「荒ぶる季節の乙女どもよ。(TVアニメ動画)」

総合得点
79.7
感想・評価
601
棚に入れた
2241
ランキング
478
★★★★☆ 3.8 (601)
物語
3.8
作画
3.7
声優
3.8
音楽
3.7
キャラ
3.8

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

当世女子高性気質。(いや、ふざけてませんから。)

この春先に、岡藤真依氏の「どうにかなりそう(2017年)」「少女のスカートはよくゆれる(2019年)」という本を読みました。
帯に「恋をして、キスをして、セックスをする。あたりまえのようで、すごく難しい。」とあります。
ティーンエイジャーの性への関心を柔らかなタッチで描いたコミックです。
読み終えて、しばらく物思いに耽っていたときに本作の放送が始まりました。
このシチュエーションも何かのシンクロニシティだったのかな。



文芸部という設定が、斬新な感じがして良かったです。
進歩向上発展というゴールデンルールを、目的達成型のシナリオとは違ったスタイルで導入させてきたのが面白そうに思えて、今までにない期待感をいだきました。

「荒ぶる」には、猛々しさとか勇ましさとかのニュアンスがありますから、先出しの「あたりまえのようで、すごく難しい。」の "もどかしい心情" をどうにかしたいという前のめりのコトバとしては思わし気な感じです。

思春期ともなれば、女性だろうが男性だろうが、自身の二次性徴に向き合いながら、あまつさえ他者のそれにもセクシャルなファイルターをかけてしまうことはごくナチュラルなこと。
でも、その自然さは、生まれたての春を迎えたかのようで、ときに心にわきたつ "初めて" にまごつき、ときに体をしめつける "ぎこちなさ" にめまいをおこす、この季節ならではのファーストタッチです。

そもそも、性への欲求と恋の感情とをじょうずにコーディネイトできるかどうかなんてことは、大人でも答えを導き出すのは、一方ならず難しいもの。

そんなオトナの私が視聴するわけですから、なおのこと彼女らの悩む姿がストレートに描かれていたことは、ちょっと微笑ましくもあり、なんだか懐かしくもありました。

いきなり、情欲的な場面に出くわした和沙。
    もとより、熱情的に演技をしてきた菅原氏。
 みじんも、情動の雑音とは縁のない百々子。
     なんども、官能を描こうとしてきたひと葉。
なにより、清浄に邁進してきた曽根崎部長。

誰の思春期にも、その成長と発達の過程で、ほぼ等しく登場し、実践してきたであろうキャラクターたちでしょう。
だから、彼女たちの泣き笑いは、かつての自分自身でもあります。
となれば、荒ぶるとは、そんなに変わるものではない普遍的なプロセスなんだなあとあらためて再確認いたしました。

好きとか恋してるとかは、ラブリーなオーラを全開にして、アグレッシブに注入しつづけることだし(ね?高木さん!)
愛なんて形而上学的な概念にアプローチすること自体、突然ワームホールに嵌まるようなものです。(ね?カナタ君!)

注入するとか嵌まるとか 実践を伴わなければ分かんないことを、部活動もの、しかもコトバを柱に据えた文芸部を舞台にして描こうなんてことが、ずいぶんと異色だし、とってもユニークだと思いました (^^)

それにしても、死ぬ前にしたいこととか(この後ろ向き?がすごく前向き!)、えすいばつとか(この独創性?がえらく通俗的!)、文芸部ってそんなことにもまじめに向き合うのかってクスリと笑わされました。

色情や色欲を、読書や執筆にフォーカスしてぶつけあえるなんて、文芸部ならではの性春です。
性に迷うのは、生に抗おうとすることだし、性を受け入れることは、生を高めようとすることなのでしょうね。

そんな昇華する想いを、模造紙に書きなぐってはアジテーションとし、学校とか規則とかへのレジスタンスとして示したのも、彼女らにしてみれば、未知の世界の穴を覗き込み、オトナへの壁を一つ突き破ったということになるのでしょう。

まさに荒ぶる乙女どもに相応しい、目的達成のひとつの型を見せた清々しい終幕でした。
(なにぶん、私も文化祭で同じ事やったクチなもんですから。)




おまけ。
{netabare}
ところで「荒ぶる」は「荒ぶ」の連体形です。
連体形は名詞に懸かるので、季節とか乙女とかが荒ぶれているって意味ですね。

実は、このコトバの出自はとても古くて、古事記や万葉集にも使われています。
面白いのは、男性に懸かる場合と、女性に懸かる場合とではちびっと意味が違うんです。

男性の場合は、荒々しいとか、暴れるとか。
まあこれは何となく分かりますね。
女性の場合は、疎遠になるとか、情が薄くなるとかです。
意訳すると、つれないとか、素っ気ないでしょうか。

万葉集の二八二二に、「あらぶる妹(いも)に恋ひつつそをる」という
歌があります。
「他人行儀に振る舞うあなたに、私は今でも恋こがれているのです」という意味合いです。
今ではこういう意味で使うことは日常的にはほとんどなくなってます。
もう死語と言ってもいいのかもしれません。
味わいのあるコトバなので、ちょっと残念な気もしますね。

荒ぶは、「すさぶ」という読み方があって「荒ぶ・遊ぶ」と書きます。
意味は、①気の向くままに〇〇する。慰み楽しむ。②盛んに〇〇する、さかる。③衰えて止む。というものです。

②の "さかる" は、「盛る、咲かる」とも書き、意味は「人の一生のうちで心身ともに最も充実した状態・時期」です。
また、言霊では「サ・カル=咲く・枯れる」の両極を内包していたり、「栄える」や「早(さ)孵(かえ)る」という意味あいも考えられそうです。

③の衰えて止むは、荒れ果てる、精神的・文化的・社会的荒廃という意味で、現代国語に生き残っています。

また、荒ぶは、「さぶ」という読み方もあって「荒ぶ・寂ぶ」と書きます。
意味は、①荒れた気持ちになる。絶望的になる。②(光や色が)弱くなる。あせる。③(古びて)趣が出る。④錆る。というものです。

②のあせるは、色が褪せるという意味と、焦るという意味合いが想起できます。吾・競る≒イライラして刺々しくなる様子ですね。

このように、日本語の成り立ちや古語の意味合いから「荒ぶる」を捉えてみると、実に様々な意味合いを持っているコトバだということが分かります。

我が国には、源氏物語、あるいは源氏絵という世界に誇れる第一級の文化財があり、そこに描かれる恋愛事情は、日本人の意識構造に深く根を下ろしています。

古来より、乙女らの清純たる真心は、身を知る雨(≒涙)となり、袂(たもと)をそぼ濡らせてきました。
また、破瓜を迎えた性潤の露は、白地の夜具をその純潔でほんのりと湿らせてもきました。

凡そ、恋愛にまつわる趣意は、"愛でる" というコトバを初発としています。
幼くは蛙や虫を愛で、乙女なら花や蝶を愛で、思秋に至れば当世風を愛で、さまざまな心情をうつしてきました。

高貴な女人から武人、坊主にいたるまで、恋にもだえては三十一文字の文芸に思いの丈を表わし、その余韻は千年の時を超えて現代の若者をちはやぶらせています。

その身もだえを、現代当世の女子にも演じさせようとしたのが、本作の狙いでしょう。



人を好きになる。
ただ、それだけなのに、人それぞれである。

ことばでは捉えきれない、奥深いセクシャリティーへの興味。
ことばには置き換えられない、頼りないアイデンティティーへの探索。

その掛け合いがまた小気味よく、実に若者らしい荒ぶれ方に思える。

学校といえど、恋愛、性愛の空気は、常に身にまとわりついてくる。
早熟だったり晩熟だったり。奔放だったり無関心だったり。
実にさまざまな指向性と嗜好性がある。

高校生なら、どこまで許されるのだろうか。
文芸部なら、どこまで表現できるのだろうか。

オトメどもよ。どこまでも荒ぶろう。
とことんアオハルに向き合っていこう。
自己の性に向き合うことは、他者の生にも責任を持つきっかけにもなりうるだろう。

道は手ずから開拓するのだ。
居場所は自ら開墾するのだ。
物語は、君たちの力が創りだし輝かせていくのだ。
それはきっと未来をゆたかに実らす土台になるだろう。




現状維持は、未来を創らない。
大人たちももう少し荒ぶる必要があるんじゃないかしら?
愁眉を開くには、勇気と忍耐、そして寛容性が必要でしょう。



荒ぶる季節に移り変わろうとする地球からのメッセージでもあり
そんな時代を押し付けられる人類へのメッセージでもあるのです。
{/netabare}

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作が、皆さまに愛されますように。

投稿 : 2019/10/01
閲覧 : 266
サンキュー:

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