脳トレ さんの感想・評価
2.3
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.5
キャラ : 1.0
状態:観終わった
なぜエルフなのか→何もなかった…
<最終話までの総評>
絵的なクオリティや作品の雰囲気が最後まで崩れなかった点は良かったと思う。OP&EDはどちらも好きだったし特にOPは耳に残る曲調でアニメを見終わった後についつい口ずさむくらいには好きだった。良かった点は以上。
作品の盛り上がりとしては「エルフ×神社」という初見のインパクトがほぼ全て。たぶん似たコンセプトの作品がすでに数ある中で差別化するためのエルフ設定だと思うがこれと言ってネタやストーリーに反映されてないのでほぼ出オチの死に設定。
あとは薄くゆるいオタクネタと特にエピソードに絡むわけでもない江戸ウンチクを単発的に披露するだけで全体的に作品として味が薄い。それでも演出の力でたわいのない日常ネタとしてならまだ体裁は整っていたのだが、止せばいいのに定期的に差し込まれる「いい話()」になるともうどうしようもなく中身のなさが露呈する。最後まで見た感想は一言でいって「かなり不快」
<中身のない感動ごっこ>
家康のことを話すエルダとか、亡くなった母の記録を見る小糸など「感動エピソード()」の内容が基本的に「故人を偲ぶ」という形式なので自然と感傷的な、なんとなくいい話のようなムードになってはいるがその故人に関する具体的なエピソードが何も語られていないので本当にムードだけで全然物語になっていない。画面内のキャラがいくら感傷に浸ってみせても何も知らないこちらは「それはまぁ…ご愁傷さまです…」以外の感想を持ちようがない。
エルダが度々口にする家康についても、顔も分からなければ大体の人となりやエルダとの関係性も何一つ語られないので何となく察することすらできない。最初の感想で召喚に関する事情に言及したのはそういう理由だったのだが案の定最後までそこについては全く語られず。そして事情は全然教えてくれないくせに何かにつけて「昔色々あってさ…」みたいな匂わせだけはやたらとしてくるのでその手のエピソードが観ていてうっとおしいだけだった。
最終回の弓耳祭についてもそうで、射手という共通点を通じて小糸と母との絆だとか、時代が移ろっても変わらない普遍的な人の思いだとかを描けそうだったのに。「小糸は弓が下手」というそれ単体ではどうにもならない小ネタに終始し、小糸が祭りにかける思いも何も描いてないのになぜかクライマックスで突然涙を流させて感動っぽい雰囲気をゴリ押し。
商店街のおばちゃんが小糸と違って母親の時は最後の一発だけ外した~とか語っていたがその対比が物語的に何か意味があるわけでもないのでいくら感慨深そうに言われても「だから何?」としか思えない。
しかも前回からの前フリつきで勿体付けて出されたネタがコレなので余計に、物語になるまえの設定だけ並べて「ね、いい話でしょう?」みたいな雰囲気を出されても呆気にとられてしまう。
この「亡くなった人の話とそれっぽい演出つければそれでもう感動的な話になるでしょ?」と言わんばかりの態度のせいで作品に対する評価もゆるい日常モノから薄っぺらい感動ポルノもどきに爆下がりしてしまった。
また良かった点として挙げた絵のクオリティについても、作画の崩れはないかわりに負担軽減の為かキャラの動きは常に最小限で見せ場のシーンですら止め絵だったりとアニメーション的な見どころがなかった。同じ理由かは分からないがエルダと小糸が同じ猫を別々に愛でる様を対比させるというシーンでその猫を一切描かない(鳴き声だけ)というのも違和感がすごかった。キャラクターと同じクオリティで動物を描く自信がなかったのだろうか?
そして最後の最後まで、話に大きく関わる時でさえ小糸のおじいちゃんが喋らない、姿もまともに描かれないのは一体何だったのか。小糸が後を継ぐまでエルダの世話をしていた人物なのにこの扱いの差は…?
<マッチポンプですらない邪悪な何か>
「江戸時代に召喚」のくだりについてアニメでは情報がなさすぎるので原作ではどうなのかと検索してみたところ「エルダに江戸を見守って欲しいから」だそうだ。
アニメでも同じセリフはあったがそれはあくまで友人として、エルダと家康との間での個人的な約束や願いであって、幕府としての大義…例えば天災や流行り病などの危機を鎮めてもらうためエルダを召喚した…とか、何かそういう公儀の理由があるんだと思っていたのだが。マジで「見守って欲しいから」だけだそうだ。
秀吉や利家がエルフを召喚した理由も「家康に対抗して」「先の二人を真似て」らしい。
権力者の適当な思い付きでもう二度と帰れない世界に召喚して、その被害者の悲しげな表情見せて「孤独を感じるエルダ、寄り添う人々との温かい交流…どうですいい話でしょう?」って…頭がどうかしてるんじゃないだろうか。
結局作者にとってエルダは江戸時代のウンチクBotに過ぎず召喚云々はそのためだけの設定(とすら言えないレベルだが)なのだろう。歴史も文化もそこに含まれる人の生き死にまでも浅いネタとして消費する態度がとことん不快である。
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以下、最初の感想
6話まで視聴
御神体のぐうたらエルフとそれに仕える巫女少女を中心とした基本ギャグでちょっとハートフルな日常もの。
作品のコンセプトは明快で内容もそのポイントを外してないし毎回見せ場をきっちり盛り上げる演出など、全体的なクオリティも非常に高く安定感も抜群。
神社の御神体がエルフということ以外、いまさらなオタクネタや引きこもりキャラなどあまり独自性はないが作画の力でちゃんとキャラは可愛らしい。
また内容にそぐわない安易なエロネタで釣るような事もないのでそのあたりにも好感が持てる。
―のだけれど、6話まで観てもこの話をエルフでやる必要性が一向に感じられないので何をしてても「そもそもなんで…?」という疑問がチラつきいまいちノリきれない。
例えばご当地ネタや江戸ウンチクなどは別にエルフじゃなくて地元の神様か何かでも成り立つし、不死者と人間の交流というドラマについても同様。そこに特別「異世界から来たエルフ」ならでは視点や面白さがあるわけではないのでどこかで「でもなんでエルフ?」という引っ掛かりがある。
またストーリーの面でも
エルダの抱える不老不死ゆえの孤独感とそこに寄り添う小糸との関係、いつか必ず訪れる別離の予感など、いかにも感動的な雰囲気で描かれてはいるが、まず話の大前提である「召喚」の経緯が一切語られていないので
「そもそも家康に召喚されなければエルダはもと居た世界で家族や仲間のエルフたちと幸せに暮らしていたんじゃないの?」という疑念が拭えない。
つまりここでも「なんでエルフなの?(=何のために召喚したの?)」という根本的な部分が引っかかってくる。
もし召喚についての詳細が物語の秘密や核心に関わるのだとしても、それならそれで事実を伏せておくための表向きの理由を語っておく必要があるはずなのだが。
例えばエルダのオタク気質に由来するしょうもない理由だとか、と見せかけて実は涙なしでは語れない感動秘話だとか。内容は何でもいいがともかく「なぜエルダが召喚されたのか」という物語の根本が提示されていないので観ているこっちもこの話をどう受け止めていいのか判断しかねる。
最終的にこの話がどう着地するのか、それともよく分らないままなのかとりあえず最後まで視聴は続けたいと思う。