「バケモノの子(アニメ映画)」

総合得点
70.3
感想・評価
637
棚に入れた
4204
ランキング
1551
★★★★☆ 3.8 (637)
物語
3.8
作画
4.1
声優
3.6
音楽
3.7
キャラ
3.8

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古川憂 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

リアルとファンタジーの正面衝突

『おおかみこどもの雨と雪』に引き続き、細田守は人間と獣の交流を描いた。前作が「人間の母親が獣の子供の育児に携わる」という設定であったことを考慮すると、本作は正反対に、「獣の父親が人間の子供の育児に携わる」という設定を組み上げたことはなかなか興味深い。前作では育児の苦しみと喜びを中心軸に据えたのに対し、本作では子供の成長を見つめる親の視点、あくまで一歩引いた視点から物語が構成されている。こういった作家性の変化をもたらした最たる原因は、やはり細田監督自身が二児の父親になったという事実が大部分を占めるだろう。
 個人的な見解としては、細田監督はアニメーターとしては一線級の実力を持つものの、脚本家としては二流に過ぎないと感じている。
 本作の主人公である蓮は交通事故で母親を喪ったショックから渋谷の街を放浪し、獣の世界『渋天街』の住民に拾われ、その後に養われることとなる。人間世界の主人公がひょんなきっかけで異世界に迷い込む筋書きは宮崎駿監督作品を彷彿とさせたりもするが、宮崎監督と細田監督の間には、作家性のレベル単位で確固たる隔たりがある。宮崎監督作品が現実世界と虚構世界の境界線を薄く引いているのに対し、細田監督作品ではその二世界の間に酷く堅牢で強固な壁を築いている。本作後半部において蓮は渋谷の街への期間を果たすが、そこで彼が立ち会う問題は「言語の不理解」「学歴」「戸籍と住民票」と、酷く現実性の濃いワード軍である。ここで彼は現実世界の父親と虚構世界の父親と、二人の存在の狭間で揺らぐことになる。この時点で、物語の原点に立ち返りたい。――「母親はどうした?」 そう。そもそも、本作の始まりは母親の喪失である。にもかかわらず、物語が求めるのは父親の在り処。ドラマツルギーとしての大きな矛盾がここに存在するように見えるのだ。
 結論から言わせてもらう。細田監督は恐らく、自分の子供に「父親のすばらしさ」を見せたいがためにこの映画を作ったのではないか。そのために、心の中の母親の不在を埋める存在を、ふたりの父親に据えた。本作のインタビューにて監督は、「父親と言うものを考えたとき、子供にとっては父親以外の周りの存在も成長段階において大きくかかわってくる」というようなことを語っている。確かに、「父親と言う面を考えたとき」には「周りの存在」も大事である。しかし、子供にとって、父親と母親に割り振られた役目は違うもので、片方が欠ければ、もう一方がその役割を補うことは出来ない。その点は、作品のテーマとして親子を語るなら、無視できないはずである。しかし、監督は母親の不在という重要な問題を最後まで無視して話を畳む。これは、自分が二児の父親に成れた嬉しさが、作家としての表現義務を上回った証左である。
 そして、本稿の表題ともなっているリアルとファンタジーの衝突に話を移す。監督は、自身の『ポスト宮崎駿』という評価のされかたを良しとしていない。曰く、「宮崎駿らしい作品なら、宮崎駿が作ればいい」とのこと。実際、宮崎監督との共通項と言えば、精々リアルとファンタジーの二世界を描くことぐらいで(しかも、そもそも動物的なファンタジー性を持ち込んでいるのは近作二作品のみ)、描き方には真向に対立する指向性がある。細田監督作品は、「リアルとファンタジーを混ぜ合わせない」のだ。そして、その作家性が生み出した作品は、結果的に「妊娠」「児童相談所」「警察」など、現実味の濃すぎるワードが多数登場する、グロテスクなファンタジーとなる。
 彼の作品には特有の勢いがあり、映像面でのエンタテイメント性にも強烈なものがある。万人に高く評価される、現代の一線を走るアニメーション映画監督であることは否定の使用が無い。ただし、断じて彼は宮崎駿の魂を継ぐものではないと、それだけは明言しておきたい。

投稿 : 2016/05/08
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サンキュー:

5

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