「PSYCHO-PASS サイコパス(TVアニメ動画)」

総合得点
90.2
感想・評価
5582
棚に入れた
26390
ランキング
61
★★★★★ 4.1 (5582)
物語
4.3
作画
4.0
声優
4.1
音楽
4.1
キャラ
4.1

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ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 5.0 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

ノイタミナ至上最高の出来栄えです

視聴後の自分なりのメモのようなものです。
不快に感じる点も有ると思いますのでご注意を。


なぜか色々と批判の多い作品であるが実際問題これほど面白い作品がそう何作もあるかと言われると、言葉に多少詰まるぐらいの出来栄えであると思う。

虚淵 玄というと何かとやれ「バッドエンドしか書けない」等々アンチも多めであるが、実際彼の描いているものはどの作品でもそのキャラクターなりの正義であると私は思う。
例えば例をあげると
「魔法少女まどか☆マギカ」の暁美ほむらは、たとえ他者からみると歪んだ正義であったとしても、自分の中の鹿目まどかを助けるという正義に純粋なまでに準拠していた。

「Fate/Zero」の 主人公衛宮切継も聖杯を得るために至極残虐な行為を繰り返していたが彼の中の正義は多数を救う為に少数の犠牲は必要悪であるというものだった。

 では、この作品「PSYCHO-PASS -サイコパス-」で虚淵 玄が描いた正義は何であったか。この作品では多数の正義が存在している。他の2作品でも多数の正義が分立していたが
とくにこの「PSYCHO-PASS -サイコパス-」ではそれが顕著に現れている。
 一つ目の正義は常守朱監視官のものである。彼女の正義は少し特徴的な物であった。
それは犯罪者を犯罪者として捉え真っ当な処罰を下すというものである。一見これは普遍的でおかしな点はないと思うがここにはいくつかの問題がある。
それは常守朱自身は監視官であるという所だ。
つまりドミネーターを用い犯罪者かどうかを計測するこの社会において主観で犯罪者か否かの判断を下す彼女の方法は一般からはかなり逸脱したものなのである。
ドミネーターがひいてはシビュラシステムが発展・認知されるに至ったのはなぜか。
それは人間の価値を判断するのに他人の介在を排除していたからである。
そうであるのに常守朱はこのような判断で物事を行っていたのはやはりそれが彼女なりの正義であったからでろう。
 
二つ目は狡噛慎也の正義である。これは三つ目の槙島聖護の正義と実は似ている。しかし彼らの正義は全くの別物としても捉えることが出来る。
彼らにとっての正義とは自分そのものなのである。狡噛慎也にとっての正義から槙島聖護は外れていた存在で逆に槙島聖護にとっての正義に抵抗出来る唯一の存在が狡噛慎也あった。とただそれだけなのである。

 具体内容について

不満点としてよく書かれていたところに対して自分なりの解答を書こうと思う。

 「縢秀星の死について」
 そもそもなぜここに不満点を持ったのか分からないが、確かにこのシーンは演出的にもしかして縢秀星は死んでないんじゃないかと思わせるものだったというのには同意である。いっそドミネーターのリーサルエリミネーターで撃ったあと跡かたもなくなるカットを用意しておけばよかったんじゃないかとは思う。
また縢秀星の死が他の執行官・監察官にあまりにも軽薄かつ淡白に扱われていたのも気になる所。
例をあげると縢秀星が行方不明になった後の回で彼についてあまり触れられなかったところ。最終話で宜野座執行官が縢秀星の話をした際に常守が大した反応も示さなかったところである。
結局縢秀星の死はこの社会の隠匿主義を表すものでしかなかったのかなとおもうと少々残念ではある。
しかし虚淵 玄の描きたかったのは縢秀星の死の詳細であるとかそういった物ではなくシビュラに支配された社会において人一人の死は簡単に隠蔽され意味をなさないのだということだと考えるとそれほど不満を持つところではないと私個人は思う。
 
「最終的な問題解決」
 「シビュラぶち壊さないのかよ」とか「結局問題が解決されていないじゃないか」
等の意見。どちらもそれを行ったことで何が起きるかを何も考えていない発言であると私は思う。まず前者から、シビュラに依存した社会からシステムを
破壊したらそれを破壊したら、なにが起きるかは考えるまでもなく分かることである。
つまりそれは、私たちの社会から法律をなくすこととほぼ同義である。現に15話辺りの話でシビュラの網をくぐる方法が編み出されたときに人々は率先して普段と違う略奪・暴行などの犯罪を行った。あの行動は法律の抑圧から解放された人間のそれと全く同じであると思う。
もし私たちの社会でこれらの犯罪を行っても罪に問われないとなったならば同じことがおこると容易に想像ができる。シビュラを壊すとはこういうことなのである。
もしくはシビュラを壊し、法を敷くということも考えつくがこれも少し無理があると思う。
一度依存でき信頼できるシステムまして他人の介在が無くおこなわれるシステムが一般となった社会にもう一度法律を敷き、裁判など行ったところでそれらは確実に市民には受け入れられないだろう。
次に後者の発言の個人的な回答である。これはまあ確かに
そうなのかもしれない。しかし物語の最後のシーンにSIByL still continues...
と書いてあった通りなのである。人間が存在する限り犯罪は無くならない。
また確実な打開策・抜本的な改革が行われない限りシビュラシステムもシステムとして
働き続けるだろう。つまり人間はまた今回のような事件を繰り返すのである。
それを解決していないと言ってしまえば確かにそうなのかもしれない。だがそれは少し安直すぎるのでは無いかと、私は思う。

 「ラストとこれから」
 最終的に、というよりはこれから先どうなるのかという所だ。物語と言うのは描かれている所がラストなのではない。そこに存在する人間は確かに役目を終えるが未来がなくなるということとは決して同義ではない。
 狡噛慎也が次の槙島聖護となり、常守朱が次の狡噛慎也となり、物語が続いていくのではないかと、予想されているのが通説であるが私はこの考えには反対である。
それは常守朱の正義は狡噛慎也のものとは異なるものであるからである。
また狡噛慎也が第二の槙島聖護になるという考えも至極安直なものであると思う。
たしかにそう思わせる節は所々見受けられたが二人の正義は似て非なるものであるからそうはならない。これは宜野座執行官や常守朱監視官の言動等からも読みとれる。

 作画・劇伴等
正直作画はいまひとつ。おそらく総監督があまり作画に執着があるタイプではないのだろうと思う。しかし背景はすばらしい。劇伴もあと一歩。あまり良いと思わせるものは無かった。

 総評して思いのほかすばらしい作品だった。10話くらいまでは若干心配であったが
後半にかけての盛り上げのうまさは流石と言ったところ。だがあと2、3話かけて普通の
2クールアニメの尺でやってほしかったかな。征陸 智己の死亡シーンなど。
あとは実際六合塚 弥生というキャラクターは必要だったのかという点。
まぁ監察官・執行官全員のドラマを見るような話でもないので個人的にはそれほど気にかける点ではないと思っている。

投稿 : 2013/06/18
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