当サイトはアリフィエイト広告を利用しています

「聲の形(アニメ映画)」

総合得点
88.7
感想・評価
1496
棚に入れた
7399
ランキング
101
★★★★★ 4.1 (1496)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
3.9
キャラ
4.1

U-NEXTとは?(31日間無料トライアル)

レビューを絞り込む
☆の総合評価
文字数
サンキュー数
視聴状況
表示形式
キーワード
この条件で絞り込む

聲の形の感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0
物語 : 2.0 作画 : 2.0 声優 : 2.0 音楽 : 2.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

タイトルなし

いじめのシーンが辛かった。
京都アニメーションの作画と演出に声優さんの演技は素晴らしかったです。でも繰り返し観ることはないと思います。

投稿 : 2018/11/12
閲覧 : 256
ネタバレ

うちゅうじんピピピ さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0
物語 : 2.0 作画 : 2.0 声優 : 2.0 音楽 : 2.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

ハチャメチャかっ?

何を伝えたかったのかわからない映画。いじめ?友情?恋愛?家族?どれを1番伝えたかったのですか?あれもこれもあっちゃこっちゃで軸のない内容なのです。っていうか、何も起こらないwww宣伝広告を見て純愛物だという先入観があったので、正直いじめからはじまる重い内容にガックリしました。最後も全然泣けない。無理やり終わらせる感じで、は?っと思っていたらエンディング。そしてそのエンディングソングが全然映画に合ってなくてフイた。アニメーション最高に美しいのに、ちょーーーもったいない作品。ほんとーに残念。

投稿 : 2018/11/08
閲覧 : 223
サンキュー:

8

ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

私たちぬきで、私たちのことを決めないで。

このアニメを観て思い出した言葉です。

出だしから、いささか硬めで申し訳ないのですが・・私たちは、民主主義というルールの中で暮らしています。
民主主義。・・・耳あたりのいい言葉ですが、問題点がないわけではありません。構造的に、どうしても多数の意見が優先されますから。

●民主主義と憲法と。硝子と将也と。
{netabare}
私は小学6年で、民主主義を憲法の学習で学びました。憲法には、国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄(平和主義)の三大原則があると。それが民主主義の根幹だと知りました。先生は噛んで含めるように丁寧に教えてくださいましたが、なんだかとても難しい授業でした。

民主主義は、人が幸せに暮らすための手法・手段です。(目的ではありませんね。)
小学校、中学校から体験的に身につくように学び始めます。理屈でわからなくても大丈夫。クラス運営、生徒会活動、クラブ活動、ホームルームで体験的に学習していくのですね。身をもって学ぶ「実学」ですね。

今は18歳になると「選挙権」が付与され、地方政治や国政にも参加することができます。多数決というルールを基本にして、民意を政治(暮らし)に反映できるとてもわかりやすい手法・手段・仕組みですね。

ただ、落とし穴もあります。原則として多数決で決するので、圧倒的少数者の「願いと思いは置いてけぼりにされがちになる」ということです。

だれだって幸せな暮らしを願っているし、ちょっとでも豊かな生活を求めています。これは当たり前のこと。憲法13条にも「幸福追求権」として明文化されています。

日本国憲法 第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

文調は格調高くてよろしいのですが、少数者には13条のありがたみや利益がなかなか実感できないところが難点ですね。
ポイントは「公共の福祉」です。
「公共」とはどの立場から見たものか。明らかに絶対的多数者か行政権を掌握している側ですね。その最高の価値が「国」ですね。それは国民ならだれもが肯定する概念ですね。

今の時勢でいえば、TVで憲法論議がたけなわです。いろんな立場の人がいろんな意見を論じられています。意見を交わすこと、討論することは素晴らしいことだと思います。でも・・・。

硝子と将也は、選挙権もないしコミュニケーションも十分に取れないのです。いったい彼らはこうした議論にどう参加し、主張し、表現すればよいのでしょうか。
もっと言えば、大人の側が、どんな配慮や支援や指導をすればいいのでしょうか。どうすれば彼らが健やかにのびのびと成長できるようになるのでしょうか。

実は、つい最近まで、高校生にとって憲法を学ぶこと、民主主義(国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄(平和主義))を学ぶ機会はほとんど保証されていませんでした。
まぁ端的に言えば、ほったらかしにされていたっていうことですね。(卒業したらすぐに大人扱いされるの、困っちゃわないかなぁ)それで、ちょっと気になったので調べてみました。

高校の場合は、
{netabare}
学習指導要領によると、教育課程における憲法教育等について、4つの指導ポイントが示されていました。主に「公民の現代社会」の項目で教えることになったようです。(平成21年3月告示。一部抜粋。)

①現代の民主政治と政治参加の意義、民主社会において自ら生きる倫理について自覚を深めさせる。
②個人の尊重と法の支配、他者と共に生きる倫理について自覚を深めさせる。
③現代の経済社会と経済活動の在り方、その役割と責任について考察させる。
④国際社会の動向と日本の果たすべき役割及び日本人の生き方について考察させる。

平成25年度(2013年4月入学)からの入学生から年次進行で実施することなりました。ということは、つまり、今現在で21歳以上の方は、憲法教育をほとんど受けていなかったのですね。
{/netabare}

ちなみに中学校の場合は、
{netabare}
平成24年度(2012年4月)在籍の生徒さんで、「公民的分野」、たぶん3年生時のなかで全面実施されています。20歳以下の方は学んできているはずです。内容は・・・、

①我が国の政治が日本国憲法が基礎となっていて、基本的人権の尊重、国民主権、及び平和主義を基本的原則としていること
②日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為のこと。
③法に基づく公正な裁判の保障、国民の政治参加、選挙の意義について。

いかがでしょうか?こういう①~④(または①~③)にあたる授業を受けた記憶はありますか?具体的に言えば「裁判官裁判」は授業にありましたでしょうか?高校で、倫理と責任、生き方について自覚を深めるような授業は受けましたでしょうか?
{/netabare}

物語的に言えば、硝子も将也も、授業で学んだかどうかは微妙ですね。
{/netabare}

●本作の評価は、いろいろあるし、なかなか難しそうですね。
{netabare}
「障害者へのイジメなんて許せない」、「自殺を表現するなんて間違っている」、「障害者を使った感動ポルノ作品」、「青春群像劇、恋愛ストーリー」、「コミュニケーションの難しさ」など多様な表現で評価されています。

逆説的に言えば、それだけ多様な要素をはらんでいる時代性がある作品だということですね。そのうえで「高い評価」を得ている点において、観るべき内容と価値は十分にあると思います。

さて、今の世は大人の世界でもコミュニケーション障害(以下、コミ障)などと揶揄される時代です。
硝子と将也、仲間たちの「聲、表情、行動」、その一挙手一投足のなかに、コミ障の息苦しさが表現されているように感じます。
一人ひとりが大事にされる時代のはずなのに、なぜそういう閉塞感や疎外感を感じるのでしょうか?
その視点でレビューをしてみたいと思います。

硝子と将也は「何かよくわからないのだけれど、ままならないネガティブな感情」と「何かうまく表現できないけれども、心に置きとどめておきたいポジティブな感情」に気づき、関心を持ったところからストーリーが始まります。
「名前のない気持ち」。それは何でしょうか。2人は何に気づいてしまったのでしょうか。

★将也。
{netabare}
今まで疑いようのなかった彼の世界に、彼の理解の範疇を超えた別の世界が触れ始めます。始まりは本当に何気ないものでした。
「しょうちゃん」
自我の象徴でもあるその呼称が、いきなり他者のそれと結び付けられるときのアイデンティティーの微かな揺らぎと、言霊のシンクロニシティへの朧げな興味。まず、それに気づいてしまいました。

彼は、硝子のコミ障の実相を理解することができません。どう受け止めればいいのかも分かりません。たぶん彼の生い立ちには感じ得なかった感覚でしょう。そしてそれは気にせずとも気になる感覚です。

将也は将也なりに硝子がクラスに溶け込めないことを気にしています。手を差し伸べもするのですが、と同時に、自分の言い分や接し方がうまく通じないことへの苛立ちも感じ、もやもやした気持ちを硝子にぶつけます。

将也の心に宿った相反する感情は、とてもナーバスなもの。そのまんじりともしない感情に向き合えないまま、やがてその原因が、あたかも硝子にあるかのように、そしてまるで頭から追い払うかのように、彼女のアイデンティティーの象徴でもある補聴器を取り上げては捨ててしまいます。何度も何度も。

将也は自分のアイデンティティーを守ろうとしただけ。
硝子とのコミュニケーションの必要性を感じなかっただけ。
硝子とのシンクロニシティの居心地の悪さを感じていただけ。
彼の行為がどんな結果を生み出すかイマジネーションを持てなかっただけ。

そんな将也に、硝子は事あるごとに微笑み「ありがとう」と伝えます。
それは反発を持って硝子に接してきた将也にとっては「意味がわからない」ことだったでしょう。
聞こえず喋れない硝子。冷たく突き放してもいつも微笑んでくる硝子。
ついに将也は二進も三進もいかなくなって、度を超えた態度をとってしまいました。硝子の「通訳ノート」を捨てたのです。

将也の行ないは、どうみてもいきすぎた行為、やりすぎた行動だと批判されることは否めません。でも、私は仕方ないことだと思います。
将也は、ほかにやりようを知らないからです。
友達も、先生も、母親も、そうなる前に将也に干渉することはしなかったし、将也自身も相談するといったことを誰にも求めませんでしたから。

でも、将也の行動は「どういう気持ちだったのか? どう整理すればいいのか? どんな解決方法があるのか?」といったことをクラスで考える大きなチャンスでもあったはず、それは何度でもあったはずだと感じるのです。

将也は、硝子が転校するに至って、今度は降って湧いたように自身がハブられるようになり、将也は自分が硝子にとって「いじめっ子」だったということにようやく気付かされます。
友達と思っていたのに、徹底的に無視され、しかも悪評を流されることになった将也は自分がどんなに硝子に辛辣なことをしてきたか身をもって知ることになります。
しかも、その償いを母にさせてしまったという自責の念は心中に強く働いたようです。
この出来事は、彼にとっては人とのかかわりにおいて大きな過ちをしでかしてしまった最初の気づきであり、人付き合いにおける価値観のコペルニクス的大転換になってしまったのではないかと感じます。

将也は悔恨し自分を詰(なじ)り彼なりのケジメを決心します。でも、その動機は母に迷惑をかけてしまったという範囲でのことです。しかし、未遂に終わった彼は、思いもよらずお金が燃えてしまったことで「もう一度やり直す」きっかけを手にします。そうしてようやく硝子のノートに目が向きます。

ノートの扱いをどうするか・・。こうして将也も、硝子に対する「何かよくわからないのだけれど、ままならないネガティブな感情」と「何かうまく表現できないけれども、心に置きとどめておきたいポジティブな感情」が心中に熾火となって残っていたことに向き合い「もう一度やり直す」ことにしたのではないかと感じるのです。

将也の行動は、形としては硝子への懺悔と謝罪です。でも自分にけじめをつけたいという自己弁護の気持ちの方が優先されていたように見えました。自分でも思ってもみなかった「友達になって・・」という言葉のあまりの軽さに狼狽する将也。彼自身にもそれはあまりにもご都合の良すぎる手前勝手な姿だと分かったのだと思います。

将也が、硝子にきちんとした謝罪をしたのかどうかはスクリーンには表現されてはいませんでした。(いささか疑問の残る不可思議な演出でした)
が、とにもかくにも硝子との気持ちの糸がつながりはじめます。
{/netabare}

★硝子。
{netabare}
硝子は、将也の自分への激し過ぎる関心に戸惑います。周りの同級生からすれば、間違いなく硝子へのイジメに見えていたでしょう。
硝子にとっては、将也はたびたびちょっかいをかけてきて、大事な補聴器を奪いとるとんでもない男の子だったでしょう。図々しくて、でたらめで、ちっとも悪びれる風でもなくて・・・。
と同時に、ときどき優しいそぶりを見せてくれる男の子でもありました。

硝子は、彼がどうしてそんなことをするのか困惑しているようでした。硝子も将也と同じように、自分の感情を、文字にできないでいたようです。
自分の感情がよく分からない戸惑い、それを伝えるきっかけを作れないもどかしさ、気持ちを受け止めてもらえない悔しさ、なによりも将也の気持ちを聴き取れない辛さを身の内に感じているように見えました。

硝子は幼児期に難聴であることがわかりました。もともと無音の世界が当たり前でした。それは、日本語を音として吸収・理解できないということです。理解できないということは、発声することはむずかしいということ。
補聴器を付けてはいます。1対1のときは有効ですが「1対多」のときはとても難しい。例えば、両方の耳を手で押さえて、前後左右4人から同時に話しかけられても、誰の声なのか、何を言っているのか、指示なのか、非難なのか、応援なのか、つぶやきなのか、判別できないことと同じです。

だから、硝子にとって望ましいコミュニケーション方法は、補聴器がメインではなく、ノートのほうだったのですね。必ず1対1になるし、明確に文字として残るからですね。

だから、将也にノートを奪われ、放り投げ出されたのは辛かったでしょう。
硝子は、将也からの決定的な絶交宣言、完全拒否の意思表明だと受け止めてしまったのかもしれません。

にも拘らず、否、だからこそ、将也の机に書かれた悪意のこもった文字を見るのが辛かった。
硝子が自分を伝えられる手段は、文字だけです。
クラスのだれかが、将也の机に書きつける「将也を否定する文字」。
文字の持つ重みを誰よりも知っている硝子にとって、将也が文字によっていじめられていることは、自分がそうされているかのように辛かったのではないでしょうか。

無意味な大声とか、砂を投げつけるとか、耳を傷つけるとか、補聴器を取り上げるとか、イヤなことばっかりだったけど、硝子のいたあのクラスの中で、文字以上に、音声で、そして体当たりでコミュニケーションをとっていたのは、ほかの誰でもなく、将也その人だったから。
音のない刺激の少ない世界にいた硝子にとって、間違いなく将也だけは異質な存在だったでしょう。

小6のわずかな時間、「将也と通じ合えなかった」という体験で生まれ得た硝子の気持ちは、転校してしまったのちも(母に転校させられた?)熾火のように心中に残っていたのではないかと感じるのです。
「何かよくわからないのだけれど、ままならないネガティブな感情」と「何かうまく表現できないけれども、心に置きとどめておきたいポジティブな感情」。
その感情のなかに熾火となって秘め置かれていたエネルギーは、将也とのコミュニケーションの扉を「閉じるための鍵」ではなく、いつかその扉を「開くための鍵」として心のなかに留め置き続けていたのではないかと私は感じるのです。

将也にも共通の体験があったからこそ、彼もまた、同じ鍵を持ち得ていたのではないかとも感じます。

先に扉を開けたのは将也でした。
硝子にとって、失われていたノートが再び戻ってきます。まさにいきなり突然に。薄汚れてよれよれボロボロになったノート。
それは、唐突に打ち切られた過去談が、もう一度つながることでもあるし、宙ぶらりんのままで放置されていたもろもろの感情にも向き合うことでもあります。

それは硝子の思いと将也の思いをつなぐ唯一無二のツール。
そのノートが誤って川に落ちた時、硝子は常軌を逸した行動に出ました。
後を追った将也の行動はノートよりも硝子を心配してのことでしょうから、硝子の動機とはちょっと温度差はありますが、でも硝子にとってはそれは嬉しいことだったでしょうね。ノートを捨てた小6の将也が、今度は高校生になってノートを一緒に探してくれるなんて、ちょっとドラマチックですね。
{/netabare}

★将也は校内では学友の顔に「✖」を見ているのですが、校外の人には「✖」がつきませんね。
硝子と校外で会ったのはラッキーだったのかなぁ・・。

{netabare}
学校ヒエラルキーなのでしょうか。
それもあるでしょう。でも、それだけではないような気もします。

将也がコミュニケーションがうまく取れない人に対して「✖」をつけるなら、「✖」のない人は将也にとってはコミュニケーションがうまく取れているということでしょうか。
「✖」がついている人は、将也にとってはキョンシーか、のっぺらぼうみたいなもの?そうであれば、学校はお化け屋敷なんでしょう。そんな居辛いところに3年間もいられるものなのでしょうか。将也には、引き籠ったり退学とかの選択肢もあっただろうに。母への懺悔から生じる遠慮があったのでしょうか。

硝子も、妹も、その母親も、息の詰まるような閉塞感や疎外感を心中に感じながら、言葉にできない、言葉にしてもいたし方のない不条理さを感じて暮らしています。その表情はお互いに気を使っていて明るくはなさそうです。

将也はその顔に「✖」をつけてはいません。不思議。
コミ障の人に、将也はなにかシンパシーを感じているのでしょうか。自分と同じものを持っていると感じるから、「✖」をつけなくても済んでいるのでしょうか。
その差、その違いって何なのでしょうか。

作品の中で、小さくぼんやりと映る外の世界を、暗いトンネルから覗くようなシーンが表現されていますが、それって将也の心象的な視野のように思えます。

コミュニケーションは目、耳、口、鼻、五体と、それにメンタルとが絡み合って進むことが多いですよね。その要素のうちの一つか二つが上手く働かないとしたら、あの暗いトンネルを通じて外の世界を感じることになってしまうのでしょうか。

将也の悩みは「なやみ」。言霊(ことたま)で読み解けば「汝の闇」です。

やはり、あのトンネルのシーンは、将也が内なる心の世界に籠って、自分自身の顔に「✖」を貼り付けた心象風景。視野もピントも色彩も、自らが発する闇に遮(さえぎ)られて、遠くにわずかにぼんやりと映っている外の世界を感じている(見ている?)ということになるんでしょう。これは相当メンタルをやられていますね。
{/netabare}

★たとえ小学校の頃に行き違いになってしまっていても、気持ちを大事に持ち続けていれば、そしてやがて思春期を迎えれば、そして一歩でも踏み出せば、小さな熾火であっても、恋のストーリーが燃え上がるきっかけになります。

{netabare}
それが小さな火種であっても、若々しいエネルギーが内包されていれば、やがては惹かれあい、初々しい「恋の舞台」が開場し、第一章の幕が開かれ、賑やかに物語が始まります。
この二人に絡む仲間たちは、それぞれの生き方に誠実に向き合おうとする仲間たち、自らの進路の舵を自分の手にしっかりと掴もうとする仲間たちです。二人の周りを固め、すてきな役割を果たしていきます。かつて、小6のときには上手く進められなかった取り組みや、硝子とのコミュニケーションへの理解を少しずつ深めながら、再演していくことになります。
何ともたどたどしくて、あきれるほど粗削りに見えてしまうのですが、どんなに紆余曲折があっても、めげずにやり直し、試行錯誤を厭わず、手放さず諦めず、何度も繰り返し、やがて邂逅をみせるまで、彼らの努力の筋道と足跡とが、しっかりと描かれていました。

だから、この作品は、損なわれた友人関係を再構築する群像劇でもあり、社会的障壁の矛盾に気づく社会派ドラマでもあり、淡い恋ごころが輻輳するさまを描いた純愛作品でもあるように思います。
決して「障害をダシにした感動ポルノ作品もの」ではないし、「酷いイジメをしでかしたから謝罪と贖罪をさせねばならない物語」でもないと思います。


武道の世界には「勝ち不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という格言があります。

勝負を決するとき、勝とう勝とうと思っているうちはなかなか勝てるものではない。そこに、気負いが入り、慢心が入り、疑心暗鬼が入るからである。すなわち、平常心を失い、集中力を欠き、本来の実力を発揮できなくなるからである。なぜ勝ったのか分からないという不思議さを感じるくらいがちょうどよく、逆に、負けるときは何の不思議もなく負ける理由を自分は知っているものである。
というようなことですが、今風に言えばコンディショニングのことでしょうか。

将也の心を「負けに不思議の負けなし」という角度から見れば、汝の闇に自らが縛られ、囚われていたということでしょう。

また、「勝ちに不思議の勝ちなし」という角度で見れば、「あれ?あれあれ~?これって?友達って?」というフレーズにヒントがあったと思います。

硝子に手を引かれて校内をとぼとぼ歩いた将也は、まるでダメダメな形無しヤロウだったですが、むしろ、形無しでいいんです。面目もなくてもいいんです。
角張ったフレームを構えることもなく、仰々しくメンツを掲げることでもなく、むしろそんなメンタリティーはかえって自分を縛ってしまう。
レッテルを貼られていると思い込んでいた将也ですが、実相はその真逆で、レッテルを貼っていたのは将也自身だったのですね。

将也は、自分はダメ人間だと自認し、自縛し、拘って、執着してましたが、その現場でもある校内で、硝子が先頭に立ち、一緒に闘ってくれた。彼女はごく自然に振る舞ってくれた。

硝子だけでは無理でした。1人よりも2人、2人よりも3人、3人よりも・・。みんなで分かち合えた、みんなが支えてくれた、将也の周りに信頼のおける友人が一定数いたのですね。だから、自力だけでは二進も三進もいかなかった壁が、他力が加わることで、将也には理解できない不思議さで心中の壁が打ち壊され、レッテルがフワリと剥がれていくんですね。剥がそうともがくこともなくごく自然にです。

自力と他力が交差した中で、将也が自分自身を許せたこと、自分で自分の心の枷を外したこと、そのことが私は一番嬉しく思えるのです。

硝子の強さは、見えにくく理解されにくい「難聴という障害」に立ち向かったことだったし、将也の強さは、やはり見えにくく理解されにくい「心中の怖気」に立ち向かえたことでした。
そんな2人が乗り越えられたのは、話を聴いてくれる友達ができていたということだったし、住み慣れた街と学校という場所があったからなのですね。

また、将也の母親の強さ、硝子の母親の心境の変化の兆しに、子どもへのゆたかな愛を感じます。家族という一番小さなコミュニティーですが、一番身近な大人が二人を支えているのですね。
(なんとなく「あの花」に似ていますね)

ここまで、お読みいただきありがとうございます。

ここから先は、本作では描かれていない、社会的障壁について少し記述してみました。関心のある方は覗いてみてください。
{/netabare}
{/netabare}

硝子や将也、そしてクラスの友達、お母さん方が暮らしている町と、学校のことを考えてみました。
さらに長文をお許しください。また、今回はかなり硬派です。
本当は、硝子と将也のために、全文を読んでいただけると嬉しく思いますが、無理はなさらないでくださいね。

硝子と将也の生きている時代の背景。
{netabare}
これをきっかけにして聾啞(ろうあ)の方の障害のありようについて考えたり、手話教室に行ってみようかなと思ったり、その家族の方のご苦労に思いを寄せること。そういう興味や関心を持っていただければとてもありがたいと思います。
もし、お近くに教室や講座がありましたら、ちょっとでいいので、覗いてみて様子を見てください。あなたも将也や佐原のようになれますよ。きっとなれます。「またね」はもうご存知ですよね。次は「どうしたの?」を覚えるのがいいかな? 
私も、休み休みですが続けています。学校じゃないんだから続けられているのかもしれませんが。汗
それに、手話には「方言」もちゃんとあるんですよ。盛り盛りですから。存外、そこからはいるのも面白く思えるかもしれません。

ちなみに、聾啞は、耳が聞こえない、発声がうまくできないという意味です。手話や筆談がコミュニケーションの柱です。手話自体が独立した一つの言語体系なのですね。
聾は、耳は聞こえませんが、日本語の発声はできます。ただ、音声でどれだけ表現できるかは、学習の習熟度とか、獲得した技術とか、知識や語彙数にもよります。
コミュニケーション方法は、主に筆談や口話(*1)です。手話は使わないことが多いですね。発声の具合によってはスマホの音声サービスも使えますね。

*1)口話とは、相手の音声言語を、読話(*2)によって理解し,自らも発話により音声言語を用いて意思伝達を行うことです。
*2)読話とは、相手の口の動きや表情から音声言語を読み取り理解することです。クチパクだけで通じ合うのも口話をマスターしていればできちゃいます。



それから、もしかしたら、担任の先生の恫喝や、学級運営の拙(つたな)さを感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
{netabare}
背景は、いろいろあると思います。例えば、
・障害のあるお子さんを受け入れる際の「指導要領の内容」の実態。
・大学の教育課程での障害児・者への国の施策や当事者団体の「学習の位置づけの弱さ」
・養護学校への「予算配分の少なさ」
・そして何よりも「硝子への支援方法についての不勉強」が強烈に描かれていることです。

そもそも、一般的に言っても、子どもには障害についての知識はないのです。そしてどこまでも自分本位なのです。
将也が「退屈なことを嫌がり、面白いことが大好きで、硝子の耳がどこまで聞こえるのか興味を持つ」ことは、とても子どもらしいと思います。それは至極、当たり前のことです。彼の人生にそういう子が現れなかったから尚更です。
彼の母親も自営業で、一家を支えて、日々時間に追われていることも、日本のなかでは普通にみられる風景です。

私が印象に残るのは、硝子も将也も、それぞれの母親も、精一杯人生を歩んできているのだから、誰からも責められることではないのに、いわれのない言葉で心に傷を負わされ、コミュニケーションがうまく取れなくなっていくしんどさと不条理さです。

音が聞こえないことは、硝子が好き好んで選んだ人生ではありません。硝子の母親にもその責任なんてどこにもありません。
でも、硝子は難聴を受け入れています。彼女は、当たり前のように補聴器とノートを使ってコミュニケーションを図ろうとしています。これは、硝子にとっては至極当たり前のこと。生きるための方法であり、硝子のもつ文化そのものなんですね。

クラスのみんなもノートを頼りに関わっていっています。手話も有効なコミュニケーション方法だからその導入も図ろうとします。これも、学級運営で作られつつあるお互いのための「新しい文化」なのです。

どうにもうまくいかない理由はいろいろあるのでしょうが、些細な誤解とか、思い違いとか思い込みとかでしょう。安易なことばに心に深い傷を負う子ども(佐原)もいるのです。

大切なことは、「誰が」悪いのではなく、どうすれば一歩前進するのか。
「誰か」を責めるのではなく、事柄・やり方を改善・改良することでした。
事柄とは、言葉の使い方であったり、態度であったり、当番制であったり。「文化」の醸成には「これが答え」というものはなく、たゆまぬトライ&エラーこそが、「より好ましい答え=新しい文化」に近づく唯一のやり方です。

先生だって難しさを感じていたと思いますが、それでも一応大学を出ているわけですから、あの姿は、正直、感心できませんね。
教室で起こることは教室のなかで解決する努力をする。子どもたちの側に立つ。子どもたち主体で学級運営をする。
先生がそこに向かっていれば、将也も植野も川井も、別のやり方にトライできたのではないかと思います。
{/netabare}

もう一つ踏み込むと・・。
「普通」「常識」「文化」。その概念は、とんでもなく幅が広いです。

{netabare}
最初のポイントは、硝子が感じている「不便さ」を知ることです。
クラスメイトという「多数」がそのクラスの「常識」を無意識につくり、それが「普通」なこととして運営されるようになると、「少数」の側には「普通」でない「不便さ」が生まれてきます。

もっと言えば、その「普通」とは、クラスの多数者が ”許容することのできる” 範囲の「普通」という意味を持っていること。
その「普通」は、硝子にとっては、クラスメイトには ”許容されていない” 範囲に存在しているとハッキリと感じられるのです。

多数にとっての「普通」は、少数にとっての「普通」ではありません。
将也たちとっては、「普通」に振る舞うこと自体が、とっても見えにくい「文化の壁=社会的障壁」を自分たちが作り出しているのです。

いまある社会そのものが、壁を作っているのです。それはとても見えにくい壁ですが、確かに硝子を阻んでいるのです。彼女が「普通」でありたいという気持ちと、行動の一つ一つを阻んでいるのです。

二つ目のポイントは、その「社会的障壁」と呼ばれる壁は、大多数の側の人たちが「より良く快適に暮らすため」「ごく普通に暮らすため」に作り出した「影」の部分だということなのです。
これは民主主義の「影」でもあります。

多数者と少数者の「普通」の概念は、そもそも入口が別のようです。
なぜそうなったのか? 
それは、その概念自体に、身体や、知的や、精神の障害をお持ちの方々や、難病をお持ちの方々が、社会に、政策に、政治に参加する機会が極めて少なかったからです。意見を反映させる機会が極めて少なかったからです。
なぜそうなったのか?
それをここで述べることはやめておきます。

でも、たとえ入り口が別だとしても、同じ学校で、同じ地域で、同じ職場で、誰もがその人らしく生き生きと暮らせる「普通」があるほうが、ずっとずっと、いいんじゃないかと、私は感じるのです。

「聲の形」は、その「普通」という文化をトライ&エラーで新しく作り上げていくプロセスを、硝子と将也と2人を取り巻く友人たちの交流(ソフトパワー)に示してくれています。

例えば、ユニバーサルデザインという概念もあります。
背の高い人と低い人への配慮として、自販機の選択ボタンの位置がちがっているのもそうですね。
車いすの方、お年寄り、子どもたち。社会への参加がた易い「多数者」の陰に隠れがちな「少数者」の人たちへの「合理的配慮」でもあります。

硝子と将也が暮らす街は、水がとてもきれいな大垣市が舞台です。
呼びかけ合えば笑顔が返ってくるような、そんな澄んだ街になるといいですね。
全国に、そんな街をつくること、そんな文化を作ること。
そういうことが、この作品から視聴者の皆さんに伝わるといいなと思います。

ユニバーサルな文化を作る。私は、個人的には、憲法にうたわれている「基本的人権」の発露だと思っています。
{/netabare}

ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。
{/netabare}

もう一度、「私たちぬきで、私たちのことを決めないで」 

あまり耳にすることのないフレーズだと思います。でも、実は、国際社会ではよく使われています。 
硝子や将也がどういう時代に生きているか、ヒントになると思います。
少し長いですが、興味のある方は読んでみてください。

{netabare}
障害者権利条約

外務省Vol.109 「障害当事者の声が実を結ぶとき~障害者権利条約の締結」より抜粋しました。

●以下、「→ 〇〇は~」、硝子の支援者の解説です。参考になさってみてください。
(長文ですので、→のところだけを読んでくださってもけっこうです)


●1、2006年、「国連総会」で,「障害者の権利に関する条約」。
いわゆる「障害者権利条約。しょうがいしゃ けんり じょうやく」(略称)が採択されました。

→ 今から12年前、国際社会は、障害のある人には、権利があるってことを決めたよ。

●2、障害者権利条約は,障害者の人権や基本的自由の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進するため、障害者の権利を実現するための措置等を規定しており,障害者に関する初めての国際条約です。

→ 今まで、こういうことを決めたことはなかったんだよ。

●3、その内容は前文及び50条からなり、市民的・政治的権利,教育・保健・労働・雇用の権利、社会保障、余暇活動へのアクセスなど、様々な分野における障害者の権利実現のための取組を締約国に対して求めています。

→ 硝子が悲しい思いをしないように、国連は、日本の政府にもいろんな取り組みを進めるように求めることになったんだ。でも日本の政府はすぐには参加しなかったんだ。

●4、それから8年後の2014年、我が国は障害者権利条約を批准しました。
障害者権利条約では,障害に基づくあらゆる差別を禁止しています。

→ でもね、日本の政府は、硝子が絶対に差別されないようにするって。日本に住んでいる障害者を守るって決めたんだよ。

●5、ここで言う「差別」とは,障害者であることを理由とする直接的な差別だけでなく、例えば過度の負担ではないにもかかわらず、段差がある場所にスロープを設置しないなど、障害者の権利の確保のために必要で適当な調整等を行わないという「合理的配慮の否定」も含まれるということが、明確に示されています。

→ 差別は、硝子だけに起こるんじゃないよ。それに、硝子らしく生きることは、どんな人にも、その人らしく生きることができるってことになるんだよ。

●6、またこの条約は、障害者が他の人と平等に、住みたい場所に住み、受けたい教育を受け、地域社会におけるサービスを利用できるよう、障害者の自立した生活と地域社会への包容について定めています。

→ 硝子は、どこの町に住んでもいいし、どの学校にも行けるようにするよ。日本の国は、そういう国になっていくんだよ。

●7、さらに、条約の内容が実施されているかを監視する機関を国内に設置することが明記されています。

→ もし、嫌なことや辛いことが起きたら、相談のできる場所も作るから、黙っている必要はないんだよ。

●8、条約の起草に関する交渉は、政府のみで行うのが通例ですが、委員会では、障害者団体も同席し、発言する機会が設けられました。

→ この決まりごとは、障害のある人と一緒に作ってきたんだ。彼らは立派だった。発言もたくさんしたんだよ。

●9、それは、障害当事者の間で使われているスローガン「“Nothing About Us Without Us”(私たちのことを,私たち抜きに決めないで)」にも表れているとおり、障害者自身が主体的に関与しようとの意向を反映し、名実ともに障害者のための条約を起草しようとする、国際社会の総意でもありました。

→ 彼らは、障害があってもなくても、自分たちのことは自分たちで決めるってことをいちばん大切にして来たんだよ。

●10、日本からも延べ200名ほどの障害者団体の関係者が交渉の行われた国連本部(ニューヨーク)に足を運び、実際に委員会を傍聴しました。

→ ニューヨークってアメリカの大きな町で、障害のある人が200人も参加したんだよ。

●11、日本の政府代表団には、障害当事者が顧問として参加し、日本は積極的に交渉に関与しました。

→ 日本の政府の人も、障害のある人と一緒に行ったんだ。

●12、2013年、衆議院本会議、参議院本会議において、全会一致で障害者権利条約の締結が承認されました。

→ ここ日本では、5年前に、国会というところで、議員さんが全員賛成したんだよ。

●13、これを受けて2014年、国連代表部大使が、障害者権利条約の批准書を国連に寄託し、日本は140番目の締約国となりました。

→ 4年前に、国会で決めたことを、国連に伝えに行ったんだ。世界では140番目の国だったんだ。

●14、日本がこの条約を締結したことにより、障害者の権利の実現に向けた取組が一層強化されることが期待されています。

→ こうして4年前に準備が始まった。これから硝子たちが、学校で勉強しやすくなるし、友達ともたくさん、そして普通にお話ができるようになっていくよ。

●15、例えば、障害者の表現の自由や、教育、労働等の権利が促進されるとともに、新たに設置された「障害者政策委員会」にて、国内の障害者施策が条約の趣旨に沿っているかとの観点からモニタリングが進められることになります。

→ 硝子が学校で困っていないか、大人の人がきちんと見守ってくれるよ。そういう仕組みもできていくんだよ。

ここまでは外務省ホームページより抜粋しました。
{/netabare}


ここまで、読んでくださって本当にありがとうございます!!
ちょっと、かたぐるしくていけませんね。

さて、次行ってみよう!!

内閣府では、次のようにまとめています。ガンバ!!
{netabare}

障害者政策委員会第1小委員会(第3回)議事次第より抜粋しました。
(平成24年10月15日付)

●1、障害者の支援は障害者が直面するその時々の困難の解消だけに着目するのではなく、障害者の自立と社会参加の支援という観点に立って行われる必要があること、障害者の家族を始めとする関係者への支援も重要であること。

→ 硝子やお母さん、その友達もふくめて、今も、これからも、この町で支援が受けれられるようにするよ。

●2、外見からは分かりにくい障害が持つ特有の事情を考慮するとともに、状態が変動する障害は、症状が多様化しがちであり、一般に、障害の程度を適切に把握することが難しい点に留意する必要がある。

→ 硝子が難聴なのは、ちょっと分かりにくいからそこは自分でも伝えていこうね。みんなで気をつけるようにするよ。

●3、障害のある子供は、成人の障害者とは異なる支援を行う必要性があることに留意する必要がある。

→ 同じ難聴でも、子どものときの硝子と大人の硝子では、支援の仕方が違うんだよ。硝子、わかるかい?

●4、障害者施策の評価に当たっては、障害者が意思決定過程に参画することとし、障害者の視点を施策に反映させることが求められる。

→ 硝子もお母さんも、難聴のある人の支援のしかたについて、仕組み作りに参加しようよ。

●5、聴覚、言語機能、音声機能のため意思疎通を図ることに支障がある障害者に対して、手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員等の派遣、設置等による支援や点訳、代筆、代読、音声訳等による支援を行うとともに、手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員、点訳奉仕員、朗読奉仕員等の養成研修等の実施により人材の育成・確保を図り、コミュニケーション支援を充実させる。

→ 耳が聞こえなくても、いろんな人に助けてもらえるんだ。これからはそれを当たり前って言えるようにしていくんだよ。

ここまで、障害者政策委員会第1小委員会 議事録よりの抜粋でした。
(平成24年10月15日付)
{/netabare}

さて、硝子や将也の関わるのは、「教育」の分野です。ここが肝心です。
{netabare}

教育にかんしての基本的考え方(平成29年12月22日、内閣府)

●1、障害の有無によって分け隔てられることなく、国民が相互に人格と個性を尊重し合う共生社会の実現に向け、可能な限り共に教育を受けることのできる仕組みの整備を進めるとともに、障害に対する理解を深めるための取組を推進する。

→ 硝子の耳のことも、クラスのみんなと一緒に教室で学んでいこう。障害があってもいいんだ。それがどんなふうに困っているか、どうしたらもっとよくなるかをみんなが知ることも勉強なんだよ。

●2、インクルーシブ教育システムの推進。
「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みとされている。

→ 難しく考えることはないよ。これから学校は「インクルーシブ」っていうことばで一緒に勉強していくんだよ。

●3、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、基礎的環境の整備を進めつつ、個別の指導計画や個別の教育支援計画の活用を通じて、幼稚園、小・中学校、高等学校、特別支援学校等(以下、「全ての学校」という。)に在籍する障害のある幼児児童生徒が合理的配慮の提供を受けながら、適切な指導や必要な支援を受けられるようにする。

→ 硝子は、この学校でみんなと仲良く勉強できるように先生に意見を出して伝えてほしいし、先生もしっかり聞くよ。そうして先生が硝子の計画書を作るよ。硝子の意見や想いを受け止めて、勉強の指導も、障害の支援も、計画書に書くんだよ。

●4、こうしたことを通じて、障害のある幼児児童生徒に提供される配慮や学びの場の選択肢を増やし、障害の有無にかかわらず可能な限り共に教育を受けられるような条件整備を進めるとともに、個々の幼児児童生徒の教育的ニーズに最も的確に応える指導を受けることのできる、包容する仕組みの整備を推進する。

→ 硝子は、ノートを使ったり、手話を使ったりして、みんなとお話がしたいのだから、クラスのみんなにもきちんと説明するよ。どうするのがいいのか、その都度話をしようね。

●5、あわせて、「いじめの防止等のための基本的な方針」を踏まえ、障害のある児童生徒が関わるいじめの防止や早期発見等のための適切な措置を講じるとともに、障害の社会モデルを踏まえ、学校の教育活動全体を通じた障害に対する理解や交流及び共同学習の一層の推進を図り、偏見や差別を乗り越え、障害の有無等にかかわらず互いを尊重し合いながら協働する社会を目指す。

→ 将也はよくなかったけど、硝子のことをよくわからないことも理由だったよ。クラスのみんながどんなふうに接するといいのかを、目標や助け合いのやり方を先生は考えるし、取り組んでいくよ。

●6、障害のある児童生徒の就学先決定に当たっては、本人・保護者に対する十分な情報提供の下、本人・保護者の意見を最大限尊重しつつ、本人・保護者と市町村教育委員会、学校等が、教育的ニーズと必要な支援について合意形成を行うことを原則とするとともに、発達の程度や適応の状況等に応じて、柔軟に「学びの場」を変更できることについて、引き続き、関係者への周知を行う。

→ 硝子がこの学校に来たい気持ちは大事にするよ。お母さんも一緒にみんなで話し合いの場を作るよ。いやで我慢ができないときは、いつでもお話しできる人がいるから安心してね。

●7、校長のリーダーシップの下、特別支援教育コーディネーターを中心とした校内支援体制を構築するとともに、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、看護師、言語聴覚士、作業療法士、理学療法士等の専門家及び特別支援教育支援員の活用を図ることで、学校が組織として、障害のある児童生徒の多様なニーズに応じた支援を提供できるよう促す。

→ 校長先生が一番先頭に立って、硝子を守るよ。それは学校の先生の仕事なんだよ。一緒に学校でできることを探そうね。

●8、各学校における障害のある幼児児童生徒に対する合理的配慮の提供に当たっては、情報保障やコミュニケーションの方法について配慮するとともに、幼児児童生徒一人一人の障害の状態や教育的ニーズ等に応じて設置者・学校と本人・保護者間で可能な限り合意形成を図った上で決定し、提供されることが望ましいことを引き続き周知する。

→ 硝子は、どんなことを質問してもいいし、先生も一生懸命に答えを見つけるからね。そのときお母さんが一緒でもいいんだよ。それはとても大事なことなんだよ。

●9、特別支援学校、特別支援学級、通級による指導を担当する教員については、特別支援教育に関する専門性が特に求められることに鑑み、特別支援学校教諭等免許状保有率の向上の推進を含め、専門性向上のための施策を進める。

→ 硝子は、心配なことは先生に話してくれるといいな。先生ももっと難聴のことは勉強させてほしいんだ。そういう役割を持ちたいんだよ。 

ここまでは、内閣府 障害者政策委員会 議事次第より抜粋しました。
(平成29年12月22日付)
{/netabare}

ここまで、目を通していただきまして感謝しています。
お疲れさまでした。


聲の形。

聲は、三つの形があると思います。三つのコミュニケーション方法です。
{netabare}

一つは、バーバル。言語的コミュニケーション。
日本語、英語など。話や文字など「言葉を使った」コミュニケーションです。朗読や落語、カラオケもそうです。ターザンの雄たけびもそうかも・・。ん?違うか。

二つめは、ノンバーバル。非言語的コミュニケーション。
顔の表情、身振り手振り、声のトーンなどの「言葉以外での」 コミュニケーションです。赤ちゃんの「ばぶばぶ、んまんま」もそうです。これは喃語(なんご)と言います。
パントマイムは立派な芸術でもありますね。
手旗信号なども立派なコミュニケーションの方法ですね。

三つめは、スキンシップです。
肩に触れる。手をつなぐ。固く抱き合う。ハイタッチする。グータッチもそう。髪をなでる。キスもそうですね。

どれもコミュニケーションです。

このように文字を使って概念化すると、硝子の聲も「普通」にコミュニケーションの一つなんだとわかります。
それが分かるように教えられない学校教育ってなんだ?と思います。

国語も算数も、英語も。みんなコミュニケーションのための媒体の一つに過ぎないです。
音楽も、絵画も、鬼ごっこも、やっぱり同じ媒体じゃないのですか?

学校の教育論について、どうのこうのいうつもりはありませんが、国語算数、理科社会。それらは媒体でしょう。
そういう媒体(教科)を通じて、理解力や咀嚼力、考察力や洞察力、想像力や創造力、そして協調性や向上心。
そういったものを身に付けることの方が大事なことじゃないかなって思うのです。

教育って、人間を深く理解するためにあるんじゃないんですか?
それって、人間を幸せにするためにあるものなんじゃないんですか?

もちろん友達の顔に「✖」を貼ったのは将也自身の心のありようです。
彼自身がレッテルを張っているのです。ですからそのレッテルを剥がすのは将也の手で剥がすしかありません。
でも、その原因が、小6のときの間違えてしまったコミュニケーションにあったのだとしたら、それはその時に戻ってやり直すか、あるいは、今生きている世界でもう一度取り組むか、先送りして苦しみ続けるか、死ぬまで持ち越していくかだと思います。
四者択一です。

硝子と将也は、友達の顔をまっすぐに見て、喜怒哀楽を感じながら、思いに寄り添ったり、時にはぶつけ合ったり、そういうことをいっぱい感じられるような生き方を選びました。
素敵だなって思います。

生きるって楽しい。そう思えるときはそのように。
辛いときは辛いと言えるコミュニケーションがあるし。
伝えたいことがあるときは、勇気を武器にしてコミュニケーシできるし。

硝子の笑顔って、ほんとうはとてつもなく素晴らしいコミュニケーションのひとつだったって。

そこに硝子がいてくれたから気がつくことができました。
そこに将也がいてくれたから、私に分からせてくれました。

聲の形は、いくつもあるんだってことを分からせてくれました。

{/netabare}

このアニメの懐の深さは、人が人として最も大事にしなきゃいけないところを、硝子と将也に演じさせたところだと思います。

2人だから、ここまで魅せてくれた。
すばらしい作品だと思います。

あにこれの先輩レビュアーに進められてコミックスも読んでみました。期待を超える表現に圧倒されました。先輩レビュアーに感謝です。
私からも、未読の方にはお勧めします。


★2018.4.8、追記しました。
{netabare}
聴覚障害の理解のために少し述べておきたいと思い追記しました。

①自然科学(医学、治療、リハビリ)
②社会科学(教育、共生、共同)
③人文科学(本作品など)の3領域でみておきたいと思います。

②社会科学の側面では、前述のレビューのとおりです。

①自然科学から聴覚障害をみてみます。
{netabare}
先天性と後天性。

先天性は、生まれたときから脳、聴覚神経系、三半規管、内耳、中耳など、「聴きとる力」に障害がある状態です。

今は、国、地方自治体、医療機関が連携して、早期発見、早期治療、早期療育に動いています。(平成21年より)
赤ちゃんが生まれると、新生児聴覚検査をします。時期は生後2日目~産婦人科退院前です。
次に、退院後、1か月健診をし、聴覚に障害の兆候がある場合は、生後3~4か月までに診断の確定が行われます。
難聴が認められると《 生後6か月までに療育を開始する 》ことになっています。

これから、お父さん、お母さんになられる予定の方にお願いがあります。
万が一、お子さんに硝子のように聴覚に障害があることが分かったとき、「わが子に限って!?」とフリーズするのではなく、現実を受け止め、いち早く打ちのめされて、そして少しでも早く立ち直って、6か月を待たずに療育を開始する判断をしていただきたいのです。子どものためのベストの選択をチョイスし、一歩を踏み出してほしいのです。
硝子を思い出していただきたいのです。

平成20年度までは「1歳半健診」が脳の発達、心身の成長の具合を確かめていたのですが、それでは間に合わない実態があったので、その反省を踏まえて今は「6か月」という段階で判断するようになっているのです。

聞こえないことのハンディは、日本語の発声ができないことにつながります。発声というのは自然に身につくのではなく、たゆまぬ反復訓練があってこそ身につけることができます。
否、聞こえないからこそ、専門家による適切な療育が必要です。我流やほったらかしは厳に慎んでほしいのです。

硝子も、口話法(聴覚口話法とも言います)を学んでいたと思います。
これは、聴覚障害児に、健常者の口の形と補聴器や人工内耳から聞こえる音をたよりに発音の技術を覚え、音声による会話ができるように指導する方法です。
硝子が「好き」を「つき」と発声することができたのも、このトレーニングを受けていたからだと思います。

将也に伝えたい感情を「ツキ=好き」という言語と発声に置き換えることができる力を硝子は獲得していました。これは表現方法に選択肢が増えたということ。硝子の頑張りの賜物(たまもの)です。

「気になる感情」を「好き」という言語に置き換える力。
それは言語の持つ意味とか概念とかを理解し、使い分け、表現する力。
「好き」という言葉を「すき」という発音に置き換える力。
それは発声法の訓練に立ち向かう力と、発声する技術を獲得する力。
「ツキ」と聴き取られてしまったあとに、「好き」を手話に変換する力。
あるいはノートに「好き」と書く力。
ここまでは、学習によってある程度は獲得できます。
これが療育・教育の効果なのです。もちろん、本人の努力や周りのサポートもあったからでしょう。

ですが、私は、硝子が、「好き」だと自分の言葉で伝えたくなる気持ちに、恋するすばらしい力があると深く思いを致すのです。(*3、後述)

恋する力は、聴覚に障害があってもなくても、何一つ私達と変わるところはありません。


次に、後天性。
後天性は、おおよそ3歳以降、病気などで少しづつ聴覚を失っていく。あるいは、交通事故、スポーツ障害、不慮の転倒、レクリエーション中の事故などで、突然、聴覚を失うこともあります。
そしてそれは、「大人でも同じ」なのです。

この場合、少しでも聞こえが悪いと感じたら、すぐに小児科や耳鼻科(あるいは、救急外来、脳外科、脳神経外科など)を受診して、しっかりした診断を受けて、医師の指導の下で適切な治療を受けていただきたいと思います。

後手に回らないことです。一刻も早く、何をおいてもです。

内服、または言語療法などのリハビリテーションを早期に開始することで、回復の効果についての「評価」を早めに得ることです。

大事なことは「時間」です。いつだって時間が問題になるのです。
データによると、発症後、2週間をすぎると、完全に失聴する場合があるようです。
{/netabare}


③人文科学から。
{netabare}
近頃は、障害とか難病とかをテーマにした恋バナが多くなってきていますね。

ここでは、アニメ「図書館戦争」をご紹介します。
パッケージ版の作品のなかに「恋ノ障害」という作品があります。
残念なことに、TV未放送、レンタル版未収録の作品です。

この「恋ノ障害」に、難聴の女性、中澤毬江(なかざわ まりえ)が登場します。硝子は先天性でしたが、鞠江は後天性難聴です。

それから「恋ノ障害」の演出に使われていたのですが、「レインツリーの国」という書籍があります。この作品には、ひとみという中途失聴の女性が主人公で登場します。(新潮文庫、平成21年7月1日初版、有川浩(ありかわひろ)著)。

*3)この2作品にも、恋することの素晴らしさ、恋の持つ力が十二分に表現されています。
もしよければ、ご覧になってみてください。

後天性失聴(聾・ろう)の鞠江やひとみとは違って、先天性失聴(聾啞・ろうあ)である硝子が、「音声」に拘り、憧れ、絶望した心情に思いいたすとき、本作の「並びないテーマ性の気高さと、多様性への寛容・受容を示したメッセージの尊さ」に心が震えて仕方ないのです。
{/netabare}

{/netabare}
長文を最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品が皆さまに愛されますように。

投稿 : 2018/11/05
閲覧 : 673
サンキュー:

67

ネタバレ

ももも さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

いじめが主題ではない。青春の苦悩を描いた作品

聴覚障害者へのいじめをテーマにした作品と聞いていたので、「嫌な気分になる作品なんだろうなぁ」と思って見るのを躊躇していました。

実際見ていてちょっとむず痒いといいますか、それに近いような感覚で見るのがきついシーンもあったのですが、それをひっくり返すほどの視聴後感がある良作だと思います。

{netabare}
いじめの過去は物語の軸になりますが、起承転結の「起」に過ぎません。
いじめの主犯(?)とされた少年、石田将也が一転していじめられる側になり、小学校時代のそのシーンはおそらくあえてでしょう、かなりテンポよく進んでいきます。
その後高校生になり、いじめは過ぎ去ったものの(当然の報いとして)人間不信に苦悩する少年が泥の底で藻掻く様が、この作品のメインストーリーとなります。

障害者でありヒロインの硝子はどこまでも「良い子」であり、むしろいじめグループ側の人間を掘り下げることで物語は深度を増していきます。

将也が一歩前に進んだところで「青春の苦悩」に一筋の光が見え、映画もまた終りを迎えます。
主題としてそれはわかるのですが、単純にストーリーとして、焼きそば売ってたあいつはどうなるんだよ、みたいな枝葉部分が気になってしまいましたw
{/netabare}

投稿 : 2018/10/14
閲覧 : 365
サンキュー:

11

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 3.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

アニメ・マンガの宿命ながらこの作品の場合、登場人物の美男美女ぶりが気になった

聾唖者の少女と彼女をイジメて転校に追い込み心を病んだ少年をはじめとした周りの人物の物語。

聾唖者の少女へのイジメは生々しく凄く心が痛かったです。
イジメを肯定する気は毛頭ありませんが彼女が来たことでクラスに波風が吹いたのも事実でした。
事件が発覚して、彼女が転校してイジメの中心人物の子は逆にイジメに遭い心を病んだ(これも現実的ではないと思います、イジメの加害者が心を病んだり逆にイジメに遭うとは思いにくいです)

高校生になり少し精神年齢が成長し大人になった彼らは再会し、物語をつむぎますが、
現実はこんな良い展開になるとは思えないです。イジメ被害に遭った子は正直、過去に自分をイジメた人たちと顔も遭わせたくないであろうが現実でしょう。

またアニメ・マンガの宿命ながら、聾唖の少女をはじめ登場人物の少年少女が一人を除いては美男美女ばかりなのは、リアルな部分も多いドラマと現実と乖離しすぎて気になりました。

声優さんたちの聾唖の少女を演じた早見さんをはじめ演技は凄かったです。
調べてみると早見さんは実際に聾唖の人たちと会話して演技の手法を掴んだとか。
心を病んだ少年は入野さん、何でもできる悠木碧さんはオレっ子など、
ここは文句なしです。

あと、音楽はあまりくるものはなかったですね。
話題作になったのは理解できますが、イジメや障碍者差別問題が美化されすぎで世間で評価されているほど、良い評価は出来なかったです。

というか、普通の痛快なアニメ作品で「美少女」など良い子、可愛い子が出てくると素直に嬉しいし好感が持てるのですが、
この社会問題を取り扱った作品の場合はとてもそんな気になれないという感想です。

投稿 : 2018/10/14
閲覧 : 343

ミルホ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

タイトルなし

胸糞なら耐えられない人は無理かもしれないが、それを乗り越えた筆者の主張がよく伝わってくるのが良い。

投稿 : 2018/10/01
閲覧 : 215
サンキュー:

4

8bit さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

1枚の絵でも通用する画が繊細に動く

聴覚障害者に対するいじめをテーマにした作品。

作画に関してはさすが京アニとしか言えないレベルですね。
リアルに近い動きを繊細に表現しています。
撮影効果を多用しすぎな感はあり人によっては「くどい」と感じるかもしれません。
特徴的とも言える撮影で私は好きですけど。

主人公の男の子を含むキャラクター達が「なんか気付かないうちに友達になってるんだけど…」という点は気になりました。
劇場版に収めるためにこうなったのでしょうか?(原作未読なので分かりません)
感情的に動くには少し掘り下げが足らない印象です。


繊細に描かれた様々な描写が心を打つ作品。
"圧巻の画作り"は観て損なし。

投稿 : 2018/09/30
閲覧 : 301
サンキュー:

15

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1
物語 : 3.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 2.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ビックリした

所詮、流行りものだろと思って観てみたが素晴らしかった。
まず、なんといっても早見沙織さんの演技が素晴らしかった。
また、京アニだけあって作画も素晴らしかった。
満点は、付いてないがストーリーとキャラももちろん良かった。
ただ、キャラの行動原理が少し分かりにくかった。
主題歌は良かったが、BGMが悪目立ちしている箇所があったため残念だった。
とにかく考えさせられる作品だった。
劇場まで観に行けばよかった...

投稿 : 2018/09/30
閲覧 : 269

ザカマン さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

京アニっぽさ

障害者イジメのシーンは、不愉快

他は少し感動あり

投稿 : 2018/09/22
閲覧 : 257
サンキュー:

5

アオイ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

いじめ問題を取り上げたアニメだが

いじめ問題を取り上げたアニメだが、
さすが京アニというべきかキャラも良いし、普通に楽しめた。
是非中学生くらいから見せてあげて欲しい。
いじめ興味なくても楽しめるので見たほうが良い。

投稿 : 2018/09/20
閲覧 : 256
サンキュー:

6

Dkn さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

誰かが感動にむせび泣く涙は冷や汗になって流れ落ちる

聲の形を観るにあたって視点をどこに持っていき多数派が経験しない境遇を掴むかが難しいと思われるのですが、
自身に置き換えるとそれは“コンプレックス”。生きていれば誰にだって“当たり前”にあるものだと思います。
身体的特徴・肉親との関係・性への恐怖心・嗜好・学歴・人種・生まれ・性別、イジメや差別の行く末も然りです。

肉親や他人が“毎日自分のコンプレックスについて熱く口論している”そんな世界を想像してください。
目立つアナタは学校や会社、道行く人々から向けられる奇異の目、励ましや憐憫の言葉に晒されるでしょう。

「西宮は優しいからああしているわけでも、強いから、弱いから、といったわけでもないんです。
彼女は、彼女なりにたくさん考えた結果、ああするしかない、というだけなんだと思います。」

作者がインタビューでこう答えたそうです。これが彼女の当たり前だったのでしょうか。

実際にいろんなハンディキャップを抱える人達や高齢者を介助する人達がいる現場において人間を起こす方法や、
車いすの押し方、様々な器具の用途や正しい使い方など、最低限の知識を身につけるより最優先事項があります。
介護・介助において、まず彼らが学ぶことは相手を「お客様」では無く「利用者」と呼び、客として扱わない事。
他人に体を預ける利用者を不安にさせず寄り添いながら安心感を与えてコミュニケーションを取らなければならず、
マニュアル通りではなく個人個人に対し状況や状態を鑑みて、人としての尊厳を蔑ろにするような態度や行動を
取らないことが大前提であり小児科医や助産婦など、職業柄心構えを身につける方々も同じ雰囲気があります。

当たり前だと思うかもしれませんが、その当たり前が世間に浸透していないのは本作に対して議論が行われたり
特筆すべき事項だと取り上げ、感動できる作品と持ち上げられる現状を考えれば一目瞭然ではないかと思います。


難しい題材に焦点を当て一流の演出と人の心を揺さぶる手法を用いた映像作品は洗練され美しく彩られました。

“本作自体がコンプレックスになる”映画として。

気弱な少年がスパイダーマンに憧れるように、盲目の侠客がバッサバッサと悪を斬る姿を格好いいと思うような、
当事者側の人間が顔を曇らせず笑顔になれる映画ではなく、関係のない人間が感銘と感動を得る為の映画は、
原作を読んでいた時の感覚より数枚フィルターがかかり、メッセージ性や丁寧な音と画で美しく完成しました。
映画として完成度が高く年間で最高評価に近いことも納得です。多くの人が素晴らしいと感じたでしょう。
当事者たちの気持ちを置き去りにして。

聲の形を特筆すべき作品だと受け取られるのが今の現状で世間の認識なのでしょうが、映画の話でなく常識として、
“当たり前”に生きてる人に対し涙を流したり感動することが無いのと同じく、この気持ちは人を傷つけます。
本作は仕方有りません、メッセージ性と感銘を受けるよう作ってあるのだからそれは嘘でも非常識でもない。


他人の感動に水を差したくはないが綺麗な世界に冷や汗しか出なかった。机上の空論を言っても仕方ないけれど、
叶うならいつか本作に感動も感銘も無く、当たり前に捉えられるそんな世の中になればいいと願っています。

投稿 : 2018/09/18
閲覧 : 1005
サンキュー:

50

Worker さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

目からナイアガラの滝

あまりアニメを比べたくないのだが、「君の名は。」がアニメ映画の至高みたいな風潮が嫌なので書く。こっちの方が良い。
「良い」というのは、単に面白いとか泣けるとかじゃなくて、作品としての価値が高いということ。
勿論面白いし泣けるのだけど、他は例えば、設定が作り込まれている。一見不要に思える要素も、実は必要だったりする。
なぜ「君の名は。」の方が売れたかのかというと、時期と分かり易さが味方したからだ。時期は勿論だが、「君の名は。」には誰にでも理解出来るという分かり易さがあった。
それに比べ、「聲の形」は原作のカットというか描写が少なく、普段アニメや映画を見ていない人には理解しにくい部分が多い。これが評価を下げてしまった。
因みに、「理解しにくい」というのは、話のことではない。どちらかと言えばキャラのことだ。「何故このキャラがいるの?」とか。
後は、一人か二人、鬱陶しいキャラがいることかもしれない。だが、それもこの作品には必要な要素だ。
分かりにくいかもしれないが、どうか見てほしい。

投稿 : 2018/09/17
閲覧 : 238
サンキュー:

12

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

まあ悪くないんけど…

小学生の頃のいじめの加害者の主人公と被害者のヒロインが高校生になって徐々に仲良くなっていく話。
現実的で同時期に公開された君の名はより好きな人は結構いると思います。
ただ、主人公を含めキャラクターがほぼほぼクズだったり大金を燃やしてしまうのは、主人公になった気分でアニメを観る僕からすると、2時間観るのが精一杯で1クールとかは観られないかな?

投稿 : 2018/09/16
閲覧 : 222

〇ojima さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

この作品を劇場版として世に出した京アニに敬意を。

原作未読ですが
アニメ作品を観て非常に重い内容を取り上げて映像化されたと思いました。
キャラクター達使ってを笑って誤魔化すのではなく、コマ飛ばしにするのではなく、キツイところ、醜いところ、我慢できないところ、あきらめるところ、そういう場面こそ時間を割いて映像化をしております。
救いは京アニさんの映像が綺麗なところで若干、物語への美化がされているのではないでしょうか。
私自身、振返ると(登校拒否まではない状態ないですが)どちらかと言えば、私はいじめる方の取りまきでした。
リーダーはいましたし従っていた気がしますよね。
仲良くしなさいと言われても、何をどうすればいいのかは小学生3.4年には判らない話でした。
当時、対象の女の子は「いじめ」のピークを過ぎて一緒に卒業しましたけど中学校は別でしたのでその先は判りません。
「いじめ」の思いはどちら側にいても良い思い出はありませんが、今後も大なり小なりあるのではないでしょうか。
あるのだけれど、無いほうが良い。0%にはならないけど、0%に近づけなくてはいけない。そこが大事だと思います。

表題の件ですが、内容を知ってからだと、この作品は売れるわけが無いと私は思いました。題材が「いじめ」だからです。
敢えてこの作品を劇場に出された京都アニメーションには敬意を表します。

視聴すると再認識として「いじめ」のどちらの立場からもつらい思い出になりますが、作品の美しさを含み後世の青少年の目に映せるべき作品だと確信しております。
「いじめ」という行為が0%に近づくように思う限りです。

投稿 : 2018/09/15
閲覧 : 696
サンキュー:

63

新参者の古参 さんの感想・評価

★★☆☆☆ 1.1
物語 : 1.0 作画 : 1.5 声優 : 1.0 音楽 : 1.0 キャラ : 1.0 状態:途中で断念した

タイトルなし

正直ちょっと見てられないくらい酷いです
途中で切りました

まず前半の声優が酷いのが多い
プロじゃなくて子役か何かを使っているのでしょう

ストーリーもイジメてた子が何故か主人公のことが好きだったりと意味不明

結局恋愛もの、感動ポルノでした

よく比べられている君の名ですが観客動員数などは1ヶ月も公開日に違いがあるのに物凄い差がついています

それがこの映画の現実の評価じゃないかと

投稿 : 2018/09/15
閲覧 : 176
サンキュー:

3

うるかり さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

タイトルなし

原作読了後鑑賞。
だいぶ前に読んだので詳しいところは覚えてないけど、映画割とまとまってるかな。
元親友君のあたりは若干無理やり感があった感じもするんだけど原作ともそんなに変わりないので仕方ない。

嫌な人たちの描写は割とマイルドになっている気がするので、それに対して嫌さを感じる人はいるのかなー。私ももやもやしなくはない。
先生とか委員長ちゃんはもっともっともっとアレだった気がする。
いじめ関係の描写については原作そもそもつっこみきれないところだと思うので置いておく。

投稿 : 2018/09/14
閲覧 : 218
サンキュー:

6

桶狭間スイッチ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.0 作画 : 3.5 声優 : 4.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

厨二映画かな

総じて加害者側目線で描かれている。
いじめに加担した者が簡単に許され、被害者はとっとと自殺して逃げる存在という、短絡的な心情と人間関係。

そんな都合のいい聴覚障害を持った、天使のような慈愛で包む超絶美少女JK西宮さん。
ふつーは主人公がイジメの因果応報を受けようが、謝礼金遺して死のうが、恋して人付き合いに光明が差し、人として成長しようが
どぉーーでもいい事です。
まぁなぜか泣いたけど笑

現実でこんな達観した高校生はまず存在しないって事は置いといて、演出が腹立たしかった。
ボカしとか、ピンアウトとか、
綺麗な小川の河川敷に咲く桜がキラッキラで、「どや?綺麗やろ?青春やろ?」
っていう製作陣の声が、作画からヒシヒシ伝わってきてウザかった。
まぁなぜか泣いたけど笑

投稿 : 2018/09/12
閲覧 : 287
サンキュー:

8

タマランチ会長 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

心をえぐられる

 いじめは、被害者、加害者、そして傍観者の3者の立場があるといわれていますが、この作品はどの立場の人間の心情も描けていますから、よほど鈍感な人じゃない限り誰かには共感するだろうし、トラウマをえぐられます。とくに、いじめる側だった主人公が、自分のいじめが原因で逆にいじめられる立ち場になり、自殺を企てるくらいの精神状態になりますから、共感できる人は多いのではないでしょうか。
 私はいじめを散々受けていた立場でしたが、この映画を見て思い出したのは、自分が傍観者の立場で見ていた、酷いいじめを受けていた女の子のことでした。35年ぶりの同級会に、その子の姿はありませんでした。ものすごく気になったし、取り返しのつかない、悪いことをしたと鬱々とした気分になりました。
 夏休み明け直前、NHKがこの映画を教育テレビで全国放送しました。NHKニュースでは8~9月の小中学生の自殺について連日放送していました。この映画の破壊力はハンパないです。文科省が推薦するのも当然でしょう。

 EDのaikoの主題歌。メロデイーが切ない。速攻で覚えてカラオケに行きました。その後、しばらくこの曲が頭の中で回って、そのたびに子供のころの嫌な思い出がよみがえり、すっかり鬱になりましたよホント。もう一度観たい気もするけど、今はできません。もう少し時間が必要なようです。

 この映画が公開されたのは16年。「君の名は。」「この世界の片隅に」と同じ時期です。この年はアニメ史に残る名作が同時に生まれた稀に見る当たり年だったのですね。「ナウシカ」「マクロス」「ビューティフルドリーマー」の84年以来の当たり年として記憶しておきたいと思います。

投稿 : 2018/09/09
閲覧 : 269
サンキュー:

17

らて さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6
物語 : 3.5 作画 : 3.0 声優 : 2.5 音楽 : 3.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

難しい課題、考えさせられる物語です

このアニメは「差別」「いじめ」というものにスポットライトを当て、「障害者」「被害者」「加害者」「傍観者」「肉親」「関係者」沢山の立ち位置で揺れ動く心、感情、想いを見事に表現しているアニメだと思いました。

ただ、残念なことにヒロインに当たる子は美少女です。
全ての障害者は美人でも美男でもありません。
小生もその一人です。
だから余計にやるせない部分があります。
それは嫌悪感に近いです。
そういう意味では、小生の所感はある意味特殊なものなのかなとは思います。

投稿 : 2018/09/06
閲覧 : 207
サンキュー:

9

ネタバレ

mamiko さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

人間らしさが描かれている

 物語としてはシリアスな展開が多めでしたが効果音と明るい音楽で緩和させてましたね。誰にも暗い過去があってどうやって乗り切るか?前に進むか色々と考えさせられるアニメでもありました。

投稿 : 2018/09/05
閲覧 : 177
サンキュー:

9

ネタバレ

雀犬 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

心を開いて

2016年上映、少年マガジンで連載されていた漫画「聲の形」の劇場アニメ化作品です。
制作はお馴染み京都アニメーション。

聴覚障碍の少女、西宮硝子と小学校時代に彼女をいじめていた少年、石田将也が5年ぶりに再会し、
ぎこちなくも交流していく中で自分の罪や弱さと向き合って行く姿を描く青春ドラマ。
全7巻の内容を2時間の映画に収めているためいくつかのエピソードは削られており、
特に人間関係修復の鍵となる後半の「映画作り」の話を全面カットしているため、
アニメでは存在意義がよく分からないキャラクターもいますが
テーマはしっかりと押さえてあり、非常に濃密で、心に深く響く作品になっています。
声優さんの演技も素晴らしかったですね。

以下は視聴済みの方向け、ネタバレ全開の感想です。

●伝えること
{netabare}
西宮硝子は「言わざる者」です。

先天性聴覚障害の硝子はクラスに溶け込み友達を作ろうと努力するが失敗し、
煙たがられる存在となり、やがていじめを受けるようになります。
その結果、転校し特別支援学校に通うようになるのですがここでの学校生活も
実はそれ程楽しくなかったのではないかと思われます。
同じ難聴の子の友達は原作でも映画でも一切出てきません。

彼女は鯉に餌をやる。川にパンくずを落とすと、鯉が集まってくる。
この行為は人と繋がりたいという思い、そして寂しさを投影しています。
特別な学校に通うことで彼女は守られているともいえるし、
別の見方をすれば隔離されているともいえます。
おそらく彼女の本当の願いは難聴を治し、健聴者と一緒に普通の学園生活を送ることなのでしょう。

そんな彼女も元に、かつていじめの中心人物だった将也が訪れ、
かつて硝子が使い、そして自身で捨てた筆談ノートを手渡す。
ノートにはこう書いてある。
「わたしは皆さんとこのノートを通じて仲良くなりたいと思っています」と。
突然の将也の訪問という出来事は、全てを諦めてかけていた彼女の心に火を灯すことになる。
かくして将也の再起と硝子の再挑戦が始まるのですが、
被害者が簡単に加害者を許してしまい、
それどころか恋に落ちるというのはいかにもご都合主義であり
障碍者を感動の道具にしているという批判も時折見かけます。
しかし彼女は聴覚障碍者である以前に、17歳の年頃の女の子です。
友達とお喋りしたり、 帰りに寄り道したり、オシャレをしたり、そして恋をしたり…
そんな女子高生としての当たり前の生活に彼女は憧れていたのだと思います。
手話を覚えて自分に会いに来る同い年の男の子に恋愛感情を抱いてしまうのは、
果たして間違った行為なのでしょうか。
僕は、批判している人の方が障碍者を色眼鏡で見てしまっているように感じます。

さて、彼女は将也を通じて小学校時代の面々と再会するのですが再び大きな挫折を味わいます。
さらに医師からと難聴が治る見込みがないことを告げられ(右の補聴器を外す理由です)、
優しかった祖母が亡くなる・・・と不幸な出来事が重なり、絶望した西宮は自殺未遂を起こします。

「聲の形」は硝子に厳しい現実を突きつける。
鯉はエサをあげれば集まってくれるますが、人間はそんなに単純ではありません。
高校生ともなれば、義務感だけで彼女に付き合ってはくれない。
硝子は引っ込み思案で、すぐ愛想笑いに逃げるところがあります。それが彼女の短所です。
誰とでも仲良くなりたいのであれば、その短所を克服しなければいけない。
障碍者だという「言い訳」を許さず、一人の人間として成長させるのが本作の大きな特徴だと思います。

西宮硝子に、本当の気持ちを伝える勇気を。
{/netabare}

●見ること
{netabare}
石田将也は「見ざる者」です。

そのことは、クラスメイトや小学校の同級生の顔に「バッテン」が貼られるという形で示されます。
硝子に代わって小中学校といじめのターゲットにされた彼は、
対人恐怖から人とまともに顔を合わせる事ができない。
贖罪のためバイトでお金を貯め、過去を清算した上で自ら命を立とうとする状況でこの話はスタートします。
母親の必死の説得もあり自殺は思い留まったものの、目標を失い、空っぽになってしまった将也。
すがるような気持ちで硝子の元を何度も訪れるが、
加害者がのこのこと会いに来ていいのだろうかと自問自答を繰り返します。

一方、硝子はすんなりと彼を受け入れ、
初めは将也を敵視していた妹の弓弦(ゆずる)も信頼を寄せるようになる。

しかし、当然のとこながら自殺する寸前まで追い込まれた人間がそうそう簡単に立ち直れるはずもなく、
いまだ罪悪感を拭えず、後悔と自己嫌悪に足を縛られている将也と
可憐な見かけによらず感情の揺れが大きく一度走り出したら止まらない性格の硝子は
皮肉な事に親しくなる程にすれ違ってしまう。

それは「好き」という硝子の告白を「月」と聞き間違えて僕たちを苦笑いさせる場面で
分かりやすく表現されているのだけれども、
この時猫カフェでもらったポーチのお礼に渡すプレゼントにも同様の意味があります。
将也は西宮からのプレゼントを何に使うものなのかよく分からないまま受け取ります。
この謎アイテムは最後にプランターの飾り、フラワーピックと呼ばれる物だったことが分かるのですが
男の子にプレゼントするなら説明が必要だし、将也もよく分からないなら尋ねるべきだった。
つまりこのフラワーピックは二人の心の距離を測るモノサシであり
ディスコミュニケーションの象徴なのです。
その後も二人の関係は一向に進展せず、旧友とよりを戻す機会が訪れますが自ら潰してしまいます。

将也の欠点はネガティブな思考でしょう。物事を悪い方へ悪い方へ考えてしまう。
そんな将也を好きになる視聴者は少ないかと思いますが、彼には長所があると思います。
それは素直さと直向きさ。バイトで170万もの弁償代を貯めるなんて、なかなかできることではありません。
彼の直向きさは、最初から備わっていたものではなく自分自身の罪と向き合った結果手にしたものです。
将也に必要なのは今の自分自身を信じることなのだと思います。
彼をどうしても許せないという人もいるのだけど、
話をいじめに限定しなければ誰しもが加害者の立場になる可能性はありますし、
ある程度客観的に彼を見ることでこの作品から得られるのがあるのではないかな。

石田将也に、真実の世界を見る自信を。
{/netabare}

●聞くこと
{netabare}
植野直花は「聞かざる者」です。

間違いなく本作のキーパーソンでしょう。
彼女は人間関係を一変させる触媒として働き、物語を大きく推進させる力を持ちます。
聲の形は彼女の存在によって作品が数段面白くなっているし、また深みのあるものになっていると思います。

植野は思っていることを遠慮なくズケズケ言ってしまう、
アニメではあまり見かけないけど現実にはよくいるタイプの人間ですね。
もちろん彼女は口が悪いだけではない。偽りのない言葉は鋭利でとても強い力を持っている。

この映画で一番の見所はどこかと聞かれると、僕は西宮と二人で観覧車に乗って話すシーケンスだと答えます。
印象的でかつ、作者の鬼才ぶりが一番感じられる場面だと思うのです。
「あんたのせいで私たちの関係が壊れた」と硝子を逆恨みする植野ですが、
実は彼女は硝子を障碍者というフィルターをかけず一人の女性として見ている唯一の人物なのです。
だからこそ、硝子の「人間的欠点」を指摘できる。
別に植野は彼女のために良かれと思って言っているわけではなく、
むしろ悪意を込めてマウントポジションで一方的に言い放っているだけにすぎません。
二人の間で会話は成立していないし、この一言で硝子は深く傷ついたでしょう。
しかし、硝子が植野と再会しなければ自分自身の短所と向き合うこともなく、
内気で友達を作れないままだったというのもまた事実。

一方、植野は将也と島田との仲を修復させようと取り計らいますが、こちらは善意の行為にも拘らず失敗します。
植野の行動は将也の嫌な記憶を呼び起こし不快にさせると同時に、
西宮と友達になろうとした自分の行動とダブり、彼にブーメランとなって跳ね返ってくる。
「西宮も同じように自分を鬱陶しく感じているのではないか」と将也はますます自己嫌悪に陥ります。
容赦のない言葉がプラスに働くこともあれば、良かれと思った事がマイナスに働くこともある。
これが人間関係の面白さであり、難しさなのだと思います。

さて、植野は原作とアニメ版で設定も性格も微妙に異なるキャラであり、これでもアニメ版で丸くなっています。
原作はアニメよりも恋愛要素が強く、植野は「負けヒロイン」という位置づけでしたが
アニメ版の植野は将也への恋愛感情を抱いている描写はなく、
将也と硝子にとって「乗り越えなくてはいけない壁」として描かれています。
それは才色兼備でリーダーシップもある植野が、スクールカーストの最上位にいるからなんですね。
逆に永束が良き友人として将也のために動いても事態を変える力がないのはスクールカーストの底辺にいるからで、
つくづくこの作品は残酷だなと思います…
実際、硝子が一人ずつ会って会話するときも最後は植野だし、将也から見える「バッテン」が最後に外れるのも植野。
つまり平たく言うとこの映画で植野は"ラスボス"なのです。

そのラスボス攻略の決め手となるのは意外にも傘。
硝子が植野に傘を差し出すシーンは将也が弓弦に対して傘を差し出すシーンと完全な対になっています。
なぜこの行為が人の心を動かすのか。
誰であれ良心はあるし、人を邪険に扱う時は少なからず心が痛むもの。
だから人は嫌いな人と相対するとき、「相手も自分を嫌っているはずだ」と思って心のバランスを取ろうとします。
二人が傘を差し出す行為には「私は、あなたを嫌っていないよ」というメッセージが含まれています。
だから意固地になっている相手の気持ちは大きく揺らぐのです。これもひとつの「声の形」なんでしょうね。

そこから学園祭で植野が硝子に手話で「バ、カ」と言うシーンがあるのですが、これはアニメオリジナルです。
実は植野の手話は間違っていて濁点がなく「ハ、カ」になっています。
それに対して硝子が「バ、カ」とやり返す。ここでようやく二人の間に会話が成り立つ。

僕は植野が硝子に言い放ったことは正論だと思っています。
私たちは学校や親から教育を受け、障碍者には親切にしようという気持ちは備わっていますが、
わざわざ自分から積極的に友達になろうとは思わないのがむしろ一般的な感覚ではないか。
植野の主張は私たち健常者が決して口に出さない本音であり、サイレントマジョリティーなのだと思う。
でも実際のところ、聞こえないというハンディはあまりにも大きく完全に対等な関係を求めるのは無茶です。
健常者から歩み寄る思いやりがどうしても必要になる。それもまた現実。

何でも思っていることを口にしてしまう性格の植野。
それは長所でも短所でもあるけれど、人間関係がギクシャクする場面に出会うことも多いと思う。
この原作改変には「少しだけ優しくなれれば、あなたは上手くいく」という
アニメスタッフの思いが込められているように感じます。

植野直花に、他人の声を聞く優しさを。
{/netabare}

●開くこと
{netabare}
原作者の大今さんが度々語っている通り、本作のテーマは"ディスコミニケーション"です。
いじめや障碍はテーマを表現するための要素であってそれ自体がメインではなく、
人と人とが互いに気持ちを伝えることの難しさを描いた物語です。

なぜ、本作のキャラクター達のコミニケーションは上手くいかないのか?
きっと彼らは会話するとき、相手の前に閉ざされた扉があるような心境だったんじゃないだろうか。
相手の顔は見えないし、扉は鍵がかかっていて開かないし、不安ばかりが募る。
でも最後に気付くのです。
『鍵はかけられていたのではなく、自分自身でかけていた』のだと。
それは勇気だったり、自信だったり、優しさだったり。開けるための鍵は人それぞれ。
そのことに気付き、扉を開けてもう一度辺りを見渡した時、やっと世界は本当の姿を見せる。
そして世界はあなたが思うほど酷いものではなく、
自分から心を開けば、意外なほど優しく受け入れてくれるもの。
この話が伝えたいのはきっとそういうことなんじゃないかな。
漫画版の最終回は扉を開くコマで終わるのですが、
それこそがコミュニケーションの本質を示しているように感じます。

人は集団で生活し互恵的な関係を求める社会的ないきものであり、
誰かとつながりたいという思いは人間なら誰しも生まれつき持っている本能的な希求。
「聲の形」は、そんな当たり前で忘れかけていることを教えてくれる作品だと思います。
{/netabare}

投稿 : 2018/09/05
閲覧 : 666
サンキュー:

49

LOLO さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

素晴らしい名作

これを見てないアニメファンはもったいないよ。

ぜひどうぞ。

原作未読の方は7巻をどうぞ、「その後~」的なノリが少しだけ続きます。

投稿 : 2018/09/04
閲覧 : 201
サンキュー:

5

ネタバレ

Mamo さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

心が抉られる、だからこそのカタルシスを味わえる

私は、人をいじめた経験、人にいじめられた経験を持っています。
だからこそ、一生忘れられない作品となりました。

まずは、この映画を作ったアニメ制作陣、キャストの皆様、ありがとうございました。この作品に出会えたことに感謝。

私はこの作品を映画公開二日後に見に行ったのですが、あまりにも良過ぎて見終わった後はしばらく放心状態になり、「聲の形ロス」から抜け出せなかったので原作をまとめ買いして一気読みしました。

いやー.....何回見ても良い作品ですなぁ.......泣

私は今回の地上波放送で5回目の鑑賞になります。

[はじめに]
物語序盤のいじめのシーン。
初見の時は、当時人をいじめていた事の罪悪感と、いじめのサイクルが自分に回ってくる恐怖を呼び起こされたみたいで、正直心地良いものではなかったですが、同時に、『聴覚障がい者と普通の人間とのコミュニケーションの壁』をテーマにしたこの作品を、「これは挑戦的な内容だな、面白い」と、つい魅入られてしまいました。


[キャラクター]
登場人物がみんな魅力的で、同時に皆それぞれ欠陥がある。

他人の目を見ようとしない、声を聞こうとしない、将也。
経験上から愛想笑いが癖になってしまい、自分を卑下してしまう、硝子。
本音、本気のコミュケーションしか取れない、永束。
自分が正しいと思い切ってしまう、植野。
自殺されることへの恐怖から姉の為に尽くすようになった、結絃。
自分の考える正義の下に行動してしまう、川井。
苦手な人と関わることに臆病な、佐原。
変な正義感があり、つい首を突っ込んでしまう、真柴。

人間の不完全な所が要所要所に滲み出ていて、見ていて「何でそう言っちゃうかなー!」と思っちゃうけど、その分リアルに人間味が溢れていて、多少の行動が気に食わなくても何処か愛らしいキャラクター達で、群像劇として見てもとても良い内容だったと思います。


[作画]
川の流れや水の波紋、気泡までも繊細に描いていて、やっぱり「流石京アニや!」と思わざるを得ませんね。


[音楽]
劇伴の牛尾憲輔にも、敬意を称したい。
ピアノの内部にマイクを仕込んで、より立体的で内面的な音楽を作ろうだなんて発想、脱帽しました。


[声優]
配役、演技、ともに完璧すぎるでしょ!
個人的に入野自由さん、悠木碧さん、そして早見沙織さんのお芝居が凄すぎてもう.....!何回泣かされたかww
将也=入野さんの演技で特に良かったのは、
例の西宮の自殺のシーン、「西宮柵、柵持って.....!」のところ。
声だけで余裕がないのがとても伝わってきます。
結絃=悠木さんの演技で特に良かったのは、
「へぇそりゃムカついただろうな」の笑い方や、動物の死骸の写真を泣きながら剥がす時の「どうすれば良かったの....」の声が物凄い演技とは思えない臨場感があったりと、毎回見るたびに「声優さんってすげーな」と思います。
早見さんは.......もう全部良かったですよね。言ったらキリないのでカット。正直「早見さん神すぎない?」という感想で十分かと。


[物語]
ストーリーの内容がとてもシリアスで重いから見てて心にずしっと来るモノがあるけど、それを乗り越えた分、最後のシーンはカタルシスを存分に味わうことができて、自分は劇中の将也のように一緒に号泣しました。



[こういう人におすすめしたい]
10代20代はもちろん、小学校の道徳の時間とかにもこの作品を見せてもいいかもしれません。

「自分に魅力がない」「人と関わりたくない」「死にたい」と思ったことがある人にこそ、是非見て欲しいですね。
少しは生きる希望を見いだせるかもしれません。



長文になりましたがともかく!
良いところをあげたらきりがない、とても素晴らしい作品でした!

やっぱり俺はこの作品が ちゅ、き!!

投稿 : 2018/09/04
閲覧 : 198
サンキュー:

15

ネタバレ

菊門ミルク大臣 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 2.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

中途半端な終わり方

物語としては主人公が転落するとこまではそれなりに見る事が出来ましたが
以降は撒いた種の割にさらっとし過ぎなのと主人公が学祭でオカマ泣きしてお終い。
主題歌もただのエンドロールとして使われるだけで効果的でも何でもなく少し残念。
恋愛がテーマと言うわけでも結局の所はなかったので曲は良いが相応しいかは微妙。

登場人物はクズ揃いでそこからどう今に繋げるのか、踏み込んでるなという印象がはじめは強かったのですが
主人公に気があったり、虐めてた奴らが助けた的な、実は悪人ではないっぽい的な感じに仕上げられてて、であれば当人側のエピソード挟まないと全てが意味をなさない無駄なものだなぁとしか…

ヒロイン?に関しては、これが可愛くなかったらどうか、妹の写真や回想シーンでイジメで死にたい的な感じで泣きじゃくってて、そんな事があったのに果たしてイジメられてた相手に好意を抱くかなとか、そもそも聴覚障害者をサポート出来ない普通のクラスに放り込む時点でおかしくないかとか…

終盤主人公が目覚めて橋まで走りますが、怪我してなかったのか、体力、筋力低下してないのか、何故橋で奇跡的に再開するのか…ドラマ性を生みたかったのか知りませんが意味不明でした。結局恋愛に重点置かれた作品でもなさげなので更に。


過去の過ちが原因で目を伏せ耳を塞いで生きてきた主人公が反省し立ち直る様を描くのであればヒロイン関連は一切いらない。薄れる。
色々あったけどそこで終わるの?という感想が正直なところ。

最後に言えることは川井が一番のクズ

投稿 : 2018/09/03
閲覧 : 252
サンキュー:

4

ネタバレ

小豆マメマメ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

予想外

心かき乱されました

投稿 : 2018/09/03
閲覧 : 216
サンキュー:

4

ネタバレ

たま。 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ご都合主義

話題作だったので視聴。

京都アニメーション製作。
『けいおん』『たまこまーけっと』の山田尚子監督。

耳の聞こえない女の子とその子をいじめてた男の子(主人公)を中心とする青春もの。

物語のテンポが悪い。
登場人物がみんないい人すぎる。

主人公がヒロインに興味を持つ理由とかよく分からなかった。
写実的を狙ってるが、少し現実離れ感。

こんないい人たちが居るわけないだろ(汗)

まぁ、アニメだからいいのか・・・(棒)。

投稿 : 2018/09/02
閲覧 : 285
サンキュー:

7

ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

硝子の少年時代の破片が胸へと突き刺さったまま成長した高校生のお話

原作未読

アニメ映画豊作の2016年。TOP3『君の名は。』『この世界の片隅に』『聾の形』唯一劇場で視聴しなかった作品。他意は無いです。アニメにそれほど関心がなく当時は、映画をやってたことも京アニという会社も当然山田尚子監督も、それどころか早見沙織・悠木碧・入野自由とかまーったく知らない私、一般人。

そちらはさておき、正直なところ一回目の視聴ではぐさりとくることはなく、すこし経ってなぜかまた観たくなり徐々にハマった作品。

1.主人公を中心として、なんとなく違和感を感じるキャラ設定
2.なんとなく物語の進行に違和感を感じる

この違和感ってなんだろう? 私、気になります!

主人公石田将也、ヒロイン西宮硝子を中心に主要キャラの多くがアニメ的に記号化されたキャラ設定にちょっとずらしが加わっております。
将也も硝子もあとは小学校時代の担任と永束あたりはわかりやすい感じでコミュニケーションの取り方に難がある人達です。また、植野・佐原・川井・島田も普通そうに見えてコミュニケーションの取り方で今一歩しっくりこない、きっとこう反応するだろうという予想とはちょっとずれのある言動をします。そもそも主人公二人の自己肯定感のなさは救い難いほどです。

要は気持ちよくないんですね。けなしてるわけではありません。前向きな意思みたいなのが汲み取りづらいのと、表に出てくる負のオーラ。
前向きじゃないと視聴者はストレスを感じるだろうし、言動行動に納得感がないと「ありえねー」とそりゃなるわけです。
ただしよくよく見ると、登場人物の思っていることはきちんとわかる作りになっていて、一見整合性の取れない行動のようでも根拠は必ず見つかります。
{netabare}
例えばこんなとこでしょうか。
・なんで自殺しようとする奴が死ぬ前にいじめた子のとこに行くの?
・なんで硝子死のうとするの?
・いじめた相手を好きになるとかありえん
{/netabare}


巡り巡ってこれって現実と一緒じゃん、という結論になりました。
ただ単にアニメ的テンプレキャラでないだけ。(硝子が美少女だってところはアニメ的ではありますがね)

登場人物に対しては「拒否感」しか抱かない方もいるでしょう。
その反対で、現実の自分や知人に重ね「共感」を覚えるかもしれません。
すーっと入って感動できるか、ただただ胸糞悪くなるか。
取扱うテーマが重いこともあり、娯楽作品としてはだいぶ博打だったと思います。
俗に言う『観る人を選ぶ作品』の範疇に入りそうですが、そもそも劇場版でそれを実践した勇気に拍手を送りたいものです。京都アニメーションという会社も、体力のある会社ということなのでしょう。

その京アニの稼ぎ頭、山田尚子監督の他の作品『たまこラブストーリー』『リズと青い鳥』を観て思ったのですが、作家性が高く、登場人物の心情描写においてはセリフ外の暗喩表現に秀でている監督だという印象を持ちました。
本作でもその作家性はいかんなく発揮されております。そしてその暗喩表現の多い作風がコミュニケーションを扱った作品のテーマと相性が良く、ヒットに繋がったものと考えられます。


キャラ、その他に関する前置きが長くなりました。物語にも触れときます。


冒頭からの陰鬱な展開とは対照的に空や川、背景はため息が出るほど綺麗でした。早見さん・悠木さん・入野さんは難しい役どころをしっかり理解されたうえでの好演たっだと思います。牛尾憲輔さんの劇半は作品世界にめちゃくちゃ合っておりました。

先天性の聴覚障害を持った少女と健常者たちとのコミュニケーションロス。これが主題かと思いきや、同じくらい健常者同士のコミュニケーションロスも描かれてます。
伝える手段としての言葉。「言葉に出して言ってくんないとわかんなーい」実はそうでもありません。普段私たちがとるコミュニケーションの70%は表情・しぐさなどの非言語が占めております。雰囲気でわかる、空気を読む、拳で語り合う、想いは全部ピアノに込めたんだから(これは違うかもw)、といったところが例で、各々思い当たる節があるのではないでしょうか。
言語はもともと非言語で得た情報を明確化するくらいの価値しかなかったものが、ご存じの通り残りの30%が極めて重要な世の中、それが現代社会です。
その言葉でさえも、例えば短文のSNSでこちらも向こうも意図が誤解無く伝わっているかと言ったらそうではありません。
そのような確かなものと思われている反面あやふやでもある「言葉」「声」のうち、『声』を失った少女を媒介にして、想いを伝えること伝わらないこととは何ぞや、を提起した良作です。

普段の王道的な、悪く言えば予定調和的なものから一歩外れた位置にあるからこその作品の価値であり、未視聴の方はぜひ目を通していただきたいと思ってます。テーマも含めあとは好き好きなので合わない時は合わないっす。

そして随所に見られる「セリフで表現されてない描写」を感じてみたいところです。
{netabare}
一例だけ挙げます。
■小学生時代。将也と硝子の取っ組み合い
意外と硝子が激しい感情を持ち合せた子だなと驚いたのと同時に、普段は押し殺していた、押し殺さざるを得なかったこれまでの人生を想像し胸が痛みました。
初見ではわかんなかったのが、硝子の声にならない声。「私だって頑張ってる」的なことを言ってるのだと繰り返し聴くとわかってきます。早見さんすごい。
硝子にとって後にも先にも家族以外で感情をぶつけ合ったのは将也だけだったかどうかは作品内では描かれてませんが、将也とのぶつかり合いは貴重な思い出だったと思われ、高校での再会後の硝子の行動に繋がっていきます。
{/netabare}



以下、オマケ
■川井と僕らは一緒だよ
{netabare}作品中屈指のdisられキャラの川井嬢です。徹底した傍観者タイプ。
ただ彼女って自分たちが向かい合いたくない負の部分をよく表した鏡みたいなキャラだと思うんです。
こんな話があります。
耳の聞こえない母を10年以上介護した経験のある近しい親族がいる身としては、通常の介護以上に耳が聞こえず意思疎通が取りづらい環境ではそうとう憔悴します。ちなみに介護した親族以外の親族はほぼ関わってきませんでした。
当たり前のことですが、耳が聞こえない人とは普段自分らがしているような会話はできません。このストレスってけっこう馬鹿に出来ないんです。何をして欲しいかがわからない、これが一番きついのです。
普通だったら距離置きませんか?
作品ではずっぷり関わる結弦、なんとかしようとする佐原がいます。
硝子と関係のある当事者から見れば、関わってこないけど綺麗事並び立てる者がちらほら視界に入るポジションにいると邪魔でしかありません。じゃあ視界から消えてくれ!そんな役回りが川井が本作で担っているポジションです。うーん報われる要素が見当たらない ww
いじめたいじめないはひとまず置いといて、我が身かわいさに保身に走ってしまう人間の弱さみたいなものがよく表れたキャラです。
{/netabare}


■決定!!早見沙織の足パタパタTOP3!
どうでもいいので閉じてきます
{netabare}
「足パタパタ」とは作中の女性キャラにとってなんか嬉しい出来事が起こった時や照れてどうしようもない時などに、ベッドにうつ伏せになり時には枕を抱え、足をパタパタさせる仕草を指す。人前では見せない行為のため、実際やっているかは男子諸君にとっては永遠の謎である。なお、変態と思われる可能性があるため直接女性に聞く時は、自身のキャラと聞いてもいい相手かを見極めて質問するようにしましょう。〈以上、言語の解説〉

第一位 聾の形 西宮硝子
そもそもセリフ少ないので、こんなわかりやすい反応をされるとこちらがほっとする
第二位 宇宙よりも遠い場所 白石結月
たしか第三話あたり。そういうことしなさそうなのにそのギャップが良い
第三位 風夏 氷無小雪
何話か覚えてない。そういうことしそうなキャラだが良いものは良い
{/netabare}

投稿 : 2018/09/02
閲覧 : 805
サンキュー:

78

ネタバレ

杞冬@あずさ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

アイネクライネ

8月26日、9月17日。
この二つの日付を見て気づいた人がいたらすごい。
そう前者は「君の名は」で後者がこの「聲の形」です。
世間が君の名はブームで沸いてる時期に公開されたのが本作です。
本当に時期が悪かったとしか言いようがない。
そんな自分もなんだかんだ見る時間作れなくて見れなかった一人です。
NHKで放送されるとのことだったのでようやく視聴しました。
見終わった後は後悔しかなかった。
なぜ映画館で見なかったのかということを…

余談ですが、24時間TVの裏でこれやるNHKの最高に皮肉がきいててとても良きだなと思いましたw

原作は既読済み。
原作と比べると所々がマイルドになってかなり見やすくなっている印象。
特に小学校のとこはサクッと進んでいますが、
原作はもっとしっかりやっているので映画できついと思った人は原作は結構ハードかもしれません。

将也と硝子この二人の出会いは最悪でした。
将也はとにかく退屈が嫌いで度胸試しと称して危ないことをして退屈な気を紛らわせていました。
ですがだんだんと友達はついていけなくなり、
そんな時に現れたのが、「西宮硝子」だった。
いじめようとか思っていたわけでなく耳が聞こえない彼女の限界を、
好奇心を持ってしまった。
だがそんな楽しい日々は続くことはなく、立場が完全に変わってからようやく自分のしてきたことの重大さに気づく。
そんなキツイイジメ描写から物語が始まります。

将也と硝子は個人的にはとても似ていると思った。
二人とも全部自分の責任にして抱え込もうとするところなんかは特に。
そして最後には自らの命を断とうとするところも。
将也はずっと硝子の小学校の楽しい時間を奪ってしまったことをずっと後悔し罪の意識にとらわれている。
硝子は自分が入ってきたことでいろんな人の関係が壊され、自分がいることで不幸になると罪悪感にとらわれている。
そんな二人が一度死のうとしてもう一度生きなおそうとするのがこの作品一番大きなテーマだと思います。

人間描写がとても丁寧。
それでも主要の二人以外はあまり描き切れなかった。
そこは原作でしっかり補完できるのでそういった意味でも原作を読むのはおすすめです。
映画だとヒール役川井が選ばれていますが、
原作はぶっちぎりで先生がヒールとなっています。
原作読めばすこしは川井のことも理解できる…かもしれないw
なのでクズの一言で済ませず一度理解してあげようとして見てあげてください。
特に西宮のお母さんの話は見てほしい。
というか完全にクズじゃないと言い切れるのは永束と将也のお母さんぐらいなのものですしw

硝子役の早見沙織さんの演技がほんと素晴らしいの一言しかない。
聴覚障害の子の声がとてもリアルでびっくりした。
ほんと早見さんで良かったと思える演技でした。
演技の幅がめちゃくちゃ広くてすごいですよね、早見さんは。
音楽もとてもいいですね。
静かでとても聞いていて心地が良い。

君の名は万人向けで聲の形はすこし人を選ぶ作品かなと。
ほんと今となってはなぜ劇場で見なかったと己を糺す日々ですw
でも劇場で泣いちゃいそうだしこれで良かったのかもしれませんw
ストーリーもとても綺麗にまとめられていてとても見やすかった。
少しでも興味があるなら見たほうが良いと思います。
原作読んでいる人でも違った楽しみができますので是非に!!!

投稿 : 2018/08/31
閲覧 : 352
サンキュー:

14

こた さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ハッピーで終われないかもしれないけど。

二回目の視聴を終えて。
こんなに名作だったっけ。

別に障碍者だから特別にしなきゃいけないとか、それも感動ポルノのような都合のいいエゴを押し付けてはいけない。

お互い理解できないから、本気でぶつかり合って、綺麗ごとで済ませない、この作品が好き。
間違えたことをしてしまったからといって、それで死ぬわけにいかないし、とにかく生きなきゃいけない。
だから君の力を借りて。

投稿 : 2018/08/31
閲覧 : 361
サンキュー:

51

ネタバレ

ヌンサ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

シェイプ・オブ...

視聴前から評判は数多く見聞きしていました。
曰く「テレビだったら辛すぎてチャンネルを変えていただろう、
劇場だと基本的に逃げることができないので、最後まで見ることができた」etc

京都アニメーションによる美しすぎる作画と背景。あまりにも隙が無さ過ぎて、実は少し苦手だったりします(^-^;
しかしその美しさがなかったら、最後まで画面を見続けることはできなかったでしょう。
現実だったら、世界の明度はきっと・・・。

小学生時代のエピソードに出てくる担任の先生は、ほぼ職場での僕でした(笑)。
小さいころ、教師に向いてるってやたら言われてましたけど、教師になってなくてよかった・・・社会のためにも。

{netabare}将也が硝子の耳元で大声を出すシーンを見て{/netabare}
佐村河内さんの騒動の時にも感じましたが、外見だけで判断できないハンデは逆につらいものです。
口の動きや気配・勘、あるいはたまに少しだけ音が聞こえる、などの理由で「本当に耳が聞こえないのだろうか」と少しでも疑われてしまう辛さは想像を絶するはずです。

「GANGSTA.」は"そこ"がメインテーマではなかったので、ニコラスは意図的に聞き取りやすいしゃべり方になっていましたが、硝子のしゃべり方は実際にハンデを持つ方に非常に近いものになっています。

今になって思うと、インクルージョン教育を選んだ人たちと同じ小学校に通っていたら、僕の差別意識(というか無知)はもっと早く無くなっていたと思わずにはいられません。たまたま僕の通っていた小中学校ではなく、
隣の小中学校がインクルージョン教育を選んだ人たちを積極的に受けれていたのです。

はっきり言うと僕は、小学生(加害者)→中学生(傍観者)→高校生(空気=いじめられていたわけではない)だったので、贖罪の意識は恐ろしくあります。"誰もが何かしらの罪を背負ってる"で納得するしかないのでしょうか・・・。

贖罪を扱った映画としては、最近見た「{netabare}マンチェスター・バイ・ザ・シー{/netabare}」を思い出しました。アニメでは「あの花」でしょうか。

終盤のかなりシリアスなシーン({netabare}病院で植野と硝子の母がもめる{/netabare})
で流れた音楽が、妙に前衛的で「良いのか、これで!?」と少し思ってしまいました(笑)


P.S. マリアの顔(^_^)に癒されました



↓参考音声ファイル(有料)
https://tomomachi.stores.jp/items/58313c2b99c3cdb5f200e807


・・・音声ファイルを聞いて、ものすごくショックを受けました。{netabare}世の中の創作物はすべからく障碍者を良い人に描きすぎている{/netabare}、と。その描き方は(無意識であったとしても){netabare}健常者と障碍者を対等に描いていない、{/netabare}恐ろしい言い方をするなら障碍者に対して「{netabare}健常者の迷惑にならないよう、謙虚に生きろ{/netabare}」という無言の圧力を加えている、と。るろうに剣心の{netabare}瀬田宗次郎が笑顔である理由{/netabare}なんかは(障碍の話ではありませんが)典型ですね。{netabare}確かにすべての創作物における"良い障碍者:悪い障碍者"は"9:1"、下手したら99%と1%かもしれません。{/netabare}これでは、とても"人間"を描いているとは思えません。少しずつでもいいので、この潮流が変わることを願いつつ・・・。

投稿 : 2018/08/30
閲覧 : 282
サンキュー:

19

次の30件を表示

聲の形のレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
聲の形のレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

聲の形のストーリー・あらすじ

聲の形」は、聴覚の障害を持つ少女・西宮硝子と、彼女へのいじめに加担していた過去を持つ少年・石田将也の物語で、2人の衝突や再会を通して、孤独や絶望、愛などが描かれている。(アニメ映画『聲の形』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2016年9月17日
制作会社
京都アニメーション
主題歌
aiko『恋をしたのは』

声優・キャラクター

入野自由、早見沙織、悠木碧、小野賢章、金子有希、石川由依、潘めぐみ、豊永利行、松岡茉優

スタッフ

原作:大今良時(講談社コミックス刊)、 監督:山田尚子、脚本:吉田玲子、キャラクターデザイン:西屋太志

このアニメの類似作品

この頃(2016年9月17日)の他の作品

ページの先頭へ