「海獣の子供(アニメ映画)」

総合得点
71.0
感想・評価
128
棚に入れた
528
ランキング
1394
★★★★☆ 3.7 (128)
物語
3.5
作画
4.3
声優
3.5
音楽
4.0
キャラ
3.5

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

バリアクラッシュ

ある手話団体が使っているコトバに、バリアクラッシュというのがあります。

バリアフリーに近い造語で、"人の心理に潜む障壁を積極的に取り除いていこう" という意味合いです。
また、バリアフリーを積極的に実現させていこうとする意志だけではなくて "行動" 自体も含んでいます。
(ネットにも情報があります。よろしければご覧になってみてください。)

バリアとは、一般的には、社会的障壁とも言い、高齢の方、身体障がいの方の生活行動を阻むものです。
ちなみに、バリアフリーとは、「結果としてバリアがすでに取り除かれた "状態"」という意味と「これからバリアを取り除いていく "方法"」という二つの意味があります。
"状態" は段差を解消すること、"方法" は政策のことといえば、理解がいくらか進むでしょうか。

ユニバーサルデザインというコトバもありますが、こちらの概念は、赤ちゃんや外国の方など、人類全体への合理的配慮を含んだコトバです。
障壁を取り除くのではなく、最初から無くしておくというものです。

今般、認知症の方や、知的・精神障害の方の支援の必要性がクローズアップされていますが、施策が一向に追い付いておらず、置いてけぼりになっています。
なぜなら、当事者であるご本人が重い病気を抱え、外出もままならないことや、発言力が弱いということもあります。
一番身近なご家族にも負担が重くのしかかっており、地域からの支援が受けにくいということもあります。
なによりも社会全体が、"見える化の作業" を怠ってきたからでしょう。

最も大きなバリアになっているのは、教育の不足からくる無知と、無知から生ずる偏見、偏見から生じる差別的意識です。
多感な思春期のさなかに、記憶を主とする学校において、情操教育や人権感覚を磨くカリキュラムはほとんどないと言ってよいでしょう。
ですから、数十年にわたってできあがった私たちの社会が、結果的に差別的な意識や弱者への救済を施策や機構として具体化することは難しいのです。
単純なことです。
身についていないからです。
分からないままで大人になっているからです。


意識というのは、人間だけが持つストレングス=強味です。
みなが幸せになりたいと願うのも、平和に暮らしたいと思うのも、誰にも等しくあり、ささやかでも自分らしくありたいと思う場所と時間が必要です。
点だけではなく、線として、面として。
深い海の底にも。

地球を宇宙から俯瞰すると、国境を見ることはありません。
そこには人類の都合や主張は、微塵に感じられません。
海の世界にも同じことが言えますし、海が接している広い空も、空が接している深遠の宇宙も、"等しく同じ" だと私は感じます。

悲しいことに、人が生きていくうえで、その等しさに気づくことは少なく、また、無意味に思えることが多々あります。
意識が概念を形成し、コトバを作り、社会を支えます。
ところが、その社会が、人の心を圧迫し、束縛します。
それは、ときに生存することを自分に否定し、あろうことか他者にも求めます。
本当に悲しいことです。


近頃では、自己承認欲求とか愛着障害とかのコトバが注目されていますが、それは人間らしさが失われつつある世相と、愛し愛されるという根源的な営みが疎外されている実相から生み出されているようにも感じます。
ですから、自分自身を思索したり、自分自身で行動したりするには、そこに触れることも良いきっかけになるのかもしれません。

それらのコトバのもつパワーの裏側や背景には、社会という空気のような存在がありますが、それを空気と言っている限りでは、実態を認識することも、理解することもかないません。
裏返せば、前述のコトバには、本質を取り返そう、根源を取り戻そうとする反動としての作用も含まれているように思えます。


本作にも "見つけてほしいから光るんだよ" というコトバがありました。
星も、人魂も、海の生き物も、そして琉花も、すべてはビックバンが生み出した子どもたちです。
ということは、ビッグバンそれ自体を生み出した母なる存在=父なる宇宙意識にとっても、「この子らを世の光に」とされるような社会が作られていってほしいと願うことでしょう。


世界三大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)は経典や聖書など、コトバで奇跡を伝えようとしますが、その実相を正確無比に伝えることなど到底できません。
コトバが文字になるということは、書き手の意識、語彙数、表現能力のほかに、政治的な内外圧も加われば、容易に都合よく "物語" になってしまいます。
また、読み手によっても、解釈論に陥り、やがては分裂し、正統異端と言い争って、宗派争いや宗教戦争が引き起こされるのは歴史が証明しています。


日本の神道もコトバとしての祝詞を用いますが、多くは祀り(=祭り、奉り≒間釣り)のなかにウケヒ(=祈り≒心的交流)を行います。
目には見えない "幽のウケヒ" を、人間の "顕の世界" に降ろせば、それはお作法に姿を整えられ、その振る舞いのなかには宇宙と向き合う手だてが内在しています。

例えば、茶道、華道、書道などは、宇宙から "文化的、芸術的な要素" を取り出しています。
柔道、剣道、空手道などは、宇宙から "ダイナミックな錬成の要素" を切り出しています。
それらの道には、生成化育・進歩向上発展という、身の内、心の内に継承されている "宇宙の根源に通じる調和" が内在しています。
その調和を "海の祝祭" として描いているように感じました。


神道では、八百万(やおよろず)の神々と申し上げますが、ようやく生物の多様性というコトバも周知されるようになってきました。
本作にもそれを見ることができます。
存在の、視点の、つなぎあい方の多様性とでも言えるでしょうか。

隕石は、そういったメッセージを伝える宇宙からの使者のような気がしました。
メッセージは、空から流花に口移しで継承され、最後には海の口に返します。
これは、"宇宙から人へ、人から海へ、語らずの意志" を共有したということでしょうか。

返す?

少なくとも、人間は海から離れて生きることはできません。
水から生み出される恩恵を忘れては、干からびてしまいます。
健全な肉体も、崇高な精神も、海からいただいたものです。
すべては海から生まれ、海は地球が数十億年をかけて創り出し、宇宙はビッグバンが140億年余りにわたって築き上げてきたものです。


この夏、琉花は、一つそれを感じて、そして一つ実践しました。

坂道を転がり落ちてきたボール。
受け止めれば、そこに琉花の意識と意志が宿ります。
彼女の視点に変化が生じたのを後押しするように、カメラのアングルも大きく変わりました。

琉花の視線が、喧嘩別れしたチームメイトの姿をとらえたとき、彼女はステキな笑顔で、ボールを返します。


人はどんなふうでも、人を(自分も他人も)愛せる力が発揮できるはずです。
だって、それが、ビッグバンから受け継いだ "最高のストレングス" なのですから。

そろそろ、人間の意識をバリアクラッシュして、あらゆる生命の声に耳を傾け、愛のお返しをしていく時期にきているのかもしれませんね。



長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作が、皆さまに愛されますように。

投稿 : 2020/01/13
閲覧 : 276
サンキュー:

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