「モンスター娘のいる日常(TVアニメ動画)」

総合得点
66.5
感想・評価
727
棚に入れた
4346
ランキング
2766
★★★★☆ 3.4 (727)
物語
3.2
作画
3.5
声優
3.5
音楽
3.3
キャラ
3.6

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

暗いところでは苦手だけど、明るいところならいいかも?。好きになる努力って難しくないのかも?

モンスター娘のいる日常。略して「モンむす」だそうです♪

可愛いらしい乙女ら(ただし半人半獣)が留学生として、一人暮らしの若い男性の家にホームステイし、恋心を抱いたり、結婚を迫っちゃう日常系アニメ。ドタバタ劇でちょっぴりエッチで時々シリアス。内容の理解はむつかしく考える必要はありません。まったく日常ではありえないようなシナリオに、あえて「日常」と銘打って、そこで何が起きるのかを楽しむアニメです。


うむむ・・異種交流ものも意外と楽しめてしまいました。


モンむすとうる星やつら。

{netabare}

「うる星やつら(1981年高橋留美子作品)」について少し。

うる星やつらのヒロインのラムちゃんは、宇宙人鬼族の天真爛漫な女の子。地球を侵略する手段として、地球人代表の諸星あたる(主人公)と鬼ごっこの勝負をするのですが、捕まってしまい負けてしまう。それぞれのいきさつと勘違いからラムは諸星の押しかけ女房?となります。
語尾に「だっちゃ」をくっつけ、諸星を「ダーリン」と呼んで憚(はばか)らず、思い通りにいかないと「電撃」を遠慮なく食らわすというキャラクター。そしていつもビキニを身につけています。

ストーリーは、基本ラブコメディタッチですが、ギャグもシリアスもこなすオールマイティーな世界観に彩られたアニメ作品。キャラクターとしても抜群の知名度を誇り、まさに一世を席巻した作品です。
たぶん、ミドルの人はリアル視聴者だと思います。ラムちゃんを知らない人はいないんじゃないでしょうか。

ラムちゃんの印象と言えば「キュート」で「恋ばな」で「モンスター」。
そして諸星あたるの印象といえば、「忍耐力、包容力の大きさ」です。何度となくラムちゃんの電撃に打たれながら耐え抜く男の意地を感じました。

「モンむす」は、ラムちゃん級の女の子たちが何人も登場します。キャラ設定はギリシア神話に登場する半人半獣の異形体なので、容姿は正直言ってちょっと引いてしまいます。ただ、性格がとても良くて、チャーミングで初々しくてとても魅力的に描かれています。
でも、ラムちゃんは一人で全部をこなしていた分、頭一つ抜きん出ている感じがしますね。

{/netabare}

モンむすの主人公は「来留主公人(くるす きみひと)」。

{netabare}
名前からして「キリスト」を思い起こさせるような語呂合わせ感がありますね。

来留主くんは、諸星あたるよろしく、何人もの「モンむす」に何度も痛めつけられます。死んだら死んだで魂をいただいちゃうモンむすもいるようなので、骨まで愛されるどころか、死後まで憑りつかれてしまったというか・・。

かれは、留学生の受け入れホストファミリー。モンむすの日常生活の支援のために家事労働に没頭し、掃除・洗濯・お買い物、お風呂の用意から調理まで、ホスト役に徹して甲斐甲斐しくお世話をするのです。その姿は単にホスト役という立場性を超えてほぼ完ぺきな「家政婦ぶり」を発揮します。

およそ40年前、諸星がほとんど家事労働に関わらなかったのとはずいぶんと違う設定です。時代が違うんだなとあらためて感じます。

アニメ作品において、男性の役割にこれほどの変化があったのかと思うと、新鮮な驚きと痛快さを感じ、愉快でもあります。「主夫」の時代の到来、家庭での立ち位置が変わってきていることを実感します。今後、その変化はもっと加速していくのかもしれませんね。

極めつけは、主人公がどのモンむすに対しても、人間の女性と接するのとまったく変わらない紳士的な態度をとることです。どんなときにも隔たりなく平等公平に対応する姿は、たぐいまれなる博愛主義、人道主義を持ち合わせているように見えます。感服することしきりです。

その理由がまたシンプルで、半人半獣のモンスターである以前に「女の子なんだから」で全部括っちゃえる優しさを持っています。それは決してズボラというわけではなくて、ホスト、彼氏、結婚相手、世話人などいくつもの立場をマルチにこなせる器用で心優しい男なのです。

優男ってだけじゃないんです。モンむすの容姿をあざ笑ったり、蔑(さげす)んだりしようとする輩(やから)には鉄拳を加えるんです。見かけによらない漢気の溢れる姿も見せます。また、モンむすの立場が悪くなったときは、平然として自己犠牲を選択する潔さも持っています。しかも、ヒーローのようにえらそぶることもないし、とりたてて正義感を振りまいているわけでもないのです。お説教じみた講釈を垂れることもしない。つまり、どこまでも普通に見えるのに、その振る舞いはさり気なくてかっこいいのです。

このかっこよさ。紳士的で漢気があって家庭的で女性への配慮にも長けているので、モンむすからの評価とウケが抜群です。当然、彼氏にしておきたいし、結婚相手としても合格点。モンむすのざわつく乙女心の綾が楽しく描かれています。

また、「漢の道とはこういうもんだ」みたいな雰囲気でいかんなく実践しているので、男性にとっても参考になるところ大でしょう。しかも、モンむすのぎりぎりを超えたポロリや、声優さんの演技に、オトコの興奮もストレートに表現されているのでクスリと笑えます。なかなか良い奴だぞ。うん。

秀逸なのはエロに偏らないところです。そこはラムちゃんの健康的な若々しさと共通しています。

{/netabare}

実は、残念に思える設定もあります。女性のキャラ設定です。

{netabare}
ラムちゃんからモンむすまで40年近くたっているのに、描かれる女性の姿があまり変わっていないような気がするのです。
いつの時代でも女性はキュートで愛くるしいのは鉄板ですね。アニメ作品の造形デザインや作画・動画の技術もハイレベルになっているので、表現の幅も深みも十二分にあることは素晴らしい。キャラ設定は非常に重要だと思います。

が、あえて言えば、もうひねりしてほしいなって感じました。
男性からみて望ましく思える理想的な女性像だけをキャラクターに落とし込んでいるだけだったら、個人的には少し寂しい。

ラムちゃんの爆発的パワーは、高橋氏のストーリーさえ吹っ飛ばしていましたが、折角の新作なのですから、男性の女性観への目新しいテーマとか、恋ばなから発展して、学校生活や、仕事場や、半人半獣ならではの悩みや葛藤などが描かれると、さらに作品に深みが出ていい味の出る作品になるのではないかなって期待してしまいます。

この作品は、容姿や見た目が一番大事なことじゃないんだよって教えてくれてはいると思いますが、世の中で大事なことは「恋ばな」以上にもっと別なものもあるんだよ、というメッセージが伝わってくると今以上に素敵な作品になるんじゃないかなと思います。(欲張っちゃダメかな~)

それがちょっぴり残念でした。

{/netabare}

アニメとアニミズム。

{netabare}

モンむす自体はギリシャ神話をベースに作品化されている半人半獣のキャラではありますが、その世界観のベースにあるのがアニミズムだと思います。

ギリシア神話は、紀元前15世紀ころが始まりと考えられていて、「口承(言い伝え、口伝)」です。今は21世紀ですから約3500年前には語られていたということですね。

日本人の感性は、無機物(石、水、土、風、火、雷など)にも有機物(草、木、森、魚、動物など)にも、関係なく霊魂や魂が宿っているという考え方をもっています。
例えば、北風小僧のかんたろう(風)、河童の川太郎(水)、ぬりかべ(土)、傘地蔵(石)、雷神(雷)、雪女(雪)、まっくろくろすけ(埃!)などアニミズム(後述)に由来するキャラクターは枚挙にいとまがありません。
しかも、いつでもどこでも人間と共生しています。
異形の生き物。神仏でもあり、恐ろしげな妖怪でもあります。

{/netabare}

このあとは、ちょっぴり固い話です。よかったら読んでみてくださいね。

{netabare}

タイラー(人類学者、英、~1917。宗教の起源に関してアニミズムを提唱した。文化人類学の父と呼ばれる)は、『アニミズムを「霊的存在への信仰」とし、宗教的なるものの最小限の定義とした。諸民族の神観念は、【人格を投影したもの】という(=擬人化、擬人観)。』

くだけて言えば、神がアダムとイブを神に似せて造られた最高傑作とするように、どこかに人格(神や天使のような姿だったり内面性だったり)を内包するもの、つまり人間の姿かたちに結び付ける傾向があると理解すればいいと思います。

そういう意味では半人半獣はとても西洋的です。神でも人間でもない。二極のはざまに存在するもので、神のような強さと人間の弱さを併せ持ち、どちらかというと中途半端な立場性。それゆえに価値の定まらない存在。人間から見れば、違和感と非親和性から生まれる感情によって、蔑まされる存在に押し込められがちです。


これに対して、マレット(人類学者、英、~1943)は、『「未開」民族の間では【人格性を欠いた力】あるいは生命のような観念もあるとした。』

つまり、タイラーの説では説明のできない霊的な概念を持っている文化が世界には存在していて、特徴としては「人格化されていないこと」です。つまり、「西洋的ではないもの」です。人間のような姿かたちをしているわけではなく、手も足も顔もない存在で、どちらかというと西洋ではない国々に見られる。まぁ、日本もそうです。(代表的なキャラは鬼太郎のおやじ?ですかね。非常に親和性がありますね。)

タイラーの視点は西洋でした。霊的な世界の根源に、「神が土くれから人を創った」とする立場です。上位下位が明確で、対極的(対立する)で、直線的で、絶対的なもの。一神教のような、でしょうか。

それに対してマレットは違います。霊的な価値観は、西洋以外にもあることに視野を広げました。そこにみられる霊的な世界は、混然としていて、調和指向で、複線的で、相対的なもの。多神教のような、でしょうか。

どちらも真実だと思います。なぜなら、宗教の本質は「理・気・意」から構成されるからです。西洋には西洋の気があるし、東洋には東洋の気があるわけなので、地域性の違いだけで、本質は同じですね。

{/netabare}

遠回りしましたが、話を戻しますね。

{netabare}

アニミズムというのは、『ラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命』といった意味があり、無機物・有機物に関わらず、すべてのものに存在しているものという考え方の一つです。
前述のとおり、洋の東西に関係なく共通する概念だと言えそうです。(結局は、人格化されているかいないかの違いですね)

アニメーション。
これも『ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に 由来することばです。生命のない物体や絵に、あたかも生命が宿っているかのような動きを与える技法(位置や形が少しずつ異なる絵や人形を一こまずつ撮影し映写の際に動いて見えるようにするもののこと)、またはその技法で得られた映像や動画のこと』を指します。

つまり、アニメーションそれ自体が、無知覚(人間が感知できないもの)なアニマを、ある物体(それが有機物か無機物かは関係なく)を媒体にして、有限知(知識や知覚が有限であるということ)である人間が、あれこれと想像するなかで、フィルムに落とし込んで見える化する手法ということですね。(わかりにくいですね。すみません。)

例えば、3500年前のクリエイターたちは、単なる羅列であるキラキラ星をわざわざつなげて星座とみなしギリシア神話に仕立て上げました。
それをもとにして現代のクリエイターが、さらに深く、広く、細やかにして、新しい作品や物語にブラッシュアップして仕立てていく。
その作品に触れて視聴者も思いや感動をふたたび深くする。

私たちは今、まるで息を吸うように作品に触れることができます。作品を通じて、心を遊ばせ、様々に思考をめぐらせ、疑似体験することができます。アニマのリレーション。素晴らしいことだと思います。

{/netabare}

もうひとつ、日本人がアニメ好きな背景があると思います。

「日常」に見られる「化身、使者、眷属」。

{netabare}

古事記にみられる八百万の神々の物語への敬神だったり、日本各地に伝わる龍神や鬼や天狗、神木や湖沼の主、妖怪やもののけなどの未知なるものへの敬畏(けいい)だったり、氏神様に通じる先祖霊への敬仰(けいこう)だったり。

そして鳥獣魚虫花草木(ちょうじゅうぎょちゅう かそうもく)、風水光土石塵芥(かぜみずひかり つちいしあくた)をも同化してしまう。

彼らはみな、神の化身であり、使者であり、眷属(部下)でもあります。

日本人の霊性へのかかわりは深く広い。神様以外にもたくさんの情を感じているし、それはとても近しくて、フレンドリー。

西洋も同じですね。異種族、他種族との恋ばなは世界の各地に語り継がれています。
古くはギリシア神話に見られるミノタウロス、マーメイド、ニンフなどそうそうたるラインナップがあり、それをモチーフにして中世では人魚姫、狼男などの物語も創作されました。
現代ではハリーポッターシリーズですね。魔法というのは、日本では奇術にあたるのかもしれませんが、こういうお話も日本人は好きみたいですね。

仏教を通じて輸入された文化の一つ、十二支。
よくよく見れば、みな鳥獣(とりけもの)ですね。
ちょっと考えれば、日本という国は、誠に摩訶不思議な文化性を持っていることにあらためて気づきますよね。

鳥獣は、ときには守り本尊にもなるし、神社仏閣の絵馬などにも登場します。受験の時にお世話になった人もいるのではないでしょうか。

人間が鳥獣に神様仏様と同等の格を与え、祈りの対象にする。そして、お賽銭を納めてまでご加護を頂こうともしています。

国宝の「鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)」(京都、栂尾(とがのお)高山寺(こうざんじ)所蔵。)には、カエルやウサギ、サルが、まるで人間のように相撲をとったり釣りをしたりしていますが、擬人化の極みですね。発想は大したものです。
何と言っても「国宝」ですもんね。漫画ですけど。

このように、西洋の思想も仏教の思想も、貪欲に吸収してしまうところが、日本人は誠に摩訶不思議でゆたかな文化性を持っている証左ですね。

日々の生業(なりわい)があり、おさんどん(台所仕事)がある。生産と消費ですね。
山、海、川、田畑、野原にある多くの恵と生命。
雨、雲、雪、風、春夏秋冬。
身の回りのすべてのものによって日々の営みが保たれている。

それらのものは、お天道様の賜りものであるし、土地神様のおかげでもあります。

{/netabare}

そのなかで、生き生きとした生活を送り、アニメで笑い、アニメで泣く。

そんな日常の暮らしをモンむすたちと一緒に送ってみるのもいいのかもしれませんね。

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品が、みなに愛されますように。

投稿 : 2018/03/05
閲覧 : 355
サンキュー:

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