「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(TVアニメ動画)」

総合得点
91.2
感想・評価
14859
棚に入れた
49195
ランキング
37
ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

涙って、なんだろう?

アニメーション制作:A-1 Pictures
2011年4月14日 - 6月24日に放映された全11話のTVアニメ。
監督は長井龍雪。

【概要/あらすじ】

舞台は埼玉県秩父市。蝉が鳴いている夏のある日。
イライラした顔つきでTVゲームをしているボサボサ頭の少年“じんたん”宿海仁太。
彼の家には一人の少女が棲み着いていた。
幼い子供のような無邪気な物腰の1/4がロシア人のクォーターの少女“めんま”こと、彼女の名は本間芽衣子。
この一組の男女の一幕から物語が始まる。

見た目だけはギャルだけど、真面目な少女“あなる”安城鳴子。
リア充要素をすべて備えた嫌味っぽい少年“ゆきあつ”松雪集。
ゆきあつの傍らにいる一見冷たそうな優等生少女“つるこ”鶴見知利子。
バイトと旅行に明け暮れ、陽気に振る舞う中卒少年“ぽっぽ”久川鉄道。

この六人は、五年前は秘密基地に集まって“超平和バスターズ”を自称して一緒に遊ぶ仲良しだった。
当時じんたんは、勉強ができて明るくヤンチャな皆を引っ張っるリーダーだった。
それが、めんまが事故で亡くなったことがトリガーとなり残された五人の全員が後悔と自責の念を持ち、
付き合いづらさを感じて上手く行かず距離を置くようになり、
高校生になった今では、すっかりバラバラになってしまっていた。

特にじんたんは重症であり、子供の頃の強気と快活さを完全に失い陰気なコミュ障と化した。
高校受験に失敗して進学校に不合格となり底辺校と見下していた高校に進学し、
『ここは俺の居場所じゃない』な気持ちで不登校。家の外の世界に目を背けるようになっていた。

そんな、じんたんの傍にいるめんまは既に死んでいるはずでは?

めんまは、じんたん以外には目に見えないし言葉が聞こえない。
じんたんは、彼女を自分の心が作り出した幻聴や幻覚の類として納得しようとしていた。

だが、めんまはここにいる。めんまは幽霊だった。
この夏に彼女が現れた理由。彼女自身にもハッキリと判らない、
生きている間に叶わなかった、“皆じゃなきゃ叶えられない願い”を見つけて叶えて貰うために、
バラバラになっていた“超平和バスターズ“のメンバーを再び集めていく。
当然、じんたんの作り話として信じていないが、過去に区切りをつけるために敢えて付き合っている者もいたりで、
心がまとまっているとは言い難い。だが、彼らは衝突を繰り返しながら目を背けていた過去に向き合って行くのだった。

【感想】

死んだ幼馴染を巡っての恋心や罪の意識などでドラマが展開され、葛藤を乗り越えて絆を取り戻す。
友情の再生をテーマにした泣きアニメ。感動作として有名であり、実に売れた人気作品。
気がついたらポロッと涙が溢れる。そして、流した涙の数だけ視聴者が入れ込んでしまう作品スタイル。
可愛い無垢なヒロインの本間芽衣子が人気だったり、見かけに反して小心者な安城鳴子が人気だったりした記憶。
岡田麿里の脚本では恒例となっている、よく泣きよく叫ぶ登場人物たちが取っ組み合う人間ドラマが特徴的である。
敢えて彼ら彼女らの恥ずかしくて、かっこ悪い部分をさらけ出すことで、
視聴者から親しみを持って貰おうという試みで作られている。

はっきり言ってギャグは面白くないし、脚本家おなじみのギスギス感は好き嫌いが出ると思う。
“ラ○ホ”“え○○う”なるワードが出てくるのは、ED曲のオリジナル元である『キッズ・ウォー』を意識している?
と思いきや、岡田麿里だから仕方がないで正解なのかもしれない。
『キッズ・ウォー』と違い、かなり手加減はしているが。

人間ドラマに物申したいことと言えば、超平和バスターズの掘り方に比較すると、
じんたんの父親、めんまの家族の気持ちの描き方が不十分であると思う。
全11話で、あれもやりたい!これもやりたい!と全部やれば時間が足りなくはなるし、
この物語は高一のメインキャラが作品の主点であるから、優先順位が出来るのは仕方ないのかも知れないが。

これが何故ウケたかというと、婉曲的表現を避けた直接的な感動要素を提供し続けたことにあるのかな?と。
万人向けであるということは、受信側の感性と価値観と判断力に依存する要素が薄い。
理の部分で考えることなく反射的な“泣き”こそが、このアニメのポイントである。

このアニメの泣くポイントでは、可愛いめんまが泣いてるシーンが多い。
可愛い子が泣いてるからこそ、もらい泣きをする。意地悪な言い方をすれば、
泣くポイントは、ここですよ!と制作側にシステマティックに涙腺を狙われているようにも思える。
それは、じんわりと染み出してくる優しい涙とは別物なのだ。

それは、『心が叫びたがってるんだ。』のインタビューで、長井龍雪監督が、

「『あの花』は後頭部を鈍器で殴って「ほら、涙が出ただろう?」
 みたいなやり方をしていた。ここさけではやっていない」

と述べている通り、自覚的なものである。

このアニメの泣かせは“ドラ泣き”とかいうキャッチフレーズと同類である。
同じシーンを観て笑うか泣くかを視聴者に委ねるのではなく、同調圧力的な泣かせに見える。
泣きたいから泣くんじゃなくて、釣り針に引っ掛ける感覚で泣くことを強いるタイプのアニメなのである。
となれば、敢えて流れに乗って泣くか、違和感から醒めて泣けなくなるかで視聴者が分岐してしまう。
このアニメに対して“わざとらしい泣かせ”としての窮屈さから拒否感を示す層は、もれなく後者であろうし、
前者のほうがマジョリティであるのは言うまでもないのだろうが。

このアニメを再視聴したところ、文学性や登場人物のメンタルで泣くというよりは、
やはり泣かせることに特化したテクニックのあざとさ、作為的な側面のほうが強いように感じられた。

となれば、作り手の打算塗れの泣けないアニメに個人の中では変貌するはずではあるが、
それでも、感動する心をくすぐるものが存在するのだから、
作画・演技・音楽・演出を含めて総合的にはヒット作に相応しい力量があるのだろう。
結局の所、細かいことを気にせずに泣いたほうが、感動系エンタメとしてWin-Winであろうか。

個人的には『あの花』よりも心に染み入るアニメは色々あるのだが、
個別の趣味嗜好の影響があるので一概に押し付けることが出来ない。
人を選ばず大勢に感動して貰うには、このアニメのやり方が手っ取り早く効果的なのだろうということで、
感動の質も多種多様で作品ごとに異なることに気付かされる機会になったアニメだった。


これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2018/04/06
閲覧 : 763
サンキュー:

135

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。のレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。のレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

蒼い星が他の作品に書いているレビューも読んでみよう

ページの先頭へ