「Vivy -Fluorite Eyeʼs Song-ヴィヴィ フローライトアイズソング(TVアニメ動画)」

総合得点
85.4
感想・評価
765
棚に入れた
2481
ランキング
237
★★★★☆ 4.0 (765)
物語
3.9
作画
4.2
声優
4.0
音楽
4.0
キャラ
3.9

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ネタバレ

鰺鱒 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 3.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:今観てる

個人的な相性の問題と不信感、かな。

作画面、上質
物語面、びみょ
個人的相性、最悪
 という感じ。

作者・作品に対する不信と、過去改変ものに対する僕の無理解(理解困難)とで正直あまり楽しめませんでした。

物語:くっそ長くなるので本体は後述。
作者、制作者に問いたい。{netabare}「心を込めて作品を作るってどういうこと?」という問いに、言語で回答できるんですか?出来てしまう程度のものですか?心を込められた、と客観的に評価可能なものですか?13話のアレはその答えになっているんですか?Vivyはそれを「思い出」といいました。彼女のそれは記憶ですか?それとも記録ですか?そもそも彼女たちAIっていったいなんなんですか?

ふぅ。

全体として正直なところ好感は持っていません。個人的な好き嫌いの問題だと思いますが、この方の作品って死が軽く感じられてしまい、好きになれません。死、存在の消失以外の手段を持たないのだろうか。。。と。
{/netabare}

作画:{netabare}キャラデザはかなり好きな部類。

静止画として上、動画としても概ね上、かな。戦闘シーンは確かに良かった。視覚体験という点で結構満足できるシーンがそれなりにあって、それを楽しみに通して見られたと思う。その意味で終盤はちょっと物足りなかったかな。

時折挟まれる絵画調のカットは、良くもあり悪くもありといったところです。静止画としての美麗さは素晴らしいのですが、演出面・物語の展開に寄与していたかどうかと考えると。。。成功率50%ってところじゃないでしょうか。vivyの内面描写として捉えると、一貫性が見えなかった。{/netabare}

声優:素晴らしいの一言。

キャラ: {netabare}いやーよく死んだなぁ。死んだ人物の使い方がえぐいな-、嫌いだなー。{/netabare}


音楽: {netabare}これがなぁ・・・・テイストがあわなかったというか、やはり作品に対する不信が影響したのか、あまり印象に残っていません。悪いとは思わないのですが、後述するモヤモヤに邪魔されてしまい、入ってこなかったんだと思います。

次回予告や「正史」を語るシーンで流れる音楽が。。。Ace Combat過ぎて笑ってしまいました。{/netabare}

思うこと:
・作品・作者に対する不信
・僕は時間遡行ものを理解できない

屁理屈捏ね太郎につきあってやっても良いぜ、な方だけおつきあいいただければと思います。
{netabare}

============
作品に対する不信:言葉を身勝手にいじる物書きは信用できない。
Artificial Inteligence(人工知能) だとは一言も言ってねぇ・・・って言われそうで嫌な感じがします。{netabare}

これ、ガルパン鈴木氏がよくいう「ここが地球だとは一言も言ってねぇ」「この世界の重力が1Gだとは言ってねぇ」ってやつが基にあります。脚本の方は鈴木氏と共作もされていて、その作品でも鈴木氏が「・・・・とは言ってない」発言をされていたのが凄く気になっています。ええ、シグルリのことです。

さて、本作のAIって、何の略か、あるいはそもそも何かの略語なのかどうかも定かではありません。なぜ作中の人型、非人型の彼ら彼女らの総称が「AI」なのか、ちゃんと説明ありましたでしょうか。既に世に知られている言葉を明示的な定義も断りもなしにそれっぽく使っておいて「・・とはひとこともいってねぇ」ではぐらかされそうでいただけません。結局、作中のAIって何なんですか?人工知能でいいのですか?ロボット、アンドロイドとどう違うのですか?違うからわざわざ別の名称にしたはずですよね?では、その由来は?諸々ちゃんと示せ(ここら辺がシグルリと同じで嫌い)。

その一方で、「シンギュラリティ計画」という名称にはちょっと感心したというか「ほほぅ?」と思いました。ただ、作者サイドに問うてみたいですね「これ、和語に直せますか?」と。

仮にマクスウェルの、あるいはその流れを汲む(つまりは物理、力学世界の)"singularity"からこの呼称をとったのだとしたら、これは言い得て妙な計画名だと思います。ま、疑わしいですけどね。結局この作戦名の由来がはっきりと語られることはなかったと思いますし、おそらく「人工知能(とは言ってない)」だから「シンギュラリティ(技術的特異点とは言ってない)」にしとけって感じなのかなと思っています。それほどまでにシグルリ関係者に対する不信感が・・・ともいえますね。

{netabare}人工知能関連の話題で、一時期もてはやされた「シンギュラリティ」という言葉ですが、日本語の世界では完全に一人歩きをしてしまっているように思います。「シンギュラリティ(singularity)=技術的特異点である」、みたいな。。。=じゃなくて∋ならまぁ納得するけど。Singularityって結構普通の名詞です。Singular pointとも言われ、直訳すると「特異点」という意味しか持たない言葉です(辞書で確認:特異性、単一性とも訳されるらしい、、、がこの文脈では特異点としておきます)。なので、IT・技術分野に限らず数学にも自然科学にもsingularityという用語はあり、それぞれに何らかの「特異点」を意味します。人工知能関連で言うシンギュラリティは、正しくはtechnological singularityで、かいつまめば「人工知能が真なる知能を獲得できる時点」だったり「知的行為において人間と並ぶ、あるいは超える時点」などを指します。あくまでその時点、瞬間といっても言い一点を指す言葉です。なので、この関連で「シンギュラリティ」が出てくるときは「シンギュラリティはくるのか?こないのか?」だったり「実現するのか?」のように扱われます。「シンギュラリティではああなる・こうなる」的な言い方はおかしい用語となるはずです(ポスト・シンギュラリティはOK)。上で述べた力学のSingularityは(僕の理解では)そこに微少な力・変化が加わるだけで系全体に多大な影響が及ぶ状態・均衡点の様なものになります(他の意味もある)。なので、こちらの意味で「シンギュラリティ計画」だった場合、まさに「分岐点」においてAIひとりの力による最大効力を狙った作戦行動という意味でのシンギュラリティって言葉は、まあアリかなと思えます。それでも、「シンギュラリティ計画」ってなんかおかしいですけどね。特異点計画。計画名に行為ないし目的が含まれてないんですよ。{/netabare}{/netabare}

============

そもそも僕は時間遡行ものを理解できない:{netabare}
僕の考え方のここが違うってのを教えて欲しいです。実はBack to the futureもターミネーター同じような理由で楽しめてなかったりする。時間遡行もので納得出来ている数少ない作品がRe:ゼロだったりします(好きか嫌いかは別)。

こういう疑念というか観念ってそれなりにあるものらしく、学術の世界では「親殺しのパラドクス」なんて呼ばれることもあるようです、、、が、そっちはあまり知らないので自分の言葉で書き連ねようと思います。

時間遡行ものって大まかに書くと下のような図式になると思っています。

時間遡行を起こす地点(時点)をCとします。Aを時間遡行の結果たどり着いた先とします。で、(実体込みでも意識のみでも)CからAに戻って、BあるいはCをなかったことにしてしまおう、つまり、A-B-CではなくA-B-C'もしくはA-B'-C'のルートを辿るようにA-B間、B-C間の出来事を改変してしまおう、ってのが本作を含めた時間遡行・過去改変ものの図式になると思います。ポイントは「時間遡行・過去改変の企図が時点Cにおいてなされる」ことです。

A - B - C
| |
B'- C'

理解できない方向性?は2つ。あえて名称を付けるなら、1つが「過去改変による"現在"の不確定性」で、もう1つが「"確定した現在"からみた過去改変の可否」ですかね。先に述べた親殺しのパラドクスは前者に近いものと認識しています。

=="現在"の不確定性{netabare}
A-B'-C'、あるいはA-B-C'のルートを辿ることになったとしたら、Cがどこにも存在しなくなる、あるいは、Cが確定されない状態になる。すなわち、時間遡行も過去改変も企図されない状態となるのではないか、というのが僕の理解困難ポイントその1です。

本作で言えば、物語全般もこの関係に嵌まりますし、最終盤の松本博士→Vivyへの指令もこれに当たります。12話の松本博士の場合、あの状態(Vivyに助けられ、暴動からの時間的猶予が出来た状態:Cに相当)になったからこそAI暴動のタイミングのVivy(Aに相当)に情報を送るという判断・行為をしたわけですが、その結果として13話の松本博士はあっという間(なのかどうかはわからないが)に殺害され(C')、12話の状態に至ることはありません。指令がVivyに送信される状態が発生していないのに(博士の状態が変化した、つまりCはなかったことになる)、指令だけは有効になるという点がどうにも飲み込めないのです。

一方、Re:ゼロはCの状態を回避するまでCを経験した主人公がAに立ち戻り(死に戻り)続けるという形です。結果その世界の「現実」としてはCはどの時点にも存在しないことになり、その世界はC'を経てその先へと続いていきます。Cでの経験が主人公の中に残っていたかどうかもう憶えていないのですが、どちらであったとしても、主人公以外にCの存在の有無は何の影響も及ぼさない、少なくとも企図-行為の連続性は保たれるので、こちらは何とかついて行けました。というより、この作品の場合「時点Cにおける企図」がそもそも存在せず、死亡によって強制的にAに戻るという図式だったと理解しています。{/netabare}

==過去改変の可否{netabare}
これまで述べてきたことの正反対の考えに当たる。。。と思っています。はじめてBack to the future観たときに考え込んでしまったのがこっちの考え方です。

A-B-を経てCに至り、そこで過去改変を企図するというところまでは同じです。Cで過去改変を企図し、Aの時点に対して情報を送るなり意識を跳躍させるなり何らかの行為を行った、とします。

さて、今いる時点Cは、そんな影響を受けたはずの時点Aを過去に持つことになるのではないか?というのが僕の理解困難ポイント2です。

結局、”現在”というのは過去を継承する以外になく、Cにおいて企図された諸々はAに対してであろうがBに対してであろうが改変することは出来ない、というより、「改変」の影響も織り込んだ結果として現状のCが確定した状態である、と考えています(本作は「正史とのずれ」がマツモトによって明言されているので、この考え方には当てはまりませんが)。

そのため、「過去改変」も「現状の変革」もどちらもあり得ないと考えてしまうので、やっぱり理解できずに終わってしまうのです。{/netabare}

どっちにしても、時間遡行・過去改変ものってどうにもあわないんですよね・・・・


{/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2021/06/23
閲覧 : 380
サンキュー:

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