70366 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
タイトルなし
朱ちゃんの髪型が気になってしょうがなかった。
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PSYCHO-PASS サイコパスの感想・評価はどうでしたか?
70366 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
朱ちゃんの髪型が気になってしょうがなかった。
ミュラー さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
今期PSYCHO-PASS3が放送されていて、気になったので、最初から見てみた。
エンディングの「名前のない怪物」は良く聞いていたし、作曲はボカロの王、ryoさんだし。
でも本編はまだ見たことなかったんだよね。
まあ、一言でいうと面白い!
ストーリー展開が秀逸だし、非常によく考えられて作られている。
総監督の本広さんは踊る大捜査線の監督だったようで、ドラマチックな展開と演出は大したもの。脚本はあの虚淵さんということで、納得の面白さ。
そんなバックボーンは後から知ったが、11話の衝撃で特に好きになってしまった。あんなの見たら色相曇っちゃうよ。
2012年の作品なのに、古臭さは微塵も感じない。
とても印象に残る作品だったし、他のアニメと比較しても抜きんでている出来だ。
これまで見てきたすべてのアニメの中でも、大変お気に入りの一つとなりました。
Ryo さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
へも さんの感想・評価
3.6
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
ウル さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
近未来な設定や犯罪が起きるまでに対処する世界観は洋画の {netabare}マイノリティ・リポート {/netabare}と似てると印象です。
なので {netabare}マイノリティ・リポート{/netabare}が好きな人はハマるのではないのかなと思います。
逆もしかりです。
私は海外ドラマみてるような感覚で見てます。
以下少しだけ{netabare}マイノリティ・リポート{/netabare}とPSYCHO-PASSの比較、少しネタバレありでレビューしていきますのでご了承を。
{netabare}マイノリティ・リポートは未来の犯罪する映像が出てきて、その場面までに犯罪を止め逮捕するという設定ですが、PSYCHO-PASSでは、ある程度のサイコパスの数値が出ると即射殺されるという違いがありますね。
印象はかなり過激な世界観だなと思いました。
また、マイノリティ・リポートはこのPSYCHO-PASSでいう刑務官ポジションの主人公が未来予知の動画で犯罪を起こす映像が出てきて、何故そうなるのかを突き止めるストーリーに対して、PSYCHO-PASSでは感受性の強い、サイコパス認定の基準が上がりにくい新人女性監視官、犯人を追い続け自分自身がサイコパス認定が基準値以上になってしまった男性が主人公です。
この2人と色相認定が濁った同僚達と上司が現在、過去の出来事とシビラシステムの矛盾性に向き合い、心理的にどう成長していくかの物語になります。
また、男性主人公の過去の事件の犯人が軸になってきます。
この犯人がこのストーリー場に出てくるその他犯人を誘導しているのがまたいい。
和製JOKERですね!
カリスマ性もあり社会の闇を象徴するいいキャラクターです!
勿論、刑事側のキャラクターもみんなかぶってなくていい意味で個性的でよかったです。
ラスボス以外の犯罪者も魅力的なキャラクターが多いのもいいところです。
推理、分析場面も丁寧に描写していて、アクションシーンも程よくあり飽きないです!
シビラシステムによる現代の反映と安定に関する疑問も、このアニメの面白いところで、職などもシビラシステムによって決められます。
発展や安定が保証されている代わりに職などの自由がなく、悩む必要がない。
システムが代わりに選んでくれる。
どんな専門職も誰かの代わりがいて、みんな繋がっているようで誰もが孤独と感じられる世界。
全てが、シビラシステムのしだいなので悪くいえばシステムに支配されているということになりますね。
それに対抗する、レジスタンスやボスキャラの気持ちもわかります。
安定や反映の代わりに自由じゃない…またシステムに悪いと認定されれば望まない職場、未来を自らの決定権がないままに生きなければならない…そしてシビラシステムの正体。
ここはマイノリティ・リポートと少し似ていましたね。
それに色相認定に全く引っかからないほんとのサイコパス…このストーリーのボスキャラの様な人は200万人に1人いるとされていて、システムに引っかからないと表向きちゃんと逮捕出来ないってのが問題になってました。
つまりシステムの欠陥ですね。
勿論、これも理由があってのことでしたが。
システムの欠陥はマイノリティ・リポートでもありましたね。
多分2期以降ではそのシステム自体に立ち向かっていったりするのかなと思ってたりもします。
例えが悪いかもしれなませんが、自由は保証されていて、安定や発展が保証されていない世界か、
安全や発展が保証されていてるが、自由がなくシステムに1度でもいらない、または下だと判断されたら、処分または、望まない未来を生き続けなければいけない世界か、どちらか正しいかって感じですね。{/netabare}
2つ気になったシーンがあって1つはアーニーボールの弦のくだりはダダリオじゃないから承認されないかと思ってたり…
まぁ冗談ですけど笑
細かいシーンですがこの作者はちゃんと調べてるのがわかるシーンです。
ここまで拘る必要ないシーンでもちゃんとやってるのは好意印象です!
{netabare}もう1つが悪い意味ですが、ドミネーター片手にもう片方でショットガン持ってる主人公はちょっと無理があったかなと思いました。
まず、両手で持たないとちゃんと狙えるわけがないし、僕を打ってみろって言ってるボスキャラも人質の近くにいてたらショットガンならちゃんと狙っても絶対に人質にも当たるのでここに心理描写があればよかったなと。
主人公はちゃんとシビラシステムに逆らう葛藤はあったものの、ショットガンでちゃんと狙っても友達に当たるかもしれないという心理描写がほしかったです。
ボス側は主人公に選択させるように見せているが、自分に当たっても人質にも当たるみたいな心理描写がほしい。
ここのボス側の本質はそんなセコいものではないのですが、あの描写だとそう見えちゃいます。
なのでここは、せめてライフル銃両手持ちなら、よかったかなと。{/netabare}
最後に少しだけ気になるところを言いましたが洋画、海外ドラマなど好きな人はハマるのではないかと思います。
個人的に海外ドラマ、洋画のエッセンスを上手く掛け合わして、日本のアニメに落とし込んだなと思いました。
あと個人的に終わった後も考察させてくれるような作品は大好きです。
そういうの好きな人もハマるのかなと思いました。
私は最後まで楽しく見れました!
続けて、2期も見てみようと思います。
ただ、一つだけ注意点があってグロシーンがあるので、大丈夫な人じゃないとキツイと思う人もいるかもしれません。
そこだけは注意です。
Ash-Lynx さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
攻殻SACのちょっと前の時代のちょっとクレイジーな設定の話。前半は1話完結で割と早めに本題(黒幕との戦い、シビュラシステムの正体)に入る感じ。
1話完結部分は攻殻と比べると印象薄いが、本題部分はだいぶ面白いと思う。2クールあるけど一気見注意ですわ。シビュラシステムの正体は…だいたい予想通りだね
アニメにしては珍しくテーマ性がしっかりしてる。シビュラシステム(体制)に盲目的に従うべきか、体制に逆らっても自らが信じる道を行くべきか…。朱は「考え悩み続けることが大事」って言ってるけど、まさにその通りだと思う。正義の道は険しいっすわ^^;
ヴィランが『MONSTER』のヨハンみたいで、憎めない感じがまたいい。黒幕が革命家・英雄っぽいのも攻殻と似てるな。明らかに意識してるよね。
「地獄の黙示録」の原作「闇の奥(ハンガリーの貴族がアフリカの山で虐殺した話)」とかも出てきたし。(※攻殻は映画のパロディが多い)
「人1人の肉体が獲得しうる快楽には限度がある。だが知性がもたらす快楽は無限だ」
ドリア戦記 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 3.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
退会済のユーザー さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
色々と考えさせられる作品でした。
何人も殺したりする凶悪犯とか、子供にひどい虐待して死なせる親とか、
そういうニュースとか見ると犯罪者になる人を犯罪起こす前になんとか
ならないかなって思う時がたまにある。
この物語ってそういう考えを元に法律を作って犯罪予備軍と思われる人をシヴュラシステムというものを使って逮捕している。
でも、事前に逮捕ってなると、疑心暗鬼や自暴自棄になって逆に犯罪を犯したりする人も出てくるかもしれない。
無理やり頭で押さえつけたとしても、反発して逆効果になる恐れもある。
一番いいのは犯罪者を生み出した環境などを研究して、そういう環境にならないように対策していくことだと思うんだけど、そう考えるとやっぱり教育って大事なのかなと思う。貧困対策とかも。
でも、この作品を見て一番大事だと思ったのは、人と人とのつながりだと思った。
宜野座と征陸のわだかまりはシヴュラシステムが原因だったし、槙島がみんな孤独だと言ってたけど、シヴィラシステムの一番の欠点は、人と人の信頼とかつながりを壊してしまうことなんじゃないかと思った。
槙島だって、相談できる人がいたり周りの人との暖かいつながりがあったら、こんな思想にはならなかったんじゃないかな。
あと登場人物それぞれが、槙島のような悪役でも自分の信念みたいなものを持って行動しているところが良かったです。
でも!グロいのとか残酷なのとかはなるべく勘弁してほしいかな(-_-;)
ダビデ さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
友メロンパン さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
メタトロン さんの感想・評価
3.1
物語 : 3.5
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 2.0
状態:観終わった
物語は続きが気になるような引き付ける力があった。
が、
キャラクターにあまり魅力を感じなかった。
そして、
設定は面白いが世界観にハマれなかった。
なので、
人物と舞台が薄っぺらく感じた。
個人的総評
もっとサスペンスに寄るかアクションに寄るかした方が良かったと思う。
後半の盛り上がりとは裏腹に説明臭くて怠く感じる。
一見の価値はあるが繰り返し観たいとは思わない。なので
続きは今のところ観ないと思います。
ちなみに
ホログラムの服は理解できない。
勅使河原 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
色んな方々のレビューを読むと何やら西洋の思想家たちの引用があって、考察する人たちはやっぱ頭いいなーなんて思ったり。
学のない私が考察をしても見苦しいだけだから、ここは素直なレビューをしたい。
【ストーリーについて】
1話を見終わって、どうやらとんでもなく面白いアニメを見始めてしまったようだと思った。
1クール目までは、1話1話のストーリーの完成度が高く見終わったあとは必ず面白いと思えた。
全体を俯瞰しても、緻密に練られた脚本で無駄がなくて美しい。
一体脚本は誰なんだろうと調べたら虚淵玄の名前が出てきて納得した。
しかし2クール目に入り哲学的なテーマが織り交ぜられたことで、それまで良いテンポで進んでいたのに突如失速したように感じた。
かなり早い段階でラスボスがわかっていたのも間延びしていると感じた原因かもしれない。
【キャラについて】
この作品ではあまりキャラの魅力を重視してないように思える。
この中で好きなキャラは誰かと問われても、答えに窮するばかりだ。
あと、こういうアニメあるあるなのだが、なんで敵キャラは人生とかをゲームとして考えたがるのだろう。
【気になったことについて】
作中にはやたらと本や西洋の哲学者が登場する。
これは必要なのだろうか甚だ疑問だ。
おそらく視聴者が考察する際に参考にして欲しいから忍ばせてるのかもしれないが、わざわざ会話の中に登場させるほど重要であるとは思えない。
こういう所が中二アニメと呼ばれる所以だろう。
作品のバックグラウンドを伝えるならもっと別の場所でやればいいと思う。
【総評】
脚本は完璧な出来とは言えないにしても、非常に深みを持っている。
中二病患者だけでなく、少年の心を忘れない男性でも楽しめるのではないか。
十分良作と言える作品である。
※追記
このような監視社会をテーマにしたものはオーウェルの『1984年』がしばしば引き合いに出される。
社会を統治するひとつの機関に絶対的な信頼を置くことに疑問を投げかける、というテーマも本作品には含まれているので、安部公房の『第四間氷期』も参考に読んでみると良いかもしれない。
聖剣 さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 3.0
音楽 : 4.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
見る前から好物の芳しい匂いがしてて
結果、予想通りの結果を得られた作品
当時はまだ今ほどアニメに熱心じゃなく
たまたま付けたテレビに映っていたコレを
何の気なしに見始めたんだけど
すでにこの手の作品は
自分の中で攻殻で完成していて
実はそれほど期待していなかったのも事実
ジャンルで言えばサイバーパンクなのか
ディストピアを描く作品という点では
自分の中ではちょっと違和感があって、
本来ユートピアの対義語としてディストピアであって
『超管理社会=ディストピア』ってのとは少し異なるイメージ
もともとあった自分のイメージでは
『ディストピア=混沌』で
ユートピアの安寧の世界観との対義語として納得していた
そう例えるなら
マッドマックス→北斗の拳の世界観かな
ターミネータやシュタゲの待ち受ける未来もそんな感じ
ただ
後二者には共通して反抗すべき敵勢力がいて
これを超管理社会の権化と考えれば
今日におけるディストピアの語彙にも繋がるような気もする
そして
決定打はたぶん全部入りの映画マトリックスだったのかもなぁ
そんなこんなで、
緩やかに変容していったディストピア感を顧みる良い機会だった
ついでに言えば
{netabare}今でも声優に疎い自分が
当時は主人公のざーさんですら認識の外だった
まぁ、声優を指名買いしてアニメ作品を選ぶタイプじゃないので
それほど問題ないんだけど
その彼女が演じるキャラには当初かなり抵抗があった
理由はあの常守朱の目の大きさにあって、嫌悪感にも似た違和感が拭えなかった
あの世界観だと彼女だけ亜人種と言われても仕方のない造形だw{/netabare}
というわけで
そろそろジョージ・オーウェルの『1984年』に手を出すべきなのかな
rFXEy91979 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
ひな花凛 さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 3.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
vWSHY97287 さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
フウ さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
東アジア親日武装戦線 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
【レビュースタイル】
分類:考察
文章量:長文
専門性:高
難易度:高
閲覧留意点
※閲覧に際しては各分野に関する予備知識を必要とする。
【制作情報】
▼放送年:2012年(秋クール)
▼原作:オリジナル作品
▼ストーリー原案:虚淵玄(ニトロプラス)
▼アニメーション制作:Production I.G
{netabare} ▼話数:22話
▼総監督:本広克行
▼監督:塩谷直義
▼キャラクター原案:天野明
▼キャラクターデザイン:浅野恭司
▼脚本:虚淵玄、深見真、高羽彩
▼音楽関係
OP曲
「abnormalize」(#1〜#11)
作詞・作曲・編曲 TK / 凛として時雨
「Out of Control」(#12〜#22)
作詞・作曲・編曲・歌 Nothing's Carved In Stone
ED曲
「名前のない怪物」(#1〜#11)
作詞・作曲・編曲 ryo / EGOIST
「All Alone With You」(#12〜#22)
作詞・作曲・編曲 ryo / EGOIST
劇中曲「Trigger Finger!!!」(#12)
作詞 Shoko / 作曲・編曲 菅野祐悟 / 滝崎リナ
▼主要CAST
狡噛慎也(CV:関智一)
槙島聖護(CV:櫻井孝宏)
常守朱(CV:花澤香菜)
宜野座伸元(CV:野島健児 )
唐之杜志恩(CV:沢城みゆき)
雑賀譲二(CV:山路和弘)
他{/netabare}
1. 序
フランス革命以後近代ヨーロッパ、北米で生じたイデオロギー対立はフランス啓蒙が齎した「自然権」を巡る解釈や考え方の相違であると述べても過言ではない。
本作の核心である「シビュラシステム」を考察ないし哲学を進める上で「自然状態」「自然法」そしてかかるそれらから導かれた「自然権」の概念を領(し)っていることと、いないことで本作の厚みが根本的に変化する。
フランス革命の理論はモンテスキュー*1、ヴォルテール*2、ルソー*3など多くのフランス啓蒙哲学者が関与しているが、とりわけルソーはフランス啓蒙の始祖たる(人間理性の完全性を前提とした→ハイエク*4により否定された設計主義的合理主義)デカルト哲学の直系でもあり、特に国家の統治体制を説いたルソーの「社会契約説」は後年「あらゆるレボリューション」に欠かせないアイテムとなっている。
ルソー曰く「人間は生まれながらにして自由である。しかし、いたるところで鎖につながれている。自分こそが主人だと思っている人も、実は奴隷であることに変わりはない。どうしてこの変化が生じたのか私は知らない。何がそれを正当なものとし得るか、私はこの問題は解き得ると信じる。」*5
さて、初端から哲学を引用したが、このルソーの言説ほど本作の世界観を言い得て妙な文言はそうそう見つからない。
いや寧ろ、脚本(高羽、虚淵、深見)はルソー哲学をベースに本作の世界観が練られたのではないかと疑念するほど「自然状態」と「一般意思」の葛藤が描かれた本作の世界観はルソーが目指したユートピアに近いのではなかろうか。
本作が醸す世界は誰しもが「デストピア」と想像するであろうが、それはゲストとして第三者の立場で本作を俯瞰してのメタ感覚であることを認識する必要がある。
もし、未来の社会が「シビュラシステム」の支配下となっても、最適解で得られる幸福を享受する被支配層のほとんどは彼等に疑問を抱くことは無いであろう。
そう、中華人民共和国で実用化されつつある人民総監視社会「社会信用システム」のようにだ。
さて、ルソーを切り出したことで私のレビューを閲覧している諸氏は、本レビューがまたぞや政治思想に逸れることを懸念乃至は辟易したいることと思う。
また、学生時代に学習したことを思い出し懐かしさに耽る方もいると思う。
だが、勘違いをしてはいけない。
私がここで記述することは中江兆民*6らによってレトリックされたルソーの理想などではないし、世界を血に染める結果となったフランス啓蒙の死神的な所業を暴露することも一つの意思ではあるが、ここでのゴールではないので杞憂である。
また、マルクス思想やコミュニズムについては他のレビューでも触れているが、マルクスの政治哲学を成立させたフランス啓蒙を直接考察対象とするのは本レビューが最初であろう。
無論、保守主義者そして自由主義を尊ぶ者達にとって、破壊主義の始祖ともいえるルソー思想を育んだフランス啓蒙はマルクス主義以上に駆逐すべき存在、即ち人類の敵であることに異存は生じない。
だが、しかし、望むことなかれで生じた社会契約思想がデストピアの入口であっても、終末へと向かう道程は人類に課されたある種の”Fate”に導かれるならば、絶対倫理が支配する全体主義社会の到来は人類にとっては不可避なのかもしれない現実の脅威であるのだ。
フランス革命以後近代ヨーロッパ、北米大陸で生じたイデオロギー対立はフランス啓蒙が齎した「自然権」を巡る解釈や考え方の相違であると述べても過言ではない。
奇しくも本作レビューを推敲している間に鑑賞した『ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』*7に於けるBC自由学園(フランスモデル)のマリーが語った{netabare}「今度革命が起きたらぶっ潰してやる!」{/netabare}の台詞、嗚呼水島努監督もフランス革命を否定している保守派の同士なのかと共感したことが、とても印象的だった。
さて、本作の核心である「シビュラシステム」を考察ないし哲学する上で「自然状態」「自然法」そして、かかるそれらから導かれた「自然権」の概念を領(し)っていることと、いないことで本作の厚みが根本的に変化する。
脚本家達が(おそらく視聴者の知的好奇心を翻弄する意図を含めて)仕組んだ文学、哲学の引用技法に翻弄されるだけでは、本作の深淵を覗くことはできないであろう。
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*1Charles-Louis de Montesquieu(1689- 1755)仏
*2Voltaire(1694 - 1778)仏
*3Jean-Jacques Rousseau(1712 - 1788)仏
*4Friedrich August von Hayek(1899 - 1992)墺
*5Rousseau『社会契約論』(1762)
*6中江兆民『民約訳解』仏学塾(1882)
*7 2019年6月公開
2.世界観の哲学的考察
私として愉快なことは、思想的言説でコミュニズムを批判する行為を批判する階層が「シビュラシステム」を「デストピア」と認識する矛盾であり、この事実で世に蔓延る知識のカオス、即ち価値相対を明確に認識することができたことだ。
私は個人の自由が制限された全体主義の社会に生きることは真っ平御免故に、コミュニズムに代表される全体主義を尊ぶ左翼思想(左翼思想の出自を考えれば全て全体主義ターミナルへ向かう運命にある。)の全てを批判しているのだ。
では、本作のテーマ構築に当たり、何がどのようなサンクションを果たしているのかオービットスペースを検証していこう。
※本項は閲覧者において憲法学、法学、政治学、哲学、科学哲学、心理学、精神医学、自然科学一般の予備知識があることを前提に記述しており、内容は極めて難解であることを御理解願う。
2-1自然法概説
さて、本題に入ろう。神託の巫女を名乗る「シビュラ」の核心とは一体何なのかについて考察を深めていく。
ここから、閲覧者諸氏が頭痛を起こすであろうことは考慮せず「自然法」を説明する。
「自然法」を多少なりとも理解できなければ「シビュラ」の核心を紐解く「自然状態」や「自然権」への到達はハードルが高過ぎるか無理であろう。
まず「自然法」という考え方は、彼等と文化的系譜を異にする我々日本人の思考体系ではイメージするのは、厳しいとの前提認識を肯定することが肝要である。
{netabare} 理解へ向けての第一ステップとして『創世記』を皮膚感覚として捉え、次のステップとしてキリスト教(聖書)、イスラム教(啓典)、ユダヤ教(タナハ)圏(以下、では無条件の摂理である「神は万能なり」を具体的にイメージできる感受性が求められる。
この神は偶像化以前に存在する「創造主」であり、創造主=神=Nature(自然)のマトリックスを形成する。
特に肝要なことは、キリスト教等圏における”Nature”と”Culture(人為の文化)”は日本語における対義関係ではなく”Nature∋Culture”となる、つまり「人為」は「自然」の要素に過ぎないということだ。
つまり、聖書、啓典、タナハを規範とする社会では「人」も神の被造物である要素であることから”Nature∋Culture”の受容を諸氏は法の正体を観念に捉えて承認することが第三のステップである。{/netabare}
さて、以上の説明から聡明な閲覧者諸氏にはピンと来られた方も居るだろう。
自然法とは天地創造より発生した「因」が現在に至るまでに生じる「果」を司る基軸であり、アニメファン向けに例えれば『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)*8における「円環の理」が「自然法」に近しい概念(厳密には等価ではない)であろう。
これでイメージが補完されたであろうか。
そう、「自然法」とは神の被造物、神が定めた世界の条理(法)そのものなのだ。
端的に言えば【神の法=自然法】である。
{netabare} ところが「自然法」は厄介なことに所謂成文法の体裁ではないことから、中世から近世にかけて実態化させるべく様々な解釈論が相次ぐこととなる。
彼等は「自然法」の存続を、実定法の背後に隠れて未だに発見されていない条文のことと思考するが、我が国の法学はあくまで解釈することこそが大切なのである。
この点が自然法から発展した西洋法哲学と、自然法の概念なく理屈の輸入で始まった、我が国の法学思想の決定的な相違点であり、法曹に限らず政治家も「統治」の原理原則や、立憲主義に於いて本来の意味を履き違えるような迷路に陥っている。
この点は後に考察する「社会契約論」で更に厳しく吟味する機会を設ける。
次に「シビュラ」の深淵を紐解くには「自然法」と項目タイトル「近代自然法」の違いについても諸氏は理解を深める必要がある。
そろそろ私の説明だけでは心許ないかもしれないなので、研究論文からも引用する。
「自然法思想はーー形而上学的想定や神学的背景を前提にした中世的自然法から世俗的で経験論的な近代的自然法へとヒューム*9らによって転換され、それはカント*10にも継承されている。
自然法思想は、古代スコラ哲学に起源を持ちーー近代には「神」の存在を必要としない世俗的な形態をとって現れた。
ダントレーヴ*11は近代自然法を、次の三つの特徴をもつとする。
(1)合理主義:自然法は信仰と切り乾された自足的な人間理性によって把接される
(2)個人主義:社会は自由な諸個人が結ぶ契約に由来する「社会契約説」
(3)急進主義:不正な政府に対して「抵抗権」が認められる
しかし、ダントレーヴはこのような近代自然法の理論は、実際には自然権の理論であったと指摘しカントまで自然法の伝統は中断したとするが、このような特徴を共有しない自然法思想の系譜も存在する。*12」
上記の(1)大陸合理論、(2)社会契約説、(3)自然権はこの後に項を設けて説明を展開していく。{/netabare}
-----------------------------------------------------------------------------------
*8本作の脚本は虚淵によるもの。虚淵の思想を彼のコンテクストを通しての読解から考察分析するうえに於いて、バッドエンド回避の為に彼が模索してきたテクストの遷移を評価する必要がある。まず、小説『Fate/Zero』(2006)以前と以後では大きな変化が生じている。このインバータの変革は長い時間をかけて臨界に達したものであるが、彼は常日頃からダークファンタジーを指向する動機として「人々の幸福には辟易するウソ臭さ」と嘯いてのだが、バッドエンドには必ずしも肯定的ではなく、その理念的なパラドックスから生じる葛藤(虚淵自身の言質を借りれば「バッドエンド症候群」であり、これが原因で絶筆も考えた経緯がある。)が、その後の虚淵ドクトリンの格率となる「救済」の発見へと繋がる。小説『Fate/Zero』に於ける「救済」とは「功利主義」(「功利主義」には方法論に於ける広義と狭義があり、ここでは前者を示す。)的な発想、つまり、一人の幸福よりも二人の幸福・・二人の幸福よりもn人の幸福と「功利主義」が掲げる幸福の数値目標的な発想に依拠して「救済」の意味を本作に落とし込もうとしたが挫折する。その答えは同作Vol.1のあとがきで彼が本音を綴っている。『PSYCHO-PASS』のコンセプトにも重要な影響を与えているので、文字数を気にせず「あとがき」を引用する。「物事というのは、まぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく。どう転んだところで宇宙が覚めていくことは止められない。”理にかなった展開”だけを積み上げて構築された世界は、どうあってもエントロピーの支配から逃れられないのである。――故に、物語にハッピーエンドをもたらすという行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力を要求されるのだ。」私は、このあとがきを読んで彼の教養の奥深さと、社会洞察の鋭さに深く敬意を払うに至ったのだ。おそらく彼はアカデミカルな政治哲学への造詣は深くはない。しかし、それでも私が仮説した目的について、彼が政治哲学を踏まえなくとも「円環の理」は「自然法」へと還元される事実を疎明するに足る傍証が豊富であるからである。Magica Quartetの一員である彼自身の「宇宙の法則に逆行する途方もない力」換言すれば宇宙とは神(GOD)であり法則は「自然法」であることを見事に看破し、これを創造するしかないことを明示的に承認しているのだ。功利主義での救済ストーリーが無理だと悟った彼は『魔法少女まどか☆マギカ』では功利主義的描写を抛棄し、鹿目まどかの自己犠牲を通して「利他主義」を救済の前面に押し出す。『PSYCHO-PASS』では『Fate/Zero』で寄り道をした「功利主義」への清算を図る意味でも「利他主義」だけではなく対義の反駁として「利己主義」との相克を描写し否定を深化させる必要があったのではないのだろうか。故に彼にとって過去の自身への皮肉をも「シビュラシステム」に投射しているのだ。
直接参考文献:山本賢一、奥村元気『Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本』河出書房新社(2014)『虚淵玄の思想: 「愛」と「救済」の不可能性という観点から 』紀尾井論叢(2017)虚淵玄、悠木碧、斎藤千和、田中ロミオ『ユリイカ2011年11月臨時増刊号 総特集=魔法少女まどか☆マギカ 魔法少女に花束を』青土社 (2011)斉藤環『キャラクター精神分析』筑摩書房(2011)虚淵玄 小説『Fate/Zero』TYPE-MOON 星海社(2006)
※虚淵氏を考察対象とした上記註釈は一時的にタグを外して公開しています。レビュー全文が追加され次第タグを掛けます。{netabare}
*9David Hume(1711 - 1776)英(スコットランド)
*10Immanuel Kant(1724 - 1804)独
*11Alexandre Passerin d'Entrèves(1902 - 1985)英
*12太子堂正称『ハイエクにおける自然と自然法の概念』經濟論叢 (2005){/netabare}
2-2神の束縛から理性の解放を目論んだ大陸合理論
2-1では近代自然法は大きく二つの系譜に分離したことを説明した。
一つはデカルト*13が提唱した【「大陸合理論」→フランス啓蒙】と二つ目はベーコン*14、ヒューム、ロック*15に代表される【「英国経験論」→スコットランド啓蒙の系譜と法の支配とに峻別される。】である。
ここでは「英国経験論」の存在については意識することに留め、この項では前者「大陸合理論」を中心に説明する。
{netabare} スコラ哲学で発達した自然法のアーキテクチャーはデカルトの登場で神の所有から人の所有へと変化した。
彼の格率とは、理性との対話を演繹する思弁的な導入こそが無謬の価値と認識し、世界を理解しようとする思想である。
デカルトは「人が神の子ならば我もまた神の一部」であるとして人の思弁や意思は神と同等であるとの唯我独尊な価値観から自身の哲学をボトムアップした。
つまり、人類は自らの理性のみの力で世界を解明し(自然法の理性解釈に依って)人類にとって理想的な世界を設計できるとする実態としては確実にデストピアに至る狂気の国家観も「神の存在証明」*16からすべてが始まったのである。
後に、ここから少数のプロテスタンティズム内の神学的な意味合いから哲学へと移行した「理神論」のイドラがドグマの表象を覆い「社会契約思想」へと繋がる足掛かりとなる。
具体的にはデカルトの存在論において二つの存在「思惟の存在、神、論」と「原因の存在、神、論」を見出し、この二つの存在、神、論の「二重化」によってデカルト哲学が特徴付けられているということだ。
そして、二つの存在は論理的にはパラドックスを生じる関係なのだが『方法序説』*17「我思う、ゆえに我あり」は後にカントらの批判に晒されるまでは形而上学のモデルとして当時のあらゆる哲学者の規範的ルールとされたのだ。
少し考えれば、観測される側と観測する側の答えが常時一致(理性万能的課題)すると思考する方がどうかしているのである。
デカルトにおいて「存在者を純粋な存在者という地位に送り返す存在様式」とは、「対象という様式において存在するという存在様式」である。
この対象は知性にとっての対象であり、対象が存在者となるのは思惟されたものである限りにおいてである。
そしてあらゆる「思惟されたもの」に対して「思惟するもの」は先立っていなければならない。
このような思惟するものとその対象との関係は、思惟するものが卓越した存在者であり、さらにその他の存在者より確実に実在することの根拠となる。
このような卓越した存在者は「我(ego)」と呼ばれる。
しかし思惟するものは同時に思惟されるものである。
なぜなら思惟するものは自らの思惟を自身にまで及ぼし、自らを一つの存在者として対象化するからであり、思惟はより本源的には自己思惟を意味する。
そして「我」という卓越した存在者がその他の存在者に先立つと同時にその存在を根拠づけるのであり、対して思惟するものと思惟されるものとの関係によって語られる存在様式は思惟するものの思惟する限りでの卓越的な実在を根拠づける。
こうした二つの根拠付けから思惟の存在、神、論は構成される。
ここで存在、論は存在者を思惟されたものである限りで存在者と見做し、神、論は思惟するものという卓越した存在者としての「我」を見出す。
つまり、思惟するものと思惟されるものの関係は量子論で言うところの重ね合わせの状態であるが、人が認識し得る巨視的な形式で実態化(認識)するには相互の存在条件を否定しなければならない。
しかし、このような致命的なパラドックスの存在がありながらも、当時は高名な学者すらも解釈に翻弄されながらデカルト哲学から更なる合理を追求した結果、唯物論に呑まれ人間性を喪失したジャコバン派*18による大量処刑と粛清を正当化する如く、後にとんでもない悲劇に至るのである。
(フランス人権宣言における「平等」の理念は身分に関係なく処刑の平等化と大量処刑の効率化を促しギロチンが普及する。ギロチンはフランス革命の象徴でもある。)
フランス啓蒙の極限とされる共産主義*19に至っては、神の奇跡を否定する「理神論」から神の存在を否定する理性至上の「無神論」*20へと政治的実行に至るまでに昇華した結果、更に何が起きたかはあらためて記すまでもなかろう。
フランス啓蒙の発達を契機に欧州全域で神と人間は同等とする「理性万能主義」*21が闊歩することとなるが、この思想を社会システムへ適用した場合は後に政治学において「設計主義的合理主義」*22と定義される。
フランス啓蒙が承認した理性万能に立脚した全体主義の嵐は、ロシア革命とボルシェヴィキ支配*23、スペイン内戦*24、ナチス政権*25、文化大革命*26、カンボジアポル・ポト政権*27、天安門事件*28ではジェノサイドや大量虐殺が不特定多数の理性者の名において実行されたことを忘れてはいけない。
(ナチスによるジェノサイドは独裁者ヒトラーの意思であるとの反駁もあろうが、民主的手続きでヒトラーを選択した当時のドイツ国民の意思がヒトラーを彼等の代理人としたことに留意すべきであり、民主主義の名を借りた社会契約に潜む危険性の事実証明でもある。)
ある意味、演繹の絶対的価値に囚われたデカルト哲学の誤謬を戒める目的ではないにせよ、フランス啓蒙の趨勢となった「神の存在証明」はローマ法王庁の逆鱗を買い、彼の著作はイタリア方面で禁書目録とされた。
故に、イタリアは血塗られたフランス啓蒙に大きな影響を受けることなく動乱の19-20世紀の欧州においてファシスト党*29が政権に就く1929年まで思想的な安寧を享受した。
次に、デカルトが提唱した理性主義に唯物論を融合させて「自然状態」を再定義したホッブズ*30の思想について。
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*13René Descartes(1596 - 1650)仏
*14Francis Bacon(1561 - 1626)英(イングランド)
*15John Locke(1632 - 1704)英(イングランド)
*16Descartes『省察』(1641)
*17Descartes『方法序説』(1637)
*18フランス革命期の政治団体。彼等が行った恐怖政治は「テロリズム」の語源となり、また議長席から見て、国民公会の左側の席を国民会派の位置としたことから「左翼」の語源となる。
*19『資本論』1867の共著者フリードリヒ・エンゲルスはその著書『反デューリング論』(1877)で科学的社会主義(=共産主義)は英国古典経済学、ドイツ観念論、フランス啓蒙の合作であることを明示している。
*20Marx『ヘーゲル法哲学批判』(1843)
*21Kant『純粋理性批判』(1781、1787)
*22Hayek『自由の条件』(1960)
*23B.レーニンが率いた「ロシア社会民主労働党」左派、後の「ソ連共産党」の前身。
*24 1936年〜1939年スペインで生じた、共産主義とファシズム勢力の代理戦争。
*25 1932年11月の総選挙で第一党を維持した「国家社会主義ドイツ労働者党」の党首A.ヒトラーが1933年にヒンデンブルク大統領から首相に指名された。
*26 1966年〜1977年まで続いた毛沢東思想復権の社会運動。このときの思想締め付けが遠因となり後にソ連崩壊をトリガーとして文化人、学生を中心とした民主化を訴える天安門事件に至る。
*27カンボジア共産党中央委員会書記長で共産党ゲリラ組織の「クメールルージュ」を率い1976年に首相に就任した。パリ留学中にフランス革命に強い感銘を受け、フランス共産党で共産主義を学ぶ。統治は原始共産制を理想としたマルクス原理主義であり、知識人、政府関係者等の旧ブルジョア階級を徹底的に弾圧し、大量虐殺を行う非人道的かつ文化破壊等の過酷極まりない政策を実行した。
*28 1989年6月4日、天安門広場に籠城している一般市民に対し人民解放軍が戦車を投入し実弾発砲してデモを強制鎮圧した事件。多数の死傷と政治犯として多くの市民が逮捕された。事件の模様は全世界にライブ中継され世界中で中国批判が巻き起こった。
*29イタリアの政党1922年設立。党首はB.ムッソリーニ。
*30Thomas Hobbes(1588 - 1679)英(イングランド){/netabare}
2-3自然法と唯物論のメランコリー
2-3-1唯物論
{netabare} 「唯物論」とは「物質を意識に対して根源的であるとし,感覚,知覚,表象など一般に人間の意識を客観的存在の反映としてみる物質一元論的世界観。」*31
お分かり頂けたであろうか。
以前、他のレビューで「史的唯物論」を説明したが、これはL.フォイエルバッハ*32系譜の「唯物論」の一つの形態であるだけで、本来「唯物論」は哲学分野における幅広いコンテクストの一種であり、かつ、世界観の解釈であると理解すると良い。
英語では”Materialism”でありイデオロギーとして分類されている。
要は、実在社会(形而下)で起こるすべての現象は「因果律」に支配されていることから、必ずしも現実とは不等価である「形而上学」をすべて「因果律」で解き明かそうとする姿勢、態度のことだ。
本来、自然科学にしか適用されない因果律の状態を形而上学にも適用する妄想の産物と断言しても良い。
つまりポパー流に言わせれば、反証の可能性があろうがなかろうが現実から空想まですべてを因果律でこじつける態度である。*33
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(2019)における量子論設定の妄想は苦笑いで済むが、唯物論は政治思想として発達し、結果、大量虐殺を招いているのだから単なる哲学的妄想では済まされないのだ。
例えば、満天の星空を見て、感情では「とても綺麗だ!」と思うのだが、唯物論では「網膜が星の光を感知し視神経を通して脳でイメージを表現している。」と考える。そこに星空に対する情緒を認める姿勢はない。
上記のように「唯物論の世界観」では人間の心象は「因果律」の範囲外であり、人間の自由意志や感情をまったく認めないか、さもなければなんらかの法則性に従うものとみる。
「唯物論の世界観」においては人間もまた機械的な道具の一種と看做されるのだ。
「唯物論」は(弁証法を用いた場合、哲学における対峙概念は被対峙概念と等価となる。)あらゆる全体主義的思想を構成することからも、コミュニストやナチスが人間的、人道的な葛藤を抱くことなく、機械的に大量虐殺を実行し得た思想のカラクリ(狂気の発生)も御理解頂けたであろう。
シビュラ曰く「再確認しましょう。常守朱、あなたはシビュラシステムの無い世界を望みますか?そう、うなずこうとして躊躇してしまう。あなたが思い描く理想は、現時点で達成されている社会秩序を、否定できるほど。明瞭で、確固たるものでは無い。」
上記第20話*34における「シビュラ」と常守朱の会話を思い出して頂きたい。
なる程、常守朱の意識にある正義は「シビュラ」から見れば因果律が存在しないタダのセンチメンタル(特殊意思)に過ぎないのだ。
現にあるシステムは因果律により保証されている前提があるからこそ、常守朱としては心理的な抵抗はあろうとも、ロジック的な正しさは受け容れざるを得ないこの状況こそ「シビュラ」の発想が「唯物論」に依拠している事実として御理解頂けるであろう。{/netabare}
2-3-2自然状態
{netabare}さて、常守朱においては「シビュラ」の正しさは認めても自身の感情には割り切れない何かがある、この状態の部分が社会契約における「特殊意思」であるが、啓蒙の時代、この概念に至る前に「自然状態」なるモデル概念が近代自然法の解釈過程で生じた。
本作の背景設定では世界中で「法治国家」を維持しているのは日本だけだが、「法治」ではない状態として他の国の国民(市民)はホッブズがモデリングするところの闘争状態にある「自然状態」であり、人間の本質構造の規定に基づいて、万人がアトム的な存在において平等かつ自由であるような国家を創造することが闘争のない「法治国家」なのである。
それ故に、本源的な恐怖こそが、同じく人間の本性に根ざしている他者を支配しようとする欲求を押しとどめているとし、恐怖は懸念であり、疑惑、不信、用心といった精神活動へと発展して行くとしている。
ホッブズ曰く。
「もし恐怖 がなくなれば、人間たちは生来益々熱心に、交際することよりも支配することを望むだろう。したがって次のように言わなければならない。あらゆる大きく長続きする社会の本源は、人間が抱き合う相互的な好意よりも、彼らが抱き合う相互的な恐怖にある。 」Hobbes(1642)*35
「主権は全体に生命と運動をあたえる人工の魂であり、為政者たちやその他の司法や行政の役人たちは人工の関節である。ーー内乱のさいの悲惨で恐るべき災厄と、支配者のいない人々のあの無法状態と比べると(主権への服従という)人民におこりうる最大の不便さえも大したことではない。ーー人民が主権者の命令によって殺されることがありうるが、そのようにして死につく者は、その行為をする自由をもったのであり、自由を侵害されたのではない。」Hobbes(1651)*36
お分かり頂けるであろうか。
ここで引用を行うのは、テクストを解釈的に決めつけることを極力避ける意味で、諸氏に彼の思考を読解して頂きたい主旨故にである。
ホッブズが考えた「自然状態」とは「自然法」の枷せが外れた社会における人間の本性を意味する。
しかし、そのような状況下では社会は維持できない。
再度、ホッブズ曰く、
「社会状態の外には、各人の各人に対する戦争がつねに存在する人々が、彼ら
すべてを威圧しておく共通の権力なしに生活しているあいだは、彼らは戦争と呼ばれる状態にあり、そういう戦争は各人の各人に対する戦争である。
すなわち戦争は、たんに戦闘あるいは闘争行為にあるのではなく、戦闘によって
争おうという意志が十分に知られている一連の時間にある。」Hobbes(1651)*36
ホッブズが言う「戦争」とは実際の戦争ではなく、人間同士の闘争カオスのメタファーであるのだが、状態として自然状態にある人間は恐怖の中で互いに向き合っていことを「戦争」で表現しているのだ。
さて、故に、社会(統治)の永続性は「彼らが抱き合う相互的な恐怖にある。」。
「シビュラシステム」の支配下にある市民は執行対象とならぬよう、色相の濁りを常に気にしメンタルヘルスのメンテナンスに務めなければならない。これこそが一方の側面である「執行される者」の恐怖を模写しており、「臣民が主権者の命令によって殺されることがありうるが、そのようにして死につく者は、その行為をする自由をもったのであり、自由を侵害されたのではない。」Hobbes(1651)*36と執行する者はされる者の自由を守ったと考える奇妙な関係性(相互的な恐怖)である。{/netabare}
2-3-3シビュラシステムと唯物論の親和
{netabare} 本項の主題は「唯物論と自然状態」である。
「唯物論」とは如何なるものかは既に説明をしているが、人間はあくまで生物活動体であり、本来そこには各人の持つ個性が存在するが、これは一切抹消され、画一された物質的な存在と規定される。
つまり、唯物論が想定する社会に存する人間に個性の概念などはなく、皆同じ思考で同じ行動を行う「アトム(原子で構成された物体の意)的な人間」が抽象的に存在するのみである。
雑駁に述べれば、唯物論が土台の社会(社会主義や共産主義など)において人間は「モノ」と同列なのだ。
そして、人間のアトム化とは「無神論」を背理で具象していることに留意されるとともに、純粋な唯物論の世界に「神」は存在しない(してはいけない)のである。
再度ホッブズ曰く(括弧内は私の加筆)
「世界にすべて存在するものは物体であり、それは自然的物体、人工的物体、中間的存在である人間体に区分される【唯物】。人間は元来利己的動物【自然状態、特殊意思】であるから、合意的契約をもって社会の平安を図らねばならず【社会契約】 個人の上に絶対的権威、すなわち人工的物体の最高位である統治機構【一般意思】を必要とする。」Hobbes(1651)*36
そして、人間とは恐怖の枷(統治システム)がなければ好き放題なことを行う利己的な存在である故に、個人が持つ一切の自由と権利を放棄して主権に服従せよと説く。
さて、閲覧者諸氏はなぜかくもスムースに英仏間で思想の連携が行われているのか疑問に湧く方もいるだろう。
一つは、デカルトとホッブズが旧知の間柄であったことと、更に大きな理由として、当時の英国はイングランドであり、スコットランドやアイルランドは別の王国であったこと。
特に、宗教的には英国国教会とは独立しており、カトリックが多いスコットランドは大陸(フランス)との文化往来が盛んであり、フランス啓蒙がスコットランドの哲学者に影響を与え、英国経験論(スコットランド啓蒙)という独自の哲学に発展し、スコットランドのみならずイングランド全土へ二つの啓蒙思想の影響が伝播する。
字数に余力があれば「シビュラシステム」を掘り下げる意味で英国経験論にも言及すべきであろうが、それはまたの機会にする。
さて、ここまで読了してくれた聡明な閲覧者諸氏には「シビュラシステム」とは「PSYCHO-PASS」結果で生じる不安を担保に市民を統治する恐怖政治の一種であることにもうお気づきであろう。
「シビュラシステム」の統治下おいては犯罪係数の規定値が100未満の者のみ市民の権利が最大限保証される社会である。*37
唯物論では人間であるか否かまでも生物学的事実で規定するのだが「シビュラシステム」が認定する市民も、複雑なアルゴリズムで計算された数値で判断される。
なお、この計算内容、結果の真偽について、作品中では仮説演繹よりも帰納的事実を強調して視聴者に描写されていることに十分留意する必要があるのだが、かかるレトリックは、意図的に狡噛慎也、槙島聖護、常守朱意における「シビュラシステム」へ葛藤を最大限に引き出す驚愕のシナリオ構成と演出である。
よく比較される『攻殻機動隊』シリーズでは、ここまでマニアックな哲学的細工を施した演出は行われていない。
また、本作は、多くの哲学者、文筆家の言葉が引用されていることから「衒学」の疑念も湧くかもしれないが、脚本家達が哲学者や文学者の言葉を引用したのは、それをプロットに落とし込んで物語を成立させる絶対の自信と、単に台本をなぞるだけではなく、それられと整合した演出技法としても哲学をバインドしたことは映画『地獄の黙示録』、我が国の黒澤作品と並ぶものであり、アニメ離れをしたテクニック故に確実に知的好奇心を揺さぶるのだ。
端的に表現をすれば『攻殻機動隊』は哲学に対して素直でありリスペクトの対象としていることに対し、本作は哲学に対して捻くれており、哲学と遊んでいるのだ。勿論、後者の方が私流の褒め言葉である。
以下は蛇足であるが『劇場版 幼女戦記』(2019)においてターニャ(ターニャ・フォン・デグレチャフ)がコミュニストを忌み嫌っている描写がある。
これは、ターニャの前世の日本の社畜が所謂「新自由主義」の代表格としてよく取り上げられる「シカゴ学派」に心酔している設定において、資本主義と計画経済の二項対立を企図したのであろうが、ここまでの解説を熟読された熱心な諸氏は本作や『攻殻機動隊』と比して『幼女戦記』の政治哲学設定の希薄さを禁じ得ないであろう。
ターニャの思考様式は明確に「唯物論」であり「シカゴ学派」の格率に存在するものは「唯物論」とは対極に位置する「法の支配」と「プラグマティズム」、「批判的合理主義」である。
私としては、同作品において「シカゴ学派」や「大陸合理論」、「理神と無神の峻別」に対する理解と知見不足を曝け出しただけに思うし、原作者はアカデミカルに則り政治哲学を勉強すべきであろう。
これ以上の詳細は、同作のレビューで述べる。
本来、人が人であることの証は人同士の相互認識(印象)で成立するものだが、人格の数値データ化や、生物学的な定義のようにマテリアルな事実を杓子とする考え方、即ち唯物論の世界観は歴史的事実に鑑みても、コミュニズムに代表される全体主義左翼思想にしか適用されていないのだ。
故に唯物論から紐解かれる「シビュラシステム」の概念の一部はホッブズの図版にあったと仮説できるが、ここまで「理性(万能)主義」、「理神論」、「無神論」、「唯物論」、「自然法」、「自然状態」と説明を続けてきたが、これでようやく「シビュラシステム」の哲学的核心の半分に到達したか否かであろう。
次項「自然権」、「社会契約」、「デストピア」推論と考察。
以後、追記予定。
(仮題)
相対的応報刑論、目的刑論から「シビュラシステム」の推論と考察。
物語構成技法の検証。
作品各論。
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*31『ブリタニカ国際大百科事典』 ブリタニカ・ジャパン(2018)
*32Ludwig Andreas Feuerbach(1804 - 1872)独
*33Popper『科学的発見の論理』(1934)
*34#20 「正義の在処」
*35Hobbes『市民論』(1642)
*36Hobbes『リヴァイアサン』(1651)
*37公式サイト{/netabare}
文字数制限の関係で本レビューは分割掲載とします。
ここまで乱筆乱文なレビューを閲覧していただき、深く謝辞を述べます。
To Be Continued
2019年6月30日初稿
でこぽん さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
近未来の世界、
警察組織である公安局は、犯罪を犯したものを逮捕するのではなく、
犯罪を犯す可能性があるものを逮捕する。
犯罪を犯す可能性があるかどうかは、人の心の状態や性格傾向を数値で表した『シビュラシステム』が判断する。
これにより、国民の安全は、格段に保障される・・・はずである。
だが、いつの世も、理不尽なことがまかりとおる。
シビュラシステムが犯罪者として認識しない者は、どんな残虐なことをし、多くの人を殺傷しても、決して逮捕できない。
法律がその犯人の人権を保障している。
これは現代を風刺しています。
東洋のある島国では「被害者よりも犯罪者の人権を大切にしているのでは?」と、思える法律があることをご存知でしょうか?
未成年者であれば、どんなに多くの人を殺傷しても死刑になることはない。
精神が異常だと判断された者は、年齢に関係なく、どんなに酷いことをしても無罪となる。
被害者は泣き寝入りするしかありません。大切な家族が奪われても何の補償もありません。
この物語には、二人の主人公が登場します。
一人は公安の新人監査官である常守アカネ。
もう一人は公安の執行官である狡噛慎也。
二人は、この世界の法律の理不尽さに気づき、大いに悩み、葛藤します。
そして二人は、それぞれ心にある正義を貫くために、別々の道を歩みます。
私は、常守アカネの成長に感動しました。
彼女は決して美人ではありません。それほど可愛くもありません。
でも、彼女はいつも一生懸命生きています。真剣に悩み、あがきながら一歩一歩成長します。
いつの世でも、一生懸命生きることの大切さを、彼女は教えてくれました。
そして私は、いつの間にか常守アカネを大好きになりました。
まだ、このアニメを見られていない方は、是非見てください。
このレビューでは語りつくせないことが、まだまだたくさんあります。
大いに感動し、法律の矛盾に悩み、葛藤することでしょう。
{netabare}
世の中は、奴隷制度から封建制へ、そして民主主義国家となり、人々の人権は向上しました。
しかし、理不尽なことは、まだまだ世の中にはあります。
私は、犯罪を犯す可能性があるものを逮捕するのでなく、犯罪を犯さないような世の中をつくるのが大切だと思います。
それは決して簡単なことではありません。
でも、簡単にできることから一歩ずつ始めれば、いつか達成できると思いたい。
例えば、
・「おはようございます」と隣人にあいさつする。
・困っている人に親切にする
それだけでも、世の中は大いに良くなると思います。
{/netabare}
ゆずぼうず さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
いや、もう絵もストーリーもこれ以上ない位緻密にして精密。op、edもスタイリッシュ×二乗という感じ。
こんな話良く思い付くなと感心しきりですよ。ハードボイルド極まれり。
最終話まで一気呵成に見せますが、オッサンはちょっと気を抜くと置き去りにされましたwww
ということで大したアニメなのですが、ひねくれたオッサン的にはやっぱり突っ込まずにはいられません。
コウガミ。あの見かけにしては随分雄弁だし、傷の回復が速すぎるwww。トキモリアカネ。なぜ色相濁らんの、もうちょっと深掘りせいや。
あとヒロインとして致命的に色気なしwww。
ドミネーター。メカとして萌えるが、目の前で殺人を犯した人間を撃てないとかwww
決定的なのが物語として、カタルシスがないこと。少なくともオッサン的には。
そんなこんなで、近未来をかなりリアルに描いてはいるのだけれど、そこまで鬱に描くか?と言うねwww
個人的には、嫌いな部類の作品なのでした。
nan-nan さんの感想・評価
4.9
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
ASKA さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
1期を観終わりました。
内容は近未来のSFの刑事ドラマですね。
シビュラシステムというシステムに管理されてる世界で主人公の女性常森朱が監視官となって部下の執行官の狡噛慎也や他の執行官と事件を捜査し解決していく内容です。
いろいろと事件が起こりますが、その裏でマキシマという男がいることがわかってきて逮捕するために捜査するという内容になります。
1期目観終わりましたが、続きがあるみたいなので2期目も観てみようと思いました。
プラント浜口 さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
むらさきたましい さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
近未来のサイコサスペンス物で、魔法や超能力はありません。
当初は単発の事件に見えた事件が、どんどん繋がりを見せていきます。
そして、後半はこの世界の根幹となっているシステム自体の信頼性にまで話が及んでいきます。
最初は頼りなく周りについて回っていただけんヒロインが、覚醒した後は、非情なまでに対応する姿が素敵でした。
人気があるのが理解できる、とても素晴らしい作品でした。
遊微々 さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
シビュラシステムと呼ばれるシステムにより人間の心理状態や職業適性や深層心理などが数値化された近未来の日本を舞台にしたサイバーパンクもの。
前半はそんな世界の中で犯罪者と戦う刑事たちを描いた刑事ものとしての側面が強く、後半は物語の核をなすシビュラシステムの本質に迫る哲学ものとしての要素が強い。
正直前半の刑事サスペンスがとても面白かったため、後半の哲学的要素を多分に含んだ展開には気を落とした。最初から後半のような流れだったら楽しめたのだろうが・・・
なので今作における評価の8割は前半パートである。
特に6~8話までにおいて展開される王陵璃華子編は必見。
これほどのサスペンスは中々お目にかかれない、ここだけ新規エピソードなどを加えて再編集して劇場版にして欲しいくらいである。
雀犬 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
【概要】
ノイタミナ枠で放送されたSFクライム・サスペンス。2クール22話。人間の心理状態や性格的傾向を計測し、数値化するシビュラシステムが絶対的な法とされる近未来の日本が舞台。本広克行×虚淵玄×天野明×Production I.Gの豪華タッグによって制作された。犯罪係数を指標として治安維持を担う公安刑事たちはシステムによる監視の目を掻い潜り、凶悪事件の裏で暗躍し続ける謎の男を追いながら、人々を実効支配するシビュラシステムの闇へと迫っていく。安全神話を揺るがす猟奇殺人にテロ犯罪。スリリングな展開で引き付けつつ、「本当の正義とは何か」「本当の幸せとは何か」など視聴者に問いかける奥深い作品になっている。
【所感】
{netabare}
『PSYCHO-PASS』が描くのは人の精神までもがシステムで数値化される超監視社会だ。個人の能力を最大限に活かし安定した生活を送るという大義のもと、2112年の日本の人々は職業適性から友人・配偶者などの人間関係、日々の食事に至るまで、あらゆる行動をシステムの測定値(通称サイコパス)を頼りにして生きている。このような監視社会の根幹にある思想は功利主義であり、ジェルミー・ベンサムの提唱した「最大多数の最大幸福」が実現された世界だといえる。
功利主義は政治的・倫理的な正義の基準を快楽・幸福に対する貢献、苦痛の軽減によって判断するという考え方で、この考え方を個人のみならず社会全体に対して適用する。したがって、例え少数の人間が犠牲になったとしても多数者の利益になるのであればその行為は肯定される。シュビラシステムによって低いサイコパス値を突き付けられ、価値の低い人間と判断された人間が不利益を被ったとしても、大多数の人間の幸福のために甘受せよということだ。
功利主義は利害の対立による争いや差別を生むため、問題視されることが多い。しかし功利主義は理念を直観的に理解しやすいという大きな利点があり、現実では功利主義的な考え方で正当化されている社会通念や制度も多い。例えば、沖縄に米軍基地を置くは日本全体の国防を考えれば仕方ない、といった主張も功利主義に当てはまるだろう。
功利主義の始祖、ベンサムのアイデアに「貧民管理」の改善プランがある。これは貧しい者のために、自己資金で運営される救貧院を設けようとするものだった。路上の乞食を減らすことを目的とするその計画は、功利主義者の理論を鮮明に映し出している。ベンサムはまっとうに社会で働く者からすると不快な乞食を街から排除し、救貧院に閉じ込めることを提案した。
つまりホームレスはみな施設送りにしてそこで働かせようという提案だ。これは乞食にとって不当な施策に見えるが、乞食の中にも施しを乞うよりが救貧院で働く幸せだと方が言う者もいる。現代の日本にも刑務所に戻るために軽犯罪をわざわざ犯す者がいるくらいだから、19世紀のイギリスにもいるだろう。幸せで羽振りの良い乞食などごく少数であり、悲惨な境遇にある乞食の数は遥かに多いと予測し、ベンサムは「一般の人々が甘受する苦痛や不快の総和は、救貧院に収容される乞食が感じるすべての不幸よりも大きい」と結論付ける。
『PSYCHO-PASS』の治安維持の考え方はベンサムの救貧院プランと酷似している。犯罪係数が100以上の人間は潜在犯と認識され、保護施設に送られ更生プログラムを受けることになる。潜在犯を隔離することで健常者は安心安全な生活を送れ、他者から色相な濁るような悪影響を受ける可能性も減る。精神が清らかでない者は大多数の幸せのため、排除の対象とする。
本作は新自由主義経済の歪みによる貧富の差の拡大から、世界的な倫理道徳感の崩壊を招き、紛争や犯罪で世界各国が崩壊した後、日本はシビュラシステムによって地球上唯一の法治国家(第17話)として再建を果たした、という設定である。よって治安維持の優先度は過剰なまでに高められている。そのような前提があり犯罪者予備軍の排除という極端なリスクヘッジが正当化されているわけだ。
しかし実際には狡噛が「更生施設から正常な状態で社会復帰する人間はほとんどまれだ。ほとんどいないと言っていい。(第12話)」と語るように更生システムは破綻しており、刑事の視点から物語は描かれるため殺人やテロを視聴者はずっと目にするのだから、安心安全な社会が実現されているという感覚は全く持てないだろう。むしろ自由の剥奪という大きな問題を抱えているように見受けられる。
さてベンサムは功利主義に基づく福祉の実現としてもう一つ、刑務所の改革案も提案している。かの有名な「パノプティコン」である。パノプティコンは看守が中央の監視塔からすべての収容者を監視することができる円形の刑務所で、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えないように設計されている。ベンサムはそのような環境で囚人たちが労働に励み、自立した生活を送ることを想定した。当時のイギリスの刑務所は暴力が蔓延る劣悪な環境だったらしく、実は人道に配慮して考案されたものなのだが、ベンサムが生きている間にパノプティコンが建設されることはなかった。
パノプティコンが有名になったのは彼の死後、20世紀にフランスの思想家フーコーが著書「監獄の誕生」で監視社会の比喩としてベンサムのパノプティコンを紹介したことによる。囚人たちは「見られている・監視されている」という意識を植えつけられることで、規則に従うという「規範」が内面に生じてくる。フーコー曰く、この調教の仕組みこそが権力の本質であるという。犯罪者の自力更生に尽力し、教育・改造して社会的に復帰させていく啓蒙的で功利的なシステムとして考案されたパノプティコンであったが、フーコー以降は管理社会の象徴として頻繁に持ち出されるようになったのだった。
シュビラシステムの支配も本質的にはパノプティコンと同じである。『PSYCHO-PASS』の世界ではドローンやカメラがあらゆるところに配備され、サマティックスキャンによるサイコパス測定が知らず知らずのうちに実行されている。人々から監視の実態は見えない。だが自分たちは監視されており、問題行動を起こし犯罪係数が上がれば拘束されることは把握している。規律を乱す者は最悪、ドミネーターによる殺処分が待っている。都市のシンボルとしてそびえ立つ厚生省ノナタワーは、まさに監視塔を現前させたかのような建築物だ。自分たちは見られているという意識付けが社会規範に従順な人間を生み出し、シビュラという権力を盤石なものにしている。そんな管理社会に反旗を翻す男が槙島聖護だ。
「あいつは――― マックスウェーバーを持ち出された継の瞬間には、フーコーやジェルミー・ベンサムの言葉を引用して返すでしょう。」「システムというよりは巨大な監獄では?パノプティコン、一望監視施設の最悪の発展形。最少の人数で最大の囚人をコントロールする」(第19話)
槙島は「意思に基づいた行動のみが価値を持つ」という信念を持ち、シュビラシステムに憎悪の感情を抱いている。彼はサイマティックスキャンを妨害するヘルメットを製造・配布して一般人による犯罪を誘発させたが、槙島のテロはシステムに飼いならされ防犯意識や自衛能力が低下した人間の脆さを浮き彫りにした。自己決定をしなくなった人間が堕落していくことは想像に難くない。
本サイトの感想を眺めると、槙島には同情してしまうという感想も散見される。確かに支配と権力を否定し、非人間的な支配システムに抵抗する槙島の姿勢には一定の理解はできる。だがしかし、狡噛が看破したように槙島の心に巣喰うのは正義感ではなく根深い疎外感と被害者意識である。現実のテロリスト達の動機と変わりはしない。透明な存在である自分がテロ行為によって世界に認知されたいという歪んだ欲望は『残響のテロル』のナインと通底している。槙島がしばしば引用する哲学者や文豪の言葉は、自分自身を正当化する手段に過ぎない。よって僕は槙島を完全に否定したい。
さて一方、シュビラシステムによる監視社会には批判的な意見が並んでいる。本作が管理社会の闇を引き受ける刑事たちの物語であり、格差による社会の歪み・システムの脆弱性・人間の劣化など欠点ばかりを見せられるのだから嫌悪感を持って当然だろう。シュビラシステムの正体が禍々しいバイオコンピュータだったという衝撃も大きい。しかし私たちが生きる現実世界は、着々と監視社会へ向かっているのである。
理由は2つ挙げられる。2001年の同時多発テロはアメリカ国民に衝撃を与え、安全と平和の希求から世界中の通信データを傍受する監視システムが構築されたという。つまりテロ対策が監視社会を正当化する口実となってしまったのである。そしてもうひとつがテクノロジーの進化。ネットを通じて個人情報のやり取りが常に行われ、ビッグデータやAIの運用に人間の大量の行動データが利用されているのは周知の通りである。
テクノロジーによる監視が最も進んでいるのは社会信用システムを国家政策として推進している中国だろう。アリババの芝麻信用(セサミクレジット。名前の由来はアラビアンナイトの呪文「開けゴマ!」らしい)やテンセントのテンセント・クレジットが有名で、既に社会インフラとして機能している。個人の行動を監視・採点し、数値化。信用スコアの高さ・低さによって恩恵・不利益を受けることになる、PSYCHO-PASSとほとんど変わらない世界が構築されつつあることに驚かされる。もしベンサムが生きていて今の中国を見たら、理想の国家だと評するのだろうか。
民主主義の国とて全く例外ではない。例えばインターネットの広告は、いつのまにやら最近関心のあるものに自然と置き換わるようになった。動画サイトや買い物サイトを利用すると、ご親切にも次に見るべきムービー、買うべき商品を教えてくれる。これは考えてみれば不気味だし、知らず知らずのうちに私たちは選択の自由を奪われていることにお気付きだろうか。
別の例を出そう。2018年度のNHKスペシャルで取り上げられていたのだが、アメリカで最も犯罪率の高い都市シカゴでは犯罪に関わる可能性のある人物をAIによって炙り出すシステムを警察が導入している。このシステムの問題は加害者になるのか被害者になるのか分からない状態で関連度が数値化されることである。スコアによる風評被害は当然起きている。知人が事件に巻き込まれるだけでスコアは上がってしまうという。こんなシュビラの犯罪係数と比較しても遥かに不完全なシステムが実運用されているのだ。
現実の監視は『PSYCHO-PASS』よりも巧妙で、監視されていると自覚することすらなく秘密裏に行われている。まるで囚人たちが自分たちは監獄にいることすら知らずに生活しているように。私たちは自由を守れるだろうのか。それとも快適さや安全と引き換えに自由を差し出すことが正義になってしまうのか。本作は2012年のアニメだが、今見ると監視社会への警告がより痛切に感じられるだろう。
{/netabare}
大重 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
Mi-24 さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
徹底的に管理された、いいのか悪いのかよく分からない世界。
この管理社会に疑問を持つ主人公が、徐々に謎を解き明かしていく。
ストーリーが面白くて良い。クライマックスも良かった。
登場人物もいい。
主人公の新人刑事と百戦錬磨のベテラン。
新人刑事が上司でベテランが部下という設定も面白い。
最初一人で何も出来なかった主人公が、ベテランの助けを借りながらも事件を解決し、段々逞しくなっていく。成長物語もいい。
あまりスカッとする内容ではないが、面白いアニメ。
シワーる さんの感想・評価
4.9
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
硬派なSFアクションアニメです。
登場人物もみな魅力があり、彼らの思惑や行動が交差することで物語にうねりが生まれる。劇伴もかっこいい(歌は英語なのが嫌だった)。
描かれる世界観にも一面の現実味があって、現在のようにコンピュータの判断に依存する社会の行き着く先に思いをはせる社会風刺のようにも感じられました。
なによりも緊迫感が素晴らしいです。見だしたら止められなくなります。
PSYCHO-PASS サイコパスのレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。
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人間の心理状態や性格的傾向を、即座に計測し数値化できるようになった世界。あらゆる感情、欲望、社会病質的心理傾向はすべて記録され、管理され、大衆は 「良き人生」 の指標として、その数値的な実現に躍起になっていた。人間の心の在り方、その個人の魂そのものを判定する基準として取り扱われるようになるこの計測値を人々は、
「サイコパス(Psycho-Pass)」の俗称で呼び慣わした。(TVアニメ動画『PSYCHO-PASS サイコパス』のwikipedia・公式サイト等参照)
関智一、花澤香菜、野島健児、有本欽隆、石田彰、伊藤静、沢城みゆき、櫻井孝宏、日髙のり子
ストーリー原案:虚淵玄、キャラクター原案:天野明、 総監督:本広克行、監督:塩谷直義、脚本:虚淵玄/深見真/高羽彩、キャラクターデザイン・総作画監督:浅野恭司、ドミネーターデザイン:石渡マコト、色彩設計:上野詠美子、美術監督:衛藤功二、3D監督:佐藤敦、撮影監督:荒井栄児、編集:村上義典、音楽:菅野祐吾、音響監督:岩浪美和
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