「プリンセス・プリンシパル(TVアニメ動画)」

総合得点
85.9
感想・評価
977
棚に入れた
3924
ランキング
213
★★★★☆ 4.0 (977)
物語
4.0
作画
4.1
声優
3.9
音楽
4.0
キャラ
4.0

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ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 1.5 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

平面の世界

架空の技術が混じりこんだ蒸気機関全盛の19世紀末ヨーロッパの、東西に壁で分断された架空のロンドンで繰り広げられるエスピオナージ。

設定からうかがえるように、壁で分断されたベルリンに象徴される冷戦時代の冒険小説のパロディのような物語世界。

国家に強力に強制されて、あらがいようもなく死んでゆくスパイや市民の非情な末路は、当時の冒険小説読者からするとお馴染みともいえる。
もう少しトリッキーなストーリーのひねりがあればジョン・ル・カレ、キャラの内面描写と状況との葛藤があればジャック・ヒギンズに似た印象を与えていたかもしれない。

19世紀末とうたいながら、19世紀と20世紀が入り混じった上に、冷戦構造まで重ねてしまう「世界」は、舞台設定のために慎重に選び抜いたというよりも、「古そう」に「見える」という共通項だけで無造作にピックアップしたようなフラットさを感じさせる。

この大胆な混淆は、歴史性が混乱して見えるが、架空世界のエンタメの舞台であるのだから別に欠点というわけではない。
こういう「世界」というだけの話だ。

パロディ的なエスピオナージとして、まずまず面白く視聴できる。



{netabare}だが、いささか印象が変わったのは、最終話の、王国の女王暗殺と諜報部局内闘争の絡んだエピソードを視聴した時だ。

軍部の革命分子が女王を爆殺する直前、起爆キーを奪い取り説得を試みるプリンセスだが、ここでの一連の描写からは、まるで「革命」が無条件に悪であり、非・政治家=一般人=国民が武装闘争を行うことは悪であるかのように受け取れる。

自分一人が体制転覆の「罪」を背負おうというプリンセスの説得は、「無辜」の「一般人=国民」が「革命」という「悪」に手を染めることを防ぐ尊い決断であるかのように描写されている。

作劇上は、単純な犠牲精神ではなく、プリンセスなりの野望の貫徹がかかっているのだと、一応は了解できる。
が、一種「利己的」な野望が、革命と競合しているのだとは十分に表現されていない。
プリンセスの「エゴ」が、「邪魔な」革命を潰そうとしているのだとは。

そもそも、現に「みんな」が抑圧されている社会で、「みんな」の未来を築くため、「みんな」で政府を打倒することは、そんなに不自然で否定的なことなのだろうか。

「みんな」の壁が取り払われた「世界」の為なら、「みんな」で政府を転覆させる方が、プリンセス一人の「陰謀」で転覆させるより「自然」なのではないか。


おそらく、暗殺計画の背後には「謀略」が存在していて、爆殺に成功したとしても「革命」は頓挫するのではないかと想像させる。
しかし、作劇で説明するのではなく、当たり前のように「革命」自体が良くないものであるように描写して済ませてしまうのは、「政治」を「一般国民」から隔絶したものと製作者が捉えている現れなのだろう。

作中の「世界」では、政治によって実現される社会は、悪いものであれ良いものであれ、「特別な人」=政治に携わる人が、無垢の「一般人」に与えてくれるもののようだ。

革命兵士といいながらクーデター部隊にしか見えない描写は、「革命」がまさに「一般国民」の運動ではなく、一部の人間による社会の騒乱であるという製作者の「気分」を示している。
一般意思の表れとして暴力の現出する革命と、暴力一般を区別しない「フラットな」視線を。

「古そう」に「見える」ものを、時代性を無視して等列にピックアップする歴史意識のない「気分」と共に、政治意識のない「気分」が、政治と国民を切断した「世界」を作り上げている。
虐げられた「みんな」は、自分たちの手で「世界」を作ることはできずに、プリンセスの「陰謀」をただ待つだけの存在へと逆戻りする。


政治は政治家に任せ、自分は政治と無縁の清潔な「一般人」であるという「気分」は、視聴者にも共感しやすいかもしれない。
圧政には「被害者」として愚痴を言い、「革命」の政情不安は拒絶して、いつか快適な世の中が「与えられる」のを待つ「無辜の」一般人。

たかがエンタメの「世界」に過剰に思入れすぎているようだが、まさに「エンタメ的」に障害があるから気になるのだ。

非情なスパイ戦の「非情」性を支えるものは、非情に味方の命すら奪う国家権力の強権性だ。

「独裁」といえば、だれでも嫌悪や反感を持つ。
独裁を支持する人などいないだろう。

だが、政治や国防を「一般人」から切り離して、「専門家」である政治家や官僚の「仕事」であると丸投げして省みないとき、「専門家」の力は強化される。
冷戦のような状況下では、「強化」された「専門家」の権限は、或る種の領域に「独裁」に似た力をふるう。

プリンセスやチームのスパイたちに、冷然と死を命じる「力」を。

冷酷なスパイ戦に悲劇的に巻き込まれるプリンセスとチームの面々だが、その悲劇性は、悲劇から脱したいはずのプリンセスが無自覚に示した「一般人」と「政治」の隔離それ自体が、支えてしまっているのだ。

悲劇性を主題にした「エンタメ」だが、上述の政治に関わりたくない「気分」の垂れ流しが、「エンタメ」の舞台自体を掘り崩して、「ただのエンタメ」が、「ただのエンタメ」からすら滑り落ちてしまう。

製作者が個人としてどのような「気分」でいようが知ったことではないが、創作物を提出する立場で、肝心の創作物に「気分」がどう影響するかの内省を欠いているのは、クリエイションへの意識の不足と言わざるを得ないだろう。


帝国主義が完成した19世紀、帝国主義同士が汎世界的な全体主義として争った20世紀、その戦場として析出された分断都市。
歴史的な重層性を無視して「フラット」な「気分」で選別されて構成された「世界」を、脱政治的な「気分」がコーティングして、せっかく創り上げた物語が滑り落ちていくようだ。{/netabare}

投稿 : 2017/10/17
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サンキュー:

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