1998年冬(1月~3月)に放送されたアニメ映画一覧 11

あにこれの全ユーザーが1998年冬(1月~3月)に放送されたアニメ映画を評価したーデータを元にランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年04月25日の時点で一番の1998年冬(1月~3月)に放送されたアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

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年代別アニメ一覧

77.9 1 1998年冬(1月~3月)アニメランキング1位
PERFECT BLUE -パーフェクトブルー(アニメ映画)

1998年2月28日
★★★★☆ 3.9 (647)
3017人が棚に入れました
アイドルグループのチャムに所属する霧越未麻(きりごえ みま)は突如グループ脱退を宣言し、女優への転身を計る。かつてのアイドルからの脱却を目指すと自分を納得させ(つつも事務所の方針に流されるままに)、ドラマ出演でレイプシーンを演じる。さらにはヘアヌードのオファーが来るなど、アイドル時代からは考えられなかったような仕事をこなしてゆく未麻。しかし、人気とは裏腹に未麻は現状への不満を募らせ、アイドル時代の自分の幻影さえ見るようになる。

えりりん908 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

エロくてグロくてつらくて。でも最後、スカッとします!

今敏監督、気にはなってたんですけど、
とうとう挑戦!視聴に及んでしまいました(*^▽^*)

結果は・・・・・・

面白かったです!凄く!!

お話自体はサイコホラーです。
怖いです。苦しくてつらいです。
リアルと虚構と悪夢と妄想が、
複雑に入れ子になっていて、
自分のいま見ている映像が、
誰のものでホントはどこにいるのか、
目眩のような混乱を感じて、
楽しいとか、ほのぼのとかとは正反対、
いつも何かに追い詰められているような、
そんな、安らぎとは無縁で、
ハードな展開が延々と続き、
見ているだけなのに精神を削り取って、
めちゃめちゃ暗い気分に追い込んでくれます。

エロチックは、もう全編エロいんで、
好きな人はそれだけを目当てに観賞するのもあり?
って思いましたが、
作品の根本的な「鬱感」が強すぎるので、
そんな短絡的な目論見は吹き飛ばしてくれる、
凄いパワーでした!



グロテスクがこの作品の真骨頂だと思いますが、
スプラッターではなくて、
心の闇とか病とかでの
精神攻撃がグングン迫って来ます!

ハイレベルなグロ、
凄く心に刺さります!

アイドルものって全然興味ないけど、
こういう
脱アイドルを目指したときの地獄!
めちゃめちゃドラマチックです!!!

投稿 : 2024/04/20
♥ : 28

阿紫カービィ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

閲覧要注意

何年かぶりに 観かえしました。

正直、今敏監督は苦手です。

が、この作品は、『原作者』の叫びが聴こえてくるようで好きです。(キャラクター原案、江口寿。最高です。)


お話としては、『あなた、誰なの?』に始まり『私は私よ』で終る。



まず、
未麻子の部屋が 強烈に目に飛び込んできます。

きっと
普通の女の子の普通の部屋。

まるで『覗き』をしているかの様な錯覚を覚えます。
(いいよ、狙いにハマってあげましょう…)

私は覗き魔になる。


そして
女優としての未麻の初の濡れ場のシーン。

レイ◎される未麻はとても美しい。ゾクッとする。

デフォルメのない、正確な躰のライン、
男の『in out in out』の動き…リアルでエロティック。

私は未麻を犯す男優になる。



どんどん不安定になって行く未麻

『解離性障害』という病

『ストーキング』(あえてあたしは偏愛と言いたい)


それらの『不安要素』が絡みあっての
ラストへの疾走。


私は思うのです、
この作品は、誰にでも有り得るであろう『迷い』からの脱出劇ではないの?と。



この作品を、『グロ』と思って欲しくない。

先入観で敬遠して欲しくない。

心の話、愛の話、そう思う人が一人でも多くいて欲しい。


『罪』を
人は 気づかないうちに犯している。

『こうあって欲しい』という願いが高じて

人を傷つけたり
無意識に自分を傷つけたり



今 自分に
『私、誰なの?』と問う
『解らない』と応えることしかできない


一生
応えられないかもしれない

それでいいと 思ってる




今監督の短編映画『オハヨウ』
こちらも合わせて視聴してみてください。


人の中に潜む、複数の『私』


複数が『ひとつ』になって
『自分』が完成する。




さて
今日の『私』はどの子とどの子?

投稿 : 2024/04/20
♥ : 59

shisune さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

あなた、誰なの?

サイコホラーのアニメ。始めてみました。
まさに衝撃。アニメでしか表現できない、というのは
まさにこれのこと言うのでしょう。

アイドル界が舞台のサイコホラー。
現実なのか、幻想なのか混乱させる二重人格の演出。新鮮ですが
このアニメだととても怖い。

あらすじを見ればわかりますが、なるべく一人でみるように…。

しかし、岩男潤子さんだと声がアイドルより過ぎる気がしましたね。
内容が内容なんでどうなんだろう。
内容とギャップがあって逆によかったのかな。


私はこのアニメを見て、影響されてしまい
今敏監督のパプリカ、千年女優などをみました。

監督の作った作品、一つも外れがありません。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 8

72.0 2 1998年冬(1月~3月)アニメランキング2位
帰ってきたドラえもん(アニメ映画)

1998年3月7日
★★★★☆ 3.9 (60)
450人が棚に入れました
人気アニメ「ドラえもん」の映画版第19弾「のび太の南海大冒険」と併映された短編アニメ。未来の世界に帰ることになってしまったドラえもん。突然の出来事にのび太はショックを隠せない。彼はドラえもんを必死でひきとめるが、ついにある決心をする。それは、ドラえもんが安心して帰れるように、これからは自分ひとりで問題を解決しようとするものだった。いよいよせまった別れの日。町へ散歩に出たドラえもんとのび太の前にジャイアンが現れる。いつものようにケンカをふっかけてくるジャイアン。そこでのび太がとった行動とは…。

71.0 3 1998年冬(1月~3月)アニメランキング3位
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生 Death and Rebirth(アニメ映画)

1998年3月7日
★★★★☆ 3.7 (517)
3738人が棚に入れました
西暦2015年。人類を襲う謎の兵器「使徒」に対抗するため、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンを完成させた特務機関ネルフは、14歳の少年少女達をパイロットにエヴァを実戦投入する。しかしその後ろでは同時に「人類補完計画」が進行していた……。95年10月よりTV放映され、大きな反響を呼んだアニメシリーズの劇場版。本作は多くの謎を残したまま終了したTV版の総集編と最終話という事だったが、制作が遅れに遅れ、その結末は本当の完結編、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)/Air/まごころを、君に」で描かれた。

atsushi さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

未完成

TV版(21~24話はビデオフォーマットで)、から「Air/まごころを、君に」を見れば、コレは見る必要がない。
劇場の公開日は決まってたのに、制作が間に合わなかったので出来た総集編と、とりあえず出来たとこだけ繋げたやつ。

コレだけで何かが分かるわけでもなく、TV版を見ずにコレを見ても意味が分からないと思う。
どうしても見るなら、こちらではなくDEATH(TRUE)2の方を。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 0
ネタバレ

Tuna560 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

弦楽四重奏 JOHANN PACHELBEL Kanon/D-Dur

TV版のおさらい用の総集編です。
これ単体で観てもある程度把握は出来るけど、同じ場面でも語り手が変わっている箇所があるので、一度TV版を観てからの方をお勧めします。

碇シンジが渚カヲル=最後の使徒を殺す18か月前。
その日、シンジは長野県第2新東京市の中学校の講堂でチェロの調弦をしていた。弦楽四重奏の音合わせをやるためである。やがて他のメンバーが次々と顔を出す。
勝気な第2ヴァイオリンの少女、無口なヴィオラの少女、浮世離れな第1ヴァイオリンの少年―――
彼らはパッハベルの『カノン』を奏で出す。
シンジが迎えるであろう、苦悩に満ちた戦いの記録を曲に乗せて。

弦楽器の奏でる音楽と回想の内容にギャップがあり、不思議な感覚に陥ります。
普通の総集編と違い、単体でもとてもいい作品だと思います。


ここからは『エヴァQ』視聴後に再度視聴して気になった点を羅列していきます。
{netabare} カヲルとの対峙の「その18ヶ月前」、シンジは長野の中学校でチェロの練習を初めた。合奏するメンバーを待つためだ。他の3人は次々とやってきて、そろった所で合奏を開始する。

昔に観た時には気付かなかったが、下記の点が気になる。
1. 入ってきたメンバーはレイ、アスカ、カヲルなのか?
2. 何故この3人が18ヶ月も前に、シンジの故郷の学校で合奏をしているのか。

これは、上映当時の考察ではシト新生公開の1997年3月から18ヶ月前がテレビ版が放映開始した1995年10月にあたるという物で、「イメージ的なシーンと解釈すべき」と明言されている。

しかし、『Q』が公開された今、話は変わってくるんじゃないだろうか?

もしこの仲睦まじく楽器を演奏する4人がチルドレンなら、これ以上無いハッピーエンドの描写になるんじゃないだろうか?
「旧劇場版」との繋がりとは『シト新生』も含まれるのではないだろうか?

『新劇場版』ではシンジがチェロを弾く描写は無いため…繫がりとしては薄いですが、一つの考察として記します。{/netabare}
(11/20追記)

投稿 : 2024/04/20
♥ : 7
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

(前編)シンジはヘタレ?

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 テレビ版の総集編に該当するのがこの『シト新生』ですね。ただ、見ればテレビ版の内容が分かるようなものではなく、テレビ版を見た人だけが分かる内容になっています。その点では、総集編としては特殊なものかもしれませんね。

 このレビューはもともと、旧劇場版のレビューとして書いていたものです。ですが、レビュー自体が思いのほか長くなってしまったので、導入部として書いた旧劇場版開始前までの内容、つまり、テレビ版第24話までの内容をここに分割掲載することにしました。(前編)となっているのはそのためです。(後編)が旧劇場版のレビューですね。
 ですから、このレビューでは『シト新生』を取り上げているわけではありません。テレビ版に掲載すべき内容なのかもしれませんが、あっちはあっちで別のことに使ってしまったので、そのしわ寄せとしてここを使っています。

 このレビューでは、ストーリーの細部までをフォーカスせずに、シンジが抱えるテーマだけを見ていきます。この(前編)では、「なぜシンジはあそこまでヘタレてしまったのか」というの明かすことを着地点にしています。ここを起点にして旧劇場版のレビューである(後編)に話をつなげます。


ざっくりした話から:{netabare}
 『エヴァ』がどんな話かをごく簡単に説明するのなら、「シンジの成長譚」ということになると思います。このテーマを全26話という長い期間を通じて描いていました。これを表現するためのツールとなっていたのが、「謎が解かれない謎解きロボットもの」というジャンルですね。

 で、このテーマとツールというのがどちらも曲者なんですよね。『エヴァ』は賛否両論ある作品ですが、テーマに連なる「シンジをどう見るか」で是非があって、ツールに連なる「謎解きや演出をどう見るか」で是非がある、というのが大まかな傾向なんだと思います。全く違う2つの事柄にそれぞれ賛否があるので、議論が拡散しちゃう。これが『エヴァ』を収拾のつかない作品にしている一つの要因なんだと思います。

 ただ、実際には賛否両論ではなくて、賛成多数だと思います。賛成派はわざわざ主張せず(サイレントマジョリティ)、反対派は大きな声を上げる(ノイジーマイノリティ)というのが世の常ですからね。賛否両論でバランスが取れているように見えたのなら、おそらく8割くらいが賛成派だと思います。各論反対であったとしてもね。

 私はツールの方も見るようには心掛けていますが、基本的にはテーマで作品の評価を決めています。もちろんテーマ自体に貴賤はないですから、その結論に至る論理性を見るってことですけどね。ですから、以下のレビューでは、「シンジの成長譚」としての論理性から『エヴァ』を見ていくことになります。謎解きに資するレビューにはならない、ということはあらかじめ断っておきますね。
{/netabare}

ストーリーの全体像:{netabare}
 ここはテレビ版で書いたレビューと大して変わりません。テーマだけで見ていきます。
 最終的な目標は、シンジの自立、「心の補完」です。この過程だけで24話も要しました。かなり丁寧にこれを積み上げています。そして結論で2話。非常にポジティブな形で終わります。シンジの自己実現の過程を見ていきます。

①とりあえずの居場所を確保する過程(第6話のヤシマ作戦まで)
 この世界に居場所のないシンジが、エヴァを取っ掛かりとして小さな自己実現をする過程です。勢いでパイロットになることを決めてしまったために、逃げては乗ってを繰り返します。目的意識がありませんから、日本中の電力を預かるという「周囲の期待」にも応えることができませんでした。これを乗り越えて、エヴァという初めての居場所ができました。

②とりあえずの居場所で成功体験を積み上げる過程(第7話から第16話の戦闘前まで)
 シンジが、エヴァによって勝利を積み重ね、他人に認められていく過程です。ゲンドウに認められることで、初めて自己実現欲求を自覚します。アスカとのキスがあるのもここですが、軸としてはあくまでもエヴァとゲンドウへの信頼です。シンジのエヴァに対する自信のピークは第16話の戦闘前ですね。第16話は「死に至る病、そして」の回です。

③とりあえずの居場所が崩壊し、自己喪失に陥る過程(第16話戦闘後から第24話まで)
 エヴァに乗って死にかけたという第16話、エヴァとゲンドウのせいでトウジを殺しかけたという第17・18話で、エヴァとゲンドウへの不信が高まります。カジのアドバイスで復帰しますが、その先に待っていたのは、エヴァに乗って自らの手でカヲルを殺してしまうという辛い結末でした。初めて得たエヴァという居場所が失われ、自己喪失に陥ります。これが第24話のあと、第25話の開始前の状況です。

④疑似的な自己実現ではなく、本質的な自己実現をする過程(第25・26話/旧劇場版)
 ①エヴァがないときはダメでした、②エヴァがあれば何とかなりました、③エヴァがあってもダメでした、から続くのがここ(④)です。シンジのダメさは、エヴァがあってもなくても同じだったんです。シンジが抱える問題は、周囲の環境にあるのではなく、シンジ個人にあるということ。
 最後の二話では、このシンジのダメな心を前向きに転換することと、環境のベースであるエヴァ(母親)とゲンドウ(父親)からの脱却が描かれました。そして、「おめでとう(自立)」となります。
 旧劇場版では、この後ろに「シンジとアスカ」というラストシーンが追加されました。それについては旧劇場版のレビューの最後で書きます。

 『エヴァ』のストーリーは、シンジにフォーカスすればシンプルな起承転結です。「①自信→②成長→③挫折→④再起」という形。でもこれがちょっと分かりづらい。『エヴァ』の問題点を一つだけ挙げるなら、「謎が解かれない謎解きロボットもの」というツールのせいで、テーマである「シンジの成長譚」が分かりづらいこと、だと思います。
 ですが、シンジの成長の過程で出てくる「エヴァがあってもなくても同じ」というのは、テーマに対するツールの立ち位置と同じですよね。ツールが面白いかどうかは作品の評価に大きく影響しますが、ツールだけだと中身のない作品だと非難されてしまいます。つまり、テーマあってのツール。テーマが読み難いのなら、ツールは無視してしまえばいいのです。
 次項からは、ツールを無視したときの『エヴァ』を見ていきます。
{/netabare}

ストーリーの具体化:{netabare}
 繰り返しになりますが、『エヴァ』は一人の少年の「①自信→②成長→③挫折→④再起」の話に過ぎないですよね。ここまでストーリーのプロットを単純化してしまえば、そこらにある少年マンガと何ら変わりません。
 ツールを無視してもテーマは読めるはずですから、『エヴァ』を別の形に具体化してみたいと思います。ここでは、野球マンガを例にします。野球のルールあんまり分からないけど…。①から④の記号はプロットに対応したものです。

①居場所の確保(ヤシマ作戦まで)
 自分に自信のない14歳の少年が、父親の勧めで野球を始めました。「どうして野球してんだろ」状態でしたが、ファインプレーがチームを救い、野球の楽しさを実感し始めました。チームにもなじめるようになりました。
②成功体験(勝利の積み重ね)
 試合での活躍が続き、晴れてエースになれました。「将来は野球選手になろう」と思えるほどになりました。
③-1 挫折(トウジ)
 調子に乗っていたら、チームメイトに怪我をさせ、彼の選手生命を奪ってしまいました。野球を辞めたくなりました。

 で、このあとに「再起」を描くのが通常の少年マンガのプロットですよね。
○少年マンガ的展開
 落ち込んでいたけど、励まされて「チームメイトの分まで頑張ろう」と思えるようになりました。そして大会優勝。

 でも、エヴァはちょっとだけ違うんです。挫折が二段階になっています。トウジの後にはカヲルがあるんです。
③-2 挫折(カヲル)
 落ち込んでいたけど、励まされて「チームメイトの分まで頑張ろう」と思えるようになりました。その矢先に、親友兼ライバルに死球を与えてしまい、命を奪ってしまってしまいました。

 つまり、「自信→成長→挫折→再起」の「挫折」部分はもうちょっと細分化されていて、「挫折→再起→挫折」で構成されているってことです。起承転結の転の部分が、一つの波ではなく、トウジとカヲルという二つの波で構成されているのが『エヴァ』の特徴ですね。そして、その二つの波の内容は、どちらも大きな挫折で共通しています。

 で、ここが第25・26話と旧劇場版のスタートですよね。そして、こんな感じにストーリーが展開します。
④-1「野球で生きていこうと思ってたんだ」「でも僕はもう野球やっちゃダメだ」「もう生きていけない」
④-2「野球だけがあなたの人生じゃないのよ」

 この野球の話って、エヴァと同じことやってるのに分かりやすいですよね(たぶん)。テーマを描くためのツールが野球だったら、「エヴァは分からん」なんて文句は出ていなかったと思います。
 エヴァって何?、使徒って何?、人類補完計画って何?、というツール自体の分かりづらさが、テーマをも分かりづらくしてるだけなんです。ツールばかりを見てるとテーマが分からなくなってしまうという好例ですよね。
 つまり、「謎が解かれない謎解きロボットもの」←大体こいつのせいなんですよ。ツールが分からないせいで、テーマへの共感が不十分になってしまう。ツールが気にならない人にとっては「分からないけど面白い」のに、ツールが気になる人にとっては「分からないからつまらない」という結論になっているんだと思います。

 次は、シンジが直面した「二つの大きな挫折」について考えていきます。
{/netabare}

テーマの一般化(二つの大きな挫折):{netabare}
 「なぜシンジはあそこまでヘタレてしまったのか」を解明するために、「大きな挫折とは何か」「それを二回繰り返すことにどんな意味があるのか」を探っていきます。今度は具体化ではなく一般化です。

 普通は挫折って、成長させるために描きますよね。成長のための必要悪として挫折がある。成長譚には、挫折は不可欠な要素なんです。その点では、小さな挫折も大きな挫折も変わりませんよね。
 でも、両者には明確な違いがあります。大きな挫折には「否定」と「喪失感」が付きまとうのです。

 野球でもエヴァでも、大きな挫折が起こると、まず「ツールの否定」が行われますよね。「野球をやりたくない」とか「エヴァに乗りたくない」とか。そして、そこで留まらないときに「自己否定」が起きてしまう。「野球をやってる自分はダメだ」とか「エヴァに乗ってる自分はダメだ」とか。「自己否定」をしてしまうから、自分の「存在意義」を見失うことになってしまい、「自分には何もない」という「喪失感」が出てきてしまうんです。「ツールの否定」が、巡り巡って「自己の喪失」として跳ね返ってくる。
 「そのツールが無ければ」「自分がそのツールを選ばなければ」「こんな思いはしなかったはずだ」という心の動き、つまり、ツール否定に自己否定が混じることが、自己喪失をもたらすのです。ツールに対する思い入れが大きいほど、「喪失感」も大きくなりますよね。「失敗しちゃった」程度の小さな挫折では、こんな「否定」や「喪失感」は生まれません。

 また、小さな挫折を繰り返すことと、大きな挫折を繰り返すことも全く違いますよね。
 小さな挫折の繰り返しは、ボトムアップとして人の成長を描くんです。乗り越えられることが前提としてあるから、いろいろな小さな挫折を乗り越えさせることで、人としての全体的な成長を描くことができる。
 でも、大きな挫折の繰り返しは違いますよね。乗り越えられるかどうかという瀬戸際に追い込んだ上で、更なる挫折で「絶望感」を与えるんです。こういう作品てあまり多くはありませんが、その代表格って『clannad』だと思います。{netabare}トモヤは愛妻のナギサを失っちゃうよね。この挫折で「自己喪失」に陥る。ナギサの分まで頑張ろうってなるけど、今度は愛娘のウシオを失ってしまう。トモヤがナギサという{/netabare}大きな挫折を通して成長できたとしても、同じような挫折が繰り返されると、更なる成長を考える前に「絶望感」を感じてしまうんです。主人公も、視聴者も。

 シンジが感じた挫折というのは、単なる「失敗しちゃった」程度のものではありませんよね。自分に存在意義を見出せない少年が、エヴァという存在意義を得た矢先に、そのせいで友人を失ってしまう。そんな大きな挫折なんです。このときの「エヴァの否定」と「自己否定」が、シンジに「喪失感」を与えてしまったのです。
 そして、その「喪失感」が、二度繰り返される「絶望感」なんです。「謎が解かれない謎解きロボットもの」のせいで読み難いけど、野球マンガや恋愛ものに具体化し、心情を一般化してしまえば、簡単に共感できると思います。

 次が(前編)の最後です。「シンジはヘタレなのか?」です。
{/netabare}

シンジはヘタレ?:{netabare}
 よく、シンジに対して「ヘタレ過ぎ」「ウザ過ぎ」という意見がありますけど、本当にそうでしょうか? 私にはすごく妥当な反応に思えるんですよ。ヘタレ「過ぎ」ではなく、「妥当な」ヘタレに見える。

 もし、14歳の私が将来の夢にしようと思えるほどに野球に打ち込んでいたとしても、チームメイトの選手生命を奪って、親友兼ライバルの命まで奪ってしまって、「それでも私は気にせず野球を続けよう!」なんて前向きに思えるのかなぁ、なんて考えてしまうんです。そんな友達に、「野球続けなよ!君には野球しかないよ!」なんて言えるかなぁ、と。
 きっと、私はヘタレてしまうし、励ます言葉もスラスラ出てこない。

 シンジがカヲルを殺すときに、なぜ葛藤しているのかを読めない人はいないと思います。カヲルが「使徒」というツールをまとっていても、「人類のために親友を殺せるか」という簡単なテーマだから読める。トウジのエピソードだって、単体で見たらシンジの心情は分かりますよね。テーマが読めてるときにはツールは邪魔にならないんです。

 シンジを否定的に見ている人がどれほどいるかは分かりませんが、シンジへの共感が不足しがちになってしまうのは、『エヴァ』がややこしいからなんです。全体を俯瞰しようにも26話もあってまとめ難いし、起承転結の転の部分が二段階構造になってるし、その中身は同じ大きな挫折が二回なんていう珍しいものになってる。
 それに加えて、ツールが「謎が解かれない謎解きロボットもの」だから、テーマへの理解を助けてくれない。挙句にこのツール自体が圧倒的に面白いから、テーマを忘れてのめり込んでしまう。
 結果としてシンジのヘタレている理由が未整理になってしまい、「なんだかよく分からないけど、ウザいから叩いとけ」となっているんだと思います。シンジの心情を読むのなら、まずは「謎が解かれない謎解きロボットもの」を無視した方がいいんです。テーマを読む時にツールが助けにならないのなら、ツールは無視した方が良いってことです。

 でも、万が一、心情を分かったうえで叩いているのなら、私にとってはちょっと恐ろしい。14歳の少年が、友人の選手生命を奪い、命まで奪い、その上で葛藤することを許さずに「さっさと野球しろよ」と言っているわけですよね。「俺なら野球続けるぜ」と。二度も愛する人を亡くした人に「さっさと次を見つけろよ」「俺なら次を見つけるぜ」と。これは私の理解の範疇を越えています。それゆえ恐ろしさを感じてしまう。
 そんな鋼の心を持った人なんていないと思いま…いるのかな? まさか私がヘタレ…?
{/netabare}

 というわけで、シンジはヘタレてるけどしょうがないよ編でした。
 続きは、旧劇場版のレビューになります。「三度目の挫折」「エンディング(シンジの救済)」「エンディング(シンジとアスカ)」の三本立てでお送りします。
 こんな長文に付き合わせた上でお願いするのも恐縮ですが、「三度目の挫折」だけはここの続きになっているので、できればそこまで読んでいただけると嬉しいです。エンディングは書かないとマズイかな、と思って書いただけなんで、実質おまけだから読まなくて大丈夫です。
 リンクは貼らないので、直接探しに行くか、私のレビュー歴からお願いしますね。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 3

69.4 4 1998年冬(1月~3月)アニメランキング4位
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に(アニメ映画)

1998年3月7日
★★★★☆ 3.9 (83)
916人が棚に入れました
一部の若者層に圧倒的な支持を得た話題のTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」。97年春に公開されたその劇場版「シト新生」に続く劇場版の完結編。 アスカが乗った弐号機と量産型エヴァとの戦い、人類補完計画の行方、 そして、シンジの心の旅路の終着地点はいったいどこなのだろうか。全てのファンが待ち望んだ物語の結末が、ついに明かされる。

声優・キャラクター
緒方恵美、三石琴乃、林原めぐみ、宮村優子、石田彰、山口由里子、立木文彦、清川元夢、山寺宏一、関智一、岩永哲哉、優希比呂、長沢美樹、子安武人

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

人と人の繋がりこそが「人間らしさ」を決める。

「平成」が終わって、「令和」になりましたが、「平成」を物語る上ではこれ以上のアニメはないと思うくらい平成の総括的なアニメ映画だと思います。

これはアニメ業界にとってもはや「事件」と言える内容だとも言えます。

その前にも富野喜幸の劇場版「伝説巨人イデオン」の接触篇発動篇や、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」などの「事件」はありますが、ここまで「時代」とシンクロし、当時から今の時代に続く(「進撃の巨人」や「デスノート」などの)社会不安をそのまま映画化できたのは奇跡だと言えるでしょう。

アニメーション表現の限界だとも言える本作は、日本にしかできない独特のエロティシズムや倫理観や人間観が最大の特徴でしょう。

未だに、「日本映画」として凄いことを庵野監督は行ったと思います。

新海誠さんや、細田守さんや湯浅政明さんなども凄いアニメ映画監督だとは思いますが、衝撃的でセンシティブな表現ではないんですよね。

先の監督にはどこか「安全圏」から映画を作っているのです。

しかし、庵野監督や宮崎駿監督にはそれ以上の「本気さ」が見えるのです。
まるで観客とガチンコで喧嘩をしているような真剣さがあるような気がします。

未だにこれを越える衝撃的なアニメ映画には出合っていません。無論、こういったものを作ろうとする映画監督にも会ったことありません。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 6
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

25話26話=まごころを、君に=シンエヴァでしょう。

 意味不明と言われていたエヴァンゲリオンTVシリーズの25話、26話のやり直しのAIRと26話で出た予告編「まごころを、君に」の実現ですね。DEATH2は総集編ですので省きます。

 綾波、アスカ、ミサトがどういう存在だったかを説明するのが目的だった気がします。途中で5人の女性に感謝とクレジットがあります。現実の女性のことなのか、作中の女性なのか。この3人にリツコを加えて、後1人は誰でしょう?母=エヴァ?マヤ?

 以下勝手に私が女性たちについての意味を解釈しました。

{netabare} 綾波は簡単に言うと虚構の恋人=アニオタの嫁としての萌えキャラです。巨大化した綾波に女性器のメタファの割れ目ができるのが露骨ですし、作られた存在=クローンでした。性格も記憶も作られていましたし。同時に母でもあるところが結構いじわるです。
 世界が綾波によってのみ込まれる=内面が萌えキャラの妄想に浸食されるということでしょう。

 アスカは現実の女性です。だから当たりはきついです。首を絞めたくなるほどです。それにせっかく相手から心を通わせようと近づいてきても、性的な目でしか見れないです。自分の邪な心をしっているので距離感がつかめません。余裕もありません。
 だから、冒頭でオカズにしてしまいます。最後、首を絞める=犯すのメタファだと思いますが未遂に終わって泣いてしまいます。そこで「気持ち悪い」ですから、救われません。
(それとも本当に殺したかった?現実の女性など死んでしまえと?そっちでも取れますね。ただ、キモオタシンジが勝てるわけもなく…)

 ミサトはセックスを知っている大人の女性です。普段はバリバリ仕事をこなし、少年の憧れで指導者ですが、性に溺れている姿など見せません。女性の性的な現実を知って少年は落ち込むでしょう。

 この3人の女性は少年から見た性の対象の3形態です。虚構の恋人である綾波レイは消えてなくなります。そして本来男女の関係としての接点など持ちようがないミサトも死んでしまいます。この中で恋愛対象とすべきはアスカだったわけですが、結局シンジはエヴァにすら乗れずアスカを見殺しにしてしまいます。

 最後の実写パート。そして、キモオタたちが映画を見ている姿、エヴァの登場人物のコスプレをした少女を見せつけられます。そろそろ現実に戻りましょうかという意味でしょう。{/netabare}

 リツコは父の愛人ですから、彼女もある意味女性の性の形ですね。ですが、少年の性愛の対象とは対極にいます。
 カヲル君ですが、エア友達でいいんでしょうか。または良心?
 量産型エヴァが綾波に変わりますよね。そしてそこに性的なメタファとして槍がささるわけです。これは2次創作?グロテスクなのは歪んだ性欲を表していた?

 で、感想ですが、非常に面白いです。TVの2526話が比較にならないのはもちろんですが、ストーリーがある分シンエヴァよりも格段に面白いです。アニメ絵としては最高のクオリティで、ストーリーも構図も演出もセリフもテンポも最高でした。

 内容はシンエヴァとほぼ同じですね。かつ、試しに25話26話も見ましたが、これも同じですね。後になるほどどんどんわかりやすくなっています。
 なお、シンエヴァではアスカの立ち位置が微妙に変わっていますね。アスカも萌えサイドに移っていました。だから、アスカは苗字が変わってマリが必要だったのでしょう。あとは現実の女性の象徴は北上というギャル隊員がいましたね。
 
 面白かったですが、また最後のところが寸劇になってしまいました。現実へと視聴者を誘導する手法が思いつかなかったんでしょう。ですが、TV版よりはるかにストーリーになっていたし、理解しやすかったでです。
「まごころを、君に」の読点ですが、「君に」を強調したかったのでしょう。つまり見ている我々にメタ的に言いたい事がある、という言いではないでしょうか。

 
 結局25年もかかって、現実に戻れを繰り返し言っていたわけです。で、SSSSグリッドマンの最後を見てみると感慨深いものがあるかもしれません。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 10

65.8 5 1998年冬(1月~3月)アニメランキング5位
ザ☆ドラえもんズ ムシムシぴょんぴょん大作戦!(アニメ映画)

1998年3月7日
★★★★☆ 3.6 (17)
96人が棚に入れました
ドラえもんズの友情を描いた短編アニメーション映画。映画版「ドラえもん」の第19弾「のび太の南海大冒険」の併映作品。監督は「ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!」を手がけた米谷良知。ロボット学校の修学旅行を楽しむドラえもんズ。しかし最終日には卒業試験が控えていた。試験の内容はムシムシランドのムシロボットとペアを組み、日没までにロボット学校へ帰るというもので、これをクリアできなければ落第になってしまう。ムシムシロボットを探し、学校へ向かうドラえもんズだったが、彼らの前にはさまざまに困難が待ちかまえていた。

65.2 6 1998年冬(1月~3月)アニメランキング6位
ドラえもん のび太の南海大冒険(アニメ映画)

1998年3月7日
★★★★☆ 3.5 (67)
438人が棚に入れました
夏休みの宿題に、しずかちゃんたちと海の研究をすることになったのび太。しかし、彼は「宝島」の本に夢中になるばかりで、ちっとも研究は進まない。それどころか、ドラえもんに本物の宝島に冒険がしたいと言い出したのである。いつもののび太のわがままに、仕方なく宝探しのセットを出してやるドラえもん。ふたりは、しずかちゃんたちを誘ってミニ帆船に乗り込むと、宝島へと出発するのであった。

HG anime さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

カリブの海賊

バイオテクノロジーを駆使してつくられた合成生物が登場する。わたしは小学生のころにこの作品を見たが、そんな生き物たちを観ているだけでわくわくした。是非、子供に夏に観てほしい。海に行きたくなる作品である。
2013/04/13

追記:2015/11/02
久しぶりに観ました。この作品を観るのはたぶん中学2年の時以来です。
ベティという登場人物をすっかり忘れていた。思えば私は小学生の頃ベティが大好きだったんだ。なんで忘れていたんだろう・・・
ジャイアンの歌声をうっとりと聞くベティ。ピアスをしててサバサバしているけど優しいベティ。男勝りの身体能力や物言いなのに女の子の魅力があって笑顔がキラキラしてるベティ。特に終盤のおしり印のきび団子を食べたキマイラが逃げ出すシーンのベティのあの笑顔・・・ ハッとするような美人ですね。
ジャイアンの数少ないラブストーリーなのかねこれ。(ベティちゃんに手を出したら許さんわあのゴリラ)
エンディングの吉川ひなのさんの『ホットミルク』は小学生の頃の私はてっきりベティが歌ってるものとばかり思っていた。
改めて見るとやっぱり名作ですね。
変更点:声優★3.5→4.0 音楽★3.5→4.0 キャラ★4.0→4.5

投稿 : 2024/04/20
♥ : 2
ネタバレ

ノリノリメガネ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

可もなく不可もない冒険もの

シリーズ19作目。
{netabare}
本作はのび太の思いつきとたぐいまれなる勘によって、宝島を目指して冒険をしていくところからスタート。

いつも以上に冒険感が演出されていて、さらに今回もドラえもんの道具が制限された回でもあり、島に住む見たこともない危険な生物など、観た子供たちはワクワクすること請け合いであったろうと思う。

結構敵が悪党で、改造生物を作っては売ることを目的にしていたが、よくよく考えると「日本誕生」のときにペガサスとかドラゴンとかをのび太も作ってたけど、あれはいいのかと疑問に思った。

結構ゲストキャラが魅力的でベティとジャイアンの関係も良かったし、るフィンは万能でかわいかった。

非常にシンプルな冒険もので、普通と言えば普通なんだけど、悪いところもそんなに目立たない作品。

吉川ひなののエンディングがかなり斬新だった。
{/netabare}

投稿 : 2024/04/20
♥ : 0

63.2 7 1998年冬(1月~3月)アニメランキング7位
るろうに剣心 明治剣客浪漫譚 維新志士への鎮魂歌-レクイエム(アニメ映画)

1997年12月20日
★★★★☆ 3.4 (72)
437人が棚に入れました
幕末、薩長同盟の締結場所・鈴屋に「人斬り厳達」と呼ばれる剣客ら数人が襲撃してきた。護衛に当たっていた緋村抜刀斎は「人斬り厳達」と斬り合い、葬ることに成功する。その後、同盟は成立、そして時世は新時代と突入するのだった。時は過ぎて明治11年。新しく建設された洋館を見物するため、陸蒸気で横浜に向かった剣心達一行(なお左之助はアニメでは陸蒸気を極度に恐がっていたが、なぜかここではとても興奮していた)。その帰路、酔った外国水兵が器物破損等の迷惑行為を働いている現場に遭遇する。直後、一人の女性が水兵に悪行三昧を止める様に説得するが彼らの矛先は彼女に向かってしまう。そこに時雨滝魅という男が現れ剣心と共に水兵に立ち向かう。時雨はその剣腕で水兵の持つ武器を一瞬で破壊するが遅れてやって来た警官隊から身を隠すため、剣心とある寺に向かう。

AKIRA さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

青空は高くどこまでも澄んでいなければならない

じつはるろ剣唯一の劇場版作品だったりする

剣心が天翔龍閃を会得していたり左之助が二重の極み!を使ったりしているあたりから京都志々雄真実編の後くらいと推察できます。

最初の厳達と剣心の戦闘シーン、後半途中まで何度も回想されるのでややうっとおしかったですが、一応終盤の伏線になっていたので納得。

ストーリーの方は剣心の過去にも触れつつ彰義隊や白虎隊の幕末要素もとりいれつつといった感じなのですが、どうもよくある時代劇チックな展開でこれならわざわざ劇場版にしなくても…といった印象でした

OPがL'Arc〜en〜Cielの虹だったのが一番驚きましたね。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 7

59.6 8 1998年冬(1月~3月)アニメランキング8位
銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー(アニメ映画)

1998年3月7日
★★★★☆ 3.3 (21)
71人が棚に入れました
機械人間との戦いの旅から一年、地球に戻った少年・鉄郎は、今では新たな支配者・総督ボルカザンダIII世から危険分子とみなされ、処刑されようとしていた。
ところがその時、メーテルを乗せた999号が鉄郎を救った。
999に乗り込んだ鉄郎はメーテルと再会。
彼女から宇宙に暗躍する闇の支配者との戦いに鉄郎の力が必要であることを聞かされ、懐かしい車掌や星屑になった筈のクレア、新しい仲間である電子妖精のカノン、そして猫のミーくんらと共に、終着駅アルティメイトへ向けて新しい旅に出発する。
太陽系を通り越して、次の停車駅である惑星大テクノロジアへ向かう999。
途中、その軌道に異変を察知した銀河鉄道は、ブライトリングファイヤーフライ駅に緊急停車した。だが、そこで彼らを待ちかまえていたのは、闇の支配者の先兵、女騎士のヘルマザリアだったのである…。

Moji さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

「さよなら」の続編

1999年、「999」にちなんで「完結編」を企画していたそうだ。
その序章にあたる作品で、最後に「1999年... 銀河鉄道999 宇宙の中心へ!」の文字が躍った。
しかし、配給収入が目標に届かなかったため「完結編」は中止となり「ヤッチマッタ映画」になってしまった。
原作通りではないらしく、かなりの苦情がでたということだが、原作を読んでいない私にとってはフツーに楽しめた。
まぁ、相変わらずの鉄郎の正義感と、困った時のマッテマシタ・キャラの登場(最後にはとうとうヤマトまでチラッと)と、悪い意味の松本らしさは出ているが・・・。
54分で1駅に停車なので、TV版の2話分である。
1駅分の物語として観る場合は、「いつも通りの松本作品」として楽しめるだろう。
しかし「完結編」の序章とした場合、この調子ならば「完結編」が出なくてよかった気もする。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 2

レイン さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

他のレビューを見たけど思ったより良かった。

これ短くするためなのか原作とかなり違いますよね。
鉄郎のキャラデザインからして映画版の続きというより
テレビ版の続きとして見たほうがいいですね。
ストーリーは松本零士らしい話でしたが映画向きでは無かったですね。

作画は頑張ってましたが前半の999の作画はCG臭さが強くてイマイチでした。
でも後半の戦闘シーンになってから作画が一気に良くなりました。
さすが映画版って感じです。

声優は豪華ですね。
ハーロックの声は合ってない感じでしたがしょうがない。

これ長編として最初からちゃんと作っていたらもっと良くなっただろうに。
999の新作だったのにもったいない作品で終わってしまった感じですね。

ありがとうございました。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 3

タイラーオースティン さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

これで続編なしかぁ

過去の映画版で2枚目だった鉄郎の顔が戻り、これはこれで人間味が出ていていいかなと感じました。

もっとも、導入部のみの映画化とはいえ、1時間は短いという印象で、ヘルマザリアと鉄郎の対決がクライマックスというのはちと物足りなさを感じましたね。この後に一行が深刻な問題に直面してさあこれからと思ったらエンディングに入ったのにはびっくりしました。

どうやら興行的に失敗したそうで、それによって次回作が作られなかったみたいですが、出来不出来はともかくとして完結させて欲しかったです。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 5

計測不能 9 1998年冬(1月~3月)アニメランキング9位
ウルトラニャン2 ハッピー大作戦(アニメ映画)

1998年3月14日
★★★★☆ 3.8 (2)
19人が棚に入れました
ウルトラマン映画『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』と同時上映された30分の短編アニメーション。97年に公開された「ウルトラニャン 星空から舞い降りたふしぎネコ」の第2作で、ウルトラマンならぬ“ウルトラニャン"に変身する猫の物語。町内でなわばりを張っている猫たちのもとに現れたカラス一味。森からやってきた新参者のカラスとうまくやっていこうとする猫たちだったが、卑劣なカラスの行為に段々怒りを隠せなくなっていく。そこへウルトラニャンが現れて…。

計測不能 9 1998年冬(1月~3月)アニメランキング9位
この星の上に(アニメ映画)

1998年1月28日
★★★★★ 4.8 (2)
7人が棚に入れました
港町に住む多感な少女は、知り合いになった青年が旅立っていくことで広い世界への強い興味をおぼえる。海のむこうにはどんな世界がまっているのだろう?
ある日、青年がくれた手箱から年老いた精霊が登場し、少女の手を引いて不思議な空間の世界へ誘う。
そこは、南洋の漁師村であったり、山里の機織りの暮らし、疲れた都会の生活などなど数え切れない様々な命の営みがあった。そして、またある国は戦争のただ中に…….。幼い兄弟が苦しむ戦いに悲しむ少女だが、また別な国では若いカップルの幸せな
新生活に迷いを感じつつ、ほっとする。精霊はだんだんと若返り、最後に自分の生まれた森へと少女を案内し、若木となって少女と空へのびていく。
と、夢から覚めたように少女は自分の家にいる。しかし、テレビでみた戦争や身近にある機織り物を見たときに、けして夢ではなく現実にさまざまな問題を抱える世界があるのだと理解する。矛盾を覚えながら、元気に生きて行こうと歩き出す。

褐色の猪 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

片渕須直氏、劇場用初監督作品

脚本:翁妙子
演出:片渕須直
作画:南家こうじ
動画:OH!プロダクション
時間:14:00

ZAGREB’98(ザグレブ国際アニメーション映画祭)入選
ESPINHO’98(ポルトガル国際アニメーション映画祭)入選
ANNECY’99(アヌシー国際アニメーション映画祭)特別上映
ANIMA MUNDI’99(ブラジル国際アニメーション映画祭)入選
SITGES’99(スペイン・シッチェス国際映画祭アニメーション部門ANIM’T)入選


自身、自身の居場所に想い馳す少女のヒューマンファンタジー短編動画

女性の自我・自立が題材となるは
「アリーテ姫」「マイマイ新子と千年の魔法」そして「この世界の片隅に」と繋がる想い。

南家こうじ氏による特出なる作画は
鉛筆デッサン風味の力強い線に鮮やかな塗り、
空白背景を利用し人物際立たせ、風背景ともに息ずく如き成。

後と成れば高畑勲氏監督作品「かぐや姫の物語」にも重なるとし候。


機会があればぜひ鑑賞して欲しい
素晴らしいアニメーション作品です。

投稿 : 2024/04/20
♥ : 5
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