「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語(アニメ映画)」

総合得点
86.6
感想・評価
1953
棚に入れた
9921
ランキング
190
★★★★★ 4.2 (1953)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
4.3
キャラ
4.2

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sinsin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 3.0 音楽 : 5.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

萌えオタの理想の成れの果て

正直私がこれを観た感想はなんだこの薄っぺらい映画はといったものであった。
最近は∀ガンダムのBDを見直しているのもあったのかもしれない。
考察と呼べるものに値するかわからないが語れることはあるので語っておきたい。
まず、序盤開始のシークエンスではまどか達魔法少女が協力し合いながら戦う姿が見られる。コレはTVシリーズ冒頭流れるOP 曲とてもキャッチーな印象から想像がつくようないわゆる子供向け魔女っこものそのもののであったと感じる。
コレは単純にTVシリーズで足らなかったところの補完とファンサービスであろう。勿論劇場版ということで予算もかけられるから戦闘シーンも派手に出来るしイヌカレーのコラージュもたくさん使えるのでその辺魔法少女まどかマギカの持つアニメとしての芸術性みたいなものは十分獲得できたと考える。
勿論それも脚本の段階から予想できた事なので序盤はとても明るく派手な印象を受けた。まあ、今回の劇場版は私個人としてはとてもビジネスライクな興行収入を見越してのシステマティックな印象をこの映画からは感じて取れた。
だがそこはしかし、まどかマギカ。簡単には終わろうはずもなく意外な展開へと視聴者は引きずられてしまう。
今にして思えば、劇中に登場するほむらを見て元々いわゆる子供向け魔女っこものなど歪でゆがんだ姿でそれに対してまたそんなアニメに対して視聴者が疑念を持ってほしいとかそういった意図が監督にはあったのかもしれない。

{netabare}劇場版 魔法少女まどかマギカ 新編叛逆の物語の世界観考察。
この作品の中でキーポイントになる台詞のようなものは以下であると考えられる。まず一つ。
ほむら「なのに世界中のだれもかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えているたった一人の人間として取り残されて」
ほむら「寂しいのに、悲しいのに、その気持ちを誰にもわかってもらえない」
ほむら「そのうちまどかの思い出は、私が勝手に作り出した絵空事じゃないかって、自分自身さえ信じられなくなって」
まどか「うん。それはとっても嫌な夢だね」
まどか「でも大丈夫だよ。私だけが誰にも会えなくなるほど遠くへ一人で行っちゃうなんて、そんなことありっこないよ」
ほむら「どうして? 何故そう言い切れるの?」
まどか「だってわたしだよ? ほむらちゃんでさえ泣いちゃう辛い事、わたしが我慢できるわけないじゃない」
私はこの中で何度も出てくる「まどか」と言うのは一つの萌えアニメの象徴ではないかと感じた。まどかを萌えアニメ、ほむらを萌えオタとすれば面白い。私自身萌えアニメは解らないのであるが萌えオタにとって萌えアニメが終わるのはとてもさびしいといってるように聞こえるのだ。だがまどかはそんなほむらでさえ承認する。ほむらにとって承認欲求の相手はまどかである。
ここで私が思うところは、エヴァでは母性的承認欲求の対象は綾波レイであった。旧劇場版エヴァでは綾波はとことんグロテスクに描かれ承認欲求の対象たる母性など求めてはいけない。あるのは女性としての自我であると結論ずけていたと考えられる。それでラストシンジとアスカなのだと。それでシンジとオタクに自立を促したものだと推察する。

続いて次にポイントになるのは。
ほむら「あなたにとってもそれは我慢できないほど辛い事?」
まどか「そうだよ。ほむらちゃん、さやかちゃん、マミさんに杏子ちゃん。パパやママやタツヤ。それに仁美ちゃんやクラスのみんな」
まどか「誰とだってお別れなんかしたくない。もし他にどうしようもない時だったとしても、そんな勇気わたしにはないよ」
ほむら「……そう、そうだったのね。それがあなたの、本当の気持ちなら、私、なんて馬鹿な間違いを」
ほむら「やっぱり、認めちゃいけなかったんだ。あのとき私は、どんな手を使ってでも、あなたを止めなきゃいけなかった……」
この台詞でほむらは自分のしたことを責めてダークサイドに落ちたのだと考えられる。
このときのほむらの中では世界なんてどうなろうがどうでもいい。魔女なんてどうでもいい。ただまどかがよいのならどうでもいいという心境に至ったのだと推察できる。
様はほむらにとってまどかさえ幸せなら世界など滅びてもいい訳である。コレは推察しかするしかないのであるがまどかにとってとても押し付けがましい世界ではないだろうか?まどかにとってはみんなの幸せが自分の幸せであるから。そういう子であると感じる。

予想は出来たと思うが最後はこれである。
ほむら「鹿目まどか、あなたはこの世界が尊いと思う?欲望より秩序を大切にしてる?」
まどか「それは…えっと…その…私は、尊いと、思うよ。やっぱり自分勝手にルールを破るのって悪い事じゃないかな」
ほむら「…そう…なら、いずれあなたは、私の敵になるかもね。
まどか「え…?」
ほむら「でも、構わない。それでも私はあなたが幸せになれる世界を望むから」
ほむらは、まどかに承認されたい思いだけで世界を独占している。インキュベターさえも配下においているようだ。
コレをまたほむらを萌えオタの象徴として考えると面白い。
これが萌えオタの、理想の成れの果てであると。
私、個人としてはまどかはこんな世界気持ち悪いと感じると考える。その歪な愛の形が萌えオタではないかと語ったのがこの作品ではないかと思うのだ。
旧劇場版エヴァでの最後のシーンのアスカの台詞は「気持ち悪い」なのだ。
であるのでこの作品は主義主張であり考察するのには値しないと感じてしまった。

投稿 : 2014/10/05
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サンキュー:

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