「うしおととら(TVアニメ動画)」

総合得点
63.9
感想・評価
448
棚に入れた
2410
ランキング
3989
★★★★☆ 3.5 (448)
物語
3.5
作画
3.5
声優
3.5
音楽
3.3
キャラ
3.5

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ネタバレ

ナルユキ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

潮の心ではなく物語を細くしてしまった残念作

週刊少年サンデーでおよそ6年連載された人気マンガのテレビアニメ化。1992年のOVAと違い、内容を削りながらもラスボス・白面の者との対面や獣の槍伝承者候補との邂逅などもハイクオリティで描いた『うしおととら』ファン垂涎物の一作である。

【ココがすごい!:原作マンガを丁寧に再現した力強い映像と音楽】
アニメ制作にMAPPAが参加している本作は、原作マンガの「90年代臭」を放つ画のタッチを取り入れつつも今風に上手くアレンジ。『鬼滅の刃』と同じくマンガを正統進化させたかのような映像美を魅せてくれる。獣の槍を手にした蒼月潮(あおつき うしお)と大妖怪・とらの戦闘の動きはどれも疾走感に溢れており、第1話の魚妖虫怪から最終話の白面の使いまで全ての戦闘シーンに見所がある。
また、音楽も良い。OP・EDどちらも『漢』の力強さを感じさせる。特に後半クールのエンディングは湘南乃風のボーカル、若旦那(新羅慎二)だ。オタクというよりは一般人寄りな、20~30代の男性に愛されるミュージシャンだろう。そんな彼が『うしおととら』とタイアップし、歌でキャラクターもしくは私たちにエールを送るのである。
獣の槍の石突(いしづき)を地面に突き立てる時に鳴る金属音にもこだわりを感じた。次回予告のSEにも使われており、聴く度に心が沸き立つ。

【でもココがひどい?:カット祭り】
さて、ここからは原作厨の嘆きを聴いてもらいたい──と言っても私は原作マンガを読んだ切欠がこのアニメありきで読破もしていないにわかなのだが。
原作は外伝を除いても全407話という大ボリュームであり、紛れもなく当時の週刊少年サンデーを支えた人気マンガである。それをたった3クール(39話)でアニメ化すると発表したのだから原作ファンは阿鼻叫喚だ。
「カット祭りか!? どこを削るつもりなんだ!?」
「うしおととらに削っていい話なんかないぞ!」
このような反応が当時から盛んだった。
確かにアニメが原作の全てを描写してくれたらそれはファンにとって理想的だ。しかし制作側にも予算や予定といった限界があるし、全て必要な話だったとしてもあんまり長尺だとアニメ組が中弛みを感じる危険性もある。
それでも3クールという中々の長尺でOVAがたどり着けなかった打倒白面まで描くのは、話の骨組みさえ崩さなければそれが最適解じゃないかと私は思っていた。

【うん、これはひどい:省いちゃいけない所を省いてしまった】
しかし本作を観た後、原作マンガを読んで愕然とした。
{netabare}アニメでは第22話、白面の使い・くらぎに惨敗。犠牲を出して茫然自失の潮をとらが焚き付ける。
「おめぇは槍がなきゃ弱えなぁ!」
「そうさ……だから負けたんだ……俺は強くなりてえよおおおぉぉっ!!」
「……ケッ、止めだ止めだ。今の弱っちいお前がうまい筈がねぇ。強くなったら来てやらぁ」
ビンビンの修行フラグである。強敵への敗北と挫折、そして宿敵かつ相棒との一時の別れ……実に王道らしい真っ直ぐな展開をここまでは描いている。しかしそこで「強くなりたい」と渇望した筈の潮はアニメでは特に何か行動を起こすことはなく、話はそのまま次のキリオに獣の槍を奪われる段階に進む。
あのとらとのやり取りはなんだったの……?
そう怪訝に思いながらも視聴了、ある機会にマンガで同じ場面を読んだことで違和感の正体がわかった。
少年漫画のアニメ化なのに、よりにもよって修行のシーンを省いてしまっているのである!
マンガではとらに愛想を尽かされた後からキリオに獣の槍を奪われるまでの間に、かつて潮が人を捨てかけてまで助けた法力僧・杜綱悟の死法「空骸の糸」の試練を通して「穿心」を会得する話が2話に渡って描かれていた。そして会得したもの以上に「槍を使うでも槍に使われるでもなく、槍とともに強くなってゆくことこそ正しい道」と悟ったことが大きい。この有無によって蒼月潮というキャラクターの見方もまるで変わってしまう。
アニメの潮は「強くなりたい」と願ったのに具体的な行動は起こさず、とらや日輪の「槍が無ければ只の弱い人間」という言葉を甘んじて受け入れてしまっている。そして槍が炉に放り込まれた際の必死の呼びかけも、穿心修行の下りが無ければ「槍に執着する情けない主人公」に見えなくもない。勿論、その前に獣の槍の過去話をやっているので潮が槍をただ力を得る道具として見てはいないことはわかる段階なのだが、やはりそこはマンガと同じ、槍と共に強くなっていくことを誓った後にあわや槍が破壊される展開を描かないとその悲壮感は半減するだろう。
また、次に戦う白面の使い・斗和子はくらぎと同じく中途半端な外部からの力を反射させる強敵であり、その能力を穿心を心得た潮が初めて攻略する。槍の力だけでなく“潮の努力”で収める勝利だ。しかしアニメでは修行シーンのカットに伴い、斗和子がくらぎの能力を持ち合わせるとわかる描写がない=弱体化されることで槍の力だけで十分攻略可能というなんだかスケールの小さい(というよりこれまでの描写と変わらない)戦闘シーンに落ち着いてしまっている。 {/netabare}

【キャラクター評価】
蒼月潮
前述した通り「強くなる」ための具体的な行動が描写されなかったためやや説得力に欠けてしまうが、それでも少年漫画の主人公らしく槍のように真っ直ぐな生き様を見せてくれる。それが強調されているのはやはり第5話のヒョウ回だろう。
{netabare}いい感じに勘違いしている彼をけしかけてとらを討伐する──非の打ち所のない利口なやり方を自らの手で折ってくれたことに感銘を受けた。最初に本当のことを伝えずヒョウを騙した形にした潮を「クズい」「『曲がったことが大嫌い』なんて嘘だろ」と言う人もいるが、彼はそもそも中学生である。度々ふいうちをしてくるとらに鬱憤が溜まっており、「とらと仲良くやっていくことは無理なのかもしれない」と考えてそういった間違いを犯した。曲がったことが大嫌いな性分だからこそそれに思い悩み、葛藤の末に身体を張って憎い筈のとらを助けようとする展開は実に清々しいものがある。{/netabare}
杜綱兄妹を助ける話も良い。「男って、一生の内に何人の女の子の涙を止められるのかな…?」など、名台詞を連発する神回である。

とら(長飛丸)
基本的に『うしおととら』の妖怪はかなり不気味に描かれていて(特に衾!)、そんな奴らばかりを相手にする本作は一種のホラー物のような雰囲気もある。しかしとらだけは狂暴で狡猾な雷獣でありつつも時たま大型ペットのような愛嬌も見せる不思議なキャラクターだ。
第4話が良い。500年封印されていた故の現代へのカルチャーショック、人間を喰らおうとしても様々な理由で1人も喰えずに見せる情けない顔芸──からの飛頭蛮4体を虐殺する凄まじい戦闘力など、とらの魅力がふんだんに詰まった回だ。
ヒロインの1人、井上真由子(いのうえ まゆこ)との絡みも微笑ましく、総じて様々な要素を兼ね備えた少年マンガらしい作品に抑え込んでいるのがとらだと言える。

【総評】
古いとはいえ、やはり当時人気の少年マンガのアニメ化という手堅さがあり、映像・音楽ともに個性的かつ高いクオリティーで見劣りしないよう作られているので、ちゃんと“少年の心”が残っていれば原作マンガを知らなくても十分楽しめる作品だと言える。
ただ、やはり原作と見比べると「ああ、このストーリー削っちゃったのか」という残念な気持ちを抱きやすい。{netabare}1期となる本作はとらとの出会いからHAMMR機関編までのストーリーを描いているが、その間に凶羅、サトリ、なまはげ、山魚などのエピソードを已む無くカットしている。{/netabare}ただ本作と2期の全39話で打倒白面まで描くのは事前に発表していたので、当時の原作ファンも多少のエピソードやキャラクターが省かれてしまうことは覚悟完了していた筈だ。
{netabare}しかしよりにもよって修行のシーンを省いてしまうとは……確かに「戦い方は槍が教えてくれる」という設定があるので一見、主人公の修行パートなんて要らないのではと考えてしまうが、それでもくらぎという白面の使いとの敗北でそれだけでは勝てないという部分を描写している。その上で主人公の努力や成長をカットしてしまうという違和感はアニメ組でも感じ取ることができてしまい、ステレオタイプながら良キャラな主人公の魅力も大きく削れてしまったように思う。{/netabare}
シリーズ構成に携わった原作者・藤田和日郞氏はTwitterを利用しており、アニメ化に伴うエピソードカットへの視聴者の批判についてこのように御気持ちを表明している。
「アニメもこれくらいやっているとね。おれのところにも否定的な感想は入ってきますよ。 エピソードのアレがないからダメだ。テンポが早すぎてダメだ。 わかるよ。 その気持ちはわかる。 言い方からも原作を物凄く好いてくださってる方なんだろう。 でもね。これだけは言えるんだ。アニメのスタッフも、もんのすごく『うしおととら』を大切にしてくれてます。 常に足りない時間と戦いながら、できるだけ(これは仕方ないでしょう。)丁寧に、できるだけ繊細にね。 だから、原作好きの方に手をさし伸べてるのよ。後足で砂をかけているワケじゃない。 その手を見てあげておくれ。別にその手を取らなくてもイイよ。 つかんでやる必要はないわ。好き嫌いが誰にでもあるからね。 でも、原作の読者がわざわざ叩き落とす必要もないわね。(笑) アニメ『うしおととら』に何かが足りなくて、悲しいヒトはおれに言って来なー。 削ったのは原作者が犯人だ。o(`ω´ )o ただ、言っておくけどさ。 『うしおととら』のもともとの物語や登場人物がアニメにならなかったことで、この世で1番くやしがっているのは、残念ながら、 あなたでは ないよ」(Twitter, 藤田和日郞, 2015)
文句を書く場所をTwitterの原作者リプに指定されるのは私にとってものすごく困るのだが(Twitterやってないし、今更アニメの感想リプ飛ばされてもご本人も困惑するだろうし……)、まあ他の部分はごもっとも、という感じだ。やはり1期2期で3クールは絶対に動かせなかったことが伺えて、その限られた尺でやり繰りするしかなかったことは理解しよう。
ならば作者自身が制作に関わっていることを活かして、もう少しアニメ単体でも観れるようにシナリオを弄るという発想は出なかったのかが未だに疑問だ。アニメだけの新しい展開や新キャラクターを盛り込めば原作ファンも単純に原作と比較することはなかったと考えられる。改変も原作者の手によるものなら文句は出ない筈だ。しかし本作は飽くまでも原作のエピソードの数々を削ぎ落としているだけで、それにより崩れた整合性を立て直すことができていない。だから{netabare}「とらが焚き付けても、潮自身が強さを求めても、潮は何もしない」{/netabare}というミスが発生してしまっている。この原因が原作者にあるとしたら、例え陰口となっても「いつの間にそんなナンセンスな人になってしまったんだ」と苦言を呈しないわけにはいかない。
アニメも十分に面白い、面白いと言っていいのだが、潮の心を細くするのではなくストーリーを細くしてしまった本作だけでは『うしおととら』という作品を完全に読解することは出来ない。傍らに原作マンガを置いておくしかないだろう。こうやってマンガを買い求めさせることが原作者含む制作側の作戦なのかも知れない(笑)
こういったやむを得ず原作の話を削った作品は『覇穹 封神演義』や『約束のネバーランド(2期)』など沢山あるので同じ評価・論調が今後も乱立すると思われるが、先ずは1作『うしおととら』をこう評することにしよう。

投稿 : 2021/12/05
閲覧 : 363
サンキュー:

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