「魔法少女まどか☆マギカ(TVアニメ動画)」

総合得点
90.9
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44
ネタバレ

ValkyOarai さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

貴方が考える魔法少女とは何か ティーンエイジャーの生き様を捧ぐ ゴールデンと深夜の魔法少女の違いは描写だけではない 人間よ、正義という言葉に騙されるな

これだけは知っておいてください
ティーンエイジャーとは13歳から19歳までの若者を指すことで中学生から高校生の時期に当たる。
また
思春期が男性はローティーン(中学生)までに、女性はプレティーン(高校生)までに始まる。
ティーンエイジャーの時期は、心境が不安定で、悩むことが多くなる。
自我の形成される時期で、親への反抗や人見知りをする時期でもある。
異性に興味を持つため異性問題もこの時期からが多い。

その生き様がここに込められています。

杏子「毎日美味いもん食って、幸せ家族に囲まれて、そんな何不自由ない暮らしをしてる奴がさ、ただの気まぐれで魔法少女になろうとするんなら、そんなのアタシが許さない。一番にぶっ潰してやるさ」
これはなのはやプリキュア達と一致している。これでは杏子が主役(悪役)になってしまうのではないか?

「そういうもんじゃん?最後に愛と勇気が勝つストーリー、ってのは」
これはやなせたかしさんが他界しても性善説を貫き通し続けている「アンパンマン」と一致する。

なのはもプリキュアも他の魔法少女(宮藤さん達)も何も能力を持ってなくても「とある偶然」から魔法少女になるというきっかけを得て目的を達成するためにその道へと歩む姿があった。

魔法少女は親が子供のときから既に存在しており、
「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」がその前身に当たり、作画技術の向上によりアニメは綺麗になり今ではCGも取り入れられるようになった。そう、魔法少女は「夢」の一部と考えられていた時代だった。

俺が子供の頃は「美少女戦士セーラームーン」や「おジャ魔女どれみ」が中心となり今でもファンがいるほどの人気だ。
前者は「戦闘美少女系魔法少女物」の先駆けとなった作品であり、作者は「美少女仮面ポワトリン」と「スーパー戦隊シリーズ」に影響を受けて作ったと言われている。

後者は魔法ヒロイン路線よりも一種の人間ドラマ的なジュブナイル路線を中心に描かれており、80年代の魔法少女の常識を覆していた。また変身ではなく「お着替え」であった。

「おジャ魔女どれみ」が終わりOVAで放送されている頃「明日のナージャ」が放送された。
『キャンディ・キャンディ』や『はいからさんが通る』等の、1970年代の少女向け歴史大河アニメを特徴とした作品であったが、放送開始から終了まで一貫して低視聴率に苦しみ、既存の同枠視聴者から受け入れられない結果に終わった。無論小道具も売れなかったため、バンダイに大きな打撃を受けることになった。これは今の子供達の価値観が変化している表れでもあった。

それを打破したのがプリキュアであった。
『女の子だって暴れたい』って言う願いから生まれた戦士達は2014年を持って10周年を迎えることとなり、映画で初登場したのを含めると累計38人の声優がプリキュアとなった。また声優のオーディションも活発になっていくことだろう。次は誰がプリキュアになるのだろうか。いつまで続くのだろうか。

プリキュアはドラゴンボールばりに動くわ、格闘中心で必殺技(かめはめ波が中心)で止めを刺すわなど特撮兼少年アニメの姿勢が加わってはいたが、ダメージ表現は最低限でという約束事が定められ、
(壁に叩きつけられるのが基本、他のゴールデンアニメとは違い流血禁止、俺は頭からの出血が好きではあるがグロ過ぎるのは見たくない。しかし、戦闘には出血が付き物だ、プリキュアでも最低限でいいから流して貰いたいと今後願う、血を拭い纏うヒロインも美しいのに)
後に「仲間同士の戦闘は止めよう」という決まりごとも途中で加えられた。
それを参考にして正義対悪というコンセプトの戦闘も出された。どんなコンセプトでも正義なんて存在しないのに...それに子供達は踊らされているんだ。
昔は宗教も地位も権力も皆が悪だったんだ。今のアニメの悪役はロマンでできているようなものだと同時に本能と欲望で形作られるものだ。

プリキュアは昔のアニメと同じような通過儀礼を守っているアニメであるが、この作品はそのようなお約束を破壊していることが理解できる。
{netabare}魔法少女同士の戦闘があるわ(なのはとフェイトも同じ)
途中で魔女に倒されてしまう(厳密には殺される)という(なのはで言い換えるとスカリエッティ達との初戦)
ゴールデンアニメではまず考えられない出来事に驚いた。
最終的にはどう行動しても待っているものは自分たちの望みではなく相手の望みであることで
魔法少女=人間がHDでソウルジェムが濁りきると魔女になるという固定された概念
それを阻止するために魔法少女同士が戦うことも余儀なくされることで生まれる大きな悲しみがあった。故に正義なぞ存在していないことが分かる。
言葉的に希望は希な望み、絶望は絶対なる望みだから
数学的に例えたら絶望の方が強く感じ、希望は非常に弱く感じてしまう。
俺は絶望≠悪意ではなく、もう一つの正義・欲望だと考えている。{/netabare}

最終回 私の、最高の友達
{netabare}最後にまどかが願った言葉「全ての魔女を生まれる前に戻す」
これはこの世界の悪役を全て倒すということとなる。
それを願ったとしても人の恨みは残り、それが悪意として地上に滞留することになる。悪意は常に人に植え付けられると同時に悪役は必ず変更され、生き続けることになる結末となった。無論友達もいなくなってしまうというbad endじゃないかって感覚の終わり方だった。
これより定義づけられることは『悪から逃れることは不可能』であり、どう足掻こうと「閃乱カグラ」の雪泉が願っていた『悪がいない世界』を創ることは全くもって不可能なのである。{/netabare}

しかし、反対に言えることもある。この作品がスターダムに伸し上がったのは
{netabare}菓子の魔女(シャルロッテ)の2重構造で我々の油断を誘ったからかもしれない。敵を見た目だけで判断してはならないことはこれから理解できます。
無闇にフラグを発言してはいけないって意見もあるが、キャラが発言しないとアニメは成立しません。だからアニメの本質は声優ないし製作者だと思います。故にどう足掻こうとフラグを立てるのも折るのも製作者&声優次第だと思います。

手練れの主人公だったらどうだったであろう。特に中の人である柳生だったら?ユーノ君だったら?ヴィヴィオだったら?全く別の結末が待ってたのだろうか?
悪役によって主人公が殺されることはゴールデンにあってはならない。
マミさんが殺されたことでこの作品がマリオの如く社会現象に発展するようになったから悪役にも感謝をせざるを得ないのではないかと俺は考える。
では仮に魔女に意志があったら?命乞いをして油断を誘うこともしてみたら?和解することがあったら?話的に変化があったのだろうか、その部分も考察してみるのはいかがなものだろうか{/netabare}

話は変わるが「ストライクウィッチーズ」も「私、守りたいんです!」という宮藤さんのありきたりな言葉から始まるため、同様な評価ができるし、設定上では元々魔法能力を身についてはいるが「偶然」という動機がなく、宮藤さんの意思であることが理解できる。故に自らの望みを持っているのである。

なのはだってフェイトと話がしたいがために魔法を得て、ジュエルシードというきっかけがあったからこそ戦い、思いをぶつけ合った。
戦いというものは人の心を通じ合わせるようなものであるため、「閃乱カグラ」の葛城が強く願っている『強い奴と戦いたい』って言う私欲私闘はあんまり持ってきてはいけないと思う。

このアニメは手書きでよく動く斬新な背景と個性溢れる魔女の使い魔達、魔女の禍々しい姿、魔法少女が魔女へと変貌する常軌を逸した世界設定から、この世界にはゴールデンアニメに含まれている正義が無いことを全話から理解することができた。
シャフトは京都アニメーションと互角なほどに素晴らしい
今後も期待する

PSPの方は「風来のシレン」みたいに難しいので気を付けてください。投げました。何回も別な時間軸を駆け巡ると混乱しますから
Vita版の方を買いました。やっぱりRPGよりもアクションが好きです。
トロフィーがほとんど隠しだったため攻略サイトを見ました。

俺にとっての魔法少女はまどか達は2番目だ。1番目はなのはです。これは決定事項となりました。

投稿 : 2014/03/26
閲覧 : 787
サンキュー:

77

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