「PSYCHO-PASS サイコパス(TVアニメ動画)」

総合得点
90.2
感想・評価
5576
棚に入れた
26360
ランキング
61
★★★★★ 4.1 (5576)
物語
4.3
作画
4.0
声優
4.1
音楽
4.1
キャラ
4.1

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ネタバレ

ドリア戦記 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

見えるものと見えないもの

2019/10/18追記
感想の続きです。
前回は違和感をいい加減に羅列しただけだったので続きを。
今回はすごいなあと思った点です。
なんか真面目にやることがしんどくなってもう早く済ませたいw
いい加減な人間が真面目にレビューなんかするもんじゃないw

その前に私が一風変わった感想を持つに至った前提を。

IT系の仕事なのですが10年近く前に勉強のために2年ほど学際的な分野にいたことがあります。
元々はマネージメントとかサービスとかありがち平凡な経営系なのですが、
スパコンとかAIを専門の仕事としている人と交わっていた時期があります。
最近、美空ひばりをAIで蘇らせるという企画をNHKがやっていたのですが
あれに近いことが周りで行われていました。
まあ私の専門ではないので密接には関わっていませんでしたが。


NHKでもここ数年特集をやっていましたが、人間をAIで再現するにあたって
今まであいまいだった人間の仕組みに改めて焦点が当たってきています。

例えばAIで人間の会話を再現しようとすると、概念という壁にまずぶつかる
ソシュールの言語論で説明されているアレです。
これはAIの学習機能を用いて現在解決しつつあります。

またスムーズな会話を実現するために、人間の感情とは何かという問題にもぶち当たる
言葉選びの感性にもぶつかる。
ここはまだ解明が追い付いていませんが、もしかしたらAIで解明されるかもしれません。

音楽や味覚を料理等、
感性や感覚が交じり合ったモノが人間から生まれる仕組みもAIで徐々に再現できています。

AIを搭載した人間の手の形に模したロボットを動かそうとすると
身体的な感覚というのが如何に人間の知性に密接に関わっているかということがわかってくる

わかりやすく言うと、子供が両親と手を繋いだ時の手の感触、温かさ、
作って出された料理を食べた時の味覚、嗅覚、
これらを経験してほっとしたり、安らぐ感情、
大人になればsexの問題が絡み、そこから抽象的な愛ということを考え始める
どれも複合的でどう関係しているのかわからない。
でも少なくとも、そういった「愛された」経験が過去にないと
愛という抽象的な概念にも辿り着きづらいであろうことはなんとなく予想できる。

どれも機能レベルではモデルの構築と実験で解明しつつある。
でもそれらが1人の人間の中でどのように統合されて複雑に影響し合って動いているのか
機能の仕組みが1個1個分かったからと言って
それらの統合体である「人間」が分かったとは限らない
なんだか闇の中でよくわからん←New!
なのが今の現状なのだと思います。

この辺の現象の説明を昔ながらの一元論、二元論じゃねぇだろ、
そんなレベルで解決するわけない、未知の領域に突入する必要があるということを
ある哲学者が言っていて面白いなあと思ったことがあります。


作家が作る物語が面白いなあと思うのは
そういう分かっていない部分の限界を飛躍することが許される点です。
根拠がなくても、「だって物語だから」で許される。
それが面白さと所詮作り事という一点で切って捨てられるデメリットにあります。
文学はやはり知的な「お遊戯」の範囲にとどまりますから。


虚淵さんが作ったこのお話の面白さはAIがまだあまり世に知られていない時期から
AIの進化と発展を念頭に「人間ってなんだ!」「社会ってなんだ!」ということを暗に模索している点です。

それぞれ立場の異なる人間を配置し、どのように「社会」と関わるか描こうとしています。
例えば、常守朱は「社会」を守る側の人間。
彼女は子供の頃に祖父母に可愛がられたとあります。
幼少期に周囲の人間と深い信頼関係を築くことができた人間の設定です。
彼女のサイコパス度の安定は、この幼少期の体験から来ているのでしょう。
幼児期に周囲の人間と深い信頼関係を築くことに成功した
彼女の社会への信頼、周囲の人間の信頼はこの経験がベースとなっている設定かもしれません。
地味でありながら自分に与えられた使命を懸命に果たしながら
社会を下から支える人はこういう人なのでしょうね。
キリスト教圏ではこういう人を「地の塩」と呼びます。
昔、上司が言っていた記憶があります。


一方、狡噛慎也は現実的な知性を持つ人間。
シビュラシステムの問題に気がついてはいるが、社会を根底から覆そうとしていない。
彼は知性の高い人間ですが、何より警察組織の人間、仲間と信頼関係で結ばれている。
感情表現にはとぼしけれど誰かと協力して物事を成すことができる人間です。
これが同じ知性の高さがあっても狡噛慎也と槙島の違う点です。


槙島は誰かと協力して物事を成すことができない。誰も道具程度にしか扱えない。
感情や感覚がどこかで欠落した人間で
通常の人間と生物レベルで何らかの差異がある人間であることが暗に示唆されています。
槙島のキャラ設定は5話のルソー引用の裏返しでしょう。

ただこの作品の面白い点は、明らかに通常の人間から外れた
社会を営めない体質の疎外されたサイコキラーである槙島が
人間とは何か?人間の自由意志とは?をあらためて登場人物たちに突きつける点です。
単純ではない作りになっています。
槙島は物語上は「正義」の側ではないのは明白ですが、
彼の主張が間違っているわけでもない。
見ている側は、迷うわけです。

視聴者側の極端な感情移入を避けて客観的な立場で物語の進行を見守らせる。
感情的な流れに任せるのではなく、見ている人間に色々と考えさせる
いわゆる異化効果なのですが
実はこれはシェークスピアが劇作で良く使った手法です。
『マクベス』『ハムレット』『ベニスの商人』もこうした手法を使っています。
まあ、虚淵さんはよう研究しているなあという感想です。

AIという未知の領域を扱い、この技術がこれからの社会の発展にどのように関わるのか
想像力を駆使して様々な問題点を指摘する。

それを高いレベルの劇作で物語として落とし込む

なかなか高度なことをたくさんしているお話だと思います。





2019/10/17追記

やっと1期完走です。ですので感想文を更新します。


うーん、まず気になった点から書きましょうか。
その後でスゴイなと思った点を書きます。


【衒学的というよりサブカル的ごった煮B級的魅力なのでは?】
えらいいろんなところから引用があったなあという。
思いつくまま上げても凄い量です。
プラトン、オルテガ、スウィフト、ルソー、フーコー、マックス・ウェーバー、
シェークスピア、ニーチェ、オーウェル、コンラッド、寺山修司、
キルケゴール、デカルト、ディック、パスカルetc…。
厨二だなあという感想。悪い意味ではないです。
私が10~20代なら面白いと思ったはずです。その頃は厨二的な要素がありましたから。


ただ微妙だなあと思ったのは、引用した箇所は確かに
この作品の思想的な根幹を成す部分を示唆しており重要なのですが
どうしてもセリフとキャラクターが一致しない部分が出ている点です。
哲学的な問題意識とか設定としては、才覚のある構成だけど
お話・物語のお作法としてどうなの?という疑問ですね。


例えばDSM(アメリカ精神医学会)が
反社会的パーソナリティ(いわゆるサイコパス)として分類するであろう
泉宮寺豊久がプラトンを引用するシーン。
「肉体は魂の牢獄」というのは義体化した人間のセリフとしてはアリがちですが、
泉宮寺豊久はプラトンを読むような人間には見えないんですよ。
「このオッサンせいぜいホッブスがいいところやろ?」という感想を抱いてしまう。
違和感が残ってしまって物語への没入感が削がれてしまう。
プラトンというブランドネームが厨二的に欲しくて入れたのではと思います。


征陸智己のルソー引用も気になります。
5話のこの場面での「人間(ホモ・サピエンス)は協力して狩りをしてきた。
協力して物事を成すことで大きな成果を得ることができる。」
この引用は作品の根幹を成す部分です。
外部環境に非力な人間(ホモ・サピエンス)は社会を営むことで発展してきた。
故に言語で媒介する抽象的知性だけでなく
人間同士のコミュニケーションを潤滑にするであろう
「原始的な知性」つまり感情や身体性的知性も同時に発達してきたと言えます。
常守朱や狡噛慎也はそうした部分を多分に持ったいわば人間らしい人間です。
でも征陸智己のキャラとルソー的な啓蒙思想はこの作品ではリンクしないんです。
進行上必要があるから言わせただけで、キャラクターとセリフがリンクしない。

もう1つ、槙島がオルテガからの引用を是とするのも違和感があります。
狡噛慎也が言うなら分かるのですけど。
オルテガは保守の人が好んで読むので過激な書に思われていますがいわゆる「常識人」です。
まともすぎて動乱時代のスペインでは
衆愚から全体主義への危機を予期できてもカウンターとしての効力を持てなかった。
永遠の微調整とか異なる意見の者を排除せずに含むというある種の健全さ
穏健な保守思想というのは地政学的に恵まれた地域で醸成されるもので
近隣同士でギスギスやり合う地域や動乱の時代では育ちにくい欠点があります。
社会や公共に対する信頼感が前提の人の話を
アナーキストである槙島が批判を交えずに引用するのに違和感が残ります。
まあ、人間いつかは惰性から堕落するもので、変化があって当然、
一生完全なままの人間などいねぇだろという考えの私と
相容れない部分はありますが。
エリート幻想ってある種の「思いあがりたい人」に
流行る病だよねえという辛辣な見方の私には賛同しがたい部分があります。
自惚れ甚だしく社会に対して害しかなさなくなった
「逝ってしまった」自己研鑽を忘れた元エリートを
代替するコストは民主制の方が安いだろと思っています。
そういやマルクス・アウレリウス・アントニヌスは
めっちゃしんどそうな日記毎日書いてたやん、
あれぐらい真摯にやる人じゃないと無理でしょと思うわけです。

また脱線し始めたので戻します。
物語上欠かせないキャラクターとセリフの言行一致より
ストーリーの進行上必要だからキャラに言わせたという感じが残ってしまう。
ストーリーへの没入感を削ぐのです。
なんだかこのちぐはぐ感が「衒学的」という批判を受けてしまうんだなあという感想です。


もちろん、フーコーやベンサムを引用したのだから、
そういう衒学的な手法は作品の構造的にも織り込み済みだ!という解釈も成り立つのですが
だったらラストシーンはボルヘスの廃墟や円環までやってもええんちゃう?
なんでそこで映画の『セブン』なん?なんです。ウケたらいいという姿勢が露骨過ぎ…。
『セブン』は総監督の本広さんのフジテレビチックな大衆路線かもしれませんが…。
外部引用というのは作品世界を膨らます手法として効果的という見方や
それに特化した手法も文学であります。でもそこまで徹底してやっていない。
面白そうだから文学(ラテン文学的な)の手法もごちゃまぜにしてやってみた
そんな具合が見えてしまうんですね。でもそこがサブカルB級的面白さなんですけど。

個人的にあんまり衒学的なものが好きでない、むしろ衒学的な要素を抜いて
本人の力で「哲学」「物語」しているのが好きという好みもあります。
上遠野浩平みたいなね。

あと1つこれもおそらく本広さん的感性で追加されたと思うのですが
狡噛慎也と槙島の肉弾戦シーン。
槙島のセリフや行動はあまり身体感覚と結びつかないんですけど…。
むしろ攻殻機動隊SAC2edの合田のように
抽象的思考、観念論の世界だけで生きているように見えます。
昔、合田の「かく言う私は童貞でね」というセリフで爆笑した覚えがありますが
後で良く考えると「観念論に傾倒する人間は
そもそも五感から得られる身体的感覚をあまり大事にしないよな」と
良く出来た人物設定だよな、吉田松陰みたいじゃんと思い直した経緯があります。

槙島は脳神経系統に何らかの分泌異常があって
感情、共感能力を持たない人間として設定されているのではと思うのです。
いわゆる反社会的パーソナリティの人には、生育した環境的な原因以外に
遺伝的な要素で共感力が持てない人がいることがわかっています。
生物の進化と同じくほんの偶然でそうした遺伝情報を持つ人が
ごく稀に出ることがあるのは知られていますが
槙島もそういった例外的な要素を持つ人間であり、
だからこそシビュラシステムで掬い切れなかったという見方が成り立ちます。
生物としての人間の凄みですね。

槙島はフェアプレーの肉弾戦をやるよりは
知性を悪用して刃物振りかざすようなエグいキャラにしか見えんのですわ。
フェアプレーより効率的な勝利への近道を優先するだろという。
まあ、これは勝手な思い込みなんですが、他にも指摘されている方がいて
そうだよなと思いました。



一方、引用を重ねることで
キャラの重層的な内面設定が成功しているのが王陵璃華子でしょう。
シェークスピアの『タイタス・アンドロニカス』、キルケゴールの引用は
既存の社会的規範に従うことを是としない
他人の命を軽視し自己の追い求める耽美的な快楽を
何よりも至上命題とする王陵璃華子の
社会と相容れない価値観を表現するのに向いていました。
この辺りは素直に上手いなと思いましたよ。


シェークスピアは劇作のバリエーションの豊富さだけでなく、研究が進んでいて
劇の構造解釈が優れた面白い論文がたくさん出ている。
何か創作物を作る際に参考になる論文やテキストがたくさんあるんです。勉強になるものが多い。
だから作家を目指す人が読むに向いていると思うのですが、
虚淵さんもアニメ、ラノベ中心でもやはりそこまで手を出しているのかあと思いました。
単純に作品への理解を深める為にも読むと面白いものが多いです。


無駄に長くなりました。全体像への感想はまた後日まとめます。





2019/10/05
昔見たけどすっかり忘れていたので3話まで視聴
最後まで見たいけど時間がとれるか最近は難しい状態なので一旦感想を。
ちゃんと最後まで見たいとは思っているのですが…。

SF的な技術と人間社会の関係について語りたいので、余談ばかりになるかもしれません。
完走したらあとで更新する予定です。
最近、あまりクリエーターの敬意のない
作品に関係のない事ばかり書いている嫌な「批評」を書いている自覚があるので
やりたいとは思います。

【虚淵氏について】
実は虚淵玄が苦手だったんですよね。
苦手の理由は、どうしようもないレベルの虚無感と悲観主義と暗さです。
虚淵氏の作品からは死を絶えず意識した時期があったんじゃないだろうかと
思わせるものがあります。
外から見えている闇の部分は氷山の一角だと思いますよ。この人の場合は。
それがいい加減で楽天的な私をたじろがせていた面があります。
ただこの人の場合、暗いだけでなく、暗い設定には必ず考え抜いた根拠はあるので
一笑にふせない面があるのが厄介です。
例えばオリジナルアニメ『GODZILLA』の序盤の宇宙船による棄民のシーンは
発想が日本人独特の陰惨さに満ちていますが、
確かに下手すれば将来あれと同じことが起こる可能性はあるかもしれないという予感はします。
このアニメ3話の『飼育の作法』も嫌な話でした。
しかし閉鎖社会でいじめられていた人間を一方的に被害者に描かず
悪意は社会で連鎖していくことを描いた点は人間に対する洞察力はさすがだと思います。
口清い事ばかりの偽善に堕ちないところ、誤魔化さず、
冷徹に人の本性を見つめようとする姿勢は作家らしいと思います。


【3話までの流れと常守朱について】
1話の構成は素晴らしかったです。世界観を描き、
キャラクターをキレイに配置してみせました。
諸説あると思うのですが私なりの虚淵さんが描いた常森朱のキャラクター造型を考察してみます。

自身の感情に依って行動するタイプだと思います。
人の感情を参照するのではなく、
価値観のすべてを自身の感情によって決める機能が優勢な女性の設定かなと。
カレーうどんを食べるのも自身の好みや生理に素直に従って生きるタイプだから。

しかし、一件、空気を読まないように見えますが、社会規範には忠実な現実派で、
入室の際にいわゆるリクルートスーツに着替えたり、
TPOに合わせた服装を必ず事前に検討しています。
派手でも独創的でもない。常識的な服装をしています。
独創的な恰好をしている縢秀星と逆ですね。
新入りで監視官という立場もあるでしょうが、立場に合わせた服装をしようとしています。
自身の感情+社会的な行動は世間の基準に合わせる、という2大機能が優勢で、
つまり巷によくいる女性です。一般的な女性だと思います。

この自身の感情を優先するというと何か社会不適応者のような書き方ですが
自身の感情を優先する人は極めて道徳的、倫理的な価値判断が速い傾向があります。
女性専門のスレなんかこのタイプの人であふれていますw
怖いからあまり見たくないけどw

1話で狡噛慎也を撃ったのは常森朱の判断ですが、
彼女はシビュラシステムの判断ではなく、自身の判断で被害者を助けようとした。
最終的にはそれが正しいことが証明されるのですが
実は自身の道徳観、倫理観によって判断するというのは
社会にとってかなり重要な機能を果たす人間である場合があります。

これを映画で描いていたのがオリバー・ストーンです。
例えば『プラトーン』ではゲリラに追い詰められて
村人を虐殺しようとする兵士を止めるシーンがあるのですが
戦術的合理的判断から言えば、
ゲリラ支援をしているであろう村人を殺すのは最短で成果を上げる方法でしょう。
組織的な命令が下れば、命令に従うのが「良い兵士」です。
しかしエリアス軍曹は抵抗します。
組織の命令よりも自身の道徳的判断を優先したわけです。
システムや組織が極限状態に陥った場合、
こうした自身で判断する機能を持った人間が反旗を翻すことは、
「果たしてそのシステムは正しいのか」という
疑問を投げかける重要な役割を果たします。
自身の感情によって判断するというのは人に対する好き嫌いを定めるだけでなく、
人間社会にとってその判断は倫理的、道徳的であるのかということを検討する機能でもあるので
常守朱はこの場面ではシビュラシステムに反旗を翻したわけです。

しかし、彼女にはもう1つ重要な特徴があります。
抽象的思考の世界に生きるよりは、現実の世界に適合して生きていこうとする面です。
本も読まない、読む必要がないからです。
大切なのは現実世界に適合することです。
思考機能が弱いタイプですね。
だから、世界の仕組みがどうだとか、シビュラシステムは間違っているとか
そんな無駄なことは考えない。
シビュラシステムにとってもっとも扱いやすい「従順な子羊」なのです。
現状の社会システムについて深く考えない、疑念を抱かないということで、
彼女はシビュラシステムから最高評価を貰える人材なわけです。
やや皮肉を言えば知的に考える動機もないですから。

2話で常森朱がアバターに相談していたのは職場の人間との「関係性」です。
彼女の悩みは半径数メートルの関係性に限定されるのです。
まさに自身の感情+社会規範で生きるタイプだと思いました。
ただこういうタイプは歳を取ると問題が出てくるのですけどね。
モノを深く考えないというのは、社会の歯車の一員としての効率は良いですが弊害を産みます。
底の浅い人間のまま歳を取る危険があります。
彼女がよりよく自身を見つめるには、人ではなく世界を構造から見つめることです。
半径数メートルの関係性だけの世界からもっと大きな世界を見る必要があります。
世界の仕組みとは何か、シビュラシステムに動かされるとはどのようなことなのかを
深く洞察する必要があるのですが、抽象的な思考が苦手なタイプとして描かれているので
やらないんだろうなあと思ってみていました。

ちなみにですがドラマ『グットワイフ』の日本版脚本家である
篠﨑絵里子さんはアメリカ版と変えてこのタイプの女性を主人公に据え
「中年期の危機」に陥った男女を描いていました。
世界の仕組みを作る男と世界の仕組みに興味がない女であり、
関係性つまり夫の浮気にしか興味のない女の対立軸を用いていました。
このドラマの最終で夫婦は双方考え直すのですね、自分の今までの生き方を。
お互いの世界の一端を知ることで。
このタイプの女性脚本家にとって、興味を引かれるテーマなのでしょう。
中年期の危機とは今までのやり方が通用しなくなり、
自分を見つめ直すという時期でもあると
心理学的にも規定されることがあります。


【狡噛慎也について】
一方、狡噛慎也は男性によくいるモデル像です。
さすがに虚淵さんは観察が細かいですが。

知性派なのですが、彼も常森朱と同じく社会規範を重視し
現実に適合しようとするタイプに設定されていると思います。
抽象的思考よりは目の前の現実なのです。
しかし一方で知性派でもあります。
狡噛慎也と常森朱は同じ課題を持っています。
しかし狡噛慎也の方が知性的ですから
シビュラシステムの全体像や構造性を掴むのは容易でしょう。
あとはその得た推察と自身の知性を使ってどうするかですが
如何せん現実に適合、社会規範を優先しようとする自身の性に流されています。

狡噛慎也は自身で考える知性+社会規範を重視するタイプです。
組織との適合性が高いので
軍人、警察官、職人に多いのですが、口下手で感情表現が下手な人が多い、
手先も器用で運動能力が優れている面が各所で示されます。
反動性も強く、危険を顧みない点もあります。
物事を自身で考える能力は高いので、シビュラシステムの欠点にも気が付いています。
このタイプの人は目敏いですから。
知性優先で感情表現が下手な割には気心の知れた仲間には気を許す一面があり、
常守朱とも信頼関係を結びます。
典型的な一匹オオカミの癖に人懐っこい一面もある。
しかし、現実に適合しようとする部分があるのでシビュラシステムに逆らうことはしない。
「飼い犬」だと自嘲しています。
狡噛慎也は持ち前の高い知性と現実に適合し
社会規範に合わせて生きていこうとする2つの矛盾した特徴の間で悩んでいます。
自前の知性が勝てはこのタイプは無頼になりがちです。
まあ、虚淵玄氏が好きなタイプでしょう(笑)
3話までしかまだ見ていないのですが
シビュラシステムについての是非を問うなら、
常守朱より知性的な狡噛慎也の方が虚淵玄氏の作品にはふさわしいかもしれません。


<<<<<<設定ついて雑感>>>>>>

【進む監視社会化】
このアニメの世界観はAIによって管理統治される世界に近くなっています。
シビュラシステムの価値判断の仕組みや過程がブラックボックスである点も気になります。
判断の仕組みがブラックボックスである点は
AIのディープラーニングの仕組みに近いのは面白いです。

確かに治安を維持するための監視カメラは異常に増加し
監視社会化は進んでいると思います。
AIの発展によって監視カメラの顔認識、行動認識の技術は飛躍的に向上しました。
特に中国、ロシアのような共産圏は国家が個人の顔データを集めるのに障害はありませんから
豊富なデータの蓄積もあって非常に精度の高い顔認識技術を持っています。
皮肉なことにアメリカ等の先進国より、
問答無用に強権を発動して中央に情報を一点に集めて管理する国の方が分析の技術力が上です。
そういや少し前にアメリカの顔認識ソフトで人権委員会の議員28人を審査したら、
半分以上前科持ちの誤判定が出たという「それ、何のギャグ?」てな話もありました。
監視社会化という一面は確かに共産圏のような国だから発展したという見方はできます。

ただ、AIによる信用度スコア判定や個人の信用情報、行動情報の集約、蓄積については別であり
ここも「共産圏だから」「治安維持のために監視されているから」という見方をすると、
今後世界の大きな変化を見逃すと思っています。


【可視化が齎したもう1つの影響】
中国の馬氏率いるアリババがやったのは徹底的な可視化です。
小口預金や決済を中心としたリテール部門というのは、実は投資市場から除外されていました。
資本が少なければ株式や融資斡旋の手数料さえも払えません。
仲介人の労力を考えると一部の潤沢な資金を保持している人のみが
投資市場に参入できたのです。これが格差を拡大させた一因でもあります。

アリババがやったのは、流通部門と結託したこの部分のAI化です。
小口の決済情報をデータ上で積み重ね、
中小企業が50ドル程度の小口融資を多方面から受けられるようAIによって信用情報を自動化しました。
資金が得られるその代わりすべての取引情報がAIによって可視化されます。
個人情報もです。信用に足る行動の持ち主かということまで可視化するために
自転車のレンタル決済情報まで信用情報が仲介の金融機関に渡されます。

ユーザーは監視社会だから自分の個人情報を強制的に徴収されたのではありません。
むしろ利があるから自ら進んで自分の情報を公開し、公開することによって
小口の融資を多方面から集め、
それによって金融機関から信用がまだない人は
ベンチャー事業を起こす資金を得ることができた。
小口の融資も個人の決済情報を公開することで受けることができる。
例えば自転車のレンタルまで真面目に返している人は
行動原理の分析から信用度が高いとAIにみなされるのです。
AIから自動判定されて受けられる小口融資によって生活が少し楽になるのです。
中国のキャッシュレス決済は日本の財務省の統計では
2013年の3兆円から2017年には300兆円に膨れ上がっています。

この信用情報の中身は色々です。
本や自転車のレンタルといった小口決済情報だけでなく中にはweb閲覧記録から、
どのような傾向を持つ人間か行動から対象者を分析しようとしているものもあります。
年齢、職業は言うまでもなく、勤怠記録も分析対象です。
可視化されることで「信用度」が容易に数値化され、
資本を持たない人も資本側に参加できるようになりました。
巨大な中央監視機構のいっちょ出来上がりです。
非常に皮肉ですね。共産主義の平等理想は資本主義的の行動の徹底から体現されるという点が。
まあ、皮肉なことにどちらも合理性を突き詰めることがその神髄ですから
当然の帰結かもしれません。
私は、合理性中心の人間と集産主義には不信感しか持っていませんが。


ただ、怖い一面があります。
もし、倫理観を持たない人間が情報を我が事のみの利に利用したら?
中国の問題例はわかりやすいでしょう。書くまでもありません。
一方、この警鐘を日本で鳴らしたのが
内定辞退確率を売買しようとした「リクナビ」問題だと思います。
高度な情報化社会、第4次産業革命に入る前にこの社会で受け入れられる
「倫理」とは何かについて考えなければならないとは思います。


話がそれましたが、このアニメで描かれた未来は「可視化」された社会です。
すべてが監視カメラに記憶され、人はシビュラシステムによってコントロールされている。
一方で、「人の心は見えないもの」という古典的な見地に立っています。
本来見えないはずの人の心を
AIだけ「見える」ものとして扱っているところに怖さがあるというアニメです。
実際、様々な行動からうかがい知れる人の認知モデルを
コンピューター上で作成し、更に発展させて推論モデルを作り
物事を自動制御しようとする動きは近年は盛んです。
AIのディープラーニングのネットワークニューロン層は
最近では2,000層まで行っているらしいです。人間の場合は5~6層です。

進みゆくAIの認知システムから取り残される人間の認知を描いているというのは
今となってはかなり面白いんじゃないでしょうか。


※もう1つ
信用情報が可視化されるということは、信用を代替していたお金もあり方も変わりそうな気がします。
この辺りはわたしの想像力では無理ですが、AIによって仕事が失われるという巷の説よりも
もっと斜め上の大きな変化が起こりそうな気がしているのは私だけですかね。
そうでもない気がします。

投稿 : 2019/10/18
閲覧 : 266
サンキュー:

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