「Angel Beats!-エンジェルビーツ!(TVアニメ動画)」

総合得点
90.1
感想・評価
14630
棚に入れた
48143
ランキング
64
ネタバレ

ナルユキ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

成功の秘訣は「泣きゲーパイオニアの自由にさせない」こと

作画、音楽、演技がトップクラスの高クオリティを示す「Key×P.A.WORKS」によるオリジナル作品の初作。脚本は後に『Charlotte』や『神様になった日』などの問題作を出すことになる麻枝准氏が担当しているが、彼の手綱は『瀬戸の花嫁』『暗殺教室』『Persona4 the ANIMATION』『あそびあそばせ』────そして『結城友奈は勇者である』の監督を勤めた「岸誠二」氏が握る。岸監督の手がけた作品の特徴として、次回予告に台詞を読み上げた字幕のみを作為的に組み合わせて映し、次回への期待感をより煽る演出が共通して使われている。無論、この作品も。
アニメ制作において最もウェイトを占めるのは脚本家よりも監督。この事実は私も最近知ったようなものでまだまだそんな実感もわいてこない。話を作るのは脚本家なのだから話が悪い作品は脚本家のせいで出来ると思いがちになる。麻枝准氏の評判も「この作品で才能が枯れた。だから後の作品が酷い」と陰で叩かれているようだ。
しかし、やはり違う。良いシナリオというものは決して独りでは作られない。『SHIROBAKO』の描写でもある通り、アニメは監督と脚本家の協議によって初めて成り立つ────“相性”が大事なのだと、この作品で初めて痛感したのである。

【ココが面白い:“枷”の外れた世界観】
後作の『Charlotte』や『神様になった日』は超能力などを盛り込みつつも飽くまで現実世界を舞台とした「SF」であった。現実世界には様々な描写の「制約」があり、その制約に抵触した分だけ私たちから「整合性に欠ける」作品として非難されるわけである。麻枝准氏の後作はこの制約に抵触する回数が多かったと思う。俗に言う「ツッコミどころ」というものだ。
『Angel Beats!』にはその欠点が殆ど見られない。なぜならこの作品は天国でも地獄でもない「死後の学園」を舞台とした「ファンタジー」なのだから。
既に死んでいる登場人物たちは心臓を一突きにされようが鈍器で100発殴られようが死ぬことはない。望めば「消える」こともできるが死んだ人間が次も人間に転生できるとは限らない。そうも思って少年少女たちは消えるのではなく「抗う」ことを選び続ける。学園のルールに従わせようとする『天使』に対しては銃器を取り、血生臭い戦いに臨んでまで────
ここまでぶっとんだ世界観に何も知らない主人公を放り込むことで序盤はそのぶっとんだ世界観の懇切丁寧な説明もされており、現実世界の制約がまるで通用しないことが解れば現実主義者は回れ右をするか、そんな主義を捨てて主人公と共に本作における「戦いの果て」を見届けるかの二択を取るしかなくなる。少なくとも2つの後作の様な、回を重ねる毎に不満が募っていく展開を描いていない。それ程までに序盤の掴みや話のテンポも良いのである。
『順応性を高めなさい』という台詞をヒロイン・仲村ゆりの口癖にしているのも上手い。言われる主人公を通じて視聴者に、細かいことへツッコミを入れることを野暮にも思わせてくれる。

【ココも面白い:“消える”ということ】
死とは無縁の登場人物たちだが、決して物語の途中で退場しないわけではない。
本作は頻繁にギャグアニメのような「死に芸」が披露される一方で、ここぞという時に少年少女たちの凄惨な半生と残した「未練」が明かされ、その解消時に訪れる「消滅(成仏)」という別れを繰り返し描き、当時の話題を沸騰させてきた。
{netabare}トップバッターの岩沢雅美(いわさわ まさみ)が件の第3話で消滅。アニメの「3話切り」の風潮は『魔法少女まどか☆マギカ』が広めていったが、少なくとも先に始めていたのは本作『Angel Beats!』である。
貧乏で不仲な両親の下で生まれ、それに殺されたと言っても過言ではない岩沢の半生。そんな彼女がゴミ捨て場で拾い、死後の世界でも持ち込むことができたアコースティックギター。歌いたくても歌えない身体で終わった彼女が死後の世界で結成した『Girls Dead Monster(ガルデモ)』。
様々なものに阻まれながらも生前死後通して「音楽」を奏で続けた岩沢の最期のバラード。ギターとメンバーを残して唯一人、忽然と姿を消す末路は初見では呆気に取られるものの2回、3回と観る内に感涙モノになる。{/netabare}
死後の世界にやってきた者は皆、満足な青春を送れなかった者ばかりである。彼らは不幸な環境の下に生まれ、辛いことや悲しいことを経験し、理不尽に死んでいった。
そんな少年少女たちが自身の最低だった人生を肯定なり否定なりして「清算」を行う。消えることは決して悪いことではない。その者にとっては自分という存在に決着を着け、次のステージへ旅立つ「卒業」なのである。それは死後の世界が「学園」という形を為していることからも間違いない。勿論、死しても「自己」という存在が大事であれば何時までも死後の世界に留まっても良い。ならばその者にとって死後の学園は「天国」となるだろう。
消えるも是、抗うも是な世界の中で主人公・音無が『戦線』と天使、どちらの立場に立つか揺れ動くのも(彼への好感度は別問題として)物語を追う楽しみの1つとなっている。

【でもココがひどい:ゴリ押しの片鱗】
流石は“泣きゲーのパイオニア”として名高い麻枝准氏の脚本。しかしそれ故に話の持っていき方には後作『Charlotte』や『神様になった日』に通ずる強引さの元となるような部分が感じられた。
{netabare}例えば生徒会副会長の直井が天使と音無を校則違反で反省室に閉じ込めるという展開がある。その時の違反は「昼休み以外の休み時間で食事をした」ことなのだが、2人は食堂で麻婆豆腐を買って食べていたのである。
死後の学園にいくら現実の常識が通用しないといっても、その常識外れな学園が校則として禁じていることだ。なのになぜ食堂は昼休み以外の時間に開けて生徒に食事を提供したのか。学食にせよ社食にせよ、そういった施設に生活の“食”を任せていたことのある人にとってはすぐに気付く矛盾である。普通、提供してはいけない時間には閉めているものだからね
オマケに学園の生徒会長でもあった天使・立華かなではこの校則を好物の麻婆豆腐で『忘れてた』と言う。彼女が後に見せる天然ボケの基準で考えてもやや無理のある“ポカミス”であり、総じて「閉じ込められた2人が力を合わせて脱出する」展開をやりたいがための強引な前フリだと言えてしまう。
この時の直人は天使を無力化しておきたかったのだから、彼が天使に何かしら難癖を付けて音無より前に捕まえておくだけでよかったのではないだろうか。{/netabare}

【ココもひどい?:キャラの掘り下げが雑で不公平】
そしてよくやり玉に挙げられるのが全ての主要人物に対して掘り下げが行き届いていないことである。
{netabare}凄惨で理不尽な半生と死因、そうして残された未練とその解消時に訪れる消滅までを1セットで描いたのは岩沢の他に実はユイしかいない。大目に見れば音無・ゆり・かなで・日向・直井の描写は十分量でだからこそ彼らは主要人物であったと言えるのだが、この作品は『戦線』という集団(組織)が主役だったために人数は彼らだけに収まらない。
実行部隊のみを挙げても他に高松・野田・藤巻・TK・松下護騨(五段)・大山・椎名・竹山の8人の掘り下げが残された。その状態で第11話からの影騒動を経て、最終話で軒並み雑に消滅の一途を辿らせている。とくに高松はあたかも自我が消されたかのような描写をしていたのに『思いが強ければ正気に戻れる』という他者の発言のみで無事、退場というお粗末さだ。
これらには現在も議論百出────様々な意見(もう1クール尺が必要だった、こんなにキャラ要らなかったetc.)が出される中で、無理に上記の8人を成仏させる必要はなかったんじゃないかと思うのが個人的な意見である。
当時はオリジナルアニメの続編など作る風潮になかったのかも知れない。最初から1クールで終わらせるよう上から通達があったのかも知れないし、ならば2期を待望されるような終わり方には出来なかったのかも知れない。
それでも本作の中で自分という存在に決着を着けられたのは戦線メンバーの半数以下だ。主要人物でもある彼らを人生の「卒業生」として消し、そんな彼らを送り出す「在校生」として8人を存続させる最終話を描いた方がまだ本作を貶める輩も多く減らせたのではないだろうか。
足りない掘り下げは公式コミック『Angel Beats!-Heaven's door-』や『Angel Beats!-The Last Operation-』、続編製作中止となってしまったがPCゲーム『Angel Beats!-1st beat-』などのメディアミックス展開もなされているので、もし出尽くした批判意見で本作の批評を終わらせたくない方がいれば、上記3作を手に取って頂くのも悪い話ではないだろう。{/netabare}

【キャラクター評価】
音無結弦{おとなし ゆづる}
{netabare}彼は本来、死後の世界に来る人間ではなかった。それは自分の肉体をドナーとして提供し、「自分の命が誰かの役に立つ=自分の生を肯定できた」人物であることから解る筈だ。
ではそんな彼がなぜ死後の世界へ来たか。来たのではなく“呼ばれた”のだろう。
死後の世界に役割があるとすれば、それは「魂の浄化」と考えられる。この世への未練が強い魂の執着を学園生活を通して手放してもらい、円滑に転生へと歩ませる。死後の世界はそのためにある文字通り「舞台装置」だ。
ところがある時、その装置が上手く働かなくなる。凄惨な死を遂げてやって来たゆりが『戦線』を立ち上げ、多くの人の魂を捲き込んで転生に反抗するようになったためである。
多くの人の魂が留まり続けることで、死後の世界という舞台装置はキャパシティ(許容量)をオーバーし様々な不具合を発生させる────かも知れない。これを危惧した謎の少年なり“神”に等しい何らかの存在が音無を急遽、召喚したとすれば、かなでより前に死んだ人物なのに後から来た理由になるのではないだろうか。
未だに存在意義どころか「存在理由」まで疑問視されている主人公。しかし説明不足を叩くよりもこうして解明されなかった部分を“考察”する方がアニオタとして有意義であり、そう出来ることが本作の強みでもある。{/netabare}

【総評】
総合的には可もなく不可もなくといった評価に落ち着くが、Key作品の中では相当面白い部類に入るのは間違いない。
麻枝准氏らしい強引な展開が散見しており終盤も唐突で駆け足ではあるが、『Charlotte』のような前後半の断裂も『神様になった日』のような焦れる間延び感も無い、オリジナル作品の初作らしいネタに富んだ演出と「死後の世界」というやりたい放題な世界観がベストマッチ。泣き・笑い────そして各キャラに備わった理不尽な人生に「怒り」や「やるせなさ」をふんだんに感じられ、総じて感情が豊かになる作品となっている。
作画はP.A.WORKSなので当然安定────と言いたいところだが、時折崩れが目に付いた。当時の該社は『TARI TARI』も『SHIROBAKO』も当然、麻枝准作品の後作も手がけていない。まだ現在のような高水準な作画を提供できるレベルには至っておらず、(ゆりが少し涼宮ハルヒに似ているのもあって)よくある00年代深夜アニメと同じくらいの画力しか見られないのが仕方ないとはいえ勿体無い部分だ。ここからP.A.WORKSは5ー10年の時を経てアニメ作画のインフレについていくようになる。
音楽はガルデモを中心とした歌詞付楽曲が豊富にあり、Liaが歌うOP、EDの多田葵はもちろん、ガルデモ初代の岩沢の魂の叫び、2代目ボーカルのユイ(LiSA)と、アニメとしては贅沢すぎるボーカル曲は聴き応え十分であった。
麻枝准氏だけでこの良作は生み出せなかっただろう。とくにアニメ専門チャンネル『アニメダ・ヴィンチ』のインタビューで明かされているが、第5話のテスト回の日向や高松が何度も天井に突っ込んでいくというギャグは監督の岸誠二氏のアイデアだ。監督が監督────アニメ制作の指揮を執る立場として原案でもある脚本家のシナリオにどんどんと介入して二者の「合作」とする。失敗例もあるものの、その大切さが詰められた作品とも言えるのである。
{netabare}最終話の結末が2つに別れているのは岸監督と麻枝准氏の意見の相違。「整合性は麻枝准氏の方が合っている」という意見もあるが、それは当たり前の話で飽くまでも気持ち良く感動的に本作の終幕を描いたのはやはりTV本編として採用された岸監督の転生エンドである。{/netabare}

投稿 : 2024/01/08
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サンキュー:

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