「機動戦士ガンダム(TVアニメ動画)」

総合得点
85.7
感想・評価
1337
棚に入れた
6170
ランキング
221
★★★★☆ 3.9 (1337)
物語
4.2
作画
3.3
声優
4.1
音楽
3.8
キャラ
4.2

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ネタバレ

sinsin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.5 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

反官僚アニメ?徹底考察

前文。
ガンダムの戦う意味みたいなものを今一度考えて見る。
まずジオン公国。ジオン公国にはジオニズムと言うダイクン家のジオンさんの考え理想で成り立ってるんだろう?

ウィキ引用。
宇宙世紀0050年代、宇宙移民者(スペースノイド)たちの間に、被抑圧者階級としての自覚が高まってきていた。新たなフロンティア開拓の美名のもと、人々(=労働者)は宇宙で暮らし始めたが、“地球環境保全のため人類の生活圏を宇宙にシフトさせる"という理念は結果的に破られた。第1期移民が完了した時点で、移民はストップしてしまう。地球連邦の利権に群る政治家・官僚や富裕層は、宇宙より生活環境の安定している地球に居残り続けたのである。これは、先行して地球に別れを告げた移民者たち=スペースノイドにとって裏切り行為にほかならなかった。さらに連邦政府は各コロニー・サイドを「植民地」扱いし、コロニー公社などの特殊法人を通じてありとあらゆる重税を課すなどの多くの搾取を行うようになった。

つまり、基本ガンダムの中にあるのはスペースコロニーを植民地扱いする悪い連邦と言う世界観があるわけだ。
それでジオニズムが生まれたんだろう。そしてジオニズムとはニュータイプ論だろ。

ウィキ引用。
宇宙世紀を世界観とする作品におけるニュータイプとは、ジオン・ズム・ダイクンとその思想ジオニズムによって出現が予言された、宇宙に適応進化した新人類の概念である。ダイクンの死後勃発した一年戦争の最中、アムロ・レイやララァ・スンらによって現実の存在となった。しかしその能力が戦時下で発現した結果、ダイクンが考えた「お互いに判りあい、理解しあい、戦争や争いから開放される新しい人類の姿」とは縁遠い、人殺しの道具として能力が用いられる結果となってしまった。

でもどういうわけかジオンさんが居なくなったらしいそれで。

ウィキ引用。
宇宙世紀0068年、ジオン・ダイクンが死去。ダイクンの実子キャスバル・レム・ダイクンはザビ一派に暗殺されたと主張したが、あくまでジンバ・ラルの受け売りであり、真実は不明[4]。ダイクンの死後、共和国は彼の側近であったデギン・ソド・ザビが引き継ぐことになった。デギンはそれまでのダイクンのやり方を一変させ[5]、武力闘争による独立を目指すべくダイクン派を一掃し、ザビ家による独裁体制を敷き、共和制から君主制に移行して自らは「公王」に即位した。ジンバ・ラルは幼いシャアとアルティシア(セイラ・マス)を連れて地球へ脱出した。デギンは革命の英雄ジオン・ズム・ダイクンを否定しているというマイナスイメージを避けるため、国号自体は変えず[要出典]にジオン公国とした。

つまり、ガンダムの世界では連邦の存在はいつまでも争いを繰り返す旧態依然とした組織なんだろう。
ついでにザビ家も選民思想と独裁政治で連邦と同じ旧態依然とした連中なんだろ。
つまり、ガンダムの世界ではザビ家も連邦も同じオールドタイプってわけだ。
でもそんな中シャアはジオンの理想そのまま受け継いで人類がニュータイプになれば争いがなくなるんだろうと本気で思い込んでいた。

宇宙にみんな住めば争いがなくなる?

コレが、宇宙世紀のガンダムの世界の理想であり問いかけなんだろうと思う。

単純だったメッセージがZ以降複雑になってくる。
Zぐらいになるとオールドタイプだから腐敗政治なるみたいな事になってくる。
一年戦争に勝って元々腐敗してたであろう連邦はティターンズを生み出す。一層スペースノイドに対する風当たりが強くなったんだろうか。
そうすると今度はそれに反発して味方軍がいきなりエゥーゴっていう反地球連邦組織になる。
富野監督的にはコレで腐敗政治を正そう見たいな。
Zガンダムぐらいだと理想は恒久的に平和を維持しても腐敗しない政治を行えるのがニュータイプみたいなことになってると思う。
でも今度はアナハイムが出てくる。ティターンズにマラサイとか提供しておきながらエゥーゴにリック・ディアスとか提供する。
実はコレも結構重要な事で戦争をお金儲けにしてる人達もいるよってこと。
富野監督は、エルガイムでアマンダラ否定してるのにアナハイムに対してはどういうわけか寛容な気がする。その辺がよくわからないんだ。
どうも本気で商売を否定する気持ちがなかったんじゃないだろうか?
エルガイムの時は商売自体を否定したんじゃなくて、人を利用する人を否定したかったんじゃないだろうか?
そういえばシロッコなんかは特に人間の扱いが巧いように見えた。正にマインドコントロール。
この頃の富野監督ってのはとにかく利用されたりしたりするのとても嫌ってたのかもしれない。
それと、このZではニュータイプ同士でも解りあえないってはっきり言ってる。シロッコとも、ハマーンとも。
ZZだといつの間にかエゥーゴと連邦が仲良くなってる。その辺よくわからないんだけど覚えてないから。

その辺、ガンダムのテーマとしてはっきりさせたのが0083。
腐敗しない政治を創り出すのは高潔な志となってとても解りやすくなってる。テーマ性が。
でもシーマの裏切りでガトーの志は水泡に帰す。私は思う。信号弾一発で味方の志気を挙げ信頼を勝ち取るガトーの姿にどうしたら腐敗しない政治になるのか?と言う問いに対してとても骨太に単純に答えたのではないかと。
このガトー根底にあるのは選民思想で間違いかもしれないがこの清廉潔白な心を語り継いでいく事が真の腐敗しない政治への道になっていくのではないだろうか。
最後は、アクシズ艦隊に最後までのガトーの勇士を語り継ぐ為に逃げていった描写があった。
ここに宇宙世紀への骨太で単純な答えがあったんじゃないだろうか?
実は本気で恒久的平和に対するテーマを描いたのって0083じゃないだろうか?
0083ではアナハイムもとことん悪者の描写。
でもそれに対する答えは単純。ガトーの生き様。
宇宙世紀の理想論が宇宙に住めばニュータイプ論で始まって、ガトーの骨太な生き様で終わったんじゃないだろうか?
だから0083以降の宇宙世紀は実は死体。
まずガンダムの大前提としてコレがある富野監督の頭の中には。

ガンダムの世界では腐敗した連邦の存在はいつまでも争いを繰り返す旧態依然とした組織なんだろう。
ジャブローでのWBクルーに対する扱いとか、WBが殆ど護衛なしでおとりになるとか、「レビル艦長を死なせるようでは…」とかのセリフとか(確かあったような…)、ルナツーへジャブローの対応とか。
ついでにザビ家も選民思想と独裁政治で連邦と同じ旧態依然とした連中なんだろ。
つまり、ガンダムの世界ではザビ家も連邦も同じオールドタイプってわけだ。
でもそんな中シャアはジオンの理想そのまま受け継いで人類がニュータイプになれば争いがなくなるんだろうと本気で思い込んでいた。

宇宙にみんな住めば争いがなくなる?

コレが、宇宙世紀のガンダムの世界の理想であり問いかけなんだろうと思う。

ガンダムに生存競争のベクトルがあるとすれば連邦VSジオンじゃなくてオールドタイプVSニュータイプになる。

機動戦士ガンダム作品批評。
【良い点】安彦先生の心に訴えかけてくる作画。

【悪い点】動画の線が汚い。キャラ崩れ。到底リアルとは、いえない整合性のないMSデザイン。

【総合評価】この作品の舞台は、戦争のなくならない宇宙世紀。
また、この作品は、本来抽象的なアニメ表現において果敢にも、「リアルな人間ドラマ」を成立させることに精力を、傾けている。
しかし、この当時の映像技術水準では、リアルなロボット人間ドラマを、アニメでやる優位性や、需要も十分あったと思う。

そんな、機動戦士ガンダムの世界観。
宇宙=低所得層、一般人が住む。
対比
地球=エリート支配階級が住む。
地球に住めなくなった人類、低所得層が宇宙に移住している。これを、理解しなければ、ガンダムを理解できない。

ジオン公国(敵軍)=エリート選民思想。
敵対
地球連邦(味方軍)=腐敗した、利益独占官僚政治。
ジオン公国、地球連邦とも、旧世紀の古い価値観を持った者達として描かれている。

そんな救いのない宇宙世紀で、富野監督は、ニュータイプつまり、希望を描いている。
戦争を繰り返す人=オールドタイプ=絶望=輪廻。
対比
戦争をしなくてもいい人=ニュータイプ=希望=永遠。
あくまでも、ニュータイプは、絶望の世界の希望なのだ。そこに注意しなくてはならない。
本質的には、ニュータイプへの覚醒は、電波による知覚能力の増大として、表現されている。それが、アムロ(主人公)の強さの秘訣であった。
その、電波による知覚能力の増大が「平和」につながるかと言えば、答えは、ノーである。
たとえ相手の心がわかろうと、自分の思想を曲げなければ同調できないと思う。その点、次回作Zガンダムで補完した。
以上のことから、この作品のテーマは、戦争の繰り返しの「輪廻」から、抜け出せるか?だと思う。

次に、アニメーター安彦良和先生に関して。
人は、実写であっても、人間は、視覚的に単純化、つまりデフォルメして、「知覚」している。
安彦先生の作画は、ロボットを描いても性を感じさせるほど、「知覚」的にリアルである。つまり、絵にとても深みがある。
反面、安彦先生は、作家として抽象的芸術性に、著しく欠ける欠点を持つ。
その安彦先生の作画は、「リアルな人間ドラマ」とゆうコンセプトに対し、富野監督の要求に十分こたえている様に思える。
その迷いのない線、力のある目の演技。体を使ったアクションの演技において、それまでただ抽象的だったアニメの演技に、繊細な心理描写を加えている。途中から降板するが・・・。

「富野節」を検証する。
このアニメの放映当時のアニメは、どれも説明的なセリフばかりだった。
そんな中、富野監督は、あの唐突で、抽象的で、生々しく感じるセリフを、キャラクターにしゃべらせた。
声優さん達の、演技を信じた演出も、革新的で何よりも新しく思えた。
なによりも当時、放映されていたアニメのセリフは、説教くさくて、うるさかったと感じる。
そんな、少年少女達の心を、富野監督は、つかんだ。
何の理由もないセリフに、リアリティーを感じ、そして、足らない言葉を、自分で想像してみて、いろいろと考えた。
そう、富野監督の狙いは、子供たちに考えさせることではなかったか、と感じる。

最後に、キャラクターを考察。
シャア(ライバル)=狡猾な大人。社交的。
対比
アムロ=実社会を知らない世間知らずな少年。内向的。
この物語は、アムロの社会を知るための成長物語でもある。いろいろな、エピソードが盛り込まれており、「リアルな人間ドラマ」として、成立させている。
ララァ(ニュータイプ女)との出会いは、アムロに確固たる目的意識つまり守るべき者「希望」を与えた。でもすぐに「絶望」へと変わる。→現実認知。
ラスト、アムロは、仲間のもとへ帰還する。これは、それまで社会にうまく溶け込めなかったアムロが、選んで実社会に戻ってゆく象徴である。アムロが自身自分の居場所を見つけた瞬間である。
それと同時に、大人になった瞬間でもある。

まあ、本当に「リアルな人間ドラマ」を表現できたかは、かなり疑問。だが、「知覚」に訴えかけてくるアニメである事は、確か。

投稿 : 2014/04/23
閲覧 : 507
サンキュー:

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