「まほろまてぃっく(TVアニメ動画)」

総合得点
67.5
感想・評価
234
棚に入れた
1477
ランキング
2352
★★★★☆ 3.6 (234)
物語
3.6
作画
3.5
声優
3.7
音楽
3.5
キャラ
3.9

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ネタバレ

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

2人のうち1人がいる限り、2人共そこにいるんだ。2人のうちどちらかがいる所には、いつも2人共いるんだよ。

初見の方に分かりやすく魅力が伝わるよう書きたかったのですが、すみません!!
今回も作品の都合上、ネタバレを含む物となっているので、未視聴組の方は注意して下さい(1期と2期はひとまず拝見しておいたほうが宜しいかと…)

「自分が死ぬと分かったその時、残り少ない余生をどういう風に過ごすか」
これは私達にいずれ訪れるかもしれない、答えの存在しない命題と言えるでしょう。
好きなように日々を満喫して過ごしつつ、最期を迎えるか…
今まで通りの生活の繰り返しでつかぬ間に生涯を終わらせるか…
絶望して、ずっと寝たきり状態に陥り、ひっそりと息を引き取るか…
大多数の人々は日々の生活の中ではそういった事を露程も考えず、宣告されたときに初めて自覚していくのが普通の反応であり、心理と言えます。
そして、そこからが深い思考の渦に嵌る、混沌空間が脳内に巻き起こった悪夢の始まりです。
しかし、誰もがこういった悩みを抱えて死んでいく訳ではない事もまた事実
突然死により考える暇を与えられずにぽっくり死ぬか…
余命を伝えられてその先訪れる日に恐怖しながらも日々を選択し、最後に死ぬか…
不安定で何を軸に生きて行けば良いやら悩む人が多い現代世界
どうやらこの世はどのように死ねば良いかも悩む時代となってしまったようです。

さて、そんな「死」と言う概念があるからこその葛藤に対して人類が立ち向かったり、逃げ出したり、受け止めたりを繰り広げている中、ある1機のアンドロイドは「受け止める」事を選択し、自らの生涯を1人の男性に捧げました。
ロボットでこそありながら人間以上に心正しく、心清らかで、心優しい彼女
人間よりも人間らしくなっていった彼女は残り少ない時間の中、「他者との共棲」を選択し、共に生活を送る上で、苦悩を感じ、勇気を貰っていったのです。
さあ、今回、取り上げるのは喜劇で彩られた悲劇でありながら、そこからまた再生の路へと至った物語『まほろまてぃっく』
2人の人物が作り上げたそれは放送から15年たった現在でもメイドロボ物の傑作として不動の地位を維持していましょう。
そんな今作ですが、お色気要素を実に多めに取り入れている為、さらっと上辺だけで判断されると実に誤解を生み出しかねない作品となっています。
まあ、それも魅力の1つではあるんですが、本質を見誤らないよう、私も気を付けてレビューしなければ(笑)
この批評は1期、2期、OVAである『まほろまてぃっく特別編~ただいまおかえり~』と『まほろまてぃっく夏のTVスペシャル~えっちなのはいけないと思います!~』を全て見た私の総合的評価と個人的感想なので、ご参考までにどうぞ…

まずは下記にあらすじを掻い摘んで説明していきます。
かつて、戦士がいた……
1980年代初頭より地球人類へ侵入を開始した外宇宙からの使者「セイント」
人類の歴史を影から操ってきたバランサーであり、イレギュラーを発生させないよう秘密裏に行動する保守的組織「管理者」
両者の関係を取り持つ為の組織「ヴェスパー」は極秘裏に戦争を繰り広げている彼らを止める為に未だ、行動を続けている。
そして、そこには脅威への対抗によって生み出された、切り札である、史上最強、地球最強の戦闘用アンドロイドが所属していた。
それはV1046-R型ヴェスパー・ハイパー・ソルジャーMAHORO
ヴェスパーでは通称の「まほろ」という名前で浸透していた。
ある日、まほろは、残り稼働日数が398日に達した事を機に上層部から職務の引退を許可される。
数々の武勲を立てた代わりに、これ以上戦闘を行えば、残り少ない稼働時間を更にすり減らす事になると把握した幹部の方々が彼女の為に提案した最後の厚意だったのだ。
「残り1年の命、自分の好きなように生きてみてはどうかな?」
その言葉を聞いたまほろは、彼らに対して1つのあるお願いをする。
それは数少ない稼働時間の中で生まれた小さく、けれども重い後悔に対しての贖い
まほろが選んだ残りの命の使い道とは一体、何であるか?
これは彼女が天国へのカウントダウンに至るまでを描いた、終わりの見えている物語
「私は残された時間の全てをあなたに捧げます……」

所変わって日本、同時期……
主人公、美里優は中学2年生の少年
彼は両親を早くに亡くした為、同級生の友達に囲まれてはいてもやはりどこか、心を閉ざした状態で4年間独り暮らしを送っていた。
そんなある日、家の中を任せられるお手伝いを雇う事に決めた優の元に1人の女性が雇われ志願にやってくる。
そのお手伝いさんは、メイド服に身を包んだ「まほろ」という名の美少女だった。
彼女は真面目で一生懸命の優しい性格であり、料理、洗濯、お掃除など家事は完璧と言う正に理想のメイド
時には母のように、時には姉のように尽くしてくれる彼女と共に過ごす中で、寂しさを奥底に秘めていた優は次第に心を開いていく。
しかし、時間は彼らの知らぬ間、着実に、着々と過ぎていく…
これは自分の存在に悩み続ける少女と、過去の愛情しか知らなかった少年が一つ屋根の下で繰り広げる物語
S(すこし)F(ふしぎ)で、美しき、1年と少しの家族ごっこが今、始まる……
「えっちなのはいけないと思います!」


下記からは『まほろまてぃっく』のレビューに入っていきたいと思いますが、今回のは少し毒を含んでおります。
正直な感想として、このアニメは2期において2つの部分に関して少し苦言を呈したいな…と思える箇所が出来てしまったのです。
よって、今回はフォローも交えて欠点に思った箇所も説明していきます。
なので、この批評を拝見して下さる方はもしかしたら納得できない部分も多々あるかもしれません。
このレビューを見ようと思って下さる心優しい方は、そういった少し厳しく言っている箇所が少々あるという事を予めご了承下さい。
そして、予め言っておきますが2期で物議を交わした最終回については全く批判しない(寧ろ褒めていく)所存なので、その内容を求めてる方はどうかご容赦を…
いつも通り、長々と語っていく所存なので、この先を閲覧するかどうかは自己判断でお願いします。





では、早速始めていきますが、この『まほろまてぃっく』という作品名は何とも不思議な造語ですね…
ヒロインの名前「まほろ」+「Automatic」[(機械・装置など)自動の、自動式の]=自動機械まほろと言う意であるか?
もしくは、ヒロインの名前「まほろ」+「romantic」[恋愛に夢中の、恋愛に適した、空想物語]=まほろの空想的な物語、恋愛物語と言う意であるか?
両方の意味を含んでいるのか、どちらかだけなのか、それとも私の思いつかない第3の答えがあるのかは分かりませんが、とても気持ちの良いタイトルです。
そう、「名は体を表す」と言うように、この『まほろまてぃっく』と言う作品名は主人公であり人間の優と、ヒロインでありアンドロイドのまほろさんが紡いでいく愛の物語だと言う事を上手く表しています。
内容を分かりやすく端的に表しており、観終わった後、とても上手く付けられたタイトルだな…と自然に感じてしまいました。
彼と彼女が育んでいく心の交流にはとても純粋で清らかな物があり、限られた時間の中でも濃密な空間が2人の間に上手く入っています。
この過程を実に見事に、とても華麗に体現していたのが1期全12話の内容です。
当初、アンドロイドであるまほろの存在に戸惑っていた優が1期最終話ではアンドロイドである事を「関係ない!!」と叫びます。
当初、優に対しての罪悪感とメイドとしての忠誠心を持って接していたまほろさんが1期最終話では深い愛情で自ら彼に関わっていきます。
この変化を私達、観ている側からもはっきり分かるよう丁寧に描写されていた時こそ、『まほろまてぃっく』と言う作品がとても良い物だと自然に思えた瞬間でした。
進行していく関係、それぞれに分けられた場面を「恋愛」と取るか「家族愛」と取るか「姉弟愛」と取るかは各々の観方に委ねられますが、これが主人公とヒロインの2人を主体とした物語であるというのは誰もが思う事でありましょう(ここ重要)

さて、1期の内容によって一躍人気作品となった本作ですが、人気タイトルとして続いていくからこそ、生じてしまう問題が2期で起こってしまったのではないか…と自分は考えてしまいます。
私が思うそれは、続編で新キャラとして登場した安藤みなわちゃんについてです。
「管理者」からのスパイとして優の家に送り込まれてきた機械化兵士(サイボーグ)の彼女ですが、しかし、正直に言って、みなわちゃんの存在含め彼女関連の話は全くの不要だった感が否めません(あくまで個人的感想です)
ここからはそれについて詳しく説明していきます。

まず、2期において新要素として投入されたのが「セイント」に対抗している秘密組織「管理者」でした。
彼らは地球人によって構成された組織であり、人類の歴史を裏で操っていた影の支配者ともいえる存在です。
その脅威は作中でも十二分に描写されております。
「セイント」を敵視している彼らについて公表しようとしたアメリカ合衆国大統領を簡単に暗殺した時点で、それは充分に分かりました。
彼らの行動もいずれ、セイントと人間が交流していく中で必ず生まれるであろう、遺伝子異常や特性変化によって種の根絶に繋がってしまうという観点からみれば確かに分からなくもないです。
しかし、明らかに今作の行為はやりすぎた節として観られるのも確か…
脅威と取るか、妥当と取るかは人それぞれですが、個人的には「管理者」の面々は少しやりすぎたな…と自然、感じました。
さて、このような「管理者」の愚行を振り返って私が申し上げたいのは、別に、女の子の新キャラを出さなくとも「管理者」の強大さを十分に説明する事は出来ていたと言う事です。

彼らと絡んだみなわちゃん自身の問題は「生体アンドロイドの苦しみ」と「『心』を持っていない(と思っている)事への葛藤」が根幹にありました。
しかし、これらの問題はシリアスパートに入ってから序盤ですぐに解消されてしまいます。
私個人としては、今まで「心」の有無、生体アンドロイドとして感じる苦痛で散々悩んでいた彼女を多くの話数で見てきたので、1話内であっさりと解決した展開には意外にも拍子抜けしてしまいました。
彼女自身が、敵のスパイでありながら味方についてくれる裏切りと言うのをすぐに見せてくれた事によって、今までの長い話数の中で果たして葛藤する描写を入れる必要があったのか、甚だ疑問に感じてしまったのです。
解決に至るまでは省略して説明すると、スパイであったみなわちゃんが優を連れ去り、まほろさんが彼を助けに敵地へ乗り込んだ際に、2人が彼女の心に優しく触れて、素直になっていない気持ちを和らげたと言う物でした。
しかし、そもそもよく考えてみると、優を連れ去るのだってみなわちゃんを媒介として実行しなくても、共に来た強敵であるフェルドランスの力によって強引に行えば良いだけの話
まほろさんなら優が連れ去られたというだけでも必ず助けに来ます。
優を人質にするのも同様に彼1人の力で十分でしょうし、生体アンドロイドの問題は敵としてまほろさん達に襲ってくる刺客を彼らに変換する事で、「管理者」の恐ろしさがバッチリ分かると言う物
散々引っ張ってきた物をあっさりと解決させるより、敵である彼らの矛盾した行動を少し描くだけでも、十分ではないかと感じてしまいました。
そして、酷いのはその話以降、みなわちゃんは更に影の薄いキャラとして1回の話に台詞が2,3個しか出てこない所
これからの展開で、彼女についての未来の話が多く触れられていたなら無駄だとは決して思わず、私も「良かったな…」と感銘を受けた所だったのですが…
流石にこの回以後の彼女における待遇はちょっとあんまりでしたね(笑)

また、問題はこれだけでなく、彼女自身の良い面が作中では殆ど描写されていなかったというのも槍玉に上げる1つに挙がっています。
元々、口数が非常に少ない娘なので、目立たないキャラだというのは把握しているんですが、それでも上手く個性が立っている無口キャラと言うのは幾らでもいます。
ただ、この異様に目立つキャラの多い『まほろまてぃっく』と言う作品の中で彼女の存在は些かパワーダウン気味であり、結果としてあまり魅力的に感じられません。
本来ならば、私も無口ドジっ娘キャラというのは嫌いではない、いえ、寧ろ大好物と言った感じなんですが(笑)
この娘はどうも私の好みに合わなかったのか、可愛いと思う事もあれど、たまに苛立つ事もあったので残念でした…

さらに、まほろさんが彼女を大切に想うその理由が、殆ど描写されていないと言うのも私には大幅な減点だったのです。
1期では、まほろさんが優を大切にする動機、根拠がしっかりと描写された事によって、彼らの関係性の変化、深い仲になっていく過程をこちらも存分に感じることが出来ました。
しかし、2期で出てきたみなわちゃんについては特に何もありません。
このアニメを既にきちんと観ていたならきっと、「2期の2話に当たる『きょうからみなわ』で詳しく説明されているだろ!!」と反論する方がいる事でしょう。
確かに優とまほろさんがみなわちゃんについて語り合う場面は彼女の事を大切にしなければいけないという決意が前面に現れた良いシーンでした。
しかし、これもよく考えてみると、それはみなわちゃんを受け入れる「理由」として人間である「優」が提唱した答えであり、まほろさんが彼女を大切にする理由と言うのはよく観てみると、これといってないのです。
彼に感化されて大切にする決意を固めたというのは分かるのですが、それなら普通の意味で扱えば良い物
主人である優より彼女を優先させている行為を見た時は、1期をじっくりと観てきた者としては流石に「何故そこまでその娘が大切なの?」という疑問が湧き出てしまいます。
彼女がそこまで懇意にする直接的理由が把握出来なかった事で、モヤモヤ感が残ってしまったと言うのは、個人的にも実に悔しい所でした。
誰かもしそれを分かる方がいたなら教えて下さい……

ただ、こういった描写が不足している事、無駄なキャラであったりする事、上手く活用できていないキャラがいる事なんて物は多くのアニメでよく見かけます。
私もそれだけならば、何もレビューに取り上げるまで酷評するなんて真似はしないでしょう。
そう、彼女が登場した事によって大きく歯車が狂ってしまう事態が起きた結果こそ、私にこのような行動をさせた最大の要因なのです。
みなわちゃん登場によって起こった最悪の事態…それは1期でとても上手く描かれていた、優とまほろさんの間で育まれていく関係性が彼女の妨害によって、2期ではまともに描写されなかったという事です。
勿論、みなわちゃん自身が意図してやった訳でないのは事実
しかし、介入してしまった事で、まほろさんと優の交わしていた、1期で結ばれていた両者の良いやり取りが2期では殆ど無くなってしまった事もまた事実なんです。
そして、その代わりと言っては等価交換の原則も満たしていない、俗に言うあまり望んでいないシーンの数々が増えていきました。
上記のみなわちゃん関連の話はもう、当然の事なのですが、彼女が主体で動く恋愛回等も「必要だったか?」という印象が終始、拭えなかったです。
優の友人である浜口俊也、通称「はまぢ」と恋愛を行うにしても、彼自体が特段、これまでで魅力的に描かれていたと言う訳でもなく(良い奴ではあるんですがね…)
正直に申し上げると、この2人の恋の行方については終始「どうでもいい」という感想しか湧かなかったです(しかも結局、それは有耶無耶になってしまったので尚更そう思います)
それを映す時間がある位なら、優を中心としたコメディでも恋愛劇でもシリアスでも何でもいいからこちらに多く見せて欲しかった…
何故はまぢとみなわちゃんの2人だけに固定し、限定して、関係性を描こうとしていたのかが個人的にはよく分からなかったです。
まあ、恐らく、制作者の方々は主人公側に与する「管理者」の女の子を新しい存在として登場させて、重要な人物として活躍させたかったのでしょう。
魅力が増すよう努力しているな…と感じられる節は確かに視聴している最中も見受ける事が出来ました。
優と絡んだ時に彼の格好よさを引き立てる役としては充分に彼女も機能していたので、その点においては至極良かったと感じます。
彼女の扱いについては、ただただ、惜しかったとしか言い様がありません。

そして、みなわちゃんの扱い以外にも後、1つだけ書いておかなければいけない事があります。
それはこの作品に対して、私の内心にひそかに生まれた1つの勘違いから生じた物です。
その勘違いとは、最初はほのぼのやコメディで進み、最後にはシリアスで落とすと言うような形式を取った最近の流行と今作が同じだと考えていた事です。
例えるならそれは、日常系要素で形作られた火山から次第にシリアス要素の溶岩が一定数吹き零れ、表面を覆っていくような物
多くの穏やかで面白い日々の後、数少ないシリアス風味を帯びて進んでいくと観る前の偏見で断定していた私だったのですが、しかし、どうやら真相は逆だったようです。
さっきの例えで申すなら、今作は最初、シリアス要素で作られた火山からコメディ要素の溶岩が吹き零れて表面を覆っていき、噴火が止んだ時にこそ、このアニメの本質が見えるという、前述とはまるで逆の代物
お色気要素とギャグで彩られた日常も上辺で覆われた「溶岩」に過ぎず、根底にあるシリアスの名を持った「火山」が縁の下から見守っているかの如く、聳え立っている珍しい作品だと観ていく内に感じていきました。
それを如実に表わしているのが1話毎に毎度の如く登場する、まほろさんの残り稼働時間の数値と言えるでしょう。
毎回登場するそれは『宇宙戦艦ヤマト』のパロディと言う側面こそありますが、同時に制作側が『まほろまてぃっく』は実はシリアスアニメであり、その事を忘れないよう、私達に伝えている様に感じてしまいます。
肝心のシリアスパートに入った時に残り稼働時間が出て来ず、「つづく」という言葉で締めくくられるのは、上手く引きを与えるのと同時に、今作がシリアスアニメである事を視聴者に伝える必要がないからなのではないか…と観ていく内に思った次第です。

そしてここからが本題なのですが、本作は1期と2期で明らかに違う所が存在しています。
それは上記の例で言うなら、「溶岩」の噴出する量
即ち、1期=コメディの温床と称すなら、2期=ギャグの宝庫として進んでいるのです。
この2つにはどういった違いがあるのか?
私が思うに、コメディ作品とは笑いを主な目的とはしていても、ストーリー性を持ち、実世界に近い物語
ギャグ作品とはただただ、読者を笑わせる描写を中心として描かれる物であり、そこにあまりストーリー性は関係ないのです。
コメディは日常的風景を描いており、ギャグは非日常的風景に変化する。
コメディは常識的枠組みに囚われており、ギャグは非常識の枠へ到達してしまう
コメディは笑いに内包されたエピソードを楽しみ,ギャグは笑いに起こる瞬間的な現象を楽しむ物だと感じます。

上記の違いがあるとして、だからこその違和感という物が観てる内に感じたのかもしれません。
個人的な感想として、シリアスと日常系要素の配分が丁度良かった1期とは違って、2期は日常系要素の方がシリアスよりも酷く垂れ流し状態なので、調和がとれていません、不安定です。
シナリオを割合で示すならば、1期は「シリアス:ラブコメ=6:4」で進んでいきますが、2期は「シリアス:ギャグ=3:7」といった感じでしょうか?
同じ名前なのに別作品ではないか…と視聴中も考えてしまった程なので、その変わり様は相当な物だったように思います。
1期と2期が逆の状態だったなら、まだ私の評価も鰻上りに良くなったと思うのですが…
率直に申し上げて2期前半では、満足したいのに何故かモヤモヤ感の残る回もあった為、また、それが私には存外、苦痛だった為、とてももったいなあ…と感じてしまう他ありませんでした。
これは好みの問題なんであくまで個人的意見に留めますが、さっき言った性質の違いと言うのは1期と2期を観比べてみると、十分に把握できるかと思います。

さて、主に2期に対しての批判をここまで散々言っておきながら、何故、こうしてレビューを書いているのか?
それはと言うと、偏に1期と2つのOVAが良かった事、そして2期終盤のシリアス部分が個人的に至極満足したからだと断言出来ます。
これが主人公とヒロインを主体とした物語であるというのは上記で書きましたが、この2人を主軸において観た場合、少し厳しく言った2期を含んだとしても、この『まほろまてぃっく』と言う作品はとてもよくできた純愛物語だと感じられるのです。
自らの「罪」を償う為に、「罰」として優に仕える一生の決意を固めたはずが、とても楽しく優しい日常を過ごしてしまい、その中で主人の奥深い愛情に触れるまほろさん
彼女が犯した「罪」を知らずに心を開いていくが、後にそれを知りながらも彼女の「罰」を受け止め、今まで通りの日々を維持させていこうと頑張る優
この対比関係が私にはとても眩しく感じられ、心が切ないながらも温かくなったのです。
そして、それぞれの単純とは言えるはずがないであろう複雑さを帯びた「心」が次第に表面化してくる2期の8話と10話以降のシリアスパートで、これが評価に値する作品だと自然に感じられるようになりました。
下記ではそれについて詳しく説明していきましょう。

恐らく、1番、2人の気持ちが前面に出ていたのは2期の13話だと察せます。
まほろさんが傍にいてくれるだけでいいと作中で語る優
相手をずっと見ていると、2人にあるものが全部無くなってしまう悲しみ
目を逸らして余所見をすれば、その一瞬で相手がいなくなっているのではないかという不安
間にあるものが突然消え失せてしまうようで怖くなるという感情
これらを味わうのが嫌で、怖くて、悲しいという真意をここで吐露するのが堪らなく共感できました。
それは一言で申すなら「孤独に対する淋しさ」ですが、しかし、彼の今まで感じてきた想いをこのような一言で表すのはとても失礼と言えるでしょう。
そして、それに対する返答を行う事のないまほろさん
自分が今すぐにでも死んでしまう事を知っていて、彼に対して不用意な言葉を言えない、彼女の純粋無垢な愛情があるからこその行為
励ましの言葉を言いたくても言えない、そんな彼女の心境が痛い程、伝わって来たのです。
私が思うに、この回こそ、2人の互いに思いやる優しさが上手く表現されていたと思います。

その話以前でも優が行っていた、そういった感情を吐き出す行為と言うのはやはり、父母を早くに亡くした喪失感から生じる物であった事は確かでしょう。
しかし、彼はそれをどことなく冷静に、客観的に、他人事のように語っている節が見受けられます。
優はそのような過去による喪失感から達観する事を覚えてしまったのか?
「人間、最後は必ず独りになる」
「どんなに杯を交わしても、親友と言える関係を構築していても、幼馴染の女の子たちと懇意にしていても、それらは結局すぐに壊れてしまう」
彼が奥底にずっと抱えていた寂しい心の根源はここにあり、そういって自分に言い聞かせてきた過去があったからこそ、寂しい笑顔の似合う少年だったのかもしれません。
そう、彼女が来るまでは……
こういった「悟りの境地」は1人の少女の登場により難しくなってしまいました。
それは勿論まほろさんの存在
彼女が来てしまった事は、達観する間もない位に温かい日々が生まれていった事の証明になってしまったのです。
自分と仲良くなろうとするまほろさんと共同生活を送る上で、知らず知らずの内、家族が居た頃と同じように、また他人に対する愛着が湧いてしまった…
彼が深く考えない内に、彼女の存在は心の奥深くに棲みついてしまったのは確かと言えるでしょう…

しかし、そんな楽しい夢の時間はいつまでも続きません。
1期最終回で「いつか夢見た風景に」至ろうとしたまほろさんは2期13話の「ユメノオワリ」によって見事に瓦解してしまいます。
1期からずっと続いてきた日常はいとも容易く、あっけなく、簡単に壊れてしまいました。
しかし、それは今までのあらすじ、内容を知って観ていた方達なら、予めこうなってしまう事を覚悟していたはずです。
その事を私達に忘れさせない為にシリアスパート以外、話の最後に必ず稼働時間を挿入していたのでしょう。
そして、13話ではそれを更に一歩いく仕様として、稼働時間が最後には関係なくなる、判断のつかなくなる状況へと展開を持っていきます。
でも、それこそがこの物語における「現実」なんです……
穏やかな日々がこれからも、いつまでも、ずっと続いていくとは限らない…
機械が予定されていた寿命まできっちり動き続けるとは限らない…
因縁や宿命の敵と戦ったとしても、それが劇的に決着がつくとは限らない…
この作品は元から、こういった「限らない」という「否定の現実」の上で成立している物なのです。
変わらない日々を望んでも結局は変わってしまう、全員が自分から離れてしまうと語る優の気持ちには、私も思う所があります。
また、まほろさんが自爆を行ってフェルドランスを巻き添えにしたのも衝撃でした(しかも、余命の通りでなく意図的な行為によって)
しかし、それは戦闘中に自分が稼働停止してしまえば、彼の主目的であり、抹殺対象の優に危険が迫るからという考えを瞬時に行った上での結果の産物であり、残りの時間がないまほろさんを遠巻きに観ているだけの私達が彼女に対して平静な判断を望む事は少し、筋違いだと感じてしまうのです。
したがって、それによって終わった13話と言うのは劇的な決着とは言えず、モヤモヤ感の残る物となったのは確かでしょう。
この話の段階で最終回だったなら、もしかしなくても、視聴者から酷評が来るのは致し方ないのかも知れません。
しかし、恐らくそういった方は今作について上記の要素を阻害して考えているような気が否めないのです。
挙句の果てには、「ほのぼのコメディだけでよかった」「シリアスはいらなかった」と宣う始末
このシリアスがあるからこそ、物語という物が強く引き締まり、それぞれのキャラクターをもっと好きになり、影響を大きく受ける良作に成り得ると言うのに…
私は寧ろ、こういった現実的要素を基盤として、お色気要素やらコメディやら恋愛やらギャグやらが成立していた珍しい本作だからこそ、ここまで人気になったのだと思います。
そして、そういった要素があったからこそ、この物語はあのような帰結を迎えたとも言えましょう。

初見だった私は最終回である14話『ナジェーナ』を観た事で更なる大批判が来たと聞いて、大変驚いたのを覚えています。
最初に申し上げたように、私は他の皆さんが批判の口実で口に出している最終回については、スムーズに受け入れる事が出来ました(『ブレードランナー』のような展開には思わず笑ってしまいましたが(笑))
1期1話冒頭のナレーションが大人の優を担当した声優さんだったと気づいた時点で、このような結末になる事は予め決まっていたのだな…と妙に納得できたように思えます(観た当初は流石に驚きましたけどね(笑))
そして何より、今までの回の経緯を思い返して観ると、彼がここまで変貌したとしても別に不思議な事ではないのです。
そこに至るまでの片鱗、予兆は確かにあり、寧ろ遅過ぎた位に感じます…
「死に魅入られた悪魔」として形容され、執拗に管理者の残党であるアンドロイドを付け狙って狩る「ヴェスパー」の刺客として活動する優
戦闘用アンドロイドしかやらない仕事に生身の人間が志願した代償は大きく、体の半分以上が機械と入れ替わっているという、待っていたのはとても悲しい「現実」
そして、優にとってまほろさんは「どこへも行かない」「ずっと一緒にいる」という約束を破った、裏切った人物として認識を改められていた…
「愛憎」なんて言葉が存在するように、今までの愛情が憎しみへと変わってしまうのもまた、必定(「愛」は表裏一体ですから…)
これは実に悲しい事でありながらも、自然、理解できてしまいます。
そして、だからこそ、最終話の変貌はその根源が見事に昇華した姿と言えるのです。

そんな最終話に出てくる成長した優を「まほろさんを失ってやさぐれたダメ人間」として見ていた意見をどこかで拝見しました。
本当にそうなのかを考えてみた時、私は8話でおじいちゃんこと、近衛優一郎と優が行ったやり取りを思い出したのです。
優一郎おじいちゃんは女の子を選べない優柔不断な優に対して、大人になる前から器用に小さくまとまる事は良い事か、他人にそこそこ調子を合わせて、何でもかんでも無難にやり過ごす事は良い事か、孫に尋ねます。
彼の言い分は、男とは格好悪い自分を知っているからこそ、格好良くなれる物であり、つまんない子供のままではつまんない男にしかなれない…
つまり、弱い自分と向き合って生きていけと説いたのです。
さて、そんなやりとりと最終話を対比した時、私は優一郎おじいちゃんの言っていた事を優が守っているか検証してみました。
すると非常に興味深い結果となったのです。
大人になった彼はもう大切な人を失う事への恐怖に耐えられず、過去に関わった他者とは全て縁を切り、依頼に従って、全宇宙を駆けていました。
ここで考えて欲しいのは、どんな理由であれ、もうこの時点で他人に調子を合わせる事は既に止めている事、小さい世界でまとまった人間では既に無くなっていると言う事です。
また、彼が行っている稼業故、無難に生きる事の出来る代物でない事は確かであり、危険の伴う物と言えるでしょう。
そして何より、こういった稼業を行う上では、過去のまほろさんと共にあった楽しかった思い出こそ、大きな弱点となります。
きちんと観ていたなら、最終話の優が言っていた「アンドロイド嫌い」は自らの「弱さ」を隠す為、多くのアンドロイドを壊すと言う、ある種の皮肉的外傷行為であると判断できるでしょう。
そういった行いは自らの弱さを分かっているからこその抵抗とも取れます(そもそも、他者と関わる恐怖を感じている時点で格好悪い自分を知っている事の証明にもなります)
そう、未来で彼は自分の弱さを十二分に把握しているのです。
そして、その間も優はまほろさんの持っていたブローチを未だ、肌身離さず持っていました。
彼は自分を裏切った奴を忘れない為にこのブローチを持っていると語っていましたが、先程の「愛」は表裏一体という理論に基づくならば、これはもう、1人の大切な人を既に選んでいると言う結論には至らないでしょうか?
事実、私はこのシーンを観た時、とてもほっとしたのです。
彼の本質はまるで変わっていない、変わったように見えているだけで、彼のあまりにも優しすぎる性格は不変のままだった事が分かったからでしょう。
最後の別れをした段階で、優に「良い男になれよ」と言い残して去って行った祖父
確かに世間一般で言う「格好良い」定義とこれは少し違うかもしれません。
しかし、優一郎おじいちゃんの考える、弱い自分と向き合って生きる漢の姿は最終話の優と見事に重なるように感じてしまいました。
最終的にこれは各々の判断に委ねる事となるでしょうが、私は以上の考察より、彼は祖父の考える格好良い男になる事が出来たと、切にそう、思います。

また、みなわちゃんや深雪、凛、千鶴のとりおまてぃっく、はまぢや川原にスラッシュの行方はどうなったのか最後に描かれていないという点が不満に思う方もいたようです。
確かに最終話で登場した今までのキャラというのは優、まほろさん、リューガ、色情先生改め式条先生と意外に少なく、他のキャラが好きで行方が気になった方にとっては実に手痛い仕打ちだったと言えるでしょう。
しかし、前述した通りこの『まほろまてぃっく』と言うタイトルは、主人公の優とヒロインのまほろさん、この2人を主体とした物語だと言う事を表しています。
つまり、彼らの行方がきちんと描かれているなら、この物語を終わらせる最低条件には成り得るのです。
今作はこの『まほろまてぃっく』と言うタイトルに従って、視聴者に理解されるともされずとも、彼らの結末をどんな形であれ、様々な意見こそあれ、きちんと締めてくれました。
「終わり」として機能した時点で、今作は私にとってとても好印象なアニメとなり、尚且つ、それは私の好みとする締め方だったので、個人的には不満点など全く無かったです(逆に他の方の不満の多さ、評判の悪さに驚いた位です)
なので、私としてはそういった他キャラの出ない事による不満については、特に言える事はないでしょう(本質がしっかりしているのは確かですが、気になる人の気持ちもわかるので)
私も、欲を言えばもう少し20年後の後日談をやって、大人になった優の姿を更に見せてくれていたら、なお感動したと思いますが…
しかし、個人的には至極満足できたと感じます。

そして、これもまた書いておきたいのですが、セイントの所有している「完璧な心」について色々思う所がありました。
不完全な存在である「心」を完璧とみなす矛盾に対して具体的な説明が為されていない中、どういった物かを考えていく内に、私はそれを持った1人の人物に思い当たったような気がします。
それは、優の祖母でセイントであるリーシァさんです。
彼女は作中において影響を受けていない「完璧な心」の体現者ではないかと感じられます。
孫がハンター稼業に身を投じているというのに、やけに冷静な彼女
旦那も娘も娘婿も既に殺されているのに、セイントの為、マシューの為、この身を捧げていると語る彼女
他者を想う優しさは持ち合わせていても、その実「何か」が足りない「感じ」がする(これは単に描写が少なかった故と言う可能性もありえますが)
これこそ、セイントの言う「完璧な心」を持った存在のように思えるのです。
これは最初の「ヴェスパー」勤務時代当初のまほろさんも同じと言えるかもしれません…

まほろさんも同じ戦闘用アンドロイドとして、セイントの技術(「心」)と人間側の技術(「身体」)を兼ね備えた融合存在です。
しかし、そのまほろさんが「ヴェスパー」勤務時代当初の「完璧な心」をずっと所有していたとはどうしても思えません。
なぜなら、その「完璧な心」と言った代物は戦いを繰り返す為の兵器として、マイノリティがマイノリティをぶちのめしていく過程で次第に葛藤が生まれて来ていたからです。
「涙も苦しさも、1度きりだから耐えられる」と主張している心は本当に完璧な物と言えるのでしょうか?
それは「何か」の足りない「優しさ」でなく、真の意味での「優しさ」を与えられなかった相手への後悔の念で発していた言葉
それは彼女が他者と関わっていく上で生まれた人間的精神であると感じます。
こう想った、口にした時点で、彼女の心は完璧などと言える物ではなく、作られた当初とはまるで変わっていました。
そして、「ヴェスパー」の人々との関わりや優達との交流によって、彼女は「人間の心」という物を持っていったと感じられるのです。
そう考えられる理由は他にもあり、その証拠に最終話のおでん屋が持っていた新聞があります。
そこに書かれていたのは「史上初セイント強盗団現る」「"聖人"伝説崩壊」「『完璧な心の持ち主』の反乱」と言う見出し記事
セイントの「完璧な心」が機能しなくなっていると言う項目でした。
これは人間とセイントが交流を始めた事により、彼らの完璧な心が人間に影響されて変わってしまった事を暗に示しているのではないでしょうか?
セイントが人間のように変わってきた事で、悪影響を受けた彼らは完璧とは程遠い行動をしたと言う事に落ち着くのです。
これはまほろさんの「完璧な心」も変わっていったという証明にも成り得ると私は思います。
しかし、これはあくまで断定できない事なので、俗説としてここまでに留めておくことに致しましょう。

さて、最後は解釈の分かれる最終話の終盤展開について書きたいと思います。
この『まほろまてぃっく』と言う物語が紡いだ織物の端は一体、どのように帰結したのか?
恐らくじっくりと観ても彼らがどうなったかについては実に色々な意見に分かれてしまうと思うのです。
結局、私も何が正しいのか、1つに断定する事が出来ず、自分の中に2つの解釈が出現してしまう始末
なので、両方の説を書いておきますが、後はそのどちらかから、各々好きな方を選んで欲しいです(一応、どちらもハッピーエンドです)
ここまで読んで下さって誠にありがとうございました。
後、もう少しだけお付き合いくださいますよう、お願いします。

①優の死亡&走馬灯説
この解釈は私が最初「これはない…」と真っ先に考えていた説です。
流石に安直ではないか、的外れではないかと考えてしまう部分も確かにあったからです。
しかし、今回また観返してみると存外に間違ってないかもしれない…という評価に落ち着いてしまいました。
これを書こうとしている自分自身が、1番その事に驚きなのですが(笑)
まあ、筋道立てて説明していきましょう。
最終話で優はまほろさんと会ったシーンで、妙な死神にでも憑りつかれていると考えるのですが、ここで思い出して欲しいのが2期12話の「受胎告知」と言う回
そもそも「受胎告知」とはキリスト教の聖典として名高い『新約聖書』に書かれたエピソードの1つです。
処女マリアに天使のガブリエルが降って現れ、彼女が聖霊からイエスを身籠る事を告げられた後、それを受け入れた出来事を指します。
何故タイトルをこのような名前にしたのでしょうか…?
私は、恐らくこれはその話内にあった、優一郎おじいちゃんとまほろさんのやり取りから取ったのではないかと思います。
やり取りにおける最後のシーンで、彼は彼女を「セイントの魂そのもの」と言いましたが、私はその心を持つまほろさんを「天使」になぞらえる事も出来ると気付きました。
「セイントの魂」=「人間以上に心正しく、心清らかで、心優しい物」=「天使」=「まほろさん」とこう繋がるのです。
そして、ここからが重要な所なのですが、かのキリスト教では、最終話でまほろさんと再会した際に優が言っていた「死神」という存在はいません。
実際に生物に死を知らしめ、それを執行するのは「天使」、総称としては「死の天使」と呼ばれる存在が決定し、実行します。
つまり、最終話で出てきた「まほろさん」=「(死の)天使?」と見る事も出来るのではないかと考えられるのです。
また、ED中の映像はそれこそ、「走馬灯」のように今までの出来事を流していました。
そして、ED中の音声はピクニックへ向かった登場人物達のシーンが音声だけ流れていました。
恐らくこれはあったかもしれない夢を聞いているのでしょう(1期最終話でまほろさんがリューガとの戦闘中、見たように)
そして、その時もまほろさんは瀕死の状態になっていた所でした…
また、全く優が言葉を発していない事も実に不可解です。
他のキャラが必ず何かしら台詞を口にしているにもかかわらず、優の声だけは1度も聞き取れません(存在がいる事は川原の発言で確認されています)
私もこれについては断言出来ないのですが、彼は言葉を口に出す、声を出すだけの気力もなかったのではないでしょうか?
自分の思い描く仲間達の声が聞こえはしたものの、姿は見えず…(走馬灯を見ている為)
そして、声を出すだけの気力も無かったので何も話さなかったと言った所でしょうか…自信はありません(笑)
そして、今までの説で語るならば、ED後の最後の絵は天国の扉へ至る優とそれを後押しするまほろさん=天使の1枚絵という印象も持てるのです。
要するに、優はまほろさん=死の天使に出会い、紫陽花の情景が浮かんだ時点で自分の意識が幽世へと移行しつつあり、2人が互いを抱き合った時点で彼は死亡してしまった。
そしてED中に幻聴だか夢だかを聞きながら、陽だまりの記憶に残っている思い出達を走馬灯で回想しつつ、最後にまほろさんの姿をした天使と天国へ向かったと言う事です。
マシュー達が作り上げたコピーであるまほろさんも確かに顕現しましたが、彼女が優と出会う事はなく、彼はまほろさんの幻影を見て、傷の悪化により死んでしまった…
もしこの説が真だとしたなら、何とも救われない話です。
しかし、幻であれ、実態が天使であれ、彼は最後にまほろさんと出会う事を叶え、「孤独」のまま死ぬという状態に陥る事はありませんでした。
リーシァさんが懸念していた孫の孤独な状態、「孤独」過ぎると言う状態は見事にこれで解消されたのです。
これはナジェーナであった優にとっては、ある種のハッピーエンドとも呼べる説と言えるのです……
余談ですが、この説によるなら、彼女が最後に言っちゃったと言う声が「行っちゃった」「逝っちゃった」に聞こえてしまうのも致し方ないと言えるかもしれません。

②コピーとの再会&未来への行進説
これは何も捻くれずに見た場合に思い描く良質のハッピーエンドです。
まほろさんは精神面においてセイントの技術を流用しています。
その為、セイント全体の共有意識を受け持つマシューの中にもまほろさんの、懐かしいという感情を表した陽だまりの記憶があり、それを体現させる事によって創造主は彼女のコピーを作り上げました。
顕現したまほろさんは言わば、マシューの中にあった彼女としての記憶を切り離した存在なのです。
優はコピーであれ、まほろさんの記憶を持った、裏切られる必要のない大切な人とようやくまた出会えました。
「僕、待ってたんだ、ずっと1人で」
「だってどこにも行かないって言ったじゃないか、いつも一緒だって」
彼女が帰ってきたと言う事は「帰ってくる」という約束を守った事と同義でしょう。
確かにこの娘は彼女自身でなくコピーです。
しかし、記憶を受け継いだ外見の同じ存在を「まほろさん」と呼んではいけないのでしょうか?
そんな決まりはありません!!
彼は彼女を「まほろさん」と認め。彼女は彼を「優さん」と認めました。
それだけで2人が触れ合うのには十分と言えるでしょう。
そういった「同一の存在か考える」と言う哲学的思想等、今作では考えるのも野暮な物
確かに、これから彼が元のまほろさんと同じように接する事が出来るかどうかは分かりませんし、苦悩の日々が続く可能性も十分に考えられます。
しかし、この『まほろまてぃっく』と言う物語においてだけは、彼と彼女の関係は文句無しのハッピーエンド
そう断言できる位の気持ち良い幸せな終わりと言えるでしょう…(ED中の映像は今までの過去の振り返り演出、ED中の音声は作中で描かれていない、過去の1番楽しかった記憶を想起している?)


「徒然なるままに、日暮らしパソコンに向かいて、心に映りゆく由無し事を、そこはかとなくキーボードで文字を打ちつくれば、怪しうこそ物狂おしけれ」
今回は随分、長々と書いたので少し疲れましたが、最後に簡単な総括をしてこのレビューの幕を下ろす事にしましょう。
今作は人によってその意味は様々でこそあれ、観終わった段階で良い意味でも悪い意味でも心に残ります。
私も視聴を終えたのは1週間位前なのですが、未だにあの最終回を思い出してはたまに涙が出てしまうのです。
観てる最中は何も感じなかったのですが、観終わってからの余韻が凄まじく、特に主人公である優が無為に過ごした空白の20年とこれから過ごしていく未来を考えると、私の心は無性に痛くなってしまうから困ります…
逆に私はその20年の軌跡をアニメで観てみたくなりました!!
今からでもやってほしい……と言うのは恐らく無理でしょうがね(笑)
また、主人公とヒロインが好きなのは勿論ですが、個人的にはスラッシュとリューガ、そしておじいちゃんの近衛優一郎がすごく良いキャラで好印象でした。
ああいったギャグっぽくおちゃらけていても、要所要所はきちんと締め、格好良い所を見せる「漢」と言うのは、やはりいいですね…
この3人は主人公とヒロインの次に好きなキャラ達でした。

さて、この作品は別の観点から観ると、まほろさんが「美しいもの」「もっと美しいもの」を最期まで探し続けた旅の物語と解釈出来ます。
彼女が見つけた「美しいと感じるもの」の集合体はいずれ来るであろう、「死」という恐怖に寄り添ってくれる大切な物であったと言えるでしょう。
アンドロイドの彼女自体が更なる幸せを望む事は結局、出来ませんでした。
しかし、自らの意思を受け継いだ存在はこれからも優の傍で続いていくのです。
これは我々「人間」にも同じような事が言えるかもしれません。
自分の「記憶」を継承させる事は出来なくとも、他人に「想い」を継承させていく事は出来る。
私達も彼女のように、自らが想う「美しいもの」「もっと美しいもの」を探す必要があるのかもしれません……
とても温かい、心に来る物語をありがとうございます。
まほろさんと優君、おめでとう、末永くお幸せに…
どちらの解釈であれ、2人がどうか幸せの扉へ至らん事を願っています…
そして、ここまで長くこのレビューを読んで下さった方々も、どうもありがとうございました。
あなた方の「美しいもの」「もっと美しいもの」がなるべく早く見つかる事を心より祈っています。

ならんで歩いたこの道
いつか、いつか、此処に帰ってくるよ
なにげなく振り向いたら
ほら、君の、笑顔
川澄綾子「かえりみち」より抜粋

PS.
これは全くもって個人的な話なんですが、今作で私は初めてアニメキャラに自分の名前を呼ばれるという大挙を達成いたしました!!
いやあ、声優さんに自分の名前を呼ばれると言うのは何とも気持ちが昂る物ですね(笑)
視聴中はニヤニヤが収まらなかったのはここだけの話

投稿 : 2016/09/11
閲覧 : 480
サンキュー:

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