「persona4 the ANIMATION(TVアニメ動画)」

総合得点
82.7
感想・評価
1933
棚に入れた
10572
ランキング
351
★★★★☆ 3.9 (1933)
物語
3.8
作画
3.7
声優
3.8
音楽
4.0
キャラ
3.9

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ネタバレ

エイ8 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

俺はからっぽじゃない

『Persona4 the ANIMATION』(ペルソナフォー・ジ・アニメーション)のタイトルで、2011年10月から2012年3月まで、MBS、TBS、CBCにて放送された。全2クール。(wikipedia)

P4Gをプレイ済み。ペルソナシリーズでプレイしてるのは4Gと5Rだけでアニメとしては3の映画4部作と5を先に視聴済み。アマプラで無料のうちに観ておこうと思い視聴を始めたのですが、途中で26話が別にあるということが判明。しかもおまけ回のようなものではなくガッツリ物語の真相に絡む真エンドだとは……いくらゲームでも隠し要素扱いだったとはいえ、こういうやり方は感心しないんですがねえ。

それはさておき、3に関してはゲームと内容がだいぶ違うとのことなので置いておくとして、5がほぼ完全にゲームの総集編といった感じだったのに対し4は大筋ゲームの内容に沿っているにもかかわらず一つの作品としてかなり完成された仕上がりになっていると感じました。もっともそれは4と5そもそものボリューム量の違いということもあるでしょうが、個人的にはやはり4のシナリオとキャラがしっかりしているからこそアニメ化にも耐えられたのだとの印象を受けました。(別に5をディスってるわけじゃないんですよ?あくまでアニメという媒体に落とし込んだ場合についての話です。)

ペルソナシリーズをアニメ等メディアミックスする場合において最大のネックの一つとなるのが主人公の「個性」だと思います。ペルソナシリーズ――と言っても自分は4と5しかプレイしていないため3以前のは知らないのですが――の主人公はドラクエ的な無個性なキャラです。これはあくまでプレイヤーのアバターとしての側面を重視しているということでありそれ自体が悪い事ではないのですが、ことアニメ化するにあたっては問題になります。本作『Persona4 the ANIMATION』において主人公は「鳴上 悠(なるかみ ゆう)」という名前と個性を与えられ、以降スピンオフ作品においてもこの名が使われることが多くなります。
ただ元々がある意味「からっぽ」であることを求められている主人公であるため、その扱いはたいへん難しい模様です。次作に当たる『PERSONA5 the Animation』でも主人公は同様に「雨宮 蓮(あまみや れん)」との名前を与えられますが、やはり似た問題を抱えていると感じました。

本作ペルソナ4においては「本当の自分とは何か」というものがテーマの一つとなっていると思います。シャドウとは一種の抑圧された自己のようなもので、それを否定することは自己否定に繋がるからこそ暴走が起こり、それを受け入れること自体が自己そのものを受け入れることに繋がるため成長する、といった感じです。だから本作におけるペルソナはシャドウを克服したものの象徴として扱えるようになるわけです。(このペルソナシリーズがユング心理学を踏襲していることは明白ですが、ここでは学問的解釈についての議論は控え、あくまでガジェット的に援用しているものとしてそのまま受け入れます。というか、ほんとのところあまりよく知りませんし。)

アニメ版主人公の鳴上はゲームではなかった葛藤を覚えます。奇しくもそれは「からっぽ」においてです。
アニオリ展開として中ボス的立ち位置のキャラである「久保 美津雄(くぼ みつお)」のシャドウが鳴上に幻影を見せるシーンがあります。鳴上にはこの少し前から事件が終わってしまうことを寂しく思っているかのような伏線が張られており、そこを突かれるように事件終了後という形のif世界を体験させられることになるのですが、そこでは仲間達が次々と鳴上への興味を失っていき陽介ですら鳴上が元の学校に戻ることに対して何ら惜しんでいないというシーンを見せつけられ打ちひしがれます。そこで美津雄のシャドウに鳴上も「からっぽ」の存在と指摘され苦しめられるのですが、それまで苗字で呼んでいた筈の陽介が「悠」とワンランク親密さを増した呼称で呼び彼を幻影から救うという流れになり、そして「俺はからっぽじゃない」とのことでありったけのペルソナを使って美津雄のシャドウを撃破するわけなんですが……正直ちょっとズレてるなという感じは受けました。

アニメでは「仲間なんて幻、君も一人だ、からっぽだ。絆なんて無い、君にも何もない、僕と、同じだ」などと美津雄のシャドウに言わせてますが、本来それの言う「からっぽ」とはあくまで自分自身のことに対してであって、だからこそ強烈に肥大化した承認欲求を持ったキャラだと思うのです。アニメでは掲示板に書き込みをして自分がどれだけ大きな存在であるのか「証明」しようとましたし、また彼が雪子に目を付けたのもおそらく「天城越え」を達成出来れば自分の価値も上がる、或いは逆に自分には価値があるから「天城越え」にふさわしいと考えたからだと思われます。そして彼のシャドウが虚無的なのは深層心理では自分が「からっぽ」であることを自覚しているからであり、鳴上へ「からっぽ」と言ったこともその流れにある筈なのですが、そんな彼からのアンサーは言うなれば「俺にはたくさんの仲間がいる。だから俺はからっぽじゃない」というやつなのです。なのでこれ見よがしにやたらめったらペルソナを呼び出したわけなんですが、ハッキリ言ってアドレス帳の登録人数とかSNSのフォロワー数をドヤッてるような品のなさです。確かにガチぼっちの美津雄くんには強烈なマウントとなるためダメージ自体は甚大だったかもしれませんが、それってどうなの?って感じです。
勿論鳴上に中身があったからこそ仲間と信頼関係を築くに至ったというのは確かかもしれませんが、それをペルソナ(=アルカナ)の数として誇るのであれば、逆説的に承認欲求を満たそうとした彼の行動自体は間違ってなかったという話になりかねないのですよね。というか、承認欲求というもの自体がそういう「多くに認められる→価値がある」という発想に基づくものなわけですから。もっともこれはペルソナ4自体がアルカナを集めることを目的としている面があるためそこからこういった流れにしたのでしょうが、やはりあそこは「俺はからっぽかもしれない。だけど仲間との絆を信じる」とかの方が良かったんじゃないかと思います。あそこは鳴上の力で美津雄を倒すのではなく、皆の力を一致団結して倒したとかの方が良かった気がしました。

というか、仲間の数云々で言うならペルソナ4の仲間自体結構皆ぼっちなんですよね。雪子には千枝しかいなかったし、完二や直斗も友達がいないキャラ。じゃあ彼らは「からっぽ」だったのかという話です。更に言うと「からっぽ」がそんなに悪いのならば、本当の自分なんていないと悟ったりせちーはどうなるのか?更にクマに至っては中身そのものがなかったわけですし。アニオリ展開として鳴上にも苦悩を持たせるという試み自体は良かったと思いますが、ちょっと方向性が違ったんじゃないかなと感じました。先述したように彼は元々アバターだったわけですから、皮肉にもそのコンプレックスの裏返しであれほど「からっぽ」であることに怯えたかのように見えてしまいました。

26話のネタバレを含むので一部隠します。
{netabare}
実は26話においてもまさに似たようなシーンがありました。鳴上は隠しボスのイザナミの術中にはまって永劫の3月20日を繰り返します。彼もまた本心では仲間と離れたくなかったという願望に基づくものなのですが、そんな鳴上の弱さに失望したマーガレットに攻撃されるというアニオリ展開です。
そこで彼を救ったのは戦闘メンバーではない他のアルカナ達。鳴上が何かをするのではなく仲間達の想いがペルソナとなり彼を救うというものでした。
かなりアツいシーンではありましたが、重要なのはそこではありません、その後ゲームでは存在しなかった鳴上のシャドウが本心を吐露します。

「みんながいない明日が不安だった。仲間を失って、ひとりっきりで前に進むのが怖かった。もう一人にはなりたくない、もう一人は、たくさんだ!」
「ずっとみんなといたかった。たとえそれが霧の中の偽物でも構わない。誰ともつながりのない人生になんてもう戻りたくない。みんなと一緒なら、それでいい」

そこで鳴上はそんな自分のシャドウを「お前は、俺だな」と受け入れます。そして――

「俺はもう、一人じゃない!」

――と、悟るに至ります。

こちらは実に素晴らしい展開だったと思います。彼は自分を受け入れることで孤独を克服したというわけです。その後マーガレットはこう言います。

「たとえ全てを失っても、あなたの魂に、もう孤独など訪れない」

結局、美津雄戦までの鳴上は彼とそんなに違わなかったということです。このイザナミ戦を通じてようやく彼は本当の意味で「からっぽ」じゃなくなったと言っていいのではないでしょうか。

……ペルソナ使えてるのにシャドウでるのは矛盾じゃないか?という疑問はとりあえず考えないようにしておきます。一応足立にも似たようなの出てましたし。そういやあの分身は本当にシャドウだったんでしょうかね?

ところで余談ついでなんですが、鳴上が孤独ってオフィシャル設定なんでしょうか?実はゲームのOPでは彼が前の学校を転校することを教師から告げられている時、教室は結構ざわついてるんですよね。よく聞くとみんなビックリした感じなんですよ。本当のぼっちだったら「ほーん、それで?」ぐらいが関の山だったと思います。ただアニメ版ではそういったリアクションは収められていないので少なくともこちらでは初めからぼっち設定なのかもしれません。

またアニメのOPでは陽介の声のようなのが聞こえ鳴上が目を覚ましますが、案外あの世界も霧の中だったのかもしれませんね。
{/netabare}

本作において美津雄というキャラは良くも悪くも最も一本筋が通ったキャラです。彼だけは最後まで己を顧みることなく虚言を弄して偽りの自己を演じ続けます。その過程において彼のシャドウが消えるという現象まで起きるのですが、自分にはこれ自体が何を暗示しているのかはよくわかりませんでしたが少なくとも本当の自分を受け入れなかったということだけは確かでしょう。
実は本作には彼と似たキャラクターが二人存在します。それは塔のアルカナである「中嶋 秀(なかじま しゅう)」と黒幕でもある「足立 透(あだち とおる)」です。中嶋が美津雄の前身、足立が成れの果てのような立ち位置と言っても過言ではないと思います。どちらも鳴上との出会いにより変わっていくわけなのですが、美津雄だけは彼と関わりを持つことが無かった。ひょっとしたらそれが分水嶺だったのかもしれません。美津雄がこだわったのはあくまで雪子だけでしたから。

そういえば序盤に美津雄が雪子を誘うシーンがあります。「行くの?行かないの?どっち!?」と、かなり強引な口調で迫るものの彼女にそれを拒絶されるという流れなのですが、最初あれは単に美津雄というヤバそうなキャラのお披露目でしかないと思ってました。作中では「天城越え」の挑戦者であるように匂わせていましたが、あくまで鳴上らに美津雄の特異性をぼかしているだけで本質的に雪子は関係ないシーンだと思っていました。が、アニメを観て違うかもしれないと思いました。あれはむしろ雪子の伏線だったのかもしれません。
雪子は旅館の跡取りという縛られた人生に息苦しさを感じていることから誰か「王子さま」に連れ出して欲しいという願望を持っていました。そこで最初に目を付けていたのが千枝、しかしアニメ版では明確な時期に彼女が「王子さま」でないことに気づき失望しています。
では何故「天城越え」が困難なんでしょうか?本質的に連れ出して欲しい願望を持った人にたくさんの王子候補がやってきているんです。当初は千枝に期待していたとしても、彼女がその役割を果たさないとわかったのなら他の誰か「代わり」を求めるのが普通の心理だと思います。通常彼女のようなハイスペを狙うのはある程度以上自分に自信を持った者達なのですから一人か二人くらい候補となるものが現れてもおかしくないのに全て袖にしている。彼女が本質的にどれだけ理想が高かったとしても、本当にそんな心理状況ならばある程度は相手に望むハードルが下がる筈なのです。強い調子で引っ張られたらうっかり「この人なら……」と心揺れてもおかしくないと思います。
勿論裏読みすれば彼女はヒロイン候補なわけなのですから作品として純潔性を持たせた、という単純な理由が一番なのかもしれません。ですがあえて作品に沿って考えるならこれはおかしいんです。美津雄がヤバげな奴だったため誘いを断ること自体自然のように思えましたが、ある意味それはミスリードだったんだと思います。ようするに初めから彼女は旅館から出たいわけではなかったことが示されていたんですね。シャドウは相当願望を誇張し露悪的な姿として現れるため家を出たい想いが強かったように感じますがそうではないわけです。
雪子が男子自体に興味がない可能性もあったわけですが、案外速攻で鳴上にはデレてしまってるからそういうわけでもない。共に彼女を救うために命懸けで戦った陽介は電話番号すらまともに教えてもらえなかったことを考えるとこれはかなり特殊なことと言えるでしょう。
逆に言うと何故鳴上にはデレたのか?彼がどれぐらいのレベルのイケメン設定なのかは判断できませんが、クラスの女子がこぞって熱を上げる程ではないようです。ただ彼は都会っ子であり田舎の少年たちにはない何らかの雰囲気を持ってる可能性はあります。実際序盤の彼はややミステリアスな感じでしたしね。
ジュネスの王子様もこの路線で行ってれば「天城越え」を果たせていたのかもしれません。あるいは一条あたりが狙ってればイケたような気もしますがそういうのに限ってまさかの千枝派……世の中上手く行かないもんですね。いや、上手く行ったからこそこの流れなんでしょうか。というかだからこそ一条は千枝狙いに「させられた」のかもしれませんが。

ところが、少なくともアニメの鳴上はそんな彼女にも然して惹かれていないようなのです。先述した通り彼は都会っ子なのでその水準からすれば雪子もあまり大したことない可能性があります。彼女はあくまで一昔前によくあったハードルをダダ上げするマスコミの嫌がらせ行為「美人過ぎる〇〇」系なだけだったのかもしれません。
とはいえ彼はりせちーに対しても同様な塩対応を繰り返しているので実態はただのむっつりスケベなんでしょうけどね。彼女もひょっとしたら某アイドルグループのように「クラスで3番目」クラスの可能性もありますが、ペルソナ4の最初の発売が2008年7月、某アイドルの活動開始が2005年12月、制作日数なども考えればそういう想定キャラでは無いと思います。普通に全国トップクラス級の美女相手にも表向きは動じないのだから中々筋金入りのむっつりです。
実際、アニメ中盤までの鳴上はほとんど自分を表に出さないキャラでした。時折おかしなノリの良さを見せますが、基本的にはほとんど受け身。ゲームでの「アバター」の頃の姿を踏まえていることは明らかです。
そういう意味で「鳴上悠」としての本来のキャラクターは自分を出すようになってきた中盤以降なのでしょう。仲間との信頼関係が築かれていくに従って己を出せるようになったと言ってもいいのかもしれません。

アニメでの彼は誰もヒロインを選びませんでした。強いて言うなら相手は陽介です。ヒロイン候補たちも一様にデレはしましたがやはり作品として正ヒロインを作るわけにはいかなかったのでしょう。序盤の段階だと何となく鳴上と雪子、陽介と千枝といった感じでしたが仲間が増えるに従ってそういう匂わせも減っていきました。ゲームでは散々アピってたりせちーも結構大人しい方だったと思います。結局恋愛よりも友情という形で落ち着いたのは悪いことではないかもしれません。ただ個人的には一応ヒロイン候補の一人でもある「小沢 結実(おざわ ゆみ)」の扱いがあまりにも悪いのは気になりましたが。彼女は「松永 綾音(まつなが あやね)」と共に太陽のアルカナであり、ゲームではどちらか片方を選ぶことになるためアニメでは松永の方を選んだこととして小沢の存在感自体が薄くなるのは仕方ないことだとは思いますが、それにしてもあんまりな扱いだったと思います。同様に選択制のアルカナである剛毅では「長瀬 大輔(ながせ だいすけ)」「一条 康(いちじょう こう)」共に活躍したのですからもうちょっとぐらい出番をあげても良かったんじゃないかと思いました。この点はやっぱりちょっとマイナスポイントですね。事実上彼女だけがハブられた形となってるわけですし。

とはいえ全体的に見ればとても良い仕上がりだったと思います。しかし「マヨナカテレビ」そのものに関してはもう一つよくわからない点も残りました。事実上のラスボスに当たるアメノサギリによって「人は見たいものを見たいように見る」とのことであり、また当初の噂自体が「運命の相手が映る」というものでしたから本来は個人個人で見えるものが違っていたことが想定されているものと思われます。
そこで疑問になるのは、本来的にテレビの中に落とされる前の画面に映ってたのも後にテレビに落とされた者と同一なのか、ということです。視聴者/プレイヤーの目にはほぼ明らかにその通りなのですが一応原則として他のキャラはどのように見えていたのかわからないという事実があります。つまり順序として
・マスコミに報道される(この場合雪子とする)→稲羽市中で雪子への興味が集まる→雪子がマヨナカテレビに(ぼんやりとだが)映る→生田目が雪子を特定しテレビに落とす→雪子がより一層はっきり映る。
というように映る人物自体には客観性があったのか、それとも
・マスコミに報道される(この場合雪子とする)→ただし人によって見たい人が違うのでマヨナカテレビに雪子が映ってるとは限らない→生田目がマヨナカテレビにぼんやり映った人物を雪子と認識する→テレビに落とす→それまで不確定だった人物が雪子であることが確定する。
といったように実は確定自体は生田目、或いは足立次第だったのかという点に疑問が残るのです。
テレビに落とされシャドウが出たような人物は優先的にマヨナカテレビに映ること自体は確定していると思います。根拠のほどはわかりませんがwikipediaには「中に入った人間の「見せたい欲求」も投射するため、見たいと思われている当事者が中に入ればより鮮明な「番組」が生成される。」とあります。もっともそれなら山野アナや小西先輩の番組は何故作られなかったのかという疑問もありますが。また一方で「主役となる人物は一度明確に報道されている必要があるようで、報道されていない陽介・千枝・久保、報道はされたが特定されていなかった菜々子らのバラエティは発生しなかった。」ともあります。しかし少なくとも完二は一応匿名でしたし逆に山野アナは実名と基準にあいまいな点は残ります。

26話のネタバレを含むので一部隠します。
{netabare}
26話でイザナミによりマヨナカテレビの仕組みが説明されました。

「人間が真に望む世界とはどのようなものか、その過程であそこに何が見えるかを決めていたのは常に君たち自身だ」
「聴衆の前に晒された人物のことを人々はもっと覗きたいと願う。人間のもつ抑圧された心とそれを覗きたい周囲の人々の心、見せたい存在と見たい存在がある。だから私は、それをつなぐ窓を授けた」
「全ての発端は人間の身勝手の好奇心。望んだままをみたいという愚かな心が装置を起動させ、その願望のままに映し出す。なんとも愚かだと思わないかな?人間は真実など望んでいない。ただ見たいものだけをみて信じたいものだけを信じる。そんな霧に包まれた世界を望んでいるんだ」
「これで理解できたでしょう?永久に閉ざされた霧の中で自分の望んだ世界だけを見続けることが君たち人間の真の幸福だと」

……こうやって見ると客観性がある方が正解みたいですね。ただそうなるとみんなあの時生田目の映像観てたの?という疑問も残りますが。あのシーン自体は主人公達の「見たい姿」だったとして、テレビの中にいる状態ならば「見せたい姿」の方が勝つということ?だとしたら久保のはおかしくない?とか色々腑に落ちない点も残りますよね。テレビに映った状態の挑戦的な「掴まえてごらんよ」と出会った後の虚無的な姿に明らかな齟齬がありますし。まあこちらはゲームではちゃんと虚ろな感じではありましたが。

ま、この辺は後付け的にどうとでもなる設定だとも思いますのであまり細かくどうこう言ってもしょうがないのでしょうが。

そういえばクニノサギリは生田目、アメノサギリは足立ということで、ガソリンスタンドでイザナミと握手した人は神がつくようですが、鳴上につかなかったのはどういうことなのでしょうかね。ペルソナに目覚めてるという意味では足立も一緒だったわけですし。案外彼にも何かついてたのかもしれませんし、それが次作ゴールデンのあのキャラに繋がったのかも……。
{/netabare}

本作のオチとしては「虚構に逃げ込まず現実と向き合え」というものだったと思います。まあよくある王道展開ですが、今では現実社会の方がそれを「許さなく」なってきているのが皮肉な話です。
『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』という著書で有名なユヴァル・ノア・ハラリという人物がいるのですが、彼はその中で21世紀に「ユースレス・クラス(無用者階級)」というものが現れることを想定しています。
無用者階級とは

「経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々」

のことを指します。そしてその人たちは「失業しているだけではない、雇用不能」の状況だと言うのです。

何故そんなことが起きるのかというとAIに仕事をとって代わられるからです。
ではそういう人たちの居場所はどうなるのかというと、それはコンピューターゲーム等のバーチャルな世界だと言うのですよw食料なんかは何とかなるんだそうです、問題になるのはこの「役立たず」達に如何にして人生の意味を与えるかということであり、その答えが虚構の世界に逃げ込めというわけです。これ、最近フェイスブックがメタに社名を変えてまで「メタバース」事業に取り組み始めた様にビッグテック界隈がガチなんですよ。つまり一昔前に爆死した「セカンドライフ」とはわけが違うのです。

ね?皮肉な話でしょ?パンピーにはもう現実と向き合うことすら許してもらえない時代がすぐそこまで来ているわけなんですよ。言っときますけどここでいう「経済的価値」っていうのは自動処理できないような高度な仕事なわけですからね。おそらくブルーカラーはあらかた全滅しますしホワイトカラーもその多くは失業するでしょう。せっかく悠くん達が頑張ったのに、世界は霧の中を選んだというわけです。

……そういや昨今日本では異世界転生ものが流行っていてその多くはそのまま帰ってこないものばかりですが、案外そういった人生を促すためにビッグブラザー達が仕掛けた陰謀なのかも(; ・`д・´)!

いずれにしろそう遠くない将来、生の肉を焼いて食えるのは一部の金持ちだけになる時代がくるでしょうから皆さん今のうちに惣菜大学へ名物のビフテキを食べに行っといた方がいいかもしれません。

信じるも信じまいも、ユー次第!m9( ゚д゚)ビシッ!!

投稿 : 2022/05/19
閲覧 : 314
サンキュー:

7

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