「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語 [後編]永遠の物語(アニメ映画)」

総合得点
78.0
感想・評価
1069
棚に入れた
6256
ランキング
563
★★★★★ 4.1 (1069)
物語
4.1
作画
4.1
声優
4.1
音楽
4.2
キャラ
4.1

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ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

まどかママは正しきインキュベーターその2

 あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 まどマギは「まどかとほむらの齟齬」と「魔法少女とキュウベエの齟齬」という二つのアプローチから整理できる、とテレビ版レビューの導入部で書きました。その上で、後者の整理を一通り終えています。
 この総集編レビューでは、映画につながるから、という理由で後回しにしていた「まどかとほむらの齟齬」についての整理をしていきます。キュウベエ的功利主義を参照しながらまどかの思想を探っていき、その後まどかとほむらの違いに踏み込んでいく、という構成です。


まどか編:{netabare}
 キュウベエは、利己的な欲求を成就しようとした「悪役」ではなく、帰結主義的な立場から最大多数の最大幸福を目指していただけの「単なる功利主義者」である、というのがテレビ版レビューのまとめですね。
 このキュウベエ的功利主義には問題があったために、キュウベエと魔法少女たちは対立してしまいました。これは功利主義下における「恩恵を享受する多数派」と「犠牲となる少数派」の対立が縮図となって現れたものです。
 この対立構造におけるまどかの立ち位置を確認しながら、まどかの思想についてまとめていきます

まどかは多数派:{netabare}
 まみさんの一件の後、まどかは「生きているとパパの御飯がこんなにおいしい」と、自分の幸せを噛みしめています。また、さやかの一件の後には、「さやかちゃんが魔法少女じゃなかったら、あのとき私もヒトミちゃんも死んでいた」とほむらに対して打ち明けています。
 まどかは、まみさんやさやかの不幸を目の当たりにしたことで、自分の境遇を見つめ直す機会を得たのです。おいしさを実感できることも生きていることすらも当たり前ではないんだ、自分の幸せな境遇というのが魔法少女の犠牲によって支えられているんだ、と初めて認識したのです。

 つまり、まどかは、自分の立ち位置が「魔法少女を犠牲する人間の側である」「キュウベエ的功利主義の恩恵を享受する多数派の側である」と気付いてしまったのです。この世界がキュウベエ的功利主義により成り立っていることを知ってしまいました。この気付きが「少数派の犠牲に基づく多数派の幸せって何なのか?」「他人の犠牲に基づく自分の幸せって何なのか?」という苦悩をまどかにもたらしました。

 この苦悩の答えとしてまどかが決断したのが自身の魔法少女化とルール変更ですね。これらの意味するところは、最終話でのまどかママとの会話によって明らかになっています。
 まどかママ「てめえ一人のための命じゃねぇんだ」
 まどか「分かってる。(中略)だから違うの。みんな大事で、絶対に守らなきゃいけないから」

 まどかママの導きによりまどかが出した答えというのは、非常にシンプルなものです。まどかママの「命は自分一人のためのものではない」と、まどかの「みんなを守る」というのをミックスさせた、「みんなを守るための私の命」という答えです。これがまどかの自己犠牲として表出しました。{/netabare}

まどかは少数派:{netabare}
 まどかは自身の決断により「人間まどか→魔法少女まどか→まど神さま」と変遷していったわけですが、同時にまどかの立ち位置も変化しています。一言で言うと、多数派から少数派への転落です。

 人間から魔法少女になる、というのは、多数派から少数派になる、というのと同じですよね。人間として多数派に属していたまどかは、自らの選択により魔法少女という少数派へ転落したのです。また、救済されるべき魔法少女たちと救済の実行力を持つ魔法少女まどかは、厳密には違うものですから、少数派の中の少数派―超少数派―にまどかは属していたことになります。

 そして、魔法少女まどかは、その願いの力によりルール変更を起こし、まど神様へと変貌します。このとき、超少数派である魔法少女まどかだけが犠牲となり、まどか以外の全ての魔法少女たちが救済されることになりました。これにより、従来の多数派に加え、魔法少女たちも恩恵を享受する多数派へと回ることができました。
 まどかが認識できなくなってしまったために、外見上は「宇宙全体&人類が多数派、魔法少女が少数派」であることは変わらないんですが、本質的には「宇宙全体&人類と魔法少女が多数派、まどかが少数派」になっています。

 「恩恵を享受する多数派」と「犠牲となる少数派」についてまとめると、こんな感じです。
 人間まどかの頃は、まどかは人間なので、(宇宙全体&人類+まどか)が多数派で、(魔法少女)が少数派。
 魔法少女まどかになると、まどかが転落して、(宇宙全体&人類)が多数派で、(魔法少女+まどか)が少数派。
 まど神様降臨により魔法少女が救済され、(宇宙全体&人類+魔法少女)が多数派で、(まどか)だけが少数派。

 例えまどか一人であっても、犠牲となる少数派は変わらずに存在していますから、「恩恵を享受する多数派がいて、犠牲となる少数派がいる」という功利主義的構造は変わっていないのが分かります。また、人間まどかの頃とまど神様降臨後というのは、まどかと魔法少女のポジションが入れ替わっただけですよね。
 まどかの変遷というのは、「少数派へ転落し、孤立する」という自己犠牲的凋落なんです。少数派を自分だけにすることで、自分以外の全てを多数派へと押し上げて、多数派の範囲を拡大したのです。まどかは、キュウベエよりも範囲の広い最大多数の最大幸福を実現したってことです。また、キュウベエが主張していた「宇宙全体の保持」という帰結には手を加えませんでした。

 つまり、まどかは、キュウベエ的功利主義の否定ではなくその修正をしていたんです。認識できないほどの少数派にまで自分を落とし込むことで、自分以外の全てを多数派にする「まどか的功利主義」を実現したのです。
 まどかもキュウベエと同じく、功利主義者だってことですね。{/netabare}
{/netabare}

ほむら編:{netabare}
 どうしても魔法少女に感情移入してしまうせいか、キュウベエを悪役として見るきらいがあると感じているんですが、キュウベエは、功利主義の良いところと悪いところを両方持っているだけで、悪一辺倒ではないと思います。
 キュウベエを悪役に据えて議論を終えてしまうと、キュウベエが家畜を例に述べていたように「この光景を残酷と思うなら、君には本質が全く見えていない」んです。最大多数の最大幸福は求めて然るべきもので、まどかもその重要性を理解していたからこそ、自分を犠牲にしてまで功利主義的構造は維持したのです。
 まどかとキュウベエは、功利主義という根本思想では対立していません。でも、多数派の範囲や行為の倫理性については重大な齟齬があって、まどかはそれを許せなかった、というのが個人的にはしっくり来ます。

 で、この二人の功利主義者に対して、根本思想で対立していた人たちがいます。他でもない魔法少女たちです。

まどかとほむらの齟齬:{netabare}
 魔法少女たちは、まどかと同じように魔法少女の救済を願っていた。ようにも見えるんですけど、私はちょっと違うと思っています。まどかによる救済というのは、自己犠牲的で全方面的な利他救済ですが、魔法少女たちは利己救済なんです。救済の範囲が全然違います。

 まみさんは自分の生命、さやかは自分の好きな人の体機能の回復、杏子は自分の父親のための思想信条の強制、ほむらは自分の友達の救済。
 魔法の力の限界とか魔法少女が抱える問題への無知とかいろいろな要因はあるのかもしれませんが、最大多数の最大幸福を目指した功利主義者たちに比べると、彼女たちの願いはエゴイスティックであると言わざるを得ません。

 この根本思想の違いが顕著に表れてしまったのが、まどかとほむらの齟齬だと思います。
 まどかは、自分はどうでもいいけど、みんなを救いたい。
 ほむらは、みんなはどうでもいいけど、まどかを救いたい。
 この二人の思想は、全くと言っていいほど噛み合っていません。最後の最後まで、ずっと。

 この作品のストーリーは<キュウベエ⇔魔法少女たち+まどか>という対立軸で進行していくんですけど、最終的な思想面では<キュウベエ+まどか⇔魔法少女たち>という対立軸だと思います。{/netabare}

エゴイスティックほむらちゃん(叛逆のネタバレあり):{netabare}
 まどか的功利主義の実現にブチ切れてしまったのが、ほむらちゃんです。

 キュウベエ的功利主義に対しては、魔法少女たちから「その行為には倫理性が欠けてるだろうが!私たちを救え!」と反発を受けてしまいました。そして、この問題を解決するために、まどかがまどか的功利主義を実現させました。
 すると、今度はほむらちゃんが「その行為には私の個人的な願いが入ってねぇだろうが!私を救え!」と反発をしてしまったんですね。そして、ほむらちゃんは独自にまどかの救済を目論むようになります。

 ほむらちゃんは、まどかやキュウベエが持つ「最大多数の最大幸福」的な価値観に全く理解を示そうとしていないんですよね。極めてエゴイスティックな願いを貫徹しようとしています。ただ、ほむらちゃんの「みんなはどうでもいいけど」の「みんな」には、自分も入ってしまっていて、自己犠牲は厭わないんです。ここはまどかと同じですね。

 自己犠牲をするほどに功利主義を実現しようとするまどかと、自己犠牲をするほどにエゴイスティックな願いを実現したいほむらちゃん。やっぱり対立軸だよなぁ、と思います。{/netabare}
{/netabare}

 ここから先はおまけです。前回の補足も含めた話です。

まどマギにおける「成長」:{netabare}
 テレビ版レビューで、「魔法少女が魔女になる」というのは、おそらく「少女が女性になる」という正しい成長へのアンチテーゼになっている、ということを述べました。この根拠に触れず結論だけを述べてしまったので、改めて根拠のところから再整理しておきます。端的には、この作品では「成長」がどのように整理されているか、ということです。

 「魔法少女が魔女になる」は、正しく言うと「少女が魔法少女になり、魔女になる」ですね。
 これは、キュウベエの言葉を借りるならば、「どんな希望もそれが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理だ」に起因します。キュウベエと契約し、「条理にそぐわない願い」を叶えると、悪い成長へと分岐してしまうのです。
 こちらの道を選んださやかは、魔女化へと一直線に進んでしまいました。

 で、作中において「少女が女性になる」という正当な成長を目指した人物が、たった一人ですけどいますよね。まどかやさやかの学友であるヒトミです。彼女だけは「条理にそぐわない願い」を叶えようとせずに、真っ当な恋の願いを自力で叶えようと頑張っていました。さやかの対比先がヒトミだってことですね。

 真っ当な(恋の)願いを自力で叶えて女性へと進んだヒトミ。不条理な願いを他力で叶えて魔女化したさやか。
 ちょうど真逆の関係になっていますから、テーゼとアンチテーゼになっているわけです。少女たちへの「他力本願はダメだから、自主自立で頑張れよ」ってメッセージですかね。

 蛇足ですが、まどかの成長についても少しだけ。
 まどかの思春期入りが描かれたのは、まどかママに嘘をついたタイミングです。母親に何でも話していた子供が、母親に隠し事をするようになった。これで思春期入りですね。ここを起点として女性化と魔女化の選択が始まります。
 で、まどかを女性化させようとしたのがまどかママで、魔女化させようとしたのがキュウベエです。この二人のインキュベーターから教育を受けたまどかは、二人の願いをミックスさせた成長を遂げました。形式はキュウベエから、実質はまどかママから、という成長ですね。
{/netabare}

功利主義を題材にした作品:{netabare}
 まどマギ以外で、作品として功利主義を真正面から題材ものは?というと、代表的なのはデスノートでしょうね。

 ライトは「最大多数の最大幸福」を目指していましたけど、「帰結主義」を優先したために「行為の倫理性」で対立を生むことになってしまいました。この辺はキュウベエと一致していますよね。
 でも、ライトとキュウベエには、明確な違いがあります。それは、「公平性」の観点です。

 テレビ版レビューで、「功利主義は、主に「帰結主義」「幸福」「最大多数の最大幸福」などを中心とする考え方です」と書いたんですけど、「などを中心とする」と濁していたのは、この「公平性」という観点もあるからです。
 「五人が死ぬスイッチと一人が死ぬスイッチ」で一人が死ぬスイッチを押すならば、「五人が死ぬスイッチと自分の恋人が死ぬスイッチ」でも自分の恋人が死ぬスイッチを押せ、っていうのが「公平性」です。一人は一人としてカウントし、「恋人だから五人以上の価値がある」と考えてはいけないんです。「最大多数の最大幸福」にもそぐわないですからね。

 キュウベエはこの辺も徹底できていたんですけど、ライトはいったん考えてしまうんですよね。「父親をどうしよう」とか「妹をどうしよう」とかって。悪く言えば功利主義者として二流、良く言えば人間味があるのがライトです。

 ちなみに、まどかも「公平性」の観点は充足していますよね。次の問いに「功利主義的に正しい答え」を選択しました。
 五人が死ぬスイッチとあなたが死ぬスイッチがある。あなたはどちらかを押さなければいけません。
 さて、どちらを押しますか?

 まぁ、臓器移植の患者の例のが良いかもしれないですけど、細かいことは今更どうでもいいんです。
 「功利主義的に正しい答え」は、果たして正しい答えなのか? どうやらそれが問題だ。
{/netabare}

投稿 : 2015/12/31
閲覧 : 424
サンキュー:

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