「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(アニメ映画)」

総合得点
77.4
感想・評価
1548
棚に入れた
8453
ランキング
613
★★★★☆ 3.9 (1548)
物語
3.6
作画
4.2
声優
4.0
音楽
3.9
キャラ
3.9

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ネタバレ

たばこ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7
物語 : 2.0 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 2.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

エヴァの基本に立ち返る

エヴァってアニメは一言でいうと

●「自分探し」

という、青臭いテーマを描こうとしているアニメである。

自我が芽生えて、いっぱしにものを考えはじめるようになった中学生あたりが考えそうなテーマを、大の大人が真面目に取り組んじゃっている映画なんである。

「パソコンの前に座っているお前、今このレビューを読んでいるそこのお前、お前は一体全体何ものなのか、自分自身で分かっているか?」

と問うているのである。

通常、こんな馬鹿らしい問いかけなど、すぐに考えるのを止めて、大抵の人は社会に溶け込んでいくのが健全な有り方だ。

ところが、そうじゃない人も相当数世の中には存在していて、そういった人らがこのエヴァンゲリオンに共感し、熱狂的に支持するようになる。

世の中には、シンジのように、いつまでもうじうじと自分について悩み、葛藤し、人生の意味なんかを考えちゃっているチンカス・マンカス以下の人間がそこそこな数いるのである。

そして、悩んだ結果、やりたいことが見つからず、いつまでたっても定職につかず、ニートやフリーターになって何の自己実現もできない、そんな人間が増えている。

そんな現代人に共通する「自分探しの旅」。
この病を描き続けているのが、ほかでもなく、このエヴァンゲリオンなのだ。

●悩める現代人代表 : 碇シンジ
この「自分探しの旅」ってのは割りと最近始まった、いわば現代病のようなものである。昔の人ってのは、こんなアホくさい悩みはほとんど持ち合わせていなかった。
というより、「自分」について考えたこともなかった。
なぜなら、
まず第一に、貧しかったからである。「自分探し」なんてしている暇があったら、畑を耕して稲のひとつでも植えて来い、と。そんなことやってたら、一家全滅、飢え死にしてしまうわけだ。こんな自分探しのたびなんてのは、金もちの贅沢病以外の何ものでもなかった。

第二に、宗教が心の底から信じられていたからである。どんな宗教にしろ、宗教ってのは「人生の意味」を所与のものとして人に与える。「自分はなぜ生きているのか」「自分はなぜ存在しているのか」、そういった問いに対する答えがあらかじめ、完全に決まっていて、だからこそ悩む必要などなかった。キリストでも、アッラーでも、仏陀でも、ゾロアスターでも、天皇でも、なんでもいいが、そこらへんのお偉いさんが勝手に決めていて、それを勝手に皆信じこんでいたわけだ。だから、悩む必要なんて皆無だった。

第三に、厳然たる「ご近所づきあい」が存在していたからである。人とのつながりが、半ば強制的に担保されていたのが、昔の環境だ。なんせ、昔は農業とか工業っていう「ものづくり」が主流で、というかほぼそれが全てで、だからこそ、「ほかのもの」を作っているご近所さんと「おすそ分け」して助け合いながら皆生活していた。いやがおうにも、集団の中の自分の役割ってのは明確になるし、自分が人の役に立っているっていう実感もあった。

とまあ、かなり脱線気味だけど、こんな具合で、昔なら「自分」について考える必要はなかったんである。

ところが、現代ってのは全く状況が違う。

まず、皆そこそこ裕福だ。食うには困らないって人が大多数だろうし、まして、「餓死しそうっす!やばいっす!」なんて状況はそうは無いだろう。裕福だから、時間がある。自分について考える余裕があるのだ。

また、宗教なんて幻想もあらかたぶち壊されている。現代人で、心の底から「神様」を信じているナイーブな人はそうはいない。あらかじめ人生の意味が与えられないわけだから、自分で見つけないといけない。けど、そんなもの簡単に見つからないから悩む。やりたいことなんてないのに、なぜか生きている。なんのために生きているのか考えだすのだ。

そして、ご近所づきあいなんて面倒くさい代物はもう存在しない。おすそ分けなどしなくても、とりあえず金さえ稼げば、物はもちろん、どんなサービスも金で買える世の中だ。仕事も形の無い「サービス業」が主流の世の中だ。だから、他人と無理して付き合わなくてもよい。会社では上っ面で接していればよくて、プライベートでは一人っきりでも何の問題もない。他人とのつながりが薄い。つまり、孤独なわけだ。孤独だと、もちろん自分について考えはじめる。

かくして、現代人は幸か不幸か、「自分」について考える環境が完全に整ってしまった。
「自分」について気付かない幸せだった昔とは違うのだ。

その代表が「碇シンジ」である。

この碇シンジ、やりすぎだろっていうくらい自分について悩むw
自分の存在意義とか、他人が自分のことをどう思っているとか、自分は何をしたいんだろうとか、なんでほかの人は自分の気持ちを理解してくれないんだろうとか。
ウジウジと、いつまでも、どこまでも悩み続ける。まさに「ATフィールド全開!」なんである。

しかし、ご存知のとおり、この問いに「答えはない」。
少なくとも、仮に答えがあったとしても簡単にはそれは見つけられない。

エヴァってアニメは、この「不毛な自分探し」をする現代人を、碇シンジというキャラクターを通して表現しようとしている。

●シンジを徹底的に孤立させる
随分と前置きが長くなったけど、ようやく「エヴァンゲリオンQ」という映画の位置づけについて述べる準備が整った。
このエヴァQ は、前作エヴァ破でちょっとだけ自分探しの旅から抜け出せそうになったシンジを、一転、ぼっこぼこにして、徹底的に苛め抜くために作られた映画だ。

エヴァ破において、シンジは自分の存在意義、エヴァに乗る意味を見つけた。それは、綾波という大切な人を助ける、という単純でそれでいて、シンジにとっては自分の存在を肯定させるに十分な理由づけを持つことができた。
「大切な人を守るために自分はエヴァに乗るし、そのために自分は存在している」

これは例えるなら、「家族のために仕事をするサラリーマン」とか「子供のために頑張る主婦」とかと同じようなモチベーションで、自分探しに対する割とシンプルな結論だ。

大事な誰かのために、自分という人間は存在していて、そのために仕事をする。
大事な綾波を救うために、自分という人間は存在していて、そのためにエヴァに乗る。

こういう構造だ。分かり易いし、共感を得やすいシナリオだ。だから前作のエヴァ破は、理解が得られやすく、エンタメ要素も手伝ってか、割と高評価だったんじゃないかと思う。

ところが、そんな単純な答えで「自分探し」が終わるはずがないw
だったら、現代人は皆幸せだw
だから、エヴァQでは、徹底してシンジをいじめる必要があった。
シンジの「自分探しの旅」はまだまだ終わらせないぞ、とw
そういうわけだ。

まず、このエヴァQ、前作からいきなり14年の時が経過しているw
かつ、シンジだけは14年間眠り続けていたので、シンジ一人だけが14年後にタイムスリップした、といったほうが分かり易い。
慣れ親しんだ世界から一転、いきなり14年の時間を吹っ飛ばされる。
まずこれで孤立するw
あまりにむちゃくちゃで、強引なやり方だけど、とにかくシンジは孤立させられるw
さらには、ミサト、アスカと、タイムスリップ前は仲良くしていた人らに、ぼっこぼこにいじめられる。赤の他人に対する以上のミサトからの冷徹な態度に加え、アスカには理由も分からぬまま増悪をぶちまけられ、「ガキ」と罵られる。助けたはずの綾波も、レプリカに入れ替わり、初期状態のサイボーグに戻ってしまうし、極めつけは、孤独な中でようやく見つけた友人カオルも、おなじみ「首チョンパ」で死んでしまうw
とにかく、前作から一転、シンジの「自分の存在を肯定する」理由となりうる、大切な人らとの関係性がばっさりと断ち切られ、再び完全な孤立状態に追い込まれる。
そして、孤立状態に戻されたシンジは痛々しいほど苦悶し、おびえ、再び自分について悩み始める。

エヴァQは、改めて「悩める現代人代表:シンジ」という基本に立ち返るための映画なんである。

個人的には、「ああ、いつもの代わり映えのしないエヴァか」というガッカリ感と、シンジの「孤独感」を演出する手法が割かし強引で安直だったこともあって、とてもじゃないがもろ手を挙げて面白いと言える映画ではなかった。

投稿 : 2013/05/10
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サンキュー:

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