「ひぐらしのなく頃に卒(TVアニメ動画)」

総合得点
68.3
感想・評価
299
棚に入れた
944
ランキング
2080
★★★★☆ 3.4 (299)
物語
3.0
作画
3.5
声優
3.7
音楽
3.5
キャラ
3.3

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ネタバレ

ひろたん さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

旧作の続編でもあり、旧作の否定でもあり、旧作の昇華でもある作品

旧作は、古手梨花が袋小路から抜け出し綺麗に完結したはずでした。
しかし、この新作は、それすらもカケラの1つにして、亡きものにしました。

前作「業」で黒幕だと明かされた北条沙都子。
旧作では、そんなそぶりがなかったので、今回、新たに起こした設定なのでしょう。
そのため、旧作にはその伏線がないため、後付け感が否めません。
しかし、少々強引な手段でしたが、それでもよく続編として繋げたなと思います。
梨花のループの外側にさらに沙都子のループがあったと言う設定には、感嘆です。

そして、この作品タイトルには、「卒」とついています。
「ひぐらしのなく頃に」シリーズから、文字通り綺麗に卒業もさせてくれる作品です。


■「永劫回帰」
{netabare}
この「ひぐらし」シリーズを観ていて思い浮かんだ言葉は、「永劫回帰」でした。
ニーチェの「ツァラトゥストラは如く語りき」で語られた言葉です。
この思想が非常にこの「ひぐらし」シリーズに当てはまると思ったのです。

永劫回帰とは、全てのことは永遠に同じことを同じように繰り返していることです。
まぁ、そこまでは、なんとなく分かるのですが、面白いのはこれからです。

その永遠の繰り返しの中で、苦痛も幸福も同じように繰り返されるのだそうです。
仮に苦痛が99%を占めていても1%の幸福があれば、再び1%の幸福が訪れます。
それを糧に生きることができるのではないかと言う、「生」を肯定する考え方です。

これは、梨花が繰り返される惨劇の中でそれでも生きようと思ったことと同じです。
再び1%の望みが訪れることを願って「生きた」のです。
{/netabare}


■「神は死んだ」
{netabare}
「ツァラトゥストラ」が語った言葉です。
この直接的な意味は、「キリスト教(神)の信仰は信ずるに値しない」だそうです。
その本意は、「絶対的な視点は存在しない」ということです。
かつてのヨーロッパの話です。
人々は、キリスト教信仰によりいかに生きるべきかという視点が固定されていました。
そんな人々に発想の転換を迫ったのがニーチェです。

これは、この物語の雛見沢の村人にそのまま当てはまります。
村人は、「オヤシロさま」と言う絶対的な固定観念に縛られていました。
「オヤシロさま」信仰により祟りを恐れ、閉鎖的に生きていたのです。
この固定観念を打ち破ろうとするのがこの物語の主軸になってしました。
{/netabare}


■「超人思想」
{netabare}
「超人」とは、「神の死」によって暗闇の中に陥った人間を救済する概念だそうです。
人間は弱い存在なので、自分の弱さをごまかすために宗教や哲学を考え出しました。
それらを克服して自分に誠実に、強い精神を持って積極的に生きる人間、
つまり、弱い人間の限界を"超えようとする人間"のことを示すのだそうです。

ニーチェは、「神は死んだ」でキリスト教によって構築された世界観を否定します。
そして、世界には何も意味がなく、虚構であるとしました。
それを知った上で限界を超えて、なおも積極的に生きよと訴えたのです。
つまり、神などいない、「自分たちで考え行動せよ、生きよ」と言うことです。


この物語の最終話、梨花と沙都子の繰り返す者のチカラは、そのままだと分かります。
二人は、今なお永劫回帰の中なのです。
それでも、そのなかに希望を見出し、その希望がある限り生きようと誓いあいました。

また、二人は、自分のことは、それぞれ自分自身で考えて答えを出しました。
梨花は進学、沙都子は雛見沢に残る決断をしたのです。
それは、自分で考え行動することこそ、「生きる」と言うことだったのです。

結果的には、旧作の物語もカケラの1つでした。
つまり、永劫回帰の1つにすぎなかったと言うことです。
そして、今回の「卒」の物語もそのカケラの1つにすぎないと二人は認識しています。
でも、二人はその中で「希望がある限り生き続ける」ことをお互いに宣言したのです。

「永劫回帰」を肯定し、それでも、その中で生きようと決心した結末。
私は、とても良かったと思います。
{/netabare}


■「また何かのなく頃に」
{netabare}
旧作では、1話目で「ひぐらしのなく頃に」と言うタイトルの所以に触れています。
それは、これから起こる惨劇の壮絶さを語っていました。

一方、新作では、タイトルの所以に触れる機会がありませんでした。
そのため、このタイトルの裏に隠れている怖さを実感できなかったかもしれません。

しかし、この作品の最後には、二人が「また何かのなく頃に」と語っています。
つまり、「ひぐらしのなく頃」自体もカケラの一つに過ぎなかったことにしたのです。
「永劫回帰」の中のいろいろな「頃」に、二人はまた出会い、そして生きるのです。
とても上手くまとめたなと、あらためて感嘆してしまいます。
{/netabare}


■まとめ

旧作に比べると新作「業/卒」は少しインパクトに欠けるなと思っていました。
しかし、永劫回帰と言う言葉が思い浮かんだとき、この物語の面白さに気づきました。

ニーチェと言えば、以前ブームがありました。
私はミーハー?なので、その当時、飛びついてみたものの・・・。
結局、私の理解力不足からか、あまりピンときませんでした。
今まで本を読んでも理解できないことは、他にもいろいろとありました。
でも、アニメを観ていると、そう言うことだったんだとふと分かることがあります。
もちろん、分かった気になっているだけかもしれないことは、否定できません。
この物語もニーチェの思想に近いと言うのは勘繰りすぎなのかもしれません。
しかし、この物語に非常に通ずるところがあり納得できる部分は多いと思いました。


この新作は、旧作の続編でありながら、旧作を否定したと感じてしまいます。
しかし、実は、否定ではなく、その旧作すらも包み込み昇華させた作品でした。

また、この新作には、賛否両論ありますが、私は、観るべきだと思います。
観終わると、いままでの惨劇は何だったのかなと思えるぐらい清々しいからです。
なんだか自分のなかで一区切りついた感覚になれるのです。
つまり、この作品は、最後にこのシリーズから綺麗に「卒業」させてくれるのです。

投稿 : 2022/09/28
閲覧 : 350
サンキュー:

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