薄雪草 さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
外連味に触れる、あふれる
誉め言葉のほうです。
作品としての是非を、価値を、生成りの感性のままで受け止めていただきたいです。
"埋没させられたもう一つの平家" です。
新鮮なうちに、新鮮なままに、ご賞味いただきたいと願っています。
犬王とは、友一とは、だれか。
彼らが生きた室町時代とはどういうものか。
彼らの魂が、この令和に具象化されたのは何故か。
映画館ならではの空間が、別次元の扉をきっと開くと思います。
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先に見た TV版の平家物語。
"びわ" が創作されたことで、平家の新しい解釈が、現代の感性に紐づけられたと感じています。
びわは、「名人・覚一」が輩出される前の人です。
言わば "仕込み役" と言えます。
翻って、本作の友一は、覚一の後塵の役まわり。
言うなら "かき回し役" でしょう。
びわは、祈ることで徳子を語りましたが、友一は、歌うことで犬王を語るのです。
犬王を、現代に際立たせるのです。
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もう一人のキーマンは、足利義満です。
彼は、南北朝を統一する頓知剛腕、金閣寺の建立でこの世を栄華と誇ります。
唐の皇帝にさえ "天皇と同等" と呼ばしめた、当代随一の偉人であり、武人でもあります。
義満は、のちの北山文化の作り手となりますが、そこに登りつめた背景には、世阿弥がいたし、犬王(と友一)の存在が心にあります。
だけれど、義満と世阿弥の "BL" は、知る人ぞ知る、なんですよね。。
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"びわと友一" は創作に生まれ、"徳子と犬王" は歴史に埋もれた人物。
そして、びわと徳子がバディとして描かれたように、友一と犬王もそう描かれます。
彼ら彼女らの生命の描きようは、動乱のうねりにおける静と動との対比です。
しかも、女性性を描いたびわと徳子とは比較にならないほどに、犬王と友一とは凄まじくダイナミック。
もはや、平家を介して一心同体であるかのように感じます。
となれば、時の支配者は、世阿弥と犬王との芸事芸能の趣きを対比させたのではないでしょうか。
そして、前者の肉体を侍らせるかわりに、後者の霊統を抹消したのではないかと感じています。
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犬王と友一は、小さな "びわ" とは違うアプローチで、 "もう一つの平家物語" を復活させようとする "傑物" であり "逸物" でもあります。
海底に封印された平家一門の怨念を、地上に引き揚げて咆哮させる、エネルギッシュ極まる語り部と踊り手です。
であればこそ、彼らはとことんアウトローとしての造形と立ち位置にならざるを得ません。
即ち、常に地上の王に首ねっこを押さえ込まれ、ついに歴史からさえも抹殺された、異能のパフォーマーだったと言えるでしょう。
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800年前、鎮魂の祈りに自分を見出した "びわと徳子" の視線は、まだ記憶に新しい。
600年後、鎮魂をみずから体現しようとした彼らの舞曲も、負けじと耳に突き刺さります。
突如として、令和に現れた新しい平家の脈絡。
彼らから発せられる外連味のないメッセージを、ぜひとも心に読み取ってほしい。
彼らが残せなかった名前を声高に叫び、現代に呼びさまして欲しいと思っています。