能力で不気味なおすすめアニメランキング 2

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年04月20日の時点で一番の能力で不気味なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

65.7 1 能力で不気味なアニメランキング1位
妖怪人間ベム[第1作](TVアニメ動画)

1968年秋アニメ
★★★★☆ 3.6 (63)
268人が棚に入れました
無国籍的な雰囲気と異形の主人公たちの独特の哀愁が人気を集め、幾度も再放送された怪奇アニメの名作。どこかの研究所で生まれた怪異な3匹の生物。彼らベム・ベラ・ベロは気高い正義の心を宿しながらも、決して人間ではない妖怪人間だった。善行を重ねればいつか本当の人間になれるという信念から、世の中の悪人や魔性の存在と戦い、人々を助ける旅路を歩み行く彼ら。だが、そんな3人に、人々は必ずしも理解の目を向けなかった。

声優・キャラクター
小林清志、森ひろ子、清水マリ、藤本譲
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

時代性と普遍性を備えた名作

1968年10月~1969年3月放送のテレビアニメ。全26話。
放送50周年記念ということで2017年10月から2018年3月までBS11で再放送されたので初視聴。全26話ですが、諸事情から第5話「せむし男の人魂」、第8話「吸血鬼の寺」、第15話「狙われた目玉」は放送されていません。

国籍を設定しない独特の世界観で、毎回舞台となる街が変わります。三人の妖怪人間ベム、ベラ、ベロは正義の心で正しい行いをしていれば人間になれると信じ、悪い妖怪や怪異から人間を守るというストーリー。
全て一話完結で、様々なバリエーションを持たせています。昔のアニメなので細かい部分は突っ込み出せばキリがないですけど、時代を問わない内容の深さがありました。
60年代作品なので作画や演出は荒いですが、慣れてしまえば独特のパワーにあふれていて魅力的。
ベム、ベラ、ベロのキャスティングがよく合っていて素晴らしかったです。


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作品全体に、昭和43年の社会背景がどこか反映されている印象がありました。昭和40年代といえば高度経済成長期。(日本社会はいざなぎ景気と言われて湧き立っていたのと同時に、調べてみれば三億円事件などの大きな事件があったり公害病が認められたり、海外でもベトナム戦争があったり他にも色々…混沌としてますね)
忘れられ葬り去れらていく怪異や妖怪が描かれたり、人間に住処を追われた生き物の物語があったり。
とはいえ同年にアニメ版ゲゲゲの鬼太郎第一作目も放送開始ですし、妖怪に憧れる時代だったかも知れませんね。

「呪いの幽霊船」では、願いが叶えば魂を捧げるという約束に従いおじいさんは帰らぬ人となるのですが、これには人智の及ばない存在に対する畏敬の念を感じます。
逆に「鉄塔の鬼火」では鉄塔の下に置き去りにされた亡者の恨みや怒りを人間は知っていながら葬り去ってしまいました。「恐怖の黒影島」では、人魚のふりをさせられていた少女は妖怪の世界から解放され、人間の世界に帰ります。
他にも色々なお話がありますが、基本的に妖怪や怪異は消え去り、人間の社会に何か影響を与えることはありません。

皮肉なのはベム達三人は葬り去られる側であること。人間に味方しながら妖怪でもある彼らは孤立してもいるわけですね。
三人の絆は強く、明確に家族の関係性を意識した描き方がされています。
ベムとベラはベロをいつも見守り、手に負えないと思えば助けに入り、ベロが大きな間違いをしても、それを理解して謝れば二人は笑って許します。
子どもならベロに、大人ならベムかベラに感情移入できる点も本作の大きな魅力。妖怪人間である彼らに人間的だなんて言うと不思議な感じがしますど、それ以外に言い表しようがないんですよね。

本作のお話は非力な人たち(女性や子どもが多いかな)が怪異に悩まされ、見かねたベム、ベラ、ベロが彼らを助ける展開が基本。登場する子どもたちはベロと仲良くなっていくのですが、個性的で可愛らしくて和みます。
でも最終的にベロが良い友達として別れられるかどうか、三人が気持ちよく旅立てるかは別。
特に「すすり泣く鬼婆」はベロにとっては辛い話でしたが、恐ろしい目に遭った母子を責めることは出来ません。

そのため妖怪人間たちは板挟みとなり悩むことになる。特にベラとベロは顕著です。
ベラは序盤で人間になれない苛立ちをベムに諫められるシーンがありますし、女性特有の苛烈さも時には見せる。ベロは家族とも呼べる仲間はいても友達が居なくて寂しがり、人間に疎まれれば酷く傷つく。
彼らの人間味溢れるキャラクターにとても共感します。

もちろんすべての人間に嫌われるわけではなく、妖怪人間たちには救いもあります。
「怨みの髪の毛」で出会った姉妹とは、正体を隠したままではありますが穏やかに別れることができました。また「ベロを呼ぶ幽霊」で三人の正義の心を理解してくれる占い師の老婆もいました。けれども彼女は三人に感謝しながらも、街の人達に三人が誤解されてしまうだろうと街を離れることを強く勧めるのです。

そして、そのお話の後にあの最終回というのが何とも言えないですよね…。
生きた人間の体を乗っ取れば自分たちは人間になれるけれども、罪のない人を犠牲にすれば正義の心は失われ、人間には見えない悪を倒す力も失うことになる。時に癇癪を起こすほど人間になることを望んでいたベラさえ、妖怪人間のままでいることを何も言わず受け入れるのです。
ただベロに対してだけは人間になる機会を得て欲しいという様子でした。それをベムは理性的に押しとどめる。
二人の母性と父性が明確に表れたシーンで好きでした。

最後には、人智を超えた存在を受け入れない警察の手によって、火を放たれた屋敷の中で三人は消息不明となる。ですが「命とは魂だ」という言葉を信じて、三人は消え去ったわけではないと思いたいですね。ラストのナレーションからも、視聴者に対して希望を残しておきたいという制作側の気持ちが見て取れました。{/netabare}


古いアニメに抵抗のない人にはぜひおすすめしたい作品です。
妖怪人間たちの生き様と業の深さ、人間の温かさや醜さを淡々と突きつけてくるのが印象的でした。これを子ども向けとして制作した(できた)ことが最も時代を感じる部分かもしれません。(2018.5.24)



地元のレンタル店で借りたDVDで第5、8、15話、パートⅡのパイロット版を視聴。{netabare}

【第5、8、15話】
どれも良かったと思います。一番好きなのは「吸血鬼の寺」かな。ラストで囚人がベムに明るく「坊や。君は人間かい?」と聞いて笑って刑務所へ戻っていくシーンが好き。
理解し合って仲良くなれそうな人が登場したことが本作の悲劇性をさらに強めています。

【パートⅡ】
1982年制作のパートⅡのパイロット版の2話分(「血をむすぶ楡の木」「雪降る町の妖鬼」)について。

物語は妖怪人間たちだけでなく人間側のドラマも濃くなっていて、教訓めいた台詞も多くなった印象。
作画は80年代らしい美しい背景と、見やすく丁寧な画面作りが印象的。パイロット版だからか効果音や音楽の使い方に若干違和感もありますが、内容はテレビ放送できる完成度でした。
ちょっと勿体ないのがホラー演出が影を潜めてしまった点。
ですが代わりにドラマパートにはかなり尺を割いていて、一話分としてはかなりのボリューム。
アクションも洗練されてます。当然といえば当然だけどね。

68年版との大きな違いは二つ。
一つ目は舞台設定。68年版は無国籍だったのに対し、パートⅡは19世紀半ばから20世紀のヨーロッパ北部の物語と設定され、全体的に世界名作劇場のような雰囲気になったこと。
二つ目は妖怪人間たちも敵となる邪悪な妖怪も、より深く人間社会に潜り込んでいること。ベムとベラが人間社会に溶け込むために苦労する描写もあります。
とはいえ、脚本家と声優さんは続投なのでテイストは十分残っています。26話全部制作されていたら、時代性をどのように反映したかとても興味があります。

キャラクターデザインが柔和(3本指はそのまま)になり、声優さんたちの演技もそれに合わせてだいぶ変わっている感じ。イメージはベムはそのままで、ベロはストレートに可愛くなっています。
ベラはやっぱり美人だけど、スカートにスリットが入りました!戦いの中で髪がほどける演出などもあって。なんかもう可愛いなおいw
68年版のベラはグラマーで苛烈な美人、こちらはスレンダーで優雅な美人という印象。2006年版も観ていますが、そっちも好き。いずれにせよお母さんポジなんだけどw{/netabare}
(2018.5.28)

投稿 : 2024/04/13
♥ : 23

takumi@ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

人間を醜いと 子ども心にも初めて感じた作品

何度も再放送していたおかげで、すっかり主題歌を覚えてしまったけど、
最終回、彼らが無事人間になれたのかどうかを
まったく覚えていないのでした。

気になって調べたところ、次回作に持ち込むために
作者はあえて曖昧なまま終わらせたんだって。そうだったのか~

いまだに妖怪モノが好きな自分にとって、おそらくこのアニメが
一番最初の妖怪アニメだったと思います。
ほぼ同じ時期に「ゲゲゲの鬼太郎」も度々再放送してたけれど、
妖しげな音楽とともに、異国情緒のある洋館やおしゃれな車が登場する
こちらの作品のほうが好みでした。

しかし妖怪といっても、ベム、ベラ、ベロの3人は人造人間であり
昔ながらにいる妖怪たちとは別物なんですよね。

「早く人間になりたい・・」と強い希望を持ち、
人間に対して善意100%で向き合い、信じ、
人々を苦しめる悪者をやっつけるのに、外見の恐ろしさのあまり、
多くの人間達から迫害を受けてしまう彼らが不憫でなりませんでした。

見かけはどうあれ、美しい心を持っている彼らが、
エゴ丸出しで愚かな人間たちを見てもなお、
どうして人間になりたがるのか、子ども心にも不思議でしたが、
時々やさしい人間とも出逢い、友情を築けたりすると
つい信じたくなってしまってたのかもしれないですね。

で、観ている当時の自分も、彼らの友達になりたくて仕方なかった・・
「自分なら彼らといいお友達になれる!彼らのことをわかってあげられる」

今、これ綴りながら、そう思ってたことを思い出しましたw

そうか、そうだったんだよな・・・やっぱり。

でもこの作品、大人になって観てみると
人間社会への風刺とか、道徳的なこととか、家族愛とか、
けっこういろんなメッセージが込められてたことに気づきます。

だからやめられないんですよねぇ・・古い作品の発掘^^;

投稿 : 2024/04/13
♥ : 22

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

やっみーに隠れて生きる ウガンダー

 このアニメ幼いとき見てたんだけど、このレビュの50年前というのでその頃に私はいないので、見てたのは再放送ということになるです。今回で、このアニメを見るのは、3回目になるです。

 OPで「早く人間になりた~い」と言っているけど、慣れるのかなぁです。『妖怪人間ベム』なのに、主役はベロみたいになっているです。ときどきベラも活躍するです。

 出て来る悪い奴は、人間じゃないものばかりに限らず、悪い人間であることもあるです。その人間は、変身したベムと互角に戦えるのだから凄いです。
 人々のために戦っていても、報われないベム、ベラ、ベロだったす。ほんの少しベロとかが、感謝されることもあるけど・・・。

 今と違って、作画に非常な荒さがあるのと、ベロがかなり猿みたいな印象の顔しているです。ベラは、おかめだし・・・・。みんな指三本。毎回、次回予告で、怖~い話というのだけれど、あの頃も今もそんな感じがしなかったです。

 幼い頃最終回を見た時、あの終わり方が当時の私には理解できず、またやるのかなぁ?と思っていたけど、やらなかったことに困惑してたのを思い出すです。学校行ってた頃、2回目みたときやっと理解できたです。

 一話完結方式で、危険にさらされている人を見過ごせない、人間より人間らしさを感じることもある、正義の血が流れているベム、ベラ、ベロが、何か悪くないです。

投稿 : 2024/04/13
♥ : 10

61.8 2 能力で不気味なアニメランキング2位
妖怪人間ベム(TVアニメ動画)

2006年春アニメ
★★★★☆ 3.7 (16)
72人が棚に入れました
いつどこで誰が生み出したのか誰も知らない、人でも怪物でもない異形の生物……それが「ベム」「ベラ」「ベロ」の「妖怪人間」である。時には人々に迫害され、また時には友情を育みながら、いつか人間になれる日を夢見て彼らは世にあだなす悪と戦い続けるのだった。3人の合言葉は『早く人間になりたい!』
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

親子関係に時代性を反映した佳作

2006年4月~10月放送のTVアニメ。全26話。
1968年に放送されたTVアニメ「妖怪人間ベム」の新作。2018年4月から9月まで放送50周年プロジェクトで再放送されていて、実質初視聴でした。

より子ども向けの内容で、描写も若干ソフトになった印象。
妖怪人間たちの人間の姿は3本指から5本指に変更され、顔立ちも少し柔和なキャラクターデザインに。
終盤で結構ハードな展開になっていて、細かな部分でも1968年版をリスペクトしています。
OP、EDどちらも良かったです。EDラストに子ども達の家族がいるのが好き。
1968年版の「呪いの幽霊船」で母子が歌っていたわらべ歌でベロが遊んでいたり、ピアノの演奏で流れて嬉しかったです。BGMも音楽の使い方も好きなシーンが結構多くて楽しかった。


【1968年版との差異】
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主にふたつ挙げられます。
ひとつは妖怪人間たちが日本の港のある大きな都市に滞在すること。
1968年版では妖怪の姿で目撃されればそのまま旅に出てしまうけど、本作では妖怪の巣窟になっている都市に長く滞在することに。
このことにより、人間になかなか認められない展開とそれによる妖怪人間たちの苦悩が強調されています。
舞台となるのもきらびやかな高層ビル街と暗いスラム街が混在する架空の都市で、現代社会の縮図みたいなイメージでしょうか。
1968年版では外敵(妖怪や怪異)に人間に襲われることが多かったのに対し、人間が身近に敵を探すような疑心暗鬼や疑り深さが印象的でした。
自然破壊の話もいくつかあり、それは共通しているかな。

もうひとつは親の考えが絶対的な価値観ではなくなったこと。
1968年版では大人は子どもを守るために命を懸け、子どもも親の言うことをよく聞き、良くも悪くも反抗することは稀。良い親でも悪い親でもそれは同じです。母(親や祖父母)と子は一心同体に描かれていました。
2006年版で登場する母子の距離感の複雑さには、時代の変化と、大人の自信喪失が表れているように思います。 {/netabare}


【人間は本当に良いものなのか】
人間の業の深さは相変わらずよく描かれていて、結構胸を抉るような話も。
細かいツッコミ所は結構あるんだけど、「人間とは、心を正しく持ち続けられる存在」という点は一貫してよく描かれたと思います。
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ベロがとにかく健気。これでもかっていうくらい健気…
それからベラと女性の妖怪を対比する話が多かった。

他の映像化2作品(1968年版と実写版)と違うなあと思ったのが、人間になることを諦めかけるような展開や、人間は本当に良いものなのか葛藤する展開があること。
「妖怪でも人間でもない」からではなく「妖怪でも人間でもある」から葛藤が生まれ、中立的な立場で妖怪と人間を助けようとしたことが妖怪人間を窮地に追い込んでいくという点は本作の特徴ではないかと思います。

そして妖怪人間を子ども達が受け入れたとき、「魔の世紀」を終わらせる可能性となる。子ども達が希望のある未来を見据えて終わるのは良い落し所でした(魔のモニュメントに関してはもう少し説明が欲しかったけど、「この先良い時代を築けるかは君たち次第だよ」っていう子どもへのメッセージなのかな)。
ゲストキャラクターの再登場率の高さは同じ街に滞在していることに意味が見いだせるし、ベロとの関係を通して人間の心の強さや弱さも描くことが出来ています。{/netabare}


【親子の関係】{netabare}
「人間とは何か」という問いがベムとベラに迷いを生む展開に繋がっていきます。
本作では妖怪人間たちに生きる道を示した人物が回想で登場します。
デモクリトス老師は「妖怪でも魔物でも、正しい心を持ち続ければいつかは人間と呼ばれるようになる」と言い、ベムたちもそれを指標に生きている。
人間も妖怪も善悪の心を持つ者がおり、強者と弱者が存在することを、本作では描き続けています。

一方でベムにも、ある意味では親ともいえる存在が設定されたと考えると面白い。
しかも老師はホムンクルスを生み出したこと自体が仇となり、子ども同然のゴアに殺されてしまう。ホムンクルスたちに対して情愛があったにも関わらずです。

ベム・ベラとベロの家族の関係は1968年版と変わり、ベムの絶対的な父親像は廃され、ベラは子どもに優しく世話焼きな母親のよう。
妖怪人間たちが親子に近い描写なのは変わりませんが、ベム・ベラが迷いを抱き、ベロの心の強さとベロが築いてきた人間関係に救われることもしばしば。(しかもベムはベロに「正しい心を持って生きればいつか人間になれる」と言い聞かせながら、自分自身もそう信じたいと思っている節がある。)
それは人間の普通の家族と変わりません。
むしろ、本作で描かれる親子関係の中では最も健全です。

本作では多彩な親子関係が描かれています。
子どもを守るために言うことを聞かせるのか、子どもの判断を信じて自由を許すのか。これは1968年版にはない命題。

裕福な日向家の一人娘である雲英(きら)は特にそれが顕著でした。
雲英が母親と幾度となくぶつかるのは、母子であっても別の個人だから。雲英は母親のことを本当によく見ていて、第2話で「ママは物事の表面しか見てないから」みたいなことを言えてしまう。
だけどそこまで強い子はそうはいなくて、美月はぎこちない親子関係のために孤独を抱えているし、仕事で忙しくしている三上刑事の息子との関係は三上自身が変わるまで改善できない。この辺りは結構リアルかも。

終盤では美月の母と空の家族が小さな妖怪たちを守ろうとする描写や、最終話では雲英の父の「友達と嘘つきの違いが分からないような子に育てた覚えはない」という言葉や、雲英の母が後悔するシーンがありました。
この人達に育てられたからこそこの子達はベムと友達になれた、ということかなと思います。

そして、最も意志の強い雲英が最後に「この人達(ベロ達妖怪人間)は、私たちと同じ心を持つ人間なんです」と大人たちに訴える。ベロを守るためには戦わないといけないと決意してボーイッシュな服装になっているのも可愛い。ベロにもらったクマのぬいぐるみを失ったのも象徴的でしたね。

最後のベムの「人間だと認めてくれない人がいても良いじゃないか。あの子たちが友だちでいてくれるなら」っていう台詞はとても良かったです。
メタな視点では、妖怪人間たちが人間になれないのは確定してしまっている。でもそれが後味の悪い結末にならないように徹底してストーリーを運んでいたことが、子ども向けとして本当に素晴らしかった。
「悪い妖怪だと思われたままで良いの?それで人間になれるの?」ってはっきり言ったベロは偉かったと思います。{/netabare}

全体のテーマは一貫していて、なかなかうまく回っていたかなと思います。
ただ脚本ごとに細かい齟齬が出ていた感じ?単発回にツッコミ所が結構あったり、「ここはベロを信じた方が自然じゃないかな?」と思ったシーンもあって、ちょっと気にはなるけど…まあご愛敬かなwシリーズ構成が遊戯王GXと同じ武上純希さんだからねw
最終回は本当に良かった。子ども向けとしても結構な満足度でした。


【2006年アニメ版と2011年実写版の共通点や相違点について】
実写版も視聴済みですが出来も良く、とても面白かったです。
2006年版とは時代が近いこともあり、社会背景は共通点が多い印象でした。人間の心の美醜が強く描かれるのも共通。
それでいて、ターゲット層が子どもか大人か、人間とは何かという結論によって作風は全く違います。
{netabare}
実写版は完全に大人向けで、ベムが主人公に設定されています。根本的な設定の変更はいくつかあるものの、1968年版へのリスペクトは内容にも演出にも多々見られますし(月の演出やナレーション部分の映像を本編内に使用したりといった工夫には特に感心させられました)、「早く人間になりたい」という言葉の重みを感じるドラマに仕上がっています。
妖怪人間たちのキャスティングも良かった。ベム役に若い男性俳優を起用しているのも、作品の方向性に合致しています。ベム・ベラ・ベロって声優俳優に関わらず役者さんにとても恵まれていますね。

2006年版は基本的に妖怪人間の理解者は子どもで、親子の関係性もテーマに据えられている印象なのに対し、実写版は子どもか大人かに関係ないお話。人間の定義も、2006年版は「姿に関わらず正しい心を持つ存在」と示されたのに対し、実写版は1968年版とも2006年版とも違う切り口で臨んでいます。
連続性の高い濃い展開で出来も良いので、興味があればどうぞって感じです。 {/netabare}
(2018.10.7)

投稿 : 2024/04/13
♥ : 18

イカちゃん☆休止中 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

☆続編

平成の時代に合わせた雰囲気に様変わりしていて、
作画も洗練されてます。良くできた
ファンタジーホラーで
前作と比べながら楽しめるアニメです(*^^*)♪


アニメーション制作/スタジオコメット

アニマックス2006.4.1-10.7(全26話)


主観的評価(B)

投稿 : 2024/04/13
♥ : 3
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