「女子高生の無駄づかい(TVアニメ動画)」

総合得点
85.3
感想・評価
831
棚に入れた
3314
ランキング
243
★★★★☆ 3.9 (831)
物語
3.8
作画
3.7
声優
4.0
音楽
3.7
キャラ
4.1

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ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

女子高生の無駄づかい レビュー

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introduction(公式サイトより引用)
浪費する、青春――。
WEBコミック誌「コミックNewtype」で大人気連載中の
学園ガールズコメディが待望のTVアニメ化決定!

ちょっと残念な女子が集う、さいのたま女子高校を舞台に、
とてつもないバカ・田中(通称:バカ)、
アニメや漫画を愛するオタク女子・菊池(通称:ヲタ)、
いつも無表情でロボットのような少女・鷺宮(通称:ロボ)を中心に、
個性豊かで魅力的な仲間たちが、女子高生というキラめきに溢れた青春を
無駄に浪費していく抱腹絶倒のJK学園コメディが今、幕を開ける!
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まず言わなきゃいけないのは、これがコメディとして面白いことです。
ほとんどが「伝わる」ネタで構成されており、別作品のオマージュによる「わかる」ネタではないように思えます。
テンションの上下であったり、勘違いネタ、痛いキャラに突っ込みを入れるネタなど、日本の漫才的な要素が含まれているように思えます。

なぜコメディとして面白い、密度が高いという感情を理由付けしたいのではありますが、作品中におけるネタのボケとツッコミの関係の成立を一つ一つを説明するのは手間です。
そこで着目したのは、「伝わる」ネタと「わかる」ネタの違いについてによって、ボケとツッコミの関係を考えてみます。

例として、ポプテピピックのような、わかるネタによって構成されている作品は、ボケが作品であり、ツッコミが視聴者です。つまり、ボケに対して視聴者はボケを「わから」なければいけません。(作品によるボケは、登場人物だけでなく、場面によってもボケを作っています)
分からないネタが入ることによって、時間的に笑いの密度は下がっていきます。(ポプテピは、そこを補完する声優交代方式など、万人に面白さを伝わらせる仕組みを作ってはいましたが)

一方で、「伝わる」ネタは、別作品を見ていなくても面白いネタです。伝わるネタの仕組みは、作品中にボケとツッコミの人物が存在します。作品中では、一般的なことからかけ離れた事をいうボケに対し、ツッコミが秀逸な「返し」で落とす。これの連続がすべてわかることによって、笑いの密度が高く感じるのだと思います。そして、このボケが滑っていないこと、ボケがわかりやすいという要素によってこの作品の笑いの連続、密度の高さが維持されているのでしょう。

(蛇足ですが、この作品の、電車内での他愛のないバカ会話という、場所に関係ないネタ、ポプテピのように場面まで作ってオマージュでボケる作品によるネタ、この違いも、作品構造において重要な物があると思いますが、今は回答を保留しておきます。)



さて、本題として話したかったのは、「無駄遣い」部分について。
タイトルに縛られる方式は好きではありませんが、確かに時間の無駄遣いだと、内容からタイトルの意味へフィードバックされた感があるので、少しまとめます。
まず、作品の内容、物語としては、登場人物たちが、女子高生の横の繋がり(edにおける人物が横に流れる演出から想起される)を描く、友達としての会話の中でとりとめのない日常(密度の高いコメディ)が進行します。

ここにおいて、とりとめのない日常など、過去の作品を見れば、いくらでもあるじゃないかと言えばそうなのですが、私がこの作品で評価したいのは、登場人物それぞれが、女子高生の世界と別の世界を持っている事を描くことに成功している事だと思います。

例えば、オタに関して言えば、腐女子世界やボカロ世界といった世界を持っています。ロボに関して言えば科学全般の世界です。ロリは家族の世界等々、色々な世界があります。なぜ趣味と言わないのか、と言えば、ロリを参考にすれば、おばあさんとの生活は、趣味ではないからです。バカは、普通の人には思いつかないバカの考え方によるバカの世界(世界の見え方が、バカは考え方によって変わっていること)があります。

そして、そのジャンルに関連してメインの物語が進行する、というわけではなく、あくまで作品の主軸は女子高生の世界にあり、登場人物達はその世界に入りこもうとはしないのです。(教養小説のように一つの分野に主人公が入り込んでいき、人間的に成長するという事が今作品にはないのです。)

ボケとツッコミの話に戻れば、ツッコミが女子高生世界の住人であり、ボケは別世界が行っています。
簡単にロリのストーリーからそれを考えていきます。ロリはおばあちゃんとの世界の住人であり、その世界で育成されたロリの閉鎖的な一面、つまり普通の女子高生より擦れておらず、化粧の仕方もわからず、下着の知識も乏しい。そういった、別世界によって作られたキャラクター性を、女子高生世界の住人達が、驚きというツッコミによってコメディとし、物語を進行させています。

また、ボケとボケによるボケの重ねにツッコミという少しレベルが上がったネタがあり、女子高生世界に別世界の住人二人と、女子高生世界のツッコミ一人というトリオ構成が、この作品では多いのです(opの三人でジャンプのシーンから想起される)。

こういった、登場人物一人ひとりの世界を作りつつ、女子高生の世界の中に複数の世界を収めてコメディな日常を進行させるという、作品を全体で見たときの面白さがあると感じました。(これは、「けいおん!」に代表される女子高生が特定の趣味に没頭する作品と、構造が違うところが、私の興味を引いた理由なのだと思います。)

コメディの話にそれましたが、話を戻すと、それぞれの登場人物が、それぞれ別の世界を縦軸に持ち、高校というコミュニティの中で世界が横軸に会話の回数や時間によって接続しあっているのにも関わらず、なにか物質的なあるいは芸術的な創造が全くなされることがない、相関関係がないことから、確かに無駄遣いというタイトルは適当であると。

しかし、彼らのZ軸、関係軸というのが適当かはしりませんが、視聴者が視点を変えることによって見えてくる、横軸とZ軸のとの相関関係を感じることもできるのではないでしょうか。それは、物質的または芸術的な、五感によって感じるものではなく、人間のかかわりあいの中に感じる関係性の深さ、友情と呼ばれる物を、各話によって描かれる繋がりの回数や出来事によって得ることができるのかもしれません。

ただそれぞれの縦軸と横軸に相関関係がないことから、あの日常の中で一つの世界を深めるようなことによる、社会的文化的価値の創出が描かれていないのですが、Z軸を価値のあるものをして、もしくは「尊さ」と言われる友情の判断基準を使うと、この作品の人物達のコミュニケーションの価値が、作品の価値の一つとして提示できるのではないでしょうか。この価値基準は、特定の趣味に没頭する女子高生たちが深める友情の尊さという物と同じ軸にあるとは思いますが、友情の深め方の違い、過程の違いがあるという事、とりとめのない日常に存在する友情という物が、果たして一つの事に没頭して生まれた友情(文化的な縦軸とも関係性が生まれた物)と優劣をつけていいものか、そんな疑問を問いかけてくる作品だと思います。

投稿 : 2019/09/07
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