「チェンソーマン(TVアニメ動画)」

総合得点
79.0
感想・評価
637
棚に入れた
1837
ランキング
517
★★★★☆ 3.8 (637)
物語
3.6
作画
4.0
声優
3.6
音楽
3.8
キャラ
3.8

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ネタバレ

蒼い星 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 2.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

悪名は無名に勝るか?

【概要】

アニメーション制作:MAPPA

2022年10月12日 - 12月28日に放映された全12話のTVアニメ。

原作は、第1部が『週刊少年ジャンプ』に連載されていた、藤本タツキによる漫画作品。
第2部は、主人公を変更して『少年ジャンプ+』に連載中。

監督は、中山竜。

【あらすじ】

悪魔が実在している世界観の日本で、天涯孤独の少年・デンジは、
自分を残して死んだ父親の借金をヤクザに返すべく、
子犬のようなチェンソーの悪魔のポチタと契約を結びタッグを組んで、
ヤクザの仲介で安い報酬でデビルハンターとして駆除した悪魔の死体を売って、
極貧生活をしていた。

自分の目玉や内臓を売ったり、吐血で先が長くなかったりで絶望しか無いデンジは、
16歳(自称)のときに、ゾンビの悪魔と契約してその身を捧げたそのヤクザに騙されて、
ヤクザたちを自分の奴隷のゾンビにした悪魔の命令で、
ゾンビとなっているヤクザたちに惨殺されてしまった。

バラバラ死体でゴミとして捨てられたデンジとポチタ。
ポチタからの「私の心臓をやるかわりに、デンジの夢を私に見せてくれ」とともに、
ポチタが彼の心臓となってデンジは復活。デンジは頭と両腕がチェンソーの怪人の、
チェンソーマンとなってゾンビたちを切り刻んで皆殺し。

終わったあとに、公安のデビルハンターたちがたどり着き、
その中での最上位者であるマキマという美女からデンジは選択肢を与えられる。

①悪魔として私に殺されるか。

②人として私に飼われるか。

ゴミのような生き方で、人並みの生活に憧れていたデンジは②を選択。
人の優しさに飢えていたことで、自分に優しくしてくれるのと、
美人なことでマキマに惚れてしまったデンジ。

公安警察対魔特異4課として悪魔と戦う。これがデンジの新しい仕事だった。


【感想】

新規投稿の2023年1月5日時点では、原作の116話まで読了。

世には天才アーティスト・天才クリエイターと呼ばれる人たちが存在しますが、

パブロ・ピカソの言葉に『優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む』があります。

天才といえども無から価値を創造するのではなくて、
なにかを生み出すのにも自分が影響を受けた映画や音楽や芸術などを咀嚼する過程があります。
独創的な誰も見たことのない前衛的な芸術で、ファンからはすげーすげー言われるのは、
承認欲求の強いクリエイターの夢かもしれませんが、学びこそがいちばん重要であります。
クリエイター気取りの凡人の場合は、パクリの継ぎ接ぎコラージュになったり、
誰もが思いつくが恥ずかしくてボツにしたネタを、ドヤ顔で出して顰蹙を買っていますけどね。

原作者である藤本タツキ氏の場合はジブリや京アニなどの数々のアニメを愛し、
クエンティン・タランティーノ監督などの映画マニアでありながらも、
独自の自分の世界観に変換して作品を発表していることから、
また、自分が「ルックバック」を読んだこともを併せて、
この方がクセが強い作風ながらも非凡な漫画家であることは疑いようがないですね。

デンジから三鷹アサに主人公を変更した、第二部も面白いですしね。

もとから人気作・問題作として話題性が高い「チェンソーマン」をアニメ化するにあたって、
「ばらかもん」のED原画や、夜ノヤッターマンのキーアニメーター、
「マクロスΔ」のメインアニメーターなどで実績豊富なアニメーターながらも、
新人監督であるフリーランスの中山竜氏が任されましたが、
中山監督のこだわりの数々が自分にとっては余計ではありますね。

中山監督らは数々の映画を「チェンソーマン」の演出の参考にしているっぽいですが、
邦画のつまらない特徴ばかり取り入れたに等しいカット割りと、
『アニメ芝居をこそぎ落とし、日常芝居のようなリアル感を出したい』
と自分の思うリアリティにこだわる監督の方針で、声優同志のお芝居の打ち合わせがNG扱いで、
結果としてダメな邦画にありがちな男性声優陣の抑揚のない小声のボソボソ芝居。

アキ役の坂田将吾から岸辺役のベテランの津田健次郎まで、声量が小さくて聞き取りにくいのですが、

声優がみな、『今回の演技は監督の指示によるものです』と証言していて、
原作を読み込んで構築した役作りを否定する監督による指導に疑問を感じながら従っている通りに、
本来の役者としてのポテンシャルを削ぎ落とされた不本意な芝居だったようです。
声優への評価を低くしていますが、指示の問題で声優の能力自体が悪いわけでありません。

女性陣はずっとましなのですが、男性陣の喜怒哀楽に乏しい淡々とした喋り方がリアル?
それは、中山竜監督にとってのリアルであって、現実の日常での会話のほうが、
アニメのチェンソーマンよりは語気の強弱で感情を伝えているでしょうに?

庶民的な中華料理屋でラーメンを食いながらのサムライソードの台詞なんて、
遠くの席からボソボソ小声でデンジたちに主張しまくってるのが聞き取りづらくて、
コンテ切った奴もどうかしてますし、担当した声優の濱野大輝氏も気の毒ですね。

原作からの解釈で特に問題なのが、悪魔によって多くの人命が失われているダークな世界観で、
義務教育を受けていない欠食児童だったデンジの頭のネジが抜けている明るさで、
困難をぶち抜いて粉砕していくエネルギッシュな爽快感が作品の魅力であるはずが、
アニメのデンジは声優が抑えた演技を強いられているために、
元気のない陰キャに見えてしまいますね。

インタビューで中山監督が一貫してデンジを名前で呼ばずに主人公と呼んでいるとの指摘もあり、
その監督が、早川アキや4回連続でEDメインにした姫野といった贔屓の脇役に較べて、
デンジに対して興味も彼の内面を深く理解しようとの気概もない疑惑もあります。

早川をアキ君!アキ君!と呼んで、中山監督が声優の坂田将吾に目をかけてるのと対照的に、
デンジを名前で呼ばない態度の違い。無意識なのか?原作を預かる身としては、問題ありですね。

と言いますか、ポチタを失った後で出会った幼い少女の言葉に共感するデンジの優しさという、
主人公のキャラを掘り下げる筋肉の悪魔のエピソード(少女は悪魔に操られていましたが)
をオールカットした上で、4話で原作にないアキの優雅な朝のモーニングルーティンを、
イケメンがこういうことやったらかっこいいでしょ?と2分も流したり、
(監督のお気に入りシーンを質問されて原作ではなくてアニオリを真っ先に挙げるのはどうなの?)
アニオリでマキマの着替えシーンに気合いを入れたり、
姫野をやたらフィーチャーしてエロく描いたりで、そういうの描きたいのね?
と大体察しがついてしまいますね。

アニオリなどがゆったりなのと毎回変わるEDとか最終話ラストのレゼねじ込みなどの尺があれば、
筋肉の悪魔の話を無理せずとも入れられましたよね?

原作通りにアニメ化するのを“忖度しながらやっているとどうしてもブレーキがかかってしまう”
と中山監督がインタビューで文字に残しているのを見るに、
藤本タツキ先生のセンスを活かす方向の映像づくりではなくて、
中山監督を中心としたアニメスタッフの感性で上書きされて作られたというのが、
このアニメの本質的な部分でしょう。原作を参考にしたら“忖度”なんですか?

20歳時点でクラウン新人漫画賞(第5回)で審査員特別賞を受賞して、
審査員の増田こうすけ先生から“天才”のお墨付きを貰って、
その通りに後に大ヒット漫画家として活躍し続けている藤本タツキ先生を、

同じくジャンプSQで美大生のみを対象とした企画で最終候補に残ったものの受賞できなかった、
企画当時は21歳の青年だった中山竜監督が意識しまくって、
原作を踏み台にして乗り越えようとして、原作を素材に自分の色で染め上げた、
アニメの「チェンソーマン」を作ろうとしたのではないか?と勘繰ってしまいます。

一応は作画は整っていて映画を参考にした写実性はこれはこれで活かせる道があるのでしょうが、
それよりも自分は、ペンキをぶちまけたような原作絵のカラーセンスの作画で動かして、
「モンスターストライク」の「チェンソーマン」コラボでのデンジが、
声優が原作を読んだ解釈通りにノリノリのハイテンションな絶叫で演じられているみたいに、
中山監督による変なリミッターを解除されている「チェンソーマン」を、
自分はアニメで見てみたかったですね。

そもそも、悪魔との戦いという非リアルな物語と写実的な画作りが合致していませんし、
原作の迫力あるコマ割りと比較するとアニメでは意図不明な引き構図だらけですね。
このアニメに対しての自分の疑問が確信に変わったのは、永遠の悪魔との戦い。
原作では決めゴマで決着してるのが、アニメでは後ろ向きで切り刻んでいる遠くからの変な構図。
永遠の悪魔の末期の台詞なんか聞き取れなくて、原作を読んで確認せざるをなかったです。
コウモリの悪魔との戦いでも、チェンソーマンが性欲丸出しで叫んでいる決めゴマが、
アニメでは真後ろからちんまりと描かれているカットに途中で切り替わりますし、
これが演出だと思うのなら、センスが無いと言わざるをえないですね。
戦闘シーンを外連味たっぷりに迫力で魅せる気がサラサラ無いのでしょう。
その点では、「鬼滅の刃」とは正反対ですね。

『原作読んでアクションなにやってるか分かる人なんかいないと思うんですよ』

みたいなことを中山監督がインタビューで言っていて、
原作のコマとコマの間の空白を埋めるアクション芝居の補完が多いのですが、
一見はスタイリッシュでありながらも、岸辺との訓練やコベニの銃撃戦などで、
行動の整合性がおかしくなってる部分が9話・10話などであります。
わざと改変してるならセンスがなさすぎですね。

特に原作サムライソード戦のこうなってこうなったとのコマ順のカットの繋がりを全く理解してない、
アニメ12話での戦闘映像は監督自らのコンテと演出ですが、
監督の義務教育時代の国語の答案を読んでみたいレベルで、
原作を読めば理解できるキャラの感情と思考から来るとっさの行動の理由付けが、
アニメでは理由なく身体を動かしてるだけと、かなり杜撰な意味不明さになっていますね。

①原作での、岸辺との修行でサムライソードの必殺の居合い切りを防御できるほど強くなっている、
 チェンソーマン(デンジ)の成長を示すシーンでは、アニメでは居合のポーズの描写をして無いので、
 アニメではサムライソードの驚きの、『ナニィィィィ!』が意味不明になっている。
 →そこから、二人が同じレベルで得物を振り回すチェンソーと日本刀のチャンバラになってるが、
  原作ではサムライソードは居合い切り以外の攻撃を一切していない。

②ビルから落下して走行中の電車に原作では着地してる原作チェンソーマンが、
 アニメでも受け身をとれずに叩きつけられて慣性を無視して無様に転がっている始末。

③まともに戦えばチェンソーマンはサムライソード相手に互角に立ち回れるのに、
 電車の中で戦闘の巻き添えで斬られそうになった一般人女性を護って、
 チェンソーマンの腕が切断された原作でのシーンが、 アニメでは一般人女性は傍観者で、
 サムライソードの攻撃がチェンソーマンにのみ向かっていて一般人女性はただの背景同然で無関係。
 女性の横で身動きひとつとれずにサムライソード腕を斬られてから女性が逃げ去ったなど、
 バカでもハチャメチャでも女は助けるヒーローである原作デンジの資質と強さが削がれている。

デンジの戦闘能力の下方修正や、映像上でもラーメンを食べてるシーンでもアキと姫野を優遇で、
デンジの顔を椅子で隠したりしている画作りに意図があるならば尚更たちが悪いみたいに、
主人公に含むところがあるのか?レベルの、ここがダメ!の具体例を列挙したらキリがないです。
細かいところを見れば変えられてるところが多くて、決して原作どおりとは言えませんね。
それで良くなっているのならばともかく、残念なことになっています。

17人の作画監督と7人の総作画監督でぬるぬる動こうが、それはマンパワーに頼り切ったものであり、
演出家が情報のインプットを間違っていれば、ただの動きの連続であり、
作画芝居としては落第点ですね。要するに絵を見て動きを理解する能力に乏しい演出家である監督が、
原作の絵がわかりづらいとか読者には理解できないとか自分の物差しで作者と読者をディスりながら、
アニメでは明後日の方向に独自解釈した映像を出しているわけです。

他にも、アニメではデンジの初変身時の台詞からポチタから貰った生命を背負って二人で戦う意味の、
“俺たちの”が削られているなど、きちんと原作を読んでないか?読んでいて理解できていないか?
それが第一部の終盤になって回収される伏線となっているのですが気づかずに削ってしまったのか?
脚本家のミスかもしれませんが、最終的にチェックするのが監督の仕事でありますし、
どちらにせよ、監督は絵は描けても演出家として抜けている部分が多々あります。

そもそも第一部の「チェンソーマン」は、デンジのキャラありきのデンジの物語である原作なのに、
アニメでは、脇役の強調が過ぎるために、デンジがぼやけてしまった二次創作みたいになっています。

演出全般に言えることですが、原作漫画のブラックコメディ的な空気感からギャグ顔を抑えめにして、
本来ならデンジのおかしさによるギャグシーンが笑えないものになっていたり、
更にはアニメでは無駄に辛気臭さを加えようとしているといった、
主題歌を歌う米津玄師や声優らが把握している作品の性質とは角度が大きく異る作品理解度からの、
中山監督の我意の押し付けが原作漫画の作風と喧嘩してないか?
気にならない人のほうが多数派かもしれませんが。

『アニメは漫画と違う!』『原作通りにやってもつまらないだろ!』
との意見もあるかもしれませんが、そもそも原作のどこがウケてるのか?
を理解しているのかが疑わしいままに好き勝手に演出をしているアニメ。
それは、「鬼滅の刃」のように原作そのままにクオリティだけあげても、
作品が称賛されても個性的な監督という名目で名前が売れないとの思い?
スタイリストをつけて、“天才監督”の触れ込みでインタビューを受けまくっている中山監督は、
承認欲求がかなり強いようです。

演出家(監督)が原作を読み込む能力で思い出しましたが、
アニメでは作中にスマホ歩きの通行人やウーバーイーツの自転車が存在しますが、
原作の設定を遵守するならば20世紀末の日本が舞台の物語ですよね?
中山監督は雑誌のインタビューでのリップサービスで「こだわりの悪魔」を名乗っていますが、
原作では銃の悪魔の話で1997年と書かれているのを、ありえない見落としをしています。
アニメでは敢えて時代設定を変更したのかを明確にしてもらいたいものです。

作画のクオリティは高めなのに声優への演技指導が残念なのと演出方針が原作に合ってると言い難い。
総合評価としては低くはならない出来でしょうが、もしアニメで新展開があるなら、
原作の良さを引き出した「ドロヘドロ」の林祐一郎監督に、
現在、担当中の「進撃の巨人 The Final Season」
の終了後にでも引き継いでもらって演出プランを見直してほしい。

原作の良いところの理解に努めて、長所を伸ばす佐藤順一方式ではなくて、
原作を土台に監督の趣味全開で意識高い系アニメにするぐらいなら、
自分で作った企画を通してオリジナルアニメで思う存分に自己責任でやってほしい。
アニメ版独自に原作に無い設定を作りまくって成功した別のアニメを自分は絶賛していますので、
結局は好みに沿ってるかどうかの話かもしれませんが。

売上が全てとは言いませんが、原作の知名度と派手な宣伝で「呪術廻戦」の1/10以下という結果は、
ぱっと見は良作画に見えながらも、それは株式会社カラーのアニメーターがTwitterで驚いてたほどの、
潤沢な予算とマンパワーに頼り切って、ぬるぬると動かしているという以上の意味が無くて、
インタビューで漫画的表現を下に見ている監督の主導の意識高い系実写映画のような画作りが退屈で、
13巻までの発行部数が2300万部の原作読者から見れば、「呪術廻戦」の余波からの期待を裏切られて、
積極的な支持をするほどのレベルでもないアニメだったということでしょう。

ネットではダメみたいに散々言われているアニメでも現実にはクオリティと人気が高くて、
あくまでも個人の思想に基づく感想に過ぎないものが増幅されている実例とは話が違います。

MAPPAは「呪術廻戦」の主要スタッフが自分の作品作りのために独立してしまった穴を埋めようと、
瀬下プロデューサーが外部から監督未経験のお気に入りのアニメーターを連れてきて、
優秀なサポート役をつけずにいきなり大人気原作の監督を任せたのが眼鏡違いだったようでして、
それが原作のための監督選びではなくて、監督の実績づくりのために原作があてがわれたとの話。

基幹スタッフが違うのに「呪術廻戦」の大ヒットの成功体験が前提の皮算用が崩れた、
見込み違いの単なる収益の問題だけではなくて、
新宿渋谷のハチコーボード広告など都内の18駅と、渋谷・新宿の街、
更には海外でのプロモーションで莫大な宣伝費用をかけたのが回収出来ていない様子。

ジャンプの有名原作のアニメ化作品ですが、
実績の無い新人監督で巨額の金が動いて歯止めがかからなった点で単に見通しが甘かったのか、
集英社や広告代理店などの大人の事情が色々絡んで後押しをした負けるはずのない戦で、
総司令官である監督の人選ミスで、あり得ない結果を招いてしまったのか?

朴監督の置き土産である「劇場版 呪術廻戦 0」が大ヒットしていたので助かってはいますが、
MAPPAの単独出資で赤字をモロにかぶることになったことで、
2016年に大塚学氏にMAPPAの社長の椅子を譲った、
丸山正雄会長の人材の目利きの力が今のMAPPAに再び必要ではないか?と思いました。

話題作品だけあって毀誉褒貶があって、自分は出る杭を打つ側と思いつつも、
原作を読んだうえでこのアニメについてしっくりこない部分を語ってしまいました。


これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2023/03/18
閲覧 : 439
サンキュー:

57

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