昭和で友情なおすすめアニメランキング 7

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの昭和で友情な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月10日の時点で一番の昭和で友情なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

計測不能 1 昭和で友情なアニメランキング1位
鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎(アニメ映画)

★★★★★ 4.1 (50)
101人が棚に入れました
詳細不明

声優・キャラクター
沢城みゆき、野沢雅子
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

全ての日本人に心の貧困という核心を突き付ける地獄の前日譚(プリクエル)

原作未読。TVアニメもまともに観たのは第3シリーズ(1985-1988)くらい。
最近のシリーズも6期で猫娘が随分と萌えキャラ化したなw以外は予備知識もほぼありませんでした。
ですが近年の『ゲゲゲ』の好評は聞き及んでいて興味はあったので、
入り込みやすくハズレがない前日譚である本作から、
30年ぶりにイマドキの『鬼太郎』をかじってみることに。


【物語 4.5点】
表層は昭和30年代。怪しげな因習が残る閉鎖された村・哭倉(なぐら)村にて、
地元を取り仕切る名家の相続絡みで起こる連続猟奇殺人事件という『八ツ墓村』型サスペンスのプロット。

が、そこで炙り出される人間の愚かさは、陰鬱とした田舎特有の物ではなく、
鬼太郎誕生に隠された、人間と妖怪にまつわる、えげつなさ過ぎる人の業の暴露と共に、
村境を越え、時代を越え、古今の日本全体に、
愛を捨ててまで欲望を追求する人間の狂気という重たいテーマを突き付ける。

(※核心的ネタバレ){netabare} 幽霊族の血液{/netabare} から生成する血液製剤“M”はかつて日清・日露でも使用され不死身の兵隊たちが日本を勝利に導き、
戦後の今また“企業戦士”に投与し日本復活を目論んでいるという件。

バブル景気の頃、24時間働けますか?とドリンク剤投与して過重労働でナンバーワンを目指すも幻に終わった、
あの徒労感を想起させるようで苦笑しました。

怖いと言うより核心を突く痛恨の一撃を受け呆然とする感じ。


原作者の故・水木 しげる氏は大戦中、南方戦線で左腕を失った帰還兵。
その原体験から、物質ばかり豊かになっても心が貧しいままでは人間は幸せになれない。
と作品内外で終世発信されて来たお方。

主人公視点を、東京・血液銀行社員で南方戦線帰りの水木に置き、
哭倉村に鑑賞者をナビゲートする役割を担わせる辺りにもリスペクトを感じました。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・東映アニメーション

赤にカラーを絞って村の猟奇を表現したり、
時にはモノクロを基調に強調したい人や物をカラーにする演出を仕掛けるなど、
見応えがある絵作りで狂気に呑まれた村を好表現。
龍賀製薬社長・克典の金歯の強調にも成金趣味の末路を示すようで、こだわりを感じましたし。
何より鬼太郎の両親がデートで召し上がっていたメロンクリームソーダが美味しそうでした。

昭和30年代・白黒映画作品のエッセンスを意識したということもあってか、
喫煙率が高めなのも特徴的。
出世による生き残りの野心を抱く社畜・水木が、社長の葉巻にむせ返るカットには、
人の心を捨てて上へ行っても破滅するだけとの皮肉がこもっているようで印象的。
葉巻をカットする道具などプロップデザインのレベルから力が入っていました。

かつての小児喘息患者の私から見たら序盤、
ろくに分煙もされていない昭和の列車内で、
呼吸器疾患と思しき少女が咳き込んでいるにも関わらず、
煙草をふかす乗客たちの描写も示唆的でした。
ここも思いやりを忘れて高度成長へと猛進する日本の行く末を暗示しているかのよう。

昭和30年代を意識して制作してはいるが、決してノスタルジーには陶酔せず、突き放すべきは突き放す。
このバランス感覚が全世代の鑑賞に耐え得る作品を実現させていると感じました。

デザインの土台から意図があり、それでいてバトルシーンも、場合によっては線を大胆に崩す描画からスピード感が伝わり見応えがある。
総じて本年でも上位に入るリッチな作画でしたが、グロも容赦なくガードは必須。
と言うより、これでPG12指定で済ました映倫は冒頭10分しかチェックしていないのでは?との疑念を抱いてしまいますw


【キャラ 4.5点】
人間側の主人公・水木。
戦場で味わった人間への絶望から他者を打算でしか見れなくなってしまった哀れなサラリーマン。
本作は、“見えるように”なってしまった妖怪から、死相があると指摘されるほど終わってる水木が、
愛の価値を認識する物語でもあり、その筋書きが鬱展開が続く中でも一筋の光明となる。

「愛をとりもどせ!!since1956」
私がレビュタイに考えていたもう一つの痛いタイトルですw

水木の価値観を投影する合わせ鏡として重宝したのが、
村を束ねる龍賀家の娘・沙代。
閉塞した村から東京への憧れを抱き、水木に想いを寄せる。
水木が目的のため、乙女の純心を無下にしたり、思い直して拾い直してみたり。
愛を巡る主人公の心の揺れ動きを拡張する良ヒロインでした。

水木に愛に関する問答等をもたらすのが、妖怪側の主人公・鬼太郎の父(後の目玉おやじ)
要所で主人公心理の現在地を確認し合うチェックポイントがあり、
心の機微を捉えやすくて助かりました。

軽快なフットワークで展開を動かす役割を果たしたのが少年時代のねずみ男。
鬼太郎父の代から、付かず離れずの腐れ縁w


【声優 4.5点】
龍賀家のキャストには亡き当主・時貞役の白鳥 哲さん以下、
脂の乗り切った声優たちが固める盤石の布陣で、
愛蔵渦巻く伏魔殿ぶりを確立し、主人公らの前に立ちはだかる。

紗代役の種崎 敦美さん。
この秋アニメでも無双している種崎さんですが、
幅広い役柄に対応できる能力を本作でも遺憾なく発揮。

掛け合いでは水木役の木内 秀信さんと鬼太郎の父役の関 俊彦さんの墓場での酒飲み話が味でした。
人生走るのに疲れた時なんかに晩酌しつつ思い出して噛み締めたいと思います。

鬼太郎の母役には現・鬼太郎役の沢城 みゆきさん。
ここも愛の継承を印象付けられる粋なキャスティングです。


【音楽 4.5点】
劇伴担当・川井 憲次氏。
SF・ロボット作品での勇壮なコーラスによる戦闘曲が持ち味で、
本作のバトルBGMでも威力を発揮します。
一方で、伝奇・サスペンスでの川井氏のサウンドにも捨て難い魅力があります。
尺八の音色をアレンジした和風BGMが鑑賞者を魔境・哭倉村へナビゲートしてくれます。

そしてあらゆるジャンルで川井氏の音楽が心の琴線に触れるのは、
人情に寄り添ったピアノとストリングスの心情曲。
その意味でも本作の川井氏は上々でした。

EDも安直に宣伝用の歌手を起用したりせず、
往年のTVアニメ版・EDテーマ「カランコロンの歌」の川井氏によるインストverで締めくくったのも、
突きつけられたテーマを咀嚼して余韻に浸れる好判断でした。


【感想】
人の好みはそれぞれなので、これは観るべきとかあまり言いたくない私ですが、
本作は全ての日本人が観るべき作品だとの感想がまず浮かんで来ました。
鬼太郎なんて今更……と避けて通るのはもったいないです。

受け止める覚悟のある方には是非オススメしたい良作映画です。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 23

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

まるでヒューマンドラマのように感動します

この映画は、今日時点でおよそ3ヶ月間も上映しているようです。
何故、こんなに長い期間、上映されるのでしょうか?
おそらく、この映画で多くの人たちが感動したからだと思います。涙を流した方も沢山いたのではないでしょうか。
そして映画を見た人が、その感動を友達や家族に語り、来館者が少しずつ増えたからだと思います。

私は東京に来て数十年たちますが、映画終了の際に場内で多くの拍手が鳴るのを初めて聞きました。
かくいう私も、物語終盤には涙で頬を濡らしていたのです。

これは妖怪アニメというよりもヒューマンアニメ(?)といったほうが良いのかもしれません。
鬼太郎の父が涼やかで心地良い。それに彼の信念が素晴らしい。
たとえ自分がどうなろうと、妻やまだ見ぬ子を守るその姿に感動しました。
それとは対照的に、人間の欲深さや残酷さには、いたたまれない気持ちになってしまいます。

この物語の主人公は二人です。一人は水木という帝国血液銀行に勤めるサラリーマン、そしてもう一人が鬼太郎の父。
そしてこの物語の年代は昭和31年。
水木と鬼太郎の父が、外界から隔離された哭倉村(なぐらむら)で発生する事件に巻き込まれる形で物語は進行します。

そしてこの物語に欠かすことができない女性がヒロインの沙代(さよ)。
彼女は、いつも村から出たいと願っています。
私は、最初彼女を、どこにでもいるような『都会に憧れる田舎の少女』のように感じたのですが…
彼女が村から逃げ出したい本当の理由を知ったときは、心をナイフで突き刺されたようにショックでした。
彼女が今までどんな思いで生きてきたのか…。想像するだけで涙が出そうです。
そして人間は妖怪よりも醜い心を持った生き物だと、改めて感じました。

そんな醜い心を持った人間が世の中を動かしている(少なくともロシアを動かしている)世の中ですが、子供たちが希望の持てる世界にしていくのが、親の務めであり大人の務めなのでしょうね。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 21
ネタバレ

ninin さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

鬼太郎が誕生するまでの出来事

104分 Amazonプライムで視聴

タイトルの通り鬼太郎が誕生するまでの物語。冒頭に鬼太郎が出てきますが、主に鬼太郎の父と水木という人間が活躍します。

ミステリーホラーという感じですね。

ある目的のために訪れた水木、そして鬼太郎の父は行方不明なった鬼太郎の母親を探して訪れた村が舞台となります。

横溝正史の金田一耕助シリーズのような田舎の禍々しいお話が連続します。

酷く理不尽なことが多いですね。

見た目が怖くて酷い妖怪より、人間の心が如何に醜く酷い面があるのかとことん描いています。

テレビ版の鬼太郎より、大人向けでそして残酷なシーンも多いので、苦手な方は気をつけてください。

EDやEDの終わった後まで気が抜けませんので、最後まで観てくださいね。

最後に、鬼太郎は {netabare}幽霊族の生き残りなのですね。(幽霊族というのがよく分かりませんがw) {/netabare}目玉のおやじが野沢雅子さんというのは初めて知りましたw

投稿 : 2024/06/08
♥ : 15

86.4 2 昭和で友情なアニメランキング2位
坂道のアポロン(TVアニメ動画)

2012年春アニメ
★★★★☆ 4.0 (2171)
10044人が棚に入れました
1966年初夏、船乗りの父親の仕事の都合で、横須賀から長崎県の田舎町へ転校してきた一人のナイーブな少年・薫。
転校初日、バンカラな男・千太郎との出会いのおかげで、薫の高校生活は思わぬ方向へ変化していく。
更に、薫は千太郎の幼なじみ・律子に、律子は千太郎に、千太郎は上級生の百合香にと、それぞれの恋の行方も複雑になっていく。

声優・キャラクター
木村良平、細谷佳正、南里侑香、遠藤綾、諏訪部順一、北島善紀、岡本信彦、村瀬歩、佐藤亜美菜、鈴村健一、櫻井孝宏
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

原作を読まずに待ってた

とうとう終わってしまった。
10話から最終回まで、かなり駆け足ではあったけれども
うまくまとまっていたし、時の流れを早くに見せてくれたほうが
ぼんや千太郎の高校時代の純粋さを残した記憶のまま、
大人になった彼らの姿を観ることになるので、
なおさら感動できたのかもと思う。

心が震えた細かいシーンを挙げればたくさんあるけれど、
最終回を観終えた今思い返すと、くるまった白いシーツを
ぼんがふわっと取り上げるシーンが合計3回出てきたことが印象的。
1回目は学校の屋上で千太郎と初めて会った瞬間。
2回目は病院の屋上で、3回目は教会で。

千太郎=ドラムっていう象徴が、ぼん=ピアノというほどに
2人は言葉で会話する以上の内容と、絆と幸福感を、
演奏を通して分かち合っているのが素晴らしい。

どんなに年月が経っていようが、心のどこかで信じて待っている。
8年経っても使い込まれている千太郎のドラムを見てそう思った。
一方、ぼんのほうは場所が教会だったため、ピアノではなかったものの、
当時流行り始めていたエレクトーンが、時代を象徴していてとても良かった。

そうそう、2人に再会をさせることになるきっかけが
{netabare}
百合香さんだったことも、彼女が淳兄としあわせに暮らしていることも、
なんだか嬉しかった。とにかく、感無量・・・
{/netabare}

原作を既読の方にとっては、想う部分がまた違うかもだけれど
未読の僕としては、爽やかな終わり方で、大満足です。

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<9話の感想>

タイトルとなった曲は・・確か使われてなかったと思うのだけど、
「私を愛すか置いていくか」って意味そのまんまの展開だった。

今回はそれぞれの想いが、ギュギュっと詰め込まれて、
でもそれが全然違和感なく、綺麗にまとまっていたと思う。

思いがけず、自分の中に新たな恋が芽生えていることに気づいて
揺れ動きながらも打ち明けられない想い。
{netabare}
思いがけず、自分が好かれていたことに気づいて戸惑い、
本命の女性を奪っていった淳兄への果たし状として
最後のセッションをする千太郎。

何度も積極的なアプローチをしたのにも関わらず失恋した薫は
律ちゃんの心の変化に気づくはずもなく・・・

そして、百合香を大切に想いながらも、東京へと戻らねばならない淳兄。
ホームでの二人の会話があまりに切なくて、胸がズキズキ。
でも、列車が動き始める瞬間に聞こえたある言葉で、
咄嗟にとった彼の行動には正直、拍手喝采!うるうるきた~

「どうしよう・・・乗せちまった」

「これからどうするの?」と頬を赤らめ
嬉しそうに微笑んだ彼女の顔がとても魅力的だった。

百合香に大胆な行動をさせるきっかけとなったのは、
「何も言わんで終わりを待つのは もうやめようと思って」
という律ちゃんの一言だった。
{/netabare}

しかし、いつ聞いても律ちゃんの長崎弁は癒される。
かわいくて仕方ない!そして次回はついに彼女も?

あ~~~来週が待ちきれないよっ☆

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<8話の感想>

文化祭以来モテモテの薫、人気急上昇。
あみもののテキスト本にある写真を見て、薫をふと想う律っちゃん。
淳兄がアパートの階段に落としたショートピースの箱を拾って
火をつけないままくわえ煙草をしてみる百合香。
百合香の言葉から、大学時代の同志を想う淳兄。

つまらないことで胸をドキドキさせながら誰かを想う
せつない気持ちを歌った「シーズ・フーリッシュ・シングス」が
今回のタイトルだった。

それにしても、淳兄の部屋で
{netabare}押し倒されたときの百合香。
抵抗した手のひらに、彼の胸の激しい鼓動と本心を察知して
即座に冷静な態度をとれちゃうあたり、{/netabare}
只者ではないぞとw
到底、千太郎には手の届かないふたりだね、やっぱり。

でもそんな千太郎が、薫の投げかけた一言から、
{netabare}幼い頃からの律ちゃんの自分への想いに{/netabare}
気づくくだりには、こみ上げるものがあったなぁ・・
そして商店街から見える夕空があまりにも美しかった。

律ちゃんは自分の恋心が揺らぎ始めているようだし
今後もひと波乱ありそうで。
恋愛を諦めて友情を選んだ薫は、果たして・・

まったく、唸るほどに脚本がうまいなぁって思う。

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<7話の感想>

なんだかんだ、この作品に関してだけは毎回感想を書かずにいられなくなる。
そのくらい内容が濃く、毎回胸をアツくさせてくれる物語だ。

今回は文化祭を中心にしたお話。
前回の海辺での気まずさを引きずっている千太郎と薫の
意地の張り方がなんとも、傍から見てると微笑ましいけど
当の本人たちにとっては心がズシンっと重くなるほどなんだろうな。。

そして長崎らしく、また時期的にも7月あたりなので
雨のシーンが多いのも、なかなかリアルだし、薫の心情を表す演出に
すごく役立ってる天気だと思う。

さて文化祭当日。 ちょっとしたアクシデントが。
でもそのおかげで、「雨降って地固まる」ことに。

千太郎のセリフ「大事な相棒 待たせとるけんな」にジーン。。
そして千太郎と薫の息の合った演奏に、またまたジーン・・・
ジャズメドレーでの2人の演奏中、体育館へとまっしぐらな校内での生徒達の足元や
回想シーンにもう我慢できなくなってウルウル。。。(><。

さらには、演奏直後のラストシーンにもジワ~~~っと胸が熱くなり・・
ほんと、たまらないよなぁ・・毎回こう泣かされちゃ(笑)

アニメ版のサントラに入っていた文化祭での曲がノーカットで
流れていたのも感動だった!

百合香さんにとっては、なかなかへヴィーな回であったわけだけど
彼女の恋はどうなっていくのか・・今後はそちらも気になるところ。

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<6話の感想>

薫の不安、嫉妬、傷心・・・痛いほどビンビン伝わってきて
後半は思わず目頭が熱くなった。
わかるよ~めちゃめちゃわかる、感情的になってしまった彼の想い(><。

今回新登場のビートルズファン 松岡くんを、
薫くんが認める時は来るのかな?
恋には鈍感だけど、友情には深いものを示す千太郎の今後次第で
物語はさまざまにカタチを変えていきそう。

印象的だったのは、絵画とジャズは近いところにあるという言葉。
絵画はキャンバス、ジャズは演奏に、その場その時に生きている自分を
刻み込む感じがする・・という淳兄の言葉。
それを想うと、今の薫くんは日々そのものがジャズだよね。

ちなみに今回の表題、「You don't know what love is」
ジャズナンバーの1曲なのだけど、僕はニーナ・シモンの歌で聴くか
ソニー・ロリンズの演奏で聴くのが好きです。
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<5話の感想>

先月28日にリリースされたばかりの24曲入りサントラの中の
大好きな1曲「バードランドの子守唄」
これはいつかかるんだろう?と思っていたら今回だった。
しかもしかも、反則なほど感動してしまうシーンで流れやがった!

ちなみに音楽については、ジャズについてかなり詳しく書かれた
hiroshiさんのレヴューをオススメする。

そして今回は70%涙が溢れて15%クスクスニヤニヤ、
残りの15%はセツナイ思いで胸が痛んだ。

{netabare}まずは薫と律ちゃんの糸電話のシーンが秀逸!
東京にいる母と薫が再会し、食事しながら失恋を笑い飛ばすシーンに号泣。
淳兄のアパートを千太郎と訪ねた時、百合香からの手紙の束がポストに
挟まったままなのをみつけ、慌てて部屋に押し込む薫の思いやり。
薫の東京行きに強引に同行する千太郎の友情・・{/netabare}

もう何もかもが心に響いた今回の5話。
ますます今後が見逃せない。

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<4話まで視聴>

{netabare}律ちゃんに恋をした薫。
律ちゃんは千太郎、千太郎は百合香、百合香は淳兄・・{/netabare}

やはり予測したとおり、恋の輪舞曲という感じ。
でも、みんなすごく純朴なところがあるので、ペースはスロー。
傍から観てるこっちが照れくさくなるほど、初々しすぎて眩しい・・

それだけに、手痛い失恋なんかして欲しくないのだけど。
みんなそうやって成長していくのだよね。
その成長がまた、ジャズの上達ともクロスオーバーしていて
とても好感が持てる。

律ちゃんの前で、度々眼鏡を外して何気にアピールする薫や
好きな子の前では純情剥き出しになってしまう千太郎、
そして律ちゃんの胸のうちのチクンっとした痛み・・
みんながとても純粋で、素敵だ。


<以下は初回を観てすぐの感想>
============================================
まず一言。

「待ち遠しかったーーーっ!!」

ずっとアニメ版の放送を楽しみにしてきたので、ほんと嬉しい。
1話を視聴したが、作画も脚本も演出もキャラデザも音楽も、
どれもこれも予想以上に良かった。

テレビアニメ『COWBOY BEBOP』を手がけた監督 渡辺信一郎氏と
音楽を担当している菅野よう子さんの久々のタッグ。

舞台は1966年の初夏の長崎。
父親の仕事の都合で横須賀から転校してきた高校一年生の西見薫と、
「札付きの悪」と周囲から恐れられている川渕千太郎、
千太郎の幼馴染である迎律子、このクラスメイト3人が主な主人公。
優等生で心を閉ざしがちだった薫が、
千太郎や律子との出会いをきっかけに知ったジャズの魅力をベースに
彼らの友情や恋模様を描いていく物語。

ピアノ、ジャズ、1960年代、港町長崎・・・
どこをとっても個人的にドストライクな作品なので、
これからの毎週が楽しみ。

すでに発売されているコミック版のサントラの収録曲リストは
全12曲で以下の通り。
これらの曲がアニメで演奏されていくのかと思うと
すごくワクワクする。

1.モーニン (アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ)
2.ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ (ホレス・シルヴァー)
3.いつか王子様が (quasimode)
4.チュニジアの夜 (アート・ブレイキー)
5.バット・ノット・フォー・ミー (チェット・ベイカー)
6.アス・スリー (ホレス・パーラン)
7.ラヴ・フォー・セール (キャノンボール・アダレイ)
8.イージー・トゥ・ラヴ (サラ・ヴォーン)
9.マイ・フェイヴァリット・シングス (quasimode)
10.バグス・グルーヴ (ミルト・ジャクソン)
11.ブルー・トレイン (ジョン・コルトレーン)
12.マイ・ファニー・ヴァレンタイン (ビル・エヴァンス&ジム・ホール)

あぁ~~普段はクラシック畑が専門なのに、
これでまたしばらくジャズにふけってしまうのだろうなぁ~
ジャズ好きの父のおかげで、けっこう知っている曲は多いものの、
薫と自分が猛スピードでシンクロしていくのが可笑しかった。
アニメが生活の一部になってしまっている今、
つくづく影響受けやすい自分ですw

投稿 : 2024/06/08
♥ : 127
ネタバレ

せもぽぬめ(^^* さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

大好きな要素がたっぷり詰まった秀作です☆d(o⌒∇⌒o)b☆

■『坂道のアポロン』ってこんなアニメですρ( ̄∇ ̄o)
2007年から『月刊flowers』で連載されていた小玉ユキさん原作の漫画をアニメ化した作品です。
本作の主人公「西見薫」はとっても繊細で人付き合いが苦手な高校一年生!
父の仕事の影響で佐世保市の高校に転入してきたのだけれど…ひょんな事から、札付きの不良と恐れられている川渕 千太郎とその幼なじみの迎 律子との運命的な出会いを果たすことになるのです(*  ̄)人( ̄ *)
ジャズを通じて深まる友情、複雑に絡み合う恋愛模様、忘れられない思い出の青春の1ページを丁寧に描いた作品となってます♪


■総評
『坂道のアポロン』を視聴する前に「コクリコ坂から」を観ていたので、どうしても比較したくなっちゃいました…タイトルに「坂」が付く作品ですしね…(^=^;
ちょうど、どちらの作品も戦後の学生運動が盛んな時代が背景となっていて、そういった視点から言うと「コクリコ坂から」はその時代の強くたくましい生き方がキャラ設定やシナリオに色濃く反映された作品だったと思います。
一方で『坂道のアポロン』の場合、あくまでジャズ視点の時代背景となっているので、キャラ設定やシナリオに政治的背景は感じないので、誰でも抵抗なく観れる作品だと思います。
そうそう、実はモダンジャズの黄金期が学生運動の時代に重なるんですよね♪
作中で頻繁に使われてたアート・ブレイキーの「Moanin'」という曲は、ジャズが好きな人ならば誰もが知ってるレーベル「ブルーノート」の4000番台の中の一曲で、日本でジャズブームの火つけ役ともなった名曲中の名曲なんです♪
ちなみにわたしの好きなバド・パウエルの「クレオパトラの夢」もブルーノート4000番台なんですよ♪…どーでもいいですね(^o^;
そんなジャズをテーマにした作品だけあって、佐世保のアメリカナイズされた街並みがジャズとの調和を感じたりもしました。
演奏シーンで特筆しておきたいのは、薫や千太郎がセッションするシーンが数多く描かれている中、インタープレイ(お互いの音を聴いて反応しながらする演奏)を通じてシーンごとの感情や気持ちを見事に描写して見せてくれているところです(o^-')b グッ!
即興演奏の魅力といえば、最低限の規則性の中で奏者の技量やセンスで表現の仕方が千差万別なところだと思ってます。
互いに奏でる旋律がまるで会話をしているかの様に感じられて感情が乗った時、グルーブ感が生まれて「スウィングしてる♪」ってなるんですよね♪
そんなシーンを通してジャズを普段聴いていない視聴者にも「なんかジャズもいいよね」って思ってもらえたらいいかなって思います☆彡

これまでジャズ視点で綴ってきましたが、ジャズはあくまでサブテーマなので、この作品の魅力はジャズを通じて描かれている、運命的な出会いであったり、心の交流から深めあう友情の絆であったり、ちょっと不器用な恋愛模様だと思ってます。
ストーリーの展開は多少駆け足に思える場面はありますが、キャラクタの心情をわかり易く描写しているので混乱することなくテンポよくストーリーが展開されていますね♪
1クールという枠の中に上手にまとめ上げた印象で、随所に感動する場面が散りばめられているのであっという間に完走できて、充実感を味わえた作品でした(〃´o`)=3 フゥ
個人的に難点をあげるとするならば、千太郎が最後にとった行動だけですね(ノ_-;)ハア…
{netabare}妹の幸子の事を考えると、あまりにも身勝手な行動に思えてならなかったのです。
また薫との再会のときも「いつか、こがん日が来るかもしれん」とか言ってたし…{/netabare}
ちょっとだけ千太郎にはがっかりさせられちゃいました(;_;)
でも色んな要素がバランスよくまとめられた秀作なので、お薦めしたい作品の中のひとつです♪


■MUSIC♫
OP曲『坂道のメロディ』
 【作詞・歌】YUKI【作曲・編曲】菅野よう子
 JAM時代からYUKIさんは好きで、菅野よう子さんとのタイアップに大興奮でした(* ̄0 ̄*)ノ
 菅野さんはいつも素晴らしい曲を安定して提供してくれますしね(*^▽^*)
 この曲も楽器ひとつひとつがしっかり主張していて、それでいて調和がとれているんですよね♪
 甘く可愛らしいYUKIさんの歌声とアップテンポで奥行きのあるナンバーが心を踊らせてくれます
 (゚∇^d) グッ!!

ED曲『アルタイル』
 【作詞・歌】秦基博【作曲・編曲】菅野よう子
 エンディング曲らしく落ち着いた曲調のしっとり聴かせてくれるナンバーです♪
 秦さんの歌声も抱擁感があって安心できますね(ミ´ω`ミ)

挿入歌『バードランドの子守唄』
 【作曲】ジョージ・シアリング【歌】手嶌葵
 手嶌さんといえば「ゲド戦記」「コクリコ坂から」でお馴染みですね。
 またこの曲は盲目のピアニストで有名なジャズピアニストのジョージ・シアリングさんの曲♪
 色んな人に愛され歌われてきた名曲で、手嶌さんの高音域で艶のある歌声は
 また違った色香が漂っていて聴き応えありました☆⌒d(*^ー゚)b グッ!!


2012.11.10・第一の手記

投稿 : 2024/06/08
♥ : 88
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

そのまま実写ドラマ化できそう

原作未読。

時は1960年代後半、古き良き時代。
主人公の西見薫(にしみ かおる)は、長崎の佐世保にある高校に転入する。
そこで、札付きのワル、川渕千太郎(かわぶち せんたろう)と出会うことで物語は始まる。


ジャズを通して織りなす青春物語。
友情、恋愛という「絆」がテーマのお話です。

かなり面白かったです。
感動して涙腺が緩みました。

やっぱり、音楽っていいですよね。
音で話し、リズムで聴き、セッションで会話する。
音楽の魅力がすごくよく伝わってきました。


特に中盤の盛り上がりは見事でした。
キャラクターの心情に大きな転機が訪れる場面があるのですが、そこで演奏シーンが入ります。
これがたまらなくかっこいい!
音楽にぴったりとあった動きに、良ジャズアレンジのメドレー。
何度でも楽しめる名シーンです。
{netabare}
「取り戻せるかな」

この言葉を合図に、演奏しているふたりが徐々にノッていくのがいいですね。
最初は探り探り。
過去を思い出しながら、どんどん息があっていき、ふたりとも笑顔になっていく。
そして、「次へいくぜ」と言わんばかりの目配せで曲の切り替え。
最後には完璧なシンクロを見せる。

非常に印象的な場面でした。
{/netabare}

心情描写も繊細でした。
登場人物の気持ちがリアルに描かれています。
みんな不器用だけど一生懸命。

また、時代考証がしっかりされていますし、言葉づかいにもリアリティがあります。
全編にわたって方言を使いこなした声優さんに、☆をあげたいと思います。

物語のテンポもいいので、さくっと見られるのも高評価。


……と、さっきからほめてばかりなので、気になる点を挙げておきます。

・ストーリーにひねりがない

べったべたの青春ドラマですので、凝ったシナリオを求める人には向いていないと思います。
友情に関しては、すれ違いの応酬。
恋愛に関しては、登場人物がそれぞれの尻を追いかける恋のメリーゴーラウンド状態。

もうひとつ。

・実写ドラマ臭がする

そのまま実写でいけちゃいます。
アニメーションの質自体は高いのですが、もっと、「アニメだから描けた!」というシーンが欲しかったですね。
欲張りかな^^;


……ですが、そんなものは忘れてしまうほど出来がいいです。
心地よい音楽と泣けるストーリー。
本当に見てよかったと思える作品でした。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 72

81.1 3 昭和で友情なアニメランキング3位
昭和元禄落語心中(TVアニメ動画)

2016年冬アニメ
★★★★☆ 4.0 (900)
4140人が棚に入れました
昭和の落語界を舞台にした噺家の愛おしき素顔と業を描いた作品

師匠と交わした約束を 胸にしまって芸を磨き ついに与太郎、真打に。 射止めた名跡は三代目助六。 八雲師匠の為め、助六の血を継ぐ小夏の為め、 焦がれて手にしたはずなのに、 おのれの落語が揺るぎだす――。 八雲と小夏、二人の中の助六を変える為めの 与太郎の落語とは――!?

声優・キャラクター
関智一、石田彰、山寺宏一、小林ゆう、林原めぐみ、家中宏、牛山茂、山口勝平、加瀬康之、須藤翔、茶風林、遊佐浩二、林家しん平

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

流行に阿らない作品?(NHKで実写ドラマ化、10/12より放送)

同タイトルの漫画が原作らしい。(原作未読)
このレビューは1期目のもので、2期目の制作が決まっているらしい。

本作の登場人物には落語を演じるシーンが必要な人がいるわけだが、それらのキャストのオーディションでの当落基準に「落語を演じられること」というのがあったらしい。

その真偽は確認していないが、それが信じられるくらいにキャストは落語を熱演している。

そして本作品の登場人物のの人間臭さと、噺の中の登場人物の人間臭さとが重ねあわされるようなストーリーにはなかなか重厚感があると思う。

キャラクターデザインはおそらく原作を踏襲しているのだと思うが、いわゆる「アニメ絵」風ではない。だがそれは「キャラクターデザインの問題」であって、作画が悪いということではなくむしろ良い。

演出や美術なども近年の作品にはあまりない感じであまり似ている作品は思い浮かばない。(もしかしたら『御先祖様万々歳!』とかは少し似ているかも? でもあれはもっと「舞台劇風」な画面だしなあ…。)

いかにも老舗のスタジオディーンが制作しているっぽい作品である。

とにかく作品全体から「世の中に愛される『落語』であって欲しい」という願い、危機感みたいなものが随所に感じられることと「落語は人生そのものだ」みたいな娯楽としての落語の意味みたいなものがにじみ出ている。

すごく面白かったが、これがアニメ作品として売れるかどうかは良くわからない。売れたら良いね…。

2018.10.6追記:
10/12よりNHK ドラマ10枠で連続ドラマとして放送されるそうです。さて、どうなることか…?

投稿 : 2024/06/08
♥ : 70
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

実写映画化してもヒットしそうな印象を受けた=シナリオとテーマ性に長けたリアル系のアニメ

[文量→大盛り・内容→雑談系]

【総括】
落語をテーマにした、唯一無二の作品。

声優さんの力を感じる、名作。

アニメ史にキッチリ残すべき作品だと思います。


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
まず、ド正面から「落語」に向き合ったアニメってのは珍しいですね。第1話で「出来心」という演目をまるっと見せてしまう(そして、それを楽しんで観られてしまう)驚き! 落語そのものの魅力に自信がある、もしくは伝えたいって気持ちが伝わります。

私は落語には疎いです。実際に落語を観たのも寄席に行ったのも付き合いで数回ってところです。好きな咄家さんもいません。素朴な疑問として、(初見ならまだしも)「ストーリーが分かっている話を何度も聞いて面白いのか?」というものがあります。

それを落語好きな友人に話を聞いてみると、「落語は音楽。歌だって、好きな歌手の好きな歌なら何度でも聞きたいって思うし、ファンなら、年月を重ねるごとの変化、その日の体調や気分によって微妙に変わる歌い(話し)っぷりを楽しめる。それから、同じ曲でも歌い手が変われば、カバー曲みたいで楽しめるよね。客との関係性(即興性)も、例えればジャズだよ」と言われました。

なるほどな~と思うました。私の大学時代の(文学部の)恩師の持論で、「ミステリーは基本的に古典になり得ない」というものがありました。それは、「ミステリーとは基本的にストーリーを楽しむもので、一度読んでオチが分かってしまえば再読しようと思えない。でも、ストーリーが分かっているのに何度も読みたくなる文章というのは確かにある。それは、表現の妙だったり言葉のリズムであったり、そこに日本語の美しさ、心地よさがある文章だからである。そういう作品こそ、再読にも再々読にも耐えられ、読解にも値し、古典になっていける作品である」というものがありました。

アニメでもそうですよね~。例えば私は、「とらドラ」とかストーリー分かっていても何度も観ちゃうけど、あれは「とらドラの空気感に浸りたい」ってのが大きいんですよね。耳に目に、心地いいんですよ。

落語の魅力ってのも、そういう類いのものなのでしょう。「昭和元禄落語心中」にも、そういう「落語の魅力」が詰まっていました。

また、ストーリー的にもそれぞれの登場人物が辛い過去を抱え、その傷を落語を通して乗り越えていこうともがく様子には感動を覚えました。七代目八雲の苦悩、血の繋がりを越えた師弟愛。そして、八代目八雲(菊比古)と助六との友情を越えた絆。月と太陽のような対照的な二人。菊比古が助六に、助六が菊比古に抱く、嫉妬やら憧れやらの混ざりあった複雑な感情。そして、女の怖さ、愛憎劇。偏愛。死。所々、落語の話を元ネタにしたようなストーリーも。(一期の)ラストはちゃんとコメディで占める。なんだか色んなものを詰め込んだのに、それを一本の筋としてまとめきった素晴らしい脚本。それ自体が落語のような物語でした。

最終話でいきなり与太郎が真打ちになってて、? って思ったけど、よくよく考えれば、「前座→二枚目→真打ち」の流れは菊比古編で描いているわけだから、あえてスパッと切ったのは英断ですね。そして与太郎を使い、助六が経験できなかった、真打ちになってからの苦しみや喜びを表現する、と。うん、無駄がない。

さらに、戦争という時代を描いた社会派の物語としても一見の価値あり。戦中戦後に、落語などの日本の伝統的な娯楽産業がどのように落ちぶれていったか、また、その中で落語を残そうともがく人々の様子。終戦後に初めて行われた寄席の緞帳が上がった時の、「何も無ぇ時代だからこそ、舌三寸の落語の腕の見せ所よ」という助六の台詞にはグッときた。昔、ある咄家さんが、「座布団一枚と扇子に着物があれば、どこででも落語は出来る」と言っていたのを思い出し、落語の強さを感じました。

う~ん、このアニメはやっぱり、タイトルで損している気がする。私も、「元禄」「心中」あたりにひっかかってて、視聴を避けてましたし。あ~、観て良かった♪

最後に、やはりこのアニメで光ったのは声優陣の凄さでした。いや、だって、落語になってるしね(汗)どれだけ練習したんでしょう? 凄いね、声優って。

2期決定らしいですね。1話最後に八雲が、「長い夜になりそうだ」と言っていたけど、(2~3話の過去編かと思っていたのに)ここまで長い夜になるとは思わなかった(笑) 2期前提ってことだったのでしょう。2期ではきっと、与太郎の成長が見られるのだろうし、楽しみです!!
{/netabare}

【余談 ~実写化した場合の配役案w~】
→以前書いた文章
多分、いつか実写化するはず。そして、この中の何人かは当たる気もする(笑)

→やっぱり実写化されましたね。実際の配役は、

八代目 有楽亭八雲(菊比古)…岡田将生。
有楽亭与太郎…竜星涼。
小夏…成海璃子。
みよ吉…大政絢。
有楽亭助六(初太郎)…山崎育三郎。
松田さん…篠井英介。

でした。アニメ放送当時に希望した、私の配役案と、どっちが良いですかね?(笑)

{netabare}
与太郎編の配役。 ( )内は第2希望

与太郎→生田斗真(小栗旬)
八雲→堺雅人(佐々木蔵之介)→白髪バージョンは無しの方向でw
小夏→二階堂ふみ(戸田恵梨香)
松田さん→近藤正臣(中原丈雄)
ヤクザ兄貴→やべきょうすけ(千原ジュニアw 落語大好きだし)
ゲスト出演→春風亭昇太(か、林家たい平。笑点メンバーのガチな落語を観たい人は多いはず。落語界にもメリットはある)


菊比古編の配役(妄想)

菊比古→二宮和也(窪田正孝)
初太郎→桐谷健太(山田孝之)
七代目八雲→立川談春(風間杜夫)
みよ吉→菜々緒(仲間由紀恵)

こんな感じでどうでしょう(笑) 全体的に(原作に比べて)年齢層高めになっちゃったのと、与太郎と小夏、菊比子とみよ吉の年齢が逆転しちゃったのが難点ですが、イメージ重視の配役です(だって、10代の演技力無いジャニタレには落語は無理そうだし、そうなると、相対的にアラフォー女優さんになるけど、それで若い人を呼べるか疑問にも思うから)。

さて、レビュータイトルの件ですが、素直にそう思いました。このアニメ、とても良いアニメで久々に(このすば以来の評価5で)夢中になれましたが、このリアリティある作風に重厚なストーリー。冷静に考えればあえてアニメである必要はないとも思いました。むしろ、実写向きでは?

与太郎は、ジャニーズでもイケメン若手俳優でもいけそうだし、小夏も、若手の人気女優(清純派女優の新たな一面を見せるとか)いけそうだし、(8代目)八雲に関しては、堺雅人さんにしか思えない(笑) あとは、リアルガチな大物咄家さんをゲスト出演させれば、話題は作れる。最近は落語ブームで、若い女性も観に行くらしいですし、中年以降の落語ファンにもウケそう。イメージは「ちはやふる(劇場版)」。

ストーリー(八雲と助六の過去編)を短縮(か省略)させて、(おそらく2期で描かれる)与太郎の成長にしぼれば映画の尺でもいけそう! そしてヒットしたら、八雲&助六の過去編をスピンオフで劇場公開(笑) もしくは、先に八雲&助六の過去編を公開。続いて後編として与太郎編を公開(アニメ通りの構成)。うまくいけば、落語ブームという社会現象を起こせるかもよw
{/netabare}

投稿 : 2024/06/08
♥ : 61

ニャンキチ君 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

時代の波にのってかえていく者と 抗いかわらぬ者

 原作は未読で、落語はあまり詳しくないのですが、故桂枝雀さんの落語はおもしろかったですね。 それと笑点のTVは大好きという程度です。

 さてアニメの方ですが、1話でグッと引き込まれてしまいました。
 
 作画もキャラ達も良くて 登場人物の声優さん達の声の演技はさすがですね。聞き惚れてしまいやした。艶っぽい声にぞくぞくしたり いきよい良く乗った声にこちらも楽しくなったり OPの音楽は毎回 ワクワクさせてくれました。そして ノスタルジーを誘う 穏やかなEDが流れるいいね。  


 他人の人生を垣間見る。まさに人生いろいろ。 でも自分もそこに居合わせているような感覚を与えてくれるアニメでした。2期が楽しみです。



 初老の菊比古さんシブくて素敵です。^^

投稿 : 2024/06/08
♥ : 50

68.3 4 昭和で友情なアニメランキング4位
ひぐらしのなく頃に卒(TVアニメ動画)

2021年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (303)
950人が棚に入れました
2021年7月放送開始
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

ひぐらしで泣く羽目に

旧作知りません


話数多かったりシリーズラインナップ複数あるとどんな順でいきゃいいのか路頭に迷います。私も迷子の一人かもしれませんが立ち位置というか遍歴は明示しときたいと思います。

1.名作の誉れ高い旧シリーズを未経験です
2.10何年ぶりの新作『業』視聴しそこそこ満足してます
3.その『業』を補完する役割と聞いて『卒』を観るためここにいます

白状すると旧作を3話くらい観て、並行して新作『業』も3話くらい観てあんま変わらんと思って『業』に専念。完走後にあにこれで答え合わせしてみたら旧作の内容と途中分岐する新作だったと判明。その後、貪欲に旧作を貪る気にもならず今日に至る。以上です。

 普通でした

普通よりちょっと面白いかなってくらい。クール平均の中上位層ぐらいのポジションです。ベテラン声優さんの“転調”演技が素晴らしくて引き込まれます。声優さん続投してるし旧作ファンは同窓会みたいでニワカな僕よりもっと楽しめそうな気がします。
それとやっとこからくりが見えてきた『業』を受けて、その『業』を別人物の視点から辿るのが本作『卒』でした。答え合わせしてる面白さがあります。本編と同時間帯を別人物の視点で追うスピンオフみたいなもん。
できれば『業』『卒』は一気に3クール分駆け抜けるのが吉かもしれません。
名作の誉れ高い本作ですが、ところどころ片鱗は感じることができる佳作といったところでした。

旧作必須かどうかはよくわかりません。…がしかし新規で59話分を追いかけるのは負担に感じますね。
こちら新シリーズも3クール費やしたわりには満腹感には欠ける。
少なくとも『業』『卒』をもって「ぜひ旧作を!」という気は起きなかったです。


※ネタバレ所感

■沙都子あれっ!?

“繰り返す者”堪能しました。
{netabare}だがしかし、梨花にバレた時点で即ゲームオーバーとなる仕様でしたよね。沙都子にやられる前にやってしまえば解決。
結局ロリお社様のテレパシーみたいなのでループ地獄の綻びが生じたわけですが、なんか思っていたよりあっさりで肩透かし食らった気にさせられて消化不良でした。田村さんとかないさんの熱演でお釣りがくるのかもしれませんが、この設定なら“梨花にバレたら最後”の緊張感があっても良かった。梨花の絶望に比べて沙都子がワンサイドすぎましたね。
梨花VS沙都子のどっちに転ぶかシーソーゲームとワンサイドゲームどちらが盛り上がるかといえば一部例外を除き前者でしょう。本作は徹底して後者でした。では後者で盛り上がる“一部例外”はどんなか?といえば胸のすく一発逆転以外考えられません。{/netabare}


■沙都子と梨花の二人ともあれっ!?

“繰り返す者”同士の決着や如何に?
{netabare}これ不満でしたね。ワンサイドゲームからの一発逆転みたいな展開ではなくちょい残念。さらに閉鎖的農村社会でのホラーという作風もぶちこわ…超越しちゃった感のある最終盤でした。
バレたら最後なんですけどバレてから2話費やしてやったことが

 {netabare}拳で語り合おうぞ!{/netabare}

前田慶次と奥村助右衛門みたいなことになってました。実際“拳”より異能バトルでしたけど旧作ファンの方はあれでいいのかしら?
余韻もへったくれもないのでこれでテンションだだ下がりでした。{/netabare}


■総論

{netabare}近くにいる親友を囲いたくなる感情なんて成長と共に薄れていくもんなんですけどそこに固執し100年というのは凄いですね。凄惨な1か月を1200回繰り返したわけです。
それを「ありえない」と思うのはあくまで常人の感覚であって、そうじゃないからホラーとして成立してたわけです。秀逸でした。だからこそホラーらしくホラーのままにっていうホラーのお作法に沿った結末だったら良かったのに~って思います。あるでしょ?惨劇継続の匂わせみたいなやつ。{/netabare}


※オマケ

■1983年

年表見たら戸塚ヨットスクール事件をなぜか覚えてるくらい。
沙都子/梨花より年下と気づきちょっぴりテンション上がりました。まだ若い



視聴時期:2021年7月~9月 リアタイ   

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2021.10.12 初稿

投稿 : 2024/06/08
♥ : 31
ネタバレ

やぎゃあ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5

「ひぐらし」としては駄作、「うみねこ」としてはまぁ・・・

※前半は業/卒の全話完走後に書いたまとめレビュー、後半はリアルタイム視聴時に書いていた各話レビューになっています。
※「うみねこのなく頃に」の内容にも触れますので、その話は聞きたくないという方はBack
※私は思ったことを全て書ききりたい超長文体質です。読んでいただける方はセクションを開き始める前にざっと一通り眺めて、気になるところだけ読むのをお勧めします。

※最終話のレビューの後に、「うみねこ」の設定も踏まえた考察も書いてみました。当たっているかはわかりませんのであしからず。(考察部分は何か思いついたら ちょこちょこ書き足します)


【完走後のまとめレビュー】
業/卒を総括するとこんな感じでしたね。

①リアルタイム視聴者に対しては、放送前のプロモーション(番宣など)から既に失敗していた
②「旧作ひぐらし」は必修、できれば「うみねこのなく頃に」も履修しておくが吉
③「ひぐらしの世界観」をぶっ壊しすぎ

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① プロモーション(番宣など)については細かく愚痴りたいです。

ひぐらし業の「マニュアル」的な情報・・・例えば旧作と新作との関係性、業のコンセプトや楽しみ方などを、放送前からしっかり広報すべきだったんじゃないかと思います。少なくとも私は、制作側が仕掛けたサプライズのせいで、この作品との向き合い方を見誤りました。

どういうことかと言うと、{netabare}業の放送開始当初、制作側は「リメイク」なのか「続編」なのかを曖昧にしていました。タイトルも放送開始当初は『ひぐらしのなく頃に』とだけで、『業』を冠したのは話数が進んでからでした。これは制作サイドからしたら『サプライズ効果(ドッキリ)』を狙っていたのでしょう。

ゆえに放送開始当初は、多くの方が『リメイク』だと思っていたはずです。

しかし、そうすると視聴者はどう考えるか・・・?

まず、新規勢は「旧作を観てなくてもリメイクから入れば良いんだ」と誤解します。また古参勢にしても「リメイクなら、新たなミステリー作品として 3要素(誰が/どうやって/なぜ) を解き直す必要はないんだな」と誤解します。

一応 察しの良い古参勢なら、「鬼騙し編」のラストで展開が変わったことで、この作品との向き合い方を考え直せたかもしれません。しかし、私は『単に これも あったかもしれないカケラの1つってことでしょ?』と解釈して進んでしまいました。

よもや「黒幕も 手段も 動機も、何もかもが異なる惨劇」だとは思い至れず、『新たなミステリー作品として挑戦する』という発想自体を持てませんでした。(私は この情報はちゃんと広報すべきだったんじゃないか? と思っています)

そして新規勢も古参勢も ある程度話が進んだ頃に『絶対的な違和感』を感じますが、新規勢は『ここまで継続視聴したのにふざけんな!続編って知ってたら旧作から観ていたわ!』と思うでしょう。古参勢は『ここまで見進めちゃって、今更 謎解き目線で細かい描写を1話から確認し直すなんて面倒すぎるわ!』ってなるでしょう。私は初めから「新作ミステリーに挑戦するスタンス」で観始めたかったです。

短期戦略(PR)としての『ドッキリ要素』に何の意味があったのでしょうか?? 確かにドッキリはしましたよ?ただ、それ以上にムカつきました。急に続編ヅラしだしたことに。そのせいで「新たな謎解き」という視点を持てなかったのですから、憤らずにはいられません。しかもこのサプライズ効果は半年も保たないのですから。今となっては『旧作の続編』『業と卒のワンセット』という情報は出回っているのですから。

中長期戦略(PR)として『惨劇の世界を抜けた先で新たな惨劇に囚われてしまった梨花。どうかその真相をもう一度暴いてください(私はキャッチフレーズのセンスないので誰か考えてw)』とプロモーションした方が、新規/古参の全員が納得した上で視聴開始できたでしょう。

※最近の人にわかりやすく例えるなら・・・

ゲームのFF7リメイクにて、もし『原作はRPGでしたが、リメイクではアクションRPG化します!!』という情報を一切伏せたままプロモーションしていたら、どうなっていたと思います?

リメイクと聞いて “原作RPGを現代技術でまた楽しめるんだ♪” と期待して買った人々が、『フタを開けてみたらアクションRPGでした』と知って、どういう反応をみせると思いますか?・・・“わぁドッキリだよ〜w” と和やかな空気で済むと思います?

実際は制作サイドが前もって入念に『アクションRPG化する』という広報をしていたから、買う側もそれを納得の上でアクションRPGを買ったんです。この『作品に関する広報(周知)』と『ユーザー側の納得』が重要なんです。

それと対比させてみてください。

新作ひぐらしの放送に際し、『旧作ひぐらしの続編である』『旧作とは異なる3要素で描いた新作ミステリーである』という情報を伏せたことでどんな事態を引き起こしたか・・・。ちゃんとこのプロモーションの『デメリット』と向き合ったのか、小一時間問い詰めたいです。{/netabare}

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② これまでの各話レビューで「うみねこのなく頃に」の名前は伏せるようにしてましたが、もう伏せない方が良いと判断しました。「ひぐらし」と「うみねこ」の関連性を知っていた方が、よくわからない描写や思わせぶりな描写でいちいちモヤモヤせずに済むと思います。

{netabare}特に最終話にあった数々の描写は、明らかに「うみねこのなく頃に」の世界観に繋げるための描写でした。(私的には嬉しいサプライズでしたが、うみねこを知らない人にとっては・・・)

正直、思わせぶりな描写をしておきながら本作内でその関連性を描く気がないのなら、余計な描写を交えない方が良いのでは?と思っていました。こんなの「うみねこ」を知らない勢からしたら余計な混乱、無駄な推理を招くだけでしょうに、と。(まさか最終話で畳み掛けてくるとは思いませんでしたがw)

竜騎士07氏はインタビューで「うみねこを知らなくても楽しめるようになっています」とは言っていましたが、私が感じた印象はちょっと違いましたね。私は「余計な情報を交えたせいで、うみねこを知らない勢は話がよく見えずに憤りを感じたのではないか?」と心配になりました。

むしろ本作は「うみねこを知らなければ 納得できない作品」とさえ言えると感じました。

両方を知っている人は『この描写は本作の推理として必要な情報だな、この描写はうみねこにつなげる情報だな』と分別できますが、旧作ひぐらししか知らない人は『本作の全ての描写』をひぐらしの世界観で説明しようと試みるんですから・・・。①の話にも通じますが、だからこそ「この作品の楽しみ方(作品の位置付けなど)」をちゃんと広報すべきだったと思います。

でもなんだろう・・・「うみねこを知らない勢」を心配している自分と、うみねこに繋がる情報を求めている自分もいて、葛藤しながら観ていましたw

本作は「ひぐらし」単体の視点で観る分には率直に言って駄作な気がしますが、「ひぐらし」と「うみねこ」の繋がりを考察するためのアニメと考えれば、やや楽しめる部分はあると感じました。
{/netabare}

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(1)まず、「新作ひぐらし」の惨劇は、そこに至る経緯(動機)があまりにも稚拙です。「旧作ひぐらし」や「うみねこ」で描かれた経緯とは比べ物にならないほどにお粗末。

理由・・・ {netabare}「旧作ひぐらし」の黒幕には壮絶な過去があり、特に「うみねこ」はそれを凌駕するほど壮大な悲劇が起きており、感情移入しすぎて辛くなったものです。

しかし「新作ひぐらし」の動機は「梨花と離れたくないから聖ルチーアについて行く」、あるいは「梨花と離れたくないから雛見沢に縛り付けたい」、あるいは「沙都子と離れたくないから一緒について来て」・・・何にせよ ただの「わがまま」から生じているんですよ。

普通なら 納得いくまで話し合うなり 喧嘩するなりで流れて行く青春の1ページを、何とかして無理やり「大量殺人」や「凶悪テロ」に仕立て上げただけ・・・話の作り方が強引すぎです。{/netabare}

(2)また、ひぐらしにおける奇跡が『何でもありの安物』になってしまった気がします。

理由・・・ {netabare}旧作で起きた数々の奇跡は、積み上げた惨劇と後悔の末に垣間見える「解決の糸口」のようなものだったと思います。それはあくまで「きっかけ」であり、奇跡を起こして「ハイ 解決♪」とはいかないものでした。

しかし、新作で起きた数々の奇跡はもう「直接的解決手段」になっています。奇跡を起こして何でも解決しちゃうのは「御都合主義」というものです(詳細は最終話のレビューに書きました)。

「旧作ひぐらし」で起きた数々の奇跡のうち、「直接的解決」をしたのはおそらく1度だけ。最後の最後、{netabare}鷹野が羽入に向けて撃った銃弾を、時が止まった世界で梨花が取り除いた時だけ。ただし、それは鷹野が終末作戦を失敗して逃走した後・・・つまり梨花を捕らえ続けた惨劇に決着がついた後の話。

羽入がオヤシロサマとして鷹野の前に現れ、鷹野の罪を許そうとしたことで起きた描写であり、そこは梨花の物語の幕引きとして必要だったのではなく、鷹野の物語の幕引きにとって必要だったこと。梨花の惨劇自体はもう解決{/netabare}したエピローグ的な部分なので、そういうのは許容します。後味を良くするための飾り付け程度の「ご都合」は全然あり。{/netabare}

(3)世界観をぶっ壊したなぁと感じた点は他にもいくつかあります。

理由・・・ {netabare}「梨花は死の直前の記憶を保持できない」という大原則を 奇跡という建前でなし崩したり、数々のキャラクターを大した背景を描かずに惨劇の実行犯に仕立て上げたり、ドラゴンボールさながらのどっかんバトルに発展したり・・・{/netabare}


「旧作ひぐらし」のファンとして、また 特に“心”を大事に描いていた「うみねこ」のファンとして、なんだか裏切られた気分になりました。


あ、ちなみにドラゴンボールのような超常バトル展開になったのは、おそらく「うみねこ」成分を取り入れたせいだと思います。

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(超脱線:うみねこの世界観について)興味のある方だけどうぞ
 {netabare}うみねこは、自分の存在を認めさせたい「魔女 ベアトリーチェ」と、魔女や魔法の存在を否定したい「人間 バトラ(探偵役)」の、ミステリーに準じた謎解きバトルを描いた物語です(ただし ミステリーとも ファンタジーとも言い切れません)。

※主人公が否定したいのは「この世すべて」の魔女と魔法の存在ではなく、「自分の目の前で起きている惨劇において」の魔女による魔法殺人説を否定したいだけです。

まず魔女側は「人間には到底不可能であろう殺人事件」を次々に起こしていきます。探偵役である主人公は当然 殺害シーンを直接見ることはできません。主人公は探偵が行う一般的な調査手段と、犯人である魔女との直接問答から情報を得ることになります。

その際、魔女はその殺人シーンを幻想的な描写で再現してみせ「わらわが魔法で殺害した」と主張します(だいぶ語弊がありますが、知らない人への説明としてはこれで十分)。

一方、主人公(探偵役)は魔女と魔法の存在を否定したいので、魔女に見せられた幻想を拒絶し、人が死んでいるという「事件の結果」だけを信じ、殺人事件のすべてを「人間の手による殺人トリックとして立証を試みる」という物語です。

で、この世界は『主人公が殺人トリックの立証を諦めないうちはミステリーに、推理を諦めて魔女に屈服したらファンタジーになる』という、かなり独特な謎解き物語です。

ちなみに、魔女に殺されているのは主人公の親族一同とそれに仕える従者たちです。そして ひぐらしの梨花と同様、主人公が真相にたどり着けない限り惨劇のループに囚われ続け、無限に殺され続けます。{/netabare}
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なので「うみねこ」はひぐらし卒14話で繰り広げたドラゴンボール展開が霞むほどの「超常バトル(魔法バトル)」が展開します。でも「うみねこ」なら良いんです。うみねこの場合は {netabare}『これが魔法ではなく殺人トリックだと主張するなら立証してみろよぉおw できねぇだるぅぉお?w』という魔女ベアトリーチェからの挑発(宣戦布告){/netabare} と解釈できるので。

ただ、この世界観を「ひぐらし」に持ってきたのはかなりの悪手だと思います。この描写は「ひぐらしの世界観」をぶっ壊しています。「うみねこ」の世界観を受け入れた私でも、「ひぐらし」で同じことをされたら拒否反応が出ます。・・・特に『うみねこを知らない勢』からしたら、共感できる余地なんて一切ないでしょう。

(ちなみに、うみねこに興味を持った方はマンガかゲームをおすすめします。アニメは出題編までは制作されましたが、解答編の制作は頓挫しています)

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※ここからはリアルタイム時に書いていた各話レビュー(不定期)です。

【9話までの感想】====================

{netabare}ひぐらし業の後半・・・具体的にはエウアが登場してからずっと不安に感じていたのですが、ひょっとしてこの作品・・・「ひぐらしの世界観」だけでは全ての真相にはたどり着けないのでは?

いや、業で起きた「事件の裏側」は卒ですべて明かしてくれるんでしょうけど・・・『なぜ沙都子をこんなクズ人間として描かなければならなかったのか?』という部分が、ひぐらしの世界観だけで納得のいく説明がつくのか・・・。

もし・・・ もしもこれが『沙都子の意思ではない』という結末に持っていこうとしているのなら、いよいよ竜騎士07氏(原作者)の別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の話をしなければならなくなるかも?・・・そうならないことを願っています。( “ひぐらしのなく頃に” は、あくまでひぐらしの世界観で完結して欲しいので)
{/netabare}

【12話の感想】=======================

{netabare}「業」の時点でものすごく不満を抱いたものの、最終話と同時に「卒」が制作発表された時点で評価を保留していたことがあったのですが・・・「卒」を踏まえても結局その不満点は最悪なままでした。

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何が不満だったかと言うと・・・{netabare} 赤坂と 茜さんと 公由のじいさんを 使い捨てにしたことです(圭一はもともと別のカケラで何度も発症した経緯があるのでさほど気になりません)。

いや、茜さんと公由のじいさんは物語上そこまで重要な役ではないのでまだ許容できなくはないですが、「赤坂」はあんな使い捨てにして良いキャラじゃないでしょ・・・。

なぜかって(旧作のネタバレあり→)・・・{netabare}旧作の暇潰し編は1編まるまる梨花と赤坂のエピソードでしたよね? そのエピソードの賜物(反動)があってこそ、祭囃子編(最終章)の結果につながったはずですよね?めちゃくちゃ重要なキャラじゃないですか。

旧作アニメでは尺の都合で詳しく描かれませんでしたが、赤坂が山狗の小此木の軍隊格闘に対抗できるほどに鍛錬を積んだのは、暇潰し編における誘拐事件での戦いと後悔があったから。赤坂が皆殺し編と祭囃子編で雛見沢に帰ってくるのは、暇潰し編での梨花からの「助言」と「ヘルプサイン」を信じたから。普通の赤坂なら ほぼ全てのカケラで梨花の言葉を信じず、惨劇が起きたのちに梨花の死を知り、激しい後悔に苛まれるのが常でした(つまり、赤坂にも圭一と同じような奇跡が起きています)。{/netabare}

部活メンバーはもちろんのこととして、「赤坂」「大石」「富竹」「入江」は絶対に使い捨てにしてはならないキャラだと思っています。

なぜなら(旧作のネタバレあり→)・・・{netabare}鷹野の『終末作戦』を表舞台で阻止したのは部活メンバーですが(山狗たちとの徹底抗戦)、裏舞台で「山狗の一時撤退→仕切り直し」という選択肢を潰したのが「赤坂」「大石」「富竹」「入江」なんですから。(赤坂は表でも大活躍。あとキーマンとまでは言えないかもしれませんが、裏の功労者に「詩音」と「葛西」も加えてあげたい)

たとえ部活メンバーが山狗部隊を退けたとしても、重火器を持って再戦を挑まれたらどうなっていたかわかりません(この戦闘は日中かつ棉流し当日で人が多いため、山狗部隊は拳銃使用は認められていません。人目がつかない裏チーム側では銃撃戦しまくりですが)。

その『撤退後の選択肢』を潰してくれたのが大人たちでしょう。

赤坂はかつて「梨花の予言」を聞かされていた者として、大石に詳細を告げて真相究明のための仲間に引き入れ、なぜこんな予言ができたのか 改めて二人で梨花の話を聞きに赴きました。時を同じくして、梨花は入江から「自分が死ぬことで終末作戦(雛見沢大災害)が決行されること」を聞き出せており、入江と二人で「鷹野に殺される可能性がある」と富竹に警告しています。そして大石・赤坂がその話を立ち聞きできたことで、ようやく警察側と入江機関側が腹を割って情報共有できるようになりました。

梨花が暇つぶし編で告げたオヤシロ様の祟りの予言を、『赤坂が信じなければ』この舞台は整いません。

入江は、入江機関所長として把握していた「終末作戦(雛見沢大災害)」の詳細を全員と共有し、特に大石に対しては「オヤシロ様の祟りの真相を全て入江機関要因で説明できる」とも告げました。梨花は、部活メンバーと相談できたことで導き出せた「仮説」を披露します。

一通りの情報を共有したことで、富竹は「本当に自分が殺される可能性がある」と信じて警戒するようになり、また大石は長年園崎家が黒幕だと思っていたことが誤解だと知って和解できました(園崎家の協力が得られるようになる)。大石は「終末作戦」に対して「48時間作戦」という罠を仕掛け、警察内で“東京”の息がかかった諜報員をあぶり出して園崎県議に引き渡し、富竹は入江機関と“東京”の連絡員として機密管理などのための『番犬部隊』を招集してくれました。{/netabare}

祭囃子編の結末にたどり着くためには、必ずこの4人が『真の肩書き』として出会わなければなりません。この4人それぞれが持っている情報と人脈が、本当の意味で惨劇を終わらせたのですから。そのきっかけを作ったのが『赤坂に起きた奇跡』でしょう。

このキーマンたちを惨劇の首謀者に仕立て上げるなら、相応のエピソードがないと納得...というか満足できないです。

大石刑事の惨劇はしっかり描かれて満足できたのですが、赤坂だってあれくらいの物語はあって欲しい重要なキャラだと思うのですが・・・。卒で付け足された要素なんて『沙都子の仕業でした。以上』だけって・・・。そんなの業でわかっていることなんだから、もうちょっと何かあって欲しかったです。 {/netabare}
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話は飛びますが、羽入の角のヒビの意味、それが12話で修復された意味、羽入とエウアとの関係性・・・この辺の設定って結構昔の竜騎士07氏のインタビューを聞いたことがある人じゃないと意味がわからないのでは?

いや本作中でも「あれは○○の出来損ない」とかは言ってましたけど・・・。そもそもエウアがどういう存在で、どういう立場でこの物語に関わっているのかってのは、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』を知らないと訳がわからないんじゃないでしょうかね?

私は両方のファンだから別に混乱していないですけど、ひぐらししか知らない人は話ついていけているんでしょうかね?
{/netabare}

【13話の感想】=======================

{netabare}もう何もかもが御都合主義に感じて来ました・・・。特に今回は「そこだけは設定変えちゃダメでしょ!」って所を、奇跡という建前で変えてきましたね。まぁ12話で羽入に起きた変化からして、こうなることは覚悟していましたけど。御都合主義はその変化からすでに始まってますね。

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私が納得いかなかった点は・・・{netabare}奇跡によって「梨花が死の直前の記憶を保持できるようになったこと」です。

「そうは言っても、旧作でも何度か同じような奇跡が起きたじゃん」と思われるかもしれませんが、明確に違う点があります。

例えば旧作の罪滅し編でも、圭一が「別のカケラの記憶を垣間見る奇跡」が起きていますよね。そして魅音に謝罪する一幕が。

圭一に起きた「奇跡」については、私がその発想に至らなかったというだけのことで、物語のルール上禁止していないのだから、いつそんな奇跡が起きてもOKなんです。

圭一以外でも「部活メンバーや大石・赤坂・富竹・入江たちが、別のカケラの記憶を垣間見ることなんてあり得ません」なんて一言も言っていないのだから、いつどんな奇跡が起きてもOKなんです。

しかし、梨花だけは違います。梨花だけは物語上『絶対的な制限』がかけられていたはずです。

ひぐらしの世界すべてを通して『梨花は死の直前の記憶を保持できない』という大原則ですべての物語が作られていました。それは羽入が不完全な存在だから(詳細割愛)。ゆえに『自分(梨花)を殺した犯人だけは絶対にわからない』はずでした。その大原則だけは普遍であって欲しかったのですが、今回そこをぶっ壊してきたということです。

ならばこう考えられませんか。・・・その奇跡を起こして「犯人当て」をして良いのなら、旧作の惨劇ループなんて1回で十分じゃないですか?と。いや、1回はさすがに少ないか。

ただ100年も1000年も惨劇を繰り返す必要なんてないんじゃないですか?あの人(黒幕)が直接手を下す惨劇のカケラを引ければ、その記憶を保持すればもう「犯人当て」は即終了ですよね。そこからは対策を講じるために何回かループし、数手でチェックメイトじゃないですか?

「超常的な能力で犯人を当てる」って、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の中で散々説明してくれた、ミステリーで絶対にやってはいけないことに抵触していますよね(ノックス十戒とヴァンダイン二十則)。

もちろん、ひぐらし卒の時点ではもうミステリーではありませんが、だからってこんな酷い犯人当てがあって良いんですかって・・・(ひぐらし業まではミステリーと言えますが、業の時点ですでに犯人は明かされているので)。

旧作での序盤のコンセプトにしたって『これは “オヤシロ様の祟り(ファンタジー)” なのか “殺人事件(ミステリー)” なのか』を問うており、圭一が「どうか真相を暴いてください」と出題しているのですから、旧作もミステリー要素はあったはずなんです。旧作は皆殺し編で大石を味方に引き入れたことで、ちゃんとロジカルに黒幕を究明したんです。

だから本作もなるべくならミステリーの原則に準じ、「ひぐらしの世界観」をちゃんと保って欲しかったです。

ちなみに強いてひぐらし卒をミステリーで例えるなら、刑事コロンボや古畑任三郎スタイルですかね。冒頭であえて犯人も犯行方法もバラした状態で、『どうやって探偵役がその犯人に迫っていくのか』を描くスタイル。

なのに『古畑任三郎が捜査中に突然超能力に目覚め、唐突に犯人を言い当ててしまう』なんてことになったら・・・駄作にもほどがありますよね。この13話のシナリオはまさにこういう内容なんですよね。{/netabare}
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<余談:原作と脚本について>
{netabare}業の頃からなんとなく違和感を感じていたのですが、これ・・・よくよく考えたら竜騎士07氏は新作ストーリーにほとんど関わっていないんでしょうかね?

原作者として名前がクレジットされていたので、てっきり竜騎士07氏がストーリーを描いているのかと思い込んでいましたが・・・よくよく考えればそもそも「業/卒そのものの原作」は無いですもんね。このクレジットの意味は、本当の原作(無印のPCゲーム)のこと・・・ですかね?

なので新作のストーリーを描いたのは別人なのかも?・・・きっと。そう考えれば、やっと合点がいきます。

別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』で、ノックス十戒や ヴァンダイン二十則を組み込んだ緻密な物語を描き、その作中で「事件を起こす動機(心)」の大事さを熱く語り、登場キャラが「(推理において) 心をないがしろにするんじゃねぇ」と何度も口にしていました。実際、それに見合うだけの壮大なストーリー(心)がちゃんと用意されていました。

旧作ひぐらしにしたって、数々の惨劇を誘発させていた黒幕には、その凶行に駆り立てるだけの動機がちゃんとありました。そして、それを少なくない話数をかけてしっかり描いてくれました。

竜騎士07氏の作品は、ちゃんと『心の機微』が克明に描かれていたんですよ。少なくともこれまでの作品では。そんな原作者が、本作のような「心をないがしろにしまくった 精神崩壊ストーリー」を描くとは思えませんからね。別人が描いたストーリーなのであれば腑に落ちます。

本作は『凶行の動機』がまったくもって意味不明なんですよ。動機は『沙都子が梨花と雛見沢でいつまでも楽しく暮らしたい』と・・・。全然納得はいかないですが、一旦それで理解しましょうか。

しかしそこをスルーしても『何故そこまでの執着を見せるのか?』すらもさっぱりわからない。仲間を再び惨劇に突き落とし、それどころか仲間が凶行に及ぶよう企て、時には自らの手で殺しもする。それらの行為に対して何も思わないほどの『狂気』を発揮する理由がまったく描けていないと思います。

じゃあ、例えば梨花が結婚して沙都子にかまう時間がなくなった時、それすらも沙都子は許さないのでしょうかね??遅かれ早かれ、いつかは『それぞれの人生を歩み出す時』が必ずくるはずですが。

それが惨劇の出発点となった最初のカケラでは『聖ルチーアへの進学』だったのでしょう。そして普通に考えれば、沙都子が聖ルチーアへの進学を諦め、それぞれの道に進むことを受け入れるべき事でしょう。しかし、沙都子はそれだけは受け入れられなかったんですよね?なぜかは知りませんが。大量殺人をもいとわないほどに。その愛すべき梨花を無限に殺しても構わないほどに。

ならば『梨花に対する常軌を逸した執着』にそれ相応の理由が無いと、物語としてめちゃくちゃ不自然なんですよ。遅かれ早かれ必ず別々の人生を歩む将来が来るのに、『大量殺人』を犯してでも『凶悪テロ』を起こしてでもそれを拒むだけの理由が。

私がこの物語に抱いた評価を上方修正するとしたら、『沙都子があれほどまでに梨花に執着する理由』をちゃんと描いてくれたら、もう少しマシになるかもですね。まだ納得いく理由を聞いていないので。・・・まさか聖ルチーア編だけで描き切ったつもりなら、「心をないがしろにすんじゃねぇ」と言わせてもらいましょうかね。

まぁ、もう動機の掘り下げについては「シナリオライターのエゴに巻き込まれ、沙都子がただのクズに成り果てたから」という事で諦めていますが・・・。{/netabare}

さてさて残りあと・・・2話ですかね? いろいろ書いてしまいましたが最後まで事の顛末を見届けたいと思います。
{/netabare}

【14話の感想】=======================

{netabare}これは完全にやらかしましたね・・・もう落胆を通り越して笑えてきました。もう理屈抜きの勢い任せのアニメになっちゃいましたね。

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今回の不満点はもはや致命的・・・
{netabare}
何これ、急にドラゴンボールでも始まったんですか? いや衣装チェンジがあったから魔法少女モノですかね? あの超常バトルはどうしちゃったんですか?ww

これが別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』だったら、魔法バトルの演出は許してましたよ。でもこれ、『ひぐらしのなく頃に』ですからね?ちょっとおイタが過ぎるのでは?

しかもバトル中にコロコロ場面転換しましたが・・・あれ、何を意味していますか?勢い任せで見過ごせる描写じゃないですよ。

時代も年齢も服装もコロコロ変わってましたよね? 指パッチンの描写も何度かありましたよね?まさかとは思いますが・・・そのたびに「死に戻り」してますか??

よもや『新作で追加した設定』は忘れてはいないですよね?

『沙都子は梨花が死んだ後に自分が死ぬことで、梨花の意識の飛び先のカケラまで追いかけることができる』んでしたよね?? 沙都子の慢心をたしなめるように、エウアが何度か釘を刺して説明しましたよね?

ということは、突如始まったあの超常&連戦バトルは
①『必ず毎回 沙都子が勝利し、梨花を殺し続け、沙都子が追いかけ続けた』

しかも鬼狩柳桜(おにがりのりゅうおう)を奪い合っているにも関わらず、
②『毎回 鬼狩柳桜を使わずに普通の凶器で梨花を殺し続けた』

という描写として解釈しろということでしょうか。もしあの場面転換中、1度でも沙都子が先に死んでいたら、ありえない光景ですからね。

ということは、あんな接戦しているようでいて、その実「梨花はクソザコ。あれは一方的な殺戮ショー」って脚本ですか?えぇ・・・。

もしくは、二人とも「死なずにカケラを飛び越える力」すら手に入れちゃってます?

っていうか、エウアが釘を刺した設定が結末の肝になると思っていたのに、いつ活きてくるんでしょうか?最終話?・・・実はこの設定どうでも良かった????

ちなみに、私はてっきり沙都子が先に死んでしまい、梨花の上位世界の意識を見失い、梨花は沙都子から永遠に逃げ続け、沙都子は梨花を永遠に追い続けるという愛憎劇を妄想し、

それが別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の『{netabare}奇跡の魔女 フレデリカ=ベルンカステル{/netabare}』と『{netabare}絶対の魔女 ラムダデルタ{/netabare}』の2人の関係に繋がっていくのかなぁ・・・なんて予想していたのに。

で、もちろんエウアは『{netabare}観劇の魔女 フェザリーヌ=アウグストゥス=アウローラ{/netabare}』と同一人物なんだろうなぁって想像してたのに。

今回「ひょっとしてその辺のクロスオーバーしている世界観に切り込んでいくのか!?」と、ちょっと期待してしまいましたが、このままだと匂わせすらないまま終わりそう・・・w
{/netabare}
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<余談:原作と脚本について> (※大幅修正しました)
{netabare}私が最初に書いた内容に誤解があったので訂正しました。訂正前のコメントを読んだ方、申し訳ございません。この項目は改めて書き直しています。

[シリーズ構成(脚本の総責任者)]
 ハヤシナオキ(久弥直樹)

[各話脚本]
 鬼騙し編1〜4 ハヤシナオキ
 綿騙し編5〜8 川口敬一郎
 祟騙し編9〜13 ハヤシナオキ
 猫騙し編14〜17 ハヤシナオキ
 郷壊し編18〜24 ハヤシナオキ

 鬼明し編1〜3 ハヤシナオキ
 綿明し編4〜6 ハヤシナオキ
 祟明し編7〜11 ハヤシナオキ
 神楽し編12〜15 ハヤシナオキ


(訂正)
原作と脚本の関係について、竜騎士07氏が業の終了後にインタビューを受けていたようです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
記者
「アニメ制作についてですが、竜騎士07さんが書いたプロットをアニメスタッフに預ける形で制作しているんですよね。」

竜騎士07
「そうです。(中略)もちろん、私も監修という形でシナリオやコンテに関わらせていただきましたけど、“ちょこっとセリフを修正する程度” でした。

(中略)
私自身の感覚としては、魚市場から200キロのマグロを仕入れて、それをアニメスタッフの方々にドーンとお渡ししただけという感じなんです。それを川口監督が見事に解体して、さらに脚本のハヤシナオキさんがキレイに三枚におろしてくださったというか。

(中略)
私はアニメに関しては素人同然ですし、プロットもそれを意識したものではないので、うまく捌いていただけたなと思います。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ということで、物語の「骨組み」自体は竜騎士07氏が組み立てて、

キャラの心情・行動・セリフや、各シーンの描写、どこに時間をかけるかなど、細かい話の「肉付け」をしていったのが前述の作家さん2人という感じみたいですね。(もちろん そこに演出家なども加わってくるのでしょう)

ミステリーで言うところの「who:沙都子、why:梨花と雛見沢で暮らしたい、how:死に戻りの力で梨花の心をくじく」という大筋を描いていたのは、竜騎士07氏ということでしょうね。

ということは「沙都子をクズに仕立て上げる」という方向性を決めたのも、竜騎士07氏本人ということになりそうですね。脚本家は、どれくらいのクズにするかの「さじ加減」を考えて脚本を用意した・・・ということですかね?

そしてインタビューの中で、竜騎士07氏が猫騙し編(聖ルチーア編)の脚本で「沙都子の内面をちゃんと描けた」と満足していることが、何よりもショックでした。私はあそこが一番不満に思っていたので。どこが描けているんだよって。

ひょっとして竜騎士07氏や脚本家陣的には、沙都子と梨花の言い分(正当性)は50:50だと思っているんでしょうかね?? 私的には梨花100:沙都子0、いや譲歩しても95:5くらいだと感じていますが。あれじゃ沙都子がただクズなだけですよ・・・。

そもそも「沙都子は勉強ができない」「梨花と離れたくない」という前提に則った上で、沙都子の内面に対して2点つっこんでも良いでしょうか。

沙都子の内面に関するツッコミ①
{netabare}沙都子は少なくとも2度は聖ルチーアでの学園生活を送っていますよね? 沙都子は2度目以降で何を変えようと努力したんですか?? アニメの中でこの流れを完全に省きましたが、沙都子が「2度目以降にどんな努力をしたのか」は非常に重要なことだと私は考えています。

旧作の梨花の場合、常にみんなが生還する幸せな結末を迎えるための「奇跡」にたどりこうと、努力し続けましたよね。それが旧作のすべてのカケラに共通していた梨花の心情。

じゃあ新作の沙都子は?・・・梨花のセリフから推察できるように、どの世界でも「沙都子は梨花のせいにし続けただけ」じゃないのでしょうか?しかも「みんなのため」ではなく、「自分のため」のループですからね。

1度目で勉強ができなくて落ちこぼれたなら、なぜ2度目以降で素直に「梨花の助け舟」を受け入れなかったのでしょうか?

そもそも大前提として、梨花の助けを借りて受験も乗り越えたんでしょう? 梨花は同情しているわけでも、見下しているわけでもなく、沙都子と進学したかったから手を取り合ったわけで。沙都子も梨花の気持ちと助け舟を受け入れて一緒に進学したはずなのに、なぜ今さら意地を張るのでしょうか?(・・・それは梨花が学園に順応していく様を僻んだからですよね?つまり ただの逆恨み)

1度目で学園で孤立したことを悔いているのなら、なぜ2度目以降で「梨花の招き」を受け入れなかったのでしょうか?

これは単純に沙都子が友達作り、あるいは高校デビューに失敗しただけのこと(ただし、進学して友達作りに失敗することはよくあることなので、この点だけは同情します)。しかし、それを梨花のせいにするのは沙都子の性格が歪んでいると思います。しかもせっかくループする力を得たのに、同じことを繰り返したのならそれはもう沙都子の問題です。

どちらにも共通して言えますが、1度目と同じことをすれば「何度だって同じ結末を迎える」のは当然でしょう。だから「沙都子が何を努力したのか」は重要なんですよ。このストーリーはそこを軽視していると思います。

さらに、これが致命的。

1度目で『どうやっても自分は梨花のようには変われない』と悟ったのなら、なぜ2度目以降も『聖ルチーアへ進学しよう』と思ったのでしょうか?普通に考えれば、そこが2人の人生の「最初の分岐点」でしょう。・・・ここに関して『沙都子が梨花に妄執する理由』が何1つ描けていません。

ゆえに私の印象では、聖ルチーアに順応すべく自分を変えていこうとする梨花に対し、沙都子がそれを僻んだだけのことだと解釈しています。だからいくら沙都子が梨花を糾弾しようと、『沙都子が僻み根性丸出しにして噛み付いている』ようにしか感じません。ゆえに動機が恐ろしくチープだと感じています。

梨花と沙都子の正当性を50:50のつもりで描いているのだとしたら、もう意味不明です。
{/netabare}

沙都子の内面に関するツッコミ②
{netabare}たかが神経衰弱(ゲーム大会)で完封勝利する演出のために「死に戻り」するような人間が、そして現にそれを丸暗記できてしまう人間が、何で「テストの答案」ごときを丸暗記できないんですか。神経衰弱の盤面を丸暗記するより、テストの答案を丸暗記する方がはるかに楽ですよ。

しかも、ただの一夜漬けによる丸暗記ではないですよね? あれって勢い任せでスルーできる描写じゃないですよ。

沙都子と梨花は「たった1日だけ」をループしているわけではないはずなので。沙都子は梨花の死後を追いかけながら、時には「数年間」巻き戻ってからゲーム大会の日を迎えているわけで、長い月日の中のたった1日、その中のゲーム大会の盤面を、「巻き戻った分の月日を過ごしながら記憶を保ち続けている」んですよね。・・・ただ事じゃないですよ。

それとも、あの指パッチンの描写は・・・「梨花を殺さずに沙都子だけが自殺し、梨花がそのカケラを離れる前に戻ってこれて、沙都子の自殺の数分前から再スタートできる」ような使い勝手のいい能力だったんでしたっけ?この場合は『沙都子が先に死んでいる』としてもその事実は都合よくスルーできるんでしたっけ? それだったらあの記憶力は「一夜漬けや瞬間記憶程度のものにすぎない」と認めますけど・・・そんな設定は聞いた覚えないですよ?

ならば「テストの答案」だけを記憶できない道理がない。勉強なんかできなくたっていい。神経衰弱と同じように「丸暗記」すれば良いだけなのだから。それなら聖ルチーアでも「勉学」で落ちこぼれることはないですよね。

まぁテストをやり直すために、どうしても死に戻り(梨花との心中)が条件にはなってしまいますが、「梨花や仲間たちを無限に殺し続ける」よりもよっぽど楽な覚悟で済むはずでは?

あ・・・、というか「梨花を屈服させる」という思惑が生じてしまったから梨花の死後を追いかける必要があるだけで、単に「自分がやりなおしたいだけ」なら梨花の意識を追いかける必要はないから、沙都子は一人で死んでも構わないですよね。なら余計に「梨花を屈服させようと思った正当な動機」が欲しいところですね。正当ってのは逆恨みや僻み根性丸出しの動機以外で、という意味で。{/netabare}
{/netabare}

あぁ・・・次が最終話か・・・どう収拾つけるのでしょう。 {/netabare}

【最終話の感想】======================

{netabare}呆れた・・・もう呆れるしかないです。

私がこれまで散々文句を言ってきたこと・・・というか誰しもがそう感じていたであろうことが・・・まさか「最終話の結論に持ってくる想定」だったから、こんなにも無茶苦茶で回りくどいシナリオになっていたなんて。

ーーーーーーーーーーーーー
何が回りくどいって・・・

{netabare}まず、私は業の聖ルチーア編の時から一貫して『沙都子が聖ルチーアに順応できないのなら、梨花は梨花の道を、沙都子は沙都子の道を歩むのが当然の摂理だ』と指摘してきました。「自分の進路は自分で決めるもの」ですし、「親友と進路を違える」なんてごくごく普通のこと・・・誰しもが経験することなのだから、と。「親友と離れたくない」なんて稚拙な動機で大量殺人や凶悪テロなんてされたらたまったもんじゃないですよ。

また卒に入ってからは『大量殺人や凶悪テロを起こしてでも梨花との別離を拒むのなら、その凶行に見合うだけの動機が必要だ。梨花に対する妄執の背景を描かないと物語として不自然だ。』とも指摘してきました。それこそ旧作のあの人に匹敵するか、それを超えるような動機を描いてもらわないと誰も納得できませんよ。

なのに・・・えぇ・・・。『超常バトルの末に、ようやく “別離” という結論に至る』って何?w

いや・・・だからそれ・・・視聴者のほぼ全員が『聖ルチーア編で即答していた結論』だと思うのですが。普通の人間同士なら「殺し合い」ではなく「話し合い」で解決できることですよ??この当たり前の結論に至るまでに、私はいったい何を見せつけられていたのでしょうか?

この惨劇の解決手段(別離)は・・・言うなれば「1+1は?」と聞かれて全員が「2」と即答する程度の結論。

それを回りくどく『1でもなく、3でもなく・・・4、5、6でもなく・・・というかこんな大きな数字にはたぶんならないよなぁ・・・それに奇数と奇数を足しているんだから偶数のはずだ。ということは、きっと2に違いない!どうだ!?』なんて問答を見せつけられたら、

さすがに『君の頭の中ではいったい何が起こっていたんだ??』と、じゃっかんの苛立ちを込めて突っ込みたくなりませんか?こんなん相手すんのメチャクチャしんどいでしょうよ。

しかし『ひぐらし業/卒』はこれに匹敵するしんどいシナリオ構成になっていたようですね。相手するのがしんどくなるような・・・ね。

『ひぐらし業/卒』とは、誰もが即答するであろう「当たり前の結論」に至るために、『常人には到底共感できないような遠回り』を描いた作品だったようですね。{/netabare}

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ついでに もう1つ不満点を・・・

{netabare}羽入 vs エウアについては・・・う〜ん。個人的には『奇跡』は数々の行いを積み重ねた上で導かれる『最後の一押し』という概念であって欲しかったです。

数々の惨劇と後悔を積み重ねた上で「別のカケラの記憶を垣間見れた奇跡(罪滅し編など)」、運命は変えられると信じなかった最後の一人が それを信じたことで訪れた「羽入顕現の奇跡(祭囃子編)」、いずれの奇跡も「直接的解決手段」ではなかったと思うんですよね。

一方、「羽入のもとに鬼狩柳桜(おにがりのりゅうおう)が届く」って・・・それもう直接的解決手段じゃないですか。これまでのカケラとの脈絡もあまり感じませんし・・・。

言うなれば「アンパ○マン新しい顔よ〜! ア○パ〜ンチ! バイバ○キーン」の流れと同じでしょう(この作品をバカにしているわけじゃないです。「ひぐらし」がこれをやるのはどうなの?という話です)。

これだけじゃない。梨花が死の直前の記憶を保持できるようになって「犯人当て」しちゃった時もそう。そんなのミステリーの探偵役が急に超能力に目覚めて犯人を特定しちゃうようなもの。

ん〜、それならもう梨花惨殺シーンを見た羽入がブチ切れてスーパーサ○ヤ人化し、かめ○め波を撃ってエウアを蹴散らすって展開でも良いんじゃないですか?奇跡の力で直接解決しちゃいましょう!w

何だろう?・・・私が抱いていた『ひぐらしにおける奇跡の価値』がちょっと下がりましたw{/netabare}

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あと細かいところで気になったのですが、『聖ルチーア学園』って・・・

{netabare}どこにあるんでしたっけ? どこかで語っていたのを聞き逃したかも?

詩音が通っていた学校ってのは覚えていたので、てっきり詩音がいる興宮だと思っていたのですが・・・『新幹線』で行き来するほどの距離だったんですか?興宮署の大石刑事や 興宮在住の詩音は、新幹線で行き来するような距離を移動して雛見沢に来ている・・・?

あるいは 興宮とは関係ない遥か遠くにあるんでしたっけ?(ググっても聖ルチーアの所在地情報がヒットしませんでした)

ちなみに郷壊し編の1話で、二人は『合格発表』の日に聖ルチーアに直接見に行ってますよね?新幹線でわざわざ見に行ったの?w

(追記)急いで旧作ひぐらし(マンガ)を読み直して見たところ、少し記憶違いがありました。

聖ルチーアは園崎お魎が詩音を幽閉する意図で入学させたものの、詩音があまりの『上品さ』と『陰湿さ』に息苦しくなって脱走してしまった学校でしたね。目明し編で詩音が聖ルチーアを酷評していたことを忘れてました。その後、詩音は悟史の事件を機に園崎家に居場所がバレ、ケジメをつけたのち興宮での生活を許され、「別の学校」に通い直していましたね。

ただ、やはり聖ルチーアの所在地情報は無かったですね。

ちなみに目明し編の経緯があるなら、沙都子のねーねーとして進学を引き止めてあげなさいw
{/netabare}

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と、ここまで批判ばかり書いてしまいましたが、一応ちゃんと良かった部分もありますね。

例えば、EDにあの名曲のアレンジ『YOU-卒業-』を持ってきたのは素直に『おぉ!』って驚きました。まさかあのイメージソングを公式EDに採用してくるとは・・・良い意味でゾワッとしました。

あとは えっと・・・うん、それよ それ(震え声)

いや、まじめに言うともう1点あるんですが、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』を知らない人にとってはどうでも良いことなんですよね・・・。ここが何というか・・・ん〜、もったいない。知っていればゾワっとする描写はいくつかありました。

最終話での・・・
「エウアの角にヒビが入り、エウアが子供化した描写」
「新幹線での別れ際で、赤い瞳になった梨花と沙都子の一連の会話」
「“そろそろ追いかけますわよ...梨花” のセリフ」
「“もういいわ、北条沙都子。あんたにあんたを返すわ” のセリフ(この口調は重要)」

これらは一見謎めいた描写に見えますが、別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』を知っていると、いろいろ思い当たることがあるんですよね。特に最後のセリフ。この情報によって『なぜ沙都子があんなにもクズになったのか』について1つの仮説が思い浮かびました(当たっているかはわかりませんが)。

また、あっちの作品でもハッキリとは明言されなかった「裏設定」に対する原作者からのアンサーとも受け取れそうな描写もありましたね。

でもこれ、『ひぐらししか知らない勢』にとってはこういう楽しみ方はできないと思います・・・。エウアが出てきた頃からクロスオーバー的な要素が濃くなるのではと心配していましたが、まさか最終話で畳み掛けてくるとはw

私的には新作ひぐらしは全然楽しめたものではありませんでしたが、最後の最後でクロスオーバーしている「裏設定」に関する情報が得られたので、結果的に最後まで諦めずに観て良かったです。最後にちょっとしたご褒美をもらえたことが、せめてもの救いになりましたw{/netabare}


【考察】==========================

ちなみに別作品『{netabare}うみねこのなく頃に{/netabare}』の方のネタバレをしても良ければ、私の想像できる範囲で考察を書いておきます。そっちの作品をご存知の方は「脱線」部分は飛ばしちゃってください。

かなりの長文なので、先に結論を書きます。「うみねこ」の世界観がわからない場合は、詳細の方を読まないと理解不能です。

結論=>{netabare}
沙都子がクズムーブする羽目になった本当の理由は『本作に一度も姿を現していない魔女たち』のせい。

ひぐらしの世界観で作られた『ゲーム盤(惨劇の舞台)』にて、
 『奇跡の魔女:フレデリカ=ベルンカステル』と
 『絶対の魔女:ラムダデルタ』が対局している。
その『盤上の駒』としてベルンが梨花を、ラムダが沙都子を動かしている。

『観劇の魔女:フェザリーヌ=アウグストゥス=アウローラ(エウア)』は、
沙都子に“繰り返しの力”は与えたものの、それ以上の干渉はしていない。

魔女たちの戦いに「駒の感情」なんて不要なので、心をないがしろにした惨劇が繰り広げられている。

・・・これが私の予想です。{/netabare}

ーーーーー以下、詳細ーーーーーーー
{netabare}新幹線での一連の会話は、うみねこのEpisode5とEpisode8にて「奇跡の魔女:フレデリカ=ベルンカステル(ベルン)」と「絶対の魔女:ラムダデルタ(ラムダ)」が別れを惜しんでいた時の会話との共通点が多々ありました。

「うみねこ」の序盤は主人公バトラと 惨劇の元凶ベアトリーチェとの戦いなのですが、裏では「ベルン」がバトラを、「ラムダ」がベアトを応援し、二人の戦いを散々引っかき回す役どころでした(徐々にこの対立構造も変わっていきます)。

この2人の魔女は、「お互いに愛し合いながら 憎みあってもいる」「誰よりもお互いのことをわかり合っている自負がある」という複雑な愛憎関係で、特にラムダは異常なまでにベルンに執着しています。一時の別れを済ましても、ベルンの姿が見えなくなった途端また会いたくなって探し始めるほどに。

つまり、本作の梨花と沙都子の関係に酷似しています(旧作ではなく本作の2人の関係に、です)。

つまり、新作ひぐらしの世界は「ベルン・ラムダ・エウア(フェザリーヌ)」の3人の魔女が積極的に干渉してきている可能性がありそうです。

そして“そろそろ追いかけますわよ....梨花” のセリフは、口調こそ沙都子のものですが「ラムダがベルンに抱いている感情」を表している気がしますし、何より「うみねこ」の世界でラムダがベルンに同じような主旨の発言をしています。

〜〜〜(脱線:マンガ版Episode5のセリフから引用)〜〜〜
ゲームが決着しかけた時の別れ(未遂)の挨拶

{netabare}ベルン「最後にはベアトも剥製にしてやりたいわ。そして大広間に高々と飾ってやるの」
ラムダ「銀河鉄道?」
ベルン「夜じゃない方」
2人 「・・・・・」
ラムダ「それで?あんたも鉄道に乗ってこのカケラから旅立つのかしら?」
ベルン「ええ。このカケラにはもう遊べるものはないみたいだし。また退屈を埋めに旅立つつもりよ」
ラムダ「次はどこへ行く? どうせ旅立ちはお互い背中を向けてでしょ?」
ベルン「あなたに退屈したくないからよ」
2人 「・・・・・」
ラムダ「ありがとう、ベルン。でも私はきっと百を数えたらまたあなたを探し始めるわよ」
ベルン「退屈させない子ね。だから好きよ、愛しているわ。またどこかで会いましょう。もっとも、百年先か千年先か、未来永劫 再会しないかもわからないけれど」
ラムダ「大丈夫よ。愛し合う二人にカケラの海は狭いわ」{/netabare}

〜〜〜(脱線:マンガ版Episode8のセリフから引用)〜〜〜
全てのゲームが決着した後の別れの挨拶
(?となっているのはコマ割的にどっちが言っているのかはっきりしないセリフ)

{netabare}ラムダ「今度はどこへ行く?」
ベルン「あんたが北なら私は南へ」
ラムダ「ベルンが東なら私は西へ行くわ。次の物語ではベルンが**役じゃないと良いわね」
ベルン「あら。**役も楽しかったわよ」
2人 「・・・・・」

ラムダ?「次はどんな物語を見つけられるかしらね」
ベルン?「そしてどんな物語で再会できるのかしら」
ラムダ?「愛し合う二人にカケラの海は狭いわ」
ベルン?「天井桟敷。カケラの海は広大だわ」
ベルン?「殻の中の幽霊」
ベルン「いつか会えるわよ。また何かのなく頃に」
ラムダ「良いじゃない。それにしましょ」

2人 「いつか会えるわ。また何かのなく頃に」{/netabare}


ちなみに うみねこに登場する魔女は何人もいますが、ひぐらしと密接な関係がある魔女が3人います。
ーーーーーーーーーーーーーーー
(脱線:うみねこに登場する魔女と ひぐらしとの関係について)
 =>{netabare}
「うみねこ」の考察が盛んだった頃、魔女のモチーフの最有力説は下記の通りでした。

 フレデリカ(古手梨花)=ベルンカステル、
 ラムダ(30)デルタ(4)・・・34・・・鷹野三四(田無美代子)
 フェザリーヌ(羽入)=アウグストゥス=アウローラ(羽入、あぅあぅ)

 ベルンは『可能性が0ではない限り、その“奇跡”を手繰り寄せる』性質を持ち、
 ラムダは『“絶対の意思”によって望む未来を手繰り寄せる』性質を持っています。
 観劇の魔女フェザリーヌの設定は多すぎるので、要所要所で説明します。

(※フェザリーヌはおそらく本作のエウアと同一人物だと思いますが、なぜエウアと名乗らせたのかは私の知識ではわかりません)

ただし、ラムダデルタだけは「鷹野ではなく 沙都子がモチーフなのでは?」という声もわずかながらありました。理由は、ベルンとラムダは憎み合ってもいるが「仲良し」でもあり、その仲良しの描写が梨花と鷹野がモチーフではしっくりこないからです。また、新作ひぐらしが放送されてからは、ラムダ=沙都子説がやや強くなってきています(ただ私は今回の物語を経てかなり悩みましたが、やっぱり鷹野がモデルかなぁ?と思いました)。

また詳細には描かれませんが、ラムダはかつてベルンを手籠めにすべく「絶対の意思」で惨劇の輪に捕えようとするも、ベルンの「奇跡」の力によって破れたことがある、と述べられています。おそらく、これは「旧作ひぐらし」か あるいは「新作ひぐらし」との繋がりを示唆していると思います。

作品順的に旧作ひぐらしの中では語られませんが、旧作ひぐらしの背後でも梨花側にはベルンが、鷹野側にはラムダが何らかの形で支援していたのではないか、と想像しています。

マンガ版うみねこのEpisode8にて、ラムダが『この私に期待させてくれたのは、私に“神になる”と誓ったあの子以来よ。気に入ったわ。あんたも、あんたの魔法体系も』と述べるシーンがあります。おそらく「神になると誓ったあの子」とは、旧作ひぐらしの作中で「神になる」と言い放った鷹野のことだと思います。

(追記)旧作ひぐらし(マンガ)を読み直して見たら、そもそもベルンは「皆殺し編」の冒頭で梨花と対話していましたね。ベルンは旧作ひぐらしの時点で登場しているので、この時点でラムダも存在していると考えられそうですね。

そして観劇の魔女フェザリーヌが鑑賞役の駒として投じたのが、自身の分身体である羽入(完全体)なのかなぁと思っています(ここは干渉ではなく鑑賞)。

ただし観劇の魔女フェザリーヌ(エウア)の設定として、フェザリーヌは人間が想像もできないほどの歳月を生き、全てのカケラなどを鑑賞し記憶するためには 記憶補助具(後頭部の輪っか)が無いと記憶を保てなくなっているという欠点があるそうです。

そして分身体に想定外のことが起こり、その記憶補助具が欠損し「不完全な存在」になってしまった姿が羽入なんだと思います(その際に記憶補助具が「角」としてデフォルメされているのはご愛嬌かと)。ゆえに駒としての自覚やフェザリーヌとの接点を見失い、自律行動をとるようになっているのだと思います。新作の中で、エウアが羽入に対し『我の出来損ない』と何度か言っていたのはこういうことだと思います。{/netabare}
ーーーーーーーーーーーーーーー

新作での死に戻りの際に、梨花は記憶を保持できず 沙都子だけが保持できるのは、上記の通り 羽入(不完全)とエウア(完全)の力の差かと思います。終盤あたりで羽入の角のヒビが修復されたこと、梨花が記憶を保持できるようになったこと、エウアの補助具に傷が入り角化や子供化のようにデフォルメされたことなどは、すべて『フェザリーヌ(エウア)と羽入が有している裏設定』から来ていると思います。



ーーーーーーーーーーーーーーー
(また脱線:「うみねこ」の世界からみた「ひぐらし」の世界について)
 =>{netabare}
うみねこは、ひぐらしの世界観のさらに上層にある「俯瞰視点」のような世界観です。

まず、ひぐらしの雛見沢村と同じように「現実世界での惨劇の舞台(六軒島)」があります。魔女と呼ばれる存在達は、その惨劇で閉ざされた舞台を「ゲーム盤」とみなし、上層世界からそのゲーム(惨劇)を覗き見しています。また、その惨劇の舞台を作り上げた存在を「ゲームマスター」と称します。

うみねこの魔女達は、ゲームマスターが繰り広げるゲームを鑑賞したり、ゲームマスターが対局から降りた場合はマスターの代行としてその世界の駒(登場人物)を動かしたりすることができます。盤上の駒を動かせるのは、ゲームマスター(黒幕の駒)と 対戦相手(探偵役の駒)のみ。

また、繰り返される世界(並行世界)を「カケラ」と呼んでいます。

うみねこの魔女たち視点からは、旧作ひぐらしの世界も「数あるゲーム盤のうちの1つ」なのかと思います。さしずめゲームマスター鷹野三四が作り上げたゲーム盤ということか・・・。そして、鬼隠し編も 綿流し編も「数あるカケラのうちの1つ」ということかと(なお鷹野自身にはゲーム盤だのマスターだのカケラだのという認識は無いはず...?)。

Who:鷹野三四が
Why:学会に虐げられてしまった「最愛の祖父」の研究を世に知らしめることを目的に
How:大量の雛見沢症候群(雛見沢大災害)を引き起こして研究成果を証明する
   (そのためには女王感染者の殺害が必須条件)

ルールX:不特定の誰かが疑心暗鬼に取り憑かれ、凶行に誘われる
ルールY:誰が凶行に走ろうが関係なく、鷹野と富竹は殺されてしまう
ルールZ:雛見沢で起きる事件のすべては園崎家の仕業、と誰もがそう信じている

マスターの勝利条件:雛見沢大災害の誘発(梨花殺害)
対戦相手の勝利条件:雛見沢大災害の阻止(梨花生存)

という「ゲーム盤」に見えているのだと思います。


鷹野は『絶対の意思』をもってこの計画を完遂すると決めており、登場人物(すべての駒)がどんな動きを見せようが、誰かしらが疑心暗鬼に囚われるように様々な仕込み(スクラップ帳)を用意しています。この絶対の意思と全てに対応する計画性が「ゲームマスター」たる所以ですね。


ちなみに脱線のさらに脱線になりますが、前述で羽入のことを「フェザリーヌが観賞役に投じた“駒”ではないか」と述べましたが、そうではなく実は羽入も“ゲームマスター”だった可能性もあります。梨花には梨花のゲーム(惨劇)が、鷹野には鷹野のゲーム(惨劇)が強いられていた説が。うみねこEpisode8も「2人のゲームマスターが、たまたま同時にゲーム盤を開いてしまった」というイレギュラー展開で開幕しますので・・・あり得なくもないかと。

〜〜(脱線:マンガ版うみねこEp.6の ラムダと あるキャラの会話にて)〜〜

{netabare}エリカ『ラムダデルタ卿も かつてどこかの大魔女のゲーム盤で駒と弄ばれ、無限地獄に閉じ込められた経験がおありとか・・・』
ラムダ『あるわ。私は何年閉じ込められたかしらね・・・。でもベルンみたいに律儀に数えなくて正解だったわ・・・』
エリカ『我が主も魔女の駒で・・・ロジックエラーの地獄に落ちたことがあるというのですか・・・?』
ラムダ『そうよ。そしてベルンは数えてしまったから、壊れてしまった』

ラムダ『あの子の“主”がこれはまた酷いヤツでね。自分で作ったゲームのはずだったのに、途中でゴールがわからなくなって、スタートとゴールが繋がった壊れたスゴロクを作ってしまったのよ・・・つまりロジックエラーね。ならば自分一人で悩んでロジックを考えて出せば良いのに、“そいつ”はあろうことか、その考えることさえもベルンに任せっきりにしたの』

(この会話中、発狂している“梨花と思しき”影絵と、メビウスの輪の横でサイコロを降っている“羽入と思しき”影絵が描かれている)

(中略)
ラムダ『あの子は奇跡に愛され、見事に奇跡を打ち出し、魔女となってあの地獄を生還したわ。でもその地獄にいたのがあまりにも長すぎて、過酷すぎて、あの子の心は壊れ、あんなにも**で**な魔女になってしまった』

・・・この会話から、ラムダは鷹野の幼少期(田無美代子)、ベルンは梨花との繋がりを匂わしているのだと思います。また、旧作ひぐらしのゲームマスターは2人だった可能性も匂わされています。羽入がゲームマスターの1人だったのに、その途中で羽入が記憶補助具を欠損して不完全体になってしまい、梨花にとってのゴールがわからなくなってしまった、という意味かと想像しています。{/netabare}
{/netabare}
ーーーーーーーーーーーーーーー

旧作ひぐらしの結末をうみねこ風に置き換えると、鷹野の『絶対の意思』によって作られたゲーム盤は、梨花の『奇跡』によって突破され、ゲームマスター鷹野三四は最終的に敗北してゲーム(惨劇)の幕は閉じられたということ・・・。

あるいは羽入(完全体)が作ったゲーム盤、かつ羽入(不完全体)のせいでゴールがわからなくなってしまったゲームで、梨花が「奇跡」によってゴールを見つけ出したということか・・・。

いずれにしても「うみねこ」の世界では、魔女たちが永遠にゲームを鑑賞したり遊んだりできるように「優秀なゲーム盤は保存されている(原文は忘れました)」と語られています。

とすると新作ひぐらしの物語は、ゲームマスターが不在となったゲーム盤にて、ベルンとラムダがプレイヤーとして直々に対局をおっ始め、その盤上の駒として沙都子や梨花が動かされていた、ということなのかもしれません(ラムダがどうやってベルンをゲームに巻き込んだかはともかく)。

ゲームマスター代行がラムダで、ラムダが沙都子を動かして惨劇を次々に起こし、ベルンが梨花を動かしながらどうにか惨劇回避の糸口を探っていたとか・・・?

そしてゲームマスターが交代しているからこそ、本来のゲームマスターの目的を無視した異なる惨劇が展開されているのかなぁと。実は「うみねこ」にも似たような展開があります(うみねこキャラのロノウェ風にいうと「愛がない、義理が通らないゲーム」が繰り広げられているのかと)。


あるいは ここまでの考察からぶっ飛びますが、・・・この物語、あの新幹線の別れ際が「ベルンとラムダの誕生の瞬間」だったのかも?・・・いや、この説は多分違うかな?
ーーーーーーーーーーーーーーー
(考察の脱線:竜騎士07氏はType-Moon作品のファンなので・・・)

※「Fate」と「月姫」の内容に触れても良いよという方だけどうぞ
=>{netabare}ベルンは古手梨花から、ラムダは鷹野三四(田無美代子)から「生まれ出でた魔女」か、(ラムダ 旧作由来 説)

あるいは、繰り返す力を手に入れてしまった「梨花と沙都子の成れの果て」かな?と想像しています。(ラムダ 新作由来 説)

どちらにしろ、それだと『古手梨花が人間として奮闘している最中なのに、何で “その成れの果て” やら “自分がやがて生み出す魔女” やらが同時に存在しているんだよ?』という疑問も湧きますよね。でもこれを成立させる仮説も1つあります。

それは竜騎士07氏はType-Moon作品のファンで、「ひぐらし」の中にも数々のオマージュを散りばめているからです。例えば、{netabare}カレー好きで青髪の知恵留美先生は、「月姫」のシエルに由来しています。名前も当て字ですし、キャラデザもほぼ寄せていますし、チョークを投げる時の持ち方が シエルの黒鍵(武器)の持ち方と同じです。キャラデザは全然別ですが、魅音と詩音も「月姫」の琥珀と翡翠の“あるエピソード”に由来していると思います。

「ひぐらし(アニメ)」のスタッフクレジットSpecial Thanks欄に「Type-Moon」の名前が(常に?)あるのは、Type-Moonのオマージュを明言しているからだと思います(これは予想)。{/netabare}

話を戻しますが、この『魔女』の概念は、Type-Moon作品の -Fate/stay night- の『英霊召喚システム』から着想を得ているのかもしれません。『英霊になる運命が確定している者』は過去・現在・未来を問わず、いつの時代の聖杯戦争にも召喚されます。つまり『未来に誕生する英霊を、現代の戦争でも召喚できてしまう』ということです。

ベルンやラムダもここから着想を得て、『未来に誕生する魔女が、自分の出生起源であった過去のゲーム盤(ひぐらしの世界)に囚われていた』ということなのかもしれません。

作品順は 月姫(2000年)、ひぐらし(2002年)、Fate stay night(2004年)、うみねこ(2007年)で、ベルンとラムダの詳細設定を作り込んだのは「うみねこ」のはず(ひぐらしに出ないラムダの方は特に)だと思うので、一応矛盾しないと思います。{/netabare}

ーーーーーーーーーーーーーーー

いずれにしても、沙都子があんなクズムーブをしていたのは ラムダの仕業の可能性が高そうですね。最後に「もういいわ、北条沙都子。あんたにあんたを返すわ」と言ったのも、おそらくラムダということなんでしょうね。

この物語にはエウア(観劇の魔女:フェザリーヌ)しか姿を現していませんが、あれはエウアの口調ではないですからね。もしエウアの発言だったなら「もうよい、北条沙都子。そなたに そなたを 返そうぞ」のはずなので。

他に沙都子を駒として動かしそうなのは、ラムダデルタくらいしか考えられません。

「Who:この惨劇の黒幕は沙都子」「How:沙都子が繰り返す力を手に入れていた」「Why:沙都子の梨花に対する執着を利用した」ということがバレた時点で、もうベルンとラムダの勝負に決着がついたようなものだから、ベルンを解放し、ラムダもこのゲーム盤からは立ち去ったということかな・・・?

そもそも観劇の魔女フェザリーヌは、人間が奮闘する様や、嘆き もがき 苦しむ様など、人間が見せる「ありのままの姿、ありのままの物語」を鑑賞して愉悦に浸っている魔女でした。ゆえに物語がどう転ぼうが「自らが直接介入すること」はありませんでした。

その背景を知っていると、「エウアが沙都子を操っている」とは考え難いんですよね。うみねこの感覚で捉えると「沙都子に繰り返す力を授けたこと」すら かなりイレギュラーな行動に見えました。まぁでも、羽入が梨花にそれをした以上、エウアが沙都子に同じことをするのはある意味フェアとも言えますが・・・。

ということで、『うみねこを知らない勢』からしたら納得いかないでしょうが、おそらく沙都子にクズムーブをさせていたのは、この物語には一切 姿を現していない「絶対の魔女:ラムダデルタ」だと推察しました。

強いていうなら、何話だったか忘れましたが、エウアと沙都子が会話している世界で、沙都子からもう一人の沙都子が出ていく描写がありましたよね。どういうセリフだったかも忘れましたが、沙都子の口から「魔女」という単語も出てましたよね。

あれらの描写が「沙都子とは別の存在(絶対の魔女:ラムダデルタ)」がいることを示唆していたのかもしれませんね。

ん〜、ここまで書いてはみたものの・・・まったく自信がないw いつか竜騎士07氏に答え合わせしてもらえると良いな。{/netabare}




【冷静になってからの感想追記】===============

梨花と沙都子の正当性について100:0だと書きましたが、冷静になって、いろんな人の意見も聞いてみて、梨花にも多少の悪い部分はあったなぁとは思いました。ただ私が思うに「梨花の悪かった部分」がうまく描けてないような気がしました。

50:50くらいに描くなら・・・ {netabare}まず聖ルチーアでの「梨花からの助け舟」は描かなくてよかったかと。勉強の面倒をみようとしたり、友達グループの輪に誘おうとしたり・・・の描写は無い方が良かったかも。

梨花は「助け舟」を出したのに、沙都子の意地っ張りのせいで避けられて、その上でなお梨花がどうすべきだったかってのは・・・正直「視聴者の価値観」によるところが大きくなってしまうと思います。

沙都子の境遇に近い人は『それでも無理にでも助けようとしてよ!私のことだけ考えてよ!』って思うかもしれませんし、梨花の境遇に近い人は『自分でなんとかするって言ったんだし、これ以上の無理強いしても余計避けられちゃうかも』と思うかもしれません。

ここの流れは、誰の目にも「梨花が沙都子を放ったらかしにした」と見えるようにすべきだったかなぁ・・・。私の目には「梨花が放ったらかしにした」ようには見えていなかったですし、むしろ「沙都子が自分から孤立していった」ように見えていたので。「視聴者の価値観」に委ねている以上、私には梨花が悪いとは思えませんでした。

あとは出発点となったカケラ、進学の誘いのシーンにて、あそこでもっと「梨花のしつこさ」と「沙都子の拒否反応」を念入りに描いた方が良かったかな。あの描写だけだと、梨花がそこまで執拗に食い下がっているとは感じなかったです。だって人生をかけた「二人の進路相談」をしている場面なのだから。多少の食い下がり程度では「しつこい」とまでは感じないですよ。『梨花の醜さ』を出しきるぐらい執拗に描いた方が良かったかも。

あとこの主張はブレませんが、そもそもその最初の進学相談の場面で、お互いの気の済むまで腹割って話し合うなり、なんならその時にこそ「取っ組み合いの喧嘩」でもしてれば良かったこと。特に、失敗と後悔の記憶を持っていた「2巡目の沙都子」ね。2巡目の沙都子は、本当に何がしたかったのかよくわからないです。

惨劇を始めてから「超常バトル」に突入する必要なんかありません。そもそも惨劇を始める前に解決できることです。{/netabare}


【最後に】=========================

こんな酷い役回り、えげつない憎まれ役を演じきった「かないみか さん(沙都子)」と、それを最後まで捌ききった「田村ゆかり さん(梨花)」に敬意を表します。お二人の演技は本当に凄かったと思います。


(余談)
あにこれの採点仕様を改善してほしいです・・・。本作の「声優」「作画」「音楽」の項目はもっと評価したいのですが、そうすると総合2.5点超えちゃうんですよ。

5点満点で2.5点以上になったら、その作品に「どちらかといえば満足」したことになっちゃうじゃないですか・・・。「物語」と「キャラ」を最低点にしているにも関わらずにですよ?せめて「物語」の配点は圧倒的に多くしておかないとおかしいでしょ。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 15

カミタマン さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

出現条件はTrue endクリア的なやつ

2021/10/13 投稿
2021/10/16 評価訂正(間違えて高く付けてましたf(^^;)

「ひぐらしのなく頃に」とはゲーム原作物だと言うことを再確認させられる内容でした。

無印ひぐらしはバッドエンド集
解は各キャラエンド+トゥルーエンド
だとすると

「業」と「卒」の最終着地地点は



ズバリ!

鉄平エンドです(笑)

あくまでもトゥルーエンドクリア後に解放される
隠しボーナスエンド的な内容です
ちょっぴり本編「ひぐらし」の世界観から逸脱した,そして,コミカルなスピンオフ的な要素も含んだそんな内容でした。

真の物語は「解」で完結して,その後のボーナスステージ,裏面と捉えて良いのでは無いでしょうか。例えるならミルドラースを倒した後のエスタークみたいな物ですw(分かる人にしか通じないたとえで申し訳ありませんf^^;自分的にはこの捉えが最もしっくりくる気がするので・・・)本編には関係ないのです。これで沙都子のキャラ崩壊も説明できます。「うみねこ」を色濃く反映した設定もまあ限定的な物と捉えられます。まあ,「うみねこ」の魔女設定に関しては「解」の終盤に古手梨花=フレデリカ設定的なやつがちょっと出てきますが,気がつかないことにしておいて・・・^^;

そして本作は最終的には,再び島みやえい子ボーカルの「you」という曲の素晴らしさによって,なんかいい話風に幕を閉じました。

率直に言って,音楽の力をまざまざと見せつけられました。
言うなればdeus ex musica(勝手に言葉を作りました笑)最後の最後で音楽の力で全てをひっくり返しました!!すっかりだまされて,感動すらしましたw

最後に,もう一度自分に言い聞かせるためにも確認しますが

これは
「鉄平エンド」です(笑)

投稿 : 2024/06/08
♥ : 14

62.7 5 昭和で友情なアニメランキング5位
マイマイ新子と千年の魔法(アニメ映画)

2009年11月21日
★★★★☆ 3.6 (136)
389人が棚に入れました
小学3年生の新子は、山口県の片田舎に住む普通の女の子。友だちや家族に囲まれ、この町にあった平安時代の地方の国の都「国衙」について空想することが好きだった。そんなある日、東京から貴伊子という生徒が転校してくる。貴伊子が気になった新子は、次第に親しくなっていくが……。

声優・キャラクター
福田麻由子、水沢奈子、森迫永依、本上まなみ

ルル さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

「マイマイ新子」→「この世界の片隅に」の流れでOK。

原作未読で視聴。


『空想好きな主人公の少女「新子(しんこ)」が、1000年前の歴史に思いを馳せながら、同級生や上級生達との遊びを通して出会いや別れ、そしてどうする事も出来ない厳しい現実を経験して共に成長していく』という93分の物語。 物語の舞台は昭和30年代の山口県防府市(ほうふし)。


この作品の監督・脚本は、「この世界の片隅に」という名作を世に送り出した「片渕須直」さんです。ちなみに、この作品は2009年に発表され、「この世界の片隅に」が2016年です。


この作品を観終えた後で、「どんなストーリーだった?」と聞かれてもハッキリとは答えられません。作品終盤までとくに大きなイベントなようなものはありません。簡単に言えば、昭和30年代の山口県に住む子供達の日常を描いた作品と言えばよいかと思います。日常系ですね。

作品の7割は、新子と友達とが野山や麦畑を駆け回って遊んでいるシーンでした。ハイキングしている気分になれますよ。遊びも昔の子供の遊びなので、ノスタルジックな気分を味わえると思います。 トトロ好きなら楽しめる。と言えば、作品の雰囲気を分かってもらえるのではないかと思います。


東京から転校生してきた親友の「喜伊子」を通して、都会っ子と田舎の子供との対比がありました。都会っ子はオシャレで、田舎の子供はボロを着て、都会っ子は靴を履き、田舎の子供は草履を履き・・といった具合にです。なかなか面白い見せ方でした。意識して観てみて下さいね。


新子が空想して1000年前の平安時代を想像する場面がよく挿入されるのですが、ちょっと説明不足で分かりづらいかと思います。ので、「新子が空想してるんだなぁー」ぐらいでいいと思いますよ。


時々、方言や訛りが凄くてセリフが聞き取れない事がありますが、そこはノリ一発で乗り越えましょう。大丈夫、同じ日本語じゃないですか。それにしても方言や訛りはいいですよね?聴いていると癒されますよ。ちなみに、オラもぉよぉ~、田舎さぁ育じぃだもんでぇ~ 訛りさぁ酷いんだぁけんどぉもよぉ~ だどもぉ、こんなオラっちぃでぇさえ~ 都会さぁ行ぐぅと・・・「私は地方出身ですが、都会では方言など死んでも話しませんよ、死んでもね」と標準語になります。何なんでしょうねこの現象って。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 34
ネタバレ

ポロム さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

童心に返る

私が子供の頃って、どんな感じだったっけ?と
見終わってから少し考えてしまった。

公園の遊具さえ遊園地に見えたり
想像力と好奇心で普通の世界さえキラキラ輝いて見えた。
大人になることは子供の頃の自分を忘れることだって
誰かが言っていた気がする。それを誰が言っていたのかさえ忘れてしまった。

<マイマイ新子と千年の魔法>
アニマックスで放送していたので録画してみました。
タイトルさえ聞いたことがなくてマイナーなのかな?と思えば
調べてみると、無名なまま上映公開が始まって口コミで広まったらしい。
スタジオジブリ『魔女の宅急便』のスタッフと
『サマーウォーズ』のマッドハウスがコラボしたらしくその名残がある。
両者が好きな方にはオススメかもしれない。

山口県防府市が舞台で草が生い茂って自然豊かな
のどかな田舎風景と想像上の平安時代がリンクする世界観が良い感じ。
淡々とした中にノスタルジーな子供時代の輝きだけでなくて
苦い思い出や関係する綺麗なだけではない大人達が物語を静かに引き立ててくれている。

感想 ネタバレあり{netabare}
普通に観ているだけだとわかりづらいですが、
(実際私も前半はよくわからなくて後半は見入った。
時々出てくる平安時代が現実とリンクしていて
中には幼い清少納言も関係していたりします。)
金魚が死んでしまうシーンやひづる先生のこと、
たつよしの警察官のお父さんなど、苦しいエピソードもあります。
ウイスキー入りのチョコレートボンボンを食べるシーンは思わず共感してしまいます。

特にラストシーンの新子が引っ越すのはあまりにも切なくて
映画が終わらないで欲しい・・もっと観たいとさえ思いました。
都会っ子のキイコが新子と過ごす内に心を開いていって
最後には引越し旅立つ新子を見送るたくましい子になっていて
その姿に思わずグッときました。 {/netabare}

芥川賞作家・高樹のぶ子先生が、
自身の少女時代をモデルに描いた自伝的小説を原作としているので
リアルな温かみを感じます。
前髪が逆立っている新子のマイマイ(つむじ?)が
時々アンテナのように何かをキャッチし、想像力が膨らみカンが鋭くなるのを見て、
私も朝、寝起きの時など寝癖が酷いと前髪が鶏のトサカのように逆立つので
もしかしたら、それもマイマイかな?と思うとワクワクします。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 32

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

マジでゲスな言い方を許していただけるのなら『ALWAYS 三丁目の夕日』+『耳をすませば』or『今敏監督作品』≒『おもひでぽろぽろ』

昭和30年代の山口県防府を舞台に、芥川賞作家の髙樹のぶ子が自らの子供時代をモデルにした自伝的小説が原作


当時の防府は1000年前の平安時代の遺跡が出土することが話題となっていたため、主人公の新子は平安時代の人々がこの地でどんな生活をしていたのか?
そんな空想に耽る日々を過ごしていた


新子の通う小学校にやってくる東京からの転校生、貴伊子や男子生徒達のリーダー格、タツヨシらとの忙しない子供時代が語られます


ひょんなことから揺らいだり、また元通りに結ばれたりする友情の話だったり
大人の都合に振り回され、子供だけでは如何ともし難い状況に立たされる無力感の話だったり
いくつものジュブナイルストーリーに時折“新子の空想の平安時代”がオーバーラップしつつ美しい映像で紡がれていきます
作画面はホント凄い


この作品が持ってる価値の半分はコレが2009年制作だってことでしょう
現代においてこんな作品が生まれるってのがなんとも希有なことです
セル時代のジブリ作品を髣髴とさせる温かみと懐かしさを感じる映像が、かつてジブリ作品にも関った片淵須直監督を中心としたスタッフの技術力で見事に作り出されていることに感銘
良い意味で既視感のある映像とお話


既にこのことをご指摘のレビューも多数見受けられるようですが、昭和30年代のノスタルジーにすんなり浸れる方に一番オススメ


正直にお話自体はそれほど後味の良いものではありませんw
良くも悪くも気恥ずかしくなるような話や、エグい内容のクライマックスがリアリティをかきたてる


『おもひでぽろぽろ』のように“あえて今、過去を振り返っているんだ”という自覚的な演出は特別ないです
完全に昭和30年代へのタイムトリップ状態
ノスタルジー以外に昭和への【浪漫】みたいのを求めてご覧になるのであれば『コクリコ坂から』の方が全然良い作品ですよ(キリッ


興味深いのがこの作品、公開当時は興行的にあまりにも振るわなかったため、片渕須直監督が「このままだとDVD化も難しいかも・・・」と苦言を発する状態にまで追い込まれたものの、「この作品を子供と見たい!」というお母さん層を中心とした口コミで一気に火が付いて、公開劇場を増やそうと署名活動まで起こる騒ぎになり、結果的に1年以上のロングラン公開となった逸話があること



こんなにもアニメファン、一般層の両面から愛された映画も昨今珍しいです
逆に子供と一緒に見ることを強要するのはちょっと微妙な気がしますがw
先述の映像面や村井秀清さんの軽快な音楽とか、何気見所もイッパイなんで「ハッピーエンドじゃなきゃやーよー」ってお方以外は率直にオススメします
いやまあwハッピーの定義なんて知りませんけどねwww

投稿 : 2024/06/08
♥ : 28

60.5 6 昭和で友情なアニメランキング6位
団地ともお(TVアニメ動画)

2013年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (70)
293人が棚に入れました
とあるマンモス団地の29号棟に、パートで働く母と中学生の姉と3人で暮らす小学生4年生、木下ともお。大好きな父は単身赴任中である。
家は中流、クラスでの人気はそこそこ。スポーツも勉強もさえないけれど、楽しいことには命を燃やし、毎日をたくましく生きている。
マイペースなともおが巻き起こすおかしな日常を、個性豊かな同級生や風変わりな団地の住人たちも交えながら、ユーモアたっぷりに描く。
団地を舞台にした、笑いあり、涙ありのファミリー・アニメーション!

声優・キャラクター
三瓶由布子、牧野由依、坂本千夏、利根健太朗、田村睦心、武田華、藤村歩、生天目仁美、一杉佳澄、アサコ
ネタバレ

ポロム さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

みんな昔は子供だったんだよね・・(*゚▽゚*)

ビッグコミックスピリッツ連載の
NHKで放送されたアニメ
「団地ともお」
団地を舞台に、マイペースな­ともおが巻き起こすクレイジーな日常と
ユーモアたっぷりなファミリーアニメ
子供向けかと思ったら、大人も十分楽しめる内容でした!

とまときんぎょさんのレビューを見て
とても気になってしまい、
たまたまディズニーXDで放送されていて
初めて見たのがお父さんへのプレゼントを考える11話で
予想外にハマってしまい前のを辿り見ちゃいました!

たまに??な回や、中にはすっきりしないオチの回も多いけど
逆に想像力が広がって余韻が残り面白いかも
一話から見なくても十分ついて行けそう。

年上の人に恋するとか、クラスの派閥同士の争いや
友達と喧嘩、面白いご近所さん達(特にかしのさんがツボw)
子供の時は何より遊ぶことが仕事!みたいな
小学生の時こんなことあったなぁ、とか共感することもあったり
時にシュールで(スポーツ大佐の話とか)
笑える回があったり、ほろっと感動する話があったり
友情や家族愛溢れるコメディだと思いました。

お気に入りの11話(笑)
「何なら喜ばれるだろうかともお」
{netabare}
友達の誕生日にレトルトカレープレゼントw
お母様が新しい台所が欲しいと言ったら
台所のプラモデルをプレゼントw
ともおのセンスが・・光ってる(笑)
薬用ボブwお父さん風呂なしアパートなのに
その発想はスゴイ 発想の勝利。
父の日~幼稚園編~のともおの絵に腹筋崩壊ww
肩たたき券でしかも全力で叩くとか痛いよ(笑)
宇宙りょ行券ww「そんなのウソだよ!w」って
開き直るともお、凄すぎるよ。将来が楽しみだよ(笑)
{/netabare}

「特に印象深いキャラ」
ともお;短パンTシャツ姿はポケモンの
フィールド上だけでなく主に森の中に出没している
「むしとりしょうねん」によく似ている(*´▽`*)
麦藁帽子に虫取り網身につけたらまさにそうだろう。

すぐ物を落としたり無くしたり走ったらコケるドジっ子だし
勉強苦手でスポーツもそれほど出来るタイプじゃないけど
責任感が人一倍強く、根に持たないさっぱりとした性格で
純粋なのがすごくなんか・・可愛い(笑)
見てるうちに何故か愛おしくなってきて
こんな弟欲しいと思っちゃうwともおの将来が楽しみ^^

ともおママ;{netabare} パーマからストパーになった時はすごく驚いた((((;゚Д゚)))) {/netabare}元プロレスラーで怒ったら怖いよ(;゚Д゚)!

ともおパパ;単身赴任中でちょっと優柔不断なとこあるけど
すごく優しくて家族思い。
{netabare} ともおの運動会に頭だけ着ぐるみで駆けつけたり
天井に家族写真貼っていたりする姿にホロリとくる {/netabare}
顔がハッキリとは書かれていなくていつもモザイクwぽいけど
きっと、顔はともお似なのかなー。

かしのさん;特に私のお気に入りED2の「スーパスマイラー」で判明
高性能おじいちゃん・・!(笑)
かしのさん回には腹筋が持って行かれました(笑)
まだまだ書きたいことがあるけどこのくらいでw

オープニングテーマ「団地でDAN! RAN!」がすごくユニーク!
近所つきあいとか地域の繋がりが希薄になっている最近も
こんなふうな面白い人達が近くにいたら毎日がもっと楽しいかもね。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 29

〇ojima さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

おもしろい

自分の子供のころの思い出が懐かしく感じます。
くだらない話があったり
ホロッと来る話があったり
友達との関係話があったり
近所の人とのつながりの話があったり
スポーツ大佐の話があったり
いろいろな話がその都度あって楽しいですね。
それと動きも独特ですね。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 23
ネタバレ

かげきよ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

昭和の風情漂う団地生活

昭和の生活感そのままですね。
服装や風景だけでなくズッコケ等のリアクションまで古いです。
おじさん世代なら懐かしさも感じるのではないでしょうか?

大きな山は無さそうですが、
人が居て幸せな家庭の姿がある等身大の物語として楽しもうと思います。

声のイメージは三瓶さんだとまだ違和感が。
腕白な子供役が多いですけど、なぜかチョット違う感があります。
せめて田村さんと逆の方が良かったような…。
まあ慣れれば問題ないかな。

※9話まででの感想{netabare}
声の方は三瓶さんで慣れました。
上手な声優さんですし、やはり慣れてしまえばどうという事はなかったです。
CG感丸出しのぬらーっとした動きにはまだ慣れない所があり
未だにモヤモヤ感が残っていますが…。

ストーリーとしては短編の連続で、おばかな小学生の言動を笑いつつも、
ちょっとした暖かさ、優しさや哀愁が感じられ味わい深い作品です。
まる子ちゃんやサザエさん同様、
「大人」が子供心を感じたり思い出し共感するタイプの話なので
今の学生さんから観たらあまり面白味は無いかも知れません。
あにこれでは人気は出なさそう…、酷評とかも無さそうですが興味自体が薄そうです。

ともおがバカにされたり、手を繋ぐのを嫌がられる話など、取り扱い方を間違うとイジメ描写になりそうなのですが本人の大らかさと、
大人の考えも持ち合わせている同級生に囲まれている健全な環境により
嫌味が全く無く観られました。
(現実もこうあって欲しいのですがね)

特別に引きつけられはしませんがこのタイプのアニメとしては良い出来だと思います。
1クールか2クールか知りませんが気軽に観続けようと思います。
{/netabare}

※18話感想{netabare}
地味にいい話が多い本作ですが、Bパートで泣かされてしまいました。
幼なじみの悲しく優しい怪談でした。まさか『ともお』で泣いちゃうとは…。
アニメながらご冥福をお祈りいたします。
{/netabare}

※37話感想{netabare}
ふいに君子の幼なじみが再登場。
18話思い出して悲しくなるわーっ!(;。;)
話がブレちゃうだろうがーバカー!
{/netabare}

※64話感想{netabare}
相変わらず高いセンスで毎週笑いとほろっとさせる余韻を提供してくれている
ともおですが今回は忘れられない神回。
誰もが経験する便意との戦いをここまで正面から描くとは。
「や…やばかった、今、一瞬気を抜いたらヤツが顔を出しやがった!」
「これからオレは、4年ぶりにうんこを漏らした男になる」
『上体くの字屈み尻筋最強締膝合爪先刻み歩行』
など、思い出すだけで笑える名言も。三瓶さんのほぼ独演も秀逸。
「どうせ漏らすなら世の中の為になる事をしよう」という達観した発想のオチは天才。
2話目のマスクかぁちゃんも楽しく笑いが止まらぬ30分でした。
{/netabare}

※71話感想{netabare}
褒めて他人の才能を伸ばす天才トレーナーよしのぶ君の苦悩&
委員長の鉄道マニアな一日を描いた回。
この作品はメインはもちろんサブだけでなくモブキャラまで
一人一人を大切にしているのが本当に良く伝わります。
平穏な生活の中でも団地の人の数だけ人生があるのだと思い知らされ、
それは観ている者の実生活にも反射して鏡のように写し出してくれます。
ちょっと寂しくも温かい余韻も健在で優しく週末が迎えられる時間となっています。
{/netabare}

【総評】
あにこれでは評価の低い長編日常系の部類になりますが良アニメです。
「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」の様な雰囲気はありますが違いも幾つかありますので
今回はこれら長寿アニメとの違いを中心に紹介レビューさせて頂きます。

一つは余韻を残すセンス。
ちょっとした一言や仕草そして効果音を巧みに使い、ふざけた話でもキュッと最後を締め
不思議と味わい深い人情話に持っていく構成が見事で
ほんのりと暖かい余韻を数多く提供してくれます。

もう一つはサブキャラの幅広さ。
「ちびまる子ちゃん」も個性的なサブキャラは豊富ですが
あくまでも主人公(まるちゃん)有ってのサブという感じです。
しかし『ともお』の場合、主人公の目線から切り離し独自にサブキャラの視点で物語を作っていて
まるっきり別の生活を垣間見ることが出来ます。
更に時にはサブに限らず、カラスといったモブキャラにも焦点を当てる思い切りの良さもあります。
それにより団地だけでなく地域に住む者全てが主役となり、
それぞれが物を思い暮らしているという『生活感』がより色濃く出ていて
「窓の光の数だけ人生があるのだなぁ」としみじみと感じる事が出来る作風へと昇華させています。

最後の大きな違いは身近にある死を描いている事。
死をタブーとせず生活の中で出会う死をありのまま等身大に受け入れています。
おばぁちゃん、恩師、幼なじみというキャラをサラッと描いていますが
上記の通り『生活感』が良く出ているので重みもあり心に残ります。
個人的には君子の幼なじみがツボに入り涙してしまいました。

終わる時期が半端で少々驚いてしまいましたが
今後はセレクションや再放送があるらしいのでまた時折触れて観てみようと思っています。
そして何れまた続きが観られることを期待しています。
本当にキャラが生き、生活している事を感じさせてくれる良いアニメでした。
何気に曲も良いですし。(笑) オススメも出来る作品です!

因みにキャラではお姉ちゃんの君子がお気に入り。
のっぺり3Dのハズが何だか凄く可愛く感じてしまって…。
でも年取ると母ちゃんの様に逞しくなるんでしょうね…。(^_^;)

投稿 : 2024/06/08
♥ : 22

63.5 7 昭和で友情なアニメランキング7位
巨人の星(TVアニメ動画)

1968年春アニメ
★★★★☆ 3.4 (65)
231人が棚に入れました
星飛雄馬が中学生の頃。彼が通う隅田川中学校の2年B組に首席のインテリ青島光彦というクラスメートがいた。いやみで典型的なガリ勉タイプの彼が最も恐れる授業、それが体育の時間である。通常の授業では自信に溢れる態度でも、この時ばかりは他の生徒からもの笑いの対象でしかなく、加えて星飛雄馬が体育時間に抜群の運動神経で憧れの橘カオルに注目されているのが気に入らない。ある日、不良高校生にからまれた所を星に助けられ、あろう事かその現場を好意を寄せる橘カオルに目撃された事で、青島は星の地位転落を画策した。鉄棒の授業時間あらかじめ塗られた油によって模範演技を失敗する飛雄馬。だが全てを見抜いていた彼は何ごともなかったようにさりげなく油を拭き取り鉄棒を続けた。完全な敗北感に打ちのめされた青島。そんな彼を見た飛雄馬は野球の紅白試合を提案すると相手チームの応援団長の橘カオルに最後の打者に青島を出すように指示する。星の大活躍で試合は紅組のリード、そして白組はパーフェクトに押さえられていた。そして最終回、星の指示通り橘は青島を励まし打席に立たせた。

声優・キャラクター
古谷徹、加藤精三、白石冬美、井上真樹夫、八奈見乗児、兼本新吾

こたろう さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

野球にばかり目がいきがちですが

言わずと知れた超有名作。
野球アニメの金字塔とされていますが、原作者の梶原一騎氏によれば、本作で表現したかったのは野球ではなくヒューマンドラマなんだそうです。
(豆知識ですが、主人公の「飛雄馬」という名前は、「ヒューマン」から付けらているとか)


魔球や特訓などスポーツまんがとしての面白さと見所が多数あって、実際にそんな部分の印象が強いですが、巨人の星をじっくり見ると、人間ドラマなんだという原作者の意図がはっきり見て取れます。
野球は動機、目的、手段、そして障害。
巨人の星とは、超名門プロ野球団の幻の名選手としての栄光が忘れられない妄執に獲り付かれた父親と、その父親を色々な意味で乗り越える少年の、挫折と成長の物語。
そのための舞台装置としての「野球」です。
まぁ、その舞台装置のイジり方が、ズバ抜けて秀逸だったからこその”名作”なのですが。


ストーリーを今更語る必要もあませんが、物語は主人公が幼少の頃から始まって、20歳前後で引退するまでの僅か十数年間。人生と呼ぶにはあまりにも短く、しかし濃密な期間を描いています。
いわゆる思春期と青春時代ってヤツです。
長島や王と出会い野球に身を投じてから、甲子園優勝、高校中退、巨人入団、致命的欠点発覚、魔球開発、恋人の死、親友との別れ、父との対決、怪我による引退・・・・・とまぁ激動の10代。
(有名作なので、これぐらいのネタバレはご勘弁ください)
父の性格を受け継いでか、激情家でセンチメンタルな彼は、何かにつけ人一倍大袈裟に悩み、感動し、絶望し、決意し、奮い立つ。クソ真面目にこれを繰り返します。
そのたび、地面に突っ伏し感涙を流し、雄叫びをあげて感情表現する飛雄馬。
ほんと、人間くさいですねぇw。まさしく、ヒューマンドラマです。


野球アニメとしてだけでなく、青臭い主人公の喜怒哀楽にも着目すれば、より楽しめる作品。
目の中に燃える炎や、滝の様に流れる涙は、本作にとって重要な感情描写なんです。
傍目からは芝居がかってて可笑しいですが本人達は大真面目。笑っちゃダメですよ

投稿 : 2024/06/08
♥ : 14

kuroko85 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

飛雄馬(この名前もとんでもないな)

日本のアニメ&スポーツ業界にとんでもない
影響を与えた作品ですね。
恐らくこの作品の存在が日本サッカーの歴史を
10年は遅らせたと思っています。
(逆に10年早めたのがキャプ翼)

まず、主人公の一生がすごい。
(今なら、間違いなく幼児虐待レベル、
それが根性と認められた時代。)
親父がまた凄い!
(後にプロ野球の監督になれるくらいなら、あんなに
貧しくはないのでは、、、
それとも息子を鍛える為にわざと?)
そして、ライバル役の2人もすごい。
花形と左門(ライバルとして、もう一人の主人公格と
完全な当て馬役、そのバックグランドの差が凄すぎ。)
特に左門の家はそのまま「おしん」の世界。
そして最後は伝説となる大リーグボールと大リーグボール要請ギブス。
みんな凄すぎ!
是非マー君やダルに見てもらいたい日本アニメの金字塔。
「とうちゃん」と言っていた彼は再びアムロで世界を掴む。

ちなみに今でも私が忘れられないシーンが、
飛雄馬(この名前もとんでもないな)が幼少の時
わざと家の壁(もちろん木製)にボール1個分の穴をあけていて、
外にある的にボールを当てて寸分の狂いもなく自分のところに
帰ってくる一人キャッチボールをしていた時、、、

投稿 : 2024/06/08
♥ : 7

REI さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

残念ながら、今の時代では通用しなくっなったスポ根アニメ第1号

プロ野球選手を目指す物語です・・・

父親が強制的に子供を野球選手するように育てます。暴力ありです(オイ
後に父親は息子の敵チームの監督になる・・・
(この当時は当たり前にあったようです・・・この世代が現実の世界で問題起こしてるんですよ・・・パワハラとか・・・)

何故、巨人の星かというと当時、プロ野球の中で巨人(ジャイアンツ)が1番強かったので、そのチームでスターになれということですね。

男尊女卑、DV、パワハラ、オンパレードです。
まぁ、でも当時は普通だったのが怖いですね・・・

はっきり言って私は子供の頃、このアニメを観て野球を嫌いになった者ですので良い印象はありません。
(今はスポーツ全般好きですよー(笑))

当時の野球の時代背景を知るにはいいかもしれないです。

全てのアニメに携わる方々に感謝を!

投稿 : 2024/06/08
♥ : 6
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