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「崖の上のポニョ(アニメ映画)」

総合得点
64.8
感想・評価
648
棚に入れた
3077
ランキング
3530
★★★★☆ 3.5 (648)
物語
3.3
作画
3.9
声優
3.3
音楽
3.6
キャラ
3.5

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崖の上のポニョの感想・評価はどうでしたか?

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

子どもの領分

ここまで子どもの領分に全振りした作品を、私は寡聞にして知らない。
宗介とポニョの領分。
それは二人の眼差しにだけ映る心象風景。
たがいに共感しあい、共有をかさねた世界観が、ふんだんに描かれている。

それは、大人のもつ世界観とは全く違うもの。
鑑賞するなら、博識も青二才も、むしろ邪魔にさえ思える。
宮崎駿氏は、千と千尋の世代をさらに遡って、幼児期の子どものために作ったのだと思う。

もしも、私が宗介の時代に戻ることができたら「目にはたしかにあんなふうに見えていた。それを疑うなんてことは1ミリもなかった。いつまでも永遠に続くものと思っていた。」と、あらためて驚く。
何が驚くって、寡聞少見にて、知見がちっとも広がっていないままであることと、私自身の想像力が、段ちにおめでたく窄まってしまっていることにだ。

だいたいのことは、ポンコツ頭で切り分けてしまうのがいつもの悪い癖になっている。
もちろん、大人ぶった振る舞いで収まるうちなら、子どもじみたトラブルは起きないはずである。

しかしどうなんだろう。
本作を見るたびに、私は真逆のことを感じてしまう。
目の前のリアルな世界のなんと寂しげなことだろうかと。

実は、ポニョの世界観に登場しないものがある。
それは "貨幣への価値観" だ。
通常、モノの価値は貨幣に置き換えられるし、想像力は硬貨と札束へと押し込められる。
ということは、彼らはそれに拘束されない自由な発想を "まだ持ち合わせている" ことにあらためて気付かされる。

宗介とポニョは、やがて社会での苛烈な競争や、労働の中身と貨幣の価値を知ることになるだろう。
だけれど、そのほんの一歩手前で、世界はそもそも多様性に満ち満ちていること、共生する目的も手段も、話し合いで整えられることを、主体者として身をもって覚えるのだ。

それを導くのが、リサであり、グランマンマーレである。
本作の特徴は、子どもにとっての身近な決まりごとが、男性性ではなく女性性に決定権を持つ者として描かれていることだ。

グランマンマーレと宗介との会話に、印象的な部分がある。
彼女が宗介に問うた主旨は「ポニョは、魚で、半魚人でもある。それでもいいの?」だったと思う。

宗介は「いいよ!」と即答するのだが、一見すると、宗介のポニョへの認識が、カタチとして同じ人間であるからという言葉であろう。
しかし、このやりとりは、人類が、数億年の変遷をどう受け止め、多様性をどのように認めるかという普遍的な期待を描いているとも言える。

幼児へのこの問いかけは、そのまま大人の自己認識の深層に向かっていく。
例えば、半魚人の奇妙に見える造形は、謂わば生命がたどって来た道すじの一過を演出するものでもあるのだから、好き嫌いに判断するものでもない。

本作への批判に少なからず見られるそうした反応は、言うなら生命進化への不明、系統発生への浅慮とも言えよう。

翻って、宗介もポニョも、日常に占める父の存在はとても小さく描かれる。
宗介には、わざわざセーラー帽を被って大人ぶるお作法を演出し、電磁波という利器にて遠方の父とようやくつながるシマツである。

ポニョに至っては、日々を狭い水槽に閉じ込め、彼女のやんちゃをあやしげな魔法術式で抑え込んでいる。
これなど、日本の子育てに置かれている男性性への自嘲なのか憐れみのようにも見える。

そうは言っても、男性性のストレングスが、今の世界をリードし、創造し、弱者を支配しているのは事実である。
そのなかでも最も顕著な特性は、何あろう "核による大量殺戮兵器の存在" がそれを証明している。

宇宙に二つとないこの青い惑星を、何十回、何百回と死に追いやるボタンを握っているのは、他ならぬ男性性の意識にあることは疑いようがない。

普段は "ミテミヌフリ" をして浮上してこないこの事実が、宗介とポニョの物語の背景を読み解くカギになる。
二人の視点から、現実への評価をどのように見やれば良いかが分かろうものだし、そろそろ判らなければならない。

デボン紀の魚たちと、老人のデイサービスとが同居する世界を、2人の視点が示している。
そこには、核兵器の御守りは要らないし、作意的な亡霊たちの絵本も必要ないはずだ。

私たちは、かりそめにも平和と思い込み、自己満足に完結させているこの時代を認めあって生きているけれど、宗介やポニョの世界観とはほど遠い。
しかしながら、この刹那から受ける多様な圧迫は、実はたかだか1万年の歴史に過ぎないことも事実と知っておこう。

人の精神性は、知らなければ、知ろうとしなければ、知らずと人生を浪費してしまう日常に慣れきっている。
それは本当の賢さと言えることなのか、それともヤバめの愚かさと言えなくもないことなのか。

ポニョが、崖の上まで登ったのは、宗介の "知ろうとする当意即妙と臨機応変" にあった。
二人の邂逅によって開かれたのは、多様性や共存性への入り口としてであり、同時に、作品が知ろしめす人類知としてのベクトルでもある。

本作の持つ感受性への振り幅の大きさは、そこから得られる解釈もまたそれぞれに落ち着くという楽しみ方もある。
その切り取り方は、上下左右に広くあり、奥行きも浅く深くあるだろう。
そして、時代を動かしてきた宮崎駿氏のメッセージを感じとれるなら、なお素晴らしいと思い入っている。


キービジュアルに見せているポニョのあどけない表情とその仕草は、地上人類への浮き立つような期待と不安、人間世界への揺るがぬ信頼と選択を重ねてあわせて、宗助に向けている。

それは、どちらかというと、今までの大人の心を揺さぶってきた物語ではなく、無垢なる子どもたちのための、しかも、地球生命への深い愛着と強い責任感とを託しておきたいとする、宮崎氏の祈りの目線でもある。

そう私は捉えているのです。

投稿 : 2022/05/24
閲覧 : 213
サンキュー:

10

ネタバレ

fuzzy さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7
物語 : 2.5 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

改めて視聴。。やりたいことをやったのかな。。自分には発想を変えないと観れなかった

自分の中では酷評が多い印象
何回か観たけどなんか覚えてない
地上波でやってたのでなにがひっかからないかを検証

作画は粗いところが多め
人の描き方が顔が粗いし、動きもぎこちない
津波のシーンもちょっと変
人員削減したのかなぁ

しかし海の中の表現とか魔法で水が大量の魚になるのとかは良いと思う

主人公が他の人には礼儀正しいのに両親を呼び捨てにするのがやはりひっかかる


明確な敵や目的がないため、やはり何をしたいのかがわかりづらい

世界を救うと言ってたり人間に戻すためと言ったり
ま、ポニョが曖昧な存在になってるため世界が歪んでるという事だったのよね?
そ、そうなんか。。

〈トータル〉
カリオストロ、ラピュタ、千と千尋、トトロなどが宮崎駿作品なのできっと今回も!!っと期待したからダメだったのかなと

改めて観てみて
宮崎駿監督という眼鏡を外し、
海外の監督とスタッフによる絵本のようなアニメ作品
と思うといい出来なのかと。

しかし今までのジブリ作品は昭和からあるようなステレオタイプな親子像で描いていた気がするが
この映画だけどうも毛色が違う気がする

勝手なあくまで想像ですが
孫ができて孫の家庭と自分の価値観が違うという発見、その子のために描いてあげたいと意識に変化があってこうなったのか
はたまた名前が出てないだけでほんとはスタッフかなにかで幼い子供をもっていたり、この映画のような価値感を持つ人が原案とか作成に関わってたりしてたのか

ここら辺がかなり謎でした。

何回も観たい内容ではないですが
海の中の表現は流石と思いました

でも両親を呼び捨てはやだなぁ

投稿 : 2022/05/11
閲覧 : 161
サンキュー:

3

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6
物語 : 1.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

ぶっとんだ2人の母と尻に敷かれた夫の話?

 宗介とポニョは正直どうでもいい存在でしたね。テケテケ動いている人形にしか見えません。2人の母に注目すべきでしょう。

 宗介の母、リサは子供にリサと呼ばせます。子供が親を名前で呼ぶケースでは、心理学的には家族関係の愛情に基づく安定度が低いそうです。中学校くらいの親離れする時期から始まるのが普通です。
 そして、子供を助手席に乗せてセンターラインをはみ出す運転をし、大波が迫っている場面で強引にそこをつっきります。大災害のときに子供を家において家を出ます。
 気が狂ってるとしか思えません。子供の自立とかいってスポイルして、自分は好き勝手しています(ここは想像です)。麺類ばっかり作ってるし。愛情というより「~すべき」で子育てをしてるけど、やることが気分でブレブレという駄目母ですね。

 そもそもあの家もリサの選択の気がしますよね。サイケな色合いといい。あそこで子供の教育にいいんでしょうか。危ないし。友達できないですよね?車もピンクだし。

 ポニョの母親ののっぺりとした顔。うねる髪。泡から生まれたのならヴィーナスなんでしょうけど、どう考えても魚類ですよね。だから子供がいっぱいいるんでしょうけどね。子供の1人くらい人間にあげてもそりゃあ、気にしないでしょう。世界が滅びようとしていても気にしません。神か観音さまか主かしりませんが、人間と価値観が相容れているとは思えません。だから、リサと話があったのでしょう。

 宗介、ポニョの父たちの仕事は何か虚しいですよね。マイホームにも帰れず汗水たらして働いてるのに馬鹿とか言われるし、何百年もかけて貯めた金色の水もどうでもいいような扱いを受けるし。

 アニメの設定等の考察は、この際どうでもいいでしょう。死後の世界とか津波とか環境とか老人とかいろいろ考察されている方もいますが、過去の作品はいざしらず、巨匠宮崎駿の創造力は性欲だったんでしょう。美少女から離れるとこんなもんです。
 風立ちぬが異色なのは前々から温めていた脚本・ストーリーなんだろうと想像しています。千と千尋で終わったんでしょうね。

 本作は何か裏のメッセージや隠れた象徴みたいのがあるかもしれませんが、どうでもいいレベルで面白くない話でした。

投稿 : 2021/06/14
閲覧 : 229
サンキュー:

1

ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 1.5 作画 : 4.0 声優 : 2.5 音楽 : 4.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

老境。

【概要】

アニメーション制作:スタジオジブリ
2008年7月19日に公開されたオリジナル劇場アニメ。
監督は、宮崎駿。

【あらすじ】

5歳の男の子・宗介は、老人ホームに勤めている母親のリサと崖の上の一軒家に住んでいる。
父親の耕一は貨物船の船長で、家を留守にしていることが多い。

そんな宗介が海辺で赤いさかなの女の子を拾って助けたことから、
さかなの子は宗介に懐いてしまい、宗介はポニョとさかなの子に名付けて可愛がる。

ポニョは、かつては人間だったが人類を愚かで身勝手と見限り海の眷属の魔法使いになっていた、
父・フジモトから逃げて家出をしていたのだが、結局は捕まって連れ戻されてしまう。

フジモトは「生命の水」を蓄えてその力で、海洋生物が地球の主たる「海の時代」を、
引き起こそうとしていたが、ポニョに「生命の水」を全て奪われてしまった。

“生命の水”の力を得て、人間の子供の姿を得たポニョ。
ポニョの魔法の影響で世界は台風と大嵐で大混乱。
脱走したポニョは、巨大な水魚に変身した数百匹の妹たちとともに、
嵐と豪雨の中を大津波の上を走り抜けながら宗介に会いに行くのだった。

【感想】

宮崎駿監督といえば日本を代表するアニメ界の巨匠ではありますが、
ポニョは評価が分かれていて批判寄りの声も目立つ作品。

後の2011年6月11日に、「No!原発」というプラカードを下げて東小金井で小さなデモを行い、
更には6月16日に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と社屋の屋上にて、
横断幕を掲げた、文明社会への不平不満を漏らしては理想社会を夢見る理屈っぽい老人。
その宮崎駿監督が、完全にとは言い難いものの自分の小理屈を極力封印して、
子供向けを目指して作ったものではありますね。

監督が田舎に対しての憧れや幻想が強いのか、舞台のモデルは広島県福山市の港町・鞆の浦。
絵本のような背景の描き方でレトロでノスタルジックな情感を出しているのですのが、
自分から見たら、2008年の当時の日本を描いたにしては妙に古ぼけた部分を感じさせますね。

2008年といえばiPhoneが日本上陸した年で、『ストライクウィッチーズ』が放送された年。
しかし、このアニメでの鞆の浦は田舎町といえど、
当時の文化や風俗などの時代感覚が欠けていて21世紀の日本から取り残された、
まるで竜宮城の浦島太郎状態なアナログな世界。
ポニョの世界はこれが70年代、ギリギリで80年代の前提なら、まだ合っていたと思います。

「子供には起承転結や整合性のあるストーリーなんか要らねえ」
と振り切った(開き直った?)感があるシナリオ。

千と千尋もそうだったですが、登場人物がシナリオの従属物ではなくてひとりひとりにハートがあり、
「自分がこうしたいからこうする」と、思いのままに行動している。
シナリオではなくて、キャラが物語を引っ張って動かす類の劇を多分目指して作っている。

完全なる無から世界や登場人物を創造しているわけでもなく、
そしてポニョの世界の住人を形成しているものは宮崎駿監督の中にある記憶や感情そのもの。

船に詳しくモールス信号をマスターしている幼児・宗介は家業が零戦の部品を製造してたことから、
軍事マニア少年(長じても続いている)であった宮崎監督の分身。
仕事で忙しく子供ほったらかしの父親・耕一は、
アニメアニメで忙しく吾朗ら実子を放置していた監督自身が元ネタ。
気が強くしっかりしてるものの、仕事仕事でなかなか家に帰ってこない夫に寂しさでむくれる、
母親リサなんかも宮崎監督の好みのヒロイン像でしょう。
そして、リサが働いている老人介護施設「ひまわりの家」の老婆のひとりのトキは、
宮崎監督が亡き母を思いながら描いたキャラ。            

地上の人間たちに関しては老境の宮崎監督の胎内回帰願望が少なからず含まれており、
そこに同調して感銘を受けるかで作品に対する印象が変わってくるとは思います。

そして、その登場人物たちをジブリ品質に裏打ちされたアニメーションで生き生きと見せる。
それは、ヒロイン?で魚の幼女ポニョも含めまれており、宗介とポニョら子供の純真な姿に、
大人たちは元気や安らぎを貰い、子どもたちは共感をしてキャッキャと楽しむ類の作品。

後半は子供の小さな冒険モノとセカイ系な展開となりますが、
基本は、宮崎駿流のハートフル志向な日常アニメ成分を堪能することにありまして、
宗介とポニョが好きになれるか?が視聴者の作品への好感度に直結していますね。

しかしながら、自立した対等の人間として名前で呼び合う教育方針で、
実子・宗介に家族内で『おとうさん』『おかあさん』ではなくて、両親を名前で呼び捨てにさせる、
古来の日本の価値観から離れたものを現代的要素として設定にとりいれてるものの、
え?そんな家庭あるの?自分の範囲では知らない。

半魚人状態のポニョが気持ち悪いなと思ったり、ポニョのおならみたいな息の音とか、
女友達の園児のクミコへの顔面放水で服がビチョビチョだとか赤ちゃんの鼻水とか気になって、
このアニメに気分が乗らなかったですね。
それらを含めて、風変わりであったり微妙に汚い部分もあるポニョの世界を、
愛しく思い受け止められる寛容さが視聴者には必要かもしれませんね。

他にも、プロの芝居にNOをつきつけて職業声優を排除してタレントだけで出演者をかためてまで、
声のリアル?にこだわる。それで何故、長嶋一茂を父親役で起用?とか意味不明であったり、
また、宮崎駿の描く日常やキャラ付けが、監督自身の願望や妄想を重ねすぎてて違和感多すぎですね。

ポニョや介護施設の老婆との交流シーンには時間を割いて描いてるものの、
宗介には同じ年頃の男友達もなく、いるのは女友達がクミコとカレンと二人だけで、しかも扱いが雑。

子供のありのままの姿や人付き合いを描いてるのではなく、
もしも宮崎監督が自分が5歳の子供だったらという願望を妄想して作った交友関係。
宗介が同年輩を蔑ろにして老婆ばかりと仲がいいのは創造主である監督が老人であり、
老人キャラに思いが偏っているから。これは、監督の我が入り込んで投影している結果ですね。

照れもなく『ボクもリサのおっぱいを飲んだんだよ』と普通の男の子が言わない台詞を言わせたり、
『しめしめ』『上々だ-』と子供が使わない老人みたいな言葉だらけの宗介に生の子供感がない。
作り込みが甘いのか単に監督の趣味なんですかね?
宗介のヘンテコ具合から宮崎監督の胎内回帰願望?幼児プレイ感を感じるのはそこですね。

キャラ主体で声のリアルにこだわりが強い割には主人公の宗介とポニョの父親・フジモトが、
やたらめったら説明台詞をわざとらしく呟いてばかりなリアリティの無さが気になります。

それらを差し置いても2020年の今の視点では、
2008年の作品であることを考慮してもそれ以上にアニメが古臭い。
ハウス名作劇場の系譜を継ぎ、世間の流行におもねることなく伝統的な自分たちのやり方を貫いて、
長らく日本アニメのトップランナーであったスタジオジブリ。
ジブリファンが宮崎駿監督に求めているものがそれであると言っても、
過去にはそれでよくても、アップデートしないものは色褪せて見えます。

自分が威張ることじゃないですし言い方が悪いですが、
例えば瞳孔で感情の動きを表現したり日常芝居の研鑽を積み重ねているアニメ会社など、
いろいろな会社の作品を幾度も目にして慣れ親しんでいるので、
ポニョの日常芝居がハウス名作劇場のテンプレにしか見えなくなる!

https://www.youtube.com/watch?v=Tmvhc7wMpjA ←元ジブリスタッフによる動画
https://www.youtube.com/watch?v=IXkGzIXJtCA ←2019年水準の作画と演出による動画

というふうにアニメの演出の方法も時代とともに変化の道を歩んでるなかで、
ジブリ流の演出は2008年当時の水準でも遅れていると思いました。

今でも蒸気機関によるメカのアクションが通用するレベルであったり作画の技術は高いながらも、
変わらなさによる物足りなさは拘りの方向性の問題でしょうか。

それは、34億円の予算と多くの子飼の熟練アニメーターの能力に裏打ちされた、
手描きアニメで圧倒されても、魚や蟹や波の作画が大変だろうな!凄く動いてる!と思って終わりで、
まあジブリだからやるだろう。てな感じですね。

生活芝居やキャラ主体を重視の側面から見たアニメーション作品としてのジブリの停滞、
宮崎監督の老いをポニョのアニメを見てて気になりましたかなと、
名探偵ホームズやラピュタなどにかつて魅せられた一ファン?として寂しい部分が少しありましたね。


こんなにも自分がポニョに拒否感があるのは、自分と宮崎監督の好みや価値観の違いということで、
全く参考にならないのですが、これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2020/11/20
閲覧 : 381
サンキュー:

45

ASKA さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ジブリの子供向けの名作。現代舞台の海のファンタジー映画。

2008年公開のスタジオジブリの長編アニメーション映画。
原作脚本監督宮崎駿で、原作・脚本・監督宮崎駿作品としては2001年の千と千尋の神隠し以来7年ぶり。

海を舞台にした、5歳の保育園児「宗介」が魚の女の子「ポニョ」とであうボーイミーツガールなジブリ・ファンタジー。
老人介護施設で働く女性「リサ」を母に持ち、小金井丸の船長「耕一」を父に持つ「宗介」が大好きな女の子「ポニョ」の為に勇気を振り絞り行動する様はとても見守りたくなります。
また、ジブリの作画による海の表現も見どころです。
海の中の世界やポニョの父フジモトが使う魔法の表現もファンタジーの世界にいざなってくれます。
ジブリの中でも子供向けで、親子で見る作品としてもおすすめなのではないかと思います。

投稿 : 2020/10/25
閲覧 : 231
サンキュー:

16

栞織 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

反文明。

ジブリについても意見を出すべき頃かなと思います。のでまず問題作から行きますか・・・。この「ポニョ」ですが、当時はジブリキャンペーンに乗ってしまい、映画館で見ました。見て後悔しましたね。主題歌も好きではなかったですし。私はこれ、アニメ誌に載った前情報で、「みんなのうた」のミニアニメみたいなパステルタッチの絵を見て、てっきりそれで全編が動くと勘違いしたんですよねぇ。しかし中身はいつもの、いやいつもよりも作画が落ちたいつものジブリでした。はー、だまされていたとは言いません。しかしがっかりしましたねぇこれは・・・。

それでかいつまんで言いますと、私は冒頭に出てくる「ここで除草剤をまかないでください!」、このセリフに心底から激怒してしまったんですよねぇ。まさに、宮崎監督の言うところの「田舎に帰れ!」と言いたくなりました。除草剤=悪というおおざっぱすぎるエコの図式に、こいつはなんにも農業のことがわかってないとあきれたんです。いいですか、綺麗な日本の風景は、草刈機と除草剤がなければ成り立たないんです。それがなければ、あなたの住む地域はたちまち「もののけ姫」どころではない雑草の繁みというかジャングルに覆われてしまうでしょう。今使っている除草剤が危険な農薬で、といくら思ってもだめです。人類は大自然と敵対関係にあるのです。大自然を飼いならして、それとなんとか共存してきたのが、今までの人類の歴史なのですよ。あんなガーデニングの庭にしか生えない草むらが大切だから「除草剤をまくな」だと?

後はあの津波被害(言いたくないのですが、東日本大震災後ではそう表現するしかないと思います)があっても、ポニョが幸せだったらいいという内容で、もう茫然とするしかなかったです。まさに反文明。雑草のジャングルと、津波礼賛の反文明。宮崎監督は常々そのような言葉をおっしゃられておりましたが、それが真実だったとは。この後私もジブリで何かを描いたりする事は本当に少なくなりました。気持ちが冷めてしまいしたねぇ。人間が愚かしいというのはわかるけど、そう言っているあなたも人間なのではないですか?この映画はあまりにも無責任です。

投稿 : 2020/10/06
閲覧 : 228
サンキュー:

7

ネタバレ

キウイ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ポニョとハウルと千と千尋の神隠しだけDVD持ってます

ジブリというのはどの作品が好きか?でその人の性格が80%くらい分かるような気がします。

私は殿堂に千と千尋の神隠し

1位はポニョとハウルが同率
2位がもののけ姫
3位がキキとアリエッティです。

余談ですが、アリエッティが良かったので米林監督のメアリを見たら心にダメージを受けるくらいつまらなくてでもマーニーはとても面白かったので良かったです。マーニーも良いです。

ポニョは嫌いな人は嫌いですよね。
(私の周りにはわざわざポニョを1位に押す人はいません)

セリフの意味を捉えるなら、うるさいよ?話しすぎだよ?と私も思うかも。
でもポニョを見ると、めちゃくちゃ〜わーすごーい。今夜はよく眠れそう‥となります。

ポニョはアレヤコレヤと理屈をこねるわりに、めちゃくちゃなところと、老人ホームと保育園と、庭が海になって深海魚がいるところと、ブリキの船が大きくなって乗れるところと、リサさんの運転を描きすぎなところが好きです。ある意味人類の夢のすべてを押し込めていないですか?

小市民の超超一般的な生活(老人ホーム、保育園、運転)と子供時代の布団の中でひとりで繰り広げられるような小さな(しかし熱のこもった)夢が同じ立ち位置で混在する作品なんてこの時期の宮崎駿だからできた偉業です。頭がおかしい。すばらしい。

個人的にまだハウルが1位になるバイオリズムのほうが多いかもしれませんがやはりポニョは好きなのです。

投稿 : 2020/09/09
閲覧 : 220
サンキュー:

5

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

小さい子向けかもしれない

また当時はまだ幼かったので、面白いなと思って見てたが、この作品は小さい子向けかもしれない。

投稿 : 2020/02/11
閲覧 : 142
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

崖の上のポニョ レビュー

年齢を重ねるごとに、子供のような純粋な目で見ることができなくなってしまいますね。

最初に衝撃的だったなーと思うところは、ポニョによる大津波以前は人間と魚の世界が切り離されていたのに対し、大津波によって2つの世界が混じり合い、新たな世界が生まれた日がとても魅力的でした。
それは、澄んだ海で、デボン紀の魚たちが泳ぎ回り、人間の使っていた道路、標識、家などが水の世界に沈んでいるところで、決して絶望的な映像に見えず、生命力に溢れた世界に見えるのが、普通に見れてしまう理由なのかなと感じました。
人間が踏み慣らした大地、舗装されたアスファルトも海に沈みながら、船を使って移動する人々、そこには決して人間への絶望ではなく、人間のたくましさのようなものを感じます。

さて、次は物語を進める力である、宗介に対するポニョの好意に関して。
まず、ポニョにとって、そうすけは瓶の中に閉じ込められているところで命を救ってくれた恩人であるわけですが、彼女の言う「ポニョ、そうすけ、好き!」というセリフの印象深さには、恩人であるという理由だけにはみえません。
ラストのオチをふくめても、男と女の関係を見ているのは間違いないのですが、年齢相応というか、保育園児の子供同士の微笑ましい恋愛なんですよね。
恋愛感情を抱く結果になった経緯について、そういったイベントがあったかと思い返してみると、あまりない。吊り橋効果で、バケツに入れられて不安だったところを、やさしく接してくれて、人間の世界を見せてくれた宗介に好意を抱いたという、視聴者側の補完で補ったのでしょうか?
これについては、5歳児にはそれ相応の考え方や世界があって、ポニョが宗介を好きになった理由をミステリー作品のように謎を解くような見方は、自分の論理性や世界に当てはめた見方で傲慢な気がします。

次に、主人公たち子供の傍にずいる、親という存在について。

ポニョの父(フジモト)は世界を作り変える仕事をしている。
ポニョの母(グランマンマーレ)は、父に対して家におらず(これが宗助の家と対照的な構造である)家の外で何をしているか?については触れられていない。

ポニョの父の年齢はどれくらいかはわからないが(潜水艦を作ったり魔法力を持っていたりと、その辺から推測はできるかもしれない)、母の年齢はデボン紀の海を知っていることから、相当な年齢であることが伺えます。親の呪縛という点で、箱入り娘のように育てられたポニョが外の世界をみたいという気持ちを作り上げた、家へ縛った罪があるのだと思います。

一方で、宗介の親は、父は船乗り、母はホスピスの仕事についています。興味深いのは、宗介に親を名前で呼ばせている事。
普通の家庭とは明らかに違うソレは、視聴者の頭に強く印象に残る。
なぜ名前で呼ばせているのでしょう?夫婦がお互いを名前で呼ぶのはわかります。子供が親を「母」に当たる言葉で言わないのは、その夫婦の教育方針や家庭方針が極めて強く作用しているように見えます。なぜなら、宗介の親も、親の親たちが、「父」「母」を呼ぶ文化の中にあったことは想像に難くない(でなければ、この作品は異世界にでも分類されるでしょう)ため、そういった呼び方の文化を断つ方針があの夫婦のどこかにあったと、私は想像しましたね。
その方針が何を意味するのかという部分に入っていくと、やはり、父や母といった物に、最初から縛られないような子にしようという意味だと私は見えました。親の呪縛という物が、どんなに子供に作用しているか、それは作品と現実の社会の接続に当たるものであり、社会にどんなことを伝えたかったのか、見えてくるのではないでしょうか。

また、耕一が船を降りずに約束の日に帰ってこなかった日に、宗介が怒っているリサを慰めるシーンに、子供のやさしさというのを感じます。
しかし、大の大人で親であるリサが荒っぽく台所で大きな音を立てて怒っている姿に、宗介が何も思わなかったとは思いたくありません。私ならトラウマでしょうね。ああいう状況が何度もあったら、リサを悲しませる耕一の方に嫌悪感がたまっていく宗介、という描写があってもおかしくないと思いました。それでも、リサを慰め、耕一を好きな宗介の心の強さは、純粋さゆえの強さなのか、ミステリアスな子供の強さを感じました。(不完全な親を描くというのは、親になった個人の心の許しなのでしょうか。世の中完全な親はいませんが、親にとっての子のやさしさは、どんなに許された気持ちになるのでしょう)

さて、これは私が個人的に注目した点ですが、なぜおばあさん達の中に性格の差があったのか。
他のおばあさんが、ポニョを金魚という中、トキというおばあさんはポニョをみて人面魚と言い、人面魚によって津波が来ることを恐れた。そんなおばあさんもいるよねという、身もふたもない考え方も私は持っていますが、トキさんにある感情は海への恐れなのだと思います。つまり海が人に死をもたらす存在、または死の世界としての恐れがある。
あのひまわりの家はホスピスであり、おばあさん達は、死と向き合っています。ボーっとしているおばあさんは、あらがう力がないように見えました。津波に恐れたトキさんは非常にみっともないようにも見えるが、理性が失いかけた中での生への執着を見たような気がしました。だから、ボーっとしているおばあさん達よりも、生に溢れているように見えます。だからこそ、トキさんは、海から来たフジモト夫妻を信用せず(まあ素直じゃなくてひねくれてもいるんですが)、生きるための行為で宗介を助けたのだと感じます。



この作品は子供向けであり、子供がどうあってほしい、こうあってほしいという作り手のメッセージを受け取るという意識が、視聴中の思考の半分を占めていました。
例えば、宗介がポニョを拾うシーン。宗介は崖の道を降りていき、水や海、魚に恐れることなくバケツでポニョを拾うのです。恐れ知らずな子供という点で、そういう子供になるのが理想なのか、という気持ちになりますが、海に入りすぎた宗介を陸に連れ戻すリサを見ると、そこまでいったら危険だという、線引きと子供への親の行為は非常に難しいと感じます。

また、ひまわりの家で、おばあさん達にわけ隔てなく、人見知りせずに話をできる宗介の凄さに、大人は見入るのだと思います。子供ならではの他者との線引きの弱さもありますが、子供の時に宗介のように血のつながらない人との会話をできるというのは、全ての子供ができるわけではないでしょう。そういう意味で、宗介の特殊性は、何かしらの、こうあってほしいというメッセージなのかもしれないと思ってしまうわけです。

子供向け作品という事であっても、やはり映像としての素晴らしさが、子供の心に響くのだと思います。物語に感動するのは大人であり、子供の心を動かすのはやはり冒険譚で、湧き上がるアニメーションへの感動だと思います。
デボン紀の様々な生物を活き活きと描いたり、クラゲの上にのって海上に浮上するポニョという海の世界を魅力的に描いたシーン、リサの運転と迫りくる津波のデットヒート。そのどれもが、本物よりも活き活きとそして大胆に動いている事が、やはりジブリ作品のすばらしさだと感じました。

大人達には大人たちの見方がありますが、子供たちがなぜ楽しんだか、わからない部分もあるでしょうが、大人なりにわかってあげられればと、この作品と向き合って感じましたね。
恐らく、2008年に公開された当時では、子供と大人の線引きがもっと曖昧な人間だったので、作品中の子供も大人も私には理解できなかったのでしょうが、少しは人の気持ちを分かって、子供たちに何を見せ、何を残すべきかなど、少しは作品を通して大人っぽいことを考えられるようになっただろうかと、反省をさせていただきました。

投稿 : 2019/08/24
閲覧 : 388
サンキュー:

24

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

タイトルなし

小学生の頃、不意に弟が買った本がポニョだった
なにも聞かなかったけど、興味あったのかな
話してみればよかった、遅すぎた後悔

投稿 : 2018/07/24
閲覧 : 178
ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

原始、女性は太陽であった。子どもは光であった。これから男は何をする?

映画館で視聴。

大橋のぞみちゃんと藤岡藤巻の歌が微笑ましくて、よく口ずさんでいました。

本作は、子ども向けの作品ですが、同時に、大人に向けてもいろんなとらえ方ができる作品になっていますね。

子どもには、「何だろう?と不思議に思う気持ち」、「好きになったり大切にしたいと思う気持ち」、「仲良しになりたいと思う気持ち」を持ったときに、背中をやんわりと押してくれるような作品になっていると思います。

大人にはどうでしょうか。
ジャンルは、ファンタジー枠かな。
もう一つは、「寓話」の枠になるのかな。

宮崎氏の作品の面白さは、作品ごとのテーマ性を探したり、秘密のキーワードの謎解きをしたり、それをいろいろに解釈できる自由さですね。
また、時勢や流行に流されない立ち位置や、普遍的な価値観とか、本質的な意味合いとかを訴求される心意気も好きですね。

自在に変化するテーマと多彩な表現、印象に深く残るステキなシーン。
本作も、安心のジブリって感じですね。

●本作の魅力。
{netabare}

●私は、『母性愛にもとづいた世界の変革の先駆け、胎動、希望、そして負託。』かなって思います。

本作は、子ども、女性、お年寄りが多くのシーンに登場します。
宗介は、5才の男の子。まっすぐ素直で、物怖じしないタイプみたいですね。
お母さんのリサは、デイサービスで働いています。果敢に大波の間隙を突いて自動車をブイブイ走らせます。灯台守もこなし、発電機だってへっちゃらで回します。
明るい性格で、賢く、知恵もある。責任感が強くて、勇気と決断力、行動力もあって、宗介の目を真っ直ぐに見つめて話しかけてくれる、とびっきりの優しいお母さんです。
お父さんの耕一は、家族想いの内航貨物船の船長さん。この人は仕事が忙しくて家にはなかなか帰れないみたいです。ちょっと脇役っぽいのが残念ですが、家族のことを想ってやまない優しい性格の人みたいですね。


宗介がかわいいなって思えるのは、だんなさんに会えなくなって、いきなり低気圧に様変わりして不機嫌になるリサを上手にいなしたり、お父さんと通信して、リサへのメッセージを伝えてなだめたりして、彼なりに心を砕いて両親の仲をとりもとうとする役割を、さりげなくも健気に果たしているところです。

それに、耕一との距離感を埋めるために、大人ばりに信号灯でコミュニケーションをとって、心のなかのバランスをはかっています。5才児でもモールスできるんだ。すごいな~。かっこいいな~。

おっとりしているように見えていて、実は器用に対処していく姿はなかなかサマになっています。しかも、先の先を読んでいるような賢さと、たとえ失敗しても折れない心の強さを持っているようにも思えます。
ちょっと大人じみていて、できすぎかなって思えるような仕草もありますが、「ヤレヤレ」とため息をついていそうな表情がとても微笑ましく感じられます。
宗介は、まるで、崖の上のファミリーの「子ども灯台守」のようですね。


本作は、子どもから見れば、「ボクも、ワタシも、宗介みたいにやればいいんだ。ちゃんと一人まえの子どもとしての立ち位置と役割があるんだ。」とごく自然に受け止め、感じ取れるようなシナリオになっています。
これは本当にステキなことです。

まあ、そうはいっても、子どものじんせいっていろいろあるでしょうから、本作にみられる宗介像は、「子どもにとっての灯台守」のような意味合いもあるのかもしれませんね。お手本は宗介ってことで、ね。

子ども向けの作品で、気難しい大人の捌き方とか、遊びながらお手伝いの力を獲得していくシーンを見るという機会はあまりないと思います。
その意味では、本作は、子どもにとっても大人にとっても、極上の一品だと思うんですね。

事実、日本の家庭では、お父さんは家にいないことが多い。
お母さんは一人で何役もこなしていて、子育てのストレスもたまっているかも・・・。
どこの家庭でもふつうに見られる家族像です。
お母さんもお父さんも、心のどこかでは、子どもには子どもなりの世界があって大切にしてあげたいと思っているだろうし。
でもかえって、ぼっち感を持つ子どももいるかもしれないし。

宗介も、一人っ子で、やっぱり淋しかったのかな?
{/netabare}


●ちょっと寄り道。
出生動向基本調査というものがあります。
{netabare}

●国立社会保障・人口問題研究所(厚生労働省本省に設置された国立の研究機関)が今までに15回実施しています。

2015(平成27)年版、第Ⅱ部 第2章 「夫婦の出生力」の項目で、夫婦の「完結出生児数」が示されています。

「完結出生児数」とは、初婚の結婚持続期間(結婚からの経過期間)が15~19年たっている夫婦に生まれた子どもの平均の人数のことです。

どういうことかと言うと、1990年代の後半に結婚した層の夫婦の子ども数(=最終的な平均の出生子ども数)を表わしていて、18才までの子どもが家庭に何人いるかということを示しています。

これによると、
第1回(1940年、昭和15年)4.27人
第2回(1952年、同27年)3.50人
第4回(1962年、同37年)2.83人
第6回(1972年、同47年)2.20人
第8回(1982年、同57年)2.23人
第10回(1992年、平成4年)2.21人
第12回(2002年、同14年)2.23人
第14回(2010年、同22年)1.96人
第15回(2015年、同27年)1.94人
・・・減っていますね。

次に、兄弟姉妹の「人数の割合」を見てみましょう。
(数字は左から1人、2人、3人です。0人と4人以上は除きました。)

第8回 (1982年、昭和57年)9.1%、55.4%、27.4%
第10回(1992年、平成4年) 9.3%、56.4%、26.5%
第12回(2002年、同14年) 8.9%、53.2%、30.2%
第14回(2010年、同22年)15.9%、56.2%、19.4%

第15回(2015年、同27年)18.6%、54.0%、17.9%

統計の有効データ数の一人っ子の人数をみてみます。
第8回は、1429人。9.1%で130人。
第15回は、1232人。18.6%で229人。
18.6を9.1で割ると2.04になりますから、一人っ子の割合は約33年間で2倍になったということ。
確実に一人っ子は増えていますね。

ついでに、「平成27年版、子ども・若者白書」によると、
0才~19才の人口は、おおよそ2224万人なので、単純計算(2224×18.6%)すると、414万人の方が一人っ子なのですね。(平成28年以降、若干の増加はあると思いますが。)
400万人を超える人数の子どもが、宗介の姿にご自分を重ねて観ていらっしゃるのかもしれませんね。
もちろん20才以上の一人っ子もそうでしょうね。

蛇足ですが、この『国立社会保障・人口問題研究所 第15回出生動向基本調査』の内容は、日本国と日本人の意識動向を知るという意味で、とても興味深く、読み物としてもけっこう面白いと思います。
お時間のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。ネットで簡単にヒットします。

宗介も一人っ子ですが、ウィキペディアの「一人っ子」にみられる「3 特徴。3.1利点、3.2欠点」の項を読むと、どちらにも属さない性格のようですね。
{/netabare}

●そんな宗介がポニョに出会った。ボーイミーツガール。さあ、物語が始まります。
ひょんなことからフジモトの科学技術(魔法みたいだけれど)が海の中に拡散します。
フジモトの努力もむなしく、グランマンマーレの知るところになり、ついにはリサとグランマンマーレの直接交渉にまで及びます。
そうして、ポニョの願いは叶い、崖の上のおうちのポニョになるのです。
おしまい。
めでたし、めでたし。
{netabare}

●ということで、本作は「風の谷のナウシカ」から始まる宮崎氏の作品、例えば、もののけ姫、千と千尋の神隠し、アリエッティなどにも同じようなファクターが織り込まれていると思います。
その集大成としての位置づけだと思います。

そのファクターは「人間と地球の共生」の讃歌です。

ナウシカとアスベルは1000先の未来、サンとアシタカは1000年前の日本、ハクと湯婆婆はカクリヨの湯屋、アリエッティは民家の床下。
彼らは、私たちの目の触れることのできない世界に生きていて、生老病死、喜怒哀楽を甘受しています。
その生きざまは、ときに激しい慟哭に苛まれ、またささやかな安息を得るという点では、私たちの人生と同等です。
この世界観は、氏のクリエイターとしての矜持であり、作品に込められた通奏低音だと思います。

本作にみられる「人間と地球の共生」を、『母性愛にもとづいた世界の変革の先駆け、胎動、希望、負託』というキーワードを頼りに、もう少し要素分解して、理解してみようと思いました。

本作では、「母性愛の代行者」が宗介とリサ、ポニョとグランマンマーレです。彼らの一つひとつの行動に、選択に、決定に、覚悟に、なんだかワクワクするような未来が含まれているようで、母性愛がじんわりと感じられました。

同時に、アンチテーゼ(*1)として、フジモト、トキ、クミコらを登場させています。
*1 「直接的に対照をなすもの」

彼らは、ポニョと宗介にまつわる出来事をたやすくは受け入れてくれません。ちょっとだけ困った人たちとして描かれています。
フジモトは、訳知り、物知りな大人としての立場。
トキは、迷信と妄想を吐き出すように語るお年寄りの立場。
クミコは、大人のようなおしゃまな児童の立場です。

子どもだったら、「おとこのひとってこえはおおきいし、むずかしいことをいってくるからイヤになっちゃう。」とか、「おんなのひとって、かんじょうでものいいはるんで、かなんなー。」とか、「おおきくなるって、きまりがたくさんあって、おもいどおりにいかないからおちつかない。」みたいに、悩みながら、戸惑いながら、受け入れていくことになるのでしょう。

大人だったら、「自分の利益に合致した科学や理論を優先させて、それを軍事力のように応用して、ゴリ押しをしてくる厚顔無恥で迷惑千万で剛腕すぎる痛い手法をとるあの人」とか、「旧態依然とした古い価値観や体質、既得権益に執着して、聞く耳を持たず、嘘八百で煙に巻いてくる気の毒なあの人」とか、「知識と教養を真摯に学ぶ努力を放棄して、感情のままに無責任に発言を繰り返す批評家ぶることを止められない寒いあの人」とか、そんなふうに感じるのでしょうか。(全部フィクションですからね。)

ですが、正直に白状すると、かような言い分に、自嘲しながら言い訳に用い、自己弁護に走る私がいます。
「そんなこと言ったって、だって仕方ないじゃん。だって世の中カンタンに変わんないじゃん。」と。

愛を実行することの難しさを、日々に実感し、ときに打ちひしがれて凹んでしまうのも、人生には必要なことだと諦めつつ、受け止めてきているのが当たり前になっている私なのです。
もしかして、すでに見限られている??
{/netabare}

●宮崎氏の趣意は何かな?
{netabare}

●本作を「寓話」という角度で切り取って本質を抜き出してみると。
「人間と地球の共生」とは、
対価代償を求めざる母性愛によって、生み出されるもの。
安心の気に包まれ育まれる子どもによって、引き継がれていくもの。
そういう価値観に優先順位を与えるべきではないか、とくみ取れるように感じます。

また、逆説的に切り取れば、
力をもつ者の傲慢に支配されていることへの風刺。
その者の愚昧に翻弄されていることへの揶揄。
偏狭に嬲(なぶ)られていることへの挑発。
という意味も内包しているように思えます。

それは世の中が、男性の都合と理屈で物事が進んでしまっていること、家庭が蔑ろにされているということへのおちょくりと痛烈な批判ではないでしょうか。
リサは、モールスで、「バカバカバカバカバカバカ」って打ちまくっていましたし。

さあ、人類の種の保存を、民族や国家による競争とか、勝ち負けとか、生き残りレースとかに委ねるのか。
誰かが誰かを、圧迫し、支配し、蹂躙し、収奪することに、見て見ぬふりをしていくのか。

さらに言えば、男性の男性たる所以(ゆえん)が「共生」の価値を汚し、その概念を歪めてしまっているのではないか。
宮崎氏の作品の中に、そのような意味合いがあるように感じます。

洋の東西を問わず、国が主張を通せば戦争が解決手段となっていたのは歴史が証明しています。
しかし、フジモト、トキ、クミコらに語らせている人間はどうでしょうか。
相変わらず、強い者勝ち、言い負かしたもの勝ち、フェイクニュース(嘘つき)を流した者勝ち・・・。

今も、様々な政治形態を持って統治している国々の解決手段としての軍事力の実態を鑑みれば、自らの国や民族どころか、地球上のすべての種を完全に消滅させられるだけの武力=自滅力を持っています。
そんな人類を、グランマンマーレはどんな思いで見ているのでしょうか。

宮崎監督が、多くの作品に女性を登場させてきたのは、対比としての男性が支配し影響をおよぼしている今の仕組みのあり様への疑問であり、注意喚起であり、警鐘であり、一部作品においては諦観と厭世でもあったと感じています。

哀しいかな、人類の一部は、未だに暴力による支配、経済活動による支配、思想やイデオロギーによる支配を手離していません。
その過ちをいまだに気づかず、歴史の証に学ばず、「それが男の生きる道」ばりに大手を振って世界を闊歩しているありさま。

男性主導で突き進む人類の持つ危うさが、地球そのものにダイレクトに不利益をもたらす蓋然性(*2)の高いことを訴えるとと同時に、ハッピーエンドにして、次代を担う子どもたちに夢を負託して引退を考えた宮崎氏の想いのにじみ出ている作品。

*2 ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い。確からしさ。
{/netabare}

●海の生き物をモチーフとして生み出されたのがポニョである以上、その立ち位置から、対極には地上の王である人間の「思想と叡智」に触れないわけにはいきませんね。
{netabare}


一つの到達は「公海」。そこには国境はないし、誰のものでもありません。

もう一つの到達は「南極」。どの国にも属さず、女子高生でも行ける、ん?

海も、南極も、厳然とした生態系があって、その本質は「共生」ですね。
生存の厳しい条件の下では、人間はもとより、どんな生き物でも生きていくだけで精一杯です。
その同じ土俵に立ってみること、「共生」すること自体に尊い価値があることを教えてくれるのが本作であろうかと思います。

ところで、人間は、生態系以上のものさしをずいぶん前から持っていますね。
{netabare}

●聖書の有名な言葉に、『人はパンのみに生くるにあらず、神の口から出る一つ一つの言葉による』(マタ4:4)があります。

「人はパンのみに生くるにあらず」。
これは、人という生き物は、物質的なものだけ(食べることだけ)に頼るものではないという意味ですね。生態系の頂点にいるのだけれど、それだけの存在ではないということですね。

「神の口から出る一つ一つの言葉による」。
これは、人は神の御言葉に養われて、初めて本当の意味で生きることができるという意味らしいです。
意訳すれば、親とか先生とか、親戚縁者とか、友人知人とかが、自分の足りないところ、気づかないところ、知らないところ、できないところを教えてくれたり、補ってくれたり、支えてくれたり、導いてくれたりする。そのときのことば(叡智。ノウハウ。宝珠。)の意味するところを深く吟味をして、成長に活かすことが大切だよ。」みたいな感じでしょうか。
(はっきり言って自信なし。)

叡智で言えば、思想・哲学・科学、貨幣や労働、契約と信頼といった高次な概念が人類の発明してきた「ものさし」ですね。

これらの要素は、人間を人間足らしめる必要不可欠な要素。ざっくり言えば「文化」です。
「文化」という切り口で、「人間と地球の共生」でもある「対価代償を求めざる母性愛によって生み出されるもの」、「安心の気に包まれ育まれる子どもによって作り出されるもの」を、もう少し単純化すると、その要素がもう少しはっきりとしてくると思います。

民族を超えて(種を超えて)お互いに「尊重」しあうこと。
自分の言葉と、手と、足の届く範囲で「参加」していくこと。
違いを認めつつ、共有できる価値観でつながり「共同」していくこと。
夢の実現まで、進行・停滞・紆余曲折をへながらも「運動」し続けること。
なによりも「平和」が最も尊く、地球も命も一つしかないこと。

この5つのキーワードが、「生み出されるもの、引き継がれるもの」の羅針盤のような気がしています。
{/netabare}

●地球には、子どもがいて大人がいて、女がいて男がいて、陸と海の生き物がいて、大気と日光があって。

宮崎氏は、「海のすべての生命体」をモチーフにして、ポニョとグランマンマーレという女性キャラに擬人化させて、母なる地球からのメッセージをわずかに語らせています。

ポニョは、宗介の近くにいたくて、ただ人間になりたくて。
自分が捨てなければいけないものがあることにも気づかないで。

グランマンマーレは、ポニョの願いに寄り添って、未来のために必要なことをリサと語り合って。

そうして、海と陸の生き物の共生の道を探っている。
お互いをリスペクトして、受け止めて、創意工夫しながら生き方を探っていく。

どんな未来がやってくるのか、それは誰にもわからない。けれど、ただ座して迎えるだけでは足らないのでしょう。
奇跡の出会いをキャッチし、夢を語りあい、その共感を手放さず、努力をあきらめず、困難にたちむかい、乗り越えていく姿勢が必要なことを、リサやグランマンマーレが教えてくれる。きっと導いてくれるのでしょう。
それは、きっと大人の責任なのでしょう。
これからも、もう少し。
きっと、まだまだ。

その道を歩む主人公は、ポニョと宗介。そして世界の子どもたちです。
{/netabare}

●とってもメルヘンチックでドリーミー。ステキすぎるラブリーでハートフルな寓話でした。

長文をお読みいただきありがとうございました。
この作品が、皆に愛されますように。

投稿 : 2018/04/21
閲覧 : 386
サンキュー:

17

ストックトン さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 2.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

タイトルなし

人間になりたいというポニョの一途というより
無邪気で一生懸命な姿がかなり可愛かった。
小さい子供の行動や動きがリアルに描かれていて
スゴク楽しかった。

投稿 : 2018/04/15
閲覧 : 271
サンキュー:

2

藤乃 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 1.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 2.0 状態:観終わった

崖の上のポニョ

もともと期待していませんでしたが、一度ぐらい観てみようと思って頑張りました。
結果、全然面白くなかったし、ポニョが可愛くなくて不気味でした。
序盤のポニョが宗介の元にやってくるシーンが一番盛り上がります。
まるで生き物のようにうねりを上げる波の描写や疾走感ある映像は圧巻でした。
ただ、その後のストーリーは中身がなく、すでにどんな内容だったか忘れました。
大橋のぞみちゃんが歌う主題歌しか頭に残ってないです。

投稿 : 2018/02/18
閲覧 : 256
サンキュー:

2

ネタバレ

筒井筒 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ポニョって、やっぱり歌だよね!

海は怖い、という以外には、いたって簡単な設定と物語の時間経過。
ルーティン的な側面もあるが、CDにもなったポニョの歌は聴いただけで、子供が喜ぶこと請け合い。日常会話も、特にストーリーと絡まないので、意識したのは、やはりCDを聞く層を考えての演出なのかな?

投稿 : 2017/11/22
閲覧 : 241
サンキュー:

4

tinzei さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

のぞみちゃん元気かな

製作費34億円で興行収入155億円、ジブリの中でもそれなりの成功作品。
やっぱのぞみちゃんの歌の効果もあるだろうな、当時のほとんどの歌番組に出たんじゃない?

ジブリ作品特有の都市伝説がこの作品にもある。そしてその内容はブラック、気になる人は検索してみるのもいいかも。

てかリサぐうシコすぎん???

投稿 : 2017/07/03
閲覧 : 208
サンキュー:

2

ネタバレ

狗が身 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1
物語 : 1.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

もはやホラーだよ…。

アニメーションの原点である手描きの良さを今一度!
という宮崎駿氏の熱意によって生み出されたのが本作。コンセプトがコンセプトなので、アニメーション映像は圧巻の一言。
…しかし、その代償はあまりに大きすぎた。駿氏自身も発言しているけど、本作のストーリーはテンポと勢いを重視しているそうなので、中身の出来は悲惨なことになっている。正直、アニメーションの凄さを加味したとしても、もう一度観たいとは到底思わない。

本作の物語の発端は、ポニョが地上に家出してきたことから始まる。
そこで出会った宗介に心惹かれ、運良く人間の姿になれたことで世界の理が歪んでしまい、地球規模の危機が訪れてしまうという、割とかなり深刻な展開を迎えていく。
なのにこの登場人物達…というか監督の意図的な演出なのかもしれないけど、とにかく緊張感がなさ過ぎる。
地球規模の危機という事実を知っているのはフジモトとグランマンマーレだけだとしても、町のほとんどが海に沈んでいて、しかも海の中には見たことのない魚がうようよ泳いでるんだよ?
そんな状況からは考えられないぐらい暢気なんだよ。逆に正気を疑いたくなるぐらい普通。宗介と女の子一人をそのまま見送るって、どうかしてるよ…。まあその前から見た目人面魚だった頃のポニョを見てもトキさん以外誰一人異常に思ってなかったような人たちだもんな…。

で、世界の危機を食い止める方法は二つ。

一つはポニョが海の世界に帰ること。
そしてもう一つは、ポニョが人間になること。

ポニョの母はフジモトに後者を提案するが、しかし、その為にはポニョに対する宗介の真摯な想いが必要であり、もしその条件が満たされなければポニョは泡になってしまうという…。
そんなハイリスク&ハイリターンな方法を当人達を差し置いて決めてしまうグランマンマーレも大概の非常識神。まあ人じゃなくて神だから価値観が違うってことで納得できないこともないけど…。

で、その試練の内容はというとグランマンマーレの質問に宗介がポニョへの気持ちを答えるというだけ。

……え、それってグランマンマーレが宗介を迎えに行って訊くだけじゃ駄目だったの?(困惑)
リサを探す宗介とポニのちょっとした冒険はなんだったの?

これだけでいいならフジモトの奔走はなんだったのか…。とは言っても、そのフジモトも当初はかつて人間の身でありながら人間に失望して海の眷属になった魔法使いで、人間の世界を終わらせて海の世界の復活を目論む存在だったんだよなー。
だったらいっそのこと、フジモトを試練の対象にすればよかったんじゃないの?
人間に失望するフジモトに、宗介とポニョをぶつければドラマ的にもストーリー的にもグッと良くなっただろうに。
なんでも、駿氏は「型どおりの起承転結ばかり作っていると、単調になってつまらなくなってしまう」的なことを言っていて、それで今回のような構成になったのかもしれないけど、正直こんな内容になるなら型どおりでも起承転結をしっかり設けた方が遙かに面白くなったはず。

宗介とポニョ。二人のキャラクター性はしっかり楽しませてもらったけど、それ以外はなぁ…。

投稿 : 2017/06/14
閲覧 : 294
サンキュー:

19

ダビデ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ジブリ 子ども向け

映画館で観ました。
映像もきれいでした。
有名な歌も良かったです。

投稿 : 2017/05/01
閲覧 : 292
サンキュー:

4

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

結構、面白かったです。

ジブリ作品としても佳作と言って良いと思います。

投稿 : 2016/10/12
閲覧 : 262

plm さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.0 作画 : 4.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ポニョって実は凄かったんだな・・

【崖の上のポニョが神過ぎた件】
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm18816273
ニコ動へのリンクですが、これを観てポニョという作品に込められたものを垣間見ることができました。

この作品は宮崎駿という人物、その作品観、そして息子の作ったゲド戦記などの流れの背景を知ると、
エンターテイメントを超えた、神話的・迷信的作品のような別の視点から見ることができるようです。

僕は、これを観ても何も感じることができなかった……
年を取るにつれ物語や登場人物の行動に整合性や論理的解釈ばかりを求めるようになってしまっていた。
それはこの動画の文を引用すれば現代に毒されてるってことなのかもしれないなぁ。

何を感じたか、どう感じるか、感受性に訴えかけるファクターが詰まっている作品なのだろう。
そんな"現代人"が観てもわからんような含みや、感覚的なものなんて結局、
大衆を満足させられるものじゃないから娯楽作品としては間違ってる、
物語としては面白くないものだ、みたいな反発的な気持ちもやはりある。

しかし自分じゃ評価しきれない部分で、この作品にはジブリ作品としての貫禄が詰まっているんだろうなぁ。
まだまだ自分はちっぽけな境地にいるんだと思い知らされたのでした。

投稿 : 2016/09/14
閲覧 : 274
サンキュー:

4

ペガサス さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

蘇る混沌の女神

悲劇の人魚姫の物語を脱構築した、宮崎駿監督による子供向けアニメの傑作。

キリスト教の歴史の根底には女性性への抑圧がある。
古代神殿での女性的秘技の封じ込めから魔女の異端審問にいたるまで凄惨な歴史があるのだ。
宮崎駿はそれらキリスト教的ドグマから女性性を解放するべく、ここに物語を書き換えることに成功した。

宮崎がその歴史を見据えてのことかは解らないが、ここでは人魚姫も契約から解放されて生き生きと描かれている。
このようにして過去は書き換えられ、新しい物語が生まれるのだろう。

投稿 : 2016/07/22
閲覧 : 297
サンキュー:

3

kFNFM66461 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

絵本のようなアニメ

子供向けの薄い絵本がそのままアニメになった感じの作品だと感じた。

何を見せたいかは伝わってくるが、ストーリーがそのテーマを十分に満たしておらず(世界観の説明不足やキャラや事件のエピソード不足)、味付けが足りないメインディッシュを食べた気がした。

投稿 : 2016/02/14
閲覧 : 272
サンキュー:

1

ネタバレ

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

ポニョの世界、宮崎駿の世界

しばし「素直な気持ちで視聴すれば」ということを耳にすることがある。
しかし、どうもこれは「細かいことを論うような視聴をしないで」
という意味合いが強いようにも思えます。
これのどこが「素直」なのだろうか?
作品内のディテールや整合性におかしな点があれば気になるものですし、
矛盾点があれば「何故?」と思うのは私にとっては当然のことであり、
それらを敢えて度外視するような観方は極めて不自然な視聴姿勢だと思っています。

「子供のような素直な気持ちで」なんて言われた日にはいよいよ以って胡散臭く聞こえます。
大人はこれまでの経験則や理屈から「何でそうなる?」と問い掛けるに対して、
子供はその好奇心から容赦なく「何で?何で?」と問い掛けるではありませんか。
それで返答に困った大人はこんな逃げ口上を言うのです。
「大人になれば分かるよ」と。

そういう意味で言えば、臭いものには蓋をしてなんてことをしない子供というのは、
作り手たちにとっては、大人よりも遥かに怖いお客さんなのかもしれません。
そして、宮崎駿監督はその怖さを誰よりも知っている監督なのだと思います。

私は本作「崖の上のポニョ」をそれこそ「素直な気持ちで視聴すれば」の
元来の意味であろう「あるがままに受け止める」という視聴姿勢を取りました。
良い所は良い、駄目な所は駄目と言い、
分からない箇所や矛盾点には容赦なく「何で?何で?」と問い掛ける。
というか、これはいつも通りの私の視聴スタイルです。

そのようにして本作を観終えたわけですが、
本作の感想をどう表現していいのか非常に悩ましいものがありました。
「良い話だったと思う・・・しかし・・・」
素直におもしろかったと言わせてくれない
喉に刺さった小骨のような違和感が残りました。

このレビューでは、
本作の長編ドキュメンタリー「ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~」
での宮崎駿監督の言葉を拝借しながら
私が感じた違和感の正体、
そしてポニョとはどのような作品なのか、
さらには宮崎駿監督の人物像に迫っていきたいと思います。
ここからはネタバレありです。


{netabare} 「そもそもポニョって何なのさ?」

海を泳ぐ金魚のような姿をした妖精?
最初はなんとなくそう捉えていましたが、ポニョを拾った宗介は「金魚」と言い切っている。
母親のリサもそのことについて特に気に留める様子もなく、受容しているように見える。
人間には金魚に見えるということ?
ところが、どこかひねくれた性格のトキさんはポニョを見て
「人面魚だ」と視聴者の声を代弁してしまいますw
もうこうなるとポニョをどういうスタンスから捉えていいのか訳が分からなくなってきますw
本作では他にもいくつもの不可思議なポイントがありますが、
このシーンが、私が本作に対して違和感を感じることになるトリガーとなるシーンでした。

あと、カルキ(塩素)抜きしてない水道水に金魚を入れてはいけませんw
本作の影響で一体何人の子供がバケツの中の水道水に縁日でとってきた金魚を放おって、
一体何匹の金魚が犠牲になってしまったのか考えてはいけないのかもしれませんが、
リサ「宗介~水道水に金魚を入れたらダメだからね~」
宗介「ポニョは特別だから大丈夫だよ」ってやり取りを挿れた方がよかったと思います。
金魚さんたちの為にも!!w


「違和感を感じるのはシーンだけでなくストーリー構造そのものも」

本作のクライマックスシーンはどこかと言えば、ポニョが宗介の元へやってくるシーンでしょう。
アニメーション本来の魅力である動きで魅せるということをとことん追求した
まるで生き物のようにうねりを上げる波の描写はもう圧巻でした。
リサの乱暴な運転もそうですが、疾走感というのを序盤から意識していたように思えます。
何故に危険を顧みずわざわざ自宅まで戻ったのかというのはこの際不問にしますw

さて、ポニョ到来がクライマックスシーンならば、
その後の話は些か蛇足だったという意見もあると思いますが、
宮崎駿監督は劈頭から掉尾までの話をきっちりと決めてストーリーを作るというやり方をしていません。
宮崎駿監督曰く
「人物を配置し、まるで方程式に当てはめていくかのような話の作り方は
脳みその表層面で作ったもの。 
混沌とした領域(脳みその中)の中身が出てくる。 それが才能のひらめき」

「最初のプランが瓦解した時に映画作りが始まる。
予定(最初のプラン)は脳みその表側で作るもの。だから浅はか」

時代によって変化するものですが、売れる為のロジックというのはあるもので、
現在ではそれをそのまま当てはめたような作品が蔓延っています。
俗に言うテンプレアニメなんてものがそうなのでしょうが、
宮崎駿監督はおそらくそれを嫌うでしょう。
でもそんなことを言えるのは数々の成功を収めてきた宮崎駿監督だからでしょ?
と思うかもしれませんが、そうではないでしょう。
成功を収めてきた者はその成功例をトレースしたくなるものですが、宮崎駿監督はそれを拒否します。
宮崎駿監督曰く
「前やったものと同じことをやるんだったらそれを見ててくれればいいんですよね。
それはできないんですよ。やりたくもないし。
そうするとやっぱり今までやってなかったことに踏み込んでいかざるを得ない」

これまで数々の名作を残してきたことは今の自分を支えてはくれない。
飽くなき探究心と挑戦精神こそが宮崎駿イズムだと感じずにはいられませんでした。

宮崎駿監督曰く
「いっぱい見すぎてるからね 今のお客さんは。
だからすぐにああ、あれだなとかそういうゲームのように当てるのが好きな奴がいるんですよ。
こうなると思ったとかさ。
すぐそういうことを得意気に言う人がいるでしょ。それ悔しいじゃんね。
そういう連中が自分の予想が当たらなくなるとブツブツ言うんだよ。 分かんないとかさ」

ひたすら消費されていく作品、
そしてレビューなぞ書いて得意気にすべてを理解したような気になっている視聴者。
私ですw 本当にごめんなさい。

このような風潮に対するアンチテーゼとして作られた側面もあるのではないか?
それも考えられなくはないですが、一方で宮崎駿監督はこうも言います。
「分からないけど面白いっていうのが一番いいなと思って。
分からないからつまらないを作っちゃうとこれはヤバいなって。
子供たちは分かるんです。 論理で生きてないから。
珍しいことやっているんじゃなくて面白くなきゃダメなんです。
手間がかかったからっていいわけじゃないんだ」

ただのアンチテーゼでは商売にならない。面白くなければ意味がない。
宮崎駿監督の苦悩、そして矜持がその言葉の中に詰まっています。
紋切り型のストーリーテリングに囚われない野放図な作り方、
故に理屈で読み解こうとしてもどこか違和感が残るのは当然といえば当然なのかもしれません。
「良い話だったと思う・・・しかし・・・」
この初見時の私の感想は宮崎駿監督からすればまさに想定の範囲内ということなのでしょう。


「宮崎駿監督の自然観」

これはもう宮崎駿監督の作品を語る上で外せないポイントです。
代表作が「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」でしょう。
年を経るごとに宮崎駿監督の自然観というのも若干変化していってますが、
その作品では、学術的にどのような立脚点なのかを探るというのも有意義な考察だと思います。

さて、本作における宮崎駿監督の自然観とはどのようなものなのでしょう。
宮崎駿監督はこう語ります。
「これはさ、大人の世界で言うと大災害なんだけど子供たちにとっては大冒険なんだよね。
僕は大冒険のほうで作りたいの。
地震があったとか大水が出たとかって時に、
津波があったとか どうやったらそれが防げたのかとか
そういう論調だけで語っているけど
どうもこの地球っていうのは人間が考えている以上のスケールで動いているんだよ。
動いている時期にあたるとね そういうこと起こるんだよ。
それに対する哲学を持っていた方がいい。
別にそれで悲惨さが薄まるとかそういうことでなくてね。
何かそういうスタンスのものがあるんだよ。
自分たちがあまりにも人工的に何とかなるんじゃないかって
いうことばかりを20世紀になって思うようになったんだろうけどね。
どうにもならんものはどうにもならんのにね」

言うまでもなく、本作は2011年の東日本大震災以前に制作されたものです。
震災を経た今では宮崎駿監督の言葉は非常に考えさせられるものがあります。
そして、私が目を引いたのは
「大人の世界で言うと大災害なんだけど子供たちにとっては大冒険」というくだりです。
大災害とまでは言わずとも、
積雪や台風といった自然現象でも大人にとっては基本的に百害あって一利なしなんですよね。
通勤電車のダイアの乱れで済むならまだしも、
下手をしたら住居や車の損壊で
諭吉が泡のように消えていく修繕費用とろくなことがありません。
でもそんなこととは無関係な子供にとってはワクワクするような非日常なのかもしれません。
さすがに大災害に直面した時にそんなことを感じる余裕はないでしょうけどね。
少し話が逸れましたが、
本作においては水が溢れてしまった世界を災害というネガティブな捉え方をするのではなく、
人々は逞しく順応し、水の中には古代生物もいて生命で満ち満ちているというような
非常にポジティブな捉え方がなされ描かれています。
そして、宗介とポニョにとっては格好の冒険舞台ということになります。
この水が溢れた世界をポジティブに捉えるというのが従来の常識を打ち破る
宮崎駿監督の挑戦精神なのです。
これを不謹慎だと言い切ってしまうのはあまりに安易です。
絶対的なマイナスのレッテルを貼られている題材に対して違う捉え方をするというのは
新しい世界を切り開こうとする創作活動では必要になってくることがあるわけです。
それが不謹慎かどうかの判断は表面上だけを掬うのでなく、
製作者の意図を汲み取ることが求められるのではないでしょうか。


「トンネルの向こう側の世界」

本作で最も分かりにくいのがこの終盤のシーンだと思います。
クラゲドームに覆われた世界はグランマンマーレの世界です。
これはドキュメンタリーで宮崎駿監督も言及しています。
グランマンマーレの強い魔力が及んでいる世界なので
ポニョの魔力は急速に減退し、眠くなってしまうというわけです。
そしてひまわりの家の老人たちは車椅子を捨て元気に走り回っています。
まさに摩訶不思議な世界ですね。
本作には、このクラゲドームに覆われた世界=死後の世界という有名な説が存在します。
確かにトンネルの入り口のお地蔵様など
そういったことを臭わすような描写や演出は至るところで散見されるのですが、
それはこれからポニョが人間として生きていくこと、
すなわち「生」との対比であり、「生」を強調する為の装置だと私は捉えています。

宮崎駿監督曰く
「二人だけで完結するのではなく、周りの人たちが二人を応援する形で大団円を迎える。
5歳の子どもたちが自分たちだけで解決する必要はない。
大人がちゃんと賢くなきゃ駄目だ」

水が溢れてしまった世界というのは、もはやバランスを保てなくなった現代社会、
いや、もっと広義の意味で現在我々が生きている世界と捉えた場合、
破滅の世界に取り残されたアダムとイヴでは駄目なんです。
本作のモチーフは「誰も不幸にならない人魚姫」ということですが、
ポニョが人間になってめでたしめでたしというだけでは駄目なんです。
大人たちに見守られ、
大人たちが二人を応援する形での大団円こそが真のハッピーエンドなのだという
宮崎駿監督の強い想いを感じました。
これからの世界(未来)を宗介とポニョ(子供たち)に託したということなのかもしれません。


さて、長々と語ってきましたが最後に。
引退作となる次作「風立ちぬ」が宮崎駿監督「自身」の集大成だとしたら、
本作はこれまで連綿と続いてきた宮崎駿監督「ジブリ作品」の集大成だと私は思いました。
あの大団円がそれを物語っています。

本作が賛否両論なのも知っています。
「宮崎駿監督は衰えた」なんて言われていることもです。
作業量という点ではそうなのかもしれませんが、
この人の脳の中にあるビジュアルイメージ、発想力、
あらゆることに興味を示す好奇心、観察眼、
1人だけでもアニメ制作をできるのではないかいう技術力、
これまでの経験や知識など、どれをとっても今でも規格外だと思います。
はっきり言ってしまうと、「スタジオジブリ」は宮崎駿監督がいなければ
成り立たないのではと思ってしまいますね。
実際に宮崎駿監督引退後に映画制作部門を解体というニュースが報じられましたが、
それも当然の流れなのかもしれません。
ただ、宮崎駿監督は長編映画からは引退されていますが、ジブリ美術館用に
短編「毛虫のボロ」を3DCGで製作中とのことです。
これは非常に明るいニュースだと思います。
齢70を超え、今なお新しいことに取り組む飽くなき探究心と挑戦精神こそが
宮崎駿監督の何よりも優れている才能なのかもしれませんね。{/netabare}

投稿 : 2015/12/26
閲覧 : 798
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46

ネタバレ

りゅぅぞぅ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

崖の上のポニョよりも崖っぷちのエガのほうが好きです♪

 ストーリー

 魚verのポニョがピンチなところを宗介が助けたことにより、

ポニョ そーすけ大好き状態になり、 宗介もポニョが好きになる

 人間界を混沌にしようと企んでいる父を阻止しようと

ポニョが暴れますw


 正直、あまり面白くなかった 

大橋のぞみちゃんの歌しか頭にのこってないw

むしろ、俺はその歌を替え歌にした

崖っぷちのエガのほうが面白いと思っている

 ぜひともみなさんにはユーチューブらへんで

視聴してください♪

投稿 : 2015/12/09
閲覧 : 308
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2

ようす さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

「ポニョ、宗介好き!ポニョ、人間になる!」

2008年公開のスタジオジブリ作品。

当時も観た覚えがあるんだけど、「ふーん。」程度だった印象。笑

テレビで放送されたものが録画されていたので、
改めて観てみました。

当時の印象もあってあまり期待していませんでしたが、
なかなか楽しめましたよ^^

特に作画!

子どもっぽい作画だけど、こういう作画大好きだなあと
海辺の世界にすっかり見入っていました。


● ストーリー
5歳の宗介(そうすけ)は海辺で金魚のような生き物を助ける。

不思議な金魚に“ポニョ”と名付け、大切にするも、
フジモトという男にポニョを奪われてしまう。

捕まったポニョはフジモトの魔法の力を盗み、
人間になって宗介のもとを目指す。


ストーリーはざっくり言うと、

 ポニョと宗介の出会い
     ↓
 「ポニョ、人間になる~。」

という感じです(笑)

次から次へといろいろな展開が待っていて、
息つく暇もなくラストまで駆け抜けていきました。

出会いと絆、そしてファンタジーな世界という、
ジブリらしいストーリーだと思いました。


● キャラクター
ポニョはお腹がぽにょぽにょしていてかわいいし、

宗介はとても5歳とは思えない冷静さと賢さがあって、
でも子どもらしい一面も忘れず描かれていて、

どちらも好きです^^

宗介の、子どもだからこその純粋無垢な行動には、
胸を打たれた場面が数多くありました。


リサ(宗介の母)も、しっかり者で芯の強い人だけど、
自分の感情に嘘をつかない子どもっぽいところがあったりと、
とても魅力的な母親です。

この作品は、ポニョと宗介とリサ、そして老人ホームのおばあちゃん達で
構成されていると言ってもいいでしょうw


● 作画
ストーリーが子どもでも楽しめる仕様なのと、
主人公が5歳の少年少女というところから、

全体的に作画は絵本を観ているような、
幻想的で幼い夢世界のようです。

しかしこれが海の世界の神秘的な美しさを十二分に表現していて。

色鉛筆タッチで描かれている背景の美しいこと…!!

部屋に飾りたい絵だな~と思いながら見入っていました(*´ω`*)


水による屈折した描写やポニョの姿が人間と魚で揺れている時などは、

パッと見は稚拙な絵なんだけれども、
どこか上品さや技術も感じます。

上手に幼稚な絵を描くと言うか…
すごい技術だな、と感嘆せずにはいられませんでした。


そして人物も。

なんと言っても、表情が細かい!

私が特に印象に残ったのは、ポニョが初めてしゃべるシーン。

宗介は驚きと喜びから、くるくると表情が動きます。

台詞の少ないこのシーンですが、宗介の表情からすべてが伝わってきて、
宗介の喜びに「よかったねえ(´;ω;`)」と感動で胸がいっぱいでした。


● 音楽
物語の冒頭から、BGMは作品を盛り上げてくれます。

ジブリ音楽は安心して聴くことができますね^^


【 主題歌「崖の上のポニョ」/藤岡藤巻と大橋のぞみ 】

「ポーニョ ポニョ ポニョ さかなの子♪」
で一世を風靡したこの曲(笑)

音楽の親しみやすさから、大人から子どもまで大人気でしたね。

難しい曲じゃないので、いろんな楽器で簡単に演奏できるのも
流行したポイントかもしれませんね。

私もいろんな楽器で演奏して遊んでいたのを覚えています(笑)



【 主題歌「海のおかあさん」/林正子 】

上記の主題歌人気に隠れていますが、
こちらも主題歌としてクレジットされています。

子守り歌のような優しい曲が、
心を癒してくれますねえ…。

初めて聴いたときは外国語の歌だと思ってましたが、
よく聴くと日本語の歌詞です。


● まとめ
「子ども向け」という印象が強い本作品ですが、
大人だからこそ感じ取れるものも多いと思います。

そういう意味では、家族で観るのにぴったりの作品かも^^

「ポニョは死後の世界だ。」というトトロに似た話も耳にしますが、
夢ある世界のお話だと私は信じています!


あまりにも背景に魅了されたため、
本屋で画集を見つけたら即購入してしまう自信があります…。笑

投稿 : 2015/08/11
閲覧 : 497
サンキュー:

26

keylove さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

安定のジブリ作品という感じですけど、上位ではないかな?

ジブリの雰囲気は良く出ています。ジブリが好きなら安心して観れると
思います。個人的には上位には入りませんけど
ストーリーやキャラ、音楽のどれもが他のジブリに追いつきません
ただ、何も考えずに映画を楽しみたいというのであればこの作品は良いと思います。

投稿 : 2015/08/10
閲覧 : 542
サンキュー:

2

ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

擁護派です!(既視聴向け)

 3回目かな。100分くらい。
 私にとってはかなり好きな作品なんですが、一般的には酷評されているようですね。ちょっと悲しい…。擁護派の立場から、「ポニョ」のストーリーをまとめていきたいと思います。
 想定外に長くなってしまったので、お暇なときにでもどうぞ。


なんで分かりづらい?:{netabare}
 「ポニョ」は子供向けというイメージが先行しすぎて、「トトロ」と同じカテゴリーに置いている人も多いと思うんですが、それはあくまでも視聴年齢という枠組みにおいてだけ成立するものだと思います。
 「ポニョ」は、表向きは「魚が人間になる話」なんですけど、後半のほとんどの時間は「魔法による世界の変革」に費やされていますよね。つまり、世界の変革に触れる作品、というのが本質なんだと思います。この視点で見ると、「トトロ」よりも「ナウシカ」や「もののけ姫」の系譜に連なるものだと思います(詳細は後述)。

 子供は表向きの話を見ていればいいのですが、それ以外の人は当然世界に何が起こっているのかを探ります。ですが、ここの分かりづらさに「ポニョ」が酷評される原因の一端があるように思えます。具体的には、世界の変革に対する主人公たちの振る舞いです。

 ナウシカやアシタカは、その世界の変革に際して、自身の立ち位置を明確にしていますよね。ナウシカは命を賛美し、アシタカは曇りなき眼を標榜します。これが世界の変革と呼応して物語が展開していきます。つまり、主人公たちの行動と世界の動きが連動するので、話が分かりやすい。

 ですが、ポニョやソウスケは、ナウシカやアシタカと異なり、その変革に対するスタンスを明らかにしません。二人の目的は、「会いたい」「守りたい」と局所的なのです。ポニョの無自覚な魔法により世界が混乱しているにも係らず、彼らは傍観者にすらならないんです。世界の変革に多くの時間を割きながら、主人公たちを見ていても、変革の方向性は一向に分からない。
 「ポニョ」において、その行く末を思案しているのは大人たちです。フジモトやグランマンマーレやリサですね。ですが、彼らの不安や確信は、その中身までは明らかにされません。つまり、大人たちを追っても世界の行く末を察することは出来ないんです。挙句に、その行く末をポニョやソウスケに託してしまうから、ますます分からなくなってしまう。

 結局のところ、登場人物たちは何も語ってはくれないんです。セリフに映像を併せて考えるしか解決策がない。セリフに気を取られて映像解釈をおろそかにすると、「ポニョ」の話は分からん、となってしまうんだと思います。

 ちなみに、世界の変革に対して主人公のスタンスが明らかにされない作品が、「ポニョ」以外にもう一つあります。それは「ポニョ」の次作である「風立ちぬ」。戦争という変革に際して、二郎は世界がどうなるかなんて気にもしません。ただただ美しいものを愛でていたいだけ。世界の行く末を思案する大人たちの存在すら希薄になっています。
 「風立ちぬ」は、世界の変革よりも人物描写が主題になっているんですが、人物描写自体が映像描写の中に隠れてしまいます。「ポニョ」と同じくセリフばかりを追っていると、分からん、となってしまう作品でした。

 ちなみに、映像的な描写自体は過去作からずっとあったものです。ただ、主人公と連動しないために、見過ごすと分からないレベルになってしまったのが、この「ポニョ」と「風立ちぬ」なんだと思います。どちらも分かりづらいために賛否両論になってしまいました。
 このような主人公の特殊なスタンスは、この2作品独自のものだと思います。一歩引いた主人公が二作連続で作られていますので、宮崎駿監督のスタンス自体が変わっていったと考えるのが良さそうですね。
{/netabare}

ポニョ(金魚?人面魚?):{netabare}
 ポニョは明らかに金魚には見えないのですが、金魚であると言われ続けます。で、こちらが金魚であることをしぶしぶ受け入れると、途端に「人面魚!」と言われてしまいます。あまりの衝撃に「ファンタジーじゃないの!?」と思ってしまうのではないでしょうか。

 ただ、ここはあまり深く考えなくてもいいのです。ファンタジー要素を受け入れる側と受け入れない側が、作中にも存在することを描いていただけです。簡単に言うと、魔女宅の魔法と同じです。田舎では受け入れられて、都会では受け入れられない。このギャップが、地理的な部分に属するのではなく、個人に属しているのが「ポニョ」の世界です。

 ポニョが金魚であることを受け入れた人々は、グランマンマーレをも受け入れています。受け入れなかったトキは、グランマンマーレをも受け入れません。これらの対比が存在することが伝われば、とりあえずは問題のないところです。トキの特殊性が伝わればなお良し、くらいのものです。
{/netabare}

ポニョの世界観(三段階の構造):{netabare}
 この作品は、セオリー通りに世界観の説明から始まっています。
 先入観としては、海と陸で対比があるのかな、と考えると思います。海のシーンはCMでもお馴染みでしたし、タイトルは「崖の上」のポニョですからね。海(特に夜の海)というのは、彼岸というか死の世界というか、ここではない世界の象徴にも使われますから、海と陸の対比という先入観を持ってしまう。これ自体の否定はされていないんですが、若干の修正がオープニングで行われます。

 オープニングで描かれているのは、次の構造です。
 ポニョたちの領域である深海、ゴミのある浅瀬、人の領域である陸地。
 陸地の先にある崖の上まで含めると四段階の構造なんですが、とりあえずは三段階で話を進めます。浅瀬は海の側に入れたくもなりますが、ゴミにまみれた人に浸食された部分ですから、中間的な領域としてどちらにも含めないのが正しいように思います。
 で、この構造というのは、他の宮崎駿作品で既に使われているものです。それは「ナウシカ」。
 自然の領域である腐海の深層、毒のある腐海の表層、人の領域である陸地。

 「ポニョ」と「ナウシカ」のどちらも、深層は人の住まわぬ浄化された領域で、陸地が人の領域、中間層は両者がせめぎ合う領域です。海か森かの違いはありますけど、基本的な構造の部分は酷似しているのが分かると思います。両者とも非人間側の氾濫ともいうべき、大海嘯が起こることまで一致していますよね。

 で、この三段階の構造を、作中で一番表現しているのがポニョです。
 魚と半魚人と人間。どれか一つの形態にとらわれずに、コロコロと姿かたちを変えていました。半魚人の形態は、足が出てから手が出るとか、目が離れて口が大きくなる感じとかが、カエルのように見えます。デボン紀というは、両生類が出現した時期ですし、両生類には水陸両用のイメージがあります。魚と人間の中間である半魚人の形態は、海と陸の中間という部分が強調されていたのだと思います。
 もう一つ挙げておきます。ポニョは海の深層出身で、浅瀬を経由してソウスケのもとにやって来ます。そして、水道水に入れられます。海の生き物で、しかも海がすぐ近くにあるのにも係らず、あんなにジャブジャブと水道水を掛けられるので少し驚きますよね。これも三段階の構造を説明するための描写のように感じました。海の深層の水を出て、浅瀬の水を経て、人工の水に触れた、ということですね。
{/netabare}

ポニョの魔法:{netabare}
 ポニョは人間になりたいと願います。この願いは魔法の力に頼らねば達成できないものでした。ポニョは、魔法の力を使って人間になります。ですが、期せずして、世界のバランスまでもが壊れてしまいました。魚が人間になる方法は、世界のバランスを壊す魔法でしか達成できなかったのでしょう。リサの言う「変えられない運命」を変えるものです。
 ただ、ポニョに世界のバランスを壊す意図があったわけではありません。人間になろうとして世界のバランスを壊すことを選んだのではなく、人間になったらたまたま世界のバランスが壊れてしまった、というだけです。
 世界のバランスが崩されたことにより、月と地球が接近してしまいます。月が接近してくると海面が上昇します。満潮と同じの原理ですね。そして、空に月が、地表に海がある世界が誕生します。

 この月と海の世界について考えてみます。
 海は分かりやすいですね。フジモトの集めた「命の力」が海に放たれたわけですから、生命の海・原初の海が誕生したということです。これはカンブリア紀という言葉につながります。海の世界であるカンブリア紀は、カンブリア大爆発という生命の爆発があった時期です。実際には力が足りず、デボン紀までしか戻りませんでした。

 月については、公式HPに「昔から、女性の象徴であるといわれています」と書いてあります。これは、太陽を男性とみて、月を女性と見る(やや西洋的な?)考え方ですね。moonの語源とか、月の女神アルテミスを述べたものだと思います。グランマンマーレもその初登場時に、海面に写る月へと融合していきます。
 これにより、「海に母性、空に母性」で母性に包まれた世界が誕生します。この世界の創造の原因となったポニョがソウスケとキスをすることで、魔法の力の喪失、父性の獲得、そして世界の再生となるのだと思います。

 ちなみに、月は男性となることもあります。日本では太陽神アマテラスが女性で、月の神ツクヨミが男性ですからね。個人的には、太陽は、強さの象徴である男性よりも、命の象徴である女性の方がしっくりきます。それもあってか、私は「海に母性、空に父性で、再生準備完了」と整理していました。これがポニョとソウスケに投影されて、男女のキスで再生スタートという流れですね。まぁ間違ってましたけど…。
{/netabare}

大津波後の世界(四段階の構造):{netabare}
 大津波後の世界について考えていきたいのですが、まずは過去作の整理をしておきます。

 漫画版「ナウシカ」のエンディングは、自然や命をないがしろにした人類は滅んじゃうかもよ、というものでした。確たる希望に薄く、滅びの色が濃いのが特徴です。

 これが「もののけ姫」では少し変化しています。
 サンは「アシタカは好きだ。でも人間を許すことは出来ない」と言っていましたよね。人類という種族自体は許されませんでしたが、ごくわずかな個人に近いレベルだけは自然側が受け入れてくれました。その上で、「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」という擬制的な共生が結論になりました。そして、この結論を出したアシタカをエボシが受け入れます。双方が譲歩することで、自然の世界を五分五分で分け合うのではなく、ちょっと間借りする形で人類の居場所が許されました。

 いずれにも共通するのは、この世界が本来は自然のものだということです。<自然=生>を基本とし、人間が自然に敵対してしまうことから<人間=死>となります。これが「ナウシカ」での人間滅べというメッセージです。ただ、人間が自然の一部であることを思い出せば、<人間=死>の中に「生」が許されます。これが「もののけ姫」の結論ですね。つまり、三段階の構造の先には四段階目があるのです。

 これは「ポニョ」の世界でも確認できます。それが陸地の先にある高台です。ソウスケたちの住む崖の上の家は、電気・水道・ガスというインフラが、他から独立していることが説明されています。つまり、低地に頼らずとも生きていける場所です。それゆえに、みんなの希望の光を放つ家となります。
 作中では描かれていませんが、大津波によって多くの人が亡くなっている可能性は高いです。ですが、それで人間を全滅させようとしていたのではなく、一部の人々を救うための高台がきちんと用意されているのです。町を水没させることで人間の領域と中間層を自然の側にし、<人間=死>の上に四段階目の「生」を浮かび上がらせたのです。

 まとめるとこんな感じです。
 「ナウシカ」:三段階のせめぎ合い→大海嘯による中間・人間領域の自然化→人類滅亡?。
 「もののけ姫」:三段階のせめぎ合い→シシ神様の花咲による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生。
 「ポニョ」:三段階のせめぎ合い→大津波による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生→????。
 「ポニョ」では、「ナウシカ」と「もののけ姫」の中心(バトルと自然化)ががっつり省略されているのです。四段階目のその先をどうするのか、ってのが「ポニョ」の主題なのです。
{/netabare}

トンネルの先の世界:{netabare}
 他のサイトの考察には、「大津波で人間は全滅した。トンネルの先は死後の世界だ。ソウスケたちは死んでいる」というものが散見されます。この考察は、この世界を生の世界と捉えて、トンネルを異世界の入り口とし、トンネルの先を死の世界と考えているのでしょう。人間を主体として、その生死で世界を見るような作品においては、この考え方はおおむね正しいものです。

 ですが、いつでも正しいわけではありませんよね。宮崎駿監督が自然と人間を描くときには、この世界に生を異世界に死を見るのではなく、この世界を自然と人間に分けて、生と死のせめぎ合いとして見ています。トンネルの前後に生と死を置くのではなく、トンネルの前に、既に生と死が存在しているのです。「ポニョ」の大津波や「ナウシカ」の大海嘯は人間を滅ぼし得るものですが、自然にとっては再生の儀式なんです。人間だけが主体ではないですよね。

 宮崎駿監督は、水没後の船に乗っている人々は生きている、と明言していました。船には、波が高まった時にリサカーの通過を阻止しようとする、ドックの作業員の二人が乗っています。彼らについて、「彼らのように頑張っている人間が生きていることを、子供にも分かるようにしなくてはいけない。子供はそれを敏感に感じ取るから」と語り、彼らを船に乗せました。四段階目に属するアシタカやソウスケのような人物は、他にもまだいるってことです。

 トンネルが異世界の入り口だというのは正しいと思います。トンネルだけではなく、大穴や井戸など、先の見えない暗く長い通路は、異世界の入り口という意味を持つことが多いです。そこを越えた先が異世界です。路地裏とその行き止まりの扉も同じ効果を持ちます。ポニョとソウスケは、トンネルの向こう側へと到達しました。

 では、生と死が既に描かれている「ポニョ」において、トンネルの先とは何だったのでしょうか。
 それは、生と死を超越した世界、グランマンマーレの支配する世界です。グランマンマーレについて、宮崎駿監督は「海の神」だと言っていました。また、「どれくらい生きているのか分からないが、ちょっとやそっと死んだくらいでは気にもしない」みたいなことも言っていました。長い年月を通じて、多くの生と死に触れて来たからこそ、局所的な死など気にならないのでしょう。「もののけ姫」のシシ神様と同じですね。個々の死など些末なことなのです。人がたくさん死んだとしても、「素敵な海」の一言で終えてしまうのです。抱えているスケール自体が違うのです。

 ポニョの魔法の力は無尽蔵ではありません。使うたびに半魚人に戻ったり、眠くなったりしてしまうのです。トンネルに近づくと、魔法の力を使わなくとも眠たくなってしまいます。
 ポニョはトンネルに至って「ここ嫌い」と言っています。トンネルの先には、ポニョの魔法が通用しないグランマンマーレがいるからです。ポニョは人間でありたいために、魔法の力を失いたくありません。それゆえにトンネルを嫌うのです。事実、トンネルの通過中に半魚人に戻り、トンネルを抜けると魚に戻ってしまいました。

 なお、この作品に死のモチーフが多いというのは同感です。ただ、死んでいるから死のモチーフを置いているというのは違うと思いますけどね。影を描くためには光が必要だ、正義を描くためには悪が必要だ、というのと同じように、キラキラした生を描くためには、色濃い死を描かねばならないのです。
{/netabare}

エンディングと世界の行く末:{netabare}
 ポニョの魔法により、世界は大混乱してしまいました。そして、子供たちの尻拭いをするのは大人たちの役割です。

 フジモトは、強制的にポニョを魚に戻し、魔法の力を奪うことで世界に安定をもたらそうとしました。しかし、ポニョに不自由な生を続けさせることを否定し、子供たちに世界の行く末を託そうとしたのがグランマンマーレです。
 人間になるか、泡となって死んでしまうか。人間になれば魔法の力がなくなると説明されていますので、泡になってしまうと魔法が解除されなず、人間は破滅へと向かってしまうのでしょう。生死にこだわらないグランマンマーレだからこそ出せる解決策です。
 おそらく、グランマンマーレとリサの間で交わされていたのは、この合意だと思います。世界の行く末を託せるほどに自分の子供を信用しているかどうか、といったところでしょうね。フジモトやグランマンマーレの力で世界をもとに戻すのではなく、未来に向かう子供たちの力に大人たちは賭けたのです。そして、結果は大団円でした。

 私はこのエンディングを見たとき、宮崎駿監督の思想がまた変化した!と驚きました。前述の通り、今までは「ナウシカ」のほぼ人類滅亡エンド、「もののけ姫」のごく一部許容エンドだったんです。子供の可能性を見せる作品はたくさんありましたが、自然と人間の対比の中では、可能性を持つ子供を主役に置きませんでした。

 そしてこの「ポニョ」です。世界が滅ぶかどうか、人類の行く末は子供たちに委ねてしまおうじゃないか、となったんです。子供のように異種族を素直に受け入れられる気持ちがあるのなら、未来はきっとあるんだよ、です。子供を介して人類への許容が広がりました。宮崎駿監督が本来求めていたのは、人間のいない自然に満ちた世界、フジモトの目指した海だけの世界です。これを脇に追いやってしまいました。
 これってすごい変化ですよね。老齢に至って、過去に固執せずに、さらにその先を見せるというのはすごいことだと思います。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…。

 私は、宮崎駿監督ほど悲観論者ではありません。未来?なんとかなるなる!と言ってしまうタイプです。宮崎駿監督の天才性は絶賛しているんですけど、思想の部分では相容れないところも多いんです。
 私がポニョが好きな理由は、この譲歩が見られたことも少なからずあるのかもしれませんね。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…(2度目)。
{/netabare}

おまけ:{netabare}
 もし「ポニョ」を見る機会があれば、ポニョやソウスケが大事なものを手放すタイミングにも注目してみてください。

 ソウスケにとっての大事なものとは、船と帽子です。これはポニョやリサを守るという覚悟や決意の象徴です。これを手放すのが、いつで、なぜなのか、見逃さないようにしましょう。

 ポニョの大事なものはバケツですね。これが必要なくなるのは1回だけのはずです。
 これ以外にもポニョのお気に入りはたくさんあります。そして、気に入ったものは抱えてしまい、手放そうとはしないのがポニョなんです。そんなポニョが、誰かのために自分の物を渡してあげるシーンがあります。ポニョの成長が見れる貴重なシーンです。
 点灯したライトもお気に入りなんですが、これはおそらく金色だからだと思います。金色は魔法の色、命の色、人間になれる色だからでしょう。ライトを手放すのはハチミツのためでした。ハチミツも金色です。
{/netabare}

 私は「ポニョ」を見たときに集大成だと感じました。宮崎駿監督の人生の集大成は「風立ちぬ」だと思いますが、「ナウシカ」から始まった自然と人間の物語は、この「ポニョ」が集大成なんだと思います。子供のウォーキングを眺めるだけの作品なんかじゃありませんよね。
 作品の魅力を伝えられたかは分かりませんが、この作品を気に入ってくれる方が少しでも増えると嬉しいです。

投稿 : 2015/05/30
閲覧 : 678
サンキュー:

11

イカちゃん☆休止中 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

☆さかなの子ポニョ

オープニングからファンタジー溢れる内容で素晴らしいです.:*:・'°☆

ポニョが可愛くて好きなキャラです(*^^*)

カラフルな作風で津波の中を駈けるポニョが良かったです♪

子供と一緒に観て楽しいアニメだと思います。


監督/宮崎駿


2008年7月19日公開

投稿 : 2015/05/25
閲覧 : 437
サンキュー:

7

オールドタイプ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 2.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

つらくても運命は変えられないんだよ

世界観や絵、音楽はとてもいいですね。流石って感じ!
主題歌はいただけないけどね。あざといよ(;^ω^)

投稿 : 2015/04/02
閲覧 : 312
サンキュー:

2

シフレ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ジブリシリーズ

定規なしとかマジ過ごすぎる!

投稿 : 2015/03/03
閲覧 : 250
サンキュー:

1

退会済のユーザー さんの感想・評価

★☆☆☆☆ 1.0
物語 : 1.0 作画 : 1.0 声優 : 1.0 音楽 : 1.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

人魚姫のもじりにしか見えない

ポニョの母親がドッキリすぎて観てられない!
猫の恩返し・ハウルの動く城と並んで宮崎作品の駄作。

投稿 : 2015/02/15
閲覧 : 385
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崖の上のポニョのストーリー・あらすじ

海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と願うさかなの子・ポニョと5歳児の少年・宗介の物語である。(アニメ映画『崖の上のポニョ』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2008年7月19日
制作会社
スタジオジブリ
公式サイト
www.ghibli.jp/
Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%96%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%8B%...

スタッフ

原作:宮崎駿、 監督:宮崎駿、脚本:宮崎駿、作画監督:近藤勝也、美術監督:吉田昇、色彩設計:保田道世、映像演出:奥井敦、編集:瀬山武司、整音:井上秀司、音響効果:笠松広司、録音演出:木村絵理子、音楽:久石譲

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