「崖の上のポニョ(アニメ映画)」

総合得点
64.8
感想・評価
648
棚に入れた
3077
ランキング
3529
★★★★☆ 3.5 (648)
物語
3.3
作画
3.9
声優
3.3
音楽
3.6
キャラ
3.5

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ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

崖の上のポニョ レビュー

年齢を重ねるごとに、子供のような純粋な目で見ることができなくなってしまいますね。

最初に衝撃的だったなーと思うところは、ポニョによる大津波以前は人間と魚の世界が切り離されていたのに対し、大津波によって2つの世界が混じり合い、新たな世界が生まれた日がとても魅力的でした。
それは、澄んだ海で、デボン紀の魚たちが泳ぎ回り、人間の使っていた道路、標識、家などが水の世界に沈んでいるところで、決して絶望的な映像に見えず、生命力に溢れた世界に見えるのが、普通に見れてしまう理由なのかなと感じました。
人間が踏み慣らした大地、舗装されたアスファルトも海に沈みながら、船を使って移動する人々、そこには決して人間への絶望ではなく、人間のたくましさのようなものを感じます。

さて、次は物語を進める力である、宗介に対するポニョの好意に関して。
まず、ポニョにとって、そうすけは瓶の中に閉じ込められているところで命を救ってくれた恩人であるわけですが、彼女の言う「ポニョ、そうすけ、好き!」というセリフの印象深さには、恩人であるという理由だけにはみえません。
ラストのオチをふくめても、男と女の関係を見ているのは間違いないのですが、年齢相応というか、保育園児の子供同士の微笑ましい恋愛なんですよね。
恋愛感情を抱く結果になった経緯について、そういったイベントがあったかと思い返してみると、あまりない。吊り橋効果で、バケツに入れられて不安だったところを、やさしく接してくれて、人間の世界を見せてくれた宗介に好意を抱いたという、視聴者側の補完で補ったのでしょうか?
これについては、5歳児にはそれ相応の考え方や世界があって、ポニョが宗介を好きになった理由をミステリー作品のように謎を解くような見方は、自分の論理性や世界に当てはめた見方で傲慢な気がします。

次に、主人公たち子供の傍にずいる、親という存在について。

ポニョの父(フジモト)は世界を作り変える仕事をしている。
ポニョの母(グランマンマーレ)は、父に対して家におらず(これが宗助の家と対照的な構造である)家の外で何をしているか?については触れられていない。

ポニョの父の年齢はどれくらいかはわからないが(潜水艦を作ったり魔法力を持っていたりと、その辺から推測はできるかもしれない)、母の年齢はデボン紀の海を知っていることから、相当な年齢であることが伺えます。親の呪縛という点で、箱入り娘のように育てられたポニョが外の世界をみたいという気持ちを作り上げた、家へ縛った罪があるのだと思います。

一方で、宗介の親は、父は船乗り、母はホスピスの仕事についています。興味深いのは、宗介に親を名前で呼ばせている事。
普通の家庭とは明らかに違うソレは、視聴者の頭に強く印象に残る。
なぜ名前で呼ばせているのでしょう?夫婦がお互いを名前で呼ぶのはわかります。子供が親を「母」に当たる言葉で言わないのは、その夫婦の教育方針や家庭方針が極めて強く作用しているように見えます。なぜなら、宗介の親も、親の親たちが、「父」「母」を呼ぶ文化の中にあったことは想像に難くない(でなければ、この作品は異世界にでも分類されるでしょう)ため、そういった呼び方の文化を断つ方針があの夫婦のどこかにあったと、私は想像しましたね。
その方針が何を意味するのかという部分に入っていくと、やはり、父や母といった物に、最初から縛られないような子にしようという意味だと私は見えました。親の呪縛という物が、どんなに子供に作用しているか、それは作品と現実の社会の接続に当たるものであり、社会にどんなことを伝えたかったのか、見えてくるのではないでしょうか。

また、耕一が船を降りずに約束の日に帰ってこなかった日に、宗介が怒っているリサを慰めるシーンに、子供のやさしさというのを感じます。
しかし、大の大人で親であるリサが荒っぽく台所で大きな音を立てて怒っている姿に、宗介が何も思わなかったとは思いたくありません。私ならトラウマでしょうね。ああいう状況が何度もあったら、リサを悲しませる耕一の方に嫌悪感がたまっていく宗介、という描写があってもおかしくないと思いました。それでも、リサを慰め、耕一を好きな宗介の心の強さは、純粋さゆえの強さなのか、ミステリアスな子供の強さを感じました。(不完全な親を描くというのは、親になった個人の心の許しなのでしょうか。世の中完全な親はいませんが、親にとっての子のやさしさは、どんなに許された気持ちになるのでしょう)

さて、これは私が個人的に注目した点ですが、なぜおばあさん達の中に性格の差があったのか。
他のおばあさんが、ポニョを金魚という中、トキというおばあさんはポニョをみて人面魚と言い、人面魚によって津波が来ることを恐れた。そんなおばあさんもいるよねという、身もふたもない考え方も私は持っていますが、トキさんにある感情は海への恐れなのだと思います。つまり海が人に死をもたらす存在、または死の世界としての恐れがある。
あのひまわりの家はホスピスであり、おばあさん達は、死と向き合っています。ボーっとしているおばあさんは、あらがう力がないように見えました。津波に恐れたトキさんは非常にみっともないようにも見えるが、理性が失いかけた中での生への執着を見たような気がしました。だから、ボーっとしているおばあさん達よりも、生に溢れているように見えます。だからこそ、トキさんは、海から来たフジモト夫妻を信用せず(まあ素直じゃなくてひねくれてもいるんですが)、生きるための行為で宗介を助けたのだと感じます。



この作品は子供向けであり、子供がどうあってほしい、こうあってほしいという作り手のメッセージを受け取るという意識が、視聴中の思考の半分を占めていました。
例えば、宗介がポニョを拾うシーン。宗介は崖の道を降りていき、水や海、魚に恐れることなくバケツでポニョを拾うのです。恐れ知らずな子供という点で、そういう子供になるのが理想なのか、という気持ちになりますが、海に入りすぎた宗介を陸に連れ戻すリサを見ると、そこまでいったら危険だという、線引きと子供への親の行為は非常に難しいと感じます。

また、ひまわりの家で、おばあさん達にわけ隔てなく、人見知りせずに話をできる宗介の凄さに、大人は見入るのだと思います。子供ならではの他者との線引きの弱さもありますが、子供の時に宗介のように血のつながらない人との会話をできるというのは、全ての子供ができるわけではないでしょう。そういう意味で、宗介の特殊性は、何かしらの、こうあってほしいというメッセージなのかもしれないと思ってしまうわけです。

子供向け作品という事であっても、やはり映像としての素晴らしさが、子供の心に響くのだと思います。物語に感動するのは大人であり、子供の心を動かすのはやはり冒険譚で、湧き上がるアニメーションへの感動だと思います。
デボン紀の様々な生物を活き活きと描いたり、クラゲの上にのって海上に浮上するポニョという海の世界を魅力的に描いたシーン、リサの運転と迫りくる津波のデットヒート。そのどれもが、本物よりも活き活きとそして大胆に動いている事が、やはりジブリ作品のすばらしさだと感じました。

大人達には大人たちの見方がありますが、子供たちがなぜ楽しんだか、わからない部分もあるでしょうが、大人なりにわかってあげられればと、この作品と向き合って感じましたね。
恐らく、2008年に公開された当時では、子供と大人の線引きがもっと曖昧な人間だったので、作品中の子供も大人も私には理解できなかったのでしょうが、少しは人の気持ちを分かって、子供たちに何を見せ、何を残すべきかなど、少しは作品を通して大人っぽいことを考えられるようになっただろうかと、反省をさせていただきました。

投稿 : 2019/08/24
閲覧 : 388
サンキュー:

24

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