「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(TVアニメ動画)」

総合得点
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ネタバレ

砂粒と嵐 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 1.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 5.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

ロケーションと音楽だけ良い

夏が終わる前に見たかったが、視聴が滞って初秋になってしまった。
子供の頃にいつも一緒に遊ぶ友達グループがいて、山の上のひみつきちがあって、毎日集まって、あの子供の頃には永遠にも思えるほど長い長い夏休みを過ごして、そんなんだったら楽しい思い出だろうな、戻りたくもなるだろうなと思う。秩父の風景もまた良い。
友達の家が気軽に行ける距離になくて、両親は働いてるからどこにも行けず、冷房の効いた部屋に籠もって兄弟とだけ過ごす夏休みを過ごしたので、私は、振り返りたいあの頃の夏も、あの頃特有の時間の流れ方も、なんでもできる気がしたあの気持ちも、何も知らない。

数年前は劇場版の方を見たことがあるが、劇場版以上のことは特になかった。
1話と最終話は内容が詰まってるが、あとはスカスカな印象を受けた。
もう少し感動したような記憶だったけどな、退屈であまり泣けなかった。

まず、超平和バスターズの間に友達間の絆とかってあんまり無い。仲間といった感じでもない。ただ「つるんでいた」感じで、同じ時間と空間を共有していたに過ぎず、きっとめんまが死ななくても、そのうちにみんな心が離れてバラバラになっていただろうな、と思う。なんていうか、このメンバーだからしっくり来る、みたいな無敵感が全然描写されない。
また、それぞれみんな、グループ間の友情よりも特定のメンバーに対するほのかな恋心の方を重要視している感じだから、目当ての相手がいるから集まってた恋愛多角関係人間集団、というふうに見えてしまうし、だれにも恋してないぽっぽだけが浮いてしまって、単なる賑やかしの役割的な描き方になっている。

「あの花」は、死んだ好きな女の子のことをいつまでも忘れられない男ふたりと、いつまでも自分の方を向いてもらえない女ふたりの物語だ。
あなるとつるこは、ラブストーリーによくある「死んだ子には勝てない」系の葛藤を抱える。しかし今回問題なのは、当の「死んだ子」が姿と意志を持ってストーリーに登場してくることだ。

ゆきあつもあなるもつるこも、じんたんでさえ、みんな人間らしい弱さや汚さを曝け出しているのに、めんまだけは一切それを見せない。ビジュアルは確かに可愛いが、いつも無邪気と称される低能そうな発言ばっかりして、綺麗事ばかり言って、それでいて「いつも自分のことより人のことを考えてる」「やっぱりめんまには敵わない」みたいな感じで持ち上げられる。まずその全体に漂う「自己犠牲が美しい」みたいな風潮が全然理解できないし、めんまはヒロインの立場だからそういうことを言っていられるんだよ、と思ってイライラしてくる。
それにあの無垢さ?も「心はそのまま、体つきは大人に」というあざとい設定も、「幼女!少女性!夏の妖精!尊い!」みたいな押し売りを感じて辟易する。
それでいてめんまというキャラ、じんたんにはめちゃくちゃ媚びてる。これはもう無邪気とかではない、明確にじんたんに好意があって敢えてこの態度をとっているんだから、めんまはめちゃくちゃ「女」だぞ?それに気づかないじんたんも何?何を見せられているの?という感じで、終始ちょっと不快だった。大体「じんたんにだけ見える」姿でめんまが会いにきたってのも、じんたんを好きだったからじゃん??と思ってしまい、どんだけ「みんなと遊びたい」とか言ってても、それがめんま自身の声として全く聞こえてこなかった。
でもまあそれはめんまが悪いわけではない。めんまが「萌えキャラ」として徹底的に描かれるから、そういう気持ち悪い不均衡が起こるのだ、ということはよくわかる。じんたんに抱きつくシーン乗っかるシーンその他ちょっとエッチなサービスシーン、いちいちあざとい言動は、めんまという人物の描写からそうなるのではなく、視聴者がめんまを愛でるためにそうなっているのだ。めんまは「超平和バスターズのマスコットキャラ」ということになっているが、同時に「あの花」のプロモーション的な意味でのマスコットキャラでもある。だからああいう描写になっていることは、理解はできるんだが、めんまが幼女ぶって甘えて、じんたんが「やれやれ、、、」の感じで対応して、それがずっと続くと、本当にいい加減にしろよと、うっすら怒りが湧いてくるのも事実だった。
めんまが視聴者にも「見える」体で話が進んでいくのではなく、じんたん以外の登場人物たちと同じく「めんまが見えない」状態で話が進んだ方が、ラストの「夏の幻」的な儚さを表す効果も得られ、めんまの母やバスターズの仲間たちへの感情移入がしやすかったのではないか、と指摘するブログを読んだが、本当にそうだと思う。(人気作にはならなかっただろうが)

そしてその肝心のじんたんというキャラがまた、あんまり好きになれなかった。簡単に言えば、よくある「引きこもりコミュ障だけど根は優しくていいやつ」みたいな典型的なラブコメ主人公の性格に、「昔はみんなのリーダーでかっこ良かった」という設定がくっついたキャラだ。
でも、めんまのことあんなに好きなのに、めんまも自分のことあんなに明らかに好きなのわかりきってるのに、いつまでたっても「別に好きじゃねえし?」みたいな態度でグズグズしてやがる。「あの日」にめんまのこと「ブス」って言ったのも、小学生男子の好きな子に意地悪しちゃうアレだからまあわかるが、もう高校生のくせにいつまでも謝れないわ、めんまは美人なのかってゆきあつに聞かれた時も「別に、、普通?」みたいなこと言ってて、あーーーもう!いつまでお前は逃げてんだ!ゆきあつはもう小学生の頃からきちんと自分の気持ちに向き合ってたぞ!自分だけがめんまに再会できたってのに、その機会を無駄にするわ、環境に甘んじてグズグズしてるわ、本当ダメな男だな、、、とかなりイラついてしまった。正直、じんたんの魅力は入野自由ボイスだけである。

そして、あなるはあんなに可愛く描かれているのに対して、あのつるこの冷遇は何?あなるは等身大の女の子としての感情の推移みたいなのがきちんと描かれていたのに、つるこは何を考えているのか終始わからず、わからないのにあなるやゆきあつに対して怖いぐらい冷たく当たるので、ただ単に冷酷な人間というふうにしか見えず、戸惑った。
ゆきあつがめんまに贈った花のピン留めをこっそり家で身につけていることや、失恋してバッサリ髪を切って「あの頃」の髪型に戻したことなど、その辺もう少し丁寧に描写してくれてもよかったんじゃないかなぁと思う。

というか、みんな恋愛感情が重い!揃いも揃ってちょっと狂気じみた、気持ち悪めのこじらせ方をしすぎじゃないか?

しかしまあ、恋愛要素を全て無視したとしたら、「残された人たちの物語」としても読めなくはない。
大切な人の死を、どうやって乗り越えていくか。
残された人がどう振る舞うことが、本当に死者にとって幸せなのか。
毎日、いつ何時も思い出すべきなのか、割り切って忘れて前に進むべきなのか。
所属していた共同体(家族なり友達グループなり)が、自分が欠けても仲良くし続けてほしいのか、自分抜きでグループが存続していくことは、死者にとって寂しいことだろうか。
死者のためと言いながら、自分のためになっていないだろうか。というかそもそも、自分のためになってちゃいけないのか。

めんまの父の「みんなで一緒に寂しがろう」は一つの答えだと思うし、めんまがどこまでも「優しい」人間であることが、残された者にとっての救いなのかもしれない。

最後の泣き喚きながらの「もういいかい?」が「もう解放されてもいい?」に聞こえて切なかった。

しかしこのアニメ、登場人物たちがあまりにも泣きすぎだ。1話に1回は誰かが泣いてるんじゃないかと思う。
それは「じんたんを泣かせたい」がめんまとじんたんの母の願いであったように、感情をさらけ出して弱みを見せて、苦しみを他人と共有することが善とされてる世界観だからなのだと思うが、キャラに泣かせることで視聴者のもらい泣きを狙うような構成を何度もやるのは、ちょっとキツイなと感じる。涙はここぞという時に使うから効果的なんだし、泣く以外の感情表現方法もたくさんあるのでは。

音楽は、ガリレオガリレイの爽やかなOPも、オレンジ色で湿っぽくて「泣ける」EDもどちらもハマってて素晴らしいし、REMEDIOSのどこか懐かしい感じの劇伴も素敵だった。音楽の力で、全体の完成度が底上げされていると感じる。

投稿 : 2020/09/25
閲覧 : 278
サンキュー:

9

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