「劇場版 響け!ユーフォニアム ~届けたいメロディ~(アニメ映画)」

総合得点
78.4
感想・評価
264
棚に入れた
1405
ランキング
546
★★★★★ 4.2 (264)
物語
4.1
作画
4.4
声優
4.2
音楽
4.3
キャラ
4.2

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

あすかの、あすかによる、あすかのための作品。久美子もがんばったよ。ブラボー!!

観てきました、リバイバル上映。うん、良かったです。本当に。

皆さんのレビューで、北宇治の演奏をフルスケールで聴けることは知っていましたので、上映される前から、「どんなの?どんな音なの?」ってワクワクでいっぱいでした。
NHKの放送でこの作品に出会って、いつかは映画館の音響システムで聴きたいなって思っていたのですが・・・リバイバルがあって本当に良かったです。

いささか期待感が先行してしまって、心がはや躍るのを抑えることがむずかしいくらいでした。
これほどまでにドキドキして上映を待っている自分に、さすがに年甲斐もなく、恥ずかしく引いてしまっていました。(なんですか、これ・・でした)

実際に演奏を聴く段になって、あまりに迫力ある音量に鼓膜が気圧されました。なんだかよくわからないのですが、脳みその一番後ろの部分がぶるぶると共振していました。
心がトロトロにとろけて、ふにゃふにゃになって、嬉しくて泣けました。
(映画では、ないですね、こういう体験)。
 
奏者の一人一人の表情や演奏中の動きも、ありやかに描写されていて素晴らしいと思いました。

あらためてですが、吹部の皆さんは、こんなにも真剣で、細心に、かつ、ゆたかに、美しく、そして闘っているのですね。

とにもかくにも、演奏にはとても満足できました。



さて、今作の展開ですが、すべてがあすかを中心にして回っていました。
ユーフォニアムとの出会いから、ノートのあのページまですべてを見せ切って、シンプルでありながら丁寧に描きこまれていました。そういう意味では2期とは別の作品としての存在感が強く打ち出されていました。

副題の「届けたいメロディ」って、全国大会での演奏の音なのですね。
あすかが、最後までこだわっていた「全国に響かせたい」って言っていた音は「吹奏楽部の演奏」だったのですね。

事実、あすかは最後の挨拶で「めちゃくちゃ悔しい」と”らしからぬ熱血発言”をしていました。「吹ければいい」と斜に構えていたあすかとは大違いです。吹部にたいするあすか流のすがすがしい本音だと思いました。

最初、私は、届けたいのは、あすか自身のユーフォニアムのメロディーのことなのかなと思っていました。吹部を利用して父親に聞いてもらえることが目的であったのかなと。もちろんそうでもあったはずです。でも、それだけではない、あすかの違う姿があったように思えました。

吹部に在籍している理由を、ユーフォニアムを「吹ければいい」としていたあすかでしたが、その先に、もう一つ別の目標を見つけられました。
それが「届けたい」ということばでした。そのことばを見つけ出すまでの生みの苦しみは大きかったけれど、結果として、思考の柔軟性・自在性が持てるようになった。そしてそこまで諦めずに継続してきたあすかの頑張りがあった。勉強も練習も。
そこが鮮明に描かれていたと思いました。



最初、「届けたいメロディ」は、あすかから久美子への2人だけのものなのかなって思っていました。そうならなかったきっかけって何かなって思い返してみました。

全く迂闊だったのですが、この作品の内容は、ユーフォニアム2で観ていたはず、分かっていたストーリーのはずでした。
しかし、この作品は、DVDとは違って、構成、映像、音楽、テンポなど、比べ物にならないほどの圧倒的な情報の量と質がありました。

この作品の世界に引き込まれてしまうと、事前に得ていた情報とのあいだに大きな齟齬(そご。食い違い)が出てきてしまって、同じ印象ではない、別のストーリーのように思えてしまいました。

別のストーリー。
それは、あすかが父親に対して複雑な思いを持っていることの描写でした。

それが、映画の最後で見せた堤防での演奏のシーンです。
テレビ放送では、途中回で表現されていたものですが、映画では最後に表現されていました。

この違いが、シナリオに格別な味付けを施していたと思います。



すべてのストーリーが終幕した後に、時間がさかのぼりました。堤防で奏でられたユーフォニアムのシーンです。

その響きは、テレビ回よりも、ずっと芳醇で、思い切り甘やかで、大きくて、穏やかに抱き込むような包容力を感じました。
心が軽やかになり、おどりだすようでもありましたし、足元が大地にしっかりと根づいていくようにも思えました。
ユーフォニアムを愛してやまない父親の想いが、十二分にメロディーに落とし込まれていました。

まさに、あすかと父親の魂の交流が、ふくよかに、たおやかに醸し出されているようでした。あすかと父親の愛のデュエットを見せられているかのような気がしました。
本当に美しい調べでした。心底、魅せられました。

このシーンは、あすかが父親への思いを明かした場面です。
初めて心を開き、気持ちを見せることを許せた相手。黄前久美子だけに「届けたいメロディー」のように感じました。
この時の演奏は、あすかが部活で、「吹ければいい」と放言していたときの音とは違っていたような気がしました。
だって「吹きたくなっちゃった」ってことは、「聴かせたくなっちゃった」ってことなのですからね。

あすかが父親から引き継いだ譜面。父親への憧憬をのせて響かせたかった音色。あすかの内に秘めていた大切に作り上げてきた調べ。それは「吹ければいい」なんてものではないはずですね。

あすかは、この曲のメロディーに内包されている父親のDNAを、誰にも聴かせることはなかったし、できなかったと思います。
夏合宿で、早朝に一人で吹いていたのも、誰かに聴かせるためではなくて、まるで父親と対話をしていたかのように思いました。

父親との対話は、あすかの個人的な心情であり、父親への敬慕であり、言い換えれば、やはり手放すことのできないあすかのポリシーだと思います。

あの曲を吹くことは、あすか一人だけのものでした。それはあすかの心の中から生み出されるものであるし、心中に内包されている以上、彼女の心と体の一部でもあり、あすか自身には切り離すことも、否定することもかなわないものです。
あすかがユーフォニアムを吹くことは、父親を慕う吐息であり、唯一、父親の娘であることを実感できる息吹なのです。

その時間は、あすか自身の父親への愛着の発露なのかもしれません。
母親に対する裏返しとしての父親への執着心なのかもしれません。
あるいは、決して叶うことのない幻想なのかもしれません。

そのような感情は、あすかにとっては極めて個人的なものであるし、他人には「末代まで」見せたくはないもの、見られたくないものだったと思います。
決して他人には一線を踏み越えさせるわけにはいかない、あすか自身の秘められたプライベートな感情です。

父親へのこだわりが、いつしか部活動そのものへのかかわり方自体を「特別」なものにしていきます。
同輩や後輩から「特別」に見られていたのは、あすか自身が「特別」な存在となることを選ぶことで、心の琴線に触れさせないようしていた結果です。久美子の存在でさえ、最初は単なる後輩としての存在だったのですから。
つまり、そもそもからして、吹部に関わる動機が違っていたのです。

あすかの動機は、部活がどうとか、部員がどうとか、オーディションがどうとか、コンクールがどうとか、そんなものでした。みな関心の持てないことでした。それが部活を続ける動機だったのです。

あすかの言動のすべては、この動機から出発しています。だから「吹ければいい」のです。
吹部で表現する音は、とどのつまりはそういうことです。
逆に言えば、あすかにとっては吹部で「吹けなくてもいい」し「吹かなくてもいい」のです。
まるで、中世古香織が「吹きたくても吹けない、吹かない」ことを選んだことの対極にいるようです。
真っ向勝負に出て、吹部のために吹かないことを選んだ中世古。
トラブルを避けて、吹部のために吹かないことを選んだあすか。

似て非なる二人の姿は、久美子にはどのように映ったでしょうか。
その姿を直属の後輩であり、後継者でもある黄前久美子に見せてしまったあすかの心境はいかばかりであったのでしょうか。



あすかにとって、黄前久美子は、稽古をつける後輩としては理想的でしたが、同時に、上手く吹けないくせに、部活にも、部員にも、オーディションにも、コンクールにも、あちらこちらに顔を出しては騒動と悶着を引き起こす引き金、トリガーでした。

そんな黄前久美子に、あすかは自分の胸に痞(つか)えている重々しい扉を開放する「トリガー」になってくれることを感じとっていたのでしょうか。

堤防で吹いていたとき、確かにあすかは「久美子の言葉」を心中に感じていたと思います。
だからこそ、あすかは父親への感情を、その息に吹き込み、ピストンを押す指使いに乗せ、心のありのままに表現したのだと思います。

堤防を照らす夕日の色は、あすかの父親への追憶の象徴でもあります。

そこに久美子の存在がある。あすかにとっての特別な心情のなかに、久美子が存在するようになったのです。そして久美子を迎え入れたのはあすか自身の選択でした。

この時、あすかの中で、「届けたいメロディー」の内実が変わったと思います。

父親に逢えないことの淋しさを無意識に感じていたあすかは、自分の音を父親に届けたい。そのチャンスは目の前に来ている。それもあすかの正直な気持ちの一部だったはずです。
でも、久美子を心中に受け止めることで、淋しさを埋めるための別の方法を持ち得る立場に立っている自分自身にも気づいていたのではないかとも思います。

あすかは、そんな自分自身に対しても、久美子にトリガーを引かせたかったのでしょうか。(もう、久美子にとってはめんどう極まりないアホな先輩ですね。)



「届けたいメロディー」の本質は、あすか一人では決して父親に届けることができないメロディー。吹奏楽部でしか届けられないメロディーです。

北宇治高校のメロディーは確かに全国に響きました。あすかの奏でるメロディも父親に届けられました。でも、そしてそれはメロディーだけではなかったのです。

あすかがユーフォニアムの音を響かせるべき場所は、吹奏楽部のなかにこそあり、どんなかたちであれ、部員の一人として諦めずに、投げ出さずに、やりきったことが届いていました。

だからこそ、父親は「よくここまで続けてきたね。」と評価したのですね。

そのことばの重みは、あすかをして北宇治高校吹奏楽部の部員になさしめるに十分だったし、と同時に、父親の愛を獲得した証でもあったのですね。



長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品が、みなに愛されますように。

投稿 : 2018/02/12
閲覧 : 336
サンキュー:

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