「STAND BY ME ドラえもん(アニメ映画)」

総合得点
62.2
感想・評価
127
棚に入れた
580
ランキング
4858
★★★★☆ 3.6 (127)
物語
3.6
作画
3.7
声優
3.6
音楽
3.7
キャラ
3.6

U-NEXTとは?(31日間無料トライアル)

ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.8
物語 : 1.5 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

ドラ泣けない。

【概要】

アニメーション制作:白組、ROBOT、シンエイ動画
2014年8月8日に公開された劇場アニメ。
原作は、藤子・F・不二雄が『月刊コロコロコミック』『小学〇年生』
にて連載していた「大長編ドラえもんシリーズ」作品。
監督は、山崎貴、八木竜一。

【あらすじ】

野比のび太は、ドジでおっちょこちょいな子供。
小学校に毎日遅刻しては廊下に立たされて、テストは0点。運動もダメ。
ジャイアンとスネ夫にイジメられている。

そんなのび太の勉強机の引き出しから、
変わった服装の人間の子供と青い狸のようなロボットが出てきた。
その子供は、未来からやってきたのび太の曾曾孫のセワシと名乗り、
のび太の失敗だらけの人生で出来た莫大な借金のせいで子孫が代々貧乏しているという。

セワシの目的は、のび太の未来を変えることで歴史が改変されて、
自分たちの経済状態を改善すること。そのためにロボットのドラえもんを連れてきたのだった。
ところがドラえもんは、のび太のおもりを嫌がって駄々をこねている。
そこで、セワシがとった強硬手段。
それは、のび太を幸せにするまで未来に帰れない「成し遂げプログラム」の起動だった。
セワシの命令に反する言葉を口にしたり行動を取ったりすると、強烈な電流でお仕置き。
また、目的達成後に残りたいと言っても電流が走り、無理やり帰されるという。

セワシが未来に帰った後に、のび太とドラえもんはタケコプターで夜の町を飛ぶ。
のび太は、彼女の家の窓越しに、しずかという女の子の寝顔を見て、
その様子から、のび太がしずかを好きだということをドラえもんは知る。

家に戻ったドラえもんは、のび太の人生を変えて幸せにする方法として、
本来の歴史での妻であるジャイ子ではなくて、しずかと結婚させることを提案。
それからというもの、ドラえもんは四次元ポケットから未来の秘密道具を出して、
のび太のサポートをする日々を過ごすのだった。

【感想】

今更あらすじを書く必要がない藤子・F・不二雄先生の名作漫画であり、国民的アニメですね。

初代の日テレ版ドラえもんはあまり語られることなく、
二代目の大山ドラえもんは、親世代には最も愛された作品。
そして、三代目の通称わさドラが2005年から続いていて今の子供のスタンダード。

従来は模範的なジャパニメーションである2Dアニメであったのが、

「未来の国からはるばると」→「たまごの中のしずちゃん」→「しずちゃんさようなら」
→「雪山のロマンス」→「のび太の結婚前夜」→「さようならドラえもん」
→「帰ってきたドラえもん」

と、有名な原作エピソードを繋げて感動路線で脚色して、
3DモデルのCGで表現したのがこの映画であります。
親世代は上記のエピソードを知っていて過去に映像化されて素晴らしいアニメだったので、
監督が誰でもハズしようがない鉄板の安心感。
今までドラえもんでは使わなかったフルCGならではの、新たな魅力を生み出すことへの期待感。
既に絶大な知名度がある作品を、AKB48など芸能人を作ってガンガン広告を出すなど、
電通の過剰なまでのマーケティングで劇場に足を運んでもらうことに成功したケースでしょうね。
その結果として興行収入83.8億円とドラえもん映画としては歴代最高額を記録しています。

しかしながら素直に称賛しにくいですね。その芸能人を使って映画館に誘うやり方に加え、
「いっしょに、ドラ泣きしません?すべての子ども経験者のみなさんへ。」と、
大人の手垢がついて押し付けがましいセンスの無いキャッチコピーは必要でしょうか?

泣くかどうかは見た人の個人的な感じ方によるものですし、
視聴者に先回りして予めバイアスをかけておいて、
制作側の意図に従った感想を強いるやり方は、マスコミの報道の扱い方にも似ていて下品ですよね。

ここで、大山ドラえもんの映画『のび太の結婚前夜』のフレーズを引用します。

「いつの間にか僕は夜中に1人でトイレに行けるようになった、
 1人で電車に乗って会社に通うようになった。 でも本当に僕は変わったのかな?
 ねぇドラえもん、僕は明日結婚するよ…」

と、のび太の結婚に対する気持ちで聞いた人の心に訴えかける台詞。
小原乃梨子さんの低めの落ち着いた語り口調の演技に裏打ちされた、
のび太がドラえもんと一緒だった子供時代を終えて、自分の人生を一歩一歩踏みしめてきた、
彼の人生を想像させるシンプルで飾り気のない独白と比較すると、

「ドラ泣き」の売り方は、TV番組でワイプで芸能人の顔を同時中継するような、
うざったさにも似ていて、いろいろと言いたくなることがありますね。

前置きはこれぐらいにして、本編の話に移ります。

ドラえもんのおおまかなストーリーを解説する、「90分でわかるドラえもん」
というダイジェストな紹介フイルムとしては、そこそこ優秀ではあると思います。
しかし、ドラえもんが秘密道具を出してはのび太に楽をさせる繰り返しの序盤の展開は、
のび太が道具を悪用したり楽をしても良いことなく、しっぺ返しを食らってしまって、
道具に頼らずに自分で頑張らなければ意味がないという、ドラえもんの芯の部分がない、
それは上っ面だけで骨抜きなストーリーですね。

それから、「たまごの中のしずちゃん」「しずちゃんさようなら」
をクローズアップして用いることで、
のび太がしずか絡みで失敗をして大きく傷ついたことで初めて、
関係性の変化に小さな波紋を起こして、物語を動かすターニングポイントになります。

と、この映画は、のび太がしずかと結婚する未来を作るのがゴール地点ですので、
どちらのエピソードも、のび太の一大イベントとしてドラマチックに盛り上げています。

しかしながら、ドラえもんの原作はブラックな部分を含んだギャグ漫画であって、
どちらも原作では非常にあっさりしたものです。基本的には笑わせにきてオチを教訓や感動で〆る。
それをこの映画では、泣かせることを目的としたBGMをガシガシぶち込んでくるのがくどいですね。

泣けるアニメを「感動ポルノ」「感動の押しつけ」と腐すのは、
当人には泣いたら負けみたいなプライドでもあるんですかね?と思ったりで、
「作画」や「演出」で泣いてしまうのは、その表現力に魂が宿っていればこそで、
むしろそのアニメ制作会社が優れた技量を持っているからこその証明であって、
マイナス材料にならない。感動した人の感情まで作品下げの否定材料に使ってるような輩は、
あっそう!と思ってしまうのが持論なのですが、

この映画の場合は原作からイメージを変えてしまう演出が単純にくどいだけで、
泣かせるための筋立てや映像表現すら質が高くないので、一度も泣けなかったですね。

そもそも、この手のフルCGアニメの表現はアクション映像作品を作るのに適しているのであって、
冒険エピソードでもない、感動路線に脚色されたドラえもんでやる意味は極めて薄いです。

もはや、これは原作の知名度を利用した二次創作であって、
皆の心のなかにあるドラえもんとは完全に別物だと折り合いをつけるのが適当であると思います。

もちろん、これまでのドラえもんのアニメにも原作からのアレンジが沢山ありますので、
原作から変えること自体には罪はありません。
となると、キャラクターの解釈の違いやシナリオ設計や演出家としての技量が単純に問われる、
という事案ではないでしょうか?

例えば、山崎貴監督の解釈による青年のび太は子供時代からほとんど成長していません。
むしろ、大人になっても恐ろしいトラブルメーカーであります。

14年後の未来で雪山に登山に行って仲間とはぐれて遭難したしずかを助けに行こうと、
現代ののび太がタイム風呂敷で大人の身体になって、その時代の大人のび太になりすましたが、
全く役に立たなかったドジっぷりを放っておけないから結婚するとしずかに言われた、
原作では終始ギャグであった「雪山のロマンス」が、

このアニメでは本来の未来のび太の風邪がしずかに感染したのが、
未来のび太になりすました子供のび太の行動の結果、しずかの風邪が重篤化して、
雪山でしずかを生命の危険に晒して、それがのび太の思いつきの機転で解決するというアレンジ。

未来の自分が助けに来るのを信じる!思いは通じる!と子供のび太(見た目は大人)の発想で、
しずかを助ける二人ののび太というドラマチックさこそが成長であるとの意見もありますが、
二人ののび太のあわせ技でしずかが死にかけた自分の不始末の解決を未来の自分に託したとの話。
それは、結果的には自作自演の凶悪なマッチポンプであり、
しずかに深刻レベルな迷惑をかければかけるほど結婚フラグが強固になるという気味の悪さです。

山崎貴の解釈では、うっかりが致命的な被害を与えかねない破壊的にダメ男なのび太という前提で、
蟻地獄に自分から食べられに行くが如くに、どんなのび太でも受け入れてくれる只管都合の良い、
バブみを満たしてくれる聖女化しずかが必要だったのでしょうねと思ったりです。

のび太のドジでおっちょこちょいさがほっとけなくて結婚を決意したコメディタッチな原作の軽さを、
重苦しいシリアスに改変したために、これをハッピーエンドと言えるのか疑問が残りました。
    
「のび太の結婚前夜」もなんだか変ですね。

未来の、のび太としずかの結婚式を見に行って一日間違えた、子供のび太とドラえもん。
子供時代の設定が昭和で十数年後といえば西暦2000年ごろなのに現実の名残が無いSF世界になってる。
原作ではまだ、のび太たちの現代との町並みの違いが殆ど無いのにも関わらずです。
そのSFチックな未来都市では自動車が宙に浮かんでいて、
市街にはTOYOTAやPanasonicやグリコなどの企業看板がやたら目立っています。
これって、電通がイメージした未来都市ですかね?
タケコプターを用いたバイクチェイスに尺が割かれているのは、
設定を変更をして、未来都市に作り変えられた西暦2000年頃の東京の背景を見せつけるのが目的で、
大人の事情でわざわざそんなシーンが挿入されたのではないか?と勘ぐってしまいます。

さて、ここからが一番に気に入らない部分。
「結婚前夜祭」と称して、ジャイアン、スネ夫、出木杉と酒を酌み交わすシーン。
ここは全員が成長して大人になっているのを示すポイント。
子供時代みたいなイジメなど無く、ジャイアンらとも対等の親友である様子が原作ではあり、

更に、大山ドラ映画版では歌い出すジャイアンにのび太が「やめろ、へたくそー」と野次を飛ばして、
ジャイアンも「うるせー」と返すものの昔と違い暴力を振るわず笑いあえる関係になっているという、
大人になっても友情がずっと続いていて、四人は大親友だと言える描写があります。
帰り際に礼を言う大人のび太に対し、大人ジャイアンが久々に子供の時みたいで楽しかったと、
のび太に感謝を返したり、「なんでしずかちゃんがのび太を選んだのか分かった」
と満面の笑みで告げて大人のび太の男としての良さを理解していたりと、
お互いに人生経験を積んで、のび太もジャイアンも良い大人になったと染みるシーンがあります。

水田わさび版ですら大人出木杉から「昔からしずかちゃんのことで野比くんに敵う男はいないよ」
と、思い出話をして昔から出木杉はのび太としずかの仲を認めていたことを打ち明けます。

ひきかえ、ドラ泣きではその手の情緒が全くないですね。

「できれば、僕が幸せにしてあげたかった」と、
しずかに振られた負け犬の遠吠えを出木杉にやらせて、
続いて、「お前もか!」と俺も告白したけどしずかに断られた。
出木杉ならともかく、なんでのび太なんかと結婚するんだ?と嫉妬混じりに、
ジャイアンは酔ったのび太の耳を勢い良く引っ張り両手の拳で頭を挟んで小突き回す始末。

結婚前夜で新郎であるのび太の前で、花嫁を狙っていたと暴露大会になるデリカシーの無さ。
どいつもこいつも、のび太ごときにしずかがお嫁に行くのを納得してない恨み節。
ジャイアンがのび太を暴力で支配する関係が大人になっても続いている事実に、
対等の親友同士の祝いの席ではなくて、
人間関係に優劣をつけるマウンティングの場になっていますね。

更には、本来のび太と結婚するはずだったジャイ子に、
のび太としずかの結婚を祝福させる残酷なシーンがあります。

一方で花嫁サイドに目を移してみると、マリッジブルー状態になったしずかに対して父が、
「彼は人の痛みを分かる人間だ」というシーンに、
「彼(のび太)には目立った長所はない」というひと言を付け加えるのも余計ですね。
そもそもしずかの不安がのび太の能力とは関係ないのを理解していなければ、

「やれるとも。
 のび太くんを信じなさい。
 のび太くんを選んだ君の判断は正しかったと思うよ」

「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
 それが一番人間にとって大事なことなんだからね。
 彼なら、まちがいなく君を幸せにしてくれるとぼくは信じているよ」

と、しずかの父の言葉に対して、のび太は子供の時から人間としての美点を持っていて、
その優しさ・ひたむきさを持ったまま成長して人を幸せにできる大人になったことを、
オリジナル部分で実際に描いて、しずかがのび太を選んだ判断は間違いではなかったと証明付けた、
大山のぶ代版や水田わさび版とは正反対に、大人になってからの人間関係の描き方の違い、
そして、だらしないトラブルメーカー気質として扱われたのび太のマイナス部分の強調が激しいのが、
しずかの父が人を見る目が無いように言葉の説得力を削いでばかりなのが凄いですね。

山崎貴は、しずかを聖女化するかたわらで、
のび太が立派になったりジャイアンやスネ夫がいい人になるのが嫌なんだろうな、
人間の性根は何歳になっても変わらない。成長するという幻想は捨てろ!って、
言われているみたいで、こんな独自解釈のシナリオで本当に感動するのかな?と、
見ながら思いました。

「さようならドラえもん」「帰ってきたドラえもん」も改悪ですね。

ドラえもんと、のび太のパパ・ママらとの最後の晩餐をカット。
のび太を残して未来に帰るドラえもんの心配の声に対して、
ドラえもんの不安を取り除くために笑顔で「ひとりでちゃんとやれるよ!約束する!」
と応える原作やこれまでのアニメと違って、「ほっといて!」と逃げ出す山崎版のび太。

弱虫で泣き虫なのび太の精一杯の真心を台無しにしてまで意気地なしを強調したほうが、
あとでジャイアンと喧嘩するときにより盛り上がるだろうという、
こうすればよりドラマチックになるだろうとの打算で、
のび太の覚悟や成長を打ち消してマイナス補正を加える改変に、
本当にのび太の良さが全然わかっていないシナリオ。

原作と違って、のび太とジャイアンの決闘開始直前に、
のび太を探しに来たドラえもんから隠れるシーンがないので、
「けんかなら、ドラえもんぬきでやろう。」の台詞も意味を失っています。
山崎貴は脚本を担当しながらも、原作の文脈を理解してるのか?との疑問が生じます。

そんな山崎監督はどういうわけかキャラ同士の信頼で、
状況に対して喜怒哀楽の反応に変化がおきているシーンは消す方向に動いて、
ドラえもんとのび太の関係性に成し遂げプログラムと言う理由が必要と考えるあたり、
無償の信頼や友情というのが監督自身理解出来ているのか問いてみたいですね。

この成し遂げとは、将来のび太としずかちゃんを確実に結婚させること。
ドラえもんは少しでも「未来に帰りたい」と口走ろうものならば、
即座にプログラムが働き、強烈な電流を体中に流して反省を促すのだ。
考案した山崎監督は「ドラえもんの葛藤がしっかりと描けるし、
のび太との出会いと別れを効果的に表現できる。
最初はドラえもんがのび太と一緒に暮らすことを嫌がり、
友情を育んだ後半はのび太と別れたくないのに未来へ帰らねばならなくなる。
便利な装置でしょう」と狙いを説明した。

と、インタビューで答えている通り、登場人物を役割で描いており、
だからこそジャイアンとスネ夫が意地悪もするけど良いところもあるんだよ!
といった人格表現も愛嬌も全くありません。

ひきかえ、大山ドラ映画の「帰ってきたドラえもん」ではラストでは、
また一緒に暮らせることに喜び泣く、のび太とドラえもんに対する、
のび太のパパとママの愛情の眼差し。親子三人分の夕食のハンバーグのタネを、
四人目の家族のドラえもんのぶんも追加する。ドラえもんがいなくなってたときに、
のび太の心をいたずらで傷つけたことをしずかと一緒に謝りに来るジャイアンとスネ夫といった、
人間味のある描写にあふれています。

シナリオの差異を見るに、感動エピソードを消費と公言しているとおりに、
原作の一番美味しいところをつまみ食いするのが山崎スタイルでありながらも、
人の情緒や愛を理解できないからこんな改変してるのでは?という説への信憑性。
悪名高い「成し遂げプログラム」を自画自賛してるのを見ると、
ひょっとしてユアストーリーも家族愛を理解できないから全部AIって事にしたのかな?と、
なんか嫌な点と点が繋がり始めて笑ってしまいますね。

とにかく、ドラ泣きで感動したというひとは、

帰ってきたドラえもん (1998年3月7日)
のび太の結婚前夜 (1999年3月6日)
おばあちゃんの思い出 (2000年3月11日)
がんばれ!ジャイアン!! (2001年3月10日)
ぼくの生まれた日 (2002年3月9日)

を見た上で、もう一度見てみましょう。

思い出補正でも懐古でもなく、演技や脚本や演出の違いが歴然としています。


言いたいことは終わりましたので、これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2020/12/18
閲覧 : 399
サンキュー:

42

STAND BY ME ドラえもんのレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
STAND BY ME ドラえもんのレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

蒼い星が他の作品に書いているレビューも読んでみよう

ページの先頭へ