「言の葉の庭(アニメ映画)」

総合得点
85.8
感想・評価
1995
棚に入れた
9506
ランキング
215
★★★★★ 4.1 (1995)
物語
3.9
作画
4.6
声優
3.9
音楽
4.0
キャラ
3.8

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ネタバレ

空知 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

アニメーションの枠を超えた、美しい文学的作品

他の方のレビューを読ませていただき、メッセージを通じて紹介していただいたので、鑑賞してみました。

少し長くなるかもしれませんが、まずはストーリーを追ってみます。ご覧になった方などは飛ばしてください。その後、自分なりの感想を述べてみます。


1. ストーリー(ご覧になった方は読み飛ばしてください。長いです)

{netabare}映像は公園内の池に雨が降り注いでいる情景から始まります。そして、美しい6月の新緑の映像から突然、大都会の新宿へと向かう通勤電車の情景に変り、高校に入って2ヶ月のタカオはこう呟きます。「子供の頃、空はもっとずっと近かった。だから、空のにおいを連れて来てくれる雨が好きだ」と。彼は、高校に対し、どこか子供じみた雰囲気を感じているようで、学校へは向かわず、傘を差して新宿駅から公園へと向かう。

公園内の東屋に着いたとき、そこには美しい女性が缶ビールを飲んでいる。この女性がユキノであり、やがて2人の物語が始まることになります。タカオは何も言わず、一礼し、東屋で靴のスケッチをし、ユキノは無言で缶ビールを飲んでいる。タカオは「あのー、どこかでお会いしましたっけ?」と沈黙を破る。ユキノは「いえ」と穏やかな声で答えるのですが、タカオの制服に付いているエンブレムを見て、「会ってるかも」と呟いたあと、「鳴神の 少し響みて(とよみて) さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」という短歌を詠んで立ち去って行きます。タカオにはその意味が分かりません。これは万葉集歌で、「雷が少し鳴り響いて雨が降ってくれないかな。そうすれば、あなたをここに留めておくことができるのに」という意味。実は、ユキノが彼が通う高校の教師なのです。入学したてで彼女に古典を担当してもらっていなため、ユキノが教師だと気付かなかったわけです。彼女はそのことが嬉しく、安心したのではないかと私は思います(理由は後々分かります)。

雨の日には、2人は同じ場所でまた会い、タカオはスケッチをし、ユキノはビールを飲む。この公園は、2人にとって、一時的な避難場所のような意味を持っているんだと思います。「ねえ、学校はお休み?」とユキノの問いかけに、「会社は休みですか?」と返すと「またサボっちゃった」。彼は笑顔で「お酒だけじゃ体に悪いですよ」と気遣うが、「あるよ」とユキノはたくさんのチョコレートを見せます。彼女は、あることが原因で味覚障害となっており、アルコールとチョコの味しか分からなくなっていた。タカオが学校に向かおうとすると、「じゃ、また会うかもね。もしかしたら雨が降ったら」と見送るユキノ。その日が梅雨入りとなり、2人は雨の日には同じ場所で毎日のように会い、少しずつ打ち解けていく。だが、お互いに名前も年齢も知らない。彼は毎日、雨を願うようになっている自分に気付きます。

タカオは、朝ごはんを自分で作っていき、ユキノはそのご飯を一緒に食べるようになり、不思議とタカオの作ったものを食べたときには味覚が戻る。味覚が戻ったことを、同僚の男性教師に話す場面があり、どうやらユキノは、その男性教師と不倫をしていたが別れたようです。電話を切ったあと、「この人はいかにも優しそうに話す」とユキノは心の中で思う。

ある雨の日、ユキノはお弁当のお返しとして、靴の作成方法の本をプレゼントする。「今、ちょうど靴を一足作っているんですけど、誰のかは決めていないけど、女性の・・」とはにかむタカオ。ユキノは、タカオの気持ちに気付いたようです。ユキノは、タカオに足のサイズなどを測らせているのです。女性が男性に、素足をさらけ出すというのは、信頼感がなければできないことでしょう。タカオはユキノの足に触れますが、タカオにはいやらしさがない。でも、このシーンは少し変な意味ではなく、エロティックな感じでした。

「私ね、上手く歩けなくなっちゃったの、いつの間にか」(ユキノ)
「それって仕事のこと?」(タカオ)
「ううん・・いろいろ」(ユキノ)

彼はそれ以上詮索しません。彼女にあこがれていても、名前も聞かないし仕事も聞かない。何を悩んでいるのかも詮索しなかった。あの男性教師のように、形だけの優しさを押しつけない。口にしないことが優しさの場合だってある。タカオは「この人のことを何も知らない。歳も、抱えた悩みも、名前さえも。それなのに、どうしようもなく惹かれていく」と自分の彼女への気持ちを心の中で自覚します。ここで、蝉が羽化した描写がありますが、これはタカオが大人へと成長したことのメタファーでしょう。

やがて、梅雨が明けます。雨が降らないため、2人は会えません。

「あの子が、学校をサボる口実がなくなって良かったなんて、今更ながらに考えてみたりするけれど、でも本当は・・梅雨は明けてほしくなかった」とユキノが独り思う場面が出てきます。晴れた日に一人で東屋に行き、本を読んではみるけれど、彼は来ない。
「晴れの日のここは、知らない場所みたい」とユキノがぽつりとさみしそうに言う。彼女もタカオのことが気になっているようです。ユキノのタカオに対する気持ちは恋なのでしょうか。この気持ちの解釈は簡単にはできませんが、「一緒にいると安心できる」という恋に近いものだと思います。

タカオも雨が降らないため、公園に行く口実ができず、そのまま夏休みに入ってしまう。靴の学校に進学するための学費と、ユキノの靴を作るための材料費稼ぎのため、ほとんど毎日アルバイトをしている。2人は会えない。ユキノは、ある朝、ファンデーション・コンパクトを床に落としたとき、ファンデーションが乾ききってひび割れしている。これは、雨が2人が会うことの口実でもあり、同時にユキノにとって、雨は心に潤いをもたらす恵みでもあるということのメタファーでもあると思います。
一方、タカオは、「あの人に会いたいと思うけれど、その気持ちを抱え込んでいるだけでは、きっといつまでもガキのままだ」と考え、「だから何よりも俺は、あの人がたくさん歩きたくなるような靴を作ろう」と決めている。なんと男らしい優しさだろう。ユキノは彼がそう思って靴を作っていることを知らず、独り公園でビールを飲んだりしている。

9月に入り、新学期が始まったとき、タカオと友人が廊下を歩いていると、職員室から2人の教師が出てきて、タカオとすれ違う。その瞬間、ユキノとタカオは、ハッとお互いに気付く。タカオはユキノが自分の学校の教師だったことに初めて気付き、名前を初めて知ることになります。この日は、ユキノが学校を去る日だった。

ユキノは、ある生徒が流した悪意のある噂で苦しんでいたようです。具体的には分からないのですが、もしかすると、噂は不倫のことだったのかもしれません。不倫などしていないと嘘を言ったがために、彼女は自己嫌悪にも苛まれていたのかも。タカオは、友人から、その噂を流した先輩の名前を聞き出し、抗議しに行くのだけれど、ボコボコにされてしまう。

タカオは、公園に向かう。ユキノは池の側にいる。彼は、ユキノに、「雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば」(雷が鳴らなくても 雨が降らなくても 君が引き止めてくれたなら 僕はここにいるよ)と言います。ユキノは、「そう、それが正解。私が最初に言った歌の返し歌」と。

「鳴神の 少し響みて(とよみて) さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
「雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば」

男女の恋心を詠んだ万葉の問答歌が完成するのです。これが、「言の葉の庭」というタイトルになっています。

その時、突然、雷が鳴り、大雨が降り始めます。2人が待ちわびていた「雨」です。2人を繋いでいた雨。心に潤いを与えてくれる雨。この物語では、「雨」が3番目の主人公でもあると感じました。2人は走って東屋に向かいます。ずぶ濡れになってしまいます。

その後、タカオはユキノの家に行き、ユキノが濡れたタカオのシャツにアイロンをかけ、彼はオムライスを作り、2人で一緒に食べるのです。味覚異常は完全に治ったのでしょう。2人の心は、「今が一番幸せかもしれない」とシンクロナイズします。コーヒーを飲みながら、タカオはついに言ってしまう。「ユキノさん、俺、ユキノさんが好きなんだと思う」と。しかし、彼女は、「ユキノさんじゃなくて、先生でしょ?」と大人の対応をします。彼女は、四国の実家に帰ると告げます。「私は、あの場所で、一人で歩ける練習をしていたの、靴がなくても、だから今までありがとう」。タカオは、諦めたように、礼を言って彼女の部屋を去った後、彼女は一人で泣いてしまう。色々な思い出がよみがえり、彼女はタカオを追い、靴も履かずに外に出ていく。タカオは、階段の踊り場にいた。

「ユキノさん、やっぱり俺、あなたのこと嫌いです。最初からあなたはイヤな人でした。自分のことは何一つ話さずに、人の話ばかり聞きだして、俺のこと生徒だと知っていたのに、そんなの汚いですよ。俺は、あんた教師だと知っていたら、靴のことなんか話したりしなかった。子供の言うことだから、適当につき合えばいいと思ってた。俺が誰かにあこがれても届きっこないって、あんたは最初から分かってたんだ!あんたは、一生そうやって、大事なことは言わないで、自分は関係ないって顔して、ずっと一人で生きていくんだ!」とタカオは涙を流しながら訴えます。その瞬間、ユキノは、涙を流し、タカオを抱きしめ、号泣します。「毎朝、スーツ着て、ちゃんと学校に行こうとしてたの。でも怖くて。どうしても行けなくて。あの場所で私、あなたに救われてたの」と初めて感情を強く吐露するのです。

雨と涙。水は、日本的感覚では「清めるもの、洗い流すもの」という意味合いがありますよね。「清浄」という字は、ともに「すいへん」です。ユキノは号泣し、感情を表に出すことによって、心が救われたのかもしれません。

彼女は実家に帰りましたが、手紙のやり取りはします。最後のセリフは、「歩く練習をしていたのは俺も同じ。いつかもっと遠くまで歩けるようになったら、会いにいこう。」{/netabare}

2. 感想

映像は素晴らしいです。特に、雨や池、木々などは写実的であり、新緑の光が顔や服に反射する技法もいいですね。アニメーションとは言っても、芸術的な出来映えです。間の取り方も絶妙ですし、僅か46分の長さであるにもかかわらず上手に演出、編集しています。作品としては引き込まれるます。最後の場面で、大江千里の"Rain"を秦基博がカバーしており、これもピッタリ。聴いたことはなかったけれど、歌詞をよく聴くと、今の時代では書けない詩かなと思ったりしますが、映像には合っています。

入野自由さんの爽やかな声と、花澤香菜さんの魅力たっぷりの演技も素晴らしかったです。花澤さんのファンなら、ユキノ役の花澤さんも知っておいたて損はないと思います。

この2人がこれからどうなるのかを考えるのは無粋ですが、愛というオチだとストーリーが台無しになるだろうと思います。 {netabare}物語の初めに、タカオの母親が一回り年下の男と家出する場面がありますが、新海監督は、ユキノとタカオの今後の関係を予感させるものとして、{/netabare}同じ年齢差にしたのでしょうか。私は違うと思います。

作品のキャッチコピーは、「"愛"よりも昔、"孤悲"のものがたり。」
恋という大和言葉は、孤悲らしいです。学生の頃、福永武彦の『愛の試み』を読んだことがあるのですが、その中には確か「相手の魂に対して、こっちに"来い"」というのが語源であると書いてあったような気もしますが、いずれにせよ、「愛」というのは本来の大和言葉にはないものであり、loveの訳としての外来語です。

46分という、普通のアニメであれば2話分の尺で、よくこれほど味わいのある作品を創り出したものだと感心しました。ただ一方で、脚本が現実離れしている感は否めません。15歳という思春期の男子。男なら経験したことがあるように、性的なことに非常に敏感になる時期です。{netabare}ユキノの部屋に行ったとき、{/netabare}欲望が芽生えないはずがない。プラトニックな描写ばかりで、やや現実離れしているかなと思いました。{netabare}階段の踊り場でタカオがだだっ子のようにわめき散らす部分は、{/netabare}彼の大人びた雰囲気を壊してしまうもので、もう少し違う方法がなかったものかと若干残念に思いました。案外、女性の中には、ここまでリアル感がないと、男性よりも興醒めしてしまう方もおられるかもしれません。また、笑いの要素が全くなく、泣ける部分も私にはありませんでした。ただ、不思議な余韻が残りました。それは矢張り、純粋でプラトニックな恋の作品だったからです。安っぽいラブコメ(僕は夜間帯のラブコメも大好きなのですが)に食傷気味のとき鑑賞してみると、その良さが光る作品だと思います。

いずれにせよ、美しく文学的で、非常に素晴らしい作品です。実写化すると魅力がなくなってしまうと思います。女優や俳優には人間臭さがあり、どうしてもエロチシズムを感じさせてしまわざるをえない。アニメだからこそ演出可能な作品です。深夜アニメの数がどんどん増える状況の中で、こうした芸術作品としてのアニメーションを追求する制作集団にも、どんどん頑張ってほしいと感じました。

投稿 : 2015/09/11
閲覧 : 299
サンキュー:

36

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