「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語(アニメ映画)」

総合得点
86.7
感想・評価
1955
棚に入れた
9926
ランキング
184
★★★★★ 4.2 (1955)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
4.3
キャラ
4.2

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ネタバレ

ワタ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

dis-

そもそも自分はTV版の結末に納得がいってない。
具体的に言えば、ラストのまどかの願いに関してだ。
あれが魔法少女にとって真の意味で「救済」と呼べるものなのか?というところに疑問がある。

TV版のレビューにゴチャゴチャと長文を書き殴ったけど
要はあれ、安楽死させてるだけなんじゃない?と。
いや何も安楽死自体を否定するわけじゃないけど、本人の了承も何も得てないのが引っかかる。
キリスト教的救済の概念であるまどかの願いを、全ての魔法少女が望むとは限らないだろう。
そもそも現在過去未来、全ての魔法少女にとって「願い」とは美しく尊いものだという前提が
しっくりこない。歴史上、私利私欲の為だけに願った悪い魔法少女だってたくさんいただろうに。

結局のところ、まどかの「人の役に立ちたい」という思い=エゴが肥大化した結果であり
まどかのやったことは他者の意志を無視した独善的行為である、というのは流石に捻くれ過ぎか。

劇場版を観に行ったのは、そんなTV版の結末をこの新編で覆してくれるんじゃないかっていう
淡い期待があったから。で、実際どうだったかというと・・・


概念となったまどかの円環の力をもぎ取り、自らを悪魔と称し世界を創り変えた少女の姿があった。

暁美ほむら。
TV版の不満点の一つとして、ほむらの描写というものが自分の中にあった。
TV版では、まどかを救う為ひたむきになって奮闘するという演出のされ方だった。
そこにずっと引っかかりがあった。
「まどかとの出会いをやり直したい。まどかを守る自分(という立場)でありたい」
これがまどかの亡き骸を前にした最初のループ時のほむらの願いだ。
まどかのことを第一に考えてるように見えて、実際作中では自分本位でしかない描写が節々にある。
もちろん、純粋にまどかを思いやる気持ちもあっただろう。
しかしTV版ではその美点ばかりが強調され、
その裏にある本質が明確に浮き彫りにされることは遂になかった。

そして今回の新編。
ほむらの描き方に虚飾がなくなり、本質があらわとなる。これが見たかった。
ほむらのまどかへの思いは愛というより欲である(って悠木碧ちゃんが言ってたよ)
実際その通りだと思うし、愛があるとすれば、まどかへの愛より自己愛の方が強いと感じた。
自分の幸せの為にまどかの記憶を改竄し、理想の「鹿目まどか」とかけ離れそうになれば
何度でも宇宙の摂理に干渉し「リセット」をかけるだろう。
自分の都合で、まどかだけでなく他の多くの人の人生や世界を弄ぶことなんて厭わずに。

TV版のまどかの否定。そのアプローチの仕方が期待したものとは違ったけど
これはこれで面白かったし、観に行って良かった。
でも改めて思った。ほむらの歪みは元来の性格にもよるが、極度に歪んでしまったのは
何度でも時間を巻き戻せる力を持ってしまったからだろう。
それに加えて今回、世界を創り変える力も身に付けてしまった。
やはりこれは魔法少女になってしまったが故の悲劇であり、
続編があるとすれば魔法少女そのものを否定する展開を期待したいが・・・流石に無理か。

そう言えば、まどマギはディスコミュニケーションがテーマだという記事をどこかで見かけたが
この新編でその傾向は特に顕著になったと言える。
まどかとほむら、両者が抱く望みは全く異なるもので、想いが全く通じ合っていないのである。
TV版のラストで、ほむらはまどかの想いを汲んだように見えて
実際は到底納得できていなかったことがこの新編で判明した。
ただ思うのは、TV版ラストを綺麗にまとまったと思える人は多いだろうけど
そういう人にとってこの新編は蛇足でしかないんじゃないだろうか。
あまりそういう意見を見かけないのは結構不思議。

投稿 : 2013/11/04
閲覧 : 452
サンキュー:

34

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