「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン(アニメ映画)」

総合得点
91.1
感想・評価
561
棚に入れた
2612
ランキング
39
★★★★★ 4.4 (561)
物語
4.3
作画
4.7
声優
4.4
音楽
4.3
キャラ
4.3

U-NEXTとは?(31日間無料トライアル)

ネタバレ

sunnyday さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

「終わらせる」という誠実さ

これだけの作品を完結させるには、それ相応の強い覚悟が必要であると思います。
しかしながら京都アニメーションは、狂気とも言えるほどの作品に対する誠実さをもって、時計の針を進めることを選びました。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、晴れて一人の女性の生涯を描き切った作品として、終わりきったのです。
探せばあらは見つかるでしょう。しかしそれ以上に、京都アニメーションの作品に対する愛情が痛いほどに伝わってきて、たまりませんでした。


<物語について>
・終わらせる誠実さ
本作の冒頭では、TV版10話に登場したアン・マグノリアの孫にあたるデイジーとその両親が登場します。彼らの会話によって、強制的に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という人物は過去へと押しやられます。それ以降も、デイジーの世界線での話が挿入され、その都度私はヴァイオレットが過去のものになったことを感じ、強い寂しさを覚えました。
「終わらせない」という選択も十分ありえたはずです。事実、原作小説の最終巻「ヴァイオレット・エヴァーガーデン エバー・アフター」では、{netabare}ヴァイオレットの生涯を途中までしか描写していません。具体的には、二人が愛を誓いあうところまでしか描かれていないのです。その後二人がどこでどのように暮らし、どのように死んでゆくのかは、読者の想像に委ねられています。{/netabare}
しかし本作では、ヴァイオレットがエカルテ島で生涯を送り、そして亡くなったということが揺るがない事実として観客に提示されます。
このことを何より強く伝えているのが、最終盤のカット、ヴァイオレットの描かれた切手です。この切手は私たちに、彼女の人生が終わりを告げ、そしてそれは人々に愛された素晴らしいものだったことを伝えてくれます。
それはたとえ彼女が亡くなった遠い未来だとしても、「してきたことは消えない」のです。

・無償の愛
本作はヴァイオレットが「あいしてる」の意味を探す物語でした。「あいしてる」は、決して一義的に定まるものではなく、様々なかたちが存在します。
ギリシア哲学では、愛は四つに分類されます。すなわち、ストルゲー(家族愛)、エロス(性愛)、フィリア(友愛)、そしてアガペー(神による愛)です。
本作ではこれらの要素全てが、意図的に描かれているように感じました。
ホッジンズはヴァイオレットに対して、半ば我が子のように接していました(ストルゲー)。また、ユリスとリュカは親友(フィリア)、ギルベルトとヴァイオレットは言うまでもなく男女の恋愛関係にあります(エロス)。
このように本作ではそれぞれ異なった「あいしてる」の形が示されていますが、私はこれ以外にもう一つ、大きな愛を感じざるを得ませんでした。それは、京都アニメーションの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に対する愛です。
例を挙げましょう。ヴァイオレットとギルベルトが結ばれた後、花火の打ち上がるシーンがとても長くあります。このシーンではキャラクターの声は無く、ただ劇伴のオーケストラが流れるだけです。この異様に長いシーンが何を示しているのか、人によって意見が分かれるところだと思います。
私は、このシーンはヴァイオレットとギルベルトが結ばれたことに対する、制作陣からの祝福だと感じました(少しメタっぽくなりますが)。
また、冒頭で映される「Sincerely」(心から)の文字は、手紙の結びに用いられるものです。本作を京都アニメーションから私たちへの手紙とするならば、彼らの「あいしてる」は私たちにも注がれていると言えます。
その愛は絶対的で揺るぎなく、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品を愛する人々にまで向けられているとさえ感じました。

<音楽・EDについて>
エンディングテーマを歌ったTRUEさんは、作詞家唐沢美穂として、素晴らしい仕事をなさったと思います。
「WILL」では、過ぎゆく時間の中で、愛する人と生きていくという強い意志を、「未来のひとへ」では過ぎ去った出来事に対する愛しさとこれからの未来への希望を力強く歌われました。

<その他>
・構造的な問題
{netabare}「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品には構造的な問題があります。それは、ヴァイオレットとギルベルトの関係性です。
ギルベルトは少女を戦争の道具として扱った上で、彼女に「あいしてる」と言います。この言葉は、後にヴァイオレット自身に呪いのようにつきまとうのですが、そんな呪いの言葉を別れの間際に放つギルベルトは歪んだ性格であると感じます。
そうした後に二人が結ばれるというのは、ご都合主義と言われても仕方がないのかもしれません。
しかし、本作ではギルベルトを「大馬鹿野郎」として醜く描くことで、ご都合主義と言われかねない二人の関係性をできる限り中和していました。{/netabare}
・人の生き死にを消費すること
{netabare}本作は、全編を通して「感動ポルノ」になりかねない危うい作品でもあります(実際にそういう批判もあったと思います)。戦争によって失われた心、身体を癒してゆく過程を、私たちは作品として消費しているのです(四肢を欠損しているキャラクターもいる)。この「居心地の悪さ」は、IGN Japanのレビューでも言及されています。これは作品の構造そのものの問題なので、劇場版においても根本的に解決されることはありませんでしたが、これに対しても制作陣は目を背けず、誠実に向き合っていたように思います。
本作ではユリスという男の子が亡くなりますが、彼が舞台装置としてではなく、尊厳ある一人の人間として描かれることに、制作陣は心血を注いでいるように感じました。彼がまさに命を落とすカットでは、ドア越しにカメラが左にパンすることで、彼の顔は描かれません。このカットから、制作陣の、彼の死に対する最大限の敬意が感じられました。{/netabare}


本作には、京都アニメーションの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に対する愛が狂おしいほど詰まっています。ですから、本作の演出を過剰だと思ってしまうことは、ある意味正しいのかもしれません。
ですが、彼らの作品に対する無償の愛は、私にとってそんな些末なことをかき消すほどに大きなものでした。
このような素敵なアニメーション作品を制作して下さった京都アニメーションに心から感謝したいです。

投稿 : 2021/02/11
閲覧 : 230
サンキュー:

17

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

sunnydayが他の作品に書いているレビューも読んでみよう

ページの先頭へ