「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX[スタンドアローン・コンプレックス](TVアニメ動画)」

総合得点
92.1
感想・評価
5048
棚に入れた
21453
ランキング
25
★★★★★ 4.3 (5048)
物語
4.4
作画
4.2
声優
4.2
音楽
4.3
キャラ
4.3

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ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1
物語 : 1.0 作画 : 3.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 2.0 状態:観終わった

ある意味、現代の象徴

2016.08.31追記

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

冒頭で主人公の口にするセリフだが、公安9課という国家テロ組織の現場指揮官にふさわしい独善的な言葉だ。
犯罪者に投げかけるレトリックではなく、本心からの言葉とすれば、友人付き合いはできそうにない。

とりあえず全編を通じて、国家テロ組織がどのように自己正当化しているのかは、はっきりとわかる。

近未来描写は独創的で、ストーリーにも破綻はなく良くまとまっているが、この主題性は推薦できる人を選ぶようだ。

主題とストーリーを切り離せる。
メカとアクションを眺めるだけで満足。
国家テロ組織に容疑をかけられる事態を思い浮かべることができないほど、想像力に欠けている。
冒頭のセリフを自分に向けられることなどありえないと確信できるほど、狭い世界で生きている。

このような方以外には、手放しで楽しむことは諦めるように勧めたい

【追記】
上記はこのTV版への感想で、映画版は全く別だ。
映画版の主人公は、冒頭のようなセリフが自身に投げつけられる可能性に自覚的である、という以上に強迫の念を振り払えない人物設定で、この意味ではTV版とは完全に別人格と言える。
映画版の方が観る人を選ばない。

【追記2】

主人公の人格について、もう少し真面目に記しておきたい。

登場人物がすべて成人ばかりであるためか大人っぽく見える「世界」だが、むしろ子供向けに創られているように感じられる。

多様な対立する政治性が闘争するように見えながら、登場する政治観は、原理的には「人々を羊の群れと看做し、秀でた指導者が、羊飼いのように善導する」という単一のものだけだ。
あれこれの事件や陰謀や駆け引きは、誰が「羊飼い」の座を占めるかという争いに過ぎない。
文字面から明らかなように「子羊-羊飼い」型の政治観は牧畜文化圏から発生しているが、他の文化圏には当然ながら異なる政治観が多様にある。
しかし、根本的に異なる政治観に挑戦される、真の意味での「政治性」はどこにもない。

大衆は豚だ、という言葉は初めて聞く中学生には強力な印象を与えるだろうが、成長するにつれて浅薄なものに感じられてくる。羊としての大衆という政治観も同じ事だ。
アクションを発生させる原動力として、「羊飼い」の座をめぐるゲームを生じさせるために、政治観は単純なもので十分であるとは言える。


主人公をこの単純な政治性に接近させるものは、「全身義体」という設定だ。

高度テクノロジーに支えられたメンテナンス・システム無しには、義体を維持できない。
外部システム無しに自身の「身体」を維持できない限界性が、メンテナンスの継続性を保証するための金銭上、制度上の特権を不可欠にし、羊飼い=支配層に接近しなければならない必然を生む。

映画版では、この必然性は、根深い「不安」として主人公の人格に影響している。
いや、アイデンティティの源泉である筈の自身の「身体」が外部システム無しに継続性を保てないという「不安」と、自身が取り換え可能な牧羊犬=羊飼いの「犬」であるしかないという、権力から廃棄される可能性への「不安」とが二重化され、むしろ強迫感として取りついているように見える。

この強迫感に脅かされる人格は、主人公が「子羊-羊飼い」政治観の「外部」へ抜け出そうとするストーリーに動機と説得力を与え、観客は素直に物語の中に入り込んで、最後まで映画を楽しむことができる。


一方TV版では、「羊飼い=支配層」と飼い「犬」という距離感は生じていない。
個々の「羊飼い」との関係性ではなく、「子羊-羊飼い」政治観の内面化として、主人公と支配層は一体化している。

「子羊を導く羊飼い」の論理は、自身の「信念」のごときものとして、TV版主人公には完全に内面化されているようだ。
内面的に一体化している結果、椅子取りゲームの力学に対する「用心」はあるものの、根源的な「不安」は生じようがない。

冒頭に記した、犯罪者に浴びせる国家テロ組織の現場指揮官のセリフは、まさしく「犬」が飼い主と精神的に同一化していなければ出てこない代物で、事件の節目節目で「子羊」への情報を遮断して状況を全面的にコントロールする権限を渇望する描写と共に、自分が「善導する羊飼い」と一体化している事を疑わない人格を与えられていると示している。

「犬」としての職業倫理に支えられたプロフェッショナルという人格造形はハードボイルド・アクションにはありがちだが、それも「犬」と「飼い主」の距離感の自覚があってこそリアリティへと昇華するものだろう。(映画版が好例だ)
「身体」の継続性という「鎖」を握られていながら、「鎖」を生じさせる飼い主=「羊飼い」の論理を自己倫理として内面化して同一化する人格は、強迫に脅かされることが無いという点では「健全」かもしれないが、反面ではある種の狂信者のようにも感じられる。
今となっては、現代を象徴しているように思わせる部分だ。

この、人格に埋め込まれた視野狭窄的な「狂信性」が、広い視野からクール且つクレバーに状況を解決しているように見せかけようとするアクション描写と違和をなして、ストーリーに没入することを妨げてしまうようだ。

投稿 : 2016/08/31
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サンキュー:

8

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