「この世界の片隅に(アニメ映画)」

総合得点
76.2
感想・評価
433
棚に入れた
1906
ランキング
315
★★★★★ 4.2 (433)
物語
4.4
作画
4.3
声優
4.2
音楽
4.1
キャラ
4.2
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ネタバレ

魂がBITCH♡

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

日常のレトリックに覆われたアンビバレントな交錯

考察、専門用語あり。
難易度中。

本作は初回を劇場で鑑賞。
その後、マスコミで騒がれたからか、妻も観たいという要望がありiTunesストアでビデオを購入した。
つまり、いつでも鑑賞可能な状態にある。

☆制作情報

▼原作者:こうの史代
▼アニメーション制作:MAPPA

▼話数:劇場版129分
{netabare}▼監督:片渕須直
・実績
(監督)
『名犬ラッシー 』『BLACK LAGOON』『この星の上に』『アリーテ姫』ほか
▼脚本:片渕須直
▼キャラクターデザイン/作画監督:松原秀典
・実績
(キャラクターデザイン)
『サクラ大戦TV』『ああっ女神さまっシリーズ』『巌窟王』ほか
▼音楽関係
音楽:コトリンゴ
主題歌「みぎてのうた」(コトリンゴ)
オープニングテーマ「悲しくてやりきれない」(コトリンゴ)
エンディングテーマ「たんぽぽ」(コトリンゴ)
▼CAST(略)
北條すずcvのん
北條周作cv細谷佳正
水原哲cv小野大輔
黒村径子cv尾身美詞
黒村晴美cv稲葉菜月
浦野すみcv潘めぐみ
ほか{/netabare}

【物語】
《反戦とシナリオに潜む唯物史観》
本作はあにこれに限らず、既に多くの場所で様々な評価をがされているが、未だに「反戦」であるとか否かという論争もあるようだ。
本作において「反戦」をメッセージの一つとしていることは、鑑賞をすれば一目瞭然だろう。
メディア作品は「印象」が全てであり、多くの方々が「すず」に共感や同情をしつつも、けっして同じ時代で同じ境遇を送りたいとは思わないだろう。
そう思った時点で本作の「反戦」メッセージはあなたに届いているのだ。

本作が今までの反戦作品と異なっているのは、唯物史観(自虐史観)の教条に満ちたイデオロギーが過去作(はだしのゲンなど)と比して、プロットで日常バイアスをかけることで反戦メッセージの希釈化とエンタメ指向を高め、鑑賞者に対し導入のハードル下げる誘導を行うなど、独特の印象操作により「反戦」がレトリックされている点であろう。

私はここで本作が「反戦」であるか否かのロジックを立ててまで分析をする気はない。
既に左翼は本作を反戦作品と認めているからだ。
左翼ネットメディアの「LITERA(リテラ)」の記事が的を射た左翼の代弁をしているので紹介する。

『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が
https://lite-ra.com/2016/11/post-2722_3.html
(引用)
>「反戦じゃないからいい」とうそぶいている人たちにも、この映画は、確実に戦争への恐怖を刻み込んでいるだろう。

私は理系であるゆえに帰納的に観測される他の方々のレビューに記述されている事後評価と「LITERA」の主張を照合することで、概ねその主張は実態に即していると結論している。

何も難しく考えることはない。
本作が「反戦」であれば、そのように素直に認めればいいのだ。
あとは鑑賞者が「戦争」をどう考えるのかに委ねればよい。
そこで表明された意見こそが、その人の思想の発露なのであり、その意味で本作はリトマス試験紙の役割も兼ねているのだ。

{netabare}まず、今まで我が国で製作された戦争関連のメディア作品は程度の差こそあれ、ほとんどは「反戦」と考えていい。
実際、1980年代まで監督クラスはマルクス第一世代であり、制作現場には戦争体験者が多くいた。
また、観客にも戦争体験者が多かった時代でもあり、実体験した戦争の正体(残虐、非人道的)をしっかり伝えないと共感が得られない時代でもあった。
おそらく、作り手も観客も戦争体験者であった時代は「思想」の問題ではなく「経験の共感」が大切であったのだろう。
しかし、現代は作り手も観客も大東亜戦争のことは知らない世代であり、戦争を伝えるにはどうしてもイデオロギーを用いざるを得ないのである。
そして、その当時の戦争作品に関する製作の土台が世代交代を経た現在においてもフォーマットとして生きていても不思議ではない。

我が国で製作される戦争映画は史的事実においても、どうしても「反戦」となる運命である。
また、戦時中に製作された『陸軍』(1944 火野葦平原作 木下惠介監督 松竹)でさえ一瞬反戦作品ではないかと紛うほど戦争賛美とはほど遠く、悲壮感を全面に押し出した作風であった。
どのような意図で脚本を書いても、ハリウッド作品のような記号性を強調し実在論に立脚した表現とは真逆な、隠喩、暗喩を多用し露骨な表現を避ける日本映画の様式美は「戦争賛美」とは相性が悪いのではなかろうか。

参考として、戦後、日米両軍をそれぞれの視点で初めて一つの作品とした『トラ・トラ・トラ!』(1970 日米合作 20th Century Fox)を観た当時の観客は熱狂した。
この群衆心理は更に深い考察が必要なのだが、今までの日本映画では見られない圧倒的な戦闘アクションと自虐に走る日本映画の鬱屈した描写に不満を抱いていた大衆が、真珠湾に停泊する米艦船を次々と撃破していくシーンに敗戦で失った自尊心を回復する爽快感に浸ったのではなかろうか。
好戦的作品でも否定をしない、日本人が戦争に想うセンシティブな感情がこの作品の評価に現れていると思う。

また、ハリウッドで米国が負ける作品が製作されたのもこの作品が最初だが、我が国で戦争賛美のメディア作品を製作すれば非難轟々だろうが、その後の『地獄の黙示録』(1980 ゾエトロープ F.コッポラ監督)を始め、米国では様々な価値観のメディア作品の製作がされる懐の深さに驚嘆したとともに、自由主義が地に着いている印象を受けたものだ。

ゆえに、戦時国策映画であっても戦争に懐疑的な姿勢を示す表現手法の伝統を踏まえれば、作品の反戦性を論う批判はさして建設的ではなく、寧ろイデオロギー的な反戦メッセージに無防備に引きずり込まれないよう受け手(鑑賞者)の思想的準備が重要なのである。
そこがしっかりとしていれば、以下で紹介する五味川作品であれ、日本映画の反戦作品としては最高傑作とも評される『軍旗はためく下に』(1972 結城昌治原作、深作欣二監督 東宝)であれメッセージにワンクッション置いて「反戦」とは何かの「哲学」の深化に至るプロセス過程で戦争と向かい合う姿勢が決まるのであろうと思う。
なお、『軍旗はためく下に』は精神的ブラクラを伴うカニバリズム作品でもあり、鑑賞には相当の覚悟を要する。

ここで戦史系の話題を振ればレビューは良い感じに埋まるのだが、今回は公開から時間が経過したこともあり、やめておこう。

さて、本作の場合、前述した『はだしのゲン』(1983 中沢啓治原作 真崎守監督 ゲンプロダクション マッドハウス)(1986 中沢啓治原作 平田敏夫監督 ゲンプロダクション マッドハウス)や『火垂るの墓』(1988 野坂昭如原作 高畑勲監督 スタジオジブリ)に代表される反戦アニメと比較するのは妥当ではない。
『はだしのゲン』は原作者自身が被爆体験者でもあり、原爆の地獄絵図を体験した方の訴求には大きな説得力がある反面、原作者が共産主義に傾倒した刹那、被爆体験から反戦反核《プロパガンダ》へと大きく変節をし、あまつさえ反日にさえ利用された顚末もある。
本作が中国や韓国での評価が芳しくないのは周知の事実であるので、国内の反日左翼のみならず、特アにも反日利用をされた『はだしのゲン』と同じ土俵には出来ない。

『火垂るの墓』は奇しくも左派の宮崎監督の「物足りない」批判が有名であるので批評は割愛するが、それ以前に設定が稚拙であり、精密な考証を為している本作と同じ土俵で論じるのは難がある。

右派の支持が高い『艦隊これくしょん』(TV版)について一言述べる。
左派からは歴史修正だの戦争賛美アニメとも批判されているが、思想以前に英霊を馬鹿にした戦争揶揄アニメと評した方が正確であろう。
この作品を企画した製作委員会の面々は、頭を丸めて靖国神社の社殿に向かって土下座をしろといいたい気持ちだ。

したがって、本作物語における比較対象は映画ないしはドラマとなる。

正直、本作なぜこれほどまで注目を浴びているのか私には理解が出来ない。
戦時中の日常や「すず」の生き方に共感を覚えるのはいいが、他に戦時中の日常を描写したドラマや映画、小説に出会ったことがないのか?とさえ思う。

実際、戦時中の日常と戦争を投射した映画、ドラマ作品は数多く存在する。
特に1970年代のNHK朝の連続テレビ小説でも多く取り上げられているテーマでもあり、現在放送中の『まんぷく』も戦時中の日常と戦争と向き合う作品だ。
かつての『藍より青く』(1972)『鳩子の海』(1974)が本作のコンセプションとかなり近い内容であるが、こういう作品を観てきた私にとって本作は、アニメーションでこれらを焼き直したに過ぎない感覚なのである。

以前『ZEPO』のレビューでも述べたことだが、明確な反戦(反核)プロパガンダでもない限り、テーマが反戦であるなり、発するメッセージがストレートでしっかり伝わる反戦作品については思想信条を問わず作品としてのレベルを評価する旨述べた。
しかし、本作は様々な賞を受賞している経緯もあり、いわゆるプロの評論家から【反戦】ではないとの声に相当捻じ曲げられてもおり、それが※外化して一般のレビュー評価のマクロ的な結果にも影響をしているようである。
※外部からの干渉を自己想念の結果であると錯覚する態様。(哲学・心理学)
※外化の手段はドグマである。

正直、外部評価と私の感覚にこれほどまでに差異が生じるのは珍しいことである。
その理由として考えられることを箇条書きとしてみる。

①私は戦記を含め戦前、戦時中に関する書籍や映像作品を大量に読み、観ていることから、一般の方よりも醒めた目で本作を捉えている。

②両親を含め私が子供の時分の周囲の大人には戦争体験者が多く存命をしており、戦時中の食料衣料の生活事情、艦砲射撃や空襲の恐怖をはじめ前線の武勇伝や玉砕の刹那と捕虜生活、大和特攻の坊ノ岬沖海戦の生き残り(乗務艦「雪風」)まで、相当数の体験談を意図せずともに聞いている。
特に広島の原爆関連は叔父と親交があり、当時、広島に司令部があった第2総軍で被爆した総軍参謀副長(元参謀本部第1部長[作戦]元陸軍省軍務局長)真田穣一郎少将の御遺族から手記やお話しを伺う機会があったが、大東亜戦争の実像を知る参謀本部、陸軍省の要職を経験している高級軍人視点の体験は『戦史叢書』と同等とも言える圧巻であった。
少将御自身が存命で直接語りを聞くことが叶えば、更に感慨が深かったであったろう。(伺った話しは御遺族の意向で一切公表出来ないが、近代史、戦争関連作品の評価には活かしている。)

③日常というバイアスをかけて、反戦メッセージを刷り込んでくるあざとさに抵抗を感じると同時に朝の連続テレビ小説のようなホームドラマ的軽薄さも感じる。

④反戦作品の大御所『人間の条件』(1959-1961 五味川純平原作 小林正樹監督 松竹)や『戦争と人間』(1970 五味川純平原作 山本薩夫監督 日活)から比べて世界観、テーマが稚拙であり中途半端である。
両作品とも群像劇の構成であるが、戦争により日常が破壊されていく描写は重厚かつ心の奥底を抉るプロフィットファクターに満ちており、残念ながら本作はまだ追いついていない。

#1史的唯物論とは
本作のレビューでは「史的唯物論」や「唯物史観」の表現を用いた内容が多いので簡単に説明する。
史的唯物論とは『ドイツ・イデオロギー』(1848 カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス共著)で著された共産主義の正当性を示す原理的な考え方だ。
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは、人間の歴史の発展法則を発見した。・・・人間はなによりもまず飲み、食い、住み、着なければならないのっであって、しかるのちに政治や科学や芸術や宗教等々にたずさわることができるのだ。」(1983 マルクスの葬儀におけるエンゲルスの弔辞より)。

『若おかみは小学生!(劇場版)』で高坂監督の公式でコメントでも触れたが、エンゲルスの弔辞で示されているように、マルクスの世界観は「労働(生産活動≒経済活動)[下部構造]が政治、科学、芸術、宗教等の社会活動[上部構造]を規定する。」における二元世界観は発展的に進化する法則に支配されるとした考え方で、共産革命は進化の過程での必然とした【暴力革命】正当化の絶対的根拠である。

また、史的唯物論はマルクスの二元論的世界観と、進化論をイデオロギー化したダーウイニズムとで構成され、その立場で歴史を論じたものである。
古くは『資本論』から日共の活動方針、最近の新左翼や中国共産党の政治理論など、共産主義の全ての領域において基礎となる最重要理論である。
なお、よく勘違いされることだが、史的唯物論は唯物的弁証法で導いた結果ではない。
唯物的弁証法の理論体系は20世紀に入ってからレーニン語録と合わせてソ連で整理されたものであり、今日の学問の一つ社会科学の始祖ともなる。
つまり、史的唯物論に弁証法的根拠を付したのは後付けの理屈であり、共産主義が如何にいい加減で適当なものであるかはここでも分かる。

史的唯物論で重要なことは【革命の為の歴史観を構築】することにあり、全ては反革命的既存概念を「批判」で「倒置」して結論(規定)することにある。
さて『資本論』のサブタイトルは「経済学批判」であることに注目して頂きたい。
マルクスはアダム・スミスから連なる古典資本主義経済学を史的唯物論と弁証法を駆使した「批判的弁証」から「剰余価値説Δd」を導き出して資本主義の正体は「搾取」とし共産革命の必然並びに正当化と、資本主義の崩壊を著したものであるが、吟味をすれば元ネタである古典経済学を延々と屁理屈を並べたてて「倒置」しただけの内容でもある。
なお、史的唯物論をベースに弁証法で倒置するスタイルが、唯物的弁証法の基礎構造でもある。
※哲学における批判と一般で通用される批判は意味が異なるので注意。

上記を踏まえ、「自虐史観」ないしは「東京裁判史観」が「唯物史観」と評されるのは、倒置の元ネタが「皇国史観」であることに由来する。
「皇国史観」とは「天皇機関説」批判から生じた「國體明徴運動」を端とする国史の再定義により『國體の本義』(1937 文部省)で同定された国史解釈の俗称である。
戦前、国史の権威であった平泉澄文学博士を頂点とする国史学派により、他の歴史学派が在野に放逐された経緯がある。
終戦で平泉博士が失脚するとウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)におけるGHQの占領方針の下、反平泉派の左派歴史学者や日本共産党が中心となって皇国史観の全否定を行った際に用いられた手法が史的唯物論による倒置であり、これが史観としてイデオロギー化した経緯があることから【自虐史観、東京裁判史観=唯物史観】と評されている。

特ア(中国、韓国、北朝鮮)や左派、左翼が金切り声を上げて批判する「歴史修正主義」(左翼造語)とは「自虐、東京裁判史観」のイデオロギーからの脱却を目指す行為なのだが、そもそも「史観」とは史的事実の解釈であり、史的事実そのものは変更のしようがない。
特アや左派、左翼にとって日本国民が「自虐、東京裁判史観」に束縛されている方が都合が良いから「史観」の見直しを進める我々保守派に対しての警戒が、造語まで用いて連中を必死にさせるのであろう。

なお、史観歴史とは東南アジアの一部と東アジアで用いられる歴史教育だが、欧米では事実関係を重視した史学が一般的な歴史教育である。
自由主義国の我が国において、かつて日教組主導で進められた小学生からイデオロギーを刷り込む史観歴史教育は百害あって一理なしであり、政府は一刻も早く改めるべきだろう。

#2本作における唯物史観に関する考察
#1を踏まえ、五味川作品は唯物史観で描写される世界だが、本作も思想鑑別を進めれば「すず」という一つの観念体が戦争という一種の生産活動(唯物)へ概念の外化が図られ倒置的に描かれる世界観を構築している。
ゆえに、史的唯物論の応用であることが浮き出てくる
考察全文を掲載すると文字数オーバーのペナルティを受けるため、ポイントのみ記す。
本作での戦争=生産は呉軍港に停泊する各種軍艦の存在と「すず目線の観測」が唯物メタファーの一つとなる。
また、物議を醸している太極旗の描写だが、この話は長くなるのでメタファーの意味のみとする。
本作の太極旗は戦前日本が歩んできた道程(左派、左翼が主張するところの侵略)に対する批判メタファーと捉えられるだろう。
8月15日に実際に呉市内で太極旗が掲揚された事実はないようであり、原作者の想いから察するに太極旗=プロレタリアート(抑圧の対象)の解放のメタファーとして考える方が道筋として整合する。

戦争がある観念(本作の場合はすずの目を通した戦時中の日常とすずの思考傾向)と密接な関係にある場合、戦争(生産と支配層たるブルジョアジーの暗喩)と人間(被支配層、プロレタリアート的立ち位置)の関係を異状と正常のアシトノメタイジア(換称)に写像させて唯物と観念の二項対立の構図を連立することで、テーゼ(平和な日常)アンチテーゼ(戦争と破壊)ジンテーゼ(過去の過ちと再生)からなる弁証構造と、玉音は天皇陛下(左翼が認識するところのブルジョアジーの代表)を隠喩し、8月15日を境に太極旗を用いた弁証を繰り返すことで倒置させる【批判弁証】の流れが観測される。

大きな観測点として、時限爆弾で右腕と姪のを失った後、やさぐれて行く「すず」を克明に描写しつつ、玉音放送後の「すず」の豹変を導きくことでアウフヘーベンに到達する。
「すず」が自分の右手の歴史を自問自答描写こそが、平和な日常と戦争の悲惨を対話で定立する弁証過程である。
玉音放送された「大東亜戦争終結ノ詔書」(・・茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク)は形式的には天皇大権に基づく臣民(国民)に対する命令である。
「すず」の怒りの心理描写は他のレビュアーさんが行っているのでお任せして、政治的な意味に着眼すると天皇陛下の命令に抗っている態度となる。
この表現を考察すると原作者(戦争を推進した)権力を妄信してはいけないと「すず」を通して訴えている政治的メッセージが読み取れるだろう。

物語は唯物化された戦争という大きなうねりのなかで「すず」の精神性が左右されるという構図であることからも、史的唯物論に立脚した弁証構造であることは明白である。
本作で展開される唯物的弁証は玉音放送から隠喩を導くことで、歴史の運動性が根底にあることも読解出来ることから、紛うことなく史的唯物論が基軸であると結論づけられる。
更に史的唯物論がセリフと視覚を通して外化し、唯物史観(イデオロギー)のドグマが形成されメッセージへと変幻する。
ゆえに、戦争が唯物とブルジョアジーの二重構造であり、プロレタリアート解放という階級闘争の動態とセットである五味川作品との比較対象を満足する。{/netabare}

《物語まとめ》
{netabare}五味川作品と本作の相違店
・五味川作品(20世紀の反戦作品の代表として)
→満洲、ノモンハンでソ連軍に敗北する帝国陸軍を象徴的に描写。
デストピア(戦前戦中の日本)→解放→ユートピア(共産主義社会)
・本作(21世紀の反戦作品)
→原爆投下、呉空襲など帝国海軍の衰退と非戦闘員にも及ぶ米軍の攻撃を象徴的に描写。
デストピア(戦中の日本)→解放→ユートピア(自虐、東京裁判史観を是とする現代の日本社会の維持)

20世紀の反戦作品は理想を共産主義に求めているが故に、1945年以前の日本を全否定しているが、共産主義(マルクス=レーニン主義)が廃れた21世紀の本作における否定の対象は戦中の日本(戦争状態)であり、理想はひたすら軍事を否定する9条を信じる現代日本とそれを支持する国民感情の維持である。
空襲で犠牲となるのは社会的弱者である子供(晴美)であることを強調、軍港内を模写した「すず」をスパイ行為であると咎めにきた憲兵からは戦中は自由が制限された暗黒の時代であるとのメッセージから9条の廃止、変更は戦中に戻るという左派、左翼の主張への同調が読み取れ、暗に憲法改正を牽制をしていることから社会風刺の目的も含まれる作品といえる。
※「すず」が憲兵に詰問された根拠法令は「要塞地帯法」及び「軍機保護法」であり、戦時平時を問わずに適用される。解説等の一部で「治安維持法」と錯誤しているケースが多いので明確にしておく。

在野では片渕監督の言質から反戦を炙りだそうとしている試みも散見されるが、作品において唯物史観が成立している以上その必要はないだろう。{/netabare}

以上、本作を手放しで評価はできない理由は上記に集約される。
反原発の『みつあみの神様』のように、反戦アニメでも是非私を唸らせる作品に巡り会いたいと思う。
映画で出来ることはアニメでも可能なはずだ。
したがって、評価の分母が時代とその背景をより精密に描写し、隙がない反戦メッセージを発している五味川作品であるので、低評価となることは悪く思わないでいただきたい。

なお、五味川作品も本作も敵視をしているのは「ある時代の日本」である点が共通である。
本作が従前の反戦作品のフレームに囚われず、自分達の生命を狙った「米国」を批判対象としたなら、最大限の賛辞を捧げたであろう。

『トラ・トラ・トラ!』でも述べたが映像メディアは政治ではないのだから自由なのだ。
言論、表現は旧弊や政治に囚われず自由闊達に行うべきであり、原爆も空襲も本来怒りをぶつける相手は「米国」ではなかろうか。

我が国では「ポツダム宣言」に基づき戦争犯罪者を「平和に対する罪(A級戦犯)」(事後法遡及適用)、「通常の戦争犯罪(B級戦犯)」戦時国際法違反、「人道に対する罪(C級戦犯)」(事後法遡及適用)を処罰の対象とされた経緯がある。
なお、極東国際軍事裁判ではC級戦犯の訴追事実はない。
「人道に対する罪」はニュルンベルク裁判においてナチスによるユダヤ人絶滅(ジュノサイド)を裁く目的で設けられた事後法である。

大日本帝国時代をことさら悪のように強調する目的で朝日、毎日等の左派の報道そして日共のプロパガンダではBC級戦犯という表現を使用し、悪意あるミスリードで自虐史観の刷り込みを誘う作為的な誤りであり、C級戦犯判決の事実は存在しないことを強調しておく。
極東国際軍事裁判の話しをすれば長くなるので、ここでは必要なことだけを記す。

まず、裁かれたのは全て第二次世界大戦の敗戦国であり、裁いたのは戦勝国であることを再認識して頂きたい。
要するに、戦勝国の戦争犯罪は裁きたくても裁けない状況下にあったのである。
ここで問題にするのは、米軍による原爆投下を含む日本本土空襲である。
我が国が受けた空襲は全て軍事目標だけであったのだろうか。
否である。

1945年3月10日の下町一帯を目標とした東京空襲をはじめ、原爆投下を含めほとんどの空襲は軍事目標とはいえない地域を対象に行われた。
これは、大東亜戦争時に有効であった「ハーグ陸戦条約(陸戦の法規慣例に関する条約)」違反であり、米国も本来裁かれるべき行為であるのだ。
----------------------------------
条約附属書(陸戦の法規慣例に関する規則)
第二五条
防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス
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我々はそのことをけっして忘れてはいけないし、戦争とは勝てば官軍であり、勝利者の論理が正義となる不条理な状況を生むのだ。
自虐史観は誰にとって都合が良いものなのか、賢明な閲覧者の皆様はここに答えを記述しなくても分かっていただけるだろう。

原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」には主語がない。
「過ちを繰り返しませぬ」は「米国」に向けてのコンプライアンスでもあるのだ。

少し物足りないないが『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007 新城卓監督 東映)は大東亜戦争のもう一つの主役である名も無き兵士達が、特攻で死地に赴く際の本音から、間接的に米国批判を行っている稀有な作品であり、この作品のベクトルを担う作品こそがポスト反戦なのだろう。
そろそろ勝利者側の論理、東京裁判史観の自虐から脱皮し、本音をぶつける反戦作品が出て来ても良い頃ではなかろうか。

テーマとメッセージ
★★★★★☆☆☆☆☆2.5(五味川二作品を5とした場合の評価点)

※エンタメ性と表裏一体する参考評価
思想の刷り込みなどマインドコントロール技法
(評価が高いほど悪質である。)
★★★★★★☆☆☆☆3.0(五味川二作品を4.5とした場合の評価点)
5-3=2

プロパガンダ性
(評価が高いほど悪質である。)
★★☆☆☆☆☆☆☆☆1.0(五味川二作品を3.5とした場合の評価点)
5-1=4

エンタメ性
五味川二作品は重厚である分、エンタメ性には難がある。
その点本作は、前半部分では親しみ易い日常光景からキャラへの共感を誘導する。
{netabare}後半はしだいに戦争の牙が向いてくるシリアスな展開だが、キャラへの共感度が高ければ高いほど、戦争の悲惨さ不条理さが強調される巧みな構成となっている。
本作では人さらいのエピソードなど、展開に興味を抱かせる様々なメタファーがあるが、長くなるのでレビューでは割愛する。
次に特筆をすべきは、背景美術の精密描写と「すず」の天然なキャラ設定だ。
呉軍港の背景を時系列で見ると帝国海軍の衰退がよく分かる。
実に考えられた描写だ。
また、当時の生活の細かい描写など特筆すべき点はいくつもあるが、すべて観客に「観せる」ことを意識した心憎い演出といえよう。
広島の街の情景、戦時の平和な街から総力戦の戦場の街へに至る推移で艦載機による軍港攻撃、非人道的な時限爆弾の爆発、M69焼夷弾や12.7mmブローニング機銃掃射シーンなど、迫力ある効果音と相乗し{/netabare}高クオリティな描写を演出している。

★★★★★★★★☆☆4.0(五味川二作品を2とした場合の評価点)

(2.5+2+4+4)/4=3.125≒3.0(物語)

(★は一個0.5点)
物語★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価点)
作画★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)
声優★★★★★★★★★☆4.5(評価点)
音楽★★★★★★★☆☆☆3.5(評価点)
キャラ★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)

平成30年(皇紀2678年)12月8日大詔奉戴日初稿

投稿 : 2018/12/10
閲覧 : 392
サンキュー:

40

ネタバレ

ピピン林檎

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

本作自体は良作と思いますが、本当に考えるべきことは別にあるのでは?

(2018.12.8 戦争名称と戦争原因について補足説明を追記)

登場人物の手が顔と同じくらいの大きさに描かれていて、明らかに作画ミスってると思われるシーン等、ちょくちょく作画・演出が乱れている箇所があった他は、概(おおむ)ね丁寧に作られていると思いました。
シナリオも、{netabare}玉音放送のあとヒロインが悔しい気持ちをぶちまけるシーン{/netabare}で思いがけない感動を覚えるなど、最初から最後まで飽きずに楽しめました。
ということで、まず良作認定しておきます。

・・・でも、個人的に本作を鑑賞していて改めて強く感じたのは、

戦争の悲惨さ残酷さを確り描き出して、視聴者に「二度と戦争を起こしてはならない」という"メッセージ"を繰り返し喚起するのは、それはそれで意味のあることなのだろうけれども、

責任ある大人が本当に考えるべきは、そういう戦争の「結果」の方ではなくて、

「そういう誰も望まないはずの戦争がなぜ起きてしまったのか?」
「なぜそういう悲惨で残酷な戦争に我が国が巻き込まれてしまったのか?」

という戦争の「原因」の方を、史実に即して冷静に見極めていく、ということなのではないか?ということでした。

とくにここで「巻き込まれてしまった」という私の受動表現に抵抗を感じてしまった方は要注意です。

・戦前の日本は暗愚で粗暴な軍国主義のファシズム国家だった。
・中国や朝鮮半島やアジア各地に醜い侵略を仕掛けた果てがあの悲惨な戦争だ。

↑みたいな話をNHK夏の恒例の「太平洋戦争(*3)」特集番組では今も延々とやってるそうですが(※これって終戦後にGHQ進駐軍にそういう番組を作るように命令されて以来ずっとやってるそうです)、こんな話を今でも信じ込んでいる人ってどれくらいいるのでしょうか?(まだまだ沢山いそうな気もしますけど)

但し、上に書いた「誰も望まないはずの戦争」という表現には例外があって、実は「日本とアメリカが全面戦争に突入し、その結果として、国力の大幅に劣る日本が壊滅的な敗戦を迎える」というシナリオを事前に描いて、そのシナリオが実現すべく画策した人々ないし組織が(日本側にもアメリカ側にも、そしてこの両国の外側にも)いた、という話は一度検証してみる価値があります。

◆戦争「原因」の一考察

社会科の教科書には、第一次世界大戦の混乱のさなかに誕生したソ連の指導者が、ソ連一国だけの革命ではなく“世界革命”を目指した、ということまでは書かれていますが、その“世界革命”が具体的には“敗戦革命”という戦略プランに基づいて、各国に思想的共鳴者や工作員を扶植・養成し、ことに政府部内や報道関係者に内通者・協力者を獲得ないし送り込むことにより、時間をかけて実際に着々と遂行されていった(*1)、ということまでは書かれていません(※なぜ書かれていないか?は(*4)へ)。

もう少し詳しく説明すると、この“敗戦革命”というのは、

(1) かってソ連が、帝政ロシアが第一次世界大戦でドイツに敗戦を重ねて国内に生じた混乱(既存支配層の権威失墜と国民各層の窮乏・社会不安の増大)に乗じて、まんまと革命を成功させ発足したこと、をモデルとして、
(2) 革命対象国を何らかの形で悲惨な敗戦に追い込み、その混乱に乗じて革命を成功させる、とする冷酷な戦略で、
(3) 具体例として、第二次世界大戦での枢軸国側の敗戦に乗じて枢軸参加国であったハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・チェコ等で共産主義/社会主義政権が成立、敗戦国ドイツも東半分が共産化、また東アジアでは敗戦国日本に協力していた満州国や南モンゴルの自治政府が倒れ、また日本と戦って消耗していた蒋介石率いる国民党政府がその後の国共内戦に敗れて共産主義中国が成立、日本と合邦していた朝鮮半島でも北半分で労働党政権が成立しています。

そうした、日本の「誰も望んでいなかったはず」の戦争突入とその必然的な敗戦、そしてその結果としての戦後の東アジアの激変という状況証拠から見て、

<1> 戦前は「ソ連を盟主とする共産主義勢力の東アジア浸透の防波堤」になっていた日本をアメリカとの全面戦争に追い込み、
<2> この防共の防波堤を決壊させるとともに、あわよくば日本にまで“敗戦革命”を引き起こそう、と策動する勢力が、
<3> 我が国の内外に(※日本だけでなくアメリカや蒋介石の国民政府の側にも、また政治指導者だけでなくマスコミ・言論人にも)浸透していて、
<4> そうした策動に免疫のない我が国の政府や国民が相手の仕掛けに右往左往するうちに「誰も望んでいなかった戦争」にまんまと引きずりこまれていってしまった、

・・・と考えると色々と辻褄が合う所があります。

→つまり、先の戦争で結局誰が一番得をしたのか?という観点から逆算して、その原因を作った者を考える、という視点を持つ。
→あるいは、先の戦争の「成果」を現在、誰が一番固守しようとしているのか?という観点から逆算して、その黒幕を考える、という視点を持つ。

・・・ということで、この辺の話は興味があればネットや書籍で色々と調べて検討していただきたいのですが、要は、

「戦争は悲惨で残酷だ、二度と戦争を起こしてはならない」

とせっかく思うのならば、上で指摘したように

「では何故戦争が起きてしまったのか?」

というところまで、真剣に考えるのでないと片手落ちですよ、ということです。

※そうした視点の欠落を考慮して本作の評価点数を少し低く付けています。
※本作のような話は今までも色々と作られてきたと思うし、今後も作られてマスコミの陰/日向のバックアップ(*2)もあってヒットもすると思いますが、もうこういう「戦争は悲惨で残酷だ。二度と戦争はしてはいけない」と何となく思う段階で思考停止するのは止めませんか?

※レビュー本文ここまで。

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※以下、補足説明。
{netabare}
(*1)“世界革命“(※そして、その手段としての“敗戦革命”)を遂行するための謀略組織としてモスクワに「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が設置され、その指導下に日本/中国/イタリア/フランス等各国の支部組織(=各国の共産党)が設立された。

※なおコミンテルンの日本での具体的な活動成果として、日本の大東亜戦争突入直前に発覚した「ゾルゲ事件」(1941年9月発覚、ドイツ国籍のソ連工作員ゾルゲの逮捕を切っ掛けとする朝日新聞や近衛内閣周辺の工作員・協力者の検挙事件)が有名。

(*2)本作はクラウドファンデング(群衆の資金拠出)によって製作されたことを謳っていますが、実は某大手マスコミが色々とバックアップしているそうです(エンドクレジットにも登場)。

※参考→http://yaraon-blog.com/archives/96560

(*3)戦争名称について、ここでカッコ書きで「太平洋戦争」としているのは、それが実は、今でも決して日本政府の公式の用語ではないからです(※あくまで、マスコミおよび教科書執筆者が好んで使用する俗称でしかない、ということ)。
こう書くと驚かれる方も多いと思いますが、例えば、下記の

◎戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉全文(2018/8/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34167800V10C18A8000000/

・・・を謹んで拝読すればわかるように、政府の公式の表現は「さきの大戦」で一貫しています。
なぜそうなるのか?
一番簡単な説明は「戦没者の方々は決して先の大戦のことを“太平洋戦争”などと呼ばれなかったから」になると思います(※戦没者の方々、また実際に当時の戦争を経験された方々は、先の戦争のことを、開戦直後に日本政府が命名した“大東亜戦争”と呼んでいたはず)。

ところが、進駐軍は“東亜を解放する”という戦争当時日本が掲げた大義を連想させるこの用語を使用禁止とし、代わりに自分たちの用語である、“Pacific War”をそのまま翻訳した“太平洋戦争”という用語を使用するよう、日本政府・マスコミ・教育界に強要し、この方針に従わない者は職を解く(※いわゆる「公職追放」「教職追放」)という強硬手段に出たため、選挙の洗礼を受ける政治家はともかく、マスコミ・教育界の方は、その当時保身のため、あるいは自分の主義として積極的に進駐軍の方針を受け入れた“太平洋戦争派(つまり“東京裁判肯定派”=“自虐史観派”)”が今でも強く、頑なにこの用語を使い続けているのが実情です。

私個人の意見を言えば、上に書いたように“先の大戦”は、敗戦革命を目論む旧ソ連&コミンテルン(国際共産党)の各国(日・米・中華民国)・各方面(政界・官界・言論界)の策動に、我が国の政府や国民がまんまと嵌められてしまった(※我が国だけでなく、F.D.ルーズベルト政権下の米国や蒋介石執政下の中華民国も同様)結果として勃発した“愚行”であって、これを当時の政府が後付けで“大東亜聖戦”(※英米列強の支配する東亜植民地を解放するための聖戦)と壮語して、その真の勃発原因を糊塗してしまったことは評価したくないし、かといって、自虐に塗(まみ)れた“太平洋戦争”という用語も極力使いたくないので、結局、日本政府ではありませんが、“先の大戦”と表現するのが一番無難かと思っています。
但し、それでは私のスタンスがはっきりしない、という場合は、前記の“東亜解放の聖戦”というイデオロギー的含意を外して、専ら戦争範囲の地理的名称を明確に示す用語として“大東亜戦争”という用語を使用する方が、より妥当だと思っています(※米軍は専ら太平洋で戦ったので“Pacific War”が適切。一方、我が軍は太平洋だけでなくインド洋・支那大陸・満州・南モンゴル・東南アジア各地・さらにインパール作戦では英領インド領内まで戦闘を行ったので、それらを地理的に包含する名称として、“大東亜戦争”の語がより適切という意味)。

因みに以上の用語(戦争名称)の区別は、政治家・言論人・その他様々な立場の人たちの“先の大戦”に関する意識を推測するのに非常に有効です(※マスコミの報道にとらわれず、本人の直接の発言内容やTwitter/Blogなどでの発信内容を確認すれば、その人の意識がほぼ確実に推測できる、ということ)。

(*4)“敗戦革命”がなぜ社会科教科書には書かれないのか?
ひと言でいえば、執筆者の側が、かってそれを目指した(今も目指している?)側の立場だから。
上記のように、進駐軍の占領政策の結果、マスコミ・教育界に“太平洋戦争派”が強固な根を張ってしまい、それが今に至るまで続いている。
たまにそれに反発して『新しい教科書を作る会』のような組織が出てきても、ギルド化した既存の教科書執筆者/選定者の壁を打ち破れない。

※因みに、下記の動画にある「近衛上奏文」(※ゾルゲ指導下の工作員である尾崎秀実やその影響下にあった昭和研究会を政策ブレインとして重用し日本が対米戦争に引き釣り込まれるに至る最大の引責者となった近衛元首相が、戦争末期の1945年2月に昭和天皇に上奏した戦争原因と国内情勢を分析した文章)には“敗戦革命”が割と分かりやすく説明されています(※音楽が扇情的な点が鼻に付きますが)。

https://www.youtube.com/watch?v=73T4WDDkWfE

◎近衛上奏文(解説)

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。
近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。

1. 「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、
2. 一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること、
3. 「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞(ことば)であること、
4. 米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもでてきていること、

近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。{/netabare}

投稿 : 2018/12/09
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52

ネタバレ

yuugetu

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

戦時中の日常が確かにある

原作は既読でしたが、単行本発売当初なので随分前。
映画が素晴らしい出来で、改めて原作を読みたくなったので再度購入しました。
終了してから知ったんでしょうがないんですが、クラウドファンディング参加したかったなあ…

作画、演出、音楽も素晴らしく、原作に比べストーリーもスムーズに展開していて、原作とは違う良さがありました。
2時間ほどの長めの上映時間も気にせず観られ、誰にでも薦められる質の高い作品です。

戦時中(非日常)の日常系といえば良いのでしょうか。
その時代にしかない日常、どの時代でも当たり前の日常を、現代人にも共感できるように作り上げています。
原作にある当時の人々の息遣いを、映像によく反映させていると思います。

{netabare}
キャラクターの生き方に共感する部分が多いですね。
不安定な時代に居場所を求める登場人物たちには感情移入せざるを得ませんでした。

すずのいる家を自分の居場所と思ってはいても、すずが望んで嫁いできたとは思っていない周作。(まあ水原の件は「やっちゃったなー」って感じなんですが…ああいうのって当時よくあったんですかね…?)
まだ妻もなく、いつ死んでもおかしくない水原にとっては、幼い頃のすずとの思い出が自分の拠り所です。(ラスト付近で腕を無くしたすずが水原らしき兵士の後ろを行き過ぎるシーンがあります。終戦によって、水原にはもう心の拠り所は必要ないのかも知れません。)

自分の好きなように生きてきたものの、すずの嫁入りによって実家でも肩身が狭い上、最後の支えであった晴美も失った径子。
そして、晴美を守れず腕を無くしたことで変わっていくすず。
当時の女性にとって跡取りを産むまでは婚家では肩身が狭いものですから、コミカルに描かれているとは言ってもすずにも心労はありますし、径子にしても離婚してからずっと不安は付きまとっていたと思われます。

径子もすずも、お互いが居る呉の北條家を自分の居場所としていくことを決め、終戦後の闇市で二人でどんぶりをつつく姿には少しホッとしました。
{/netabare}

【原作の良さ】 {netabare}
原作は反戦意識は感じるものの、日常風景がもっと多く、それが非凡さでもあります。映画ではそのあたりは映像に上手に落とし込んでいる印象でした。

原作ではすずの絵を交えた手記が多く描かれていて、嫁いですぐのほのぼのとした内容から、戦争末期に進むにつれ暗い内容に変わっていきます。
そのためすずは語り部の性質も持っているのですが、一本の映画にまとめる上ではないほうがスムーズだと思います。

それから戦時中の時代性を具体的に感じる部分がかなりカットされています。
戦時中の習俗、文化、言葉は独特で、原作者こうの史代さんの丹念な取材と調査により作品にしっかり反映されています。
こういうのって規制にひっかかるのかなあ…。時代性を感じる描写ってとても面白いと思うので少し残念。 {/netabare}


【映画の良さ】 {netabare}
アニメーションならではの映像がとても素晴らしかったです。
ビジュアル面のリアリティを徹底して追求していたと思います。印象の柔らかい水彩画のような画風で、かえって身近さが増して感じられました。
すずの腕がなくなった際の演出には特にこだわっていて、本編中では数少ないすずのイラストのような描写が面白かったですね。
スタッフロールやクラウドファンディング出資者一覧の最後まで拘り抜いた映像作りもとても良かったです。

声優さんの自然な演技や、生活音、環境音も世界観に没頭させてくれる大切な要素だったと思います。
ストーリーとしては全体的に反戦映画の印象が強くなっているかも。
{/netabare}

余談ですが私の祖父母がすずや周作と丁度同じくらいの年代で、祖父母からわずかに聞いた当時の話に近い感覚が確かにありました。戦時中の時代感覚や生活の苦労がこういう形で伝わるのはとても良いことではないかと思います。
(2016.1.19)

投稿 : 2018/12/06
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39

weoikoiji

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

傑作

冒頭の曲の挿入から心を惹かれ息をつかせる間も無く最後まで終わっていた。

余韻が非常にすばらしい

背景、色彩、演出、どれもこれも感性に力強く溶け込んでいくようで

これぞ映画の醍醐味という感じで見終わった後の余韻に今も浸っている。


原作漫画を既読していて、いやすばらしい作品だが
これを越すことは無理だろ、どうせ脚本頼りの作品なんだろと高を括っていたが
原作より先にこちらで作品を見たかった。
そう思わせるほどの出来

序盤は、逐一アニメの醍醐味であるすばらしい背景作画色彩特殊な遠近狂わせ演出で心を奪われ、最後に象徴的な演出を連発。

完璧な作品などないのだから、多分何かしら言える場所はあるのだろう
しかし今この作品にケチをつけたらこの作品に相対化されて自分が矮小化されてしまう、そんなことを思わせるほど後に残る余韻が大きい

退屈な時間などないほど情報の密度の高い作品であり、観客を決して飽きさせない

繰り返し言うが、決して脚本頼りではない秀逸なアニメーション映画である。
同じ2016年同窓生である声の形君の名はと比較されることが多い本作だが、これは決してアニメーション映画ブームに乗ったから評価された作品でないことだけは確かだ。

高畑監督のかぐや姫の物語の予告編を見たとき美しさに思わず涙腺が緩んでしまった。
しかしその本編はあまり期待通りではなかった。
その未消化の気持ちが本作で解消されたように感じる。
おかしな事を言っているのは分かっているがそう感じた。

投稿 : 2018/12/01
閲覧 : 59
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12

ネタバレ

時計仕掛けのりんご

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 2.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

一億玉砕という日常をどう生きるか

原作未読です。


太平洋戦争の始まる辺りから終戦後までを、ある女性の目線で扱った話。
ただ彼女は学生時代に嫁ぐため、主婦でもあるが、まだ少女でもある。

確認するなら、天皇陛下は現人神であり、大日本帝国に敗北はなく、西洋社会に対して大東亜共栄圏を築き、世界平和を実現するという正義の為に戦いに臨んでいる。
この時代に生きる人々にとってこれらも事実、そういう目線でもあるだろう。



歴史的に見れば当然非常に大きな変動期に違いない。

だが物語はそれも単なる日常の一部に過ぎないとばかり、物資の窮乏していく中、それらを工夫で補っていく様も、笑顔を絶やさず生活にいそしむ様も、コメディーチックに描いている。
大声で笑うほどでもないが、基本を外さない、チャップリンやドリフを想起させるような、見るものを選ばない古典的・普遍的なネタだ。
防空壕を掘り進めていく所なども、まるで子供が秘密基地でも作っているかのよう。


そんな主人公が感情をあらわにするのは、連れ歩いていた幼い姪っ子と右手を爆弾で吹き飛ばされたときから。
ここを境に抽象的な描写が混ざりはじめ、主人公の気が迷走する様子がみてとれる。
加えてここを境に幾つかの伏線が回収されており、物語的にもターニングポイントなのだろう。


ただ、敗戦の玉音放送を聞いた際、他の人は戦況を察し、やはりね、仕方ないよねぇといったリアクションであるのに対し、彼女だけは最後の一人まで戦うんじゃなかったのかと激高し、一人号泣する場面は引っかかった。
戦争が終わって落ち着きを取り戻した後、「この先ずっとウチは笑顔の入れ物ですけ」というセリフがあったので、そのために一度突き落として泣かせておく必要があったのかなと感じた。
ほぼ唯一違和感を覚えたシーンである。それだけにしては唐突なエピソードだとも思えるので、他にもっともな解釈があるのかも知れないし、見解の分かれるところかと思う。
しかし、終戦後は米軍から配給を貰って、その美味しさに満面の笑みを浮かべたりとか普通にしているので、やはりこの場面だけがどうしても浮いて見えてしまう。



映画を見終わってから。

耳に残るのは、主人公すずの可愛らしい中にコロコロとした愛嬌があり、過酷な戦争の中にあってもなにか楽しげにすら聴こえる声。これは素晴らしい。この演技だけでこの映画は傑作と言っていいくらい。

その他の印象としては、「戦争映画」なのに泣かせどころとかがない事。
クライマックスはどこかと問われても、「ハテ?」と考えてしまう。
時代背景に比べてドラマ性を敢えて希薄にし、その分日常を丁寧に拾っているようだ。
前半のショートコントが続くような話の進め方が微笑ましければ、そこはそのまま笑って楽しんでいればいいと思う。

爆撃にあったのを境に前半後半が分かれることや、几帳面な伏線と回収の作業が目につくのは記号的、という印象を受けたかも知れない。
しかし記号的と解釈して見るのも正解だと思う。

冒頭で述べたような、時代性による様々な目線全てを、実感として登場人物たちと共有するのは戦争経験者でも無い限り不可能だ。
大体原作者や映画監督からして戦争世代ではないので意味がない。

今の日本で戦争を扱うのは難しく、記号的に理解するしかないのではないか。鬼畜米英と殺しあうのが当然の時代とか、戦車に竹やりで立ち向かうとかいう時代を理解しようとするのに、記号的回路なしには捉えきれないのはむしろ当たり前だろう。
私自身、戦争経験者から話を聞いたことくらいはあるが、話し手の口調と自分の理解に大きな隔たりを感じざるを得なかった。
そこで無理に背伸びするより、引いたところから等身大の日常として描いた事で、より一般に伝わりやすくなっていると思う。
むしろ変に銃撃戦とかやったところで、サバゲーファンが喜ぶだけなんじゃないだろうか。


更に言えば、私はこの映画に「戦争映画」「反戦映画」という印象は受けなかった。
主人公が一日一日を笑顔で埋めていこうとする様に対し、条件として過酷な戦時中を背景にすることでその態度を際立たせる狙いだったのではと思う。

だからこそ終戦後の「この先ずっとウチは笑顔の入れ物ですけ」というセリフには重きがあり、玉音放送を聞いた時の唐突に思える愛国心の発露が、その比重においてそれほど等価なのかと捉え、そう解釈した。




最後にもうひとつ、蛇足かも知れませんが。

実は観終わって耳に残った声はもう一つある。但し耳障りなものとして。
映画が始まってまもなく、タイトルのバックに少し流れていた、
「悲しくて悲しくてとてもやり切れない」という、何か救いようのない切ない歌だ。
私のような一見さんには、これからどんな悲惨な話が始まるのかと構えさせてくれる。
内容と対比させると、主人公が笑顔を絶やさず生き抜こうとしている姿をあざ笑うかの様にも響きかねない。その後のコメディー調の描写とも合致しない。というかまるで逆にも感じられる。
これは特に深い意味のない演出上のミスではないかと思い、ここまで触れなかった。
些細なことと個人的には感じたが、これはあくまでこのアニメ映画についてのレビューなので、気になったポイントにはやはり触れておく。


まあしかし映画監督の仕事というのはなかなか大変なものである。
そのせいもあり、立場もあるので、わがままでないと通らない位だ。

だから、
原作者がどれほど協力的であろうと、出来上がった映画はあくまで自分の作品である。
自らの表現であるので、原作者名などはテロップに数秒乗せるだけでいい。
世間一般にもこの先ずっと自分の作品として残る。
原作をただ忠実に映像化しようなどとは微塵も考えていない。
そこかしこで自分なりのカラーが出せていなければ納得しない。

最低限この程度の事はどの監督にも言えるだろう。
人によっては更に自己主張が強くなる。

このBGMが誰の仕事かは知らないが、監督の作品なのだから彼の主張と受け取って構わないだろう。
有名な歌なのでその点オープニングに使うには便利なのかも知れないが、やはり本編とは相容れない。
おそらくこの辺の表現は、原作と映画との間での齟齬が現れためではないか推測する。読んでもいない原作に肩入れするのもなんだが、終わりまで観て、ここは映像化にあたっての一貫性の欠如かと感じた。

投稿 : 2018/11/25
閲覧 : 72
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10

tao_hiro

★★★★☆ 3.6
物語 : 4.0 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

こぼれ話。

<2018年10月19日追記>

「拡張版」の公開が延期されました。

<2018年7月27日追記>

以前から噂となっていた「拡張版」の12月全国公開が発表されました。

「拡張版」とは、諸般の事情により本編から泣く泣くカットされたシーンを追加し、当初構想された形で公開されるものです。

正式タイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」です。

こちらもぜひご期待ください!!


・・・ところで、拡張版の公開を記念して、こぼれ話を一つ披露させていただきたいと思います。

私はクラウドファンディングに参加しました。その特典としてエンドロールに氏名が掲載されました。

ところが・・・なんと誤記されていたのです!

あはは、すずさんのあわてんぼう(笑)

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『人生のひとこま。』

<2017年3月1日追記>

この作品の最大のテーマは、「日常を大切にする」という事だと思います。戦時中であれ、現代であれ、人々は様々な苦難に囲まれています。そのなかから、いかに幸せを見つけ出し、育て育むこと。それの営みが「日常」であることを教えてくれます。

余談ですが、英語で「日常」は「Slice of life」と表現されることがあります。「人生のひとこま。」って、ちょっと洒落てますよね。

さて、この作品を劇場で見終えた後、脳裏に浮かんだ詩を披露させていただくことで、全5回にわたる冗長なレビューをまとめさせていただきます。


「人生のひとこま。」

誰かが 泣く
誰かが 笑う
誰かが 怒る
誰かが 祈る

この世界の片隅に
いつのときでも・・・

ありがとうございました。
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『豊かさとは?』

<2017年2月19日追記>

例えば、「裕福だけど不幸せな生活」と「貧しいけれど幸せな生活」ならば、どちらを選びますか?

ここで「裕福」とは「財産や収入がゆたかで生活に余裕があること」を意味します。「幸せ」とは「不平や不満が無く楽しいこと」を意味します。

私は迷わず「貧しいけれど幸せな生活」を選びます。

人間はモノの不足には耐えられても、ココロの不足には耐えられないように思えます。

この作品は戦時中が描かれています。物資は何でも不足している状態です。しかし主人公は、その物資不足を補うべくあれこれ工夫を凝らします。その工夫を楽しみます。たまにはドジを踏みますが、温かい家族のきずながそれを支えます。同じ貧乏の近所の方々とも支え合います。

それから70年経った現在で、貧困が問題となっています。さまざまな原因分析と対策が議論されています。しかし私はそれらは効果がないと考えています。

『心の豊かさ』とはなにか?を見つめなおす必要を感じています。
__________________________________

『健全な社会について考えてみた』

<2017年2月13日追記>

例えば、「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」と「毎年の自殺者が2万人で戦死者が0の社会」とでは、どちらが”健全”な社会だと思いますか?(2万人という数字は、昨年の日本の自殺者数を基にしています)

どちらの社会も「平和な状態」とは言えないことは明らかですが、どっちがマシでしょうか?

私は迷わず自殺者0の社会を選びます。

戦死は「敵に殺された」という疑いようのない理由がありますから、ある意味、交通事故と同じでしょう。遺族や友人は心の整理が比較的つけやすいでしょう。(ちなみに昨年の交通事故死者数は3000人です)

しかし、自殺は「自ら死を選ぶ」という禁忌を犯すわけです。遺書や何らかの形で理由を遺す場合もあるでしょうが、なにぶん当人の心の中にしか本当の理由は遺されていないのですから、遺族や友人はやりきれないでしょう。そして、「あのとき助けてあげてたら」といった後悔の念に囚われるでしょう。

自殺者の多い社会は、戦死者の多い社会よりも、世の中に暗い影を落とすと思います。

また、自殺の原因は、当人だけでなく、家庭や職場などの環境にもあることが多いと思います。周囲の環境が当人の危険信号をいち早く察知し、適切な手を打つことが出来れば、自殺を食い止めることが出来たかもしれないケースは多いと思います。

この作品で描かれた家族や地域社会は、それができる社会であったように思えます。

実際、自殺死亡者数の年次推移をみると、昭和11年の15000人までは増加傾向を示していますが、昭和12年から戦時中まで減少傾向となっています(ただし戦時中につき資料に不備有)。

「戦争でいつ死ぬか分からないのに、わざわざ自分で死ぬ必要はない」という考えもあるでしょうが、私は社会が自殺希望者を思いとどまらせたのではないかと考えます。

私は「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」のモデルである戦中の方が現代よりも人の心は「健全」だったと信じます。
________________________________________________________________
<2017年2月6日追記>

『戦争映画の復興』

色々な気持ちが交差してうまくまとまりませんので小分けにすることにしました。その第一弾です。

この作品、色々な賞を受賞し、各種メディアで取り上げられ、ネットでも多くの賞賛を頂いているのですが、私は「そんなに評価される作品かぁ?」と戸惑っています。クラウドファンディングに参加した人間としてはあるまじき感想ですが正直なものです。

戦争映画というジャンルは、本来、極限の状況における人間の姿を描く一大スペクタクルでした。光と闇、理性と感情、英知と無知、科学と精神、秩序と無秩序、勇気と卑怯、我儘と寛容、傲慢と卑屈、などのありとあらゆるテーマを取り扱う事ができました。

私が子供の頃の1970年代までは、そうしたバラエティーにとんだ作品たちが多く制作され、劇場やテレビで流れていました。この作品は、それらの作品と比べると、アニメ作品であることを覗けば特に目新しいものは見当たりません。もちろん、負けず劣らず良い作品ですが。

ところが、1980年代に入って、戦争映画というジャンルは一気に衰退します。原因は二つあると考えられます。

一つは娯楽の主役の座が映画からテレビに移ったことです。興行収入が減る中、製作費が高い戦争映画は避けられるようになりました。

もう一つは、70年代のムーブメントとして、ベトナム反戦・安保闘争・学園紛争・過激派闘争などを受け社会が左傾化したため、大東亜戦争観が変貌し、「反戦平和」をテーマとした作品が作られるようになったことです。これらの作品は、イデオロギー色が強く、エンターテイメント性に乏しく、興行成績は振るいませんでした。

2000年代に入ってから、若干のエンターテイメント性が感じられる作品が制作されるようになりましたが、「反戦平和」から抜け出すことはできないまま現在に至っています。

このため、若い人にとっては、戦争映画・アニメは「暗くて悲惨」というイメージになっているようです。

この作品は、イデオロギー色を極力排除できているように思えます。「何を訴えたかったのか良くわからなかった」といった感想がときおり見受けられるのがその証拠だと思います。

そして何よりも、劇場に足を運んでいただいたご年配の方やお子様たちが、上映中に何度も笑っていました。そして、すすり泣いていました。これこそエンターテイメントです。これは、80年代以降の戦争映画しか見たことない方々にとっては新鮮だったでしょう。そしてこれがヒットの一因だと思います。

この作品が「戦争映画の復興」への足掛かりとなることを強く期待します。それでこそクラウドファンディングに参加した甲斐があるというものです。

_______________________________________________________________
<2017年1月15日追記>

『Slice of life』

全国公開から遅れる事2ヶ月。やっとやっとやっと見る事が出来ました!
クラウドファンディングに参加した甲斐がある素晴らしい仕上がりでした。

色んな思いが渦巻き合って、納得できるレビューが書けません。
今はこの詩に思いを託したいと思います。


”Slice of life”

Somebody cry
Somebody smile
Somebody angry
Somebody pray
In a corner of this world
At any time.


お粗末さまでしたm(__)m

投稿 : 2018/10/19
閲覧 : 1243
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42

pin

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ヒロインの声、素朴でいいね

本作の内容は
まあ、太平洋戦争をテーマにした作品にありがちなよくあるパターン。

戦争の悲劇を後世に残すのは大切なこと。

でも、

もういいよ。暗いよ。

投稿 : 2018/10/08
閲覧 : 35
サンキュー:

3

ネタバレ

土偶

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

すずさん、こんにちは

この作品は、すずさんのお話です。
まず、すずさんが居て、たまたま戦争が重なったのです。

なので、戦争反対!や、平和って素晴らしい!みたいな宗教くさい話はありません。

映画が始まり、すずさんが登場、知らず知らずのうちにすずさんに引き込まれ、終わりにはすずさんと友人になれた感覚を覚える。そんな作品でした。

投稿 : 2018/10/03
閲覧 : 35
サンキュー:

6

ネタバレ

にゃん^^

★★★★★ 4.4
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

よかった。。

公式のあらすじ
{netabare}
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。


(年表があるから、気になったら公式HPものぞいてみてね☆彡
https://konosekai.jp/timeline/)
{/netabare}



感想
{netabare}
--------------------キリトリ線--------------------


絵が好きでいつもちょっとボーってした感じの少女がお嫁に行って
そこで戦争がきびしくなってって。。ってゆうおはなし


前半は
きつい人もいるけど、いい人たちにかこまれて
主人公のすずがほわほわしたまますごす日常系ってゆう感じで

後半は
毎日のように何度も空襲警報があって
ちょっとずつ暗くなってく感じかな?

さいごは
みんな大事な人とか物、体の1部とかなくなったけど
でも、さいごは戦争が終わってよかった☆
ってゆうおはなしだと思った。。



感想だけど
はじめはほのぼの日常系アニメみたいで
キャラデザも2頭身とかじゃないけど顔がちょっと大きめで
やさしい感じでよかった☆


こわい、鬼いさんとかいたみたいだけどよく分からなかったし
だんな(周作)さんのきついお姉さん(径子)も
ツンデレに近い感じでちゃんとすずのこと心配してくれてる
ってゆうのが分かって、お嫁に行っても大事にされてるみたいでよかった☆


にゃんはすずのことうらやましかった。。
ちょっときつい人はいるけどみんないい人で。。

戦争でいつも警報がなったり、攻撃をうけてみんな疲れてったけど
にゃんの小学校とか中学校のころってイジメとかで
いつもビクビクしてたから、ああゆうのってよく分かるけど
みんなで助け合えたらビクビクもそんなにこわくないんじゃないかな?って

にゃんはそのころいつも
学校がなくなったらとか、死ねたらいいのにって考えてたから
すずが右手と径子さんの娘の春美ちゃんを助けれなくって
径子さんから責められたりしておかしくなってったところとかよく分かる。。

爆弾の破片が飛んで家が焼けそうになったとき
そのままにしようかってちょっと思った気もちも
にゃんも小学校のとき、学校がなくなったらって思って
学校にマッチを持ってったことがあるからよく分かる。。

でも、すずにはいいだんなさんがいたから
その人の帰ってくる家はここだって思って家を守ろうって気が変わったから
イヤだなって思っても、大事にしてくれる人がいるってうらやましいな
って思った。。


哲さんが家に来たとき、だんなさんが
「あなたをここには泊められない」からって倉庫の2階に泊めたとき
にゃんは哲さんが夜這いに来るの心配してるのかな?って思ったら
すずを哲さんのへやに行かせた周作さんの気もちがよく分からなかった。。

でも、あとで2人で夫婦ゲンカになったとき
だんなさんは哲さんがすずの初恋の相手だって気がついて
もうすぐ死にに行く哲さんに
奥さんを貸してもいいって思ったのかな?って

それを知ったすずは
そのころはだんなさんのことが哲さんより好きになってたから
おこったみたい。。

その辺からにゃんは見ててなみだがにじんできて
2人のケンカ見ながらちょっと笑っちゃったけど
2人が話せるようになってきたうれし泣きだったのかよく分からなかった^^


でも、晴美ちゃんを守れなかったときから
なみだが止まらなくなっちゃった。。

飛行機から撃たれて逃げるところで周作さんに助けられて
よかった☆って思ったのに広島に帰るって言いだして
だんなさんはよくしてくれるのに帰るって。。
2人の気もちが伝わってきて悲しかった。。


でも、ホントに帰ろうってしたら
径子さんがやさしくしてくれてあやまってくれて。。

「すずさんの居場所はここでもええし
くだらん気がねはなしに、自分で決め。。」って。。
それですずが「やっぱりここに、おらんしてもらえますか?」
って言ったとき、こんどはうれし泣きが止まらなかった

でも、そのとき空がピカって光ったの見て
あ。。きっと広島に原爆が落ちたんだなって
そのまま悲し涙になっちゃった。。


それから終戦ですずが
「最後まで戦うんじゃなかったんか!!」って泣きさけぶところとか
もうなみだ止まらない。。


でも、みんなで電気つけてごはん食べれるようになって
よかった☆って思った。。

死んだ人がいっぱいいて
食べるものもあんまりなくって
みんなボロボロだけどよかった☆って。。


真白いご飯を見てよろこぶみんなを見て
また泣いちゃった。。

にゃんの家ではあんまりおいしくないのに
パパママがわざと健康のためって言って五穀米とか食べてるけど
そっちの方が白いご飯より高い^^

85年くらい前は白いご飯がごちそうだったってすごい不思議。。

塩がないから海の水がごちそうとか
ゴミの入ってる残飯ご飯を食べておいしいとか
にゃんってすごいぜいたくしてるなぁ。。って


すずが実家に帰って妹だけ生きのこったとか
みんなが誰かをさがしてるとか
ずっとじわーっってしたまんま。。


さいごはだんなさんといっしょにあの橋の上で。。

2人がはじめて会ったのってこの橋の上。。
って言ったとき通りすぎたのはすずをさらおうってしたバケモノ?

だんなさんにも見えたみたいで
すずと周作さんがはじめて会ったのって
あの人さらいのバケモノのカゴの中だったんだね。。

今はワニが顔を出してたけど
死んだお兄さんだったのかな?


あと、さいごのほうで哲さんが海のほうを見てたけど
すずは気がつかないで通りすぎてった。。

あの哲さんって英霊かまぼろしで
ほんとは戦争に行って死んじゃってたんじゃないかな?って


それから親をなくした子どもがすずのところに来るおはなしは
見てて悲しいってゆうか苦しかった。。

親が死んだの分かってなくってずっとつきそってて
誰もそれまで気がつかなかったのかな?。。って

でも、自分の子どもがたおれてても顔がくずれてて気がつかないくらいだから
戦争のあとってみんな自分のことでせいいっぱいだったのかな?

でも、自分の子どもが死んじゃった人とかもいたんじゃないのかな?
あの子は晴美ちゃんの代わりに幸せになれたらいいな☆彡



にゃんもいつも1人で帰ったりするときはボーってしてたから
何となくすずに近いのかも?

いない人が見えたりすることがたまにあるし

小学校のときは
ランドセルのうしろにつけて歩いてたはずの給食袋がなくなってて
学校までの道を何度もさがしたけどなくっておこられちゃった。。

でも、次の日、学校に行ったら机の横にぶら下がっててビックリ!?

その日は雨がふって道はドロだらけだったから
誰かがひろって置いといてくれたんだったら汚れてるはずだけど袋はきれいで

でも、たしかにかばんにつけて歩いてたときうしろで袋が
ブラブラゆれてた感覚をおぼえてるからすごくフシギだった。。

だから、すずが人さらいのバケモノとか座敷わらしを見たってゆうの
なんだか分かるな^^


ただ、広島弁がよく分からなかったり、大事なところがぬけてるみたいで
闇市の帰りに親切にしてもらった人(リン)が
おはなしの中にはそのときしか出てないのに
すずがなんども思い出したりしたこととか

すずに子どもができたって思ったのに
いつまでたっても生まれなかったけどどうなったのかな?とか
よく分からないところが多かった。。


でも、感想書くのにウィキペディアを見たら原作の情報がのってて
それを読んだらいろいろ分かってよかった☆

それで、また映画、見直したらちゃんと伏線みたいなのがあったから
たぶん、アニメの完全版ができたら入るんだって思う☆彡
そっちも見てみたいな☆彡



さいごに。。

戦争、イヤだなって思ってる人どうしで争ってたりするのって悲しいよね。。

みんなが戦争反対って思ったら戦争がなくなるといいんだけど
戦争反対の人どうしが戦争を止めるためって言って戦ってたら
けっきょくいっしょだって思う。。


にゃんはほかの国がおそってきたら逃げる。。
逃げれなくなったら殺されるか
もし、戦えって言われたら死ぬまで断食しようかな?って思ってる


でも、守るために戦うってゆう人のこと、まちがってるなんて言わないし
攻撃される前にこっちから攻撃しようってゆう人がいても
まちがってるなんて言わない。。

だって、にゃんはまちがえてばっかりで
正しいって思ったことがまちがってたことなんかいつものことだから
にゃんはほかの人がまちがってるなんて言えない。。

ただ、戦争ってイヤだなって思うから
自分だったらおそわれたら逃げるだけ。。
どこかの国が日本を侵略しても戦わない。。


そしたら早く戦争が終わって、また新しい日常がはじまるだけ。。

そのときはたくさんの人が殺されてて、食べるものがないかも?
日本語だって使えなくなってるかも?

でも、きっとみんな「早く戦争が終わってよかった☆」って言って
新しい日常をはじめるんじゃないかな。。

戦えば戦うだけムダに人が死んで
家とか畑とかもなくなって
ふつうの人がくるしい思いするだけだって思うから。。


このおはなしって
そうゆうこと言いたかったんじゃないのかな?って

{/netabare}

投稿 : 2018/09/10
閲覧 : 131
サンキュー:

43

ネタバレ

Jun

★★★★★ 4.3
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

終戦関連の話はきらいでも見てしまう、疲れる

できるだけ精一杯、天然主人公を利用して、ポジティブになるようがんばってる。それがまたつらい。日本の第二次大戦は基本バッドエンドの物語なので、のどかな田舎がでてきてもフラッグにしか見えない。スッキリしないし疲れる。わかっていても、この根性と天然に会いたくて見てしまう。暴力によって破滅しなかった、人間として生きる姿勢を見るために。

投稿 : 2018/09/01
閲覧 : 73
サンキュー:

13

ネタバレ

ぺー

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

戦時下の日常ってこんなもん

2018.01.14記

だいぶリサーチして作品を作り上げたと監督が言ってました。そのため、フィクションなのですが、戦時下の日常ってきっとこういうものだったんだろうなと今の私たちが納得できるような説得力のある作品に仕上がっていると思います。
ドンパチや悲惨さをことさら煽るような描写はなく、いわゆる戦争ものが苦手な方でもおそらく大丈夫で、鑑賞後はきっとじいちゃんばあちゃんまたはひいじいちゃんひいばあちゃんについて想いを馳せるようになるんじゃないでしょうか。
観終わって、「感動」「泣いた」とも違うなんともいえない余韻を残す作品なので、一見の価値はあると思う良作です。


私は公開直後に劇場で観ました。正直申せば、めちゃくちゃ期待した割にはそうでもなかったと肩透かしをくらった記憶があります。
それは、{netabare}そもそも戦時下の日常がどういうものかある程度の事前知識があって、映画での様々な描写が(実際はすごいことなんですが)違和感がなさすぎて、{/netabare}とどのつまり「日常過ぎるわ」というのが理由になるんだろうと思います。


以下は直接レビューとは関係ないのでたたんじゃいます。
{netabare}
歴史に詳しいとかの人にはごめんなさいですが、おおかた戦中期についてはよく知らないか、それともなんとなくのふんわりとしたイメージがまずはありますよね。例えば

「治安維持法ばりばりで人々は虐げられてたんでしょ?」
「軍部が戦争を煽ってみんな騙されてたんでしょ?」
「全国いたるところ火垂るの墓状態だったん?」
「大東亜戦争って言ったらガチの右翼っしょ」

この前提だと、本作はその先入観とのギャップを感じられてすごい良いと感じるかもしれません。「悲惨悲惨といっててもそこにはあたり前の生活やささやかな幸せはあったんだな、と思いました」となるでしょう。別に戦争に限らずですが、なんでも 光と影 というのはあります。ことさら影を強調し過ぎて実態を捉えづらくしたのが戦後の日本かと。さらに無い影を作る連中も多くいましたがこれはまた別の話。

ここ最近になって、そんな通り一辺倒のイメージに依らない作品もぽつぽつ出てきてるのはいい傾向なんだろうと思います。
{/netabare}
{netabare}
それと、戦争ものの面倒なところについても触れると「反戦」or「戦争賛美」で語られがちなとこですね。いや純粋に作品を楽しみましょうやと。普通の人はそんな外野の声に逃げてきますって。
通底するテーマは魅力的で示唆に富むもので創作意欲を掻き立てられるのに、史実をベースに戦争もの映画を作ろうとするのはハードルが高かったりするようです。だからデフォルメして『ゴジラ(初期のやつ)』や『ガンダム』とかで表現せざるを得なかったりしたのでしょう。最近(とは言っても10年前)でも『コードギアス』でルルーシュが言ってたのは、そのまんま大東亜共栄圏の思想に酷似してたりもします。
{/netabare}

と、オススメの作品と言いつつ「やっぱり戦争ものは苦手」と捉えられかねないこと言って忍びないです。
作品自体は2016年に劇場に足を運んだ2作品のうちの1つ(もう1つは君の名は。)とオススメできる作品にかわりはありませんよ。


-----
2018.08.31追記
《配点を修正》

実写ドラマ、能年○奈をすずさん役で出してたら絶対観てたと思う。

投稿 : 2018/08/31
閲覧 : 171
サンキュー:

39

ネタバレ

s__masa__

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

リアルバトルは日常系のなかで

観終わった直後の感想
「やばい。かなり良かった。涙が止まらなかった。胸が痛かった、まるでナイフで刺されたように。
動物に人間が作ったどんな綺麗な服を着せても、どこか野暮ったくなってしまうように、この作品を野暮にならずに語る言葉が見つからない。只々作品世界に飲み込まれてしまい、心地よさと切なさが入り混じる何とも言えない想いをお土産としてもらった、そんな感じです。」

正直、この作品は非常に前評判が良かったが、戦争モノという事で視聴後感がどうしても物悲しく暗くなってしまうと予測できてしまうので、避けていました。
まぁ、わざわざ視聴後にどんよりした気持ちになるために見たくはなかったのです。評判良くても。
しかし、機会があったので視聴してみると、暗く重苦しく切迫した空気を予測していた自分の考えを裏切るように、朗らかで明るくて優しい世界が迎え入れてくれました。舞台が戦時下であるのに、です。 
この物語は、主人公の女性の幼女時代から青年期までの日常を描いた「日常系物語」で、その主人公の女性の人柄がその優しい世界の源で、のんびり屋でおおらかなで働きものな性格の彼女の幼女時代、結婚、嫁入り、婿家族との2世帯同居生活を追いかけていきます。戦時下という環境ではあるが、そんな事を忘れさせてくれるような暖かい空気感で、「ノスタルジックな生活もの(恋愛もの?)」を見ているような印象を受けました。
特に、ますます配給が少なくなり、{netabare}工夫してレシピを考えたり、楠木正成公が籠城の時に工夫した楠公飯を作ったりする辺りの表現は最高でした。(食後の出勤時に婿と義父はしょんぼりしながら出社する[笑]){/netabare}
そして、そのおっとりはしているが強かに朗らかに生きていく姿の主人公に深く感情移入している自分がそこにいました。そして、その後はその感情が乗っている主人公やその周辺の優しい人々に降りかかる出来事に心揺さぶられっぱなしでした。

本当に良かったです。第二次大戦が描かれる作品の中でもトップクラスに良かったです。「火垂るの墓」は絶望感にどんよりしますが、本作は前向きになれる作品です。老若男女、特に女性にはおススメできる作品です。


◆◇◆以降は、良作に多弁になってしまう悪癖です◆◇◆
◆◇◆視聴後の方でお暇な方はどうぞ...◆◇◆

視聴時に気になった点{netabare}
①嫁入り時の「傘」の描写
②水原哲を家に泊めるのに、あえて嫁をあてがう
③玉音放送後の畑での号泣
④戦後、物々交換後の帰宅時に水原哲に声を掛けなかった
⑤「ばけもの」は、なにもの?

以下は、原作をじっくり読んでの個人的見解です。まぁ、こんな意見・解釈もあるのか、程度にお読みください。
①「傘」:これはまぁ「脚」の隠喩でしょう。「股」というと直接的ですが分かりやすいかも。つまり、男:傘を持ってきましたか?(問答スタート)→女:新しいのを(まだ未経験のを)→男:開いてみてもいいですか?(脚[股]を開いてもいいですか?=性交渉してもいいですか?)→女:良いですよ。
つまり、新婚初夜のぎこちない男女の、性交渉へのきっかけ作りの為の伝統的会話なのでしょうね。たぶん...。

②「嫁をあてがう」。これには2つの要素があるように思います。ですが、先に前提条件。周作はすずを愛していて大事に思っている。(これは前後の表現からでも良く見て取れる。)
そして、2人で街に出た時、同級生の水兵さんの話をすずから聞いている。(無自覚な淡い恋心があった事を匂わせる。)
という事を踏まえて、なぜあてがったのか? (1)お国の為に前線で戦っている、いつ死んでもおかしくない兵士がわざわざ同郷の女を探して来た(娼館ではなく)=恋しい、死ぬ前に会いたい、という意思表示。すずが以前話していた水兵はこの人で間違いない。そして、自分には見せない遠慮のない親密なやり取りを見せられる=同郷という事もあるがお互いに心が通っている。すずは、自分が嫁入りに来てほしいと願い、結婚までほとんど会った事も言葉を交わしたこともないのに嫁に来させている(本人の意思ではなく親からの返答で決まっている)。その事に対する負い目もある。つまり、この二人を引き裂いたのは自分の求婚の申し出。それが無ければ二人はたぶん...。  時代背景的にも終戦に近く、戦局的にお国の為に前線でいつ死んでもわからない、我々国民の為に命を投げうって戦ってくれている兵士、わざわざ会いに来るぐらい慕っている、自分が2人にしてやれる恩返しであり罪滅ぼしはこれぐらい→あてがう。という心理的な流れなんじゃないかと。
(2)原作を読まなきゃ分からないいのですが、周作さんには遊女のリンさんと結婚話までいった過去があります。周囲の反対により頓挫しますが、この事への負い目も(1)に加算されているように思います。
いずれにせよ、「旦那以外の男と寝る」ことは、鍵閉めてますから、家族が起きる前にこっそり戻る事はできないので、まぁ周作家族にもバレます。でも、周作が説明したら十分納得のいく理由があってこそだと思います。「前線の兵隊さんだし、強引に来てもらってるし、まぁ、一度ぐらい仕方ないよね。」が、着地点のように思います。切ないね~。

③「玉音放送後」 これは原作読まなきゃ本当の意味は分からないと思います。セリフを改変されてますし。
このセリフはたぶん政治色(左翼)が出てしまうのを抑えたかったのかなー、と思いますが、原作の方が解釈しやすいです。
「この国から正義が飛び去って行く」太極旗「暴力で従えとったいうことか」「じゃけえ暴力に屈するという事かね」「それがこの国の正体かね」
まぁ、左翼的表現ですね。でもこの方が分かりやすい。何故号泣したのか? 私の解釈では、こうです。
「正義ゆえの行動」としての戦争が「軍事力を背景にした利己的行動」としての戦争であったと気付かされてしまったから。
「軍事力を背景にした利己的行動」は、歴史的に見てどこにでもあり、大航海時代以降、黒人奴隷、米大陸の支配・植民地化などヨーロッパ列強を中心に世界を巻き込んで当たり前に行われてきた。そして、その魔の手はアジアにも及んできた。その魔の手に対抗すべく開国し、富国強兵のスローガンの下、軍事力強化を行い、欧米列強に支配されていた(支配されそうになっている)アジア諸国を守るという「正義ゆえの行動」として、戦争を開戦した、と国民は思いこまされていた。その正義の為に、尊く戦う。そう国は決意した。だから、一億玉砕の覚悟で国民総動員で戦っていた。正義の為に、親兄弟が戦死し、晴海が死に、右腕が無くなった。そして、正義の為に耐えてきた。
でも、たった2発の新型爆弾とソ連参戦で、あっさり敗戦を受けれた。つまり正義・信念を曲げたのである。何故曲げたの?「軍事力を背景にした利己的行動」では、負けると判断したら、降参するのが利己的行動であるから。それはつまり憎むべき相手とされていた欧米列強と同じ行動を日本も行っていた事に他ならず、「正義ゆえの行動」としての戦争では無かったことの証明だったのです。なので、太極旗→「(正義ではなく)暴力で従えとったいうことか(=軍事力を背景にした利己的行動=欧米列強と同じ)」「(利己的行動)じゃけえ(利己的判断で)暴力に屈するという事かね(正義の為に最後の一人になるまで誇り高く戦うんじゃなかったのか?そのために晴海や右腕を失ったのでは?)」「それがこの国の正体かね」

「うちも知らんまま死にたかったなぁ...」
玉音放送前までは、正義の為に誇り高く戦っていると国民みんながそう信じていた。自分も誇り高いと錯覚したまま死にたかった...。
と、解釈しています。

④「戦後の水原無視」これは②の「嫁をあてがう」の時の水原とすずの会話で、原作にしか出て来ない表現がキーになっている。
簡単に言うと「自分に対しての他者の対応が普通じゃない」。勤務時は「わら」のように理不尽に踏みつけられ、陸に上がれば「神様」のようにうやうやしく接してくれる。でもすずは以前と変わらず普通に生活している。そして、俺が死んでも英霊(神様的)としてではなく、(普通の幼馴染として)笑って思い出してくれ。そうじゃなかったら忘れてくれ。と言っていた。
しかし、玉音放送後、この国の正体に気付き失望していたが、水原には正義を信じて戦っていた人(英霊)として美しい思い出でいてほしかった(実際、「嫁をあてがう」の時はそうだった)、失望したくなかったので、声を掛けず、美しい思い出のまま、正義に満ちた笑顔の水原、いつも笑っていた晴海の、笑顔の入れ物になろうと思った。

⑤「ばけもの」はお兄さんの可能性大です。しかも霊体。もしかしたらあの橋にしか現れる事はできないのかも。
(1)原作の鬼いちゃん冒険記にワニと結婚して食料調達に行く姿がまさにばけもの。映画ではワニの嫁さんも出てくる。
(2)最初のおつかいの場面で、周作と出会わせる→死後、ぼんやりな妹の為。
(3)どこにでも出現できるなら、両親とすみちゃんも、すずの右腕も守れたはず。何かあの場所に特別な因縁が...。
まぁ、完全な憶測です。

◆上記のシーン以外で個人的に印象的だったシーン
①配給が少なくなって節約飯のレシピをあれこれ工夫するシーン
  主人公や作品の魅力が詰まったシーン。
②初の本土空襲で現実感が無く、水彩画的に描かれるシーン
  目の前の光景に現実感が持てない心情描写を本当に巧く表現している。 
③B29からの無差別爆撃をB29側から描いてるシーン
  戦争映像などで良く見るB29からの空爆シーン。しかし、その先には...。(涙)
④腕を失ってから夫も徴兵され、家に空襲で焼夷弾が落とされ、「この家が無くなったら、自由に避難できる...」と考えるが「夫が兵役から帰ってくるのはこの家だ、夫と再び会うためにはこの家を守らねば!」と必死で火を消すシーン。
  逃避による自身の安全より、夫との再会を選んだシーン。(涙)
⑤義姉の径子に心から受け入れられた、と実感できたシーン

他にも名シーンがいっぱいありました。
個人的な名セリフも沢山ありました。

のんさんの声も違和感なかったです。ていうかピッタリ!

2018年12月公開の30分増しバージョンも期待感があります。

この世界の片隅で、この作品に出合えた幸せに感謝します。
{/netabare}

◆◆追記◆◆
すず、周作(臭素)、哲(鉄)、リン、径子(ケイ素)、晴海(アルミ)、すみ(炭素)、浦野(ウラン)、北条(ホウ素)、サン(酸素)、要一(ヨウ素)などなど

◆◆追記◆◆同じ原作者作「夕凪の街 桜の国」を読みました。
「この世界の片隅に」が、あまりに良かったので読んでみました。
同じく広島が舞台ですが、戦後10年目と現代での物語です。原作者初の戦争ものだそうで、本作があって「この世界の..」につながる意味深い作品です。個人的には「この世界の...」の方が好きです。これは明らかです。ですが、「夕凪の...」も、「この世界の..」の時間軸的に後の話なので、広島原爆に関わった人の後日談的な物語として非常に興味深く見させて頂きました。

もっと「こうの史代」の世界に浸りたい方にはオススメです〜。

投稿 : 2018/08/30
閲覧 : 45
サンキュー:

11

Serlh11821

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

すさまじい

戦争のときの日常がリアルすぎてきついと思うこともありました。でも心に響きます。死ぬことは悲しいけど結構当たり前だよ?みたいな雰囲気がすごかった…

投稿 : 2018/08/21
閲覧 : 42
サンキュー:

6

みかみ(みみかき)

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

よかった

いやー評判どおりよかったわ。
原作は発売直後に読んでたんだけど、原作の読後感とまた違って、あじわいぶかい。

投稿 : 2018/08/13
閲覧 : 95
サンキュー:

7

ネタバレ

TimuTimu

★★★★☆ 3.6
物語 : 4.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

この物語も歴史の中の片隅でしかない

元来の戦争アニメは感動ポルノめいた作品ばかりでしたが、この作品はタイトル通り、戦時中の日常を描いたものだと思いました。私自身戦争を体験したことが無いのでよくわかりませんが、戦時中による日常で言うと信憑性があるのがこの作品です。


視聴者を飽きさせない演出や当時の細かな生活風景、少し頭を使ったギャグなど工夫がされているのは目に見えるほど分かりやすくしてくれています。

ただ、のんさんと小野大輔が初めて対話するシーンはさすがに耳が歪むくらい違和感があり、とても気持ち悪かったのは覚えています。
そこさえ慣れれば十分楽しめる作品ではないでしょうか。

投稿 : 2018/08/12
閲覧 : 84
サンキュー:

7

ネタバレ

shino73

★★★★★ 4.1
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

戦時下でも蝉は鳴く

浦野家の長女として生まれ育ったすず。
明るくて純真な心を持つ少女。
特技は絵を描くこと。
昭和19年2月、すず18歳。
少女に縁談の話が訪れる。
相手は呉に住む北條家の長男周作。
日本海軍の軍港として栄える呉の街での生活が始まる。

こうの史代原作、片渕須直監督作品。
当時の街並みを再現した素朴で美しい情景。
戦時下の日常を生きる人々を描く傑作アニメ。

そこにあるのは規則正しいささやかな暮らし。
戦争という非日常の中にあっても、
すずは工夫をして食事を作り、洗濯し、
衣服を直し、日々をたくましく優しく生きている。
しかし戦局は悪化の一途を辿り、
物資の配給は減り、空襲の回数は増えていく。
そして昭和20年、運命の夏を迎える。
広島に新型爆弾が投下された。

{netabare}焼け野原と化した広島の街並み。
敗戦の玉音放送を聴き胸が詰まるすず。
張りつめていたこれまでが飛び去っていく。
泣き崩れるすずの胸中に想いを馳せる。
みんなが笑って暮らせますように。
この映画を不滅のものとした名場面がここにあります。{/netabare}

戦争ものは総じて苦手なのですが、
ここには前向きなメッセージがあります。
すずが暮らした70年前の広島でも、
夏にはスイカを食べ、蝉は鳴くのですね。
そんな当たり前に過ごす日々に感謝をして、
懸命に生きた彼女にまた会いたいと思います。

投稿 : 2018/08/09
閲覧 : 380
サンキュー:

77

たわし(フレディ)

★★★★★ 4.4
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

完全版を制作する意味はあるのか?

個人的には2016年のアニメの中では「君の名は」なんかより遥かに面白かった。(無論、「聲の形」もそうだが)

原作漫画は残念ながら未読。何度も繰り返し見たくなるアニメかといえば首をかしげるが、
いわゆる宮崎駿や湯浅政明などの天才的な技術があるアニメというよりは、細かなところまで目の行き届いている「職人」のアニメである。

実際に片渕監督は、舞台となる広島の呉の街に何度も赴き取材し、当時の街並みや人物をくまなく再現したとのことで、その努力の結果が画面の現実的な説得力になっているのだと思った。

あと、なんといっても主人公すず役の「のん」の演技が凄まじい。完全に憑依しているとしか思えないほど、あるいは本人がそのまま本人役として演じているような気に思えてしまうほどぴったりだ。一番の驚きである。

話の内容に関しては、第二次世界大戦末期の日本ということなので当然、戦争の悲惨さが描かれているのだが、実はその世界のほんの片隅に存在する普通の人たちを描いているという。。まさに究極の「日常系アニメ」である。

なんでもキネマ旬報では2016年ベスト映画一位を獲得したとのことで、「となりのトトロ」以来、28年ぶりのアニメ作品だそうだ。

※余談ですが

ニュースで劇場版より30分長い完全版製作決定との触れ込みでしたが、果たしてそれは意味があることなのでしょうか?確かに原作を省いたところは結構あるので人気もあって製作されてもおかしくはないですが、この内容以上のものは得られないとの直感です。

と、いうよりもその予算を若手育成にまわさないと本当にアニメ業界潰れるんじゃないでしょうか?

投稿 : 2018/07/27
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22

511

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

強く、たくましく

広い世界の片隅でこの作品に出逢えたことに感謝。

投稿 : 2018/07/18
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5

cbr19880

★★★★★ 4.2
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

日本人は見てほしい。

日本で多分、本当にあったであろう話で、でいて、戦時の中ではきっと幸せな方な物語でしょう。ありきたりだけど、日本であった事を日本人は知るべきだとおもうし、特に知っていたほうが良い物語だと思う。

未来が幸せでありますように!!とか思ってしまいました。

投稿 : 2018/07/14
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5

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でこぽん

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

右手を失った人に「運が良い人」とあなたは言えますか?

この物語は、戦争という理不尽な状況の中でも、たくましく生きていく人たちを描いています。

主人公のすずは、のんびり屋でおおらかな性格です。
そして絵を描くのが趣味な女の人です。

すずのおっとりした性格や作画の柔らかさもあり、最初はなごやかな雰囲気で物語がすすみます。
でも、この時代は戦争中です。

不覚なことに、映画の途中まで、私はそのことをすっかり忘れていました。
しかし、{netabare}
不発弾の爆発ですずの右手がなくなり、一緒に歩いていた女の子も亡くなったとき
「ああ、この時代は、兵隊でなくとも、空襲でいつ死ぬかも知れないんだ。命の保障など全く無い時代なんだ」
と、改めて気づかされました。

そこから先は、悲惨な内容ばかりです。

右手を失くして大好きな絵を描くことができなくなったすずに、
「右手を失っただけで済んだので運が良かったね」と、おばさんが言うシーンがあります。
もちろん私だったら、すずにそんなことを言えません。
でも、
実際に第二次世界大戦で命を亡くした人が沢山います。
日本人だけで、約300万人です。 
その中には、栄養失調で亡くなった人や満足な治療ができずに亡くなられた方もいます。
戦争さえ無ければ、栄養失調になることもなく、治療もちゃんと受けることができたはずですので、
やはり、それらの人々も戦争の犠牲者だと思います。

だから右手を失ったすずに「運が良かったね」と言ったおばさんは、悪気など全くないのです。 {/netabare}

この物語の最後に、すずが、母親を亡くした子供をひきとるシーンがありましたが、
あのシーンが無ければ、暗く辛い内容ばかりで映画が終わってしまうところでした。
あれで私の心が救われました。

私たちは、自分たちや子供たち、孫たち、その先のまだ見ぬ人たちのためにも、戦争のない平和な世の中を大切にすべきだと思います。

投稿 : 2018/07/13
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52

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えくいてぃ

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

過去の大変な経験を今の世代の人にも伝えてくれる大事な作品。

今の日本からは考えられないと思うけど、
でもこれが現実だった世代があるのですよね。。
{netabare}
親が決めた嫁ぎ先へ嫁いで、
大事な人が戦争に連れて行かれても
ホントは寂しいはずなのにネガティブな言葉は一言も言わずに見送って、
夜中に突然空襲警報で防空壕に逃げ込んだり、
火事が起ればみんなで助け合って消化して、
そのへんの道端に不発弾が落ちてて爆発に巻き込まれたり、
それでも前を向いて必死に生きていくって・・
{/netabare}
この全てがほんの70余年前のことって、すごい世代だなぁ~~
って改めて思ったの。

投稿 : 2018/06/13
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10

ネタバレ

Progress

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

失ってばかりでは「この世界の片隅に」とはでてこない

簡単に感想で。

スズと日常
幼少時代、スズの家族は
父母に加え、兄、妹や、祖母に囲まれていました。
祖母はスズの優しさに気付いたり。嫁ぐ前に色々を教えてくれたりと、
家族的暖かさを感じました。

そして北條の家に嫁いだ後は、優しい夫、優しい義父母、気難しい義姉とその子供と暮らしていきます。
一人よそ者感のような物を感じつつも、色々な事を覚えて、色々な節約術を使い戦時中の困窮を乗りこえていこうとするその姿に、陰鬱な雰囲気が無く、見やすかったです。

その中でも、戦争の後半、もしくは戦後で、片腕と義姉の子を失いつつも、たくましく生きていこうとするスズと家族の家族愛のようなものがとても輝いてましたね。


スズと恋人

幼少時代にスズに対して水原が好意を抱き、
スズも水原の事を好きで、でも伝えられない思いというのが、
子供っぽさ、もしくは青春っぽさがあって甘酸っぱい恋とはこんな感じでしょうか。(水原=鷺で、スズ片手喪失後の呉の空襲でみた鷺、スズの絵でも描かれる鷺ですが、各自で考えたほうが面白いかな)

嫁いだ先の周作さんは、奥手なのか、繊細なのか、あまりスズと打ち解けることが出来ませんでしたが、
水原が北條家に来たときに初めてスズとケンカし、水原に嫉妬してしまうあたりから、
少しずつ夫婦っぽくなっていく二人の関係がとても素敵なんですよね。


スズと戦争

戦争に全く関わりの無かったスズの幼少時代、
嫁いでから徐々にスズと戦争の距離が縮まっていき、
奪うときはあっという間にスズから大切なものを奪っていったように思えます。
スズと戦争の関係の中で、スズの心がどう変化していったかを見たことが
この作品を楽しめた理由になると思います。

まとめ

戦時下という特殊な環境下で、一人の少女が女性になり、妻となり、その中で得たものと喪失したものがたくさんあり、その時の喜びであったりとか悲しさであったりとか、その時々のスズの変化や感情を丁寧に描いた作品でした。
私はそういうものをみてスズの命、人生のきらめきのような物を感じました。
戦争という舞台でのスズの人生のきらめきを描く話であり、スズの人生を通して戦争を語るという話ではあってほしくない気がするのです。


蛇足ですが・・・家を失った人を思い出した後に、北條家に燃夷弾が落ちたときにスズが消そうとしたのがスズの疑問の答えなのかな。

投稿 : 2018/06/07
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61

ネタバレ

ぜろろ

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

よくある戦争物とは全然違う

なんの気になしに視聴しましたがとんでもない作品でした。
絵がちょっと戦争物はちょっとって人も絶対に観たほうがいいです。


{netabare}この映画の素晴らしさってたくさんあると思うんですが一つにメッセージ性の薄さにあると思うんです(ちょっと誤解を招く表現かもしれませんが)。この話って戦争は絶対ダメなんだ!!とか、愛があればなんでも乗り越えられるんだ!!みたいな強いメッセージ性、別の言い方をすると説教臭さみたなものがありません。じゃあ薄っぺらい映画なのかと言われるとそんなことは全然なくて。戦争という狂ったことをしていた最中、こんな風に考え、感じ、確かに生きていた人がいたんだよっていうのが、細かく丁寧に描かれている、これがこの映画の肝だと私は思います。戦争はバカなことだ、虚しいことだなんてのは言われるまでもなくわかりきったことです。でも戦争ってのは今も起こっているし日本でも実際起こったことなんです。じゃあそんなバカなことをした当時の人々って洗脳にでもかけられて狂ってたのかっていうときっとそんなことはなくて。作中ではたびたびコメディっぽい描写がありました。心のどこかでおかしい、辛いと思いながら、当時は笑って少ない配給でどうにかやりくりして生きていくしかなかった、大切な物が次々と無くなっていっても毎日腹は減る、養う家族は存在する、そんな中生きていくしかなかった当時の人々の生き様。この作品では説教臭さなしで、すずの日常としてそれらが淡々と描かれています。こういう人がこの世界の片隅にいたって事実が大事なんだと思います。忘れてはいけないし、見ないふりをしてもいけない、なかったことにしてもいけないんだと、あえて言うならばそれがこの作品で一番伝えたかったことなのかなと私は思いました。


主人公であるすずというキャラクターもこの作品の大きな魅力の一つです。このすずというキャラクター、終始周りに流されて生きていきます。現在よく描かれる強い女性像って、周囲の声に負けない強い意志を持ってて自分で自分の道を切り開く、みたいのが多いと思います。もちろんそれも強い女性像、人間像としての一つの答えで間違いないと思います。じゃあすずみたく本当は好きな絵を続けることもできず、勝手に嫁ぎ先を決められて、といった人生を否応なく送った女性って弱々しいかわいそうな存在だったのでしょうか?作中コメディっぽい描写が多かったこともあり、すずが悲壮感に溢れている印象は受けませんでした。あんなに悲惨な状況なのに『まあそんなもんじゃろ』と言って彼女は笑って日々を過ごしていきます。たんぽぽの話がありましたが、流された先に根付き生きて行くってのも一種の強さだと私は思います。魚数匹だけ配給でもらってこれで家族全員食べさせていかんといけない、少ない配給だけどこれで家を切り盛りする、それが私達の戦場だと。こんなこと弱いかわいそうな人間にはとてもできないと私は思います。戦争も終盤に入り身も心も疲弊しきった状態にも関わらず、家に落ちた焼夷弾を体を張って消そうとするシーンがありました。そこには何があっても家を、家族を守ろうとする女性の強さを感じました。すずというキャラクターは最近見落とされがちな部分の女性の強さをもった魅力的な存在だと私は思いました(のんの演技も良かったですよね)。


あとは話の構成も魅力的でした。この話、失恋してそのトラウマを乗り越えるためにとか、夢があってそれを叶えたいとかが出発点ではありません。繰り返しになりますが当時あたり前のようにそこにあった日常を主人公がただ生きていくのがこの物語です(原爆が落とされる日に向かってカウントダウンはされますが)。戦争物ってどうしても説教っぽくなったりお涙頂戴劇になりがちです。それを上手に排除した仕掛けの一つが当時の日常をコメディ風に淡々と描くこの話のスタイルだと思います。もちろん本当にどうしようもなく悲惨な目にあって絶望してた人もいたかもしれない。でもすずみたいな人生を送った人も確かにいたというのも事実。あえてそこにスポットを当てることでわざとらしくないなるべくリアルな、当時の民間人にとっての戦争を描くことに成功したのがこの作品だと思います。{/netabare}


この作品を見た時、悲しいとも感動とも違うただただ言葉にできない、胸がいっぱいになる気分になりました。私の語彙が足りないってのもあるかもしれませんが戦争を経験してない私はこの気持ちを言葉にするってのは到底無理なのかもしれないと感じました。だからこそあえて強いメッセージ性を排除しつつ当時をリアルに描いたこの作品は胸に迫ったのかもしれません。

投稿 : 2018/06/03
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17

褐色の猪

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

夫婦愛、家族愛の物語

片渕須直氏監督、脚本

気張らぬ風景の奥深さ、戦争の音と日常の鼓動の対比も
劇場の大画面と良音響で驚き映えますね。

混沌とした時代でも人は日常を積重ね生きて行く。

気構えさせない作風ながら広く深く細かな洞察からなる創り込み

氏らしさ溢れる良いアニメーション作品でした。

投稿 : 2018/06/03
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27

ポトフの味噌煮

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

日本映画史に残る名作

タイトル通りです。
アニメという枠にとらわれず、各方面から散々褒めちぎられてると思うので、詳細は割愛。

見るべし。

さて。

世の多くの人に言いたいことをひとつ。

「ジブリ最高!」「『君の名は。』感動した」という方々は多いのに、深夜アニメのグッズを身につけてると「オタクw」と嘲笑される風潮は未だ続いていますが。

声を大にして言いたのは、アニメ界が「ジブリ大陸」と「オタク大陸」に分かれてるわけでなく、全て地続きということです。

本作監督の片渕須直氏が「BLACK LAGOON」の監督を勤めていた事実が物語るように、メジャー、マイナー、大衆向け、萌え系etc…全てがつながっているのです。

そこんとこよろしくお願いします。

投稿 : 2018/05/28
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8

ネタバレ

あぱぱ

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

実録 この世界の片隅に

視聴回数 5回くらい

世の中に反響を与えた有名な作品。戦争と生きるメッセージが刻まれています。

私の住まいは、この舞台になったところの目と鼻の先にあります。

子供の頃から馴染んでいたせいか、作中の防空壕や、将棋板のように走っている道の風景、山の勾配へ狭い路地に並ぶ住宅など、作品の中で描写されている情景がごく当たり前のように目に浮かびます。

実体験で言えば、防空壕の中はひんやりと冷たくて、奥に入っていけば外の音も聞こえなくなり、太陽の光も射してこない絶望的な気分にさせる空間になっています。人が掘った穴なので安全性もなく、いつ崩れて生き埋めになってもおかしくない場所。むき出しの地肌で、作品のような添え木は無かったです。
(今では封鎖されたり、埋められたりして入れません)
作品の描写で空襲のたびに防空壕へ非難する場面を見ると、私が感じた以上に恐怖と絶望に毎日怯えながら生きていたのだと感じます。

小学生の頃でしたが、7月1日に空襲追悼のために黙祷をする時間と、戦争について学ぶ時間がありました。

{netabare}空襲でスズさんが手を無くしてしまいますが、実際にそういう傷を残した人たちも身近で見てきました。
(両足がない人、両目が潰れてしまった人、喉がやられて声が出せなくなった人など)
そんな境遇になってしまった人たちも、スズさんと同じように精一杯行き続けています。{/netabare}

{netabare}物語中では語られていないですが、実際にあったお話です。
度重なる空襲で持病と空爆で生きるのが精一杯だった方がいました。
その家族の人たちは治療することもできず、苦しむ家族の姿を見続けるのが辛く、苦しむ本人のために穴を掘って生き埋めにして家族を殺すようなこともあったとのことです。{/netabare}

作品全体のイメージは地味な感じに受けますが、食へのありがたさや、生きていくための心の糧(絵を描く)など、平和な時代であっても大切にしていきたい内容が含まれています。

声優のキャストたちの演技も忠実で驚かされます。
広島弁と呉弁は若干イントネーションや語尾など違いがあります。この細かい部分を聞き分けるのは困難ですが、私が聴いた限りでは上手に表現されています。

2度と起こしてはいけない戦争の悲惨さを知るテーマとは別に、辛いことがあっても前向きに生き続けていく気持ちを大切にしたいという方に視聴していただきたいです。

映像で描写されるより、現実はそれ以上に悲惨です。体や心に傷を残して今日も生き続けています。

投稿 : 2018/05/28
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17

ネタバレ

うざっしー

★★★★★ 4.1
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

「お前だけは最後までこの世界で普通でまともでおってくれ」

ツタヤでDVDをレンタル(30枚くらいあった。BD無し。ターゲットに高齢者が多いと読んだ?)
戦時中の朝ドラ風日常アニメ映画。2時間9分あるが昭和十九年以前はかなりハイテンポに感じる。長尺版を作ってるのはそういうことだろう。{netabare}最後に孤児を拾うより原爆症のすずの妹の最期を描いたほうが良かったような。{/netabare}

製作委員会に朝日新聞社やTBSラジオが入っているのでやはり左巻きカラーはあるだろうが、あからさまな反戦臭は避けられていると思う。
ただ左上によく出る年月は〇〇年ではなく昭和〇〇年と表示して欲しかった。この表示は頻繁に出るので単なる数字として記号化・抽象化したいという意図があるのだろうし、日本人なら誰もが知っている昭和二十年八月の破滅へのカウントダウンという演出であることもわかるけど。
{netabare}民間人のすずに対する米軍機の卑劣な機銃掃射も、{/netabare}左翼的反米感情によるものからかもしれない。

{netabare}すずが18歳で結婚相手を親に決められてしまう展開をことさら不幸に描いてないのはいいと思う。「相手が嫌いかどうかもわからない」というのがすずの本心だろう。ドキュメンタリー的に乾いた視点で描いているのは優れている。
歴史物は神の視点で見られるので、広島市から呉市に移り住んだすずが幸運であることがわかるのは歴史物の面白さだと言える(ここで言う幸運とは広島市から離れられたこと「のみ」について言っている。あにこれでこれについてバカにからまれたので追記しておく。ほんとクズばかりのサイトになっちまったわこのサイト。電通では「CMは偏差値40の人にも理解できるようにする」という言葉があるそうだがここでもそれを強いられる。駿台の模試で偏差値66をキープしていた俺には理解できない底辺の世界だね)。広島市に住むすずの妹が「呉は何べんも空襲があって気の毒やねえ」と言うセリフが痛々しい。

軍事拠点の呉市では住人の多くが軍で食べているので戦争に肯定的な住人が多い。大和などの兵器に対しても否定的に描いてはいない。米軍の空襲機を迎撃する戦闘機の二千馬力エンジンを誇るおじさんには胸を打たれる。「戦艦と駆逐艦ばかりで航空母艦が無いねえ」「ねえ、敵は何馬力なん?」というセリフでチクリと批判はしてるけど。

雰囲気はほのぼのとしているが、序盤から後の原爆ドームが映るシーンを入れるので、もう悲惨な未来しか予想できない。
すずに子供が出来ないため(妊娠した描写があったが流産した?)母性が芽生えず少女性は残してふわふわ感を出している。すずが憲兵に目をつけられてるシーンもギャグで流してほのぼの感はキープしている。

そうして戦時中でも力強く生きる人々の生活が描かれいてるが…空襲が始まるとそれも限界に達する。人々はただただ疲弊してしまう。

終戦の日のすずの「飛び去って行く、うちらのこれまでは。それでいいと思ってきたものが、だから我慢してきたその理由が。…海の向こうから来たお米、大豆、そんなもんで出来とるんじゃなあ、うちは。…じゃけえ暴力にも屈せんとならんのかなあ。ああ、なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったなあ」という叫びがこの作品のクライマックスとなっている。
暴力…ここで言っている暴力は米軍の空襲とかそういう狭義なことじゃなくて、自分や周りの人々を押し潰そうとするこの世界からの暴力という意味ではないか。日本という一個の国で世界と戦っても、戦争においては米や大豆すら一国の物資でまかなえず、強国アメリカとの戦いを継続する力は無く、自分たちはこの世界から完全に自立できない。こんな残酷な現実を知らずにぼーっと生きていたかったという思いが込められているように感じた。(原作では朝鮮進駐軍とのからみでかなりニュアンスが違うようだがアニメではそう受け取れた){/netabare}

作画はさすがに同じ時代を描いたジブリの「風立ちぬ」には動きの面で及ばないと思うが、カット数が非常に多いので質より量で勝ると感じた。質的には深夜アニメで良いほうくらいで、京アニあたりには負けているとは思う。
キャラデザは女性キャラが4頭身くらいでかわいい子ばかりなので、ほのぼのした雰囲気も相まってついきらら系みたいだと思ってしまった。かわいい絵柄に反して、終盤は日本人なら誰もが予想できる展開になるんだけど。

投稿 : 2018/05/23
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28

試しに作ってみた

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

素晴らしい戦争アニメ映画。

この物語は、すずが小学生の場面から始まります。すずは、のんびり屋さんで、絵が得意な普通の女の子です。戦争については無知で、なにも考えずに過ごしているような、そんな子でした。

とあるきっかけで、周作さんとお見合い結婚?し、はじめはぎこちないですが、次第に引かれていきます。お見合い結婚ってこんな感じなんだなって思いました。恋愛はどんな形であれ、素敵ですよね(*^^*)

大切な人が亡くなるシーンは、なんともいえない悲しいシーンでした。グロい描写は少ないけれど、無音で、絵が衝撃的です。。

広島で原爆が落ちたことは、もう私たちは知っている事実。それがわかってるからこそ、途中、見ているのが辛かったです。 
主人公の実家は広島だから、ずっと心配でした。広島から逃げて!!
主人公がどうなったか、それを書くと完全なネタバレになるので書きませんが、
総じては、幸せな人生とは言えないけれど、最後は形としてハッピーエンドです。
       
この映画からは、戦争は、やってはいけない。そんなメッセージが十分に伝わります。
のんちゃんが主人公の声優だからか、大きく話題にはならなかったけれど、本当に素晴らしい作品。子供たちにも、大人の方も見てほしい。

少し脱線しますが、戦争のアニメと言えば、
火垂の墓を思い出します。火垂の墓は、戦時中に子供たちが必死にいきて、そのまま不幸になっていくお話。バッドエンド。小学生のときに火垂の墓を見て、少しトラウマになりましたが、とても素晴らしい作品だと思います。

この世界の片隅にの方は、不幸な描写は少なく、のほほんとした雰囲気の作品。直接的には表現しないけれど、主人公がみた戦争(第二次世界対戦)の姿を描いています。

のんびり屋のすずが成長して、次第に戦争について考え、自ら行動する。幼少期から大人になるまでの長い年月を描いているので、すずが成長する様子も見ものでした。

若い子が戦争アニメを見るならば、私はこちらの作品の方をおすすめします。
評判通りでした。大好きな作品です。

投稿 : 2018/05/22
閲覧 : 103
サンキュー:

13

kFNFM66461

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

なにこれスゴイ

心を揺さぶられて呆然としている。こんな気持ちは久々。凄いもの見てしまった。

後味に憎しみや苦みがない。切ないけど、洗われたような気持になる。
広島舞台の太平洋戦争アニメだっていうのに。

この時代がこんなに美味しく調理できてしまういち素材でもあったのね…


あと、食も興味深いアニメだけど、北條家がどんどんご飯が貧しくなるのが、ああーってなる。白飯山ほど炊いて肉とか魚とかソースとか砂糖とか一緒に持って行ってあげたい!!でもそんなシーンも悲惨になりすぎないように上手い事描かれている。

最近ドラマやアニメを見てもイマイチ集中できないので、感性が鈍ったか年取ったかと思ってたけど(どっちも事実だけど)これは最後まで食い入るように見た。素晴らしい2時間だった。

投稿 : 2018/05/19
閲覧 : 65
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9

ネタバレ

midmid

★★★★★ 4.5
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

心がジェットコースター

戦争映画はアカン。何ともやるせない気持ちになる。

とても素晴らしい作品でした。登場人物も魅力的だしこの時代背景にした日常パートはコミカルに描かれていてとても面白かったです。
しかし戦争映画。そんな日常も戦争の悲惨さで一転して登場人物達が苦しむ様は見ていてとても辛かったです。
視聴には覚悟が要るかと思います。

投稿 : 2018/05/01
閲覧 : 61
サンキュー:

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