし、どう振舞えばいいかすぐに理解できていましたね。
千尋の気づきと頑張りは、とんでもなく凄いことだと思います。

● その2。 自己肯定感の育成。

千尋は、できないことと、できなさ加減に戸惑いながらも、働くことを自分に課していました。やるべきことがはっきりと分かっていて、やりきることでどんな評価を受けるのかもしっかりと学んでいるようです。そのことが油屋にいられる唯一の理由だと承知しているし、両親と一緒に油屋から出られるたった一つの担保なんだということも理解できているみたいです。決して大それた夢じゃないし、だからといって何をどうしていいかさっぱり分からないけれど、目の前の仕事をしっかりと熟(こな)していくことが一番大事なんだってことを千尋は分かっています。分かっていること。意識と行為が自己評価できること。それが、千尋自身の羅針盤になっています。
だから、千尋はカオナシに「あなたは帰った方がいいよ」と言えたのです。
カオナシは、まだ自分のことさえ分からない "幼さがある" ことを千尋には感じ取れていたからですね。カオナシのポジションって意味深ですね。

● その3。 自他の尊重の意識や、他者への思いやりなどの涵養。

千尋はいろんな場面でいろんな人(従業員や神様)とふれあい、心を向けあい交わらせてきました。ギャングエイジはまだ子どもだけれど、大人の振る舞いをしなくちゃいけないときもありますね。自分勝手な振る舞いだけでは、働く場所も、寝床も、ご飯だってありつけはできませんものね。
そうして自然と身につくもの、いつの間にか知らず知らずのうちに、心の真ん中に芽生えるものが、"おかげさま" という他者への気振る舞いです。
仲間のなかでこそ、千尋は生きていくし活かされていく。だから、見取り稽古。よいおもてなしは直ぐに真似をする。だから、体で覚える。叩き込む。身体が先に動くまで繰り返しやり直す。それだから一騎当千の働きもできるようになります。ひたすらに他人のために、ひたむきにお客様のために。それがひいては自分のためにもなるのです。そう思えばこそ、恥ずかしいとか、気が乗らないとか、面倒くさいとかの後ろ向きな気持ちは、欠片も必要ありません。
身の丈で働くこと。それは千尋にとってギャングエイジを身の内に創り上げることのできる "最高の仲間と時間と場所" の実相なのですね。カオナシが、金の粒を渡そうとしても受け取らなかったのは、身の丈以上のお金をもらっても "心の涵養には繋がらないから" と気付いたからなのですね。

● その4。 集団における役割の自覚や、主体的な責任意識の育成。

これはもう、作品の中の千尋の一挙手一投足をご覧いただければ一目瞭然。
三食昼寝付きっていうだけで、ほかには何もいらないって言いきれるくらいです。
最終幕で、ちひろはハクとの約束を守って振り向こうとはしませんでしたが、でもきっと振り向きたかったはずです。ハクとの縁の始まりを思い出せたから、皆との出会いの不思議さを知ったから、銭婆とのふれあいの温かさを感じたから。そんな異形の世界に、二度とは来られないことが分かっていたから・・・。
それでも千尋が振り向かなかったのは、未知の世界に踏み出す勇気を得たからです。新しい自分を発見できたし、思ってもみなかった大きな自信も持てたし、新しいステージに立てたことの確信を得ていたからでしょう。
なぜなら、油屋には彼女を育てた仲間の集団が確かにあったのだし、仲間の信頼と歓喜とが千尋のなかに間違いなく伝わっていたからでしょう。そんな名残を深く胸に収めて、自分の主体性をしっかりと育て上げてきたのですね。彼女は油屋に行けたからこそ、真正のギャングエイジになれたのですね。

● その5。 体験活動の実施など実社会への興味・関心を持つきっかけづくり。

油屋で働く前は、引越し前の家と学校と友だちが、千尋の心の拠りどころでした。でも、油屋を堂々と出立した千尋には、そのことを懐かしむ気持ちに一区切りをつけることができたのでしょうね。だからこそ、彼女は振り返らなかったし、もう振り返る必要もなかったのです。油屋での体験は一瞬のモラトリアム。でも、もうコンプリート。卒業です。
千尋の明日のステージは "自分の学校" です。
{/netabare}{/netabare}


★ 後半、スタートです。(2018.10.31 大幅追記です)
{netabare} 
★ 物語を "発達" で見直してみます。
{netabare}
これまで、両親が豚の群れの中にいないことが千尋に分かった場面には触れてきませんでした。
だって難しいんだもん。でも、ちびっとだけならいいかな。

前半はギャングエイジというキーワードで10歳あたりの子どもの成長の実相を述べ、千尋の活動を俯瞰してみました。後半は成長の根底にある "発達" について述べてみたいと思います。

"発達" とは、学問的には、心理学→発達心理学→児童心理学で使われている言葉、概念で、人間の成長の羅針盤として活用できる "指針の一つ" です。
心理を扱うので目には見えないし手でも触れられません。また、いろんな解釈も可能な学問なので、これが本当の真理ダヨ、とも言えないところがあります。そこを前提にして「千と千尋の神隠し」を "言霊的" にも解き明かしてみようと思います。発達心理学を右手に、スピリチュアルを左手にして、本作のテーマにできるだけ近づいてみようと思います。
正直言って心理学と文芸のコラボ作品はなかなか手ごわいです。ちびっと挑戦、むちゃくちゃ仮説、なのです。あくまでも解釈のひとつとしてご理解いただければ幸いです。
よろしくお願いします。

私は、本作を、千尋の内面世界の物語、千尋の潜在意識の中で組み上げられている想念世界と仮定します。
そこで私は、荻野千尋に四つの人物像を設定してみようと思います。
① 千尋。肉体の状態。心と体がぴったりとくっついている状態です。
② 千ひろ。肉体と心がほんの少しずれて同時に存在している状態です。
③ ちひろ。肉体から離れた状態です。顕在意識、霊体と言ってもいいです。ハクが「ちひろ」と呼んでいるのは顕在意識に呼び掛けている。ちひろも自分が千尋だと認識できている。そういう状態です。
④ "千"。肉体でも顕在意識でもない状態です。潜在意識、魂そのものと言ってもいいです。自分の名前が荻野千尋だと認識できておらず、油屋で「千!」と呼ばれているときは、この④の状態です。

千尋に中にちひろがいて、その中に千がいる。三位一体で 3重構造になっている、そんなイメージですね。しかも時々ダブっている千ひろもいるので何だかややこしいです。すこぶるスピリチュアル的ですが心理学的なお話であることも覚えておいてくださいね。
もし、訳が分からなくなりましたらこの設定を思い出してくださいね。

さて、物語に戻ります。
千尋は転校することに嫌悪感を抱いています。受け入れられないものを受け入れねばならない無理難題。宿題の比ではありません。心の整理のできないままに学校も見えてきて、いよいよ現実が肉薄します。堪(こら)えている苦々しさを、不条理・葛藤・悲壮という言葉にも置き換えられず、吐露することも愚痴にも出せないままでいます。これが千尋の現実です。

● 千ひろが訝(いぶか)しげに見ている小さな祠と石像、朱塗りの建物は何でしょう。

これらは "現実からの逃避"、"不安と憂鬱な心情" が作り出した千ひろの心象像といってもいいかもしれません。 
小さな祠は、転校先のクラスの友だちの姿かな?ばらばらと崩れていて中身がないのは、顔も知らない人と友だち関係がうまく作れるかどうかの不安感でしょうか。少し高い場所から見下ろしていた石像は、担任の先生かな?。ニタリと笑っていたのは、クラスに馴染ませる方便としての作り笑いでしょうか。

私は、ここに来るまでに千尋の心理状態は相当に不安定になっていたと推測しています。転校、引越、しおれた花束。それだけでも憂鬱なのに、怪しげな祠や石像がそこかしこに点在する森、薄暗くて行き先の分からないガタガタの未舗装路、気持ちを汲み取ってくれようとしない両親。彼女はどれだけの時間、後部座席の荷物のすき間で放心していたのでしょう。窓も締め切っていて脳みそは酸欠直前。気だるさと閉塞感でお先は真っ暗。まるで世界の終わりのような雰囲気ですね。
千ひろは地団駄も踏めず、かと言って前向きにもなれず、2人でぐずぐずとのたうち回っているかのようです。

あえて "お作法" と言っておきますが、直後の展開もなかなかタフです。わざわざ4輪駆動車ででこぼこだらけの道を猛スピードで走らせて、ナーバスになっている千ひろを何度も激しく揺さぶるのです。急ブレーキでぶっ飛ばし、でんぐり返しさせています。こんなの日常にはあり得ないですよね。
ストレスフルな千ひろは身体と心のバランスをぐちゃぐちゃに崩され、意識も朧げになってしまったのでしょうか。もし千尋が転校が楽しみでたまらないっ!という気持ちなら、ロデオのように楽しくて、トンネルも秘密基地のように見えていたかもしれません。でも、ブルーな心理状態の千ひろにとってはそうではなかったのでしょうね。
なぜ、千ひろには "朱塗りの建物" に見えてしまったのでしょうか。

千ひろの記憶には、朱塗りの神社、テーマパークの建物、絵本の神秘的な挿絵などがあって、その心象風景を瞬間的に取り出しトンネルの壁面にマッピングしたのかもしれません。あるいは血液の赤色であり、肉体を潜り抜けて精神世界へと移行するという象意なのかもしれません。あるいは "発達直前の夜明けの曙、黎明(れいめい)" の心象色なのかもしれません。

ところで、強烈で突発的なストレス(交通事故など)は、しばしば心因反応を引き起こし、特に幼少期は原始反応(短絡反応、爆発反応など)が現われることがあります。心療内科などの医療の領域に関わるのでコメントはしませんが、本作とは関連性が高いと思われますので参考にはしています。
何れにしても、ちひろの出現はこのタイミングだったと思うのです。

車止めの石柱は、校舎の玄関先で出迎える人(校長先生?二宮金次郎?)っぽく見えたのかな。真っ暗なトンネルをこわごわ歩くのは、見通せない学校生活と通学路への不安な気持ちかな。日の光が差し込んでいる静謐な空間は、立ち入る前の図書館や体育館なのかな。背中を押す風は、彼女の転校を惜しみつつ送り出した元同級生の優しさが作り出しているのかな。千尋が嫌がっていた転校ですが、ちひろにはそう感じられたのかも。そんな解釈も面白いかな。

両親がずんずんと歩きだし千尋がぐずぐずと追いかける場面。「私、今ものすごく不安なんだよ? 親の勝手で独りにされるのはイヤ! どうして手をつないで引っ張ってくれないの!」という "発達前" の幼いちひろも描かれていたように思います。

いずれにせよ、千尋が両親の視野から姿を消したのはこのシーンのどこかに隠されている・・・私はそう解釈しています。千尋の役割はここで完全に終わり、そのあとの主役はちひろに交代していると思います。

● 終幕のトンネルの出口の様相が全く変わっていたのはなぜ?

このシーンも、ものすごい違和感を感じてしまうところです。
通常、視聴者は、主人公たる千尋の主観と行動に関心を寄せます。視線の先を追い、思考を読もうとし、判断と行動に解釈と理屈を付けようとします。千尋の心情と世界観に、気持ちを自然に重ね合わせていきます。
ところが、冒頭のシーンで朱塗りの建物を見あげているのは、"発達前" の千ひろです。2人の心理的なフィルターを通してトンネルを表現してあるので、視聴者にも朱塗りのトンネルが見えているのです。逆に、終幕のトンネルは "発達後" の千尋の目を通して描かれています。
これを理解することは骨です。発達心理学では "発達の前と後" では、同じ風景がガラリと違って見えるほどに "世界を掌握する能力" に変化が生まれると解釈しています。千尋の内面性は "発達の壁を乗り越えている" のに、外見上の千尋には全く変化が見られません。ここがミソです。それほどに "発達の実相" は無茶苦茶分かりにくいのです。私も、初見はさっぱり訳が分かりませんでした。

"発達" の壁を越えるということは、現実の世界を見る目が "主観的な真実" から "客観的な事実" へとシフトすること、と言い換えることができます。
真実は、それを体験した人だけに生まれる主観的な目。
事実は、それを知る全ての人に理解できる客観的な目。
それぞれの概念は、全く別のものです。
私は "神隠し" を "発達" に置き換えていますが、"目くらまし" と喩(たと)えて呼ぶことはできるかしら? もしそうであれば "め、目"、"めめ、目目" の看板がたくさんあったのもなんとなく頷けますね。

● 真っ暗なトンネルや広い青空の意味は?

このシーンはある古い信仰の形態をなぞっています。モチーフは、富山県立山にあります。立山は、白山、富士山と並ぶ日本三霊山ですが、麓にある芦峅寺(あしくらじ)に伝わる「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」がそれです。(ネットをご参照くださいネ。)
この灌頂会のテーマは、女性のための擬死再生です。そのクライマックスシーンが、御堂から見上げる燦然と朝日に輝く立山(霊性)との出会いです。両者のシーンを重ねれば、本作も擬死再生をなぞっていると理解できます。本作は "発達" がテーマですから厳密には違うのですが、"古い自分を脱ぎ捨て新しい自分に出合う" という観点で見れば、似ているように思えます。

劇場とトンネルの暗闇が、布橋灌頂会の "お籠り" を再現しています。視線の先の情景は、立山の霊性と千尋の想念世界のマッチング(≒接霊)です。視聴者は灌頂会に参加しているように感じ、千尋の想念世界へといつしか足を踏み入れるのですね。立山はかつて女性の入山を禁じていました。それゆえに油屋はちひろだけに許された霊性の場所なのです。しかも灌頂会ばりの "お作法" がちひろを待ち受けています。因(ちな)みに布橋灌頂会は現在でも女性しか参加できません。男性の方、残念!

接霊とは神霊から人へのプレゼントです。神々しい霊性に触れて千ひろに想念転換が起き、厳しい現実感がソフトトーン化され馴染みやすい景色に再構成されたのです。ちひろのために校庭は真っ青な空となだらかな緑の丘になり、児童玄関の階段は大きな石段になります。
それらは "学び舎としての油屋" へのアプローチなのです。

● 神隠しとは何なの? なぜ両親は豚になるの?

千とちひろが千尋として現実世界に戻るには、想念世界で10歳の壁を乗り越え新しいステージに立たねばなりません。そのためには千尋と両親との "強い信頼と絆" は、返って "邪魔" になります。

千尋は、転校で友だち集団から切り離され、引越で両親への依存を強め庇護を求めています。彼女がギャングエイジに移行するためには、この二つの課題の修正は絶対条件です。
ですから、千ひろをわざわざ両親から離れさせ姿を見えなくさせたのです。一時的に姿をくらませることによって両親との関係性を切り離し、両者のしがらみを分断したのです。まず、千尋の存在を消すことによって第一段階の分離を行なったのです。これが「千尋(肉体的)の神隠し」ですね。

終幕で両親は 「ちひろ、早く来なさい。」と呼びかけています。千ひろがいつの間にか姿が見えなくなり、気づけばひょっこりと出てきた。まるで "神隠しにでも遭っていたの?" と言わんばかりの気軽な言い方です。このくだりは、千尋は両親からは幼児扱いをされておらず、そろそろ自立してよねというスタンスが演出されています。第二段階の分離、「ちひろ(精神的)の神隠し」ですね。

先に向かって歩く両親は、ちひろを置いていくのではなくちひろが求めているから前にいるのです。両親はちひろが作り出している心象像なのですね。ただ、両親の姿かたちである以上は "発達" のブレーキになる可能性があります。そこで第三段階の分離(両親と)が演出されます。両親を "豚という異形の存在" にしてまでちひろとの距離をとったのです。取らざるを得ないのです。それほどに10歳の壁≒親への依存心の力は大きいからです。

● どうしてちひろの姿が霞んでいくの?

ここでは、ちひろが千尋から分離した決定的なさまと、両親から分離された彼女の主体性がとても弱くて不安定な心情が描かれています。

繰り返しますが、全ては千尋の想念のなかの世界。彼女の豊かな想像力が生み出しているイメージの風景です。この世界観をなんとかして自然な感じなままに、視聴者に定着させなければなりません。
そのためには、演出に "お作法" が必要です。

ちひろは意識だけの存在ですが、あたかも肉体があるかのように描いておかないと、観ている視聴者が、千尋は死んだ?幽霊になった?それとも臨死体験をしてるの?と勘違いしてしまいます。
本作は、八百万の神様を登場させてはいますが、霊界の実相や神界の姿を紹介するのが目的の作品ではありません。また、転生をテーマにはしていません。生きている千尋が、心理学的に "発達していくさまをどのようにして描くか" というテーマなわけですから、まさに生きている千尋のようにちひろを見せておかないと、あとあと辻褄が合わなくなってしまいます。
というわけで、ちひろは、千尋が創り出した想念の世界の意識だけの存在ではあるのだけれど、視聴している方にも理解しやすいように、"不思議な赤い粒を口にする" という "お作法を演出" することで、不思議な世界にゆっくりと馴染んでいき、やがては肉体を取り戻し、もともとの千尋であるかのように実体化していくさまをあえて描いているのですね。
子どもが新発売のお菓子を、大人が初めてのお料理を口にすることは、今まで知らなかった世界を受け入れ実感することのできる最短・明瞭に理解・納得のできる一番の方法ですね。

ところで、ちひろは「消えろ、消えろ」と呟いていました。今の境遇をにわかに受け入れることは難しい。だから異世界を消したかったのですね。ところが、消えていくのはちひろのほうでした。ちひろは千尋の意識ですが、肉体そのものを消すことなどできません。異世界を否定する言葉は、千尋にも向かうけれどちひろ自身にも跳ね返ってきて、その存在を消すほどに深い傷をつけてしまうのですね。

おどおどしていたちひろに力を与えたのはハクでした。彼はちひろをかばい強く手を引き "発達" への道筋をナビゲートしていきます。ときに優しくときに厳しく、ときに倒れてまでも・・・。
ハクはちひろのために努力をおしみません。なぜでしょうか?
私には、ハクがちひろに渡した赤い粒は、かつて彼の身の内を流れた "千尋の桃色の靴" を暗示しているように思えます。コハク川は千尋の身体を岸辺へと運べはしたけれど、靴を返すまでは叶わなかった。だからハクはそのことを悔やみ、いつかは返したいと願っていたのではないでしょうか。靴があればちひろは自分で歩けるはずだと。
でも、赤い粒だけではまだ十分にお作法に則ったとは言えません。

● ちびっと寄り道。
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個人差はかなりありますが、10歳の壁の面白い特徴には、5歳前後の幼児にみられる"作話の名残" があります。"作話" とは、肉体を通して想念世界がパフォーマンスされていること、つまり「私は今、魔女っこになっている。ヒーローになって空を飛んでいる。」という夢見ごこちを、そのまま現実の世界、園庭とか校庭とかで演じている、いえ、なりきっているということですね。夢想と現実の境界線がまだぼんやりしている年齢が、5歳前後の子どもの "発達" の特徴・実相なのです。
ところが、10歳の壁はそれを許してはくれません。夢はただの夢になり、現実とは違うものとして切り離されます。夢の世界で大活躍する自分を現実の世界に持ち出すことは許されないのですね。
でも、千尋は、現実の世界で10歳の壁を前にしてぐずぐずと足踏みをしています。そしてちひろは千尋のストレスを想念世界の中にまで持ちこんでいます。それを千がしょい込んでパフォーマンスするのですね。
つまり、"作話の真逆" のことをしているのですね。

本作は、千尋の現実世界の苦痛・葛藤を踏まえて、ちひろの変化(心的な発達)のありさまを描いています。千尋をちひろに投影し、そのうえで千に演じさせています。視聴者にとって彼女たちはまるで一人の人間のような三位一体の存在で、疑いようのない "真実の世界" にいます。千が演じ、ちひろを通して、千尋が体得する。そのさまを視聴者に見せています。

この演出がとってもユニークなんです。実は、視聴者の意識も、千尋の複雑な思いにシンクロしてスクリーンに入り込んでしまうのです。
なぜなら、ご自分も "いつか通ってきた道" だからです。特に、学期の途中で転校した方、あるいは学年の区切りで転校された方は共感しやすいのではないでしょうか。そうでなくても卒業の機会は何度かあります。その時に感じた不安感と期待感は今でも思い出すことができると思います。それが冒頭のトンネルのシーンですね。
その感覚は "ご自身" の懐かしい記憶として持っていらっしゃるのかもしれません。また、10歳くらい(発達年齢だよ)の妹・弟を見る "姉・兄" の感覚かもしれないし、10歳くらい(実年齢じゃないよ)の子どもを見る "母・父" の、姪・甥を見る "叔母・叔父" の感覚なのかもしれません。
誰もかれもが、いつの間にか 10歳の "発達直前" のご自分の姿に戻って、千尋とちひろと千と共に "作話の真逆の世界" を生き生きと走り回ることになるのです。
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● 息を止めるってどういうこと?

息とは「意・気」ですから「人間としての意識、気配」を表わしていると解義できますね。だから息が漏れる=意と気が漏れ出る=人間がいるということがバレてしまうのですね。これがちひろが息を止めなきゃならない理由です。そもそも油屋は千尋の意識の世界ですから、肉体的な要素は不要なのです。しかも息をする必要のない世界なのです。だって、幼いころは宇宙や海の中で大活躍できていたでしょ?
でも息を止める方法は、一時しのぎにしかなりません。

● さらに人間らしさを削ぎ落していくお作法が必要です。

それが、靴を脱ぐというシーンです。
これは "兜を脱ぐ" と同じ意味で、武装を解く、降参する、抵抗しないという解釈ができますね。
また、油屋という建築物、いわば "神様が集う結界" に入るためには、相応の作法を執る必要があります。板の間、畳の間に "土足であがる" ことは、失礼、不敬、侮辱という意味ですよね。
また、下位の立場にあると自覚させる意味、あるいは、身分を貶(おとし)めさせるという意味合いもありますね。裸足は無防備。転じて自由に外出させない、ひいては逃亡させない、つまり囚われの身であることを示していますね。
一部の外国では他人の前で裸足にさせることを "辱める" と捉える概念・文化がありますね。
靴を脱ぐシーンはわずか数秒ですが、これだけの意味を知って鑑賞すると深く味わえます。

● 次のお作法として描かれているのが、湯婆婆との契約です。

● このシーンには二つの意味があります。まず、一つめ。
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湯婆婆との契約行為がちひろの "意識性を引きだしている" のです。換言すれば "第三者の手による両親からの分離" です。

名前は人物を特定させる強力なキーワードです。荻野千尋という名前は、ちひろその人、そのものを表すものです。
ちひろの言霊のパワーのみなもとは、チ・ヒ・ロという言霊の響きから注がれます。"知・弘、智・広、血・大であり、血・火・炉、千・引・路" です。これらからは、人間が作り出してきた尊い価値、過去から未来へ・私からあなたへと繋がっていく意志、情熱と勇気と忍耐を身の内にあまねく広げる働き、という意味合いが感じられますね。
人を解義すれば、霊(ヒ)止(ト)です。霊は、火・日・秘です。止は、止まる・留まるです。ヒトとは、秘められたチ・ヒ・ロのはたらきが、しっかりと肉体にとどまっているという意味ですね。ちひろの名前には、そんな凄まじいパワーが秘め置かれてあるのです。想念の世界にいても自我を確固たる存在にする働きが "名前" にはあるのですね。
こうした背景から、想念世界の湯婆婆にとっては「チ・ヒ・ロ」と言う名前は大変危険な記号なのです。
ですから、名前を削り、読み方を変え、そのパワーを弱めておかなければ、魔法の効力と支配がちひろの深層に及ばないのですね。

え?名前を取ったら意識性も消されちゃうみたい?
コホン、では。前述のとおり、肉体と意識と心は名前という記号で "くっつけられ" ています。くっつけられているということは、意識や心が自由に動き回ることができないというニュアンスを感じませんか?シータは飛行石とくっついていたから浮かんでいられましたが、千は名前がくっついていると自由に飛べないのですね。
意識や心を完全に自由な状態にさせるためには、重い肉体も意味深な名前も不要です。子どもが「私は○○姫よ!」と言った瞬間、その子の名前も目的も意識性も "○○姫" になる。これと同じです。つまり、ちひろが「油屋で働かせてください!働きたいんです!」と発言することは、彼女の目的そのものであり、主体性とも言えるし、意識性とも言えますね。
ハクが、ちひろに、最初に湯婆婆との契約を説明した意味はこれですね。
ちひろの意識性を引きだす、ですね。
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● 二つめです。
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ハクには、ちひろに「働きたいんです!」と宣言させることで油屋でのちひろの存在感を、もう一段、深化・固着化させる必要がありました。そのためには "ギャングエイジのグループ内で通用する名前≒呼び名" がどうしても必要になります。

本作は、ちひろの "発達" を "働く" に置き換えて、アイデンティティーの形成を表現しています。働くを「目的に適った役割」 「責任感をともなった任務」と読み替えると意味がちびっと理解しやすくなりますね。
例えば、釜爺がちひろに「しまいまでやれ!」と叱っていましたが、まさにこれですね。ちひろがすべきこと(行為)は、彼女の意識と態度(目的と存在)を明確化させることです。この三つをまとめて示している素敵な言葉ですね。
さすがは釜爺! 釜爺に繋いだハクもさすが! 釜爺まで辿りついたちひろもすごい! 引き継いだリンもかっこいい!

さて、油屋で働くためには、契約という儀式、署名というセレモニー、名前を改変する魔法が執り行われなければなりません。この演出・お作法によって、ちひろは千という名前(≒新しい記号)を手に入れて、初めてギャングエイジのグループに入ることが認められます(集団化の入り口に立てる)。また両親とも完全に分離されます(名づけの親の変更)。こうしてようやく千尋の想念世界のなかで、ちひろの新しい名前が、千として与えられるのですね。
湯婆婆との契約を済ませたことで、ちひろは晴れて千となり、油屋での居場所が確定されます。居場所というのは働く場と寝床(昼と夜≒時間)を手に入れること、おまんまにありつけるということ(命の存続)ですね。千は千としての意志と選択で、"自分の生きる意味(=意識性と主体性)" を創っていく入り口に辿り着くのですね。
新しい名を持つ。これが契約の二つ目の意味あいですね。このお作法が、"最終段階の分離" です。ついに千は、ちひろ、千尋、両親から神隠しに遭うのです。
やっと「千と千尋の神隠し」に行き着きました。よかった♡

念押ししますが、すべて千尋の脳のなかでのできごとです。これらのお作法で、千尋はちひろに深化し、千にも深化して、三位一体で体験し体得し行じていくのです。ここでの積み重ねが千尋の力の源泉としてストックされていくのです。視聴者は、千がどのようにして主体性と意識性を創り上げ、心を豊かにしていくのか、10歳の壁をどのようにして乗り越え、力を蓄えていくのかを見ることになり、やがて終幕のスクリーンで千尋の成長を我が事の成長のように感じることになるのですね。
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★ 千は、ちひろの意識の核心で、千尋の意識の中核です。
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千は、湯婆婆や釜爺、カオナシやリンから、「千!」と呼ばれているときは自分がちひろだとは思っていません。千のまま素直な気持ちで自分に向き合っていますね。千は、下働きをしながら従業員や神さまと関わるなかで、もまれ、叱られ、どやされ、励まされ、支えられ、褒められます。それは両親や学校の友だちからは得られない全く新しい体験でしょう。
千は、仕事・ハク・両親に対して "責任と目的" があります。ポイントは、誰かに何とかしてもらおうという受け身の気持ちではなく、自分に何ができるだろうかという能動的な気持ちの変化です。
おくされ様の一件では、油屋での立ち位置、とくに集団のなかでのポジションをガラリと変えました。なにせ湯婆婆に、全員にいっぽんつけさせたのですから。
カオナシの一件では、湯婆婆にとっても、なくてはならない唯一無二の存在になりました。だって大事な坊を連れ戻したわけですから。
でも、千のアイデンティティーの凄まじさは、湯婆婆の指示どおりに働くのではなく、自分の意志と判断で職場離脱までしてしまうのです。
こんなこと "発達前" の千尋にできたでしょうか?

● 片道切符の電車は、転校先の学校への通学路を彷彿とさせます。

線路の周りの風景には、認識できる建造物はほとんどありません。道中の大半は海面(水面)です。ごくたまに街らしいものが現れても、あっという間に通り過ぎてしまいます。風景もそうですが乗客の姿も同じです。千の目にはぼんやりとしか見えていないようです。
実は、逆で、千が目の前のやるべきことに集中していて、あれやこれや雑多なことを目に入れる必要はないという覚悟を示しています。同時に、この郷愁感あふれる情景は、千の9歳までの心象風景であり 彼女の主観であり、"発達" 前の舞台であり、キャンバスでもあることを示しています。壁を乗り越えた後の千尋は、きっとたくさんの美しい風景を描き、建物を創り、友だちの姿をありやかに見ることができるはずです。

● 釜爺ですら怖いと噂する銭婆は、千尋がまだ見ぬ先生や同級生との "ふれあい" を予感させます。

千が電車から降りた時は、辺りはいよいよ暗闇に包まれ、案内する明かり取りも一本足の異形です。でも、すでに千の心は定まっていてとても落ち着いているように見えます。
千は、坊を励ましますが、逆に坊に拒否されます。このやり取りのシーンは千にとっても坊にとっても重要な意味があります。千はこの電車旅でギャングエイジのグループの中でリーダーを張っているわけですが、心細さもいくらか抱えています。千の様子をようく見ていると、最初は無口でしたが、自分への問いかけ、仲間への励ましへと変わっていっています。これは、先生方、同学年、同学級、班活動などの集団との関わりあいに必要なスキルでもありますね。
そんな思いを抱えながら、知らない場所、知らない人、知らないこと、そして知れない自分の未来に向かって、変わりつつある千の姿なのです。

● 千は、銭婆が髪留めを作り上げるまで待たされるのですが、途中からハクと両親のことが心配になっていよいよ戻りたくなるのですね。この場面は、千の心の "発達" の芽が、古い自我の殻を突き破って地中から出てくる直前の状態を示しています。千は "自分の意志と力で、地上の空気を胸いっぱいに吸い込みたい" のです。芽吹き(≒発達)は、魔法の力ではなく、生き物に備わっているDNAであり、自然の摂理なんですね。壁を越えたら自分の足で歩きだすだけです。好きとか嫌いとかではなく、正しいとか正しくないとかでもなく、自分を信じ人を愛する。これが銭婆から千尋に手向けられた髪留めの意味ですね。

● 坊がやたら大きいのは、湯婆婆が坊の "4歳の発達" に "蓋をしていた" からですね。坊の "発達" はとっくに4歳の壁を乗り越えようとしているのに、湯婆婆によって "発達" の芽が摘み取られていたので、いつも不機嫌で赤ん坊の姿で留め置かれ、ため込まれたエネルギーによってブクブクに太ってしまったのですね。そんな坊を外に連れ出した千は、坊の "発達" にとっては代えがたい人です。千のおかげで坊もギャングエイジへの切符を手に入れたのです。坊は湯婆婆に言っていました。「面白かったよ。」と。
"発達" は苦しさやしんどさを伴うものだけれど、面白いことでもあるのです。
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★ "発達" 。普段は耳にすることのない言葉ですね。
{netabare}
 発達心理学では、それぞれの年齢に "壁" という概念があり、壁を乗り越えるには矛盾と葛藤に向き合う莫大なエネルギーが必要なのです。その実相は幼い自我との戦いです。自我は頑固で矮小で無知。なかなか自らを変えようとしない強敵です。でも内面の世界を広げようとするなら外の世界との衝突は避けられません。そこで必要になるのが新しい自我。心技体、知情意を "統べる能力" です。
要素分解すれば、柔軟性(新しい価値感を柔らかく受け止める)、自在性(相手や条件に合わせて自分のやり方を少しずつ変える)、発想の転換力(謙虚な気持ちを知り恥ずかしがらずに教えてもらう)、分析力と決断力(いろんなことを考えてその時々に一番いいと思うことを選ぶ)、責任能力(素直に謝れる、できる範囲でリカバーする)ですね。これらを体験し体得し行じていくことが自分自身の "発達" を自分で担保することに繋がります。
この力。一般的には "ノウハウ"。仏教では "宝珠"と呼びますね。

"発達"の大きな壁は、1.5歳→4歳→10歳と現われます。勿論、思春期、青年、壮年、老年期にも現われます。タイミングも、乗りこえ方も、個人差があります。焦らず欲張らずに一つひとつ獲得していけばいいのですね。
心理的な "発達" は、身体的な "成長" とは違って目には見えません。"自覚も、実感も、意識化も" まず不可能です。でも、その壁を乗り越えることができれば一段高い舞台から世界を見渡せるし、新しいシナリオを読み込む力を手にすることができるようになります。でも手にすることは簡単ではありません。ステージでライトを浴びたい、自己新記録を狙いたいと思うなら、深く自我に向き合わねばなりません。
千も、働くことを通じて刻苦勉励し、消化・血肉化してようやく突破したのですね。

● 千の "発達の様相"は、ちひろにも千尋にも、感じたり意識化することはできません。

千尋はちひろを認識することは可能です。ちひろは千尋の心そのものなのですから。でも、千尋のなかにいる千を感じ取ることは不可能です。いるのかいないのかそれさえも全然分かりません。そもそも千は "潜在意識" なのですから。
そう思うと、千尋には、千の思いや体験や "発達" を感知できっこありません。感知できっこない千が、千尋よりも先に10歳の壁を乗り越えてしまうのです。置いてけぼりにされた千尋は、自分の中でいったい何が起きたのかさっぱり分からないでしょう。千尋がちひろに問いかけても、ちひろにも千のことは分からないのです。この "分からなさ加減" は、まるで今の今まで、あたかも "神隠し" に遭っていた千が、いきなり千尋の前に姿を現わすようなものです。
おかしいですよね。感知できない千が、ちひろと千尋に影響を及ぼすなんて。ところが千尋とちひろにしてみたら、いつのまにかそれまでの弱気や怖気を乗り越えてもう一歩だけ足を前に踏み出してみようかなという気分になるのです。これが肉体であればトレーニングの結果という実感を持てますが、心理的な "発達" にはそういう分かりやすい実感は持てません。
壁を乗り越える(="発達")とは "生きづらさへの気づき→矛盾と葛藤に向き合う気持ち→新しい価値観の獲得" という内面性のはたらきです。これらを具体化するお作法がギャングエイジの営みの中にはたくさんあるのです。

● 本作は、千尋の心理的な "発達のさま" を、千という存在を創り出すことによって描き出しています。

千は、ちひろとも千尋とも違う立ち位置で10歳の壁の乗り越え方を体感・体得・行じてきました。それがフィードバックされてちひろを変え千尋も変えました。彼女はすでに顔をあげ視線はかなた先を見据えています。飛躍のときです。
テーマは同じでも、文学と心理学では "発達" を表現するに大きな違いがあります。本作が絶大な人気を博すのは "発達" への文学的追求とクオリティーが、緻密で滑らかで心情に溢れているという証左でしょう。ですから視聴者の意識も、抵抗なくトレースできるし、共鳴・共感しきってしまうのですね。
そう考えると幼い千尋がコハク川に落ちた瞬間から、この物語のシナリオが生まれていたように思えます。千尋は覚えていないだけで、千とハクの物語は記憶の奥底に "神隠し" されていたのです。自我を深く見つめる力を身につけた千は、龍神の "力" の象徴でもある角に触れることで、身体を岸まで押し上げた川の "力強さ" にその由来を探し当てます。ハクもまたちひろのおかげで本当の名を見つけ出します。2人は歓びの邂逅のまにまに空を翔けあがり、さらに再会を約束しあう未来にまで届く自我を創りあげたのです。
「ちひろ、ありがとう。」、「嬉しい。」という会話。ちひろとニギハヤミコハクヌシが手を取り合いながら涙するシーン。お互いの "発達" の歓びを象徴しています。"発達" を難しく感じる必要はないのです。すべてちひろと千とハクがナビゲートしてくれます。3人をなぞればいいのです。あ、油屋の皆も挙(こぞ)って応援してくれますよ。
{/netabare}

★ どうして両親は豚の群れの中にはいなかったの?
{netabare}
私は、両親は、"最初から向こう岸の建物の前で千尋の帰りを待っている" と解釈しています。

千の "発達" に伴ってちひろにも "発達" がもたらされました。2人の意識は同化し、統合、強化、明晰化されていて、油屋の橋のたもとに降り立ったちひろは既に新しい舞台に立っていたと思うのです。
ですから、両親を頼らなくてもいいくらいの自我が芽吹いていましたし、わざわざ油屋の玄関先から両親の腕にすがって帰りたい気持ちは露ほどにもなかったのですね。

ここにきてとんちのような答えなのですが、湯婆婆は千尋の作った想念世界の住人、意識だけの存在です。千とちひろは "発達" の壁を乗り越え、以前の弱い存在ではなくずっと強い自我を獲得しているので、既に湯婆婆の支配の及ばないレベルになっているのですね。ですから、ちひろが強く意識するだけで "事はすべて足りる" のです。「ここにはお父さんもお母さんもいない」という宣言は、ちひろ自身に向けた "親離れの宣誓" なのですね。

契約(≒人を雇う≒未熟さをありのまま受け入れる)とは、千尋の意識が作り出した "発達を担保する約束" です。千尋(上部意識)が銭婆(中位意識)に託し、銭婆が湯婆婆(下位意識)に託したのですね。それは同時に、千とちひろの活躍への "信用保証≒手形" でもあります。銭婆は "愛≒キリスト教の側面" で、湯婆婆は "掟≒律法≒ユダヤ教の側面" で、千を見守ったのです。何だか古神道の多様性+西洋の規律と愛という "人類の文化の統合" を感じます。

"発達" とは "統べる力の獲得" です。心技体。知情意。過去現在未来、我.人.世間。多くの価値観をインプットし、TPOに適うアウトプットをしていく時には "信愛と自律" を基礎にする必要がきっとあるのでしょうね。

● ちひろはなぜ立ち止まり、でも振り返らなかったの?

彼女は歩くたびに現実世界の千尋に近づいていきます。その一歩一歩に今までの自分には感じえなかった力強さに不思議さを感じ、油屋での物語を確かめたくなったのでしょうか。徐々に薄れていく物語には、いったい誰がいて何が起こっていたのか、その足跡をもう一度見たいと思ったのでしょうか。
でも彼女はそうした感情をグッと抑えて、ハクとの約束にだけ意識を向け一拍の間を取れるようになっていました(体感)。この瞬間、ちひろが千尋の中に戻り、くっつき、"霊・止" になり、"信愛と自律" を肉体に取り入れて(体得)、その表現もできた(行じる)。
だから千と千尋の神隠しの物語も "終わりを迎えた"。私にはそう思えるのです。

ここでいう神とは、ギリシア神話の "オルフェイス" 、古事記の "伊邪那岐命" です。両者とも愛する妻を想って?ではなく、本質は自分自身の猜疑心に負けたのです。でも千尋は振り返らず、神にも宿る弱い心を乗り越えたのです。
宮崎氏は、千尋の自我の形成の姿を通して、豊かな可能性があることを子どもたちに伝えたかったのですね。
それを示したのちに、ついに千尋は振り返り、"自分の物語" を心に刻みつけるようにして強く見定めるのです。きっと過去への未練はすでになく未来への希望だけを信じているのでしょうね。
{/netabare}

★ ギャングエイジのインパクト。
{netabare}
本作が多くの方に感銘を与え、今も支持されている理由を考えてみました。

それは本作が、ギャングエイジにとっての "バイブル" になっているからであろうと感じています。
世界中で高い評価を得ているのも、"発達" が人類共通の "進化の壁" であるがゆえに、世代も人種も越え、国境すらも越える "普遍的価値" として、真っ直ぐ伝わるからだと思います。

かつて、だれもがギャングエイジでした。
ですから、だれにでも、強いインパクトが感じられるのでしょう。
そのインパクトを "いつも、何度でも" 与えるくれるのは、あなたのなかに神隠しされている "千とちひろ" なのかもしれませんね。
{/netabare}

★ ジブリさんへ
{netabare}
劇場版の最後の1分のシーンをカットした円盤。叙情性が削がれていて作品性が台無しになっていますよ。
{/netabare}

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作が、皆さまに愛されますように。

投稿 : 2018/11/18
閲覧 : 546
サンキュー:

27

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筒井筒 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

ただの神様の集まりの話だけど、場所は湯治場か、出雲の国か!?謎のお湯屋!!

いろんな神が来る、お湯やさんの話。
ジブリによる、キャラものの代表にでも作ったのかな?

おくされ様が竜の神様だったとか、大きなカブの話をもじったようなネタも、意外な大迫力。

古きよき、の再来でしょうか?

ただ、お父さんたちが豚になって食い散らかしたり、カオナシが黄恋慕から暴れだしたり、見せたくないシーンもありますが、2次元ですからね。安全は安全です。

子供なのに、契約書に偽名を使ったりと、なんかその界隈での事件でも多い年だったのでしょうか?ジブリもついに、設定集のほか、スタッフやなにか、インタビューとかで、情報収集が欠かせなくなってきました。でも、本にネタがとられちゃうので注意する人はしておきましょう。

9/24 タイトルだけ変えておきました。

投稿 : 2018/09/24
閲覧 : 448
サンキュー:

6

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pokaerion さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

狂気

物語:精神的に来るものがあります。この作品でしか味わえないエグさがあります。
作画:カオナシの嘔吐がトラウマ。建物や風景の作画はきれいです。
声優:カオナシ(通常時)の声がトラウマ。千尋は相応のあどけなさ出てていいと思う。
音楽:カオナシのテーマが少しトラウマ。6番目の駅は名曲。いのちの名前も名曲。
キャラ:カオナシはトラウマ。湯婆婆のすさまじい造形。千尋の髪型が好き。

総評:他の作品とは何かしらが根本から違っている気がする。
視聴体験と感情そのものが鮮烈に記憶に残っている、個人的に唯一無二の作品。狂気。

投稿 : 2017/09/14
閲覧 : 305
サンキュー:

3

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狗が身 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

なんで隠したの…?

本作は10歳ぐらいの子供達の視聴を意識して作られた作品らしい。ということはつまり、主人公である千尋には監督の理想が色濃く反映されているということ。

千尋はこれまでのジブリ作品の主人公とはかなり変わったキャラクターだ。鈍くさくて頼りなく、かなり年相応の少女だ。
そんな女の子が、不思議な世界で一所懸命に仕事に取り組んでいくうちに大きく成長していく、というのが大まかなあらすじ。

また、両親もこれまでとはかなり異なるキャラ造形だ。
興味深いのが序盤のシーン。不思議な世界に迷い込んだところの台詞から察するに、千尋の両親はバブル世代なのだろう。で、どうやら駿氏はバブル世代をかなり毛嫌いしているらしい(笑)
千尋の両親の傲慢稚気っぷりが中々に酷い。母親は夫に寄り添って女の顔を見せるが、千尋に対してはややドライ。小川を通る時なんかも、後ろにいる千尋にテを差し伸べることもしない。
父親はというと、従業員のいない飲食店で無断で飯を食い出して「大丈夫だ、お父さんがついてる」ときた。こんなにも恥ずかしい「お父さんがついてる」って台詞は初めて聞いたわ…。
節度のない人間は豚も同然と言いたいのかもしれないね。

そんな両親に育てられた千尋は、最低限の常識は弁えているものの、挨拶やお礼の言葉といった礼儀はなっていないんだよね。
豚になった両親を救うべく必死に働くことで、彼女はどんどん成長していく。終盤、銭婆の家を訪ねた際にしっかり挨拶できてたのが印象的だ。
千尋が実直な姿勢で仕事に励んで大きな成功を収めるという中盤までの流れは完璧だった。
…のだけど、カオナシとの追いかけっこ辺りからなにかがおかしくなった。

どこにでもいそうな純朴な少女像が千尋だったんだけど、白のぶちまけた血反吐に怯えず、不気味な巨体になったカオナシに対しても顔色を変えない、超然としたいつものジブリのヒロインになってしまったのがすごく勿体ないと感じた。
他にもあれだけ執拗に追いかけられても見捨てなかったカオナシのことを別れの時にはガン無視していたり、千尋だけじゃなく、湯婆によって過保護に育てられた超我が儘な坊の精神が成長するのもかなり急だったし、物語を畳もうとする作り手の意思を感じずにはいられない話の運び方だったんだよな~。

対照的に、キャラクターが一貫していたのがカオナシだ。
あまり他者から認識されない日陰者で、存在自体が疎まれているカオナシにとって、自分を嫌悪感も示さず見てくれた千尋を求めるのは当然の感情だ。
でもカオナシは愛情表現が持ち合わせていない。日陰者で他者とコミュニケーションをとることなんて滅多にないからだ。だから、物を与えるということでしか他者と繋がっていられない。
どれだけ暴飲暴食をしようと、本当に求めているもの(たぶん、他者からの優しさとか愛情といったものだと思う)が手に入らないから、満たされないんだ。
たぶんカオナシにとって、あの列車での旅が一番楽しかっただろうな~。銭婆のところにとどまったのも、銭婆に必要とされたことでカオナシの求めていた物が手に入ったということなんだろうね。


たぶん本作を通して駿氏が言いたいのは「親を手本にしたってなんの意味もないから、若いうちから一所懸命頑張れ」ってことなんだと思う。だって千尋の両親が反省するといった展開がなかったから。これってつまり、バブル世代になんの期待も抱いていないってことでしょ?
ただ引っかかるのが、現実世界に帰ってきたらかなりの年月が経ってるっぽいということ。
父親の車が埃だらけって台詞から、かなり年月が過ぎてるっぽいんだよね。
千尋はこれから新しい土地で新しい生活を始めようとしているところだった。これを機に千尋が頑張るようになる、という締めにするのなら、むしろ逆に【不思議な世界で何日も過ごしたのに現実世界では全然時間が経っていない】にするべきじゃなかったのかな?
これのせいですごい後味が悪いんだよね…。

投稿 : 2017/06/02
閲覧 : 329
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16

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ジパミィナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

個人的には過大評価な作品 65点

作品の好みによると思いますが、歴代興行成績1位としては、とても評価できないです。
正直、「君の名は」や「アナと雪の女王」に勝てる要素がほとんど無いと思ってます。
湯婆婆とかはジブリらしいキャラだと思いますが、「ラピュタ」のドーラの変化球的なキャラであり、ドーラほど魅力あるキャラには感じられません。
また、釜爺も使い回しにしか感じられず、呆れるレベルです。

一番は物語が面白く無いです。
タイトル通り神隠しにあい、元の世界に戻る為に奮闘して、無事帰還するだけであり、そもそも神隠し自体に理由が無いので、不思議体験をする為のこじ付けであり、異世界に入り込んでしまうという設定にしたいだけだと思います。
かおなしの必要性も無い登場に、坊という登場させるとパターンが決まってしまうキャラ、ハクの魅力不足とキャラの魅力が大きいジブリ作品の中で、何でこんなキャラと感じました。
「ナウシカ」や「ラピュタ」のようにキャラの魅力が無く、記憶に残るセリフも無いです。
湯屋など、柱になりそうな舞台はあっても、スター性のある役者がいないと舞台だけあってもダメなんだなぁと思います。

ジブリやディズニーは隠し要素や本編で語られないその後やもう一つのエンディングなどが、後から話題になりますが、作品に後出しは無く本編で完成できない作品は正直視聴者に対して、無礼であると思います。
こども向けの作品なので、シンプルなお子様ランチの様な作品でありつつ、随所に職人の技が光るという、玄人の仕事が施されていた「ナウシカ」や「ラピュタ」の輝きはこの作品には無いと思います。

投稿 : 2017/03/09
閲覧 : 571
サンキュー:

7

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k-papa さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 2.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

列車の車長さんのキップ切断機に駿さんの凄さを見た。

多くの方が見たジブリ作品。

今更コメントすることは愚の骨頂であるが、
声優陣、タレントばかり使ちゃって・・・。
千尋の両親の声はなんでしょうか・・・。

まあ、良いです。
やはり、私は水の上を走る列車が素晴らしかった。
特に車長さんが千尋のキップを切断機にかけるシーンは良かったわ。
流石、駿さんと思いましたわ。
同じ見てた家族に言ったら、アホと言われましたが・・・。

いろいろ映像で良いところはありますが、
まあ、私の好きなところはそんな感じです。

これも万人向けのアニメ作品ですね。

投稿 : 2017/02/08
閲覧 : 245
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0

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しゃけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

ジブリの頭

ジブリの最高傑作といえばこの作品でしょう。
何か語ることはないかと考えてみたのですがなにを書いても既出でしょう。
皆さん個人的にはぽんぽことかトトロとか耳をすませば等々、各々の一番好きなジブリがあると思いますが一番売れたジブリなのでこれが一番人気だと思います。

投稿 : 2016/12/12
閲覧 : 221
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3

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帝釈天 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

さすが

やっぱアニメといえばこの作品ですよね
あの川の主の話とか、顔なしの話とか・・・
あ、でも、一番よかったのはあれですかね、油ばーばの姉の話あれは心があったまりましたね

投稿 : 2016/05/14
閲覧 : 205
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2

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はちこ風味 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

ちょっと、ね?でも、、

ジブリの代表格であることは間違いないことは興業収入をみれば頷ける。
いい作品でもある。
とてもきれいだ、映像美、動き。素晴らしい。
終わり方が気に入らない、伏線の未回収。
わかる、わかるがそれがジブリなのである。
その先は見る側に委ねるのが宮崎駿の考えである。
憶測が飛び交うが、それでいいと思う。
公開から何年も経って、いまだにあーだのこーだの。
そんなこと言われる程のアニメなのだ。
素晴らしいことである。

投稿 : 2016/02/09
閲覧 : 205
サンキュー:

3

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こっくん さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

豚になってしまう・・・

小学生の千尋は、両親と共に引越し先へと向う途中、森の中の奇妙なトンネルの先に広がる無人の街に迷い込む。しかし、そこは怪物のような姿の八百万の神々が住む、人間が来てはいけない世界だった。食べ物屋で無断で食事をした千尋の両親は豚にされてしまい、彼女自身も消えそうになるが、千尋はこの世界に住む少年ハクに助けられる。
ハクは八百万の神々が客として集う「油屋」という名の温泉宿で働いていた。油屋の主人は、相手の名を奪って支配する、恐ろしい魔女の湯婆婆(ゆばーば)だ。この世界で仕事を持たない者は、湯婆婆によって動物にされてしまうと教えられた千尋は、湯婆婆に仕事をもらえるように頼み込む。千尋は、名を奪われて「千(せん)」と新たに名付けられ、油屋で働くことになり・・・無事に元の世界に帰れるのか?


最初の両院が豚になるとこは結構トラウマだったりします(笑)
歳が小さかったのもあるのかもですが「えっ」って思ったのを覚えています

ジブリ作品の中でもしかしたら一番人気が高い作品かもしれないですね。
ストーリーがとても深くて大人になってから見返すとなるほどって納得できる部分が多かったです。

まあ無断でご飯食べたら豚になってしまうのもしょうがないかな(笑)

投稿 : 2016/01/26
閲覧 : 232
サンキュー:

1

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りゅぅぞぅ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ジブリは1度しかみないね

 だいぶ、昔にみた記憶でレビューを書いてみよう

千尋家族が旅にでたさい異なる異世界にはいってしまい

両親は豚になり、千尋はユバーバに尋をとられ千になる

その異世界で生活していく話

その過程で白とであい、でかい赤ん坊の面倒みたり

顔なし?クチナシ? そんなキャラと絡んだりして

最後は名前を取り戻し、両親を返してもらい

元の世界に帰る話

 結論、ジブリは2度見るもんではないけど

1度は見ておいたほうがいい作品たちではあるので

視聴しましょうb

投稿 : 2015/09/20
閲覧 : 289
サンキュー:

3

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退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

タイトルなし

自己中心的で人の話を聞かない父と女性としての一面が色濃い母の、二人のバカな大人によって小四にして働かざるをえなくなってしまった哀れな千尋の不思議な体験談。
千尋の両親は、なんだかいかにも「現代の親です」と言わんばかりの頭の悪さ。他人事ながら千尋には同情を禁じ得ない。こんな両親に育てられた千尋が一番常識を弁えてるってのがまたなんとも……。
豚になってしまった両親を助けるべく働く千尋。ドジなところやすぐに泣いてしまうところなど、今までのジブリ作品の主人公とは異なる造形が新鮮だった。今までのような、理想のヒーロー・ヒロイン像といった感じではなく、現実にいそうな素朴さは、その身の置かれた環境に一所懸命に適応していこうとする姿も相まって親近感を覚えて、思わず応援してしまう。

【礼儀のなっていない】大人に育てられた【礼儀を知らない】少女が、当たり前のことを学んでいく。その過程と成果がしっかり描かれており(銭婆の下へ向かうところから、銭婆との対面までの随所で見られる)、観終わった時の気持ち良さに繋がっている。田舎への引っ越しを嘆き、友人らとの別れを引きずってグジグジしていた序盤とは大違いの、なんとも爽やかな別れじゃないか!

ところでこの作品の真価は、現実で働いてみて初めて分かるものがあると思う。実際に働いてみると、最初は怒られたり、戸惑ったりすることばかりだ。
そういうことを体験してから本作を観てみると、千尋の描写にも、リンや窯じぃの描写にも共感できて、作品の世界との距離がグッと縮まってくる。
最初はほんとうに当たり前なことで怒られる。何をどうしたらいいのか分からないってのがある。でも、戸惑いながらもしっかり働いて、自分の頑張りが認めてもらえた時の嬉しさは、得も言えない。
また、そんな千尋をしっかり叱り、そして応援するリンや窯じぃはまさに理想の社会人。こういう人たちがいる職場ってのは、働き甲斐があるだろうなぁ……なんて、羨ましくなったり。

千尋の等身大の奮闘記はあっという間に時間が過ぎてしまうぐらいに面白いのだけど、ぽつぽつと気になる点も少なくない。

一つは、千尋が後半になると別人っぽくなってしまった点だ。
物語当初、千尋はどこにでもいそうな普通の少女だった。本作では、そんな普通の少女の普通の反応が見どころと言っていい。
しかし、川の主を洗ってあげて以降、千尋はすっかり覚醒してしまった。
ここから、千尋の奮闘記からいつものジブリになってしまった感がある。
ハクを助けたいという気持ちが強かったというのは理解できるのだけど、カオナシにまったく動じないってのはさすがに違和感があるんだよなぁ;

社会で働いてみて逞しく成長するにしても、成長しすぎだろう。カオナシが撒き散らした吐瀉物にビックリしても、カオナシにはビックリしていないんだものなぁ。
自分を襲ったカオナシを許すどころか気遣いさえするし、最後には両親を一発で見抜く超感覚も身に着けてる。いったい彼女の中でなにが起きたのか。「分からんか? 愛だよ、愛」で済ましちゃったのには驚いた……。

カオナシはまぁ宮崎さん本人だとして(多分そういうことだよね……?)、せっかく立派な成長(あくまでも等身大の)を遂げた千尋だけど、その為に長い月日の間神隠しに遭っていたってのが監督の意地の悪いとこだよねぇ。
神隠しにでも遭わないと、今の世の中じゃまともな成長もできないとでも言いたいのかしらん。そんなことはないと言いたいけど……。ともかく、千尋が一回り成長するのに、長い月日を代償にしなければならないのだ。それが、宮崎さんの思う今の世の中なんだろう。宮崎さんは千尋のような子を助けてあげたいけど、でも千尋にとってカオナシ――宮崎さんは不要なんだ。銭婆のところに留まったのは、そこら辺を弁えたんじゃないかな。


細かい不満はあれど、相変わらず映像面は素晴らしく、ストーリーやキャラのちょっとした部分を自分の中で妥協できれば、何度だって観れるだろうなぁ。噛めば噛むほどに……というか、実際にアルバイトなり就職なりして働いてから、是非とも観て欲しい。

投稿 : 2015/08/18
閲覧 : 174
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DOLLmimoza さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

不思議な世界観が好き

2001年に劇場公開され、当時見に行った。DVD化された時に映像が
赤っぽいなどと騒がれていたようだが、特に気にもしなかった。
その後何度も何度もTV放送されるし、認知度は相当高いと思う。
2014年「アナと雪の女王」が大ヒットし、「千と千尋の神隠し」の
歴代興行収入トップを抜くのでは?とさえ言われたが、
結局1位の座は奪われなかった。
スタジオジブリの記録的大ヒット作であり、今でも語り継がれている
作品である。

小学校を転校する千尋が、両親とともに車に乗って移動するシーンから
始まる。
前の学校の方が良かったとぶーたれる千尋。なんかマガママそうな
女の子の印象…歴代宮崎アニメのヒロインにしては少々ブサイクな感じ。
当時思わなかったがこの千尋役の柊瑠美。子役やってた女優だが、
今見ると声優としては棒というか素人くさい。まあそれが10歳の
千尋としての味わいだとも思えるが…。

他のキャスティングは俳優畑の人たちばかりだが合ってるし上手かった。
千尋の父役:内藤剛志さん 千尋の母:沢口靖子さん
ハク:入野自由(みゆう)元々子役出身。ジブリ作はこれ1本のみだが
深夜アニメ枠に移行~「電波女と青春男」丹羽真「あの花」じんたんなど
多くのアニメで知られる。
釜爺:故・菅原文太さん 湯婆婆&銭婆:夏木マリさん 歌手・女優。
まさかこの人がアニメの吹き替えするとは思わなかった。
湯婆婆と銭婆を演じ分けていたのは流石。
湯婆婆と銭婆の語源は「銭湯」だと思われる。すぐ気がついた。
坊:神木隆之介 俳優とジブリアニメの両方に活躍している。
リン:玉井夕海さん 宮崎さんの東小金井村塾の塾生とか。
リン役ピッタリで上手い!と思った。

「テーマパークの残骸だよ」と言う千尋の父親。
「めめ」「三千眼」などと奇妙な看板の店。
とても変な雰囲気と外観の商店街である。
ゲゲゲの鬼太郎の作者で有名な、水木しげるさんのアシスタントを
していたつげ義春さんという漫画家がいるが、その人の描いた
「ねじ式」という作品にこの世界観とそっくりなシーンがある。
宮崎監督は「ねじ式」を参考にしたんだと思われる。

作品が当たった要因はこの世界観にもあると思う。
摩訶不思議な世界。八百万の神々が存在し湯婆婆の湯に浸かりに来る。
そこに紛れ込んだ人間の女の子千尋=千の成長話。
両親が勝手に神々用の食べ物を食べてしまい、豚(リアル的な作画だった)
にされたことで見ている人を惹きつける。

当初、端役扱いだったカオナシは主役の千尋を完全に霞ませるほどの
インパクトキャラとなった。カオナシなくして大ヒットはなかっただろう。
「あっ、あっ、」としか言えないが、他者を飲み込むことで
その者の声で喋ったりできる。千尋を気に入ったらしく何かを
やたらと与えようとするのは単純だからか?薬湯の札とか砂金(実は泥w) 
他者を飲み込んだのは養分にするためではなく、自分表現の
代理なのかもしれない。千のニガ団子を食べさせられ全員吐き出してるし。
カオナシとは寂しがりで、自己表現が苦手な現代の人間を
表しているのかもしれない。


ハクを救うために銭婆の所に千がカオナシと一緒に
電車に乗って行くシーンがとても好きだ。情緒感溢れる
音楽もとてもマッチしていた。あのシーンは絶賛したい。

これまでの千尋が異世界で体験してきたことは夢ではなく、
現実であったことを比喩しているシーンで(銭婆と坊ネズミ、
ハエドリらで紡いだ紫の髪留めがキラッと光る)
締めくくっていたのも良かった。

キャラ設定も良く、摩訶不思議な世界観が
うまくまとめていたジブリアニメであった。
頂点となったこのアニメを今後ジブリで作るのは
ムリだと思うほど個人的にも面白かった。

------------------------------------------------------
ちょっとした疑問:湯婆婆の息子は坊(デカ過ぎる赤ん坊だ。
正直キモイww)父親は誰だ?

ハクが名前を取り戻してるから湯婆婆と話付けると言って
最後千尋を人間界に返すが、あの後湯婆婆に八つ裂きにされた…
と密かな後日談が世間ではあったが、それは都市伝説と捉えておこう。
宮崎監督がインタビュー等でふれていたならまだしも、
製作者ではない一部が、脳内補完した戯言を広めたに過ぎないと
思うからである。

投稿 : 2015/05/15
閲覧 : 508
サンキュー:

8

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くかす さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

感想

ワクワクドキドキするような広い世界が凄く良いです

息を止める橋、ボロい階段から始まって
手足が長いおじさんがいる所
湯ばあばの不思議な部屋と次々とドキドキするところに
千尋は訪れるそういうのを見ていてワクワクしました

そんなとこでの千尋の唯一の味方のハクの安心感とかっこよさ
千尋のたくましくなっていくところなどが良いです

その後が気になる作品だと思いました

投稿 : 2015/03/18
閲覧 : 272
サンキュー:

15

ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

傑作です

ただ、こういう誰もが絶賛する作品の点は制限してます。

投稿 : 2015/02/17
閲覧 : 335
ネタバレ

37111 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

環境問題に取り組むのはやめてほしい。

どうも自然がどうとかそういうことが鼻につく。

それ以外は面白い。

声優はちゃんとプロを使ってほしい。

投稿 : 2014/10/27
閲覧 : 240
サンキュー:

1

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ふわふわマショマル さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

こんなにスピリチュアル☆素晴らしい!!!

ジブリの中で、一番好きな映画です!!

千尋が成長していく過程と両親が豚になっちゃってめげずに生きて行く。。。

スピリチュアルですよ、とーっても。。。
作画も凄く丁寧でコメントでは私には表現できませんけど。

大人が大人の視点で観ると、発見もあります。
「かおなし」の存在はこの映画にとってはとても大きくって見方によっては、千尋よりも凄く大きな存在感で、スッカリ見終わった頃にはかおなしのファンになってしまいました。

かおなしマニアの人も居るって聞いた事があるし、かおなしって人気者なんですね。

DVDも買いました。それほど大好きな映画です。興行収入も断然トップなこの作品を愛する人は多いですね。時々、Podcastでジブリを聞いています。やはり、ものつくりの優秀な人たちのお話は深くって、面白いですし! 物の見方も変われるのは影響力が強いのはアニメもそうですけど、作って来た人たちの先人の言葉っているんですか?深く影響されます。
TOKYO FM 『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』という番組のPodcastです。
ジブリファンは一度聞いてみると面白いと思いますよ!

これからも、GOROさんの代になってもクオリティーを下げずに突き進んで貰いたい、日本の文化の優秀な人たちに是非、頑張っていってもらいたい!

そのジブリの代表作ですから、私が何を言う事もないかと思います。

投稿 : 2014/10/25
閲覧 : 254
サンキュー:

2

ネタバレ

ValkyOarai さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

劇場でDVDで トンネルを抜けたら、そこは不思議な街でした

何回も見たジブリ作品です。

親が豚になってしまうシーンが少し酷です
その反面皆で「食ったーー!」がなぜか笑えた

「いつも何度でも」が非常に良曲です
歌ったなあ。確か小学校のころだっけ。

投稿 : 2014/10/07
閲覧 : 375
サンキュー:

3

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千と千尋の神隠しのレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
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千と千尋の神隠しのストーリー・あらすじ

10歳の少女、荻野千尋(おぎの ちひろ)はごく普通の女の子。夏のある日、両親と千尋は引越し先の町に向かう途中で森の中に迷い込み、そこで奇妙なトンネルを見つける。嫌な予感がした千尋は両親に「帰ろう」と縋るが、両親は好奇心からトンネルの中へと足を進めてしまう。仕方なく後を追いかける千尋。

出口の先に広がっていたのは、広大な草原の丘だった。地平線の向こうには冷たい青空が広がり、地面には古い家が埋まっていて瓦屋根が並んでいる。先へ進むと、誰もいないひっそりとした町があり、そこには食欲をそそる匂いが漂っていた。匂いをたどった両親は店を見つけ、断りもなしに勝手にそこに並ぶ見たこともない料理を食べ始めてしまう。それらの料理は神々の食物であったために両親は呪いを掛けられ、豚になってしまう。一人残された千尋はこの世界で出会った謎の少年ハクの助けで、両親を助けようと決心する。(アニメ映画『千と千尋の神隠し』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2001年7月20日
制作会社
スタジオジブリ
Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E3%81%A8%E5%8D%83%E5%B0%8B%E3%81%AE%E7%A5%9E%...
主題歌
≪ED≫木村弓『いつも何度でも』

声優・キャラクター

柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、上條恒彦、小野武彦、我修院達也、はやし・こば、神木隆之介、菅原文太、玉井夕海、大泉洋

スタッフ

原作:宮崎駿、 監督:宮崎駿、脚本:宮崎駿、製作総指揮:徳間康快、音楽:久石譲、作画監督:安藤雅司、美術監督:武重洋二、プロデューサー:鈴木敏夫、色彩設計:保田道世

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