ナルユキ さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
なるほど、これがシュタインズ・ゲートの選択か
原作は『CHAOS;HEAD』や『ROBOTICS;NOTES』と世界観を共有する5pb.(現・MAGES.)製作のアドベンチャーゲーム。アニメは2011年に放映され、内容は「タイムリープ」や「タイムトラベル」を扱うためか、同年の『魔法少女まどか☆マギカ』と共にとても熱気の高い作品であったことをよく覚えている。しかし当時私はすっかりまどマギの方に夢中だったため、この作品には一切触れぬまま軽く10年以上経過してしまった。Dメールが送れたら絶対「シュタゲはリアタイで観ろ!!!」って送りますな(笑)
タイムマシンを開発“してしまった”未来ガジェット研究所の面々が未来の悲劇を回避するために奮闘する。繰り返される終わりなきタイムリープに疲弊するやるせなさと伏線が一気に収束するクライマックスは壮観だ。
【ココが面白い:Let's タイムマシン制作】
まず見出して驚くのは橋田至{はしだ いたる}を演じる関智一さんの演技。典型的なポッチャリさんかつオタクな「ダル」はいい感じに声も肥えている(笑) ある種、関さんの新境地とも言えるオタク声は誰の耳にも強烈な印象を残し、一瞬「え?これ関さん?」と疑ってしまう。この人、深夜アニメならギルガメッシュとか風柱とかもっとカッコいいキャラクターを演じるんだけどな……(汗
他にもざーさん演じるほわほわムードメーカーの椎名まゆり{しいな - }や脳化学分野の天才女史にして重度の○ちゃんねらーでもある牧瀬紅莉栖{まきせ くりす}など、癖の強いキャラたちを紹介しながら1クールの大半は、偶発的に過去へ干渉出来るようになった『電話レンジ(仮)』で実験を繰り返し、改良しながら本物のタイムマシンを造り上げる過程を丁寧に描いていく。
とくに序盤はその時には理解できない伏線や演出が多く、あらすじすら読まず、何も情報を持たないまま観ると中々すっきりしない。2クールということで余裕があったのか、序盤は「ゆっくり」とストーリーが展開していくため途中離脱────所謂“切る”人も少なくない様だ。
そんなわけで「シュタゲは12話から本番」という言葉もあるが、個人的にはそれ以前のエピソードも中々楽しめた。
{netabare}とくに現代技術では物質の転送も実質的に不可能である(全部濃緑のゲル状になる)ことを示す『ゼリーマンズレポート』や実在するCERN{欧州原子核研究機構}に凶悪な隠謀論を与えて脚色された『SERN』、さらにネット上の人物として『ジョン・タイター』が登場し、嘘か誠か信じるかは貴方次第な「都市伝説」的要素の数々に興奮冷めやらない。
ジョン・タイターは2000年に私たちの世界のインターネット上に現れた、2036年からやってきたタイムトラベラーを自称する謎の人物であり、当時に彼が言っていたことを基盤に物語は展開されていく。フィクションであるアニメの中だからこそ、嘗てネット界をざわつかせた自称タイムトラベラーの虚言も事実になり得るのだ。
そんな人物から主人公が「救世主になって欲しい」と望まれる展開は鳥肌もの。世界線を越えて記憶を継続できる能力『リーディング・シュタイナー』を得た者が過去の改変を行えば、世界をより良い未来へと導くことができる。そういった使命を主人公は自ずと背負わされることになる。{/netabare}
【ココも面白い:バタフライエフェクトと世界線移動】
そんな使命を一蹴しつつ、自らを『狂気のマッドサイエンティスト・鳳凰院凶真』と名乗りながら、電話レンジ(仮)を介して過去へ送信する『Dメール』の実験を繰り返す主人公・岡部倫太郎{おかべ りんたろう}。全角18文字しか送れないDメールのたった1通の送信だけで貴重な男の娘が女の子になってしまったり、秋葉原から萌え文化が消えたりといった大きな影響が与えられる。それらは全て厳密には岡部が本来、観測することの無かった『世界線』────リーディング・シュタイナーを持つ彼が世界線を実質的に「移動」することで見えてくる変化であった。
世界の変化に戸惑う岡部とそれを観る視聴者の気持ちがシンクロし、彼が何か取り返しのつかないことしているのではと不安に駆られれば駆られるほど、視聴者の緊迫感もまた募っていく。
{netabare}そして第12話。乱雑にDメールを送り続けた結果、岡部はまゆりが間もなく死んでしまう世界線────『α世界線』へとたどり着いてしまう。タイムマシンを作ってしまった業はSERNを動かし、その襲撃によって彼女は死んでしまうのだ。
岡部は紅莉栖が完成させたタイムリープマシンで過去をやり直し、まゆりを守ろうとする。幾度の失敗を経てようやくSERNから逃げ切る寸前まで行くのだが、まゆりは後ろから小さな女の子に突き飛ばされてしまう。庇護する対象が電車による轢死という衝撃的な結末を迎えて終了する第13話には開いた口が塞がらない。{/netabare}
【ココが悲しい…:思い出を消して、越える壁】
{netabare}何度過去をやり直してもまゆりを救うことが出来ない岡部。例えSERNから逃げ切れてもまゆりは全く別の要因で死んでしまう。α世界線でまゆりの死は決定事項となっており、世界線の「観測者」である岡部がα世界線にいる限り、彼女の死は決して避けられることはないのだった。
絶望に打ちひしがれる彼の前に、これまで決して深い付き合いではなかった紅莉栖が手を差し伸べる。狂気のマッドサイエンティストという中二病の設定が壊れ、ただ仲間を思いやるだけの青年となった主人公・岡部は、真に自分の“助手”となった彼女のサポートを受けて確実にα世界線への脱出の糸口を辿っていく。
その過程で今まで送ったDメールを打ち消していくのだが、これが本当に切ない。ラボメンとなった様々なキャラクターたちの、今まで後悔し過去を変えられるならと願って送り叶えられた改変を仲間想いな岡部が1つひとつ消し去ってしまう。
{netabare}岡部と他の皆が記憶を共有できない、だのにまゆりのためを考えたら消すしかないというジレンマが一番観ていて辛かった。とくに最初の鈴羽を引き留めるDメールは彼女の人生さえも後悔と絶望に染めてしまっている。彼女の遺した「失敗した」手紙は脳内にガツンとくるトラウマものだ。そんな彼女も救う打消Dメールは間違っていない。間違っていないのだが……彼女が父親と出会えた喜びやラボでの細やかな思い出ごと消し去るしかなかった、というのがとにかくやるせない。{/netabare}
作品として見れば前半クールで描いたことをことごとく「無かったこと」にしていくため、並の作品なら夢オチを使ったのと同じくらい荒れてもおかしくはなかった筈だ。本作はそんな展開の「逆行」をやるせなく悲劇的に描いている。タイムリープを扱う作品だからこそ赦される展開だ。{/netabare}
【そしてココも悲しい:まゆりか紅莉栖か、生かすは1人……?】
{netabare}いくつもの世界線を巡り、様々な可能性を無かったことにしながら第20話。岡部は遂にまゆりの死を運命づける元凶────SERNが捕捉した最初のDメールの削除に王手をかける。このメールを消せば岡部はα世界線から脱出して『β世界線』(物語の最初にいた世界線)へと帰ることができるのだ。
しかしその世界線で岡部は血だまりに倒れる紅莉栖を見た────彼女が何者かに刺されて死んだ歴史であったことを思い出す。このまま戻ればまゆりを生かすために彼女が犠牲になってしまう。
幼い頃から互いに互いの心を支え合い、現在では未来ガジェット研究所という居場所を共に分かち合っている、岡部にとっては妹のような「家族」である椎名まゆり。
対して3週間。それにタイムリープの日数を足すことで(岡部から見て)途方もない時間を共にし、まゆり救出にもベストを尽くしてくれた、数多くの討論の果てに「大切な人」となった牧瀬紅莉栖。
どちらが良いかなんて問題ではない。少なくとも岡部当人には2人を順位づけるなどできるわけもない。どちらかを見捨てるくらいなら2人とも助かる道を探し続ける。失敗したら何度だってやり直せばいい。それがこの物語の主人公であり、タイムマシンを手にした男の「抵抗」だ。
しかし、そうしてまゆりの死を何度も見る内に彼女が死ぬことを何とも思わなくなる自分が生まれている────岡部の心は壊れかけていた。彼の身を案じる紅莉栖の説得が終わりなきタイムリープにピリオドを打つ。
{netabare}『ありがとう。私のために、そこまで苦しんでくれて』
『あらゆる時、あらゆる場所に自分がいる。誰かを愛する強い気持ちが、何かを信じる強い感情が、何かを伝えたいという強い思いが、時を超えつながって、今の自分があるのだとしたら、それは素晴らしいこと』
『だから見殺しにするなんて思わないで。世界線が変わっても、たった1人、岡部が忘れなければ、私はそこにいる』
『いつもじゃなくてもいい、100回に1回でもいい、私を思い出して欲しい。そこに私はいるから。1%の壁の向こうに、私は必ずいるから』{/netabare}
こうして、まゆりを生かし紅莉栖を見捨てるβ世界線を選ぶことになった岡部。世界線の移動後、SERNと世界線の収束に打ち勝ったと高らかな勝利宣言をするが、何も知らない筈のまゆりには『自分はもう大丈夫だから、オカリンは自分のために泣いてもいいんだよ』と自身の心境を悟られていた。
岡部は電話レンジ(仮)を破棄する。このマシンを使うことで彼らは────岡部は紅莉栖と出会えたが、沢山の人を傷つけもした。
《鳳凰院凶真が死んだように、電話レンジ(仮)もまた死ぬべきなのだ。》
《生きることは本来、やり直しの効かないことなのだから……》{/netabare}
【総評】
{netabare}なんだかビターエンド風に〆てしまったが、ここから鈴羽が完成されたタイムマシンを持ってきて紅莉栖を救うためのタイムトラベルが行われる。1度目の失敗は凄惨であり再び岡部の心が折れそうになる中、まゆりの“星屑との握手{スターダスト・シェイクハンド}”が彼の頬に炸裂し、実は失敗も未来の自分の作戦の内であることがわかり、同一人物だからこそ、その作戦の全容を理解して鳳凰院凶真は正に不死鳥の如く甦る……怒涛の展開と伏線回収、そして「世界を騙す」ことによって、本作は誰も未来を知らない世界線『STEINS;GATE{シュタインズ・ゲート}』へと辿り着く。{/netabare}
率直に書いて完成度の高い、高過ぎるといってもいい作品だ。人によっては多少、展開が強引に感じたりキャラが期待通りに動かなかったりするのかも知れないが、原作ゲームが【想定科学アドベンチャー】と名乗るだけあって、魔法や超能力、ひみつ道具などでしか有り得ない「時間跳躍」の存在をワームホールや脳科学などの「科学的見地」から強い説得力を持たせている。そこからタイムマシンを作ってしまうと社会がどう動くのか、そして実際に使うとどうなってしまうのかを「シミュレーション」に近い形で描写しており、非常にリアリティが感じられた。
さらにそこから洋画『バタフライ・エフェクト』の如く、正にタイトル通りの予測不可能な展開の数々────とくに12話以降の先の読めないストーリーは息を飲み、シーンが変わる度に目が離せなくなる。それまでの12話分、主人公やヒロインへの感情移入を強めていただけに続きが気になって仕方がなかった。
作画的に若干残念な部分があったのは惜しまれるが、そういった部分を覆い隠すほどストーリーが素晴らしく、また演出も冴えている。若干、画面が暗すぎる又は白み過ぎている部分があったのは気になったが。
2クール通して起用された、いとうかなこ氏の歌う主題歌『Hacking to the Gate』がスタイリッシュな曲調とサビの伸びやかな高音で病みつきになる程の神曲。23・24話という佳境で2番の歌詞に変わる演出も粋で誰もがグッときてしまう筈だ。
しかしながら、序盤が若干スローペースであり、そこで飽きさせないようコメディ要素もあるのだが、当時のパロディネタやネットスラング(主に2ちゃんねる用語)を理解できなければ笑えない部分も多い。そういった面を見ると古の「オタク向け」と言われてしまうのは致し方なく、最近アニメを観始めた人が観ても楽しみきれない部分があるだろう。そういう方には素直に時代を選ばない『バタフライ・エフェクト』がオススメかな。洋画なら一般の方にも勧めやすいしね
自らを鳳凰院凶真と名乗る岡部倫太郎を始め、特徴的なのは良いもののかなり曲者揃いなキャラクターで作品を固めている。その中でやはり主人公の岡部が酷い。『機関の手がここまで~』『これがシュタインズ・ゲートの選択か』といった脳内設定や意味の無い横文字をひれらかすことに抵抗がなく、時間跳躍というSF現象が起きているだけに今話していることは真面目なのか、只の中二発言なのか捉えにくい。岡部は飽くまでも一介の大学生であることを常に留意しなければならない少々、面倒な主人公である(笑)
だがそれらも最終話、彼の決意と大切な人を前にする時の照れ隠しが一挙に詰められた、あの台詞へと繋がるのだ。
{netabare}『俺だ。なぜ彼女がここにいる────なに?俺が守れだと?やれやれ、勝手なことを言ってくれる』
『まあいい、それが選択だと言うのなら……エル・プサイ・コングルゥ』
《未来のことは誰にも分からない。だからこそ、この再会が意味するように無限の可能性があるんだ。》
『これが、STEINS;GATEの選択だよ』{/netabare}
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