「ペンギン・ハイウェイ(アニメ映画)」

総合得点
75.8
感想・評価
260
棚に入れた
1207
ランキング
750
★★★★☆ 3.8 (260)
物語
3.8
作画
4.2
声優
3.7
音楽
3.7
キャラ
3.8

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

小学4年生のハイウェイは、甘酸っぱい青春ファンタジー。

原作未読。事前情報は声優陣のみです。

森見氏の独特な世界観・作風は個人的は好きなので、本作も楽しみにしていました。
第一印象は、絵に面白みがあって、十分に美しかったです。作画も含めてしっかり楽しめました。

奇しくも、7月公開の「未来のミライ」の、くんちゃんと、8月公開の本作の、アオヤマくんとは、意外と似通っているな〜って思いました。

キーワードは、"年齢に沿った心の発達模様" です。

くんちゃんは、4歳の発達段階の課題でもある、{netabare}"ミライちゃんの存在を家族(集団)のなかに受け入れる" {/netabare} という、一つ上の発達の階段を昇りました。でも、そこに至るまでのくんちゃんの "葛藤" たるや大変なものでしたね。w

本作でも、アオヤマくんやハマモトさんに「小学4年生(10歳)の発達段階」の壁がそびえています。ただ、その "葛藤" がくんちゃんほど "直情的" ではないので、ちょっと見えにくいのです。この辺りに気をつけて鑑賞していただけると、頷けるところ大でしょう。


私は「おまけ」で取り組んでみたいと思います。それでは始まりです。


●4年生

{netabare}

まず、不思議な符号なのですが、本作のアオヤマくんは4年生。「未来のミライ」のくんちゃんは4歳。そう、どうやら "4という数霊" が働いているみたいです。

数霊と言霊の寄り道・・。
{netabare}
1は2を生じ、3に変じて、4に至る。と申します。

ここでは、1と4について述べてみます。(2と3は、君の名は。のレビューでほんの軽く触れています)

1は "初発" という意味があります。
そして "一" でもあります。
元旦の "旦" は、"朝日が水平線から昇ってくる" の意味ですから、この場合、"一" は、転じて "海と空との境目" とも言えます。

その意味から "位置" という解義もできそうですね。自分自身の立ち位置。人類の立ち位置かも。

"いち" の言霊を要素分解すると、"い ≒ 意・居・生" と "ち ≒ 血・智・地" になります。

一は、大極。
二は、二つ巴(ふたつともえ)、陰・陽、 天・地、 光・闇など。
三は、三つ巴(みつどもえ)、天・人・地、 理・気・意、 知・情・意など。
四は、一〜三を理解・内包する存在を表します。完成形の一つとして "人間" を表します。

視点を変えて言い換えると、
一は、点。
二は、線と平面。アニメ世界ですね。
三は、3次元。現実的な肉体の世界です。
四は、想念世界。時間や空間を超越してさまざまな発想ができる "人間" だけの領域を意味しています。

寄り道終わり。
{/netabare}

さて、アオヤマくんが、歯科医院に通ったり屋外で歯を抜いたりするシーンがあるのですが、乳歯から永久歯に生え変わるのは、4年生なら年齢的には犬歯あたりでしょうか。(歯は、年齢で抜ける順番があります)
つまり、 "歯が抜ける" という、小学生にも実感できる体験を引用して、身体そのものが、"子どもの身体から大人の身体に少しずつ変わっていく" ということ、身体的な変化が自分のなかで起きていることを、子どもたちに気づいてもらおうとするプロットだと思います。
(これは演出上、導入部になりますね)

そして、アオヤマくんの身体的特徴をもう一つ言えば、目線の高さがちょうどお姉さんの "おっぱい" なんですね。
この目線の高さが絶妙。
アオヤマくんが3年生なら、 "おっぱい" よりも10cm低く、5年生なら10cm高いんです。
本作最大のポイントでしょうか?w
(しかも、お姉さんの胸の描写が、これでもかとスクリーンに映し出される・・)

"お姉さんのおっぱい" は、アオヤマくんの瞳から視神経を経て、脳細胞へと供給・伝達されます。
彼はその情報を、経験則にそって科学的アプローチと文学的記述で、整理・分析を始めるのですが、それとは違うエッセンスがあることも感じ始めているようです。
"お姉さんのおっぱい" は、アオヤマくんに、精神的で情動的、そして性的で人間的、男の子なら誰でも感じるだろう根源的な知的好奇心を刺激して止まないのです。
いいえ、恐らくはデータが不足しているあまりに、アオヤマくんは、形而上学的!なチャレンジをするハメになるのかもしれません。
男性諸氏は、アオヤマくん同様、"おっぱい" にはずいぶん倫理的、人道的な葛藤?をなさった経験がおありなのではないでしょうか。

しかし、忘れてはならないのは、アオヤマくんの頭の中には "とてつもなく賢くなっていくだろうという圧倒的な全能感" が存在していて、そこから生みだされる 揺るぎない"高潔性" があります。たぶん・・・。
それは、そっくりそのまま、彼のプライドであり、みなぎる魅力?になっています。
だから、彼は、お姉さんへの評価(心象?)を、決して "妄想" などと考えないし、絶対に "エロ" なんて思わない。
そしてここが肝要なのですが、多分、"恋心" という言葉を知っていたとしても、言えないかもしれません、きっと(キリッ!)。
だって、アオヤマくんは、自他ともに認める高尚なプチ科学者だし、小さなジェントルマンなんですもん。あくまでもスマートにアプローチしたいのですね。
だからね、彼は、ノートにとってもステキな言葉を書き込んでいましたよ。

そうはいっても、やっぱりお姉さんの"おっぱい" は、ミステリアス! ケーキのようで甘やかそう!
でもでも「お母さんのそれとは違うような」別の不思議さを持っているような印象もあり・・・。

女性が、妹と、同級生の女の子と、お母さんと、お姉さん。別々の存在として意識できる年齢。
生が、性に "深化・拡大" していく世代です。
さあ、アオヤマくんは、お姉さんの存在をどのように受け止めるのでしょうか?
くんちゃんが全身全霊で悶えたような葛藤がアオヤマくんにもあるのでしょうか?

それは劇場でお確かめくださいね! ぜひぜひ!w

★★
ところで、アオヤマくんには、ウチダくんという、アオヤマくんとシンクロしあえる同級生もいれば、スズキくんという、アオヤマくんとは対極的な、"力" に依拠するような同級生もいます。
いずれも、"個性" と捉えれば、それぞれが自分らしくあるための、成長している男の子たちの姿なのですね。

ウチダくんは、アマゾンプロジェクトを独力でやり遂げ、ある発見に至ります。
スズキくんも、彼なりに発見?して、得意げに大人に情報を提供するに至ります。

こうした彼らの行動は、自らの内面に存在するエネルギーが、知らず識らずのうちに高まっていることを示しています。
また、それぞれの視点や方法の違いはありながらも、共通しているのは、自分の意志で、自然と社会、外面の世界にコネクトできる成長段階にきていることを示しています。
ですから、個人差はあっても、興味と関心、意思と意欲、行動と学習、語彙と発言などが、社会に向けて飛躍的、爆発的に拡大していく時期なのですね。
4年生(10歳の壁)って、その後にぐぐっと伸びていく直前の世代、くんちゃんと同じような "葛藤" を内面に抱える世代なんですね。

★★★
本作の公式HPにもありますが、このあたりのシナリオの練り込みが、4年生の夏休みに体験する、不思議なSF作品であり、(スマートでちょっと甘酸っぱい)青春ファンタジーと "謳っている所以" なのでしょう。

小学4年生の、身体の成長と、心の発達のクロスオーバーで垣間見せる、内面と外面が交錯し、積みあげていこうとする物語。
それは自分の世界の内外そのものが、まるでビックバンをおこしたかのようにも感じるエネルギーを体感するのでしょう。

そうは言っても、まだまだ、社会の実相の全ては分からない。だけれど、社会をまるごと捉えられるかのような全能感を併せ持てるのもこの世代です。

本作のテーマの一つになっているのは、こうした、第二次性徴期(成長期)を直前に迎えた、少年少女の "すこぶる内面的なストーリー" なのですね。

小学3年生~小学6年生あたりのお子さんがいらっしゃるご家庭であれば、超おススメです。

それにしても、"4" という数字は、とても人間味あふれる数霊だとお感じになりませんか?
{/netabare}

●女性

{netabare}

実は、もうひとりの重要な主人公でもあるハマモトさん。彼女もとても面白い存在です。
彼女は一つの噂を流します。森の奥には {netabare} "銀の月" {/netabare}があって、これを見ると病気になってしまうと。

{netabare} "銀の月" {/netabare} 。
不思議な響きですよね。これまたなんともミステリアスです。
"触らぬ神に祟りなし" の風情があって、如何にも、夏の趣(おもむき)にぴったりです。

これは、4年生女子のハマモトさんならではのキーワードですね。
"銀" は、硬質、高貴という意味のほかに、精神性という象意を持っています。"月" は "月のもの" つまり女性の生理を表わしていますね。

転じて、"生理という身体的な性徴期をむかえる直前の、女性の精神的、内面的な様相" を象徴的に具象化したのが、{netabare}"銀の月" {/netabare} なのでしょうね。

それにしても、ハマモトさんは、{netabare}"銀の月" {/netabare} を見ると "病気" になるとおっしゃる。これはどのように受け止めればよろしいのでしょうか・・?

★★
ハマモトさんは、アオヤマくんに "科学者" としてシンパシーを感じ取っているようです。これまた不思議な符号の一致ですが、ハマモトさんとアオヤマくんの父親像はとても似ています。

これは、4年生の成長段階は、世の中のさまざまな様相を、科学的なアプローチで事象を明らかにし、データに基づいて考えをまとめるという "人間的な高次脳機能の発達段階" に来ていることを示しています。

また、子どもにとって「一番身近にいる父親や母親には、家の内外で別々の役割があること、それぞれの性差による思考にも違いがある」ことを理解する入り口に差し掛かっていることを暗に示しています。

ハマモトさんは、"アオヤマくん"、"お姉さん"、"スズキくん"、"お父さん" とのそれぞれの関係性を、これからも探し探ししながら試行錯誤していく取り組みに直面していくだろうことを示しています。
とくに ハマモトさん自身が "お姉さん"になっていくために。

ハマモトさんは、内面の葛藤に加えて、外的な、身体的な変化にも向き合うことになるのですから。
小学4年生の方には、なかなか刺激的かな。

★★★
ところで、"水球、アマゾンプロジェクト、小川の流れ方{netabare} ( ≒ 輪 ≒ 循環 ) {/netabare}、なだらかな丘" などは、すべて "女性" の象意を有しています。
また、"水の球体が大きくなったり小さくなったり、揺れ動いたり、棘が出てきたりする現象" というのも、成人女性であれば「はは~ん、そう言われればそうかもね。」と頷けるものでしょうか。
お姉さんの「3日も食べていないの」という台詞もね。

アオヤマくんは、お姉さんの言葉を、額面通り受け取って、律儀に実践していましたが・・。うん、真っ直ぐだ。

スクリーンには、それを予感させるものが何度も何度も表現されるのですが、如何せんアオヤマくんの理解を超えていて、とても難しい。そして恐らくはハマモトさんもですが、同じようにその正体が何であるのかが分からないのでしょう。

2人は共同で観察を始め、なんと水中探査船を作ってまで水球の謎を解明しようとするのですが、あっという間に行方不明になってしまいました。
2人の仮説・知識・科学性は、お父さん譲りなものなので、男性側の視点、アプローチでは水球の謎は解けないようでした。残念ながら不発に終わってしまうのですね。

ハマモトさんが語る "秘密の研究" というのも、好感の持てる男の子となら "私と一緒に、秘密の時間を過ごしてほしい" という女の子らしい心情を表わしています。
そこにはスズキくんもお父さんも、大人の誰も介在してほしくない。だからもちろん"お姉さん" も同じ扱いで、追い出してしまうのですね。
{netabare}"銀の月" {/netabare} は、ハマモトさんにとっては大切な秘密の研究対象ですが、お姉さんにとっては、ねえ。

ハマモトさんは、特に、スズキくんがとった行動にはムキになるのですが、彼女にも、父親譲りの科学的矜持があり、小学4年生として、"男" の同級生や "男" の大人の振る舞いに対して、"女性プチ研究者魂" をぶつけたのですね。
ハマモトさんのストレートなプライド。大事なんだけれど、お父さんの"娘大事" の気持ちもわかるしなあ・・。困ったなあ。

ハマモトさんは、チェスでアオヤマくんに負けてしまうのですが、それが彼を受け入れるきっかけになったことは言うまでもありません。利発な彼女は知力でこそ人物で評価し、自分以上の能力のある男の子こそ、尊敬するお父さんのように自分をさらけ出すことができるのでしょう。うん、真っ直ぐだ。

★★★★
"秘密の研究" 。ステキな響きです。
お祭りで可愛らしい浴衣を着てくるハマモトさん。
小学4年生ならではの、小さな科学者同士の、淡い恋にも似た不思議なシンクロニシティ。
まさに青春ファンタジー真っただ中ともいえる大切でかけがえのない夏時間の共有なんですね。
{/netabare}

●お姉さんの謎

{netabare}
面白いのは、お姉さんはアオヤマくんのことを"少年" と連呼するのです。一瞬、"アオヤマくん" とも呼ぶのですが・・・。それは観てのお楽しみです。

大人の女性からしてみれば、小学4年生の男の子って可愛い盛りでしょう。特にアオヤマくんは、"全能感溢れるプチ科学者" ですから、モラルハザードなど起こりっこないスマートな "少年" なのですね。

これ、アオヤマくんを "からかっている" みたいなんですよ。お姉さんが。

で、観客(特に男性)を "おちょくっている" みたいなんです。お姉さんの後ろで森見氏が。

あ~可笑しい。この可笑しみこそが、お姉さんからの謎かけですね。
蒼井優さん、とってもいい仕事しています。
うふふ。観てのお楽しみですよ。お楽しみ!
{/netabare}

●ペンギン・ハイウェイ

{netabare}

人の辿るべき道です。

"青年は荒野を目指す" みたいな。人類は困難を乗り越えて未来を目指す、みたいな。

★★
家族の元へ辿る道です。

"子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの" です。
実は続きがあり、「来た道 行く道 二人旅 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道」と続きます。(永六輔氏。「無名人 名語録」より)

★★★
人類の "生と性" の "過去と未来をつなぐ道" です。

地球に生きるすべての生物が、一本の進化の道でつながっています。アオヤマくん自身がノートに {netabare} "DNA" {/netabare} と記入しています。深いです。ぜひ、お感じになってください。

全能感とは、環境・様相・事象を素直に受け止め、そこに関わることで未来をいくらかでも変革しようとする確信と揺るぎない姿勢を持つこと・・だとすれば。
アオヤマくんが俯瞰できる世界は、地球で起こるあらゆる現象を解き明かしたいし、理解したい。そうして自分に何ができるのかを見つけ出したいのです。

彼がそう思うように、温暖化によって生息域が狭められているペンギンらを、ただ"カワイイ" とだけでとらえてほしくないな、と私は感じました。

『近年の生息域の温暖化により、餌のオキアミの繁殖域となる海上の氷の激減、洪水による巣の浸水などで、生息数が減っている種もある。ゴミの投棄や船の事故による石油流出など、様々な海洋汚染がペンギンの脅威となっている。』そうですから。
それに、ペンギンの和名は「人鳥(じんちょう)」なんですって。


本作を観るにつけ、人類だけが、地球生命に責任の持てる存在であり、この夏の猛暑・酷暑に対して、改善策を打たなければ、ペンギンも、女性も、男性も、子どもも、生命全体が危機を迎えることになるという"重いメッセージ" が秘めおかれているような印象を私は持ちました。

終幕で、お姉さんがアオヤマくんに、{netabare}「私、人類じゃない・・。」{/netabare} と語りかけるのですが、私には "母なる地球" から観客の皆さんへの "切実なメッセージ" のように聞こえました。
"未来" を担うミライの子どもたちに、お姉さんは託したのかもしれません。
これが、本作の二つ目のテーマなような気がいたします。

彼らを育てるお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさん、おじさん。すべての大人の皆さんに観ていただきたい。そう思いました。
{/netabare}

●おまけの言霊

{netabare}
★アオヤマくん。

"青"は、若々しさ。少年少女。前進。つややかさ。海の色、空の色でもあります。とっても広く、深く、大きいですね。

"蒼(あお)" は、木々が鬱蒼と茂るさま、繁茂する勢いの良さです。
森があるところは、自然も、人も、街も、とても豊かですね。
日本の森林率は67%です(林野庁。平成24年度)これは世界と比べると断トツで、フィンランドの74%に次ぐものです(平成17年度)。
ブラジルは57%なんです(平成17年度)。

"碧(あお・あおみどり)" は、石英(水晶・玻璃≒日本の古名)を表わし、勾玉などに加工される宝玉。日本の国石。翡翠(ヒスイ)。
日本古来の精神的な気高さを表わしていますね。

"山≒森" は、盛、守、壮、洩、母里(出雲地方の地方名)に通じ、情緒の豊潤さ、生産性の高さ、特にきれいな水を湧き出し、命をつなぐために必要不可欠なもの。根源であり源流という意味合いですね。海や川に生きる漁師さんは山をとても大事にしますね。


★★ハマモトさん。

"浜" は、水際であり、海の生物が陸地に上がる場所。
大潮の時はたくさんの生き物が産卵をし、砂浜からはウミガメの赤ちゃんが這い出して海に戻ります。

絶え間なく響くその音は、さざ波。「漣」と書きます。「細波・小波」とも書きますから、転じて "子ども" でしょう。その響きの良さから、子どもの名前にも使われることもありますね。
「永遠に続く小さな営み≒努力と成長」、「海と陸地との接点≒融和と影響」、「リズミカル≒普遍性と穏やかさ」という意味合いがあります。
「涙が流れる」という意味から「純粋と浄化」という意味合いもありますね。

★★★
まだ、謎解きはいっぱいあります。
が、それもご覧になってのお楽しみで~す。
{/netabare}

追記です。
{netabare}
原作を読み終えました。本作の魅力をもう少し深読みしたくての文字の旅です。
それは、私が私自身の記憶と、感受性を探す取り組みでもありました。

旅してよかった。心からそう思います。
たわしさんのレビューにも触発されましたが、40年前に読んだレムの読了後に感じたままでした。もちろん森見氏とレムの作風には相似性と相違点はあります。それぞれに味わい深いですが、本作のほうが日本人には分かりやすいように感じます。

私がレムを読んだ時代と、本作の時代背景は随分と違うものですが、それでも、「もっと人間を、もっと世界を、もっと地球を知ってほしい。命が生まれた尊い意味を感じてほしい。」そんな哲学めいた普遍的なメッセージを、子どもにも大人にも贈ろうとした、森見氏をはじめとする作品に関わられたすべての方々の優しいまなざしを感じました。

書籍版の終わりの14ページと、解説をなさった萩尾氏の終わりの6行に、深く沁み込むものがありました。

やはり、SF大賞を受賞なさった作品。嬉しく思いました。
{/netabare}

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作が、皆に愛されますように。

投稿 : 2018/08/24
閲覧 : 373
サンキュー:

29

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