「DRAGON BALL Z 神と神(アニメ映画)」

総合得点
62.4
感想・評価
218
棚に入れた
1175
ランキング
4805
★★★★☆ 3.6 (218)
物語
3.3
作画
3.8
声優
3.8
音楽
3.4
キャラ
3.8

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ネタバレ

sinsin さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

これで最後のドラゴンボールだと思う

このたびまた加筆したのでまた投稿させてもらいます。
この作品を観た感想はそうだよね。これまでと同じドラゴンボールZ踏襲しても総スカン食らうだけだよね。鳥山先生もうこういうふうにしか創るしかないよね。って感じがした。
そう、それが素直な感想である。
そして、コミカルなどたばた劇とスリリングな駆け引きは高度なキャラクター造形と相性がよくとても楽しめた。
久しぶりである。こんなにアニメが面白いと感じた事は。

まず、この作品に対して自信を持って言える事はこの作品、まあ鳥山先生の作品全般、漫画の半数以上の作品にも言える事なのだがキャラクターの造形とそのキャラクターの放つ台詞、脚本が高度にリンクしている事である。
例えばこのキャラクターがこんな造形でこんな台詞いったら意外で面白いだろうなとかそういったところを上手く表現してくる面白さがある。
それは、創作劇の面白さとしてはとても高度なマッチングを感じてしまう。それはとても漫画的アニメだと感じる。
なぜならこの作品キャラクターデザインが鳥山先生自身で脚本も殆ど鳥山先生自身であるということ。これをもってこの作品は立派な作家アニメーションと言えるのではないかと思うのである。したがって漫画ドラゴンボール同様面白い。
作画も老舗のいい感じの表情の崩し方で親しみがあってあまりかっちりしてなくて雰囲気にあっていてとてもよかったと思う。

そんなドラゴンボールの世界をちょっと文芸的に切り込みたい。
まずこの作品はコミカルなブルマの誕生日パーティーが舞台である。そこに宇宙最強?のビルスをまじえハラハラドキドキの駆け引きが展開される。このビルスにはゴクウのスーパーサイヤ人3でもぜんぜん歯が立たない文字どうり最強である。
破壊神ビルスは神であってもとても無邪気でありながら最終的にも強化されたゴクウに打ち勝つ。
そして最後にビルスは負けたゴクウに対して軽く言い放つ。「そこにいる付き人ウイスは師匠だ」と。そしてゴクウにいたっても二番目にあった強いやつだと言う。そして自分は7番目の宇宙の破壊神でまだ宇宙は12あるのだと言う。
そう、このビルスにいたってもまだ上には上がいるのだと言っているのである。
ゴクウの強化された姿は、意外にも通常時のゴクウとさほど変わりがなくこれもいい意味で視聴者の期待を裏切ってくれたがこれまでの展開とは違ったギミックでもビルスには勝てないと言うのは視聴者にとって最高のいい意味での裏切りとともにこれでやっとマンネリから抜け出せるのである。
そして、予想を超えた展開驚きは視聴者の度肝を抜き楽しませてくれるのである。
それは圧倒的な運命的な力の前では例えそれがとても不条理なものでさえ素直にそれを人間は受け入れるほかないと言っているように感じた。つまり、人間は全能では無いと言う事。その謙虚な姿勢がいい。破壊神ビルスでさえまだ自分よりも強いやつがいるようなことも言っている。これをもってドラゴンボールは終われるのだと思う。
コレは長い間ドラゴンボールシリーズで続けられた展開、パワーアップからの絶対勝利に対するアンチテーゼと同時にシリーズの清算でもあり贖罪ではないかと思うのだ。

続いてドラゴンボールZの世界観をもう少し掘り下げたいと思う。
この作品の中で出てくるキーワードの中でスーパーサイヤ人ゴットと言うサイヤ人の新強化スタイルが出てくる。
このスーパーサイヤ人ゴットと言うのは6人のサイヤ人の血統が必要で時限付の強化形態である。
この作品の中でここまで登場してくるサイヤ人たちは全員でも5人であった。したがって強化できなかった。
しかし、ここで最後の6人目としてビーデルのお腹の中のゴハンの子供が選ばれる。
どうなるかわからなかったが、何とか強化に成功したようだ。
このことは一つの血族、血統のつながりの強さをスーパーサイヤ人ゴットは表現していたのではないかと思うのである。
そこで一つ面白い台詞をゴクウが言う。「悔しいんだ。みんなの力を借りなけりゃこうなれなかったのが!」
そう、サイヤ人は誇り高い種族で1対1の戦いを好んでその様子はシリーズ全般で表現してきた。
ここでもう一つ面白い演出があった。べジータの心境の変化である。
あらかじめゴクウのスーパーサイヤ人3でも勝てないと界王から告げられていたせいもあるのか、それまでのシリーズでは強いやつとなら問答無用に戦ってきたべジータはこのときできるだけ自分の持っている全力でプライドを捨て去り争いが起きないように立ち回るのである。
その様子がとてもコミカルで面白いのだが、その姿は以前のべジータからは想像もつかない様子なのである。
最強のビルスに対して媚を売らざるをえない誇り高きサイヤ人。と言った珍しい光景が見れる。
そんな、サイヤ人の誇りを捨て去ったとしてもゴクウはビルスには勝てなかった。

しかしでも、ドラゴンボールシリーズに出てくるサイヤ人達、主にゴクウだがいつも絶望の世界を救い未来を切り開いてきたと思うのだ。そして様々なファミリーつまり色々な家庭をサイヤ人は創り出した。
中でもべジータの今作での変容は凄まじい。自分のプライド、命よりか、家族を大切に思ってる。
ゴクウはまだそこにはいたってなさそうだ。劇中ではまだ戦いを楽しんでいる様子だったし、ブルマの誕生日パーティーも忘れてトレーニングしていた。
そしてスーパーサイヤ人ゴットになっても一人で到達できなかったのが悔しいといっている。
ゴクウのその先に何があるのかわからないが、ゴクウは現状にも満足していないようだが、べジータ、ピッコロは今作では現状にある程度満足しているように思えるのだ。
大人になった子供としての象徴としてのべジータ、子供のままの大人のゴクウが対象的である。

ビルス、ゴクウ=厳しさ、ストイックさ。分裂、分離。
対比。バランス=ゴクウの妻チチ。人間。ブルマ。
スーパーサイヤ人ゴット、べジータ、サイヤ人の血統。家族=結束。
この作品のテーマ性を考えるうえで重要なのはサイヤ人の血統の結束をもってしてもビルスに勝てなかったと言う事。その訳は、実は最強を求め続けるゴクウはいつも地球をシリーズをとうして結果的には守ってきてはいたがその実体その強大な力は破壊神となんら変わりなく、「ゴクウにいたってもその十分すぎる力は宇宙にとって不要な力なのではないか?」と言った一種の問いかけでではないだろうか?勿論視聴者に対しての。
「この世界でもっとも大事な家族を守る以上に必要な力は人間には必要ない」と言うのがこの作品の主張ではないかと思うのである。
そのためにゴクウは負けたのではないだろうか?

投稿 : 2014/04/23
閲覧 : 247
サンキュー:

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