EGOISTでProduction_I.Gなおすすめアニメランキング 6

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのEGOISTでProduction_I.Gな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月04日の時点で一番のEGOISTでProduction_I.Gなおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

87.4 1 EGOISTでProduction_I.Gなアニメランキング1位
ギルティクラウン [GUILTY CROWN](TVアニメ動画)

2011年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (7195)
30365人が棚に入れました
「僕にはわからないんだ、みんなと何を話したらいのか。だから内心焦りながら”友達風”のものを増やして、生きてきた。」
 時は2039年。「僕」の名は、天王州第一高校に通う高校二年生桜満集(おおま しゅう)。欝屈した気持ちを抱えながら、どこか世間に覚めた視線を送る彼はクラスメイトたちとも一定の距離を保ち、ただ漠然と、平穏な日々を送っていた。学校の休み時間に交わされる退屈な会話。ヘッドホンから流れる少女の歌声。「…でも、これでいいのかな?」10年前、突如発生した”アポカリプスウィルス”の萬延によって、大混乱に陥った日本。無政府状態となったこの国は、超国家間で結成された”GHQ”の武力介入を受けその統治下に置かれることとなる。のちに「ロスト・クリスマス」と呼ばれるこの事件をきっかけに、日本は独立国家としての体を失い、形だけの自治権を与えられ、そして人々は、カリソメの平和を享受していた。スピードを上げていて走り抜けていく”GHQ”の装甲車。テレビから流れるテロのニュース。「僕にももっと、やれることってないのかな・・・・・・」しかし集の平穏である日常はある日、突然、打ち破られる。放課後、お気に入りの場所で出会った、ひとりの少女。彼女の名は、楪いのり(ゆずりはいのり)といった。集は憧れ、ウェブ上で絶大な影響力を誇る人気の歌姫。そして彼女には、もうひとつの裏の顔があった。”GHQ”からの「日本の解放」を謳い、命をかけて孤独な戦いを続ける

声優・キャラクター
梶裕貴、中村悠一、茅野愛衣、花澤香菜、竹達彩奈、嶋村侑、寿美菜子
ネタバレ

せもぽぬめ(^^* さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

・・・ずっと側に居ても、いい? (;`O´)oダメーーー!!∑('◇'*)エェッ!?

■「ギルティクラウン」ってどんなアニメなの(⌒^⌒)b
舞台は近未来の日本、突然発生したウィルスのパンデミックにより日本が無政府状態になるほどの危機的状態になったのでした。
そこに武力介入してきたのが、超国家間で組織されている「GHQ」だったのです!
そんな従属国に成り下がった日本でしたが、10年後に新たな戦いが起ころうとしていたのです♪

平穏な日々を送っていた天王洲第一高校2年の少年がある少女と出逢い「ヴォイド」という力を手に入れるのです。
その力とは、「GHQ」のロボット兵器を一刀両断するほどの破壊力だったのです!
また、少女の出逢いが必然的にレジスタンス「葬儀社」との出逢いともなり、彼の運命が大きく変わって行く事となるのです。


■「ギルティクラウン」と出逢った日の日記φ(*'д'* )
作画のクオリティーの高さは劇場版でも見ているような綺麗さと演出で本作品に対するスタッフの意気込みをかなり感じる事ができました♪
キャラデザに関しても、男の子の力強さや女の子の柔らかい肌の質感を丁寧に描写できていて感心するほどの出来栄えです♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
BGMの巧みな手法が秀逸で、シーン毎にメリハリあって他の演出をより際立たせている事も印象的ですね♪
緊迫感を出す場面や会話などでBGMが邪魔にならない様にちゃんと気配りがなされていているのが良くわかりますし、選曲のセンスも良いので好印象です♪

後は2クール枠を余すことなく使った壮大なストーリーがどれだけ見ている人の心に響く物になっているかでしょうね(*^-^)
1話観ただけではまだ全体像がハッキリしないので、なんとも言えませんけこの作品の雰囲気から並々ならぬ力強さを感じるのできっと満足いく結果を見せてくれると信じています♪


■総評
放送前はとっても期待していたノイタミア発ロボットアニメだったんですけど、心にイマイチ響かなかったみたいです(・・∂) アレ?
OP曲/ED曲/BGM/作画についてはかなりの高評価を多くの人から頂けてましたよね♪
もちろんσ(^_^*)アタシも同じように思ってました♪
でも残念なことに一番大切なストーリーの組立がチグハグな部分が目立っていて、押さえておきたいポイント見間違えていたように感じました。
そういった意味ではオリジナルストーリーらしからぬ出来栄えになっていたかもしれませんね。
まず、『友達』とか『背徳感』をキーワードに掲げていましたど、こだわり過ぎで足枷になっていたような気がしたのです。
たとえば、「友達を武器に戦う」キャラの個性をヴォイドの形として表現しているのですけど、ハレちゃんの包帯は良いとして、他の人のヴォイドの形が本当に個性を表現しきれていたのかなぁって思うのです。
どちらかと言えばストーリーに都合の良いように各キャラに当てはめただけのような印象のほうが強かった気がします!
また『背徳感』については、後ろめたい気持ちや罪悪感をどのように描写していくか、どう関連付けしていくかがポイントだったんですけどね(≧▼≦;)
とくに主人公の桜満 集(ouma shuu)の引込み思案で臆病な性格は、罪悪感や後ろめたい気もちを背負わせるにはやりやすいキャラだったと思うのですけど、その殆どが周囲の影響によって背負わされたものだったんです(´;ェ;`)ウゥ・・・
戦争を知らないナイーブな性格な集の心情をリアルに描いていたとは思うのですけど、ワンパターンな表現だったがために主人公としては物足り無さを感じちゃったわけなのです。
せめて終盤くらいは誰の影響も受けず、みずから道を切り開いた上で背負った『背徳感』をみせてほしかったなぁって思いました。
幼い頃の恙神涯(tsutsugami gai)が集のリーダーシップに憧れを抱いていた事や、最期にいのりとすべてを背負おうとした集の行動が、もっと素直に受け入れることが出来たかなぁって思うんです
…c(゚^ ゚ ;)ウーン
きっと最後の最後、誕生日のシーンを見た時にもっとスッキリした清々しい気持ちで見れたような気がするんですよね!

他にも、キャラデザが美麗な反面、見た目が幼く見えてしまうので、行動や言動に重みや深みを与えるべきだったのですけど、心情の変化が描写されていない場面もあって説得力が欠けているシーンが目についちゃいましたね(^▽^;)
「城戸 研二」の凶悪さや才能、「ダリル・ヤン」の不器用な生き方など、どれだけの人が印象に残ってるのでしょうか?
アンドレイ・ローワン大尉の名言{netabare}「生き直せるなら今度はもっと人に優しくしろ、本当はもっといい子だったんだろ、ダリル坊やは」{/netabare}
の場面は名シーンになるはずだったのに…いきなりそんな事言われてもねぇ(∀`*ゞ)

面白い設定や展開があっただけに、なんだかもったいなかったなぁって印象でした(^=^;
期待が大きかったぶん余計にそう思ってしまったんでしょうね♪


■MUSIC♫
OP曲『My Dearest』
 【歌】supercell(こゑだ)
 テンポやリズムに微妙な変化を付けて疾走感の中にギルティクラウンの世界観を表現したナンバー♪
 そんな変幻自在の曲を力強よく見事に表現してたこゑだちゃんって何者w
 
ED曲『Departures ~あなたにおくるアイの歌~』
 【歌】EGOIST(chelly)
 σ(・・*)アタシの中で2011年度バラード部門があったらNo.1ソングです♪
 この曲、簡単そうで難しい、切ない悲しげなバラードなんでよね!
 とくにAメロなんかはほとんどピアノの伴奏しかない中、見事に心憂い表現までも出来ているのです♪
 末恐ろしい17歳ですね・・・♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
 声質は透き通るようなウィスパーボイスで久しぶりに心に響く名曲に出会えました(*^▽^*)

OP曲『The Everlasting Guilty Crown』
 【歌】EGOIST(chelly)
 『Departures ~』とはうってかわってアップテンポのナンバー!
 この子はやっぱりバラード向きかなって、ちょっと思ったりして♪
 
ED曲『告白』
 【歌】supercell
 明るく元気で疾走感溢れるロックチューンなナンバー!
 
挿入歌『エウテルぺ』
 【歌】EGOIST(chelly)
 幻想的で淋しげなバラード♪
 安心して聴ける良質なバラードですね(*^^*)


2011.10.16・第一の手記
2012.05.19・第二の手記(追記:■総評、■MUSIC)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 123
ネタバレ

ヒロウミ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

やりたいことをやるとやっぱりそうなるんだよ!きっと!

コードギアスの世界観でヱヴァンゲリヲンみたいな物語をSAOのキリトがやるとこーなった!物語。



パクリとオマージュは別ものですよ。この作品はパクリではない。似ているからそれらの作品に寄ったように「見える」だけだ。ロンギヌスの槍やまどかの弓が出てくるのもきっとオマージュなのだろう。多分。


そもそもオリジナルでも面白くないなら良作とは言えない。コードギアスは作画ゴミでロボットや持ち物のデザイン超絶ダサい。話しにならないレベルであれはロボット系の作品にあってはならんだろ。ついでに設定もガバガハ。
SAOは物語が幼稚かつ短絡的。人間関係作れない人が作ったような作品でまともな物語となる2期のユウキの話しになるまで片手間で見ても長すぎる。バトルシーンも大した工夫を感じないし超退屈。ヱヴァンゲリヲンは物語のベースとなったものが深すぎて俺みたいな考察しない人間にはワケわからん。まどマギは全部が「重い」んです。とにかく重い。

などなど、粗はいくらでもあるもので。でも作った人に関わらず色々な作品から影響を受けるのは至極当然。子は親に似るものです。そしてその作品が何らかの影響を受けていても「良さ」は必ずある。その良さが粗を突き抜ければ必ず良作になるんですよね。突き抜ければ。
コードギアスは物語は面白かった!学園ネタが要らないけど。SAOの世界観は良かった!そう、そこだけ・・・。ヱヴァンゲリヲンはとにかく良いのさ、レジェンドだから。今観てもなんの遜色もない。まどマギは両手離しで誉め称える作品。重さ含めて全部良い。

この作品の良さはやはりデザインだろう。サイコパスでもレビューしているがロボットや小物類のデザインが近未来にしっくり合っている。近未来系作品でまともに見れる作品があまりない。ロボットなんか特にダサいのばっかで。ちなみにSTAR WARSですら苦手です。そんな私でも見れる作品を作ってくれるプロダクションI.Gには興味津々。

シュウのトラウマを活かせないところはキリト以上。ハレが○んでも活かせないのは最後に○○○と心を共にするからだろう。この構成が好きで儚いイノリがとても魅力にあふれ終盤はかなり熱くなり分かりきっていても涙が滲み出る。15話、18話、最終話に見事な山場があるが周回すると他の回がイマイチなんですよね。終盤にしか山場がないからマジで長い。そしてソウタは何度見てもムカつく!
ベースとなっていそうな部分もややこしいですね。ついでにシュウの感情移行が雰囲気で感じとれ!みたいな描写が多く後々セリフで表す暴挙をしちゃってるんです。良い物語なのに構成が若干荒い。

ちょいちょい挟む静止画での描写。あれホンマにマジでなんなん?って感じ。作画はとても良いのに動きがあるべきシーンに静止画って「あんたばかぁ?」なんですけど!チョーもったいない。プロダクションI.Gって人が走る描写苦手?サイコパスでもそうだったが明らかに重心がおかしい。
でもバトルシーンは素晴らしく私にとってはかなりの上物。武器もカッコいいし躍動感も素晴らしくスピード感溢れた作品です。

物語と声優さんの演技も相まってイノリ、ハレ、アヤセ、ツグミがチョーカワイイ。もうキュンキュンですね!茅野さんの色んな声が聞ける作品でもありますがツンデレな花澤様がサイコーです!ツンツンされたいぞー!シバキ倒してもら・・・。

そしてこの作品の至高の産物はやはり「EGOIST」じゃないでしょうか。躍動感溢れたメロディはこの後の作品でも素晴らしいものを残されています。歌詞分かりにくいけどね。supercellのEDは後期の世界に全く合って無かったなぁ。


今さら再視聴したのはパチンコの影響。アニメ系のパチンコやパチスロにハマっちゃって演出が面白くて。必死で演出を見ながら台パンチ(ボタン)をするのがチョー気持ち良い!エウテルペやThe Everlasting Guilty Crownを聴きながらイノリちゃん見ちゃえばムラムラしちゃいます。そんな中毒性のある作品。だけどもう見るの辛いぞぉ!次は何を台パンチしようか迷うなぁ!

満足度評価は若干花澤補正が入ってます!


【以下過去レビュー】
{netabare}
近未来に宿命と戦い背負う「人」の物語。

2クールしっかり使いきりキャラクターの感情がしっかり絡み展開も考えて作り上げられたバランスの良い作品でした。かなり登場人物が多く、黙示録をもとに作られたストーリーは本当に苦手というか訳が分からない。そんなややこしい物語でもスピーディーな展開はあっと言う間に1話が終わり22話の長丁場もいつの間にか終わってます。スピードがある分、序盤は置いてきぼりになりがちですが主人公とメインヒロインから目を話さず物語に沿えば楽しめると思います。
作画も基本的にはよく動いていて安定したもので良い作品と思います。ただ、優れた絵とちょいちょい手抜き感が強いシーンがあったので若干目につき残念でした。キャラクターデザインは私の好みでプラトニックな割には女の子たちはとても魅力的で普段は興味を持たない男性キャラクターも物語に嫌味無く絡んでてなかなかの良作。

ただ、10話の最後にイノリが出てくるシーンと20話のソウタとの絡みはもっときっちり描いて欲しかったですね。重要な局面でもっとイノリの気持ちの表現とシュウの人としての感情を感じたかったです。ちょいちょいある静止画の差込みは萎えますね。アニメは動いてなんぼでしょ。あとは最終話の二人の将来はもう少し見たかったですね。予定より短い終わりを迎えたのかな?
序盤のOPEDはかっちょええです!ってかイノリ役の人が歌ってないんだよね。残念。後半のOPEDは何も感じませんでしたがEDがある話数で心にぶっ刺さっちゃって2周目でも思わずホロホロきちゃいましたね。
超苦手分野であるロボ系作品としてのバランスは優れている作品でコードギアスでトラウマであるSF&ロボ系のジャンルに再度踏み込めるようになりました。数値的には神作に近いのですが重要局面の作りの甘さからその域には達することがなかった作品でした。惜しいなぁ。

花澤さんのシリアスなツンデレ堪りませんなぁぁぁ!ってことで毎度の色眼鏡評価です。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24
ネタバレ

kwm さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

絶賛と酷評が入り混じった名作、いや迷作

対象の胸元に手を突っ込んで『心』を引っ張り出し、具現化した武器として戦っていくのが特徴の作品。
綺麗な作画と素晴らしい音楽とは対照的に、どうしようもなく残念な脚本が目立っていました。
後に脚本家以外のスタッフを率いて作られた『進撃の巨人』は大ヒット。
『ギルティクラウンは犠牲となったのだ』と茶化すのは簡単ですが、それにはあまりにも惜しい高いポテンシャルを秘めた作品でした。
罪の王冠ギルティクラウンが実在するのなら、是非本作の脚本家に着用して頂きたい。

本作品で最も印象的だったのが、ヒロインの『いのり』がボーカルを務める作中のアーティスト『EGOIST』による曲の数々。
特に一番好きだったのが、いのりが作中において度々口ずさむ事になる『エウテルペ』という挿入歌。
『咲いた野の花よ』という歌詞から始まるこの歌は、流れる度に私の頭の中を空っぽにしていき、すぐに何も考えられなくなった。
カラオケで女の子が歌い始めたらそれだけで好きになってしまいそうな曲。
『歌で世界を表現する』という歌姫の彼女らしさがでていて、本当に設定に合致した最高の曲だった。
EGOISTは後にアニメの世界を飛び出してリアルでも活動する事になるのだけど、それに対してなんら違和感を感じさせないクオリティの高さ。
もちろん一曲だけではなく、オープニングやエンディングも素晴らしかった。

こうした楽曲の美しさや作画の綺麗さが目を引く一方で、ガバガバな設定や心理描写の少ないひどすぎる脚本には溜息しか出てこなかった。
今まで素材の素晴らしさが生かしきれなかった悔やまれる作品として『ラストエグザイル』を挙げてきたけど、それを容易く塗り替える酷さ。
特に序盤に関しては、世界中から集めた選りすぐりの高級食材を元に作った素人料理を見ているかのようでした。
これ以上のガッカリ感は当分無いと思うし、ただただ『どうしてこうなった…』としか言えない。
ちなみにこの作品を最初に視聴した時、3話を終えた後に一旦見るのを辞めていました。
意味不明すぎて見る気が起きなくて、結局ちゃんと見た回数も含めると1-3話を3周もしていた。

以下にその際にメモを取ったガバガバな設定について記しておこうと思う。
本当は登場人物達の意味不明な行動や設定の穴など、他にも書き切れないほど沢山あるのだけれど、キリがないので最も大事な一つとしておきたい。

これは『心を武器にする』という本作の最も大事な設定が序盤に崩壊しているという点。
非常に個性的で、あらすじを読んだ人を惹きつけるであろう大切な部分なのだが、序盤はこの設定がほぼ崩壊している。
未視聴の方でもハードルを下げるという意味でこれを閲覧できるよう、武器の性能など著しいネタバレになりえる情報は伏せてある。
これで少しでも総合得点の高さとの乖離で残念に思う人が少なくなれば良いなと思います。

{netabare}
第1話
主人公は心が具現化した武器『ヴォイド』を取り出せるようになる能力を得る。

第2話
敵から『万華鏡』という名のヴォイドを引き抜く。
万華鏡と叫びながらヴォイドを使用していた為、この時点で事前に何者かに名前と性能を教えられていたか、引き抜くとそれがわかる設定かのいずれかが確定。
しかし事前に主人公に情報を伝えているような描写は一切ないので、ここでは『引き抜くとわかるんだな』としか判断できない。

第3話
特定の形状のヴォイド探しを行う。
通行人など、片っ端から人の胸に手を突っ込みヴォイドを引き抜き、目当ての形状のヴォイドを探していく。
つまり誰がどんな能力のヴォイドを持っているのか、主人公は引き抜いてみないとわからない。
では何故、直前の2話の主人公はヴォイドを引き抜いた直後にその名前も性能も知っていたのだろうか?

第4話
新たに取り出した銃型のヴォイドを見つめながら『銃?』と疑問を持つ。
更に目をつぶりながら試し打ちをし、『なんだこれっ』と驚く。
やはり引き抜いただけではわからないのか?


第5話
仲間から引き抜いたヴォイドを別な仲間に即使用する。
直前のエピソードでは引き抜いた直後にその形状や性能について疑問や驚きを持っていたにもかかわらず、ここでは躊躇無く仲間に対して使用してしまう。
あれれ?引き抜いただけではどんなヴォイドかわからないんじゃなかったかな?
攻撃型だったらどうするつもりだったのだろう?
一体何が正しいのか。
{/netabare}

つまり、エピソードごとに主人公と武器に関する設定がちぐはぐで、整合性が取れていないという事なんです。
ヴォイドの扱いに長けていたかと思えばそうでなかったり、何故そうなのかが一切描写されていないので疑問しか残りません。
このように一人の脚本家が書いたとは思えない支離滅裂な展開が続くので、ストーリーが全く頭に入ってこないし、序盤は主人公への感情移入なんてとてもじゃないけどできませんでした。
説明一切無しで話が画面の中だけで進んでいってしまうこの感じは、アニメ史を塗り替えたとまで言われたあの『魔法戦争』を思い出してしまうレベル。
それでも良い所は他に沢山あったので、魔法戦争のように茶化したおふざけレビューを書く気にはなれなかった。

脚本や設定については酷評しましたが、序盤を3セットしてまで見たくなるほど惹かれるものはありました。
前半と雰囲気が全く違う後半部分についても、私好みな展開だったので飽きずに見れたというは大きかったです。
これについてはあまりにも急激な変わり方をしてしまうので、変化の内容もそうですがそのスピードに対しても驚いてしまう方も多いかもしれません。
2クール目に入った途端に本当に別作品のように変わります。
4クールにでも分けて作っていれば、設定の甘さや速すぎる展開もなかったんじゃないかな…、本当に惜しい。

何にせよ、音楽面の活躍っぷりが凄まじい作品でした。
『神OP』のタグが一位になってしまうのもわかります。
この素晴らしい音楽が無かったら最後まで見ていませんでした。
もしこれから本作を見る人がいたら、素材は凄く良いのでハードルは下げられるだけ下げて見てほしいですね。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 36

90.2 2 EGOISTでProduction_I.Gなアニメランキング2位
PSYCHO-PASS サイコパス(TVアニメ動画)

2012年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (5576)
26361人が棚に入れました
人間の心理状態や性格的傾向を、即座に計測し数値化できるようになった世界。あらゆる感情、欲望、社会病質的心理傾向はすべて記録され、管理され、大衆は 「良き人生」 の指標として、その数値的な実現に躍起になっていた。人間の心の在り方、その個人の魂そのものを判定する基準として取り扱われるようになるこの計測値を人々は、
「サイコパス(Psycho-Pass)」の俗称で呼び慣わした。

声優・キャラクター
関智一、花澤香菜、野島健児、有本欽隆、石田彰、伊藤静、沢城みゆき、櫻井孝宏、日髙のり子
ネタバレ

東アジア親日武装戦線 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

コーギトー・エルゴー・スム…全知全能の合図、しかし、それは絶望のイリュージョン…Vol.1

【レビュースタイル】
分類:考察
文章量:長文
専門性:高
難易度:高
閲覧留意点
※閲覧に際しては各分野に関する予備知識を必要とする。

【制作情報】
▼放送年:2012年(秋クール)
▼原作:オリジナル作品
▼ストーリー原案:虚淵玄(ニトロプラス)
▼アニメーション制作:Production I.G
{netabare} ▼話数:22話
▼総監督:本広克行
▼監督:塩谷直義
▼キャラクター原案:天野明
▼キャラクターデザイン:浅野恭司
▼脚本:虚淵玄、深見真、高羽彩
▼音楽関係
OP曲
「abnormalize」(#1〜#11)
作詞・作曲・編曲 TK / 凛として時雨
「Out of Control」(#12〜#22)
作詞・作曲・編曲・歌 Nothing's Carved In Stone
ED曲
「名前のない怪物」(#1〜#11)
作詞・作曲・編曲 ryo / EGOIST
「All Alone With You」(#12〜#22)
作詞・作曲・編曲 ryo / EGOIST
劇中曲「Trigger Finger!!!」(#12)
作詞 Shoko / 作曲・編曲 菅野祐悟 / 滝崎リナ
▼主要CAST
狡噛慎也(CV:関智一)
槙島聖護(CV:櫻井孝宏)
常守朱(CV:花澤香菜)
宜野座伸元(CV:野島健児 )
唐之杜志恩(CV:沢城みゆき)
雑賀譲二(CV:山路和弘)
他{/netabare}

1. 序
フランス革命以後近代ヨーロッパ、北米で生じたイデオロギー対立はフランス啓蒙が齎した「自然権」を巡る解釈や考え方の相違であると述べても過言ではない。
本作の核心である「シビュラシステム」を考察ないし哲学を進める上で「自然状態」「自然法」そしてかかるそれらから導かれた「自然権」の概念を領(し)っていることと、いないことで本作の厚みが根本的に変化する。
フランス革命の理論はモンテスキュー*1、ヴォルテール*2、ルソー*3など多くのフランス啓蒙哲学者が関与しているが、とりわけルソーはフランス啓蒙の始祖たる(人間理性の完全性を前提とした→ハイエク*4により否定された設計主義的合理主義)デカルト哲学の直系でもあり、特に国家の統治体制を説いたルソーの「社会契約説」は後年「あらゆるレボリューション」に欠かせないアイテムとなっている。

ルソー曰く「人間は生まれながらにして自由である。しかし、いたるところで鎖につながれている。自分こそが主人だと思っている人も、実は奴隷であることに変わりはない。どうしてこの変化が生じたのか私は知らない。何がそれを正当なものとし得るか、私はこの問題は解き得ると信じる。」*5

さて、初端から哲学を引用したが、このルソーの言説ほど本作の世界観を言い得て妙な文言はそうそう見つからない。
いや寧ろ、脚本(高羽、虚淵、深見)はルソー哲学をベースに本作の世界観が練られたのではないかと疑念するほど「自然状態」と「一般意思」の葛藤が描かれた本作の世界観はルソーが目指したユートピアに近いのではなかろうか。
本作が醸す世界は誰しもが「デストピア」と想像するであろうが、それはゲストとして第三者の立場で本作を俯瞰してのメタ感覚であることを認識する必要がある。
もし、未来の社会が「シビュラシステム」の支配下となっても、最適解で得られる幸福を享受する被支配層のほとんどは彼等に疑問を抱くことは無いであろう。
そう、中華人民共和国で実用化されつつある人民総監視社会「社会信用システム」のようにだ。

さて、ルソーを切り出したことで私のレビューを閲覧している諸氏は、本レビューがまたぞや政治思想に逸れることを懸念乃至は辟易したいることと思う。
また、学生時代に学習したことを思い出し懐かしさに耽る方もいると思う。

だが、勘違いをしてはいけない。

私がここで記述することは中江兆民*6らによってレトリックされたルソーの理想などではないし、世界を血に染める結果となったフランス啓蒙の死神的な所業を暴露することも一つの意思ではあるが、ここでのゴールではないので杞憂である。
また、マルクス思想やコミュニズムについては他のレビューでも触れているが、マルクスの政治哲学を成立させたフランス啓蒙を直接考察対象とするのは本レビューが最初であろう。

無論、保守主義者そして自由主義を尊ぶ者達にとって、破壊主義の始祖ともいえるルソー思想を育んだフランス啓蒙はマルクス主義以上に駆逐すべき存在、即ち人類の敵であることに異存は生じない。
だが、しかし、望むことなかれで生じた社会契約思想がデストピアの入口であっても、終末へと向かう道程は人類に課されたある種の”Fate”に導かれるならば、絶対倫理が支配する全体主義社会の到来は人類にとっては不可避なのかもしれない現実の脅威であるのだ。

フランス革命以後近代ヨーロッパ、北米大陸で生じたイデオロギー対立はフランス啓蒙が齎した「自然権」を巡る解釈や考え方の相違であると述べても過言ではない。
奇しくも本作レビューを推敲している間に鑑賞した『ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』*7に於けるBC自由学園(フランスモデル)のマリーが語った{netabare}「今度革命が起きたらぶっ潰してやる!」{/netabare}の台詞、嗚呼水島努監督もフランス革命を否定している保守派の同士なのかと共感したことが、とても印象的だった。

さて、本作の核心である「シビュラシステム」を考察ないし哲学する上で「自然状態」「自然法」そして、かかるそれらから導かれた「自然権」の概念を領(し)っていることと、いないことで本作の厚みが根本的に変化する。

脚本家達が(おそらく視聴者の知的好奇心を翻弄する意図を含めて)仕組んだ文学、哲学の引用技法に翻弄されるだけでは、本作の深淵を覗くことはできないであろう。
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*1Charles-Louis de Montesquieu(1689- 1755)仏
*2Voltaire(1694 - 1778)仏
*3Jean-Jacques Rousseau(1712 - 1788)仏
*4Friedrich August von Hayek(1899 - 1992)墺
*5Rousseau『社会契約論』(1762)
*6中江兆民『民約訳解』仏学塾(1882)
*7 2019年6月公開


2.世界観の哲学的考察
私として愉快なことは、思想的言説でコミュニズムを批判する行為を批判する階層が「シビュラシステム」を「デストピア」と認識する矛盾であり、この事実で世に蔓延る知識のカオス、即ち価値相対を明確に認識することができたことだ。
私は個人の自由が制限された全体主義の社会に生きることは真っ平御免故に、コミュニズムに代表される全体主義を尊ぶ左翼思想(左翼思想の出自を考えれば全て全体主義ターミナルへ向かう運命にある。)の全てを批判しているのだ。

では、本作のテーマ構築に当たり、何がどのようなサンクションを果たしているのかオービットスペースを検証していこう。

※本項は閲覧者において憲法学、法学、政治学、哲学、科学哲学、心理学、精神医学、自然科学一般の予備知識があることを前提に記述しており、内容は極めて難解であることを御理解願う。


2-1自然法概説
さて、本題に入ろう。神託の巫女を名乗る「シビュラ」の核心とは一体何なのかについて考察を深めていく。
ここから、閲覧者諸氏が頭痛を起こすであろうことは考慮せず「自然法」を説明する。

「自然法」を多少なりとも理解できなければ「シビュラ」の核心を紐解く「自然状態」や「自然権」への到達はハードルが高過ぎるか無理であろう。
まず「自然法」という考え方は、彼等と文化的系譜を異にする我々日本人の思考体系ではイメージするのは、厳しいとの前提認識を肯定することが肝要である。

{netabare} 理解へ向けての第一ステップとして『創世記』を皮膚感覚として捉え、次のステップとしてキリスト教(聖書)、イスラム教(啓典)、ユダヤ教(タナハ)圏(以下、では無条件の摂理である「神は万能なり」を具体的にイメージできる感受性が求められる。
この神は偶像化以前に存在する「創造主」であり、創造主=神=Nature(自然)のマトリックスを形成する。
特に肝要なことは、キリスト教等圏における”Nature”と”Culture(人為の文化)”は日本語における対義関係ではなく”Nature∋Culture”となる、つまり「人為」は「自然」の要素に過ぎないということだ。
つまり、聖書、啓典、タナハを規範とする社会では「人」も神の被造物である要素であることから”Nature∋Culture”の受容を諸氏は法の正体を観念に捉えて承認することが第三のステップである。{/netabare}

さて、以上の説明から聡明な閲覧者諸氏にはピンと来られた方も居るだろう。
自然法とは天地創造より発生した「因」が現在に至るまでに生じる「果」を司る基軸であり、アニメファン向けに例えれば『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)*8における「円環の理」が「自然法」に近しい概念(厳密には等価ではない)であろう。
これでイメージが補完されたであろうか。

そう、「自然法」とは神の被造物、神が定めた世界の条理(法)そのものなのだ。
端的に言えば【神の法=自然法】である。

{netabare} ところが「自然法」は厄介なことに所謂成文法の体裁ではないことから、中世から近世にかけて実態化させるべく様々な解釈論が相次ぐこととなる。
彼等は「自然法」の存続を、実定法の背後に隠れて未だに発見されていない条文のことと思考するが、我が国の法学はあくまで解釈することこそが大切なのである。
この点が自然法から発展した西洋法哲学と、自然法の概念なく理屈の輸入で始まった、我が国の法学思想の決定的な相違点であり、法曹に限らず政治家も「統治」の原理原則や、立憲主義に於いて本来の意味を履き違えるような迷路に陥っている。

この点は後に考察する「社会契約論」で更に厳しく吟味する機会を設ける。

次に「シビュラ」の深淵を紐解くには「自然法」と項目タイトル「近代自然法」の違いについても諸氏は理解を深める必要がある。
そろそろ私の説明だけでは心許ないかもしれないなので、研究論文からも引用する。
「自然法思想はーー形而上学的想定や神学的背景を前提にした中世的自然法から世俗的で経験論的な近代的自然法へとヒューム*9らによって転換され、それはカント*10にも継承されている。
自然法思想は、古代スコラ哲学に起源を持ちーー近代には「神」の存在を必要としない世俗的な形態をとって現れた。
ダントレーヴ*11は近代自然法を、次の三つの特徴をもつとする。
(1)合理主義:自然法は信仰と切り乾された自足的な人間理性によって把接される
(2)個人主義:社会は自由な諸個人が結ぶ契約に由来する「社会契約説」
(3)急進主義:不正な政府に対して「抵抗権」が認められる
しかし、ダントレーヴはこのような近代自然法の理論は、実際には自然権の理論であったと指摘しカントまで自然法の伝統は中断したとするが、このような特徴を共有しない自然法思想の系譜も存在する。*12」

上記の(1)大陸合理論、(2)社会契約説、(3)自然権はこの後に項を設けて説明を展開していく。{/netabare}
-----------------------------------------------------------------------------------
*8本作の脚本は虚淵によるもの。虚淵の思想を彼のコンテクストを通しての読解から考察分析するうえに於いて、バッドエンド回避の為に彼が模索してきたテクストの遷移を評価する必要がある。まず、小説『Fate/Zero』(2006)以前と以後では大きな変化が生じている。このインバータの変革は長い時間をかけて臨界に達したものであるが、彼は常日頃からダークファンタジーを指向する動機として「人々の幸福には辟易するウソ臭さ」と嘯いてのだが、バッドエンドには必ずしも肯定的ではなく、その理念的なパラドックスから生じる葛藤(虚淵自身の言質を借りれば「バッドエンド症候群」であり、これが原因で絶筆も考えた経緯がある。)が、その後の虚淵ドクトリンの格率となる「救済」の発見へと繋がる。小説『Fate/Zero』に於ける「救済」とは「功利主義」(「功利主義」には方法論に於ける広義と狭義があり、ここでは前者を示す。)的な発想、つまり、一人の幸福よりも二人の幸福・・二人の幸福よりもn人の幸福と「功利主義」が掲げる幸福の数値目標的な発想に依拠して「救済」の意味を本作に落とし込もうとしたが挫折する。その答えは同作Vol.1のあとがきで彼が本音を綴っている。『PSYCHO-PASS』のコンセプトにも重要な影響を与えているので、文字数を気にせず「あとがき」を引用する。「物事というのは、まぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく。どう転んだところで宇宙が覚めていくことは止められない。”理にかなった展開”だけを積み上げて構築された世界は、どうあってもエントロピーの支配から逃れられないのである。――故に、物語にハッピーエンドをもたらすという行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力を要求されるのだ。」私は、このあとがきを読んで彼の教養の奥深さと、社会洞察の鋭さに深く敬意を払うに至ったのだ。おそらく彼はアカデミカルな政治哲学への造詣は深くはない。しかし、それでも私が仮説した目的について、彼が政治哲学を踏まえなくとも「円環の理」は「自然法」へと還元される事実を疎明するに足る傍証が豊富であるからである。Magica Quartetの一員である彼自身の「宇宙の法則に逆行する途方もない力」換言すれば宇宙とは神(GOD)であり法則は「自然法」であることを見事に看破し、これを創造するしかないことを明示的に承認しているのだ。功利主義での救済ストーリーが無理だと悟った彼は『魔法少女まどか☆マギカ』では功利主義的描写を抛棄し、鹿目まどかの自己犠牲を通して「利他主義」を救済の前面に押し出す。『PSYCHO-PASS』では『Fate/Zero』で寄り道をした「功利主義」への清算を図る意味でも「利他主義」だけではなく対義の反駁として「利己主義」との相克を描写し否定を深化させる必要があったのではないのだろうか。故に彼にとって過去の自身への皮肉をも「シビュラシステム」に投射しているのだ。
直接参考文献:山本賢一、奥村元気『Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本』河出書房新社(2014)『虚淵玄の思想: 「愛」と「救済」の不可能性という観点から 』紀尾井論叢(2017)虚淵玄、悠木碧、斎藤千和、田中ロミオ『ユリイカ2011年11月臨時増刊号 総特集=魔法少女まどか☆マギカ 魔法少女に花束を』青土社 (2011)斉藤環『キャラクター精神分析』筑摩書房(2011)虚淵玄 小説『Fate/Zero』TYPE-MOON 星海社(2006)
※虚淵氏を考察対象とした上記註釈は一時的にタグを外して公開しています。レビュー全文が追加され次第タグを掛けます。{netabare}
*9David Hume(1711 - 1776)英(スコットランド)
*10Immanuel Kant(1724 - 1804)独
*11Alexandre Passerin d'Entrèves(1902 - 1985)英
*12太子堂正称『ハイエクにおける自然と自然法の概念』經濟論叢 (2005){/netabare}


2-2神の束縛から理性の解放を目論んだ大陸合理論
2-1では近代自然法は大きく二つの系譜に分離したことを説明した。
一つはデカルト*13が提唱した【「大陸合理論」→フランス啓蒙】と二つ目はベーコン*14、ヒューム、ロック*15に代表される【「英国経験論」→スコットランド啓蒙の系譜と法の支配とに峻別される。】である。
ここでは「英国経験論」の存在については意識することに留め、この項では前者「大陸合理論」を中心に説明する。

{netabare} スコラ哲学で発達した自然法のアーキテクチャーはデカルトの登場で神の所有から人の所有へと変化した。
彼の格率とは、理性との対話を演繹する思弁的な導入こそが無謬の価値と認識し、世界を理解しようとする思想である。

デカルトは「人が神の子ならば我もまた神の一部」であるとして人の思弁や意思は神と同等であるとの唯我独尊な価値観から自身の哲学をボトムアップした。
つまり、人類は自らの理性のみの力で世界を解明し(自然法の理性解釈に依って)人類にとって理想的な世界を設計できるとする実態としては確実にデストピアに至る狂気の国家観も「神の存在証明」*16からすべてが始まったのである。
後に、ここから少数のプロテスタンティズム内の神学的な意味合いから哲学へと移行した「理神論」のイドラがドグマの表象を覆い「社会契約思想」へと繋がる足掛かりとなる。
具体的にはデカルトの存在論において二つの存在「思惟の存在、神、論」と「原因の存在、神、論」を見出し、この二つの存在、神、論の「二重化」によってデカルト哲学が特徴付けられているということだ。

そして、二つの存在は論理的にはパラドックスを生じる関係なのだが『方法序説』*17「我思う、ゆえに我あり」は後にカントらの批判に晒されるまでは形而上学のモデルとして当時のあらゆる哲学者の規範的ルールとされたのだ。
少し考えれば、観測される側と観測する側の答えが常時一致(理性万能的課題)すると思考する方がどうかしているのである。

デカルトにおいて「存在者を純粋な存在者という地位に送り返す存在様式」とは、「対象という様式において存在するという存在様式」である。
この対象は知性にとっての対象であり、対象が存在者となるのは思惟されたものである限りにおいてである。
そしてあらゆる「思惟されたもの」に対して「思惟するもの」は先立っていなければならない。

このような思惟するものとその対象との関係は、思惟するものが卓越した存在者であり、さらにその他の存在者より確実に実在することの根拠となる。
このような卓越した存在者は「我(ego)」と呼ばれる。
しかし思惟するものは同時に思惟されるものである。
なぜなら思惟するものは自らの思惟を自身にまで及ぼし、自らを一つの存在者として対象化するからであり、思惟はより本源的には自己思惟を意味する。
そして「我」という卓越した存在者がその他の存在者に先立つと同時にその存在を根拠づけるのであり、対して思惟するものと思惟されるものとの関係によって語られる存在様式は思惟するものの思惟する限りでの卓越的な実在を根拠づける。
こうした二つの根拠付けから思惟の存在、神、論は構成される。

ここで存在、論は存在者を思惟されたものである限りで存在者と見做し、神、論は思惟するものという卓越した存在者としての「我」を見出す。
つまり、思惟するものと思惟されるものの関係は量子論で言うところの重ね合わせの状態であるが、人が認識し得る巨視的な形式で実態化(認識)するには相互の存在条件を否定しなければならない。
しかし、このような致命的なパラドックスの存在がありながらも、当時は高名な学者すらも解釈に翻弄されながらデカルト哲学から更なる合理を追求した結果、唯物論に呑まれ人間性を喪失したジャコバン派*18による大量処刑と粛清を正当化する如く、後にとんでもない悲劇に至るのである。
(フランス人権宣言における「平等」の理念は身分に関係なく処刑の平等化と大量処刑の効率化を促しギロチンが普及する。ギロチンはフランス革命の象徴でもある。)
フランス啓蒙の極限とされる共産主義*19に至っては、神の奇跡を否定する「理神論」から神の存在を否定する理性至上の「無神論」*20へと政治的実行に至るまでに昇華した結果、更に何が起きたかはあらためて記すまでもなかろう。

フランス啓蒙の発達を契機に欧州全域で神と人間は同等とする「理性万能主義」*21が闊歩することとなるが、この思想を社会システムへ適用した場合は後に政治学において「設計主義的合理主義」*22と定義される。
フランス啓蒙が承認した理性万能に立脚した全体主義の嵐は、ロシア革命とボルシェヴィキ支配*23、スペイン内戦*24、ナチス政権*25、文化大革命*26、カンボジアポル・ポト政権*27、天安門事件*28ではジェノサイドや大量虐殺が不特定多数の理性者の名において実行されたことを忘れてはいけない。
(ナチスによるジェノサイドは独裁者ヒトラーの意思であるとの反駁もあろうが、民主的手続きでヒトラーを選択した当時のドイツ国民の意思がヒトラーを彼等の代理人としたことに留意すべきであり、民主主義の名を借りた社会契約に潜む危険性の事実証明でもある。)

ある意味、演繹の絶対的価値に囚われたデカルト哲学の誤謬を戒める目的ではないにせよ、フランス啓蒙の趨勢となった「神の存在証明」はローマ法王庁の逆鱗を買い、彼の著作はイタリア方面で禁書目録とされた。
故に、イタリアは血塗られたフランス啓蒙に大きな影響を受けることなく動乱の19-20世紀の欧州においてファシスト党*29が政権に就く1929年まで思想的な安寧を享受した。

次に、デカルトが提唱した理性主義に唯物論を融合させて「自然状態」を再定義したホッブズ*30の思想について。
-----------------------------------------------------------------------------------
*13René Descartes(1596 - 1650)仏
*14Francis Bacon(1561 - 1626)英(イングランド)
*15John Locke(1632 - 1704)英(イングランド)
*16Descartes『省察』(1641)
*17Descartes『方法序説』(1637)
*18フランス革命期の政治団体。彼等が行った恐怖政治は「テロリズム」の語源となり、また議長席から見て、国民公会の左側の席を国民会派の位置としたことから「左翼」の語源となる。
*19『資本論』1867の共著者フリードリヒ・エンゲルスはその著書『反デューリング論』(1877)で科学的社会主義(=共産主義)は英国古典経済学、ドイツ観念論、フランス啓蒙の合作であることを明示している。
*20Marx『ヘーゲル法哲学批判』(1843)
*21Kant『純粋理性批判』(1781、1787)
*22Hayek『自由の条件』(1960)
*23B.レーニンが率いた「ロシア社会民主労働党」左派、後の「ソ連共産党」の前身。
*24 1936年〜1939年スペインで生じた、共産主義とファシズム勢力の代理戦争。
*25 1932年11月の総選挙で第一党を維持した「国家社会主義ドイツ労働者党」の党首A.ヒトラーが1933年にヒンデンブルク大統領から首相に指名された。
*26 1966年〜1977年まで続いた毛沢東思想復権の社会運動。このときの思想締め付けが遠因となり後にソ連崩壊をトリガーとして文化人、学生を中心とした民主化を訴える天安門事件に至る。
*27カンボジア共産党中央委員会書記長で共産党ゲリラ組織の「クメールルージュ」を率い1976年に首相に就任した。パリ留学中にフランス革命に強い感銘を受け、フランス共産党で共産主義を学ぶ。統治は原始共産制を理想としたマルクス原理主義であり、知識人、政府関係者等の旧ブルジョア階級を徹底的に弾圧し、大量虐殺を行う非人道的かつ文化破壊等の過酷極まりない政策を実行した。
*28 1989年6月4日、天安門広場に籠城している一般市民に対し人民解放軍が戦車を投入し実弾発砲してデモを強制鎮圧した事件。多数の死傷と政治犯として多くの市民が逮捕された。事件の模様は全世界にライブ中継され世界中で中国批判が巻き起こった。
*29イタリアの政党1922年設立。党首はB.ムッソリーニ。
*30Thomas Hobbes(1588 - 1679)英(イングランド){/netabare}


2-3自然法と唯物論のメランコリー

2-3-1唯物論
{netabare} 「唯物論」とは「物質を意識に対して根源的であるとし,感覚,知覚,表象など一般に人間の意識を客観的存在の反映としてみる物質一元論的世界観。」*31
お分かり頂けたであろうか。
以前、他のレビューで「史的唯物論」を説明したが、これはL.フォイエルバッハ*32系譜の「唯物論」の一つの形態であるだけで、本来「唯物論」は哲学分野における幅広いコンテクストの一種であり、かつ、世界観の解釈であると理解すると良い。
英語では”Materialism”でありイデオロギーとして分類されている。
要は、実在社会(形而下)で起こるすべての現象は「因果律」に支配されていることから、必ずしも現実とは不等価である「形而上学」をすべて「因果律」で解き明かそうとする姿勢、態度のことだ。
本来、自然科学にしか適用されない因果律の状態を形而上学にも適用する妄想の産物と断言しても良い。
つまりポパー流に言わせれば、反証の可能性があろうがなかろうが現実から空想まですべてを因果律でこじつける態度である。*33
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(2019)における量子論設定の妄想は苦笑いで済むが、唯物論は政治思想として発達し、結果、大量虐殺を招いているのだから単なる哲学的妄想では済まされないのだ。

例えば、満天の星空を見て、感情では「とても綺麗だ!」と思うのだが、唯物論では「網膜が星の光を感知し視神経を通して脳でイメージを表現している。」と考える。そこに星空に対する情緒を認める姿勢はない。
上記のように「唯物論の世界観」では人間の心象は「因果律」の範囲外であり、人間の自由意志や感情をまったく認めないか、さもなければなんらかの法則性に従うものとみる。

「唯物論の世界観」においては人間もまた機械的な道具の一種と看做されるのだ。
「唯物論」は(弁証法を用いた場合、哲学における対峙概念は被対峙概念と等価となる。)あらゆる全体主義的思想を構成することからも、コミュニストやナチスが人間的、人道的な葛藤を抱くことなく、機械的に大量虐殺を実行し得た思想のカラクリ(狂気の発生)も御理解頂けたであろう。

シビュラ曰く「再確認しましょう。常守朱、あなたはシビュラシステムの無い世界を望みますか?そう、うなずこうとして躊躇してしまう。あなたが思い描く理想は、現時点で達成されている社会秩序を、否定できるほど。明瞭で、確固たるものでは無い。」
上記第20話*34における「シビュラ」と常守朱の会話を思い出して頂きたい。
なる程、常守朱の意識にある正義は「シビュラ」から見れば因果律が存在しないタダのセンチメンタル(特殊意思)に過ぎないのだ。
現にあるシステムは因果律により保証されている前提があるからこそ、常守朱としては心理的な抵抗はあろうとも、ロジック的な正しさは受け容れざるを得ないこの状況こそ「シビュラ」の発想が「唯物論」に依拠している事実として御理解頂けるであろう。{/netabare}

2-3-2自然状態
{netabare}さて、常守朱においては「シビュラ」の正しさは認めても自身の感情には割り切れない何かがある、この状態の部分が社会契約における「特殊意思」であるが、啓蒙の時代、この概念に至る前に「自然状態」なるモデル概念が近代自然法の解釈過程で生じた。
本作の背景設定では世界中で「法治国家」を維持しているのは日本だけだが、「法治」ではない状態として他の国の国民(市民)はホッブズがモデリングするところの闘争状態にある「自然状態」であり、人間の本質構造の規定に基づいて、万人がアトム的な存在において平等かつ自由であるような国家を創造することが闘争のない「法治国家」なのである。
それ故に、本源的な恐怖こそが、同じく人間の本性に根ざしている他者を支配しようとする欲求を押しとどめているとし、恐怖は懸念であり、疑惑、不信、用心といった精神活動へと発展して行くとしている。

ホッブズ曰く。
「もし恐怖 がなくなれば、人間たちは生来益々熱心に、交際することよりも支配することを望むだろう。したがって次のように言わなければならない。あらゆる大きく長続きする社会の本源は、人間が抱き合う相互的な好意よりも、彼らが抱き合う相互的な恐怖にある。 」Hobbes(1642)*35
「主権は全体に生命と運動をあたえる人工の魂であり、為政者たちやその他の司法や行政の役人たちは人工の関節である。ーー内乱のさいの悲惨で恐るべき災厄と、支配者のいない人々のあの無法状態と比べると(主権への服従という)人民におこりうる最大の不便さえも大したことではない。ーー人民が主権者の命令によって殺されることがありうるが、そのようにして死につく者は、その行為をする自由をもったのであり、自由を侵害されたのではない。」Hobbes(1651)*36

お分かり頂けるであろうか。
ここで引用を行うのは、テクストを解釈的に決めつけることを極力避ける意味で、諸氏に彼の思考を読解して頂きたい主旨故にである。
ホッブズが考えた「自然状態」とは「自然法」の枷せが外れた社会における人間の本性を意味する。
しかし、そのような状況下では社会は維持できない。
再度、ホッブズ曰く、
「社会状態の外には、各人の各人に対する戦争がつねに存在する人々が、彼ら
すべてを威圧しておく共通の権力なしに生活しているあいだは、彼らは戦争と呼ばれる状態にあり、そういう戦争は各人の各人に対する戦争である。
すなわち戦争は、たんに戦闘あるいは闘争行為にあるのではなく、戦闘によって
争おうという意志が十分に知られている一連の時間にある。」Hobbes(1651)*36
ホッブズが言う「戦争」とは実際の戦争ではなく、人間同士の闘争カオスのメタファーであるのだが、状態として自然状態にある人間は恐怖の中で互いに向き合っていことを「戦争」で表現しているのだ。

さて、故に、社会(統治)の永続性は「彼らが抱き合う相互的な恐怖にある。」。
「シビュラシステム」の支配下にある市民は執行対象とならぬよう、色相の濁りを常に気にしメンタルヘルスのメンテナンスに務めなければならない。これこそが一方の側面である「執行される者」の恐怖を模写しており、「臣民が主権者の命令によって殺されることがありうるが、そのようにして死につく者は、その行為をする自由をもったのであり、自由を侵害されたのではない。」Hobbes(1651)*36と執行する者はされる者の自由を守ったと考える奇妙な関係性(相互的な恐怖)である。{/netabare}

2-3-3シビュラシステムと唯物論の親和
{netabare} 本項の主題は「唯物論と自然状態」である。
「唯物論」とは如何なるものかは既に説明をしているが、人間はあくまで生物活動体であり、本来そこには各人の持つ個性が存在するが、これは一切抹消され、画一された物質的な存在と規定される。
つまり、唯物論が想定する社会に存する人間に個性の概念などはなく、皆同じ思考で同じ行動を行う「アトム(原子で構成された物体の意)的な人間」が抽象的に存在するのみである。
雑駁に述べれば、唯物論が土台の社会(社会主義や共産主義など)において人間は「モノ」と同列なのだ。
そして、人間のアトム化とは「無神論」を背理で具象していることに留意されるとともに、純粋な唯物論の世界に「神」は存在しない(してはいけない)のである。

再度ホッブズ曰く(括弧内は私の加筆)
「世界にすべて存在するものは物体であり、それは自然的物体、人工的物体、中間的存在である人間体に区分される【唯物】。人間は元来利己的動物【自然状態、特殊意思】であるから、合意的契約をもって社会の平安を図らねばならず【社会契約】 個人の上に絶対的権威、すなわち人工的物体の最高位である統治機構【一般意思】を必要とする。」Hobbes(1651)*36
そして、人間とは恐怖の枷(統治システム)がなければ好き放題なことを行う利己的な存在である故に、個人が持つ一切の自由と権利を放棄して主権に服従せよと説く。
さて、閲覧者諸氏はなぜかくもスムースに英仏間で思想の連携が行われているのか疑問に湧く方もいるだろう。
一つは、デカルトとホッブズが旧知の間柄であったことと、更に大きな理由として、当時の英国はイングランドであり、スコットランドやアイルランドは別の王国であったこと。
特に、宗教的には英国国教会とは独立しており、カトリックが多いスコットランドは大陸(フランス)との文化往来が盛んであり、フランス啓蒙がスコットランドの哲学者に影響を与え、英国経験論(スコットランド啓蒙)という独自の哲学に発展し、スコットランドのみならずイングランド全土へ二つの啓蒙思想の影響が伝播する。
字数に余力があれば「シビュラシステム」を掘り下げる意味で英国経験論にも言及すべきであろうが、それはまたの機会にする。

さて、ここまで読了してくれた聡明な閲覧者諸氏には「シビュラシステム」とは「PSYCHO-PASS」結果で生じる不安を担保に市民を統治する恐怖政治の一種であることにもうお気づきであろう。
「シビュラシステム」の統治下おいては犯罪係数の規定値が100未満の者のみ市民の権利が最大限保証される社会である。*37

唯物論では人間であるか否かまでも生物学的事実で規定するのだが「シビュラシステム」が認定する市民も、複雑なアルゴリズムで計算された数値で判断される。
なお、この計算内容、結果の真偽について、作品中では仮説演繹よりも帰納的事実を強調して視聴者に描写されていることに十分留意する必要があるのだが、かかるレトリックは、意図的に狡噛慎也、槙島聖護、常守朱意における「シビュラシステム」へ葛藤を最大限に引き出す驚愕のシナリオ構成と演出である。
よく比較される『攻殻機動隊』シリーズでは、ここまでマニアックな哲学的細工を施した演出は行われていない。

また、本作は、多くの哲学者、文筆家の言葉が引用されていることから「衒学」の疑念も湧くかもしれないが、脚本家達が哲学者や文学者の言葉を引用したのは、それをプロットに落とし込んで物語を成立させる絶対の自信と、単に台本をなぞるだけではなく、それられと整合した演出技法としても哲学をバインドしたことは映画『地獄の黙示録』、我が国の黒澤作品と並ぶものであり、アニメ離れをしたテクニック故に確実に知的好奇心を揺さぶるのだ。

端的に表現をすれば『攻殻機動隊』は哲学に対して素直でありリスペクトの対象としていることに対し、本作は哲学に対して捻くれており、哲学と遊んでいるのだ。勿論、後者の方が私流の褒め言葉である。

以下は蛇足であるが『劇場版 幼女戦記』(2019)においてターニャ(ターニャ・フォン・デグレチャフ)がコミュニストを忌み嫌っている描写がある。
これは、ターニャの前世の日本の社畜が所謂「新自由主義」の代表格としてよく取り上げられる「シカゴ学派」に心酔している設定において、資本主義と計画経済の二項対立を企図したのであろうが、ここまでの解説を熟読された熱心な諸氏は本作や『攻殻機動隊』と比して『幼女戦記』の政治哲学設定の希薄さを禁じ得ないであろう。
ターニャの思考様式は明確に「唯物論」であり「シカゴ学派」の格率に存在するものは「唯物論」とは対極に位置する「法の支配」と「プラグマティズム」、「批判的合理主義」である。
私としては、同作品において「シカゴ学派」や「大陸合理論」、「理神と無神の峻別」に対する理解と知見不足を曝け出しただけに思うし、原作者はアカデミカルに則り政治哲学を勉強すべきであろう。
これ以上の詳細は、同作のレビューで述べる。

本来、人が人であることの証は人同士の相互認識(印象)で成立するものだが、人格の数値データ化や、生物学的な定義のようにマテリアルな事実を杓子とする考え方、即ち唯物論の世界観は歴史的事実に鑑みても、コミュニズムに代表される全体主義左翼思想にしか適用されていないのだ。

故に唯物論から紐解かれる「シビュラシステム」の概念の一部はホッブズの図版にあったと仮説できるが、ここまで「理性(万能)主義」、「理神論」、「無神論」、「唯物論」、「自然法」、「自然状態」と説明を続けてきたが、これでようやく「シビュラシステム」の哲学的核心の半分に到達したか否かであろう。

次項「自然権」、「社会契約」、「デストピア」推論と考察。
以後、追記予定。
(仮題)
相対的応報刑論、目的刑論から「シビュラシステム」の推論と考察。
物語構成技法の検証。
作品各論。
-----------------------------------------------------------------------------------
*31『ブリタニカ国際大百科事典』 ブリタニカ・ジャパン(2018)
*32Ludwig Andreas Feuerbach(1804 - 1872)独
*33Popper『科学的発見の論理』(1934)
*34#20 「正義の在処」
*35Hobbes『市民論』(1642)
*36Hobbes『リヴァイアサン』(1651)
*37公式サイト{/netabare}

文字数制限の関係で本レビューは分割掲載とします。
ここまで乱筆乱文なレビューを閲覧していただき、深く謝辞を述べます。
To Be Continued

2019年6月30日初稿

投稿 : 2024/05/04
♥ : 57
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

「分析官、鑑定結果は?」「哲学的中二病エンターティンメントかな笑」

※AKIRAをつい更新してしまったので、こっちも更新しておこう(長文注意)。
※第1シリーズ(オリジナル版)・新編集版・第2シリーズ・劇場版、全て併せた感想・レビューです。

◇劇場版の1時間23分付近(狡噛と傭兵隊長のダイアローグ(対話))

{netabare} ----------------------------------------
「国家が崩壊した世界では暴力の民間化が行われる。なぜなら組織された暴力の独占こそが国家の本質だからだ。暴力が拡散すると、それは政治以下的なものになる。社会的憤怒を源泉とした経済活動としての組織暴力だ。・・・ふん。」
「『地に呪われる者』か。ポスト・コロニアルかぶれの傭兵とは始末が・・・悪い。」
「ほう、腕だけでなく学もあるのか。ますます面白い。聞けばお仲間のゲリラどもは、随分とお前に心酔していたそうじゃないか。何か耳障りの良い思想でも吹き込んでやったのかぁ(笑)」
「知らないね。」
「だが、何だろうな。確かにお前と話していると不思議と気分が高揚してくる。ワーグナーの曲でも聴いているような。」
----------------------------------------{/netabare}

このシーンを観たとき、余りに愉快で、思わず声を立てて笑ってしまいました。
さっそく、『地に呪われる者』で検索すると、フランツ・ファノン著と出て来て、アルジェリア独立運動の指導者でポスト・コロニアル思想の先駆者とか(笑)。
それでついでに、「現代思想」なるものをさっと調べる際のマニュアル本として重宝している『現代思想入門』(2007年刊、PHP)のポスコロの項をチェックすると、たった1行だけマハトマ・ガンジーや魯迅と並んで、非西洋の思想家としてその名前が書いてあって、虚淵玄氏はこんなものまで読んでるのか!と、また愉しくなってしまいました。

本作は、このように哲学者・思想家・文学者の名前やその著作が、ワザとらしくも矢継ぎ早に出てきて(※ただし、冲方丁(うぶかたとう)氏がシナリオ原案を担当している第2シリーズはそうではありません)、まるで、これって「哲学的中二病」作品?といった感想さえ持ってしまうのですが、視聴し続けるうちに、それが次第に心地良くなっていくという、他に類例のない貴重な経験をさせていただきました。


◆それでも最初は、とっつきにくかった第1シリーズ

本作の第1シリーズ(オリジナル版)放送当時は、『まどマギ』の虚淵玄氏がシナリオ原案・脚本を担当する作品という事前情報に惹かれて、とりあえず第1話を視聴してみたのですが、責任主義・罪刑法定主義や応報刑論といった近代法の大原則を完全に逸脱する設定をいきなり見せつけられて、「何だこの狂った社会は?」と呆れてしまい、そのまま放置してしまいました。

ところがその後、本サイトなど各所で本作が話題になるは、新編集版さらに続編が作られ去年は劇場版も公開され興行収入8.5憶円のヒット作となるはで、これは一度は見とかないといけない作品だな、と思い直して、第1シリーズから劇場版まで一気観してみました。

これが、実に面白くって、とくに他作品では滅多に味わえない知的興奮を沢山味わえて、アニメの新しい魅力と可能性を、更にもう一つ発見できたような、そんな嬉しい気持ちになりました。

視聴した順番は、第1シリーズ(オリジナル版)→第2シリーズ→劇場版→新編集版で、その後さらに各作品をもう一周ないし二周したのですが、その中でも、上に書いた劇場版での狡噛と傭兵隊長のダイアローグ(対話)、そして、その後に見た新編集版の各話にある填島聖護のモノローグ(独白)および狡噛とのダイアローグが、特別に興味深く思えました。

多分、本シリーズは放送された順番のとおり、つまり、第1シリーズ(オリジナル版)→新編集版→第2シリーズ→劇場版、の順で視聴するのが一番楽しめるのでしょうね。

以下、各シリーズの各話の内容を簡易にまとめた後、本作でたくさん言及のある哲学者・文学者やその作品について一覧にまとめ、最後に填島および狡噛の印象的なセリフを引用しつつ、個人的な感想を長々と綴っていきます。
いけないな・・・自分も本当に楽しみ過ぎている・・・笑笑


◆シリーズ別評価

第1シリーズ ★★  4.7 
新編集版   ★★  4.8 
第2シリーズ ★   4.4 
劇場版    ★★  4.5 
-------------------------------
総合     ★★  4.7 


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回


===== PSYCHO-PASS サイコパス (2012年10月-2013年3月) =====

- - - - OP 「abnormalize」、ED 「名前のない怪物」 - - - -
{netabare}
 《起》 公安局刑事課の職務が示される

第1話 犯罪係数 ★ 冒頭に填島vs.狡噛、常守朱監視官の初任務(廃棄区画人質事件)
第2話 成しうる者 ★ 監視官・執行官それぞれの職分
第3話 飼育の作法 ★ ドローン工場殺人事件
第4話 誰も知らないあなたの仮面 ★ 人気コミュ主殺人・乗っ取り事件、填島再登場(*1)
第5話 誰も知らないあなたの顔 ★★ 続き

 《承》 凶悪犯罪の黒幕の正体が次第に明かされていく

第6話 狂王子の帰還 ☆ 狡噛執行官の過去(標本事件)、全寮制女子学園猟奇殺人事件、犯罪の黒幕(填島)
第7話 紫蘭の花言葉 ☆ 続き、ユーストレス欠乏性
第8話 あとは、沈黙 × 続き、校内捜査~結末、※かなりの悪趣味さは×
第9話 楽園の果実 ★ 雑賀元教授(黒幕のプロファイリング)、宜野座監視官の事情
第10話 メトセラの遊戯 ★★ 狡噛執行官おびき出し、廃棄地下鉄構内ハンティング事件
第11話 聖者の晩餐 ★★ 続き、狡噛・填島の初対面、常守・填島の初対面、填島の問い(*2)、親友の殺害{/netabare}

- - - - OP 「Out of Control」、ED 「All Alone With You」 - - - -
{netabare}
 《転》 社会の繁栄を支えるシビュラシステムの正体が次第に明かされていく

第12話 Devil's crossroad ★ 六合塚執行官の過去、シビュラ打倒レジスタンス
第13話 深淵からの招待 ★ シビュラの恩寵(*3)、免罪体質者(藤間幸三郎、そして填島)、常守のメモリー・スクープ
第14話 甘い毒 × 群発ヘルメット暴徒事件、街路での女性撲殺シーンが酷すぎる
第15話 硫黄降る街 ★ 填島の陽動、厚生省NONAタワー襲撃
第16話 裁きの門 ★★★ 続き、狡噛vs.填島、常守の選択、シビュラ中枢への到達、縢秀(かがり)執行官殺害

 《結》 シビュラへの信頼が失われた後の各自の決断が試される

第17話 鉄の腸 ★★ シビュラの正体(禾生(かせい)局長vs.填島)、填島から狡噛へのメッセージ
第18話 水に書いた約束 ★ 刑事課に広がる疑念、常守の成長(cf.第1話)、狡噛「法の外」へ 
第19話 透明な影 ☆ 雑賀再登場、填島の次の狙い、宜野座の消耗
第20話 正義の在処 ★ シビュラの真実・迫られる決断(常守)、穀倉地帯バイオテロ計画
第21話 血の褒賞 ★ ウカノミタマ管理センター攻防戦、征陸(まさおか)執行官殉職
第22話 完璧な世界 ★ 続き、填島の最期、宜野座の選択、後輩(霜月)の着任(cf.第1話){/netabare}
------------------------------------------------------------------
★★★(神回)1、★★(優秀回)4、★(良回)12、☆(並回)3、×(疑問回)2 ※個人評価 ★★ 4.7

※注釈
{netabare}(*1)填島の再登場シーンで、彼が両手に抱えているのは、有名なディストピア小説 George Orwell“Nineteen eighty-four”(ジョージ・オーウェル『1984年』)
(*2)「シビュラの神託のまま生きるか、自らの意思に従って生きるか」という問い。
(*3)禾生局長と宜野座監視官の会話「この安定した繁栄、最大多数の最大幸福が実現された現代の社会を、いったい何が支えているのかね?」「それは厚生省のシビュラシステムによるものかと」。{/netabare}

<視聴メモ>
{netabare}
・第1話視聴直後の感想として、フィクションとして面白かったのだけど、責任主義・罪刑法定主義を完全に逸脱する内容には開いた口が塞がりませんでした。
・第3話視聴直後の感想として、バトルの派手さは評価するけれど、特定人物の描写のキモさに少し閉口しました。
・第7~8話の、女子高生プラスティネーション(生体標本化)シーンの悪趣味さ・グロさも要注意。
・第14話の、女性撲殺シーンの悪趣味さも要注意。
・第16話で、ようやく第1話冒頭シーンにつながる。{/netabare}


===== PSYCHO-PASS サイコパス 新編集版 (2014年7-9月) =====

全11話 ※各話評価は割愛({netabare}オリジナル版の各話を2話ずつ組み合わせ、冒頭部等に少し新シーンを入れただけの内容の為{/netabare})


======= PSYCHO-PASS サイコパス 2 (2014年10-12月) ========
{netabare}
第1話 正義の天秤 <299/300> ★★ 公安局刑事課一係の新体制、二係酒々井(しすい)監視官の拉致
第2話 忍び寄る虚実 ★ 公安局への挑戦、鹿矛囲(かむい)からの問い掛け(WC?)
第3話 悪魔の証明 ☆ 公安局への挑戦(続き)
第4話 ヨブの救済 ★ 医療施設立て篭もり事件、青柳監視官殉職、※かなりのグロさ要注意×
第5話 禁じられない遊び ★★ 軍事ドローン施設捜査、ハングリーチキン事件
第6話 石を擲つ人々 ★★ ハングリーチキン事件(続き)、集団的サイコパス汚染、鹿矛囲との対面
第7話 見つからない子供たち ★★ 15年前の事故~成長復元ホロ、執刀医の告白(鹿矛囲の目的)
第8話 巫女の懐胎<AA> ★★ 続き、東金財団の秘密、鹿矛囲の正体はやや難あり×
第9話 全能者のパラドクス ★ 国交省役人晩餐事件、常守の祖母、※グロ注意
第10話 魂の基準 ★ 地下鉄立て篭もり事件、東金執行官の正体
第11話 WHAT COLOR? ★ 集合的サイコパスの受容{/netabare}
------------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)5、★(良回)5、☆(並回)1、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.4

OP 「Enigmatic Feeling」
ED 「Fallen」


======= 劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス (2015年1月) =======

全1話 ★★ {netabare}東南アジア某国へのシビュラ輸出計画、狡噛との再会、俺たちの闘いはまだ続くEND{/netabare} ※約2時間

OP 「Who What Who What」
ED 「名前のない怪物」


◆本作に登場する書籍、言及される哲学者・作家一覧と、そこから見えてくるもの

《第1シリーズ(オリジナル版)に登場する書籍、言及される人物等》
{netabare}
・第4話で、填島が手にもつ本は、ジョージ・オーウェル『1984年』
・第5話で、ルソー『人間不平等起源論』、寺山修司『さらば映画よ』(戯曲)
・第6話で、シェイクスピア『マクベス』、『タイタス・アンドロニカス』
・第7話で、キルケゴール
・第9話で、プラトン
・第11話で、デカルト
・第13話で、病室の狡噛が手に持つ本は、ジョセフ・コンラッド『闇の奥』。また病室の机に置いてある本は、スタンダール『赤と黒』
・第14話で、填島の読んでいた本は、岩上安身『あらかじめ裏切られた革命』
・第15話で、ウィリアム・ギブソン、フィリップ・K.・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、ジョージ・オーウェル
・第16話で、パスカル、オルテガ
・第17話で、スウィフト『ガリバー旅行記』
・第19話で、M.ウェーバー、M.フーコー、J.ベンサム「パノプティコン」
・第21話で、ヨハネ福音書「一粒の麦」
・第22話の最終シーンで、狡噛が船室に残していく本は、M.プルースト『失われた時を求めて-第1巻-スワン家のほうへ』{/netabare}


《新編集版のみに登場する書籍、言及される人物等》
{netabare}
・第2話で、クラウゼヴィッツ(プロイセンの軍人)
・第5話で、ミシェル・ヴィヴィオルカ(仏社会学者)
・第6話で、『ベーオウルフ』(古英語で書かれた英雄譚)
・第7話で、バートランド・ラッセル『幸福論』{/netabare}


《第2シリーズに登場する書籍、言及される人物等》
{netabare}
・第8話で、J.ベンサムの考案したパノプティコン(一望監視施設)に言及あり(※但し、第1シリーズ第19話に既出)
→第2シリーズは、虚淵玄氏ではなく、冲方丁(うぶかたとう)氏がシナリオ原案を担当しているので、虚淵氏担当分のような哲学者や文学作品の「中二病」的なひけらかしがない。{/netabare}


《劇場版に登場する書籍、言及される人物等》
{netabare}
・M.プルースト『失われた時を求めて-第7章-見出された時』
・フランツ・ファノン『地に呪われたる者』{/netabare}


◇ジョージ・オーウェル『1984年』を下敷きとした作品世界

本作の裏の主人公でダーク・ヒーローである{netabare}填島聖護は、第1話冒頭に登場した後は、第4話ラストまでしばらく出てこない{/netabare}のですが、その彼が再登場するシーンで手に持っている書籍は、上記のとおり、ジョージ・オーウェル『1984年』の原書(1949年刊)でした。
この『1984年』という小説の世界では、“Big Brother is Watching You.”(大兄が貴方を見守って/監視している)というスローガンが街のあらゆる場所に掲示されていて、このBig Brotherという全能の官僚システムによる人々の生活の保護と監視が抱き合わせになった社会の様相と矛盾が描かれているのですが、本作のシビュラは、これに相当する存在として描かれています。
そして、そうした全能の官僚システムが人々の生活を全面的に保護/監視する高度な「福祉国家(welfare state)」が成立している『1984年』の世界では、「厚生省(welfare department)」の役割と権限が肥大化していて、本作(PSYCHO-PASS)の作品世界でも、それを参照してか、公安(局)が現在の日本のような「内閣府」所轄ではなく、「厚生省(厚生労働省)」に所属している設定になっています。
また、そのような全能の官僚システムは、その正当性に人々が一切疑念を持たないように、不都合な真実(とりわけ不都合な歴史的経緯)を徹底的に隠蔽しようとすることも『1984年』には描かれており、本作(PSYCHO-PASS)でも、システムに不都合だったり余分だったりする情報(とくに歴史的経緯に関する情報)は隠蔽されている設定になっています。

→この後、沢山の文学・哲学作品や文学者・哲学者の名前が本作に引用・言及されていくことになるのですが、以上の点から、本作の作品世界が、この『1984年』を下敷きとしていることは明らかなように私には見えました。


◇填島の(≒虚淵玄氏の)"教養ラインナップ"

割と雰囲気だけで選ばれているように見える文学作品は別として、本作に言及のある哲学作品・哲学者の選択は、私には以下のように分類できるように思えました。

(1) 「大きな物語」ないし「大理論」を提唱するもの
 プラトン(哲人政治を提唱)、デカルト(理性による世界の再構築)、
 ルソー(社会契約による国家と社会のリセット)、ベンサム(功利主義による社会の再設計)

(2) そうした「大きな物語」「大理論」が具現化した世界の様相を描くもの
 ジョージ・オーウェル『1984年』(※これは小説ですが)

(3) 「大きな物語」「大理論」の不可能性を提唱するもの
 フーコー(※パノプティコンに象徴される隠された権力構造を批判したポスト構造主義の思想家)、
 デリダ(※脱構築を唱えたポスト構造主義の思想家)

(4) 申し訳程度にデカルトなど提唱の「大きな物語」に反論しようとしたもの
 パスカル、オルテガ

→以上から見えてくる、填島の(つまり、シナリオ原案・脚本を担当した虚淵玄氏の)"教養ラインナップ"は、冷戦終結以前(1980年代末まで)のもの、そして、こうした哲学・思想の潮流の伝播がどうしても周回遅れになってしまう日本に当てはめても、せいぜい1990年代中頃までのもの、であるように私には見えて、個人的にかなり興味深く思いました。
→つまり、冷戦終結後~現在までの哲学・思想のメイン・ストリームとなっている、英米系の分析哲学・科学哲学や、旧新(ないし左右)のリベラリズムの哲学者・哲学書への言及が全く抜け落ちている、ということ。
→この点について、さらに後述します。


◆填島&狡噛の独白・対話、 本作のコア・コンセプト考察

◇新編集版第1話の冒頭(填島の独白)
{netabare}
「どこかの誰かが、愚かな人類どもといったとして、その人類には当然、自分自身も含まれている。
人間について知りたいと思ったら、人間を見ているだけではいけない。
人間が何を見ているのか?に、注目しなければ。
君たちは何を見ている?僕は、君たちを見ている。
信じられないかも知れないが、僕は君たちのことが好きだ。
昔からよくいうだろう?愛の反対は憎悪ではなく、無関心だ。
興味がないのなら、わざわざ殺したり痛めつけたりはしないんだ。
・・・
余計なことばかり考える。緊張しているのか?
相手を甘く見過ぎて、踏み込み過ぎた?
・・・
なんてね。(笑)」{/netabare}

(※コメント)
他人(あるいは自分)を観察するときは、その行為を見るだけでなく、内面の動きをも見る必要がある、ということでしょうか。
いずれにせよ、グッと引き込まれるセリフで、これがオリジナル版になかったのは個人的にはかなり惜しかった気がします(これがあれば放送当時早々に視聴を断念していなかったかも)。


◇新編集版第1話の中程(狡噛執行官の夢の中での独白)
{netabare}
「公安局監視官。シビュラの尖兵。厚生省のエリートコース。
この社会に適応できない人間が発生することも、システムはシステムに組み込んでいる。

重要なのは最大多数の最大幸福であり、全人口の幸福ではない。

治安が悪い地区をある程度放置するのは重要だ。
不可能を実現しようとすれば、必ず破綻する。
完全な社会は、完全な社会を諦めることによって成立する。
シビュラシステムとは、そういうものなんだろう。

しかし、だ。
あの事件、あいつの死は、明らかに異常だった。
シビュラシステム運営下には有り得ないタイプの犯罪。
そんなことが出来る奴が、どこに、どうやって?」{/netabare}

(※コメント)
これもオリジナル版にはなかったセリフ。「最大多数の最大幸福」はおなじみジェレミー・ベンサムの提唱した功利主義のスローガンですね。
なるほど、シビュラシステムはベンサム型の功利主義(結果重視タイプの功利主義=帰結主義)を具現化したもの、という建前なのですね。


◇新編集版第4話の冒頭(填島の独白)
{netabare}
「何を考えているのかは分からなくても、絵を描く動物は殺しにくくなる。
感情があるのではないか・・・直感的に僕たちはそう感じるはずだ。
表現することには、その位の価値がある。

近代に入って、社会は絶対的な価値観の追究を諦めた。
相対的な、偏差値的な世界観を中心に据えるようになった。
しかしそれは、絶対的なものは不要になったからではなく、酸っぱいブドウだとして切捨てにかかっただけに過ぎない。
手に入れにくいから、最初からなかったことにしよう、と。

そこに、シビュラシムテムが現れた。
システムは文化や芸術にも介入するようになった。
シビュラ認定芸術家、シビュラ推奨作品。
ブラックボックス化された独自の判定基準によって、発展に必要な苦悩と対立が減少してしまった。

表現することを侮るようなやり方は、やがて、社会に致命的な停滞を・・・もたらす。」{/netabare}

(※コメント)
これもオリジナル版にはなかったセリフ。
西洋思想の流れでいうと、中世まで信じられた“神”中心の絶対的価値観が崩れ、相対的な価値観を認めざるを得なくなった近代で、今度は、“神”に代わって“理性”を中心におくデカルト流の理性主義・設計主義(もし神の存在を証明できないのならば、人間が神に代わって、自らの理性を極限まで働かせることによって、理想的な社会を設計・構築することが出来る、とする思想)が登場し、ルソーやベンサムもその流れにつながるのですが、そうした理性主義・設計主義が具現化した世界を描いた代表的フィクションが、前述のジョージ・オーウェル『1984年』です。
そして本作に描かれたシビュラシステムも、そうした発想からの派生(シビュラ=『1984年』の Big Brother)に見えました。


◇新編集版第5話の中程(填島の独白)
{netabare}
「君なんだな、僕の犯罪に発生した現時点最大の摩擦は。
君の持つコンパスは正確か?
僕はこの世界において、限りなく罪と罰から遠い場所に立っている。
通常の手段で僕に追いつくことはできない。
そのためには君は、頭の中にとても正しいコンパスと地図を持ってなければいけない。

昔から、一人遊びが苦手だった。
僕はどんなときでも二項対立を欲しがった。
戦うこと、競うことを思い切り楽しんでから、脱構築主義者みたいに二項対立そのものをズラしていく作業が好きだ。

君は、どの程度なんだ?
時々、自分がどの程度なのか確かめたくなる。
自分の位置と自分の強さを試したくなる。

手伝ってくれるんだろ?公安局執行官。」{/netabare}

(※コメント)
これもオリジナル版にはなかったセリフ。
「脱構築」とは、明鏡国語辞典によると、「フランスの哲学者デリダの用語。形而上学を支配している二項対立的な発想を解体し、その仕組みの再構築を試みることによって新しい可能性を見出そうとする思考の方法。デコンストラクション。解体構築」という意味です。
これは、1960年代後半~80年代に主にフランスの哲学者たちによって喧伝された「ポスト構造主義」という哲学潮流のメイン・コンセプトなのですが、実は、こんなの(=形而上学の全面的否定・排撃)って、英米圏では1950-60年代から常識だったんですけどね(科学哲学・分析哲学の興隆)。
ただ、フランスや西ドイツといった欧州大陸の西側諸国や日本では、形而上学・・・というより「大きな物語」「大理論」の全面的否定は、なかなか受け容れられませんでした(何故なら、マルクス主義革命による人類の革新(という「大きな物語」)を夢見る人たちがアカデミズムの世界で長らく頑張っていたから)。
そして、そうした「大きな物語」「大理論」の思想的根拠がようやく崩されたのが、1970年代のフランス発のポスト構造主義の「脱構築」という思想コンセプトの提唱と普及であり、それが日本には1980年代に入ってようやく伝播してきたのでした(浅田彰『構造と力』・・・「哲学は終わった」という言葉が流行ったらしい)
でも、ポパー(反証可能性理論を提唱したオーストリア出身・イギリス帰化の科学哲学者、主著『開かれた社会とその敵』『ヒストリシズムの貧困』)やハイエク(自生的秩序論を提唱したオーストリア出身・イギリス帰化の経済学者・法哲学者、主著『自由の条件』『法と立法と自由』)やアーレント(英米の革命と仏露の革命の本質的差異を分析したドイツ出身・アメリカ帰化の政治学者、主著『革命について』『全体主義の起源』)の論説が早くから当たり前となっていた英米圏では、「何を今さら」という感じだったのだろうと思います。
上で既に指摘していますが、本作で開陳されているシナリオ原案・脚本担当者(虚淵玄氏)の"教養ラインナップ"が、実は「脱構築」すなわち「ポスト構造主義」まで(=つまり、日本で言うと、どれだけ遅く見ても1990年代中頃までのラインナップ)であることが、ここではっきり分かります。


◇新編集版第6話の冒頭(填島の独白)
{netabare}
「西部劇的、いや古典英雄譚的決闘と言うべきかな。
かび臭い地下の、例えるならディストピアのベオウルフ。
生まれる時代も場所も、すべて間違えて、それでも僕たちはここにやってきた。
僕たちは間違った社会に生まれた。
それでも、歩む道は間違えなかった。

勿体無い。
泉宮寺さんも、僕が思っていたよりずっと摩擦に対する対処能力が高い。
今から、あのふたりが突然仲良くなったりしないものか。
一度は殺しあったけど、はい、握手で仲直り、全部水に流しましょう、って。

拙いな。
少し楽しみ過ぎてる。
自分がやっていることが綱渡りだということ、忘れるべきじゃない。
ふふん。」{/netabare}

(※コメント)
ここで、ディストピア(dystopia、暗黒郷、ユートピア(理想郷)と正反対の地)という表現が登場します。
なお、ベオウルフは英国最古の英雄叙事詩の題名であり、その英雄の名です。
「僕たちは間違った社会に生まれた。それでも、歩む道は間違えなかった。」とあるので、この英雄たちには、狡噛執行官・泉宮寺氏のほかに、填島自身も含まれるのでしょうね。
本作の舞台が、ディストピア世界であり、本作が、そうしたディストピアに抵抗する英雄たちの物語であることが、ここで明言されたように私には見えました。

本作の裏の主人公{netabare}(填島聖護){/netabare}は、{netabare}潜在犯に犯罪手段を供与して実行犯に仕立て挙げたり、自らの手で何の怨恨もない一般市民を殺害してしまう、間違いなく最凶の悪人キャラ{/netabare}なのですが、その彼が、実は{netabare}マクロ的にはシビュラという暗黒のシステムに支配されたディストピア世界に反旗を翻した"英雄"である{/netabare}、という二重構造になっていますね。
そして、表の主人公{netabare}である公安局の二人(常守監視官と狡噛執行官){/netabare}も、{netabare}填島の犯罪を追及するうちに次第しだいに、自分たちが命がけで守っているシステムが、実は醜悪な「怪物」{/netabare}であることに気付いていくことになります。
→こういうのは、SF映画などにはよくある舞台設定なのかも知れませんが、システムを壊そうとする側と守る側の、どちらに「正義」あるいは「大義」が存在するのか判別し難い、という設定は、やはり私には凄く魅力的なものに見えました。


◇新編集版第8話の終盤(填島と狡噛の対話)
{netabare}
「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため、人は正義に力を与えることができなかった。」
「悪いが、俺は、誰かがパスカルを引用したら用心すべきだと、かなり前に学んでいる。」
「ふふぁふぁふぁ。そう来ると思ってたよ。オルテガだな。もしも君がパスカルを引用したら、やっぱり僕も同じ言葉を返しただろう。」
「貴様と意見があったところで、嬉しくはないな。」
「語り明かすのも楽しそうだが、あいにく、今僕は他の用件で忙しい。」
「知ったことか。」{/netabare}

(※コメント)
デカルト・ルソー・ベンサムといった理性主義・設計主義・リセット主義の哲学者に反論を“試みた”哲学者・思想家の選択として、妥当だと思いました。
→正直にいえば、反論を“試みた”に留まらず、それらをはっきり“論破”した、と英米圏で見なされている哲学者・思想家(つまり前述のポパーやハイエク等)に言及があれば尚良かったのですが、そこは虚淵氏のラインナップが少し古い、ということで仕方ないのでしょうね。


◆総評

本作は、「未来SFもの」「未来警察・犯罪もの」としても、十分以上に楽しめる良作と思いますが、個人的にはそれ以上に、“思想・哲学エンターティンメント”という、これまで自分がアニメのジャンルとしては考えもしなかった部分で、物凄く面白かったし、感嘆させられた作品となりました。
(小説やマンガでは、ある程度そういうジャンルの作品があることは知っていましたが)

※とくに、たまに見かける環境問題とか戦争とか核処理の問題などをテーマとして特定の“思想・哲学”を視聴者にステルス的に刷り込もう・制作者側の考えを一方的に視聴者に押しつけよう、とするタイプの作品ではなく、あくまで、“思想・哲学"を扱った"エンターティンメント作品”として、ちゃんと成立している点が、本当に素晴しいと思いました。

私の視聴済み作品の評価方法では、これまでずっと、

(1) 自分が、強く「感動」させられた作品については、評価点数4.6以上
(2) 面白かったけれども、強く「感動」するには至らなかった作品については、最高でも、評価点数4.5まで

としており、それに従えば、本作も (2) に該当することになりますが、本作については、「感動」には至らなくとも、このような作品が制作されたことへの「感嘆」が非常に大きく、他の「面白かった」作品との評価の区別を確り付けたい、という気持ちが強く湧いてしまったので、非感動系作品としては本作に限り、評価点数を4.7としました。

こんな感じの作品が、これからも制作されるのなら、本当に嬉しいのですが。


*(2018年1月26日) 誤字修正

投稿 : 2024/05/04
♥ : 73
ネタバレ

かげきよ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

じっくりスタートそして加速を続ける面白さ。

人の個性、感情などを完全に数値化した世界で
執行官(犯罪計数が高く犯人逮捕にのみ世間と関われる者)と
監視官(執行官を監視するもの)がチームとなって事件を解決していくストーリー。

ノイタミナ枠のなかでも大人っぽい渋い作品だと思います。
黒で統一された公安の衣装は渋カッコ良く、声優さんたちの演技も渋めです。

このアニメは猟奇殺人を扱ったり、犯人逮捕時に惨殺したりと怖い面もあり人を選びそうですが、世界設定や雰囲気に魅力がありますのでハマる人も多そうです。

主要キャラは物語が進むにつれ掘り下げていく形になっています。
主人公、新人監視官の常守朱が自身の立場に悩んだり葛藤しながらも職務を果たしていく姿を観ているうちに感情移入できました。
着任当初はあまり役に立っていなかった彼女でしたがちょっとずつですがチームに影響を与えていっている感じが見え隠れしてきましたし。(シビュラ判定で職業適正良かったのも間違いではなさそうです。)
今後、彼女が何を思いどう変わっていくのかも物語の鍵になりそうです。

槙島という黒幕の影がだんだん濃くなり、一本調子かと思えば衝撃を入れ込み、また機械や数値に頼っている世界設定とうまく絡めたストーリーは興味深く、だんだんと面白さが加速しております。

序盤でもう少しサブキャラメンバーを掘り下げてくれればもっと良かったんですけどねー。
六合塚さんなんて全然触れられてないですし…。

               <以上前半感想>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いよいよ後半再会です。今期は「考えるアニメ」が少ないので期待も大きいです。

相変わらずセンスのあるOP&EDは健在で一安心。
EDはシビュラから見たイメージですかね。

注:【考察・予想】というのが時折出ますが、原作を知らない状態で書き込んでいます。
ネタバレとは異なりますが先入観を持ちたくない方はスルーしてください。

さて、本題の内容ですが…
※12話感想{netabare}
ここで来ましたね六合塚さんの掘り下げ。
なるほど終わってみればいいタイミングです。
物語のテーマの琴線に触れる話が絡んでるんですね。

やはりシビュラも万能ではなく不安定要素が見え隠れします。
音楽や芸術等の数値化しにくい要素では特に。

また犯罪計数の数値の1,2の僅かな違いで
「バラライザ」で終わるか「リーサル」で終わるか結果に大きく影響するようです。

シビュラに不信感を持ち 力を求め闇へ向かう友人を止める事が出来なかった六合塚は
自身の立場や無力さを痛感し 執行官となり黒いスーツに袖を通す覚悟をします。
皮肉な事にこれもまた力を求めて…。
その真っ直ぐな決意のこもった眼差しの向こうには何が見えるのでしょうか。
友人の様に闇側に落ちていく存在は必ず食い止めるという意志や使命感も感じます。
前半、女学生に「大事な友達だったのね。」と慰めたシーンが印象深くなりました。
想いを知ると六合塚さんのスーツ姿が更にカッコイイ。ラスト少し感動しました。

また友人に対しても引金を引けた六合塚を見た狡噛の台詞が印象的です。
(六合塚の執行官適正を見抜いた)「シビュラの目に狂いは無かった」と。
これは暗に、
『六合塚に潜在犯の判定をしたシビュラの目にも狂いは無かったのか?』
という問いかけや皮肉が込められていた様に思います。
彼女は元々、潜在犯として扱うべき存在だったのでしょうか?

六合塚に魂を入れ、前半の問題点を踏襲し再認識させた秀逸な後半のスタートでした。
今後レジスタンスとの絡みもありそうです。
{/netabare}

※13話感想{netabare}
常守朱=サイコパスが平常を守りレッドゾーンに行かない
って感じの意味があったんですね。

前半のあの終わり方に心配しましたが、随分タフな一人前の刑事に成長していました。
深い悲しみや後悔があっても自分がやるべき事を見据え行動する姿が良いです。
計算高い槙島でも予想以上ではないでしょうか。

ドミネータで読み取れない免罪体質者がレアケースで出るようです。
シビュラ絶対のこの世界で公開できないですよねそりゃ。
槙島から見たらこんな世界は嘘でくだらなく見えるのかも。
だからと言って悪事を見過ごす訳にもいかないので、
公安のメンバーには頑張ってもらわないといけないです。
朱は免罪体質とは少し違うのかも知れませんが同じくサイコパスが濁らぬ槙島とは
反対の道を進みこの世界を受け入れ自立しています。
槙島vs狡噛だけでなく槙島と朱を対比させて観るのもありかもしれません。

アバンで宜野座さんの父が出てきそうと思っていたら、もう出ていたとは。
前半、征陸さんとのやり取りを注目不足だったかも知れないですが似てないですし
流石に予想つきませんでした。
奥さんや腕を失ういきさつ等の過去も少し気になります。

槙島と公安のお偉いの禾生さんとも繋がりがある様子。
宜野座と征陸の直後でしたのでつい親子かなと思ってしまいますが、
どうなんでしょうか次が気になります。
こちらにも槙島(maximum:最大の)「聖護」という名前遊びを感じますしね。

今更ですがやはりこのアニメ音の使い方が抜群ですね
上手く感情を揺さぶってくれます。
{/netabare}

※14話感想{netabare}
OPアニメがカッコ良くなってました。槙島を追いつめる公安メンバー。
狡噛はドミネータではなくリボルバー、みんなとも進む方向が逆なのが気になります。

サイコパスのコピーヘルメットが登場。
路上殺人する様も怖かったですが、傍観する様も怖い。
かなりのインパクトがありました槙島もおかしいですが世の中も狂ってます。
ただ全員が全員傍観者なのは行きすぎた演出な気もしました。
アバンで薬剤師さんも動揺していた様に、流石に中には驚く人が居るんじゃないかと…。
現代でも事件事故があると平然と写メ撮る人もいるので揶揄もあったのかな?
このヘルメットまだ多数あるようで今後が気になります。

槙島の読んでいた本は革命に関連した物でした。
このシビュラ任せの状態の世の中をひっくり返すには
強引で強烈な悪になる必要もあるのかも。
彼目線で作品を追えばダークヒーロー物としても楽しめるのかも知れません。
電話相手はチェグソンですかね、単なるハッカーとも思えないし、
レジスタンスと繋がってるのかな? 謎の男です。
{/netabare}

※15話感想{netabare}
前回の引きがありましたので予想はしていましたが、
例のヘルメットにより街は大混乱、サイコハザードが起きてしまいました。
誰もが急に人を信じられなくなる様は恐ろしい。
目を覆いたくなるシーンも結構ありました。

コレを煽るチェグソンのハッカー力も凄いです。
冷静ですし前回は路上撮影もしてたので彼も免罪体質でしょうかね。
この暴動が収まってもかなり社会へダメージがあると思いますが、
槙島には更なる計画がある様です。
槙島とチェグソン率いる外国人部隊はシビュラの中枢の厚生省ビル ノナタワーへ。
シビュラの秘密を暴き、その手から人々を解放する革命を起こそうとしている様です。
止められるのかは朱チームに掛かっています。
朱にもプロファイル力が培われてきていますね。
シビュラが人を支配してしまっているこの世界ではどちらが正しいかのか判りませんが、
手段は汚いので何とか槙島を抑えて欲しいです。
後半に来て更に内容もあってテンポも良くなっています。

シビュラの真相がとても気になります。
【予想:シビュラの真相(先入観を持ちたくない人は飛ばしてね)】
{netabare}
安定した人生の与える裏に何か目的が隠されているのでしょうか。

①<上流、特権階級の人々の安定>
可能性のある幼少から英才教育出来れば未来が開ける世界、
一度上に立った者の理想郷になっている。

②<政府による反体制思想の封じ込め>
気付かぬうちに人の可能性や考える事を奪い骨抜きにして家畜の様にコントロールしている。
政府だけでなく他国が関与している可能性も。

③<機械による人類の支配と保護>
SFが強いけどノナタワーは機械やアンドロイドの巣窟で世界は既に人類の手を放れている。
槙島さえ人間を観察し思想を学び知識を詰め込んだ世界一人間くさいアンドロイドとか。
…等が部分的や複合も含め思い浮かびます。

前半の泉宮寺のコメントや
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を引っ張り出したりとピースを集めると、
機械による人間や生物の保護の色は一層濃くなっている様に思います。
ですので個人的には③の可能性が高いと思います。
『機械が人間を飼っている』処まで行ってるんじゃないでしょうか。
槙島がアンドロイドなのか…までは微妙ですが。

【槙島アンドロイド・人造人間説】
自信があるわけではないですが当てずっぽうでもないです。
御堂、王陵、泉宮寺そして狡噛を興味深く冷静に観察し分析している点。
親兄弟、出自が不明ながら公安上層部に繋がりがある点。
槙島が犯人としての心理描写が全く無い点。
ドミネータが反応しない点。
丸腰で武器を持った数人を倒す戦闘力を持つ点。
血も涙も汗も感情すら表していない点。 等々。
この15話でも
洋菓子を紅茶につけ消化しやすくしている(?)点。
「生まれ育った街」と言いながら目や髪の色など日本人とは思えない点。
が引っかかっています。
(同じ髪の色の人がもう一人いますが!?)

点を結んでいくと「人間ではないのでは?」という疑問も湧いて来たわけです。
{/netabare}
ノナタワーに何があるのか、なぜデータを集約する必要があるのか…次回が楽しみです。

余談ですが今回パトカーのナンバープレートを見て気付いたことが。
「に01-01」=臭い追い。
彼らのコードネームもハウンドやシェパードですし言葉遊びがあるようです。
真相、真実を嗅ぎつけられるでしょうか。
{/netabare}

※16話感想{netabare}
予想以上の衝撃的な回でした。
槙島とチェグソンは二手に別れ最上階と地下へ。
それを追う朱たちも別れて探索する事に。
この時点で単身の縢に赤信号の予感がハンパなく、ドキドキしていました。

最上階組は第1話冒頭まで戻ってきました。
音楽も盛り上がってついつい興奮してしまいました。
狡噛もスゴいけど槙島も強いです。(汗かく槙島初めて見ました)
危ないところでしたが朱の一撃で無事逮捕へ。
仇を取りたい気持ちを抑え手錠をかけましたが、この判断が後々どうなるのでしょうか。

一方地下へ向かった縢。
チェグソンに吐露した言葉に彼の性格や気持ちがよく現れていました。
怪我を負いながらも三人を倒しチェの元に。 地下で二人は何を見たのでしょうか。
闇に葬られてしまったので正解はもう少し先になりそうです。
チェグソンは免罪体質ではなかった様です。
街ブラしてたのはハッキング能力あっての事ですかね。
縢の最期の表情が忘れられません。彼の無念を悔しさをいずれ晴らして欲しいです。
禾生さん…やはりあなたはそっち側の「物」だったんですね。
ドミネーターを無理やりエリミネーターにするなんて…。

それにしても展開が早い早い、縢は来週まで引くと思っていたんですけどね。

【予想:槙島&シビュラの真相(先入観を持ちたくない人は飛ばしてね)】
{netabare}
15話に続き予想して楽しもうと思います。ここから先は個人的な趣味です。

やはり禾生さんはアンドロイドでした。
こうなると上層部はすでに機械側に占められ人類はすでにコントロールされていそうです。

きっと縢たちは生産される機械人形の様なものを見てしまったんでしょう。
ノナタワーに全データが中継しているのは各アンドロイドで
処理分担や知識共有を行っているからではないでしょうか。
後は標本事件の様に機械が作った「おぞましく芸術的な作品」も考えられるんですが、
データや電力のことを考えると機械的なものなはずです。

まだ微妙な段階ですが槙島もアンドロイドや人造人間である可能性も上がったと思います。
そうだとすると彼がなぜ下界に出ているのか、なぜ人類解放をするのかが
大きな謎でコレまた予想しがいがあります。
人の可能性を試している所があるのがヒントでしょうか。
機械が人を作って実験してるかな。

【槙島アンドロイド・人造人間説】
<+要素>
関わりのある禾生さんがアンドロイドである
未だに血を見せていない
「毎日鍛えスパーリングロボさえ破壊する狡噛」以上の強さ
<-要素>
汗を見せ呼吸が荒くなった
朱の一撃で倒れまたその手応えに違和感がなさそう

禾生さんは機械による支配の観点からと槙島と髪の色が同じなので疑いましたが、
もう一点、共に名字に「木」が入っています。
まさかとは思いますが、木人的な意味合いがあるとすれば
公安にも「木」がついている人がいるので一応注視しようと思います。

あと、気になっているのは標本事件の藤間がどうなったのかです。
アンドロイドは免罪体質者を集めていた可能性もありますので。
免罪体質など居らず、彼も人ではない存在なのか?という疑いもありますが、
情報が少なくて考察できないです。
漢字も「草冠」と木には至らない微妙さがあります。

【槙島が人間だった事も考察】
アンドロイドが免罪体質者を集めていたり気にしているなら、
禾生さんが槙島を以前からチェックして知っていても不思議ではないのですが、
口振りからもう少し親密な気がします。
槙島やその親がアンドロイド研究関係者であったと仮定すると、
何かの犠牲になった事への復讐という線もあり得ますが、
感情で動かない人ですし言動も復讐っぽくないです。
そうなると結局「アンドロイドが産み出した人間」と考えてしまいます。
【アンドロイド】か【アンドロイド造人間】
の可能性が高いというのが今のところの見解です。
{/netabare}
{/netabare}

※17話感想{netabare}
後半に入ってから本当に引き込まれています。
30分がスグに過ぎてしまいました。

シビュラの正体が明かされました。
まさか藤間が禾生さんになっているとは…。
バラ撒いた伏線の裏をつく展開に予想は外れました。
免罪体質者を集めている感じはしましたが、こんな事になってたなんて。
あの光景、突飛に感じSFというよりファンタジーな気がしました。
説明は理解しているつもりですがそれでもまだ
犯罪計数への利用のされ方等にも納得できない部分もありますし全能感も強すぎます。

『共感や感情に流されず俯瞰で裁定できる者』の脳を200個使っていても
ドミネーター等の素早い判断に付いてこれるものでしょうか?
ノナタワーに送られるものって結局はデータ化された情報になってしまう
と思うので演算なら未来のスパコンの方が速い気がします。
『判断基準を作るために脳の知恵を利用する』のなら分かるんですが、
『全件を脳で判断する』のは無理があるように思います。
一応、脳の高速化うんぬんの説明もありましたが唐突なんでまだしっくり来てません。

また、前回ドミネーターを故意にエリミネーターかデコンポーザーに変えていて、
結局は保身のために感情に流されているので、槙島の言うように結局は恣意的な気がします。
勘違いもあるかも知れないですし、もう少し時間をおけば咀嚼できるかも知れませんが。

現代も一部の者が国を動かし多くの国民は歯車な面もあるので痛い所を突いてきます。
司法も裁判員制度は一応ありますがほぼ有識者に任せていますし、冤罪も起こってますし、
似た所はあるのかも知れません。
司法を究極的に効率化したらシビュラシステムの様になるのかも。
(脳だけにはならないと思うけど)

これからはシビュラVS槙島VS公安という構図になりそうです。
縢が消えた事への矛盾は公安メンバーは気付いています。
彼の汚名を晴らし真実に辿り着いて欲しいです。
辿り着いた先、既に社会そのものになった存在に何をどう戦えばいいんでしょうか?
結局彼らは何と戦うのでしょうか?
地下のモノを壊しても解決とは行かないので、そのあたりも見所として楽しみです。
槙島のしてきた事は許せないものがありますが、
彼がどう動くのかダークヒーローとしてどう活躍するのかも楽しみです。
{/netabare}

※18話感想{netabare}
14話で触れたOPアニメの示唆している意味が分かる回でした。

もう藤間ではない禾生さんというかシビュラ側はかなり強引になってきました。
どうしても槙島を手に入れたいんでしょう。
それには狡噛が邪魔で仕方ない様です。
ドミネーターからエリミネーターへの変換見せちゃって大丈夫なの?
他にも化けの皮が剥がれ出していて、公安のあり方自体揺らいでいます。

宜野座は苦しい立場で色々と策は練った様ですが通じませんでした。
今回一番悔しい思いをしたのは彼でしょう。
色々と抱え込んでいる苦労人です。

地味ではありましたが公安メンバーの思いが感じられてなかなか印象深かったです。
(六合塚さんのも欲しかったですが。)
直筆の手紙は思いが篭もってる気がします。
序盤の二人の関係から今に至るまでの積み重ねが胸にズシリと来ました。

あと、公安二係の逃亡した執行官の方も気になります。
なんか今回出てきた青柳さんと似てるんですけど。

狡噛も公安を離れ後戻りできない背水の陣でどう動くのか、
そして無事に逃げた槙島の次なる手は?
悲しい結末もチラリチラリと予感させていますが。
少し作画が気になりましたが、次回も楽しみです。
{/netabare}

※19話感想{netabare}
アクション無いので作画については前回ほど気にはなりませんでしたが初期と比べると…。

狡噛、宜野座、朱それぞれの視点と心を描いた回でした。

狡噛は雑賀さんの所でプロファイリング。
雑賀さん流石の洞察力で現代に生きていたらDAIGO以上です。
そんな人から自分が殺そうとしている槙島と似ている
と言われた狡噛はどんな気持ちになんでしょうか?
…でも私も物の捉え方とか似てると思います。

農業や非国際化の話が出ましたが脳の高速化の話に続き初耳設定で予想つかなかったです。
確かに最初の方で朱が朝食してたけども。
シビュラシステムは現代社会の延長上に感じますがこちらはどうなんでしょうかね。
今まで緻密な感じで積み重ねていたので少々荒っぽく、粗さも感じてしまいます。

物語としては槙島のもくろみが分かった狡噛がどうやって追いかけるのか楽しみですが、
槙島を殺すのが目的になっている現状だと虚しさもあります。

宜野座は相変わらずの苦労人ぶりです。監視官ってキツいですね。
ここ最近親父さんにも当たったり相談めいたりする描写も増えてます。
潜在犯に落ちる崖っぷちにありますが色々な面で報われて欲しい人物で応援したくなります。

朱はシビュラに目を付けられ真実を明かされ駒として取り込まれそうですが、
今まで『受け入れ自立する』彼女を見てきましたので
きっと彼女なりの答えは出せるだろうと思います。
シビュラ側に取り込まれているようでも対抗できる唯一の人物な気もしますから、
今後の言動が作品の肝になるように思うのでこれまた楽しみにしています。
結局は朱が主役なんですよね。
{/netabare}

※20話感想{netabare}
朱にシビュラの事実を告げる展開にドキドキし、心に響きました。
あのままドミネーターと会話するのでなく、現場に行かせることで臨場感・現実感が、
一気に押し寄せる感じがしましたし、
目線や涙の表現、回想も含めた演出など素晴らしかったです。

朱は本当にメンタル美人というかタフですね。
安定してリスクのない代わりに夢を追えない不条理な人生を押しつけ、
そして親友や同僚の死すら事務処理のように行うシビュラの正体が分かり、
許せない気持ちで一杯だったはずですが強い理性で押し寄せる感情を抑えきりました。
今やれるべき事を前向きに判断できるその姿はカッコ良かったです。

槙島は手段の為には人を殺すの何とも思ってないですね。
今回も野鳥程度の哀れみはあったのかも知れませんが。
家畜の様に飼われていた人間を野性に帰しても生きて行けない事は分かっていて、
それでも尚、野に放ちたい様です。
野生の中で生きるために必死になり考え行動してこその人生。
彼にとってはそれこそが『生きる』という事そのものなんでしょうけど。
まおゆうの演説とも本質は同じ所にあるなーなんて事を思っちゃいました。
朱もその辺りの事は理解できるところがある様てすが、
やはり色々と強引だし傲慢だしやり方がおかしいです。

シビュラと約束を取り付け狡噛の命を助けようとする朱は
一枚も二枚も皮が剥け成長して逞しくもありました。
悲しい結末ばかりが思い浮かんでいる中、なんとか狡噛を救ってほしいと思います。
救いのある展開になるのかは朱に掛かってきましたので頑張って!
シビュラが約束守るのか?というネガティブな心配もしてしまいますが…。
{/netabare}

※21話感想{netabare}
痛く辛い話で余り筆が進まない感じですが、征陸さんが壮絶に逝きました。
ここまで2クール真剣に観て来られた作品なのでメンバーにそれぞれ愛着が湧いてますから
辛い気持ちにはなります。
潰れた腕を気にしない事で宜野座の精神的なダメージの大きさも痛い程、
本当に痛い程伝わりました。
刑事である前に人であり、親であった征陸さん公安の中でも人間臭い良いキャラでした。

先週に続きココに来ての朱の行動力は凄いです。
彼女自身もシビュラの資格がありそうなので心配な最後もよぎります。
色々と犠牲者も出てしまいましたが少しでもよいラストとなるように願います。
そして来週は六合塚さんがやばい感じでドキドキです。
{/netabare}

※22話感想{netabare}
もう一週あるかと思ってましたが今回最終回でした。(^_^;)

ここに来て六合塚と唐之杜の関係に少しドキリとしてしまいました。

少し時間をおくと狡噛が殺人犯になってしまった虚しさもこみ上げてきました。
槙島の死を見た時には割とあっさりと受け止められ、悲しみは無かったのですが、
それ故に彼の孤立感や言葉の意味が今一度染みて来ました。

「法が人を守るんじゃない、人が法を守るんだ」当たり前の様で
自分で気付くとハッとします。
「法律やルールだから守りなさい!」と言ったことを幼い頃は押しつけられる事が多く、
疑問を持たずに納得したり反抗してみたりすることはあると思うけれど、
いつの日かみんなの為にルールがあるんだと気付く時ってあると思います。
法やルールって人間が育んできた大切な知恵の一つですからね。
完璧な法なんて有り得ないかも知れませんが、
ちょっとずつ繰り返し繰り返し良い方へ進んで行くのだと思います。

歴史の方も繰り返し巡りながらもちょっぴりずつ進んでいるようです。
宜野座も父の様に腕を失い執行官に落ちてしまいましたが、志は継いでいました。
心なしか生き生きとした印象も受けました。
朱も配属当時に受けた同じ言葉を新任監視官に与えていました。
一話の同じシーンと比べるとその成長に感慨深い物があります。

この新任監視官、未成年で異例の配属と言っていたので、
思い当たる人物は一人だけでしたがやはりあの女学生でした。
王稜事件で友達を失った後、彼女なりに悩み考え結論を出した事が推測できて心を打たれます。

最後に狡噛らしき人が映りましたが、読んでいたのは
『スワン家の方へ』でした『失われた時を求めて』という長編小説の一遍ですが、
紅茶にマドレーヌを浸した事をキッカケに昔を思い出すデジャブものなので意味深な感じです。
最終話にこうもデジャブ・繰り返しの要素を重ねてくるとは…。
ここに描くような世界が巡ってくるかもという暗示でしょうか?
繰り返し第二の槙島が現れる可能性を示唆しているのでしょうか?
温故知新、昔の人の考えを想いを巡らせろという事なんでしょうか?
色々と解釈ができますがこの作品ぽく言えば、
自分で思った答えに価値があるんでしょう。

また、槙島も紅茶にマドレーヌを浸して食していました。
この行為がなんだったのか気になっていたので合点が行き、少しスッキリしました。
槙島と狡噛、同じ様な感性を持ち同じ作品を同じ様に感じていたはずですが、
その道が重なっていたり大きく隔たったのは何に差があったからなんでしょうか。
槙島の一番の理解者が狡噛だったのはやはり皮肉めいています。
どこか別のタイミングで出会っていたらどうなっていたのかと思ってしまいます。

今後狡噛がどう生きていくのか興味が湧きます。
狡噛の性格ならのんびりとした余生を送るはずもなくシビュラの正体は追いそうですし、
レジスタンスや六合塚の友人リナ、2係の逃走執行官などなど
まだ残った伏線があるので続編はあるかも知れません。
新生1係の活躍のストーリーも観たい気はしますがとりあえずお別れです。

テーマがしっかりあって先が読めずかなり引き込まれ夢中になれた良い作品でした。
いずれ力でなく個人の自立によりシビュラが無くなる日が来ることを願います。

また、シビュラの様な管理される世界に、他人任せの人生にならない様に
利便性や楽な方に流されず考えながら生きていこう。
…という気になりましたのでメッセージとしても伝わったと思います。
{/netabare}

本当に楽しめて深みがあり考察のしがいがありました。
ここ最近、キャラの魅力で押し切るストーリー物が多かったので、この作品は貴重でした。
大人向けではありますが色々な人に勧めたくなる良い作品です。
観ていないのなら是非とも観ていただきたいです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 120

77.9 3 EGOISTでProduction_I.Gなアニメランキング3位
劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス(アニメ映画)

2015年1月9日
★★★★★ 4.1 (1100)
6852人が棚に入れました
世界は禁断の平和(システム)に手を伸ばす。
2116年――常守朱が厚生省公安局刑事課に配属されて約4年が過ぎた。
日本政府はついに世界へシビュラシステムとドローンの輸出を開始する。長期の内戦状態下にあったSEAUn(東南アジア連合/シーアン)のハン議長は、首都シャンバラフロートにシビュラシステムを採用。銃弾が飛び交う紛争地帯の中心部にありながらも、水上都市シャンバラフロートはつかの間の平和を手に入れることに成功した。シビュラシステムの実験は上手くいっている――ように見えた。
そのとき、日本に武装した密入国者が侵入する。彼らは日本の警備体制を知り尽くしており、シビュラシステムの監視を潜り抜けてテロ行為に及ぼうとしていた。シビュラシステム施行以後、前代未聞の密入国事件に、監視官・常守朱は公安局刑事課一係を率いて出動。その密入国者たちと対峙する。やがて、そのテロリストたちの侵入を手引きしているらしき人物が浮上する。
その人物は―― 公安局刑事課一係の執行官だった男。そして常守朱のかつての仲間。
朱は単身、シャンバラフロートへ捜査に向かう。自分が信じていた男の真意を知るために。
男の信じる正義を見定めるために。

声優・キャラクター
花澤香菜、野島健児、佐倉綾音、伊藤静、櫻井孝宏、沢城みゆき、東地宏樹、山路和弘、日髙のり子、神谷浩史、石塚運昇、関智一
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

英語字幕は戸田奈津子さん

1期2期視聴済


うーん・・・
犯罪係数ってとどのつまり、“手汗多い”“脈拍上がる”とアウト!みたいなもんかしら。

ストレス係数上がりそうな局面でみんな犯罪係数上がってますものね。100年後の日本人は心の平静を保つよう努めてるうちにアドレナリン上がる機会が失われていき、喜怒哀楽でいえば“怒”と“哀”の表現に乏しい。“怒”に触れなければ普段の生活で恐怖を感じることはないものです。

たおやかににこにこしながら生きていれば色相をクリアに保てるけれども、ストレス耐性がないためふとしたことで“犯罪係数”急上昇。ガラスの橋を渡るかのような緊張感は内在していて、たがが外れれば2期の酒々井監視官みたいなのも容易に出てきそうです。やっぱり嫌な社会ですね。


TVで好評を博し1期2期の放送経ての劇場版オリジナルアニメ。アクションだけ楽しむなら一見さん可。ただしあまりそのような方はいないでしょう。TV版視聴が前提となります。

すでにシビュラ導入されて久しい日本と違って今度の『PSYCHO-PASS』は海外が舞台です。
日本以外は戦乱のさなかとTV版で説明がありました。その具体的なお話。
戦火の中で生き抜くには色相が曇りまくってないと無理だと思いますね。
そんな私の心配を知ってか知らずか!?日本政府が輸出したシビュラシステムを内戦状態のSEAUn(東南アジア連合)が実験的に導入する、というところから始まる物語でした。


 シンプルなバトルムービー
 娯楽大作 


といった感じでしょうか。
頭使ったTV版と違ってそのまま画面の中で繰り広げられるアクションに身を委ねてしまえば良さそうな劇場版らしい劇場版です。

実は日本人には現代戦を描けないだろうと高をくくってたところがありました。でも違いましたね。一歩も二歩も先取りしてる未来の話だとはいえ、現在実用段階にある無人機戦闘の描写が素晴らしい。
迫力あるよねーと劇場で観るべき作品だったでしょう。もちろん今となっては自宅で鑑賞せねばならんというのが非常に残念です。

{netabare}また戦闘地域がアンコールっぽい寺院(ワット)近辺というのも個人的にはツボです。実写映画では戦争ものをけっこう好んで鑑賞してました。ベトナム戦争ものしかり。ちょっと懐かしく感じるくらいに良く出来た戦闘描写でした。{/netabare}


バトルやアクションだけでも観る価値あり!・・・と思います。
そのくせ『PSYCHO-PASS』らしいシビュラと常守朱との対峙についてこの劇場版でも用意されてますのでしっかり深みというかとろみは出ております。


{netabare}「法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです。」(1期)
「社会が人の未来を選ぶんじゃない。人が社会の未来を選ぶの。」(2期){/netabare}


判断はあくまで人間が下す。このブレなさが彼女のカッコよさ。主人公たる所以ではないでしょうか。

{netabare}ハン議長言われたとおりに辞任したのもなかなか朱の無双ぶりが際立ってました。{/netabare}



さらに今回の劇場版での隠し味。シビュラを

 “恣意的に運用できちゃうこと”

これですよこれ!
時間をかけ合意形成を重ねシステムを導入しただろう日本と違って、外枠だけを導入しようとすればこういうことが起こらないわけありません。
人間は過ちを犯すもの。それでも判断と決定権を人間の手に収めることについての重みをしかと受け止めた我々視聴者一同です。
物語上新たな視点を吹き込んでくれたことに感謝ですね。


 『PSYCHO-PASS』らしからぬわかりやすいストーリー
 『PSYCHO-PASS』らしいシビュラへの受容と否認を描いたストーリー


総監督に本広克行氏。脚本に虚淵玄氏。1期のメンバーが出戻ったのか2期よりも深くコミットしてきた影響もあるのでしょう。
地味にすごいのが英語シーンの字幕を戸田奈津子さん。・・・ちょっとやり過ぎではないかしら。

劇場版アニメとしては至極満足のいくレベルの作品でした。良作です。




※余談

■日本強くね?

国防どうしてるんだろう?がちょっとひっかかってました。戦乱に明け暮れる周辺諸国の侵攻をいかに防ぐのか心配です。

{netabare}杞憂。

高性能な戦闘ドローンって日本製だったんですね。これまで高度な衛星持ってるから成立するような技術はTV版でもあったのも思い出して、ミサイル飛んでこようが戦闘機こようが、速攻で探知して無力化できそうな技術力を有しております。
制空権取れなきゃ地上侵攻の難度も上がるうえに、きたところでドミネーターやドローンで瞬殺でしょう。じゃあスパイ忍ばせて内部攪乱と思っても、サイマティックスキャンの網でけっこう引っかけられそうです。

パワーバランスが歪なくらいに日本無双状態なので攻める気にもならないだろうことはわかりました。国防・外交面では憂いがなさそうです。{/netabare}


■タイ語?マレー語?

日本人CVさんらの下手っぴ英語にちょっと痒くなりましたが、そこに隠れてたまに東南アジア圏の言語混じってませんでした?
それと東南アジア訛りの英語もです。こういったこだわりは大歓迎。リアリティを感じる演出でした。

{netabare}アンコールのアジトのシーンで映されてた小道具の中に『Angkor』ビールを発見。缶のデザインも実物のまんま。これ飲みやすくて美味いです。現地だと1本100円しないくらい。

私がカンボジア行ったのは20年くらい前でして、ポル・ポト派の残党がそこそこ鎮圧され、ちょうど陸路でのタイ~カンボジア国境通過が可能になった直後くらいの時でした。
せっかくだから陸路で横断しようと思い、ベトナムのホーチミンシティを起点にカンボジアのプノンペン入り。湖を北上してシェムリアップ(アンコール)に長居し、それから西方のタイ国境を抜けるルートを辿りました。北部は行ってません。理由は死ぬから。
警察がいちゃもんつけて賄賂を請求してくるくらいはかわいいもんで、乗り合いトラックの同乗者がズボンのポケットに銃を無造作に入れてるわ、警備の人間が重火器で武装してるわ、挙句にはラリッてるやつのポッケにも銃が見えたり。とかく人の命が軽そうなことをいやでも見せつけられます。

映画の中でのカンボジアを拠点とする反政府ゲリラの連中を見ながら、そんなカンボジアで実際出会った面々や往時の治安状況を思い出しました。

そして、戦火が絶えない地において、治安維持装置シビュラシステム導入による有用性について考えさせられましたね。

 {netabare}それでもシビュラはいれちゃあかんよ!{/netabare}{/netabare}


地域に対する思い入れ補正が働いてる気もしますがご容赦願いたく。
作品の舞台が未踏のツンドラ地帯とかならどうだったかは知る由もなし。



それと常守監視官。短期間で殺傷能力高そうなコンバット技術を身につけておりました。
そっち方面の素質ありますよ。



視聴時期:2019年10月  

------


2019.11.02 初稿
2020.02.14 タイトル修正
2020.07.31 修正

投稿 : 2024/05/04
♥ : 43
ネタバレ

ブリキ男 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

踊らされる捜査線上のサイコパス

時系列は2期の後とされている意見が散見されますが、それだといないはずの人がいたり、シビュラのバージョンアップ(ダウン)が無かった事になったりしてしまうので、恐らくサイコパス1期終了時~2期までに起きた事件。(ギノさんの髪の長さを見れば2期の外伝では無い事も分かる。)東南アジア連合/シーアンに試験的に導入されたシビュラシステム、それを牛耳る官僚、その支配に抵抗する人々の姿などが描かれます。

テレビ版と比べて残酷シーン(主にドミネーターによる執行)の描写があからさまになっているので苦手な人は注意が必要です。

一係のメンバーは1期エピローグで顔見せのあったメンバー通り。朱とギノさん、六合塚さん、霜月監視官と東金、雛河執行官の6名。雑賀先生と唐之杜さんも少しだけ登場します。

独白からの狙撃シーン、捕物アクションと、冒頭はいかにも映画という展開。

アクションシーンについては劇場版ならではの作画の美麗さとスピード感がありましたが、ドミネーターが鈍重。犯罪者を追う攻勢の立場にある場合はともかく、乱戦において犯罪係数の測定と形態の変形を待ってから反撃というのにはリアリティが欠けていました。アクションの流れが止まってしまう印象を受けてしまうのでした。

続く朱の友人の佳織の結婚のお話のシーン。シビュラの正体を知っているか否かに係わらず(知ってたら尚更)マシーンが決める恋人適正とかは私なら御免被りたいです。1期の槙島の言葉を借りれば「家畜扱い」にも等しい気がします。

テクノロジーについて
{netabare}
スパイドローン"ダンゴムシ"。現代でも実用化されている技術の延長上にあるものという印象ですが、半自立型で超小型、超高性能にという印象。カメラや触手状の端末を備えたカニみたいな形状のロボです。

スーパーボールみたいに弾むスタングレネードについては通路の曲がり角とか遮蔽物に隠れている相手に対しては何らかの有用性があるかも知れませんが、本作でこれが用いられる場面には全く合理性を見出せませんでした。それに外見をホロで偽装出来るなら、駐車場の地面の色に似せて転がすか、せいぜい動作の挙動が似ているスーパーボールとかカラーボールにすべきで、公安局のマスコットキャラ"コミッサちゃん"にするなど最悪の選択なのでは?という感想を抱いた次第。非常に残念な演出でした。

強襲型ドミネーターについて。元々可動部分が過度に多いドミネーターですが、2期でも登場した強襲型ドミネーターはさらにガチャガチャと変形しまくります。マシンとしての耐久性への疑問と、けれん味を加えているだけなのではないかという少し嫌な印象が残りました。設定上では壁越しから射的が可能なドミネーターとの事ですが、本作で使用された状況はそれに該当せず‥。ならばドミネーター+光学照準器+ストックの方がスマートでリアルな気がします。あんなにゴチャゴチャした形状のライフルなんて持ち辛くて敵わない。姿勢制御が大変そうです。片腕サイボーグのギノさんだから扱えたのかも知れません(笑)

言語翻訳機については作中では詳細な説明はありませんでした。1フレーズ聞き取ってから始めて翻訳可能になるタイプの様です。これについては手前味噌ながら「 タイムトラベル少女~マリ・ワカと8人の科学者たち~」にテクノロジーのそれらしい説明がありますので、ご興味を持たれた方は御一読されてもよろしいかと思います。
{/netabare}
本編について
{netabare}
狡噛と傭兵のリーダーデスモンドの会話はいかにもサイコパス風味なのですが、填島とか雑賀先生とかの会話と比べると物足りない印象。まぁこういう衒学的な会話は映画には向かないのかも知れません。仕方なし‥。

朱の身の回りを世話をしていた給仕の人、色相が一定以上曇ると神経毒が体内に流れ込み死に至らしめる首輪をしていましたが、街頭スキャンやドミネーターで犯罪係数を計られるよりも遥かに無情な印象を受けました。人の手を介さない裁きという所に残酷さがあるのです。

朱の判断も軽率。非合法に首輪を外せば良くない事が起こるに決まっているのに情にほだされたのかやってしまいました。後の事情を知れば給仕の少女の死は免れなかったとも言えますが、いつでも法を遵守する傾向にある朱にしては思慮の足りない行動だったのでは思います。

朱は1期の時と比べて、より狡噛を倣っている様にも見え、心身ともに格段に強くなりましたが、上の様な未熟な面もまだあるとは少し意外でした。

クライマックス、狡噛のピンチにギノさんが駆けつけて共闘という流れには、少なからぬあざとさを感じましたが、同時に心躍るシーンでもありました。二人の息がぴったり合った戦いぶりを見ると、その良コンビ振りに感慨深いものを覚えます。

そして続く名シーン?ギノさんのお仕置きパンチ。当然そうなると予測していながら、この映画では貴重な笑えるシーンでした。狡噛傷だらけなのにフルスイングとかちょっと心配になりましたが、ギノさん左腕使ってないし大丈夫だよね(笑)

全体を通して、支配者をくぐつにして祭り上げ、権力を掌握させた後に奪い取るという物語は古典的過ぎる色合いが強く、面白みが感じられませんでした。それだったらシビュラという※SF設定を無視しても物語が成立してしまう気がするのです。SFならではのテーマの提示を怠った作品になってしまっていたのではないでしょうか?

※:例えば王権争いで勝利した後に、王でなくその側近が権力を掌握するとか、あるいは王を殺してその側近がその地位につくとか、古今東西これに似た話は無数にあります。作中のハン議長を模した義体についてもアレクサンドル・デュマの古典ダルタニャン物語の一つ「鉄仮面」における双子を利用した陰謀と類似性が見られます。陰謀では無いけれど、入れ替え物語としてはマーク・トウェインの王様と乞食とかも‥。

最後に英会話について、冒頭の物語の舞台が海外であるという印象を与える場面を除き、必要なかったのではと思われました。私はあまり英語に堪能なやつではありませんが、殆どの英語台詞にネイティブのものとはかけ離れた印象を受けました。(英語圏にいる人が観たらがっかりしてしまうのでは?)
{/netabare}
1期の槙島や2期の鹿矛囲の様な魅力ある人物が現れるわけでもなく、霜月監視官はまだしも、六合塚さん、東金、雛河執行官、の出番も冒頭以外殆ど無し。典型的かつ派手目のアクション映画として凡庸に収まった感のある劇場版でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 29
ネタバレ

N0TT0N さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

シビュラ総選挙。

注)1期2期のネタバレあり。

かなり見応え十分の作品でした。
シビュラシステムの設定の秀逸さは相変わらずで、今回視点が世界の中のシビュラという位置付けだったので、自分の中での認識が新しく更新された感じがあります。
どういう部分かというと、今まではシビュラ内部からの視点でしか描かれてこなかったので、シビュラの是非を考えるとき、外部の情勢を今の世界情勢に当てはめて考えていました。
だけど、時代設定は今から100年後の世界。劇場版では今とは若干違った世界情勢を匂わせていて、それを考慮すると個人的には多少シビュラを肯定する方向にシフトした感じになりました。

そもそもどんなシステムも一長一短な部分を持ち合わせていると思うので、外側との相対的な関係によって優れたものにも劣ったものにもなってしまう面があると思います。

そういう意味で、今回提示された世界との関係を考慮するとやや肯定的な印象に変わったということです。

それに、作画、演出効果のクオリティがかなり凄かった。
アクション、武器、航空機、未来都市、のデザインや挙動、効果音にいたるまでどこを切っても説得力のある安定のハイクオリティでした。
実在しないアイテムの数もかなりあった‥というかほぼ実在しない物だらけでしたが、1つ1つのアイテムのディテールまで妥協なく描かれていて、これらの仕事に作品の質が支えられているんだろうな‥と思わされました。

常守朱。
2期同様今回も聡明さが全面に出てましたが、作画が1期同様の丸みのあるデザインだったので、とんがった印象にならず、「見かけによらず意志が強い」的な印象になってた。
些細なことだけど「とんがってる」より「意志が強い」の方が色相がクリアな朱らしい。

それにしても‥精神状態をクリアに保てる朱の精神的特徴が未だに解らない。。強さ、柔軟さ、信念、純粋さ。そういうものを総合的に持ってるということなんでしょうかね。
雰囲気としては解る感じなんですが。

でも、ストレス溜まってそう。


物語。
内容を進展させながらハラハラどきどき感長持ち!というスリリングで中身のある展開でよく出来ていたと思います。
オチも含め、驚きの展開とかはそこまで無かったですが上手くまとまっていたとおもいます。


以下、シビュラシステムについて。(個人メモ的ネタバレ)

{netabare}

シビュラの考え方『最大多数、最大幸福。』
なんとも魅力的な言葉ですね。
この言葉だけ聞くと何が悪いんだ!と思ってしまいます。
「管理社会」という言葉も「サポート社会」と言ってしまえばなんかいい感じに聞こえるかも?

今回劇場版を見終えても、シビュラの全貌は解らなかったけど、2期レビューで書いた疑問点が少しだけ解消されました。
シビュラ社会でも選挙はあるみたいです。

ですが、

やはりというか、選挙に勝ったのはシビュラでした。
このことが是か非かというとおそらく公職選挙法なるものが存在するのであれば非だといえる事態でしょう。
そりゃそうです、ハン議長は本人ではないうえ、暗殺まで絡んでいるんだから。

ですが、

国民は多分平和に近い状態を勝ち取ったといえます。

この辺がこの作品の奥の深さであり、ジレンマといえる部分だと思います。
もうこのことを指して「シビュラのジレンマ」と呼んでもいいくらいです。

そして、これも2期で疑問に思ったことだけど、民意は最終的にはシビュラの意志に染められる。
最適な暮らしを選んでくれるシビュラが最終的には最適の政治を選んでくれることになっても何の不思議もない。
過渡期としては民意は必要であっても一旦シビュラ管理
がスタートすると、シビュラが選んだ「絵に描いた民意」になってしまうのかもしれない。

そしてもう1つ、
最大多数には但し書きがあって、実際は、最大多数(犯罪係数の高い人を除く)って解釈でしょうか。現時点では。
可能性としては、メンタルケアの向上等によって最大多数=ほとんど全人類になる日がくるかもしれないですね。

最大幸福。
正直、ここも大きな疑問がある。
今、現状ではイメージできないんだけど間違いなくこちらにも但し書きが付いてるでしょう。最大幸福(選ぶ権利(楽しみ)はありません。)
この状態の感じ方によってはシビュラを受け入れられるかもしれない。
果たして「選ぶ」という権利を放棄した幸福は存在するのでしょうか?

犠牲の上に成り立っているということ。
これもかなり難しい問題だけど、
誰かの犠牲の上に成り立っている幸せならいらない。という思いと、そうこうしてる間にも犠牲は出ている。という現実があって、シビュラの場合長期的幸福のためであれば直近の犠牲はやむなしという思想のような気がする。
つまり、結果重視、過程軽視な思想。
犯罪係数が高い人限定の犠牲であるとはいえドラスティックな印象は拭えないですね。
正論ではあるけど心情的にはどうだろう?って部分でしょうか。

まあ、身も蓋もない感じだけど1番の問題は維持、管理、そして物理的、システム的なセキュリティーでしょうか。。
これだけ一極集中させた管理システムに世界のほぼ全てを任せるのは流石にリスクが高すぎるでしょうね。。
劇中「可及的速やかに~」なんて言ってたけど、最も可及的速やか改善しなくてはいけないのはシステムの分散でしょう。


最後に2期で疑問だった「集団的サイコパス」
多分こちらも劇場版ではノータッチだったでしょうか?
戦争と関係した問題にもなりそうだけど、はたして?という感じです。

いろいろ、考察しようと思えばいくらでもできそうですが、ぜひ!続編期待しております(`v´)ゞ!


{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17

76.4 4 EGOISTでProduction_I.Gなアニメランキング4位
PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.2「First Guardian」(アニメ映画)

2019年2月15日
★★★★☆ 4.0 (171)
1182人が棚に入れました
3つの物語の舞台は約100年後の日本とアジア――その現在、過去、未来に起きる事件が語られる。事件に立ち向かうのは、規定値を超えた〈犯罪係数〉を計測された〈執行官〉たちと〈シビュラシステム〉が適性を見出したエリート刑事〈監視官〉たち。犯罪を未然に防ぐために必要なものは、猟犬の本能か、狩人の知性か。事件は思わぬ事実を明らかにし、世界のあり方を映し出す。これまで語られていなかった『PSYCHO-PASS サイコパス』のミッシングリンクがついに紐解かれる。

声優・キャラクター
東地宏樹、有本欽隆、浅野真澄、てらそままさき、大原さやか、関智一、野島健児、石田彰、伊藤静、沢城みゆき、本田貴子、花澤香菜、佐倉綾音

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

亡き者達へ捧ぐ【鎮魂歌】All Alone With You

2012年秋冬期の第1期TVシリーズ、2014年秋期の第2期TVシリーズ、2015年の劇場版長篇に続く劇場版3部作『サイコパスSS』の2作目です


人の精神を数値化出来ることから警察が廃止され、厚生省公安局が治安維持と法務の執行を取り仕切る未来の日本が舞台のSFサスペンス


実写映画監督の本広克行、脚本家の虚淵玄も関わっていたシリーズですが、この3部作では最初期からアニメーションディレクターとして携わっていた塩谷直義が自らストーリー原案を組み立てて単独で監督
さらにノベライズ版を手掛けた吉上亮と深見真が脚本を担当しています
本来なら1作目からレビュを書くところですがこの2作目が特に素晴らしかったので先んじて書きたいと思いました

























2116年、SEAUnシャンバラフロートでの事件から2ヵ月後の公安局に、外務省から花城フレデリカという女性が刑事課一係に監視官補佐として出向してきたことが事の始まり
彼女の真の目的は元国防省、国境防衛システム海軍のドローンパイロットであった須郷徹平を外務省にスカウトすることであったのだ
須郷は国防省時代にサイコパスを悪化させるきっかけとなった事件を思い出す…
時は遡り2112年、常守朱監視官就任の数ヶ月前
須郷の所属する部隊はSEAUnへの介入を始めた日本政府と国防省の極秘任務「フットスタンプ作戦」を遂行するが作戦は失敗
ドローンパイロットの須郷たちを残し地上部隊は全滅
その中には尊敬する部隊長であった大友逸樹の姿もあった
しかしその後、フットスタンプ作戦関係者を襲撃する軍事ドローンによるテロが発生
容疑者に挙がったのは死んだはずの大友逸樹
須郷も容疑者として公安の監視下に置かれた
そんな須郷の前に現れた公安というのが、当時刑事課一係の執行官だった“とっつぁん”こと柾陸智己だったのだ…


























今作の第一印象は、色相診断の結果が全てにおいて優先される世界観で、そもそも軍人という職業が成り立つのか?というシリーズへの疑問を投げかけた意欲作だと思いました
理不尽な作戦を強いられる前線の特殊部隊の悲惨さと上層部との軋轢
とかく非情な結末が待ち構えている中で突き進む須郷の心情が軍事冒険小説のような体で彼が得意とするドローン技術の描写と共に描かれ、SFとしてもミリタリーサスペンスとしても楽しめる作品に仕上がっております
この『SS』3部作全てに共通してることでもありますが、画面のクオリティもこれまでのシリーズが嘘のようにハイレベルにまとまっているのも素晴らしい


お話の結論から言って、軍人という職業が成り立っているのはやっぱりちょっとおかしいというか、それは『劇場版』のシャンバラフロート事件を観ても矛盾してるのは明らかです


ですがそんなツッコミどころを他所に、もう一方でハードボイルドな刑事ドラマとしての魅力が今作を支えていることに目を向けたいと思います


物語は終始須郷の目線で語られますが、須郷から観た“刑事という生き方とその正義”を貫いたとっつぁんはこれ以上に無くカッコイイ男、として映ります


まだとっつぁんと宜野座が和解する前ともあり、宜野座との確執の深さや初めて登場する柾陸の元妻=宜野座の母との距離感のある関係も明かされ、とっつぁんの公私が今作の中で共に語られるというのがキャラに深みを与えています
この妻子を支えるとっつぁんの姿は、事件の中心となってしまったが須郷の良き先輩でもあった大友とある意味オーバーラップしつつ、裏表一体の関係になっているのも面白い


何よりもとっつぁんや、さらに今作に登場し大活躍をする青柳璃彩監視官、縢秀星執行官という人々が後々の事件で【全員殉職してしまっている】という事実が今作に漂う哀愁に拍車をかけてます


思えば『サイコパス』というシリーズは幾度となく希望を打ち砕いてきました
本当は死ぬべきではなかったはずの人々の生命が軽々しく奪われていってしまったことへの虚しさ
そんな彼等の在りし日に、いまいちど思いを馳せさせてくれるのが今作なんだと想うのです


そして何より、とっつぁんを演じた有本欽隆さん自身がもはや帰らぬ人となってしまっているのがやるせない…


エンドロールではEGOISTの「All Alone With You」を中野雅之が手掛けたReMixが流れるのですが、これがオイラには“逝ってしまった者達へのレクイエム”の様に聴こえてなりませんでした…


興行終了間際に立川シネマシティ、シネマツーaスタジオでの極上音響上映「TOTTSUAUND」も堪能してきました
SEAUnでの戦闘シークエンスはもはや極爆を超えたとも言える凄まじい音圧の破裂音が連続
とっつぁん最大の見せ場となる、軍人相手に怯むことなく啖呵を切って迫るシークエンスの迫力も他の劇場にも増して最高でした
上映終了後には岩浪音響監督自らが名付けたTOTTSUAUNDという名前と、今作が有本さんの遺作となっていることを合わせた追悼メッセージが画面に映され、最後の最後で涙してしまいました

投稿 : 2024/05/04
♥ : 6
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

刑事の勘は永遠に……

『PSYCHO-PASS(サイコパス)』の新作・劇場版三部作の二作目の舞台も日本。
但し、メインの時代はTVアニメ1期の少し前の過去。
本作で起きる事件もまた、霞ヶ関のタテワリが障壁になる難事件ですが、
この当時はまだ“伝説の刑事”で、公安局の“猛犬”征陸(まさおか)智己<執行官>が健在。
シビュラの権限が規制される、他省庁の“聖域”にあっても、
征陸の事件への執念は潰えず、その牙は一度食らい付いたら離れません。

ついでに征陸の息子・宜野座<監察官>もこの頃は絶賛反抗期中w
宜野座は家名の通り、{netabare}沖縄が実家。
沖縄絡みの捜査からの脱線が炎の険悪親子関係に油を注ぐことにw{/netabare}
久々に熱い?親子喧嘩もスクリーンにぶちまけられて感無量ですw

征陸や事件の関係者を通じて、組織の中でも折れない個人の信念を感じたシナリオでした。
例えば征陸<執行官>はTVアニメ1期でも、
シビュラが捜査、執行全般を指示する時代になっても尚、
刑事の勘を前面に押し出した、昔気質のデカを貫き通していましたが、
本作でも、その生き様に再会できて熱かったです。

加えて、そんな個人の信念の継承も確かに感じられました。
各省庁の秘密主義が招いた事件は、相変わらず組織が個人を圧殺する後味の悪い物でしたが、
刑事の勘は、先の第一部にて<執行官>に受け継がれていましたし、
本作では、そんな胸糞な事件が続く中でも、たまに感じられると言う
刑事の正義や信念を引き継ぐ意志もありました。


一方で<シビュラシステム>については、今回もまた、
{netabare}硬軟織り交ぜて対立省庁を屈服させる狡猾さが際立ちました。
事件を通じて、クーデターの危険性が最も高い軍隊に対し、暗部と言う首根っこを抑える。
その上で生かさぬよう殺さぬよう、使える武力だけ残して、
貸しも作って<シビュラ>に抗えない体勢に持って行く。

タテワリが壊される様なんかも、通常は規制緩和など革新的でポジティブなイメージですが、
本シリーズのタテワリ打破は、三部作通じて、
霞ヶ関支配の地歩を固めて行くであろう、<シビュラ>の着実さが目立ち薄気味悪いですw{/netabare}


うん……やっぱりシビュラくん、性格悪いわ~w


付記:第二部公開を控えた今月に入って、
征陸智己<執行官>役の有本欽隆氏・食道がんで死去の訃報が飛び込んで来ました。

<シビュラ・システム>の伸長により“伝説の刑事”から
<潜在犯>として公安局の“猟犬”に落されても尚、
自身の矜持を捨てずに、泥臭く食い付いていく征陸の生き様は、
システムに疎外されても消えない人間性を語る上で重要な要素でした。

それを人間味溢れる演技で再現した欽隆さんの声は地味ながら作品に欠かせない物でした。

元々、本作は、{netabare} 生前の征陸を悼む視点{/netabare}もあった上に、
さらに“弔辞”コメントも相次いだという舞台挨拶のニュース等も含めて、
中の人の追悼ムードも加わり、
より故人の遺志というテーマを意識させられた劇場鑑賞となりました。

ご冥福をお祈り致します。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

「フットスタンプ作戦」…あそこで、本当はいったいなにがあったんですか!

この作品は、2019年に上映された劇場版アニメ三部作の第2弾です。
現在、過去、未来の三部作のうち、今回は「過去」に位置付けられる作品となります。


常守朱が公安局刑事課一係に配属される前の2112年夏、沖縄。
国防軍第15東郷任務部隊に所属する須藤徹平は、優秀なパイロットとして軍事作戦に参加していた。
三ヶ月後、無人の武装ドローンが東京・国防省を攻撃する事件が発生する。
事件調査のため、国防軍基地を訪れた刑事課一係執行官・征陸智己は、須郷とともに事件の真相に迫る。


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

今回の物語の主役は、執行官の須藤徹平さん…
正確に言うと、執行官になる前の軍人だった頃の須藤徹平です。
恥ずかしながら私の記憶から完全に抜け落ちていたキャラでした。

このシリーズは、これまで主人公が次々と事件を解決していくスタイルが主流でしたが、今回の物語は一味違っていました。
確かに事件は発生するのですが、事件を解決するのはあくまで公安局の仕事…
それじゃ須藤徹平はというと…完全に巻き込まれた感じでしたね。

でも、こういう目線も大切だと思います。
何故なら、私たちが何かの事件に関わるなら圧倒的に第3者で巻き込まれる確率が最も高いでしょうから…
生きていて、何度も事件の第一人者には成り得ませんしね。

でも、周囲を巻き込む力…というより、抑え込む力のが物凄く強い事件だと思いました。
最近、「働き方改革」という言葉をよく耳にしますし、職場にも浸透し始めています。
それから比べると、今回登場した国防軍は明らかに逆行していました。
もちろん、機密事項の漏洩はどこの部署においても絶対禁則事項です。
ですが、職場の風通しという意味では、現代社会と随分なギャップを感じました。
今より未来の世界の出来事なのに…

レビューのタイトルで用いた「フットスタンプ作戦」は、本作品の中で素性が明らかになるのですが、思っていた以上に残酷で、悲しみしか生まない作戦だったのではないでしょうか。
諸悪の根源は、作戦の指揮者にほかなりません。
ですが、例え何も知らなかったとしても、自分が加担していたことを後から知らされたらどうでしょう…
何もかも開き直れる訳なんて…ありませんよね。
だから、潜在犯に認定されるのは、直接犯罪に手を染める以外にも多種多様なケースが存在するのだと思います。

本作では、シビュラシステムにはあまり触れられませんでした。
これまでは、全ての犯罪はシビュラシステムに直結していたので違和感ありませんでしたが、システムに関係無いところでも、事件って起こるんですね。

主題歌はCase.1と変わらず、エンディングテーマは、1期後半のエンディングが使用されていました。
もちろん、Case.1同様リミックスバージョンです。

上映時間が約60分の作品でした。
Case.1とコメントが重複しますが、兎に角物語の濃厚さが半端ありません。
「正義と信念の感じられる仕事」という台詞を耳にしました。
自分も「かくありたい」と思える台詞でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

74.0 5 EGOISTでProduction_I.Gなアニメランキング5位
PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1「罪と罰」(アニメ映画)

2019年1月25日
★★★★☆ 3.8 (172)
983人が棚に入れました
3つの物語の舞台は約100年後の日本とアジア――その現在、過去、未来に起きる事件が語られる。事件に立ち向かうのは、規定値を超えた〈犯罪係数〉を計測された〈執行官〉たちと〈シビュラシステム〉が適性を見出したエリート刑事〈監視官〉たち。犯罪を未然に防ぐために必要なものは、猟犬の本能か、狩人の知性か。事件は思わぬ事実を明らかにし、世界のあり方を映し出す。これまで語られていなかった『PSYCHO-PASS サイコパス』のミッシングリンクがついに紐解かれる。

声優・キャラクター
野島健児、佐倉綾音、弓場沙織、平井祥恵、岡寛恵、小山力也、斉藤貴美子、多田野曜平、中川慶一、花澤香菜、東地宏樹、櫻井孝宏、伊藤静、沢城みゆき
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

青森のサンクチュアリ

『PSYCHO-PASS(サイコパス)』の新作・劇場版三部作の一作目の舞台は日本。
青森の<潜在犯>隔離施設“サンクチュアリ”から脱走した女に関する公安局の捜査に、
不自然な横槍が入ったことをキッカケに、公安局屈指の女<監視官>二人とその一味らが、
青森と東京、前衛と後衛、二手に分かれて喰ってかかる、やや刑事ドラマ色の強いシナリオ。

自動運転が絡んだ事件の発端。行動予測がすっかりスタンダード化した捜査。
あとは{netabare}旧優生保護法絡みの裁判でも問われた、
社会が不適合とみなした人間から出産、育児の権利を剥脱した件とか。{/netabare}
日々アップロードされ続ける社会に対する懸念もふんだんに盛り込みながら、
社会正義の在り方を問いかける構成にはらしさは出ていたと思います。

ただ、尺不足は感じます。
青森を聖域たらしめた根拠となった<潜在犯>更生のアプローチ。
即ち{netabare} 集団心理を活用した個の圧殺による<犯罪係数>低位安定を土台とした“ユートピア”実現。{/netabare}
に関しては特に心理描写の欠落による説得力不足を感じました。

これは1クールに枠が短縮されたTVアニメ2期以来、ずっと感じていることですが、
最近の本シリーズは、着眼点は面白いのですが、
個々の要素の掘り下げはやや物足りない印象が続いています。
『PSYCHO-PASS』は1期みたいにシステムの弊害や穴を突いた犯罪を描き
テーマを投げかけた上でさらに、
社会の変容が個人の価値観や芸術活動に及ぼす影響までえぐり出してこそ価値がある。
と私は思っているので、今回のネタも例えばTVアニメ3期2クール相当の枠内で、
“楽園”で暮らす<潜在犯>の生活感も含めて、
じっくり、ネットリ表現して欲しかったと言うのが正直な所です。

それでも劇場版ならではのSFバトルシーンなど見所はありました。
この第一部では、先輩<監察官>を差し置いて、
公安局のエース(自称)である霜月美佳<監察官>が捜査の前線・青森で活躍しちゃいます♪
正義の名の下に猪突猛進しそうになる、じゃじゃ馬ぶりは相変わらずw
まったく<監察官>と宜野座<執行官>どっちが“猟犬”だか分らなくなりますw

そんな中でも事件を通じて抑える所は抑える。美佳の成長は感じられました。
宜野座<執行官>がこぼした{netabare}「人うまく使えるようになったじゃねぇか」{/netabare}とのひとり言は、
美佳に対する賛辞だと私は理解しています。
但し本人には決して言いません。だって煽てると調子に乗っちゃいますからねw
この辺りは流石に“忠犬”宜野座さん。<監察官>の扱い方をよく心得ていますw

また今回の<シビュラシステム>に関しては、
治安を託し得るか?という論点に加え、政治を託し得るか?という点も強く意識させられました。
何せ毒をもって毒を制するシビュラ君は性格悪いですからw
高度な政治的判断とか任せて良いのか逡巡してしまいます。

特に今回エグいと思ったのはラストにて、やや重大なネタバレになりますが、
{netabare}美佳が<シビュラシステム>に対して事件関係者の人生保証と言う個人の幸福と引き換えに、
システムの欠陥やスキャンダルの暴露を断念した幕引き。
一見、提案したのは美佳だけど、私はこれ絶対<シビュラ>は最初から美佳たちが、
個人への情に価値を置くことを分っていて仕組んだだろうと言う疑念を持っています。

<シビュラ>はシステムのガンになりつつあった青森の<サンクチュアリ>を、
自らの手は直接汚さず、しかもイメージダウン等、切除のダメージは最小限にして、
<潜在犯>をゴミ呼ばわりしていた管理者もろとも、大掃除した。

結局、今回もまた<シビュラ>の掌の上で踊らされていたと私は解釈しています。{/netabare}

うん……やっぱりシビュラ君、性格悪いわ~w

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

ここで引き下がったら公安局刑事課のエース、霜月美佳の名が廃るっ…

この作品は、2019年に上映された劇場版アニメ三部作の第1弾です。
3つの物語の舞台は、約100年後の日本とアジア…その現在、過去、未来に起きる事件が語られるんだそうです。
これまでは、主人公である常守朱を主体として物語が構成されてきましたが、本作の主人公は、何とあやねる演じる霜月美佳監視官なんです。
「格好良い」あやねるボイスを満喫できる作品でした。


2117年冬、公安局ビルに一台の墓相車両が突入する事件が発生。
その運転手は青森にある潜在犯隔離施設<サンクチュアリ>の心理カウンセラー・夜坂泉だった。
しかし取調べ直前に夜坂の即時送還が決定する。
監視官の霜月美佳は、執行官・宜野座伸元らとともに夜坂送還のため青森へ向かう。
そこで待っていたのは、<偽りの楽園>だった。


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

上映時間が約1時間の作品なのですが、物語の濃厚さが半端無い上、兎にも角にもあやねるボイスが満載なんです。
もう、霜月美佳監視官があやねるにしか見えませんでしたよ^^;

これまで、何か事件が起きると、常守監視官が我先にと現場に急行していましたが、先輩監視官…だからでしょうか。
青森まで送還する役目を霜月監視官に一任するんです。

責任ある仕事を任されるとやっぱり嬉しいですよね^^
あやねるも…いえ、霜月監視官も喜びの表情全開で任務に向かいましたっけ。

サンキュチュアリって「聖域」や「自然保護区」などを意味する言葉です。
ですが、青森の施設は聖域などとは程遠い場所であるのが徐々に感じられるんです。
最初に感じるのは、公安に対する言動の違和感…
ですが、この違和感が途中から激しさを増していくんですよね。
そしてその違和感は「気持ち悪い」と感じるレベルにまで跳ね上がる…

人間は間違える生き物です。
だから人間には他の動物と比べ物にならないくらい修正力が高いから、ここまで進化してこれたんだと思います。
ですが、サンクチュアリでは自分たちに不都合なことは、全て悪になっちゃうんです。
そして悪を見つけたら全力で排除しようとする…
それは、明らかに正しいことを言っていても捻じ曲げてしか伝わらないんです。
それが「気持ち悪い」と思える所以でした。

だからこそ公安の活躍が光っていたんだと思います。
何度もピンチがみんなに襲い掛かります。
でも霜月監視官の不撓不屈の闘志が、みんなの切れそうな糸を繋いでいくんです。
こういう役を演じるあやねるの声質…堪らなく格好良いんですけど!

主題歌は、1期オープニングだった「abnormalize」
エンディングは、2期エンディングだった「Fallen」
どちらもリミックスバージョンになっていました。

このシリーズのファンの方や、あやねるボイスを堪能されたい方にはお勧めの一作なのではないでしょうか。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 13

アニメ記録用垢 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

霜月美佳とは

霜月美佳という人物(キャラクター)を深堀した作品
今までの彼女の成り立ちと今作、そして今後どうなっていくのかの予想をしようと思う


初登場時(一期)で高校生だった彼女
誰かの意見や考えに左右されず、自分の価値観や感性を大事にし、そして行動していた
これは王陵瑠華子に対する、彼女の反応、そして発言から見て取れる
学園の全生徒(登場した生徒)の誰もが王陵瑠華子に対して、尊敬と憧憬の眼差しを向けていたのに対し
彼女は「どこか違う次元を見てるような眼が怖い」と言い切り、冷ややかな反抗的態度を王陵瑠華子に向けた

この段階では自分の価値観や感性は大事にしているが、二期で顕著に表れる行き過ぎた〝正義感〟は見て取れない
恐らくは、もとい確実に親友の河原崎加賀美を実質、自身の発言――「王陵さんに相談に行けば」――によって殺してしまい
そこから犯罪者(潜在犯も含め)を嫌悪し、忌み嫌う様になったと推測される

彼女の一期での登場は、公安局に配属になった際の、霜月美佳というキャラクターの視点や価値観、特性を説明する為だったと言える


二期では、新任監視官として霜月美佳は登場した
シビュラシステムの在り方に疑問を抱き、潜在犯にも〝平等に接する〟常守朱と対象的に
シビュラシステムに心酔し、過去の経緯から潜在犯も〝ゴミ屑〟かの様な態度と発言をする霜月美佳
 
作中で強がりな面を見せる霜月だが、自身は常に〝正義〟であるを取り繕う為なら躊躇なく責任転嫁をして逃れようとする弱い部分が表に出たり
自身の命の保全の為なら、常守朱の祖母(常守葵)の所在を東金朔夜にリークし
結果殺してしまう――実質殺しておいて六合塚弥生に「同感です」と発言したり――など
視聴者からトコトン嫌われる描写をされる(担当声優曰く、監督の意向だったらしい)
 

そんな霜月美佳だが今作『Sinners of the System Case.1 罪と罰』の物語の中で
シビュラシステムが真の正義ではないということを理解したのか、最後シビュラシステムを問い詰める様な発言と行動をするなど
本来の彼女が持っていたであろう本質――偽りのない正義感――が現れる


二期ではただのヒール役にされていただけの彼女だったが
今後はシビュラシステムを〝正義〟と認識せず、常守朱の様に自身で考え行動する様になっていくと思われる
これからの成長と変化が楽しみだ

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

75.3 6 EGOISTでProduction_I.Gなアニメランキング6位
PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3「恩讐の彼方に」(アニメ映画)

2019年3月8日
★★★★☆ 3.9 (154)
947人が棚に入れました
3つの物語の舞台は約100年後の日本とアジア――その現在、過去、未来に起きる事件が語られる。事件に立ち向かうのは、規定値を超えた〈犯罪係数〉を計測された〈執行官〉たちと〈シビュラシステム〉が適性を見出したエリート刑事〈監視官〉たち。犯罪を未然に防ぐために必要なものは、猟犬の本能か、狩人の知性か。事件は思わぬ事実を明らかにし、世界のあり方を映し出す。これまで語られていなかった『PSYCHO-PASS サイコパス』のミッシングリンクがついに紐解かれる。

声優・キャラクター
関智一、諸星すみれ、本田貴子、志村知幸、磯部勉、高木渉、鶴岡聡
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

終わりなき自分探しと居場所探しの果てに……

少し前、世界を旅すれば人生の指針も自分も発見できると言う、
旅万能論に基づいた自分探しの旅がもてはやされた時代がありました。

実際には、サッカー選手が世界を旅して改めてサッカーに関わりたいと思い直す。
くらいの心のリフレッシュ効果があれば良い方で、
旅先で人生前後不覚になり“沈没”するリスクまであると言うのに。
俺は旅で夢を見つけたと自身の半生を伝説化する経営者など、
旅が美化される風潮に私はある種の気色悪さを感じたものでした。


このような捻くれ根性で、本作を劇場鑑賞した私にとって、
狡噛慎也が長い放浪の旅の果てに辿り着いた、
ヒマラヤを望む「チベット=ヒマラヤ同盟王国」
その絶景はシャンバラさながらの理想郷の姿をしながら、
内実は、麓の都市文明同様……いやそれ以上に矛盾を抱えたディストピアそのもの。

因みに現実のヒマラヤ山麓も、麻薬問題、貧困による児童人身売買が横行。
“幸福度世界ナンバーワン”の触れ込みで度々来日してくる某王国も、
足下では内紛の火種を抱えているのです。

この世の果てとも言うべき、“世界の屋根”に至っても尚、
人は、狡噛もまた、己が背負う過去や宿命から解放されることはない。
作品内世界、リアル世界共に、乖離しがちな理想と現実に
私は苦虫を嚙み潰しながら、
復讐に囚われた少女と向き合う狡噛の姿を見ていて、
もう旅もそろそろ終わりで良いのでは?と何度も語りかけたくなりました。

さらに極めつけだったのは黒幕の所業。
(※重大なネタバレ有)
{netabare}傭兵ガルシアに至っては、平和維持活動による世界平和という理想郷を演出するため、
鎮圧すべき紛争を自作自演して、己の存在意義をでっち上げるマッチポンプぶりを披露。
過去の自分の理想像に囚われ、シャンバラを汚す人間の姿はどこまでも哀しいです。{/netabare}

よって……(※ラストの重大なネタバレ有)
{netabare}日本帰国の決断に至った狡噛の心情は筋が通っていると感じました。
狡噛が行った復讐とそれにより生じた諸々の葛藤のモヤモヤを晴す
万能薬は世界の何処にもなくて、
やはり、狡噛自身が、発端となった日本で解決する以外にないのだと納得しました。{/netabare}

結局、己の運命を決めるのは、旅先の壮大な自然風景ではなく、
自分自身の心の風景次第。
私の中の旅万能論への懐疑が一層、強まる(苦笑)
苦味が利いた有意義な映画鑑賞となりました。



主人公らを一新して迎えるTVアニメ3期は、本劇場三部作でも描かれた
シビュラが社会を統制するシステムとしての地歩を固めるため、
繰り広げて来た、霞ヶ関内での暗闘が引き続き背景になるものと思われます。

これまで厚労省のシビュラVS他省庁については、
本三部作第二部では、{netabare} 国防省{/netabare}の威信を失墜させる陰謀が明らかとなり、
TVアニメ2期では、{netabare}「パノプティコン」で社会基盤の座を争う経済省{/netabare}の野望粉砕の過去が明かされ、
他にも、政官の中枢にまでシステム末端を食い込ませる策士ぶりを見せています。

そして、今回、前作劇場版&本三部作を通じて次なるライバルとして
{netabare}外務省{/netabare}の暗躍が強調されました。
旧世紀、伏魔殿と恐れられた難敵。シビュラも相手にとって不足はないでしょうw
伏魔殿の手先たるフレデリカさんも金髪美人だし、巨乳だし、
スナイパーだし、雑賀流・心理学の使い手みたいだし、
何より“棄民”とかシビュラの痛~い所をネチネチと突いてくるし、
排除するにも一筋縄ではいかないでしょう。


ただ、本劇場三部作は2期、劇場版1作目と3期をつなぐ上で事前に予習必須なのか?
と言うと何とも微妙なところと思っていて。

3期を視聴していて、例えば、新主人公コンビの脇に回された旧作メンバー等を見ていて、
おや?こんな人間関係あったっけ?と気になった時なんかに、
或いは、黒幕が過去何をしていたのか知りたくなった時なんかに、
フラリと本三部作に舞い戻る感じでも遅くはないのかなと私は思っています。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

わたしの、先生になってもらえませんか

この作品が、2019年に上映された劇場版アニメ三部作のラストになります。
現在、過去、未来の三部作のうち、今回は「未来」に位置付けられる作品となります。


2116年に起きた東南アジア連合・SEAUnでの事件後、狡噛慎也は放浪の旅を続けていた。
南アジアの小国で、狡噛は武装ゲリラに襲われている難民を乗せたバスを救う。
その中には、テンジンと名乗るひとりの少女がいた。
かたき討ちのために戦い方を学びたいと狡噛に懇願するテンジン。
出口のない世界の緑辺で、復讐を望む少女と復讐を終えた男が見届ける、
この世界の様相とは…。


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

作り手の粋な計らいを感じます。
まさか、2015年に公開された劇場版の後日談と、こんな形で出会えるとは予想だにしていなかったので…。
そっか、ここで狡噛が出てくるのか…
劇場版のラストシーン…あんな形で狡噛をばっさり切り捨てるなんて、奥歯に何かが挟まっていた感じはあったんですよね。
この計らいも計算されたモノだとは思いますが、頭の中で点と点が繋がる瞬間はやっぱり嬉しいです。

でも、点と点が繋がるのは狡噛の件だけじゃないんです。
第2作「Case.2『First Guardian』」でチラッと登場した方も本作ではキーパーソンになっていました。

しかし狡噛さん…
どうして自分の居場所を無くす…未来の可能性を削る生き方しか出来ないんでしょう。
狡噛の選択は概ね間違ってはいないと思うんです。

そりゃ、過去に超えてはいけない一線を超えたことはありました。
それが原因で日本から脱出せざるを得なかったことも理解しているつもりです。

ですが、SEAUnの事件の時…折角繋がることのできた旧知の仲間との接点まで
切り捨てる必要は無かったんじゃないかと個人的には思っています。

放浪の旅…吟遊詩人みたいで聞こえは格好良いかもしれませんが、特定の居場所を持たず、衣食住がままならなず、加えて狡噛の目指す先は何時だって戦場なのですから、命の保証だって無いんです。

確かに、狡噛が放浪の旅を続けていなければ、目の前で親を惨殺され復讐を誓ったテンジンとの出会いは無かったかもしれません。
ですが、彼がそこまで自分を徹底的に推し殺さなければいかねい業を背負っているとも思えないんです。
あくまで個人的意見ですけれど…

「あなたには救える人がいる…やることがある…」
物語の中で流れてきたこの台詞が耳に残っています。
この一言が狡噛自身の救いになったのではないかと思っています。
だって、物語の中で彼は物凄く大きな決断をするのですから…

一連の出来事の中狡噛が何を拾うのか…
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニングアニメは、3部作に合わせて全て刷新されていました。
主題歌はCase.1と変わらずですが、エンディングはリミックスされた「名前のない怪物」でした。
「名前のない怪物」って、原曲のクオリティが鬼懸かっているんですね。
だから、どの様な形に編曲されても格好良さが失われない、というのが分かりました。

アニメーション制作はProduction I.Gさんなので、クオリティは折り紙付きです。
3期視聴を待ってでも先に視聴する価値のある劇場版だったと思います。
これでようやく…待ち望んでいた3期が視聴できます。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

うにゃ@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

悪霊は過去からやってくる

劇場版3部作 Sinners of the System
なので3部纏めて評価。

1部
霜月と執行官になった宜野座の話。常守は裏方。
霜月が特にシビュラ信者な所は霜月らしくてよい作品。
縦割り行政で厚生省が手出しできない経済省の潜在犯隔離施設〈サンクチュアリ〉の潜入捜査話。
精神的にもアクション的にも宜野座が素晴らしい。

2部
過去編で宜野座の親父、征陸さんと2期で執行官、3期で外務省行動課の須郷がメイン。キャラの関係性等1期を思い出しながら視聴しなくてはならない。
懐かしいだけでなく、展開もスピーディーで、親父共のハードボイルド。フレデリカが須郷を外務省にスカウトするが断る所に執行官になった征陸さんへの想いの回想話。
正義とは何か、征陸さんの刑事魂を熱く伝える作品。
ただ、国防とシビラシステムとの関係性等興味深いが、結局フットスタンプ作戦は、西安のに対抗する軍閥組織殲滅もいまいち何だったのか、何のためにしたのかわからなかった。

3部
劇場版の後、放浪の旅をしてる狡噛をフレデリカが外務省にスカウトする話。復讐を果たしたいテンジンに狡噛が復讐の無意味さを伝えようとする作品。
短い時間の中でのシビラシステムの外の世界、海外の軍事紛争地域の話の魅せ方はわかりやすい。
狡噛とテンジン・狡噛とフレデリカとのやりとりから、日本に帰国するまでのきっかけ、というか経緯はよく練りこまれている。

3部とも劇場版なので当然なのかもだが、1話1話60分程度なのでわりと時間はタイトなのによく作りこまれ、奥の深い作品。

100点中85点

投稿 : 2024/05/04
♥ : 1
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