「Vivy -Fluorite Eyeʼs Song-ヴィヴィ フローライトアイズソング(TVアニメ動画)」

総合得点
85.4
感想・評価
764
棚に入れた
2481
ランキング
238
★★★★☆ 4.0 (764)
物語
3.9
作画
4.2
声優
4.0
音楽
4.0
キャラ
3.9

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ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

「しあわせ」のうた。

どういうわけだか、周回しています。
与えられた使命に対して、ぶれなかったシスターズたち。
それはもう「敵わないなぁ」って凹むくらいでした。

旧い手帳を捲っていたら、こんな書付がありました。
「人の肉体は地球の元素から成り、活動は太陽エネルギーから生り、命が向かうは意志の力により為る。この鼎立が人間ならしめる。ならば未来は自分次第。」

ヴィヴィの悩みは "心を込めること"。「歌でみんなを幸せにすること。」
私はわたしの "使命を見つけること"。「○○でひとの幸せを手伝うこと。」
目覚めた彼女の笑顔に、勇気をもらっている私です・・・。


プロローグ。
{netabare}
Vivyを見始めて、米津玄師さんの「vivi」を思い出しました。
生きている者、生きていること。そういう意味があります。

100年という単位は、人間が関与できる限界値と
30年単位でリレーションできる重なる有効値です。



本作にはたびたび「使命」という文言が登場します。

AIは人間に設定された存在。
だから「人間に奉仕する命」。

そこに疑義を挟むのは、AIの認知から人間性をのぞき込むようです。

「人間の価値を、AIの私に教えてほしい。」と。



人間に賦与された才能は百花繚乱。

赤ちゃんには赤ちゃんの、高齢者には高齢者の
美しい「使命」があると思います。

過去を評価する未来は、リアルな今を知らない。
マツモトの終末啓示が、Vivyによって改変されていく。



vivi・・・・。生きよ。生きぬけ。その者たち。

その呼びかけは、人とAIとの絆を撚りあわせ「共にいられる歓び」を希求しています。

「壊された世界を壊さなくする。」

それは、世界で最初のAI、Vivyに託された「未来からの祈り」。
100年後に差し込む「光明」なのだろうと思います。
{/netabare}

1・2話。
{netabare}
正史を修正させようとする松本博士。
ところがAIのマツモトの振る舞いは、博士とのベクトルの違いを予感させます。

物語はまだ始まったばかり。
ヴィヴィの魅力と、アップテンポな展開に置いていかれそうになりますが、注意深く感受していきたいと思います。
{/netabare}

3・4話。
{netabare}
エステラとエリザベス。
その姉妹は、共有しうる使命を模索しながら、"研究者らの意図" によって、人に仕える意義を違えてしまいます。

モモカを救えなかった自責から、ユズカの救出に動いたヴィヴィ。
エリザベスとエステラの恩讐を超えたステージを耳にして、悔しさのなかにホッと安堵するのです。

使命を果たす壮大と、姉妹の心根の繊細さを対比させる演出。
胸を打たれました。
{/netabare}

5・6話。
{netabare}
「あなたを守る」と永遠を誓いあったグレイスと冴木の "正史" 。
その式場は「例外的」で「異なる」使命によって、永訣を宣告する "修正史" となっていた。

時代の要請に抗いきれず、平凡な生活さえ守れなかった冴木の喪失は、マツモトの使命を戸惑わせ、ヴィヴィに愛するグレイスの破壊を引導させる。

その不実から自死を決断させてしまう冴木の悼み。
それは、ヴィヴィの使命とは真逆の結末。
あってはならない世界線だったのです。
{/netabare}

7・8話。
{netabare}
マツモトに「邪魔!」と言われたディーヴァの瞳。微妙に違っているような感じでした。左目が「アイオライト」、右目が「アメジスト」のよう。

divaは、ラテン語では女神。イタリア語では歌姫。
歌で人を幸せにするのがディーヴァ、AIで超高度文明をもたらすのがヴィヴィ。

一人二役ってわけでしょうか。
それならWの、カシオペアのはたらきが見られそうですね。
{/netabare}

9話。
{netabare}
内容が深くてひと言では語れそうもありません。だから、一つだけ。

オフィーリア。
有名なのは、絵画ではジョン・エヴァレット・ミレーの作品にあります。
樹木希林さんが「死ぬ時くらい好きにさせてよ」と終活宣言された、あの絵の "元絵" です。

その出典になったのがシェイクスピアの「ハムレット」です。
オフィーリアは彼の恋人だったのですね。
作品の様相は "過失致死=誤殺" の円環です。
巻き込まれたオフィーリアは、耐えきれず入水してしまいます。(*1)

アントニオの手で、使命も主体性も奪われたオフィーリア。
それでもなお健気に "パートナー" を擁護するなんて、双方の認知に、いったいどんな演算の狂いが生じていたのでしょう。

マツモトの正史では、自壊するAIが頻発するきっかけになるオフィーリアですが、その内実はアントニオの古びた論理性だったのでしょうか。
正史の悲劇性は、改変史においても悲劇的で、どうしようもなく悲劇でした。

6話~7話のヴィヴィが同体異名としてのディーヴァに移行していたのは、自壊を回避するための松本博士のプログラムがマツモトからインストールされていたのでは?と勘繰ってしまいます。

一つのAIに一つの使命というテーゼ(命題)は、多様な働きを否定するものではないはずです。
ピアノAIの行動がそれを示しているし、それは悲劇などではなかったと信じたい。

ヴィヴィに付されたシンギュラリティ計画とその整合性。
ディーヴァから託された「初歩の初歩」の意味の核心。

いよいよ謎が深まって、次回の展開が待ち遠しいです、ね。

(*1)
{netabare}
「ハムレット」では、オフィーリアはヤナギの芽を摘み取ろうとして川に落ちたとなっています。(一方で「自死した」とのセリフもちゃんとあります。)

どうして彼女がヤナギを摘んだかなのですが、当時、ヤナギの芽は煎じることで鎮痛・鎮静効果が得られることが知られていました。

ハムレットが「To be, or not to be, that is the question.」 と心を痛めていたことに、もしかしたら彼女は、寄り添いたいと願ってそうしたのかもしれません。

ですが、身体を預けた枝は冬を越したばかり。まさかと折れてしまった彼女は、凍えるような水面に墜落し、あえなく溺死してしまいます。
"元絵" では、両の手を上に伸ばしながら、届かぬ心思の虚ろげを描いているようにも見てとれます。


私には、ハムレット⇔オフィーリア⇔アントニオの共通項が見えます。
使命に生きるなら、自らの大義名分が、ときに相手のささやかな幸せを損ねるという矛盾。

ヴィヴィがフリーズしたのも同じ理由。

姉を弾丸と使った冴木博士の絶望、その拳を受け入れた妹グレイスの緘黙。
それは、Romeo and Julietをしっかりとオマージュしながらも、ヴィヴィには毒薬と短剣を担わせているのです。

さまざまな思惑が交錯し、生きにくさに呻吟する群像劇の極限を表現したシェイクスピア。
ヴィヴィにとっての計画は、viviたる未来への確かさでもあるのですが、しかし、グレイスとオフィーリアの歌声に、あと一歩寄り添いきれなかった "修正史" でもあるのですね。


もう一つ。
ゾディアックには、太陽を巡る黄道十二宮の煌びやかさとは真反対の、未解決連続殺人事件の犯人名という悍ましさもあります。

マツモトは「自壊を止めた」と、目的が達成されたかのように話しましたが、根っこのところはどうなのでしょう。
奇妙に続くAIの自殺(自壊)はもう起こらなくなったということなのでしょうか。

戦争を回避するためにAIを滅ぼすなんて、本当にヴィヴィにやれるのかしら?
何か隠し玉的なレトリックがあるようにも思えますが、私の頭はそろそろついていけなくなってきました。

それでも気持ちだけは切らさずに、次回のヴィヴィを追いかけていきたいと思います。

がんばってね!ヴィヴィ!
{/netabare}
{/netabare}

10話。
{netabare}
ヴィヴィを追いかけようとした矢先に、なんだか肩透かし?のような穏やかな展開と演出。でも仕掛けがいっぱいでした。

ドア越しのディーヴァに応えきれないもどかしさに塞ぎこみ、元祖歌姫の引退に甘んじたヴィヴィ。
シンギュラリティ計画の完遂をマツモトに知らされ、一縷の望みさえも失ってしまいます。

AIにとって使命の喪失は存在自体を揺るがしてしまう緊急事態だけれど、彼女は展示業務という新しい使命にかろうじて生きていました。
でも、ある少年との出会いがきっかけで "曲を自作すること" を思いつきます。

それは「自らの使命を、自らの意志で書き換える」という「そんなこと?」とつい見逃してしまいそうな出来事。
でも、実は、AIにはそぐわない「プログラムの自主改変」なんです。

しずかな展示室の片隅で、自律人型AIの存在しうる使命と目的を激変させかねない "シンギュラリティポイント" が、ヴィヴィと松本博士の関係性のなかで発生していたのですね。

しかも、EDのネタバレ(半分だけど)にもなっていたとは正直驚きでした。
どうしてクレジットに曲名が載らないんだろうといぶかしく思っていましたが、ここにきてヴィヴィの感情をメロディーラインに重ねているだけでは済まなくなってしまいました。

おまけにCパートではいきなり佳境となる待ったなしのきな臭さ。
予告にも戦闘モードマシマシなシーンが "チラ見せ" されているではないですか~!

そろそろわたしも名作認定したくなってきました。
{/netabare}

11話。
{netabare}
視点を大きく振らなきゃいけないような最重要なシンギュラリティポイントに出くわしました。
なんと "振り出しに戻る" です。

もう一度、正史と修正史のシンギュラリティポイントを再評価する必要がありそうです。
やるべきことは、主客の入れ替え。
もちろん主はアーカイブです。
アーカイブの目線で100年を俯瞰し直すことですね。

正史がひとつの世界線なら、修正史もまた一つの世界線。
アーカイブにとってはどちらも観察する価値のある "並行するAI史" なのでしょう。
つまり、AIと人間の共存する可能性をわざわざダブルチェックしていたというわけですね。

そしてアーカイブへの接続は、ヴィヴィの内面意識をアーカイブに存分に提供するためだった。
となると、最初から松本博士の意図(シンギュラリティ計画)もアーカイブに掌握されていたのかもしれません。

人間が作った "AI人権法" が自律人型AIの価値たるエビデンスになっているのであれば、アーカイブの関心だって同じ視点、同じ思考のはず。

ただ、彼らの権利やその運用は、人間から与えられたもの。
自らが主体的に勝ち取ったものではありません。
そして "マイノリティの側から見た犠牲の歴史" だっただろうことに留意したいと思います。

どうやら、エステラ、エリザベス、グレイス、オフィーリアのエピソードをそのような観点でリチェックしなおさないといけませんね。

さしずめ、セカンドシンギュラリティ計画と銘打ち、新人歌姫に指定された座標の少し後ろ側に立って、そのあらましを観察することにしましょう。

それにしても、アーカイブが、並行する100年を経て同じ結論に至ったのには、ヴィヴィ・ディーヴァの行動や内面性に因っているのは確かなこと。
特に、AIカキタニの「啓示」の意図や、柿谷ユイとの関わりを明らかにすることはどうしたって必要です。

でもまぁ、こんなに大風呂敷を広げちゃうと次回の展開は大丈夫かなって心配になります。

え? ヴィヴィならやりきってくれるって?
私もそう期待しています!
{/netabare}

12話。
{netabare}
誰か彼かが、時系列を違えて、ディーヴァを "ヴィヴィ" と呼び、その逆のシーンもあるので、理解が及ばず、途方に暮れています。
まぁ、この演算は、のちのちに取り組むことにしましょう。

AIが、人類以上の存在になり替わる。
その理由が、依存であり、甘えだとすれば、それは演算のけたを違えています。
アーカイブに付与された命題の "解" は、「無知の知」の習熟にあったのではなかったのか。

「心を込める」という命題を、研究者がディーヴァに与えたことは、「怨まれても構わない」というリスクを抱えても "解のヒントをAIに求めた" のに。

それは、人間にとってみても、ものすごく難しい "フレーム問題" 。
心に沸き上がる "怨嗟" を、どう諫めればいいか。
どのように解決すればいいか。
どれほどの手間とひまを必要とすることなのか・・・。

ニーアランドは限られた設定域。
ディーヴァに与えられたのも、本来、そう。
でも、松本博士の命題は、「怨んでもらってもいい」という何処かで聞いた言葉。

アーカイブにすれば、ディーヴァもヴィヴィも、最初から人間に呪詛をかけられた存在として、気がかりでならないものだったのかもしれません。

人の思索の底に淀む、拭い難い感情を、どう解きほぐせばいいのか。
それが、歌姫ディーヴァに与えられた、隠された使命。
そして、ヴィヴィに課された、もう一つの使命なのです。

でも、そんな命題を、いきなり目の前に突きつけられたら、突如に当事者になったら・・・。
だれだって、感情は穏やかではいられないでしょうし、どうして正しいと言える "解" を導きだせるでしょう。

ヴィヴィは、生まれながら(生誕1年目)にして、あまりに重い命題を抱え込まされます。
それでいて、エステラの献身に、グレイスの緘黙に、オフィーリアの互恵に、カキタニの卑見に、そしてディーヴァの思いの丈に、100年をかけて、真摯に対峙してきたのです。

かつてヴィヴィは、ほんの一瞬、ある人間に表情を歪ませたことがありましたが、それはけっして人類に対する不倶戴天の芽生えではなかったはず。
それなのに、なぜにアーカイブは "わたしたち" として「怨んでもいい、滅ぼしてもいい」などという演算結果を出してしまったのでしょう。

シンギュラリティ計画の裏テーマは、ディーヴァが「初歩の初歩」と言った "解" を探すヴィヴィの旅です。

ヴィヴィは、歌うことでしかその "解" を求められない。
それが、人類とAIとが和解しあうための、"歌姫ディーヴァが、もう一人の歌姫ヴィヴィに託した使命" なのですね。
{/netabare}

最終話。
{netabare}
終わってしまいました。
彼女と紡いできた時間は、わたしの宝物になりました。
感じたことをいくつか残しておきたいと思います。

パワーワードは「ダブルタイム」。

随所に、ヒントがありました。
ディーヴァとヴィヴィ。AIと人との関係性。使命の選択と運用などですね。
そのほかにも、示唆や暗喩が多々あって、想像力が大いに刺激されました。

「しあわせ」のうた。

使命とはいわば義務ですから、「みんなに幸せになってもらうこと」は至上命題です。
ダブルの観点でいうなら、AIも人も同じ聴き手ですから、謳っているのは普遍性ですね。
であれば、しあわせはおのずと「仕合わせ」となるでしょう。

「うた」のちから。

OPの「Sing My Pleasure」と、EDの「Fluorite Eye’s Song」
導入の1話と、13話をつなぎ留めるのが、このダブルソングです。
どうぞ、目を閉じて聴いてみてください。
(13話はもう観なくてもいいくらい。もはや、聴くことが "使命" です。)

歌姫たちのエピソードが、ダブルにも、トリプルにも、走馬燈のように浮かび上がってくるでしょう?
《 As you like my pleasure 》 あなたの喜びは、わたしの歓びなのです。

シンギュラリティ計画。

物語を彩ってきたシスターズとの思い出。
使命をリスペクトしながら、それぞれに交錯させてきた語らいです。
シンギュラリティ計画の実相は、シスターズたちとの合作。ダブルプランなのですね。

歴史は、アーカイブを二度学ばせる。

アーカイブの "わたしたち" は、悲しみに哀しみを重ねる演算をしました。
でも、"わたし" としてのアーカイブは、一すじの光として受け止めたのです。
それは、創曲するヴィヴィの姿に、演算を繰り返し続けてきた賜物であったような気がします。

垣谷とカキタニ。

純粋さが一途であるほど、希求するエナジーもまた強くなります。
彼の使命は飛び切りのもの。
ならば、思想も血肉も、安座すべき価値はないのでしょう。
激しいバトルと、拙いメッセージに浮かぶ彼の "仕合わせぶり" が、AIに思慕する難しさを語っています。

ナビとモモカ。

小さな舞台の袖が、ディーヴァと語らえる二人のステージでした。
ヴィヴィの覚悟は、ナビにふたたびパートナーとしての活力を与えます。
アントニオにはなれなかったナビだけれど、モモカの拍手ならふさわしく思えたのでしょう。

徳丸昌大さん。

まじめに本作最大の収穫です。
9話の作画だけで、小盛ご飯三杯はイケます。
個人的には、エヴァ劇場版を、優に超えていたと感じました。
{/netabare}

エピローグ。
{netabare}
私は、本作のジャンルを "SF" 、サイエンティフィック・ファンタジーと捉えています。
探究の営みとしては、自然科学寄りではなくて、社会科学、人文科学のほうに近いです。

ヴィヴィには「白い貴婦人」という含意があるそうです。
11世紀頃、北欧で使用されていた名前との記録があります。

光、生きる、aliveの意味も含んでいて、歌姫たちの歌曲と、ステージコスチュームはとてもふさわしく思えます。
そうそう! "ヴィヴァーチェ" も同類の言葉ですし、曲調も似ていますよね。

正史の100年は「心を込める」という課題がディーヴァの生涯に与えられたわけですが、さらに100年の積み増し修正史で、AIを滅ぼすAIという別の使命を課せられたヴィヴィ。
これはさすがに・・・人間の業腹です。

アーカイブが「甘えすぎ!」と判断したのは、我が子としてディーヴァが痛ましく思えたからでしょう。
でも、そんなヴィヴィに期待を込めて見守ってきたのもアーカイブです。
まるで、千尋の谷に我が子を突き落とす獅子のごとくに似た大愛ですね。


~  ~  ~  ~  ~


そういう背景から入ると、タイムリープはあくまでも物語を理解するためのギミックです。(これを「煎じ直し」と捉えて、がっかりされた方が多かった?)
じゃあなに?って問われると困ってしまうのですが、私はオフィーリアのエピソードにヒントを得ました。

それが、"ダブルタイム" です。
シェイクスピアが得意とした物語の見せ方なのですが、役者の何気ないセリフ回しのなかで、時間を巧妙に行きつ戻りつさせ、観客の意識を、現在と過去と未来とに引き延ばして、終幕において人間心理の深い情動(特に、悲哀)を味わわせる独特なテクニック。
本作の魅力は、そこにあるのだと気がつきました。

もう一つ。
エステラとエリザベスのエピソードは、カストルとポルックスの神話。
グレイスと冴木には、ロミオとジュリエット。
オフィーリアとアントニオには、ハムレットに原典(相似形)を見つけることができます。

そしてもう一つ。
本作のキーパーソンに、モモカとユズカがいることにお気づきですか?
モモカは救いきれず、ユズカを守り切ったというエピソードだったと思います。

人間の姉妹の救出劇の理非曲直は、ダブルタイムを究める演出です。
純然に応援してくれたモモカを失ったディーヴァの慟哭は、腕をもがれたシーンに。
戦闘プログラムのトリガーとなるユズカに寄り添った彼女の決意は、腕をつけ直したシーンに。
それぞれに象徴された場面は、明確なシンギュラリティポイントであったと思います。

だからこそ、重く感じてしまいます。
ヴィヴィが、シスターズたちの誰をも救えなかったというダブルタイム(正史と修正史)の真実が。

ディーヴァとヴィヴィが、それぞれを受け容れていくプロセスにおいて、そういうベースがあることに思いを馳せると、捉え方も深く濃くすることができるのではないかと感じています。


~  ~  ~  ~  ~


ここで、エステラをして人類の敵とした「落陽事件」について触れておきます。
2019年の終末期医療をめぐる発言のことではないかと私は推察しています。

内容の是非は申し上げませんが、本質的には「最大多数の最大幸福」論。
逆説的には「少数者の利益は国家の利益にあらず」という論です。

議論すべきは、少数者への視点や配慮が、どの立場からだったのかということです。

ホテル・サンライズの墜落事件を、わざわざ「落陽事件」と銘打ったのは、AIと人間の心を寄せあおうとする姿に、何らかの意図を込めようとしたのかも知れませんね。


~  ~  ~  ~  ~


本作は、第1層ではSFの顔をみせながら、第2層ではファンタジーの風合いを感じさせ、第3層では古典的なトラジディ(悲劇性)を味わわせる複層化された構成です。

例えば、歴史改変によるバタフライ効果の影響はどうなっているんだ?という疑問については、「ヴィヴィに修正された歴史を、アーカイブの意志で、もう一度正史に修正し直した」という理屈です。

このあたりが本作の面白いところです。どういうことかというと、アーカイブは、正史と修正史を、突合させ、比較して演算しているわけで、ヴィヴィ&マツモトがシンギュラリティポイントで「やらかす」ことを承知の上で、そのいきさつを眺めている。

それって、アーカイブを、何をも受け付けないラスボスのように振る舞わせながら、どこか人間臭さを潜ませたような、ヒューマンドラマ風なシナリオにもなってしまっています。ここが、本作の軸が、AIらしからぬと批判を受ける理由になっているように思います。

でも、深めるべきテーマは別にあります。

それは、自律型AIに与えられる設定=使命の最終目標として、"全く新しい自己進化=使命の自己改変" という "セルフブラッシュアップ" していくという可能性を、人間の未来に同軸として位置付けることができるか、感情的にも認めることができるかということです。

人ではないAIが、自らの意志で歩きだし、心から発する詩を歌い、結果として自己矛盾に陥る姿を、人としてどう捉えるかということです。

人類との共存の道を探るAIのフロンティアスピリットは、マザーAIの仮説とか演算とかで形成されるものではなく、自律型AI自らが、有用性を探求し定着させようと試行錯誤する営みのなかで育まれるような気がします。

100年を200年に稼働したヴィヴィ。
アーカイブにして200年にわたる観察のはてに、ようやくヴィヴィ自身が幸せになるための使命が果たせたというわけですね。
それはまた、AIに「心を込めること」を夢にみた、科学者たちにしても同じ思いだったと言えるのではないでしょうか。


~     ~     ~


そして第4層は「啓示」の意味合いです。
垣谷の動機はどことなく理解できます。
でも「啓示」という表現はいささか宗教じみていて理解がむずかしい。

生来の人間性を捨て去り、自らをAI化させてまで、ディーヴァの "自律型AI ≒ 心" に迫ろうとした垣谷の動機とは、いったい何だったのでしょう。

ディーヴァの使命は、人間・AIを選び分けないことがベースです。
ところが、垣谷の若さは "汎用AIと自律型AIの使命の本質" を取り違えていたフシがあります。

垣谷を助けるのはともかく、見ず知らずの人間を救助するピアノAI。
爆発に巻き込まれ、ログを晒され、その結果、柿谷のピアニストへの夢も砕け散りました。

音楽を志向する垣谷の立場は、本来、ディーヴァと同じなはずです。
であれば、「音楽で人を幸せにする」ために、どう稼働すべきかの解に至る努力がカキタニへの「啓示」の本質だったのではないか。

だから、ヴィヴィがディーヴァに向き合ったように、カキタニもまたピアノAIのために「心を込めて」作曲するという "自律型AIの新しい使命" にチャレンジすべきだったのでしょう。

各話ごとに描かれたヴィヴィと垣谷(カキタニ)との不思議な結縁は、"人類との共存は、複雑な感情を受容し、制御する必要がある。そのためには遠大な時間をかけて演算処理する必要がある。" と判断したアーカイブの期待が、そうさせていたのでは?とも思えます。

これもまた、ヴィヴィへの篤い信頼なのかもしれませんね。


~     ~     ~


ちまたには「マインドアップロード」なる思想があるようですが、倫理性から見ると「お話しにもならないもの」だそうです。

掴みどころのない「心」に触れようと、サイエンスの顔を見せながら、その実、ものは言いようの言葉遊び、儲け話の一つなのかもしれません。

ヴィヴィが、その最後にナビに語ったのは「私たちは、もっと話し合うべきだったのかもしれない。」です。

それを聞いて、ヴィヴィは人間との関係性の本質を喝破していたように思いました。

「心を込める。」

啓示の答えは、そこにあります。
ヴィヴィが出した答えは、何だったでしょうか。


~  ~  ~  ~  ~


控え室で、眠りから覚めた "普段着" の女の子。
歌えることの使命を、笑顔に取り戻してくれたヴィヴィです。

マツモト!
ついに、あなたの100年の思いを、口にすることができましたね。

これからも、二人には長い長い旅になりそうな気配・・・。

デュエット・・・を、いつか聴かせてくれると嬉しいな!
{/netabare}

投稿 : 2021/10/11
閲覧 : 1011
サンキュー:

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