2008年度に放送されたアニメ映画一覧 59

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78.0 1 2008年度アニメランキング1位
空の境界 第五章 矛盾螺旋[ムジュンラセン](アニメ映画)

2008年8月16日
★★★★★ 4.2 (849)
4872人が棚に入れました
1998年10月、両儀式はふとした事から臙条巴という自称人殺しの家出少年と知り合う。式は巴の隠れ家に自室を提供し共同生活を送り始めるが、しばらくして巴は自分の親殺しの罪を告白する。奇しくも蒼崎橙子から似たような事件の詳細を聞いていた式は、巴とともに臙条家のある小川マンションへ向かう。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子、藤村歩、東地宏樹、中田譲治
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

空の境界中、最難関にして最上の作品。困難を乗り越えて理解して欲しい本作の神髄

か「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第五章「矛盾螺旋」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。
略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第五章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち5番目にあたる作品だ。本作の視聴で第一章から第四章までの殆どの伏線を回収し、荒耶宗蓮の物語は終結する。
本章は「空の境界」という作品の肝であり、本作を荒耶宗蓮の野望を主題とするならば、
第六、七章は本章の残滓と言っても過言では無い。なぜならば、一章から四章の伏線や、
これまでの両儀式に纏わる物語は全て彼の計画の完遂の為に周到に準備されたものだからだ
(しかし、荒耶が手薬煉を引く前に式や橙子に見つかったので、計画を前倒しにしているきらいもある)。
内容は非常に理解に面倒で、予備知識が必須である。また、時系列のシャッフルが本章では作品内で構成されている為、一度の視聴での理解は不可能である。
是非、二・三度視聴して、理解を深めて欲しい。
本章は原作と比較して描写が大幅にカットされており、半ば継ぎはぎ感を感じざるを得ない。しかし、完成度としては至極満足である。私が考えるに原作による補完は必須である。
(原作を読む上での注意:
1.言葉をそのままの意味で理解せず、状況から推測する。(例:二律背反)
2.作者の造語が理解の範疇を凌駕した場合は、採り合えず調べる。(例:死街)
3.作者の日本語が明らかに文法上誤りである箇所が多々見受けられるが、脳内補完する。
(修飾の該当箇所が明らかにおかしい。
例: その一連の映像は、古びた頁に挟まれ、書に取り込まれて平面となった押し花を幻想させた。
   ←その一連の映像は、古びた本の頁に挟まれ、平面(のように潰れた形)となった押し花を
   連想(或いは髣髴)させた。[()は無くても良い。]
  八月になった最初の夜←八月になって最初の日の夜)
4.本来の日本語に無い使用法が見受けられる。(例:幾多もの←幾多の/迫ったほど←迫る/迫った)
上記の例は全て一章俯瞰風景に依った。)
副題のParadox Paradigmは其のまま矛盾螺旋である。


考察←観る前に見ない様に。
{netabare}
時系列:5/8
1998年10月
両儀式:18歳 職業:高校生(サボりがち)
黒桐幹也:18歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務

原作との相違:大(時系列のシャッフルや1度目の橙子VSアルバ戦のカットが目立つ)
原作との尺の比 417P:114min=1:0.40(1分当たり3.66P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)

・「矛盾と螺旋」について
矛盾・・・contradictionの訳語。一方を立てようとすれば、他の一方が立たないという、くいちがった関係におかれる概念、または判断が対立して統一できない場合。
<韓非子>より楚の故事に由来。
螺旋・・・巻貝のようにぐるぐるまわっていること。

「空の境界」におけるこれら二つの言葉の意味

矛盾・・・人は宗教・哲学などから見て取れるように、絶対の理、永遠不滅の真理を求めようとする知的好奇心旺盛な生き物である。ソクラテスは無知の知を自覚し、真の知を求めることを重視した。仏教でも般若波羅密を知ることを求め、一切皆苦の厭世感から真理を追究した。哲学でも様々な興味深い分類が試みられている。
他方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教浄土系宗派など真理の追究を諦め、絶対的なものに縋ることにより救済されるという、知の探求を事実上放擲している宗教も存在する。また煩悩具足であることを寧ろ良い事と考え厭世感を持たない考えも蔓延っている。これは無知であることを否定し、無知である自己や世界を否定し、自己乃至世界を救うべく真理の探究をする姿勢と明らかに矛盾する。人間は真の叡智を求める一方、真の叡智を求めることを放擲或いは拒絶しているのだ。
共通する認識は、世界或いは自己が滅びることを絶対的に拒み、之を救わんが為に行動していることである。

螺旋・・・人の性である煩悩は祖先から子孫まで相違は無く、永遠に螺旋を描いてゆく。
繰り返される日常や人生は人間の進化進歩しない煩悩の螺旋であり、二重螺旋構造を持つ遺伝子の匣として定められた過程を営む。


・「荒耶宗蓮」について
荒耶宗蓮は、元は台密の僧(台密とは天台密教の略称)で、起源である「静止」を覚醒させている。此の起源により200年以上生きながらえおり不老不死である(肉体は人形)。前項の人類の矛盾を克服出来ないことを悔やみ、人間では解決出来ないことから「起源」を追求し人の存在意義を探求するに至った、現在の彼は、もはや『 』へ至る為の概念と化している。
『 』へ至った暁に彼は、人類の死を等しく肯定する為に人類を滅ぼし、新たな世界、死を等しく肯定出来る世界の構築を望んだ。
彼は人の存在意義を「生」ではなく「死」に見出し、どのような死を迎えるかを重要視する。魔術協会で同期の橙子が人形、つまり肉体を重視したことに対して、彼は魂、つまり精神を重要視した。「根源」追求の為に死の蒐集をしており、人の死を記録する実験を重ねている。
結界を構築する能力にも長け、橙子曰く魔法(後述)の域に達しているらしい。
また武術の達人でもあり、左手に埋め込まれた仏舎利により、他人から自分の死線を認識されることを防いでいる。橙子程ではないが人形師として相当の腕も持つ。
他にも他人の「起源」を認知し、覚醒させることも可能である。
「不倶」「金剛」「蛇蝎」「戴天」「頂経」「王顕」という六道境界を自身の周りに張巡らす。
境界にはサンスクリット文字が出てくる。


・「相克する螺旋で待つ」の意味について
二章殺人考察で述べた五行思想のもので、五芒星の外接円として、各頂点に接する円を描くと、五つの頂点が其々木火土金水となり、円の流れが「相生」、五芒星の線上の頂点を一つ飛ばした流れを「相克」と云う。
相克
1.対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと。
2. 五行(ごぎょう)説で、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋(か)つとされること。五行相克。相手を打ち滅ぼして行く、陰の関係。
という二つの意味がある。
因り相克する螺旋とは、先ほどの円が螺旋しており、バネの様にグルグルと廻っていて、さらにその円を相克の関係で崩れた五芒星を描きながら進む線分のことである。
ここでの相克は後述のアラヤと荒耶、小川マンションや、巫条霧絵、浅上藤乃{netabare}、白純里緒{/netabare}などに言えることだろう。


・「荒耶宗蓮の計画」について
前項の「根源」『 』へ至る為には荒耶自身の真理の追究(つまり魔術師の研究と同義)では達成出来ない。それは荒耶の真理の追究の目的が他の魔術師と異なり、人類を滅ぼすことに繋がる事案である為、「抑止力」(後述)による制約を受けてしまうからである。
よって、肉体が既に根源に繋がる可能性を持っている両儀式に接触し、彼女を根源に近づけ、最終的に彼女と一体化することにより根源に至ろうとした。
巫条霧絵、浅上藤乃という式と同じ「虚無」を起源にもち、しかし殺戮を無自覚の内に愉しんでいるという刺客を送り込むことにより、彼女を精神的に追い詰め根源に近づけた。
彼の計画は彼が予期していたよりもずっと早く最終段階に以降する。それは黒桐幹也と白純里緒の存在が影響している。式が追い詰められた原因は七章で、式が何故根源に繋がるのかは後述する。


・「小川マンション」について
小川マンションは荒耶宗蓮とコルネリウス=アルバの合作である(設計には橙子も参加)。
アルバが生きた人間の脳髄を摘出し、之の生命を維持させ、荒耶が制作した人形を本人と寸分違わぬ生命体として存在させた(この人形は血が出ず、歯車で動く様だ)。
また荒耶は結界によってマンションを外界から隔絶された異界とした。
アルバの「ようこそ、私のゲヘナに」という台詞は、「ようこそ、私の地獄に」という意味。
小川マンションは荒耶にとっては人の死の探求、アルバにとっては橙子の殺害が目的だ。
小川マンションでの実験は、荒耶宗蓮による実験であるが、之は式と一体化し根源に至る計画とは別件である。しかし、式の肉体が思いのほか早熟し、丁度罠に掛かったので、急遽予定を繰り上げて根源へ至る準備に取り掛かった。

荒耶は、精神的に不安定な不和を抱えた人間を選りすぐってマンションに入居させ、その嗜好を凝らした建築様式で更に住人の精神を不安定にさせ、死に至らしめた。
マンションは完全なシンメトリーになっており、西側と東側はマンション内から見る外観も似通っており、判別不可能な構造となっている(この構造は太極の具現である)。
東西棟は円柱の中央のエレベーターと其れに纏わりつく螺旋階段のみで接続されている。
入居者は始めは西棟に住み、死亡後は脳髄を摘出され、荒耶が制作した人形を通して東棟で生活する。エレベーター及び螺旋階段はロケット鉛筆というより、螺旋を描いているドリルの芯や、床屋でくるくる廻っているサインポールを想像すると理解し易い。
下から芯を捻り上げて出口をずらす事により東西を入れ替え、住人に気付かれることなく部屋の移動を完了させたのだ。
そして東棟の人形住人は朝に起き、夜に死ぬという生死の螺旋を繰り返し「命日」を毎日繰り返す。対して西棟では本人の死体をそのまま放置しておく。こうして一方は死骸、一方は朝蘇り夕べに死ぬ生きた人形という同時刻に同じ人間を二人用意し、同じ死を矛盾した状態で毎日螺旋させることで、その死にどのような差異が生じるかを実験した。
小川マンションは荒耶の体内に等しく、彼の思うままに操ることが出来る。
燕條巴は実験の成果と言える。


・「蒼崎橙子」について
蒼崎橙子は魔術師(後述)の六世に生まれた。14歳で魔術協会に留学し、衰退したルーン魔術を専攻して之を復興させた。荒耶、コルネリウスとは同期である。その後礼園女学院に入学。持って生まれた才能から次期当主として有望視されていたが、妹の青子に敗れた。魔眼を持っており、普段は魔眼殺しの眼鏡を掛けている。妹の青子とは相当仲が悪く、殺しあうほどである。かつての使い魔が青子に敗れたため、両儀式を新たな使い魔の代わりとして用いている。
魔術協会はトップランクの魔術師である橙子に「赤」の称号を贈ったが、本来望んでいた「青」とは真逆の「赤」を得たということで、橙子はこの称号を不服に思っている。そのことを指摘されること、とりわけ「傷んだ赤色(スカー・レッド)」と呼ばれることはことさら嫌っており、そう呼んだ者は全員殺している。例外は殺し損ねた妹のみ。
また、当代屈指の人形師で、人形という雛形で根源への到達を目指していたが、もう興味は無いらしい。
その魔術が根源に近づいた為、魔術協会から封印指定(後述)を受け出奔中である。
彼女は「魔術師当人が最強である必要はなく、最強のものを作り出せばよい」という持論から、使い魔を鞄に入れ、之を使役することで戦闘する。
また、アイデンティティの確保が出来れば肉体はさほど重要ではないとの考えらしく、
自身の脳が損傷した場合は即時に用意しておいた予備の人形が起動し、以前の記憶を継承して再び生活を送る。よって橙子を殺すには、脳髄が損傷しないように半殺し状態にし、
永遠に延命治療を施さなければならない。荒耶が「私が蒼崎を仕留めたのは詮方なき事だ」と言ったのは、荒耶は魔術師として橙子に敬意を払っていてそれを悔やんでいるのと同時に、
橙子を殺すことは彼女の復活を意味する為に、仕留めたという表現を使っているのだ。
首となった橙子は五感を有しており、コルネリウスが「傷んだ赤色」と言ったことも聞いていた為に、荒耶は「――たわけ。口にしてはならないことを口にしたな、コルネリウス」と言ったのだ。橙子は、コルネリウスが橙子の頭を粉砕したことで、彼女の予備を起動せさられたので、小川マンションに駆けつけられたのである。


・「燕條巴」について
彼はかつて走ることが大好きで、中学では名の知れた陸上競技の選手だった。
しかし、父親が失業し高校入学の資金は自らアルバイトをして稼ぐこととなった。
生活苦の為働きながらも陸上だけは続けていたが、父親が交通事故で人を轢き、賠償は母親の親戚が何とかしたものの風評被害で陸上は止める事になった。これにより生き甲斐を失って高校を中退。父親は飲んだ暮れであり、彼はアルバイトで、母親はパートで生活費を稼ぐという無気力な生活が続いていたところを荒耶に目を付けられて、一家で小川マンションに越す。ある日、帰宅後に母親によって殺害され、前項の荒耶の計画から、脳髄を摘出され、人形として(本人に人形だという自覚は無い)朝生まれ夕べに死ぬという螺旋を繰り返す。ある日、自身の死を予期して母親を殺害し逃亡、自身を支配する「ニセモノ」であるという認識を恐れ、圧倒的な強さを見せる式に見蕩れて彼女のアパートに転がり込んだ。
実際に彼が抱く自身が「ニセモノ」であるとする自覚は、荒耶とコルネリウスが制作した人形である為だが、彼は陸上を諦めたことを理由と合理化し納得した。
いつしか式を愛するようになり、彼女が荒耶に捕らえられて困惑するが、幹也に幼少期を過ごした家屋に連れて行かれて家族への思いを思い出し、自身が「ニセモノ」であるとする認識、家族への想い、式への想いに決着を付ける為、幹也とともに小川マンションへ向かう。元から極悪な人間など居らず、置かれた境遇が人間を形成する(因って私は性悪説を支持)。巴の家族も昔は平凡ながら幸せを享受していて、彼はそれを思い出すことで、家族への苛立ちや、真実を直視することの恐怖から解き放たれたのではないか。彼の式への恋慕は荒耶が仕組んだ人為的な感情だったが、彼はそれを越えて彼女を愛していたことを本物だと認識し、式の為でなく自身の為に荒耶と対峙した。
彼の起源は「無価値」であるが、彼が荒耶を足止めしたことで、式が復活する為の時間が稼げて、結果的に荒耶は倒されたので、彼は起源を凌駕したことになる。
また、彼の家族愛の象徴である「家の鍵」は、普段家に鍵を掛ける習慣の無かった式に、鍵を掛けさせるという意味を残した。
彼は幹也に「俺はさ、両義に同じ物を見て安心していただけだったんだから。俺とかあいつみたいな人間にはさ、あんたみたいに呆れるほど害のないヤツの方がいいんだよ――」と言っている。幹也がなぜ異常者に対して他の常人と同等に普遍的に接するのかについては、六章忘却録音で述べる。
因みにFateの衛宮士郎は彼がモデル。


・「抑止力」について
カウンターガーディアンとも言い、集合的無意識によって形成される世界の安全装置である。抑止力とは発生しないように止める力のことで、一般に軍事で使用される言葉だ。
春秋戦国時代の縦横家の張儀の連衡策や核抑止論が有名である。相手が動作する際に、その動作に関わるリスクと得られる利益を天秤に掛け、リスクの方を高いと思わせる力を主に指す。TYPE-MOONの世界観では地球で発生する事象の内、地球或いは人類の生存に差し障る脅威を排除する力と考えるのが妥当だ。
抑止力には二種類有り、人類の持つ破滅回避の祈りである「アラヤ」と、星自身が思う生命延長の祈りである「ガイア」がある。
またこの抑止力は、「歴史的人物は世界史的な個人であり、したがって絶対者は個々人の情熱やはたらきを利用して自己を実現する」というヘーゲルの絶対精神と似通ったところがある。地球或いは人類の生存を脅かす事象を森羅万象すべてが拒み阻止しようとする。
荒耶が憎んでいたのは、前者のアラヤであったために、彼の螺旋の探求は、彼が探求を始めた時点から矛盾していたと言える。

仏教の阿頼耶識は四章伽藍の洞で触れた唯識(あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではなく、唯、人の感覚でしかなく、実態は空)の思想で、五感(眼・耳・鼻・舌・身=五根)が含まれる般若心経の六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)に未那識、阿頼耶識を加えた八識の最終である。六識については痛覚残留で述べたので割愛する。
阿頼耶識は人間存在の根本にある識で、未那識とともに無意識に該当する。
心の内にある種子(しゅうじ:色々の現象を起こさせる可能性、可能力で、ある現象が影響して自らに習慣的な刺激によって植えつけた印象のこと(唯物史観に少々似ているかもしれない))から、世界の諸現象を生じる。生じた現象はその人の阿頼耶識に印象(熏習)を与えて種子を形成し、刹那に生滅を繰り返し、之を持続する。
諸法の種子を内臓「一切種子識」
過去の業の果報(異熟)から生成「異熟識」
他の識の根本「根本識」
身心の器官を維持「阿頼耶識(我持識・執我識)」
などの働きがある。
未那識(まなしき)は、意識と阿頼耶識の中間にある無意識を担当する識で、阿頼耶識の見分から我・法などを思量し六識に作用する。
八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
睡眠中でも深層に於いて作用し阿頼耶識を対象とし、それを自分であると執着する。
未来福音の両儀未那はこれに因む。


・「魔術と魔法、魔術師と魔法使い」について
魔術とは魔力を用いて人為的に神秘・奇跡を再現する術の総称である。
常識で可能なことを非常識で可能にしているに過ぎない。
現在、魔術の殆どは文明の利器により現実可能であり、指に火を灯すか、ライターで火を灯すかくらいの違いしかない。魔術を使うものを魔術師といい、その殆どは魔術協会に加入している。
魔術協会は魔術師を監視し、魔術の漏洩や魔術師が一般人に危害を加えることを防ぐ。
魔術師は魔術協会で勉強し、その膨大な資料を自身の研究の為に使用する。
蒼崎橙子やコルネリウス=アルバ、荒耶宗蓮はこの魔術師に該当する。
魔法とは人間には到達出来ていない、或いは到達し得ない「奇跡」を具現させる術である。
この魔法を使うものを魔法使いといい、世界に五人しか居ない(生きているのは四人)。
判明しているのは、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグと蒼崎青子の二人。
人類の科学が進歩していなかった頃は、魔法使いのハードルは現在よりも低く、多くの魔法使いが実在したが、現在それらは文明の発展に伴い殆どが魔術へと格下げされてしまった。
また、魔法は魔術師達が目指す最終到達地点である「根源の渦」から引き出された力の発現である。
魔術師の家系は生涯を賭けて学んだ神秘を魔術刻印という遺産にし、子孫に伝える。
そして研究成果の最終目標である「根源の渦」『 』への到達を目指す。
魔術協会は、学問的に習得不可能レベルの魔術を身につけた魔術師(「根源の渦」への到達が近い者)に対し、魔術協会がサンプルとして保護する旨の令状「封印指定」を出す。魔術師としては栄誉であるが、軟禁生活を強いられるため、たいてい逃亡する。橙子はこの封印指定を受けているため、伽藍の堂に結界を張って隠遁している。


・「肉体と精神」について
「われ思う、ゆえにわれあり(コギト=エルゴ=スム)」で有名なデカルトの説いた物心二元論では、物体と精神とは実体として存在し明確に分離され、物体は精神に依存せずに因果関係によって運動するという機械論的自然観を確立した。物体は「高邁の精神」によるコントロールを受ける。現在此の説を支持するものは殆ど無く、機械論的自然観を形成したことで、寧ろ批判されている。肉体と精神は切っても切り離せない関係にあり、自我の形成には肉体が多大な影響を与えている。くわしくは終章空の境界で述べる。


・「根源」について
根源とは全ての原因。あらゆる現象が流れ出したもとである。『 』はこの根源に近いが、
根源をも含む森羅万象の原因であると解釈される。
有り体に言うと「真理」「究極の知識」ということになる。全ての原因であるがゆえに、全ての結果を導き出せるもの。この一端の機能を指してアカシックレコードと呼んだりもする。
有と無、生と死の狭間の世界であり、仏教的に言えば「空」に近いと言える。
魔術師は根源に到達することで、先祖代々の目的である永遠の真理に到達する。
この根源とは、ギリシア哲学で言えば、「イデア界」、仏教で言えば、「般若波羅密」の実践により得られる真理(即ち一切皆空と悟る涅槃寂静の境地)と言える。
一種のエロース(イデア界への羨望・回帰欲求)があるのかもしれない。
前項で述べた抑止力の説明にヘーゲルの絶対精神を用いたが、こちらの方が絶対精神に近い側面を持つ。アイデンティティを持ったまま、根源に到達したものは自らの願いを叶えることが出来るらしく世界を改変する力を持つ。Fateの聖杯もこの考えによって理解出来る。ヘーゲルが言うには絶対精神は神(唯一神・人格神)と同義らしい。
アカシックレコードについては六章忘却録音で述べる。


・「太極図」について
太極とは即ち根源の事で、道家や陰陽家で重視された。陰陽魚太極図が有名である。こちらも二元論的な側面が強く、全てを陰と陽に分ける。例えば陽には、明・男・積極的・攻撃・前・上・左・天・奇数・味方・夏などの意味があり、陰には、暗・女・消極的・防御・後・下・右・地・偶数・敵・冬などの意味がある。太極を二つに分けたものを両儀、四つに分けたものを四象、八つに分けたものを八卦という。大韓民国の国旗を太極旗といい、真ん中の赤と青により描かれている巴を太極、四方に有る三本の棒の集合を八卦という(韓国の国旗はこの八卦の内の四つ。因みに八卦は16パターン存在し、「易経」の八卦を後天図、宋学の朱熹の八卦を先天図と云う。ここでの八卦は先天図)。――と--を爻(コウ)、爻により構成されるものを卦(ケ)と云う。
爻が一本な卦(二つ在る)を両儀、爻が二本な卦(四つ在る)を四象、爻が三本な卦(十六在るが、内、八つ)を八卦という。
両儀は太極を二つ、つまり陰と陽に分離したものであり、式が男性人格と女性人格を持ち、一方は欲望の抑圧や拒絶、一方は欲望の解放や受諾を担っていたのもこの為。式のことを太極というのも此の為。根源から分離した小川マンションは太極図の具現である。


・時系列の整理
1.本物の燕條巴が母親により殺害され、荒耶の実験が始まる。
2.黒桐幹也が免許取得の為に、長野の自動車学校へ通うことにより、観布子を留守にする。
3.偽物の燕條巴(以下巴)が予知夢(実際は現実)を恐れ、母親を殺害、逃亡中に式に出会う。
4.空き巣が燕條家に侵入し、死体を発見(突発的な犯行←抑止力に依る)
5.巴、式の部屋に転がり込み居候する。親殺しや偽物感から苦悩する。
6.巴、式のために部屋の鍵を造る。
7.式は殺人衝動を満たす為に巴を殺そうとするが断念。
8.巴、コルネリウスを目撃、式に報告するが一蹴される。此の頃から式へ好意を持つ。
9.幹也、免許取得後、伽藍の堂にて橙子に小川マンションについての調査を依頼される。
10.鮮花が伽藍の堂に来る。黒桐、橙子から両儀や魔術についての享受を得る。
11.秋隆が刀を式のマンションに届けに来るが留守で幹也に預ける。
12.巴、母親を殺した筈なのに、生きている母親を目撃する。
13.幹也、橙子に小川マンションについての調査結果を報告。刀を式に渡す。
14.何日か経過し、巴は不審に思い式と共に小川マンションに赴き、もう一人の自分と最後の一日を直視する。式の部屋に鍵を掛ける。
15.式、荒耶と戦闘するも彼に捕らえられる。巴、真実を知り、式を救うべく逃走。
16.同日、橙子と幹也が小川マンションに調査に入る。
17.翌日、コルネリウスが橙子の人形館に挨拶に来る。
18.橙子、小川マンションでコルネリウスと対峙、之を倒すも荒耶に敗れる。
19.荒耶、橙子の頭をコルネリウスにプレゼント。
20.幹也、式の部屋で巴と会い、彼を幼少期過ごした家へと連れて行く。
21.幹也、巴に式の部屋の鍵を貰う。
22.幹也、小川マンションに向かい、コルネリウスに苛められる。
23.巴、地下の工房で自身の脳髄を発見し、荒耶の元へ赴くが返り討ちにあい消滅。
24.コルネリウス、橙子の頭を粉砕、二人目の橙子が現れて彼を殺害し幹也を救助。
25.式、荒耶の造った結界を破壊(結界の死線を切断)し、具現、荒耶を消滅させる。
26.式、巴の影響で部屋に鍵を掛ける様になる。

幹也が式の部屋のインターホンを鳴らした順番
①上記11.の時のチャイム。
②上記14.の時のチャイム。
③上記20.の時のチャイム。


・「sprinter」について
燕條巴をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。
他の曲に比べて歌詞が明快で、曲調もテンポが速く、「競争」しているかのように次々と繰り出される歌詞が特徴的だ。巴が式を想っていた事、肉体はニセモノであるが、精神はホンモノであること等が、歌詞に刻まれている。空の境界の主題歌の中では私が一番好きな曲だ。


・「矛盾螺旋」という作品について
黒桐幹也は自動車運転免許取得のための教習のため、長野に1ケ月間滞在し、留守にしていた。燕條巴は陸上の選手だったが、父親の失業によりアルバイトを始め学費を自分で稼いで高校へ入学したが、父が交通事故を起こしそれが元で、高校を中退。一家で小川マンションに越し、そこで母親に殺害された。魔術師荒耶宗蓮は人の螺旋し、留まることの無い性に失望し、世界を改変する為に『 』への到達を目論み、「抑止力」に左右されない、両儀式と一体化するという方法を模索し、霧絵・藤乃を差し向け、式を精神的に根源へと近づけた。今回はコルネリウスと別件で人の「死」に対する実験を小川マンションで行っており、巴はその実験に利用され、死後も人間の精神を持った人形としての生活を送っていた。
巴は荒耶の実験の成功例であり、死の螺旋から脱出したが、親殺しや自らがニセモノであるという感情に苦悩していた。荒耶の細工により式に近づき好意を覚え、彼女を愛し始めた。巴は何日か経過し殺したはずの母親を目撃し、小川マンションへ行き確認することを考え始めた。丁度その頃、橙子は免許を取得し帰還した幹也に、小川マンションの調査を依頼した。幹也は式の部屋に向かうが留守で、そこで秋隆から名刀を預かり翌日式に渡した。幹也はマンションの調査を一晩で終わらせ、その調査結果を見た式は、巴と共に小川マンションへ向かい、この建造物の真実を知るが、荒耶に敗北し捕らえられる。その後、橙子と幹也は小川マンションを調査し、この建造物の真実を知る。翌日、橙子の人形館にコルネリウスが登場し、式を捕らえた旨を橙子に伝える。橙子は戦闘の支度をし、小川マンションへ向かってコルネリウスを破るが、荒耶に敗北し、首だけとなった。待ちきれなくなった幹也は、式の部屋で巴と出会い、彼を旧家に案内した後、共に小川マンションへ行く。此の時、巴に式の部屋の鍵を貰う。巴は荒耶に返り討ちに遇い消滅した。幹也はコルネリウスに目の前で橙子の頭を粉砕され、彼に苛められるが、二人目の橙子が登場し、彼は死亡した。巴が荒耶との問答で時間を稼いでいる間に式は、覚醒し荒耶の結界を破り、名刀によって彼を消滅させ、彼の野望は脆く崩れた。


・名言(原作より抜粋)

式「だっておかしいじゃないか。人間が見れるのは外見だけだろ。それを見てくれたおまえはいらなくて、心なんて見えもしないモノを見てくれなきゃイヤだ、なんて普通じゃない。普通じゃないって事は異常ってこと。ほら、おかしい話じゃないか。そいつもさ、心を見てほしかったら紙に書けばよかったのにね。臙条。おまえ、そいつと別れて正解だよ」

式「お断りだ。おまえの命なんて、いらない」

荒耶「荒耶宗蓮。式を殺す者だ」

荒耶「無こそがおまえの混沌衝動、起源である。――その闇を見ろ。そして己が名を思い出せ」



幹也「ろけっとぺんしるって、何ですか?」

橙子「黒桐。魔術師という輩はね、弟子や身内には親身になるんだ。自分の分身みたいなものだから、必死になって守りもする。・・・・・・まあそんなわけだから、きみは安心して待っていろ。今夜には式を連れて帰ってくる」

コルネリウス「Repeat!」

巴(―風は止んだし、合図も鳴った。さあ―そろそろ本気で走りはじめなくちゃ―)

コルネリウス「危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな、危ないな」

橙子「おまえは死んだはずだ、なんてお決まりの台詞だけはよしてくれよコルネリウス。器が知れるぞ。あまり、私を失望させないでくれ」

コルネリウス「お前は――本物か?」

橙子「学院時代からの決まりでね。私を痛んだ赤色と呼んだ者は、例外なくブチ殺している」

荒耶「語るまでもない。私が幾度となく争ってきた想念、荒耶が敵とみなすモノは、救いきれぬ人間の性である」

橙子「認めろ荒耶。私達は誰よりも弱いから、魔術師なんていう超越者である事を選んだんだ」

巴「わりぃな、両儀。俺は、おまえのために死んでやれねぇわ。俺はさ――俺のために、この命を懸けなくちゃいけねえみてえだ」

巴「ああ。――それでも、この心は本物なんだよ」

巴「――そりゃあ、うちの家族はろくな連中じゃなかった。でも、こんなふうに殺されるほど、悪いヤツラじゃなかった。こんなふうに死んじまうほど、罪深くはなかったんだ・・・・・・!」

荒耶「戯け」

荒耶「最後に教えよう。おまえは何も成し得ない。なぜなら――おまえの起源は”無価値”だからだ」

荒耶「語るまでもない。私が幾度となく争ってきた観念、荒耶が敵とみなすモノとは、救いきれぬ人間の性である」


橙子と荒耶
「アラヤ、何を求める」
「――真の叡智を」
「アラヤ、何処に求める」
「――ただ、己がうちにのみ」
「アラヤ、何処を目指す」
――知れた事。この矛盾した螺旋(せかい)の果てを

式「オレ、おまえの部屋のカギ持ってない。不公平だろ、そういうのって」


感想

本作は空の境界中、理解するのに最難関な作品であり、頁数も一番多いことから、考察にも多大な時間と労力を費やし、レヴューも他の追随を許さぬほどに冗長になってしまった。
このレヴューによって一人でも多くの人の「矛盾螺旋」という作品の理解の参考になれば幸いである。
感想としては、まず原作と比較してあまりに尺が短く(自己調査の結果、尺比1:0.40)、映画の視聴だけで本作を理解するのは繰り返すが不可能である。また、本作は只でさえ理解に難いのに、あまつさえ時系列のシャッフルが行われて一層理解が困難になっている。
しかし、映画を全章観終え、原作を読破し、考察を完了した上で本章を視聴すると、以前との理解の程度が甚だしく、歓喜を覚えるほどであり、感無量である。この感覚が味わえるのならば、この時系列シャッフルも悪くないと最近想い始めた。是非この感覚を体験していただきたい。橙子が小川マンションの前で降車するシーンは素晴らしい。
本作は、原作との良い意味での違いが多く浮き彫りになっている。その最たる例は、巴と荒耶の対峙の場面である。原作では、エレベーター降車後、巴と荒耶が対峙し、会話があって、巴が荒耶に襲い掛かって、起源が「無価値」であることを宣告され消滅する。
本作では、地下の脳髄壜の前で、荒耶に真相を暴露され、後にエレベーター降車後、巴が荒耶に襲い掛かり、「無価値」宣告を受ける。ここで巴が「ここに居たんだ」と云って消えて行く。この場面が大変良い。因みに原作では襲い掛かる際に「ここに――居たから――!」と云っている。
尚、巴は荒耶に起源が「無価値」であることを宣告され、消える際にエレベーターの中に居る両儀式を目撃している(1:30:54)。しかし、荒耶には見えていなかった。巴は死ぬ際に、式の再誕を予知したのだろうか。
作品に対しては、荒耶宗蓮という人物の野望や両儀式の本質、燕條巴の人生という様々なテーマによって構成されており、大変見堪えがある。一件落着した後の式のデレには強烈な破壊力があり、何時もの蠱惑的な魅力とは一風変わった愛らしい魅力に溢れていた。{/netabare}


この五章は、一から四章を視聴した上で「両儀式」という人物について改めて考えさせる作品だった。また、荒耶宗蓮、コルネリウス=アルバという魔術師の登場と、彼らによる計画が、空の境界という作品の世界観をより一層具現化させた作品でもある。
また、三章、一章、本章と式が幹也へ寄せる想いが深くなっていることが随所で伺える。

本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 52

レイ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

壮絶な戦闘の圧倒的なカメラワーク!

空の境界はやっぱ際立つのはカメラワークですね。
まさに圧倒的と言える程の。
戦闘シーンなんか鳥肌物のかっこよさで感動しました。

あと、劇場版の演出はある程度のレベルでないと一般的に評価されにくいですよね。TVの方が演出は難しいですから…
ですが、コレはカメラワーク抜きにしても非常に面白い演出をしてると思うし個人的に非常に楽しめました。

Kalafinaが唄う主題歌は個人的にこの章の主題歌「sprinter」が一番好きです。

世界観の事などの詳しい感想は七章に書かせてもらいます…

投稿 : 2024/03/23
♥ : 6
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

現在と過去、真実と虚構の境界線

原作未読。
全8章からなる物語の5章目。約114分。

「空の境界」全章に共通する項目は、第1章のレビューをご覧ください。
→ http://www.anikore.jp/review/450724/

すべての黒幕の登場。
そして、決着に至る物語。

1~4章までの事件は、いったい何が目的だったのか、それが明かされます。

この章の主人公でもある「嚥条巴(えんじょうともえ)」。
Fate/staynightの主人公「衛宮士郎(えみやしろう)」のモデルにもなった人物です。

この章の見所であり、見る側を混乱させる要素でもあるのが「時系列のシャッフル」。
同時並行で複数の話が進み、同じ時間帯に起こった出来事が別の場面で流れる。
その演出も面白い。
扉を開けたら別の時間だったり、時間軸が場面変更することなく変化します。

見てる側にとっては、いつどこで何があったのか、わかりにくい構成になっています。
そんなねじれた時間軸が、タイトルの「矛盾螺旋」とよくマッチしている作品だと思います。

そして、今までの集大成と言わんばかりの圧倒的な戦闘描写も特徴です。

EDテーマは「sprinter」。
英語で「競走者」を表します。
巴の事を歌った曲なのですが、シンクロっぷりがすごいので、ぜひ歌詞を最後まで聞いてみて下さい。


【5章「矛盾螺旋」の考察】
{netabare}
非常に考察しがいのある話です。
完全に解説しようと思えば何万文字になるかわかったもんじゃありません(笑)
……というか、私自身、よく理解できていません。5回は見たのにw
原作に当たらねば!!


さて、時系列や場面移動が複雑なこの章ですが、途中で入る白黒のカットインで区切りが付きます。

「矛盾螺旋」
前半。
ほぼ時系列どおりに話が進みます。

繰り返す「死」の1日。
巴がマンションを脱出し、式と出会う。
そして、式が荒耶宗蓮に捉えられるまで。
丁度この頃、黒桐幹也は自動車教習所で免許を取り、その後、巫条霧絵に眠らされていました。


「螺旋矛盾」
中盤。
「カチャン」という時計の音が流れる度に、時系列が飛びます。

橙子と幹也がマンションのことを調べ上げ、荒耶宗蓮にたどり着くまで。
丁度この頃、式の部屋には巴がいて、カギをかけていました。
そのため、幹也は式の部屋に入ることができませんでした。


「矛盾螺旋と螺旋矛盾が混じり合うとき」
後半。
何の脈絡もなく時系列や場面が飛びます。

たとえば、幹也と巴がマンションにたどり着いたとき、車が3台あります。
しかし、次の瞬間には2台、そしてまた3台に戻っている。

時系列を追えば、
①一人目の橙子が来る
②幹也と巴が来る
③二人目の橙子が来る
という、単純な話なのですが、
①橙子が車を止めるシーン
③橙子が車から降りるシーン
②幹也と巴が来る
と、順序を入れ替えることで、橙子が2人いることに気付かせないようにしています。


さて、黒桐幹也と、荒耶宗蓮から逃げてきた嚥条巴が出会います。
そして、巴の本当の家へ向かう2人。

……家族が崩壊していく過程が、見ていて苦しかったです。
しかし「死」を永遠に繰り返されるほどの罪など犯していない。
過去の出来事を知り、家族の「本当の愛情」に触れ、巴は、真実の体と偽物の体の境界線を乗り越え、式を助けに行く決心をします。
EDテーマの「sprinter」=競争者。元陸上部。走り出す巴。


アルバ「お、お前は本物か!?」
橙子「お前さぁ……私に対してその質問に何の意味があるんだい?」
橙子「実を言うとね、お前の憎しみも悪くなかった。それは蒼崎燈子という私がいる証だから」


荒耶「お前には何一つ本物であるものはない」
巴「分かってる、俺が偽物だってことくらい。だけどよ、俺には過去はないけど、強い思いがある!俺は両儀が好きだった!偽物だろうと、この心は本物なんだ!!」


2人とも「誰かの存在」によって本物と偽物の境界を乗り越えているんですね。
処刑モードの橙子、全力で荒耶宗蓮に立ち向かう巴、2人ともかっこよすぎる!!

アルバが倒され、巴が時間稼ぎをしたことで、式は結界から脱出することに成功しました。
巴が消えたことを悟った式は、「殺人衝動」を超えた「怒り」で荒耶宗蓮に立ち向かいます。
そして敗れる荒屋宗蓮。
しかし、彼にも悲しい過去があったんですね。
ただ、それは無関係の人々を巻き込む「実験」でもあり、単純に許されるものではない。

結局、巴は消えてしまいましたが、巴「ここに居たんだ」のセリフ。
そして、幹也に対して「俺、お前の部屋の鍵もってない。不公平だろ、そういうのって」とすねた式。
「鍵」という愛情の証を通して、式の中に巴が残りました。
切ないながらも、救いのある終わり方で良かったです。

【全て見終わった人へ】
{netabare}
シナリオを考えれば、この章が事実上の最終回ですね。
最終回の名に恥じない、最高の演出と最難関のストーリーでした。

次回は、待ちに待った鮮花の出番。
次回予告の「えへっ★」にやられたのは私だけではないはず!!
{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/03/23
♥ : 41

74.8 2 2008年度アニメランキング2位
空の境界 第三章 痛覚残留[ツウカクザンリュウ](アニメ映画)

2008年2月9日
★★★★★ 4.1 (732)
4250人が棚に入れました
1998年7月、複数の捻じ切られたような変死体が見つかるという、人間の仕業とは思えない猟奇殺人事件が発生する。そんな中、“伽藍の堂”の所長である蒼崎橙子に一件の依頼が飛び込んできた。依頼内容は事件の犯人の保護、あるいは殺害。犯人の名前は浅上藤乃。殺された被害者たちに陵辱されていた少女だった。式は藤乃の暴走を止めるために行動を始める。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子、藤村歩、能登麻美子
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

自身と似て非なる能力者に式は何を思うのか

「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第三章「痛覚残留」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。
略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第三章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち3番目にあたる作品だ。本作の視聴で第一章での伏線を回収し、第二章のその後を展開する。本章に登場する浅上藤乃は、巫条霧絵や両儀式と同じ能力者であり、彼女も悩みを抱えて生きてきた。彼女の思いや、彼女と両儀式の接触により生じる式の心情の変化、式の信条について知ることが出来る。
第一章俯瞰風景の直前の話であるので、式と幹也の関係を一章と比較してみるのも良い。
本章は一章・二章と比較して話が理解し易く、初めての視聴でも面白く感じられると思う。
本章のメインは浅上藤乃である。彼女の変化に細心の注意を払って観て欲しい。
副題の ever cry never life は直訳すると「いつも叫ぶ、決して命でない」となるが、この場合、「いつも叫んでいる、一度も生きたことは無い」といった訳だろうか。

考察←観る前に見ない様に。
{netabare}

時系列:3/8
1998年7月
両儀式:18歳 職業:高校生(サボりがち)
黒桐幹也:18歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務

原作との相違:小
原作との尺の比 155P:57min=1:0.53(1分当たり2.72P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)


・「無痛症」について
「無痛症」という病気は実際は無く、「先天的無汗症」という病気が之に該当する。
痛み・熱さ・冷たさなどを始めとした触覚全般に関する感覚が存在せず、体温調節が非常に困難である。
「痛覚」の定義として皮膚・粘膜・骨膜・内臓などに生じる感覚とあり、痛覚が無いということは五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の内、触覚が無いに等しい。
般若心経に「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法」という文言がある。即ち「目・耳・鼻・舌・体・心といった感覚器官は無く、其々の器官に対応する対象[色(=物体)・音・香り・味・触覚・観念]も無い」という意味で、般若心経中では、龍樹(ナーガールジュナ)により完成させられた「空」の思想の説明に用いられている。(般若経自体は龍樹以前から存在する)
注目したいのは、「体が無ければ触覚も無い」という表現である。之即ち「触覚が無ければ体を感じることが出来ない」ということである。
浅上藤乃の場合はデビック症という延髄炎の一種で、感覚の麻痺を起こす病気で、失明の虞さえある。
藤乃は加えて鎮痛剤の一種「インドメタシン」の大量投与により、痛覚を人工的に失った。
彼女は常に自身の体を感じることが出来ず、虚ろな日々を過ごしていた。これは痛覚が「生の実感」を得るのに必要不可欠な要素であり、五感中で最高に重要な感覚であることを証明している。彼女は国語の読解力に欠け、他人の気持ちを「理解」することは出来ても、「実感」することが出来なかった。これも痛覚が無い為である。


・「殺人」と「殺戮」について
「殺人」とは、相手に抱く感情が、自己の容量を超えてしまったとき、それが極端になるとき人を殺してしまうこと。人が互いの尊厳と過去を秤にかけて、どちらかを消去した場合のみ、それは殺人となる。人を殺したという意味も罪も背負う。そして、人を殺すということは自分自身も殺すということである。
また、殺人は殺す側が「人」として相手を殺すことが必要で、死体が肉塊であったり、消し去られてしまったりする場合は、人としての尊厳が無く、「殺人」とは呼べない。
「殺戮」とは、殺された側は人だが、殺した方は人としての尊厳も意味もない。後の意味も罪も無い。自然災害に例えられる。殺戮は殺す相手を特定せず、殺される意味を持たない。
すなわち大義名分の無い殺人と言える。式は彼女の置かれた境遇から人一倍「殺人」に対する意識が強く、殺戮を酷く嫌う。藤乃の五人目以降の殺人は「殺戮」と定義されている。


・「浅上藤乃」について
{netabare}浅上藤乃の起源は「虚無」。荒耶宗蓮は両儀式と相反する能力者をつくる為、彼女の痛覚を復活させ、「死に接触して快楽する存在不適合者」にさせたのだ。
浅神家は混血の大敵である四家系「浅神」「巫浄」「両儀」「七夜」の一つであり、
浅上藤乃は浅神家の没落から母と共に浅上家に引き取られた。
彼女は、両儀式、巫条霧絵と同様に起源に「虚無」を持ち、特別な家系故に、特別な力を発現した。視界内の任意の場所に螺旋を作り、対象の強度に関係なく曲げる(捻る)能力、その名も「歪曲」(要するにサイコキネシス)。
浅神家は両儀家と異なり能力者の発現を忌み嫌う。浅上藤乃は幼少期に能力を発現し、能力の元である「歪曲の魔眼」を封じる為、父親によって強制的に感覚を奪われ、人為的に感覚を喪失してしまう(人工的無痛症)。
彼女は幼い頃「痛覚」を持っており、薬物の過剰投与によって「無痛症」になってしまった。
『第二章殺人考察(前)の考察「式と織」について』で述べた見解として、式は「抑圧」の感情を、織は「解放」の感情を受け持つと記述したが、浅上藤乃の場合は、
「抑圧」の感情により傷を耐え忍び、「解放」することを恐れた。
中学時代に幹也に「傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ」と言われていたが、これを実行出来ていたら、彼女はここまで苦しまずに済んだだろう。能力を取り戻した彼女は「痛み」(ストレス)の「解放」の手段として能力を発動し、他人の痛みを自身の痛みの代償とした。
腹部の虫垂炎が原因で「痛み」が止まず、痛みの発散の為に殺人を繰り替えす。
後に他人を殺すことに快楽を覚え、必要以上の能力の発動を行い、殺戮を始める。精神的苦痛から自身を陵辱した不良に対する復讐を行っていたが、いつの間にか無関係な他人を殺害するようになった。式は彼女が無関係な殺害を始めた時点で、彼女の殺害を決意した。
式に「おまえは血の味を知ったケダモノだ。人殺しを愉しんでいる」と指摘され、
「それは貴女でしょう。わたしは、愉しんでなんか、いない」という言葉は、痛みで思考が麻痺しながらも「まとも」でない自分を認めたくないという心情の表れである。

「太極図」で式が一つの肉体に二つの人格を持つ二重存在者なのに対し、彼女は万物の移り変わりを現す螺旋の方向性を視認出来る存在不適合者である。
荒耶宗蓮による恢復によって、バットで殴られた際の脊髄の炎症は治療され、不定期に痛覚が復活するようになった。
幼少期に封印されていた能力が復活したことに依り、その能力の威力は凄まじく、式を凌駕するものだった。更に後には透視能力(千里眼)をも発動出来るようになった。
彼女も巫条霧絵と同様に荒耶宗蓮の「根源の渦」、『 』への到達という最終目標の為に両儀式と接触する駒となった。
一章では述べなかったが、この似て非なる式・霧絵・藤乃の三者の共通点として、
「虚無」を起源とし、「根源の渦」、『 』への到達の鍵であること。三者とも「生」の実感が得られず、「今」を生きることに全力を注ぎ、快楽への傾倒が何時起きても可笑しくない不安定な存在であること。黒桐幹也という存在に、三者とも一種の憧れを抱いており、自分を受け入れてくれる唯一無二の存在として、彼を欲していることなどが挙げられる。この点に関しては五章矛盾螺旋や終章空の境界で改めて記述する。{/netabare}


・ほんの少し――ほんの少しだけ、おまえよりの殺人衝動――」について
{netabare}第六章「黒桐幹也」についてで述べるが、彼は「どこまでも普通で、誰よりも人を傷つけない」という起源を持っている。中立かつ博愛である彼は誰かを特別視することが出来ない。自分の親類と赤の他人とを同等に扱わなければならない。式が幹也に人殺しについての一般論を期待した(というか幹也には一般論しか言えないのを分かっていた為、自分を否定して欲しかったのである。)のは、この起源に起因する彼の性格によるものである。
社会的に罪を背負うことがなくとも、自責の念だけは残り、それは償うことの出来ない罪の意識として、当人を苦しめることになる。式が罪の意識は常識によるものだから、常識のない自分を野放しにしてよいのかと幹也に問うたとき、彼は「式の罪は、僕が代わりに背負ってやるよ」と回答した。
式の「かわりに一つだけ分かった。自分の生き方、自分が欲しいものが。とてもあやふやで危なっかしい物だけど、今はそれにすがっていくしかない。そのすがっていくものが、自分が思っているほど酷いものじゃなかったんだ。それが少しだけ嬉しい」という台詞は、式が生の実感を得る上で必要不可欠な殺人衝動が、浅上藤乃との戦闘で式の殺人衝動が思ったほど酷くなく、浅上藤乃を許せるものであったことから、一般論を期待していたけれど、人間味のあることを言ってくれた幹也に向けて、幹也の期待に応えられる殺人衝動という意味で言ったものである。式は織の消滅によって空いた伽藍洞の心を幹也で埋めることを決意し、織の幹也と幸せに生きるという夢を叶えるため、幹也と共に生きることを決意し、自分の生の実感を得る手段としての殺人衝動を幹也に認めてもらえるようなものにすることを決意した。因みにこの会話は第三章の最重要場面である。ここでの約束が七章で果たされることになる。
{/netabare}
・「傷跡」について
浅上藤乃をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。中学時代に浅上藤乃は黒桐幹也と出会い、今回再び助けられた。
「ねえ、生きていると分かるほど抱きしめて」という歌詞や他の歌詞から、彼女の「生の実感」への渇望と、憧れの混じった恋について上手く纏められている。



・「痛覚残留」という作品について
幼い頃に「歪曲」という能力を発現し、封印されてしまった浅上藤乃。彼女は能力の封印の代償として「痛覚」を失ってしまう。痛覚を失うことで外部からの刺激・自らの身体の感覚を失い、「生の実感」をも失ってしまう。彼女は痛みを知らず、感情の抑揚も乏しく、鮮花に「誰にも憎まれない娘」と評されるほど温和で穏やかな性格となった。
無痛症の為、自身の身体の異常が検地出来ず、外出に厳しい礼園女学院生ながら、主治医に定期的に診て貰う為に外出をしていたところを不良に絡まれ、半年間に亙って性的暴行を受けたが、感覚が無く、感情に乏しい為ほとんど抵抗はしなかった。
しかし、金属バットで背中を強打されたことで脊髄に損傷を受け、不定期に感覚を取り戻すようになる。ある日感覚を取り戻している時間に不良のリーダーに腹部を刺され、自己を防衛する為に「歪曲」により湊啓太以外の4名を殺害してしまう。
実際には腹部を刺されるよりも能力の発動の方が早く、彼女は刺されていなかった。
彼女は腹部に虫垂炎(後に腹膜炎)を患い、その痛みは腹部の傷として彼女に認識される。
彼女は陵辱されたという精神的苦痛から、不良への復讐を行い、湊啓太を捜索する。他人の痛む様子を見ることで「生の実感」を得ることを覚え、他人の痛みで自身の痛みを補完しようとした。しかし、手段と目的が入れ替わり、殺人に快楽を覚えるようになり、殺すことで「生の実感」を得る為、殺戮を始めた。痛むが為に人を傷つけるのではなく、人を傷つける為に痛む傷。傷は人を殺す理由の為に永遠に消えない。
式は能力を発現している時の彼女を酷く嫌い、之を殺すことで排除しようとした。藤乃の能力「歪曲」により左腕を失うが、「直死の魔眼」の力により、「歪曲」の描く螺旋を殺すことに成功し、藤乃に勝った。
しかし、彼女が無痛症に戻ってしまったので式は殺害を止め、彼女に巣食う盲腸を殺すことで幕を閉じた。


・名言(原作より抜粋)

藤乃「――はい。とても・・・・・・とても痛いです。わたし、泣いてしまいそうで――泣いて、いいですか」

藤乃(お腹が痛い。見えない手に、私の中身が鷲摑みにされる不快感が。吐き気がする――いつもはそんなものはしない。めまいがする。――いつもは唐突に意識が落ちる。腕がしびれる。――いつもは目で見て確認する。 とても、痛い。――ああ、生きている。)

藤乃「・・・凶れ」

橙子「黒桐は間に合わなかったか。さて。嵐が来るのが先か、嵐が起こるのが先か。式ひとりでは返り討ちにあうかもしれないぞ。両儀」

幹也「馬鹿だな、君は。いいかい、傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ、藤乃ちゃん」

式「万物には全て綻びがある。人間は言うにおよばず、大気にも意志にも、時間にだってだ。始まりがあるのなら終わりがあるもの当然。オレの目はね、モノの死が視えるんだ。おまえと同じ特別製でさ。だから――生きているのなら、神様だって殺してみせる」

藤乃(やっと手に入れた痛覚なのに、今はこんなにも憎い。でも――ほんとうだ。痛いから――とても痛いから、死にたくないと渇望する。このまま消えるのはイヤ。もっと、生きて何かをしなくちゃいけないんだ。)

藤乃(もっと生きて、いたい。もっと話して、いたい。もっと思って、いたい。 もっと ここに いたい。)

式「痛かったら、痛いっていえばよかったんだ、おまえは」

幹也「・・・罰っていうのは、その人が勝手に背負うものなんだと思うんだ。その人が犯した罪に応じて、その人の価値観が自らに負わせる重荷。それが罰だ。
良識があればあるほど自身にかける罰は重くなる。常識の中に生きれば生きるほど、その罰は重くなる。浅上藤乃の罰はね、彼女が幸福に生きれば生きるほど重くて辛いものになる」

幹也「そっか。じゃあ仕方ない。式の罰は、僕が代わりに背負ってやるよ」

式「もうひとつ白状するとさ。・・・・・・オレも、今回ので罪を背負ったと思う。けど、かわりに一つだけ分かった。自分の生き方、自分が欲しいものが。とてもあやふやで危なっかしい物だけど、今はそれにすがっていくしかない。そのすがっていくものが、自分が思っているほど酷いものじゃなかったんだ。それが少しだけ嬉しい。ほんの少し――ほんの少しだけ、おまえよりの殺人衝動――」
{/netabare}

感想

本作は一章,二章と比較して分かり易い作品で、世界観がだんだんと理解出来てきた中で、式と似た境遇の人間・浅上藤乃と式を絡ませ、両者の違いや、式の信条などを視聴者に刻銘に印象付けさせ、五章矛盾螺旋への繋ぎとしての役割が十分に果たせている。
一章に比肩する式の戦闘シーンや空の境界随一のグロテスクな描写の多さが特徴的だった。
本章は幹也から式への想いの表現が多かったが、式から幹也への想いの表現が少なく、式が何を想っているのか想像することが出来た。もしかしたら藤乃の幹也への想いに嫉妬していたのかもしれない。
「努力してみる」などツンデレ気味の発言も含まれている。
ほんの少し――ほんの少しだけ、おまえよりの殺人衝動――」と言った式の覚醒後初めての笑顔は大変可愛い。
{netabare}
「凶れ(まがれ)」という言葉が式に向けて何度も発せられたが、あれは殺戮が彼女に「生の実感」を与える唯一の痛みへと変貌してしまったことを示しているのと同時に、自分の存在を否定するものの排除という「殺人考察(前)」における式に似た心情であると考える。
藤乃は可哀想な人生を歩んできたが、その中での幹也への恋と、「普通でありたい」と思う心が彼女の心の糧となったと思う。最期に式によって殺されなかったことは、彼女にとっても、式にとっても良いことだった。無痛症は治らないだろうが、盲腸が治って良かった。
最初と最後に出てきた「とても・・・とても痛いです。わたし泣いてしまいそうで――泣いて、いいですか」という言葉が藤乃の本音だろう。
最後に痛覚がある状態で盲腸の痛みを実感し、「痛い」から「死にたくない」と「渇望」する。という強い思いが湧き出てきた。
もっと生きて、いたい。
もっと話して、いたい。
もっと思って、いたい。
もっと ここに いたい。
という「痛い」=「居たい」という強い意志が「痛覚」があることで具現した。
同時に自分が愉しんでいたモノの正体に対する痛み、自分が犯した罪、自分が流した血の意味を「実感」した。
藤乃「痛みは耐えるものじゃなくて。誰かに愛してと訴えるものなんだって、あのひとは教えてくれたんだ」
とあり、「痛み」の正体を知るに至った。
式が言った「痛かったら、痛いっていえばよかったんだ、おまえは」という言葉のとおり、もっとはやく「痛い」と言えていればと思う。
{/netabare}

この三章は、一章,二章を視聴した上で「両儀式」という人物について考えさせる作品だった。
浅上藤乃という式に似た殺人鬼の登場。彼女も特別な家系の生まれで、それ故に不幸な人生を歩んでしまう。本章は藤乃への同情を誘うとともに、式の心の揺らぎが見られる。
一章と二章を繋ぐ三章。そして二章と三章を繋ぐ四章へと話は進んでゆく。

本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 48
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てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

強制された抑圧と、境界を越えた解放

原作未読。
全8章からなる物語の3章目。約60分。

「空の境界」全章に共通する項目は、第1章のレビューをご覧ください。
→ http://www.anikore.jp/review/450724/

1章より前、2章より後の話。
ストーリーは比較的独立しており、この話だけ観てもわかりやすい構成になっています。

この回では少し笑いの要素が入ってきます。
また、黒桐幹也の妹、黒桐鮮花の出番があります。
彼女は清涼剤みたいな存在で、話に柔らかみをもたせてくれています。

ただし、残虐性にも拍車がかかっています。
人間の負の面を強く表現している印象です。
残酷な話と軽いテンポの会話、その組み合わせで、他の章との重みのバランスを取っているのでしょう。

映像面の見所は、嵐の中での戦い。
水を切るように動く表現は、実にスタイリッシュです。

EDテーマは「傷跡」。


【3章「痛覚残留」の考察】
{netabare}
過去に、黒桐幹也と浅神藤乃は出会っています。

幹也「いいかい?傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ」

これは、私たちの日常生活にも繋がってくる発言です。
「抑圧」=「傷を耐える」という行為は、周りに危害を加えないと同時に、自分の中にストレスどんどんため込んでしまいます。
そして、たまりにたまったストレスは、ふとしたきっかけで爆発してしまう。
それを防ぐためには、ストレスを定期的に「解放」=「痛みを訴えることを」してやらなければならない。

浅神藤乃は、精神的にはごく普通の人間です。
しかし、痛みを訴える方法が「能力の発動」という特殊なケースだったため、「人工的に感覚を抑える」という方法で、強制的に抑圧され続けてきたわけです。


そして、金属バット殴られた衝撃で、一時的に復活した痛み。
むりやりイスに縛り付けられ、勉強させられ続けてきた人のロープが、ふいにほどけたと考えると分かりやすいと思います。

自分のやりたいようにできない、つまり「生」を実感できない「空っぽの」状態から解放される。
やっとストレスの発散が可能になりました。
ただし藤乃は、痛みを感じている間はストレスの解放が終わっていない、つまり、痛みを訴え続けなければならないと解釈しています。
だから、殺しに対して「私は楽しんでなんかいません!」と藤乃は言ったんでしょう。

しかし、抑圧が解放されることに、徐々に喜びを覚え始めた藤乃。
必要最小限の解放ではなく、必要以上の解放へと、その「境界」をまたいでしまった。
それが、「殺人」という行為を超え、無関係な人々を巻き込む「殺戮」へと移行し、式の怒りを買ってしまうことになったわけですね。

しかも、実際はナイフで刺された痛みではなく、もともと持っていた病気による痛みだった。
そのため、永遠にストレスの発散が終わることがないわけです。

さんざんたまっていた「ストレス」が一気に解放されたわけですから、藤乃はあれだけの力を発揮しました。
そして同時に、余命いくばくもない藤乃。

この状況を打開する方法が、式にしかできない「病気を殺す」という行為だったのでしょう。

この浅神藤乃が、2章のラストで語られた「死に接触して快楽する存在不適合者」に相当します。


【全て見終わった人へ】
{netabare}
4章で分かりますが、痛覚が戻ったのは、バットで殴られたのがきっかけではないんですね。
荒耶宗蓮の仕業だった。


7章でも触れられていますが、

殺人=相手に抱く感情が、自己の容量を超えてしまったとき、それが極端になるとき人を殺す。人が互いの尊厳と過去を秤にかけて、どちらかを消去した場合のみ、それは殺人となる。人を殺したという意味も罪も背負う。そして、人を殺すということは自分自身も殺すということ。
殺戮=殺された側は人だが、殺した方は人としての尊厳も意味もない。自然災害に例えられる。

と区別されています。
この違いを強調しているため、藤乃に危害を及ぼした人以外への殺害行為を「殺戮」と呼んで、式は嫌っていたわけですね。


なお、劇中で橙子が式に渡したカードキーの名義は「荒耶宗蓮」となっています。
橙子「名義は古い知人のものを拝借したがね」
ここで、初めて名前が出てきています。

また、カードキーの色は、蒼、橙、ピンクの3色。
「式、織、両儀式」の着ている3種類の着物の色と被ります。
また、
橙子「式一人では返り討ちに遭うかもしれんぞ、両儀」
すでに橙子は、式の2種類の人格に加え、3つ目の人格に気付いていたんですね。

{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/03/23
♥ : 34
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takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

痛みと無痛 生きている実感の境界線

1998年7月、この第3章は時系列でも3番目のエピソード。
鑑識官に「人間の仕業とは思えない」と言わせるほどの猟奇殺人事件が次々発生。
しかも被害者は複数の若い男性ばかり。
第3章でのゲスト的な主人公は浅上藤乃。
このページの「あらすじ」欄に犯人の名前まで書かれているが
彼女が数人の男性に取り囲まれ陵辱されているシーンからスタートするため
猟奇殺人事件の犯人が誰かすぐに見当はつくし、これは犯人探しの話ではない。

黒桐 幹也も働いている人形工房「伽藍の堂」の所長である蒼崎橙子(あおざき とうこ)に
「事件の犯人・浅上藤乃の保護、あるいは殺害」という依頼が舞い込み
藤乃の暴走を止めるため、両儀式が活躍する・・というのがこの第3章の内容。

痛みを感じない無痛症である藤乃が初めて感じた、生きている実感というものに
おそらく自分と似たものと反発を感じた式の気持ち。
相変わらずのお人良しぶりで優しい幹也が偶然出会った藤乃の人間像。
痛々しくてとても悲しい話ではあるのだけれど、
藤乃が感じていた痛みの本当の原因がわかったとき、あぁなるほどなと。
外部から受ける痛みと内部からの痛みは、同じ痛みでも違いがあって
それは外部から受ける傷と内面で傷つくのとの違いにも似ている。
傷というものは大抵痛みを与えるものなわけだけれど、
同時に、その痛みを知ることで生きている実感が持てるし、
人間らしさを保てるというもの。
果てはそれが生きていく理由にも繋がるのだよね。

しかし藤乃の場合・・・
{netabare}
自分が痛みを覚えた時に殺戮を繰り返しているので
生きている自分の実感と相手の痛みとの相互関係に少々疑問が残る。
彼女を陵辱した青年たちへの復讐心だけだったら納得がいくものの
それだけに留まらなかったということは、殺人による快楽をも覚えてしまったことになり
だからこそ式はそんな彼女を許せなかったのだろう。
というわけで、式の持つポリシーのようなものも感じ取れた。
{/netabare}

それだけでなく、これまで幹也からの式への想いはかなり伝わったものの
式から幹也に対しての想いはあまりハッキリ描かれていなかったので
この3章での幹也に好意を抱く藤乃の存在が、
式の嫌悪感を増幅していたようにも感じることができたのは良かった。
第1章で、式の腕があんなだった理由もわかるしね。
とにかく今回は藤乃がやたら強くて、バトルシーンも見応えがあり
「痛覚残留」というタイトルの文字通り、観ているこちらも痛覚を刺激される映像が多く
全体的に悲しみに彩られたストーリー同様、音楽のほうも雰囲気があって
単体で観てもわかりやすくまとまった回だったと思う。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 41

72.3 3 2008年度アニメランキング3位
GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0(アニメ映画)

2008年7月12日
★★★★★ 4.1 (337)
3111人が棚に入れました
時代は21世紀、第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活躍を描いた物語。

声優・キャラクター
田中敦子、大塚明夫、山寺宏一、仲野裕、大木民夫、玄田哲章、榊原良子、家弓家正
ネタバレ

テロメア さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

【簡単解説】プロジェクト2501に関するレポート

そうしろと囁くのよ、私のゴーストが。

攻殻機動隊その映画第一作品のリメイクで、独特の世界観、宗教観、哲学が秘められています。戦闘シーンが最高にクール!


簡単に簡潔にストーリーを説明します。
{netabare}少佐率いる公安9課はゴーストハック(一般人の人体を奪い操作すること)をしている謎のハッカー(人形使い)をとらえようと動いている。そしてついに捕えるもなぜか6課が干渉してきて‐-。{/netabare}

ここで各組織のねらいを整理します。
{netabare}公安9課はゴーストハック事件の真相解明。
人形使いは生存するために9課に接触。
6課はプロジェクト2501の隠匿。
ガベル共和国はODA資金援助の交渉に。
旧ガベル共和国の旧指導者は日本に滞在中で外交的カードの一つになっています。
プロジェクト2501は後に{netabare}人形使いである{/netabare}とわかります。
{/netabare}

という感じです。これだけ分かれば概ねOKかと思います。詳しい考察は他の方の感想をどうぞ。


なんといっても見どころは
{netabare}少佐VS多脚戦車!作中の山場になっています。筋肉の動きや戦車の動き、武器の操作などの数々の演出が鳥肌物でたまりません!
ほかの戦闘シーンですが光学迷彩を駆使し格闘するシーンはかっこよすぎました。どこか奇妙でシュールな様がよかったです。{/netabare}

素晴らしく作りこまれた作品で何度見ても新しい発見があり飽きません。
動きも意味が分からないほど良いですし映像美でたまらないです。


良くも悪くも考えさせられる一作。
知的な気分で感慨にふけってみては。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 6
ネタバレ

Etzali さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

殻の中の自我

≪GHOST IN THE SHELL(劇場版)視聴済≫

自我を発展させる為には殻に閉じこもったままでいるか、それとも殻に閉じこもらず(電脳化)によって自我を発展させるかという問いに私は電脳化によって自我を発展させる方を選ぶと思う。 なぜなら、自分自身の「世界」を広げる為にも情報は必要不可欠だからだ。

その自我の発展に関しては人間だけが持ちうる特権なのか? 自我(学習能力や感情)と置き換えた場合、動物にだってそれは存在する。またその自我は動物だけに与えられたものなのか?電脳化が進んだ未来にも人の形をした人形にだって自我を持ちうるのではないか。
そうでないとするのならそれこそ「殻」に閉じこもったままの自我ではないか。

最後に{netabare}~「自分が自分自身であり続ける為には自分をある限界に制約し続ける」という素子の言葉{/netabare}は今の自分に満足せず、もっと世界を認識して視野を広げろというメッセージのように私は思いました。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 10

AKIRA さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

2.0ということでてっきり続編かと思っていたら

続編ではなくてリメイクだったのですね。

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊>TV一期>TV2期>イノセンス>GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0(イマココ)

初めて攻殻を観たのがリメイクされる前の作品でした。
それからTV版を含めそれなりに作品を見てきたので。大分世界観などは理解できるようになりました。

そういった意味でリメイク以上に新鮮に見ることが出来ました。(最初は続編かと思いドキドキしてみていたら、どこかで見たシーンが…ってなりましたがw)

映像美を除けば個人的には初期の方が好きでした。なんかこう…不気味な感じというか暗い感じが好きだったので。

ただTV版などを見た上での視聴となった近作は会話の中にでてくるTV版を想起させる台詞が散りばめれれていてなかなか楽しめましたね。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 12

72.1 4 2008年度アニメランキング4位
空の境界 第四章 伽藍の洞[ガランノドウ](アニメ映画)

2008年5月24日
★★★★☆ 4.0 (684)
4044人が棚に入れました
1998年6月、約2年の昏睡から両儀式は奇跡的に回復する。しかし、目を開けてすぐに見えたのは「死の線」。それが何なのかを理解してしまった式は、自らの目を潰そうとしてしまう。そんな中、一人の女性が式を訪ねてくる。その女性、蒼崎橙子に式のもう一つの異常、式の別人格である「織」が居なくなっている事を気付かされる。生の実感を喪失した式は抜け殻のように日々を送るが、その式の病室に毎夜彷徨ってくるモノがあった。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子

しゅりー さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

やっとタイトルの意味が納得できた気がします

空の境界の第4章。
第3章の少し前の物語です。
一応4章までが時系列がバラバラな物語で
5章以降は時系列順に並ぶわけです。
(2→4→3→1→5→6→7という感じ)
映画公開時には時系列順のマラソン上映なんかもあったらしいですねw

4章はだいぶ短めな話ですし、冒頭部分からメインの舞台はずっと
式が入院している病院です。
2章以上に冗長な物語かもしれません。

ただ、もう一つの人格を失い、孤独を知った式と
式に発現した異能「直死の魔眼」について詳細に描写されます。
一連の事件についてまた伏線が張られ、
橙子さんの魔術師らしいところも出てきますので、だいぶ見所は多いと思います。
※このシリーズに限って言えばいらないシーンはないのでしょう。

個人的には式と橙子さんの会話の中でようやく空の境界という
タイトルの意味が納得できた章ですね。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 8
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

空の境界を理解する上で、欠かせない章である。両儀式の伽藍の洞に這入るのは誰か

「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第二章「殺人考察(前)」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。
略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第四章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち4番目にあたる作品だ。本作の視聴により、一から四章までの時系列シャッフルは完了し、五章矛盾螺旋からは時系列通りに物語が進行する。世界観の認知と登場人物の把握を十分に行い、「空の境界」の作品中最難関であり、且つ最も面白い五章の視聴に堪えるだけの認識を会得して欲しい。
本章で今まで謎だった式の特殊能力の真相、事故以前と以後を結ぶ境界、式・幹也と橙子の邂逅が明かされる。一章・二章の難解さに比較すれば、この四章は三章程度のハードルであり、一章・二章が理解出来ていれば、理解に難くない。
逆に、一章・二章が理解できなかった場合は、本章の視聴により補完出来ると考える。
副題の garan-no-douは日本語表記で主題「伽藍の洞」と同一である。
重複しているからには「伽藍の洞」には深い意味があると考えられる。
また、橙子の事務所の名称が「伽藍の堂」であるので、こちらを指しているのかもしれない。

考察←観る前に見ない様に。
{netabare}

時系列:3/8
1998年6月
両儀式:18歳 職業:高校生(休学・入院中)
黒桐幹也:18歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務


原作との相違:中
原作との尺の比 78P:45min=1:0.84(1分当たり1.73P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)


・「伽藍」について
「伽藍」は仏教建築物で僧侶が集まり修行する清浄な場所で、
「伽藍堂」は大きな伽藍に何も無いことから、空虚さを現す名詞となった。
橙子の事務所の「伽藍堂」は外界と隔絶された場所という意味が適当だろう。

・「黒桐幹也」について

黒桐幹也は同級生の両儀式のことを好きになってしまった高校1年生だったが、あの夜の一件以来、式は昏睡状態に陥り、定期的に病院に見舞いに行く毎日を過ごし(看護婦に子犬君と呼ばれていた)、高校を卒業して、大学生になっていた。1章の伏線の通り、とある個展で蒼崎橙子の人形に魅了され、独力で彼女の事務所を探し出し、「伽藍の堂」の正社員となった。
(因みに「伽藍の堂」は橙子の結界によって外部の人間には存在が意図的に認識出来ない様になっている。その為、幹也の人形に対する想いが相当強かったことが伺える。)
大学中退の折に父親に勘当されている。
1章俯瞰風景でも記述したが、巫条霧絵はこの式の見舞いに来る幹也をずっと眺めていた。
16:19~16:27の間に、車椅子に座った髪の長い霧絵と思しき女性の後姿が映っている。
詳しくは六章忘却録音にて述べる。

・「蒼崎橙子」について

荒耶宗蓮の後継として、式のカウンセラーとなった。建築デザイン事務所「伽藍の堂」の社長をしており、その正体は、魔術協会から封印指定を受け、出奔・隠遁中の魔術師である。
戦闘時は橙子本人でなく使い魔を使役する。黒桐幹也の妹・鮮花は彼女の弟子。
本章で、式を、失った式神の代わりとして「伽藍の堂」で働かせることとした。(式は社員(幹也)の友人扱いである。)
詳しくは、五章矛盾螺旋にて述べる。

・「直死の魔眼」について
式は「根源の渦」、『 』で死に長時間接触したことにより「死線」(死点を含む)を視認出来るようになった。
「死線」を切ると、そのモノの意味が死に至り、そのモノは機能しなくなる。(死点の場合は切断ではなく衝くのみ)
元々「両儀」(五章で述べる)である彼女にはその素質があったようで、才能が開花したという表現が適切である。魔眼は自己の眼球になんらかの霊的手術を施した結果、発動したモノを指すらしいが、式は根源の渦と接触したことにより自然に脳が理解出来るようになったので厳密には魔眼ではない(よって直死の眼とも云う)。直死の魔眼は脳髄とリンクしており、脳髄が本体である。また眼球を潰しても視えるらしい。魔眼所有者が死を理解出来ないものは殺せない。
橙子「万物には全てに綻びがある。完璧な物体などないから、みんな壊れて一から作り直されたいという願望がある。おまえの目はね、その綻びが視えるんだ。顕微鏡みたいなものさ。霊的な視力が強すぎる。我々では視認できない線が視えて、かつ、死に長く触れていたおまえには、それが何であるか理解できてしまう。結果、脳が死を視てしまっている。そればかりか触れることもできる筈だ。生物の死線というのは、生きているかぎり絶えずその位置を変える。それを確実に視てしまえる能力は、睨むだけで生命を死に至らしめる魔眼と大差ない。(以下割愛)」

自説「直死の魔眼」について~~~~~~~~~~~~~~~
(以下は自説故、作品には直接関係は無いので飛ばしても差し支えなし)
{netabare}
直死の魔眼と「空(クウ)」の思想
仏教には空の思想があり、この空の思想と直死の関連について考察した。
空(クウ)とは、因縁により構成される色と対照的な、「有る」「無い」といった概念の境界で、個体的存在が無いことを意味する。

[事象Ⅰ]物体は全て元素から構成されている。私達の視認出来る物体、例えば木材は、炭素と酸素の集まりである。視認出来ない物体、例えば空気は、窒素と酸素の集まりである。
質量保存の法則から地球上の質量はほぼ変化しない。しかし、燃やせば視認出来た木材は忽ち視認出来なくなってしまう。

[事象Ⅱ]直死の魔眼で椅子の死線を切ると、その椅子はバラバラになる。此れは耐久消費財としての椅子の寿命を断つ行為であり、机の存在意義を消し去る行為である。
(真月譚月姫のシーンより)

Ⅰ直死が色(シキ)を空とする説
ナーガルジュナの一切皆空より

仏教に色という言葉があり五蘊の最初であり「物体」を指す。
この物体とは実際に存在する物から意味・認識など広範囲の存在物を範疇とする言葉だ。
般若心経に「色不異空空不異色色即是空空即是色」という文言がある。
即ち「色は空に異ならず空も色に異ならない。即ち空は色であり色は空である」という意味だ。
色は因縁により存在しているのであり、実際は「空」なのである。
「死線」を切ることは、物体を直ちに因果の結果へと導くことだ。結果に辿り着くとその物体の因果における存在意義は無くなり「空」に還ると私は考える。
[事象Ⅰ]の場合、木材は厳密には炭素と酸素で構成されており、燃やしたところでその事実は変わらない。つまり、我々が見ている物体は実際には空の集まりである。
[事象Ⅱ]の場合も、椅子という色は実際には木材の集まり、厳密には炭素と酸素の集まりである。しかし、木片となった椅子は椅子としての物体の存在意義・役割を喪失していると言える。

故に、役割を担う物質は、その役割の喪失。生命体は、その生命の喪失。現在進行形の現象(例えば病気や心霊現象)は、その現象の喪失。人間の認識や形而上学上の概念は、その思想の打破を行っているのではないか。

Ⅱ直死が識(シキ)を空にするとする説
アサンガ、ヴァスバンドゥの唯識より

仏教に識という言葉があり五蘊の最後であり「認識作用」を指す。
この認識とは実際に存在する物から意味・認識など広範囲の存在物(つまり色)を実際のモノ、コトとして人間が認識・再認することである。
前述の般若心経「色不異空~(割愛)~空即是色」の次に「受想行識亦復如是」という文言がある。
即ち「受想行識(色以外の五蘊)もまた同じである」という意味だ。
これを詳細にすると、「受不異空空不異受~(割愛)~識即是空空即是識」となる。
識は因縁により存在しているのであり、実際は「空」なのである。
「死線」を切ることは、物体に対する人間の認識を直ちに因果の結果へと導くことだ。結果に辿り着くとその認識の因果における存在意義は無くなり「空」に還ると私は考える。
[事象Ⅰ]の場合、木材は厳密には炭素と酸素で構成されており、燃やしたところでその事実は変わらない。つまり、我々が見ている物体は実際には空の集まりである。
[事象Ⅱ]の場合も、椅子を椅子と認識しているのは人間の認識に依るもので、実際には木材の集まり、厳密には炭素と酸素の集まりである。従って木片となった椅子は人間に椅子としての認識を与える能力を喪失していると言える。

故に、役割を担う物質に対する認識は、その認識の喪失。生命体は、その生命に対する認識の喪失。現在進行形の現象(例えば病気や心霊現象)は、その現象に対する認識の喪失。人間の認識や形而上学上の概念は、その思想に対する認識の打破を行っているのではないか。
{/netabare}
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「死線」の視認は物体(元素により構成される物質を問わず、概念・形而上学上の物を含む)の寿命、存在限界を読み取っている。そして「死線」を切ることにより寿命を断ち、そのモノを殺す。すなわち死に至る過程を消し去るのである。
物体の一部分だけ殺すことも可能で、その死は自然死と同一である。

「死線」の認識は魔眼保持者の直感であり、切断は直死の魔眼保持者にのみ可能であり、また死線に触れないかぎり意味を殺すことは出来ない。式は魔眼を手に入れる以前から肉体的技術の修練度が非常に高く、戦闘による死線の切断も容易に行っている。
式の魔眼は制御の調節が意識的に出来るらしく、劇場版空の境界では魔眼発動時には、瞳が青くなっている。
月姫に於いて、遠野志貴は魔眼の制御が出来ず、橙子の妹の青子に貰った魔眼殺しの眼鏡を愛用している。


・「式と織」について
根源の渦・果ての無い「 」を彷徨う式と織、彼女はそこで二年間死に接触した。橙色の人格・式が上昇する中、落下する蒼色の人格・織。結果、「両儀式」の中から織は消えてしまうが、式は二年間の昏睡から目覚めた。
二章「殺人考察(前)」の「両儀式」について、「孤独」と「孤立」について、「式と織」について
で述べた通り、両儀式は二つの人格「式」と「織」を持ち、孤立することはあっても孤独を感じることは無かった。二重存在という常に他人が傍らにいる式は、アイデンティティ(自己同一性)の観点から、一貫した自己を認識出来はしなかったが、二つの人格により相互補完を行っていた。
それは、二章で式が織の行動を把握していなかったことから結論付けられる。
二年前の事故で本来死ぬはずだったのは「織」では無く「式」の方だった。死を「肯定」する式と死を「拒絶」する織では、織の方が生存するはずだった。
しかし、織は自らの命を捧げ、式を守った。それは夕焼けの教室で見た彼の笑顔、「普通に生きる=幸福に生きる」という織のユメを式に叶えて欲しかったからである。
式は織が居なくなった事で、アイデンティティが断絶し自己を認識出来なくなり、生の実感を失った。
両儀式という伽藍に空いた洞―彼女は生まれて初めて「孤独」を実感した。
普通の人間は誰しも孤独を感じている。その孤独(伽藍の洞)は家族や恋人など、他人と共有することに依って埋めていくものだ。式は孤独という空虚感を埋める術を知らず、肯定しか出来ない式は、孤独を受容することしか本来出来ないのである。
蒼崎橙子との邂逅により覚醒した式は、本来、織の担当であった武術(戦闘)を行い、男性口調を採ることで、居なくなった織を補完し、「死」に抗うという織が行うはずの「拒絶」を示すことにより両儀式という人間を再現したのだ。
式が「黒桐」を「こくとう」と読めず、黒桐幹也という人間の存在を想起できても名前が浮かばなかったのは、幹也が式では無く、織に強く認識されていたことに影響されている。
織は幹也にユメを感じ、両儀式という人間を満たしてくれる存在として、いつしか好きになっていた。「肯定」と「拒絶」という本来、一人の人間が持つ感情を行使出来るようになった式は、孤独を拒絶することを選択する。織が好きになり、二年間只管自分を待ち続けた黒桐幹也ならば、伽藍洞の彼女の隙間を或いは埋めることが可能であろうかと考えたのだ。
式は「両儀」(陰陽太極図)であるが為に、織の喪失によって空いた伽藍洞を埋めることは出来ない。終盤で式は織の残した記憶により黒桐幹也に関する記憶を手に入れる。


・「ARIA」について
ARIAは英語で旋律という意味の名詞亦は、イタリア語で空気を表す名詞。
両儀式をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。
式は織を失い、孤独を感じながらも生きてゆく。「今君を失くした未来は始まったばかり」という歌詞や他の歌詞から、式が織を失くしたことを憂いながらも、彼の死に報いる為に生きていこうという意志がひしひしと伝わってくる。
「ユメのカケラ」は前述した織のユメを指している。


・「伽藍の洞」という作品について
黒桐幹也は、あの夜の一件以来、毎週欠かさず式の見舞いをしていたが、何時しか二年の歳月が経過しており、大学生となった。そんな折、個展で見た人形に魅せられ、蒼崎橙子の事務所「伽藍の堂」の正社員となった。式は織が代わりに死ぬことによって一命を取りとめ、二年間の昏睡から目覚めるも、二年間、根源「 」に触れていたことで、直死の魔眼を得、自分の視界に耐え切れず、目を潰そうとしてしまう(実際は二年間寝ていて力が入らず未遂。身体を動かすにはリハビリが必要)。彼女は同時に、生まれてから傍らに居た織が居なくなったことで始めて孤独を味わい、生の実感を失った。そんな折、荒耶宗蓮の後任として式のカウンセラーに橙子が現れる。式は彼女と話すことによって、二年間見せ付けられてきた死を拒絶し、病院に巣食う亡霊に、両儀式を渡すことを拒むようになり、魔眼を使用して生きた死体を見事に殺した。そして織の不在を認識する。
式は織の居た心の隙間・伽藍の洞を埋めるものとして幹也に期待を寄せた。

・名言(原作より抜粋)

なにもかもを受け入れるのなら傷はつかない。
自分に合わない事も。
自分が嫌いな事も。
自分が認められない事も。
反発せずに受け入れてしまえば
傷はつかない。
なにもかもをはねのけるのなら
傷つくしかない。
自分に合っている事も。
自分が好きな事も。
自分が認められる事も。
同意せずにはねのけてしまえば
傷つくしかない。
ふたつの心はガランドウ。
肯定と否定の両端しかないもの。
その中に、なにもないもの。
その中に、私がいるもの。

橙子「あはは、確かにそうね。あなたの胸の穴はマジシャンじゃ埋められない。埋められるのは普通の人だけだもの」

式(赤くて炎えるような夕暮れどきの教室。式を壊してしまった、あのクラスメイト。シキが殺したかった、ひとりの少年。シキが守りたかった、ひとつの理想。それを、ずっと昔から知っている気がするのに、長い眠りから目を覚ました私は、彼の名前だけが、まだ思い出せないでいた。)

橙子「式神の式、か。それで名字が両儀ときた。出来すぎだよ、それ」

橙子「万物には全てに綻びがある。完璧な物体などないから、みんな壊れて一から作り直されたいという願望がある。おまえの目はね、その綻びが視えるんだ。顕微鏡みたいなものさ。霊的な視力が強すぎる。我々では視認できない線が視えて、かつ、死に長く触れていたおまえには、それが何であるか理解できてしまう。結果、脳が死を視てしまっている。そればかりか触れることもできる筈だ。生物の死線というのは、生きているかぎり絶えずその位置を変える。それを確実に視てしまえる能力は、睨むだけで生命を死に至らしめる魔眼と大差ない」

橙子「だが、それはただ、欠けただけの話なんだ。なのにおまえは、生きる意志がまったくないくせに死ぬのは御免だという。生きる理由がまったくないくせに死ぬのだけは恐いという。生と死のどちらも選べずに境界の上で綱渡りだ。心がガランドウにもなるさ」

式「私は、あそこに堕ちるのだけは嫌だ――!」

式「――迷うな」

式「死んでいようがなんだろうが、アレは”生きてる”死体だろう。なら――なんであろうと、殺してみせる」

式「私は、弱い私を殺す。おまえなんかに――両儀式は渡さない」

橙子「目的がない、か。それも悲惨だがね、おまえはまだ間違えたままだ」

式「・・・ああ、無くならないものも、あるのか」

感想

本作の視聴で、やっと空の境界の最盛作品である五章矛盾螺旋への準備が完全に整った訳である。本章は式の昏睡からの復活、織の死、式と幹也と橙子の邂逅など大変重要な点を押さえている重要な章である。特に直死の魔眼に対する説明は非常に重要だ。
式が橙子と話し、両儀式を諦めることをしなかったシーンはとても格好良く、戦闘シーンも空の境界随一の迫力である。


「迷うな」という式の台詞は、生と死との境界に彷徨していた自身に、生を選択することを厭うなという意味で言い放ったものである。

式が橙子に直死の使い方を教わる代わりに自分を好きに使うように言った。
式「それ、人は殺せる――?」
式「ならやる。好きに使え。どうせ、それ以外に目的がないんだ」
橙子「目的がない、か。それも悲惨だがね、おまえはまだ間違えたままだ」
この橙子の台詞は、「伽藍の洞」を埋めるという目的を忘れた式に対する忠言である。
また、一章で考察した「逃避」行動として、「浮遊」と「飛行」のうち、式は飛行(能動的逃避)を選択したことになる。
織を失い、魔眼を手に入れた自分と過去の自分との齟齬に苦しみ、殺人衝動を満たすという「飛行」による逃避を指す。
その後に
橙子「伽藍洞だという事はいくらでも詰め込めるという事だろう。この幸せものめ、それ以上の未来が一体どこにあるというんだ」
といったのは式が目的を失って飛行したからである。
しかし、式も伽藍洞を埋めることを無意識に選択しているようで、
式「黒桐幹也。フランスの詩人みたいだ」
幹也「今日が晴れてよかった。退院にはもってこいだ」
式「・・・ああ、無くならないものも、あるのか」
という一連のシーンは、無くなったもの=織 と、無くならないもの=幹也 を対比させ、
幹也による心の隙間の埋め合わせを示唆する言葉を残している。
これは彼女が織の願いを叶えるとともに、織の願いを自身の願いとした瞬間である。
{/netabare}



この四章は、一から三章までの時系列シャッフルの総括、五章矛盾螺旋への纏めという重大な役割を担う章だ。式・幹也の学生時代の話である二章と、一章を基準とした「現在」により近い三章を繋ぐ作品である。また、式の事故以前と以後の違いの理由、一章,三章で不明だった式の「直死の魔眼」の説明や式・幹也と蒼崎橙子の邂逅が描かれている。
本作は「両儀式」にスポットを当て、彼女が「死」とどう向き合うか、今後どう生きていくかを主に描く。五章矛盾螺旋への準備は全て整った。「空の境界」という作品は、五章で取り敢えず一段落するので、五章が最終話と見ても、差し支えない。


本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 33
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

生と死の境界線

原作未読。
全8章からなる物語の4章目。約45分。

「空の境界」全章に共通する項目は、第1章のレビューをご覧ください。
→ http://www.anikore.jp/review/450724/

2章の直後から、1章に繋がるまでの話。

2年の間だ意識を失っていた両儀式。
「伽藍の堂」に訪れた黒桐幹也と蒼崎橙子の出会い。
そして、蒼崎橙子と両儀式の出会い。

どのようにして式の力が目覚めたかが描かれています。

病院のシーンはリアリティがありますね。
しっかりとした取材のあとがみられます。

映像面での見所は、
・「死」を描いた抽象的な世界での光の使い方やエフェクト
・式の目から見た世界の描写
・式と橙子、二人のバトル描写

特にバトル描写は至る展開は鳥肌モノです。

髪の長い式が見られるのもこの回だけ。
長髪すっごく似合いますね、惚れますよ!

EDテーマは「ARIA」。
ARIAはイタリア語で「空気」を表します。


【4章「伽藍の洞」の考察】
{netabare}
死の淵をさまよい続ける式。
果てのない世界で、光のある方へ手を伸ばそうとするものの、光は消え、反対側に飛ばされてしまう。
「これが……死」
「光」=「生」を掴みきれない、つまり、目を覚ますことができないという描写が良いですね。

やがて、両儀式は、蒼と橙の2つの色に分かれてしまう。
橙の人格は、蒼の人格を抱き寄せようとするものの、蒼い人格は消滅。
そして、橙の人格は黒い海=死に触れる。
後の橙子との会話で「織くん」が消えたことに言及しているため、蒼い人格は織だと判断できます。

つまり、
・蒼の人格=男性人格=織
・橙の人格=女性人格=式
を表しています。


式は、目覚めて一言「黒……?」と発言。
カレンダーに貼られたメモをよく見ると、
『今日から梅雨入り でも夏も近いよ! ガンバレ!式 黒桐幹也』
と書かれています。

式には「黒桐」という字が読めなかったんでしょう。
黒桐のイメージは頭に浮かぶものの、どうしても「こくとうみきや」の名前を思い出すことができない。
おそらく黒桐幹也に対する想いは、「式」より「織」の方が強かったのではないでしょうか。
そのため、後遺症として黒桐の記憶が欠落してしまったと……。

それにしても直視の魔眼の世界は怖いですね。
すべてのほころびが線として見えるだけではなく、その後、バラバラになってしまうところまで見える。
あんな風景が日常的に見えていたら、そりゃ目をつぶしたくなるのもわかります。


さて、自分の中の織という人格が消えてしまい、体の中に「空(から)」が生まれてしまった。
橙子「"生"と"死"のどちらも選べずに、"境界"の上で綱渡りだ。心が伽藍胴(がらんどう)にもなるさ」

しかし、一度「死」に触れたことで「死」だけは避けたいと思う式。
怨霊に襲われたとき自分に「迷うな!!」と呼びかけ、生と死の境界線上から生の方へ移動します。


この後の戦闘シーンは鳥肌モノでした。

式の「なら、お前がなんとかしろ」
橙子の「承知!!」
式「あれは、"生きている死体"だろ……なら、なんであろうと殺してみせる!!」
式「私は弱い私を殺す、お前なんかに、『両儀式』は渡さない!!」

いちいちかっこいいです……。

そして、戦闘が終わったあと、式の一人称が「私」から「俺」に変化します。
失われてしまった男性人格を埋め合わせるかのような行動。

その後のセリフ、
式「なら好きに使え。どうせ、それ以外に目的はないんだ」
目的がない、1章で言った「浮遊」という「逃避」行動です。

だから橙子は「お前はまだ間違えたままだ」と言ったのだと考えられます。

橙子「伽藍胴ということは、いくらでも詰め込めるということだろ、この幸せものめ」

織は式に夢を託し消えました。
その代わりに残された孤独感。
そんな伽藍の洞窟を吹き抜けるような「ARIA=空気」がEDテーマです。

しかし、眠りの中で聞こえた「俺はお前が気にいったから近いうちにまた会うよ、コクトー」。
織の残した意識が式に記憶を取り戻してくれました。

織が使っていた「コクトー」という呼び名。
フランスの詩人とは、ジャン・コクトーを表しているそうです。


【全て見終わった人へ】
{netabare}
蒼崎橙子が病院に訪れた際、看護婦が「荒耶先生の後任の先生よね」と言っています。
つまり、蒼崎橙子が来る前に、荒耶宗蓮が式の元にも訪れているんですね。
{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/03/23
♥ : 38

72.0 5 2008年度アニメランキング5位
空の境界 第二章 殺人考察(前)(アニメ映画)

2007年12月29日
★★★★☆ 4.0 (720)
4105人が棚に入れました
1995年3月、黒桐幹也は街で一人の少女と出会った。透徹した、不思議な眼差しを持った少女に幹也は一目で心を奪われてしまう。その年の4月、観上高等学園の入学式で幹也はその少女と再会する。少女は両儀式と名乗り、人を寄せ付けない性格であったが、幹也には少しずつ心を開いて行く。ある日、幹也は式のもう一つの人格である「織」と面識を持つ事になる。自分は殺人者だと言う「織」に戸惑う幹也。そんな中、観布子市内では連続猟奇殺人事件が発生し、街は重苦しい雰囲気に包まれていた。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、中田譲治
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

両儀式の心を乱す幹也。彼らの物語は此処から始まった。

「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第二章「殺人考察(前)」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。略称は「らっきょ」。


「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第二章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち1番目にあたる作品だ。本作の視聴で第一章では分からなかった「あの夜」までの展開が繰り広げられる。黒桐幹也と両儀式という二人の人物の過去とその関係を知ることが出来る。注目して欲しいのは「両儀式」の心理描写である。黒桐幹也が彼女に与える影響や、それによって変わる二人の仲をしっかり押さえておきたい。第一章「俯瞰風景」での伏線も回収している。前作に比べて穏やかなストーリーの運びだが、彼女の心の激しい流動には細心の注意を払って観て欲しい。
副題の and nothing heartは「そして空虚な心」といった訳だろうか。
考察←観る前に見ない様に。
{netabare}

時系列:1/8
1995年9月~2月
両儀式:16歳 職業:高校生
黒桐幹也:16歳 職業:高校生

原作との相違:小
原作との尺の比 87P:60min=1:1(1分当たり1.45P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)


・「両儀式」について
両儀家は人為的に二重人格者を生み出す家系であり、持って生まれた多人格を認められ、多人格を持たなかった兄を差し置いて両儀家の跡取りとなった。
生まれたときから、自らのなかに他人を抱えて生きてきた式は、自分以外の人間の感情を知って育ってきて、自然と人間嫌いになってしまった。
式のときは女性口調で、織のときは男性口調。
そんな式に「普通に生きる」という幻想を持たせてしまう少年が現れた。
異常者であると言う自分を、異常者だと認識させてしまう、少年、黒桐幹也。
式は生まれてはじめて、織以外の他人として「幹也」を強く意識し、心のどこかで人並みの幸福を夢見ていた。

幹也の「いつから僕らは正体不明の存在が、ただの見知らぬ他人なのだと知ってしまったのだろうか。」という思索は、「式の人間嫌い」について考えたものだ。
子供の頃は疑うことを知らず、無条件で周りを好いて、周りからも当然好かれていると"思い込んで"いたが、それは単なる無知故の幻想であるということに、何時気がついたのだろう、という意味だ。式の場合は織がいた為に、幼少期にその事実を直視してしまった。


・「黒桐幹也」について
「普通」「一般」を形にしたような人で、温和で面倒見がよく、大抵の人に好かれる好人物。一方恋愛に関してはかなりの鈍感で、式が好きであるため周りが見えないという点もあるが、当の式からの好意も感じ取れていなかったりする。また、馬鹿正直で「常識」という範疇から外れたことも冷静に処理することが出来る。
式に「両手両足だけ?それだけで人間は死ぬの?」という問いに、
「そりゃあ血がなくなれば酸素欠乏で生命活動が停止するでしょう。でもこの場合はショック死のほうが先だったろうね」と答えている。
基本的に、式からは「黒桐くん」、織からは「コクトー」と呼ばれている。


・「孤独と孤立」について
誰もいない街を歩くのは、自分が一人になりたいからだと思う。それとも逆に一人なのだと思いたいからだろうか。

両儀式は二つの人格「式」と「織」を持ち、集団から孤立することはあっても、人格として孤独を感じることはなかった。式の隣には必ず織が居た。式は織を外に出そうとするものを殺す、つまり彼を殺し続けた。


・「天候と服装の変化」について
初めて会った時の天候は「雪」(この時幹也が会ったのは『両儀式』)で、そこから式が初めて「黒桐幹也」を認識した雨宿りの天候、「雨」へと変化。
そこで再び式は拒絶の意志を示す為、織に幹也との面会を許可する。この辺りから両儀式の服装が「黄色」(警告色)に。式がその後話しかけてきた幹也に「なぜ話しかけてきたの?」と訊いていることと、「このままだと、きっと私はあなたを殺すわ」という台詞から、なんとか幹也に引いて欲しかったのだろう。
殺人現場に居合わせた織を目撃しながらも、沈黙を守り「自分自身に自信が持てるようになったら、式の話を聞けるようになると思う」と答える幹也に、式は彼を完全に無視することにした。幹也はその後も張り込みを続ける。この辺りで天候に「雪」の日が一日ある。
放課後の教室で、式の「おまえは私の何を信じられるんだ」という質問に対する、「根拠はないんだ。けど、僕は式を信じ続けるんじゃないかな。・・・うん、君が好きだから、信じ続けていたいんだ」という答えに、式は彼に叶わない夢を見せ付けられ、絶望的な願いは彼への憎悪を呼んだ。その夜の天候は「雨」。式は「赤」(危険色)の着物で登場し、張り込み中の幹也を襲う。
そして彼女の「愛情」の代わりに持つ感情「殺人」により、幹也への想いをぶつけることになる。
作中を通して「雪」(緊張)から「雨」(緊張緩和)へと傾倒する雪解けの変化、これは式の幹也への心情の変化を表すのではないか。


服装の変化に関して、式の服の色が青→黄→赤と変化していることについて、普通であれば先述の危険色と判断出来るが、五行思想の「相剋」の観点から、木(青)→土(黄)と相克している、そして次が火(赤)であるので、水(黒)が入れば、完全な相克関係 木→土→水→火が完成するのだ。この黒はやはり「黒」が名字に入り、尚且つ全身黒ずくめの黒桐幹也を入れるのが適当だろう。
普段の式(青)→織(黄)→毎晩両儀家前で張り込んだ幹也(黒)→幹也を襲った両儀式(赤)
という完全な相克が完成するのだ!
(因みに相克とは五行思想において相手を打ち滅ぼして行く、陰の関係)


・「式と織」について
式は「肯定的な肯定」であろうと「否定的な肯定」であろうと、「抑圧」の感情を示す。女性人格で両儀式の肉体の主導権を持つ。
革ジャンの着こなしについて、一章「俯瞰風景」ではファスナーを開けているが、二章では閉じられている。これは二章の式が心を閉ざしていることを暗示している。
織は「肯定的な否定」であろうと「否定的な否定」であろうと衝動と逃避からの「解放」の感情を示す。男性人格で彼の生きる実感は殺人である。親父との稽古は織の担当の様で、男性口調だった。(真剣で勝負とは、二人ともよほど上手いのだろう)。夜に散歩をしていたのは織である。
最後の式の台詞が「オレは犯(ころ)したい」ではなく、「私は犯したい」であるのは、式が衝動を解放したことを示す。
(これはアニメでは分からない違いであるが(笑)。)

式と織の関係を例えるなら、『両儀式』という乗用車(肉体)に両儀式と両儀織という二人の人間(人格)が乗っているようなものである。
お互いに相手を認知しており、普段は式が運転席に、織が助手席に座っていて、交代することもある。乗用車(肉体)の所有者は式である・・・といった具合である。

式と織については第四章伽藍の洞と終章空の境界でも考察する。


・「――黒桐くん!」という式の叫びについて
幹也が秋隆の迎えを待つ式に傘を差出、唐突に鼻歌でsinging in the rainを歌った場面で、式が放った一言であるが、これは式がこのままでは織が出てくると直感で感じ、黒桐幹也という人間を周囲の自分を構う有象無象と一線を画す人物として初めて認識したことを表している。彼は式の異常性を露程も意識していないかのように彼女に感じさせ、自分の言動が無視されることよりも、それを式の思惑により曲解されることに怒った。式は幹也の人の好さに対して反感を覚えずにいられなくなるが、発端はこの時点からである。


・「連続通り魔殺人」について←七章を観てからどうぞ
{netabare}
この連続殺人の犯人は白純里緒であり、事件現場に必ず式が登場することと、彼が彼女に会ったときの「四回はやり過ぎだろう」(←実は殺人自慢)という台詞から、ミスリードを誘った。彼はこの時、荒谷宗蓮により「食べる」という起源を覚醒させられていて(だから喰い残しと呼ばれていた)、式を自分と同じ殺人鬼にすることを望んでいた。そこで、式の嫌う殺戮を繰り返し、彼女を誘い出そうとした。四人目の死体に陰陽太極図(両儀)が刻まれていたのも、彼女へのメッセージだろう。
本章は連続通り魔殺人の犯人を式であるかのようなミスリードをしつつ、殺人の描写は描かず、ただ現場に居た描写だけで、あたかも式が殺人を犯したかのように印象付けてしまう。
前述した幹也への質問から殺人の経験が無いことを示唆しているし、式が「残念ね。私人殺しよ」と言った理由も、今までずっと織を殺してきたという事であり、白純里緒を殺すまで、式は人間に対する殺人はしていない。(巫条ビルの幽霊や、生きた死体、荒谷宗蓮は殺したが、あれらは人間ではない。浅上藤乃のことは殺そうとしたが、結局殺さずに彼女に巣食う病気だけ殺した)
{/netabare}


・最後の幹也の逃走場面について
赤い着物で雨の中佇む式に対し、幹也は駆け寄って彼女に腕を差し出した。それと同時に式は彼の腕を切る。逃げる幹也を追いかけナイフの切っ先を彼の喉元に向ける。
「コクトー、何か言ってよ」と式は言う。
「僕は・・・・・・死に・・・・・たく、ない――」と幹也は襲いかかる死に対し言った。
「私は、おまえを犯(ころ)したい」と式は言った。

この一連の動作について
両儀式は式と織と言う二つの人格で事足りていて、他者の醜さを知っていたが故に、世界を拒絶することで、自己の平安を保っていた。
式は外界を拒絶するが故に外界からも拒絶されていたが、初めて彼女を受け入れてくれる人物、黒桐幹也と出会う。
彼は異常である彼女に「普通に生きる」という叶えられぬ夢を見せ付け、彼女の保っていた世界は外の世界を望むが故に壊れ始めた。式は望んだ夢の「遠さ」、自身の「異常」を強く自覚してしまい、黒桐幹也を求める心と壊してしまいたいと思う心(ambivalent)に苛まれ、その衝動は彼女を「殺人」という手段を行使することへ向かわせてしまう。
壊すことが目的なので「殺」でなく「犯」である訳である。
織の夢は、幸せに生きることであり、幹也はその象徴であり、織が幹也を殺すことはない。夜中に徘徊をしていたのは織であり、式は連続殺人の犯人が織か、第三者かは知らない。式はこれ以上、自分が壊れることを恐れ、織の殺人衝動の発現を防ぐために幹也を殺そうとする。本来なら否定は織の役目であるが、幹也への感情が許容量を超えたため、式が直接、幹也に向かった。この章ではこの事件の末路は描かれていないが、一章で式、幹也が生きていることや、式が常に男性口調であること、直死の魔眼についてなどの伏線と繋がっていく。この事件の後日談は第四章伽藍の洞で分かる。


・「君が光に変えて行く」について
両儀式が黒桐幹也により変化していく様子イメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。
本作は第七章「殺人考察(後)」に次いで式と幹也のラヴストーリー色の強い作品で、「こんなに哀しい景色を 君が光に変えて行く」という歌詞からも式が幹也に影響されていく様が見受けられる。この曲の歌詞を理解して初めて本作を理解したと言えるだろう。



・「殺人考察(前)」という作品について
式と織という二つの人格を持つ二重存在者、自己の中に他者を持ち、他人の感情を幼い時分から知っていた両儀式は「愛情」というものを知らないで育った。自らを異常者と自覚している彼女は、自分に近づく人間を拒絶し、人間嫌いになっていた。織は式の禁忌を受け持つ人格であり、織という闇を殺し続け、自らを破壊衝動と位置付ける。式は織を目覚めさせる人間を拒絶し、織は式の拒絶する人間を殺そうとする。
黒桐幹也は「普通」を形にしたような少年だが、変わった嗜好を持っていた。徐々に式に惹かれ、彼女と親しくしていた。式はそんな自分に馴れ馴れしく接触してくる黒桐に戸惑いながらも、彼との時間に幸せを感じていた。しかし同時に、「普通に生きる」ということは自分には叶わない幻想だと、激しく認識させられ、自分が変わっていくことを恐れ、彼を拒絶することを選択した。織によるデートでの式と織という人格の説明や、放課後に人間嫌いだという説明をされても、式に近づく彼の態度に、式は苛立ちを隠せずにいた。幹也はどうしようもなく式のことが好きになっていた。
八月に連続猟奇殺人事件が発生していて、織は毎夜の散歩の中、殺人現場に足を運んでいた。二月に幹也は大輔から連続猟奇殺人事件の犯人の情報を得、式が犯人ではないかという疑問を持ち彼女の家に足を運ぶ。そして其処で血が吹き出る死体の傍らに居る式を目撃してしまった。しかし、彼は警察にそのことを伝えず、彼女の家の前で毎晩張り込みを行い、事件の犯人が式でないことを信じ続けた。式は今度こそ、事件のことを問い詰めてくるだろうと踏んだが、幹也に「信じる」と言われ織が幹也を殺そうとしたことから、未体験の苦しみを味わい、彼を無視することにした。二週間ほど経って式は幹也と放課後に話しをする。毎晩張り込みを続ける幹也に無視が出来なくなった式は、自分は人殺しだと告げるが、幹也に憮然と「君にあんな事はできない絶対だ」「根拠はないんだ。けど、僕は式を信じ続けるんじゃないかな。・・・うん、君が好きだから、信じ続けていたいんだ」と言われ、式は小さな幸福と、防ぎようのない破壊に苛まれた。その晩、式は幹也を襲い、自分に叶わぬ夢を見させつづけた彼に対する感情を殺人という手段で伝えることにした。

・名言(原作より抜粋)

式(夜が深くなれば、闇もまた濃くなっていく。誰もいない街を歩くのは、自分が一人になりたいからだと思う。それとも逆に一人なのだと思いたいからだろうか。)

里緒「そう?それは違うな、君は分かってない。だから苛立っているんだ。あんまり、そういうのを他人にぶつけちゃ駄目だよ。他人を責めるのは楽だから、クセになる。あはは、四回はやりすぎだろう」

式(たとえ織が人殺しを愉しむ殺人鬼であろうとも、私は織を消す事はできない。自らの内に"シキ"を飼う私は、やはり彼と同じシキに過ぎないのだから。)

織「じゃあな。オレはおまえの事が気に入ったから、近いうちにまた会うよ」

幹也「とっくにいかれちまってたんだ、俺」

幹也「式はただあそこにいただけだろ。少なくとも、僕はそれしか見ていないんだ。だから信じることにしたんだよ」

式(幹也といると、なんだか落ち着く。幹也といると、彼と一緒なのだと錯覚する。幹也といると、そちら側に行けるのだと幻想してしまう。)

幹也「根拠はないんだ。けど、僕は式を信じ続けるんじゃないかな。・・・うん、君が好きだから、信じ続けていたいんだ」

式「――おまえは、莫迦だ」

幹也「僕は・・・死に・・・たく、ない――」

式「私は、おまえを犯したい」
{/netabare}



この二章は、「両儀式」という人物に注目し、黒桐幹也が彼女に与える影響を「表情」、「色」、「天候」、「仕草」などを巧みに活用して、視聴者に伝えている。原作の心理描写を上手く伝えられていると思う。式と言えば青い着物に真っ赤な革ジャンがトレードマークだが、この式の革ジャンは、幹也に「冬でもその恰好なのか」と言われて購入した革製のブルゾンである。作中では、まだ冬になっていないのに真っ赤な革ジャンを纏う式が可愛くて堪らない。しかし、幹也は全く気付いておらず、1章では薔薇には棘があるから式にはバラ科のストロベリーが似合うという説明の中で、式のトレードマークである革ジャンを指しているが、それが自分の発言に起因したものであることに未だに気づいていない。式がハーゲンダッツを「食べない」と言って若干拗ねたのも棘があること言われたことに加えて、この点もあったと思う。結局、幹也を思って食べるのだが(笑)


本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 47

War Beast さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

厨二病

とてもおもしろい。
原作の魅力がよく引き出されていて
型月のアニメ見て成功したのは初めてだった。

厨二病の皆さんは例外なく楽しめる作品になっている。
正直本編はこの2話、殺人考察(前)からなので
面倒な方、お金がなくて1話買えなくて見られないという方は
ここからでも大丈夫かな?もちろん1話から見ることをオススメするというか
1話みてこの作品の空気が自分にあってるか確認するのがいいと思う!

投稿 : 2024/03/23
♥ : 4
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

自分の中に眠るもう1つの自分との境界線

2作目であるこの第2章は、時系列からいくと一番最初のエピソード。

主人公・両儀 式(りょうぎ しき)と黒桐 幹也(こくとう みきや)が出会い
人を寄せ付けなかった式の心を幹也がいかにしてほぐし、そして苛立たせ
式のもう1つの人格と対面することになっていくかを描いている。

まず、冒頭の雪の中でのシーンが美しい。
作画は相変わらずとても綺麗だし、音楽もいい。

やがて季節は春、高校の入学式で幹也は両儀と同じクラスであることを知る。
私服と制服が混合の学校で式は和服姿というのがもう、かなり違和感あるわけで。
しかも無口で儚げ、群れずに独りでいることが多い、となればそれだけでも、
幹也の興味を惹き寄せてしまったのかもしれない。

一方、式の方では入学以来馴れ馴れしくつきまとうようになった幹也に対し
どう向き合えば良いのか、心の奥底にあるものを抱えながら戸惑い、
不安定になっていくのが見て取れた。
しとやかに儚げに、小声で丁寧に話す式は段々と幹也に心を開くのだが
それと比例して、ある衝動を抑えきれなくなっていく。
その衝動とは、またその心の奥に眠る想いとは・・という物語。

また時を同じくしてあちこちで起きる猟奇的殺人事件も、
ダークな雰囲気と謎を残し、観ていてどんどん惹き込まれる。
{netabare}
幹也のお人良しな性格に触れ、自分が変わっていくことへの恐れと焦り、不安感。
繊細なタイプの女の子が、初めて異性からの好意を知るときも
似たような葛藤がありそうだが、式の場合はそういうことじゃなく
もっと別な事情があるわけで・・・

自分のことを「オレ」と呼ぶ男口調のもう1人の「織」(しき)という人格との
想いのズレ、殺人したいと言う気持ちの本当の意味は、
セリフとして言葉に出しているものの、
まだこの2章を初見しただけの人では、理解しにくいと思う。

おそらくそれがハッキリ何であるかわかるのは、第4章からになるだろう。
{/netabare}

彼女は幹也という人間と出逢い、確実に変化しつつある。
でも決して順調な道のりではない。
苦しむ自分を傷つけ、微笑む彼を傷つけ、その先に求めているものは何なのか。
今にも壊れそうなほどの狂気の中、ためらいながら手を伸ばす想い。

そこで彼らは何をみつけるのだろう。
痛々しいほどのその想いは、ものすごく共感できるものがあり、せつなかった。
この物語は中二世界の異能バトルものなんかじゃない。
さまざまなものを抱え、乗り越えながら必死に向き合おうとした2人の
過去と現在を描いていく物語なのだと確信した第2章だった。

それを踏まえた上で、今後の展開への伏線もかなりなものなので
隅々まで漏れなく観て頂きたい回ではある。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 35

68.6 6 2008年度アニメランキング6位
ウォーリー(アニメ映画)

2008年12月5日
★★★★★ 4.1 (74)
413人が棚に入れました
ゴミに埋もれ、人類がいなくなった遥か未来の地球でたった一人ゴミ処理を続ける孤独なロボット“WALL・E(ウォーリー)"が主人公のディズニー/ピクサー制作SFファンタジー・アニメ。誰もいない地球で黙々と働き続けるうちにいつしか感情を持ち始めた健気なロボット“ウォーリー"のピュアな初恋と大冒険の物語が、現代人への警鐘と熱きメッセージを織り込みつつ感動的に綴られてゆく。監督は「ファインディング・ニモ」のアンドリュー・スタントン。 人類に見捨てられ、ゴミに埋め尽くされた29世紀の地球。そこで700年もの間、黙々とゴミ処理を続けるウォーリー。いつしか感情が芽生え始め、いまではゴミの中からお気に入りを見つけてコレクションすることが彼の楽しみになっていた。中でもお気に入りはミュージカル映画「ハロー・ドーリー」のビデオ。それを見ながら、映画の中の登場人物みたいに自分もいつか誰かと手を繋ぎたいと夢見る日々。そんなある日、一体のロボット“イヴ"が地球に降り立った。その白く美しい姿を一目見てたちまち恋に落ちたウォーリー。あの手この手で彼女の気を惹こうとするウォーリーだったが、ある時、お気に入りのヒョロリとした物体=“植物"を見せた途端、イヴは動かなくなり、やがて突然現われたロケットに回収されてしまう。イヴを助け出そうとロケットにしがみきそのまま宇宙へと旅立ってしまうウォーリーだったが…。

takato さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

流石のピクサー

 流石のピクサー。まさに神は細部に宿るというスピリットが感じられる作り込みが半端でない。

 ストーリーもかなりシンプルだが、しっかりハラハラドキドキさせる展開、ジーンとさせる展開、エンドロールのオチとスキの無い作り込みを感じる。ただ、「ヒックとドラゴン」を見た後のせいか食べ足りない気がしないでもない。人間たちをもっと作りこんで、上がる展開を用意してくれたら、もっと好きな作品になったような。正直このキャラクター達が活躍するところがもっと見たい。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 3

67.9 7 2008年度アニメランキング7位
劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇(アニメ映画)

2008年9月6日
★★★★☆ 4.0 (236)
1807人が棚に入れました
劇場版第1弾。2008年9月6日公開。上映時間113分。第一部からシモン復活~四天王全員撃破までの内容を再構築した総集編となっており、シモンとカミナの男の友情と、シモンの成長を中心に描いた物語となっている

声優・キャラクター
柿原徹也、小西克幸、井上麻里奈、福井裕佳梨、伊藤静、斎賀みつき、檜山修之

ks さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

お前を信じるな。お前を信じる俺を信じろ!

題名はある偉大な男の言葉です!本当に偉大でした。…。


さて、この映画は友達に見てみろと言われて見ただけで知識はないまま見たのですが、大当たりでした!

ロボアニメで、弱気な少年が兄貴分の青年と共に地下深くに埋もれてたロボを見つけたときからこの物語ははじまります。

戦闘はあつく、手に汗にぎる暑いバトルで見てて退屈しませんし、ギャグもいい!

そして中盤で衝撃の展開が待ち受けており、最期までその勢いのまま突っ走ります!!

いや~凄かったです!衝撃的すぎてヤバイです。少し欝になっちゃうかも?

そしてラガン編へ…。続きが気になってすぐに続きをかりてきてしまいましたwwいい忘れてましたが、この映画は二部作で紅蓮編とラガン編があります。

この紅蓮編を見た方ならきっとラガン編が見たくなって仕方なくなります!ほんと、面白かったので見てない方は是非!

投稿 : 2024/03/23
♥ : 14

AKIRA さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

お前を信じろ!!お前を信じるオレでもない、オレが信じるお前でもない。お前が信じる、お前を信じろ!!

やや追加はありますが基本的にはTVシリーズの前半部分の総集編ですね

てっきりロージェノムの対決までやると思ったら四天王まででした。尺の都合もあると思いますが…
流石に四天王のうち後半の3人をまとめてやるのはちょっと…

まぁメインともいえるシモンの成長部分だけは描けていたので良し。初めて見ると多分世界設定とかわからないと思うけど

個人的には作画力が上がっていたのと主題歌が相変わらず良かった点ですね。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 7
ネタバレ

daruma さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

改良

大体が総集編ですが、新作カットもいくつかありました。

何度見てもシモンがアニキの死を乗り越えて復活するシーンは泣けます。

{netabare}この作品のラストバトルが大きく改変されていて、四天王の三人とヴィラルと同時に戦います。最後は合体までしたりして、TV版違った戦いが見れて満足です。{/netabare}

TV版で展開が遅くて飽きてしまった部分がまとめられていたので、気分が途切れることなく観終えることができました。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 3

67.8 8 2008年度アニメランキング8位
ワンピース エピソードオブチョッパー・冬に咲く、奇跡の桜(アニメ映画)

2008年3月1日
★★★★☆ 3.8 (233)
1371人が棚に入れました
サウザンド・サニー号でグランドラインを突っ走るルフィ海賊団―――。そんな中、ナミが原因不明の高熱で倒れる…。医者を探すルフィ達が辿り着いたのは、 “ドラム王国”だった。この国では “ドクターくれは”という医者がひとりだけいると聞き、ルフィは雪山の城へと向かった!! 巨大なウサギの襲撃や、雪崩をかいくぐり、何とか山頂の城に着くのだが、そこで力尽きてしまうルフィ達。その3人を助けたのが、青っ鼻のトナカイ“チョッパー”だった。ルフィとサンジはチョッパーを仲間にしようと追い回す。そこに突然、砲弾が打ち込まれた!!国を捨てて逃亡した国王ワポルが、兄”ムッシュール”を連れ総攻撃を開始したのだ。砲弾は、城の上の“桜舞う海賊旗”に命中!! ――人の夢をあざ笑うワポルへ、ルフィの雄叫びが響く。「お前なんかが、へらへら笑ってへし折っていい旗じゃないんだぞ!!」海賊旗に込められた、一人の男の熱き想いが今、この島に奇跡を起こす―――

声優・キャラクター
田中真弓、中井和哉、岡村明美、山口勝平、平田広明、大谷育江、山口由里子、矢尾一樹、牛山茂、島田敏、野沢雅子、みのもんた

66.6 9 2008年度アニメランキング9位
つみきのいえ(アニメ映画)

2008年10月4日
★★★★☆ 3.7 (219)
953人が棚に入れました
海面が上昇したことで水没しつつある街に一人残り、まるで「積木」を積んだかのような家に暮らしている老人がいた。彼は海面が上昇するたびに、上へ上へと家を建て増しすることで難をしのぎつつも穏やかに暮らしていた。ある日、彼はお気に入りのパイプを海中へと落としてしまう。パイプを拾うために彼はダイビングスーツを着込んで海の中へと潜っていくが、その内に彼はかつて共に暮らしていた家族との思い出を回想していく。

声優・キャラクター
長澤まさみ

メア さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

つみきのいえ。それは人生と思い出の・・・・・

アカデミー賞を受賞した加藤久仁生監督による作品。

作画は小さな絵本のようで見やすく、また、セリフというセリフが無いために少し考えなければならないかもしれない。

何故かはわからないが海面が上昇し、水没していく町の老人が、海面が上昇するたびに上へ上へと家を、まるで「積み木」のように大きくしていくお話。

彼はふとしたことで下に落としたパイプを拾いに行くのだが、そのとき下に行くにつれて、昔住んでいた部屋を見ることで昔の記憶、思い出を思い出していくのです。
それはこの話の主人公のおじさんの妻から子供たち、孫たち、結婚式、それに出会いの日々、何気ない日々までもと多くの人生を振り返ったおじいさんは最後に最下層、つまり玄関につき、そこから出て「いえ」を眺めたのです。あたりにある水没した「いえ」を含めて。そこで思い出す(恐らく)妻との幼少期からの思い出。走り回り、笑い、家をともに建て、最後にグラスを・・・。
このときおじいさんはグラスを拾い上げたのでしょうか。
また、最後に注いだ2杯のグラス。
彼はどのような気持ちで「乾杯」をしたのでしょうか?
きっと今までの記憶の懐かしさと、一人でいることの寂しさをともに味わったワインだったのでしょう。

上映時間は12分と少し。
短くないかときかれればとても短い作品ですと答えます。
しかし、とても多くのことを考えることの出来る作品でした。

切なくなり
 悲しくなり
  そこまではいったものの、結局涙を流さない今の僕の人生はまだまだ小さく、たいしたことの無いものでしょう。
いつか、また、このアニメを見たときにもっと深く感じられるような人間に・・・・・・・・・

つみきのいえ。
それは記憶を積むことで出来た家なのかもしれない。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 17

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

言葉など必要ないんだ。充分伝わるから。

静かに流れる時間、
ときどき流れる穏やかな音楽。
海の底に沈んだ、おじいさんの深い思い出と家族の歴史。
積み木を積んだような家は、人生そのもの。


2008年に発表された加藤久仁生監督による日本の短編アニメ。
音と映像だけでじっくり魅せる12分間。

日本語版では長澤まさみさんのナレーションが入るようだけれど、
正直言うと、ナレーションは必要ないんじゃないかと。
(もちろん、世界に伝えるためには必要な部分もわかりますが)


実はこの作品、自分の場合は絵本が先で。
だけどアニメーションで観たこの物語のほうがずっと、
心に深く刻み込まれている。
言葉がなくても充分、伝わるものがあるんだなって思った。

とても短いし、レヴューもあれこれ書かないほうがいいほどで。
ぜひ、まだ観てない方は一度ご覧になってください。

セピア色の濃淡、明暗が懐かしく、せつなく、
そしてやさしく包んでくれます。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 40
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

12分で語る「人生」

2008年、加藤久仁生監督による短編アニメーション作品。
「La maison en petits cubes」というフランス語のタイトルがついています。

水に沈みゆく町に住む一人の老人。
彼は、レンガを積み重ねることで生活空間を作っていくが、あるとき、お気に入りのキセルを落としてしまう……。

同じ短編アニメーションの「rain town」と、似たような雰囲気があります。

「rain town」のレビュー → http://www.anikore.jp/review/404459/

CGで描かれた美術的な美しさや、臨場感が「rain town」の特徴。
色鉛筆で手描きしたかのような味のある動き、また、内容のわかりやすさが「つみきのいえ」の特徴。

{netabare}
キセルを拾ったあと、2番目の扉を見つけた時に「あっ!」って声が出ちゃいました。
これから人生を遡っていくのだなと。
{/netabare}
過去を思い出すきっかけは、ふいに訪れるんですね。
そして、思い返し始めたらたら止まらない。
{netabare}
海底についたときに見えた、海の中に沈んだたくさんの家。
過去の暖かい思い出と、失ってしまったものへの悲しさが同居した、切なくも美しい風景でした。

その上に成り立つ、いびつながらも高い「つみきのいえ」。
老人の過ごしてきた、長くてたくさんのことがあった人生がうかがえます。
{/netabare}

わずかな時間で表現する「人生」がテーマの作品。
短くも濃い12分間でした。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 30

65.7 10 2008年度アニメランキング10位
DEATH NOTE-デスノート リライト2 Lを継ぐ者(アニメ映画)

2008年8月22日
★★★★☆ 3.8 (156)
1151人が棚に入れました
「そのノートに名前を書かれた人間は死ぬ」という力を持つ、死神が落とした恐るべきノート・デスノート。
天才的な頭脳を持ち、退屈を持て余していた高校生・夜神月(ヤガミ・ライト)がそれを拾った時から、すべては始まった。デスノートを使って、世の中に溢れる犯罪者たちに次々と死の制裁を下していく月(ライト)は、いつしか「キラ」と呼ばれるようになる。
果たして月=キラは、世界を救う救世主なのか。それとも独裁的な殺人者なのか。
キラを崇拝する者、その行為を否定する者。世界は大きく揺れ動いていく…。

64.8 11 2008年度アニメランキング11位
崖の上のポニョ(アニメ映画)

2008年7月19日
★★★★☆ 3.5 (648)
3077人が棚に入れました
海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と願うさかなの子・ポニョと5歳児の少年・宗介の物語である。

みかみ(みみかき) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

なんだよ、よかったよ

 いろいろと評価のわかれる作品ではあるが、私はだいぶ気に入った。

 作画のすばらしさがとんでもない水準に達しているのはもちろんだし、すべての複雑なプロットをいさぎよく放棄したシナリオも、…なんだかんだでよかった。

 リアリティの水準の保ちかたが、観客の「鑑賞」の仕方そのものを選ぶような、わけのわからない構造になっているという気もしたが、そこを自覚的に見ることができれば大丈夫なんじゃないのかしら。

 狂人、宮崎駿の何かが結集している感じでよかったですよ。ほんと。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 8
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

擁護派です!(既視聴向け)

 3回目かな。100分くらい。
 私にとってはかなり好きな作品なんですが、一般的には酷評されているようですね。ちょっと悲しい…。擁護派の立場から、「ポニョ」のストーリーをまとめていきたいと思います。
 想定外に長くなってしまったので、お暇なときにでもどうぞ。


なんで分かりづらい?:{netabare}
 「ポニョ」は子供向けというイメージが先行しすぎて、「トトロ」と同じカテゴリーに置いている人も多いと思うんですが、それはあくまでも視聴年齢という枠組みにおいてだけ成立するものだと思います。
 「ポニョ」は、表向きは「魚が人間になる話」なんですけど、後半のほとんどの時間は「魔法による世界の変革」に費やされていますよね。つまり、世界の変革に触れる作品、というのが本質なんだと思います。この視点で見ると、「トトロ」よりも「ナウシカ」や「もののけ姫」の系譜に連なるものだと思います(詳細は後述)。

 子供は表向きの話を見ていればいいのですが、それ以外の人は当然世界に何が起こっているのかを探ります。ですが、ここの分かりづらさに「ポニョ」が酷評される原因の一端があるように思えます。具体的には、世界の変革に対する主人公たちの振る舞いです。

 ナウシカやアシタカは、その世界の変革に際して、自身の立ち位置を明確にしていますよね。ナウシカは命を賛美し、アシタカは曇りなき眼を標榜します。これが世界の変革と呼応して物語が展開していきます。つまり、主人公たちの行動と世界の動きが連動するので、話が分かりやすい。

 ですが、ポニョやソウスケは、ナウシカやアシタカと異なり、その変革に対するスタンスを明らかにしません。二人の目的は、「会いたい」「守りたい」と局所的なのです。ポニョの無自覚な魔法により世界が混乱しているにも係らず、彼らは傍観者にすらならないんです。世界の変革に多くの時間を割きながら、主人公たちを見ていても、変革の方向性は一向に分からない。
 「ポニョ」において、その行く末を思案しているのは大人たちです。フジモトやグランマンマーレやリサですね。ですが、彼らの不安や確信は、その中身までは明らかにされません。つまり、大人たちを追っても世界の行く末を察することは出来ないんです。挙句に、その行く末をポニョやソウスケに託してしまうから、ますます分からなくなってしまう。

 結局のところ、登場人物たちは何も語ってはくれないんです。セリフに映像を併せて考えるしか解決策がない。セリフに気を取られて映像解釈をおろそかにすると、「ポニョ」の話は分からん、となってしまうんだと思います。

 ちなみに、世界の変革に対して主人公のスタンスが明らかにされない作品が、「ポニョ」以外にもう一つあります。それは「ポニョ」の次作である「風立ちぬ」。戦争という変革に際して、二郎は世界がどうなるかなんて気にもしません。ただただ美しいものを愛でていたいだけ。世界の行く末を思案する大人たちの存在すら希薄になっています。
 「風立ちぬ」は、世界の変革よりも人物描写が主題になっているんですが、人物描写自体が映像描写の中に隠れてしまいます。「ポニョ」と同じくセリフばかりを追っていると、分からん、となってしまう作品でした。

 ちなみに、映像的な描写自体は過去作からずっとあったものです。ただ、主人公と連動しないために、見過ごすと分からないレベルになってしまったのが、この「ポニョ」と「風立ちぬ」なんだと思います。どちらも分かりづらいために賛否両論になってしまいました。
 このような主人公の特殊なスタンスは、この2作品独自のものだと思います。一歩引いた主人公が二作連続で作られていますので、宮崎駿監督のスタンス自体が変わっていったと考えるのが良さそうですね。
{/netabare}

ポニョ(金魚?人面魚?):{netabare}
 ポニョは明らかに金魚には見えないのですが、金魚であると言われ続けます。で、こちらが金魚であることをしぶしぶ受け入れると、途端に「人面魚!」と言われてしまいます。あまりの衝撃に「ファンタジーじゃないの!?」と思ってしまうのではないでしょうか。

 ただ、ここはあまり深く考えなくてもいいのです。ファンタジー要素を受け入れる側と受け入れない側が、作中にも存在することを描いていただけです。簡単に言うと、魔女宅の魔法と同じです。田舎では受け入れられて、都会では受け入れられない。このギャップが、地理的な部分に属するのではなく、個人に属しているのが「ポニョ」の世界です。

 ポニョが金魚であることを受け入れた人々は、グランマンマーレをも受け入れています。受け入れなかったトキは、グランマンマーレをも受け入れません。これらの対比が存在することが伝われば、とりあえずは問題のないところです。トキの特殊性が伝わればなお良し、くらいのものです。
{/netabare}

ポニョの世界観(三段階の構造):{netabare}
 この作品は、セオリー通りに世界観の説明から始まっています。
 先入観としては、海と陸で対比があるのかな、と考えると思います。海のシーンはCMでもお馴染みでしたし、タイトルは「崖の上」のポニョですからね。海(特に夜の海)というのは、彼岸というか死の世界というか、ここではない世界の象徴にも使われますから、海と陸の対比という先入観を持ってしまう。これ自体の否定はされていないんですが、若干の修正がオープニングで行われます。

 オープニングで描かれているのは、次の構造です。
 ポニョたちの領域である深海、ゴミのある浅瀬、人の領域である陸地。
 陸地の先にある崖の上まで含めると四段階の構造なんですが、とりあえずは三段階で話を進めます。浅瀬は海の側に入れたくもなりますが、ゴミにまみれた人に浸食された部分ですから、中間的な領域としてどちらにも含めないのが正しいように思います。
 で、この構造というのは、他の宮崎駿作品で既に使われているものです。それは「ナウシカ」。
 自然の領域である腐海の深層、毒のある腐海の表層、人の領域である陸地。

 「ポニョ」と「ナウシカ」のどちらも、深層は人の住まわぬ浄化された領域で、陸地が人の領域、中間層は両者がせめぎ合う領域です。海か森かの違いはありますけど、基本的な構造の部分は酷似しているのが分かると思います。両者とも非人間側の氾濫ともいうべき、大海嘯が起こることまで一致していますよね。

 で、この三段階の構造を、作中で一番表現しているのがポニョです。
 魚と半魚人と人間。どれか一つの形態にとらわれずに、コロコロと姿かたちを変えていました。半魚人の形態は、足が出てから手が出るとか、目が離れて口が大きくなる感じとかが、カエルのように見えます。デボン紀というは、両生類が出現した時期ですし、両生類には水陸両用のイメージがあります。魚と人間の中間である半魚人の形態は、海と陸の中間という部分が強調されていたのだと思います。
 もう一つ挙げておきます。ポニョは海の深層出身で、浅瀬を経由してソウスケのもとにやって来ます。そして、水道水に入れられます。海の生き物で、しかも海がすぐ近くにあるのにも係らず、あんなにジャブジャブと水道水を掛けられるので少し驚きますよね。これも三段階の構造を説明するための描写のように感じました。海の深層の水を出て、浅瀬の水を経て、人工の水に触れた、ということですね。
{/netabare}

ポニョの魔法:{netabare}
 ポニョは人間になりたいと願います。この願いは魔法の力に頼らねば達成できないものでした。ポニョは、魔法の力を使って人間になります。ですが、期せずして、世界のバランスまでもが壊れてしまいました。魚が人間になる方法は、世界のバランスを壊す魔法でしか達成できなかったのでしょう。リサの言う「変えられない運命」を変えるものです。
 ただ、ポニョに世界のバランスを壊す意図があったわけではありません。人間になろうとして世界のバランスを壊すことを選んだのではなく、人間になったらたまたま世界のバランスが壊れてしまった、というだけです。
 世界のバランスが崩されたことにより、月と地球が接近してしまいます。月が接近してくると海面が上昇します。満潮と同じの原理ですね。そして、空に月が、地表に海がある世界が誕生します。

 この月と海の世界について考えてみます。
 海は分かりやすいですね。フジモトの集めた「命の力」が海に放たれたわけですから、生命の海・原初の海が誕生したということです。これはカンブリア紀という言葉につながります。海の世界であるカンブリア紀は、カンブリア大爆発という生命の爆発があった時期です。実際には力が足りず、デボン紀までしか戻りませんでした。

 月については、公式HPに「昔から、女性の象徴であるといわれています」と書いてあります。これは、太陽を男性とみて、月を女性と見る(やや西洋的な?)考え方ですね。moonの語源とか、月の女神アルテミスを述べたものだと思います。グランマンマーレもその初登場時に、海面に写る月へと融合していきます。
 これにより、「海に母性、空に母性」で母性に包まれた世界が誕生します。この世界の創造の原因となったポニョがソウスケとキスをすることで、魔法の力の喪失、父性の獲得、そして世界の再生となるのだと思います。

 ちなみに、月は男性となることもあります。日本では太陽神アマテラスが女性で、月の神ツクヨミが男性ですからね。個人的には、太陽は、強さの象徴である男性よりも、命の象徴である女性の方がしっくりきます。それもあってか、私は「海に母性、空に父性で、再生準備完了」と整理していました。これがポニョとソウスケに投影されて、男女のキスで再生スタートという流れですね。まぁ間違ってましたけど…。
{/netabare}

大津波後の世界(四段階の構造):{netabare}
 大津波後の世界について考えていきたいのですが、まずは過去作の整理をしておきます。

 漫画版「ナウシカ」のエンディングは、自然や命をないがしろにした人類は滅んじゃうかもよ、というものでした。確たる希望に薄く、滅びの色が濃いのが特徴です。

 これが「もののけ姫」では少し変化しています。
 サンは「アシタカは好きだ。でも人間を許すことは出来ない」と言っていましたよね。人類という種族自体は許されませんでしたが、ごくわずかな個人に近いレベルだけは自然側が受け入れてくれました。その上で、「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」という擬制的な共生が結論になりました。そして、この結論を出したアシタカをエボシが受け入れます。双方が譲歩することで、自然の世界を五分五分で分け合うのではなく、ちょっと間借りする形で人類の居場所が許されました。

 いずれにも共通するのは、この世界が本来は自然のものだということです。<自然=生>を基本とし、人間が自然に敵対してしまうことから<人間=死>となります。これが「ナウシカ」での人間滅べというメッセージです。ただ、人間が自然の一部であることを思い出せば、<人間=死>の中に「生」が許されます。これが「もののけ姫」の結論ですね。つまり、三段階の構造の先には四段階目があるのです。

 これは「ポニョ」の世界でも確認できます。それが陸地の先にある高台です。ソウスケたちの住む崖の上の家は、電気・水道・ガスというインフラが、他から独立していることが説明されています。つまり、低地に頼らずとも生きていける場所です。それゆえに、みんなの希望の光を放つ家となります。
 作中では描かれていませんが、大津波によって多くの人が亡くなっている可能性は高いです。ですが、それで人間を全滅させようとしていたのではなく、一部の人々を救うための高台がきちんと用意されているのです。町を水没させることで人間の領域と中間層を自然の側にし、<人間=死>の上に四段階目の「生」を浮かび上がらせたのです。

 まとめるとこんな感じです。
 「ナウシカ」:三段階のせめぎ合い→大海嘯による中間・人間領域の自然化→人類滅亡?。
 「もののけ姫」:三段階のせめぎ合い→シシ神様の花咲による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生。
 「ポニョ」:三段階のせめぎ合い→大津波による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生→????。
 「ポニョ」では、「ナウシカ」と「もののけ姫」の中心(バトルと自然化)ががっつり省略されているのです。四段階目のその先をどうするのか、ってのが「ポニョ」の主題なのです。
{/netabare}

トンネルの先の世界:{netabare}
 他のサイトの考察には、「大津波で人間は全滅した。トンネルの先は死後の世界だ。ソウスケたちは死んでいる」というものが散見されます。この考察は、この世界を生の世界と捉えて、トンネルを異世界の入り口とし、トンネルの先を死の世界と考えているのでしょう。人間を主体として、その生死で世界を見るような作品においては、この考え方はおおむね正しいものです。

 ですが、いつでも正しいわけではありませんよね。宮崎駿監督が自然と人間を描くときには、この世界に生を異世界に死を見るのではなく、この世界を自然と人間に分けて、生と死のせめぎ合いとして見ています。トンネルの前後に生と死を置くのではなく、トンネルの前に、既に生と死が存在しているのです。「ポニョ」の大津波や「ナウシカ」の大海嘯は人間を滅ぼし得るものですが、自然にとっては再生の儀式なんです。人間だけが主体ではないですよね。

 宮崎駿監督は、水没後の船に乗っている人々は生きている、と明言していました。船には、波が高まった時にリサカーの通過を阻止しようとする、ドックの作業員の二人が乗っています。彼らについて、「彼らのように頑張っている人間が生きていることを、子供にも分かるようにしなくてはいけない。子供はそれを敏感に感じ取るから」と語り、彼らを船に乗せました。四段階目に属するアシタカやソウスケのような人物は、他にもまだいるってことです。

 トンネルが異世界の入り口だというのは正しいと思います。トンネルだけではなく、大穴や井戸など、先の見えない暗く長い通路は、異世界の入り口という意味を持つことが多いです。そこを越えた先が異世界です。路地裏とその行き止まりの扉も同じ効果を持ちます。ポニョとソウスケは、トンネルの向こう側へと到達しました。

 では、生と死が既に描かれている「ポニョ」において、トンネルの先とは何だったのでしょうか。
 それは、生と死を超越した世界、グランマンマーレの支配する世界です。グランマンマーレについて、宮崎駿監督は「海の神」だと言っていました。また、「どれくらい生きているのか分からないが、ちょっとやそっと死んだくらいでは気にもしない」みたいなことも言っていました。長い年月を通じて、多くの生と死に触れて来たからこそ、局所的な死など気にならないのでしょう。「もののけ姫」のシシ神様と同じですね。個々の死など些末なことなのです。人がたくさん死んだとしても、「素敵な海」の一言で終えてしまうのです。抱えているスケール自体が違うのです。

 ポニョの魔法の力は無尽蔵ではありません。使うたびに半魚人に戻ったり、眠くなったりしてしまうのです。トンネルに近づくと、魔法の力を使わなくとも眠たくなってしまいます。
 ポニョはトンネルに至って「ここ嫌い」と言っています。トンネルの先には、ポニョの魔法が通用しないグランマンマーレがいるからです。ポニョは人間でありたいために、魔法の力を失いたくありません。それゆえにトンネルを嫌うのです。事実、トンネルの通過中に半魚人に戻り、トンネルを抜けると魚に戻ってしまいました。

 なお、この作品に死のモチーフが多いというのは同感です。ただ、死んでいるから死のモチーフを置いているというのは違うと思いますけどね。影を描くためには光が必要だ、正義を描くためには悪が必要だ、というのと同じように、キラキラした生を描くためには、色濃い死を描かねばならないのです。
{/netabare}

エンディングと世界の行く末:{netabare}
 ポニョの魔法により、世界は大混乱してしまいました。そして、子供たちの尻拭いをするのは大人たちの役割です。

 フジモトは、強制的にポニョを魚に戻し、魔法の力を奪うことで世界に安定をもたらそうとしました。しかし、ポニョに不自由な生を続けさせることを否定し、子供たちに世界の行く末を託そうとしたのがグランマンマーレです。
 人間になるか、泡となって死んでしまうか。人間になれば魔法の力がなくなると説明されていますので、泡になってしまうと魔法が解除されなず、人間は破滅へと向かってしまうのでしょう。生死にこだわらないグランマンマーレだからこそ出せる解決策です。
 おそらく、グランマンマーレとリサの間で交わされていたのは、この合意だと思います。世界の行く末を託せるほどに自分の子供を信用しているかどうか、といったところでしょうね。フジモトやグランマンマーレの力で世界をもとに戻すのではなく、未来に向かう子供たちの力に大人たちは賭けたのです。そして、結果は大団円でした。

 私はこのエンディングを見たとき、宮崎駿監督の思想がまた変化した!と驚きました。前述の通り、今までは「ナウシカ」のほぼ人類滅亡エンド、「もののけ姫」のごく一部許容エンドだったんです。子供の可能性を見せる作品はたくさんありましたが、自然と人間の対比の中では、可能性を持つ子供を主役に置きませんでした。

 そしてこの「ポニョ」です。世界が滅ぶかどうか、人類の行く末は子供たちに委ねてしまおうじゃないか、となったんです。子供のように異種族を素直に受け入れられる気持ちがあるのなら、未来はきっとあるんだよ、です。子供を介して人類への許容が広がりました。宮崎駿監督が本来求めていたのは、人間のいない自然に満ちた世界、フジモトの目指した海だけの世界です。これを脇に追いやってしまいました。
 これってすごい変化ですよね。老齢に至って、過去に固執せずに、さらにその先を見せるというのはすごいことだと思います。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…。

 私は、宮崎駿監督ほど悲観論者ではありません。未来?なんとかなるなる!と言ってしまうタイプです。宮崎駿監督の天才性は絶賛しているんですけど、思想の部分では相容れないところも多いんです。
 私がポニョが好きな理由は、この譲歩が見られたことも少なからずあるのかもしれませんね。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…(2度目)。
{/netabare}

おまけ:{netabare}
 もし「ポニョ」を見る機会があれば、ポニョやソウスケが大事なものを手放すタイミングにも注目してみてください。

 ソウスケにとっての大事なものとは、船と帽子です。これはポニョやリサを守るという覚悟や決意の象徴です。これを手放すのが、いつで、なぜなのか、見逃さないようにしましょう。

 ポニョの大事なものはバケツですね。これが必要なくなるのは1回だけのはずです。
 これ以外にもポニョのお気に入りはたくさんあります。そして、気に入ったものは抱えてしまい、手放そうとはしないのがポニョなんです。そんなポニョが、誰かのために自分の物を渡してあげるシーンがあります。ポニョの成長が見れる貴重なシーンです。
 点灯したライトもお気に入りなんですが、これはおそらく金色だからだと思います。金色は魔法の色、命の色、人間になれる色だからでしょう。ライトを手放すのはハチミツのためでした。ハチミツも金色です。
{/netabare}

 私は「ポニョ」を見たときに集大成だと感じました。宮崎駿監督の人生の集大成は「風立ちぬ」だと思いますが、「ナウシカ」から始まった自然と人間の物語は、この「ポニョ」が集大成なんだと思います。子供のウォーキングを眺めるだけの作品なんかじゃありませんよね。
 作品の魅力を伝えられたかは分かりませんが、この作品を気に入ってくれる方が少しでも増えると嬉しいです。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 11

ようす さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

「ポニョ、宗介好き!ポニョ、人間になる!」

2008年公開のスタジオジブリ作品。

当時も観た覚えがあるんだけど、「ふーん。」程度だった印象。笑

テレビで放送されたものが録画されていたので、
改めて観てみました。

当時の印象もあってあまり期待していませんでしたが、
なかなか楽しめましたよ^^

特に作画!

子どもっぽい作画だけど、こういう作画大好きだなあと
海辺の世界にすっかり見入っていました。


● ストーリー
5歳の宗介(そうすけ)は海辺で金魚のような生き物を助ける。

不思議な金魚に“ポニョ”と名付け、大切にするも、
フジモトという男にポニョを奪われてしまう。

捕まったポニョはフジモトの魔法の力を盗み、
人間になって宗介のもとを目指す。


ストーリーはざっくり言うと、

 ポニョと宗介の出会い
     ↓
 「ポニョ、人間になる~。」

という感じです(笑)

次から次へといろいろな展開が待っていて、
息つく暇もなくラストまで駆け抜けていきました。

出会いと絆、そしてファンタジーな世界という、
ジブリらしいストーリーだと思いました。


● キャラクター
ポニョはお腹がぽにょぽにょしていてかわいいし、

宗介はとても5歳とは思えない冷静さと賢さがあって、
でも子どもらしい一面も忘れず描かれていて、

どちらも好きです^^

宗介の、子どもだからこその純粋無垢な行動には、
胸を打たれた場面が数多くありました。


リサ(宗介の母)も、しっかり者で芯の強い人だけど、
自分の感情に嘘をつかない子どもっぽいところがあったりと、
とても魅力的な母親です。

この作品は、ポニョと宗介とリサ、そして老人ホームのおばあちゃん達で
構成されていると言ってもいいでしょうw


● 作画
ストーリーが子どもでも楽しめる仕様なのと、
主人公が5歳の少年少女というところから、

全体的に作画は絵本を観ているような、
幻想的で幼い夢世界のようです。

しかしこれが海の世界の神秘的な美しさを十二分に表現していて。

色鉛筆タッチで描かれている背景の美しいこと…!!

部屋に飾りたい絵だな~と思いながら見入っていました(*´ω`*)


水による屈折した描写やポニョの姿が人間と魚で揺れている時などは、

パッと見は稚拙な絵なんだけれども、
どこか上品さや技術も感じます。

上手に幼稚な絵を描くと言うか…
すごい技術だな、と感嘆せずにはいられませんでした。


そして人物も。

なんと言っても、表情が細かい!

私が特に印象に残ったのは、ポニョが初めてしゃべるシーン。

宗介は驚きと喜びから、くるくると表情が動きます。

台詞の少ないこのシーンですが、宗介の表情からすべてが伝わってきて、
宗介の喜びに「よかったねえ(´;ω;`)」と感動で胸がいっぱいでした。


● 音楽
物語の冒頭から、BGMは作品を盛り上げてくれます。

ジブリ音楽は安心して聴くことができますね^^


【 主題歌「崖の上のポニョ」/藤岡藤巻と大橋のぞみ 】

「ポーニョ ポニョ ポニョ さかなの子♪」
で一世を風靡したこの曲(笑)

音楽の親しみやすさから、大人から子どもまで大人気でしたね。

難しい曲じゃないので、いろんな楽器で簡単に演奏できるのも
流行したポイントかもしれませんね。

私もいろんな楽器で演奏して遊んでいたのを覚えています(笑)



【 主題歌「海のおかあさん」/林正子 】

上記の主題歌人気に隠れていますが、
こちらも主題歌としてクレジットされています。

子守り歌のような優しい曲が、
心を癒してくれますねえ…。

初めて聴いたときは外国語の歌だと思ってましたが、
よく聴くと日本語の歌詞です。


● まとめ
「子ども向け」という印象が強い本作品ですが、
大人だからこそ感じ取れるものも多いと思います。

そういう意味では、家族で観るのにぴったりの作品かも^^

「ポニョは死後の世界だ。」というトトロに似た話も耳にしますが、
夢ある世界のお話だと私は信じています!


あまりにも背景に魅了されたため、
本屋で画集を見つけたら即購入してしまう自信があります…。笑

投稿 : 2024/03/23
♥ : 26

64.8 11 2008年度アニメランキング11位
劇場版BLEACH Fade to Black 君の名を呼ぶ(アニメ映画)

2008年12月13日
★★★★☆ 3.8 (121)
736人が棚に入れました
尸魂界・瀞霊廷では涅マユリがある装置の実験開発に勤しんでいた。だがその矢先に謎の姉弟に襲われ、涅マユリが暴走、それにより巨大な霊子の大蛇が出現し、瀞霊廷はその渦に飲み込まれ壊滅する。その様子を目撃していたルキアもまた謎の姉弟によってある異変に襲われてしまう。

声優・キャラクター
森田成一、折笠富美子

Rexuz[コン さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

朽木ルキアの…

感動できる作品でした☆
BLEACH映画でこの作品が一番好きと言う方が多いのではないかと思います。
僕は断然、2作目の「The DiamondDust Rebellion もう一つの氷輪丸」の方が好きですけど(;^ω^A

ストーリーですが、これを言うと完全にネタバレになっちゃうんで、言えないです…
敢えて言うんならルキアに異変?
その異変を解決するために一護が動きます(* ̄∇ ̄*)

浦原喜助とコン様も活躍しますよ(笑)
最後キャラ達の連携が特に素晴らしかったです!!
感動が待ってます★

第2作とこの第3作、好き嫌いが分かれますが、僕はどちらとも良作だと思ってます。
あとは自分で観てご判断を(*'-'*)




投稿 : 2024/03/23
♥ : 0

64.3 13 2008年度アニメランキング13位
スカイクロラ - The Sky Crawlers(アニメ映画)

2008年8月2日
★★★★☆ 3.6 (423)
1993人が棚に入れました
現代に似たもうひとつの世界。平和を実感するために“ショーとしての戦争”が行われる中、思春期のまま戦闘機のパイロットとなることを余儀なくされた通称“キルドレ”たちの運命を描く。

CountZero さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

僕はまだ子供で、ときどき、右手が人を殺す。

理系作家として有名な森博嗣先生のスカイクロラシリーズを、押井守監督が映像化した作品です。
原作のシリーズは私の大切な小説の一つです。
鈴木成一デザイン室による装丁もお気に入りなので、全部ハードカバーで手に入れて本棚に収まっています。
これまで何度となく読み返しては、詩的で徹底的に感情をそぎ落とした透明な色の文章と白昼夢のような世界観にうっとりとしていました。
私は映画化するなら絶対押井監督と思っていたので、制作が発表された時は本当に「キター!」っていう感じでした(笑)
が、重要なのは、やっぱりあの雰囲気をどれだけ再現できるのかといところです。

そんな私の観終わった感想は、「すごく良かった」です。

どこが良かったか?
まず、原作と同じように淡々とパイロットの待機と出撃を繰り返す日常が、上手に映画でもただ淡々と描かれていたところです。
「淡々と」を演出するために、BGMなしで、空調機の物音や基地で聞こえる機械音や作動音のみのシーンや、同じ視点から見たシーンが多用されているのがとても効果的でした。
私はすごくいいと思いましたが、そのように物語の起伏が意図的に抑えられたこの演出の仕方を、退屈と感じるかどうかで賛否も分かれるとは思います。
でも、そのおかげで本来あるべき感情が失われた「キルドレ」と呼ばれる主人公たちの思いや考えが表面に現れる時、ぐっとその感情が強調され、悲しみや、切なさや、やるせなさや、諦めが伝わってきます。

そして、意外にも良かったのが、草薙水素役の菊地凛子さん。
彼女は俳優としてすでに高い評価を得ている方なのですが、声優としてはどうなのか?と最初は思いましたが、今ではイメージにかなり近い、草薙水素になっています。
「あの棒読みのどこがいいの?」って思う方もいるでしょう。
確かに棒読みです(笑)
でも、いいんです!
それがキルドレなんです。
話す言葉に感情はないんです。
とりわけ、クサナギは他のキルドレが兵器として「繰り返し」どんどん死んでいくの目にしながら、エースパイロットとしてずっと長く生き残ってしまった、という流れがあるのでぶっきらぼうで棒読みな感じが逆に良かったです。
そしてキルドレは成長しない子供たちという設定なので、菊地さんの大人のようにも子供のようにも聞こえる独特な声がクサナギにぴったりだった、と私は思います。

原作好きな私としては、基本的にダウナーでオルタネイティブな小説の雰囲気が、映画でもきちん再現しようとされていたことに満足していますが、それに加えて原作とは少し異なる映画のラストも良かったと評価しています。
あの終わり方は、暗くて絶望的な状況に明るい一筋の希望を感じさせて、物語に救いをもたらしていたと思います。
諦めが希望に変わるシーンに感動しました。

もちろん飛行機の戦記ものなので、空中戦もよくできています。
確か押井監督はインタビューで「宮さん(宮崎駿監督)よりもいい空中戦を描く」って言ってたと思いますが、確かにその自信だけのことはあるかっこよくて迫力あるシーンだったと思います。
でもまあ個人的にはそれでも宮崎駿監督の空中戦の方が好きですけど(笑)

他にもいろいろいいところはあったんですが、この辺でやめておきます。
あとは観て感じてみましょう(笑)
原作を知らないと良く分からない設定なので、誰にでもおすすめな作品ではないですが、「繰り返される」生と死、その先にある絶望と希望なんて感じのシリアスな物語に興味のある方はどうぞ!

そうそうあとね、この作品はエンドロールの最後まで全部観て完結です。
お忘れなく!

投稿 : 2024/03/23
♥ : 31

むんむん さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

大人にならない子供

人を選ぶ作品というより、使う引き出しが違うんだと思います。
少ない情報で音楽も少なめで表情もなく、淡々と進んでいるように見えるとおもうんですけど、大人にならない人間が、死ぬ理由を操作されて、生きながらえても生の実感がないという行き場のない空気は、あの無表情につながってるのではないでしょうか。
ただ、音のない歩くだけの音や、すばらしい作画による光の感じなど、あの無表情のキャラクターが、この精巧に作り出した世界の大地に立っている実在感というか 空気感は普通のアニメではまったく見たことない表現方法で、他のアニメと比べられない高レベルだと思いました。
キャラクター一人一人の何気ないしぐさ等が、嫌味なく存在し
淡々とその空気を生成していてセリフがなくともそこに不思議な人間性と彼らの日常が繰り返されている本当に細かい演出ですけど、そのテーマが生きるようにできていると思います。
お話を見に来ている人と、あの空気を楽しんでいる人とその中間くらいの引き出しで見るとあの非現実的で無表情なキャラクターが。妙にリアルで精巧に描かれた世界に立っている不思議な空気を堪能できると思います。
かつてみた大友克洋のアキラや士郎正宗のアップルシードなんかを思い出して、「ちょっと懐かしい匂いがするなぁ」と。
ミリタリーが好きでない人も普通にいつも見ている引き出しを変えてみればこの作品の良さに出会えるかもしれませんよ
まぁ、現実的には大人になりたくない「俺ら」ということでしょうか(笑)

投稿 : 2024/03/23
♥ : 3

イブわんわん さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

個人評価は高いが、あまりお勧めはできないアニメ

押井監督の120分のアニメ映画です。

とりあえず作画は押井監督ならではのクオリティで、申し分ありません。
特にCGによるメカや空中戦、空や海の描写は他のアニメとは比べ物にならないほど素晴しいです。

さて内容といいますと、深く重く鬱的なシリアス展開です。
どこまで設定を理解し感情移入できるか、メッセージを受け止めれるかで、評価も雲泥の差が出てくると思います。

終盤に近づくにしたがって、この戦いの意味や真実、そして各キャラの心の深い部分がわかってきます。
その理不尽さやラストは「エルフェンリート」や「ほしのこえ」にも似た感覚でした。

お勧めはしませんが、個人的にはこう言う評価になりました。
(2013.9.23修正)

投稿 : 2024/03/23
♥ : 14

64.1 14 2008年度アニメランキング14位
劇場版 MAJOR-メジャー 友情の一球(アニメ映画)

2008年12月13日
★★★★☆ 3.7 (157)
917人が棚に入れました
小学4年生の主人公・本田吾郎率いる三船ドルフィンズは、強豪横浜リトルとの試合で見事勝利する。しかし、吾郎は連投の疲れで右肩を痛めてしまう。そして、母親と結婚したプロ野球選手の父・茂野英毅の移籍に伴い福岡へ転校することになり、吾郎はチームメイトに何も言わずに引っ越してしまう。福岡に来た吾郎は、名門・博多南リトルの入団テストを受けるが、両親から右肩の故障を受けて「絶対にピッチャーをやらないこと」を約束させられる。自身の野球センスで打者として入団する吾郎だったが、やがて彼を絶望の淵に追いやる出来事が起こってしまう…。

ヌンサ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

野球やりたかったな・・・

原作では描かれていなかったという、吾郎がサウスポーになるまでのエピソードを補完した劇場版です。

親の所属している球団が、原作やテレビアニメと違って実在するチームになっていたのは、野球ファンとして非常にうれしかったです。実在の選手も少し出ているとは太っ腹。

声優陣では、野田順子さんの声が大好きなので癒されましたね。しかし、当時旬の芸人とかを起用するのは個人的には好きではありません。ギャグアニメであれば問題ないのですが、素晴らしいストーリーに水を差す結果になってしまっているのは少し残念でした。

子どもに野球を教える人間は、絶対に故障に気がついてあげないといけないなと思いました。この作品でも、違和感を感じた人間だったら、監督でも審判でもいいから何か行動するべきだったでしょうね・・・難しいです。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 0

63.7 15 2008年度アニメランキング15位
カンフー・パンダ(アニメ映画)

2008年7月26日
★★★★☆ 3.7 (30)
195人が棚に入れました
古代中国を舞台に描くドリームワークスの劇場用武闘アニメ。声の出演はジャック・ブラック、ダスティン・ホフマン、アンジェリーナ・ジョリー、ジャッキー・チェン。ジャッキーは声優だけでなく武術面のアドバイザーも務めている。脱獄した悪のカンフー使いタイ・ランが中国の平和の谷を襲った。これに対抗するため、マスター・モンキーやマスター・タイガーら名だたるカンフーの達人たちがまず腕を競うが、最終的に実力を認められたのはカンフーおたくの小心者パンダ、ポー。達人の師匠に弟子入りするものの、ぐうたらなポーは過酷な試練を乗り越えることができるだろうか……?

声優・キャラクター
ジャック・ブラック、ダスティン・ホフマン、アンジェリーナ・ジョリー、イアン・マクシェーン、ルーシー・リュー、ジャッキー・チェン、セス・ローガン、デイヴィッド・クロス、ランダル・ダク・キム

アル串 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

いいね!笑

師弟関係、友情、親子の愛までカバーする、胸熱カンフーアクションコメディ

まーとにかく色々あって、近々極ワルな最強カンフー使いが村を強襲するらしい
そこで、カンフー素人のパンダと5人のカンフーマスターが迎え撃つことになった
さてどうなることやら、彼らは村を守れるだろーか?ってお話です


映像は超ハイクオリティー
顔の表情が非常に良く動く
滑らかに動き、ビタッと止まる
ダイナミックでキレ抜群の殺陣は圧巻にして爽快
アクションシーンに於けるアイデアも素晴らしい

とにかく観ていて気持ちの良いアニメーションが続きます
劇伴も極上です


途中グッときて目頭が熱くなりました(実際泣けた笑)
ユーモラス且つ胸熱な展開で、予想以上に面白かったです

ベストキッドとジャッキー・チェンの映画が好きなら、間違いなく楽しめます 笑

キッズ向けアニメ(対象年齢 8〜10歳)
Netflixで視聴(日本語吹き替え、日本語字幕付き)

投稿 : 2024/03/23
♥ : 1

63.7 15 2008年度アニメランキング15位
Yes!プリキュア5GoGo!お菓子の国のハッピーバースディ♪(アニメ映画)

2008年11月8日
★★★★☆ 3.9 (23)
142人が棚に入れました
のぞみの誕生日に敵から逃げてきたチョコラを助けたのぞみ達はデザート王国に招待される。しかし、デザート王国はムシバーンに操られたデザート女王と手下のビター、ドライによって支配されていた。さらに、プリキュア達は彼らの仕業によってお菓子(ルージュとアクアはアイス、レモネードとミントはクッキー)にされ、ココも洗脳されてしまう。ムシバーンの欲望から国を救うため、プリキュア達はなおも戦いを挑んでいく。

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

シリーズの中でも貴重な恋愛描写を取り扱った異色作 名ゲストキャラ、チョコラは今作に登場!

プリキュアというシリーズでは主人公の恋愛描写はかなり珍しいものなんです


基本的に真っ向から恋愛を本編の中に取り入れたのは初代のテレビシリーズのみ
このプリキュア5でも、マスコットキャラの妖精「ココ」「ナッツ」「シロップ」の三人が、普段はぬいぐるみのような可愛らしい姿から変身をして【イケメン】になることから(cv:草尾毅、入野自由、朴路美)、特にココとキュアドリームこと夢原のぞみの間での恋愛描写が度々入る作品となっていました
(恋愛ってか【愛】なんだけどね)


しかし本編とは直接関係の無い『映画において』恋愛を取り扱った作品っていうのは実はコレだけ


今作ではのぞみとココとの間に割って入るような妹分のゲストキャラ、「チョコラ」ちゃんが登場
これがめちゃくちゃ可愛いんですw


チョコラちゃんの招待で、ありとあらゆるモノが“お菓子”で出来ているという『お菓子の国』に招かれたプリキュア5の面々でしたが、実はその裏にはお菓子の国を影から支配する悪者の罠が隠されていたのです・・・


監督には先の映画『鏡の国の~』や後のテレビシリーズ『ハートキャッチプリキュア』の長峯達也


そもそもに女児向けアニメであるという本文を一時忘れ、『恋愛』を中途半端に扱ったがためか、複雑で大人向けに作り過ぎた感が今作にはあります
単純明快で王道を貫いた前作とは相対的にパワーダウンを感じてしまうものの、やはりこの反省から『ハトプリ』に繋がる部分も多々見られますね
(クライマックスのシーンはそのままハトプリの最終回に生かされてます)


ハトプリファンは是非チェックしていただきたいところです


また、今作の敵役として登場する【イケメン敵キャラ】には大塚明夫、石田彰、松風雅也といったなかなか豪華なキャスティングを配してるので、妖精役と合わせて男性声優を目当てに観るのも悪くないと思います


それとシリーズ最強のプリキュアということがプリヲタの間では既に通説となっているミルキィローズ
彼女の出番だけやたら引っ張ってくれますがwちゃんとココぞというところでの活躍があるのも憎い演出ですねw

投稿 : 2024/03/23
♥ : 5
ネタバレ

ヌンサ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

Candy Shop ft. Olivia

今作視聴前のプリキュアシリーズ視聴状況

完走:Yes!プリキュア5
5割:Yes!プリキュア5GoGo!





タレントなどのゲスト参加が無かったのは非常に良かったです。

序盤、みんながお菓子を食べるシーンは最高です。
本編でも食事するシーンは結構多い作品なので、そのたびに大変萌えているのですが、劇場版なので作画に気合が入っています。のぞみ・りん・うららが、太ることを演劇風に嘆くシーンは必見の可愛さです。

戦闘シーンの作画もすさまじく、敵も味方もヌルヌル動きます。爆発とかもなんかすごい派手です。



うららファンとしては、最終的にとどめを刺すのが
{netabare}シャイニングドリーム(ミラクルライトの力でパワーアップしたキュアドリーム)のみ{/netabare}
という点は少し不満でしたが(笑)、楽しい作品でした。





P.S.ミラクルライトを振るモブの中に、明らかにおっさんだろって人がいるのですが、
現実世界の僕らはミラクルライトを振ることはできないのである・・・悲しいぃ

投稿 : 2024/03/23
♥ : 0

63.0 17 2008年度アニメランキング17位
劇場版 BLEACH The DiamondDust Rebellion もう一つの氷輪丸(アニメ映画)

2007年12月22日
★★★★☆ 3.7 (129)
783人が棚に入れました
尸魂界にある王族の秘宝「王印」。それを警護及び運搬していた日番谷・乱菊率いる十番隊が謎の集団に襲撃され王印が奪われてしまう。同時に、首謀者と刃を交えていた日番谷も失踪を遂げる。その後、現世の森にある気配を感じた一護は砕蜂に王印が奪われたということを聞かされる。
 そんな中一護は森の中で傷つき「クサカ」という言葉を残して倒れた日番谷を発見し保護するが、何も言わずに去ろうとする日番谷と刃を交えてしまい、加えて日番谷は突如現れ日番谷の身柄を要求してきた謎の少女「イン」と「ヤン」を追うように立ち去ってしまう。その後、一護は合流したルキアと恋次、そして織姫ら現世メンバーと共に日番谷を捜索するが、『氷輪丸』による攻撃で京楽は重傷を負い、そして同時刻に檜佐木、吉良率いる日番谷捜索部隊を日番谷が退けたことで、山本総隊長並びに尸魂界は日番谷への疑念を強め、日番谷処刑の決定を下す。

声優・キャラクター
森田成一、朴璐美、折笠富美子、伊藤健太郎、松谷彼哉、檜山修之、置鮎龍太郎、立木文彦、塚田正昭、川上とも子、久川綾、稲田徹、大塚明夫、中尾隆聖、松岡由貴、安元洋貴、杉山紀彰、三木眞一郎、石田彰、ゆかな

Rexuz[コン さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

BLEACH映画で一番好き

ブリーチ映画で一番面白かった、そして最も興行収入が良かったのがこの作品です。

感動だけでしたら、3作目の「Fade to Black 君の名を呼ぶ」の方が高評かも知れませんが、この作品は面白さと感動、両方を具えておりますので、満足度でしたらこっちの方が上かな( ̄ー ̄?)
なんと言ってもクライマックスはスリル満載ですよ☆
隊長、副隊長みんな大活躍!!
あと日番谷冬獅郎の過去も良かったです。

意見が分かれるかも知れませんが、映画としては中々の上出来だと思います。

総評★★★★☆4.5

投稿 : 2024/03/23
♥ : 1

62.9 18 2008年度アニメランキング18位
名探偵コナン 戦慄の楽譜 (フルスコア)(アニメ映画)

2008年4月19日
★★★★☆ 3.6 (241)
1488人が棚に入れました
高名な元ピアニストの堂本一揮が創設した堂本音楽アカデミー。ここで、堂本一揮の門下生3名が死傷する爆破事件が起こった。被害者の一人のバイオリニストの河辺奏子は、近日行われる堂本音楽ホールの完成記念公演に出演する予定だったが、爆破事件で重傷を負ってしまい出演不可能となる。完成記念公演は山根紫音を代役として開くことになった。
事件の翌日、パソコンで爆破事件の記事を読みながら不敵な笑みを浮かべる犯人。「すべては、静かなる夜のために…」。

声優・キャラクター
高山みなみ、山崎和佳奈、神谷明、山口勝平、茶風林、緒方賢一、岩居由希子、高木渉、大谷育江、林原めぐみ、松井菜桜子

大和撫子 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

映画館で見たかった

推理アニメとしてはTV版と変わらないレベルの内容です。
アクションも他の劇場版と比べるとかなり控えめ。
この作品の見どころはやはり、綺麗な歌声と演奏でしょう。
劇中で歌われる「アメージング・グレイス」やバイオリンの奏でる「アベマリア」には、うっとりと聞き惚れてしまいました。
登場するオペラ歌手の声優は「桑島法子」さんや「水谷優子」さんですが、実際に歌っている人は本物のオペラ歌手。
できれば「桑島法子」さんが歌う「アメージング・グレイス」も聞いてみたいものでした。
もちろん本物のオペラ歌手の歌声は素晴らしかったです。
また劇中で登場するバイオリンは「ストラディバリウス」という設定ですが、実際にこの名器で収録されているのかどうかが気になるところですね。

投稿 : 2024/03/23
♥ : 10
ネタバレ

イツキ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

ストーリー/キャラは素晴らしい、クライマックスでの音響ミスが玉に瑕

名探偵コナンシリーズ劇場版第12作。コナンの映画は毎年テーマが違うことも魅力の一つなのだが、本作のテーマは音楽。筆者は音楽を嗜むこともあり、個人的には数あるコナン映画の中でも上位に食い込む作品。
もはや安定の超人的且つ現実離れした演出({netabare}サッカーボールを蹴って離れたところから電話の受話器を外す、DTMF信号を用いて声だけで110番通報する{/netabare})は嫌味がなくむしろ爽快。そもそも主人公・コナンの音痴だけど絶対音感持ちという設定そのものに無理がある(絶対音感を持っているならば音痴にはなり得ない)にもかかわらず、そのことにツッコミを入れる隙を与えないところがストーリー性の素晴らしさを表している。作中に登場する楽曲や音楽用語の数々も、音楽をよく知らない者にも優しい仕様となっている。
一方で、クライマックスの音響ミス({netabare}灰原がコナンに狙撃を知らせるために吹いたリコーダーの音が、作中で表記されている「ミラララファ」ではなく「ミラソソミ」だったこと{/netabare})は音楽家、特に絶対音感持ちとしては見過ごせない。物語の最重要局面においてのこのミスは正直痛いが、ストーリー性やキャラクターなどは大いに魅力的。
(上映時間115分)

投稿 : 2024/03/23
♥ : 2

りょうへい@アロエ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

コナンって絶対音感持ってたんだ…

コナンの劇場版第12作目。
音楽がメインになっている作品です。

自分も中高時代は(一応)管弦楽同好会でヴィオラを演奏していた経験があり、
現在でもピアノ演奏を続けているために、興味の惹かれる題材でしたね。

今回の映画は蘭や少年探偵団と共に行動するのではなく、ゲストキャラクターと行動しているので、
これまでコナン映画を観てきたファンの方々にしてみれば、新鮮なお話だったのかもしれません。

上映時間は歴代1位の115分という長さ。
そのため地上波の金曜ロードショーで放送された際に、大幅なカットが行われました。
長いです。
観る前に少し覚悟しておきましょう。

(続き)http://aloe.diary.to/

投稿 : 2024/03/23
♥ : 2

62.5 19 2008年度アニメランキング19位
秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE II ~私を愛した黒烏龍茶~(アニメ映画)

2008年5月24日
★★★★☆ 3.7 (24)
120人が棚に入れました
 低予算を逆手にとったチープな演出とナンセンスなストーリーが人気のFlashギャグ・アニメの劇場版第2弾。サブタイトルのネーミングライツが売り出されるという斬新な試みでも話題を集めた。同時上映は「古墳ギャルのコフィー ~12人と怒れる古墳たち~」。

61.6 20 2008年度アニメランキング20位
劇場版 NARUTO -ナルト-疾風伝 絆(アニメ映画)

2008年8月2日
★★★★☆ 3.6 (93)
490人が棚に入れました
突如、謎の忍者軍団の奇襲を受けた木ノ葉隠れの里。敵の正体は、かつて木ノ葉に滅ぼされた「空の国」の忍・空忍だった。ナルト達が駆けつけると凄腕の医師・神農が現れる。同じ頃、神農の弟子・アマルが木の葉に辿り着く。アマルの故郷が何者かに襲撃されたらしい。綱手の命令で空忍をシカマル達に任せて、ナルト・サクラ・ヒナタのチームは神農・アマルと共にアマルの村に向かう。その頃、大蛇丸の命令を受けたサスケもまたアマルの村に向かっていた。

声優・キャラクター
竹内順子、中村千絵、井上和彦、杉山紀彰

61.4 21 2008年度アニメランキング21位
超劇場版ケロロ軍曹3 ケロロ対ケロロ天空大決戦であります!(アニメ映画)

2008年3月1日
★★★★☆ 3.7 (26)
239人が棚に入れました
吉崎観音原作の大ヒットTVアニメの劇場版第3弾。地球(ペコポン)侵略のためにやって来たはずが、目的を果たせぬまま日向家に居付いてしまったケロロ軍曹の前に最強の敵が現われる。ゲスト声優にはルー大柴と福田沙紀。同時上映は短編「武者ケロ お披露目!戦国ラン星(スター)大バトル!!」。 インカ帝国の遺跡マチュピチュを訪れた冬樹とケロロ小隊。オカルト好きの冬樹は大喜び。さっそく迷路のような遺跡を発見した一行だったが、トラップに引っかかり命からがら脱出するハメに。その際、冬樹は迷路の中で不思議な少女を見かける。少女のことを気に掛けながら東京へと戻ってきた冬樹とケロロたちの前に、ケロロそっくりの“ダークケロロ”が現われる。しかしケロロとは対照的に、ダークケロロは優秀な部下たちと共に、迅速かつ冷徹に地球(ペコポン)侵略を開始するのだった。

60.6 22 2008年度アニメランキング22位
ワンピース映画 ロマンス ドーン ストーリー(アニメ映画)

2008年9月21日
★★★★☆ 3.6 (24)
161人が棚に入れました
ミニメリー2号で食料買出し中に仲間とはぐれて漂流中のルフィは、三日月のギャリーの海賊団を軽く倒して、ある町にたどり着き町を宝物だというシルクと出会った。復活したギャリーはルフィに返り討ちにあうも、ルフィが町人の勘違いで捕まった際に町を脅し、シルクの抵抗も空しくルフィが海に落ちた間に金品を強奪し、町を砲撃して火の海にしてしまう。怒りのルフィは合流した仲間とともに大暴れしてギャリーの海賊船を沈めるのであった。

60.2 23 2008年度アニメランキング23位
劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ギラティナと氷空の花束 シェイミ(アニメ映画)

2008年7月19日
★★★★☆ 3.5 (79)
485人が棚に入れました
旅を続けるサトシ一行の前に、見たこともない小さなポケモンが現れる。それはかんしゃポケモンのシェイミであった。グラシデアの花畑に行く途中迷子になったようで、自分を花畑に連れて行くようサトシ達に頼む。しかし、突如シェイミが鏡の中に引き込まれ、同時にサトシとヒカリも引き込まれる。その先には、見たこともない不思議な世界が広がっていた。2人は、そこでこの世界を研究しているムゲンという科学者と出会う。

声優・キャラクター
松本梨香、大谷育江、うえだゆうじ、豊口めぐみ、小桜エツコ、林原めぐみ、三木眞一郎、犬山イヌコ、石塚運昇、山寺宏一、中村獅童、中川翔子、南明奈、ゴルゴ所長、レッド博士、クリスタル・ケイ

60.2 23 2008年度アニメランキング23位
バイオハザード:ディジェネレーション(アニメ映画)

2008年10月18日
★★★★☆ 3.5 (63)
365人が棚に入れました
1998年夏、米国中西部の工業都市ラクーンシティでバイオハザードが起こった。国際的巨大製薬企業アンブレラ社が開発したT-ウイルスが研究所から漏洩、市民が次々と感染しゾンビ化していったのだ。このバイオハザードを食い止めるため、米国政府は「滅菌作戦」としてラクーンシティにミサイル攻撃を行った。これによってラクーンシティは跡形もなく消し飛び、消滅した。アンブレラ社は政府から業務停止命令を下され、それが元で世界中でアンブレラ株が暴落、会社は事実上崩壊した。 しかし、これを皮切りにT-ウイルスはテロリストたちの手に渡り、バイオテロに利用され始めることとなった。

声優・キャラクター
山野井仁、甲斐田裕子、安藤麻吹、竹田雅則、矢島晶子、広瀬正志、江原正士、小山力也

60.0 25 2008年度アニメランキング25位
HELLS(アニメ映画)

2008年10月12日
★★★★☆ 3.5 (18)
104人が棚に入れました
不慮の事故によって、地獄の学校“三途ノ川学園”に転校してしまった元気娘“天鐘りんね”を主人公に描かれる。
元の世界に戻る方法を捜す彼女は、あるときイケメン生徒会長の九頭センパイから、「生きたまま地獄に連れてこられている」という事実を知らされる。
この事実を知ったりんねは、三途ノ川学園の学園長、ヘルヴィスと対決するため、勝者には何でも願いも叶えるという学園長主催のバレーボール大会に出場する。苦戦しながらも優勝したりんねたち。
クラスメイトの願いはつぎつぎと叶えられていくが、りんねの願いは叶わない……。
りんねは無事に、元の世界に戻ることができるのか? そして彼女が地獄にやってきた真の意味とは……!?

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

例え地獄でも、「10割幸せだ」って前向きに言い放ちたい! ポップアートとジャパニメーションの血を紡ぐ異色作!

ヒロモト森一先生が10年ぐらい前にウルジャンで連載していた『ヘルズ・エンジェルス』というマンガを2008年の東京国際映画祭に合わせてマッドハウスがアニメ化
しかしながら当日の映画祭で公開されてから実に4年もの間お蔵入りとなってしまい、最近になってやっと配信、発売された幻の1作


主人公の女子高生、天鐘りんねは転校初日に不慮の事故で死んでしまい気がつくと“地獄に転校”していたw
怪物のような地獄の住人達から仲間外れにされながらも、人並みの青春を過ごそうとひたむきに学園生活、、、改め“地獄の学園生活”を送っていくりんね
住人達とも徐々に打ち解けていき、地獄の学園長であるヘルヴィスから出される無理難題に苦しみながらも、りんねは地獄からの脱出方法を模索していく・・・


『初恋限定。』『キルミーベイベー』『リトルバスターズ』の山川吉樹監督の処女作でもあり、後にキルミーで監督とタッグを組むこととなる名アニメタの中澤一登がキャラクターデザインを務めています


ラフで極太なタッチのアウトライン、ハッチングを使った陰影処理、荒いグラデーションの背景、集中線や効果線の多用、イナズマフラッシュなどのエフェクト等など・・・
【マンガ的な表現方法】をそのままアニメーションにしよう、という試みがなされており、作画的な価値はかなり高いです


ただし2時間弱というアニメにしては長尺な作品にも関わらず、内容を詰め込み過ぎてる感があります
登場人物もかなり多いしですし、熱血学園モノの触りから始まって二転、三転とコロコロ地獄の情勢が入れ替わる様はまさに超展開の連続
最終的には旧約聖書や人間の死生観の話、そもそもなぜ誰も見たことの無い地獄の存在を信じるのか?という哲学的な内容になってしまい、初見ではお口ポカーン(゜д゜)になることは必須(笑)


いつ何時も前向きなヒロインのりんねに福圓美里という配役はウルトラハッピー的に素晴らしいw
(当然のことながら、某スマプリの4年も前の作品なので一切無関係w)
他にも立木文彦、藤原啓治、木内秀信、チョー、野沢雅子etc,etc・・・
単純に豪華キャストでもありますし、後半には聞き所になる名演技も沢山ありますb


ヒロモト先生のポップな世界観を先端のジャパニメーション技術で映像化、というアート的な側面が強くて、お話的にはあまりオススメできません
が、上記サムネ↑のような絵柄にしゃれおつな雰囲気を感じる方、また『REDLINE』や『峰不二子という女』等の画面作りがお好きだった方はチェックしていただきたところ


あとまあ、JAMOSAの主題歌はスルーの方向でw


ちなみに後半めっきり出番減るけど、イチイチ怯えちゃう小者感が可愛い「キキ」がお気に入りキャラですw

投稿 : 2024/03/23
♥ : 11
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