「PSYCHO-PASS サイコパス(TVアニメ動画)」

総合得点
90.2
感想・評価
5576
棚に入れた
26360
ランキング
61
★★★★★ 4.1 (5576)
物語
4.3
作画
4.0
声優
4.1
音楽
4.1
キャラ
4.1

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ネタバレ

キャポックちゃん さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

常守朱はなぜカレーうどんを食べるのか

※ネタバレタグの付け方を変更しました

【総合評価:☆☆☆☆☆】
 アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス(第1期)』第2話後半、ヒロインの常守朱は、公安局の食堂で月見カレーうどんを食べる。最初見たときから、ひどく気になったシーンである。ふつう、新任の若い女性は、職場の食堂でカレーうどんなど注文しない。服に黄色いシミがついたとき、同僚に見とがめられるのがいやだからだ。では、なぜ彼女は、平然とカレーうどんをすすり上げるのか? 『PSYCHO-PASS』に対する私の(ちょっと偏った)分析はここから始まったのだが、その前に、このアニメが何を描こうとしたかを説明しておこう。

 脚本家・虚淵玄が構想したのは、ユートピアと見まがうディストピアの物語であり、おそらく2つの小説をベースにしている。
 1つがオルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』(1932)で、高度な科学技術によって病気や飢餓が克服され、仮想現実や精神安定剤のおかげで大半の市民が安定した生活を心穏やかに享受できるようになった社会が描かれる。もう1つが、ジョージ・オーウェルの『1984』(タイトルは、執筆された1948年の下2桁を入れ替えたもの。『PSYCHO-PASS』第4話で槙島が読んでいる)。カメラやマイクを通じて常時監視下に置かれ、フェイクニュースによるマインドコントロールが徹底されているため、市民は物資不足に反発することもできない。
 冷戦時には反共産主義のバイブルとして『1984』が、ソ連崩壊後は、技術の進歩を半世紀以上も先取りした驚異の預言書として『すばらしい新世界』が高く評価されたが、近年、再び『1984』の恐怖がリアリティを帯びてきた。理由はもちろん、ITの進歩に伴う監視技術の向上である。
 現在では、麻薬中毒患者や万引き常習者の映像をビッグデータとしてAIに学習させ、同じ動きをする人を探索して警備員に通報する監視システムが実用化されており、海外では一部で導入済み。日本でも、東京オリンピックに向けて、不審者をピックアップするシステムが開発中だという。また、SNSやネット検索での入力データをもとに、個人の特性を推測して効率的な広告表示を行う技術も開発されているが、これを応用すれば、反社会的な人物(SNSを炎上させたがるような)を割り出すことは容易だろう。スマホのGPS機能と監視カメラを組み合わせれば、どこで何をしているかも調べられる。ほとんどの人が気がつかない中、シビュラシステムの実現に向けて、社会は着々と歩みを進めている。
 ただし、こうした監視システムでは、万引き犯や愉快犯を未然に捕らえることはできても、最悪の犯罪者を見つけるのは難しい。そこには、精神医学上の理由がある。
 残虐な殺人を繰り返すシリアルキラーや、無差別テロを計画・指導するリーダーなど、現代社会における最悪の犯罪者はどのようなメンタリティの持ち主なのか。犯罪者に対する心理テストなどをもとに、「Psychopath サイコパス」という類型が提案された。しかし、間もなく、この類型が犯罪者の分類に使えないことが判明する。
{netabare}
 シリアルキラーなどの冷酷な犯罪者には、Psychopath度を測定する心理テストで高い得点を獲得する者が少なくない。しかし、その一方で、きわめて有能で社会的に大きな貢献をしている外科医・パイロット・政治家・警察官(!)などにも、Psychopath度の高い人が多かったのである。彼らの特徴は、他者の心を思いやって情に流されることがなく、自分が正しいと考える信念に忠実な点。生理学的な理由はわからないが、大脳の前頭前野と扁桃体の結びつきが弱いためではないかと推測される。現実の犯罪者になるかどうかは、主に環境に依存する。
 現在の精神医学では、Psychopathという類型は用いられない。精神科の虎の巻と言われる『精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)』の分類では、「反社会的パーソナリティ障害」が Psychopath に近いものの、本質的な相違点がある。最悪の犯罪者を犯行前に特定することは、心理テストはもちろん、CTスキャンやPETなど技術を用いても、ほぼ不可能だと考えられている。
 この判定不能性が、本アニメでキーワードとなる「免罪体質」と密接な関係を持つことは、想像に難くない(そもそも、「サイコパス」という用語自体が一種の掛詞である)。第17話で、公安庁局長・禾生(かせい;難読キャラ多すぎ!)の姿を借りた藤間が、システム構成員の資格として、「いたずらに他者に共感することも情に流されることもなく、人間の行動を外側の観点から俯瞰し裁定できる--そういう才能が望まれる」と語るが、これは、Psychopathの最も主要なメンタリティである。
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 アニメ『PSYCHO-PASS』を、「常守や狡噛(こうがみ)ら公安局の刑事が、力を合わせて稀代の犯罪者・槙島を追い詰める物語」と思える人がうらやましい。すでにダークサイドに墜ちている私は、第1話から、全く異なるストーリーだと理解した。
{netabare}
 狡噛と槙島は、高度な知性と頑強な身体を持ち、社会のあり方を俯瞰できるなど、多くの点で似通っているものの、「他者の心を思いやって共感することできるか」という重要なポイントで、決定的に異なる。二人ともシビュラを嫌っておりシステムに組み込まれないが、シビュラに勧誘された槙島が自分の意志で拒否するのに対して、狡噛は共感性が強すぎるゆえにシビュラから爪弾きされる。シビュラを軸に、この二人を対称的・対照的に描くことが、アニメ『PSYCHO-PASS』の基本プロットなのである。第22話のクライマックスがこの二人の対決として描かれ、途中まで懸命に二人を追ってきた常守があっさりと退場させられるのは、必然的な帰結だと言えよう。
 それでは、作品全体の構図において、常守朱はどんな立ち位置にいるのか? ここで、冒頭に記した「なぜカレーうどんを食べるのか」という問いに戻りたい。彼女は、他者が自分のことをどう思うか、まったく忖度しないのである。この事例に限らず、脚本を執筆した虚淵は、他者の気持ちよりも自分にとっての正義を優先する彼女のメンタリティを、これでもかと見せつけてくる。

 (1) 社会の脱落者である縢(かがり)を前に、自分がどんな職業にも就けるトップクラスの成績だったことを得々と語り、「あんた、なんで監視官なんかになったんだ」と凄まれる(第2話)。友人の女性二人に対しても、しばしば同様の態度を示す。
 (2) 相手の心中を顧慮することなく、「もっと落ち着いて考える暇があったら、狡噛さんだって、彼女を撃とうとはしなかったですよね」と言って同意を求める。そのすぐ後、先輩である宜野座(ぎのざ)に対しても、自分の判断の正しさを断固として主張する(第2話)。
 (3) ネットに関する常識的な解説をして、征陸(まさおか)に「さすがに説明がうまいな。教師みたいだ」と言われたとき、皮肉だということに気がつかず、本気で喜んだ(第6話)。
 (4) 親友の必死の願いにもかかわらず、シビュラの判定を優先するあまり、ライフルで槙島を狙うことができない(第11話)。その姿を見た槙島は、「決断ができない人間は、欲望が大きすぎるか、悟性が足りないのだ」というデカルトの言葉を引用し、システムが機能していないのにシステムに忠実でありたいと思う常守を批判する。
 (5) 槙島を昏倒させたとき、目の前で親友が殺されたことを含めて、さまざまな出来事がフラッシュバックしたにもかかわらず、情に流されず手錠をかけるにとどめた(第16話)。「殺せ」という狡噛の指示にも従わなかった。

 明らかに、常守は Psychopath度がかなり高く、シビュラに好まれるタイプである。第21話で「今の私は、システムの望み通りの人間なんですよ」と自嘲気味に言うが、皮肉でも何でもなく、実際にその通りなのだ。彼女は、シビュラに反発した狡噛や槙島とは異なり、シビュラの側に立っている。
 『PSYCHO-PASS』の全体的構図を簡潔に表すならば、一般の人が考えるような
  [狡噛、常守]→[槙島]
という図式ではなく、
  [狡噛]→[シビュラ~常守]←[槙島]
となるだろう。
{/netabare}
 常守は、決して正義のヒロインではなく、狡噛と最良のコンビを組んだわけでもない。この点を理解しないと、『PSYCHO-PASS』の真の恐ろしさがわからないだろう。

以下、余談。

【引用される書物】
{netabare}
 『PSYCHO-PASS』では数多くの書物が引用されるが、単に衒学的なお遊びではなく、キャラの内面を描く小道具として利用される。中でも、狡噛と槙島は、紙の本を読むシーンが何回も挿入され、二人がどのようなメンタリティの持ち主であるかが示される。
 狡噛が読むのは、『闇の奥』や『スワン家の方へ』など、人間の心理を深く描き込む小説。一方、槙島は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』『ガリバー旅行記』など、社会批判を込めた寓意的・象徴的な小説を好む(何と『新約聖書』まで読んでいる)。狡噛がペーパーバックの翻訳で読むのに対して、槙島は高価な原書を手にしており、書物に対するディレッタンティズムには、かなりの差がある。
 しかし、思想に関して、二人は似たもの同士である。第16話で、槙島によるパスカルの引用を狡噛がオルテガで切り返したとき、槙島は自分でも同じ返しをしたろうと口にした。また、第19話で、雑賀(さいが)教授がシビュラの特性をウェーバーをもとに説明したのに対して、狡噛は、槙島がこの場にいれば、即座にフーコーを引用して返すはずだと述べたが、その口調からは、槙島の発想法に親近感を覚えているとわかる。パスカルとオルテガ、ウェーバーとフーコーのように、対になる思想家のどちらが狡噛でどちらが槙島に当たるかを明示せず、あたかも交換可能なように描いたのは、脚本を書いた虚淵玄が、二人を同じタイプの人間と見ていたからだろう。
 一方、常守はあまり本を読まないようだ。第6話で征陸がルソーを引用したとき、慌ててネットで調べようとした。虚淵はかなりの本好きと思われるので、常守は嫌いなタイプの女性だろう。
 脚本家に愛されていたのは、シェークスピアの悲劇を耽読しキェルケゴールを引用する王陵璃華子ではないか。私も、学生の頃、『タイタス・アンドロニカス』の残酷さに陶然となり、『死に至る病』の不合理なロジックにうっとりしたクチなので、彼女には心の底から親近感を覚える。彼女が惨殺されたとき、本気でゾクゾクしてしまった(かなりアブないかも)。
{/netabare}

【ミステリとしての『PSYCHO-PASS』】
 『PSYCHO-PASS』は、ミステリとしても一級品である。
 ミステリとは、不条理とも思える謎の背後に合理的なロジックが存在することを描く作品である(ミステリという言葉は、もともと、神の秘蹟を表す宗教用語)。本アニメの場合、取り付く島のないように思える出来事の連鎖を、論理的な推理を通じて解きほぐし、どのような意図に基づくかを明らかにする場面がいくつもある。こうした謎解きは、かなりのミステリファンをも唸らせるだろう。
{netabare}
 タリスマン事件で、アバターの中の人が誰と入れ替わったかを、アクセスパターンの変化から解明する(第6話)、あるいは、シビュラが分散型システムではなくスタンドアローンであることを、データの流れとエネルギー消費量から突き止める(第15話)といった話は、見ていて身を乗り出すほど刺激的である。
 特に私が好きなのは、死体を公園に飾る連続猟奇殺人に「オリジナリティが致命的に欠けている」と気づき、何らかの元ネタが存在すると推理する場面(第8話)。死体をオブジェとして描く絵画や映像に類似作がないか、矯正保護センターに隔離された“患者”の意見を聞きに行くシーンは、映画『羊たちの沈黙』最高のオマージュと言って良いだろう。世間を捨てたはずの“患者”が、王陵璃華子の写真を食い入るように見つめる姿にも、注目してほしい。
{/netabare}
 ミステリ風に味付けしただけで、論理性も意外性もない凡百のアニメ(タイトルは言わないでおく)とは、まさに格が違うのである。

【SFとしての『PSYCHO-PASS』】
 近未来の犯罪を扱うアニメらしく、さまざまなSF的ガジェットが登場するが、ITとバイオテクノロジー以外の描写は技術の実態に忠実ではなく、文学的なアレゴリーとしての性格が色濃い。
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 典型的なのが、刑事たちが使用する大型銃ドミネーター。ターゲットの犯罪係数を即座に読み取り、その値に応じて変形する奇妙な銃で、通常の犯罪者に対してはパラライザーとして作動するが、対象によっては、エリミネーターやデコンポーザー(反物質砲?)と呼ばれる、メカニズムがよくわからない強力な破壊兵器となる。こうした機能は、一般市民に対するシビュラシステムの圧倒的優位性を示すアレゴリーであり、技術的な観点から批判するには及ばないだろう。
 象徴的なガジェットは、作中の至る所に見出される。槙島が計画するバイオテロの話題で、日本の食糧自給を支える穀物が米ではなく麦(ハイパーオーツ)であるのは、『新約聖書』にある毒麦のモチーフを使いたかったからだろう。
 ちなみに、ハイパーオーツの病虫害対策に利用されるウカノミタマ・ウイルスのアイデアは、バチルス・チューリンゲンシス(BT菌)にルーツがありそうだ。BT菌が産生する毒素の遺伝子を組み込むと、農作物自体が殺虫剤を分泌するようになり、農薬散布をしなくても害虫が駆除できるため、アメリカをはじめ、遺伝子操作作物を栽培する地域では、この技術が広く使われている。だが、BT毒素に耐性を持つ害虫が大量発生すると、同一品種に頼る穀倉地帯で、壊滅的な被害が生じる危険性もある。
 こうした話題をどこかで聞いた虚淵が、『PSYCHO-PASS』の終盤で採用したのだろう。
{/netabare}

【深読みの誤解かも】
{netabare}
 最初に見たときから気になってしかたなかったのが、第21話で、槙島が宜野座に投げつける爆弾。槙島は、鍛え抜いた肉体による武術と、カミソリを用いた鮮やかな殺戮を得意としており、爆弾を使うという野暮な戦術を取ったことが不思議だった。
 この爆弾は、ウカノミタマ・ウィルスの調整を行う装置の前で槙島が手にしていたもの。水筒ほどもある大きさといい、これ見よがしに長く伸びた導火線といい、エレガンスに欠ける代物である。もちろん、突然の爆発で視聴者が驚かないように、見てすぐにそれとわかる、いかにも爆弾らしい爆弾をアニメーターが描いたとも解釈できる。だが、爆弾を見つめて不敵な笑みを浮かべる槙島の姿とは、どうにも釣り合わない。
 もう一つ、バイオテロのために遺伝子操作を施したウカノミタマ・ウィルスを大量に培養する作業を行いながら、電力をストップされただけで、あっさりと計画を放棄したことがいただけない。槙島は、テロによる破壊行為そのものではなく、社会がどのように対応するかに興味があるので、小規模テロないしテロの予行演習だけでもかまわないはずである。ところが、非常用電源も利用せずに、直ちに公安局との対決に向かう。そんなに狡噛と勝負したかったのか。
 ここで、再び爆弾の形状に注目してみよう。槙島は、バイオリアクターらしき装置(ただし、現在使用されるものとは外見がかなり異なる)を操作していたが、これは、パイプ状の部品が数多く組み合わされた構造をしており、それぞれのパイプ内で遺伝子操作したウィルスを増殖させた後、麦の生産地に送られると推測される。槙島が使った爆弾は、このパイプと似た形状をしているのだ。とすると、爆発するのは端っこの一部だけで、残りはウィルスの詰まったパイプだったのかもしれない。導火線は、刑事たちに見せつけるために、わざと目立たせたのではないか。
 もちろん、爆発の熱で、ウィルスが死滅する可能性も高いだろう。しかし、生き残ったウィルスが周囲にばらまかれ、増殖してハイパーオーツを壊滅させる可能性もある。槙島は、そんな偶然に委ねられた危険性を面白がったとも考えられる。
 これは、単なる深読みの誤解で、脚本家の意図と全く異なるかもしれない。しかし、そんな深読みをしたくなるほど『PSYCHO-PASS』の世界が奥深いことも、また確かである。
{/netabare}

【第2期がつまらなかった理由】
 『PSYCHO-PASS』の第1期は、日本アニメ史上に残る圧倒的な傑作だった。しかし、その後がぱっとしない。
 2013年3月に2クールに渡った第1期の放送が終了した後、1年半の間を置いて、まず、14年7月から第1期新編集版が放送された。これは、第2期放送に先立って、第1期を見ていない視聴者向けに作成されたもので、第1期の2話分を1話にまとめ、OPとEDが1話分不要になった穴を埋めるために、新作カットが追加された。しかし、この追加部分は、動きの乏しい画面に説明的な台詞をかぶせただけの手抜きであり、色調調整もずさんで他のシーンと整合せず、第1期を堪能した人が見る価値はない。新編集版第6話では、全編中最も緊迫した第1期第11話と、別の脚本家が執筆した番外編の第12話が前半・後半に並べられており、感興を削ぐ。
 新編集版に引き続き、14年10月から1クールの第2期が放送され、その放送終了を受ける形で、翌年1月に劇場版が公開された。しかし、どちらも第1期とは比べものにならないほどつまらない。
 つまらなかった理由は明らかだ。脚本を練り上げる時間が足りなかったのである。
 『PSYCHO-PASS』第1期の脚本(番外編の第12話を除く)には二人のライターがクレジットされているが、キャリアから推測するに、おそらく虚淵玄がメインであり、深見真は虚淵の指示に従う助っ人だったと思われる。
 虚淵は、11年の『魔法少女まどか☆マギカ』から『PSYCHO-PASS』第1期の間に丸々1年半の余裕があり、脚本に充分な時間を掛けられた。しかし、その後は、2013年に『翠星のガルガンティア』の原案・シリーズ構成を、13年から14年にかけて『仮面ライダー鎧武/ガイム』全47話の脚本を担当しており、『PSYCHO-PASS』に割ける時間はあまりなかった。したがって、たとえ深見と二人がかりであっても、第2期と劇場版両方の脚本を執筆することは、現実問題として不可能だった。
 その結果、第2期は、全体の骨組みを作るシリーズ構成を作家の冲方丁が担当し、脚本は熊谷純が執筆、劇場版は、虚淵が原案を作った上で、深見と共同で脚本を執筆という形になった。だが、(おそらく急遽起用された)冲方は『PSYCHO-PASS』の世界観を充分に理解できないまま、常守のメンタリティもシビュラの本性もおざなりな扱いで済ませてしまう。一方、劇場版はと言えば、さしもの虚淵もネタが尽きたらしく、狡噛にさまざまなアクションをさせただけの、空疎なスピンオフ作品にとどまった。
 ここで問題とすべきは、脚本家に余裕がないことが明らかなのに、なぜ、2014年から15年にかけて、続けざまに第2期と劇場版を発表するというタイトなスケジュールを立てたかである。気になるのは、「総監督」という曖昧な肩書きで参画した本広克行の役割である。
 本広は、『踊る大捜査線』などフジテレビの人気ドラマを中心に、映画や舞台にも進出した有名ディレクターである。ただし、『PSYCHO-PASS』のようなシリアスな作品はほとんどなく、(私が見た10本足らずの範囲では)ドラマも映画も、人気俳優を起用し、ギャグとアクションを緩くつないで大衆受けを狙ったものばかりである。クリエーターというよりは興行師に近い。
 Wikipediaに掲載された『PSYCHO-PASS』の製作経緯によると、本広は、「現代版パトレイバー」を作りたかったらしい。『機動警察パトレイバー』は、近未来を舞台に警察チームが繰り広げる群像劇である。基本プロットは、固定されたメンバーがさまざまな事件に遭遇し、反発と協力を繰り返しながら解決していくというもの。したがって、本広の頭の中では、第1期で組織内におけるチームの位置取りができあがれば、後は、どんな事件が起きるかを考案するだけで、話がトントン進むように思えたのかもしれない。
 しかし、『PSYCHO-PASS』は、これまでにない世界観をベースに、登場キャラの内面を突き詰めていく作品である。最後の落としどころまできちんと構想して脚本を組み立てなければ、首尾一貫した内容にはならない。自分がドラマを作ったときの方法論は、通用しないのである。
 第2期と劇場版の出来が悪かったのは、本広の責任ではないのかもしれない。だが、何が原因であったにせよ、第1期で築いた作品世界という資産を、ずさんな企画で蕩尽してしまったわけである。何とももったいない話である。

【おまけ】
 『PSYCHO-PASS』に登場するキャラは、全員に味があり愛着が湧く。
{netabare}
寡黙で知的な弥生がラスト近くで見せたベッドシーンには、笑ってしまった。
{/netabare}
 特に好きなのは、ちょっと悪ガキ風の縢秀星。彼は、私的評価基準による「アニメに登場するカッコイイ男子ランキング」の3位である。ちなみに、2位は『交響詩篇エウレカセブン』のドミニク・ソレル、1位はもちろん……

投稿 : 2018/06/25
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サンキュー:

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